8月4日21時~【4者対談のライブ配信】合同企画「神武東征」について振り返る|年代?進路?何者?どこを出発?みんなで語り合おう!!

第5回目となった合同企画 の振り返り4者対談です
おかげ様で合同企画も回を重ねて
1回 2つのナ国/ 2回 倭国大乱 / 3回 景初3年4年問題 / 七支刀の謎
そして今回です

強者の大国 伊藤 岡上 武田の中にあって 共立された古荘が司会をします
司会共立 卑弥呼共立とはまさに必要が生んだ装置だったのではないか?(余談)

神武東征について語り合いましょう!!
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24 Comments

  1. 素晴らしい動画ありがとうございます。また視野が広がった思いです。古代の大王や神々の系譜は伝承を集め編纂されたのでしょうから物語の前後が逆転したり意図的に追加されたり落ちたりしたのでしょうね。そういう曖昧なところがあるから想像が膨らんで面白いのだと思いました。ちなみに自分は神武天皇のモデルになった人の東遷はあったと思います。邪馬台国がどこにあったのかは揺れに揺れて自分の説は構成出来ていません。

  2. 神武東征の目的 東の良き所とはなんなのでしょうかね 稲作 交通の便 防衛上守安い 故郷を捨てかなりの犠牲を出しても捕りたい地とは どれだけの情報量があったのか 漠然と行くとは思えません 地理やたどり着く迄の食料や敵対する勢力等 知っていたはずですね 忍びや乱派でもいたのか 八咫烏が案外そうかも
    しかし皆さん詳しい
    自分ながら知識が足りません また勉強します
    では お疲れ様でした
    酷暑です ご自愛ください

  3. ライブお疲れ様でした🙇‍♀️寝る前に感想をと思っていち早くコメントする次第ですが、
    まあ今回は岡上さんのイワレヒコ繰り上げ登板説が私も非常に説得力があったなあと思いました😅
    武田さん伊藤さんの神武=崇神説も時代的に見て史実の可能性は高いと私も以前から思ってましたが、
    まあ私は妄想領域は極力控えると前の動画で宣言したばかりですので😂
    まあそこは深入りはせず、
    岡上さんのイワレヒコ繰り上げ登板で神武天皇は紀年延長のために作られた架空の話だろうとリアリズム重視でそのように今のところ思っておく次第です😅
    前に古荘先生の動画を論文に載せた高見先生もご登場してまして少々びっくりしました。吉備説の岡先生に、21歳の天才ニュー速さん等々続々と古代史の強者が共立王古荘先生の元に集い、
    半年くらい前に私が半ば冗談で言った対談ライブがまるで卑弥呼のいた倭国のようだというのが冗談ではなくなってる気が致した次第です😅
    ちなみに私は傍国の中にすら入らないほど皆様古代史にお詳しいと圧倒された夜でした😂

  4. 初めまして動画拝見しまして途中参加させて頂きました。
    自分は宮下文書を参考にしながら考察してます。
    記紀だと違和感が多く全く違う家系図を見ながらなので違う視点で色々見えたりしてます。
    静岡県沼津市にも高尾山古墳があり箸墓古墳と略同時期の古墳とされていて西と東で同時期に古墳時代が始まったと考えられてます。
    記紀は天武天皇が編纂させたので飛鳥時代からの書物で白村江からの流れを考察すると天武天皇は日本人?みたいな考えです。
    イワレヒコ初代は契丹古伝等を参考に考察したのですが卑弥呼と共にやって来た扶余国の副王とされており伊都国にて卑弥呼と倭国を統治していたとされてます。倭国は北九州の一部から朝鮮半島南部の多数の国から成る連合国家とされてます。
    この流れから邪馬台国に統治されていた過去があり倭国は記紀に出てきません。
    記紀はあくまでも大和王朝の書物なので大和王朝が下に見られる様な箇所は書かれません。
    四国も富士山も出てきません。記紀は漢文をカナに直してシュメール語で読んだ方がいて国譲りの章では剣を逆さまにして切先の上に胡座をかいてwは大船団で囲んで剣を突き付け降伏を迫った。と読めるそうです。また宮下文書だと国津神も天孫族なので大国主命や少彦名命や猿田彦命も出雲族ではなく後に大和王朝と出雲王朝が天孫族の神を利用したのでは?と考察中です。
    饒速日と長髄彦を討伐する為に天孫族が熊野に九州勢を呼び出した。討伐終了で三輪(天孫族、大和国、長髄彦勢力)3勢力が和解し三輪山に天孫族の左大臣の大物主命が統治したと考察してます。

  5. おはようございます!

