20240120

はいえ松山と申しますよろしくお願いし ますじゃこれはこっち大丈夫ですねはい えっとZOOMのZOOMの方をまず見て みましょうかえ共有を1回やめてzomの 方の顔を見たいと思いますあのズーム参加 の方一度カメラをオンにしていただけると 嬉しく思います可能でしょうか多分会場の 向こうで何十人とまとまって聞いてる方も いらっしゃるので多分え 今既に73なのでこちらで今60人ぐらい ですか150130人ぐらいはいあ たくさん来ていただいてますありがとう ございますえっとちょっと流してもらうと あれか な他の方も出れそうです かあ出ましたねはいえっとここの矢印 はいはいありがとうございます多くの方に 参加いただいてますはいえっと今日はあの 半島地震の静岡からできることをあの 考えようということで現地から戻ってまり ましたのでえ現地にいる時にですねもう 鳥羽に連絡をしてとにかくあの報告会すに 開きたいんだあの現実を現状を知って もらってえま静岡からの継続的な支援に つなげていきたいという風にあの考えて おりましてえまその話をさせていただく 機会を持つという形になりましたえあの 簡単に自己紹介しますと生まれ育ちが静岡 でえっと今日の大学に行ってる時に阪神 時代震災があってえ1ヶ月後に現地に入っ てから被災地支援っっていうのがライフ ワークになっていってでその後2年間神戸 に行たんですけどその後静岡に戻ってえ 福祉施設2010年ほどあの勤めてえそこ からあの辞めたらですね先ほどの髭の 小野田さんにちょっと打ちに来ないかって いう風に言われましてえボテ協会に務めて えその後東日本大震災の時には東京に出航 したりしたりですねえ色々直接あて現在は え静市障害者協会というところで障害者の 相談を受け付けるところで働いておりまし て今日そこの会長もえ来ていただいており ますけれどもえまあの福祉の経験長いので 一応社福ではあるんですけれどもあの実と 座ってるよりも体を動かしてた方が アクティブな方がいいというような感じで 動いてます被災地の支援の経験色々国内で 経験してますけれども2010年以降は 仕事としてえ携わっていますえよく プロフィールで出すんですけどこの1番下 の元半島自身が一の追加になってしまい ましたけれどもここ最近ですね静市障害者 協会に務めてからはえ障害者協会の仕事と してあの現地に行かせていただいており ますからまずこの場を借しました本会長

ありがとうございますはいでえっと1月4 日に静岡を出まして16日に戻ってまいり ましたそのまえどんな日程だったかって いうの簡単にえお伝えしますと4日の午前 に静岡に出まして東海北陸軍の経由でえ 岐阜から富山を向けて金沢に入ったという 感じですでええっと2時にぐらいに金沢に 着いたんですけれどもそこからすぐ現地 向かわずにえ県庁でえまNPOの共有会議 があるのでそれに是非出てほしいという ことでま同席した参加をしたということで えその日は金沢に停まりましたえその時に はあのちょうど石川県の県庁の災害対策 本部とかも見ることができましたしその 会議などもえま拝聴させていただくことも できましたでよく1月の5日の朝7時半に 金沢を出発して現地目指したんですけれど もま穴水町の車橋をとりあえず目指しまし たでそこに着いたのが12時半えもう大 渋滞でですねえとにかくあのえ一応 ガソリンが告発する可能性があるという ことなので金沢で満たにしてそれから蛍光 間2本積んでえ現地に向いましたでえ一応 12時半過ぎにあの水の車につきまして私 私がずっと所属していました震災がの全国 ネットワークというところの事務局をやっ てるレスキューソエの名古屋にあるNPO なんですけどこのレスキュストックヤード が穴水の社長と元々2007年のノ半島 地震の時から繋がりがあってえそこから ヘルプがあってもうすでに入っていました のでえそこにまず顔を出していこうという ことで山水によりましたえそしてその後の 都町によって鈴に向かうというところで まず鈴を目指したというとこですでえこの 涼しなんですけれどもなんで涼しだったか というと特にあのなんでかっていう理由は ま特にはないんですがま涼ともすでに和島 がですねえ大きな被害があるっていう情報 がありましたのでまずはそちらを目指そう というところあとたまたま大学の後輩が ですねえSNSで知ったんですけれどもす にちょうど里配りしていてでえ1月の2日 に東京に戻る予定が戻れなくなってしまっ たで親と一緒に今避難所にいるんだという ような情報があったんですでそこで直接 連絡を取ってあじゃ必要なものとにかく 届いてるから場所を教えてみたいな形で やり取りをしていたのがま鈴に入った きっかけでもありましたでえま鈴市に入り まして1月の15日の午後え鈴を出てえ キロにまえなりまして金沢でようやくお 風呂に入れてえま途中休み休みでえ16日 に静岡に戻ったという工程でございました まほとんどあの現地では涼しいにいたのが

