「第46回農村ベース大学」「東京から宇佐に移住して11年。〜大学院生として世界水準を探求〜」 大分大学大学院工学研究科 博士後期課程 中本 毅氏
笑っ て はいYouTubeをご覧の皆さん現地の 皆さんこんばんは文台ドリームの田村りん と申しますこれから第46回ノーソワを 始めます本日のノーソワは大分大学大学院 工学研究家博校家庭中本たさんに講演をし ていただきますYouTubeをご覧の皆 さん質問のある方は随時チャット機能より お願いいたします なお質問への回答は映の最後にまとめてお 答えいたしますそれでは始めさせて いただきます中本さん本日はよろしくお 願いいたしますお願いいたしますえ座った まま失礼いたしますえ私はえ大分大学え 大学院工学研究家拍手期家庭のえ中本たと 申します本日はえ第46回農村ベース大学 ですけれどもえ東京から宇佐に移住して 11年えは12年目になりますえ大学院生 としてえ世界水準をえ探求しているという えお題でえお話しさせていただきたいと 思い ます本日のご説明の内容ですけれどもえま 主にえ自己紹介となりますあのま自己紹介 ということで恐縮なんですけれどもえで それの後にえ質疑音Q&AですねえでQ& Aあのますでにですねあのドリーム ファーズJAPANやえ大分大学サークル 文台ドリームのええ皆さんからえ事前にえ 質問を募集しておりましてえそれに対する えお答えをさせていただきますでまたえ 時間に余裕があればえその他のえ質問え皆 様からえオンラインでいただいてる質問に もお答えさせていただきたいと思いますで は始めますえ自己紹介 ですえ改めましてえ中本たしと申しますえ 現在のえ肩書きですけれどもえ大分大学え 大学院工学研究家にえ所属しておりますえ 学部が大学日本では4年ありましてで大学 院ですねあのま国によってちょっと異なっ たりするんですけれどもえ日本の多くの 大学院はえ収支家庭というマスターの家庭 が最初に2年間あってでその上にえ3年間 の白紙後期家庭えドクターの家庭があり ますで私はえ今ドクターのえコースにえ 所属しておりますで工学研究家でもあのま 電気電子とかですねあの機械とか建築とか えま生物とか科学とかですね情報工学とか 色々あるんですけれどもえ私はあの情報 工学という分野いわゆるコンピューター サイエンスのえ分野にえ所属しております hciヒューマンコンピューター インタラクションというですね コンピューターと人間の接点をえ扱う研究 室に所属しておりますまインターフェイス
とかですねこうそういう画面であったりと かこうあのキーボードであったりとかです よこう人間とコンピューターの設定になる ようなところを研究するえ研究室におり ますけれどももで主な関心はえ教育です ですのでコンピューターとえ教育の2つの キーワードでえ独自の研究をやっていると いうところでございますでまたあの4月 からはえ履行学部で非常金行使をえ務める ことになっておりましてえ今度ですねあの 4月からえDX人材プログラムというのが 新たに設置されるんですけれどもそこの1 年生の英語の授業を担当するえ予定になっ ておりますま現在あのま既にですね教科書 を考えてありととか真事業の内容を考え たりとかですねそういうことを始めている 状況ですで収支家庭が放送大学通信性の 大学だったんですけれどもを終了しており ましてでその大分の学習センター大分県下 の学習センターがあるんですけれども そちらの同窓会長を務めておりますで プライベートでは家族はえ妻がえ1人ま 当たり前ですけど1人おりましてで子供が え今のおじさん逆ですねはい滑りましたね はいでえ子供が4人おりましてええ男の子 が1人と女の子が3人おり ますえ私はあの1983年にえ広島市で 生まれました今40歳です広島市あの政令 指定都市でこう人口が100万ちょっと いるんですけれどもまその中でもですね あのま周辺部というか郊外のですねあの ベッドタウンのようなところでえ 生まれ育ちましたでえま公立のですね小中 高校にえ通っていましたで何あのまきだっ たこと色々あるんですけどもま特に中学 高校生の時はまスケートボードとかま英語 が好きだったというような記憶があります でえここ卒業までま広島市で育ちましたで あのあんまりですねこういっぱい引っ越し を繰り返してるのであんまりこう資料が 散逸してしまってあのすぐに手元に なかなかないんですけども幼稚園の アルバムがあったのでえそちらの写真をえ ま引用しておりますま歯が抜けて るっていうところがま気になるのとまあと は大体あんまり今と変わってないんじゃ ないかなというえ気がしますけどどどう でしょうかね はいでえ小中高でま高校生活ですねえ大学 生があのこの農村名大学ですねたくさん 聞いていただいてるのでまその高校とか 大学受験のような話もちょっとあのしたい と思いますでま平凡なですねあの普通家の 高校にえ通ったんですけどもまなんでそこ に行ったかって言ったらま近所だったから
という感じでえ入学したんですけれもなん かこうだんだんこう高校に入ってですね こう世の中のことをとか世の中の雰囲気を え考えるようになってですねま空気を読ん だりしてなんかなんか難しい大学に行き たいなという風にこうま1年発起してです ねあの高校1年生の時からあのま平凡な 普通日午後だったんですけどまちょっと ガチでですねあの勉強始めてえま3年間 勉強したというようなえ生活を送っており ましたまどのぐらい平凡かって言うとあの 1学年がですね400人いたんですけれど もえまま結果的にはですねそん中で400 人の中で国立大学に例えばこう現役で合格 した人が0だったとかですねまあのまそう いうレベルの平凡な学校だったという ところですねえであのカリキュラムもです ねなかなかこうあの緩いカリキュラムに なってしまっててなかなかこうま1年発起 してこう難しい学校目指すぞって思っても