韓国の歴史 明治時代の日本人が見た110年前の朝鮮半島 庶民の生活 「最近朝鮮事情【完全版】」

今からおよそ110年前明治時代末期に 朝鮮半島を訪れた1人の日本人がいました そこで彼が見たものは日本の常識とは全く 違う驚くべき半島の姿でした こんにちは鳴ため県文記です今回は保存版 として今から110年前の明治時代に半島 を旅した日本の衆議院議員 荒川五郎が記した本最近朝鮮事情をご紹介 したいと思い ます荒川五郎は江戸時代末期の1865年 生まれで日本法律学校を主席で卒業しその 後中国新聞社の主筆として活躍した後 1904年に周囲から押されて衆議院議員 選挙に出馬し当選を果たした人物ですこの は日本が日ロ戦争に勝利した翌年の 1906年に出版されました大官帝国は この時日本の保護国となっていましたが 当時日本ではこの国のことはあまりよく 知られていませんでし たそこで荒川は人々に半島を紹介する目的 つまりガイドブックのような形でこの本を 出版したようです 原文は昔の書き言葉で書かれていて分かり にくいためなるため県文記が本の内容を 現代の言葉にして要約し一部表現を変えた ものをご紹介していきたいと思い ますそれでは早速見ていき ましょう明治時代の日本人が見た朝鮮 半島日本とこの国との距離はとても近く 下関からプまでは理で一晩で到達すること が できる従って我が国と半島との関係は深く てかつ長く神宮工合からこの度の日路戦争 までこの国に関係しないものはないほどだ また我が国の内騒動でも江と神兵の佐賀の 乱にしても最後高森の成南の駅にしても皆 この国に関係のないものはないのである このようにこの国のために我が国民の生命 財産審決などどれだけ費やしているか 分からないくらいであるから従って半島の 様子内場などはすでに我が国民はよく 分かっていなければならないはずで あるしかし実際にはそこまで言ってい ないそのため東学党の欄など半島に関する 事件が報道されてもその相や事実が分かり にくい応急内の争いや混乱などこの国の 人々は皆長キセルを携えて悠々として見て いる黄門の前は見物人の山だという話を 聞くとこの国の人々が王城の難を平気で見 ているのは一体どういうことなのだろうか と実に不思議でしょうが ないまたこのにせよと言っても実際には 乗り込んでいくものが 少ないこれらはこの地のことが日本内地の 人々にはよくわからないからで ある半島の経営は我が国民の責任と理外で あると説明しても人々はこの地をよく知ら ないのであるから責めるのは無理 だそこで私はこの国の様子をこの地をよく 知らない日本人にも分かりやすように広く 知らしめるつもりでこの書を書くことにし た河川の 様子プサに上陸し記者に乗って行きつつ 車窓から司法の山々のはげてのないところ 河川が氾濫するたびに田畑を荒らしている ところなどを見れば誰でもこの地には山も ないが川もないと感じる だろう我が国では地つまり河川の管理や 回収に積極的に取り組んでいるこれには国 の予算を使って行うものもあれば地方自治 体の予算で対応するものも あるもしかなりの費用がかかったとしても 十分に対策を施すことで河川の氾濫による 被害を防ぐことが できるこれにより安定した財産を得ること ができ毎年の利益も少なくないため投じた 費用はすぐに回収できる だろうところがこの国ではまだそのような 考え方がないらしく少し手を入れれば立派 な土地ができると思うところでも一向に 構わずそのままにしているだから河川が 氾濫しない年は国類などもよく実り方策を 祝うことができるが一度大雨などで河川が 氾濫すると域一体にが溢れて作物は大きな 被害を受けて しまうこの地には三方一教という言葉が あるくらいで3年に一度は河川の氾濫に よりタハが荒れるものと諦めて いる天からの立派な恵みを人の手の不届き のためにたくさん失っているので ある一々の 様子この国の人はどんな人かと言うと別に 