ほとんどになりますはいこれちょっとあの えっとXからお借りしたもので非常に 分かりやすいのでえちょっと見ていただく とですね15日現在ということですのでま 5日ほど前の状況ですけれどもえよし こちらがですね被災地を支援したい方は まずは議員金でお願いしますボランティア はまだえ募っておりませんなのでまだ来 ないでくださいねでえ石こ長いんです けれどもま野地方と加賀地方に分かれてい てもうこの加賀地方に関しては被害 ほとんど大きものはないとこの内田という ところが一部疫上化でですねえ大変な状況 ありますけれどもまどこが大変かていうと やはり一番この多くの奥のというところに なります奥のの西2長はですね非常に被害 が大きいというのがま皆さんあの知っての ところかと思いますけれども本当に厳しい え状況ですでまず静岡ここから学ぶこと何 かっていうと伊豆半島ですね本当に主要 道路が1本通っていってその主要道路が 崩れてしまって通れずにもう一本道でもう 大渋滞で緊急車両もそこを通らないといけ ない一般の人たちもそこを通るということ でものすごいえ渋滞まま私が言った5日の 日には七尾というところここですねこの 七尾というところのガソリンスタンドはま 普通にも空いていましたえ1番手前の スタンドだけ並んでてですねえその次の スタンドガラガラだったんですけれども その先もガラガラだったで給油1000円 も5日の日にはもうなかったですその前は 2000円とか20lとか定金があった みたいですけれどもまそういう状況の中で 穴水経由でえ能町へ行ってえ和島には行か ずに鈴の方にまあの目指したというところ ですでまだ未だにあの私は和島の方には 行けていないですここに行こうと思うと 多分鈴から出て和島に向かうとえ45時間 かかるかなまあまあ4時間はかかるかなっ ていう感じで戻ってくると1日終わっ ちゃうんですねえようなあの道路状況の ところですでえどんな被害があのあった かっていうところで言えばこうノ半島のま ここの赤い点線の部分がですねあの道路が もうズタズタに被害を受けているという ようなところでこの紫のところ市すえここ がですね例えば被害程度がMA10だと すると本当にマックスです家が本当に ボコボコボコボコ潰れてえ倒壊しています えでなので倒壊しているのでそこの道路が 通れなかったりですとか東北ならまだ チェーソで切れるんですけど電柱倒れてる と電柱切れないですよねま電柱切る仲間も いるんですけれどもえそれども持ってる

仲間がですねいましてそこは切るものも いるんですけど電柱はさすがに え切れないというところでえまそういった もう道路ビジがもここ繋がってないまここ の2つは本当に大きい被害を受けています でえまあえこのの町とかアっていうのはま マックス10だとすると8とか9ぐらいの 被害度合なのかなそして7を7をもですね え7この穴水よりの方に中島町とかって いう旧中島町っていうところがあるんです けどその辺りはやはり穴水と同じような 被害なんですけどま下に行けば行くほど 被害がま少なくなってるっていようなま グラデーションになってるっていうのが 地震災害の特徴でもありますあとはこの 辺りにえ津波被害があったりだとかあと こちら側は今度海岸が盛り上がってしまっ て流記したりとかっていうのは報道にある 通りだと思うんですけれどもま何せ道路 事情がよろしくないっていうところが支援 を難しくえしているというのがありますで え電気っていうのはだんだん日日にですね かあの復旧していきましたでえ電気が昨日 来たよとかああの帰ってきた人も昨日通っ たよって言うとあ通ったの通ったのなんて いうぐらいえ本当に電気がない生活って いうのは普通にえまあ続いていましたで ライフライン電気もそうですしま電話も そうでこの地域プロパンガスが多いので プロパンガスの方はそのまま使えるあの オタもあるんですけれどもまなぜ電気と水 がないいっていうことでま生活をするには ま非常に困難ま当然ながらですね困難な 状況ではありますまそこがま非常に大き すず和島という1番先端のところそしてま 水道の復旧がですね実は何ヶ月も復旧し ないだろうっていう復旧の目が立ってい ないですえこれまで地震災害で何ヶ月も あの水道が戻らないだろうってこの時点で 分かってることってあんまりなかったん ですねえまそれもあって環境を良くする ことが難しいのでいわゆる二次避難所これ はホテルとかえ旅館などま被害の少なかっ たま金沢ですとか富山ですとかのホテルに ま避難をしてもらう環境のいいところに 避難をしてもらうというのをえ件を上げて ですねえそちらに移ってもらうというのを あの進めているというのがここ最近です もう本当に通日でその中でどこの避難所 どこのホテルにどんな形で入れるのかって いう情報が非常に少ないまま申し込みし なくちゃいけなかったりっていうのがある ので一部住民の中ではミステリーツアーっ て言われるほどあのこれはもう本当に 笑い話にしてかないと体がね気持ちが持た

