[バイク]適当にしゃべりながら走ります。

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陰影起伏図:国土地理院のサイトで見れます。
以下、雑談です。
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動画に出てきた盛土の補足説明をしようかなと思います。僕自身完璧な専門家ってわけではないので、分かりにくかったり間違ってることもあるかもしれませんので、そこは事前に把握お願いいたします。また、のと里山海道と能越自動車道を混ぜて話している可能性が出てきたため、僕が実際に車で走ったのは以下のルートです(忙しくて忘れてしまいました。すみません)。
・高岡起点のルート
 高岡市内→七尾市内→穴水道路(能越自動車道)→珠洲市、輪島市
・金沢起点のルート
 金沢市内→のと里山海道→徳田大津JCTで能越自動車道→輪島市内

〇雑談本編が長いので先に結論書いときます。
図書改訂前の基準と推測される盛土→崩れてた
図書改訂後の基準と推測される盛土→崩れてなかった

〇雑談本編
まず、前提として道路や橋梁を設計するにあたり参考にする図書というものが存在します。有名なもので言えば、日本道路協会の道路土工シリーズ(擁壁、盛土などそれぞれの構造物について詳しく記載した図書がある)やNEXCOの設計要領があります。これらの図書というのは昔から存在するのですが、土木関連の研究が進んで新たな知識が発見されたり、大きな災害が起きたりすると改定されることが多いです(されないこともある)。
したがって、構造物というのはそれが設計された時期によって使用されている基準が異なります(=災害に対する構造物の耐力が異なる)。皆さんの身近な例として、家屋の耐震基準があります。これは兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)が発災する前と後で変化しました(実際はその後も改定はあったりするのですが)。この基準による家屋の倒壊の差も能登では見られました(古い家は全壊してたが、新しめの家は全然崩壊してなかった)。
さて、これを今回の動画に出てきた盛土の話に戻して考えてみようと思います。のと里山海道の歴史は意外と古く、最初の起工式は1971年だそうです(Wikipedia)。その後も工事は進められ、2006年には穴水から能登空港までがつながったようです。そして現在は、空港から輪島市内を結ぶ道路が建設中でした。一方、先述した日本道路協会の道路土工ー盛土工指針ーの最新版は平成22年(2010年)に発刊されたもののようです(道路協会のHPより)。つまり、簡単ではありますが、穴水IC~のと里山空港ICまでは旧基準、のと里山空港IC~のと三井IC(輪島)までは新基準の盛土設計ということが推測できます。また、道路土工ー盛土工指針ーの改定点の1つに耐震設計・排水の改訂がありました。この差は顕著に表れており、穴水IC~のと里山空港IC間の道路は、地震後しばらく上り線(のと里山空港IC方面)しか使用できませんでいた。なぜならば、盛土が崩れて道路そのものがなくなっていたからです。一方、のと里山空港IC~のと三井(輪島)までの道路は設計が新しく(推測)、盛土も崩れるていなかったため、対面での通行が可能でありました。つまり、適用基準の差によって盛土の強度が異なっていた=地震に対する強さが異なっていたと思いました。
また、動画の中で地震を考慮していないと言いましたが、実際は設計当時の最新の基準を用いて設計・施工がなされていたため、盛土の崩落は仕方がないことだと僕は思っています。推測ではありますが、適用基準の差によってここまで被害が変わるのは正直僕も驚いています。現在の土木の考えかた的に、災害に完璧に耐えるのではなくいかに早く復旧できるかに重きを置いていると聞いたことがあります(その方が施工のコストが安いと思われる)。今回の地震でも相当多くの道路・橋梁が被害を受けておりましたが、それらも応急的に復旧してきています。完全復旧まではまだまだ遠い道のりでしょうが、早く復旧が完了すればいいなと思いながら仕事に精進していこうと思います。
以上、長々とお付き合いいただきありがとうございました。次回は北陸で食べた食事とかを話したいと思います。つたない文章ですので、質問等あれば気軽に願います。誹謗コメントは不要です。

1 Comment

  1. バイク乗りながらの会話面白いです。輪島と高岡のツーリングどうでしたか。岐阜県にも一度来て見てください。恐竜博物館どうでしたか。暑いので熱中症気をつけてください。

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