80歳、自転車で2度目の米国横断を計画する市川榮一さん

[音楽] え皆様今年最初の取材はですねえ藤沢に 参りましたそして市川Hさんのオタクにお 邪魔しましたこの方でございます失礼 いたしますどうも本日よろしくお願い いたしますよろしくお願いしますなんと 一川さんはこれから大変なことを今年お やりになろうとしているいやそんなことで もないけどね好きだからね実は見て くださいほら自転車この自転車で今計画中 なのはえっとね3月から6月まで3ヶ月で アメリカ横断するんです2回目の横断です けどねはいということでここにはですね この部屋にはあのこうやって地図があるん ですけど1回目がこれ走ってはい2回目3 回目4回目それから55回目6回目すごい ですねそれで横断終わって今度はこれの 予定ですねああ今度はじゃあ今までの まとめみたいな長いじゃないですか長い ですね大体6000から7000km ぐらいあるこれ何日ぐらいで走る予定です かえ一応そうね実際走るのは70日ぐらい じゃないですか予定は9時立ててるから 天気補とかそういうのがいっぱいあるから うんね気象変化とかはいだまあ余分に見て ますよ3ヶ月かけてそうそうそう遊びも 途中で遊んやってはいえということでです ねえ一川さんの壮大な夢についてえ今日 少しお話を伺っていきたいと思います ボロボロですけどはい昔ねはい今から何年 前ですか1965年ですからあら東京 オリンピックの翌年ですねそうそうそう そうこれから自分でこう走ってあごめん なさい 四国九州1周単独自転車旅行こっから 始まったんですか そうでこれが走ったコースですけどねはい うんうわあすごいな九州四国本州ああ こんなに走ったんだ へえこんな昔の手紙とか良しあります旅館 の なんとね1泊いくらぐらいでしたか1泊ね 710とかそんなですね1泊710mうん これは昔のね うん関門トンネルのはいあの通行券です 30円30円今は無料ですけどねああうん ここ再下橋の通行券と へえこれは実家に手紙を出したなるほどね 当時はねメールでただいまどこどこ通かと かないからねない 全然 うん人生歩む他に道はなしうんただ ひたすら歩むですねこんなこと書いて他人 が開いた道を歩くよりも自分で新しい道を 開け遠崎ですもうほとんど砂利道ですよ昔

はうあのこんなとですうん舗装なんかされ てないですそれ大変でしたね昔は大変です よ台風が来ちゃってね もうこれは別府ですねほらこれね国道です よ十王線ああ日本本線と国道銃これほら SLが走ってたじゃないあららららあ煙を 吐いて うんで全部砂利道ですよはいうんいや 砂利道じゃタイヤもそうだしお尻も痛く なるんじゃないですかそうそうで雨が降っ てね台風でうんうん当時の自転車がね 2万5000円ぐらいしましたよはあ1 ヶ月働いて自転車買えないくらいそうです よねはい うんアルバイトしてねうん当時だってこう いうサイクリングで切るようなあのロード レースなんてなかなかったそういう自転車 なんかなかったですうん うんうんこれもきつかったですよ雲然をね 登った時うわ雲然ってだって今でも車で 行っても雪の時はスタックしてますよ みんな上に行けないこれきつかったですね 長崎ああ長崎も坂ですからねきついです だらけですよね これね うーこれ20代ですかこれは21歳の時 21歳の時うんまたどうして行こうと思っ たんですか21歳の時にやっぱり生きてる 以上なんかやりたいなと 思っいや今でこそね自転車で色々こう多い ですけど多いですけど当時はいなかった ですうん走ってる人なんうん うん子供たちにね正月子供たちと色々話し たらねうんお父さん僕たちもやりたいつう んでそれで子供を連れていくことにしたん ですほらこれ昔 の1300下北班とから走たええこれは じゃ子供連れでそうそうこれ僕の僕に感動 した人が子供連れで僕の家族と走ったうん ああ そういい ね うんきついです よまそれがやりがいあるけどねきついです よって言いながらもやるんですよね面白い やめられないですよ [音楽] うんもう考えたのもうやりたいなと思った 時は21歳の後ですようんアメリカ俺は 必ず走るんだとうんその代わりもう縁が 1度360円だとだったでしょとてもじゃ ないけど海外なんか行けるなんかそういう こと全く眼中になかったですようんだけど ある程度ね時間ができてうんお金を集めて それでやったんですけどま50年ぶり55

