寝台特急でアメリカ大陸を横断してみた!  《東京→ロンドン飛行機なしの旅その2》

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です左手海辺を見ればまさに船で到着した 大型のコンテナを貨物列車に積み替えて いる貢献が見られました日本ではこういっ た景色はほとんど見られないと思います なぜならカナダは国土が非常に大きいので トラックと船だけでは物流を支え切ること ができないからです日本はトラックと船で 大体の物流がまかないてしまうので貨物 列車が衰退していきましたカナダではそう ではないということですねですからこの 辺りには貨物扱いの施設がとろせまと並ん でいて日本では全く見られない大きな規模 です横浜赤レンガ倉庫のような古い建物も ありまし たそして隙間があれば貨物列車を差し込む ための線路が引かれています港は貨物列車 を扱うための設備でいっぱいです奥にも コンテナが奥を見渡すことができないほど の高さで積まれています昔は日本の港も 鉄道がつき物でしたが現在ではトラック 輸送に置き換えられましたそして港にある 鉄道の線路は今次々と配線になっているの が現状ですですがカナダでは輸送量がまだ だいぶ大きいということで港と鉄道の連絡 がこのように盛に見ることができるみたい です元気な港と鉄道の連絡する光景を見る ことができこれだけでもやってきて良かっ たと思いましたバンクーバーは大昔から これをやってきたのですあちらをご覧 ください大型のタンカーがずらり港の奥の 方まで入ってきている恐ろしい光景を見 られましたさてここでご案内しなければ いけないものがありますカナディアン パシフィックレールウェイマップル 一度に横断する極めて大きな鉄道会社です ですが戦前はこれにとまらず連絡戦を活用 して東はイギリスサウスハンプトンから西 は日本を経由して香港まで地球を連絡する 鉄道会社でした日本に乗り入れを行ってい た当時の貴重なポスターですジャパン チャイナフィリピンと書かれているこの ポスターに書かれているのはエンプレス オブジャパン号戦前の日本に乗り入れてい た最高性能の客船で大きさも最大だった そうですライバルの日本優先を圧倒する速 さで高行し香港とカナダのバンクーバー さらに鉄道網と連絡してイギリス本国まで を結ぶまさに東洋との連絡として最上位に 君臨していた船だったそうですそんな カナダ太平洋鉄道も現在では旅客列車の 営業をすることはもうなくなりだいぶ昔 より規模が小さくなったとはいえ貨物列車 でカナダのそして北米大陸の頂点に君臨し ていると言っていいと思います今回は旅の 彩りとしてカナディアンパシフィックCP が牽引する貨物列車を多数見ることが できるでしょう左手に大きな橋1960年 代にかけられた高い橋の下をくぐっている 船がおりますああいった船がくぐるので橋 も高く上げる必要があるそうですそれ飲み ならずかかっている手前側の橋が上がって いる光景まで見られましたつまり手前の橋 は鉄道用なのですが船が通る時には開けて 通り道を作ってあげる仕組みになってい ます貴重な大規模な紹介鏡ですバンクバ行 の1番奥の辺りまでやってきましたがまだ こんな川のようなところでも大きな船が 入ってくるということで一体どれほど巨大 な港なるかと思います駅を出発してから ずっとノンストップで10分ぐらい走り 続けていますがひたすら港の景色が続いて いますちなみに奥の橋は建設中にとんでも なく大規模な暴落を起こしてしまったこと があったそうですそして今回乗車中の方に 昔の話を聞かせていただくことができまし ただいぶ自然が溢れた景色に変わってき ましたギースがおりますあいうぐわぐわと 鳴くような鳥がいっぱいいるんですが バンクーバーは自然と工業商業の力が 組み合わさっているのが魅力だと言います また異様みたいな黄色い鉱石がたくさん 並んでいるのが見られました日本でも昔異 採掘していた時期はあったそうですが今は ないのかな資源がたくさんあって輸送力も あって良い港があっ て隣のバラが赤く見えますねカナダは とても羨ましい国家のような気がしてき ます黄色い本人が貨物ヤードを彩ります さてこの辺りで公安施設は終わりずっと 続いてきましたがそろそろ最初の途中駅に 着きますポートムーディ駅ですそして私は この最初の駅で降りてしまいましたなぜか と言いますとこの列車にこのまま乗り続け てもニューヨークに行くのは簡単ではない からですはっきり言ってこの列車に乗る 必要性は全くありませんでしたがただ伝統 のウォーターフロント駅を出発し大陸横断 の第一歩を踏み出すという映像を撮影して 皆さんと気持ちを共有したかったのでした どういうことかと申しますと現在ババ市内 には2つの主要駅がありますフクからの長 距離列車のターミナル駅でありました ウォーターフロントもう1つま新宿駅 みたいな立ち位置ですかね補助的な ターミナル駅としてパシフィック セントラル駅というのもあります現在長 距離列車はパシフィックセントラルの方 から出ていますウォーターフロントから 出発した列車に乗っていくと終点の ミッションシティでニューヨーク方面の長 距離列車に乗り継ぐことはできますただし 実はこの区間の今乗った通勤列車は朝に ミッションシティから列車がみんな5本 やってきて夕方までひたすら運転はなく 夕方は逆にこちらを出発してミッション シティの方に帰っていく運行しかないと いう極めて特殊な運行方式になっています ですからこの特殊なダイヤの関係で ミッションシティの駅で乗り継ぐ場合には 23時間待ちになってしまうのですそれで はたまらんということでもう一度街中へ 戻ってまいりましたバンクーバーの街は 自然と共にあるという話ですが確かにその 通りのようですギースがたくさんま鳩 みたいな感覚でいるでかい鳥がいっぱいい て餌をもらっています ハともいいますけど ねこのすぐ近くのところに改めて再 スタートを切りたいと思います今の長列車 のターミナル駅があり ますパシフィックセントラル駅にやってき ました先ほどのウォーターフロント駅より 30年ほど新しいのですがとはいえ 1917年春行の大変古い分化剤ですここ をニューヨークまでの第一歩に定めたいと 思いますこの駅はカナダ太平洋鉄道の ライバル会社農産鉄道のターミナル駅とし てつまりライバルの駅として作られました ですからこちらも見Over豪華な内装に なっていて特に高い天井が特徴的 ですこれから乗ります列車は大陸横断の トロント行きザカナディアン号3日に1回 しか出ない列車です寝台車の乗客には ラウンジを使う機会が提供されます飲み物 なども無料で出されますそしてこれがその 車両になりますがうわあ夢に見るバッ性の ドームカーではないですかどれほど 素晴らしい車両かということはこの後お 伝えしていきたいと思い ますそして古い車がお客さんの荷物を運ん でいます北米ではチェックバゲージと言い まして飛行機の自宅手荷物のようなフク からの乗客の荷物を荷物車両に預け入れる サービスが現在でも行われています私も これを選択して大きな荷物を預けるという ことも可能でしたが必要そうなものがある かもしれないので客室に持っていくことに しましたこの車両の素晴らしさ代車の部分 を見るとかなり古い車両だということをお 気づきの方も多いと思います1950年代 の古い車両を最新設備を導入しながら使い 続けているのですですから列車自体も分化 剤です乗客の案内が開始されました今回は 2人用個室寝台を予約していますこの荷物 がギリギリ持ち込めるかなというぐらいの 狭い部屋だと聞いています塗り込む時には 階段が設置されて低いホームから登って いくことになる昔ながらの乗車方法です 車内には車掌さんが一両につき2人は乗っ ていて大変親切でし [音楽] た寝台車は1人用寝台個室2人用寝台個室 と特別寝台個室さらに開放2段式寝台が あります今回は個室を選択しました がちょうど1人用個室が空いていたので 隙間から写真を撮りましたこの座席を倒す ことでベッドになりますちなみに小さな 踏み台のようなものがありますがあれを 開けることでトイレになるそうです カーテンだけではなくきちんとした扉で ロックをかけて安心して用を足すことも できるようになっていますがともかくこれ がトイレだとは面白いですトイレと共に 寝起きする生活も面白いかもしれません 2人洋室寝台はこのような扉から入ります あまり広くありませんし古い車両ですから ま古いた雰囲気もありますがとはいえ カナダを象徴する列車です清潔に保たれて いるということを感じられました座席状態 になっていますが転換してベッドにする ことができますまた洗面台やトイレ荷物 置場など一通りのものが揃っています特に 洗面台のとにはこれから先沿線の案内 ガイドブックまで置かれていました現在 この列車は観光専用となっていて一般の人 がビジネスで利用するといったことはほぼ ありえないでしょう横にこういったものを 差し込むものも設置されていました明るく 磨かれた洗面台その脇には別の部屋として 設けられたトイレもあります脇には北米 方式のコンセントがありまたトイレは トイレットペーパーがだらんとしていまし たがそれ以外は完璧まだらんとしていても いいと思いますけどねトイレもきちんと 使いやすい内装です荷物については国内線 にギリギリ持ち込めないぐらいの大きな キャリーバッグがこんなギリギリでしたね 物によっては置のに苦労するかもしれない ので私の動画を参考にしていただく方には 荷物については十分ご注意なさるようご 案内しておきますまたお隣との間の壁が 薄めになっておりましてこの蛇腹のような 扉を開けることで4人部屋にすることも できるみたいですがとにかく隣の部屋との 間は壁が薄いようですあと冷房があります がこれを弱めるということができません でしたもうきつくなっていてね無理やり やったら壊れてしまうかもしれしれないの で弱めることは諦めました鍵は中側から かけることができますが外側からかけると いうことは基本的にないようですできる ようなんですが特にそういった鍵が渡され ていたり鍵を開け閉めしているお客さんを 見ることもありませんでしたそれでは そろそろ出発の時間ですまだ出発時刻では ありませんが隣のホームから機関車たちが 動き出しているのが見えました10連 タイプのディーゼル機関車ですその後ろに はカナディアン号の客車も連結されていて これは荷物車ですがその後には客車代車で はなく座席車も何量か連結されています そしてお客さんがすでに乗っていることが 分かりますカナディアン号は週に3回しか 運転されませんお客さんが乗ってる列車が 横から出発していくとはどういうことなの かこれ実は編成があまりにも長すぎるので 編成全体を2つに切り分けていて発車の 直前になるとそれを全部連結して1本の 列車に仕立て上げるということなのです そんなことがあるのかと驚きましたが なるほどそうらしいですねですから今出発 の準備をお客さんを乗せた状態で行ってい ますそしてすみませんあの機関車の写真を 撮ることはできないでしょうか駅の方に 相談するとなんと特別にカートを運転して じゃあ今からお連れしますよなんと機関車 のすぐ横に特別にお連れいただけることに なりましたどうもありがとうございます アメリカドリになってしまいましたが チップをお支払いしまして喜んでいただき ましたこういうところでは積極的にお 支払いした方がいいと思いますということ で2両連結タイプのこれから私たちをいっ てくれるディーゼル機関車の姿ですあまり 時間がなかったのでささっと取って終わら せることにしましたが進行方向向きにしか 運転台がなく蒸気機関車のような一方通行 タイプというのが特徴的でした ねさてこれがその客室の間貫通扉英語だけ ではなくフランス語も書かれています カナダには紅葉語が2つありますが基本的 には英語話者が多数はそう ですお隣の車両は日本風に言えばロビー カー現地ではドームカーと呼ばれている タイプの車両でこれは本当にスプラッシ それぞれの車両に公園の名前が与えられて いますがこれに乗るたびに今回の旅行をし たと言っても良いです日本にはもう全く こういうタイプの車両はありません天井を 高くかげし窓の向こうに流れる景色を自分 の乗っている列車ごと眺めることができ しかもこの豪華な雰囲気の座席1950年 代を思わせる当時のラグジュアリーな旅を 今の私たちに伝えてくれていますかつて 飛行機が一般化する前こういった車両に 乗って人々は楽しい旅を満喫していたの です 出発のパシフィックセントラル駅舎が見え ましたこの車両は人気になってどんどんお 客さんが乗ってくるだろうと想像しました そして駅発車の時はお客さんはみんな自分 の座席にいるだろうと思ったので私は いち早くこの車両にやってきて1番のに できました日本とそういうのは変わらない ですねこういう共用スペースはね出発の時 は空いているものですさてこの車両は 大きな取出し式のテーブルがついていて またフットレストもあります私が足を乗せ ているのがそれです出発すると乗客に シャンパンの振る舞いがありました何回も 飲めたみたいですねそしてカップもかなり 美味しかったですねこういうも何個も持っ てきてくれました出発するとすぐにカナダ 太平洋鉄道の貨物列車と並走しながら 追い抜きましたお隣の車両も動いています カナディアン号もかつてはカナダ太平洋 鉄道の看板列車として走っていたのですが 飛行機に旅客輸送は完全に負けまして現在 では貨物列車がカナダの鉄道のほとんどを 閉めていますまともかくこのお隣にある 貨物列車は石炭列車ではないですか日本で は2020年まで運行されていましたが ついに石炭列車はなくなりましたカナダで はまだ走っていますいやそれどころか 極めて重要な列車として活躍を続けている ことでしょうそしてこの石炭列車の長さが とんでもないですまあ現地では普通なん でしょうがどこまで続くのかなお隣の インドの方とおしりをしながらとんでも なく長いですねとお互いに感激していまし たそして途中に機関車が1両挟まれていて え中間に機関車を挟んでまだ続くのかそう いうが世界に存在するということは知って いましたがまさかこれがそうだったとは あまりにも長いと真ん中に機関車を入れ ないと横転してしまうかもしれないという ことなんですね実はお隣にいたインドの方 は最初にうっかり私にシャンパンをこぼし てぶっかけてしまってそのことを謝罪され たりいやいいんですよ僕は貨物列車の方が 好きですから鉄道マニアですあなたもそう でしょうみたいな話とかをしていたんです けれどもその話をしている間ずっと横と 貨物列車と並走し続け編成の長さを数えた んですが確か70両編成ぐらいだったかな 100両編成とかですね120両編成と いう列車もたくさんあるみたいです ようやく横にいた貨物列車を1個抜きまし たこの調子です他にも2階建てのコンテナ 列車が100両連結されていたり今後は そういったものが増えてくるでしょうま 日本と比べると鉄道の技術的な面ではどう なんですかねまやはり日本の方が便利だよ とカナダの皆さんはそうおっしゃいますし 僕もそうだろうと思いますが鉄道が元気な 雰囲気を感じられるのはカナダかもしれ ません特に在来戦の分野において S ちなみにこのハは日本で見かける鉄道橋 よりも随分大きく見えますが開橋だそう です現在地はすでにバンクーバー港から 30分以上内陸の方へ入ってきたとろです がまだ遡って海から大型線がやってくる そうですそしてこの橋よりも背の高い船が ここを通行したいという時には橋脚の一部 を90°回転させて船が通過できるように なってい ますそれだけ物流の需要があるんですね 向かから2階建て貨物列車が現れました この先この列車の終点となりますカナダ 最大の都市トロント東海岸とつがる駅まで ずっと非電化区間が続きますですから貨物 列車もこのようにディーゼル機関車での 運行そしてドームカの高い屋根の上からつ なる編成を見渡すことができますこれが アメリカ大陸の鉄道の旅の醍醐味1940 年代から50年代にかけてこうした屋根の 上から景色を見渡せるような車両がいくつ も作られましたが現在現役で定期稼働をし ているのはカナディアン号の車両だけです 1日3度食堂車で出されるお食事はとても 美味しいと世界の旅行客の間で評判だそう です相席で向いの方とおしりをしながら 行くのが定番になると思いますが全く喋れ なくても多分大丈夫です ここで右手から線路が合流してきましたが この合流してくる線路は今回冒頭で紹介し たウォーターフロントからやってきた線路 です昔カナディアン号は向こう側の線路を 走って合流していましたま関東で言えば ここは鶴見駅みたいな感じですかね湘南 新宿ラインと上野東京ラインが合流すると いうようなところだと思います向こうは その通勤電車の終点の駅でございます ミッションシティ駅さっき冒頭で紹介した 電車が止まっているのも見えましたただ 先ほどお伝えしたようににこの通勤電車と 乗り継ぐということはできるのですが23 時間ほどの待ち時間になってしまうことを 承知しなければなりませ ん向のカナダの方が教えてくれましたこれ がバンクーバーを出てから最初に見える山 ですよ私にとっては横浜を出てから最初に 見える山です今回の旅でついに初めて山の 姿を見ることになりまし たこの山波は次第に険しさを増しついには ロッキー300につがるでしょうそれでは この地図をご覧ください北米大陸は基本的 に東海岸の方が栄えていますこれは ヨーロッパ方面との歴史的なつながりに よるものですでは横浜を出発して東海岸の 中心地ニューヨークまでどうやったら1番 早いか効率的か考えてみましょう一般的に は大正時代に完成したというルートパナマ 運河経由が効率的だと思いますまた北極会 経由の海のルートも近そうですがここには 多数の氷があるため通ることはできません そして1番近いルートはまずバンクーバー まで上陸しカナダの大陸横断鉄道を利用し て東を目指すルートでした これが一番所要時間は短くなったそうです ただし陸上交通では大きな障壁がありまし たそれが超えなければならない巨大な脈 ロッキーですロッキー越はまだ明日の話 ですがこの山を超えると世界の裏側に行っ たという気持ちが高まってくるので昔から よく関心を持たれていたそうです例えば 世界をまたにかけて活躍していた戦前の 外交官や戦前の勝者マたちの間ではそう 思われていたようでした沿線にはカナダ らしく大規模な農業をしている光を見れ ますしかしどちらかと言えば山がちであり カナダやアメリカ大陸で想像されるような 広大な平屋を突っ走るのはこのロッキーを 超えてからの話となりますそこまでは どちらかというと景色は日本に似ていると 感じまし た古くとも豊富で清潔なサービスが整って おりますカナディアン号こちらはシャワー 室ですまた後で利用しますその横には こちら2段式の開放寝台がありますこれも 乗ってみても良かったですね次回もし乗る ことがあったらこっちにしたいなと思い ました昔の日本であったような2段ベッド の寝台です今は日中ということで下が ボックスシートになっています上段には 寝台が格納されていますアメリカでよく見 られた方式だと思いますなお基本的に カナダでは長距離旅客列車というのは ほとんど存在しません通勤電車がちょっと あるぐらいですが長距離輸送は全部飛行機 にとって変わられてしまったのですこの カナディアン号も飛行機に対抗しようと 作られましたがダメでしたしかし現在でも 鉄道の旅の楽しさが広く認められていて 貴重な古い車両が現在にまで観光用のもの として生かされているのですさて列車は今 信号場に停まりましたがだいぶこの辺りで は山が険しくなってきて谷川だけ1の暗さ を思わせるような垂直の崖から雲が降りて きていますJR上一線に乗っても同じよう な景色が見られる場合もあると思います 山越の楽しさは世界どこへ行っても変わり ませんが特にこのロッキーは太平洋側と 体性洋側の間にそびえる我々日本人は愚か 世界の人の峠ですからこういるはより一層 の感動となると思います標高1500m ほどまであの0mのバンクーバーから ひたすら登っていくようですということで 前方の列車を眺めればひたすら編成が上の 方へ登り続けていることが分かり ます山が険しくなってきますと うわ岩を砕いてその中に一部コンクリート で固めたような感じになっていますが昔の すりの時代を思わせるような荒々しい トンネルがありましたしかし高さは ものすごいものがあってつまりここを2階 建てコンテナ列車が世界の物理を担う形で 走り続けているということの証明になり ます昔日本を離れてニューヨークや ロンドンを目指していた旅人たちはここを くぐっていたんですねそして現在でも日本 で生産された工業製品が大型貨物線に乗せ られさらにカナダの大陸横断鉄道に 積み替えられて世界の様々なところへ運ば れるためにこれらのトンネルを抜けている ことと思います もちろんこれはカナダの象徴でありますが 私たち日本人にとっても大きな恵みを与え てくれた路線なんですねそのことをこれ からさらに知っていくことができると思い ますさあ景色はどんどん険しくなってき ましたこれで峠越がまだ明日の話だという のですからその規模の大きさには驚かされ ます編成全体が上の方へ登り10連の機関 車が煙をたっぷり出し続けている様子を 見ることができ ます長い19両の編成それでも貨物列車 ほど列車全体が重くはないはずなので2両 の機関車がいれば十分なパワーだと思い ます列車は線路に沿って右へ左へとのた 打ち回る大蛇のようにして走りますがこれ はこの鉄道がものすごく古く明治時代 ぐらいに建設されたものであるということ の証しでしょう当時今ほど土木技術が卓越 しておらず地形を無理やり切り崩してそこ に鉄道を敷くような大規模な土木工場を することはできなかったと思います仮に できたとしてもそこで発生した急勾配を 超えることのできる高性能な機関車も なかったことでしょう現在でもその当時の 雰囲気を今に伝えながら走っています山で 取れた多分木材とかを下ろすための小さな 機関車ではないでしょうか保存されている のが見えました驚いたことに大昔作られた 線路をほぼそのままたどるようにして現在 でもこの辺り列車は非常にゆっくりと走る ようです横には新しい技術で作られた高速 道路が見えますこの鉄道の建設には驚く ほど大変な苦労がかかっていたようです それももうそろそろ右手に見えてきます フレーザーガーの流れを見れば納得全長 1400kmあります日本で1番長い川 品川が300数10kmだったと思います からフレーザー川がいかに長いかましかし 大陸ではこれぐらいの長い川は当たり前に あるのかもしれません雲が低く降りてきて いますがそれだけ雲も切り込んでくるほど の過酷な谷のように見え ます山を超えていく電 線この過酷な渓流はバンクなど ブリティッシュコロンビア州の主要な町に 電力を供給するための水物として古くから 活躍してきました今でも山越の送電線が 目しますこの目前がするほど深い谷は明治 時代の初め頃カナダの西海岸を開発する ために人々が探検してどのような場所で あるか明らかにしていったそうですそして できればこの辺りを港町にしたいと考えて いたようですというのはこの川をずっと 