JR北陸本線最後の全線 中程

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北陸本線経営分離の状況(2023年現在)
区間 事業者 路線 移管(廃止)日
直江津駅 – 市振駅(新潟県区間) えちごトキめき鉄道 日本海ひすいライン 2015年3月14日
市振駅 – 倶利伽羅駅(富山県区間) あいの風とやま鉄道 あいの風とやま鉄道線 2015年3月14日
倶利伽羅駅 – 金沢駅(石川県区間) IRいしかわ鉄道 IRいしかわ鉄道線 2015年3月14日
金沢駅 – 米原駅 JR西日本 北陸本線 存続
2024年3月16日に予定される北陸新幹線の敦賀駅までの延伸開業に合わせて、並行在来線にあたる金沢駅 – 敦賀駅間がJR西日本から経営分離され、石川県部分はIRいしかわ鉄道に、福井部分はハピラインふくい[注釈 2]に移管される予定である[6][7]。なお、両社の境界駅は大聖寺駅となる予定である[8]。

北陸本線経営分離の状況(2024年3月16日に予定される北陸新幹線の敦賀駅までの延伸開業後)
区間 事業者 路線 移管(廃止)日
直江津駅 – 市振駅(新潟県区間) えちごトキめき鉄道 日本海ひすいライン 2015年3月14日
市振駅 – 倶利伽羅駅(富山県区間) あいの風とやま鉄道 あいの風とやま鉄道線 2015年3月14日
倶利伽羅駅 – 金沢駅(石川県区間) IRいしかわ鉄道 IRいしかわ鉄道線 2015年3月14日
金沢駅 – 大聖寺駅(石川県区間) 2024年3月16日
大聖寺駅 – 敦賀駅(福井県区間) ハピラインふくい ハピラインふくい線[9] 2024年3月16日
敦賀駅 – 米原駅 JR西日本 北陸本線 存続
このほか、JR貨物が第一種鉄道事業者として線路を保有していた「敦賀港線」とも通称される敦賀駅 – 敦賀港駅間 2.7 km の貨物支線があったが、2016年4月1日に休止された後、2019年4月1日に廃止された[10]。

全線電化完成後は直流電化と交流電化に電化方式が分かれており、このため当路線を走行する電車や機関車は両方の電源に対応した交直流車両が用いられている。しかし米原側では国鉄分割民営化後に直流電化の区間が延伸され、現在では京阪神地区の東海道本線や湖西線を走る直流電車が敦賀駅まで乗り入れるようになった。また、JR西日本の管轄する在来線では北陸本線が唯一の交流電化路線である[注釈 3]。

2024年3月16日に予定される北陸新幹線の敦賀駅までの延伸開業後は、北陸本線は敦賀駅 – 米原駅間の45.9kmの路線となるため、留萌本線・日高本線に次いでJR線で3番目に短い本線となり、第三セクターに経営分離された区間の距離も全国で最も長い路線となる。また博多南線と七尾線津幡駅手前を除いてJR西日本が管轄する電化されている在来線は全ての路線が直流電化となる。

JR西日本発足後、長浜駅 – 米原駅間は東海道本線の米原駅 – 京都駅間とともに「琵琶湖線」の愛称が付けられ[11]、1999年より近江塩津駅 – 米原駅間が旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「大阪近郊区間」に編入された。また、金沢駅 – 米原駅間の全線がIC乗車カード「ICOCA」エリアに含まれている[12]

正式な起点駅・終点駅
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本路線は、国鉄時代に制定された日本国有鉄道線路名称では米原駅が起点、直江津駅が終点であった[13][14][15]が、1987年(昭和62)年4月1日からの国鉄分割民営化により、本路線をJR西日本が承継した際に直江津駅が起点、米原駅が終点(2015年〈平成27年〉3月13日の北陸新幹線金沢駅延伸開業の際に現状の区間となる)と国鉄時代とは起点駅・終点駅が逆になった[1][16]。これは、民営化当時の運輸省に提出された「事業基本計画」によるもので、そこには「直江津から米原まで及び敦賀から分岐して敦賀港まで」(現状は「金沢から米原まで」)と記載されている[16][注釈 4]。

