新刊紹介/上野かずこ著『蕾のままに散りゆけり 対馬丸から生還した教師の魂を娘が辿る』

はいこんばんは友人町チャンネルでござい ますこの番組は私長野県松本市のえたった 1人のえ出版業者友人所員の福岡をお送り する番組でございますということでですね えっとですねちょっとお久しぶりでござい ます えー配信をやるのは土曜日ぶりですかね あの先週の6月1日え杉さんとのえ管理氏 スタフと以来ということなんですけれども まあちょっとねあの何にあの何せよですね あの結構ね え新刊が出ました はい新刊が出ましたはい えーつぼみのまに尻けりえ津丸から生還し た教師の魂を娘が上野和子ということで ですねまこれがあの出来上がりましてで6 月の3日月曜日に出来上がったんですで まずそれがねまず納入されてそれからです ねまあのいろんなね関係者の方であるとか あとご予約注文していただいた方に ちょっと発想しそれからですねあのこの本 なんですけどうちのあのま方針として基本 的にですねあのネット出版とAmazon が中心になるんですが一部書店さんにも あのおろしておいますちょっとねそちらの 手配の方もあのいたしましてまあそれでね もう本当にねあの思ったんですけどね紙 って重いんですよ本て重いんです本当に あの1冊2冊ならいいんですけどこれが 何十冊となりますとね結構ね大変なんです よ例えばそのえ上位としてですねその 取り次ぎとし地方商流通センターえあ礼 あのそこの名前をすぐにはないつかないな え地方小流センターというですねこれは ですね東販日販と違ってあの書店に下ろす んじゃなくて上部しておいて書店さんから にお客さんが注文があっていわゆるなんて 言うんですかあの客中ってやつなんです けどもあのこの本ないですかいやちょっと 今置いてませんじゃ取り寄せてもらえませ んか分かりましたっていう時にですね初田 さんからその地方小流通先般セあの センターの方にちょっとあの連絡いただく とそちらからですねあの送られるという ような仕組みになっておりましてまあどう もどうもえっと田中さんこんばんはです うん突然始めたんですけども本当によく 気づきになりましたはいあのこの地方商 流通センターというところにですねあの 何十冊か常備しておいてもらってるわけな んですけどこれをね箱詰めしてねあのね箱 自分でやるわけですよ私は1人出版生です から箱詰めにしてそれからあの宅便の方 まで持ってってそれでま置くんですけれど もま宅便がねくの山がね今ねお店を東配合 でねあのこれまでからねこれまではねもう ねあの歩いていける距にあのもちろんあの 本を積む時にはバイクに積んで持ってくん ですけどもバイクというか原付にね私の 愛車のあの原付に乗せてあのまあ12分で ねついたんですけど今はね往復でね30分 ぐらいかかるとこにね行っちゃったんです よガソリン台も今高いですからねバカに ならないということでまあ大変なんです けれどもまそうは言ってられないのでそう いう作業をですね あの3日から今日もちょっとねそういう 作業があったしましてで えー落ち着いてねあの配信がちょっとでき なかったというかというますかねあの飯 食ったらねコテンと寝ちゃってですねその まま朝まで目が覚めなくてという状態だっ たのでちょっと申し訳ないけど夜配信する 余裕がなかったというそういうことで ございますねでねあのこの上野さんのこの うんつぼみのままにちけりこの方の プロモートがありましてえ6月の8日から ですねえ3白4日でちょっと沖縄に行って きます あの沖縄の那覇のね純堂さんの那覇店と いうところでこの著者の上野さんを交えた のトークイベントこれ貼っとこうかな えっとねちょっと待ってください画面共有 しといてえっとですねすぐにですすぐに こういう用しとけよって話したんですけど ねうんえトークイベントがあるんですよ うんこれで出るか出るか なうんえちょっとこ画面を共いたしますね はいえっとこういうやなんですけれども え津島丸事件から80年この津島丸事件に ついてちょっと後で言いますけれどもえ ちょうど今年の8月20日で事件が起こっ てから80年なんですよねまそれで歴史を 復活させないためにというまそういう ジャックでですねあの242024年6月 9日え15時から16時30分まで入場 無料で地下1回でイベントを行いますこの 著者の上のさんにご登壇いただき一応私は 新海進行役ということであのお務めさせて いただくんですけれどもえこういう イベントがございますそれでねあの他にも ね6月の10日にはですねちょっとした 交流あのまちょっと下と言いますかですね あのいわゆる交流会的なものがありまして これは私私案を顔出してるんですけどねま それがあってで同じ10日の日にですね 上野さんがこれはちょっと私は絡まないん ですけれどもえ 沖縄沖縄県の那覇神のがですね梅村という ところで梅村というかくかくなんかな番地 的なく文字だっけな番地的にはちょっと 違うんですけどねごめんなさいあのすぐ出 てこないえっと ねえ津島丸記念館ってのがあるんですよ 津島丸記念館と いうこの津島丸についてねあのまあの 語り継いでいこうというですねあのそう いう記念感これ実ははねあの館長さん務め てらっしゃいて方は津島丸の事件のまあの 関係者というんですかねあのそういう方な んですけれどもえちょっとなさい え うんうんとね えごめんなさいまあのなしです要はあの ごめんなさい覇内に丸記念館ですえそちら の方でねあの上野さんが登壇されてであの 小さい子供たち向けにねあの講演を行うと