下っていけば太平洋バンクーバーの方へ 行けるので少しでも長く船が通れる区間を 作りたかったようです こんな深い谷にも大型線を通せるかもしれ ないと探検していた人たちの昔の周年は すごいと思いますがその結果こんなところ で船の旅をしようものなら10回のうちに 9回は死んでしまうでしょうという レポートが提出されるに至りここは鉄道で 改作されていくことになりましたこの鉄道 を作るにあたっても斬新な措置が取られ ました元々か細い道があり何でもヤギの歪 とかそんな風に言われていたか細い道が あったそうですがそれを一旦取り壊して しまって鉄道をそこにしたそうですなぜ ならばそれ以外に新しく鉄道用の土地を 用意するのはものすごく過酷だったからだ そうですそれによって鉄道が通れるように なりましたが一般の道路がないという時代 が長らく続きましたこの辺りの移動は鉄道 によってのみしかできないという時代も 長かったそうです現在では高速道路が開通 していますがともかく落っこちるんじゃ ないかと不安になるほどの過酷な景色 しかし大丈夫でしょう日々ここを重量級の 貨物列車がものすごい本数通過しています ちなみに線路は線に見えますが実は伏線に なっていますこういった景色を見ていれば 鉄道のありがみも分かってきますそもそも 数千年以上にわたって物流は馬か船ぐらい しか選択肢がありませんでした水のある ところでは昔から船が使えましたが水の ないところではほとんど使う輸送手段と いうのはなかったのです200年ほど前に ついに鉄道が完成されこれによって水の ないところ船が入れないようなところにも 鉄道により交通がようやく確保されたの でしたそしてこのカナダの国も1つに まとまったの ですだからカナダという国が発生して大英 帝国から独立する形になり今1つの国とし てまとめ上がることができたのかもしれ ませんね鉄道なくしては未だにイギリスの 植民地みたいな形であったかもしれません その広いカナダの国土を1つにつなぐ鉄道 反対列車が今木々の向こう側に見えてい ます分かるでしょうか川の反対岸にもう1 本レールが敷かれていてそこに鉄道が走っ ているらしいことが見えます相タイミング が悪くてあまりその姿を鮮明に移すことが できませんでしたが確かに反対方面の貨物 列車が通っていますこの辺りは ダイナミックな複線区間になっていて反対 方向の列車は川の対岸を走るの ですまたお隣には高速道路もあり通って いる車の本数はここで見る限りそれほど 多くはなさそうですがしかし通るのは大型 の貨物自動車ばかりでこちらもカナダの 物理用になっていることが分かります日本 ではまず見ることのない大型車です横の 高速道路も1950年代頃に作られたよう でかなり古くから物流の大動脈として維持 されていることが分かります反対側総点線 が大きなアを引いて空中ブランコのような 光景を作っていまし たこの辺りの線路がなぜ川を挟んで上下線 で分かれているのかということですがま おそらく片側に2本作るのがかなり難しい ような厳しい地形であったのだろうという こととそれから実は向こう側がカナダ太平 洋鉄道の線路こちら側はカナダ農産鉄道の 線路ということでお互いにライバル会社と して1本ずつ線路を作ってきたという経緯 がありました現在では1つにまとまり カナダナショナル鉄道になっていますが ともかく上下線で元々は別会社であったの です現在は一本にまとめられているそう ですそれにしても反対の列車とのすれ違い は全く終わりませんお互いにそれほど高速 で走っているわけではないといえ特に反対 方面の貨物列車の編成の長さが際立ち ますこの辺りではついに編成全体を すっきりと見渡すことができるそれほど木 が立っていない場所に出まし たずっと何分もかけてすれ違う得意な光景 はカナダでは当たり前ですちなみに車内で はオーストラリアの方にお会いしました オーストラリアの列車は多分私の記憶では 2kmぐらいはありますよ全長の話ですね 重さの話ではありませんオーストラリアの 人にとってはこの光景はそれほど珍しい ものではないらしいということも教えて くれましたお互いに良い文化の交流になり ますここでようやく反対列車とすれ違いを しました見渡せない奥の方まであの貨物 列車は続いているんですね旧カーブの おかげで私の列車が今通過してきた鉄橋が 崖にへばりついている光景も一瞬見られ まして今後方に移っていたのがお分かり でしたでしょうかこれだけでも醍醐味です がまだまだ険しい区間は続きさらにすごく なり ます車掌さんが案内してくださっています がここにたくさん電線がメクされています 通信用のケーブルでもありどうも落石検地 のためのケーブルでもあるらしいですよく 見てみるとあまり大規模な日本で見るよう な落石防止の洋兵というのはありません 落ちて来た時にあのケーブルに何か支障が 発生することによって落石が発生してると いうのを検知するらしいですあと列車も 落石があること前提なんでしょうねかなり の低速でおそらくいつでも止まれるような 速度で慎重に進んでいると思います車掌 さんからもご案内いただきましたが列車は ヘルズゲートにやってきました地獄の門と 直訳すべきところでしょう鉄道がここに 入り込むことによって地名が生まれたそう ですすぐお隣にはチャイナバーという地名 もあり同じ大英帝国であった香港方面から 中国人の労働者が多数ここにやってきて 働いたそうですその関係でチャイナバーの 名前が残っているんだそうですね驚くべき 激流水力発電にも良さそう ですここからロプウに乗りますとヘルズ ゲートの上を通過することができるという ことで観光の名所になっていますこの辺り までおそらくまだ観光客は運ぶ用の列車と かもやってきているはずですじゃはここへ 来るのは大変ですよねバスとかもあるのか な実はもう今日は夜9時ぐらいになってい ます明るいんですがもう観光の時間は特に 終わっていますディナーも終わりました からねですから営業はやっていませんでし た前方に3つの信号機また駅が近いよう ですこんな過酷なところに駅があるのかと 不思議ですが日本と同じように複数の信号 機がありますとその先信号場または駅が 設けられることが多いようです左手には 実際にものすごく崩れまくっている白い崖 がありました白はやばいらしいですようわ 確かに崩れた後が木の本数も心なしか 少ないですましかし事故を起こさないよう に注意してるというのは当たり前のこと 崩れてもいいような運行をしているん でしょうねこの速さなら崩れているのが 見つかれば止まりきれるんだろうなと思い ます相当ゆっくりです から右手に上り線の鉄橋が見えました アルベ橋梁を思わせるトレッスル教です カナダにはこういうのがたくさんあるそう ですがこんな山奥にあべ橋梁があるとは 遠くからその姿を見ることができて良かっ たですちなみにカナダ太平洋鉄道では どちらを上り線と言うのか分かりませんが まあ天皇陛下がお住まいの東京方面を上り 線と言っておけば日本文化としては間違い ないはずです登り線点そういう意味です から [音楽] ね時刻ただいま20時44分19時46分 到着だったようですが1時間を遅れて列車 はノースベンド駅に到着すると言います こんな山奥のところに駅があるのか確かに ありましたそして人が住んでいます大体 こういった街は鉄道を建設するまでは全く 人がいなかったような場所で鉄道の建設に よってようやく人が入り込んできて今でも 街が定着しているという経緯があるそう ですこれから先どこもそんな感じらしい です川を挟んだ反対岸にまた貨物列車が 走っているのが見え ますこの先の信号場で上下の列車が合流 することになりますなお列車は駅にはき ますが停車しないと思いますノースベドと 書いてありますけどねというのはこういっ た山奥のところで列車を止めても乗り降り するお客さんは全くいないし観光もやり ようがないしホテルとかも下手したらない んじゃないですかねだから時刻表には乗っ てはいるんですけれども停車しないのです ただ事前におそらくは出発の48時間前と かだったと思いますがきちんと予約を入れ ておけば列車を臨時停車させてくれるとの ことほとんどの途中駅はそういった場所に なってい ます日本みたいに途中にいくつもの街が あるという感じではないんですよね街と いうのはほとんどなくあるところに1か所 ガツンと固まっていますさてそろそろ寝 ましょう寝台車をベッド状態に転換して くれていました寝心地はかなり良かった ですベッドも深深1950年代にこの車両 がデビューした時はちょっとこれとは違う 内装だったらしいですね実は改造を何回か 受けているらしいと車掌さんが教えて くださいました車掌さんも大変親切案内の 礼にチプを渡した方がいいでしょう ねこの部屋の感情は昔の寝台特急北斗星の ツインデラックスに似てるかな札幌行きで 運転されていた列車です部屋自体はそれ ほど広いとは感じませんがただベッドは 十分な広さがあると思います上段ベッドへ 行くには端 でまはっきりと言ってしまえば狭いです から十分注意してですねま逆に狭いので 隙間にすぐ捕まることができ落ちる心配も 少ないかもしれません慎重に入り込みます でも寝てしまえば快適ちなみに私がずっと 上着を着ているのはかしこまっているから ではなく車内の冷房がかなり寒いからです この辺りまで来ればそもそも気温自体も だいぶ低くなっています夏とはいえ標高も 高いですし井戸も高いです時刻211時 22 分コンセントがありますんで明日の分に 備えて充電をしておきましょうなお携帯 電話はほとんど電波が通じないと思い ますこれ排水があるんですが 開けます と走行音がずっと聞こえてき ます鉄道マニア的にはこれもいいかもしれ ませんが静かにしたい時には閉めておき ましょう夜9時半になってもまだ外は 明るく列車は引き続き極めて険しい渓谷の 中を進み続けていることが分かり ますこの時間になりますとドム間にやって くるお客さんもあまりいなくなりますが 基本的にここが列車の中で1番素晴らしい 場所だと思います水色に染まった光景も 楽しみたいですねjr東日本に2018年 までリゾートエクスプレスUという車両が ありそれにちょっとこんな感じの光景が 楽しめるのがありましたしかし天井の高さ はやはりこちらの方が圧倒的に高く他では 味わえない予想 でしょうすっかり日が沈みましても時折り 通過する踏切りの明りや信号機の明りが 反射しまた機関車が山を照らしていく強い 前哨灯の光なども感じられて1950年代 の北米の鉄道の旅をじっくり味わい尽くす ことができ ます世界に色々な列車がありますけど やはり鉄道の旅を根本的に楽しみやすい このドームカーの存在は非常に ありがたかったです ねでは大人しく寝させていただきます新台 島をパチンと消して昔の日本のブルー トレインを思いいたしますねそして夜中1 時ぐらいでしょうか列車は途中の カムループス駅に停車していましたここは 主要駅となっておりまして一応列車の上下 車なんかもできるところですほとんど 険しい山の中をずっと進んできていたよう なのですがこの辺だけはある程度拠点的な 街になっているみたいですま山ばかりだと ねどっか中継の街も必要になる でしょうということでこの駅ではドアが 開けられて外を歩いて列車の写真を撮っ たりホームの空気を吸ったりできたそう ですが深夜ですから私は寝ておきまし たおはようございます時刻4時57分です 早起きをしました一晩寝てきたわけですが 景色の方向性は昨日までとはあまり変わっ ていませんま昨日より谷が険しさは ちょっと減退したかなぐらいですがずっと カナディアンロッキーの高へ向けて上り坂 を進み続けています一晩かかる峠越え沿線 の景色の雰囲気がちょっと変わってきてい ますこの辺りは沼町元々木がいっぱい生っ ていたけれど何らかの関係で水浸しになっ て木がもう正育できなくなりこのような 不思議な出現になったんでしょうかもも 元気だった木が立ちれた光景が見られまし この辺りからは元の林向こうには カナディアンロッキーの標高3000mを 超えるようなすごい山が見えてきました こういったものがいくつも並んでいます 今日は天気はあまり良くないようですが それにしては山がはっきりと見え良い1日 になりそう ですもうあまりにも山の深いところ道路と 鉄道以外にはほとんど人工物もなく電波は 入らないようですお茶や簡単な軽食が朝の 時間は特に取り放題になっています サービスは手厚いです車掌さんから昨晩 明日の朝滝が見たい人は早起きした方が いいですよご案内いただきましてこれが どうもその滝のようです朝早いということ で一切時間はありませんでしたが列車は 若干速度を落として通過してくれたように 見えましたこの辺りの地名はクリア ウォーターだのブルーリバーだの安直な 名前が多いような気がしますというのは 元々何にもなかったところに鉄道を引いて とりあえず地名をつつける必要が生じたの で適当な名前になったのではないかと想像 しますこの時間でもも貨物列車は盛に動い ていて電波も通らぬ秘境の地であっても 世界を動かす物流の大動脈として機能して いることは変わりませ ん本日は長旅の中でも明らかに人切りの日 となります戦前の日本の新聞でも果実横浜 校を出行した大使の誰々は本日ロッキー 300を超える見込みですそんなことが 書かれていたそう です朝1番に食堂車にやってきましたこれ から先他のお客さんも案内されていき英語 で私も他の方とコミュニケーションさせて いただきました相席させていただいたのは バンクーバーでお勤めだという学者さん です地理学についてこの後色々と教えて いただきました本日何回もこの先で山かの 光景を見ることになったからですちなみに これが朝ご飯ですこの列車に乗っているお 客さんの雰囲気はかなり独特でした皆さん 親切な方たちばかりで10名ほどお会いし ましたがほとんどの人がいわゆる知識人 みたいな人たちだったと思います1人1つ ずつ何らかの専門分野があり心に勉強して いてこの列車に乗っている時ももちろん 景色を見つつ何か旅行を通じて学びを得 たいというような人たちが多いように感じ ましたとにかくよく学ぶ人たちばかりが この列車に乗っていてそれは不思議でした 私もYouTubeを通じてお金を稼ぐと いうことについてまた日本の文化について ある程度知っていたのでそれについて披露 することができ他のお客さんになんとか ついていくことができてよかったです英語 はできなかったですが内容については興味 深いことをお伝えできたと思ってい ます今回お会いしたカナダの学者さんたち からは日本は新幹線みたいないい鉄道が あって素晴らしいですねカナダの鉄道は 使い物にならないですからというの話をお 聞きしたんですがま私からの返事といたし ましてはま確かに日本の新幹線素晴らしく 便利なんですけれどもカナダのように極端 に大きな国土ではないから新幹線という ビジネスが成立し得るんでしょうねという こともお伝えしましたつまりカナダは ものすごく都市と都市の間が離れすぎて いるので鉄道を高速化しても飛行機には 対抗できないから旅客は衰退してしまった ということなんでしょうね貨物列車につい ては顕在ですまた本線から別れたところに スイッチバックのような形で貨物列車が1 個止まっていますこういった信号場がある んですね日本にも昔はこういった信号場 たくさんありましたが現在スイッチバ信号 場は白井線の桑原とかがあげられる でしょうか3大車窓のうちの1つですここ の景色もクシも日本3大車窓になりそうな 見晴しの良いところを走っていますま日本 ではありませんけれどもこの沿線の木が もうちょっと伐採されていえばより景色が 良くなるでしょうねでもそういったことは ありえないでしょう旅客列車はこれしか ないのですから横は垂直の崖ですがこれを 特に固めるということもありません日本 だったらばこういう崖があればすぐ崖崩れ 防止のためにばっちり固めてしまうと思う んですけど ねむしろ崩れてしまってもいいように検地 装置などを充実させているという方向なの かもしれないと思いまし たそろそろ下の兵から上に登ってきて 険しい峠声の心髄の区間に入るようです 案の定トンネル区間になってきました しかしこのトンネルは随分新しいように 見えますというのは出口が荒々しい岩の形 ではなくきちんとくり抜かれた コンクリートの構造になっているからです 暗いところから煙は吐き続けている機関車 の姿がよく見えますここで振り返ってみ ましょうこれができるのがドムカ最後尾の いいところですトンネルに何か変額がつい ているかもしれませんありました1961 と書かれています61年にこの典型改良を して新しいトンネルを作ったんでしょう 沿線には謎の動物もいましたあれが何だか は調べたんですが分かりませんでし たここで川の反対側にまた逆方向へ向かう 列車がおりますここでは上り線と下り線が 昨日とは逆の位置関係になってやはり川を 挟んで愛対立しています列車は間もなく レッドパスジャンクション駅を通過します がここで上り線と下り線がまた合流し ますここまでは2つの鉄道会社が別々に 建設した鉄道がそれぞれ残っていましたが この先では鉄道はついに1本の道に集約さ れることになるそうですちょうどその集約 地点でカナダ太平洋鉄道とカナディアン 農産鉄道の2つがかつて合流していたと いう地点で反対の列車とすれ違うことが できました昔のそれぞれのライバル関係を 今の鉄道の行き違いに見ることができまし たレッドパスジャンクション駅は蒸気機関 車の時代には給水所として栄えていたよう ですが現在ではもうそういった使われ方は なく基本的に列車が停車することはないと 思いますちょうど反対の列車と行き違い 最後尾には何もついていませんねおそらく 長い下り坂を進む列車なので最高日に押す ための機関車はいらずブレーキをかける ための機関車を前に連結する必要があると か何かそういうことではないだろうかと 思いました駅名表に国鉄レッドパステと 書かれていますCNです ねこれを過ぎますと確かに昔給水上だった んだろうなと想像できる豊かな水場の横を 走ります川がの辺りでは美しい湖になって いて景色の見所です早きをしておいて 良かったと思いました太平洋戦争直前の 時点で50人ほどがここに住んでいたそう ですそしておそらくほとんどの人たちが 鉄道に関わる仕事をしていたと思います 太平洋戦争が始まりますとここには日本軍 または日経人の強制収容所が作られたとの ことですですからここで働いていた人たち も多かったわけですがアメリカ合衆国では 日経人強制収容所をロサンゼルスの辺りに 作ったという話をよく聞きますカナダも イギリス連邦の一員ということでやはり 日本と敵対する関係になり日経人の収容が 行われることがあったそうですおそらく彼 らはここで鉄道の維持をしてカナダの戦争 を支える役割を果たしていたこと でしょうここが鉄道の幼少でありこんなに 景色のいいところでも大切な仕事場であり 国家を動かす根幹となっているのだという ことがよく分かる話でした僕にはすごい 水量の滝がまだまだ水の多いところなん ですね山の上まで来ましたがこんなに 大きな湖がこの先にも山がそびえ続けてい ますがもうそろそろイエローヘッドパスと 呼ばれておりますカナダの西海岸と東海岸 の分水会が現れます日本で言えば日本海側 と太平洋側の分岐点ということになる巨大 な分水冷ですここでは反対側に高速道路の 姿を見ることができましたあまり車 たくさんは通っていませんもちろんとても 大切な道路ではあります大型のトラック などがこの高速道路を使いと思いますが 物流の主役は今でも鉄道ですなぜなら鉄道 の方が1度に圧倒的に多くのものを運ぶ ことができますから ね国土の小さくそして色々なところに街が 存在している日本では今貨物列車よりも トラック輸送の方が終了になっていますが カナダは真逆のよう ですまだからこそ日本では新感線とか ローカル線みたいな鉄道網が発展すること ができたのかもしれないですね は天気は海晴ではありませんがだからこそ 山の荒々しさを感じることができる良い 1日になったと思い ます崖を垂直に駆け降りていく長い川滝を 見ることができまし たそれではいよいよ山越の時間になりまし たこれからロッキーの向こうを見に行き ます個人的にはこここそが東洋と西洋の 境い目の1つであるように思われました 本来はカナダ全土が西洋に位するはずです がしかしこの峠越の手前までは同じ太平洋 水計ここから流れ出た水も全て日本と同じ ように太平洋に注ぎますしかしここから先 峠を超えれば水は全部大西洋へ流れていく のですそしてこの山は昔超えることができ ない険しいものでしたが鉄道の開通によっ てついにこれを超えることができるように なって150年ほどの月日が流れてい ます太平洋戦争中もしかしたら日本軍が 北米大陸本土を攻めてくるかもしれないと いうことが心配されていたそうですです もしもそうなってしまった場合にはこの 天然の壁たロッキー300までは攻撃を 許してしまったとしてもここで必ず反転の 構成に出てまた日本軍を交代させていこう というシミュレーションが取られていた 時期まであったそうですまさにここは日本 を出発してから最初の壁となる天然の壁 でした現在その壁には鉄道が通り我々日本 人も楽しい旅を味わわせていただける1つ の客としてもてなしていただけますついに 峠の信号場に着きました横に18と書いて ありますがここでこの坂がどれほど急な ものであるのか車掌さんに気になりお尋ね しました車掌さんは親切に答えてくれ最 勾配はこの路線では0.9度ですよとの ことです0.9度とは日本ではナパーミル と呼ぶべきなのでしょうかなれないですが 電卓で計算し日本式ではどういった数値な のか計算してみましたどうもそれほど急な 坂道ではなくこのレベルの山であれば上で な許さです23.5パーミルまで抑えられ ていました信号場の向こうから対抗列車が やってきましたこれはトロント初 バンクーバー行き対抗列車となります カナディアン号ですこの東洋と西洋の別れ めたる新号場でちょうど今から太平洋側へ 下っていくカナディアン号とすれ違うこと ができまし たカナディアン号の車両たちは最終的に 飛行機に負けはしましたがしかしそれに 対抗できるようにと1940年代頃から 開発が進められた一流の特急車両たちです 現在でもそれが使われ続けていますです からまさにこの列車に乗るだけで昔の人 たちがどのように大陸横断の旅をしていた のかそのまま感じ取ることができるのです これ以上にない贅沢な体験だと思います 列車の豪華さで言えば現代ではもっとこれ の上を行くようなものがいくつもあると 思いますがその文化的価値は今後将来に わって受け継がれていくと思われ高い運賃 が徴収されるのも納得ですちなみに今回 二名個室で大体運賃が60万円ぐらい かかっていますが豪華ではありませんが しかし昔の体験をそのままできるという その体験価値こそが豪華なのですそれを 分かっている人たちでいつもカナディアン 号は満員になってい ます列車は登り坂の区間をまだもう少し だけ進みますがこの辺りで坂がだいぶ緩く なってきてお客さんが乗っていても気づけ ないぐらいの間にこれが下り坂に変わって いき ます最後は緩やかになるロッキーの峠越え この区間が終わりあと3日かけて体洋へ 