違ったところはない 同じ種類の東洋人でその色合いからせかこ 髪の黒いところまで皆日本人によく似て いるしかし雨の降る日には仕事はせずまた 寒い日などは就実家の中にいて仕事をせず ブラブラし雑談をして過ごし人の責務とか 勤労とか時間の大事なことなどという観念 はあまりない らしい最もの日に仕事をしないのは雨が 降ると他や野や道路も水で溢れるので仕事 をしようと思ってもできないあり様のため 自然と雨の日には仕事はしないという習慣 になったのかもしれ ないそのためこの国には雨具の用意が 極めて 少ない従って雨具が必要になるようにこの 国の人々に雨の日でも働いてもらおうと 思えば雨が降ってもたたや道路が水につら ないように仕事をしようと思えばできる ように地子すなわち河川の修理をしてやら なければならないと思う最もどこの国でも そうというわけではないから原因はそこで はないのは言うまでもなく雨水が広がるの を放っておくのも実にその怠慢からで あるまたこの地は害して飲料水が良くない が雨が降って水が赤く濁っていてもこれを 腰て使うという考えが ない衛生 環境日本から来たものが半島に入り現地の 家に雑居しまたは旅行して現地の家に 泊まって1番困るのは家の衛生状態で あるこれらは田舎だけのことではなく首都 である形状でも割合増しなのは大通りのみ で少し曲がって狭い通りに入るとを覆って いなくては通ることができないほどで色々 なものが道の上に散乱れていて家々からも 色々なものが勝手に流れ出ているその辺り を子供たちは平気でガヤガヤと遊んで いる一度長雨が降ると泥まじりの水は色々 なものと一緒になって道の上でもスの辺り まで来るほど水がいっぱいになり室内の 道具などが漂ってくるが これを洗ったりすることはないしかし今日 では至るところに大抵日本人の宿山あり誰 が言ってもここに書いてあるような目には 合わずに旅行することができるから安心し て ほしい仕事とお金の考え 方少し見ただけでは仕事をする人はいない のかと思われるほどよもないのに長い着せ を持ってぶらりぶらりしている至るとで 見るまたかの形状に電気鉄道ができると彼 らは珍しがあってよもないのにこれに乗り また慶人付の鉄道ができると遠方から わざわざよもないのに記者に乗りに来る どうにか稼いではその金を持って電車に 乗りに来たり記者に乗りに来たり するこのような姿を見るとこの国が日この になっているのは決して偶然ではないと いうことを知ることが できるある日本の商人が自転車を持って いって店に飾っておいたらこれを見たある 現地の人が火など必要品までも売り払って これを求め毎日シチュを乗り回してもい 同胞を羨ましがらせていたがその後間も なく金に困って自転車もとんでもない安値 で売り飛ばしてしまい自転車もないが財産 もないものになったという話が ある雑談にさえ困るほど暇であっても田舎 には寄せのような手軽な楽しみもなく防災 をいじったり将棋やカルタをするくらいが 主な楽しみでその他は昼寝やタバコを ふかすなどしてその日を送るのであるから 先ほどの記者に乗る話のようなことも自然 に生じてくるのであろうか その一方で彼らの物を背負う力の強いこと と言ったら6070巻目のものでも 背負えるものは珍しくないまたこの国の 夫人たちは通常は男子に顔を見られない ようにするが労働をしなければいけない そうの夫人は気にせずに地中を生きする 彼女らもまた物を頭に乗せる力が強い男女 ともそれぞれ特有のを持っているのは とても不思議だ身分 制度ここで貴族常民とは何かを説明して おこうこの国では階級の制度が厳格で王族 宮宅の他にヤバ常民ぬの3種に分かれてい て自分自身より下の階級のものに対しては 権力を使って抑えつけたりしても何とも 思わずこれを当然のことだと思っている ヤバはこの国の貴族で文範武範の両足から なっているどちらも生まれながらに役人に なる特権を有し納税の義務もなく急すると 