国鉄旧性能電車(講師:宮下 洋一)

[音楽] あの時間になりましたので始めさせて いただきたいと思いますえよろしくお願い いたしますよろしくお願いしますでえっと あのご案内にはあの私の名前しか出てい ないんですけどもえ1人でやるとですね あのどっかでつ続くともうあの致命的な ことになるもんですからも今日は強力な スケットということでえおなじみあの加藤 のえ関承太郎さんにえ助けていただいて なんとかやっていきたいと思いますので よろしくお願いいたします願ますじゃこっ からはあの着席でえさせていただきたいと 思いますで実はですねあのご存知の方も いらっしゃるかと思うんですがえっとこの 春えっとホビーセンターカートでですね あのま関さんのところのあの飯田線の誘電 ができたタイミングに合わせてそれから あと私の本があの旧型国電本ができた タイミングともあったもんですからそこで あの旧型国電座段階というのをやらせて いただきましてでその時に1回関さんと 2人でトークセッションという形でえ やらせていただきまして実はこれ焼き直し でございましてあのまそこでご覧なれた方 はなんでやろうっていう風になんで同じな も言のかよっていうところあろうかと思う んですがまその時にやってみてのあの反省 点を踏まえてですね色々直しましてえっと それぞれちょっと2人が別々のスライドを 使いながら話したもんで重複したりする時 ものが多かったりとかえしたのでそれを あの1つのスライドにまとめておりますな のでこの中に私の部分と関さんの部分が 混ざっておりますのでえあの順番にやって いきたいと思いますであとできればあの 一方的にしべじゃなくて関さんとあの私で トークセッションという形で旧型国電に 絡むお話などがえ時間の許す限りでできれ ばあと思っておりますであとあのま ちょっと前回それやった時にですねあの 違うぞというですねご指摘を途中で頂戴 する場面がございましてですねえまあの私 も気をつけてやってはおるんですけどえ 完璧とは言えない部分がありますのでえ その説はあの後ほど教えていただくとこと でよろしくお願いいたしますじゃああの こっからあのお話話したいあのめスタート したいかと思い ますはいでえっと今日えやる内容です けれどもえ大きく分けてえっと7部構成で やりたいと思っておりますで前半は私が 主に話をするパートでございましてま私が あの生まれてからどうやって電車好きに なったかというお話が一部それからえま

あのここにも起きましたけど私があのま 実物について手掛けたえ書籍についてえ ちょっとレビューをさせていただくという のが2部それでえっと国電こぼれ話という ことでえこの本にですねえどうしても本っ というなあのページ数に限りがありますの でえ涙を飲みながらあの掲載しなかった 画像でここういう回に見ていただければな というものをちょっとまとめたものを3部 でやらしていただきますでえ4部として あの飯田線のについて皆さんやはりえ旧型 国年と言えば飯田線というぐらいえ人気だ と思うので飯田線についてお話をさせて いただきますでこの中であのま関さんが 手掛けられたえ電についてま製品設計をし た時の色なえポイントだとか苦労話とか その辺をメインにそこにえやらあのお話し していただこうと思ってますでその次第5 部としてえっとじゃあ電車ってどうやって 走るのかなということをま原点に帰って 考えましょうというようなお話をしたく 思ってますこちらは主に関さんの方にお話 をいただく予定でおりますでよく関さんと 話になる床下機器の向きとか入っててよく わからんという話を関さんとするんです けどその辺を第6部である程度おさいと いうことで若干ちょっとマニアックなえ 部分を6部それから7部でその床下機器に ついてのもうちょっとえ掘り下げという ほどで うそんな感じで1時間やりたいと思います のでえよろしくお願いし ますでえっと第1部はあの私事のお話のご 紹介になりますえっと私の電車との出会い ということでえそこら辺まなんでこんなに こういつまでも電車の本え作ったり電車 ばっか作ってるかという原因はこの辺に あるというお話をさせていただこうと思い ますええ私はあの実は大阪生まれでござい ましてえ阪急電車の中津という駅のとこに あるえ病院に生まれまして生まれた時から 茶色い電車しか見いてないえ人生でござい ますで小学校え万博の前の年までは阪急 電車の石橋という駅まこの写真が映ってる のが私が生えたこの阪急電車石橋駅の写真 なんですけれどもえ生まれましてえま上 機関者っというのをこう見ないえ がずっと続いて今に至るという感じですな ので当然好きになる対象はえ電車ですとで えっと万博の前の年え1969年に私は 東京にあの親の転勤でえ来ましてえそこ からあのま途中あの新婚時代でえからえ 青森に行ったりしたことはあるんですけど 基本的には今も含めて西武沿線ですえなの でえ西武線の電車というものには非常に

こうやっぱゆかりがあるということで 初めてえっと社交を訪問したというのはえ 西武線のこれ池袋線にあるコテ差しという 検車区でございましてえ小学校のこれ4年 生の私がTR11のまま前で映っとると いうえ写真ですでまこの頃はこんなあの 小学生がまこれま母親と一緒にまさすがに 行ったんですけどいきなり行ってもですね 心よくえあの勝手にどうぞという感じでえ 車内をあの車庫の中見してもらいました それでえっとその時に私が撮ったのが右側 のあの品番があった写真でございましてで もこれよく見ていただくとベンチレーター がちょっとこれかなり変物なんですねあの これはま当然国電の17m車のあの長都車 で371中電車なんですけどえこの ベンチレーターを見ただけでちょっと だんだんだんだんこう人間おかしくなって きたというえまこの辺がこうねこういう 電車のの道に入るえ眼鏡になったんだなと ま振り返ると思いますとでとまだんだん あのそういうことでエスカレートしまして 中え中学高校高校ぐらいがすごくだんだん 乗ってきたんですねでその頃ってのは ちょうどあの旧型国典それからディーゼル カーでとキハ17系えその辺のま従来の 国鉄の車両が次々と淘汰される時代でして えまあの首都圏うんでもまさすがに私山手 線は見てないんですけれどもえま周辺線区 南部線ととか横浜線とかの電車がどんどん なくなってくということでもうもうなんか もうとにかくそのなくなるなくなるという その恐怖感との追っかけみたいな時代でし てえまここちらの左側の画像これ実はあの 武蔵小金の電車区でこれ電車は南部線の 電車の廃車回送なんですねでまあ今はあの なんですか死神さんっていう電気機関社が いろんな廃車さ回送を引きますけどこの頃 は基本自力回送でしたのでえっとこれ ATSのBしか乗っけてない電車なんでS のわざわざ車上くっつけてえ自力回送して ですねそれで1日であの大体これ大船にえ 解体されに行くんですけど1日でちょっと 行き行くのが心配ちことでえ大体あの豊田 とかあのこういう武蔵小金で1泊するん ですねでその時にあのそれがまあの色々 こう情報もらったんで僕たちで作った さよなら看板くっつけて記念写真撮ったと え大体あの右側の松戸電車後ですけどこう いうのも放課後にこうもう勉強もそこそこ に行っちゃってるとえまその頃撮った写真 がまこの本に実は結果的には生かされたと いう感じなんですね でそんなことで大学に入った頃はかなり 旧型国でなくなっておりましてえもうその