ただし、前出の『データで見るJR西日本』やJR各社が公示している「JR線路名称公告」では米原駅が起点、金沢駅が終点となっており、また鉄道趣味誌や書籍は、北陸本線を「米原〜金沢間」など[17][18][19][20][21][注釈 5]と記載しているため、役所の提出書類と一般向けの書籍などでは、起点駅・終点駅の表記が逆になっている。

鉄道路線の正式な区間や営業キロなどは、冒頭の『鉄道要覧』や前述の「事業基本計画」の記載を基にすれば、起点駅は金沢駅、終点は米原駅となる[1]。また、路線名は北陸本線ではなく北陸線となっている。一方で、市販時刻表などでは「下り 北陸本線 米原-金沢」、「上り 北陸本線 金沢-米原」(JR時刻表)とあり、国鉄時代からの米原駅を起点とする慣例的な路線名・区間の表記を採用している。

敦賀駅 – 今庄駅間の輸送改善
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「北陸トンネル」、「山中トンネル (福井県)」、および「杉津駅」も参照
倶利伽羅駅 – 石動駅間の輸送改善
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「倶利伽羅トンネル」も参照
市振駅 – 青海駅間の輸送改善
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親不知・子不知に沿って走るこの区間は災害多発区間であり、1922年には親不知駅 – 青海駅間の勝山トンネル付近で90名の死者を出した北陸線列車雪崩直撃事故が発生している。そこで複線化にあたっては、市振駅 – 親不知駅間は親不知トンネル(新)を含む新線を建設して旧線をすべて放棄、親不知駅 – 青海駅間は上り線専用の新子不知トンネルを山側に建設し、旧線を下り線へ転用することで複線化を実施した。

うち、線路移設を伴った市振駅 – 親不知駅間については、中間にあった風波信号場を境に、1965年(市振駅 – 風波信号場間)と1966年(風波信号場 – 親不知駅間)の2回にわたって、複線化を実施した。なお、風波信号場 – 親不知駅間については、後に北陸自動車道(親不知IC)の用地として転用された。

親不知駅 – 青海駅間については、1965年9月30日に青海駅から1.1km米原よりの勝山トンネル青海側坑口付近に黒岩信号場を新設し、新設と同時に以東は線増による複線化を実施、親不知駅 – 黒岩信号場間については、それと同時に新設した上り線(新子不知トンネル)を暫定的に単線で供用した。1966年9月30日に旧線を下り専用としてトンネル間をロックシェッドで強化、および電化することにより再度供用を開始し、複線化を達成した。なお、電化は単線区間が残る1965年9月30日の時点で実施されている。

旧線の親不知トンネル
旧線の親不知トンネル
旧線の風波トンネル
旧線の風波トンネル
浦本駅 – 直江津駅間の輸送改善
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「頸城トンネル」、「郷津駅」、および「新潟県道542号上越糸魚川自転車道線」も参照
最後まで残った非電化単線区間を有する本区間では、従来のルートでは、地質学的に今後も地すべりの被害が予想されたこと、海岸至近を走るために波浪等の影響や電化設備の塩害も無視できないこと、地形的に狭隘な場所を通っているために複線化の用地を確保するのが非常に困難なことなどから、この区間の線形を山側へ振り、一直線にトンネルで抜ける経路が模索された。

その結果、浦本 – 能生間を浦本トンネルと木浦トンネル、能生 – 名立間を頸城トンネル、名立間 – 有間川間を名立トンネル、有間川 – 谷浜間を長浜トンネル(新)、谷浜 – 直江津間を湯殿トンネルで短絡するルートが設定された。各駅も移転を余儀なくされ、能生駅・名立駅は従来線より山側に、トンネル間の明かり区間を用いて設置され、適当な明かり区間のない筒石駅は保安面の管理の役割も兼ねて頸城トンネル内へ設置された。また、郷津駅は代替駅を設置せず廃止している。

頸城トンネルをはじめとしたトンネルの工事および電化複線工事は1966年(昭和41年)3月に着工、1969年(昭和44年)9月29日に供用を開始し、浦本駅 – 直江津駅間の新線切り替え区間は計2.4km短縮された[26]。旧線のうち、浦本 – 谷浜間は新潟県道542号上越糸魚川自転車道線、谷浜 – 直江津間は国道8号拡幅用地として転用された。

