【動画がおかしい】パワースポット!大國魂神社!ぜひご覧下さい!
大國魂神社(おおくにたまじんじゃ、新字体:大国魂神社)は、東京都府中市に所在する神社。武蔵国の総社であり、東京五社の一社[注 1]。また、武蔵国の一之宮から六之宮までを合わせ祀るため、「六所宮」とも呼ばれる。

概要

史跡武蔵国府跡(国衙)

ふるさと府中歴史館
古代、国司は任国内の全ての神社を一宮から順に巡拝していた。この長い巡礼を簡単に行えるよう、各国の国府近くに国内の神を合祀した総社を設け、まとめて祭祀を行うようになった。当社は武蔵国の総社にあたる。

当社は府中市中心部に鎮座し、「府中」の市名はかつて武蔵国の国府があったことに由来する。当社の境内地がかつての武蔵国の国府跡にあたり、境内地と市道を挟んで東側の市有地は「武蔵国府跡(武蔵国衙跡地区)」として国の史跡に指定されている。東側市有地は「武蔵国衙跡地区」として整備されており、柱跡が表示されて展示室が設けられている(「武蔵国府跡」も参照)と共に博物館「ふるさと府中歴史館」が設置されている。また、当社は府中宿の中心部近くにあり、大鳥居から武蔵国分寺や武蔵国分尼寺までの道が整備されていた。

当社の創建は景行天皇41年(西暦111年)5月5日と伝えられており、大化の改新の際に現在の場所に国府を置いたという。源頼朝が妻の安産祈願をし、また源頼義と義家が奥州戦に向かう際に戦勝を祈願したなどの伝承がある。

境内は多くの社殿からなるほか、重要文化財の木造狛犬を初めとした文化財を多数伝えている。府中本町駅近くの市街地中心部に位置するにもかかわらず木々に囲まれており、参道の馬場大門のケヤキ並木は国の天然記念物に指定されている。

例大祭は、東京都指定無形民俗文化財に指定されている「くらやみ祭」であり、関東三大奇祭の一つに数えられている。

祭神
本殿の祭神は以下の通り。武蔵国の総社として、当社創建当時の武蔵国一之宮から六之宮まで(通称:武州六社明神)を祀っている。

中殿
大國魂大神 (おおくにたまのおおかみ) – 主祭神。大国主神と同神とされる。
御霊大神 (ごりょうおおかみ)
国内諸神
東殿
一之宮:小野大神 – 小野神社(東京都多摩市)
二之宮:小河大神 – 二宮神社(東京都あきる野市)[注 2]
三之宮:氷川大神 – 氷川神社(埼玉県さいたま市大宮区)
西殿
四之宮:秩父大神 – 秩父神社(埼玉県秩父市番場町)
五之宮:金佐奈大神 – 金鑚神社(埼玉県児玉郡神川町)[注 2]
六之宮:杉山大神 – 杉山神社(神奈川県横浜市緑区)[注 3]
創立の初期には、創建日の5月5日に武蔵国中の神官が集まり祈祷を行っていたと伝えられる。

歴史

江戸名所図会 府中六所宮
創建
社伝『府中六所社伝』などに記された伝承によれば、景行天皇41年5月5日に大國魂大神がこの地に降臨し、それを郷民が祀った社が起源という。その後、出雲臣の祖神天穂日命の後裔が武蔵国造に任ぜられ社の奉仕を行ってから、代々の国造が奉仕してその祭務を行ったと伝承されている[1]。このときの社号は「大國魂神社」。

概史
大化元年(645年)の 大化の改新時、武蔵国府が境内に置かれて社を国衙の斎場とし、国司が奉仕して国内の祭務を総轄する社となった。国司が国内社の奉幣巡拝・神事執行等の便により国内諸神を配祀し、武蔵総社の起源になった。この時に社号は「武蔵総社」となったという。

その後、武蔵国内の著名な神、六所(6社の神)を奉祀して、社号が「武蔵総社六所宮」と変わった。

康平5年(1062年)、前九年の役平定の際に源頼義・義家父子が、欅の苗千本を寄進した。これは現在、国の天然記念物に指定されている「馬場大門のケヤキ並木」の起源である。また、神前にすももを供物として供したことから、後年この日とされる7月20日に毎年「すもも祭り」が行われるようになった。

寿永元年(1182年)、源頼朝が葛西三郎清重を使節として、政子の安産の祈願が行われた。

文治2年(1186年)源頼朝は武蔵守義信を奉行として社殿を造営した。

貞永元年2月(1232年)、鎌倉幕府第三代執権である北条泰時の代で社殿の修造が行われた。

天正18年(1590年)8月に徳川家康が江戸へ入城してからは、 武蔵国の総社として、社領500石が寄進されて社殿及びその他の造営が行われた。

正保3年(1646年)10月、類焼により社殿が焼失。

寛文7年(1667年)、徳川家綱の命により、久世大和守広之が社殿を再建し。現在に至る。慶応年間(19世紀中半)には、檜皮葺が銅板葺に改められた。

文久 元年(1861年)、後の新選組 局長近藤勇 が天然理心流 宗家四代目襲名することを祝う披露試合が行われた。

明治元年(1868年)、勅祭社に準ぜられた。

明治4年(1872年)、社号を「大國魂神社」に改称。

明治7年(1875年)、近代社格制度において県社に列せられた。

明治18年(1886年)、官幣小社とされた。

平成23年(2011年)、齋館の新築、随神門の改築、手水舎の移設が行われた。

平成29年(2017年)、西参道と鳥居が建設された。

境内
祭神の「松は憂いもの杉ばかり」との謂れから、境内に松の木が植えられることはなく、地元の府中市では正月の門松に松を使わず「門竹」を使う事が多い。

本殿は一棟三殿、総朱漆塗で銅板葺。江戸時代の寛文7年(1667年)造営で、それ以前の三棟三殿から現在の形式となった。東京都の文化財に指定。

御旅所は「府中市役所前」交差点に所在する(北緯35度40分11.45秒 東経139度28分35.64秒)。例祭時に神輿が渡御する。隣接して府中宿の高札場(東京都指定文化財)が残る。

また境内にある水神社裏手には、人を象った紙を体に当てた後に川に流すことで穢を落とす「人形(ひとがた)流し」を行う場所がある[2]。

そのほか、境内には授与所、待合所、神楽殿、宝物殿、手水舎、廻廊、社務所、結婚式場、忠魂碑、日露戦役記念碑、軍艦多摩戦歿者慰霊碑、相撲場がある。このうち旧日本帝国海軍の軽巡洋艦「多摩」は大國魂神社を艦内神社としていた縁があり、撃沈されてから70年目に当たる2014年10月25日以降、毎年同じ日に慰霊祭を営んでいる[3]。

境内は全面禁煙で自転車乗車も禁止されているが、2020年東京オリンピックの自転車競技ではロードレースのパレードランコースに選ばれ[4]、多くの選手たちが参道を自転車に乗車したままで通過した。

4 Comments

  1. 一般のお客さんの顔もたくさん映ってますが、、、大丈夫なんですかね💦

    先生へ✨
    無理なく先生のペースでお願いしますね😉❤

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