「暗黒日記」 -清沢洌の太平洋戦争下の日本を生きる記録

[音楽] 清沢清氏は1890年2月4日に長野県 南安軍北穂村現在のあみの市の裕福な農家 の三男として生まれました彼は日本の ジャーナリスト及び評論家であり外交問題 や特に日米関係の論で知られています太平 洋戦争家での日記が暗黒日記として戦後 交換されその名を確立しました彼は対米 関係では強調路線を指示し国内では反官僚 主義や反権主義の立場を取りましたまた 日本政府の立場に頼らず在米外交官として ではなく移民としての立場から日本人に 対する別と敵意を経験しました彼は 1930年から1932年までの3年間 欧米での取材執筆活動に従事し国際ペン クラブ世界会議の日本代表としても活動し ました1941年には執筆禁止者のリスト に乗りその後は直接的な意見表明が難しく なりましたしかし戦争中も外交士や日本 外交士などの著作を通じて政策を評論し 暗黒日記と題された戦事中の日記も残し ました彼は1945年5月21日に救世 肺炎により亡くなりましたが彼の思想や 評論は戦後も影響を残しまし た暗黒日記は9万文字以上にもなる日記 ですが今回はその一部をご紹介し ます暗黒日記清沢清昭和17年12月9日 水曜地下頃のことを書き残したい気持ち からまた日記を書く昨日は大東亜戦争 記念日であったラジオは朝のかや沖大倉 大臣の放送に始まって収支感情的共感で あった夕方は僕は聞かなかったが米国は 鬼畜英国は悪魔だといった放送で家人で さえもスイッチを切ったかも感情に訴え なければ戦争は関Myできぬのか 東京でお菓子の格付けをするというのでお 役人が集って有名菓子を食ったりしている 役人はいかに暇であることか昨日陸軍に 感謝する会が小町の歌舞伎座であって超 満員だっ た12月12日 土曜右翼やゴつきの世界だ東京の町は赤尾 便建国会会長第市という環の演説ビで いっぱいであり新聞は黒水投手という笹川 涼一国数大衆党総裁第2市なる男の大阪 東京間の往来までゴ活でデカデカと書く こうした人が自局を担当しているのだこの 戦争の第1の失敗は極端な議論の持ち主が 中数を占有し一般式者に責任感を分担 せしめぬことだ12月13日 日曜資本家は生産増強の重荷を負わされて いるそれにも関わらず法規で縛られ統制に 服して不平満々だ資本家側で現時の官僚を 赤と呼ぶものが 多い昭和18

年1月14日 木曜昨日東京市の正体あり座に文部省の 臣民の道を書いたという男がいた 発行一由の何のと低級なること帯びたし 国民精神研究所の所員だ今の日本はかかる 連中の天下で ある2月5日 金曜東条首相は議会で自分は日本人の成虫 を信ずるがゆえに会元例もしかなかったと 言った議会は追従主義で盛に教発動を言っ ている強発動をしてみたら結果が良くなる か実物教育のためにやってみたらいいでは ないかここまでくれば何をやっても同じだ しかし彼らはどんな場合にも経験を教訓と する連中では ない2月東日 水曜奥村情報局次長は日本の大外宣伝が 非常にうまくいっているというこの人々は 相手の心理を知らぬ自己満足がすなわち 相手の満足だと考えて 彼らは永遠に悟ることはある まい2月19日 金曜東条首相が今週の選挙には推薦性を 用いないと言ったまた関係が指導すること もいけないと言ったそこで朝日は社説で 推薦制度が好戦にもることを論じている 政府が声明すると初めてこれについて 論ずるかつて当時は1人もこれについて 抗議するものはなかっがこれが日本の原論 で ある2月22日 月曜大東亜戦争は何無文化の仇打ち思想だ 新聞は米をメリケンと言いAをアングロと 言いまた総比例のワシントン訪問に あらゆるバリ的報道をしている核すること が戦争関Myのために必要だと考えている の だ3月4日 木曜各方面で英米を行きとることを教えて いる秋田県の横手町ではチャーチルと ルーズベルトのわ人形を作り女子供に 竹やりでつかせていると今朝の毎日新聞は 報じている法権時代の敵討ち思想だそうし た思想しかない人が国民を指導しているの で ある3月20日 土曜今朝の読売りに米国のユダヤ金権家の 問題あり世界をユダヤ人と非ユダヤ人との 2つに分かつごとき単純な頭では何1つ 解決はできぬユダヤ人問題を言うものは 世界を複雑な形で論じ得ないものだこの 連中は猛幻想米国の増殖が米国を参戦 せしめたというこういう単純な論理だから 困る4月24日 土曜昨年4月18日の底と空襲のの米人を

死刑に処したので米国が日本を野獣のよう に言っている旨今朝の新聞はほずそして 抗議が来たそうである米国その他の世論が いかに悪化しているかは想像にたるこの前 の第一次対戦のドイツに対するようにこの 世論が結局戦争遂行にどんなに大切なもの であるかは今の指導者には絶対わからぬ力 主義のみだからで ある4月30日 金曜朝のラジオは毎日毎日定休にして愚劣 なるものが多いいなそれだけの連発だ昨朝 は家克彦博士憲法学者というのがノトの ようなことをやった最初にのとを読んで 最後にいさかいさかと参照してやめた狂人 じみている精神主義には限界がある精神に に徹せよと言っても徹した後でどうするか の具体的方法がなくては何にもならぬそれ で今行き詰まった世の中は星に怒りに闇に 顔若者のみが行列に立つという歌が流行し ているソ連ポーランドに国交断絶を通告す ソ連としては戦争の山も見えたし ポーランド国境問題で束縛されることは 不利であるそれに英米の援助も大したもの でないと考えたのだろうこれらが分球の 理由だソレンとポーランドとの関係の激化 について無藤低位読売編集顧問などが すでに対ソ連工作を考えているこの男は かつてシンガポールを取って米をくっせ しめると考えたのではない か5月22日 土曜山本イ大将選手を昨日発表去る政宗白 長師は田舎の景気はいい子供を殺しても それを運命的に見ている日本国民は戦争の 前途に大した不安を持っていないと話して いたそうだろうと思うアグなるこの国民は 一種の宿命感を持っているの だ5月26日 水曜小寺君という三井高尾君現三井法音会 理事長の親友が実業家は学者の観測は まるでダメだと言っていますと話していた 学者がダメなのではなく現在の学者らしく 振る舞っているものがダメなので ある5月27日 木曜自局雑誌に野村しお評論家という男が 僕の外交士が英米の見解を述べていると 言い国内の思想闘争を展開しなくてはなら ぬという彼はなぜにどこがイであるかを 指摘しないのだ彼の味方が正しいという 証明がどこにあるか僕の味方が準日本的だ と言えばそれは味方の総意ではないか問題 は彼のイデオロギーを持ってして果たして 日本を偉大にすることができるかという点 にある戦争の責任者はこのやからで ある5月31日 月曜昨日圧党の日本軍が玉た胸の放送あり