ないってことなんですけどと言われるほど 避難先の情報が少なくて少ないが家にえ 行くことに踏切りがつかない方というのも まだまだたくさんいらっしゃいますえまだ 水道が出ない電気もつかないというところ からすれば環境のいいところに1日も早く 行った方がいいいうところも思う方 いらっしゃると思うんですけど例えば家が ま潰れてしまっていてまだ貴重品も 取り出せてないよとか家は完全に潰れては いないんだけどもう窓が外れてしまってい て誰でも入れる 状況になってしまっているそれをなんとか 囲いだけでもしたいとブルーシートで囲い だけでもしたいえそういったえ二次避難に 行くにもそれなりのことを済ませてからで ないと現地に行くっていうのが決められ ない方っていうのがたくさんいらっしゃい ますなのでなかなか進まない実態の中には これだけはやっておかないとえ金沢に なんかまだまだ行けないんだ離れられない んだという方が多くいらっしゃいます逆に この基調品の取り出していうのができた方 に関してはあこれで二避難所に行くことが できますっていう風に言ってくれたりする んですねなのでそういった住民の方の声を 聞かないとなんで二次避難所に行くのがえ が進まないのかっていうところも声から 聞いてくとなんでっていうのが分かって くるていうのがえありますでですねえ こちらこれがえっと昨日の時点でのま被害 の状況なんですけれどもざっ見て和島市と 鈴市の住宅被害の数がまだ数字が全然出て いないですもう数えきれないと言いますか えっとざっ見て被害の大きい地域は8割 以上えっと全開ですそのうち8割のうちの 8割ぐらいは壊してますで残りの2割はえ へしげてるとね えあのもう実際に柱が折れてしまってるの で余震なので潰れる可能性が大きいという のとまりますがまこの多数という数字が ないにしてももう3万等近くのですねえ 被害が出ているでここで多分56000 ドルあ最大だと思いますあの2018年に 大阪北部地震ってのがありましたけれども あの時は最大震度が6弱え家が潰れるよう な被害ではなかったんですで住宅民地だっ たのでえ非常に被害等はやはり5万等6万 等ぐらいあったんですけれども被害の様相 が全くえ違いますでえ私があの阪神時代 震災で中越地震で東日本大震災熊本地震え そして今回のえ東半島地震え現地に行き ますて1番近いえ被害何かなっていうと 阪神は大震災のように思いますでその ぐらいのあれぐらいの率で住宅がえ本当に

同会していますでえあの現地のニュースで 知ったんですけれどもえ体進化率が51% ぐらいだったっていうんですよ静岡の前8 割超えてるんですかねえそれで言うと やはり耐震化をしていない古いオタクで河 屋根のオタクが本当にえ触れてしまって いうのが多いですでまた昨年の5月5日に もノータ半島で地震がありましたでその時 は東海するほどの地震ではなかったんです けどやはり河屋根の被害が非常にたくさん あってえ我々の仲間がシートを張 るっていうのをずっとあの活動していたん ですけれどもその時に助かったオタクも 潰れてしまっているというような感じでま いくつか本当にピーンとしっかり残ってる オタクはハウスメーカーのオタクじゃない かなと思えるような最近だったような オタクしかですねえまともに残ってない ような地域もいくつもありましたでまた 道路の状況が本当に良くなくてですねもう 今でこそもう10日2週間経ったのでえま 車が板行するような亀裂に関してはま砕い てそこに籍を入れて砂利を入れてま車が 痛まないようにっていのが日々進んでいる んですけれどもま私が入ったいかなどは 本当に注意をしないとゆっくり走らないと 簡単に車がパンクするようなそういった 亀裂がたくさんありましたでたまたま雪が 積もっていない日だったのでえ夜でもなん とかゆっくり走っていくことができました けどあの時に多分雪積もってたらえ行く ことが命がけになっちゃってたんだろうな 多分いかなかっただろうなって思うぐらい え道路事情は悪い状況でしたまそういった え地方でえまあの道路事情もあまり良く ないえというところとえ非常に家の東海の 率が多いっていうので言えば阪神時代震災 に近いえような被害だったんじゃないかな で人口の密集度合からすると今回もう すでに230人の方が亡くなられてると いうことを考えると本当に阪神大震災のう なあの超住宅密集地で6000人の方が 亡くなられてることを考えると同じぐらい の規模だと思うんですでしかも大都市に 近くない道路事情もよろしくないっていう ことを考えると本当にこのノのですねえ 被害というのは人材でしかもえこの復旧 復興にはもう本当に今から考えても数年 単位でかかる現地の状況だっていうのが 要因想像ができるえところだと思います はいえその中でも先に答えを言います静岡 からできる支援は何かって言った時にもう 緊急機今緊急機です緊急機の後長期的な 支援が必ず必要になるかがもう分かってい ます

でえ雪に慣れていない静岡県民がですね今 もう突っ込んでいくっていうのはもしか すると本当に危ないこと自分が事故に会う こともありますしバンク1つしただけで 現地に迷惑かけるってことも十分にあり ますえですので雪に不慣れない静岡県民が 今に駆けつけるのは独裁ではないと思って くださいえそうであればもっと近い地域の 人たちがどんどんどんどん行けるはずなん です必要であればでそのズームが去った後 に長く継続できる支援ができるのは静岡な んじゃないかなという風に思いますので 本当にこれ年単位の支援だっっていう ところをまず知っていただきたいで今これ だけ数日の間にこんなに集まって いただけるぐらい関心高いですけど半年後 にもこのぐらい関心が高い静岡であって 欲しいなという風に思うわけです今だから これだけ集まるんですけど半年後にこれ だけ集まれるような関心を持てるような そういうもうしたっても大して変わって ないはずなんですよ本当にはいていう ぐらいひどいえま被害が大きい状況だと 思ってくださいなので雪が解けてから数年 対位で関われるようにま視力とか体力を 温存して行っていただきたいなという ところがまず1つえイルとですでまず1月 の4日に金沢に着いた時に県庁に行ったん ですけど会議が5時からだていう風に聞い たのでついたのは2時半ぐらいだったので じゃちょっと買い出しに行こうかなと思っ てホームセンター行きましたタ行ったたに これ ですもう必要なもの全部売り切れなわけ ですね私もちょっと甘かったですま傾向 から2本積んでたのでもう1本買おうかな ぐらいに思ってたらもう売ってなかった ですま2本持ってたんで大丈夫全然大丈夫 だったんですけれどもまとはいえこういっ たものがすでに金沢であってもなくなって るっていうような状況ですえ1年半前のお 台風15号の時にですねえ清水が断水し ましたでその時にポリタンクがえ藤枝から 沼津までホームセンターから消えたって いうんですよねえそれ考えてみるといかに こう普段の準備っていうのが大事なのかな じゃちょっと遠くまで行けばそこは持って きてくれるってえ道路市場が良ければいい ですけどよくなければ買うこともできない し運ぶこともできないまそんな状態かと 思いますえその時にえ対策本法をちらっと 隠し取りをさせてもらいましたけれども もういろんな件のいろんな市の方が詰めて いて 県庁ではわさわさわさわさえしていました