向かっていくようになるのですちょうど 今日ロッキーより向こうは晴れているとの 予報でしたが実際に晴れ始めました天気 予報の通りです崖の際の辺りまで来てもう 登り坂を進んでるという感覚はなくなり まし た峠越の瞬間を直接感じることは難しい ですがもうそろそろ頃合いでしょう時刻今 9時20分ではありませんこの時刻は ただいま間違いになりました1時間進み まして時刻は今10時21分峠を超えて ブリティッシュコロンビア州から アルバータ州に移りが発生したのでした これを持って太平洋側から大西洋側に移る ことになりましたあは長らく続く下り坂 カナダの大平原を見るのは今日の午後の ことになると思いますいい朝を満喫しまし た列車はロッキー3脈を今越え終わりこれ から先すぐ近くにあるジャスパー峠の駅で しばらくの停車をし ます初めてのロキは一生1度の思い出に なりました特にその感動を大きくすること ができたのは昔の人と同じように船と列車 だけで東京からここまでやってきたことに よるものが大きい でしょう車掌さんが間もなくジャスパーに 着くということそして停車中についての 案内をしてくれてい ます山の上のところに展望台らしきものが ありロープ上で行くこともできるようです ただ列車はするほど長くは停車しません1 時間ほどの簡単な停車となります乗って いるだけでも景色は十分にいいので特に 問題ありませんが久しぶりに確かに街が 見えてきました人が暮らしているという 感じがしますこれだけでも大都市の気分 ですまこの駅の感じは日本で言えば軽井沢 もしくは横川ですかねま山の上の軽井沢 でしょうリゾート市としても知られている ところ古くからの駅舎が我々を迎えてくれ ますこのジャスパーでお客さんの多くが 降りていきます山越の体験をした後 カナディアンロッキーを楽しみたいという 人たちが多いからです旅客列車はどうも 23日に1度だけのようですもしかしたら 他にも何かあるのかもしれませんが信号所 ではないきちんとした駅に停まりました奥 には昔このカナディアンロッキーを超える のに活躍していた蒸気機関車が保存されて いますこのジャスパーは岩相もがな鉄道の 町ですというかこれまで通ってきた街の ほとんどが鉄道の町だと思います鉄道が できる前は街が存在しなかったわけです からね北米の駅でよく見る光景潮駅に到着 するとお客さんが荷物に預けた自宅手荷物 英語ではチェックとバゲッジを荷車が取り に行きます荷車は大変古く鉄道の時代が 終わって久しいことを伝えていますただ 鉄道の時代が終わったと言っても貨物に ついては大顕在であれをご覧ください小鮮 光井のコンテナがそれだけではありません こちら川崎基線のコンテナ日本から送られ てきた貨物もこのように鉄道に積み替え られて大陸を横断しているのですもちろん ありました日本1位の船会社日本優先 nykのコンテナもありますこのこのよう に日本から出荷された貨物もたくさん 乗り換えて今でも大陸横断鉄道を盛に利用 しているのですつまり日本で私たちが生産 した諸々の製品はこのようにコンテナに 詰められて世界の海を渡り大陸を鉄道で 横断してあちこちで売られていく最中だと いうことです大陸横断鉄道の恩恵を受ける のは何も大陸に住む人たちだけではあり ません私たちにとっても大切な生命線だと いうことをお伝えできれば幸いですそして 昔は私のようにこの鉄道を使って人々も 世界の旅をしていました 列車の最高日にパワーアップのためもう1 両機関車がつけられ3両で運行していた ようですここにはカナディアンナショナル 時代のま今でもカナディアンナショナルと いう名前あると思いますが蒸気機関車が 置かれています日本で見るよりもだいぶ パワーが強そうに見え [音楽] ますC62のように大きな動輪D51の ように多くの動輪を設けているようです 日本の蒸気機関車よりもだいぶパワーが 強いのではないかと思いました大きな動輪 で峠を超えていたようですね Googleマップを見てみますとこの ジャスパー駅は極めて大きいことが分かり ます現在地が駅舎周辺ですがその先にも駅 の構造物自体は全長2kmほど伸びてい ますつまり貨物列車がそれぐらいの長さが あるから駅も長くなければいけないの でしょう2km以上あるようですね駅は 大きくとも駅舎は私の今いる1点のところ しかありませんからこのホテル東京インと かのところは駅から結果的に遠くなって しまうでしょうちなみに駅舎は地区98年 190025年から使われているそうです アメリカっぽいバスが走っていますね スクールバスですカナダはアメリカと文化 が似て避なるポイントも多いと言いますが これについてはアメリカ合衆国の方と近い よう ですリゾート市として知られるこの 辺り元々鉄道の街として開業しましたその 経緯を伝えてくれる博物館がありますこれ は是非とも見に行かないといけないですね 正確にはさっき超えてきたロッキー300 の峠イエローヘッドパスの歴史博物館とな います実際看板が立っています黄を背景に して峠を越え山を歩く人の姿です ジャスパーイエローヘッドヒストリカル ミアム入間は無料ですが寄付は受け付けて いますそしてここにも2つの鉄道会社が 並行していましたよということがまず最初 に展示されていました3つあったのかな 主にカナディアンナショナル レールウェイマップル が並行それもすごいですよお互いに 500kmにわたって並行していましたえ 500kmも並行ですか日本の東海道新 幹線と東海道本線が並行してるようなもん ですよねこんな山奥のところでですよまた ここにある町ジャスパーの町についても そうですが鉄道会社は沿線に感覚を置いて 労働車向けの臨時キャンプを設置した つまり鉄道を維持するための街を作って いったということなんですね鉄道運行する ために人々が住まなければいけませんから 町の方が鉄道のためにできたと言っても いいようですだから昔から人口は少なめの ようですで現代でも仮説のような建物が ちゃんとした建物に作り替えられたりはし ていますが街並はアメリカの西武劇みたい な感じですよね北海道にも似ているかも しれません駅の周りに明らかに計画的に 作られたんだろうなとお家が並んでいます 次にこちらをご覧いただきたいです戦前の カナダで最も重視されていた列車貨物列車 なんですが荷物はなんと全部日本から来た ものですおそらくはバンクーバー ウォーターフロントで1927年に撮影さ れたニューヨーク行きの列車だと思います シルクトレインと書かれています戦前の 日本は機能を世界に輸出していましたが バンクーバーまで貨物線で機能を運びそれ を特別な列車に積み替えて超高速で消費地 のニューヨークなどへを送っていたのです 当時の貴重な写真も残されてい ます昔の日本は貧しい国でしたその救いの 綱となっていたのがです文明開会以降精子 上に集中投資を行い高品質な絹糸を海外に 売ることで逆に技術を購入することができ ていました代表例は戦艦でしょう有名な トヨタ自動車もまずは糸つを高品質に行う ところからスタートし現在の反映にてあり ますその木糸を海外に輸出する大切な 役割りをになっていたのはこの動画の冒頭 でも出ました氷川丸です八王子などから 横浜へ積み出しれた貨物たちはまず船で 太平洋を横断しバンクーバーに到着そこ から最重要列車いわゆるシルクトレインに 積み替えられて超高速でニューヨーク方面 を目指して進んでいたそうですこれがその 当時の写真日本のシルの貨物線です バンクーバーの私が今回到着したような 桟橋の辺りで今2扱いを行っている光景だ と思いますこれがバンクーバーの現地の人 なのか日本の人なのか分かりませんが到着 した貨物を今陸上に下ろしすぐ横にある シルクトレインに積み替えている光景です 右手に小さいですが列車が映っていること も分かりますこのキヌの輸送については とにかく急いでいたそうですというのは 市場価格が変動してしまうからそれを防ぐ ためリスクを回避するためとかそれから 輸送時間を短くすることで保険料が安く なったとか言われています説明を読んでみ ましょうCNが運んだ最も魅力的な荷物の 1つは1920年代の日本のキートでした 機能の価格はほぼ毎日変動するため ニューヨーク市場に貨物を迅速に届ける ことが不可欠でしたこの路線ではシルク トレインが優先され平均時速130km から150kmですることが多かったとの ことです遠くカナダの山も日本と確かに1 本の道で繋がっているのだということが 分かりましたむしろ日本の生命線ですなお これから先カナダにも様々に魅力的な古い 駅舎が並んでいますカナダの鉄道はこの国 のシンボルということでそれぞれの駅舎も 極めて豪華な作りになっているそうです ジャスパーはまだその入り口に過ぎません この先楽しみがたくさんあるのですそれで は広くそして極端に長い峠の駅ジャスパー を出発していよいよ本格的な下り区間に 入り ますこの山を下り切ると後は広大な平安へ 進みますまるで薄い峠を超えて関東平屋に 入るような景色 ですそう思ってこの景色を見返てみると まるで新越本線の横川駅を出発し妙木山を 見ながら高崎へ降りていく列車からの景色 にそっくりだと思いました世界中大体旅の 味わいは同じようなものだと思いましたあ はジャスパーの駅で峠のカを売れば完璧 ですそのうち売る日が来るかもしれません ね2階建ての貨物列車が山道を貫きそして 峠を超えていくのが大陸横断鉄道の趣き ですこうして峠を降りていきますと先ほど お伝えしたように少しずつ景色は広々した ものになってきます自動車も横を頑張って 走ります3台も大型重機を積んでかなり 立派な自動車ですがでも鉄道の輸送力には 叶わないということが分かりますねこの 辺りは金魚が黒黒立ちかれていて美しい 景色だと思いましたがどうも山かちが発生 した後のようです北米全土で山風が社会 問題になっておりこれもその中のうちの1 つだそうです今回の旅では実際に山が燃え ている景色も見ましたこの後紹介したいと 思いますカナディアンロッキーを越え旅の 1ページがまた進んだ気がしまし た峠を下りにかかりまして車掌さんからご 案内これから列車が入っていくトンネルが 真正面に見えますよそして旧カーボを描い て編成が見えるいい景色があります確かに その通りいい景色ですよ これですが随分マニアックな楽しみ方だと も感じますこの列車の長い編成が湖に おわる姿がかっこいいこういった景色を 見るために何10万円というお金を出して いる人たちがこの列車にたくさん乗ってい ます通常何10万円も払うんだったらば もっと分かりやすい贅沢をすることが できると思いますがこの列車は比較的 分かりにくい贅沢ですわざわざ時間をかけ てものすごく豪華というわけではない車両 に 乗りごとごと揺られながら時間をかけて カナダを横断していきますしかしこの列車 は文化的な価値が非常に高く毎日昔の列車 を復活運転しているような日々ですその 文化的な価値を認める人たちと一緒にまた お昼ご飯のテーブルを囲みましたこれ スモークサーモンとサラダですこの時向え にはオーストラリアからいらした方と相席 をしまして私日本から来たんですけれども いろんなところ旅行行きまし行かれました よねこの間僕に行ってオーストラリアの軍 が日本軍からの色々被害を受けたという ことでそういった施設を見に行きました みたいな話などしましたそしたら非常に 私たちに気を使った聞き方だったんです けれどもそういった展示とかをご覧になっ てその展示があのどの程度その正当性で あるとか日本人として感じるところがあっ たからよかったら教えていただけませんか みたいなことを聞かれましてま私も自分の 感じたところをお伝えしたところでしたが すごくねお互いにいい体験ができたんじゃ ないかなと思い ますこの列車にって人は本当歴史を 振り返るのが習慣になってる人が多い人 たちばかりでしたねこれお隣はベルト コンベアーで鉱物を貨車に積み込んでいく 高景ですねちょうどこの景色を見ながら そうですね戦争の時日本の皆さんはロー マテリアルが天然資源がなくて多分大変 だったと思うんですけれども オーストラリアは色々と資源がありまして お互いにいい関係性を気付けて素晴らしい ことですねそんな話をしながらの旅行に なりましたオーストラリアは資源の国で 日本もたくさん輸入していますからね まさかそんな話をしながら旅行しことに なるとはいい経験でしたねどうもこの辺り で山かが発生しているということのよう ですその山かじの情報については Googleマップにも表示されるように なっていましたどうも北米大陸では山かじ というのはよく発生する出来事らしいです まこれはちょっと異常な事態らしいですが ともかく頻繁に発生しておりこのように どこで発生しているかなんとこれから先 列車が走るところで山かがあるのだそう です列車は順調に走っていますが一方で 周りの道路については皆閉鎖されています あのタンクは何でしょうか山風対策で運ば れてきているのかなもうこの辺りで ロッキー越の雰囲気は落ち着き急に山対策 が忙しい区間になってきました実はさっき までも山の影響を受けたと思われる区間は ありましたがもうこの辺りになると確かに 施設とか色々並んでいるのですが人が 出歩いている光景すらありませんまるで ゴーストタウンのようですおそらく本当は 人がもうちょっと活動しているのだと思い ますが今山の警報ということで活動を皆 止めているのではないかと思い ます道路を全く車が走っていないにも かわらず列車がの方向にずっと走り続けて いるのは不思議だと思いましたが安全に ついては十分注意して運行しているらしい です山の現場が近づくに連れ外の景色は 霞んできまし たカナダの人たちにとっては山風が発生し ているという情報自体は珍しいことでは ないらしいです先ほどロッキーの峠の上で 見たように確かに改正になってきました 天気予報は当たっていますしかし太陽の 明りは不気味にオレンジ色を呈していて どうも煙ったいような雰囲気ですというか にも煙たい香りが少々入ってきています山 かが発生するとどうも日の光がオレンジ色 に変わって見えるようですね数日前には アメリカ大陸の東部でも大規模な山形が ありニューヨークの街並が皆オレンジ色に なったのだとニュースでやっていました どんどんその家事の現場に近づいている ようですまだお昼ご飯を食べたばっかりの 時間ですが外の景色は夕方か台風の前の ような不気味な色に変わってきましたそれ でも列車は時間通り走っていました しばらく知りまして山の区域も抜けたよう ですそしてロッキーの上までずっと曇って いたのが今山かの煙と天然の雲を両方が 取れましていきなり海晴の区間に放たれ ました爽快な景色が楽しめています特に 午後になり西側から私たちを後ろより 照らす太陽の明かりを受けて列車全体を かっこよく見ることができたのがやはり この旅で一番良い思い出になりまし たうわあれは油か何かですか本当にカナダ には資源がいっぱいあるのですねま日本に なさすぎるだけなのかもしれませんがこう いったものが動いている光景を見るのは 初めてですちなみに日本にもごくわずかに こういう油みたいなのがあって一応取って いるという光景は見られるらしいです地下 深くの資源を組みだしています沿線で通信 ケーブルらしいものが木の電柱で設置され ていますが随分荒れ果てていますあんなん で大丈夫ま大丈夫なんでしょうね電柱は もうすっかり倒れてしまっています 1960年代の日本ではこういった生え たきと呼ばれるような通信ケーブルが多数 設置されていたようですがカナダでは今も 昔の日本みたいな通信ケーブルが多く見 られるんですねさて時刻16時を回りまし た16時になりますと最後尾のパークカー に行けるようになりますパークカーはこの 列車の最高投球プレステージクラスま要は ファーストクラスですねそのお客さんが 使う専用となっているのですが夕方の4時 以降は解放されて一般の寝台車の乗客も 利用することができるのですこれが改造さ れたプレステージのお客さんの客室通路と なっています全車両が個室になっていて かなり快適サービスも私が受けているもの よりももっと高いそうです予約はもう8 ヶ月ぐらい前にしたんですがその時点で 満席になっていました最後日プリンス アルバートパークカー名前がつけられてい ます自動 [音楽] 扉最後尾展望車の姿はこのようになってい ます1940年代から開発された姿です 戦前のアメリカの特急列車は最高日に豪華 な展望車を連結するのが関連になっていた ようですこれを参考に日本でも特急つばめ や特急富士の最高日に豪華な一等展望車を 連結するようになっていました戦後 アメリカの展望車はパークカーに置き換え られていきましたでは日本でもパークカー のような車両を作るかと思いきやそういう ことはなく日本では根本的に特急の運行 方式を変えて今の特急電車の姿に繋がって いったのですもし戦争がなかったらもしか すると日本でもこういうパークカーのよう な特急が走っていた可能性はなきにしも あらずというところですともかく伝統的な アメリカンスタイルの特急列車の最高峰が このパークカーです現在気軽に乗れるのは このカナディアン号だけですそれ以外には もうVIPサービスみたいなのを使って アメリカで保存されている古典的な車両を 貸し切るしかありませんという貴重な光景 最高尾には窓がついていて流れ去る景色を 楽しめるようになっていましたま昔の オープンデッキスタイルと比べると ちょっと小さい窓からの景色になるかも しれませんがともかく大いソルとは乗れ ないパークカーからの憧れの景色を見まし たこのパークカーはさっきまで乗っていた ドームカー同様に2階部分に傘された展望 部分も持っていますそして座席はこの車両 が特別車両だということで革張りのものに 交換されてより豪華な雰囲気になってい ましたそしてこれはプレステージクラスの お客様専用ですと書かれた札がついている 座席もいくつかありますあらかじめ最上級 の予約を入れておいたお客さんだけが 座れるように一部の座席は確保されてい ます私はそれに座ってはいけませんまた このパークカーは寝台車のお客さんは時間 限定で利用することができますがこれより さらに下のランクの座席者のお客さんは パークに入ることはできないよう ですこれが編成の1番後ろになります前に 長くつなる編成を1番よく眺められるの ですと横で何やら煙が立っているではあり ませんかちょうど今気づいたところでした がまた山かの小さな規模のものが発生して いましたカナダでは頻繁に山かが発生して おりそれによって人口の胴体にさえも影響 を及ぼしているほどだとお会いした理学者 の方から教えていただきまし たちょうど横からヘリコプターがやってき ましたこのヘリコプターは山かじ消化の ためにやってきたようですカナダの人たち もうわ珍しいあれ写真に撮れましたか みたい話をしていたのでこれを見ることが できたのは貴重な機会だったようですこの 中に消化用の水または薬品などを詰め込ん でいると思われます目標の場所に行って あれをガバっと開けて上から家事を消そう と頑張っていましたこの煙の流れてくる 向きからすれば大体どの辺りで山風が発生 しているのか想像がつきます大体あっちの 方にあるみたいです ねその薬剤の散歩をする光景は目で直接 確認することはできなかったのですが ちょうど今ヘリコプターが一度その作業を 行ったところのようです折り返して帰って いきますあの真下ありに燃えているところ があるはずうわあこれはひどい火事ですね 割合日常左半時となっているような光景だ そうですがまさか線路のこんなすぐ近くで 見られると は線路の通信を担う電子柱も切れできてい ますそれにすぐ近くのところが燃えてい ましたよまだGoogleマップに乗って しまうような規模ではないようですが他に も山かが至るところで発生していて なるほどこれが大陸の人たちを悩ませて いる山かという災害なのかと日本に住んで いると分かりませんが大が問題なのだと よく理解できましたこの辺りが1番今回 撮影したパークカとドムカの屋根の 立ち並ぶカナディアン号の美しい姿だと 思いまし たこれらの車両は1945年に初めて発表 され当初アメリカ合衆国で使われており 50年代になって飛行機と競合する必要の あったカナダの鉄道会社でも導入される ことが決まったそうですそして飛行機には 結局負けてしまいこれより新しい車両が 導入されることはなく現在まで至ってい ます 古い車両を大切にリニューアルし続けて 極めて高い運賃にはなりましたがしかし昔 の旅をそのまま感じることができるのは 豪華列車以上の贅沢かもしれませんね豪華 な列車ならま正直世界中に走っていますが 文化的に貴重な車両というのは普通あまり 価値をみんなに認められなくてねこんな 古い車両なんか面白くないよとみんな乗り に来ないわけですがカナディアン号は カナダドルの札の紙幣にも描かれるほど カナダのシンボルとして今後も君臨して いくようです さて湖が見えますと水運ができる場所だと いうことで向こうに火力発電所らしきもの が見えますカナダでは水がとても昔から 重視されていましたなぜなら大陸の ほとんどの場所で船が走れないわけですが 水があるところでは船が走れますからね水 のあるところでは大きな街ができがちの ようですさて水といえばお風呂昨日も入り ましたがまだ動画撮影しておりませんでし たシャワーを浴びにまいりましたシャワー 室は元々存在しなかったようですが カナディアン号の旅を楽しるようにと 新しく作られた改造シャワー室のようです 雰囲気はあまり綺麗な感じではないかも しれませんが実際には綺麗に清掃されてい ますお客さんの使うモラルもいいようです またシャワー室の利用頻度はあまり高く なかったようでシャワー室がびちょびちょ になっているとかそういうこともなくいつ も乾いていて使いたい時に使えましたこの 上のボタンを押しますとシャワーが流れて きて下のバーを引けば温度調節ということ になります水は十分積まれているようで 特に時間制限などもありませんでした最後 に次のお客さんのことを考えてもう自分が 使い終わったタオルで周りビチビチと濡れ てしまったところを拭いておきました タオルはここに入れておいてくださいねと 書かれていますタオルは寝台車のお客さん に対しては無料で提供されますお隣の貨物 列車と並走しているように見えますえ並走 できるということは線路が横に何本も引い てあるということですよね一方方向に 少なくとも線路が2本以上なければ他の 列車と並走することはできませんすごい 規模だなと思っていたらどうもこれは並走 には違いありませんが同じ駅駅の中で並走 していたみたいです駅には線路が何本も 引いてありますそして駅自体が巨大です からひたすら1個の駅の中でこっちが先に 行ったり横の貨物列車が先に行ったりと いうことを繰り返していたみたいです日本 では考えられない規模 です最終的には我がカナディアン号が先に 行くように指示が出ていたらしく横の貨物 列車も走っている中でこちらが先に駅の中 で走り去って追い抜きましたそんなことが あるんですねさて列車はそろそろこの週の シュートでありますとても大きな町 エドモントに到着です国際空港もあるよう なところですが周りには何にもなくま鉄道 貨物の扱い拠点とか車両基地みたいなのは ありそうですが一体どこがそのターミナル 