作戦に対する批判がないためにその反省が なくしたがってあらゆる失敗が行われるの だ次に来るものはキスカだここには1個段 ぐらいいると言われる独裁主義はこの人々 の生命をも奪うであろうそれは国家のため にいいのであろうかこの点も今後必ず問題 になろう胸 痛む6月12日土曜 読売新聞に武藤帝一という男がミッション スクールやキリスト教を攻撃し出したソ連 においては礼拝を許し宗教を自由にして いるこの時に国内にフを起こそうというの か無藤という男などは戦争の発頭人だこう した男を読売が担ぐとは何事 だ7月7日 水曜日事変6周年である朝のラジオはシを 操るのは米英である小会席のみが取り残さ れシ民衆は日本と共にあると言ったことを 放送したこの考え方は日事変6周年になっ てもまだ日本国民の頭を去らないのである 米英を撃破したらシ民衆は直に新日的に なるのか死人には事故というものは全然 ないのかこの朝また例によって満州国王へ フィリピンのバルガスその他の用人をして 日本の政策を賛美せしめて放送したかかる 小二病的自己満足をやっている以上は世界 の笑い物になるだけであるHGウェルズの ザシオブSingtoカムを読むウエルズ は満州事変を出発点として日本とシナは 全面的戦争になる日本はシナに3度勝って ナポレオンのごとく破れるそれから日本は 1940年に米国と戦争をするといった 筋書きだウエルズの予言は実によく当たる 日米戦争の勃発も一家年の総意である そしてウエルズは将来の歴史家は日本が 正気であったかどうかを疑うだろうと言っ て いる7月12日 月曜鶴優介君の 話先頃ある回で元民党の有力政治家が鶴見 君のとろに来て米国はまだ頭を下げぬかの と聞いたとっさのことに何とも答えられ なかったむやみなことを言えば誤解される しと政治家の不勉強と無知ここに至る大 東亜戦が無知人の指導による危険 さ7月14日 水物を知らぬものが物を知っているものを 長生警視するところに必ず誤算が起こる 太平洋戦争前に国際事情に精通している 専門家は相談されなかったのみではなく 一切口を封じ込められ た7月25日 日曜今日の教育による日本人は断じて自局 に関し反省せざるべし日本人は諦めにあり しかし積極的建設は不可能である馬鹿な

国民ではないが偉大な国民ではない ドイツ人が同じことを繰り返すように日本 人も必ず今後同じことを繰り返す だろう7月27日 火曜ムリーについに辞職す中野誠吾秋田清 元厚生巧大臣白取俊が一緒になっていると のことこれに長竜太郎が参加していると噂 される一部において場の政策が妥協的でダ だというのでかなりの反対あるよしそれら が東条打当運動になる可能性 あり7月28日 水曜イタリアの西辺が断片的な伝法を通じ てようやく明らかになってきている注目す べきは会元例が敷かれたこと伝法電話が 通じないことファシスト民軍が解体され 国家保安義勇軍を作ったことである以上の 事実から次のような結論が出よう1 ムッソリーニ及びファシストに対する反感 が起こり暴動化したこと 2その暴動はある意味では革命的な震度に 達している こと3イタリアは幸福の一歩手前である ことで ある8月5日 木曜久しぶりに雨先頃の軽い沢の世の家に 来た労働者曰戦争なんかどうしてやるん だろうこんな戦争を始めさせた ルーズベルトや小会席はけしからん野郎だ あの2人を何とかして殺してしまえないか と戦争勃発がこの2人の責任だと確信して いる一般の日本人の考えの代表的なもので ある9月10日 金曜バリオ政権の幸福から日本の新聞は イタリアへの悪口が始まったに例のごで ある白取などが新聞で談話を発表している シャーシーとしてイタリアの任務終わる などという言うものも言わせるものも 見坊驚くの他なし毎日の論説にはイタリア の幸福は第一に今後戦線の整理がドイツの 都合次第で行われる弁があり第2に足手 まいのイタリア軍を計算に入れて作戦を 建てる必要がなくなり第3に貧国イタリア に武器軍需品石炭などを供給する必要が なくなるからこれからの作戦上便が多いの ではないかと考えると言っているしからば こんな国と同盟条約を結んだのは何ピとか またそれを喜んで放送したのは何ピと か9月11日 土曜各新聞のイタリア攻撃ますます猛烈 昨日までイタリアイタリアと言っていたの が今日文芸ラまで動員しての悪口だ日本の 新聞は小学校の子供の常識と論理もない らしい9月12日 日曜イタリアの悲劇は大帝国になる実力 なくして大帝国になろうとしたためだ日本

の各種は盛にイタリアの裏切りを通分する だが毒素協定を破ったのは明法ドイツでは なかったか少し気を つけろ9月18日 土曜今月は満州事変12周年でマニラの 斎藤報道部長とかのフィリピン人に対し 放送したという容姿を報じているその用紙 は満州事変が大東亜戦争の第1歩であり これまた多民族解放のための第1歩であっ たこの日本の誠意をフィリピン人が認める ことを要望すると言ったようなものだ軍人 たちはそんなこと言ってフィリピン人が 関心するものと思っているらしい普通なら ば満州事変などは黙って他の記憶を 呼び起こさないのが常識だろうそれを わざわざ言っているのだからその愚かさは 想像以上で ある10月27日 水曜夕刊で中野整合の自殺を知る僕は非常 なショックを受けた彼の自殺の原因は不明 である彼は気1本であった回線すれば米国 は直に屈服するとも公言した がそれは誤りであったその自性の気持ちが 自殺の一員であったのだろうかそれならば 立派だが僕は彼に2回ご馳走になった英国 を相手にするつもりならとにかくしっかり 研究してからやってくれと言うと彼は なかなか強敵だ カイゼルもナポレオンもやられたんだから ねと言ったしかし彼は英国に行かなかった 英国に行くと英国流の考え方に脱するから というのである1つのイデオロギーを守る ために他の説を聞かないようにするのが彼 の神的弱点である彼の態度は常に宗教的で あった彼は誠を恐れた そしてとうとう自殺したのであった 11月3日 水曜オバマ夫妻お茶のみに来る聖ちゃんを 戦争に出して母親は毎日泣いている よし日本の母親と米国の母親とが話し合っ たら戦争が早く片付きはせぬかというその 通りで ある11月8日 月曜英国に復興省が近くできるという同盟 通信に乗っている英国はすでに戦争に勝っ たと考えて戦後経営に乗り出したのである 英国において最も必要なことは何かという アンケートに対してその2割が第2戦線だ と答えたが大東亜戦争だと言ったものは 1人もなかった米国においては多少事情が 異なるがそれでも大同勝位であるかつて 中野整合その他は日本が加担する方が勝つ と言ったこのうれが現在の不幸をもたらし たのである日本は英国を東亜の部隊から 引き上げさすべきではなかった英国がいれ

ば東亜で愛共に米国を牽制することができ た英国は恐ろしくないしかるにこれを追っ たために英米が握手してしまったハエ運動 は素人の外交運動の最悪の見本であった 記者の中や道路の目ぼしいところに警官が 出張りいちいち荷物を検査する富山県では コメ2商のために自殺したものもあったと か警官の仕事は泥棒を捉えるよりも良民を 捉えるものになった事実その方が楽でも あろう11月14日 日曜シナにいる日本人は皆買いてさえあれ ば財産を売って日本に引き上げたいと考え ているそうだそれも古いシナ2がそうなの であるこの戦争の結果北米南米シその他 あらゆる方面に永として気づいた努力が 根こそぎに失われるの だ11月15日 月曜床屋に行くとかつて7人でやっていた のが今は主人を入れて2人になっている しかもその1人に徴用霊が来たよし主人は 潰すつもりでなければ1人ぐらいは残して くれと談し結局出世家族として特別な考慮 をしてもらうことになったと か11月27日 土曜今日は防空演習日だがそれが全く形式 的である我々もその必要は感ずるが実際 やってみてバカバカしくなる誰も仕方が ないという観念でいざという時には役に 立たないよと言って いる11月29日月曜 読売りの夕刊にフーチン氏の大東亜戦争 回線当時の記事と称するものが載っている それはまず野村クス涼大使が春を応報し 最後通帳を手渡しそれから戦争になった ように書いてあるこうした大嘘をどうして 書かなくてはならぬのだろうそのまま発表 できず嘘を書かねばならぬところにこの 戦争の同的弱点が ある12月1日 水曜出生する人には必ずおめでとうと言わ ねばならないまた戦死した人の遺族にもお めでとうというのだそうだ住田正一君国際 起線取り締まりの話に2人の男子を戦争に 出したがおめでとうと言われると しらじらしい気がするとこうした感情と 表現の不一致から色々の問題が出てくるの だ12月2日 木曜ルーズベルト チャーチル哨会席が回路で11月23日 から27日まで5日間に渡って怪談した この重大ニュースを朝日も毎日もしごく 簡単に伝えて いる12月4日 土曜学と徴兵検査で海軍志願のものが圧倒 的に多かったそうだ検査官がなぜかと聞く