いうイベントでございますそれからですね あの えっと10日の午前中だったかなあとです ねえ10日月曜日の午前中ですねあと11 月の午後にはですね同じ津丸記念館の方で あの上野さんがやはり登壇されるという ことでこれはちょっと私のね都合があって あのその日のうちに帰らその日の午前中に ちょっと帰ってしま東京に帰らなきゃいけ ないのでえちょっとあの その方はですねちょっとあの一緒にご一緒 できないんですけれどもちょっとそんな形 でですねもう色々とやっていこうという風 になってますまこういうですねえのござい まして えそれからですねうん え6月の23日にはですねあの栃県の方で あの島森木というですねこれはですねこの 私が前に打ち出出しましたこの沖縄の島森 これは中高文庫なんですけれどもそれから この沖縄の島を語りすく群像という本も ちょっとこのこれは友人所員から出した本 ですがそれからこれ島森の木というこれ あの漫画ですねこっちから出した方がいい かなあのこういう漫画なんですけれども こういうあの沖縄線の時のえ島田明あの県 知事ですねそれから新井太蔵警察部長の あのなんてうんですかねあの県民の沖縄 県民を1人でも生かそうというですね努力 された姿を描いた本というのがありまして その島田明さんをですね検証する島田 え妻木というですねあの催しが栃木県の方 であるんですねこれはね俳句大会ですこれ はあの島田明並びに栃木県の出身の新井ぞ え当時沖縄県警察部長をですね読んだ俳句 をま募集してまコンテスト行うという趣旨 なんですけれどもそちらの方でですねあの こちらのあの本をですねあのご紹介 いただけるということなのでそれであの6 月23日にはあの栃の方に行く予定であり ますあとねこの本自体は沖縄県と栃県の 書店ではですねあの沖縄県では純九道の 那覇店さんえ栃木では落合書店さんとあと えっとねうさぎ屋さんのですねえ宇都宮駅 東口店それから津屋の栃木場内店このえ この辺のお店で扱っていただきまており ます置いていただいておりますもう そろそろ並んでると思うんですけれども もしねお活の方いらっしゃったら是非ぜひ あのえお店に行ってお手に取ってまできれ ばこご購入いただきたいというところなん ですけれどもまちょっとそんなことであの やってバタバタしておりましたのでまそれ がね今日ちょっと1段落ついたということ でえこういう配信をねやる1段落ついたと いうかねさあの本が出来上がった時のあの 仕事は1段落してそれでえこの週末から ですねまた忙しくなるのでいやそれまでに ちょっとねあの配信をやってしまうという ことであのご紹介の動画をねやっぱ1度 作んなきゃいけないということなのであの やったわけですがでねそもそもねこのうん つみのままにちりけりこの本なんですけど これはね結構駆園がございましてですね これ前の配信で喋ったことと被るかもしれ ないんですがええっと今ですねうん一応 これもう1回あれしとこかなあの急にや るって言ったんでま急にやると言ったのは ちょっとコンディション次第ではねやるか やらないかわかんなかったんですけど まあまあなんとかやれるコンディションに あるので今やってるといとこですねはい私 もう今完全に朝方になってますからね ちょっと夜はちょっと弱いんですよ夜は 弱いと言いながらねライブ配信始めたら3 時間でも4時間でもやっとるやないかって ねおっしゃる思んですけど一応まもう1回 回リボスとしてきますがうん んそのポストは削除されましたと言ってる ぞがいまいいやえっとね えーうんそれでですねうんそれでですね この実はこの本を出すにあたっては ちょっとあのあの駆円ございましてまず この津地元というやつなんですけれども これあこれちょっと後で紹介しようかな後 でちょっと詳しく飲みましょう えっとですねこのそもそもはこの沖縄の 島森というですねさっき言った島田明登場 沖縄県知と新井太蔵警察部長の追ったあの ノンフィクションっていうのが中高文庫で これねあの元々は2001年だったかな 文庫文は2006年なんですけどえ 2001年だったかなあのにえ元々単行本 が出ましてその最初の単行本を私がえ担当 したわけなんですよね でそれであのそれがですねまその後田村 洋三さんこの田村洋三さんという方はです ね元々読売新聞の社会部の記者でして社会 部省までお務めだったのかな社会部省から 編集局事を編集院まであの務められた方 ですあの大阪支部の方ですけどねえ当時の ねあの夢新聞大阪支部というのは結構な 名物部だったんですよ特にあの黒田軍団 っていうですねあので社会部長がおりまし てこの人の元でですね読売新聞がスクープ をかっ飛ばしていた時期があったんですよ ねで特に大阪市の方がでその一方で読新聞 大阪市というのはもうその一方でその昭和 市をね戦争の歴史をずっとけるという地道 な作業もやっておりましてま地道だけど 貴重な作業ですしあと菊地鑑賞をもら受賞 してるんのかなこれであのいわゆるこれ 新聞記者が語り継ぐ戦争というですねこれ 第33回菊官賞え文芸主創た菊官にまい あの賞ですけれどもいわゆる ジャーナリズムに送られるそうですよねあ ジャーナリズムだじゃないか文野の方にも あるかなそのぐらい貴重な仕事をねずっと された方でその中で特にあの天然退縮され た後は沖縄線に関する著書をですねずっと コツコツコツコツ足で歩いてあの取材して 集めたものをあの形にするというような ルポにするというようなことをされておら れましてでその中でこの沖縄の新守このね 島田明さんの沖縄の島森中高文化から今も