駅なのと思いきはなんと列車がいきなり バックを始めましたこれから先本線から 枝別れをしてエドモント駅まではバックで 走り続けるそうですそんな走り方があるの かと驚きました巨大なスイッチバック方式 の駅 です列車のの仕方も今までに見たことが ないような急加減 ですそして確かにこれまでにはほとんど見 てこなかったような自動車が横に何車線も 走れるような巨大な道路がありますこう いったものを見るのは久々ですよどれだけ 人がいないところを走り続けていたかと いうことが今更ながら実感できますね そしてエドモント駅のホームに近づきまし た駅にやってきましたがまだ町ははか彼に 離れていますこの駅は非常に巨大町だそう ですが駅周辺はまるで何もありません実は 昔鉄道はもっと町の中心部まで入り込める ように今左奥にもちょっと映っていました が巨大なビルの方まで直接入っていける ようになっていたのですが今旅客鉄道の 時代ではないということで鉄道の駅は随分 短くなってしまったのです本線から ちょろっと分岐したところにエドモント駅 が現在では設けられていますが昔はここ からさらに2km以上行った大都会のど 真ん中に駅があったそうです ま1970年代ぐらいまででしょうかね 現在は長距離の旅行する人たちはみんな 飛行機を使いますから鉄道の駅はこういう ところにちょこんと設けられておけば十分 だということでお です停車時間がありますよ車掌さんが乗り れのないよ私たちに案内をしてくれました ここで前方を見ると貨物列車が行きかっ てる光景が見られますそれぞれが2階建て 東へ西へと途切れることなく続く長い貨物 列車たそので旅客列車は今や片狭くしかし 多くの人の喜びを乗せて走っているの ですなお先ほど撮影したパークカーはこの 場所で移したものでしたアメリカ合衆国と カナダの鉄道の黄金時代最後の姿がここに 残されています今回は妻と行きましたので 写真を撮ってもらいました憧れのパーク カー今後もう一度乗る機会を作り出せるか は分かりません ここで車掌さんたちが私の写真を撮って くれるとのことでお願いしまし たちょっと変な方法で階段の上へ登ったり してみましたがこれはねやっぱりあの アメリカとかカナダではちょっとふざけた ことをこういう時にやるのが喜ばれるよう ですよ今回の行ってみて肌感覚で思いまし たま私のそれが面白かったかどうか分かり ませんが楽しい雰囲気を作り出すのは大事 かもしれないですね車掌さんたちは私の 撮った映像を見てこれちょっとぶれすぎ ですねとおっしゃってましたがいやいや 切り抜けばいい写真になりますよ問題ない ですでは話をし出発の時間になりました窓 の外にはゴミが捨てられておりますがあ これは昔特急カシオペアが函館駅に到着し た時と一緒ですねこういった長距離夜行 列車では車内で出たゴミをどうやって外に 出すかが重要な考えになりますがちょうど ここで外に捨てて後でゴミ回収の方が来る のでしょうエドモント駅を発車する時 はるか彼方に超高層ビル軍が見えました カナダの長い都市エドモントの姿を少しで も見ることができてよかったです根くば あの中に昔と同じように列車で乗り付けて みたかったですがまあそれは贅沢の言い 過ぎですね50年代と同じ車両に乗って 大陸横断ができているだけ良しとし ましょう昔あの街の中に鉄道が乗り入れて いたのです夕飯はサーモンを注文しました 日本人はお魚を食べがちですかね油が 少なくていいですここでエドモントンの町 へ石油を運んでいる貨物列車の姿を見まし たエドモントンには海がありません通常 こういった石油とかは船で運ばれていくと 思いますが船で運ぶことはできないので 貨物列車が運ぶ重要な使命を追っている わけです広大なカナダの大陸石油製品を 国内で生産する時通常石油化学 コンビナートというのは海際で作ると思い ますがなんとこのコンビナートは内陸に ありますね内陸の石油化学コンビナート ですか美味しい夕飯を食べまして今太陽が 西の空へ沈んでいきます日本日の本日の 立ち上る国だと言いますがここから見れば 日本は日の沈んでいく方角にあるのですね 今ちょうどあの明りが日本を照らし始めた ところだろうと思います不思議な光景です ねそれではまた夜10時ぐらいになりまし て暗くなり本日も休ませていただきたいと 思い ますバンクーバーを立って3日目の朝昨日 ロッキーを超えてからは平野部をまっすぐ 走り続けてスピーも早くあというにカナダ の大陸ど真ん中までやってきていますが まだあと旅は3日続きます今日は随分 ゆっくりと眠りましたま時差が発生してい たこともありまして朝寝坊気味その方が いいです朝ご飯の提供時間はもう終わり ましたがパンが食べ放題になっているので いただきました沿線には北海道らしい シーメンスと書かれていますけどもでかい 農業倉庫がありますカナダも北海道も似 てるところが多いですよねカナダは全部が 帯みたでしょ今日途中ウィニペグという でかい帯みたいな街に立ち寄る予定で 楽しみ ですここから実に3日間以上平野部を ひたすら走り続けることになりますです からこういった大きなカーブさえ貴重に なってきます平野部遮切るものもなく ひたすら走り続けるので特に進路を変更 する必要さえないからですここから しばらくは一直線でしょううお沿線に でかいあれは多分リースするための農業 機械巨大なダプカーみたいな並んでいます これほど土地がたくさんあるのでアグリ カルチャーって書いてありますね農業も大 規模にやるのが効率がいいということです ね私が想像しがちなステレオタイプな カナダの姿が始まりました最も昨日の夜 からずっとこれが続いていて明日明後日 までずっとこの光景が続くわけです が日本から来ると非常に珍しい光景のよう に感じますこれだけ広い土地があるのに人 が全然住んでいません日本はなんだかんだ 国土の78割が山ですから平地があれば 大体人がそこを取り合うようにして進んで いるものですしかしカナダでは平地という のはものすごく大量にあるのできっと土地 の価値とかいうのもほとんどないん でしょうね日本とは概念が大幅に違う だろうと思います野生動物がたくさんおり ました野生なのかな勝ってるのかもしれ ないですねでも勝っているその監督者の家 みたいなのもあまり見当たりませんでした 規模が広すぎるんでしょうね時速 130kmで走り続けていますまた向こう に牛の姿が見えていますががどうも野生の アメリカバイソンらしいんですよね非常に 貴重な光景だと思います数が少なくなって しまっているとのことですただ野生で人間 が生みで出会うには危険だそうで時速 70kmほどの速さで走ることができ しかも人間が脅かしてしまうと攻撃して くることもあるとかいうことです列車から の光景で良かったですねさらにここに穀物 を積み込むためのサロみたいなのがあり ますがこれも凄まじい光景で手前に線路が 1本で奥に貨物列車がずらりと止まってる のが見えますでこれね山手線みたいに丸い 線路が引かれてるんですよ何これと思った ですがつまりこの巨大な貨物扱い施設の ところに丸い線路を引いてしまって貨物 列車をぐるりと一周させて奥の海路から 食べ物を積み込んでしまえばいいという ことでこの辺りがカナダいや世界の超 スーパー国地帯であるということの証 でしょう延々と貨物列車が和を描くように して止まっていますプラレールやってるん じゃないんだぞと言いたくなるような 気持ちですしかしこの穀物によって私たち 日本人も大いに助けられていることと思い ますお昼の時間になりました向いの方は元 警察官そして軍人であったという人です 熱海に行ったことありますよ話を聞かせて もらいなぜ熱海に行かれたんですか ベトナム戦争に行く前に休暇で立ち寄った んですベトナム戦争はあまりにも悲惨で 言葉にするのも辛い状況であった仲間のお 葬式をあげて正常機で包んだのが忘れられ ないという話を聞かせていただき日本も 大変スになりどうもありがとうございまし たという話をしましたこの列車が西側の 列車だという思いをさらに強くしました この辺りになりますと周りがだらけになっ てきます水がポツポツポツならみたいな 感じです ね列車はメルビルという駅に到着しました ここでしばらく停車するから降りても良い とのことですお客さんも皆降り始めてい ます古くからの駅舎がおそらくは100年 以上前の駅舎が残っているようだったので 見に行くことにしましたちなみにカナダを 鉄道で旅してみてほとんどの鉄道駅舎は ものすごく古いものばかりだということに 気がつきましたつまり1950年代以降 戦争が終わった後は飛行機の時代になって いき人々が移動のために鉄道を使わなく なったので駅舎も新しくされなくなり結果 的に古いものが多く残されているという ことですこのメルビル駅は入り口が今この ように封鎖されていますがどうも再整備の 最中だそうで文化財としての価値が認め られこれから新しくしていくというような 話をこの時聞きましたま外装は随分よく 整備されていますけど木の板ですねだいぶ 簡易的な作りにも見えますカナダでもこう いうのがあるんですね ここで後からやってきた貨物列車に抜かれ ます抜かれる光景は 見事駅前の光景をちょっと見てみるとまあ アメリカの西武劇で見たような感じの 雰囲気です元々何もなかったところを鉄道 で開拓しその時の街並が現代化されて今で も同じように残っているなという印象を 受けました実際そうなのか分かりませんが 1階建ての土地が広く周りに広がっている のが印象的でした我らがカナディアン号の 前に出ていく貨物列車の姿は威圧的です壁 が動いているという言葉がまさにぴったり ですというか事実壁が動いているでいいん じゃないでしょうか反対に貨物列車が来る と何も見えなくなりますからねしばらくの 間さて停車時間が過ぎましてメルビルを 出発立派な駅舎がありますがこの駅は現在 全く利用されておらずその横に簡単な公衆 トイレ程度のサイズの待合所があります週 にわずかな回数カナディアンが来た時に この建物が使われるかもしれないという ことですねしかしこんな立派な駅舎が残っ ているぐらいですから元は鉄道の幼少だっ たはず実際でもそうでした機関車に給油し ている光景が見られますこの油も鉄道が 自分で運んでくるわけでしょうカナダの 物流生活の根幹をになっていると感じ ますさらに機関区車両基地のようなものも ありましたかなり大量の機関車がいて あちらでも燃料を詰めてい ます鉄道の時代が終わったというのは あくまで先を急がなければなない人の輸送 に関してのみで貨物の輸送については依然 としてなくてはカナダの経済が崩壊して しまうだろうということを感じる鉄道の 存在感でした先ほど地図で見たようにこの 辺りには水がたくさんあります水が たくさんあるということは農業もやり やすいだろうと思います空の上高く飛行機 が飛んでいますカナダの大陸横断の国内線 ではないかと思いました国内線と言っても 日本とは比べ物にならないほど長い距離を 飛んでいくわけですあれさえできなければ 鉄道はもっと賑やかだったと思いますが あれができてもなおこんなに楽しい鉄道の 列車が走っているだけ素晴らしいですさて 向こう方にまた鉱物の巨大な山が見えてき ましたこれはこの辺りの車窓の見所だと いうことでガイドブック車内に置いてった 本にも書いてありましたこれもまた 削り取って鉄道に積み替え光景が見られ そうです横に煙を上げている工場が見え ます多分あの辺りがそうなんでしょうあり ました何か工場の拠点のようなもの農業の 拠点のようなものがあればそこには必ず 鉄道の姿があります日本でも昔はそうだっ たのです物を運ぶといえばまず第1に鉄道 その補助として自動車が行けられるという 昔の日本の鉄道に憧れを持つ人たちなら 一度は訪れるべきカダの光景だと思いまし たここではるか後方にピラミッドよりもし かして見応えがあるのではないかという 巨大な鉱山を 過ぎ去りこの辺りでは珍しく山がちな地形 になってきましたま鉱山があるぐらいです からねカーブのおかげで反対の貨物列車を 奥の方まで見渡すことができていますが これでも全体の1/3ぐらいしか見られて いないんでしょうねとんでもない長さ 120両ぐらいはついでいるでしょうから この辺り多少山な地形になり川などもあり 手前にはグース打みたいな鳥があのたまに 見かけるやつですけれどもいましたあれ ですねこちらへ向けて辞儀ペコペコして おりますあどうもどうもご苦労様 ですおよそ人の手によって管理されている 家畜ではなさそうな黒毛和牛風の牛もい ました車掌さんから案内放送がありました 右手後方にトレッスル橋梁が見えますよ いい景色です列車は今素敵な橋の上を渡っ てますしかし通常列車で橋の上を通過して しまえば橋自体は真下にありますからその 姿を見ることはできませんでもここは ちょっと山がちな地形で橋を渡った直後に 列車が大きくカーブするためその鉄橋の姿 を見ることができました19世紀から20 世紀初頭ぐらいにかけて北米いや世界の 鉄道で谷を渡る時にこのような橋をかける ことが多くありました下に向けて部材を足 を広げていくようにして作る独特の迫力が あります日本では山陰本線の鎧アルベ間に あったアルベ鉄橋アルベ橋梁が非常に有名 でしたが2010年にはもう使われなく なりましたこの鉄道ではまだこうした トレッスルがいっぱいあり特にここでは その姿をよく見ることができるということ です日本にもまだ大目線で使われてるのが あるかなぐらいに貴重な光景だと思います 左には巨大なとはいえ現在は使われてい なさそうな貨車を受け取るためのサロが あり ます今はトラック輸送に置き換えられたの かもしれません [音楽] ちょっと早めにもう夕飯をいただくことに しましたミネストローネスープこの カナディアン号の食事は美味しいと評判 ですこの後あったオーストリア人の鉄道 マニアの方がいやアムトラックの食事は クソだけどこの列車は行けるねみたいな こと言っていました列車はリバーズ駅を 通過中名前がそのまますぎてびっくりです ね川がいくつか流れている場所でしたよ 確かに カナディアンを見に来た人たちでしょうか 分かりませんが何人か人が見ている横行 列車が過ぎ去りまし たこの日夕飯には立派な牛肉料理が出まし たまいつも立派な食事ですけどねちなみに 器なんですがこれ日本のやつなのかな乗り た系と書いてありますま視聴者の方に教え ていただいたんですが日本の高級な食器と して有名だそうですてか知らないのは僕 ぐらいで多分この動画をご覧になってる皆 さんはご存知なんだろうと思いますま僕で すら覚えましたね列車の速度は上がってき ましたさっきのちょっと山形を抜けたよう です車掌さんからのご 案内北米最大のポテト加工場がここにある ようですポテトチップスを大量に作ること ができるそう ですであの工場は鉄道遠征にはないんです よね確かに新しめな工場に見えます昔だっ たらばあいった工場の横には必ず鉄道の 引き込み線を入れるはずだったと思います がうおちょうどその鉄道のライバルでかい ですね日本であんなの走れない2両連結の でかい自動車がポテトチップスの材料を また取りに来たところだろうと思います ああやって鉄道のライバルはカナダでも 広がりつつあるんですねしかしこの辺りで は特に道路上の大型トラックの姿が目立ち ましたまカナダあまりにも大きいですから 遠くの街まで車で行くということは現実的 ではなくて遠くに行く人たちはどうも飛行 機を使うことが多いようです農業もめて大 規模沖縄で一部見られるかなぐらいの自動 水やりがこんなにたくさんまありすぎて いちいち映像撮っても仕方ないからこの1 本だけを紹介することにしたいと思い ます農業は自動化されていてま日本の物価 的な農業と比べるとだいぶ進んでいる感じ がしますがまそれもこれだけの大量の土地 があって1個の作物を永遠と作り続ける 効率性を追求できる環境にあるのかもしれ ないですねここで車掌さんからご案内あ すいませんちょっと遅ましでかいコカ コーラの工場がありましてコカコーラ看板 があるんですけれご案内がちょっと遅れ ちゃいましたお客さんからはジョークが 飛び出しますああもうあなたは首ねこの後 ビールのシコーナーがありますお客さんは 続けてあじゃあ車掌さんあなたのビール 次第ではあなたは首にならずに住むかも しれない わ車内は温かい雰囲気に包まれていますっ てきてもらいましたーはこれですカナダの 名物ビールをみんなで飲み比べようという 車内イベントが行われています車内では このようなイベントが毎日行われています クルーズ線のような雰囲気 ですうんこれはクリアでさっぱりした味の ビールです ねこれはさっきよりもちょっとフルーツの 味みたいなのを感じました爽やかな匂い カナダのビールはね 結がが多いと思いましたね車掌さんは僕に もお酒を飲んで欲しそうでした最初に シャンパンとか配られた時は結構断ってた んですけどビールの深会だからということ でせっかくだから飲むことにしたんですが 車掌さん大喜びしてくれましたありがとう ございます謎の装置の間を通り抜けました けど多分貨物列車に化石祭とかがないこと を確認するものだったのかなと思いますで もあんな本性上でしないですよね何の置 だったん でしょう温かい車掌さんのサービスを受け ながら鉄道と書かれた古い100年以上前 の影者でしょうね貴重な車両なども見る ことができましたさて一斉にアナウンスが かかり列車がウィニペグユニオン ステーションに到着すると伝えています ユニオンステーションは北米でたごでは ない大都会に到着する時よく名前が呼ばれ がちな駅ですともかく超大都会に到着した のですこの駅でしばらく停車をします駅の 屋根も立派しかもこれがホーム全体を 取り囲んでいます旅客鉄道の時代はすでに 過ぎ去りホームが若干荒れてはいますが ともかく昔はすごかったのだということが 今に伝わっています同駅ではしばらくまず 給油を行うために停車しました駅の係り さんもいらっしゃり安全に見守っています お客さんみななぜ列車が一旦停止している のか分からなかったのであ今給油やってる みたいですよみんなに伝えまして好評でし た改めて列車がホームに到着ウィニペグ ユニオンステーションここでお客さんが ぞろぞろと降り新しいお客さんが乗ってき ましたホーム場には国鉄型のベンチみたい なものがあり昔お客さんが多かったことが 感じられます 現在でも当駅を発着する列車の本数は ほとんどないようですがとはいえ一度列車 が到着すれば多くの人が乗り降りする主要 駅だということで校内は綺麗に リニューアルされていました元々は100 年以上前の駅舎 ですユニオンステーションのコンコースを 抜けて表のロビーへ入る時お客さんは全員 上を見上げて口をポカンと開けましたこれ は全員です私ももちろんその中の1人 カナダのそして大衛帝国の維新をかけて 高い天井が設けられ鉄道前を今に伝えてい ますこの繁栄がすでに昔のものになって しまったというのがとても信じられない こと です表通りへ出るために自動ドアが並んで います3つも並んでいます昔はさや多くの 人たちが忙しくここを出入りしたのだろう と想像します今でも全盛紀の姿をそのまま とめてくれるのですからこれ以上なく幸せ な体験です駅の中にはほとんど人がいませ んがしかし駅を出れば元には忙しく車が 行きかいこれまで抜けてきた農村や ほとんど何もなかったような場所とは だいぶ違う光景がありますユニオン ステーションを真正面から見た様子です もし皆さんが北米にお出かけになって近く にユニオンステーションという名前の建物 があったらきっとそれは国家の維新をかけ て作られた立派な豪華な建物だと思います から足を止めてご覧になることをお勧めし ます先ほどもお会いしたちょっと辛口の オーストラリア人の方もこれはもうすごい ね僕がアンビリーバボですねと言ったらあ もう本当にそうですよお互いに大興奮鉄道 マニアの共鳴するポイントは一緒です車掌 さんに追加でチップをお支したいと思い 20ドルをいくつか下ろしました初めて見 たカナダの札には国家現象を長くお勤めに なったエリザベス女王のご肖像が描かれて いまし たこのウィニペグユニオンステーションの 建設風景が展示されています1911年頃 完成したようです当時と当然ながら同じ ような作りただ当時は駅前に路面電車が 走っていたみたいですね現在は車になり ましたそれだけではなく馬車も運行されて いたようです当時と今とでは交通事情が 大きく変わりましたが貨物鉄道は物流の 中心用になっています昔の貨物駅は今より も町の中心にあり極めて大きな規模だった ようです川がすぐ横にあり水温との立地が 良く農業の拠点として境いたウィニペグは もちろん貨物の拠点ともなり余角駅の裏に このような大きな貨物駅が設けられたそう です現在貨物駅はおそらく郊外に移転した と思われ ますですからウィニペグ駅の裏手側を見る とかつて貨物ヤードがあったところは広大 なサチになっていますここからもう少し 行ったところにはかつておそらくは水温と 連絡していたと思われる川がありますが そこまで行くのはやめておきました列車の 出発時間に遅れてしまったら次の列車は 23日後しかも人気がありすぎて満席で 多分乗ることはできないでしょうからね 今回は乗り遅れは本当に現金 です駅舎へ戻ろうとするとちょうど降りて いく飛行機が見えました今やほとんどの人 が気楽に空を飛べる信じられない時代に なり鉄道は長い歴史の中で見ればほんの わずかな間しか全盛紀を持っていなかった ということになりそうですともかく今後も カナダの鉄道の旅を味わう人たちはこの ように多そうですから心配はいりません この駅で多くのお客さんと車長さんが 入れ替わりましたもっと多くチップを渡し ておけばよかったと思いましたがまあでも 十分な額はを渡してきたと思いますこの 時間になりますと最後尾のパークカーは 全く誰もいなくなったのでここで内装を じっくり写真に撮ったりして楽しませて もらいました最後尾がすぼまっている流線 系の内装が特徴 ですかなり長い間ウィニペグの駅で列車は 停車しました本来はすぐ発車するはずでし たが出発まで1時間半以上遅れましたそれ でもこの大きな町を離れる瞬間は是非とも 映像に残しておきたいと思い私は夜更かし をしまし た列車がウィニペグ駅を離れる時一筋の わずかな明りが車体を長く照らしてくれ ました が1940年代50年代のかっこよさとは こういうところに見出されていたのだと今 感じることができました更の買もありまし たそして離れていく農業と水温と鉄道で 栄えた街ウィニペグの夜景は夜遅くになっ てからでも楽しめますそれほど大きな町に 来ていたということですもし次にカナダの 鉄道をまた横断する機会に恵まれたなら その時は贅沢に時間を使って途中の街を見 てカナダ発展の言れをもっと知っていき たいと思いまし たに深夜になっていますがれでも貨物車は 休むことなく走り続けます差もなければ この広いカナダを1つにまとめ上げること はとてもできないでしょうそしてこの ウィニペグの町の発展に際して鉄道がどれ ほど寄与していったかも改めて称える必要 があると思いますはっきり言えばあまり役 に立たない土地であったであろうこの ウィニペグは鉄道の開通によってカナダの 中で最も重要な街の1つになり下がって いったの ですウィニペグには海がありませんし海 