頃には飯田線ミ線梅線とかその辺でも首都 県関西県はなくなっておりましてえそう なるとえ次の関心はやっぱ私鉄電車に行く ということでというかま元々関心はあった んですけどまそこまで行くゆとりがえ金銭 的になかったのでえこの頃なってからこれ 左はウェダー交通右は富山地鉄ですけもえ 地鉄の訪問が中心になりまその時のえ色々 見たものが今あの地鉄電車という模型の 世界でえ展開するに至ってるえここら辺が まベースになってるということでえ私鉄の 重型電車についてのえ実はそのえ スタートタイミンググっていうのはま大学 生時代だったという感じですで えだんだんあのいろんなところで本に記事 を書くようになりましてえ1番最初はあの 中学3年生の時にメスにクカルのあの モジュールを作って出させてもらったって いうのが実はきっかけなんですけもえま 社会人になってからもずっとあのま主に あの模型雑誌にえ模型の投稿をしており ましてえ初めてそれをこの自分の名前の 所書としてまとめてもらったのが2001 年猫子さんから地鉄電車場っというこの本 出させていただきましたで実はこの本 こんなもん売れるわけないと思って実は あんまり私的には気が乗らなかったんです けどもえ実はそのえストラクチャーの本を 出したかったんですねであの昔河田高一 さんという方があのストラクチャーガイド というあの名所を出されてまえ河田さんが その後は出されなかったのでそれを私が 担いたいと思って猫さんに言ったんです けどこんな本売れないからダメって言われ ましてですねえなんと20年も潮付けされ ましてですねでまとりあえずこの方売れ たらやりましょって言んでしょうがないん でじゃあやりましょうつてやったのがこれ でそしたらおかげ様でこれが あの3回10半っていうありがたい形に なりましてまこれがきっかけでいろんな本 を出そうという気持ちになりましてなんだ かんだでえっと去年までか今年の前半まで ですねえっと書籍関係えそれも模型の本 じゃないえ実物本について国電で10冊 施設関係で9冊ええついに出しさせて いただくことになり ましで今は申し上げた地鉄電者はまあの 一応2回重犯させていただきまして毎回 その内容をちょっとずつ加えて毎回買わ せるというあの猫のあの小足な初段にえ 乗りましてですねま私は喜んで出させて いただいた とでえ本当にやりたかったのはこのえ鉄道 の施設についての本でしてこれはなんとか

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1万7000両えこの時は当然新幹線電車 もこれ入ってますえっと100系でえ何 でようかなうん100系がいるんですねも ねもうこれ100系がいるんですよねえそ 新幹線制ででもそれでもまだ え230なまだまだ少ないですねうんでも やっぱりあの私なんかずっと東京で生活し たもんですから身の回りになかったせいで この年に旧型の電車が2000両もあった のかっていうのがちょっと意外なぐらい ですねそうそうねええうんもうこの時だと もうあれですね基本首都圏は中央部には何 も旧型電車いない頃ないですよねですね それでもまだ2000両あったんですね あったんですねええもっと頑張っときゃ よかったなはいそうですねもうこの辺は僕 なんかもう高校生でもう慌ててこう取って も取ってもそのどんどんなくなってくと いうもう家結構だった時代ですかねでも もうこの時でえ2000両でもその1割だ からやっぱり電車がすごいその飛躍的に 増えてるっていうことですねそれをがお 分かりいただけるかなと思い ますでえ次はちょっとえ数的なお話は別に してえこれはあの掲載に漏れた画像から いくつかピックアップで見ていただこうと 思っておりますでえまこれはあの戦績線の 車型電車宮城型という電車でえま今回の本 で掲載する予定なんですけどこれは実は 国鉄のあのえ東北線の松島の駅の目の前 ありにえ成績線が走ってるんですけどえ 何にもないというま時代ですねこう覚醒の 感があり ますでこれは常磐線え常磐線結構なあの実 は電荷開業の時からえ国電入ってまして 大体40系電車ですねここは結構後まで あの40系車が多かったですねそうですね 私の知る限りやっぱり東京の近郊では常磐 戦と総武線はいつまでもあのですねあの あの電車走てましたねはいだからまこの 時代ってま3扉と4扉がもうごご当たり前 にぐちゃぐちゃにくっついてるというだ 成立乗車はしようがないっていうま時代で それが当たり前だったというまあ今ホーム デアの時代から考えると覚醒の感がうん あるかな とこれ同じようにこれ えっと横須賀線ですねでま横須賀線と70 系って不思議でして横須賀線って結構その 70 系って意外と作ってないんですよねで結構 あの戦前型の電車ともうぐっちゃぐちゃに 混ぜる時代が相当後まで続いているという それでまそのドアの数もですですね2扉と 3扉が混ざってでももうこれはすごい

クレームだったみたいですねはいま真ん中 のドアにで列で待ってるとあのドアなしが 来てですねえ左右に走るっていうんで すげえ黒いになったみたいでそれでえっと この電車がいる時代にすでにその中間に ドアをつつける改造をやってえ3扉改造 っての結構やってましたですねこの辺の 時代でそれサドは改造された車は横須賀線 に残りそうでない車は大飯田線に行ったと うんいうそんな 時代時たですね今この電車走ってたら 嬉しいなと思いますけどかかに覚えてます あの本当に小さい時に関さ乗ったことあり ますあのね乗ったって横須賀線に乗るよう な用がなかったんであんまり縁がなかった ですこの電車ね走ってくと怖いんですよ 子供心にあのねも迫力あるっていうのあ はいあのあるで結構な勢いで飛んでくるん でであの70系なんかだと戦闘がくでこう 軽い感じで来るんだけどこれすごいんです よ迫力がであのこのこのこの行走もそう ですね子供心には怖い電車だった ですそんな記憶がかすかにありますあ確か にちょっと今みたいスマートじゃないです もんねえうんいい電車ですよねこれ うんはいこれ山手線ですねえ池袋電車区え 左はあの俗赤羽線用の雲はですけどもえ こんな時代があったというこれ掲載し たかったんですけどちょっと溢れちゃい まし たこれは私もう見たかった電車ですね変な 電車ですえ試作車ですけどもそうですねえ これク79のこの傾斜窓の者って2両作っ たんですけどもなぜかですね不運な2両で ですね2両ともあの事故で廃車になっ ちゃってですねから本来なら僕らの世代で も見れたのにえ廃車されたんで見えなかっ たというえ風な電車 ですうさん知らないですよねこれ線ですね あのそうですねあのこの傾斜した前面の窓 を持ったあのあの920番とかねああいう のがありましたからそれとごっちゃになっ ちゃってますけどこれそのものはちゃんと はいとは見てないと思いますですよねこれ 模型に作りたいなと思いますこれお茶の水 の駅ですね総武線先ほど関さんの話に出 ました えいい時代ですけどホームになんと屋根 ないんですねこの時代うん えやっぱ時代が違うなとうんで次はこれは あの長野原線今でいう上妻線の電荷開業 ですねやっぱりこうやってこう電荷開業し てくんでまだまだ古い電車も的場があった とことですよねそう ねこれ南これは南部線ですねえこれ完全に

線路内立ち撮影ですねなのでえ掲載し たかったんだけどできなかったいううんえ 右はあの小田急線のホームから取った登戸 駅え玉川が見えますねこの頃はえもうこれ も覚醒の間です ね これはえ海浦今でもここら辺変わってない ですけども東芝の敷地だから絶対入れない この頃は入れたです ね えこんな配給電車もいました貨車の台車を つけた電車というユニークな引っ張ってる の木造電車というそんな時代でござい ますこれ私が撮ったえっと富士で撮ったミ 線ですけど これこれもどう見てもあの線路に降りて ましてですねこれも掲載するのまずいかな と思ってこの頃は別になんてことなかった んですけども えでもなんとか58と雲は244が一緒に 入れたいと思ったらだんだんだんだん駅の 外れまで歩いてっちゃったとえそういう ことですねはい今となってはいい記憶 ですでこれはちょっと鮮明じゃなかったん で掲載しなかったんですけど非常に貴重な 戦前の 京阪神観光線のもはやじさんですねえ相当 画像いじったんですけどちょっとこれ掲載 できないなっていうでめましたので ちょっとここでお目にかけようと思います えこれはあのえ今今でいう深快速の えま戦前の姿と言っていいかと思います けどえっと宮殿ですねま戦前はこれから出 てくるあの電が走ってた時代のええ戦後の え車両が足らない時の代用列車でこれ こんなマークをつけたク60かク55だが 走ってますえでこれはあの有名な関西向け のチボーズという70系ですえこれは70 系の本作った時にどうしても写真がニース できずに掲載できなかったえ悔しいものな んですけどえ本が出ちゃったら急に何枚も 出てきてというまよくある話なんですけど ということです でえっと私は残念ながら間に合わなかっ たらこの京阪神観光線の茶色い電車え自分 が行った時のえ1週間前にえ撤退したと いう悔しい思いをしったことありますあり ます京都駅で取りましたあこやで取り たかったこれ結構早かったみたいですよね えあの僕はあの知てんだ止まってるやつ ですけどええあのク55回入ってたり こんなところにあのはいあのちょっと やっぱこちらで見て知ってるのと微妙もに なんか違うんですよねがね違いますねええ いろんなところでそのやっぱり関東と関西