と服装が好きだ海が好きだと言ったものも あるがただ気分が良いと言ったものもあっ たという彼らははっきりとは答えないので あるただ学問をしたものには日本陸軍の 雰囲気には耐えられぬの だ12月8日 水曜戦争2年で気のつくことはコドの横行 である物を盗まれぬ家とてはないあり様だ 玄関に置いたく街灯はすぐ盗ま れる12月11日 土曜経済クラブで焦る敵米国という台で 高瀬中佐の公演があった出るつもりであっ たが僕は行かなかった地下頃アメリカの 構成を焦って短期戦を狙う結果だという ものが多いそしてそれがアメリカの弱点の 露出だというのであるこれまたGである アメリカは最初から1943年のくれから 構成を開始すると言っていたではない 12月13日 月曜今日の朝日に風続出という記事あり どこのビルでも暖房装置は一切取って しまった銀行の窓も橋の欄間も撤回した 戦後にも金具の一切ない国となろうこの 復興は大変だいわんやこの上に空襲でも あったらばと 思う12月14日 火曜ドイツシューマーがしばしばしみに 会見するそして日本がソ連に回線しなけれ ばドイは英国と和をこずるかもしれぬと 迫っているよしこれはありそうなことで ある今になってもまだソレンと回線せよと いう議論をするものがあるのだから一般 民衆というものはどれだけ無知か分からぬ もので ある12月16日 木曜東大の田中孝太郎博士のが取り消され た彼はカトリックで日本精神に徹しない からというのだ近頃外国に行くのは神風連 的な右翼連中に限られている彼らは無知で ありながら恐ろしく自信があるそして東亜 諸国に行ってそれ連星だそれギレだという こんな連中に彼らが平服するはずがない 戦後東亜諸国の指揮者から日本に関する 評判を聞きたいものである 日体文化会館の主催で対の身体しウシエの 歓迎会があったその石場で萩原通るという 大東亜症初期官の話東条という人は反対 する人を好まない今のところ茂光さんが 少し忠告したりしているがあれが続くと 放り出されるだろう と12月18日 土曜地下頃の新聞文章には必ず1つの方が ある戦力増強に邁進しなければならぬ15 の席を果たさなければならぬといった言葉 を最後に付け加えることだこれは説教好き

な国民性を示す1つの現れだが言い話に すると何か不安を感ずるのだろう英軍は 16日ベルリンに1500Tの爆弾を投下 したよし日本にも同じ戦法を取るだろうが そうなると東京で残存するのは極めて 少ない建物だろう 12月21日 火曜ギルバート島のマキタは両党を敵に 奪われ3000余名殲滅されたことを今朝 の新聞は発表したこれは先頃からアメリカ の被害が非常に多いことを予報しながら 小出しにしていたものであるニュー ブリテン島のマーカス御崎と言いこれと 言い国民もかなりのショックを 受けよう同盟の岡村君の話では部内で アメリカは個人主義自由主義の国で戦争が 嫌いだから戦争も結局妥協に終わるだろう と話し合っているよし青年の知識はこの 程度で ある12月22日 水曜オバマ敏成君が川井達夫君全中合講師 を主人として僕を時に招待したオバマ君は 日米戦争はいい加減なところで妥協すると いうこの事情通を持ってこの程度の楽観で あるその意はギルバート回線において敵に 打撃を加えたからそれでヘトヘトになると いうのである彼は東京の空襲すら疑問に 思っているので ある12月30日 木曜今朝の毎日新聞の社説に石化する北ア とあり北アにユダヤ勢力が新々することを 述べた結論に一体北アを舞台とする米系の 資本主義とソ連系の共主義はどうなるかの 疑問さえも成立しないのだ両者を支配する ものはこれまたユダヤ民族である資本主義 と共産主義は両極ではない火と水でない ユダヤ民族の両翼をなすものなのである ここが分からなければ米の名において描か れる世界制覇の筋書きも背景も分かるはず がない資本主義と共産主義はユダヤ人活動 の領をなすものであるこれが毎日新聞日本 2大新聞の1つの社説である日本の インテリの低劣なことを見よそして彼らの したぶりを見よ外交は自国民に確信が なければできぬものだソ連勢力の伸びる ところ赤化ありというのではソレンとの 外交はできないまた米英をユダヤ人と見た のではこれと永遠に交渉はできない英国 外交はなぜいいかと言えば自国民は石化 などしないと確信するかからだ昭和19 年1月1日 土曜重大な年歴史を決する年きる現前の 持ちを 食う1月4日 火曜夕刊に政府が戦時管理含無令を決定し

たとてそれについて東条首相がまた軍事を している千治管理含令は恐ろしく抽象的で ある不等不屈 努力と工夫を隠してその責務を完徹すべし といった調子だこれをまた東条が例の説教 をやっている東条は管理を昔の種族だと 心得ているしって民間を一歩下の人地階級 と心得ているらしい大東は戦争満州事変 以来の正常は軍部と官僚の悪手である戦争 を職業とするものと一部しか見ない事務や しかも支配意識の大勢な連中が妥協交合し た結果この事態をしでかしたので ある毎年の例と違って熱海は死んだような しけさであるみか1つ店に出ていないこれ は全部統制するからである無論魚も ない1月7日 金曜政府は盛に人口会をやっているかつて は東京を去るものは被のように言われた また先頃は毎日新聞がそれを提唱したが 政府はそれを抑えたので ある1月9日 日曜加藤武夫君を尋ねる加藤君は朝鮮関係 者の1人である朝鮮では銀星の食器その他 のものを取り上げ代わりの登記も与えない ので板で食べているとのことだすでに我慢 できる頂点に達しているという 1月12日 水曜読売朝日などが大東亜宣言をやたに かき立てている執筆者は斎藤正し中野富男 壮大総長羅だがこれら極端な右翼どもが大 東亜宣言を言ってもおそらく日本以外の ものは信 じまい1月16日 日曜日本がアメリカ飛行士を殺したことは 響を米で引き起こしたルーズベルトはこれ を利用して国際を募集したその成績は はるかに予定学を突破したと いう1月22日 土曜読売に風もユダヤ人の暴力であると いう記事が載っているそれは秋田茂爵の団 だがそれには私の担当はユダヤの医学公園 でユダヤ人医師は次から次へと病気を作っ て世界にいている今度のイギリス風とか チャーチル風もユダヤの製造にそういなく 彼らは現在借人のくせに大家の米も毒殺し 合わせて世界中をやっつけてユダヤの天下 を築こうという魂胆だこれを断固として 叩き潰すのは日本人の強さあるのみである という分もだがこれが現代日本の知的標準 で ある2月6日日曜 マーシャル島の米軍大衆をどの新聞も現行 以来の大問題としてページを埋めている 朝日は東山密を担ぎ毎日は徳富を担いで いる東山は朝日に次のようなことを言って

いる米の懲どもをやっつけるのを商売の ようにしてきたわしじゃ向こうはあり余る 機械力というやつで泥棒根性丸出しに はかってくる飛行機も軍艦もたくさん匂 がしにやってきたのじゃろうがわしら日本 人はこの機械力に人台を持ってぶつかれば 良いのじゃ人台の他に信頼もある人台信頼 で美人に引導を渡すのじゃこれだけで良い もうあは言わんでも良いそうじゃろう ひどいもので ある2月7日 月曜今朝の新聞はいずれも英米に対する敵 外心の公用をける記事を掲げている おそらく軍部や情報局あたりで作ったもの を載せたのであろうことに朝日のものが 強いアメリカで日本人を殺せと絶叫して いるというのである問題はこうした仇打ち 思想で世界の道場を集めまた繊維公用に 役立つかどうかで ある2月10日 木曜柳沢君の娘が学校に行くのに弁当を 持たせてやるが女中がその中から進んでく それを叱れば出ていかれるだろうしどうに もならぬといううちのa子の青山学院では 弁当をストーブで温めるのを中止した どんどん盗まれるからで ある3月10日 金曜正大の立つの豊かし曰東条首相という のは中学生ぐらいの頭脳ですねあれぐらい のは中学生の中にたくさんありますよと米 が鬼畜であるとの宣伝が行き渡っている ようだ先日浦川から苫小牧までの記者中で 停身隊が乗ったがその体調なるものが体性 洋賢章というものをチャーチルと ルーズベルトが作ったが日本人を皆殺しに すると決議した男も女も殺してしまうのだ と声明したキャツらに殺されてなるものか と演説したまた日本人が子供を産まぬよう 抗がんを取るとかあは藤に追いやられると いうようなことも一般に信じられている よう だ3月12日 日曜アメリカの日本抹殺の内容が新聞に 公然と現れてきたこれについて情報局井口 定を第3部長も放送し例の本田熊太郎も それを言っている彼らは日本帝国殺と日本 民族殺を根して いる3月5日 水曜記者乗客制限をなし今後100km 以上は警察が証明を出すことになった寝台 車食堂車も全敗ひどい制限で ある3月16日 木曜高級料理店を閉鎖したのは労働者や 徴用者の反対が激しくそういうものを閉鎖 しなければ治安の責任が持てぬと警視庁が

