日中走らない日中線。廃線となった国鉄路線の乗車記録

福島県喜多方から伸びていた日中線。わずか11.6㎞の盲腸線ですが、栃木県今市市と山形県米沢市を結ぶ野岩羽線の一部として1938年。昭和13年に開通しました。
しかし、戦争の影響もあって、山形県側は、米沢まで延長される事はありませんでした。計画は中止になり、その一部であった日中線は、1984年3月末で廃止されました。
一方で、栃木県側ですが、同じように盲腸線になっていた会津線は第三セクター化され、野岩鉄道も開通し、国鉄ではなく東武鉄道と接続する事で、計画は達成されました。 日中線廃止の2年後の事でした。
日中線沿線には、日中温泉、熱塩温泉という温泉はありましたが、観光客がおおぜい利用するような路線ではなく、末期のダイヤは朝1往復、夕方2往復で、日中走らない日中線として知られていました。
そんな日中線に1983年8月12日に乗車しました。
廃線後、1997年に転換バスで、2024年にはレンタサイクルで廃線跡を訪問しました。
今回は、その時の記録も合わせてご紹介いたします。
#日中線 #廃線 #de10

「日本の車窓・雨男の紀行文」
http://www2s.biglobe.ne.jp/~kurume

2 Comments

  1. いつも動画ありがとうございます。
    子供の頃、山陰線旧型客車に乗る機会があると60系のボックス席が極端に狭い事に気がつき、編成の中から35系43系のボックス席へ移動していた事を思い出しました。あと写真から最後尾車両が緩急車ではない事に驚きました。

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