年ぶりぐらいこれやったのがじゃあおいの 時ですか最初に アメリカ 74歳ぐらいじゃないですか大体201年 17年だからあと2019年2週間2週間 2週間で行ってきたはあ2週間ずつねなぜ かつうとやっぱり仕事もあったしねうん うんいろんな こと仕事って何やってらっしゃるんですか 建設業ですええ建設業うんもう今息子が やってます けど足掛け3年75歳で達成へえ ま他にもいっぱいいますよ僕なんかみたい ないやでもその楽しんでるってのはいい ですねそうそうそう そう楽しん人生一度だ からね度ない からこのタクにお邪魔してですね入り口に ドーンダンベルが置いてありましたあそれ で常にこれトレーニングしてらっしゃる です体鍛えてる うんなるべく階段は使わないようにはいね ここ8階ですけどねそうそうそうそう ほとんど歩いてますねうん うんそっかそんなとこか なま今度できるかどうか僕は絶対や るってことは言わないんですようんうん うんあのよくメダルを金メダルを取ると かっていうのいるでしょ私はそういうん じゃなくてまできるでやるとそれでいいの 自己満足でうんうん必ずやるとかそういう ことは言わないうんうん うん今回もう航空値が高くなっちゃった でしょ今3倍ぐらいなっちゃったんでしょ だから今まではこれ12万とかなんかで いけたわけですよ往復10万円とかで今度 は25万30万ぐらいそうですからもうだ から今回もう行ったきりですようん3ヶ月 あそうかそうか前は行ったり来たり行っ たり来たりだっ安かったじゃんうんうん うんなるほど ね今そんで食品が高いでしょそうもうだっ てマクドナルドのハンバーガー1個が本当 2000円ぐらいすんですよね縁が弱く なっちゃったから ねあのこう1人だけでずっとこんなに長い 距離を走るとなんか恐怖もあるんじゃない かなと思うけど今までで本当に大変な目 っていうのはなかったですか変な時 やっぱり車に跳ねられた時とあとロッキー 300を超えた時はえきつかったよね ロッキー山脈熱うん暑くて暑くて僕なんか 高速道路走るからはいあの道路を全部道路 の右側を走るんであのロッキーそのものを こう登ったわけではないけどでもアメリ

カってのはトンネルを掘らない国ですから やっぱり山成にこう走ってくんだよねうん トンネルないからねこっちから向こうまで うん日本と違ってうんうん うーこのも下り坂ですけどねやっぱり一瞬 だよね下り坂とのは ねあっという間に終わっちゃう へえそっかで交通事故ってこれは怖いです よね跳ねられた時はもうダメだと思ったね はあうん後ろの若い子がねもうだめだと 思ったみたいねあ何人かでいらっしゃる いや若い子1人連れてったからうん うんでも立ち上がって怪我はしたけどまあ 大自転車が壊れたけど次の街で直したけど ね はま経験だねそれもねいやだから私 ちょっと驚いたのは高速道路って自転車 走っていいんですかあ走れんですアメリカ 走れますあそうですか速度走れますよあ そうなんですか うんうわあもうどこまでも真っすぐな道 ですねこれどこですかこれはねサウスダコ ダシですねはい うん俺は何やってんだろうと思うよね時々 なんでこんなとこにいるんだとかさ ええその自転車の旅の中でもこれは最高 だったなってのはうん最高ばっかりですよ 面白く てやっぱり水がなくなってねうんどうにも なんなくて牧場のねうん牧場の牛なんかに 飲ませる水のとこそこを飲んだ時とかね あと やっぱりロッキーを登ってん時にもう水が なくなっちゃって偶然にも偶然にもこう あの小さな脇道があったっつのはもう今で も忘れないねあ そうあそう天からの水ですねそれはねへえ あ苦しかったからね うんへえええみんな親切ですよ止めて もらったりね嵐が来るから僕の家泊まれ なんてわざわざ車で迎えに来てくれてうん うんいい思い出ですよ ええだから私は自転車でこう日本を歩い てる人には一生懸命やってあげますようん うち止めてあげたりうんうんあのもこう いう本当に好きでやってるんだなっていう 感じがあって自転車であの競技とかねあの そういうのってこううんそういうのは興味 ないすねうんだからそれはみんな皆さん それぞれのやり方でロードロードのうん 自転車が好きな人とかこういう旅の好きな 人とかっていうのは僕は否定は一切しませ んけどま自分が楽しきそれでいいと思う うんうんうんうん本当に楽しん でらっしゃるんですねそうです楽しんで