言い出したからだという 34日前白柳宗子が手紙をよした彼は特技 がすたれれば戦争に勝っても国が滅びる 国家永遠のためには敗戦した方がいいかも しれぬというここで彼はごを犯している第 1に戦争は何よりも同義心を破壊するもの だということだ第2はその戦争の責任者は 誰なのだ彼や徳富祖などが最も大きなその 人ではないか日本歴史や日本精神をむやみ に調し相手の力を図らなかったのは彼らで はないか今日は興味深い話を聞いた今年2 月23日の毎日新聞は勝利か滅亡かと題し 特別活の記事を一面に出したその中に太平 洋の攻防の決戦は日米の本土沿岸で行わ れるものではなくして戦を隔てた基地の 争奪を巡戦われるのである本土沿岸に敵が 進行しきるに至ってはもはや万事キスで あるとの軸があったそしてこの記事はだ から竹槍では間に合わぬ飛行機だ海洋航空 機を作れという論に続くもので ある3月23日 木曜新聞社は陸海軍の圧のためどちらの こともかけぬと言っているとか日本はこの 問題においても末期的症状を呈している この間の毎日新聞の発売禁止も内日は同士 が海軍の賃を持ちすぎたからだという竹槍 はダメだとか海軍航空機増産を強調したの が陸軍の勘に触ったのであるおそらくそう であろうこの記事を東条首相がその日の 午後3時頃4で起こった沿岸に敵が進行し 来たるに至っては万事キスとは何事だ東京 が度と貸しても国民はあくまで敵を滅ぼす ために戦うのだと情報局は慌てて午後3時 半頃毎日新聞の発売を禁止すると同時に 翌日とかの新聞社の編集長を承知して今後 こうしたことのないように軍事したまた 陸軍省は毎日新聞に鋭い警告を発しかつ その筆者新武夫が何人であるかを通てきた 毎日新聞ではを出すことを絶し編集局長の 吉岡文六君が辞職したこれで問題は解決し たものと思われた事実筆者の目的としたの は飛行機増産のキムを解いたのだしその 書き方もいかにジゴイストの毎日新聞でも ひどすぎるくらいだったところが23日し てその必死に突然長平令の赤髪が来た同人 は海軍省の出力者で四重1にの男兵役関係 のない国民兵であるこの人が徴兵されたの である彼は丸亀に入隊したこれを聞いた 海軍は怒った海軍報道部員を無断で徴兵 するとはけしからんというので丸亀に交渉 して除DEPさせた海軍の意思としては彼 を飛行機で南方に連れて行く手はずをして いたしるにその男は女体された翌日また 徴兵された今丸亀にいるということである このほど東条の性格陸軍のやり方陸海軍の

関係を意地も描き出したエピソードはある ま3月24日 金曜午後外生協会で佐々木克中佐より最近 の選挙を聞く独ソ戦線についてはソ連に 損害を多くドイツが有利なるかのごととい た表面的にそう言っているのかまたそう 信じているのかそう信じているとすれば まさに愚かである最も今までもこの人は常 に見通しを誤ってきているが驚くのはこの 356歳の青年が依然として大胆で断定的 で自信のあることであるこの教育はどこ から来たので あろう3月27日 月曜東条首相などについて交換色々の噂が 床屋での話だというのを聞くと登場は適さ の1万円ばかりするピアノを50円で買っ たとか適さを安く買ったものの中に大倉省 や内務省の役人がたくさんあるとのことだ まるでめちゃくちゃに安いよし将来問題に なる時が あろう4月1日 土曜ある男が配給の石鹸を持って風呂に 行った洗場での泥棒が多いことを聞いてい たのでその石鹸を湯つぼの傍において警戒 していた突然熱い湯がかかったふと背後を 振り返って今一度正面を見るとその石鹸が なくなっていた熱い湯と石鹸の粉質と どんな因果関係があるかとその男は 考え込んで いる4月3日 月曜日本人は戦争に信仰を持っていた日 事変以来僕の周囲のテさえことごとく戦争 論者であったオバマ敏成君も太田福君藤 専務もそうであった事実これに反対した ものは石橋炭山馬子り君ぐらいのものでは なかったかと思う今後の戦争は戦争信者に 対する何よりの実物教育であろうだが あまりに高すぎる教育で ある4月4日火曜 ある会で陸軍報道部の矢の造大佐が演説し たがそこで新珠湾を攻撃したことは米国と いう眠れる師子を揺りおこしたと考えたと 言ったら当時僕は気違いのように言われた ものだこの責任は我らが追わねばならない と言ったそうだこんなことを言う人が軍部 にいるとは意外である後期後で矢の大佐は 海軍と知った通りで記者電車は殺人的な 混雑である電車から出てきたら赤ん坊が 死んでいたという例は少なく ない毎日の今日の社説によるとイタリアの 裏切りはユダヤ勢力の働いた結果だとある 毎日という大新聞の出上原虎という人が ユダヤ陰謀の一本槍だとのことだまさに 軽蔑に値する東条首相がある飛行機工場を 突然訪問したお土産に卵と考料を持って

いった彼は日本国民全体に卵と思考料を 持っていける か4月8日 土曜中央高論を読むその中の必勝日本と 世界選挙という座談会で帝大のや定春教授 はトイツが非常に有利だと言っている ウクライナを取られ発砲塞がりの現在東大 の先生がこう言っているのだもって一般を 知るべしその中で外務省の俊一君はさすが に事情に通じているまたその中の寺田 稲次郎の日本確信史論は大久保をひどく けなし最後を賛美しまた暗殺者を賛美して いる大くを襲った苦常吉や森アノを殺した 行動を褒めているのであるまた青感論を 実行しておれば条約改正なども20年早く できようなどと言っているこれらの人々は 国際関係がまるでわからないさらにその 偉いはずの最後が失脚し大久保がともかく 最後まで中心になったかの大きな流れが わからないこういう連中右翼天下の世の中 でこの重大自局が乗り切れるはずが ない4月15日 土曜今悲観論をやっている連中が新珠盤 攻撃当時はあの一撃で米国が屈すると考え ていた連中だ三宅世紀のごきもその1人で 僕にひどく食ってかかったものだ木曜会に おいては東京日日新聞の西入合一君が特得 として戦争が当日毎日によって指導勃発し たことを演説したもので ある4月21日 金曜日本には不経済がいくつもある1皇室 2登場3軍部4徳富祖これらについては 一切の批判は許され ない4月24日 月曜医者の話彼は徴兵検査官だが適例者の 98%まではトレとの命令だという僕ら から見ればこんな体はとても働けないと いうのもとる家にいれば多少なりとも増産 に役立つ徴兵されれば病気になるのは必然 だがそのため国の費用が一か年1000円 はいる 命令だから仕方なくやっているが何をやっ ているのか分からないよ と4月25日 火曜最近キリスト教主義学校にまつわる 悲劇が多い同志者大学の湯八郎総長の辞職 は直後の読み違いといったことであり立教 大学の木村校長も直後を読む時断の中断 でしたとかなんとか言ったことであった 先頃の青山学院の笹森委長の事件も愛国心 に結びつけたものであったそれから立教 大学の図書館長はカーネギー財団と何らか の関係があったが関係のひどい迫害があっ て自殺したそう だ4月27日