あの絶賛発売中でございますけれども こちらの方がま あの私の方にちょっと回ってきましてで本 にしたという指なんですよねでその後です ねあの田村先生の方はもう34冊あの出さ せていただいたんですけれどもまいずれも 沖縄線沖縄線がみが1冊2冊かなえ気象台 沖縄線当時の気象台の活躍を描いた活躍と 活躍といちゃあるか気象大の職員たちの 物語を書いた特攻に純という作品と えそれからですねま他にも文庫分があっ たりしたんですがあのそん中ま結構ねあの あれなんですよあの自分の中でね あの残る仕事これあの読んだ方が面白いと おっしゃったとかそういうことではなくて 自分の中に残る仕事ということですつまり その本がいい本か悪い本かという基準は 全く関係ないらしいに個人的な思いとして のあれなんですけど大体編集者ってのはね 年に10冊以上担当して本を作ってるん ですよ進化の場合はそのぐらいですね文庫 問だ20冊以上なんのかなあの年間にうん そのぐらい本を作ってるんですけどもその 中で自分の中でこれは達成感を感じた本と いうのは まあやっぱりちょっと限られるわけなん ですよ本当に えーまそういうもんなんです仕事というの はま繰り返しますけどこれはあくまでも 自分基準なのでそういやねあの余談になり ますけどあの中台立やさん今もねもう90 何歳で現役であの頑張ってらっしゃいます けれどもこの中台さんにねインタビューし た時にうん あの自分の中で ねこれ中田さんがの方からおっしゃったん ですけど残る自分の中でね残る映画っと いうのはまあ10本はあるかないかですな とえ小林馬関監督との仕事それから黒沢明 監督とのお仕事えそれと岡本き監督との 仕事まえ具体的なタイトルは申しませんが まそんな感じですかねみたいなこと おっしゃっていてま中台さん膨大な数のね あのあなるせみ教さんが入ってなかったな よく分かりませんけどまあの他にもテレビ ドラマであるとかあの多くのねお仕事を なさってきたわけなんですけどもそれで それでしかも中台さんはそのその具体的に げらて10本が優れてると言ってんじゃ なくて優れてると言ったわけじゃなくて 自分にとってはあのやってよかったという か自分の中で残る仕事としてそれだけの本 をね取り上げられたんですけれどもま そんなもんなんですよで私にとってはこの ね田村先生とのお仕事というのはちょっと 自分の中で残る仕事だったんですよね売と かその評価関係ありませんといえ沖縄の島 はねこの方はね結構ねえ文庫分出してから もう16年経つ18年かあ18年ですね 結構ね増圧も繰り返していてあの生きなく 入れてる本ではあるのでねその意味でも あの自分中に残る本だったんですけどその 田村先生からですね友人省になってから この沖縄の島森を語り継ぎ人像というのを ですねやりたいとうんやってほしいとうん これはちょっとね私のとった名誉な話でま これだけの実績残した著者の方がねもう 1人出版しとなって是非うから出させて くださいって言うんじゃなくて向こうから ねあ福岡さんとか言ってね突然電話買って きてまだ中行やめたのかやめはったんやな ははとか言ってあそうすいませんあの バタバタしていてちょコロナとね緊急事態 宣言とね私がこっちに引っ越してきたのが 重なったのであのやっぱり6にご挨拶でき なかったんですよそれでねあのどう申し訳 ないって言ったらねあんたに呼んで言ある んやけど送ってえですかて言われてはって 言って送られてきたのがさっきのこの沖縄 の島森率群像という本でまあのこの本の 続編に当たるというのかな現代編に当たる という形ですかねでこれはですねえ何年 出したんだ2022年だからちょ2年前 ですね2年前にこの本を出して あのでま結構ねレも良くてもうそろそろ 在庫もという感じはあるんですがあのこれ はですねを出した時に2022年の4月に 出てますからえと現行がね書上がったのが 確か11月10月か11月ぐらいでしたか ねあのうん私は最初に見せてもらったのは その半分まで書いた現行でうんこれでどう ですかて言われてこの後に書きつけで是是 お願いしますということであのやって いただいたわけなんですよでその現行が 出来上がった後時にですねあのそれは 2011年2021年の10月か11月 だったんですけど岡さんね島丸事件ってご 存知ですかって言われてああ一応ねあの 事件の名前とかどういうことが起こったか ということはまざ知っておりますとざと いうかまあのそういう事件があったという ことぐらいしか知識はなかったんですけど ねいわゆるあの沖縄からあの学童祖会って 言うんですけどえ沖縄沖縄がねもうすぐ 戦場になるということで大勢の子供たちを 内地にね疎開させようということでまこれ は単にあの安全策子供たちの安全のためと いうよりどちらかというと沖縄線の前に 兵隊さを真中させるんでそのためにね食料 を少しでもね兵隊さに回さなきゃいけない ということでまそれで内地に疎住民をね 内地に疎させようということだったらしい んですけどもその中であの子供その中で津 ていうのはまあお子さんが何百人だったか な00人だったかな あちょっと後で詳しいおかな数字出します があのこれを載せたね乗せた船がアメリカ の潜水艦に撃沈されて大勢の子さん方が 亡くなったというですね事件があったと いうことは私も承知しておりましたのであ そういうのありましたなと言ったらね岡 さんねこのねこの津丸で子供たちを印刷 するために乗り合わせていた女の先生がが いてその人がね命が助かったんですよで命 が助かったんですです命が助かったんです