でこの後5時半過ぎにえ県庁のえ災害対策 本部とえ被害があった市谷町の首長が出る 災害対策本部会議があってでそれあの視聴 できるんですねあのこういうモニターの ところで主張ができるのでそのモニターで 視聴しながらあこういうやり取りしてるん だっていうようなところのま情報を いただくことはできましたその後ジで既に 集まってるNPOがま一室借りてあの会議 数を借りしてま情報共有会議をやるという 動きがあったのでこの場に同席をしてで この時にはすでにすでに現地に入ってる 団体もいればこれから入ろうとしてる団体 もZOOMで入っていて200団体ぐらい 全部でえっと入ってたんじゃないかなと いう風に思いますまあのボランティアと NPOっていうところちょっと一戦を引か ないといけなくてですねえ一般の ボランティアの方はやはりより安全にえ そして誰でも行けるような状況になって から行くというのがすごい大事なのかなま ただNPOの場合は例えば国際NGOで あったり人道支援やってるような人たちも いますえ紛争地域でえシェルターを作っ たりなんてまあの避難上運営をしたり なんていうところのNGOもいたりします ので危機管理は一般の人たちよりはあの できる状況で現地に集まっていますのでま ただ現地のですねあのご例の方にNPO って言っても分からないですよねなので 活動する時にはお金はいだかないですよと いう意味でボランティアですっていう風に 現地の方に対しては言いますけれどもま対 行政とか社業の方に対しては一 ボランティアではなくてNPOとしてえ ちゃんと準備も装備も整えてえ現地行って ますよということでまNPOの会議やって いたというところになりますそしてよく5 日に現地に向かうわけですけれどもま途中 がまこういう状態で1車線塞がれてしまっ ているこれが1車線残ってたのでなんとか いけたわけですよねこれが1車線も残らず 全部崩れてしまってるのが和島の北側の方 の海岸沿いの道路なわけですでそれがあっ たのでえ孤立集落というのは非常に多かっ たていうところがま和島の特徴でもあるか と思いますえ道中走っているともう完全に 潰れてしまった家というのもこのように 見えてくるわけですこれ神社の鳥ですね すっかりも形がなくなっていますはいこれ 水町入る前じゃないかなであのこの車よく 見ましたよね報道で出てたかと思います もう私が行った時にはこの時には舗装 始まっていましたここの部分のはいえ5日 の日に始まりましま手前から手前からやっ

ていくんですけどねただこのアスファルト 引くにもこれえっとアスファルトの材料が ですねえ工場から積んで敷くまでに1時間 以内に敷かないと固まっちゃうんですよで そうするとノの奥のに今これのプランドが 止まっちゃってるのでなかなか舗装自体も 進まないなっていうそういう事情もあっ たりして届くところ手前は少しずつ直して はいますまこういった車を横に見ながらま 現地を目指していくとところどころでこの ようにえ家が崩れていたりここも飛車線 なんとか え取れるようになっていましたので通行が できるなんとか通行できたこれが両方崩れ たら多分 取れてないですよね当然ながらはいえ車も 乗っかってしまってたような状況あとこう いう地割がものすごい多かったですま見て もらって雪がないので丸分かりなんです けれどもない場合はもう落ちる可能性が 十分にあるようなことでもありましたはい でそんな中涼しにえ入ってえこの方に 出会いますはいえこれは後輩のお父さんで ちょうど後輩はえ1月の5日の日に とにかく金沢まで出て新幹線に乗って東京 戻らないといけないってことで高校の同級 生にえ鈴からえ金沢まで送ってもらう私の 反対向きのえ方向でしたでちょうどお互い に位置情報を確認してたら途中で出会え そうだったんですねなのでたまたま ポケットパークみたいなは道の駅の小さい のなんですけどここによって待ってるよっ て言ったら本当にそこで会うことができ ましたほんの12分ですえま津波が被る エリアだったのでえその運転手も早くそこ を早く出たいようなんていうのを言ってた んですけれどもそこでちらっとあっただけ であとじゃお父さんのところにねカレー 届けるからねっていう風に言ってですね あの現地向かったんですけどなんでこれ カレーだったかていうとその後輩がですね 連絡取ってたらあのそこの避難所は電気は 来てないけれども水は井水が引いててでえ プロパンガスなのでにはできるとでもう すでにえ4日の夜だったので3日間あの 食事を作ってま全分作ってたんですねえ 住民が持ち寄ってもうそれで疲れてしまっ て3日3日目は作ってるとでご飯にかける だけのものがあるとありがたいよっていう ことでもう本当にピンポイントでカレーが 欲しいって言ってくれたのでもた買って 持っていきましたで持って行った先でえお 渡しすることができたのがえ5時半ぐらい なのでもう真っ暗になってた時ですでえ そこの避難もですねライト1つだけつけて