    今回のも4者4様で楽しみました。

    中でも私のツボにハマったのが岡上さんの動画でした。
    面白かったぁぁ!

    さて、今回の合同LIVEで皆さんがどんなお話しするのか楽しんでアーカイブ視聴させていただきますm(*_ _)m

  6. 当時から九州だけじゃ無く近畿まで知ってる物知り博士、塩土老翁の正体を誰か妄想で良いので語って欲しいなぁ🥺
    海幸彦の釣り針の探し方も教えてるし(笑)

  7. 今北産業は古の2chってBBS(掲示板)で
    本来は今来たからとりあえず3行くらいコメント書いてくねって事なので今北産業だけでは間違えた使い方。

  8. 出雲?東北氏族?
    意富氏がトミ氏トビ氏だと思う。(多分縄文系)
    オオクニヌシ、オオモノヌシも意富氏だと思う。(オオ、オウが付く人達)大田田根子
    太安万侶とか

    形勢逆転のキッカケを作った金の鳶(トミ?意富氏族)
    これこそ出雲族の吉備から駆けつけたコトシロヌシ軍(笑)
    私の脳内はこんな感じ笑笑

  9. 私は欠史八代は実在したと思っています。
    代々近畿氏族との婚姻(婿入り)こそがヤマトの歴史
    ミマキイリヒコまでは入婿で勢力を伸ばすやり方なのかな?
    それこそニギハヤヒだって意富長髄彦の所に婿入りしてるし(笑)

    言ったらオオクニヌシも通い婚?(正に縄文の結婚形態)

  10. 八咫烏って日本書紀でも三本足ってなってましたっけ?
    そこが岡上さんの動画でめちゃくちゃ引っかかったのです。(岡上さんは中華史学メインなので何となく理解して動画観た)

    カラスが道案内ってマタギの話で有るのですけど関係無いですかね?山の民の伝承

    ヤマトタケルは白鳥が道案内ともマンガで(笑)
    鉄の道とは磁力磁気で感じ取る能力が白鳥には有るのでは無いか?って話しでした。(良くこのチャンネルでも話題に上る星野之宣氏のマンガ)

  11. 皆さんの時代考証的には神武(崇神)は臺与政権に九州から追い出された男王かも知れないって事かしら?

    だとしたら私の中のロマン(妄想がまた膨らみますwww)

    それと箸墓古墳っていつから箸墓古墳?
    土師氏の作った古墳?

    箸っていつから日本で使われいつから箸って呼ばれた?

    縄文時代のピンセット状のヤツは箸と言う言葉で言葉表記?

    箸墓って名付けたのはかなり後世のお話しなのではないだろうか?

    奈良、平安、もっと最近に色々直されてるのでは無いだろうか?

    くし凪説も面白い!

    もし、オオクニヌシの話しならクソなぎ撒き散らちた💩糞を(笑)クソなぎの剣(笑)

  12. 確かに音で古代日本語を考えるならローマ字?音で理解するのは有り!
    殴、凪、薙、音は同じ
    意富⬅️当て字でオオとかオウとかのホントの意味を隠してる?(都市伝説チャンネルじゃ無いのでそろそろ書き込みやめますね(笑)