ってそのま車両自身の使用もそうですし なんかその運用の仕方も違いますよねそれ 興味が尽きないところですよねでまそれは 車両の仕様についてのお話はこの後また させていただこうと思いますでまこれはえ 関西の配給電車うん関東の配給電車っての は2両ってで決まってたんですけど関西は 結構長く繋ぐと いうでえこれはご存知の方はいらっしゃる でしょうかあの結構昔はあの非電化区間に 電車を直通させるということは色々やって おりましてま特急電車でも昔ありました けどもこれはあの80系が暴走の白浜号と いうので行く時にまDD103にえ波16 を電源車にしてえ走らせたというそういう 記録でございますででもこれ茶色の時代 茶色ですよねですよね茶色に清出すんで 多分ねこのこの感じは茶色に黄色の時代 ですよねこの機関車めっちゃくちゃ うるさいですよねうるさい場合に早くない というえなんかそんな印象があり ますはいこれはですね何でしょうえっと 旧型国電じゃないんですけど実は旧型国電 とこれはゆりがありましてえこの後ろ側に 注目していただきたいんですけど実はこう なんですねえなんと153系と80系が うんくっついておりましてま回送とかでは くっつくんですけどこれ営業運転なんです ねそれもその準急電車ですねえこれ80系 4両に153系が4両くっついたえっと 水上と長野原に行くえ電車です でま私のだとこれぐらいしかあんまり見た ことがないんですけどもうんまこの制御 関係まこれで大丈夫だったのかなとかうん 色々あるんですけどなんかえま前回もこれ ちょっとホビーセンターさんで出させて いただいたらあのま自動ブレーキだけで 扱う分には読み替えできるから大丈夫だと いう詳しい方がアドバイスいただいたん ですけどうん普通考えられない数です模型 でこんな連結の仕方したら重いお前って 言われちゃいますよねちゃますよね前とか 言れて えそしたらですねもっとバカな電車が次に 発見したんですこれ何でしょうこれはこれ 回送電車じゃないですよこれこれあの大垣 で取ってですねサボを見ていただきたん ですけどあの実は営業運転なんですよで 153系の3両に雲は上に12がくっつい た4両編成の あのあの東海道の区間電車です ね はいな何なんだろうっていう はいよくわからないですうん ええク壊れちゃったんですかねどうどね

理由もわかんないしどういう意味があるん だかもわかんないですねど全く意味が わかんないですこれ ええあの私あの国鉄のあの大井工場の近所 に住んでたんでこんなの見ましたけどね あの工場の出入りではねはいえええそう 営業運転っていうのはそうですですこれ 営業運転なんですよそれがちょっと信じ られないんですけどえなんか理由は分かり ませんけど沢柳さんがの寝顔を見てたら うんうん見つかっちゃいましてえ意味が 分かりませんただまあやっぱ世の中模型で もやれなさそうなことを実物がやってる ことがあるんだなという意味でちょっとご 参考までにはいでちょっと次次はですね あの本に掲載できない写真っていうことで まあのちょっと自己絡みのものていうのは やっぱりどうしてもタブーなもんですから 本人は掲載できないんですけどこれはあの 有名なあの鶴見事故のえ事故後の状態です えこれは佐さんが早速現場を急行して たくさん撮っててえっと右の写真のサロ 85の後ろがえ大枠だけになっちゃった モハ70がちょっと映ってますけれども それで左側のあの雲50これ200かなか なんですけどえこれはまあのもう1つの 編成の方のま大丈夫だった方がまそこに 置かれてるというえま悲惨な事故のえ記録 ということでまこんなことあったんで ちょっとご覧いただこうという うんはいこれは不思議な写真です え分かりませんこれはただえなんでか小原 73の左側がのっぺらぼう でそれもどうもですねえわざわざ綺麗に 塗装し直してんですねですからどう見ても あの廃車前なんですけどもうん何かの実習 かなんかに使われたんじゃないかなと思う んですがえ何のためにこんなことをしたの か分からないですけれどもうんで右はです ねどうも松島工場みたいなんですけどこれ え富山線の73っていうかク79なんです けどどうもこれはあの年少試験やったっ ぽいですねあ ええなこれもまどの目的でやったのか わかんないんですけどもまちょっとお 知り合いからいたいたのでえあの下の方に かかに見えるブルーはその富山5そうです 富山5のブルーで番号もちゃんとクハ79 22なとかって見えるんですねうんえです からま走行事故での家事ではなくてうん 多分燃焼試験っていうかえそういうので もしかしたらあの北陸トンネルの後ぐらい かもしれないでなんか色々やったのかも しれないですね実験からにれたねはい多分 じゃないでしょうか

はいということでまここまでがあのその未 経済画像についてのお話でえこっからは えっと飯田線の話に移らせていただこうと 思いますで飯田もですねちょっとあの推移 を え見ていたと思うんですけども えっとえ1964年の頃はですね とりあえず豊橋49両中部電流11両え稲 松島44両100両ぐらいの配置でえ 17m車が約50両いたんですえ1960 年には10量増えて114 両そしてえ1977年これはま電がまだ 顕在だった1番最後のの頃え119両の 配置だったというところですそれでえま こんな配置の推移の中でえっと飯田線の 車両がどんな風になってたかというところ でこっからちょっとマイクをえ関さんの方 にえお譲りしたいと思いますまあのご存知 のようにあの飯田線シリーズということで えやらせていただいてきましたんでその 過程であのだいぶ勉強をさせていたきまし たあのそれ以前はあのささんのにあの熱し に研究はしてなかったもんですから 恥ずかしいんですそん中でまずあの今あの 宮下さんの方からお話がありましたその 1960年代ぐらいから あの車両の飯田線を走った車両の推移をま ちょっとこうイラストでこ表にしたもん ですけれども大体まあの最初の頃は今お話 にあった100両今日というぐのとの旧型 の電車に混ざってえ実はもう1960年代 の初めぐらいから80系が急行で乗り入れ ていたりとかそれからあの機動車の急行と いうのが結構これ基58が主ですあの後に なって65なんかも入りますけれどもあの 主にえっと北側中央線の方から入ります 東海道本線から急行の動っていうのでは なくてあの北側から入ってくるこれはあの そもそもあの飯田乗り入れる急行っていう のがあの中央本線を走る中央等線を走る 急行まあの駒もそうですけども急行 アルプスが基本になりますんでで当時の 急行アルプスは機動車と電車がありました で機動車が何であったかっていうとえ 例えば山なんて言って線に入る編成を途中 で落とす都合があったりとかいうので機動 車でないと運用できないところへ行くもの も併結しているその都合でえ急行駒があ 機動車であったというのがあります現に えっと1970年代の中頃過ぎた頃に え飯田発の登りの当時は上りの奇数号が ありましたんで登りのえ駒1号っていうの は機動車列車でしたていうぐらいあのあの 機動車が私もあの写真を撮ったことがあり ますけど後にま165件に変わってえその

自分にはまだ急行に赤石だとかいうのも あった時代ですねえ165系に変わる急行 の運用ではなくても80系もま南側から ですけど主に乗り入れてくるていう時代が ありますで一方でそのコアになるその飯田 線の例のス食の旧型国典たちはえ 1978年に 電始めあの2扉の古い車それとあの出力が あの出力強化を受けてないままぶっちゃけ あの使い勝手の悪い車がごそっとといなく なって数がいりますでその時点でえ基本的 にはあの稲松に集約されるんですねでえ 編成もみんな2両単位区も枠の2両単位に まとめられて今まで3両で走っていたよう な編成が4両編成にだったりとか少し 変わるんですけれどもでその開いた豊橋に 入ってきたっていうか豊橋を開けて入って きたのがごっそり80系ですで要するに電 をまま分かりやすく言えば充電に当たって たところを80系に置き換えたわけです けども充電が反射になった理由っていうの がそもそもま出力が小さいっていうのも ありますけれども中には出力上げてた1番 3なん1番2番の編成なんかはそうです からそればかりではなくて例えば豊橋の 近郊で通勤輸送するのに2扉は使いにくい あの結構列車が遅れたりするんですて上行 に時間がかかってっていうのがあったり あとあのじゃあ日中のその換算とした時間 帯に4両編成を崩せない電は使い勝手が 悪かったそうですあの無駄な長さがあった の でだったら80系に置き換えてどうするっ て話ですよね4両崩せない2しかもデッキ まであるんですよ何のメリットもないけど だからもうこれはなんか間違っちゃったの かあのどっかで余ったから使えとつけられ たかなんかいろんな事情があると思うん ですけれどもあの私たちが今こうやって あの理論的にあの詰めてっちゃうと ちょっとえっていうようなで実際それがま 数年後わずか数年後に119系が入り始め た時に実はこれがもうはっきりして80系 が先にいなくなるんですあの代わりに もっと新しい165入れたりとかしてまし たけれども8系やっぱり使い勝手悪かった んですねもうだから119が入り始めたら 途端になくなってったのはその戦前型の 旧型国典でなくて80系の方だったという のがまあのある意味証明になっちゃってる んでま80系時代はとってもいい電車だと 思いますよ私もあのあの昔から知ってます からあのいい電車なのは間違いないんです 名車ですだけど飯打線には向かなかったと いうのはまある意味がね急行だったら

