【城跡を歩く】京極氏館跡 北近江の上平寺の地に16世紀初頭に城と居館を築いた京極高清は、城下町を発展させました。しかし、下剋上により浅井氏などの家臣に追放され約20年の短い栄華は終わりを告げました。

京極氏は、鎌倉時代に御家人として 承久の乱で活躍した 佐々木信綱の子孫で、 京極氏館跡は、北近江の伊吹山の麓に位置します。 すぐ東は美濃国境です。 北国脇往還という 越前と関ヶ原を結ぶ 幹線道路もすぐ南を横切っており、 交通至便の地でした。 下克上により家臣の浅井氏などに 京極高清が追い払われる1524 年頃まで 城下町が発展し、 北近江の中心地として栄えました。 自転車は少し手前の この場所をお借りしましょう。 奥に車用の駐車場があります。 ここから伊吹神社の参道となる舗装道路が、 石段の手前まで続いています。 こちらが内堀跡です。 ここから先は一般車は入りません。 まず右手に薬師堂が見えます。 今は、小さなお堂があるだけです。 ここから先は京極氏家臣の館跡の 平場が段々畑のように 伊吹神社の手前まで続きますが、 帰りに詳しく触れることにしましょう。 ここ京極氏館跡へのアプローチは、 車があれば問題ないですが、 公共交通機関としては 近くまでの路線バスはありません。 米原市の乗り合いタクシーを 使う方法もありますが、 時間的な制約のため 使い勝手があまり良くはありません。 通常のタクシーですと 往復で結構な金額となってしまいます。 考えに考えた結果、意外と近い関ヶ原から、 レンタサイクルで訪れることにしました。 アップダウンが激しく、 足腰には多少、こたえましたが、 おおむね良い道が続いており、 思ったよりはかなり楽に アプローチすることができました。 車の場合でも自転車の場合でも、 県道からの入り口が 少しわかりにくいので気をつけてください。 私は気づかずに かなり行き過ぎてしまいました。 さて、ここからは本日訪れることはできませんが、 上平寺城跡について少し説明したいと思います。 上平寺城は、この居館跡より 標高で大体300メートルくらい上部にある 山城跡です。 京極高清が、この居館跡を整備するのと同時に

築城を開始したと考えられています。 京極高清の追放後に浅井氏の支配下となり、 国境を守るための城として活用されたようです。 現在残っている城跡は 浅井氏により改修されたものです。 畝状竪堀群という 越前朝倉氏が用いた技術が残されており、 浅井長政が朝倉氏の援助により 城の改修を行ったと推定されています。 残念ながら現在は登山道が閉鎖されていますが、 かつては、ここから上平寺城跡を経て 伊吹山まで登ることができました。 話は変わりますが、 伊吹山は石灰岩で有名な山です。 新幹線の車窓からも山の中腹の石灰岩が、 崩壊している様子が眺められますよね。 この居館跡周辺も、地質が石灰岩かと思いきや、 実は砂岩となります。 ですので、今から訪れる庭園に配置されている岩や、 これら五輪塔なども 砂岩が使われているようです。 草刈りした時に、意識的に サラシナショウマだけ残してるんですね。 きっとね。 京極氏館跡の庭園は、 京極高清が居館を整備した時に作ったと。 なんとなく、朝倉氏の居館跡の庭園、 確かあそこは、お姫様の居館跡に作った 庭園だったと思うんですけど、 そこと、なんかなく雰囲気も 似てるような気がしますね。 こっちが池だったんでしょうね。 これが亀石でしょうか。 でかいですね。 どこから運んできたんでしょうか。 こんな感じ。 こちらにも、もう一つ池らしい跡がありますね。 池の奥にも巨石が配置されてますね。 サラシナショウマだけを敢えて刈残して、 このような幽玄な雰囲気を作ったという。 なかなか、ナイスです。 秋しか見られないですね。 これは、カシワバハグマですね。 伊吹山の五合目の道に合流して、 そのまま登れたらしいんですけど。 立ち入り禁止になってますね。 なにか、篝火を焚いた跡ですかね。 すごい段々の幅が狭いです。 コケが美しい。 巧妙に木を彫って細工してあります。 これがすごい。 京極氏一族の墓。 大きな五輪塔が三基、 小さいのが四基残ってます。 京極高清の墓は麓の寺に