なかなかそういう雰囲気じゃなかったん ですけどもまたまたま近所のえ進学塾英語 塾があってでそこにえのもを叩いたらです ねそこの先生がすすごいこうま立派な方で こう実績のある方でえそういった優れた ですね英語の指導者がえいたおかげでま その成績がこうまガチで伸びたというです ねあのところがありましたまどのぐらい 伸びたかって言うと本当にこうま例えば その英語だけで言うとあのなんですかね なかなかこうあの社会人になって偏差値の 話する機会もなかなかないんですけどもえ ま面白いのがあの校内の模の偏差値で 400人の中で英語の偏差値が120が出 たことがあるんですねあのあの50が平均 で私120だったっていうですねであの あのそれぐらい伸びたとことですねでま もちろん全国的にもこうまその英語に関し てはトップクラスだったというようなえ ところでしたねでただ一方であのま毎日 勉強はしてるんですけれどもあのまそれ だけというわけでもなくてまそのあの山内 運動というのがあってこう広島市はあの バイク乗っちゃいけなかったんですけどま 免許取ってバイクに乗ってたりとかですね えまここ2年生ぐらいまで毎日こう スケートボードをしたいたりとかでまた あの土日のですねにこう日雇いであのま 行くと6000円とか7000円とか 8000円くれるようなえ引越しセンター があったのでそういうところで日雇いの アルバイトをしてまお小遣い稼ぎをしたり とかですねまそういうこともえしていまし たあアルバイトも禁止でした はいでえま運よですねあのま現役でえ大学
に合格することができましたま高校2年生 の時からえっとまどこに行こうかなって いう風に思っててなんかこうあのま将来の 空気を読んでというかですねなんか いわゆるこうあの賢い大学に行きたいなと いう風にあのまちょっと語弊があるかも しれないですけど思っててでもちょっと すごく平凡なえ2日高校だったのでなんか こうランキングを見ててこうなんか東京 大学とか京都大学はもう受験科目数も多い しちょっとこう無理だなっていう風にこう なんというかあの奪還しててですねあのま 3科目とかであの受験できるえ3科目とか だけこう極めればいけるこう早稲田とか 慶王がいいなっていう風にま思ってたん ですねで一方であのまその田舎の高校生な のであんまりこう早稲田とか慶王のあの 実際の学生もあのま会いに行ったりはした んですけれどもあんまりこうたくさん 知り合いがいるわけでもなくてなんか様子 もよくわからなかったのでで慶っていうの はすごいおぼっちゃん学校だと思ってて あのお金持ちのボンボンが行くみたいな ですねでなんかそういうイメージをこう 勝手に持ってたのでだから自分はこう 早稲田だけを受験しようと思ってですねま 実際大学受験早稲田しか受験しなかったん ですけもえまそういう感じでしたまただ そのあの後ですけども実際こう早稲田も慶 もですね通ってる学生ってなかあのま両方 受験する学生が多いのでま実際中身 あんまり変わらないなというまのがあのま 後ですけどあのそう思いますでなんで 早稲田がいいかなって思ったかと言うとま そのすごく自由な興風と言われててで サークルがですねこう2000とか 3000とかあるって言われててますごい 活動が日本一高なこう楽しい大学と言われ ていたとませっかく勉強するんだからです ねあのあの大学に入ったたらこう遊びたい なって思っててあのまそういう時でこうま 楽しそうな学校をあの選んでたという感じ ですねであの高校生まででま経済学にです ね興味があってま本なんかを読んでたりし たんですけれもえでそれであのま5個受験 して教育学部と政治経済学部と法学部と 奨学部と社会科学部をま今でも記憶に残っ てるんですけど受験してなぜかあの教育学 部に落ちてですねまあと4つかったんです けもええま経済学に興味があったのであの 政治経済学部を選択しましたでえなんで 経済学に興味があったかって言うとあのま 経済の語源がですねま日本語の語言だと あの形成催眠と言われていててあのまあの 経ての収めるってことですね世の中を納め
てえ催眠って民を救うてことですねえ学問 だていう風にこうま聞いてたんですけれど もあのあののでま興味があったという ところですま実際入ってみるとですねあの あの全然こうイメージが違ってですね どっちかっていうとこうもうなんか数学 ばっかりやってるようなですねこうそう いう感覚があってあのすごいこう後で 苦しんだんですけれどもあのま経済学に 興味があって政治経済学部に行きましたと で政治経済学部はま政治学と経済学を両方 学べるえところで私は経済学科だったん ですけれどもま政治学の授業も取らないと いけなくてですねまそれもすごい面白かっ たですでえまここに行って良かったなって いう風に思ったのは結構こうやっぱりこう 一流の人があの公園に来たりするんですね 例えばこうMicrosoftあのま今 えこのコンピューターにあのオフィス ソフトもですねあのパポイントも使って ますけどMicrosoftの創業者の ですねあのビルゲイツがえ来たりとかです ねえで当時ですねあのあの情報の対象情報 の経済学というのでジョセフ スティグリッツという人がですねあの ノベル経済学習を取ったんですけどまその 人がえ来たりとかですねま他にもこう いろんなこうまこう有名人とかですねが 学校に来て講演したりするのでえすごい こうまそういう人の話が聞けるのがこう すごい面白かったですねま聞いて面白かっ たのはあのまあの偉い人もですねあのま 選別なんですけどやっぱ普通の人じゃと いう風にま思うというかですねあのそう いうあのところが良かったですね例えば こうビルゲイツあのすいません話膨らまし て恐縮なんですけどビルゲイツあのま アメリカ人なんでやっぱりこう話を始める 時にまず冗談から始めるんですねであの この人はですねあのハーバード大学の学部 を中退してるのでま実質高卒だったんです けどあのま和田大学からですねあの名誉 白死号をもらえたんですねでのでこうま 初めの話がそのま私はあのあのなんていう かなハーバード中退したからあのまゲーム とかがコンピューターにはまってしまって 中退したからあのま妻のメリンダゲイツと いう人がまもう離婚しちゃってるんです けど今ではですねにこういつもこう学歴で あのま見劣りがしててで今日あの名誉白 死合をもらってこれでこうメリンダにこう 一思報いることができたみたいなそういう 冗談から始まるんですねあのっていう ところはこうまアジ面白いなと思ってです ねあのまそういうのこうあのリアルであの