良かったんでしょうけれどもせっかく電を 置き換えるんだったら違う形式だったん じゃないのっていうのはちょっと残念な 結果を見てしまったなと思いますでその後 旧型の電車はあまあの雲は53であるとか あの辺が最後まで残って1983年に完全 にま82年から119系が入り始めて83 年に戦前型の電車が全敗されるということ になります あの先月だったかなちょっとあのRモデル に書かせていただいたに119系っていう のもとってもよく考えられた電車で今にし て思えばもうもうちょっとちゃんと見とく んだったな当時っっていうのが正直な思い ですあの私あの申し訳ないあの飯田線飯田 線言いながら119系って飯田線走ってん で1ぺも見たことないんですよ実はあの ブルーの時も東海職になった後も冷房化さ れてもワンマンになっても1回も見たこと ないですあの本当にあの線ななんて言って あのこんなとこへ出てくるにはお 恥ずかしいんですけれどもたまたま サイクルとしてそういうあの循環の中にい たもんですから旧型がなくなってからで今 は見てますよあの2103もあの313も 見てますし乗ってますけれどもあの119 系の時間だけごっそり抜けちゃってるのが 事です一方で電気機関車の方はあの何と 言っても魅力的だったのは19ま18も そうですけれどもでどっちかって言と南の 方にいたEF10は私たちはあのまあの あの個体差は別にしてEF10という形式 自体は東京でそんな見てましたから特に 珍しくもなかったのでそんなにわざわざ 行くほどのこともなかったですから身線に あった時代にも行かなかったっていう風に なのが事実です一方で北の方にあったあの 小型の機関車はこれはあのもう先生と通っ て一生懸命あの写真撮った口ですからそこ へET62が入ってきてあの皆さん割と あの当然のようにそう思ってらっしゃるの は流伝とET62は時代が違うと思っ てらっしゃる方が多いんですけれども電の あるうにもイ62は入ってますからあの 実際はあの横に並んだこともあるはずな なかなか写真とか出てこないですけどね あのそういうあの自系列になります以後も まあの急行は基本的に165系で途中で 機動車は運用がなくなりますんでまああの 80系も残りながらということですけれど も80系も運用が限られて119系が主力 になるともう実実ないという状態になり ますはいじゃこれは僕ですはいどうぞじゃ あのその充電についてちょっとあの 振り返ってみようと思いますえっとここに

出てくる画像はえっと左側があのまだ戦前 えの名残りを残してこれま戦時中でですね まあのスカートはもう外されてますけども これ戦後の写真ではないですねギリギリ 戦前のえ充電のだま急行 電車で残った最後の時代だったと思います そして右側戦後じゃあそのそのまま急行 電車でえ復活するかと言ったら非常にあの わずかな期間はま確かに復活したんです けどますぐに追いやられてしまいましてえ 半和線に行ってますで和線に行って最初 武道色それからえまたツートンカラーの ちょっと下の方の色ですねえこちらになっ たという時代がありますえなのでえま本来 その充電というのはえま関西のえまえ私鉄 王国関西の中で国鉄としてのまあのえ精 一杯のえ思い切ったことをやった電車で あったはずなのにえその花期間は非常に 短かったということなんですね でこれも繁和線のえ1956年1050年 ぐらい経ったえ姿ですけどえすでにこの 翌年はですねもう飯田線に移ってますなの でえ関西最後の年の流伝の姿だと思って いただければいいのかなと思いますで言い 出せに来ましたえ翌年ですねこれ えもうえすでにこの頃はあの更新されて ベンチレーターも変わってるし乗務員扉も ついてるしというところですねえでもま あの飯田線に来てから最初はなんかあの稲 も入ったみたいですねで普通のま運用に 使われた時期もあったみたいですけどえ そのうちま右手の写真のように快速運用 ってことで快速色をまとってえまあの充電 としてのま飯田線の中でのま特別な扱いが されるようになってくるという時代です ただどうしてもこれあのモノクロの写真が 多いのであの分かりにくいですいわゆる 快速色っていうのは湘南色じゃないんです よねそうなんですねあのブルーとオレンジ なんですよねこれねこれなんです ねあの違うんですねややこしいのはこの 塗り分けであのオレンジとグリーンって いうのもあるんですよねあるんですねそう ですだからモノクロで見ちゃうとわかん ないんですけどわかですあのこの後にまた 湘南色ってなる時にはあのその後のスカ色 と同じように窓回りとあのあれがこいこう 塗り分けがこれになった湘南ある湘もあり ますとこそのえカラー写真がなんかその 青いやつもあるんですけどもう再現性が 悪くてですねわかんないんですねええそれ もありますね最近でもそれで実は最近まで 知らなかったんですがこの右側の張り上げ の車のですねえ張り上げ部分ってですね このオレンジ色じゃないんですねこれ灰色

なんですねこれ汚れてるからわかんないん ですけど実はこれあの灰色の部分が あるんですえそれはあのこの本作ってて ですね初めて気づいたんですけどえそれは そういうがありましたでえこれもま同じ 時期のえ姿ですけどあの右上の写真注目し ていただきたいんですけど充電同士が顔の 連結の顔合わせになってるというえこれは 非常に珍らしい写真ですただそのまなんで こんなことになったかていうとこの当時は あのままあ後年のあの4両固定の編成を 組む考え方ではなくて2両ずつの運用だっ たんですねなので基本割と流伝はあの2扉 の杯47みたいなものと必ずもそうじゃ ないんですけどあのペアを組んでたので 運用の都合で前後ひっくり返ってこういう なんかバカな変編成もあったというそう ですね2両の時代はクハと2両でで両頭が 充電で真ん中がク向き合って るっていうのが多いはいがしますけど こんなことも当然あの物理的には可能です まどっかでひっくり返っちゃったんだと 思うですけどはい私も写真はこれ1枚しか 見たことないですでえっと右下がその今関 さんが話したえまえ湘南色に変わってから のカラー写真ですねで2両目はスカ色です けどこれは塗装変更後のス色ではなくて あの横須賀線から入ってきたままなんです ねの佐75えですからからえっと作道加速 迎車だけでドアも3ドアになってないと いうえ意味ではあのえ後年のスカ色とは 違うスカ色ま色は一緒です けどでこれがみさんおなじみのえ万年のス ですがま実はそのスカ色の時代っていうの は決して長くはなかったえ1969年から え78年までですからえま10年た あるかないかというでもなんか皆さん やっぱり電っていうとこれ僕もそうなん ですけどもえ電イコールスカ色という感じ がありますよねあの変わらないでそのと そのまま過ごしたという意味ではその10 年っていうのは生涯の中で1番長いですよ ねあの期間としてはねそうですね長いです よねええだそれだけその電っていうのは その色が変わった電車そうですよねでも ありますねあの戦前もあれ色1回 ひっくり返ったり色々してますそうですよ ね最初に作った時からもうねあの2次車が できた時にはいえ色変えもうもう茶色と クリーム色反転返したりとかしてますんで してますから結構頻繁に塗装の変わった 電車ですよはいアイスキャンで色なそう いうのあります ねでこれはえっと最後の姿ですねえこれは オフな工場で解体されるえこれは52の3