(旧)山東町の清滝というところにある 京極家の菩提寺徳源院に 移されているということですね。 京極氏の子孫は、江戸時代に丸亀藩主、 今の四国香川県ですね。 大名として取り立てられたということですね。 更に上の方に、このような形で続いておりますので、 先に進んでみます。 こちらは何でしょう。 ちょっとわかりません。 これまた立派なキノコ。お墓の前で。 伊吹神社の西側にも こんな平場がありまして、 ここに、登山道が続いてますね。 ここから上平寺跡まで 約一時間以上かかるらしいので、 今日は諦めます。 また、次の機会に。 次の機会があるかどうかは、 分かりませんが。 しかし、いくら電動補助がついてるとはいえ、 チャリンコで関ケ原からここまでは、 やっぱキツすぎたな。 ちょっと反省。 あっ、立入禁止って。 この神社から、もう立入禁止に なっちゃってんのか。 そしたら上平寺の城跡まで行くの ダメってことね。 残念でした。 現時点で見れるのはここまでってことですね。 ちょっと別のルートで侵入しちゃいましたけど。 戻ってまいりました。 京極家の家臣の居館跡は、 こちらの右側の方に 段々になってて、 まあ斜面に作られた 今の新興住宅地みたいな感じですよね。 平場があって、ちょっとした崖があって、また平場があって、 これが、五、六個、ずっと続いてますね。 今の住宅は、ダンプで土運んできて、 ショベルカーで土地馴らして、 測量技術も、色々とそういう機械があって、 まあ、この当時1500年代ですよね、 これをやるっていうのは、 みんな人力ですもんね。 基本的に多少の道具はあったとは思いますけど、 これは大変だったんでしょうね。 広い平場ですね。 何人で、ここに屋敷建てて 住んでたんでしょう。 こちらにも蔵屋敷跡があります。

京極氏館跡は、滋賀県米原市の岐阜県境に近い伊吹山の麓にひっそりと眠ります。北近江最初の都市とも言える上平寺城の城下町は、鎌倉時代の御家人佐々木氏の血を引く京極高清により築かれました。伊吹神社の参道脇の鬱蒼とした杉林の中に残る武家庭園、京極氏一族と家臣の屋敷跡、京極一族の墓は、かつての栄華をしのばせます。晩秋にはサラシナショウマのほの白い花穂が幽玄の世界を演出します。

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【タイムコード】
◆内堀跡          : 1:17
◆京極高清館跡       : 3:49
◆庭園           : 5:22
◆伊吹神社本殿       : 9:30
◆京極氏一族の墓      : 10:16
◆家臣の屋敷跡群      : 13:46

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【京極氏館跡 紹介】
◆京極氏館跡は、米原市上平寺集落の上部にあり、舗装道路の通じる伊吹神社の参道を挟むように多くの平場と土塁が見られます。特に見どころは、巨岩が配置された庭園です。
この地で京極高清は、しばしば庭園を眺めながら宴席を設け、短い栄華を謳歌したと思われます。
◆伊吹神社は、居館跡からかなりの石段を登ったところに立派な本殿を構えています。本田の左側に京極氏一族の墓である大小の五輪塔群があります。
◆上平寺城跡は、この伊吹神社から標高差300mを登った場所にありますが、訪問時には通行止めとなっていました。
登山道が開通していれば、この上平寺城跡と、更に西方の弥高寺跡を組み合わせて訪問するといいでしょう。米原市などの地元の情報を確認の上、訪問してください。
◆アプローチ方法については、動画本編で詳しくお伝えしています。

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【チャンネル】
@歩いて旅するにっぽん 城跡を歩く

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【撮影機材】
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◆GoPro HERO10 Black

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【編集ソフト】
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動画の一部で、地理院タイルに地名・アイコン等を追記した画像を利用して配信しています。

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