話を聞くとあなんかあのそういう感覚が 分かれてかまそういうところが面白かった なという風に思ってますであとはですね あのま同級生とかあの早稲っていう学校は すごい大きな学校でで当時はですね1学年 が1万人以上いましたであの政治経済学部 だけでもあの1学年が1300人いてだ からよくあの同級生で何々さんって知っ てるとか言われるといや大体知らないん ですよねなんでかて言と同じ学部でも 1300人もいるんででしかもみんなあの サボってて授業に来なかったりとかですね あのそういう人が多いんでこうわ分かん ないですねでまいろんなこう有名人がです ねこういるんですけどもまそん中でもま私 あの当時ですねあの解析学とかこうあの 統計科学とかですねあのあの整形台数とか そういうのをこう必ず必死でやらないと いけなかったんですけどまそれ苦しんでて ですねあの解析学入門っていうこう1年生 の微分積分コースみたいなのにこうあの 単位を落とししてたらですねこうま皆さん 知ってるかもしれないけど東コバさんって いう人がいるんですけどま私はあのその まんま東ってあのいう認識だったんです けどその人がこう社会人学生として入学し てきてて本当は私の方が学年が上なんです けどま同じクラスでいつもこう前と後ろに 育ってたんですねで彼はこうあのちゃんと こう宿題とかやってくるんですね数学の ですねこうあのそれあのであとあのなんて いうかな走って学校に来るんですねあの 20kmとか走って学校に来てま健康の ためだと思うんですけどでそれでこう来て こうちゃんと宿代とかもやってきててです ねこう一生懸命ノートを取ってこう数学の 授業を受けてるたのでこうまこの人はこう すごい人だなと思っててでそしたらあの また中退してしまってこの人がですねで 宮崎県知事選挙に出たんですけどそしたら やっぱりこう当選されててですねこう やっぱりこうま世間のイメージっていうの もま当時あったんですけれどもあのやっぱ こうあの真面目な人は真面目だなという そして結果を出すなという風にえ感じた ことがありますであとあのまアルバイトを やってましてなんかコバイトみたいなのも あってですねあの東京都立病院であの夜間 休日受救急受付のですねまアルバイトをし ていましたえまこれはこうなんかあのま 病院に関わることがあってま面白かったな という風に思ってます であのまインター就職活動等の中で インターンシップ今の学生もされると思う んですけどもえ私もやりましたえ1つは
ですね国土交通省でえ交通バリアフリー 政策に関するこうインターンシップって いうのにえ参加しましたあの私がこう障害 を持った子供と遊ぶボランティア活動 みたいなのをあのやってたのででそのま 交通のバリアフリーですねだからその物理 的なこう障壁をなくすってことはああのま やってるんですけどもま実際こうあのその 心からですね進んでこう町に出ていきたく なるようなですねそういうバリアフリーの え政策ができてるのかっていうところが こう興味があったのでえま応募したらこう ま参加できたというの感じでしたね もちろんこうあのあの国交省もですねあの ま心のバリアフリーというのも考えてやっ てるんだなというのが当時分かりましたで またあの日経のですねあの投資銀行って あの日本の行法で言うと証券会社になるん ですけれどもまM&Aとかあの資本市場 からのですね資金調達に関するえ会社の ですねこうインターンシップにえ参加し ましたでえ他にですねあの米国新聞社です ねまあのロゴ上げてますけどあの ニューヨークタイムズのですね東京主局で えま募集があったのでえおしてま インターンしましたまその他ですねあの 日本のあの損害保険会社とかえメガバンク とかですねそういうところでもなんかワン デーインターンみたいなそれって インターンなのか説明会なのかよくわかん ないなて思いながらですねままそういうの にも行きましたま結構やったということ ですねでそん中でもですねあのこの ニューヨークタイムズでのインターンは こうすごい面白かったんですねでえなんで かと言うとま見習い記者あの取材記者とし てま働かせてくれるんですけどもあのあの どのぐらいやったかな多分1ヶ月ぐらい 毎日行ってたんじゃないかと思うんです けれもであの本当に働かしてくれるんです ねあの職場の一員としてですねあの就職 活動の学生ではなくてあの本当に見習い 記者としてま働かせてくくれるとまどんな 感じかって言うとあの世界銀行総裁がま 東京の外国人記者クラブで今日会見します という時にあのあのま東京オフィスがです ねあのまニューヨークタイムズと言っても あの東京には当時あの3人ぐらいしか特範 員がいなかったんですね都会員っていうの はあの本社から来てる記者っていうのが ですね3人ぐらいしかいなくてあとこう 日本人の取材記者とあとあのアシスタント の人たちみたいな感じでやっててまあの みんなスケジュールが埋まってるのであの 忙しくてですねこうま都会員がみんなあの