    LIVEコメントのように連コメしてしまい申し訳ございませんでした。

  13. 船に刺してあるくしなぎの剣が草なぎの剣のことだという説は面白いです。同じく船に刺してある玉杖がメスリ山古墳から出ていましたね

  14. 古代妄想四天王のライブをライブで拝見できなくて残念〜😅
    で、東征を決断したその理由にまでお話が到達できずに残念〜

    またのライブ開催を期待しつつ
    お疲れ様でした。

  15. ライブ配信、有難うございました。

    恐らくは落雷の影響で電子レンジが突然故障!という不慮の事情で、残念ながらライブ視聴はラスト10分ほどだけに)…、それでも見逃し視聴ながら特に興味深いテーマだったこともあり、とても勉強になりました。出発の地は日向美々津かと思います。昭和一桁の母から度々聞かされた紀元節の歌の影響もあるのでしょうか(笑)。

    予想より内容は難しく、パネリスト諸氏はもとより、コメラー(コメントされる視聴者)の方々がとてもお詳しく、自身の勉強不足を痛感しました。伊藤さんの緻密な考証には圧倒されますが、浅学の私にも晦渋ではなく、興味深く面白い内容と柔和な独特の語り口で引き込まれます。

    全体を通して色々な想像を生む「音韻」の解釈が古代史において重要なファクターだと感じましたが、音韻についてのオーソリティーは知らず、専門書籍も「難しそう」「(邪馬台国のように)面白くなさそう」で全く読んでいません。

    次回のライブ配信も楽しみにしております。視聴者にテーマを募ってもおられないのに烏滸がましい限りですが、個人的には鏡(三角縁・紀年鏡・中国鏡・国産説等諸々)についても何時かライブでご討論いただける機会があれば嬉しいです。武田さんは鏡にも大変お詳しいですね。

  16. 神武天皇のモデルは天武天皇と崇神天皇 天武の武と崇神の神 合わせて神武
    日本書紀編纂者の忖度なんて妄想過ぎますかね(笑)

  17. 昔、等彌神社に行きました。
    御神紋が金鵄で拝殿には金鵄の樽酒が置かれてて、
    ビックリしました!
    写真が貼れなくて残念です。

    たしか由緒書きには、登美ニギハヤヒ命の名も見た気がします。

  18. 久々に見てみたら古代史Tuberのコラボ動画とか!感動しました!私も脳梗塞のリハビリがどうにか落ち着いたので、これから動画作り頑張っていきます!機会があれば猿田彦ともコラボしてくだされ!

  19. 今 本棚から古田武彦先生の 失われた九州王朝と
    鹿島曻先生の日本王朝興亡史の本を探しだしました
    今から10年以上前に読んだ記憶があります
    この機会にもう一度読み直します あの頃より多少 知識があるはずだと思うので
    少しでも皆さんに追いつこうと 老化した頭にムチを打ちます(笑)

  20. ★岡上さんの「草なぎの剣=奇し凪の剣」という解釈が、特に響きました。

    「なぎ・なぐ」には「鎮める」の意味も有り、「巫(かんなぎ・かみなぎ)」は「神を鎮める者」、「神奈備(かんなび)」は「神が隠れ籠れる」なので、「厄払い」にも「葬送儀礼」や「マツリ」にも深く関連しそうですね。

    三種の神器は、「ツクヨミ=月=勾玉」「アマテラス=太陽=八咫鏡」「スサノオ=嵐と海=剣」という印象ではあるのですが、もしかして「過去に強い王から奪った神器=勝利のトロフィー」なのか?という気もしています。確か「木の枝に銅鏡を吊り下げて、降伏した」話もありますし。

    ★伊藤さんの「神社の由来やご祭神が決まったのは、はわりと新しい気がします」にも、同感です。

    「記紀の目的が、国史による日本国とヤマト王権の格付け」であり「中国に負けないように脚色した」とすれば、記紀成立の後に「神社」や「地名」を「物語に合わせて改変」しないと即バレします。

    私は、「すべての神社は、ヤマト王権によって建て替えられ、改変と格付けをされた」、「テーマパーク」だと思っています。おおもとは、小さな石祠だったり、大和王権の兵站倉庫とかだったりとか?

  21. どうもです。学生時代思い出しました。
    苦死無きの剣。
    地位を脅かす存在は、土地に定着させず
    移動させるんですね。

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