ますねその楽しみていうのはやっぱり なかなか日本人って仕事中毒って言われ ますけど仕事中心になってこう生活をねし ていく人が多いからなかなか自分の楽しみ を持つって難しいんじゃないかなって気 するやっぱね自転車のいいとこはね思った 時ポっと止まれてすぐ戻れてすぐ休めると 車ではそういうことができないほで匂い 香りをねが分かるし人とがすっと接触 できるしお昼ごそになったり結構来ました よああのみんなで集まってるとこがあっ たりしてそこでぽっと顔出すともらと 飲めよ食べろよつっ [笑い] てこれ持っていきます走ってですもう ボロボロですよあらら本当だすごいわ ボロボロだけどうわすごいで1日走ったの が大体ねこの1cmぐらいこっからこの です ああ1日本当にもう尺取りみたいこれこの 地図が大体60cmぐらいあるでしょえ それと大体6000kmぐらいあるとこう いうことです ようんああの車と違って自転車をこう迂回 したりするからね車の気すと全然違います 大体2割増えるから うんでもどうでしょう21歳の時ね走って でその後75歳で走って今もう80歳です か今年うんコロナで行けなかったからね うんあそかそかそれで体力の衰えてどう ですかうんいやないです ねないうんほとんどないですね うーんいいです ねだって走り出したらもうやめるわけいか ないじゃないですかうん戻るわけいがない しチケットは入り口こここっからここまで 帰りのチケットしか買ってないから途中の はないからあそっかなるほど 装備とかってあなんか荷物とかってどう するんですあんまりいっぱい持ってくと 大変だしもうそうね前はね全部前は あのなんていうか料理もしたけど今は今回 も一切しないですね荷物重くなるからうん うんまいや安くてガソリンスタンドでパン かなんか買ってそれでやるねレストラン みんな高いからねうんうん今はうんそんな 余裕ないですよ でもダイナーでちょこちょこってねなそう そうダイナーでねうん結構皆さん今 アメリカのね僕はあのアイラブアメリカ つうとこでアクセスして今日250人 ぐらいまししてるかうんそれでその中に あの近くへ来たら俺の家泊まるとかおお なんかあったら助けに行くとかそういう人 が結構いますねあもうサポーターがSNS

であるんだあそうですかそれは素晴らしい うん止まれとかね心強いですね うんいいなあ へえちょっと自転車拝見します いや片付いてないですよいやいやあの私は 全然わかんないですけどマニアにとっては こういうの見るのきっと楽しいんだろうな と思うんですよねああでもちゃんと オレンジの帽子とかオレンジのヘルメット とか目立つものですねそうですね危ない からね うん [音楽] うーんそうか荷物極力減らさないといけ ないですねやっぱり荷物を減らすことだね うん1kgでも減らすっていうかだから その行くまでにはやっぱり体重2kg ぐらい減らしますよ荷物の重くなるから 体重減らすうんうんダイアしますあそう ですか うんまそのね僕のランチくれたんです しかけしかもねええええええええでこの ワシもらってあそこにあるでょほらあシゴ はいうんシカゴポリスがありますシカゴ ポリスで乗せてくれて案内してくれた ええそっか1人で自転車で日本から来たの かみたいな感じですうんうんこれが トランプタワーの前ですようんうんこれこ トランプって書いてあるですうん真っ黒系 でしょうん本当ですね [音楽] こんな感じですうーんすごいいけもいけど もそうだねずっともう一直線だね夜まで [音楽] うんあこれね牧場止めてくれた時 ですうんジレットてこの人がね迎えに来て くれてねあの荒れるから私の家泊まるつっ てへえ いいでしょう最高ですねこれあの夕飯作っ てくれた ふこれしかないけどつってね食べろつって うんこれはね途中でパーティーがあのあら うんこれやってた時行ったらね全部ご聴し てくれたお前も入れって感じですねそう そうそうそうそう そうこういうのはやっぱり車じゃ味えない ねうんこれイエローストーンですああ本当 だ うわあね大自然ですねアメリカのこれはね この人がパイロットSNS知り合った人で ユナイテッドのパイロットさんで止めて くれたんです家 に一緒に走っ [音楽] たこれテントああテント

うん わんちゃんはこれその地元のこれこれご飯 作ってああうん美し飲んでもうこういうの 持ってかないだこれこれねドイツ人と カナダ人とうんいろんな国の人たち があこれキャンプ場だそう僕はこういうん しっけてたからここへテントあってねああ なるほど そう か これいや懐かしいですよちんときます よでも今度走るのは多分これが最後であと 来年ヨーロッパ来いっていう人がいるんで それ行こうかなとは思ってるけどねそれで 終わりだねうんいやでも本当自転車と共 にってい感じですね人生楽しんでますね いや楽しんでるけど やっぱりやっぱ的結構きついねあそううん かかりますよやっぱりそれない [音楽] に [音楽] は

自転車での旅をこよなく愛す80歳は2024年の3月から3か月間をかけて2度目の米国横断を血行する。21歳に始まった自転車での旅はいよいよ終焉に向けてゆっくりスタートを切る。
藤沢市善行在住大川榮一さん80歳。

2024年1月3日
取材・カメラ:宮嶋泰子
構成・編集:宮嶋泰子

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