木曜春が4月9日に演説したものの中で 日本が盗んだ領土を取り戻し再び隣国を 攻めぬようにすることシナの領土をシに 返し朝鮮に独立を与えると言ってい またチャーチルが3月26日にやった演説 では過当な奇襲によって米国の隠れた力を 発揮させた日本の指導階級は何という 馬鹿者だろうと言いさらに戦争は予定より 1年早く集結すると見通し戦後の住宅問題 を約束している彼は戦いを勝ちと見て すでに戦後問題に乗り出したの だ4月30日日曜日本がこの攻防の大戦争 を始めるのにいく人がこれを知り指導し 考え交渉に当たったろうおそらく数十人を 出い秘密主義官僚主義指導者原理という ものがいかに危険であるかがこれでも 分かる来るべき組織においては言論の自由 は絶対に確保しなければならぬ議員選挙 鑑賞の排除も法律で明定しなければなら ない管理はその責任を天皇でなく民衆に 負うのでなければ行政の改善は望まれない 今日も畑をなすネギの植替えで ある5月1日 月曜練り辺りでじゃがいもを植えた種芋が どんどん盗まれるまたある100勝の ところに自転車に乗った2人の青年が来て 知人が病気だからぜひじゃがいもを分けて くれという七発出すともっとくれというの で地下室にはしごをかけて取りに行くと 青年たちははしごを引き上げて逃げて しまったそう だ5月5日 金曜学生学とと言っているは労働に 駆り出されれている大学生が土木工事の土 を運んだり物を積み下ろししているので ある閣議でその陽光が決定したが学科は1 週間6時間以上毎日の勤労は10時間が 原速といった具合だ外務省の人事課長が 話していたが公文試験の成績が非常に悪い という学問とか将来というものを考えない の か5月7日 日曜軽井沢に来た記者は空いていた何年 ぶりの緩やかさであろうそういえば最近は 東海道を走っている記者もガラ空きだ そして鉄道の役人はこれを誇っているこれ が確認的考え方の代表的なものでそれだけ いわゆる戦力増強が阻害されているのに気 がつかないので ある5月10日 水曜ラジオも新聞も地下頃の人身が不親切 で不会であることを解く西洋的なものを 全て放置しローマ字を感じに変え悪の根源 は全部なしてしまったはずではないかそれ なのにどうして好ましくないことが国内に

あるの だろ5月14日 日曜あさつ子さんの話に近頃生まれる子に 騎刑事が多いというかな曰上原さんのお嫁 さんの家は小児科の大下だがその人の話に 父を吸わない赤ん坊が多い父を吸う力が ないのであるドイツにおいて第一次戦争に 同じことがあった日本でこれだけ栄養不足 なのにそうしたことがないのがむしろ 不思議で ある5月15日 月曜三笠宮様に入れがあったお道具が たくさん運ばれたその運転手が俺たちは飯 も食えないのにと不平を言っていたという 話を聞い た5月17日 水曜経済クラブで脇村義太郎氏の話あり 石油問題につきこの人ほど権威ある研究者 はない世界石油産額の95%まで反数字国 側にあることを説明す近代戦と石油の関係 を知る人にとってこれほどはっきりこの 戦争の結果を予想させるものは なかろう5月27日 土曜渡辺鉄造博士が懲役1年執行猶予3年 の判決を受けたが罪状は2つあり1つは 大本A発表にも謝りあり相手の損失を古代 に言い東方のそれをあまりに発表せずと 言った こと第2にはドイツが負けると言ったこと で ある6月12日 月曜日本も物資の面では最後的段階に来た ことを思わしめるまた旅館などで便所の鍵 やとっ手がない考えられる金属性のものは 全て教出したのである地方人は正直ある から後にほとんど何も残ら ない6月16日 金曜朝のラジオでベキ20期が北九州方面 を襲ったことを知った同時に裁判島に敵が 上陸を起としたことも放送され た6月22日 木曜僧寺千葉君石橋炭山女性二平で入隊 早口のため兵殿というどが明瞭でないので だいぶいじめられたよしおそらく殴られた のであろう領事が無知な上東兵に殴られる の だ6月23日 金曜英国のリットルトン英国生産省が日米 の衝突はアメリカが日本を圧迫した結果だ と言ったことの頭皮は別としてそんなこと を自由に言える空気が羨ましい 6月24日 土曜裁判付近の回線では日本は主力艦を 繰り出したが一戦の後逃げ出したと米国の 放送は言っているよしいわゆる物量の総意

だが日本では物量ということを物質的と 返して馬鹿にする言葉に使って いる6月28日 水曜昨夜国際関係研究会で戦後の日本の 外交政策を研究するはずであったしるに この信ずべき人々の間でも日本がもし破れ たならばという前提の元には何ピとも話さ ない3人以上いるところで話したことは 必ず憲兵隊に漏れるそうだ重心と閣僚の間 でも真実を話さない日本には正直に政治を 語る機会は全くないのであるこれが戦争 以前からの日本の特徴だ 7月2日 日曜有楽町の駅の前の家が取り去られそれ を大学生の勤労隊が取り片付けている学生 は気の毒だ澤君の長男は浅草で家の 取り壊しに働き体一面のみに食われたと いう7月9日 日曜この日記は軽井沢に置いて帰る実は いつこれを見られるかもしれぬ懸念があっ てにすら遠慮とカモフラージュせねばなら なかっ た7月12日 水曜大本は裁判北端の松山付近で白人を 振って生ぜなる肉迫攻撃を観光中なる胸を 発表まだ裁判が敵手に落ちたことを発表し てい ない7月13日 木曜羽賀という高等学校の教授が原論法 国会で政宗白にこの戦争は負けますよと 言ったその理由は現在の当局者は周知を 集めることが嫌いである先頃海軍省に行っ たら俺たちの知恵に余った君ら各々が考え てくれた前というそこで陸軍省に行った時 自分の意見を言ったら君らが何を知って いる生意だと怒鳴りつけられたという こんな連中では仕事ができませんと 7月20日 木曜東条内閣掃除職す猿にてもこれほど 乱暴無知を尽くした内閣は日本になかった 夜7時のラジオで大名が小国と米内三に 下ったことを知った陸海の感情衝突は もはや国民の常識だこの協力を要請する 最後の試みがここでなされたのである陸 海軍一方の代表者ではが聞かぬことを示す もの だ7月21日 金曜東条は百方いりを託したがとうと追い を得なかった加藤武夫近藤孝一郎の両君曰 登場は辞めただけで良いのかしら他人の 指定をたくさん殺してあれで責任が解除さ れるのかしら と7月22日 土曜川英二君の話先頃滋賀県の親戚で1人 息子を兵隊として失った家を見舞いに行っ

た安国神社に祀られて光栄でしょうと言っ たらそこの主婦が無きになって大切な子供 を失ったものが安国神社に行くと乞食の ように白砂の上に座らせられいつまでも頭 を下げさせられるそんなバカなところへ 行くものですかとひどい剣幕だっ た7月29日 様世の中に思想ほど怖くないものはない それはその人の納得なしでは入ってこない からこれに反し暴力ほど怖いものはない それは自分でどうにもならない から8月6日 日曜新聞は東京で読していたという切符を 出さねば変えずここではラジオのみが頼り だ日本兵の頭蓋骨をアメリカの少女が机の 上に置いているそんなことを高田一太郎君 毎日新聞記者が米国の鬼畜として放送した 近頃盛に大米敵外心を煽っている敵外心が 思う通りに出ないのかそれとも内部への 注意を外にむけとするの か8月7日 月曜五月万歳の世の中だ笹川涼一とかいう 黒水同盟の親分は何千1円の財産化だと いう右翼で金のぬ男なしこれだから戦争は やめられ ない8月10日 木曜地下頃の新聞は盛に日本人の頭蓋骨 云々の記事を書き米中といった表現を使う 米住屠殺の部署につけといった強い言い方 である戦争には勝ねばならぬが外国への 反響がどう か8月11日 金曜午後軽井沢に赴く途中大島博光君と いう詩人と会う先頃帰りの記者で老海軍査 と同席したが米軍は結局毒ガスを巻いて 日本人全部を抹殺してしまうだろうと 真面目に話していたようであるそうしたの が現在の宣伝方針である日付け読売りに 日本人皆殺しを狙う兵器を断固滅ぼせと いう銃弾の記事 あり8月203日 水曜東洋経済の平山君曰日本が勝っても 負けてもこの戦争は朝鮮にいいとなるほど その通り だ8月30日水曜いよいよパリ陥落これは 敵側の放送で25日に無条件で明け渡した ということであるドイツ側も29日に発表 各方面に戦勝気筒が行われる その知的程度が現行の乱の当時に大差ない ことが わかる9月1日 金曜震災記念日鶴見に申出る墓場の鉄作り たる掃除時の銅像もなしいずれも徴用され たのである橋には義母しなく窓には金具 なし戦争は根こそぎ金属を日本から奪って