からはるか彼方に遠く離れていますです からこのようなの街には生活に必要なもの を持ってくることがかつては難しい状態 でしたしかし鉄道が開通したことにより 人々の生活に必要なものは海からコンテナ で直接運ぶことも今ではできるようになっ ていますそしてこの町で集まった大量の 農産品はまた鉄道によってカナダ全土 さらに世界中へ回っていくのですナッツと か書いてあるのが見えますね昔からこの町 の中心にあった農業倉庫が今でも残って いるようですフードクラブと書いてあり ます世界の人たちのを満たしたウィニペグ の農業倉庫が今でも線路沿に残っていまし たウィニペグは岩ずもがな鉄道の発展に よってこのような大きな町へと急成長を 遂げてきました全盛紀にはトロント モントリオールに継ぎカナダ第3の町で あったようです現在では昔ほどではない ようですがそれでも人口第6位カナダの海 のない町として類いまりな活躍ぶりを今の 私たちにも見せてくれています [音楽] さてそれではもう完全な真中になりました 誰もいない寝台車ちょうど扉が空いている じゃないですか空いているものを隙間から 見る分には自由でしょうこれが特別車両だ そうですがダブルベッドになっていてより 広々とした部屋の中入りたいですけど入る のはやめておきましょうねこれが最上位の 寝台になるそうですウィニペグから先は 比較的空いてるようでした食堂車も真中で 誰もいませんから落ち着いて撮影ができ ます食堂係員の皆さんもここで交代をされ 全員新しいメンバーに変わりました改めて よろしくお願いいたします挨拶をさせて いただきましたまた食堂車はエコノミー クラスと寝台車で合計3両連結されている ようですがそれぞれ若干車内の雰囲気とか 内装長道品が違ったようですね昔の食堂車 の雰囲気をよく伝えてくれていますだって そのものですから ね食堂車の厨房が空いていたので隙間から 見させていただきまし たこの甲子場のシャッターがまずいいです が古めかしくも 十分に綺麗に保たれていて食事を出して いただくにも安心ですそしてもう皆さん 寝静まっているから慎重に行く必要があり ますが上下2段ベッドのカーテンが閉め られて人々が寝ている光景日本の昔のA 寝台にそっくりですアメリカのプルマン式 ベッドを参考にしたのですねまさに本場の A 寝台さらに空いている部屋がもう1つあり ましたこれ私が利用してるのと同じクラス の個室ですがこの個室はちょっと他よりも 広めですこの部屋はね当たりみたいです各 号車に1つ当たりの部屋があるようでこの 部屋はどうも改造を受けていないほとんど オリジナルのデビューした時とあまり 変わらない内装で続けているようです横に はトイレもやはり設置されていますこの 部屋が当たったら嬉しいですよね座席指定 は切符を買う時にはどうもできないよう でしたちなみにこの上下2段のベッドの人 たちは部屋にはトイレがないわけですが もちろん共用のトイレがついています わずか6人で使う共用のトイレですから 比較的綺麗に保たれ続けるだろうと思い ます 本日の客室内車窓の紹介はこれぐらいで 終わらせていただきましょうまた明日に 続けますおやみ なさい翌朝9時2分昨日の夜1時ぐらい まで起きていたのですっかり寝坊しました がまそれでいいですさっきまでは湖のほを 走って良い景色だったようですがまあ散々 いい景色も見ましたし何よりねこの後本当 に面白い景色が見られましたよ列車は ただいまスルックアウト駅に停車中のよう でです現在地はウィニペグからそんなに 進んでないですねあれ平地のはずなのに 遅れていました本来であればえ6時51分 に出発してるはずなのですがただいままだ 発車していません9時40分に発車予定と のことこのまま3時間ほどの遅れで行き ますと終点のユニオン駅には明日の夕方5 時18分到着ということですがまこれは 分からないですよだって明日の到着予定 ですからもっと回復するか遅れるかこれが そのスルックアウト駅だそうです駅の周り ににはポツポツと昔ここに鉄道が通った時 に街ができてそれが受け継がれているん だろうなという雰囲気のおこの時計のつい た建物なんかいい雰囲気じゃないですかが ありましたがさっきまでどうもこの駅に 停車していたようなんですねで外のホーム に降りて景色を見ていいですよみたいに なっている駅の1つだったようですお客 さんの多くが朝ご飯を食べ終わった後この ホームで外の空気をすったりしていたよう でこれがまたフクから保存されているスー ルックアウト駅で面白いのはここからです これ駅の写真降りることができなかった からま打つだけしておこうと思ったのです が人が何やらこの列車の近くで手を食って い ます黒い服を来た人が低い プラットフォームの上で走り今駅の中に 入ってきまし た実はあの人はこの列車に乗り遅れた みたいですこの列車の乗客ですよ大変な ことですこんなところで置いて行かれる なんてと思いましたがなんと列車は しばらく走ったところで停止し何やら無線 通信をした後でただで餌を遅れているのに まあちょっと迷惑な話ですからあのお客 さんも何か事情があったのかもしれません ねえ列車はなんとさっきの乗り遅れのお客 さんを迎えに行くために今戻っている ところだと言い ます確かに信号機がちゃんと手続きを踏ん で今上の信号機が真ん中が点灯し黄色信号 になっているということが分かり ますちゃんとこの列車が戻るように信号 関係も操作して安全を確保した上で列車は 駅へ戻ったんですね今先頭の部分が通過し たので赤信号に変わりましたお客ささんは もうみんなこんなの聞いたことがないぞと 僕も聞いたことがありませんもう僕は日本 から来たから特にですよと言っておきまし た車内はそのことで持ち切り 私はちょうどドムカの一番後ろのところに 座っていましたですからこの一部四重を うまく映像に移すことができましたお客 さんにとっては良かったですねあのスルク アウトは友人駅でえ金さに泣きついた結果 連絡をしてくれてこの列車が戻っていった ようです 車内のお客さんはみんな私に話しかけて あなたもいいビデオカメラを持ってるんだ からそれで取っときなさいこんな景色ない わ よいやその通りでございますミクサクリ しか僕は知らなかったですけどもそれ ずっと言ってですねああ後の貨物列車も こっちへ追いついてきちゃってますよあの 貨物列車にも遅れが波及することは避け られなさそう です長い列車ですからね橋を渡ってこっち の方まで入ってくるまでまだ少し時間が あるかな でもまどういった事情であったのか分かり ませんが置いて行かれてしまったお客さん がいたよりは個人的にはいいことだったと 思い ますさあ取っときなさい取っときなさい 周りのお客さんに私はやしちゃってられ ました取ってYouTubeにあげなさい instagにあげ なさいもちろんそうさせていただきました 後にやってきた貨物列車が定住運転して いるのか遅延しているのか知るすべは私に はありませんがしかしともかく用事は住ん だのでカナディアン号もすぐ発車できる だろうと思いますお客さんも手配を取って くれた駅員さんに礼を行って乗っていたの が印象的でしたさてこれで改めて出発早速 青信号が点灯しています体なく出ていき ましたも列車全体では幅に遅いるのですが さっきの信号機ももう戻ってくるなよとで も言いたけな赤を灯していましたさてま そんなこんなで午前中はほとんど何事も それ以外には怒らずもうお昼の時間が 近づいています早めにいただくことにし ました朝を食べていないですからね ハンバーグがバラバラに壊れてしまいまし たがまあでもねハンバーガー美味しかった ですよこういう風なちゃんとした ハンバーガーを北米で食べると美味しい ですねマクドナルドとは違うぜって感じを ちゃんと出してくれているのかなと思い ましたマックのハンバーガーという圧倒的 な基準があるから強いですよねさてその先 にもいくつか小さめの駅を 通過要望すれば止めてくれるのだと思い ますが駅員さんが反射の安全の服を着て 腰かけて何やら断捨していましたあれで 給料がもらえるならいいですけど世の中 そううまくはいかないと思います駅員さん も大変なカナダを結ぶ使命を追っているの です列車もここで所要時間を短縮し一気に スピードを出して遅れを回復したいところ ではないかと思いますしかし妙に形がよく なくちょっとした山形な区間みたいですね 飛ばすことはできていなさそうですまた どうも単線区間が続いているのかな反対の 貨物列車らしくものが待っていまして こちらは分岐器を使って横に避けました 反対の貨物の運転士さんらしき人が降りて きてあやっと来たよみたいな立ち方をして います実際どうだったか分かりませんが 途中いくつもの駅を通過していきますが 古くからの駅がよく保存されてい [音楽] ますその後夕飯の時間になりました一気に 動画が夕飯まで進んでしまっているのは なぜなのかこれは広い広いプレイリーの大 草原の中で特に景色も変わらずま改めて 映すほどのものはここではないだろうかな と思ったからですでもいい1日でしたよ 列車の中でゆったりとした日を過ごしまし たそして夕飯の後列車はまたこの駅で しばらく降りていいですよということです が降りるとなんとプラットフォームすら 存在しませんでしたが新らしい景色の中に 超豪華な特急編成が止まっている光景も いいですさっきのお客さんはもう見当たら なかったですね服を着替えたでしょうか この列車のゴミを回収するための停車だっ たよう ですお客さんがホームに出ている間 しばらく運動ができないということで停車 時間に服を着替えてランニングをしている ような人まで現れまし たまたこの駅で運転室さんが交代されまし たどうも機関車は10連総括制御先頭の 機関車で2両分一括で操作できるように なっているようで運転手さん1名か少なく とも先頭にしか乗っていなかったように 見えました後ろは荷物車ですこの中にお客 さんの預け荷物が入ってるですねただ預け てしまうともう取り出せませんからねそれ は注意が必要 ですちなみにこの駅はホペインというのか な横には給水筒がありました現在ではもう 使われていないようですが蒸気機関車が あった時代のものだと思います横には車両 基地のようなものもあり運行の拠点となっ ていることは分かり ますレガ作りここに初めて鉄道がやってき てからずっと残っているものでしょう 1880年代だと思います確かに運転士 さんの交代があったり収があったり運行の 拠点としては今でも生き残っているよう ですが機関車の姿は見当たらなかったです ね遅延はここで少し回復しましたか89分 の遅れとなっています随分回復しました ねまた戦らしい区間が多く反対の前頭を 灯した機関車と行き違いを行いまし た夜はさっさと寝るに限りますそれほど 広くはない部屋です室の中ではなくにいる 時間の方が圧倒的に長く部屋はもう寝る だけに使っていましたシャワーを浴びるの にタオルが補充されていました多分お願い しますといえばまたもらえたりすると思い ますちなみにこのタオルセットですが立派 なバスタオルが2つもそして中には石鹸 などが入っていますがこれはねボタニカル なんとかみたいなオーガニックのやつです ねかなり品質のいいものを入れてくれてい ますシャンプーの他にリンスとかもあった と思いますシャワーはこのような形で出て き ますソフト面のサービスは非常に充実 ハードメンは昔のものをなるべくよくして 使っているという雰囲気の列車でし たこのように床に敷いておくと後の人にも いいかもしれませんあとこの列車の良かっ たところはドリンキンボーイズ の味がするとかいうこともなくこれでいつ でも飲み水に貼り付けまし た普通列車の手洗いの水とかは飲めないん ですけどね飲める水の回路が別に用意され ていたとは基本的に私は下段で寝ており ましたがいやフカフカの良いベッドでした よ昔のブルートレインを思い出すごとごと の揺れの中で眠りますでも毎日ずっと列車 の中で眠っていると眠るのが辛いとかね あと時差が毎日1時間ぐらい発生したりし ますので海外旅行に慣れていない方には ちょっときついと感じることもあるかも しれません無理して早起きをしたりする ことは避けるのが懸命かと思います ロッキーの山だけ楽しめれば後はオッケー と思いましたあとここに隙間がありまして この隙間の中にこういう風に物が落ちて しまうことがありますので が必だと思いましたねが落ちて拾うのに 苦労しました枕元に小物を入れるスペース がちゃんと用意されているのでこれを使っ て事故を十分防ぐよう気をつけ ましょうそして翌朝最終 日え分かりやすい英語だったから全部 聞き取れましたけどこの列車の予定到着 時刻が2時間も早まってに着しますと言わ れています最後の朝ご飯を食べる時向いの お客さんとはいやサプライジングニュース ですねと話をしましたいや到着時刻本当 ですよねなんと昨日3時間も遅れていたの に今日は2時間も早く運転しているという のです一体どうしたらそうなるのかと思い ましたが余裕の時間を持ってくれていると いうことなんでしょうアメリカ大陸横断の 旅も5日目ついに火に入ってきました本日 この列車はトロントに到着し終点となり ますそしてトロントで乗り換えてまた ニューヨーク方面に旅を進めるわけです 早くトロントに到着できるというのは私に とっては良いニュースでしたトロントが どういうところかよく見ておきたいと思っ たし見ておくための時間がより長く確保 できるからです遅れたらトロントに夜に 到着してしまって見る時間がほとんどない ということも考えられました右手に湖シ 高校が見えましたま極端な言い方をすれば ここで大陸オーダーが終わったということ もできるかもしれませんなぜならばこのシ 高校はおそらく運河で持って南方の オンタリオと繋がっているはずですそして オンタリオはまた運河などで持って大西洋 とつっていますですから今私が走っている すぐ横にある水は大西洋にそのまま繋がっ ているのです渡ってきた太平洋は春か大陸 の反対側に東海岸にやってきました間も なく終点のトロントに到着しますトロント 近郊ではついにカナディアン号以外の近郊 列車通勤列車が発着するための小さな プラットフォームを多く見られるように なりましたこの近郊電車の駅はだいぶ先進 的で電車の駅の横に巨大な駐車場も設け られていますそして町へ通勤する人はここ まで車を持ってきて止めて電車に 乗り換えるまさにパークアンドライドを やってるようですま車の台数はまだまだ 止められるようでしたねま朝早い時間から 運行しているようですただ朝早い時間と 夕方しか運行していないというのがやはり この路線の特徴で日中は全く運転してい ないようですカナダでの通勤列車とそう いうものばっかりでした [音楽] ね次々通過していく近郊列車の駅を見ると 京浜東北線や山線の駅を横に見ながら ブルートレインで東京へ入って行く時の ことを思い出しますトロントは驚くほど 大きな都だそう です最後にドームカで記念に写真を撮る ことにしました外国人らしい写真を撮って みましたがどうですかねまあまりらしく ないかもしれませんがこのように執着の駅 が近づくと共用スペースは空いてくる傾向 にあります日本の長距離寝台列車でもそう でしたので海外も同じかなと思ったら 案の定同じ1人で貸し切りで楽しめました さあもうトロントに到着しますエアカナの 大型器が降りていくところを見られました ここで前方にトロントのビル軍が見え始め ましたしかしまだあれは町の外格です トロントは人口およそ300万人カナダで 最大の都市です日本は人口がものすごく 多いので300万人と聞くと少ないかも しれませんが昨日見たあのウィニペグが 大体80万人ぐらいですバンクーバーが 70万人ぐらいでしたか ねそれほど多くはない人口でこの広い カナダをつなぎ必要な源ををお互いに輸送 し合って鉄道と飛行機とそして船とが それぞれ最大の活躍を見せているのが カナダの魅力だと思いましたトロントを 到着前にかなり上のところを渡る高架の 貨物線らしいものをくぐりますがこれは またトレッスル教ではないですか トレッスルの真下を鉄道でくぐる経験が できるとは今回の旅で最も印象に残った 瞬間の1つでした息を飲む光景です山陰線 のアルベ鉄橋をこの目で見て渡ることは私 は現役時代には叶えませんでしたがま しかしアルベ鉄橋を見た経験がなかった からこそ今の瞬間の感動がより増幅された ような気持ちになりまし たさて向こうにCNタワーが今初めて見え ましたかつて世界で1番高かった建物 トロントの象徴です上はか高をまた貨物線 が横切っています鉄道で結ばれたカナダの それぞれの街の魅力 ですこちらは道路ですがこれも戦前の時代 のうちに完成したようですすごい高さの 鉄骨作りのアーチ鏡でし たいよいよトロントの駅へ入るに連れて 列車はこれまでにもほとんどなかった巨大 な右のカーブを描きます太平洋から大西洋 を目指して進んできた旅は本当にここを 持って大部分を終えたと言っていい でしょうなぜならばこの右のカーブを過ぎ ますと左手には体性洋と直結し古くから 栄えてきたオタ五大子の一角を見ることが できるからです大子は中学校の社の授業で 教わりアメリカにはそんなにでかい湖が あるのかカナダも含みますが中学生の時に 驚いた湖をこの車両基地の向こうに見る ことができそうですここに止まっている 車両たちはトロント周辺の近郊列車2階 建てで輸送力を十分に確保しています2階 建ての貨物列車も走ってますからねそして 見えました北米では3番目ですかトロント のビルが見え出しまし たまずは左手のオタリ横をご覧ください ここはものすごく深く大きな湖でここから 流れ出ているセントローレンス川とかいう 川もバカでかいのでとにかく大型の船が ここに入り込むことができるようになって いて最終目的地のロンドンまでここから船 だけで行くこともまあできるといえば できるらしいですという日本人からすれば 意味の分からないスケールの湖となってい ますその間にトロントのビル軍はより 大きく見えるようになりましたまあ何でも よく聞くところでは北米で大きなビルが 並ぶは1にニューヨーク2にシカゴ3位は このトロントだそうですあロサンゼルス じゃないんだとカナダ人に対して失礼な 発言をここでしたことをお詫びしたいと 思いますカナダを代表する超商業都市 トロントはすぐ目の前にあるオンタリオと この鉄道の輸送によって元々大きい街だっ たそうですが極めて大きな町に発展しまし たしかしカナダの首都ではありません最大 の町 ですその中でもCNタワーが象徴として そびえています50年以上以前に建設され 30年以上にわたって世界一の座を保持し たという企画外の記録も持つCNタワーは まさに近時島ですそしてそのリチは抜群2 位ですなぜならば列車が間もなく到着する 終点のユニオンステーションのすぐ横に 作られていますなぜでしょうかCNこれは カナディアンナショナル鉄道鉄道タワーな んですね鉄道が元々この辺りから後範囲に 電波を発射できるようにと作ったタワーで 現在では鉄道会社のものではなくなってい ますがしかし名前は受け継がれています 広大な鉄道用地の跡地に立てられました昔 よりも間もなく到着するユニオン ステーションの規模は小さくなりましたが しかしそれでもはば東京横浜からやってき た私を驚かせるには十分な規模だと思い ますこのカナディアン号を降りてしまう 寂しさよりもまもなく到着するユニオン ステーションがどれほどすごい場所である かへの興味の方が圧倒的に大きくいい旅行 ができていると感じまし たトロントステーションの9番線ですかね 予定よりも大幅に早く到着車掌さんどうも ありがとうございましたチップを渡して おりましたこういう場合にはお渡した方が 良いと思います車掌さんも大変親切で ベッドの展開座席の調整色々と手伝って くれていたからです何もなくてもお渡して もちょうどいいぐらいかと思います特に アメリカ合衆国の方では渡した方が良さ そうです ねさすがにここまで来ますと旅客列車が2 日に1ぺしか走らないとか言ったことは なく むしろ頻繁に列車が発着していますただ 使用車両は古いものも目立ちましたね鉄道 マニアには優しい環境でし たさてそれでは私もここでド肝を抜かれる ことになりましたトロントユニオン ステーションの内外像をご覧いただきたい と思いますカナダの鉄道の象徴そして大英 帝国の一新をかけて作った極めて高い 天井これがカナダの国の実力ですよと世界 の人に示すには十分な作りだと思いました かつてカナダの鉄道は自社で運行していた 客船と連絡し東洋から西洋までそして地球 を連絡する鉄道会社だったのですこれから 先どこへでも行けますよと文字で案内して いますバンクーバーから エドモントンこの間同じくド肝を抜かれ ましたユニオンステーションのある ウィニペグそしてここトロントからさらに ロンドンなどこの周辺の街そうこのカナダ にロンドンというあの有名なロンドンとは 違うロンドンもありますともかくこの辺り からカナダ国内鉄道のとろ全ての途中を 書き表しているように見えましたつまり ここから鉄道に乗っていけばあなたはこの 広い全土を旅することができるのです カナダの鉄道の広さを思い知りましたかと 高いところから言われているのだろうと 思いました昔の日本人はここで思い知った と思い ますはるか彼方の東洋からまだ見ぬ ヨーロッパを目指して昔の人たちはこの駅 の中でうおさおしながら旅を続けていた だろうと思います同じように土を抜かれる 体験ができてとても良いと思いました表 玄関を出るところでもう一度驚かされる ことになりました駅前のロイヤルヨーク ホテルはかつて鉄道会社が駅の利用者向き に建設したステーションホテルでカナダは おか大英帝国で1番の高さを誇っていた そうです本日はここに宿泊しますそして 明日の朝トロントユニオンステーション からニューヨークへ向けて列車に乗り継ぐ ことになりますニューヨーク行きの列車は もう明日までないのですまさに目的通りの このホテルの使い方ができたと思いました ユニオンステーションの外観はまた神殿の ような作りになって 横断歩道を渡ればすぐ向いのホテルへドア マンの方にチップを渡して荷物を運んで もらうということが必要になりそうな ホテルですし実際そのようにしましたなお このホテルの名前がロイヤルヨークホテル となっていることについてですが元々 イギリスの鉄道の街ヨークと同じ名前で このトロントも呼ばれていました後に トロントという名前になったことをご案内 いたし [音楽] ますトロントでの希少な時間を無駄にし ないためホテルに荷物を置いてすぐ ユニオンステーションに戻ってきました ヨークコンコースホテル25番ヨーク色々 なところにこの街の古い名前が使われ続け ているのが見られますユニオン ステーションの反対側にフェリーターみた のがありますここから目の前のオタリ横へ 出ていくことができ有名な観光地になって いますこのフェリーにはもし訪れる機会が あったら乗っておいた方がいいでしょう 随分古いフェリーだなと思いまして係の方 にこれいつぐらいから使われてるやつなん ですか置きしたらいやわかんないですけど 80年ぐらいじゃないですかね平然と言っ てみましたが80年もそんなに船を使い 続けるってことがあるんですね実際調べて みましたら第2次世界大戦直前ぐらいに 