空いてないんでじゃお前1人で行ってこい みたいな感じでただの就職活動中の学生な のに1人でこう世界銀行総裁の会社会見に あの東京外国人記者クラブとかにこう 行かされるんですねそまま何もできなかっ たらとりあえず録音だけでもしてこい みたいな感じですねでしかも行くとあの ニューヨークタイムズあのなんていうかな あのステージが高いので業界の中でですね 最前列とかなですねあの記者クラブの中で ですねにこう1人でこう学生が座ってて こうなんか当時あのポールウルフウィツっ ていうこうなんかアメリカのオコンのボス みたいな人が世界銀行総裁やってたんです けどそのその人の前にこう1人で学生で 座ってるみたいなそんな感じなんですね あとあのドイツのBMWの社長があの ちょっと東京にあの出張で来てるからまお 昼ご飯を食べながら記者会見をやることに なったからけど行くやいないからちょっと お前行っといてみたいな感じで1人であの 行くんですねあのあのBMWの社長の記者 会見にですねこう昼昼ご飯も出てくると しかもこうやっぱり行ってみたら ニューヨークタイムズなんで最前列の 真ん中とかだったりするんですねなんか なんかこうすげえなこれって思いながら ですねすいません言葉が汚いんですけどま すごいこう刺激的だったとあとはその 面白いなっと思ったのはあのえ死亡記事を あの先に書いとくんですね あのま人亡くなった時にあのすぐ記事を 出せるようにということであのまその元 総理大臣とかですねこうま日本の中でも 世界的な致命度のある人のえ亡くなった時 の記事をもう大体こう70歳とかになっ たら書きためとくみたいなことをやってて で私はあのまあのまそのある総理大臣の ですねこうあの著書とですねこう読んだり しながらこうあのその方が亡くなった時に こうすぐ流せる記事というのをあの書き ためることをこうコツコツやっていたと いうようなところですまそのその方は 亡くなった時にですねこうあのやっぱり こう記事としてこう世界に流れるみたいな ところがあってこれ俺も書いたなみたいな ですねあのちょっとまそういう風ににあの 感じたけどまも人の死亡記事をですね生き てる間に書くっていうのは結構こうあの あんまりこう良くないことのような気も するのであんまりこう自慢はしなかった ですね はいでえまマダはですねこうあの半年ごと に学卒業できたんですけど4年半で卒業し ましてで5年目の後半にですねあの中国に
語学留学をしましたで会社の内定はもう あのもらってたのであのま半年間こう有 意義に過ごすというような感じで学留学を ていただきましたでえなんで中国かという ところなんですけどもま第2外国後がです ねま中国後だったというのとあのま実家の 父がですね結構あの中国とあの取引がです ねあの自業であったのであの中国に私も あの当時10回ぐらいもう行ったことが あってえあったとま一方でですねこうあの 全然真面目に勉強してなくてあの中国が すごい中途半端だったのであのまちゃんと やっときたいなみたいなところもあって えまその締め国に留学したという感じです ねま中国語力に関してはあの結局こう中国 語検定3級しか持ってなくてまその英検等 と違って英検だとこうま準2級とかですね 準1級とかこうこうあるのであの中堅だと それがないので結構こう実質的には永見2 級ぐらいの感じだとは思うんですけどもま すごくあの今でも中国はすごく得意という わけではありませんとで当時ですねま学 WHOLEも卒業しててでその翌4月から あの入る会社も内定してたんですのであの ま単位も取らなくていいし卒論も書かなく ていいしあのあの就職活動もしなくていい とであのしかもですねあの当時の北京が ですねあの東京のあの物価がこう1/4と か1/5なんでなんかこうめちゃ楽しめる んですねあの同じ小遣いがこう4倍とか5 倍になるイメージですねでのでますごい 気楽な毎日でしたとま世界から集まってる 学生とこう楽しい日々を過ごしてましたと いう感じですねま例えばこの写真で言うと まクラスメイトたちなんですけれどもえ この人はですねこの人オランダ人でこの人 はあの韓国人でこの人アメリカ人でこの 人この人イタリア人でですねこうま雨人 雨人日本人みたいな感じでですね私もこう 今よりだいぶ痩せてると思うんですけどな 感じでこうすごいこういろんな国から 集まっててますごいあのまそれこそ毎日 あの飲めるというかですねあのそういう 感じですごいあの楽しかったなという記憶 があり ますで200年にあの新卒でえ就職しまし たで私あのまインターンシップではですね あのあのま国交省に行ったりあの投資銀行 に行ったりあのマスコミに行ったりですね あとまあの保険会社とかえ都市銀行に行っ たりとかですねあのメガバンクに行ったり とか色々してたんですけどもあのすごい こうもう専門家になりたいなって思ってて でえま投資銀行というですねこうM&Aと かあの資金調達の世界であのプロになり
やりたいなていう風にあの当時思ってまし たまなんでそう思ったかて言うとあのま金 ですねはいであのサラリーマンなのにあの だゴールドマンサックスとかあのモルガン スタンレーとかですねこうあのバンクオブ アメリカとかですjpモルガンとかま聞い たことあるかもしれないんですけれどもの 投資銀行部門のあのあのフロントで働い てる人達てこうサラリーマンなのにあの 数千万とか数円とかですねあの年収がある んですねでこうすごいすごい世界だなと 思っててあの あのなんつうかなあの金ですねはいであの プロフェッショナル思考であの都市銀行の 世界に入りたいなと思ってえいましたで それでえま外子のあのまゴールドマンとか ですねそういうところがこうすごい憧れ だったんですけれどもえまUBSとかです ねあったんですけどもあのクレディスイス とかですねあのあの憧れだったんですけど まそういうところは私がこう知った頃には もう就職のあの採用活動終わっててので あのま日経のですねあの1年目からそう いう仕事をさせていただけるところにあの 行ってましたま結構生々しい話もしてるの でま社名はせ伏せておきますねでえま約7 