しまった欧州戦争が始まって万5年に かつて僕は5年が戦争の峠だと言ったが ドイツの幸福はもう目の前に ある9月4日 月曜お昼のラジオでフィンランドがソ連と 和平交渉を行いドイツ軍に退去を要求し ドイツがこれを承認したことを放送した 先頃誰かの話に大島浩大使の報告が一方 ごとに悲観的で警戒を要求してきている よしこの男が今頃なんだと言いたくなる この先生の報告や行動が国家を誤った一 原因 だ9月16日 土曜先頃太田福君富士アイスクリーム専務 と鈴木文郎君と金井清君太平洋協会3与と で元の満州クラブで昼食をとにしたそこで 話したことが問題になり憲兵隊に召喚され た鈴木君は4日間か君は2日太田君は1日 止めおかれたなんでもない雑談だ疑問なの はその付近に何ピともいなかったことで ある隣室で聞いたか長音期でも据え付けて あったか だ9月21日 木曜航空日本に関して日本劇場の前に掲げ られた大ポスターが非常に不評だそれは 勝ち誇れるがごと堂々たるルーズベルトの 肖像に日本人を皆殺しにせよなどという敵 の宣伝文句を書き入れたものである当局者 に言わせると最もらしい説明をするだろう が見るものが受ける漢字は敵の威力事で ありルーズベルトの人気を立てるための 選挙宣伝みたいである今に始まったことで はないが当局者は人情の備を知らず宣伝の 効果は常に逆行して いる9月24日日曜 朝日新聞がフィンランドを呪う記事を書く イタリアが幸福した時もブルガリア ルーマニアが屈した時も日本の新聞は 裏切り配信者卑怯者といった現時を使い 現にバドリーと言えば裏切りという意味に 通ずる彼らはこれらの国が戦い尽くして刀 折れやきて屈服したことを考えない自分 たちから離れたのだという一方的見しか ないので ある9月28日 木曜自由学園男子部学生の卒業式につる 岡部全文章が祝事を述べた今度の戦争の後 は米英も今までのように教えてもくれ なければあらゆる方面で迫害を受けよう 戦後は大いに科学を準備して初戦から勝つ ようにしなければならぬ岡部は例によって 盛に日本的世界観と言ったようなことを 言った 人柄はいいようだがこの先生は戦争の教訓 を少しもつめていない自由学園の生徒の

純心さには本当に涙ぐましい気持ちがした 彼らはこの岡部の話を吸い取り紙が陰気を 吸い取るように脇目も降らずに聞いている の だ10月1日 日曜久しぶりの雨で畑を休むグアム島 テニア島の軍民全員戦士の方今朝の新聞に 消去る小方君は個人としては玉砕主義に 反対で困ったことだと早稲田の教員連中を 集めて話したよしこの秘宝に接し各新聞は 例により特集毎日は末信正読売は金木和信 捜査種海軍上昇を出しいずれも玉砕を産し て いる10月6日 金曜東山が死んそうだ愛国心の名の元に 最も多くの罪悪を行った男だ同時にまた 最もよく日本人の弱点を代表していた男で もあっ た10月20日 金曜ベキに対する宣伝各方面に起こるその 中心は米国におった人々である海老名和夫 武藤後その他の人々が中心だ先頃藤君から 僕のとにの悪逆無道の写真があるかと尋ね てき た10月26日 木曜朝足日の経済クラブに公園に赴く社中 から見れば稲の取り入れの最中だそれが女 だけであるのが目立つ町に殺せベキという 縦看板がある落下さんで降りたものを殺せ というのであろう日代戦争の頃の武士導は もうない国民が何ら近代的な考えも教わら ず古い伝統も失ったことを示すもので ある11月4日 日曜朝畑をやっていると工場に行く食後の 一段が軍intoを歌いながら通っている 指導者が歌うと一同がそれを繰り返すので ある大和男と生まれなば三平線の花と散れ と言った文句だ肉線を信じ青年は国家の ために死んでいくので ある11月6日 月曜満鉄総裁小山直に会うど君曰何でも ありませんよ空襲あんなものはすぐ修繕 工事ができますよ米国なんかやっつける ことは何でもないさ何勝てますよと言った 調子松岡竜にてとても強きで ある11月日 水曜午前4時というのに朝会の人々が八田 様にお参りするというのでかが行った晩 遅く演習したり午前4時に起こしたり人間 を疲労させることばかり考えているがそれ が現在の清そ だ11月9日 木曜大統領選挙にルーズベルト圧倒的に 勝つ牧野永一博士の 話

平塚の別荘で垣根の棒を抜くものがある そこで万人がとめると空襲が来れば誰の もの彼のものもなくなるではないかそんな ことをいちいち言うやつがあるかと平気で 言う空襲が来れば略奪などが公然行われる 下地はできていると博士は言っ た11月11日 土曜大正大学教授浜田という人参謀本部に 560万の決し体を米国に送りパナマや アラスカをやっつけるそしてその半分は 全国の仏教信者から募集すると定義した よし一向帝大を卒業した大学教授がこの 程度の常識しかなし我らの公有の範囲では 問題のないことが異なる職域にある連中に とっては問題であるその無知驚くべきもの ありこれでは全となかなか それでもB29が東京を飛んだのに対し これをどうにもできなかった日本空軍力に 失望していた日本の教育がいかに変して いるかその中でも仏教徒というものが最も 観念的で ある11月17日 金曜日本を侵略者と呼んだスターリンの 演説に対し政府は新聞雑誌に一切の批評を 許さない外務省あたりではスターリンが ブルガリアに対するように日本に戦線布告 するかに考えているそうだそれに怯えて 何事も言わぬのである最も言わぬのも1つ の外交であるが強そうなことを言わぬのは 回線以来今回が初めてで あろう11月24日 金曜生後すぎ警戒警報についで空襲警報 発令後の発表によると70期マリアナ方面 よりテトに来たという毎日新聞の見出しに 典型的戦争屋スプルーアンスと米人を攻撃 している戦争屋は底いらにうじゃうじゃし ているの に12月1日 金曜東京の青空券は完全に敵手に渡った敵 はいつでも日本を襲うことができるしかも 極めて安全だ米連日の来週で横須賀浴では 撃大会最終日の来る12月をして裏川内 久里浜のペルリ上陸記念費を撤去すること に決定し差し当たりこの日の前面に天中と 書いた立札を建てることになっ た12月8日 金曜本日は戦争勃発の3周年である朝小磯 首相の放送があったが例により定立区長も 登場よりはかに下手で切り型であるこうし た指導者しか持たぬ日本は哀れという 12月9日 土曜午前3時頃警戒警報起きて服装を整う これでは一般人は神経衰弱に なろう12月11日 日曜今日午後1時22分国内を上げて伊勢