番ですねま残念ながらこの車はええ解体さ れちゃったんですけどえ解体直前の姿 ですでえ充電絡みというわけではないん ですけどこんな電車もありましたという ことでえまこの右側のあやつは電気式の 機動車でまちょうど充電ができた時期にえ 機動車でもこういう電気式の機動車の流線 系のものが1編成3両作られたんですねで ままこれは非常に調子が悪くてなんか走り 出したら燃えちゃったとかですね色々あっ たりしてしてるうちにも戦争になってえ もうこれ機動車自身がもうえ動かなくなっ ちゃったとそれで特に中華車なんかあの 持て余されて飯田線にやってきて電車に なっちゃったとえいう時代がありました ただその時代は非常に短くてまたこの後 機動車に戻って喫茶派04だったかなに なったというただえ電同じ時代の流線系の 車両でこんな車両もあったんですというえ ご参考 ですでえっとこれがあの第3次 流伝もしくは今喋っちゃいけないなんとか の子さんと言われてるやつですねええその え半和線時代の姿です えっと左側の方が実はえ後でですねブド色 の方が右側のがえっと半戦えこの頃はえ 特急職うん特急って言ってた時代があった みたいですねだそのうちなんかやっぱり その特急はまずいっていうで急行になった みたいですけどもえその時代のえ姿です ねでえ飯田線に行きましておなじみ有名な え53の7番 えこれでもあのブド時代とは実はいろんな ところが細かく変わっていてうんうんえ ベンチレーターの個数も1個減っちゃっ たりとかうん結構あの変遷の多い車だった かと思い ますえ開発部屋はのということではいで あと有名な電車が雲はに64という電車が ありますでこれはあの気運な電車でござい まして実はそのモハに61というこれは あの横須賀線用の本来荷物電車として作ら れんですけどもえできた年が昭和19年と いうもう完全にもう戦事中でして3両を 作ったんですけど一応も電動車になれ なかったというえ電車ですでま戦後になっ てま1両だけがあの伝送されて早に61に なったんですけど2両は伝送しないままに 早に56になってで結果的にそのままそれ は飯田線に行ってえ小に56としてで障害 を終えていますけれども えこの電動車になった一はあっち行ったり こっち行ったりしてんですねそれでこれ 左上がミ線に行ってますでその後1回大糸 線に行ってまた戻ってえ左下のえ状態に

なってますそしてえなんかミ線と大戸線を 2往復ぐらいしましてですねそれで右側は あの大糸線でえ両雲化改造されてます両雲 化されてえ44から64という形式になっ たんですけどこの頃はあの電車として使わ れてなくてあの電気機関車のえ代用で大線 の貨物用が主な目的そいった後荷物を運ぶ というそんな目的で使われた電車ですで このまま大線から飯田線に来るかというと そうはは行きませんで岡山行っちゃうん ですねで岡山に行ってまあの壱とか赤とか の線で走っていたんですけどもまそこが 新線の化されたらなぜか静岡行っちゃった んですねで静岡で何するかって言ったら実 はあの静岡の電車っていうのはあの大船 工場持ちのえま前件とか検査持ちなのでえ そこへの入場の控者としてえ雲はに614 は抜擢されていますところがまえその後 先ほど関さんがお話し出た電なのが淘汰さ れた第一時の淘汰でえま戦前型電車がえ 全て稲に集約された時点でえ実はえ荷車が 足らなくなったんですよねあうんそうです ねはいそれで白羽の矢の立ったのがこの 静岡にいたやつでえこれ使えるじゃないか ということでえなんとあの営業者に帰り ざいたとところがそのま向きは違うし色々 そうですよね使い勝手が違ったので結構 あれこれ飯田線に入る時改造されてえま 方向転換されたりとか色々していますただ まえ最初はブド色のままえということで ユニークな存在なんですけれどもま何より も えこう人生の最後でですねえ悲運なえ人生 だった3が同じ飯田線でみんな仲良くえ 生害を閉じたというのはま最後の最後は 幸せだったのかなとうんえまあの遠征でも 人気者でしたしというところでえま ちょっと私の方からは飯田線のあの代わり な車両のお話でしたはいじゃあえっと続い てあのちょっと巻き戻して電の話でえこれ はあの加藤の製品という視点でお話をさせ ていたきますえっとここにえこれ側面あの 設計用のデータをイラスト化したもんなん でほぼほぼ製品の状態に違いないと思うん ですけれどもえ上から左右順番にあのこれ 向きを揃えてあります奇数向き偶数向きに なってます左が奇数車で右が偶数車上から 順番に1次車2次車でまあ1両だけ半端に なってる2次車ですねこれもで3次ってな なてるのが先ほど出てきたクハ53ですで えっと1番上の2両これがあの大体こう 両頭になって中間にサフを挟んで運用され ていたのが飯田線のでまあまああの なくなる前まで直前の編成多かったですね であの元はあのサハなんていうのは何を

組み合わせてもあの障がなかったので いろんな形式が繋がったんですけれども あの最後に繋がってた佐 4821番と24番っていうことが多かっ たですけどあれっていうのは豊式管区がま なくなる前になるべくあのこの見た目の 揃う編成にしてあげようよっっていう行為 があったという風に伝わっていますあの それまでは例えばサハ87なんてね入ると 丸っきりあのこうバランスが崩れてしまう のでまできるだけ見た目の近いものという ことであの狭い窓を並んだサを組んで いただいてたということのようですあまり あの当時そんな情報が流れる時代じゃない んであの知ってる方だけが知って るっていう程度のことですけど同じように その2次者になる3番と5番これが両頭 っていうことが多かったですで3番の方が 豊橋より5番の方がタ向きという形でで これにはまあの同じような理由かと思うん ですけどまあの3扉になっちゃってました からちょっとあれなのとそれから車体の 断面がもそうそもそも違うんであのそう いう意味ではちょっとなっていうところは ありましたけどま窓の大きさ的な部分では 細かい窓が並ぶよりもあのサハ75の 100番台の方がということでまこれを2 両組んで使われてた時期がま末期にあの ほぼほぼ固定されてたというところです 一方その1両だけ半端にポツンとはみ出 てる4番これはですねあのまあのその そもそも飯田線に来る以前に電製造総数が 6両で先週に1両実はあのなくなってます あの燃えちゃってますんで明石だったかな どっかで神戸だか明あの辺であのはい 止まってる時にやられてあのその下の伴流 もそうなんです一両なくなってるんです けれもあのそういうあの都合もあって半端 5両で飯田線に全数来たと言っても5両な んですね総数6両のうち5両が生き残っ てる5両が来たということででこの はみ出した1両なぜ4番をはみ出させたの か分かりませんけれどもあのこの雲派52 の4番は逆側は雲派54をついだ4両編成 という組み合わせで運用された時間が長い ですあのもちろん他のと組み替えることが できるのであの1番と4番が繋がってる 写真なんかも見たことありますからあの これはあの必ずそうということわけでは ないですけどもそんな使われ方をしてます ましたま不思議なのはあの4番が偶数者で あるのにこの5番上から2段目にある5番 っていうのがなんでこれ奇数なのに偶数の 方に混ざってんだよって話ですけどもこれ はあの方向転換をしてます流伝では唯一

方向転換をしたくれます4番があるんだっ たら3番と4番組んときは5番は逆向け なくても良かったんじゃないのかっていう のはありますけれどもそもそも飯出せに来 た時期はバラバラででその時のその色々 そのまその路線とか所属区の都合でで飯田 線って一時期その電動車の向きを一定方向 に揃えるということになっててこの奇数 向きの車っていうのが許されないって偶数 向いて電動車が偶数向きでないとダメって いう時代があったんですねでじゃあなんで 1番と3番はあのままなんだよって言うと それはあのその時期にはそれが入ってきた 時期にはそういう決まりがなかっただけの ことでたまたまそのタイミングの問題でと いうことだそうですでえっと1番下にある 5378これは流伝じゃなくていわゆる反 流ってやつですえ2編成4両作ってその1 両がさっきの流伝と同じようにあの関西で 先日中にやられてますで3両あって3両 とも一時出すに来たんですけれどもすぐに 1両だけ身延線へ出てってその後は大糸線 へ行ってますこれは43の810ってやつ ですよねでこれあの私もあのちょっとあの 色々記事と書きながらあの調べ調べしたん ですけれどもこれもまたあの厄介なことで あの国鉄の電車の形式ま電車に限らない ですけど形式称号規定というのがあるのは ご存知だと思いますけれどもこれがあの年 によって決まりが変わるんですねコロコロ とでえ実際800番台という番号が出力 強化型の電車に不満されてた時期があるん ですで現にここで雲53の7番8番って いうのは元々雲は43ですから本当は43 の800なのかなと思うとでもこのこの2 両が改造される時はもうあのその800と いうところではなくて形式の方を変えるで 43を53にしたことで出力強化を示して いるということになるんですけどもじゃ 同じような時期に言い出せに行きながら この2両は53という番号が振られていて 43でしかも810になった車っていうの は元もちろん800番じゃなないんです けれどもそれが得体が知れないわけです 出力強化だから800になったのかで行っ た先がまた良くないミ線ですからパンタの ところ屋根下げてるんですよと皆さんよく ご存知なのはあの低い屋根の車を800 番台って言いますよねあのこれに該当する からなのかその辺のその見分がとっても 難しくてであの三さんなんかにも教えて いただいて調べたりなんかしたんででこの えミノ一体一両はこれは出力評価はされて ないですよねねそ43のままですからあの 800番っていうのは屋根が低いこと