年間こう会社員やってたんですけどもえM &Aですねあの企業買収のアドバイザリー 業務を中心にあの働いていましたで勤務地 東京でま複数のですねまグローバルな金融 機関とかえ軽コンサルティング会社にえ 勤務していましたでやってることは全部 こうM&Aとかええそういうアドバイザー 業務であったりまもしくは資本市場業務 みたいなことをやっていましたま特徴とし てはあのプロフェッショナルイコール激務 なんですねでえますごい精神的にもあの タフじゃないといけないというのとあの 色々要求がきついというところとあと長 時間労働というえところがありましたま ただそのあの激務とか長時間労働がですね あのプロフェッショナルになりたい人に とってはすごい嬉しいことなんですね なんかもうあの働けば働くほど嬉しいって いうですねなんか成長してるみたいなです ね逆にこう早く帰れるとなんかこう周りの 人に先起こされる方で嫌だみたいなですね こうそういう価値観でし たあであのすま1社だけ名前が出ちゃっ てるんですけどこのえ三菱UFJリサーチ &コンサルティングという会社からえ毎年 ですね何年日本はこうなるという来年のえ 本が出るんですけどま当時ですねあの 2011年私はここにいたのでまその時に あのこの本の中にも私の名前であの国際M
&Aが中学的な企業価値向上策にというえ ことをま書いてあるページがありますえで え東洋経済新法社ですねま最近東洋経済 新法社あの大分合同新聞にあの社長がこう インタビューで出てましたけどこう大分県 の人が今社長されてるみたいですねえ余談 ですけれど もでえまプロフェッショナル思考でですね 働いてたんですけれどもまあの2009年 にですね結婚しまして えで2011年にあの双子がえ誕生しまし たまそのもちろん誕生する1年ぐらい前前 にはえアフタゴができたっていうのが 分かるんですねで えでますごく激務なので えの中でまあのま1人子供が生まれるのと 双子が生まれるのと結構こう負担が全く 違うと思っててでだだと激務とですねま 家庭子育てのですねこう両立に限界を 感じるようになっていきますでえま東京の え子育て環境としましてはえ当時ですね あの待機自動問題っていうのがあった待機 児童ってあの保育所にえ入るのを待ってる え人がいるっていう問題ですね私あの最後 あの東京都港区民だったんですけど港区で は例えばそのあの0歳とか1歳の赤ちゃん の保育保育所にこうあのあま一切ですね 預けようとするとあの1人預かる枠に待っ てる人が100人いたりするんですねもう なんかこうあのとても空いてないみたいな ですねでたまたまうちあの双子だったので そのあの困難ポイントみたいなのが1点 上がってなんとか途中で入れたみたいな ところあるんですけど本当にこう保育所を 探すっていうのがえ当時至難の技だったと でえまた私は広島県出身でま妻大分県出身 なのでえま近所にこう見がいなかったと ですね子育てを助けてくれる身内がい なかったとで共働きでえっとあとその子供 に優しくない雰囲気があったというかです ねあのま大分県う市とかにいると赤ちゃん こう抱えてるとあかいはねみたいな感じで 言ってくれる人がいるんですけどあの東京 だと例えば地下鉄に乗ってて赤ちゃんが 泣き出したりするとうるさいとか言って こう怒ってくる人とかいたりとかですね なんかこうそういう人もこう結構いたと いうかですねまそういうのもこう困難だ なっていう風に感じていましたでまた さっきから激務激務って言ってるんです けどもどのぐらい激務かって言うとあのま 最後の方はですね東京にた最後の方はこう 毎日ですね朝の2時とか3時まで え帰ってくるまで仕事してましてでえでま 毎朝またあの8時とかえま9時までにです
ね会社に行ってるっていうな感じなんです ねでえで休日もあの完全に休みではないと なんか普通にこうま会社に行ったりとか もしくはリモートでなんかやってるという ようなえ感じでこうえ激務でさらに エスカレートしていったという感じですね で特にひどい時がですね睡眠時間があの9 時間だったんですねいや9時間って長い じゃんって思うかもしれないですけどあの 1週間の睡眠時間が9時間なんですねので あの7で割ると1.何時間とかなりますよ ねだからこう2鉄してとかなんか次の日3 時間寝るとかそういうのは普通にあっ たっていうですねまそういうことなんです ねでなんで激務になるかって言うとま そもそもそういうこう投資銀行とかの業界 がそのmとかの業界が一般的に激務だって いうのと私あの基本と国際部門だったので あの世界はこう24時間動いてるわけです ねのであのクロスボーダーのですねあの 国際的な企業買収なんかでこう例えば電話 会議があの例えば東京とニューヨークと ロンドンみんなあの動ける時間とか言っ たらこうなんかま夕方とかですね深夜とか にこう電話会議が始まったりするんですね でこうなんかだから朝1時から電話会議が あったりとかですね朝1時から電話会議が あったらでそれのこう電話会議ですねこう インド人のわけわからない英語をですね こう一生懸命疑似録を取りながらでそれを なんかあのその1時からのあの ミーティング後にこうギロを作ってまた 送ってですねでまたこう8時とか9時から ですねこう日本の業務が始まったりするん ですねでなんか本当にこう1人でこう24 時間戦えますかみたいな世界でこうまあれ はスーパー激務だったなという風にあの 思いますただそのプロフェッショナルとし てはこうその激務っていうのを喜んでると いうかですねえいうような感じなんですね でただそのま赤ちゃん生まれてあの やっぱりこう赤ちゃんがすごくこう可愛い のでなんかこうま家族も仕事もまどっちも 大事なんだけどもうすごくこうもう限界を 感じてるしあのしあのもうどちら か選ばないというこう行き詰まったような 状態になってきててまあの結局はま家族の 方を取ったというような感じですねでえで 233年にですねあのま妻の地元であるう にこう移住してきましたえ3月にですねで えうさに来た感想なんですけどまずあの 保育上あの空いてますかってこう市役所に 聞いたらですねあ普通にこうガラ空きなん ですねあのまもちろんいっぱいなところも 円もあるんですけど死全体で見るとこう