けれどもやはりねちょっと遺族にね 合わせる顔がないということでまあの戦後 沖縄にはもう帰れないということで えその時はねどこに結果的に栃木なんです けど栃県に拠してまそこでま一生寄られた というでその人の娘さんとねこの知り合っ たんですよはあそうなんですかなるほど ええなんて言ってたらあじゃあねとにかく ねこれがこのね今のこれねこの本が終わっ たらこの本が終わったらあの次はその津 周りについてね書こうと思ってりますねて でその津島丸書いたら死にますわとか言て ガハハと笑ったら笑いになったらそのから ほなく12月にえちょうど90歳で年90 歳だったんですけどねお亡くなりになった というが入ってきてええって話になったん です よ で原稿ができて著者構成をする前に 亡くなったのでそうなるとねあの当然あれ なんです あの現行が下らになるななるでしょうで ノーションですからものすごい数の人たち に話を聞いて取材して書いてますから人 関係が正しいかどうかというのをチェック しなきゃいけないんですけどそれはねあの ご本人じゃないとできないんですよまず 取材した私あのこののての取材は特に田村 先生はそうなんですけどあの編集者は 立ち合わないことないんですほとんど 立ち会わないんですよねご自身なでありて やれるので逆に言うとねあの取材する方 がどなたかに誰に確認すればこのねあの 間違いがないかどうか分からないのでそれ で私ね多少ねつてはあったもんですから あの田村先生とあの一緒にねちょっとね あの田村先生あの大阪にお住まだったん ですけど兵庫の方にあるその 島田現知事をま検証する会みたいなところ に一度ね行ったりして名刺交換したりした もんですからその名刺をその細かいありを 伝ってあそれが栃木県のねあのであの検証 活動なさっている新井さんという方 いらっしゃってでこの方もねあの連絡先は ちょっとね存知といたもんですからまそう いう捨てを育ってその取材してもらった方 にあのこれは本当やっちゃいけないんです けどあのやいあのやっていいと限らないん ですけどそのゲラをですねちょっと見て もらってあの事実関係だけ間違いがないか どうか見てくれともちろん全部見したわけ じゃないんですよその方が出てくるってこ だけ出して事実関係とか数字であるとか 場所であるとか名前であるとかをチェック してもらったんですよ でそれでなんとか出来上がったんです けれどもえで亡くなってから5ヶ月後にま 本人することできたんですがまおかげさん でと言いますかねそれでちょっと沖縄や 栃木や兵庫の方々とのま人脈と言うんです かあのそういうのができてで結構ね本が 出来上がった後に神戸の方でねあのそう いうあの島田明父のあの卒業した高校兵庫 高校ですけどそれのOBOB会容会という OB会に及ばれしてちょっとお話をさせて いただいたりそれから兵庫のラジオに出演 したりあFMラジオですけどねそれから あの沖縄でもですねこの本のあのイベント をやってまそばテレビとかにねあの 取り上げられたりそれから栃木ではさっき 言ったようにあの俳句会の会のえその島森 木というね俳句大会では田村洋三省という ですねこれは応募してくださったえ小中学 生かあ中学生かなにあのあの表彰すると いうのをですね一応友人所員のスポンサー だということであの賞を差し上げたりし てるんようになったんですよまそれはそれ でねあの苦しご縁なんでいいんですけどで その中でねそういうのやってく中で私あの 田村さんがね津島丸について書きますわっ て言ったのがねすごい引っかかっててで いろんな人に聞いてみたんですけど なかなかねあの こういうことがあったんですよって言って もね まあねま取材をねあのコツコツと始められ たばかりだったのでご家族の方にも聞いて みたんですよその取材ノトとかそういうの が残ってないかとたね結局家的には出てこ なかったんですよねあの品の中からそう いうものは でそしたらねある方からね福岡さんあんた 書いてらよろしいんじゃないかって言われ たりしたんですよこれ神戸の方から言われ たんですけど も私にそんなとてもないけど力ないですし ま私みたいらねよそものねあの沖縄ともね ゆりのない人間が一直でねやるようなもん じゃないとそれ沖縄線とか津島丸というの はそれだけ重い仕事なわけですよ重い 出来事なわけです よつまりあの当事者でもない私がそういう ことをやっちゃいけないしそれだけの力量 もないという感じだったんで感じだったん ですよねで正直もっと正直言うとやっぱり ねあそう沖縄にねちょいちょいこの仕事で あの出かけてった時に あの沖縄あの津島丸さっき言った津島丸 記念館っていうのがあるんですよね えこれはもうねあの那覇の中心地の いわゆる平和通りからでもね歩いて20分 ぐらいのとこにあるんですけれどもあ 国際通りごめんなさいえ国際通り平和市場 か国際動員のたというね一番ま繁華街です よお土産なんか売ってるそっからまあ15 分か20分歩いても着くようなとこにある んですがで私もねそれがあるということは 認識したんですけどやっぱりちょっと足を 運にはなれなかったんですよねなんせ ねねこれあのそんな雑思し事件ですから雑 な数字で言っちゃいけないので一応正確な ところをね喋りたいと思うんですけれども え うん784人のお子さんたちが亡くなって んです当時834人乗り込んで784人が 亡くなってるんです よまあの一般の初会者であるとかそれから あのその子供たちを世話していたあの学校 の先生であるとか乗組員であるとかそう