パンタ屋根が低いことによる800番で そのまま大糸線へ行ってまあの有名な スカイブルになった一両あれがあのその 飯田線一辺入ってみミ線へ行ってその後 大戸線へ行ったという流れで飯田線には この53の78の2両が残ったとでこの2 両と実はこの1番上にある1番2番だけが ええ電動機を乾燥してあって出力強化型 です他の雲派52は普通の43と変わり ません変わらないまま障害そのままでした というのがここにあるでえこれを最初に このスライドを作った時の説明は何かって 言うとえ加藤の飯田線シリーズと言って出 てるものにえこれで今回1次社と2次社の 3番5番ができたので前に4番作ってまし た53の78はありますっていうことで これでこのグループが意識全部揃いました とさあこれでどういう風にしてか遊んで くださいというお話の元になるのがこの スライドですそれがまこういうことでで えっと私が実は企画をさせていただいてて 1番最初に雲52の4番を作ったんですね なんであの1番2番とか3番5番を作って くんないんだよってよく言われたもんです けれども実は あのまあのこれあの俗に片でなんて言って ねあのちょっと隠したみたいな言い方され ますけれども実はこれをやることで作り たかったのはま充電自体がですね構造が とてもあのまお分かりだと思いますけど あの形状ですから作りづらい動力も新規に なりますからまその辺それからあとテール ランプがあの飛び出した状態で点灯させ たかったというのが本当にできるかどうか はやってみないとそんな行動のも今まで なかったですからそのトライアルもあった それともう1つはこの中間に入ってるサの 方の一両これが唯一電がオリジナルの電の 中間車だったこれ元々サハだった車です けれどもこれがサハに格下げになったのが 一両だけ2扉で残ってたのが井出にいた サハ48の34番ってやつですけどもこれ を作る機械ってここをこれを置いては なかった逆に言うと先に1次社2自社で あの揃った編成作っちゃうともう4番は いいよねって話になりなると嫌だなと思っ たもんで先にこっち手出したというのがあ 実際ですまあまあ二次的にはねあの最終的 に生きたか生きないか別に最終的にあの雲 は54の床板で動力を持たないものっての はここにしか存在しないので部品としての 利用価値はあるだろうなというのが当時の 企み ですいうことでえまあのそういうわけで 一通り誘電に関する携帯の車は全部製品化

をできたわけですけれどもまあの言えば 今時キャドで設計すると基本のデータが 全部こう流用したり反転したりすればちょ ちょって簡単にできるよねってま半分は そう思ってたんですけど半分は無理かなっ て最初から思ってました実はこのまあ6両 作ってで一応車両としては量産者っていう 言われ方になってますけれどもま量産でも なんでもないですよこの子手作りですから そもそもがもう1両ずつねもう微妙に みんな違うでいざやっぱり模型であの メーカーが製品にしようと思うとあのまあ いいよねっていうわけにいかないので ちゃんと調べると調べれば調べるほど違っ てるもうね本当にねいや私企画してねで要 は設計の人間に手動かしてもらうわけです からそれを伝えて納得してもらわないと できないわけですね私があの設計してるん なら苦労しててもやるとこでもそれを人に やってもらうのはとてもあのちゃんと伝え ないとなんでまあのあんまりあの口説く うるさくならないようにでも死に伝えない といけないというのをですねこの電ほど 苦労したものはないですね他のものの方が 蒸気にしても何にしてももっとあの簡単に 伝わりますなんでそんなところが必要なの か大事なのかどうしてそんなとこ作り分け なきゃいけないのかっていうのをあの説明 するのに苦労したのが今となってはまある 意味いい思い出ですけれどもまでもそれを ちゃんと作り分けことに注力したのは確か なことですでその成果がまあのこれもあの 三さんなんかにご協力いただいて写真とか も散々用意していただいたんですけども これたまたまあ豊橋駅で熊52の3番と1 番が並んでるこんな都合のいい写真を定を いただいてまこの2両これは良かったです ねそうですねほでこれね頼んだってこは いかないと偶ええ隣が80系だからって 文句言えないですもねこれねあのそういう わけでまあのそれぞれ答えさがあるのも この写真って見比べるのにちょうど良くて ま3番と1番っていうのはあの1次車と2 次車ですからあ元々側面見えちゃうと違う んですけど基本顔なんか同じだろうと思っ てると大いでま屋根が張り上げなのが 張り上げのまま残ってるのと普通屋根に 改造されてるのがえっと右側が3番左側が 1ですけれどもそういう違いがあります 当然甘いの位置が違いますじゃあ ヘッドライトはそのままで屋根だけこう 張り上げてんのかって言うとそう微妙に ヘッドライトの高さも違いますよねあと 伴って手すりの位置だとかでそういう部分 とそれから今度は好転的にその窓枠なんて

いうのはあの例えば腐って具合が悪く なりゃ取り替えますからその時に寸法を 揃えてくれりゃいいのに左側の1番の方は これあの赤い矢印ペピって斜めに打って ありますけど上の窓さんの幅狭いじゃない ですか右側の3番は向かって右側の窓の上 の3の幅が広いですよねこういうところが 全部違うんで部品が共通化できないんです よもうあの本当はね金型できるだけ作り たくないんですけれどももうこういうの 全部作ってかなきゃいけなくなるあの果て にこのテールライト見てくださいあの右側 の3番のテールライトって向かって右側が ちょっとでかい上に上についてますよね もうこういうねもうばらつきだらけ同じ あのジャンパケーブルが付いてるとこの この受けの台もあの1番と3番これどちら も上り向きですからついてるのはついてる んですけど形が違うんですよこれは そもそもあの出っ張り具合とか位置も違い ますしそうもうあのここには書いてない ですけど実はこのタのって書いてある看板 で隠れてるこの方向板受けの寸法も実は 微妙に違ったりとかですねも本当にあの とんでも ないでそれをまあのこの下のこの図のこの 画像はキャドの画像ですけれどもまあの こういうところをこう作り分けてねって いうのをあのもう手取り足取りじゃない ですけれどもあのよくよく話をしてで大体 この手のものはこの三次局面のもの例えば 新幹線なんかもこですし水風なんかもそう でしたけど最初はこういう3dプリンター で今時ですからキャドデータをを造形して 確認をしますでこの時点で宮下さんなんか にもご覧いただいてどうどう感じはて言っ てもうあのご存知の方に見ていただくのが 一番確かなんでそういう風にご意見も いただいて協力いただいて作り上げていく というのがこの工程 ですと同時に今回はあの方向転換の車が 入ってましたんで方向転換の車気をつけ ないといけないのはえ方向転換っていうと え電動車逆向きに連結できるようにするん ですけども一番手っ取り早いのは配管の 位置を取り出しの位置を変えることですよ ね車であの逆向きに配管がこっち右左逆に なってればいいんでどっかでクロスさせて それをすればいいんですけれどもえそれに 伴って床し機器をごっそり逆転させてる ものもあればまほとんどしないんですけど あと屋上のパンタから降りてくる母線とか その区予感なんかの位置が反転してるもの もしてないものもあるんでそういうところ もちゃんとチェックしてかないとあの口