ガラ空きでですねなんかもう今すぐ入れ ますよみたいな感じでこれあのもう待機 児童で苦しんでたものからするとあのこう すごく驚いたというかですねもうマジこう 最高じゃんここみたいなあの感覚をえ感じ ましたでまたあのやっぱりこう子供突然熱 出したり病気になったりすることがこう 頻繁にあるのでえ誰か助けてくれる人が ですねあのま近くにいるというこう安心感 をすごく感じましたでえまうじ来てま初め はこうコンサルはやっぱりこうやりたかっ たんですけどまやってみるとこうあの ニーズはあるんだけどま東京のようにこう コンサルタントにすごくこうあの高い手数 料を払うという文化はないというかですね こうやっぱりこうなんかアドバイスはただ みたいななんかそういうあの感覚が やっぱりこうあのあるなという風に感じて ま同時にこう高校の時にですね英語塾に 通っていたこともてでこうその当時のこう 英語塾の先生のやり方経営の仕方っていう のをま見てたのでま英語塾だったら自分に もできそうだなと思ってあの英語塾をあの 始めましたでちなみにこれあの余談なん ですけど えウシはですねあのま今発売してるえ 2024年版のえ宝島社田舎暮らしの本と いうのでま住みたい田舎ベストランキング というのでですねま上位に入ってますで 人口5万人以上10万人未満の市の中でえ シアせ大部1位とで若者え単者部門2位え 子育て世代部門2位ということでですねま すごいこう あのま色々とですねこう支援政策がま充実 してるようなえ自治体になってますま今の 話 ですでえま英語塾を始めましたとで私自身 はま英語は得意でま仕事でもずっと使って きたんですけれども え教えてる中でなんかこうなんかその私が 教育学を収めたとかですねあの英語教育に ついてこう学んだとかそういうことでは なくてもう身も見真似で教えてるので なんかそれこうあの職人出というかですね それで自分はそれでいいのかみたいにこう 自問自動するようになってですねま英語 指導に携わっているうちにえ言語学とかえ 教育学のま高い専門性を持つこうま指導者 先生になりたいという風にこう思いました でそれでえま社会人なのでま通信性じゃ ないときついなとかまたうさの周りにです ねこうあの通学型のえま通いやすい大学院 というのもあの見当たらなかったのでえま 放送大学ですねま1番大きな通信性大学 ですけれどものえ大学院収支家庭人文学
プログラムというのをえ受験してですね あのま学力試験があったりとかあの面接が あってあの研究計画を出したりとかですね そういうことをしましてえ入学しましたで えっと放送大学はですねこうま結構あのま 知る人と知るというはですねすごくこう 内容が良くてあのま一流の先生が結構第1 戦で活躍してる研究者が揃ってい るっていうのとま教材もえ質が高いという まあまあえて言うならま通信線なので すごく孤独でですねこう頑張れあの孤独で も頑張れる人じゃないと頑張れないみたい な世界ではあるんですけどもますごくいい ところでしたでえま研究して収支論文書か ないといけないんですけれどもまこれ辛く 苦しい場面が多かったですでどんな風に 苦しいかって言うとま1ヶ月に1回ぐらい ですねこう指導教員の人とあのま私の書い たこう収支論文のこう原稿をですねあの レビューしてもらったりとかまもしくは オンラインでゼミなんかもやってたんです けれどもであのその原稿送るとあの大量の フィードバックが返ってくるんですねで あの原稿書いてまワードのファイルですね 先生に送ったらあのコメントつけて返して くれるんですけどこう1回あの1番 苦しかった時ですね40数か所コメントが ついててですねなんかなんかもう メタメリズムねこうすごくこう苦しかった んですねまなんですけどもあのま収支論文 を書き上げる頃にはですねこう不思議と ですねその研究活動っていうのがですね なんかこうあのまドエというかですねこう なんかすごい楽しくこう感じるようになっ てしまっていましたでそれでえ2020年 にですねあのま何年もかかったんですけど もま収支のですね収支学術という学位を 取得することができましたこれ学術って いうのはなんか何かって言うとあのまよく あるのはなんか法学とか経済学とか工学と かですね理学とか文学とか医学とかあると 思うんですけれどもま2つ以上のですね 学問分野をまたがってあの複合的な領域で 研究したえものに対して与える学位が学術 という風になってますですのでま収支学術 とかですね白紙学術っていうようなえ学位 がありますえでえま収支でいいかなって いう風に思ってたんですけどま最後はま 不思議とま楽しく感じるようになって しまいましてでえあのま大分大学のですね こう白家庭にこうあの応募してしまって ですねそしたらあのまその教授と面談し たりしてで受かってしまったのであのあの 社会人学生をですねあの続けることにし ました進学をしてま今今なうという感じ