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降り始めましてだたな積もるかなと思っ たら翌朝もう20cmぐらい積もってるん ですで我々の仲間機でですねあの雪かき からスタートするわけです自分たちがいた 拠点っていうのが実はここ救急者ちょっと 見えると思うんですけど鈴の医療拠点に なってましたDMの方でえっとアローズっ ていうですねえ災害現地にすぐ駆けつける 移動の方々あと日石の人たちがこの建物の 中で24時間ずずっとですねどこがまだ 救出ができてないのかどこの避難所はどう いう環境でえ災害関連地出しちゃいけない んだで発熱した人な自どうしようとかって いうのがずっとここで計画されてる方々が いてまその関係車両がたくさんえ救急者の 関係車両が止まっていたようなところです でその時にまこの住の仲間がですねまず 医療関係者の車がすぐに出られるようにし ようっていうことで朝一でそこの緊急車両 のところの雪かきをするというのをやって いましたまちなみにこれ私の車なんです けど半分雪かいたところがこんな状態です のでこのくらい積もってる状況です静岡の 人がここでえ生活というかねえ移動が ちゃんとできるかっていうとですねま私は それなりの準備をしていってますのでえK の番ですけれども4駆でえスタートですね ちゃんと履いてっていう準備していって ますはいまというところがありますでま そんなところのこの の重機などを使うメンバーではこういった 打ち合わせをしてでえ今後どういう風に あのま攻めていこうかいうと変なんです けどどんな計画でえ進めていこうかなんて いうのを話し合ったりしていますまずは車 を救出しようちょっとした倒れたところ から車救出するだけでその人たちの生活 って幅がいきなり広がるわけですよねで車 は大丈夫なんだけど家の潰れた中に鍵が 埋まってるとかこれもを探そうとかあとは 通帳印鑑ご配などの今取り出さないと困る ものせめてそれだけていうものを取り出 すっていうところにえ重機使の仲間が 集まってえ今道をあの開いたりでそういっ た思い出のものを取り出したりなんていう ことをえやったりしていますでそこのそう いう情報がどこにあるかっていうと避難所 の中でちゃんと話するといや車が出せて ないんだよねとかっていう話が出てきたり するので避難所にも行ってえ炊き出し食べ てる方とお話ししながらとか炊き出しをし ながらその人たちとお話ししながらみたい な形でえまあの情報を集めて日々対応し てるというところですなのでそういった 特殊技術を持ってる方は今行く必要がえ

行っての必要性が高いんですけれども いわゆる一般の誰でもっていうタイミング ではまだないという状況ですであの東日本 大震災の時に津波がっとかぶってしまった ところのまあ家が瓦礫化してしまってそれ のま片付けだとかっていうのにもう ものすごい人数の方々が現地行きましたよ ねえそれはそれを片付けるっていうのが 始まってから人が行ったわけなんですけど まだ全然始まってないですよ崩れた家は 崩れたまま道路に出てしまったものはその 敷地に寄せるっていうのをするだけなん ですねでえっと能町と鈴は実はあの いわゆる清掃工場クリーンセンターがの 都町にあるクリーンセンターを使ってた そうなんですけどこれが動かなくなっ ちゃっただから一般のゴミの回収すら進ん でないわけですなの現地で生活してる生活 の廃棄物も持ち出せないのにいわゆる災害 廃棄物まだ全く手あのついてないんですね これがやっぱり雪どけになってちゃんと 道路道路事情が回復してそういった えクリーンセンターなども稼働し始めてて いう風になってくるとと少しずつやる ことっていうのができるようになってき ます今はまだ生活をつぐ段階なので緊急機 復旧機で言うとまだ緊急機だと思います まだ復旧機だとてもとてもないライフ ライムも戻ってませんのではいであとこの 一室なんですけども実は先ほど言ったこの ここは保険センターのところなんですけど ねえっと車橋が入ってたり市の福祉化が 入ってたりでここに医療関係者が広い畳の 部屋があってここに24時間詰めてる なんていう建物があるんですけどこの実は 向かい側にえ障害者の施設が通称の施設が ありましたでそこ当然ずっと蟹が閉まって たのでえそこの玄関の日差しの下にですね 我々あの重機仲間がですね荷物なんかを 置いて雨をしいてたんですまたまたま1月 の初めからえ7日の夜えっと昼まではあの 雨が降らなかった雪が降らなかったのでえ 荷物置いておけたんですけどこの雪が降る 前の7日の午後にガンガン雪降ってきまし てなんとかもうダンボールって知ってます かね濡れるともうぐしぐしになって 持ち上げようと思うと全部中身出ちゃうん ですねまとにかく濡れないようにだけし たいので玄関先にだけ入れさせて欲しいっ て思ってたんですその不施設のところにで その不施設の名称を見てたらなんかその 名称に見覚えあるなっていう風に思ったん ですあれなんでだろうっていう風に思っ たら実 はこの方がですねその施設の理事長さん