いうたもそれからあの一応ね あの兵兵隊というね一応何かあった時の ための兵隊部隊も乗ったらしですけどそう いう人も含めたら1484人の方が 亡くなってるんですよねそれだけのあの 思い事件ですのでま全員あのささっき言っ た兵隊届けば非戦といんです よでやっぱねそういう人たちの向き合うと いうのはねやっぱきついでしょう私も人の 子の親なんで特に小さい小学生の今でいう 小学生当時は国民学校ですけど小学生たが 勢になったというねのはねちょっとね辛く てちょっとその津丸記念間に場所運引きに なれなかったんですが去年のですね6月に あの9日え6月の何日か忘れました6月の 上旬にそういう沖縄そういうねあの島田明 さんを検証するような目的で作られたある 交流会にあのちょっとばれしまして行き まし沖縄に行きまし たでその時にね やっぱり私の中でにあのその津島丸の津島 丸の県田村洋三さんが津島丸について書い たという書きたいと言しゃったそれのがわ かまってましてねじゃあいいや1回行って みようと勇気を振るって言ってみよう とでその津まの方に記念間にきましてま いろんな展示があるんですけどやっぱ1番 きつかきついのはね壁一面に亡くなった 犠牲者たちの写真がま全部じゃない でしょう けど全部ではないんでしょうけど集め られるだけ集められた犠牲者の写真が ずらっと並んでるんです よ特に子供たちの写真がたくさん並んでる んですよみんなで2っとしたりねあこんな ことやってる写真はないですよ当時です からねあの戦争中ですからでまあね可愛い 子子さんたちの写真がいっぱい並んでて やっぱりね直視できないんですよそういう のっ てま大人だってあの犠牲になったのは大変 なことですけどましてお子さんですからね でちょっとねそれを見られなかったんで ふっとね大人の犠牲者犠牲者の方にどう いう人たちが大人が乗り込んでて犠牲に なったんだろうということで見てまし たらその津島丸のね船長さんという西澤 さんという方なんですけどもこの船長さん も亡くなっているとで亡くなった船長さん の名前があってその脇にね長野県出身と 書いてあったんですよねえ長野県 って長野県って あのな長野県なんだと思ってねちょうど私 ねあの今長野に住んでますからええ長野県 出身の人が津島まごねと思ってでそれから スマホでちょっと検索してみたら長野県も ねしかもねあみの市の出身だったんですよ あみの市って松本市の隣なんですよね うちからねあの自転車でもね20分か30 分あればいけるような本当に隣なんですよ うん私もよくちょくちょくねあの天気の日 なんかにバーっとねあの原付飛ばして アミノの方をねあの走ったりすることが 多いんですけどもあの本当にいい場所なん ですけどねゼミなんだと思ってますますご 縁を感じ て でそれでねあの これはちょっとやらなきゃいけないかなと 思っ てでそのアミノに例えばそのアミノの出身 だというね船長さんに何かねあの関係する 方であるとかそういうとこに連絡が取れれ ばそっちの方の切り口だったらできなく ないかなと思ってたり漠然と思ってたりし てでその同じ6月の下旬にさっき言った 栃木のね あの大会の島森の俳句大会にちょっと言わ れましてであの一応田村養三省というのを 自称する係りを勤めさせていただいていた ところそのねあの大会のね司会進行やって いた女性がいたんですよねもうもう ハキハキした元気な方でねすごい明るい 感じで司会進行やってらしてああなんか 元気な方やななんてね私より途中なんです よねあのなんとってたらっててうん何がな にね主催者の人にねあの方どのですかて 言ったら聞いたらねいやあの方上野さんと 言ってあれですよあの津島丸のお母さんが ね津島丸のねあのに印刷して乗り込んでた 方なんですよって言ってえと思っ てさっき言った田村さんがねそういう津の から生還してきた女の先生の娘さんとあっ たのであの本書こうと思ってるっていう風 におっしゃったまさに当時者の方だったん ですよ ねで私あのもうあの終わった後にちょっと お声かけしてあいやこういうもんなんです けどって言って自話したらえそうなんです かとか言われてうんでそれからちょっとお 話をさせていただいてでその後にですね あの8月の15日の終戦記念日前後に やはりその同じ栃でねそのさんが講演を なさるというので丸についてあの聞きに 行ったんですよそしたらやっぱねすごい 感動的な講演でねで終わった後にちょっと あの これあの是非ともね本にしたいという風に うちで出させていただけませんかっていう 風に言ったと申し上げたところあの上野 さんはあの埼玉県の総括市の方での作家 さん住んでる作家さんが主催している同人 ですねそちらの方に津津島についていくつ かのあの10いくつのあの記事を書いてる とでそれをね元にしてちょっと書き直して まとめた形にしたらできるんじゃないかと いう風に話がまとまってそれでき上がった のがこの本なんですうんこの本なんですよ もうかなりその改質訂正というのはなされ てるんですけどねでそれがあの6月の3日 の日に出来上がったということなんですが 本当にねその人のご縁というのかな偶然と 偶然重なってまこういうあの本ができたと いうことでま私はもうなんかねものすごい なんて言うのか なはあなんかお導きということでもないん でしょうけれどもまニシを感じましたね うんということでじゃあそのね具体的に何 が書いたかということなんですけど ちょっとね あの実はねあの私があの作成しましたあの 紹介動画というのはありますあのこちらの 