ですね今学生なんですけもでなんで白家庭 にえ進学するんですなんで社会人学生を やってるんですかて言われるんですけもえ これはこう何か利益を求めてるわけでは なくてですねま単純にこう物をですねま あの探求するとあの分析する調査すると あの考えるっていうえ研究するってこ自体 がこうすごく楽しいなていう風に思って ますで えで何を研究してるのっていう感じなん ですけどもまコンピューターのあの分野に いましてでまあとまた教育に関心があると いうような状況ですで社会人学生で本当に ちゃんと研究できるのっていう風に思うか もしれないですけどもえ2021年には ですねあのあのFitってあの情報処理 学会とですね電子情報通信学会という ところが共同でやってるえ情報科学技術 フォーラムっていうのが毎年あるんです けれもでそこでえま私と教授のあの教長で ですねあのMIえ多重の理論に基づく中学 生向け英語教育システムのプロトタイプ 開発というのをまあの論書いて発表したん ですけどもえこれであのま奨励書をですね いただくことができましたま社会人でも ですねこうま途中からこう研究始めてええ あの奨励省あの学会賞をいただいたりする こともできるってことですねまた2022 年にはですねこうWCCというこうあの 教育とコンコンピューターに関する世界 会議というえところでま発表することも できましたえこういう感じでこうえま研究 すること自体が楽しいなと思いながらえ 特にですねそれ以上何かを目指してるわけ ではないんですけどもえ社会人学生をえ 続けておりますでまたあのま申し遅れまし たけれどももあのサークル文台ドリームの ですねメンバーとしてあのえ活動しており ますまあの多分学部性からですね若干こう 何あいつうぜえなぐらいに思われてると 思うんですけどもまあとあの人何なんだろ うって思われてると思うんですけどもそう いう意味でもですねあのちょっとあの人何 なんだろうっていうのをあのちょっと学生 の方たちにもてもっと分かっていただき たいなっていうところもありましてえ今日 発表させていただいておりますあの私も 学生なんですけどね はいえというところであのま自己紹介 ちょっと長かったですけどま質疑応答に 移りたいと思いますドリムファーマーズ ジャパンと文台ドリームの皆さんから事前 に質問募集しておりますのでえこちらに あのちょっとですねあのテキパキえ回答し ていきたいと思いますすでにもうあの40
分ぐらい経ってますんねえちょっと テキパキやっていきたいと思いますえじゃ 質問をですねちょっとAIのアシスタント piixさんにあの作りましたので朗読さ せますねAさんサークルが活動する フィールドのうの現状について共有する 内容だと今後の活動でも役に立つのではと 思いこれ質問いうさんのコメンのことを 説明してもらえるととてもチャンネルとし ても意味があると思いますBさん北京大学 に語学留学するに至ったきっかけが気に なりますまたどうして中国を選択したのか を知りたいですえっとまあの私 コンピューター関連の研究してるって何し てるんだろうと思われたかもしれないので ま一応こうAIでこうあの喋らせたりでき ますよっていう一応ちょっと見せたところ ですね今ですねまただそのま本格的な研究 内容についてはあのまだ発表してないもの はここで発表してしまうと他の学会とかで 発表するルールに違反してしまうので発表 する時あの初めてじゃないといけないです ねのでえちょっとまあの今何をやってる かっていうのはま具体的にはちょっとご 説明できないという感じですでえ質問に 答えていきたまAさですねサークルが活動 するフィールドのうしの現状については えそうですねあのやっぱりその若者支援 っていうのが非常に必要とされてるなって 思ってやっぱりこう就職とか進学でえ出て いってしまうですね若者が多くて18歳 から25歳のところの人口がちょっと ボコっとへこむんですねうはですねまそう いうところでえま皆さんがですね大分大学 の皆さんが例えば来てくださったりとかえ またその脇屋とかですねあのあの地輪とか ですねそういうところの問題を扱って いただけるっていうのはすごいあのうさの ま課題に対してえマチしてるんじゃないか なという風に思ってますでえま北京大学に ご留学するにあったきっかけですねあの 先ほど申したように第2外国後だったって いうのとま中国にえ何度か行ったことが あってま自分がすごく中途半端だったので もうちょっとちゃんとやりたかったという ようなところですでなぜうさに移住する ことを決めたのかっていうのはまこうあの ま双子の子育てなんかもあってですねこう 仕事がスーパー激務なこともあってこう 行き詰まったというですねあのところです ねはいで大学園に進んだきっかけはま英語 の指導をする中でえま高い専門性をですね あのきちんと持ってええやりたいなという 風に思ったというところですで今後の社会 で学生期待することていうえ質問もいだい
てるんですけれもえま学生ま私も今白家定 の学生なんですけどの良いところはま 例えばその企業なんかでも調査部門があっ たり研究部門があったりするんですけども やっぱりそのま営利目的があってある程度 その研究のあの範囲がですね対象がこう 制限されてしまったりとかでもしくはその あのより短期的にですねええ結果を出さ ないといけないような研究をしないといけ なかったりするんですけども学生っていう のはすごくこう営利を求められないとか ですね私研究してることでも例えば表彰さ れたことでもこれがこう社会の役に立つ ことてあのもしかしたら100年後かも しれないしあのもしかしたらそのまま日の 目を見ないで終わるかもしれないみたいな 研究もあるんですね基礎研究もですねそう いうのもあの楽しんでやれるっていう ところがあるのでまそういうこうすごく こう制約のないあの中でこう物事を考えて ですねえ自分が必要だと思うことをこうえ 学生の皆さんえにはやっていただきたいな という風に思ってます別に役役に立たなく てもいいと思ってますでえま社会人大学 院生としてどのような研究を行っています かということですまコンピューターとあの 教育のところですねでワークライフ バランスを保つためにどのような工夫をし ていますかっていうとこでまそのまよくも 悪くもその会社員の時と違ってその勤務 時間が決まっていないのであの休みたい時 は休むというとこですねもう昼間でも疲れ たらこう昼寝をしたりしますあのあとこう