だったん ですもう神でしたねそれまであの私も仲間 もみんな車で車中泊ですも車でえまずっと エンジンけっぱなしの人もいますけどまだ 燃料があの十分にあの変える状況ではない のでま自分はもう2日間車の中でえっと周 の中でねなんとか寝てましたけども雪が 降ってきた時いやいやきついなって思って たら玄関見たらこの方のお名刺とあの名前 がビゴしたわけです えもうその時にすぐに電話しました ちょっと玄関だけ貸してもらえませんか って言ったらおいいよいいいいよこの部屋 使いなって言って一室開けてもらったのが あのこの部屋だったんですもう本当神でし た暖房ありました電気ありましたはいなの で支援するなのあの環境っていうのもこっ からもうガラっとはいましたただ水出ない ですよはいでえここでこういう介入し ながらちょっと寄せてここにまあのマット しいて寝袋で寝るなっていうような環境で え帰ってくるまで過ごしましたけれどもま その間もあのお風呂も入れませんし着替え もほぼ2回ぐらいしかしませんでしたはい あの住民の方も同じようなあの生活だった かと思いますはいでトイレえこれ社会福祉 員会の建物のところに一般あのトイレま 電気来てるのでねえトイレは器としては 使えるんですけど排水ができない水も流れ てこないということでま1回こうようにし てでこういう風に自分で排出するのをかけ てここにするでこれがですねまた小さかっ たんですよ小さかったので便座全部を大き さじゃなかったんですこれの時にどうどう どうしようかなっていうような感じでま 男性の方は小便器の方は流さしてくれまし たね後で水をねちょっとペットボトルで 流せばよかったんですけど女性は毎回これ しなくちゃいけなかったのですごく ストレスだったんじゃないかなという風に 思いますただ数日後に南淡路市という ところからトイレの乗った車が来てくれ ましてそれはえ女性が連座が2つ男性が大 便座が2つ正面器が1つというところで そこにですねウォシュレットついてたん です よもうウォシュレット神ですねはいあので みんながウォシュレット使いすぎたのでえ 節水のため使用禁止になりましたけどでも 本当にあの連子あいだけでもね助かります し流せるってこんなにこう不快じゃないん だ爽快なんだね自分で包んで縛って捨て るっていうのしないだけであこんなにあの 爽快なんだっていうのを実際にあの経験を しましたし直せるトイレっていうのは災害

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実は14人が女性だったんです男性2人 だけだったんです聞いたらいやこの避難所 開けるわけにもいかないしまずは女性人に お風呂入ってもらいたいからねちょっと美 たですよねそれまで女性神にあの炊き出し 炊き出しっていうことで苦をかけててやぱ 男性人も苦をかけてるっていうのはあった んですねまずは女性人に入ってもらいた いってことで女性優先に入っていただいた でその時にたまたま物資で来てたえ女性者 の肌着とですねえっとおどこだこの大学生 が一緒に鼻に持ってってくれてでえお風呂 にえ持っていったらすごい喜ばれてただ この自衛隊のお風呂もすごく高いんですよ この部分1mぐらいあるわけですよま 70cmぐらいまたがないといけないわけ ですねこれしとても不安だっていう時に その彼女が女性の方は一緒に入ってくれた んで入れたこのお風呂を一緒に入 るっていうちょっと海沿いするっていう だけでも 必要があるのかなていう風に思いました ただそれをまじゃあ今からわざわざ静岡 から行くかっていうことのものですから それよりは本当にあかくなってから継続的 な支援できる方がいいのかなていう風に 思いましたまもう1度言いますけど静岡 からできるし雪が解けてから年体位で 関われるように関わりを持ってもらえたら なという風に思いますすいませんちょっと 長くなりましたがあの一応活動報告ま鈴が 中心でしたけれども穴水町もえそれほど 変わらないですえ今にえ電気しか通って ないえ仮説トイレでえ水道が復旧してい ない地域によっては8割ぐらいえ住宅がれ てしまっている地域もありますそこで今 あの私の我々の仲間で言とレスキュー ストックヤードというところが職員を ずっと常駐させながら避難所で避難所の 環境改善だったり炊き出しだったりえと いうのを行ってますただその避難所だけで は当然ありませんのでもっとたくさん 避難所ありますのでもし静岡からですね小 人数でま車1台えぐらいで行けるのであれ ば炊き出しとえま避難所の環境改善って いうかまあの避難所の掃除とかを一緒に やったりとかあとは炊き出しのお手伝いし たりとかっていうことならできるから ただし寝る場所は車で寝られる覚悟をして くださいで当然マイナスなんとかになり ますっていう状況に耐えられる健康で耐え られる人でと今は行くのは特じゃないかな という風にえ思うところですはい とりあえずまず報告以上になりますまた 質問をいただけたらと思いますまずはご

成長ありがとうございました はいさんありがとうございましたきました ありがとうございましたさあちょっと限 られた時間ではありますけれどもちょっと 電気つけさせてもらいますねえ色々お話を ってですね えあんなこと聞いてみたいこんなこと聞 聞いてみたいとこう思わ方がいらっしゃる んではないかなと思うんですけれども ちょっとお考えいただいてさあどんなこと 聞いてみようかな とままずはあのせっかくこれだけの方 いらっしゃるので机3人がけなので3人で ちょっと23分今私がお話した感想をあ ねえどんなこと感じたみたいなのを ちょっとえその机の3人で共有して もらえるとそうですね話聞そうすると こんなこと聞きたいなって出てきやすく なると思うんですあそれとちょっと長め たったからあのトイレにた方はどうぞ是 あのここの前は空いてますので後ろ出 にくいかもしれませんのであのトイレに トイレ休憩ではございませんけどト出てい 構いませんけどねいてますねはいはいはい はいあのブレイカート飛ばし ちゃうせっかくですからねねえあのズムの 方はあのもう割当てを10フアぐらいにし てです ね10ぐらいで適当に割り当てて はいじゃちょっと の話どですか3分とか5分といいですか はい5分ぐらい5分ぐらいちょっと ちょっと休憩ちょ想ちょっとズームの方は あのブレイクアウトちょっと56人になる 6人7人かすいませ7 ぐらい情報してみて ください感想伸べてみて ください 僕 は 係 があんかな とっ て そう で場所 が [音楽] だけし て て [音楽] なんか さてそろそろ お時間にさせていただきたいと思うんです

