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#おじさん雑談 #自転車旅 #アテレコ

5時を3分ちょっと回ってますねえ和歌山 現像ですラジオマンジャックここからの 一時は私がお相手をさせていただきますえ 史上初めてのゴールデンウィーク10連休 に始まって言語が変わったりまたださえ 話題のお方5月が月末に来て全国各地で 学びというとんでもない異常気象に見舞わ れておりますがえそんな中でえこの番組の 始まる少し前でしたが千葉の方震度5弱と いう地震がありましてスタジオがちょっと 揺れてびっくりいたしましたまびっくりと いえばね北海道で5月の学びってのは本当 にたげましたけどもねでこの暑さがまだ 続きそうということでうんざりでござい ますけどもまあさの方はとにかく体調に 十分気をつけて乗り切るしかありません 頑張りましょうえ東京に初夏を告げる風物 地浅草の三者祭りが先週終わったばかりで ございまして筒や富士の季節からもうすぐ アサの季節へと移り変わる時期なんです けれどもこの異常な暑さに続いてやって くる梅からその後の本物の夏今年は一体 どういうことになるんでしょうね本当にえ 北から南まで縦長の日本でございまして 北海道から沖縄まで様々な5月の顔がある と思うんですが私はやはりあの子供の頃 から20年近くを過した札幌の5月ええ 今年のよが異常ではない札幌の5月が忘れ られませんまと言ってもね私は札幌を離れ てからもう反世紀以上経ちますんでもしか すると札幌の5月も様変わりしているかも しれません札幌でこの番組聞てらっしゃる 方今はそんなじゃないよというようなこと がありましたら是非メールをお寄せ くださいお願いします私の思い出にある 札幌の春から初夏の自然の移り変わりまつ から次へと続く花のリレですねえ雪が消え てすぐ副樹走続いて鈴蘭拳梅と桜が ほとんど同時に咲きますそして多分 ちょうど今頃だと思うんですがエレガント な香りを振りまくライラックの花が 懐かしく思い出されますえ今日はまず こんなところからお聞いいただきましょう ストリングセマナの演奏です花の町そして クレバノフストリングスで花祭りと2局 続けてどうぞ ライラックっていう木は東京じゃあまり 見かけないんですけども私が住んでいた頃 の札幌じゃもどこの家の庭にも植えられて ましたですねえライラックは英語ですで フランス語で言えばリラですね和名が紫橋 と言います独特のあの香りが忘れられませ んで東京に来てから内を買ってきて植えて 見たことがあったんですけどもねどうも うまくくれませんでしたえご存知のように

あのライラックには白い花と紫の花があり まして白い花のライラックの花言葉は年 若き無邪気な青春の喜びえ紫の方は初めて の恋の喜びですかねあそうだちょうど今頃 札幌ライラック祭りじゃなかったですかね え確か町の中心部の大通り公園が会場だっ たと思うけどええもこの異常気象の中で ライラックはちょっとかわいそうな感じが いたしますがねでライラックに続く札幌の 花といえば明屋ですよねあの札幌の中心部 から東西に伸びる北一条通りという道が ありましてえこれあのこの道はいつか北道 という北原白州山田孝作作曲のおなじみの 局のモルになった道この道の両側に ずらーっと明の南があるんですえそろそろ もう独特の甘い香りが街中に漂い始めて いるんじゃないでしょうかまだかなえこの 北一場通りをまっすぐ西へ行きますと 北海道神宮があります私が住んだとこ札幌 神社って言いましたけどねえ確か6月来月 がお祭りですよねえそれではリラをテーマ にしたシャンソンのスタンダードナンバー をヘルムートザカリアスのマジック バイオリンでリラの咲く頃そしてこれも シャンソンのスタンダードですイベット 次郎の歌でバラ色のさくらんぼの木と白い リゴの木2福続け ましょう5月そう5月だったんですよ東京 での私の歴史のスタートラインえ毎度昔話 で縮ですがあれは1957年今から62年 前のお話ですががそのさらに5年前に私は 札幌放送劇団の一員としてNHKと専属 契約を結びましたま放送といえばラジオ ラジオといえばNHKしかなかった時代え それから民間放送が誕生してメディアの あり方が大きく変わった時代でありました そんな時代にまそれまでは地方放送局の 趣味のグループだったのが改めて入団試験 を受けましてね半年間の要請機関の後正式 にNHKの専属になった当時二十歳 そこそこでした私にはこうなんとも 誇らしく希望に満した日々が続くはずだっ たんですが心を踊る日々だったのはほんの わずかの期間でえまそもそもがローカル 放送の拡充というのは専属団体設立の名目 だったはずなんですけれども地方局に与え られる放送枠は一向に増えないままで不満 が溜まっていきましたでそのうちにやはり この仕事を続けていくには札幌にいたん じゃだめだ東京に出なくちゃと思いが強く なっていったわけですでも果たして東京に 行ったらやっていけるのか自分の持ってる 力が東京で通用するのかは悩みましたねえ でも自分を試してみたいという思いが強く て結局半分やけでやるしかないと決めてえ

6年目の専属契約を更新しませんでした 1957年の春でありましたですから今 62年前の5月ちょうど今頃は不安と期待 が工作する日々もう公開がなかったという とそうになりますいろんな思いをなんとか 振り切ってえ東京へ出発したのは6月の 11日え62年前のあの頃ラジオから毎日 のように流れていたエルビスと パットブーンです冷たくしないでとアルビ ホーム1957年エルビスプレスリーの 出現でポップスの世界に革命が置き始めて いた時代ですそうさっきイベット次郎で 聞いたシャンソンのメロでよペレスプラド がマンボにアレンジしてセレソローサと いうタイトルで大1とになったのもあの頃 でしたねまあNHKでも民法でもまだまだ ラジオドラマが盛んでしたで進撃は もちろん歌舞伎映画色物など毎日のように 様々な世界の人たちとラジオドラマで共演 できたっていうのが私にとって大きな財産 になりましたもう本当にね毎日が興奮の 日々でありましたラジオドラマに変わって アテレコの仕事が増えたのは翌年58年の 後半頃からでしたけれどもその頃のお話は いずれまた機会がありまし たら

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