方にですねあのあの私がねあのだらだらお しりしてるよりもこちらの方ご覧になって いただいた方が早いと思うのでこれ YouTubeで別の動画に見られるん ですけど一応こちらの方でもですねあの え流しそてちょ流したいと思いますので えねうん えさい うん画面をですねえ 共有んこっちじゃないやこっちじゃない や あれあこれでうんこれでえちょっと画面を ね え意いたします ちょっとしょ ひょっとして音出てんのかな あ これ音楽聞こえてます皆 さん多分聞こえると思うんですけど 聞いてます皆 さん聞こえると思うんです けどまじゃああの私の声もちょっとかせ ますねうんあの そうだからあのこの初会事業自体がこれ までの字幕に出ていたように決して あ あの うん歓迎されるもんじゃなくてでこの荒崎 光子さんはね阻害事業を推進しろという側 だったんですよちあの上の教室っては公民 ですからねでこのご家族と一緒にあの会 しようとでこの15歳の妹のよし子さんと 言分んですがうんこの方も一緒に疎せよう という風になったということなんですよ ねでこのアメリカ軍の潜水科の防信号は今 でもハワイの潜水博物館っていうのかな うんそうなんですこれでね暗号をもう全部 解読したんです よで津丸というのはその何時か前に中国 から日本軍の兵隊さを運んでいたのでこれ は確かにあの初会線じゃなくてそういう なんてのかな戦争のための輸送戦を務め てるに違わないとという風にアメリカ軍は 認識していたらしい可能性が 高いさっきも言いましたけどね834人の うち784人が犠牲になりました [音楽] うん うんこの時のね様子はねこの本に詳しく 書かれてますけど ねでこの荒崎みつ子さんは戦後になって からいくつかの何十しも俳句を読ん でらっしゃるんです よその俳句がこの うんこの本ねこれはあの慈悲出版出され てるんですけどもあのまみつ子さんの俳句 の集っていうのがね今平の海からという タイトルでこうなって ます うんそうこれは妹さんについて読んだタ です ねそうなんですやっぱりあの申し訳ないと いう思いがあって戦後ずっと口調出してき たんです けど86歳で初めて親の場でうんこういう 風にかかり始めた と うんということで はいうん 皆さんあれですかね音聞こえまし た うん音楽聞こえましたかね うん あのちょっと私ちょっとどういう風に 聞こえるかちょっと分からないんでうん ちょっと分かりあれなんですけれどもね うんちょっとチェックできなかったんです けど多分音楽あの聞こえなかったんじゃ ないかなあけ なんかあれあれなんか変なのがなんか変な 変なこしちゃったなはいという感じなん ですけれどもねはい あの要するになんていうのかな津丸という うん事件というま悲劇そのものについては もうあどうもどうも音楽聞こえなかったあ あこんばんはえ泉さんでよろしいんですか ね音楽聞こえませんでしたすいません やっぱり が聞こえなかったかこれヘッドセットしな しない方が良かったかなうん本当にねあの ヘッドセットしたままでやってるんで ちょっと聞こえなかったかもしれないです ね あのこの同じチャンネルにあのこの紹介 動画だけのやつが載ってますのであのもし よろしければそちら聞いていただけると ありがたいですさんこれ泉みさん でよろしいんですかねちょっとお名前お 名前なんですけども うんいみさんごめんなさいあちょっと ちょっとねなんかねあのWindowsの なんとかっていうねちょっとほらポップ アップみたいなことでそこら辺重なっ ちゃうんですよ聞こえなかったかすいませ んごめんなさいなんかねよくそういうこと 考えずに多分あれあれですねヘッドセット せないせずに抜いてやれば聞こえたんだと 思いますけれどもあのあ結局は音楽はね 著作権フリーのやつを素材を使ってます クラシックですはい うんとにかくその大然でねこれねあまり ネタバレになりますけネタバて変だな ネタバレというのもちょっと言い方変なん ですけどもねあのこの先生ねここの写真 載っているこの荒崎先生新崎光子先生この 方ね4日間海を漂ってたんですよ4日間 漂ってま救出されるんですけどもでその間 大勢の子供たちもいたわけですその周り にでさっきちょっと引用した俳句があり ましたよ ね俳句じゃない単価が うん要するにあの目の前でこの歌このこれ はですよねこの単価ですねいつまでも きえることなきシジの声宮城先生とほり 行く 声 うんまこのね場面をね想像するにねまま 戦争とかねこういう災害も含めてそうなん ですけども全てそうなんですけれども ねやっぱ学校の先生にとって目の前で教え 語の子たちがというのはね すっごく苦しい あの状態苦しい体験だと思います でこの疎あこのそもそも津事件を起こした 初会事業っていうのがこれはね沖縄県でも 評価がまつと言っていいぐらい分かれてん です よあの特にそれを進めたのがあの新井警察 部長それから島田明県知事2人とも内務省 の官僚で沖縄じゃないんですよねえ島田 さんはえ兵庫の神戸の方で新井さんは都木 の方ということ ででこの方この初会事業によって20万人 の沖縄県民が命を助けられたという あの評価もありますその助けられた方の 子孫少年時代に助けられた方が後にね沖縄 県の戻って養殖につくものとして活躍され たということもありますので全くこの阻害 事業そのものはもう日本軍の勝手でやった ことがあるんだけれどもそれでもあの やっぱり肯定的な評価をするべきじゃない かという声もあれ ばそもそもが戦争遂行のための事業だった ししそもそも日本軍の日本の大本園野政府 大本の方針はあの米軍を沖縄になるべく 