北陸本線の歴史一部

6月21日:明治25年法律第4号「鉄道敷設法」が公布され、「北陸線」として「福井県下敦賀ヨリ石川県下金沢ヲ経テ富山県下富山ニ至ル鉄道及本線ヨリ分岐シテ石川県下七尾ニ至ル鉄道」及び「北陸線及北越線ノ連絡線」として「富山県下富山ヨリ新潟県下直江津ニ至ル鉄道」の敷設を予定し、また同法第7条において「福井県下敦賀ヨリ石川県下金沢ヲ経テ富山県下富山ニ至ル鉄道」を第一期鉄道とする[32]。
7月6日:鉄道敷設法により線路取調委員を設置し、同年8月より北陸線の調査を開始する[33]。
12月18日:線路取調委員が実地調査を終える[33]。
1893年(明治26年)
2月10日:帝国議会第一回鉄道会議に「敦賀ヨリ福井金沢ヲ経テ富山ニ至ル百二十三哩五十七鎖余」に係る「線路ノ形勢設計ノ概況」が提出され、同月16日これをもとに工事着手順序及び年度別予算が決定される[33]。
4月8日:鉄道庁敦賀出張所及び鉄道庁第三部敦賀派出所を設置して敦賀 – 森田間の線路実測に着手し、同年8月これを終えて着工する[33]。
8月12日:福井出張所派出所を設置し、今庄 – 森田間及び敦賀 – 今庄間を担当する[33]。
1894年(明治27年)8月9日:森田 – 金沢間の線路実測に着手する[33]。
1895年(明治28年)
2月23日:明治28年2月23日鉄第366号(局長達)によって官有鉄道各線の名称を定め、明治28年度よりこれを実施するものとする[24]。このうち、東海道線は「旧東京神戸間、大船横須賀間、大府武豊間及ヒ米原敦賀間(但シ敦賀ステーシヨン迄)ヲ合併シテ本線ト称」し、北陸線は「敦賀富山間ヲ本線ト称ス(但し敦賀ステーシヨンヲ除ク」ものとされた[24][34]。
3月:森田 – 金沢間の線路実測を終える[33]。
6月:森田 – 金沢間の建設着工する[33]。
1896年(明治29年)
5月28日:出張所を福井に移転し、福井鉄道局出張所と改称する[33]。
6月1日:富山 – 金沢間の線路実測に着手する[33]。
7月15日:北陸線 敦賀駅 – 福井駅間(38M40C≒61.96 km)が開業[35]。杉津駅・今庄駅・鯖波駅(現在の南条駅)・武生駅・鯖江駅・大土呂駅・福井駅が開業[35]。
7月:日本鉄道、甲武鉄道、両毛鉄道、大阪鉄道、関西鉄道、山陽鉄道、参宮鉄道、川越鉄道及び播但鉄道との貨物連絡運輸を開始する[36]。但し、両毛鉄道は日本鉄道経由、参宮鉄道は関西鉄道経由、川越鉄道は日本鉄道及び甲武鉄道経由であった[36]。
9月:奈良鉄道との貨物連絡運輸を開始する[36]。
10月8日:富山 – 金沢間の線路実測を終え、同年11月より着工する[33]。
11月1日:小松出張所派出所を設置し、大聖寺 – 美川間を担当する[33]。
11月2日:倶利伽羅出張所派出所を設置し、金沢 – 石動間を担当する[33]。
1897年(明治30年)
2月26日:倶利伽羅出張所派出所を金沢に移転し、美川 – 石動間を担当する[33]。
5月17日:高岡出張所派出所を設置し、石動 – 富山間を担当する[33]。
7月:豊川鉄道との間に貨物連絡運輸を開始する[36]。
8月18日:鉄道作業局設置に伴い、福井鉄道局出張所を福井鉄道作業局出張所と改称する[33]。
9月20日:福井駅 – 小松駅間(30M3C≒48.34 km)延伸開業[37]。森田駅・新庄駅(現在の丸岡駅)・金津駅(現在の芦原温泉駅)・細呂木駅・大聖寺駅・動橋駅・小松駅が開業[37]。敦賀駅 – 金ヶ崎駅間の旅客営業廃止[38]。金ヶ崎駅が金ヶ崎貨物取扱所に変更[38]。井ノ口駅が廃止[38]。

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