【兵庫県のディープゾーン!】明石フェリー(たこフェリー)無残!旧・フェリー乘り場売店廃墟群…潮風と錆と汽笛~淡路島タコステに見捨てられた昭和の残像が!(兵庫県淡路市岩屋)#漁港#航路廃止#横山ノック

秋蛇星短編映画製作所 20241006 制作#公団フェリー#漁港#航路廃止#タイ#カーフェリー#明石海峡大橋#タコステ#横山ノック#泉房穂
【兵庫県のディープゾーン!】明石フェリー(たこフェリー)凄絶!旧・乘り場売店廃墟群…潮風と錆と汽笛~淡路島タコステに見捨てられた昭和の残像が!
【脚本】
岩屋港
その昔、明石海峡を結ぶ航路があった。
その最短ルートは明石―岩屋であった。
ここは、その淡路側の岩屋港である。
その一角には今なお建物廃墟が厳然と存在する!
港には一本に小さな河川が流れ込んでいた。
いつ頃からか「売物件」の看板が!
明石フェリー華やかなりしころ、ここは港の食堂・売店が入居する
メインテナントであった!
航路廃止の2012年6月29日以来寂れにさびれた!
思えばまだわずか12年!
お盆には3時間、4時間待ちは当たり前!
待ち時間には暇つぶしの客らで大いににぎわった!
一部は更地のまま!
オブジェの停止した自転車の経時感も素敵!
忘れられた海辺の廃墟!NICEですね~!
【兵庫県の廃墟】無残!たこフェリー岩屋港売店跡
曲:Mariposa – Quincas MoreiraMariposa
朽ちゆく物だけが持つ
底知れぬ負のエナジー!
時の移ろいを視覚に表現し、人に提示して憚らぬ
その厳然とした姿勢!
確かにその一角だけは表現主義的であった!
見上げれば・・抜けるような青空
その下に眠る時のたまて箱明石フェリー乗船場は「淡路島タコステ」という
観光施設に様変わりしたにもかかわらず、その一角のこの場所だけが平然と
無残な姿をさらしているのだ!
これはどういうことだ?
しかしながら、其の超然たる存在感は一流なのだ!
時にあまりに軽薄でアイロニカルであり、
潮の匂いに打ち消されがちでありながら。
場末的すえた匂いを放ち続けるモノたちよ!
明石海峡大橋クルーズ咸臨丸
かつてたこフェリーの居場所には、
観光クルーズ船「咸臨丸」が居座っている。
明石淡路フェリー株式会社(あかしあわじフェリー、英語: Akashi
Awaji Ferry Co., Ltd.)は、かつて存在した日本の海運会社である。
民間企業と明石市・淡路市・南あわじ市・洲本市が共同出資した第
三セクターで、本社は兵庫県明石市中崎二丁目7番1号、兵庫県の明
石港と岩屋港(淡路島)を結ぶフェリー航路を運航していた。
「たこフェリー」の愛称で知られた。現在、岩屋港のたこフェリー
乗り場は「淡路島タコステ」という商業施設となっている。
そこは兵庫県道31号
岩屋港配電塔
しおかぜ診療所とはいい名前じゃないか!
西海商店
そしてこのビルこそが、時を超越し、「公団フェリー」
時代の残滓を今に伝えるのである。
曲:In The Throes – Asher Fulero
潮風はすべてを倍速で先に進めて見せる。
得体のしれぬ道具で満たされたままの室内
2階までも営業空間だったのだろうか?
明石淡路フェリーは、その昔は「公団フェリー」の名で知
られ、明石市街地と淡路島を結ぶ最短ルートのひとつであった。
また、明石海峡大橋が開通するまでは淡路フェリーととも
に自動車交通の要であった。
なお、明石海峡大橋が供用されたのちも両区間の往来には
明石市からの最寄り出入口は玉津または長坂となり、遠回
りを強いられるほか、自動車専用道路である同橋を通行で
きない小型バイクなどにも利用されていた。
また、定期券も発売されており、淡路島北部から明石市な
どへの通勤通学など旅客のみでの利用も見られた。
明石海峡名産のタコ(蛸)に因んだ愛称の「たこフェ
リー」と親しまれて呼ばれ、各船の船体にはオリジナル
キャラクター「たこファミリー」が描かれて、キャラク