けれどもいかがでしょうね色々お1人お 1人で聞いてたのとね隣の方々とこう話し するとまたこう色々膨らんでですねあの なんて言うんでしょうか情報共有ができて たかと思いますがこんなことをこう ちょっと聞いてみたいなというようなこと でありましたらパッと手がありましたね じゃあパパパとここら辺から行きたいと 思いますさんまた じゃ3番目に行くからね3番にお願いし ます はいえっと私あの番組あの静岡育成会の方 からお知らせいただきましてまいりました 金と申します私はあの息子が障害時今高校 3年生なんですけれどもちょっとそこで ここでお話しさせていただいてなんで障害 のある人とかあとあの施設じゃなくて通所 で通われてる障害の方と特別支援学校とか はどういう風に機能していたのかなって いうのがあの気になりましたのでお願いし ますはいはいえっとまず通所の方は通所が あの当然えお休みになってしまっていたの でえっと私が先ほどの理事長さんとお会い してかお会いした時にはまだ電話も通じ なかったんですよなので安否すら分かって なかったでそれが1週間経って8割連絡 取れたでも連絡が取れただけだったんです なのでその先でどうしてるのかまではまだ 把握できてなかったえっとね56人ぐらい 登録いらっしゃったんでそあのそれを全部 をとにかく職員で手分けして連絡つつける ようにしてっていう風にしてたのが精一杯 だったっていうところでしたでえっとここ の中学校に特別支援学校の給食作りに行っ てるっていうお母さんがいたので聞いたら 当然学校もお休みでていうところだったの でまだ学校にも行けてないわからないって いう状況であと実はここの写真に移ってる この方が知的障害の方なんですけどけれも この方はもう90近いおばおばあちゃんと 一緒に2人暮らしでまかつては通ってたん だけれどもまここの避難所にいてであの 周りの人がもう分かってるんでよくして くれましたでお風呂行った時もお風呂も 周りの人がちょっと手伝ってくれてえお 風呂入ってっていうのができてていうよう な感じでありましたなので地域に溶け込む ことができてた方はこういう風に一般の 避難所でも生活ができてたんですけれども え次またあの2月に行く予定してますので その時にはあの計画相談の方々あの長さん の施設にも計画相談の方いらっしゃるので その計画相談の方に実際どうだったの かっていうのをお伺いできるようにしたい なという風には思っていますまずはああの

ちゃんと言ってなかったんですけど通信が 本当に遮断されていてauだけが通じたん です ねあのかつて問題がたくさんあったau だけが通じてどこも全くダメソフトバンク 全くダメだっていうエリアだったんです で実際にそのエリアにいらっしゃった方は 通信が 全くあの得られないっていうことで ものすごくそれなり不安だったって言った んです食べるもの電気は何とかあったんだ けど通信が全く使えないので今自分がどう いう状況にあるのかここがどういう状況な のか分かんなかったっていうところを すごく言われてはいましたはいあの障害 当事者の方のあの現状は次に行った時に あの是非伺っていきたいなという風思って ますはいはいもう気になるとこですよね はいありがとうございますじゃ順番にき ますこちら こちらあすいませんえっとフラットの一般 ボランティアからえ参加させていただいて ますおじと申します神中お疲れ様でした ありがとうございました えっと富山を経由していかれたということ でえ富山もえっと地震の被害があったかと 思うんですがどんな様子だったかなとお 聞きしたいですはいはいえっと私が通った のは高速道路なものですからえいわゆる 北陸道東海北陸道から北陸道に行くところ までは全然あの支障はなかったんですえ それで言えば岐阜から富山に抜けるところ の峠道ここはあの雪降ってたら本当にあの 静岡の人は行くものじゃありませんていう ぐらいでえっと実際に東山の多分その高速 を降りてからえっと高岡とか日とかって あるんですけどもそちらにと被害が一部 あるというのは聞いていたんですけれども 本当にまあの金沢までまたその高岡までは 限定的っていう風には聞いてはいますはい ま本当にグラデーションですね上が1番 ひどくてだんだんま割合が少なくなってく というような感じだという風には聞いてい ます高速道路はとりあえず大丈夫でした はい はい はいお待たせしまし た えっとまと小学校3年生の佐です はい地震の時に用意しておくと便利なもっ て何ですかはいえっと今回の地震でえ 亡くなった方ねえ死んでしまった方の多く が えて亡くなってる人が多いんですで津波が 来たエリアもう家が潰れてしまってそこ