神宮に必勝祈願をした首相の兼ねてからの 唱によるものだ神風を吹かせるようにと いうの だろうの科学線を指導する日本の首相は 神風を巻き起こす祈願を真面目にやる人な ので ある12月13日 水曜三達夫は米的なるものを一層すべき ことを強調するそれは何をおいても国民の 思想や精神に影響を与える立場にある指導 者にして神米的人物ないしは過去において そういう傾向のあった人間はたえ政府の 要路にあろうとあるいは軍人であろうと ことごとく危険人物と見て差してえない そんな危険人物に先達してもらわなくても 真に日本精神に徹しているものを持って 指導者の入れ替えを断行するこれが国民の 奮激を浮き立たせる第一の先決問題と思い ますと無知哀れむ べし12月16日 土曜夕方清代の道行君が遊びに来るど君の 話 松本の駅長がスパイだというので大騒ぎを した駅長のところへ色々のものが届け られる駅員が不思議に思っていたある時彼 のルスにすめが届いたそこで駅員がこれを 炙ると英字が現れたそれがスパイの通信だ というので囚われたそして銃殺されたと いう噂がある審議はともかく彼が駅からい なくなったことは事実で ある12月30日 土曜末信正海軍大賞シストの法あり彼は 日米戦争論者の巨頭である徳富と末に対し てはこの戦争が日本にどういう結果を もたらすかという事実を見せてやりたかっ たが葛西が愛澤君を訪問した帰りの電車の 中の出来事あるさ君が今夜あたりまた アメリカのお客様が来るだろうと言った これを聞いていたが横手でひどくこの夫人 を殴り飛ばして負傷させた電車の中では どんなことも言えませんという昭和20年 1月1日 月曜昨夜から近業にかけて3回空中警報 なる勝団を落としたところもある配給の 持ちを送っておめでとうを言うとやはり 新年らしくなる ドテ日本国民は今初めて戦争というものを 経験している戦争は文化の母だとか100 年戦争だとか言って戦争を賛美してきたの は長いことだった僕が迫害されたのは反戦 主義という理由からであった戦争はそんな に油に行くようなものなのかそれを今彼ら は味わっているのだだがそれでも彼らが 本当に戦争に懲りるかどうかは疑問だ結果 はむしろ反対なのではないかと思う

彼らは第1に戦争は不可避なものと考えて いる第2に彼らは戦争の英雄的であること に言う第3に彼らは国際知識がない知識の 欠乏は驚くべきものがある当分は戦争を 嫌う気持ちが起ころうからその間に正しい 教育をしなくてはならぬそれから夫人の 地位を上げることも必要 だ1月2日 火曜新聞には日本兵が強い日本は破れない というような伝法ばかり載せている米国 海軍長官フォレスタがそう言ったとか海軍 時間がそう報告したと か今日はロイテルのキムテという記者が 日本はまだ強いから戦争立て直しをせよと 言ったことを 特筆昔から褒められてばかりいなければ 安心しないのが日本人の特徴特に軍人の 特徴だ敵がこのようなを吐く心情なり考え 方なり一切しろうとし ない1月8日 月曜東洋経済の表議委員会ありそこへ咲田 高太郎君衆議院議員来る同君は戦争その ものについては非常に楽観的だドイツが運 と頑張るすでに米軍の損害は大だ フィリピンで戦争をぐっとやっつけば米国 の人種構成上の弱点が出るといういうので ある彼らはそれでマイルというのだこの 楽観はなお日本の最大多数の認識だ漏れ 受けたれば皇室のお方々も極めて楽観的で あられるよし何否ともそういう風にしか 申し上げないので ある1月12日 金曜毎晩空襲の来ない人手はない最初は 防空号に入った近所のものも今や誰しも 入るものがない 慣れたのとまた1つはそんなことばかり やっておられないのである新聞は盛に協力 政治ということを言い出したドイツのよう に根こそぎ動員をやれと言ったようなこと であるただ動員すれば良いと思っている らしい何を言っているか自分でも分からぬ ことを意味もなくワンワン言っているのが 近頃の新聞 だ1月14日日曜戦争の結果について 金持ちが1番不安である軍隊の鉄拳はもう 言うだけ野暮であるそれが工場でも行われ ている日本は暴力世界 だ1月15日 月曜今朝の新聞で伊の豊大神宮が敵機の ために爆撃されたことを知った新聞は[ __ ] 対戦敵を滅ぼさん新域冒涜に1億の怒り 爆発とか畜今に見ろとか紙面の半分以上を これに使っている読売には伊勢大病に国民 が土の上にひれしている写真を掲げている 朝日は白抜き文字で兵器大殺のみと米人の

野蛮ぶりを書きまた例によって双方を 持ち出している大して人には人の道あり敵 は人にあらずと当局者の意を受けたもので あろうが問題は当局が目的とするように 国民が果たして撃するかどうかであるそこ いらのサ君が工場の方が神宮より大切では ありませんかと言ったそう だ1月17日 水曜電車がめちゃめちゃに壊れている窓 ガラスはなく腰掛けの布がない窓は乗客が わざと壊すのであり布は盗んでいくので ある電車が遅いと言ってはやけくそに窓を 破壊するといった調子敵に対するがまずう に向かっているので ある1月23日 火曜隣組の小島さんの母親が死んだその 棺桶を変換することを条件として融通して もらったそうだ死体が焼けないということ はよほど前から言われていたが棺がなくて それを何回も使うというのはいよいよ自局 を反映 する1月25日木曜 昨日技術院総裁や秀博士議会で答弁して いった最近必死必中ということが言われる けれども必死ではなくて必中であるという 兵器を生み出すことが我々兼ねての念願な のであるがこれが十分に活躍する前に選挙 は必死必中の神風特攻隊を必要とするに 至ったことは技術当局として誠に残機に 絶えず申し訳ないことと考えるこの答弁は 議会で非常な感激を生んだ泣いているもの もあったというこれは法権的なる愛国感 死ぬことを好調する道徳に対するインテリ の反発の発露だ誰かが言ってくれればいい と考えていたところだそれを山博士が言っ たの だ1月29日 月曜山崎聖純君経済評論家が三浦老人東洋 経済神法社会長に言った話ある獣心が陛下 にお目にかかって公和のご意思はありませ んかとお伺い申し上げた陛下は無条件 だろうなと押せられたややしばらくして それぐらいならちも第1戦に出て生命を 投げ出すと押せられたよし恐れ多いことだ とある人曰なぜその重心はそのお考えは 失礼ながら正しくないこと1億の死ぬこと のお手本を示したまうよりも彼らをいかに して生かすかを大へ遊ばすことがご義務で あることを申し上げなかったか と2月2日 金曜今朝の新聞でいくつかの軍艦区ができ た胸発表米軍の上陸に備えうるためだと いういがい連中将に会う同中将の 話1億玉砕というがが玉砕とは我々軍人が 言うことで1億を玉砕させぬために軍人の

玉砕が必要なのだと僕はそうした説が軍の 内部から生まれるようにしていただきたい と言ったある右翼の言ったという話による と彼らは皇軍さえ存続させてくれたら米国 の条件は受諾していいと言っているとの ことどんな右翼 やら2月7日 水曜もう学業は全くないと言ってよい誰も 勉強しているものはない学生はみんな工場 だ2月8日 木曜1日10出血 雪風本年は世界あらゆる方面で50年ぶり の換気だと言われる東京で家の中の水が 全部凍るということは30年の東京生活で 知らない住はなく本年の寒さは誰にもえる 本年の冬を通じ先頃1票の木端の配給が あっただけで ある2月14日 水曜工場を休むものが非常に多い1つは そうして他で稼ぐのであるがもう1つは 工場に行っても仕事がないそうだ月ひ君の 話ではど君の追いが工場に行って石炭が ないので1ヶ月に3日しか働かなかったと のことである2月20日 火曜午後正浩君の事務所を行う正君は近き よりを発行している人だ弁護士で稀に見る 投資だ昨年拷問事件に関連して警察 ブロック相手に喧嘩した警察の方では あらゆる方法を持って圧迫したがこれと 完全戦っている人だ中央論の藤川君が一家 年の 牢獄はから出てきたが警官はむやみに ぶん殴る体が腫れ上がるぶん殴った後で 体操をやらせる聞いただけでも熱血湧く ものがある日本には憲法もなければ放置 国家でもないギャングの国である警察で どんなことをされても仕方がないそうだ 正木君がそういうのである正君は死ぬ つもりで戦っているというさもあろう正君 はまた東条全首相に対し堂々と悪口正当な 批評をしたおそらくは唯一の人で あろう3月10日 土曜警報で目覚めるけたたましく大砲が なるB29が低空飛行をやり単勝灯に金欲 を表し悠々と飛んでいる盛に校舎法を打つ が少しも当たらぬ立ちまち北方の空が シンクとなる風に燃焼の匂いありどこか 知らねど被害が多かろうと胸痛む国民学術 協会出席のため都心に出る新橋駅近くの 左右が焼けている銀座は3丁目から4丁目 に駆け焼く浅草本所深川はほとんど焼けて しまったそうだしかも立風のためあるもの は水に入って歴史しあるものは防空号に 入り煙に煽られてに市街が道にゴロゴロし ているとのこと参上を見るに絶えないもの