ターグッズの販売や明石と淡路を往復する約1時間の特別
クルーズなどで増収に努めていた。
24時間潮風を受け止める壁面
正に昭和の建築であった。
2010年9月3日、親会社であるツネイシホールディ
ングスは「高速道路割引の影響が大きい」として、
他の株主である明石市と淡路市に対し、航路廃止と
会社の清算を申し入れたことが明らかになった。
曲:Frightmare ーJimena Contreras
骨格だけをかろうじて残すバイク
最近、安藤忠雄もはまっている壁面緑化!
見上げると空の青さがまぶしいぜ!
2010年10月15日、明石市とフェリー側の協議の結果、11月15日の
運航をもって航路を休止することが明らかになった。
同日の明石港発17時40分の便をもって営業を終了し、従業員は同日
付で解雇となる。なお、同社の負債総額は11月末で4,000万円に達す
る見通しで、最後に残った「あさかぜ丸」の売却益を負債解消に充当するとした。
昭和に戻ることのできる窓
これにより、高速道路を通行できない車両が自走して本州と淡路島を行き来
することができなくなった。
その場所以外は、新たに観光施設化しているのになぜ?
と疑問を投げかける廃墟地帯
旧・明石フェリー待合駐車場
この右手一角が廃墟区域
旧・明石フェリー岩屋港
正に、たこフェリーにはここから乗船していたのだ!
2011年10月20日、淡路ジェノバラインと淡路市・明石市が協議、
小型フェリーを購入して排気量125cc以下のバイク・自転車・旅
客を対象とした運行を2011年12月1日をめどに運行再開を行う計
画があり、このフェリーには普通乗用車5台程度搭載できるが乗用
車は搭載せず、乗降場は旧「たこフェリー」乗り場ではなく淡路
ジェノバライン乗り場にて行うと報道された。
ただフェリー購入資金が明石淡路フェリーの運航休止後の事業清算
で生じた残余金を充てることに「ジェノバ社が小型フェリーを購
入するのに、たこフェリー(明石淡路フェリー)の金を使うのはお
かしい」と明石市長の泉房穂は10月21日の会見にて購入見合わせを
求める意向を表明し、また「車を運べないならフェリーではない」
「たこフェリー社が取締役会を開いておらず、法的に問題がある」
と述べた。
錆とコンクリートと潮風と・・・
曲: AnalogueCabin – Noir Et Blanc Vie
同年10月24日、淡路市の門康彦市長と
明石市長の会談により、小型フェリーに
よる運航再開計画は事実上撤回された。
同年11月16日、航路の運航休止から1
年が経過し、第三セクターである会社の
解散も考慮されていると報道された。
同年12月27日に再開の断念と第三セク
ターの解散が議論されたが明石海峡大橋
を含む新たな高速道路料金体系が決まる
2012年3月まで先送りされていた。
しかし、同年5月には、運行再開を断念
し会社を解散することが決定した。同月
29日付で会社は解散し、清算会社となった。
また、同日付で航路の廃止届けが出さ
れ、31日後の6月29日付で航路廃止と
なり、本航路は名実共に、58年の歴史
に幕を閉じた[24]。2013年3月27日付
で清算終了し、明石淡路フェリー株式会
社は完全消滅した。
その後、タコフェリーは
廃船となり、この世から消えたかというと
航路廃止の2012年の2年前の2010年4月
「あさなぎ丸」 (2代目)はタイのフェリー会社に身売りされ、
2010年10月には2代目「あさしお丸」
も同じくタイで第二の人生を始めることとなった。
スラーターニー Surat Thani
という南部の田舎町だ。
サムイ島への玄関口としても有名。
「公団フェリー」の名で親しまれたころの塗装。
曲:タイ国歌
たこフェリー時代(あさしお丸)
明石港のたこフェリー
タコと言えばこんなおっさんもおった昭和
脚本・監督 

秋蛇星

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