長く突きつけておいてそれでまあの今度 決戦に備えるとその間に本土決戦の準備を するそのための沖縄はステしてしかないと いうことがこれはもうはっきりあの分かっ ておりますの でその一環でしかないという評価もあるん ですで実際丸事件のようなことも怒ってる わけですよ疎せると言っても当時は飛行機 がないから船で行くわけですよね九州で あるとか台湾であるとかでそしたらその辺 はさアメリカの潜水艦うようよしてるわけ ですよそんななんか船で渡るの方が危険 じゃないかっていう ねそういううんあのことはもうあのさっき の動画にもありましたように前々から言わ れていたことなんですよなんですよ ねでえこの本の主人公であるこの本のね 主人公である荒崎さんは沖縄の出身の方で 沖縄の泊というところで生まれさった方 ですであの沖縄でずっとねあの郡道という 小学校の先生を勤めてらした方 ででだけど あのその方が結局 その後ねあの助けられてでご家族は九州に 疎開するということだったのでご家族と 合流して戦後しばらく熊本県の八代という とこに住んでまそれから色々あってねあの 栃のに引っ越すられるわけですけれど も栃木に引っ越す時にはねあの生まれた ばかりには願望を背負ってあの終戦直後の 終戦を間もないすごい混乱した時期ですよ それを東京まで行って東京の石会にあの この荒崎さんのご主人はお医者さんだった ので元々軍さんで代表戦争にも修正してた んですよね津島丸事件の時には確かでそれ でなんとか ね東京の方で職 をうんつけないかという風に相談したと いう風に聞かれてます うんちょっと私なんか呼んでてとして沖縄 から少しでも離れたいという気持ちを感じ ますよ ねまもちろんこの人のせいじゃないんです よあの荒崎さんには何の責任もないんです しかしながらあの荒崎さんがどうだったか というのはちょっと分からないんですけど もこの疎についてこ特にお子さんたちの疎 については学校の先生たちも疎を推進する 側に立たされ立たさ立たされていたという うんまさっきの動画にもありましたけど 先生たちにしてみれば沖縄でね地上線が 始まってしまうとこれ吸収ところじゃない と子供たちを教育ところか命も危ないだっ たら安全なまだ安全な内地で勉強消させた 方がいいんじゃないかというそういう声が あったそう ですしかしながらその結果として700人 以上の子さんたちがなくなったと いううんこれねよく災害なんか で災害とか事故とかで ねまあ親しい人とか友達とか家族をなくし た人なんかがありがちなのは自分がに責任 があるんじゃないか と思ってしまうらしいです ね地震とか災害とかっていうのはま事故は と思として地震とかの天才は全然自分のせ じゃないしそれからこのつまるにしてもね やっぱ戦争というね大きな業の中として行 されたた悲劇なのでこの荒崎さんはむしろ 犠牲者と言っていいと思うんですけどそれ でもやっぱり自分はこのたちを助けられ なかったいやそもそも自分が進めま進めた かどうかというのこれにははっきりと 分からないらしいですけど ねただま印刷教員として乗り込んだわけ ですからある週子供たちの悲劇に加担して しまったというよな罪悪感があったみたい です ねその戦後ねこのさんさんという方がどう いう人生を歩いてこられたかということも あのこの本にはすごく詳しく書いてあり ますうん沖縄にはね まあ沖縄には全く帰らなかったということ はないんです けどでもやはり沖縄に帰るというこうんあ 置き換えるということは彼女にとっては もし目の前に遺族が現れたらどうしようと いう そういう思いもあったらしいですお子さん たちに はうんただ ねあの戦後になってですけどそのお母さん みつ子さんが亡くなってからなんです けれどもえ娘さんでねその著者である上野 かず子さんがその津島丸 の被害者のあどうもかさんああのがねあ 泣いたあそうですか うん あの あのあの動画に出しませんでしたけど その津丸のあの亡くなった方のご遺族の方 とこの上野さんが面会する初めて面会する という場面があって まあどうなることやろうとだろうと思った 思われたらしいんですけれどもまその中で あの遺族の方がねもしみつ子さんが存命 だっ たらこういう風にしてあげたいっていうな してあげたいっていうぐらいですからニア ちょっとあの取っていただきたいんです けどもうその下りはね本当にねあの うん感動的なんです よつまりその戦争というのはもちろんあの ただ犠牲者が出るというのはすごい悲劇 なんですけども生き残った人間にもある種 の負を思い思い荷物を背負わせるものなん ですよね心の中のもちろんあの役だされて 大変な思いをするとか繊細個人になった 子供たちもいたいわけですから ね戦後には確か戦争で行き場所をなくなっ た人たちを集める収容施設ですっごい暴力 事件が起こったと いうその収容する側がね収容された人たに 対してものすごい力事件を起こしたという そういう事件も起こったりしてるんです実 はこれはいろんなとこで起こって ます広島なんかでもね現場が落ちた後の そういう問題起こってんですよ ね戦争終って平和になったら解決じゃない んです よ ああお父さん先日中にお生まれになったん ですねああそうなんだあのちなみにね戦争 について運命が変わるというのは例えば私 なんかも実はね私はもちろん戦後の生まれ なんですけども私の母はあの横浜の生まれ なんです よあの実はね私の父私の母方の祖父は神部 で海運なんだかな貿易関係の会社に務めて いてで神戸に住んたんですよちなみにこの 