作られたフェリーたちが多く向こうにある やつなんかはもう130年ぐらい使って いる外輪線ディズニーランドにあるような 船のめちゃめちゃ古いバージョンですこれ 自体が動くアトラクションのような状態に なっていますこれで船の上から高層ビル軍 を眺めることができます鉄道輸送と湖の船 の輸送が結びついてできたこの巨大都市を 眺められましたさらに飛行機も降りてきて 今でもこの湖を盛に活用しています湖の上 は広いですから空を飛ぶにも不便がないと いうことで小さな飛行機であれば湖の上に ありすぐ町から近くにある便利な空港に 降りることができるそうですなるほどその 空港はあそこにあるらしいですここから だったら市街中心部にも便利超市街地に 近い羽田空港のような使い方ができそう ですねこれがそのフェリーです上の方には お客さんがいっぱいいますが下の昔を思わ せる板張りの空間にはほとんど人がいませ んでした80年前のものと言われても納得 また乗客全員分の救命が備えつけられてい [音楽] ます10分ほどで対岸のトロント島に到着 ま本当の対岸は50kmほど先なんですが ここは本土からすぐ近くにある離島で人々 の憩いの場として使われていますしばか木 が大爆走していましたもう十分に狩られて いるじゃないかと思うんですが同じ場所を 何度も丁寧に撫で回し続けていますなんか 北米は芝が大事らしいです ね大都会を向いに見ながらこちらでは自然 の風を浴びてバーベキューちょっと目を 離すと鳥がやってきてみんな食べてしまい ますなかなか殺伐とした魅力があります ウタリ漁の上では相頓数1万Tは超えるの ではなかろうかという大型の貨物線が うろうろしていました日本では海に行か なければこのサイズは見られないですが湖 や川だけでこんな巨大な船が動いていると いうのが北米にやってきたなという気持ち にさしてくれますその後ユニオン ステーションに戻ってきましたすぐ近くに CNタワーがあります見ておかなければ いけません元々この辺りは鉄道の用地が大 規模に広がっていましたがそれが一部縮小 されたので跡地にタワーを立てていったと いう経緯だそうです東京スカイツリーーと だとかなり経緯は似ていますよねまそんな カナダのスカイツリそして我らのスカイ ツリの大先輩のシエタワーの麓はもちろん 鉄道公園になっていますカナダの鉄道全盛 紀を今に伝える公園には昔のディーゼル 機関車や昔はこんなにすごいところだった んですよ当時の絵などが書かれています昔 のユニオンステーション全体はこのような 大きさだったそうです今はこの手で隠い ないところがユニオンステーションとして 使われています規模は随分小さくなりまし たがしかしこれでも相当大きな規模です からねロイヤル横ホテルの昔もここに移っ ていますそしてこの辺りにある綺麗な高層 ビル軍はそしてこのCAのタワーは鉄道が 配線になった跡地に作られたわけですが このスタジアムなどもそうです鉄道配線ま 色々なところでその跡地がどう開発されて いくかとのは興味が湧きますがままずは 観光客らしく写真を撮ってみることにし ましたがいいですよね蒸気機関車とCN タワーを広角で入れられました他にも カナダ全土を走っていた様々な車両が保存 されていて特にこれはどうも昔特急 カナディアン号で使われていた展望車の ようですこの車両が引退した後今の車両に 作り替えられたということでこの車両は 戦前性中を覗き見ることができましたが 確かに昔と今とであまり変わりませんね 向い合って喋れるようなソファが設置され てい ます昔のカナディアン号は三宿代車だった みたいですね車輪が組2 組3組極めて特別な列車にはこういった 対処をすることがあったようですまた昔の 機関車を入れていた車両基地がそのままの 姿で残されており中はゲームセンターに 回送されていましたこれによって文化剤を 今の時代に受け継ぐことに成功しています いいやり方です [音楽] ね毎日時間ぴったりになりますとおそらく 昔と同じやり方蒸気で時報をかけていまし たそして私の予約の時間になりましたCN のタワーの上に登りますエレベーターの 時点でシースルーになっていまし たかつて世界一の高さを誇ったという展望 台にはレストランがついておりこれは回転 レストランになっています昔有楽町とかね まいろんなところにこういう回る レストランがありました日本ではもう だいぶ数が少なくなっていますが昔の通り 回っていますそしてこのレストランを利用 する人は展望台入場量はただだそうです 展望台に入るお金が結構かかるので高級な 料理を食べてで入場量ただだったら結構お 得な選択でしたね真下にはロイヤル洋行 ホテルとユニオンステーションが愛対立し ているのが見えました自然に床が回転する ので窓の外の景色も勝手に変わっていき ます多数の列車が行きかう光景そしてまた 回れば先ほど渡ったオタリ横に浮かぶ トロント島ですね多数のフェリーが手前 から奥へ行っていますが古いものばかり ですこれらも次第に新しいものへ変わって いってしまうとのことでござい ますそしてまた景色が回れば今度はその湖 の上に作られた空港から飛行機が飛んで いく光景が見られます飛び上がってすぐに 車輪を格納していきました町のすぐ近くに ありますが小規模な空港ということで利便 性は高いものの小型のみ発着させている ようですそしてこの空港に渡るには フェリーを使うのが唯一の方法のようです ねで多分ね登場手続きを全部終わらせた後 にあのフェリーに乗って最後飛行機の 乗り場のところへ行くのだろうなと思い ましたまたはか彼方には先ほど見た大型だ と思いますがどこまで行くんでしょうね 日本ではこうした大きな船が湖の上を行く ということは琵琶ですら無理でしょう深さ がないですからそしてその水運と連絡して 栄えた鉄道貨物の駅は現在排出されました がその跡地が広大なスタジアムや目の前に 見えている高層ビル軍として姿を変えて今 に残っています元々の鉄道の規模の大きさ 重要性も感じられたところでしたが本日は ここまででわりにさせていただきたいと 思いますそれではあと寝る前にこのか乱な ホテルのナスを見ておきたいと思います 1910年代に作られたこのホテルは エリザベス女王を何度もお迎えしたことだ そうですカナダで1番のホテルだったわけ ですね四角費は今5万円ぐらいでした ボールルームが特にすごい内装で使えませ んでしたが部屋の外から覗くことができ ましたエレベーターホールの前も広いです でこういったところではチップを支払いし て荷物を部屋まで運び入れていただくのが 一般的なやり方だと思いますで自分で ちょっと一旦試しに運んでみたんですが 絨毯がたっぷり敷いてあったので自分で 荷物を持つとものすごく大変でしたもう人 に運んでもらう前提なんですよねもちろん 私も自分の部屋まで一旦運んで行って もらったものをもう一度引き直しています あとは部屋を紹介させていただければ十分 でしょうか部屋もねかなり余裕を持った広 さで作られていました よつまりそれだけこの豪華なホテルを利用 する人たちが昔からいっぱいいたのだと いうことですね飛行機がまだ普及してい なかった戦前の時代 から翌朝陸団6日目になりましたいよいよ 本日が最終日ニューヨークに到着する日と なり ますトロント初ニューヨーク行は第97 列車の国際線です8時20分出発あと発車 まで14分あります出発番線が20番と出 ていました97列車の行き先は ニューヨークのはずですがここにはナアの 滝行きと出ています大丈夫ですナアの滝の 先はアメリカの鉄道アムトラックに直通し ていくからです自分の列車に乗る前に違う 列車を横に見ましたがあれの中間に機関車 が入っているこういうのは珍しい光景です まともかく見ていくと時間がなくなって しまいますので今日はこの横にあります この車両が主役となりますこれはアメリカ 側の車両のはずですそれがカナダまで直通 しているというやり方になります列車名は メイプルリーフ号行先はニューヨークペン ステーションペンシルバニア駅です アメリカ人の最も好きな3色で塗られてい ます国旗の色白赤青で塗られたアム トラックのよく見られる車両ですでもこれ もねもう50年以上使ってるかなり古い 車両らしいですねやはり北米の旅客輸送 需要はもう昔からあまり変わっていないの で古い車両をずっと使い続けるということ になるみたいです出発する時最高尾の ところから景色を見返すことができました ただしばらくすると車掌さんが安全のため ここは閉めますからご覧になれませんよ すみません大変親切に教えてくれまして ここは時期に退散することになりました駅 を出ていく時の分岐器の平面交差が美しい ですそれだけ旅客列車の需要が少ないから こうした光景が見られるのでしょうたった 1日の滞在になりましたがトロントの 思い出を多く作りシエのタワーは背後に この街を去りついに大陸横断も終わること になり ます左手には引き続きオンタリオが見えて います全長は1番長いところでおよそ 200km琵琶の4倍ほどありますがそれ にとまりませんこの辺りにはこうした湖が 5個もあり連絡されています西側から スペリオル湖ミシガン湖ヒューロン港 エリー湖そしてこのオンタリオ湖があり ますこれらの湖が連絡されはるか遠くの町 まで水がつがっているというだけではなく 川にもつがっており例えばカナダ側は モントリオールから大西王へ抜けていく こともできますアメリカ合衆国側へ行けば ナアの滝を抜けてニューヨークにも至るの です北米の水運の利便性は半端ではなく 鉄道がなかったとしてもトロントから ニューヨークまで船で行くことができる ほどですですが鉄道の方が現在ではより 利便が高くなっています左手には1950 年代のものと思われる古い客車が止められ とがありましたうわ貴重なドム会に落書き がなんてことをするんですか悲しい気持ち になりましたが今でも大切に保管されて いるものも多いですアメリカ入国に際し 書類が渡されました国際列車に乗っている という感じがしますまた食堂車カフェ車両 で食べ物を注文して実績に持って帰って くることができるようになっています あまりにも乗車時間が長く11時間ほどに なりますから車内での食事提供サービスは 必須です飲み物のホルダーにはこの 鉄道会社カナダ側の名前ビアと書かれてい ましたしかし入れ物はアメリカ側 アムトラックと書かれています2つの 鉄道会社の反強制コラボ狙ってやっている わけではないと思いますJR東海の車内 販売員さんが東日本の商品を売ってる みたいな感じでしょうかまた横に貨物列車 が通っていますがこの貨物はもう2階建て ではなくなっていますねカナダの大陸を 横断する重要ルート大陸横断ルートでは なくニューヨークへ抜けていく脇道のよう な感じになったので2階建ての輸送力は あまり発揮されていないのかもしれません 車内販売で注文したのは7面ターキーのえ サンドイッチですけれども見た目に反して かなり美味しかったですオタリ横は左手に 延々と続きます今日はこの水のルートと 一緒にニューヨークまで旅をしていくこと になります1825年の時点でトロント からニューヨークまで船で行くことができ たそうです橋を渡るところでものすごい高 さの配線跡が横から合流してきましたこう いうにあるんですね多分貨物線かなんか だったんじゃないですかね幅の狭い配線後 のようです角度がちょっと違いましたから ね か途中駅に停まり意外に多くのお客さんが 乗ってきますま空港が近くにない人は鉄道 を利用するのが便利ですよねどれも古い ようなものばかりですま基本的に地震が あの揺れることがないので古い駅はその まま使われ続けるのでしょうさて列車は もうそろそろナイアがの滝駅に到着します ナイアガの滝は観光地として有名ですが 交通の幼少でもありますまさにこのナイア ガの渓谷がアメリカ合衆国とカナダの教会 なのですつまりカナダの旅はもう間もなく 終わることになります その到着直前に水門で封鎖されたパナマ 運河のような船の通るゲートがありとても 大きかったです進行方向右側に運力のある 景色があったんですが映像に取り逃して しまったのが残念でしたもし皆さんがこの 国境を列車で通過することがあるとすれば ナイアガラフォールズ駅に到着する手前の ところ右手をご注目ください到着したこの ナアの滝駅はカナダ側のナイア滝駅で アメリカ側へ渡りますともう一度アメリカ 側のナイアの滝駅に到着しますそれぞれの ところでお客さんが乗り ここがカナダ最後の駅となりますこれも また文化的なレガの作りでそのまま維持さ れています国境を超えるお客さんも大勢 乗ってきました内は単純に大きな町です からね観光のお客さも多かったと思い ますアメリカ側内の滝駅に次は到着いたし ますお様の荷物は税一旦皆様荷物を持って お降りください放送がありましたここに バンクーバーから続いたカナダ横断の旅は 終わりました今日1日だけですがアメリカ 合衆国の旅が始まりこれでニューヨークを 目指しますこの渓谷の反対側からが アメリカ合衆国 です反対側にはかつて使われていた橋が 現在廃止となったものが残されています その向こう側に煙が立っているのが見え ますあそこに有名なナアの滝があるそう ですあまりにも水量が多いためいつでも あのような状態でどこに滝があるか一目で 分かります正常機に迎えられアメリカ側に 入りましたこれから簡単な入国の手続き 税関検査が行われます自動車で来た人たち はこの下にある施設で検査を受けることに なるそうですアメリカとカナダの結びつき は強く検査は比較的簡単なものになると 思います うわあ駅のホーム場からで も落ちている滝の場所が滝そのも見える じゃないです かナアの滝を見るためにやってきたのでは なくただ地球を回る旅をしていてその最中 で内原を国境の通過点として見過ごすと いうのも良い体験でした贅沢ですよね内原 に来たのに滝は見ないんですから今渡って きた国境の橋はそれほど長いものではあり ませんそして向い側にまだカナダの街並は 見えていますカナダを歩く人も見えます すでにこちらはアメリカで です税関の検査はそれほど時間はかから ないようですお客さんも全員列車から降り ました荷物も全て持つように言われてい ます持たないと面倒なことになると思い ますね検査が終わり駅の外へ元々あった駅 者は古いものだったようですが今多分 新しくなったんじゃないかなそれを昔の ものと同じように似せて作っているみたい です横には博物館があります昔このナイア の滝は奴隷制度に苦しむ人たちが自由を 求めてカナダへ逃げていくための最後の 南関だったそうですその人たちの歴史を 伝える博物館でしたま今日はちょっと時間 がないかなしかし少し列車の停車時間が あったので駅から離れていきこれがその ブリッジtoフリーダム奴隷の人たちが 逃げていたという橋のあった場所だという のもありましたがこれが内野がの滝です ねこの景色が見られれば十分です よ内原の滝はカナダ側こちらがカナダ側の 滝だそうですがあっちの方が景色がいい そうですあ滝の上で車が止まっちゃって ますねああいうのやっていいのか分から ないですけどまやりたくなっちゃいますよ ね今私が渡ってきた橋はこの古い橋の1個 向こうにあります鉄道の橋の下の側に自動 車用の橋が設けられた2階建て構造のよう です写真を撮っていたら国境の人に声を かけられましたあこれですね下は自動車で 上は鉄道が通る国境の橋のようですえ取っ ていたらば国境の担当のアメリカの方に声 をかけられました怒られるのかなと思っ たらあお兄さんいいスーツ着てますねあ どうもありがとうございますそれで話は 終わりましたあそういうもんなのか全員の 検査が終わり列車は滝駅を出発向こうに 見えている高層ビル軍はカナダ側です内原 の滝はそれだけで大都市なんです ねアメリカの旅の第1歩が始まりました横 に早速多数の貨物列車が止まっていますが どうもこれらは今使われていないようです よこの区間は物流の大動脈からはすでに 外れたところでかつてはカナダとアメリカ の間の物流の拠点を担っていたようなの ですがどうも今貨物列車というのがそんな に運行されていることはないみたいです 広大な操車場は現在跡地となっていて貨物 予想もこの辺りではそれほど盛んではない ように見えましたま他にもね貨物列車用の ルートがあるのだろうと思います全く何も どこでも貨物列車が走ってないってことは ありえないでしょうからこの広い国土で 右手にナイアガラ川が見えてきましたこの 川を流れ下るますとナアの滝を経てさっき 降りましたトロント方面オンタリオ湖へ 注ぎますそしてこの川を遡れば5大子の うちの1つエリ子に続きますつまり2つの 大きな水運の連結線となりますとても重要 な川で1825年以来水油の拠点として 機能してきました位置関係はこんな感じに なります今北側の大きな湖と南側の大きな 湖の間を結ぶこの川に沿って進んでいます 昔は川でしか物が運べませんでしたが現在 は並行してこの鉄道が作られましたちなみ に川には昔やがの滝があってその滝が一番 邪魔だったそうですね滝はどうしても船で 通過できないですからそれは回避する運河 を人工的に作ったそうです水運の拠点だと いうことであれはハバでしょうか日本では 見ないようなごつい橋が沿線に多く見 られるようになってきましたちょっとその 見た目は怖さを感じるほどです重りをつけ ていてあれでおそらく持ち上げられるよう にしているのだと思い ますアメリカはいい橋が多いですよねここ でちょうどそのナイアガラ川の起点に至り ました目の前に大きなアーチの端があり あれを抜けた先にエリコがあります五大子 のうちのもう1つここはカナダとアメリカ の国境として続いていますちょうどあれ から向こうがカナダらしいことを伝えてい ます向こうに見えている土地はカナダです がこれを持って最後のカナダ側の景色は 終わりますあとはもうカナダを感じること はなく列車は湖に沿ってニューヨークまで また下っていくことになるの です橋の規模も相当ですこれだけ高い橋が かけられている理由は簡単でつまりこの橋 をくぐっていくほどの大きな船が通るから ということでしょう船が重要されている からこそ大きな橋がよく見られてくると いうことです列車はバッファローに到着し ましたバッファローはニューヨーク州で ニューヨークシティについで2番目に 大きな町です周りはずらり高層ビルに囲ま れていますニューヨーク州はものすごく でかいそうです多分こっからまだ ニューヨークシティ終点まで600km ぐらいあるんじゃないかなまだまだ旅は 長いですちなみにこのバッファローは パソコン周辺機器のハードディスクとか 作ってるバファローと関係があるのかなと 思い調べてみましたがあれは名古屋発症の 企業だそうで特に関係ありませんでした 貨物列車と行替えます2階建てコンテナを 積むことができるようなんですが2階建て になっていませんつまりまそれだけ供給に 対してまだ需要が追いついていないそれ ほどお客さんがいないということなん でしょうここは2階建てのコンテナになっ ていましたここからニューヨークへは船で 物を運ぶこともできます鉄道と船が ライバル関係にあるから貨物も満載では ないのかもしれませんライバルのいない カナダの大陸団鉄道は常に満載で走ってい ましたさてここでまた食堂車に行き食べ物 を注文して持ってきました今度は アムトラック側にメニューが変わってい ますアメリカ側に入ったので食堂車の サービスも違うの です美味しいのかどうかちょっと謎な感じ の食べ物ですが色々バランスよく入ってい ます温めてくれるホットドッグそして 飲み物はただだそう ですお金はらないんですか聞いたらお持っ てけよみたいみたいな感じでした随分 ぶっきらぼう態度だと思いましたが別に 我々が差別されているわけではなく係りの 方は全員に対してちょっとぶっきらぼう 対応をしているだけでし たバッファローから先は主要区間に入って きたようですもうお客さんも満員ですし 列車の速度も上がっています今雨が降って いますがこの先まだ遠くの街まで行き続き ますから天気もまた変わるでしょう速度を 測ってみると実際130km手前ぐらいで 走っていましたま持続130kmぐらいと いうと日本人の感覚からすればすごく遅い ように見えますが戦前の時代のうちには このぐらいの速さで走ってたみたいですよ 電波の状況も良くなってきましたカナダで はほぼ電波は入らなかったのですが5Gに なっています5Gで高速通信もちろん オーラフライを使っていますま一応5参考 までにさらに車内のwi-fiもありこれ も割と機能してくれましたアムトラック wi-fiなどがあり列車の旅も結構便利 だと思いますただアメリカでは アムトラックなんてあんまり乗りたくない よみたいに言う人が多いらしいです ね左手には あまたトレッスルの橋があるじゃないです か向こう側そして天然の渓谷みたいな ところの横を抜けています街の名前は 分かりませんが工業都市に入ってきたよう です日本よりも近代的な都市としての歴史 は深いですからどこに行っても古めかしい 建物ばかりさっき通過したところはハイ フォールズという場所でもし外から見る ことができればこんな環境列車は滝の上を 通過していたみたいですこの上を走ってた んですねトイレに行ってみました重要です よねアムトラックのトイレってなんか汚 そうですよねでもそんなことなかったです まずドアが閉まってるこのライトがつき ますよちゃんと閉まっていることを確認さ せてくれる安心装備もう今回は実は ビジネスクラスに乗っていました上級席だ からということもあるのかもしれませんが 大きなゴミ箱が置いてあり余裕のある容量 そうか長距離で12時間とか乗りますから 大きなゴミ箱が必要なんですねでさらに トイレに綺麗に使いたい人はこのシートを 被せて座ってくださいねというサービスも あり割と色々整っている印象ですで肝心の トイレはこちらです ま悪くないんじゃないですか特に汚いとか いうことはなかったですし匂いも特に なかったですエコノミークラスの方がどう なっているか分からないですけどねまた次 の人のために綺麗に使ってくださいと書か れた絵がありその絵の人は何か悪魔の槍 みたいなのを持ってるように見えます綺麗 に使わないとぶち殺すぞみたいな多分そう いういやそうではないでしょうね放棄を 持ってる絵なのかな流すボタンはこちら です肘で流してみまし たなお脇の表記従業員はトイレを使った後 必ず手を洗ってくださいねと書かれてい ます車掌さんたちに対しての呼びかけも あるんですね車掌さんたちもトイレに行き ますからね列車はユティカユニオン ステーションに到着ホームの横に古い蒸気 機関車が保存されていますニューヨーク セントラルと書かれていますかつてこの 路線はニューヨークセントラル鉄道という 施設によって運営されていましたそれだけ ではなくアメリカ合衆国全土に花長距離 施設会社が存在してましたしかし1950 年代から70年代にかけてそれぞれの私設 会社は飛行機に旅客輸送を取って変わら れることになり現在絶滅したと言っていい でしょうその代わりにアムトラックが国土 の旅客輸送を一元管理してい ますまだ鉄道が時代の中心だった時代の 機関車が保存されているというわけです ちなみにこのユニオンステーションもその 当時の雰囲気をそのまま伝えており 1910年代のまるで美術館のような豪華 