だけで方向転換だよって言っててもダメな んでま製品ですからあのきちんとしたもん にしないといけないということでこういう ところも一通り全部潰してということに なります一方でえこの中間車の差こっちは 簡単だろうと思うと実はこれがとんでも なくてま今回はあの車番によってあの種車 があの同じ形式ながら違うものを選んで ますんであの例えば分かりやすいとこで 言えば台車が違いますよねあのこれは当然 なんですけども車体なんか同じに見えるん ですけれども例えばベンチレーターは種車 が違うと違っちゃいますあの背の高さって いうか面積も違いますしあとはあの細かい ところではこれは試しもそうですけどま 製造年中によるんでしょうねあの窓 のそのドアの窓の止め方が違っていてそれ ゆに角のRが違うとかそういうところも あのでこれ見ちゃったらやらないわけに いかないんでやってますだから同じ方って いうわけにはいきませんいうのがさはサで あのこんな簡単そうに見でも愉快と一緒 ですけど台車から車体から屋根からみんな 違ってるガラスに至るまで替えざるを得 なかったというのが事実ですでここに上げ たのがその旧型の電車の基本の連結の ルールですけどま電気側と空気側なんよく 言いますよねそれに沿って化した機器が 並んでっていうんですけれどもえこのま ここは今これあの2次社の発売の時の データを持ってきてるんで3番と5番なの でサハも7500番台でこれすごく揃って て分かりやすいんですけれども一次者の方 が大変です一次者の作はもっと混沌とし てるんでこのこのイラスト1番上の段に あるのが一次者で佐48の24と21月な のてなんですけれどもこれがねえっと エンド表記とかなんか構造みたいなものが こうなんか変なんですよねもうよくわから ないですよねこうならないだろうてんで こうなだってないですよねあのもう研究と か勉強して分かるレベルの話じゃないので もうそのままコピートレースするしかない という実写をそのまま作ったというところ ですでえまあ5月に発売になったまあ2次 者であのこれで電が全部揃いましたから 言えばま例えば78年に運転された電の さよならの時の運転された編成っていうの もこれえっと先頭が1番と4番あの車体 あの編成の真ん中からこう前後を 組み合わせて作ったようなもんですけどま こんなものも作ろうと思えば製品の 組み合わせできますあの一応今あの アナウンスされてるように飯田線の シリーズの中でも旧型の電車はもうこの電

の2次車で最後ですよ終わりましたよ 終わりますよって言ってますけれどもこれ あくまでもあの新製品新規金型を起こして 新製品を作らないという意味で例えば再 生産であったりとかこういうあるものの 組み合わせでできる製品っていうのは皆無 とは言いませんあの必要があれば作らせて いただけ例えば雲53みたいにねあの人気 のある車は一点あれも再生産ちょっと会を 入れて再生産してますしその時にえっと7 番は作ったけど8番はやってなくてあれは どうしたっていう声もありますしなので あの混臨罪旧型国電を作りませんという 意味でもありませんし飯田線の旧型社に新 機か方は作りませんっていうことはじゃあ 飯田線じゃなきゃ旧型国でもやるのかって 話ですよねあのよく突っ込まれますけれど もまあのそれは私からは何とも言えない ですけれどもまあの言い方をそのまま 捉えればないとは言えないですよねって いうことだけえ今はそこまでにしておき ます というのがあの私どもで政化させてもらっ た電関係の話でし たはいありがとうございましたじゃあの 結構時間が押しましたのでえちょっとこの 後駆け足にちょっと私の方から行かして いただいていいですかねま電車の基本構造 の部分のお話の方にちょっと入らせて いただきたいんですけれどもえまこない これ随分関さんとお話になったんですけど 旧型国典って何を持って旧型国いうだって いうのが実はその今よくわからなくなって きてえまここに関さんが抱えた言葉ですけ もえ当然今のこの旧型国典って呼ばれてる 車だって昔は新型だったわけでですね じゃあその今その101系とか103系 っていうのは新型電車って言っていいのか とただ今のようなインバーターの電車が 集中の時にこれこれだって旧型電車でしょ とその辺の括りが非常に難しいよねという 話にいつもなり ますあの旧型国典っていうのはもうあの 構造上どうしようもないので旧型国典で 括れますけど新生の電車って言うと101 系もE233も同じ新生の電車の枠の中に いるんですけど本当にこれって同じですか なんか旧型国電ほど違いませんかっていう のが私の実は疑問なんですよで宮さんに そんな無茶ぶりをするもんだからそうです ねってお困りになって るっていうのが現状ですでまこないだあの あるあの高校生と話したらですねえ901 系っていうかまあのその後えっと 2002092099ですよねえのことを

旧型電車っていうんですよねうんそでその 景品等線を走ってんのを俺は見たぞとか その辺がそのえ新型旧型のこう境目になっ てるとこでまこの辺の認識というのも やっぱりその世代によって変わってくるん だなというのをすごく感じた次第です でじゃああのちょっと今の話題とは変わり ますけどその電車ってどうやって動いてる んだていうことをちょっとまあのおさいを してみようということでたまたまこれ昔の 本に出てたものなんですけれどもえその 電車というのはま電気と空気の2つのえ もので動いてるというのは皆さんご存知か と思うんですけどまあ電車の電気ま要は その1500Vっていうのはどこまでが 1500V来ててどこからが低圧なの かっていうものっていうのも意外と分かっ てるようで分からないとえでついこの間も あったんですけどもそのえこれ電動発電機 というので要はその低圧電源をま作って いくわけなんですけどもその電動発電機 って専業500Vかいきなり来てるの来て ないのって質問されて私分かんなかった ですねでそしたらどうもそれがそのまあ 1500Vは来てるんだけれどもいきなり 来るとそのもうやっぱり故障の原因になる んでその抵抗機を挟んでえ徐々にあの開発 しながら使ってるとかやっぱりその電気の 流れってのはなかなかその分からないえ ものなのでこれを要約したものなんですが 意外なのがですね暖房機って1500ボト が来てんですねえあのこれ本当かよという 気がしてるんですけどま圧 してるんじゃないかと思いんですけどその 昔のこのアライズだとえ1500Vの高圧 回路の方に入ってるんですね ええなんか怖くなってきちゃいましもう 車内に引っ張って大丈夫なんですか大丈夫 なのかっていう思うんですけどねはいでま 空気の方の配管というのはえ基本的にえ こんな配管をしてるとこで最近ま模型 なんかでも色々よな話なところなんですけ もええそこをこうやって電車の間はどう やって繋ぐんだろうねというのがこの形 使いですねでえま先ほどのあの関さんのお 話でもあったんですけどこれあのちょっと クハ512の1番と2番でそれをえ図とえ 写真で見たとこなんですけれども当然向き は逆向きなんですけれどもえ要はその電気 系の機器まこれちょうどあの下に出てる 写真はそれぞれその電気側と呼ばれてる側 が映ってますえそれは両方ともあの今抵抗 機とか制御機の並んでる側というのはあの 同じ側にえ電車の向き自身は変わっても あの揃っているというのが基本的な約束

ごとなんですねえ一応こ約束ごとはあるん ですがこれがさきほどみたいな方向転換だ とか作った時期とかでえこうだと言いきれ ないっていうのが非常にその急型電車の 難しい部分ですはいでえっと先頭の部分を 見るとですねあのこういうようなつぐ部品 が色々ありましてえまあの電車の場合って いうのはその空気感はあの連結機の上下の 穴でえブレーキ感で繋ぐってことで基本的 には私鉄電車は割とあのエアフォースある んですけど国電についてはかなり昔から あのエアースがなくて連結機で繋ぐという やり方をしてますそれで あの一般的に偶数と奇数を見分けるのの 1番簡単な方方法はここの分を見るところ でこれは実はえっとえ偶数っていう風に 一般的には判断できますなんでできるかと 言いますとこのジャンパー戦というのこれ ですねこれがあのえ先ほどの写真戻ります けれどもえこの奇数車の場合は必ず車体側 にジャンパー線受けというのがついてるん ですけども奇数車というのはえついてい ないのがえ原則ですあくまで原則ですけど 原則ですなので偶数奇数っていうのをえま この床下機器の向きでえ見るのよりも1番 確実なのはえこれですねあのジャンパー線 受が車体側にあるかないかで偶数奇数と いうのが見分けられるというものものにえ で判断するとほぼほぼ合ってるとえいう ところですねでえっとその床下機器の配置 というのがこれはたまたま あの無警策控長であのトレインさんの ブースで売ってますけどその方が書かれた え図面なんですけれども え床下機の配置というのは実はそのえ関東 と関西では戦前え考え方が違っていたと いうのがありますそれでえ関東の場合には え危機配置は偶数奇数であの作り分けられ てなくてみんな同じように作ってた時代が ありましたところが関西は最初から今のお 話させていただいたように偶数と奇数でえ ひっくり返してますだ要は同じ側に同じ ものが来るとでま俗に言うこれはあの えっと海側に電気系の機器を来るのはあの やっぱりメンテナンス上良くないるので 山側に持っていくとそれでえ海側の方に 空気形機器を持ってくという考え方を関西 は最初から取ってたんですけど関東はそれ を取ってなかったでそれをえ戦後更新とか でえ揃えるようになってきたということが ありますそしてもっと厄介なことがあり ますえ製造時期それから投入された戦区に よって え全部奇数向きで作ったり全部偶数向きで 作ったりしたっていうことがあるんですね