津島丸も最初はね神戸から執行してんです よねもうそれもまたねクなんですけどあの 神戸の港のねちょっとを感じたりするん ですけどそれで先日中にあの私の博の祖父 はあの戦争中国大りかなんかの戦地に行っ たんでらしいんですけどその間私その奥 さんね私の母方のおばさんとその子供たち は愛媛に疎したんですよ愛媛に親戚があっ たの でで戦争が終わった後にあのお父さんが 大陸から引き上げてきたのであ坂のね祖父 私にとっての母方の祖父が大陸から 引き上げてきたのでであのまた一時期横浜 に戻ったんですけど戦後ほどなくその祖父 がなくなっちゃったんで栄養出張だという 風に聞聞えてますけどねあのそれで まあもう1回母私の母とその兄弟やあの お母さんね私の母方の祖母が愛媛にもう1 回引っ越してきてでそこでねあの大きく なってで あのそれでま私の父を紹介されて結婚した とで私が生まれたというつまり戦争が なかったら私はこのように存在しないと いうまあね風が吹けばみたいな話ですけど もそういうことになるんですよねうんあの ちなみにねこれはもう勝ちになってるから 言っていいと思うんですけど天堂孝太さ んっていうね作家の方に私あの前1回だけ ねエセを書いていただいたらその天王さん のご両親は 満州の開拓だったのかな満州にいたんで すって戦前でそれであの満州からまあ日本 が負けて引き上げてくるじゃないですか 引き上げてくる時にね当然あの全員をわと 返せないんで あの列車で運ぶ列車で挑戦まで運んだのか などこかまで運んでそっから船乗せるん ですけども あのその時に結婚してる人というのが優先 されたんですってだから満州ではねにわか にとりあえず偽装結婚今はっきり言って 偽装結婚なんですけどもあの偽装結婚が すごいあの数をかられて天藤さんのご両親 もそこで一応結婚したという形にして無事 日本の大地で引き上げたんですけどもあの 引き上げてそこで日本まで引き上げてく うちにまあしの関係性が芽ばえたん でしょうねで別れた時にうんあのあのもう 1回日本で会いましょうというような話を して分その場分かれたんですけどもその後 しばらくして2人はま偶然何かで再開して で結婚してで自分が生まれたんだというや を書いていただいたことがあり ますうんそんな風にねま人間の運命とはま 全てそうなんですけれどもそういう大きな もの戦争特に戦争とかいうね国家が行う 大きなものによって帯びたらしい数の人間 が運命がね変わるわけですよもちろん狂わ せる人の方がはかに多いわけです が うんその結果自分がここにいたりとかね 自分はこうなってるとかということなので うんそういう意味でねあの本当にあの戦争 というのはね本当に大勢の人に 大きな運命というものを背負わせるものだ しでこのねみつ子さん も多分ねずっとね戦争だけやっちゃいけ ない とそりそうですよね目の前で帯びたらしい 教え子たちがお見送らなきゃいけなかった という立場ですから今私はね自分が戦争に よってあの偶然によって戦争がなかったら 私はいなかったみたいなこと言って戦争に ポジティブな側面があるかのように言い ましたけどそうじゃないんですよやはり それによって運命を狂わせるせっかくの 人生を突然立れてしまうという人の方が はかに多くてそれは今でも例えばねあの ガザなんかで現在進行系で起こってること ですうんあのそういうことは2度と 繰り返しちゃいけないということをねあの 強く感じました はいというところではい え今日はですね あのちょっとまだまだちょっと疲れも残っ てるので今日の配信は うん うん今日の配信はちょっとこの辺までにし ます えー今日でちょっとね うん何分ぐらしようかな10分後11時7 分からちょっとね あの別の配信をちょっとやろうと思って ますうんせっかくですんでねまあのえ前も 言いましたよう8日の日からえっと ちょっと沖縄に行っててそれからあとね6 月1杯までもうむちゃくちゃ忙しいので ちょっとお話しする機会もないでしょう から あのちょっと入ってみたいと思いますので ということではいえつみのまに切りけり えー津島丸から生還した教師の魂を娘が たどるをご紹介させていただきましたご 購入方向は下の方にあのあの概要欄にあり ますので是非ぜひお買い求めていただけれ ばありがたいと思いますというとこで一旦 あのこれで終わりたいと思いますがえ ちょっと待ってえっとあそうだやっぱり これあの今ちょっとリンク貼っとこうあの こちらでやってますというのをね えリンクをあリンクを貼ろうかなうん えーっと [音楽] うんあ どうしようなえっと ねちょっとちょっとお待ちくださいね ええっと新しくちょっとね あのえありますねち今新しくちゃんあの次 あの作って えこれじゃないやえ あのすいませんもたもたしておりますけど もはいえ今ねちょっと新しいページを作っ てこちらの方にちょっとリンクを貼ろうと 思ったので え うん新しいリンク うん うんどし問題の話をしようかと思うんです よねうん うん うん [音楽] えーこれをですね22時23時10分23 時10分からにしますねえっとはい でえチャンネルの 配信今ちょっと白してるんでちょっとお 待ち [音楽] くださいうん一応できたえっとね一応これ あのリンク あのえ えここにリンク貼っときますかねはい よろしければあれしてくださいということ で えー今日はねちょっとこちらの方で終わり たいと思います10分後にねあのもし 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