2024.9.20 600倍の放射性物質が通った福島市 薬剤師の母親は3歳と6歳の娘を山形県に避難させる決心 後編 <福島第一原発事故 被害地から 未来への伝言>

福島市で薬剤師をしていた藤田亜希子さん(1973年生まれ)のお話の後編です。

藤田さんが山形市への避難移住を決め、13年が経ちました。

当時3歳と6歳だったお嬢さんは、長女が神奈川県で大学生活を始め、次女は山形市の高校でファッションデザイナーを目指しています。

放射線感受性の高い年齢である二人の子供の健康に万一のことがあってはならない、と山形市への避難移住を決めた藤田さんは、お二人がほぼ成人したいまなにを考えるのでしょう。

13年が経ち、福島市の周囲の人々は原発事故や放射能汚染のことを話題にすらしません。

たまに、山で採れた山菜やきのこのおすそ分けがあると「私はいらない」「私はいります」と反応が分かれる。しかしその理由を話題にすることはありません。「沈黙の了解」のようなものが人々の間にできました。

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<前編>
2011年3月11日、東日本大震災に襲われて2日間、停電でテレビも見ることができなくなった福島県福島市内では、東北の沿岸部が津波で壊滅していることも知らないままになりました。まして福島第一原発が危機的な状態にあることなど知らされません。

同13日になって、太平洋沿岸部から避難してきた人たちの口コミで「原発が爆発した」ことを聞きます。しかしその時の藤田さんは原発の位置すらわからなかった。

福島市の保健所が計測した空間線量をネットで調べると、同年3月15日には原発事故前の600倍という猛烈な線量だったことがわかりました。自分で計算してみると、年1mSVの基準をはるかに超えていることがわかった。

4月になって政府が一般公衆の被ばく許容基準を年1mSVから20mSVに引き上げたことを知って、藤田さんは愕然とします。

被ばく基準を超える放射性物質が来たのなら、避難を命じるのが合理ではないのか?しかし政府はその代わりに基準を引き上げた。それはまるで「39度以下の発熱はインフルエンザ(コロナでもいいのですが、当時はコロナは流行前だった)感染ではない」と政府が基準をいじるような、奇怪極まる話に思えました。

家族の健康に万一のことがあってはならない。藤田さんは新築したばかりの自宅を出て、山形県に避難することを決意します。

しかし、周囲はそうした藤田さんの懸念を理解してくれる人がほとんどいなかった。むしろ避難した人の悪口や陰口がささやかれていた。

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公共性と事態の深刻さを考えて、今回も無料で公開しました。
みなさんのカンパをお待ちしています。

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9 Comments

  1. 汚染は福島県だけではありませんよね。福島県宮城県環境放射線監視センター年報 (2015)研究論文、宮城県地方衛生研究所、仙台市、放射性降下物量、セシウム137、13,000,000,000ベクレル/km2..静岡県や山梨、長野も出荷規制に今も苦しんでいますが、隠蔽宮城県方面の汚染は、比較にもならないほど厳しいのです。この仙台市なんて宮城県の中ではマシな地域です。

  2. 底が底抜け安倍の凍土壁。既存の技術で可能なコンクリート製の後付けコアキャッチャー案なら、お支払いは自民党の金の成る木の東電様負担になりますので却下されましたよ。凍土壁も既存の技術なのですが、なぜか?なぜか?凍土壁という新しい試みなら国民負担と言えるからと何百億円もどぶに捨て、底が底抜け安倍の凍土壁案に逆戻りさせました。

  3. これまでは烏賀陽さんの口座に直接入金してたのですが今回はじめてチャットからのカンパ方法を知り実行しました。
    些少ですがカンパさせて頂きます。
    闇に葬られ、忘れ去られているフクシマの現状をこれからも明らかにしてください。
    御大・烏賀陽さんの元気な姿がいつまでも拝観できますよう祈っております。😀

  4. 本日、中国が日本産水産物 輸入の交渉につくと発表がありました。中国みずからが処理水と海水を採集分析する条件付きですが、これまで日本は主権の侵害として許可しなかったそうです。安全と言うなら最初から堂々と許可すれば良かったのに。どちらの態度が科学的でしょか?

  5. 当時子育て真っ只中で、お子さまお二人を必死に立派に育てられた藤田さんの貴重なお話を配信いただきありがとうございます。
    藤田さんの朗らかなお人柄と考え方が自分と近い部分もあり、最後まで引き込まれるように拝聴させていただきました。

    政府やメディアの対応は当時も今も酷すぎます😢
    この記録はもっと多くの方々に見ていただきたいです。
    私も連休中に前後編、もう一度見直したいと思います

  6. 浪江の山火事で 和歌山のある注意報道が
    非難されました 逆らって
    マスク無しで 消火活動された方々は 今・・・
     自衛隊員は しっかりピンク色の
    フィルタマスク付けていました

  7. 安東量子氏は、事故以前は植木屋?として福島県内で仕事していたと記憶しています。
    事故後は放射能被曝擁護派として活動し始めてびっくりしました。

  8. 烏賀陽さん、37分のところで宮崎では宮城の間違いではないでしょうか?ウガキンなどでそう説明されていたような?

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