それでこれで行くとですね割とあの関西の 方がま後発だった分割と性リロ生前とし てるんですけどあの関東の方は昔から電車 があった関係でえ先によってあのその辺の 投資性がなかったりしていたということで これが要はえこの赤枠で囲ったとこはその 今申し上げたその偶数奇数でえ基本的には 無期とあのえ危機の関係がえ成り立ってる ののえ原則に反あの反すものとかをまあげ たものですこれあの宮下さんに文句言って もしょうがないんですけどこれもっとあの 突っ込んでいやらしいこと言うとはいはい この奇数向きしか作ってないですってのは その構造上の奇数向きを作作り続けてで しかも偶数の車番振ったりしてるでしょ それに振ってるんですよねだ例えばこの 赤枠の1番下にあるク47の100番台 っていうのはあの飯田にもいましたよね はいあれこれ見ると奇数向きって書いて ありますけど構造が抜きなだけで車番は 102番も104番もいますよねなぜか みんな偶数車番ついてんですよこれそう ですそこがまた一山とわけの分からなく なるところであの旧型国電嫌いな方は大抵 ここら辺ですねこれでもうあの冗談じゃ ない決まりもそもないじゃないか確かに そうなんですあのもうあのこれねあの若い とか年寄りとかそういうことに関係なく あの年だけ取っててもわかんないですから こんなことはあの誰もちゃんと本当のこと を今となって分からなくなるのを例えば 宮下さんみたいにもうほとんど研究家 みたいな方がこんな本にしてくださって 我々もあの仕事する上でも本当にあの 助かってるというのがこういう資料なので あの別にあのしてるんじゃなくてあの さらにもうこの表だけでもうんざりするん だけどさらにひどい状態が事実という ところですそうなんですこれ自分で作って て分かんなくなってきちゃったんですその ぐらいわけわかんないですね国電というの はでやっぱりその使用区によって先ほどの 関さんの飯田線の話みたいに最初は全部 その電動車はえの向きを揃えるとかま最後 までやってたのミ線ですねミ線は全部あの 電動者と制御者の向きを揃えてたんでもう 偶数奇数めっちゃめちゃになますまそう いうまあの運用の都合でこういう風になっ ちゃったんでえなんか法則性がなくなっ ちゃったていうことだと思い ますでえっとこれがその分からなくさせ てる原因雲は41というこれは関東の電車 ですけどえ左は え偶数右は奇数の番号を振ってんですけど どっちもこれ奇数向いてんですねえあの

どっちもジャンパー線がついてると思い ますえそれでえこっち側はちょっと空気の 危機が並んでますけどこっちは偶数番号 こっちは奇数番号です結局一緒なんですね えもう分からないえ本当に分からないです えこれはやっぱりその投入した時代はえ 電動車全部あのえどっちを向けるともう 揃えてたからなんですねでその法則が結局 戦国更新しても関東の車結構そのままって いうのが多いですねもう本当に困ります はいでところがですね えっと雲は51のについてはまた厄介なの がですね最初東京の中央線用に作ったん ですねで途中からその大阪の観光線に用に 作ったんですけど俗に言う東鉄型っていう 初期者はですねこれ全部あの中央線であの 同じ向きに作っちゃったんですねそれで 番号はでも123456って全部あの関係 なく降っちゃってるんでええ全部これ偶数 向いてるんですねえところがえこれは関西 の電車ですこれはちゃんと偶数でと奇数で あの見ていただけば分かるのに機器が逆 向いてますよねえもうえこういうもうもう 謎の迷宮に入るのが旧型国典の難しい ところ ですただえっとその上まためどくさいのが ですねねえっとその同じその電気側でも ですねこの赤丸してあるとこに抵抗機って のがあるんですけどこれがですねその前の 方についてんだと後ろについてるがあるん ですねいもう本当に分からないっていうの はこういうとこにありますけど基本的な 考え方は関東型の配列というのはえま3よ りっていかま連結面側に抵抗機持ってき ますで関西の場合にはあの運転台側に近い 1よりという風にうんの方に持ってく るっていう要はそのエリアごとの考え方の 違いそれでその後またこれ転属を繰り返し ますのでそれがまた関東と関西で ごちゃごちゃになるのでまあなおさらその 難しくなるというお話です ねだからまこれで言うとまあの正しい配置 になってるのはえこれクハ53のあの0番 と1番うのはま偶数奇数なのでまどっちも あのちゃんと今の法則に合わせてえこれ はえ上は空気側が連結してますのでえ どっちも空気側になってるんですけど実は コンプレッサーよく見るとこれは両方前に 来てますねえところがその電気側を見ると ですね困ったことにあの片方は抵抗機前に 来てるんですけど片方抵抗機後ろに来てん ですねまこういうも要はもう個体差が 激しいです ねこれにまたね方向転換とはいもうもう手 にえないあの今でも見られる1番身近な

この例が青梅鉄道公園の久40ですはいあ 54番という偶数なで僕もあそこで つまづいたんですよあのエンド表記がだ から側面見て抵抗機がこっちだろうあれ なんでこっちが1って書いてあるんだいう ところから始まって宮下さんってお願いを したらああ4041は奇問ですよてもう ひどいですよてそれでかおかしいこれ 向き合ってないんですけどあのあそこへ 保存する時にあの書き間違ったですかねっ て言ったぐらいあの信用ならない状態1番 身近なのは青梅鉄道公演ですけどまあの なんか今月いっぱいぐらいで一旦閉じ ちゃうんですねあねいですねでまあのまた 戻ってくることを祈りましょうということ であのついこないだも行ってきたんです けどもはい余談ですすいませんい伸び ちゃってんのに申し訳ないいえそんなこと ありますまあの一応お約束の時間になり ましたのでちょっとすごく後半駆け足に なっちゃって申し訳なかったんですけども えま要はちょっと国電のこと色々なあのま いろんなお話はあっちへ行きこっちへ行き したんですけれどもまあの旧型国典のま めどくさい部分逆にそれを楽しいと思えれ ば楽しいと思う部分そういうところをです ね中心にお話をさせていただいたつもりで ございますえっと関さんの方からも ちょっとコメントいただければと思います はいあの私の方ではあの本当にあの宮さん のようにあのさっき申し上げたように三 さんみたいに研究家ではないもんですから もうあの仕事上必要での調べるものは 調べるでなるべく性格をきというところで であの助けていただいてるという関係の中 でで今回はあの宮さんのあの講演の中でま あのちょっとあの入り込ませていただいた ということことでまあの多少なりともお 手伝いができたなら良かったんですけれど もあのまたあの機会があってお声がけ いただけばいつでもあの参上いたしますの で是非その時はまた皆さんに見に聞かれれ ばなという風に思いますのでありがとう ございましたはいえありがとうございまし たあの本当にあのジムの最終日のこのもう ギリギリの時間までお付き合いいただき まして感謝いたしますえ本日はご清聴 ありがとうございましたありがとうござい まし た OG

第22回国際鉄道模型コンベンション会場内教室にて行われたクリニック『国鉄旧性能電車(講師:宮下 洋一)』の録画映像。

旧型国電シリーズ完成を機に本に掲載しきれなかった写真を紹介。
国鉄旧性能電車の動作の仕組みや機器類についてグラフィカルに解説。

【(2023年8月20日(日) 東京ビッグサイト東1ホール教室2 15:00~ 開催】

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