な内装になっているらしいです ご覧いただいてきましたように鉄道の映画 は完全に過去のものとなりましたしかし その鉄道もまた過去に1つの時代を終わら せたという歴史を持っています鮮度の脇に 川がありますがただの川ではありません ある程度の大きさの船が通ることができる よう大昔から整備されてきた人口の水路と しての役割りもあります実際今でも船が 安全に通れるようにと赤い目印が立てられ ていましたお聞きいただいているこの曲は 蒸気戦ビルという曲で1928年に初めて ミキが画面の中に登場した時演奏された曲 です乗り物マニアのウォルトディズニーが 終わり行く蒸気戦の時代に思いをはせ キャラクターにこの歌を演奏させたのが ミッキーの歴史の始まりだそう [音楽] ですヘ [拍手] [音楽] [拍手] あ [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] あ [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] はいお楽しみいただければ何よりでした役 は私が考えたもんなのでちょっと間違って いるところがあるかもしれませんが ニューヨーク州内を走る長距離列車はこの ように沿線かつて活躍した川をたくさん 見ることができます列車は大きな町にやっ てきましたネクターですここはエレク リッシー創業の街だそうです当然僕もやっ てきたことはなく色々手元のスマート フォンで調べながら景色を見ていますが ちょうどここから線路の分岐点左手に行き ますとさっき進んできた方向カナダ トロント方面に進みますまた右手方面にも 長距離の列車が別れて行きますがこちらも カナダの主要な町港の町モントリオールに 行くことができるそうです国境行くアム トラックの列車がまだまだ長く走ります これを過ぎますと列車はニューヨーク州の シトオールバニまたはアルバに着きます 高架道路の下が色とりどりに照らされてい てこれまでより随分花がありそうですが ニューヨーク州のシュートって ニューヨークシティじゃないんすね ニューヨーク市ではなくここがそうだそう ですなぜここがシュートになっているのか なんとなく察しがつきますこれまで見る ことがなかった大きな川の流域にあられ ました列車はこの川沿いを目指してやって きたのでしたこれはハドソン川ですこの ハドソン川を流れ下っていきますと大西洋 にそのまますぎますその大西洋にすすぐ街 の名前がニューヨークですです川を 流れ下ることができるわけですはるか彼方 には大型線が止まってるような川の港も いくつもありウルクから現在でも輸送の 拠点として維持されている川だということ が分かります橋もものすごい大きさです それだけ大きな船がやはりこの下を通ると いうことここで旅も大きな人切りになり ます水運の拠点となっている町で鉄道輸送 の拠点でもありま分岐合流が存在しない 大宮に到着するような感じでしょうかそう 次は大宮駅だと思っていただければいいと 思います列車も次の駅でしばらくの停車を します横には機関区がありまたディーゼル 機関車が2両連結で置いてあるのが見られ ました蒸気機関車時代と同じように今でも アメリカの機関車は一方方向しか向かない んですねまたうわ左手にすごく貴重な車両 が置いてあるじゃないですか別に見せるよ ではない鉄道博物館ですね文化的な価値の ある貴重な展望車たちが並んでいるのが見 られました是非駅の停車時間中に見ておき たいです ね40年代から50年代にかけての貴重な 上級クラスの車両がずらりと並べられてい ますものすごい金額を払えばチャーター できるそうです僕もいつかやってみたい ですねうわあ昔のドムカーもありますよ ノーザンパシフィックかつて存在した ならい鉄道会社の名前が今に刻まれている 一等信頼車という呼べきやり方でいい でしょうビスタドームと書かれた戦後すぐ ぐらいに製造された車両たちだと思います セントラルならい鉄道会社の名前が刻まれ た展望車もずらり並んでいますあれは戦前 の車両たちでしょうね今でも時速 150kmとかで走行できるらしい [音楽] ですアメリカの伝統らしい列車の到着の 光景が見られましたアメリカといえば機関 車が昔からカンカンカンと大きな音を立て ながら走行するのが特徴です運転手さんは うるさいだろうと思いますが周りに警告を しながら走るんです ね年以いるやり方だと思います機関車には エンパイアサービスこの区間の走る特急の 名前が書かれていましたま急行かな各方面 の急行や特急の案内が出ています私の乗っ た列車の後にはレイクショーリミテッド 49列車あ有名な列車じゃないですかそれ どこか図鑑の世界で聞いたことがあるよう な列車が発着する有名な駅となっています そしてやはり特に見せる用ではないこの超 貴重な車両エリア鉄道博物館がいいですね 今回僕もものすごいお金払って車両1個 貸し切ってつけてもらおうかなて考えてた んですがま初めての旅でそこまでの贅沢は しなくていいかと今回はやめておきました 定期列車にもお願いすれば連結して もらえるそうです取説迷惑取説がいないと こんなことができるのかと思いましたそれ だけではなく多くの人がこの車両に価値を 生み出しているんでしょうああパークカー もあるじゃないですか何もかも揃ってい ますちなみに手前の展望車両ジョージ ワシントンさんのテールマークがついて いる車両は1922年生でチャペルヒルと いう名前がついていますビジネスカーです こちらの車両は1928年生の展望車 ビジネスカーと言いますのはそれぞれのお 金持ちが車両を所有して自分たちの用事に 合わせて列車に連結して走らせる私有車両 ですまたこの駅にはそれぞれのアム トラックで運行されている列車のポスター がありました鉄道全盛を思わせるようなR デコ調を意識させる古めかしいデザインの ポスターですが宣伝しているのは現在の 列車ですいいですね昔ながらのデザインで 今の列車を宣伝するなんてたまに今もJR でやってますがアメリカはもう鉄道全盛 時代がこれというのがはっきり決まって いるのでレクシリミテッドに乗りますと こんな感じですよというポスターをその まま作ってしまうんです ねちなみに私の乗っているメップルリーフ の機関車もこのようなタイプのらしいん ですが基本的にホームから外れて停車する ことが多いようですだから機関車の写真を 撮ることは叶いませんでしたまただ同じ ような形式の機関車はいくらでも走ってい ますから似たような写真を撮れば大丈夫 です こちらに止まっているのがシゴ行きの レイクショリミテッドですかねまだ早いか な2階建ての車両がいくつか連結されてい ます正確には天井が非常に高い1階建てで 2段ベッドがあの中に配置された寝台車だ そうですルーメットという名前で呼ばれて い ますちょっと待っているだけで色々な列車 が見られていい体験になりましたそして 先ほどの専用車両をお金払って定期列車の 最高日に増結してもらった様子がこのよう な写真ですまある程度お金をある人たちが みんなで共有してパーティーを開いたり するのに使っているそうですアメリカは 鉄道が随分衰えてしまったような気がし ますが鉄道を愛する人たちは実はかなり いるらしいです実はねちょっと迷惑トテ みたいな人も存在するらしいですね持続 110マイル170km程度速度を出せる みたい ですただいま18時35分まだ ニューヨークに到着するまでは2時間ほど かかりますがあはここからひたすら川下り です これから先のルートはひたすらハドソンガ に沿っておりましてウォーターレボルート と呼ばれています水平ルートかつて水が 結んだ道をそのまま軽を表する形で鉄道も 辿っていきニューヨークに至るの ですアルバニーを過ぎますと列車の スピードは今までと比べ物にならないほど 上がりましたついにアムトラックの本領を 白しました持続160kmまだまだ上げ そう です日本では見られない高速度在来線で この速さというのがいいですね沿線の土地 と触れ合いながら地形を意識したようにし て走り川のすぐギリギリを走るにも関わら ず時速160170kmですしかしこれで も昔より速度は落ちたようです1930年 代を終わり蒸気機関車牽引の列車で20 世紀特急という列車がありまして持続 185kmで走っていたそうですからこの 超高速を持ってしても全盛紀が戦前の時代 であったというのは考えられません確かに こういった話を聞くと日本の東海道新幹線 はその作られた当初は特に新しい技術は なかったという話に頷けますそして横を 走るハドソン側にも航路標識が設けられて いてこの辺りを通行する大型貨物線に今日 も案内情報を提示していますつまりここは 川の大動脈であり鉄道の大動脈でもある わけです列車はハドソン駅に着きました このハドソンという名前は日本では ボンバーマンそして鉄道マニアの人たちに よってよく知られていると思いますかつて この区間で高速運行を行っていた蒸気車は ハドソン型と呼ばれていましたハドソン型 は日本でも作られました最高の機関車C 62ですC62のファンの人たちが作った ボンバーマンの会社がハドソンだったと いうことですね今そのハドソン川を下る 贅沢な体験をさせてもらっていますしかも 東京から一切飛行なしでここまでやってき たのです何度もこのことをお伝えしたいと 思います横には東台がありますこの川が 動脈であるということを伝えています船が この辺りを夜間でも航行する時川の東台と して情報を提供するためのものです日本の 川に東大というのが存在するでしょうか急 に雨が降ってきましたが時速170kmで すぐに抜けてしまうでしょう目の前には ものすごい高さの橋があります何度も言う ようですがこの橋をくぐらなければいけ ないほどの大きな船があるからだから橋の 方が遠慮して高く作られているわけです [音楽] ね極めて大きなハドソン側には時折り三先 とかハドソン川から分かれていく視線と なる川が流れています そこで川にも注意を与えるために東台が また設置されていますここは川が三先 出っ張って狭くなっていますから注意して くださいねという東台あれを目印にして ここから脇へ別れ進んでいく小型線があ じゃあここから川が入っていくんだな 目当てにして夜間高行していくこともある のかもしれません実際に奥の方にはより 小型の船がまプレジャーボートみたいなが 多かったですがわ戦もいるじゃないです かカとタ川に経をする人たが横で楽しみの 時間を過ごしてい ます大型線の姿もようやく見ることができ ましたニューヨーク校を目がけて下って いく船の姿だと思いますおそらくはここ から作られたものを川を下って運び出す または原料を海から運び込んできた最中 でしょうこんな大きな船がものすごい長さ 先頭にはもちろん正常機がなびいてい ます船と鉄道はお互いにライバル関係に あり昔から今に至るまで変わりませ ん先ほどの大宮のような鉄道の拠点 アルバニーからニューヨークまではだいぶ 距離が離れています200kmぐらいあり 東京静岡間とほぼ同じ距離ですしかし新 幹線よりちょっと遅いぐらいの速さで 突っ走っているためあっという間に景色は 流れていきましたこれほど早く便利な鉄道 であるのにでもやっぱり町と街の間が離れ すぎていることそれから鉄道に対して アメリカの人たちがあまりいい印象を持っ ていないというのもどうもあるらしいです まそれから色々他にも理由があって車の方 が便利だとかあるんだと思いますがこれ ほど便利で早い列車であっても1日に10 何本ぐらいかなそれでもこの区間はやはり アメリカを代表する重要感染鉄道だという ことで帝国回路の名前が与えられ重視され ていますニューヨークの近郊列車とも すれ違いました船の数もいよいよ増えてき ましたあと2機でニューヨークペン ステーションに到着します川の真ん中には 島がありがボロボロになっています何か 工場の跡地かなと思いましたがどうもこれ はお城だったみたいですね昔敵がこの川を 遡って攻めてくるかもしれないということ を考えていた時代の名残りでしょうか廃墟 となった城は沿線の景色の名物になって いるそう です反対の列車と行き違いこの区間は もちろん伏線になっています対抗の列車も このような高速でカーブを突っ走ってき ますどうやってこんな高速運転してるのか 分かりませんが編成はそれほど長くはない ため一瞬ですれ違ってしまいまし [音楽] た川の向こうにも鉄道が渡っているのが 見えました向こうにも工場があるの でしょう船で工場へ物を運ぶか鉄道で物を 運ぶかの2択になるのだと思い ますニューヨークの港が近づいてきてこの 辺りの川の利便性もますます良くなり本線 から分岐して工場へ行く脇道の線路もいく つも見られるようになってきましたそして このまま乗っていけばニューヨークに到着 できるというところですが私は1回 クロトンハーモン駅で降りることにしまし たこの駅はこの間世界一周旅行した時にも 一度やってきた場所ですがなぜここで降り たのかということを説明いたしますこの ままこの列車に乗っていくと次は終点の ニューヨークペンステーションです現地で の立位は新宿駅的な感じだと思います しかしニューヨークではま東京駅みたいな 感じのより歴史ある核の高い執着駅もある のですそれはこの駅でもう一度切符を 買い直してニューヨーク近郊のメトロの 鉄道というのを買っ てグランドセントラルの駅へ向かうこと ですハバ海を渡ってやってきたのですから 執着駅のリチその角の高さにもこだわり たいですよ ね大陸横断の最後の列車がやってきました メトロノーステとグランドセントラル行き 急行列車 ですアメリカらしくカンカンと金を鳴らし ながら入ってきましたこの列車は通勤 列車おそらくこのメトロノース鉄道を使っ てからはまやってきたという人間は他には ほとんどいないと思います途中の駅を次々 飛ばしながら行きます旅気分は十分に味わ せてくれまし た合衆国の中枢に近づいています白赤青の 3色で彩られた橋は適宜タイミングによっ て橋の色を変えまして最後の思い出となっ てくれまし たニューヨークにはこれまでにも見なかっ たようなそして日本でもまず持って見られ ないような大規模の橋がいくつもかかって いますあの光に包まれた橋はジョージ ワシントンブリッジで対岸は ニュージャージー州ゴールドマンサックス 証券とかのビルが見えていますこれが見え ますとついに横手にはマハ担当を望むよう になりニューヨーク地下鉄が火花を散らし て今島へ渡っていくところが見られました ここが世界一の大都会です我ながら ニューヨークのあのミッドタウンの輝きと 東京都が同じ地球の上に立っているという ことを初めて理解することができました 列車はハーレム125丁目に到着 ここで降りますと周りは治安が悪いとか 言われているところですもうこのまま グランドセントラルへ目指すだけですから 全く関係のない話ですこれで見える地上の 景色は終わり大都会ニューヨーク マンハタン島内では最後は近間となり ます最後近間へ降りて行く時には駅へ到着 して欲しいようなついて欲しくないような 不思議な気持ちになりました東京からここ まで超えてきたタイムゾーンは13時間分 すでに地球の裏側にやってきているのです ニューヨークらしく汚く暗くしかしよく 整備された近間を走り ますグランドセントラルの駅はついに 目指してきた鉄道の旅の終点ここには 車止めが設置され列車もそれにぶつから ないよう速度を 落とし到着して欲しいのか到着して欲しく ないのか自分でも気持ちがよくわからない 私をうまく焦らしてくれましたこの時間は 非常に忘れがたい思い出になると思い ます今回の旅を通じては確かに1つ丸く まとまっているのだということを理解し ました飛行機では実はそれは意外に得 にくい体験だったのかもしれませんいい 経験でしたニューヨークグランド セントラルに到着しましたバンクーバー から辿ってきた線路はついにここで終点に なります西海岸のバンクーバーから東走し てきた道のりは実に5350kmでし たこのグランドセントラル駅は通勤列車の ターミナルとして使われていますまた世界 からニューヨークを観す人たが集まる 美しい建物として知られていますしかし私 はおそらく今日この駅で1番この駅を本来 の目的通りに使ったという自信があります つまり東京からここまでやってきて ニューヨークに至る玄関の駅として グランドセントラルを利用することができ たのです一生1度の大変光栄な思い入りに 残ると思い ます鉄道前線の時代はすでに過ぎされまし たがそれでもニューヨークセントラル鉄道 がいかに素晴らしい鉄道会社であったか今 の時代に伝える玄関口内外層はそのまま よく保存されていますニューヨークの街並 はこれまでに見てきたどの景色よりも 煌びやかです昔日本からはば列車でやって きてグランドセントラル駅の地下駅に到着 した後階段を登ってこの町へ出た昔の人 たちもきっと同じように思っただろうと 思います当時の人たちの気持ちを再現し 自分も感じることができたということが 今回の旅で1番お金をかけて良かった点だ と思いまし た戦前鉄道前の時代からここにえていたと いうエンパイアステートビルへ登ってみ ましょう高さ 380Mここから見える5番外を始めとし ためく町の景色は本質的に戦前からそれ ほど変わっていないようですすなわち戦前 の時代横浜を出行し鉄道も乗りついで やっとニューヨークにたどり着いた日本人 たちもこの景色を見て驚いたと思います昔 の人と同じ景色に驚けことを光栄に思い ましたしかし最終目的地はこの先ですあの 釣り橋が仕切る先暗の上に船の明りがいく つありますがこれから先この大西洋を渡っ て最終目的地はヨーロッパロンドンです まだここは旅の乗り換え地点に過ぎないの だということに気付かされましたこの エンパイアステートビルにはかつて体性 横断の拠点となるのだという計画があった そうですま実現困難だったと言われてい ますが飛行線を経由しここを町の中心部に 近い空港として使ってしまうというもの でした実際戦前の一時期にはここから豪華 飛行客戦ヒンデンブルク号がファースト クラスのお客さんを乗せ歴史上唯一の体性 洋横断定期気候行路としてドイツまで およそ3日間の旅をしていたそうです エンパイアステートビルを出る時1番豪華 な景色を見せてくれます高い天井アデコ 様式の傑作と呼ばれている直線的な内装 ですここに描かれたレリーフには エンパイアステートと描かれていてこれは ニューヨーク州の別名になりますよく見る と地図が書いてありますオタリ横から バッファローへ抜けそして川をたどるよう にしてハドソンを下るとニューヨークのの 港に着くのですまさに今日たどってきた そのままの工程がここに描かれています そしてここニューヨーク校からはかつて 客船航路がまだ元気だった時代の名残りで 幾筋もの船のルートが体制洋上に刻まれて いますこのニューヨークは歴史的な 乗り換え地点ですここから先はヨーロッパ への 玄関口今回の旅行で最も華々しいのはここ から先の区間であるぞとエンパイア ステートビルから告げられているような気 がしました次回大正横断です この時はニューヨーカーホテルを選んで 宿泊しましたこのホテルはエンパイア ステートビリの少し前1929年に建て られた非常に古い超高層ホテルです資格 料金はそれほど高くなく非常に古い高い ビルということでしたがエンパイア ステートビルとも秘密の地下通路で現在で も繋がっているそうですまたここには地下 の歴史展示室が設けられていましたニコラ テスラは万年をこのホテルの一室で過ごし ました今は自動車のお名前として有名です 他にもこのホテル創業当初の古い絵書きが いくつもありましたが直接ホテルとは関係 なさそうなものもありましたウェブスター さんへクイーンメリー号の初公開であなた にお手紙をお送りしますクイーンメリーは 当時大西洋横断脚線として最上級の地位に ついていた乗り物です世界最高の乗り物 でした大正王団ではいつでも世界最高の 乗り物が揃っていますコンコルドもその中 の1つです最後は悲劇的な燃え方をして しまいましたが飛行客戦ヒンデンブルクも 唯一ここだけ大西洋行路に就航しました そしてを渡る海の女王としては1936年 からクイーンメリーがその頂点についてい ますそして上には歴代最速最大の急行客戦 クイーンメリーが最上位に君臨していたと いうことでしたこうした歴史をよく知り いよいよ迫った大西洋横断の旅は世界の最 重要感染道路であるのだということを自覚 してニューヨークを離れたいと思い ます担当の西したところに88番から90 番までの不がありここには戦前から使われ てきた脚線ターミナルが今でも残ってい ます一応現在でも現役だそうですかつて ここにはヨーロッパからやってきた一流の 利用客たちも降り立ちアメリカの玄関とし て機能していました特に戦前戦後の時代に は欧米各国が歯を競うように作り上げた 高速の豪華客船たちがここへ入りお金持ち の人たちもたくさん集まってくる世界一の 港だっただろうと思いますの数々の豪華客 の中でも最上位の位置に常にあったと言っ ていいでしょうクイーンメリーは象徴的な 船だったそうです1967年ボーイング 707型ジェット旅機に負けるまで活躍を 続けましたそしてニューヨークの桟橋は 現在でも現役であり続けています幸いな ことにアメリカでは現在でもクルーズ文化 が盛です人々が仕事のために高速脚線に 乗ることはなくなりましたが現在でもそれ ほど速度を出さないしかし豪華なクルーズ 客が昔見せてくれていた景色と同じように ニューヨークの魔天ロを背景にしてマハタ 島のウエストサイドから大西洋へ向け出て いく景を見ることができます昔世界の旅を していた人たちもこのようにアメリカを 離れたの ですさて私が出発をする当日午前2時頃 大西洋から折り返しロンドン方面 サウサンプトン行となります世界で今残っ ている唯一の大西洋横断客クイーンメリー 2が現れましたこの船がこの後折り作業を して私を招き入れまたイギリスへ向けて 出行していくことになりますクイーン メリー2は2004年に登場した時すでに 世界最大の脚線でしたがそれだけではなく このサイズの船としては他に全く並ぶもの のない圧倒的な速さを発揮できる高性能な 船ですそしてあらゆる荒波に負けることも なく体性洋を時間通りに高行することが できる急行型の脚線オーシャンライナーと して設計されまし たさてそれでは次回ここニューヨーク校は 離れましていよいよ最終目的地イギリスは サウサンプトン校へ世界で最後に残りまし た急行型の大型脚線クイーンメリー2の旅 をお楽しみくださいご視聴ありがとう ございまし たこちらご覧ください綺麗なホームページ でしょう7月31日まで50%オフ 200万円のところなんと50%オフの 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0:00:00 バンクーバー
0:09:51 寝台特急で移動
0:20:38 ロッキー山脈越え
0:51:34 ジャスパー
1:01:57 山火事発生
1:13:15 エドモントン駅
1:30:29 ウィニペグ
1:45:38 ホーンペイン駅
1:55:52 トロント
2:08:01 アムトラックで移動
2:23:33 蒸気船ビルの歌詞
2:25:40 ニューヨークへ移動
2:40:28 ニューヨーク