なるべくやりたいこくないことはなるべく やらないというですねま全然大人っぽく ない発言なんですけどまそういう工夫をし てます工夫じゃないですよねはいでえこれ からどのような活動をしていきたいですか てことですけどもまあのまやっぱりこう 人間の寿命にはですね限りがあるのであの 好きなことをやっていきたいなという風に 思ってますでえFさんですねえ留学や大学 進学などを学び続けるモチベーション維持 するするために意識してることはあります かてことなんですけれどもま基本的にこう あのまやりたいことだからやってるんです よねまただそのなんですけれども結構研究 っていうのはこう地道なこう積み重ねが すごく必要とされるのであの途中でこう 最初はあの燃えてたけど途中でこうめんど くせえなって思うようになったりするので まそういう時にあのあのまでもででもやら なきゃなと思いながらやったりとかあとは そのあの私実はあの学部を通常4年で卒業 するところを4年半で卒業してますし収支
もあの通常2年で終了する時ところをま 社会人だからもあるんですけどもあの延長 2年プラス途中でその色々仕事が忙しく なったりして休学2年挟んだりしてる2年 のところを6年で終了してるんですねで白 家庭もあのま通常3年なんですけれども今 もうすでに4年目に入ってるんですねま 社会人なんで別にあの6年までいてもいい ようなシステムになってるんですけども そういう感じでこう別にこうあの急がない というかですねえまのんびりこう続けると いうような感じでえやってる部分もあり ますでもう1つありますでうに移住して 1番良かった点と困った点っていうのは 1番良かったのはあのあのま保育所にすぐ 入れたとかま子育てがやりやすいという ところですねで困った点はやっぱりこう 都会に比べるとあの仕事の種類が少ない ですしあのま所得も低いっていうですねま ただその時間大丈夫ですかねままだ大丈夫 ですねえま その今12年目ですけれどもあのまやり用 によってはですね別にあの東京よりも あの所得を高めることはできるんじゃない かなていう風に思っているところですでH Hさんですねえ大分県民と東京都民の キャリアに対する意識の差ですけどもね あのま確かにこう あの難しいところですねあのあの大分県民 と東京民もね個人差が大きいと思うのでま 1外には言えないんですけどもまま東京 都民はですねあの先ほど私も申したような こうプロフェッショナル思考のですねあの 人もいると思うのでまそういうあのま ギラギラした人との差はすごいと思います え大分に足りないものはえま仕事仕事です かねはい仕事の種類というかだと思います まただその先ほどもしたようにあのまやり よによってはですね自分で仕事を作って いくこともできるので え考えよだと思いますねでiさん移住を 通して人との繋がりの最高地区に苦労は なかったかということですねえ確かにその あの東京にあのいる元同級生とかがあの 試合が多いのでまそういう意味ではその あの関係が途切れたりもしたんですけども ま最近はですねあの時々東京にあのわざと 出張してですねあの再び交流したりして ますえそうですね意外とこう大分って東京 に近くて大分空港からえ東京までですね あの格安国でこう片道あの1万円切るよう なですね値段でいけたりとかですねで フライト時間も2時間ぐらいだったりし ますし例えば広島にいた頃広島から新幹線 で東京までですね片道4時間だったんです
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スケのサークルを作ってまし たよろしいですかはいえっとま時間的には すでに54分ぐらい経ってるんですけども といかがでしょうかオンラインの方で何か あります か大丈夫です大丈夫そうですね あのそちらのお兄さん方はよろしい でしょうか何か1つあ声個人的な質問なん ですけど色々な活動とか日常生活でされ てるのにこんなにもずっと分隊ドリームっ ていうサークルに関わり続けていただけ てるのはどういうどういった理由からなん でしょうかはいえっとなんか私あの ピーターパンなですねあの大人になりたく ないというかですねあののであのまそう 学生であることが好きというかですねで あの学生ぶりたいというのもあってですね で特に大は私あの学文も収支も大い大学 じゃないのであの知り合いが少ないんです ねのでサークルに入りたいなって思ってで まサークルに入れてることが嬉しくてで 一生懸命関わろうとしてるっていうですね 多分こう皆さんからはちょっとこうなん なんて思われてると思うんですけどあの 個人的にはすごいこう馴染んでるつもりな んであの喜んで参加させていただいてます ありがとうございますはい え大体こんな感じですかねはいもう本当に こう皆さんあのあの私の拙いですねあのお 話を聞いていただいてありがとうござい ますであのまInstagramとかです ねこう色々やってますのであの是非こう 名前を検索して何かこう疑問とありまし たらいつでもえダイレクトメッセージを ですねいただけたらと思いますえ私が勝手 に閉めていいんですかねこれあ本日はご 清聴誠にありがとうございまし た はいそれでは以上で第46回ノンソン ベース大学を終了いたしますごご視聴 いただきありがとうございました次回は2 月17日土曜日19時よりYouTube 配信と現地現地で行う予定です講師の先生 は未定ですそれでは本日の講演を終了 いたしますありがとうございまし た OG
毎月1回、安心院農村BASEで行われています。農村ベース大学は毎回講師の方をお招きし様々なテーマでお話をしていただいています。株式会社ドリームファーマーズJAPANと大分大学経済学部「BUNDAIドリーム」の共同運営で行なっています。
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