あり吉原も焼けてしまったと小首相は理財 者に対し必勝の信念を解いて敵の猛爆を 攻撃した内省の種名料が焼けたことばかり 恐縮していることに対し国民からかって 反感が起ころう今日の長官にまた陸軍大将 が2人できた万骨枯れて2校なるもの彼ら は弱無人 だ3月11日 日曜科学の力合理的心構えが必要なことを 空中が教えるに関わらず新聞やラジオは 依然として観念的日本主義者のご説教に 満ちる3月12日 月曜大立し内容の議会における報告では 東京空爆の被害はか23万横死者 32000人行方不明は不明だと言った 議員が行方不明とは何人かと聞くと不明だ から不明だと言うんだとこう議員はバカ 野郎と言ったそう だ3月14日 水曜新しい倉し津島11一は全然話が 分からないそうだ米軍が押し寄せてくれば これを撃退する自信が軍にあるそうだから と言って和平ロンなどはは点で考えようと もしないという海において撃退しえないの を上陸の際どうして破ることができるの だ3月16日 金曜蒲田駅前で憲兵隊が紳士風の男を拉致 していった東京駅前にも憲兵が立っている 海原令思考の噂ももっぱらであるいよいよ 軍政が事実上来たのだ新聞でも議会でも 協力政治を言うがそれは日本では軍政を 言うのである軍的秩序と軍人政治に対する 名神と見るべきで ある3月18日 日曜九州南部及び東部に敵関西機800期 来週ドイツのルントシュテット元帥は アイゼンハワーに対し和平条件を申し込ん だとの法ありすなわちドイツは全ての条件 を受諾するがただナ政権の持続を条件と するというのだそして体操戦争をするため に講演せよというのだそうだアゼンハワー は無条件幸福以外は受け付けぬと返事した との こと3月19日月曜国民学校初頭を除き 全国授業を停止することに昨日の閣議で 決定向こう一家年は学業は全部なくなった のだ今までのような学校なら亡くなっても いいかもしれ ぬ3月28 水曜25日に敵沖縄ケラマ列島に上陸と 発表三井高杉君と会う靴が破れていた財閥 の巨頭三井一家の人も移植獣が自由になら ないので ある3月30日 金曜戦争というものの力を見よ一晩のうち

に何十万個を焼きつくしさらに残ったもの を一の命令で取り壊すのである米国の戦後 処分をまたずしてすでに日本は日進戦争 以前の資産状態に帰りつつある戦争は文化 の母なりと軍部のパンフレットは宣伝した それを批判したから我らは非国民的な 取り扱いを受けた今その言葉を繰り返して みろ戦争は果たして文化の母であるか恐る べき 母3月31日 土曜オリエンタルエコノミストに空爆の 参上を描いて米人に警告する一分を書く 国民の無知は想像以上である浅草観音は 震災にも焼けなかったし貢献新たかだから 今度も焼けまいと考えて観音に駆けつけた ものが多かったそれが浅で死んだものが 多かった一員だというまた今日の朝日の 当初欄によると楽興を食えば爆弾に当たら ぬとか心がけの悪いもののみが災害を 受けるというような名神的見解が繊細値に 一般的になっているとのこと だ4月2日 月曜駅の近くでピアノを150円で売り ますと言っている女の子がいた安いと聞い てみるとその日の午後3時までに取りに来 なくてはダメだというのである運輸機関が なくなった現在を語るもので ある4月10日火曜 この国民は何という従順な国民だろうと 上原越次郎氏が言えばしぶ純平博士国際 法学者長井松三師元大使もこれにわこの意 は強制たちの木で家をめちゃくちゃに壊さ れてそれでも黙っているという意味だ実際 電車からその両側を見れば住宅を めちゃくちゃに破壊しているまるで空の後 と同じだを壊して縄をつけ引き倒すので ある河などすっかり壊されているこの資材 の不足の時に畳や陶器類が試算し見るに 絶えないものがある上原君の話ではいつか その主任義士の巡者での話に土地は陛下の ものであり国作により壊すのに何の遠慮も なく年年やると言った上原氏は聞に絶えず 中座したとのことで ある4月13日 金曜ルーズベルト 大統領脳一決にて制キスとの法 あり4月14日 土曜昨夜定期170期東京を空襲明治神宮 九中の一部やる例によってどこが焼けたか 一切不明だがかなり後半に渡って消失戦争 の参上誠に言語に 絶4月17日 火曜沖縄の戦況が絶望的であるのは誰も 知っていることだが新聞はまだ新規を言っ ている無論軍部の発表によるものだしかし

国民は信じまい誰も信じないことを書いて いるのがここ久しい間の日本の新聞だ ルーズベルトの葬儀は15日行われた涼の 話では食事の時学校でルーズベルトの主を 聞いて活殺したが 2人とか3人だけ集まった時の話になると みんな惜しいことをしたと言ったそうだ その翌日経済クラブに行ったが戦後経営を 彼にやらせたかったという意見が絶対多数 だったこれだけひどい目にあっても敵を 呪う気持ちが少ないのは意外という他は ない4月19日 目陸軍は依然として敵を本土に上陸せしめ そこで迎えとする作戦であるが米内が 頑張って沖縄の海辺で決戦することになっ たという陸軍は最後までバカバカしいこと を考えているもので ある4月20日気よオバマ君の話では13 日の空爆の理財者58万円15日の分は 60万人それに3月10日のものを 合わせると230万を突破するという沖縄 の選が良いというので確で楽続株もぐっ 高い沖縄の敵が無条件幸福したという説を 僕も聞きりも聞いた中にはアメリカが公和 を申し込んできたというものがある民衆が いかに無知であるかが分かるがこの主の出 は日本中に根強く伝えられている らしい4月30日 月曜晩のラジオでドイツのヒムラーが米に 対して無常幸福を申し出たと伝う米英は ソ連を含む連合国に同様の申し入れが なければ受けつけないというまた ムッソリーニもその一味と共に捉えられた ことを報 ず5月1日 火曜軽井沢に到着の日水道を開けてくれる ように町役場に依頼したが翌日来るそして 水道の口は台所と風呂場だけ開けるという 水洗便所は使わないが洗面所だけは欲しい と言うと戦争中は我慢してもらいますと 言いそれでぐずぐず言うなら全然水道を 遮断しますと頭から言う戦争は田舎者も不 親切にするので ある5月2日 水曜ヒトラーシリとの法ありムソリーに 殺害されたと 伝う5月3日 木曜ヒトラーが戦争式中りとラジオは伝う この共有はまず終わりを全頭したりと言う べきであるヒムラーは無条件幸福を申しで デニッツは徹底光線を生命すドイツ国内 四分後列した情勢を示すに 至る日記は5月5日で終わって いる [音楽]

清沢洌の「暗黒日記」は、太平洋戦争下における日本の政治・経済状況や身辺の生活をいきいきと記した希有の記録です

この日記は、将来日本現代史を書くための備忘録として、清沢が書きつづけたもので、その鋭い時局批判はリベラリズムの一つの頂点を示しています

この本を読むことで、当時の日本の社会情勢や人々の思想を知ることができます。
9万文字以上の日記の一部をご紹介いたします。

日本人の生きる強さ

参考
「青空文庫」
図書カード:No.60326

底本:「暗黒日記 普及版」東洋経済新報社
   1954(昭和29)年6月15日第1刷発行
   1955(昭和30)年7月30日普及版第2刷発行

音楽:BGMer

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