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23 Comments

  1. 『一口100万円  スポット広告夏の大セール』について、詳しくは
    https://lp.as-douga.com/
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    6月に契約締結できれば8月公開保証、
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  2. 「ギース」はカナディアングース(雁)の英語の複数形ですね。
    アメリカに渡り越冬繁殖するのが基本ですが、中間地点に居着くものも多いです。

  3. 日本では考えられませんね。乗り遅れの人を迎えに戻るなんて。只でさえ遅れてるのに戻ったら信用がた落ち死活問題だ。もし日本でこんなことやったら廃線になるな絶対。

  4. カナダのことは今まで知らなかったのでいい勉強になりました。日本とは違う雰囲気が画面からよく伝わってきました。
    こんな素晴らしい動画が無料で見られるのは素晴らしいですね

  5. 日本のオーシャンネットワークエクスプレスのピンク色のコンテナがたくさん貨物列車に乗ってて誇らしいですね〜

  6. 最近は 自然をめぐる とかいう観光旅行が世界的にブームらしいです。
    逆に 自然を大事にしている 観光地にとってはクルーズ船とかで 一気に大量に訪れる観光客が 
    地域コミュニティを破壊してしまうのではないか?と懸念されるような状況らしいです。

    旅先では お行儀よくしましょうね。

    ぴゅーんと行って、ぎゅーんっと帰ってくるような忙しいビジネス旅行じゃなくて
    ゆっくりゆっくり いろいろ旅を楽しむって いいですよね~~
    若いときに これができる スーツさん うらやましい限りです(笑)

  7. 最初の映像の「お国の皆様」のところをずっと「国民の皆様」だと思って聞いてた

  8. 02:05:06 こちらの空港へはトロント本土から水中トンネルを使って徒歩で渡ることもできます!また、私も昨年カナディアン号を使ってトロントからバンクーバーへ行きましたが、ちょうど到着した日がスーツさんがクイーン・エリザベス号でバンクーバーに到着された日でしたので入れ違いでした。

  9. エドモントン在住です。とりあげていただいてありがとうございます!ようこそカナダへ🇨🇦

  10. 1:16:53 沈んでゆく陽の明かりが今日本を照らし出してるって聞いて
    アニメ「母を探して三千里」のエンディングテーマの歌詞
    「朝、僕を起こしたお日様が今もう真上 今、母さんを照らしてるんだ」
    ↑を思い出した人います?

  11. カナダ在でいつも貨物は見慣れていますが、鉄道に全然詳しくないので勉強になりました。いつかCNでカナディアン大陸横断してみたくなりました。
    こういう古き良きメイドイン北米の列車は造りがものすごくしっかりしていて、機能的なそっけないデザインもかっこいいですね。

  12. 横浜からニューヨークまでQEとカナダ国営鉄道とアムトラックを乗り継いで行けることを示した快挙ですね。素晴らしい!

  13. 私の夢そのものでした。
    叶わぬ夢ですがスーツさんの動画で堪能できて魅入らせてもらいました。

    新婚旅行も兼ねてでしょうがどうかお幸せに。

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