から逃げれた人は良かったんですけれども って言うとまずは家に潰されないこと地震 が来た後に地震が収まってから無事に家の 外に出られることこれがものすごく大事 ですえ非常持ち出し袋よりも何よりも水 よりも無事に家の外に出られ るっていうのがすごく大事ですそれで思う と今回耐震化って分かるかな自信の揺れに 家が耐えられるようにしておくことこれを 進めるっていうのが本当に大事だっって いうのがよく分かる現場がたくさんあり ましたそれができた後に非常持ち出し袋を 用意したりとかていうのも必要なのかなて いう風にあの思いますはい今ちょっとあの ズームが落ちてるのかな止まって るってことははい一旦一旦切った方がいい のかななんかはいという形ですのでえ地震 の時にっていうのはもう来てから何かする じゃなくて来る前にまずは家が崩れない ようにすることあと家の中で倒れてくる もの落ちてくるものっていうのがありそう だったらそういったものを落ちてこない ようにしておくことこれが本当に大事 だっっていうのが今回思いましたいい でしょうかありがとうございますはいあの 住宅の東海で亡くなられた方が7割って なってるんですけど実際に足ではないと 思い ます家の中から出られなくて低体温で 亡くなってる方もかなりいらっしゃるん じゃないかなと思いますそこまでわから ないのでもしくは発表できないかどうか わかんないんですけど川の東海川に 閉じ込められて亡くなってたっていう状況 ですけど今回は足ばかりではなく寒かった のでえ出られなくて手ていたようなくなっ てる方すごく多いんじゃないかなっていう 風に思い ますはいはいはい今お参加ました はいこちらお願いしますよはい はいえ静岡小田デ防災ネットワークの誠吉 ですありがとうございましたえっとえお 年寄りの方が大変多い地域であるとは思う んですけれどもあの乳幼児をお持ちのこご 家庭はどのようにえ避難されているのか はい はい願はいもう水さんから連絡いただいて えっとあと浜松のえピピの原田さんからも ね連絡いただいてあのお子様の支援セット があるんでえ受け取れるとこないかみたい なところも含めてあの気にしてアンテナを 立ててたんですけど2就学時に本当に会わ なかったんですで本当にムを最初扱って そのオムを渡したはいいんだけどここの 避難長いないよねいないからまた次のとこ

持ってきます言って避難所いくつもいくつ も言ったんですよもうすでに山に置いて あるんですだいないんですよで在宅にいる のかと思ったらその地域の区長さんに聞い たらもう昨日もうねあのここから離れて 避難しちゃったんだよっていう方が実は すごくあの多かったですなので本当に 出会えてないっていうところが正直な ところでそれぞれの小学校が前行生徒が2 桁なんですよ村の小学校があのえっと員と とか多少のあれだけ町前の小学校でも2桁 だったりするんですねでさっき竹田やって た中学校全国生徒15人ってていうんです よ3階建ての校舎あるんですけど1人人部 なのかなっていうええなので本当に やっぱりあの子供が少ないえところなもの ですからまこちらの方もまた次回行った時 にですねあの改めて聞いてみたいなと思っ てますけど今1.5とか2次避難所の方に 進めてあの優先的に行っているのかもう それの政策が出る前になんとかしてその 場所から出るっていうことを優先的にして 出ていたのかもしれないですあの本当に 色んなところ行ったんですけれども ちょっと生き当たらなかったのでまたあの 確認しておきたいなという風に思います はいはいいかがでしょうかはいてのあり ましたねお願しますはいはい明治安さんの 江原ですあのトイレや整理用品について 普通に話せるっていうのはすごい ありがたいと思ってますで トイレが今映像で見たのは綺麗なんです けど実際問題毎日毎日使ってると匂いや その他でやっぱしあのあと処理をどういう 風にどこに置かれてどういう風な状況なの かっていうのとやはり子供娘を持つ親とし ては生理用品って備蓄でどういう風になっ てるかっていうのくださいはいえっとまず えっと先ほど見ていただいたトイレの ところは医療チームがいるぐらいですので えその医療チームがもう何度も何度も見て あの綺麗にするっていうのを既にしている ところでしたただえっといわゆる えっとパブリックなところ道の駅のトイレ なんていうのはもうこんな状態だったって いうのを聞きましたその時でももうどう やってしたんだろうっていうぐらいの山盛 になってたっていうのはあの聞きまし たっていうぐらいそのパンブリップな ところほど悪い状況になってて不衛星だっ ていうのはあの聞いた感じですで我々の 仲間はもう日本海を見ながら砂浜でし たっていうあの仲間もおりましたけれど やっぱり女性はそういうわけにいかない ですよねうんでえっとやはりあの一応在宅

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たありがとうございました あの冒頭田事務局長あ事長はあの月曜日 っていう風にあの牧山さんからあまりすぐ にま行くなという話もありましたけれども あの実は私とさ2人あのじいさんが2人で あの怪我がないように行ってきたいと思い ますけれもあの明るい時間にねとにかくね え移動するっていうことねね明るい時間で 雪のないところを選んでてなかなかそれは 無理ですけれどもあの気をつけて行って いきたいと思いますあのできるだけ情報は あの共有したり公開したりってことをね 心がけていきたいと思っておりますけれど も是非あのまた皆様の中でも支援活動を 順次こう考えていきたいという方が応 いらっしゃるいだいたらと思っております ので是非そうした時にはお互い情報共有し ていきたいなと思っておりますえ本日は 本当に長い時間でしたけれども現地報告会 以上でえ一まず終了したいと思いますご 協力いただきましたありがとうございまし たいたし ますさんありがとうございまし たん EH

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