常民から移植やお金を取り立てる権利が ある常民とは首脳交渉の人でありぬとは つまり奴隷のことで戦視線の区別が あるについ てのの中にはある程度大きな家もないこと はないが館長の門などの他には滅多に2階 建ての建物を見ることは ない家の作りも簡単で作るのは造作もない ことであるから農家などは大工盛の職人に 頼むということはせず大抵は近所の人たち が協力して家を立ててしまう家の四法を土 や石河で塞ぎさらに屋根も様は防寒には 適しているため現地の人は家はただ寒さを 防ぐことができれば良いという風に考えて いる らしい家庭の 様子この地では家庭と言えるほど家庭に なっていないそれは家国の作りがただ防寒 を唯一の目的とし家の中で休んだり楽しん だりなどが得られる仕組みがなく一家乱の 向を感じる機会もないからで ある男女席をなせずとは授業の教えである がいくらなんでも一家の男女夫婦までも 一緒にいることができないというほど窮屈 な教えではない だろうしかしこの地では表面上その隔てが 厳重 だそのためここでは小さい家でも夫人の 部屋は別になって奥の方に あるこれは内房 安と言って夫人はこの内房を格としてこの 中に隠れ自宅へ来客があっても男子であれ ば出て応接しないのが普通であるところが この男女別の習慣は男女席をな節とか夫婦 別ありとかいう授業から来たのでは ない昔後来の体操王建が州というところを 通り馬から降りて柳の木の下でしていた そこに1人の女子がいて品格もあり要望も 良いので王は彼女の家に行きモなしを受け それが縁となり目とって王妃にしたそれ からというもの田舎で美人を探して 連れ帰るということが流行し娘がいるもの は大いに心配でそのために今日のように客 にも合わせず外にも出さないもし出ても人 にようにする修ができたという説も ある男女の 監修男子は朝起きて身宅をしたらブラブラ 出かけあちらこちらの客室に入って雑談 などをし朝飯時になると帰ってきて食事が 済むとまた 出かけるところが女性の生活はと言うと 狭い部屋にばかり引っ込んで日々洗濯と 裁縫のみに追われてばかりいて他に楽しみ というものは ないそして女子が一旦結婚すると夫が 亡くなった後でも他に嫁入りすることは できずできても制裁となる資格がないから めかけとなるかまたは議場となる他はなく 一生そこから抜け出す機会もないので あるこれは日本にもあるようではあるが この地では女子再婚の金霊まで敷かれて いる 以上の社会では夫人が外出することも自由 にできないので夜町に男性の影が見えない 時でなくては出られないし山を得ず昼外出 する時は籠に乗って司法の垂れ幕を下ろし また乗り物に乗らない時は夏の暑い時でも 長い衣を頭からかぶって人に顔を見られ ないようにするようで ある婚姻についてこの国は階級が格なので 婚姻もそれに習って家柄を選び同じ家柄 格式でなければ結婚することはでき ないそして同じ性を持つ人すなわち同性の ものと結婚することは許されてい ないこの国では結婚のことについてとても こだわりがあるそれは結婚したものと未婚 のものとでは世間の待遇がかなり違うから である そのため婚姻を軽く見ることができず自然 とそういう風になったのだろうと思われる すでに結婚したものはどれほど年齢が若く ても大人と言って崇められるがまだ婚姻し ないものは例え60歳になろうが70歳に なろうが衝動と呼ばれて低く見られるそこ で一般に婚が行われこの国では男子が 1213歳になると急いで女房を取り たがるこの監修は長い間定着しているため なかなか簡単に改めることはでき ない衣服についてこの国の人々は皆官房を かぶりそれに真っ白な綺麗な着物を着て白 旅を吐き白靴を履き服装の立派な上に大抵 皆髭を生やしているから一見なかなか に 見えるこのように彼らは内面のことはさて おき外見上遺憾を正しくすることに非常に 注意を払い努力して いる遺憾を正して初めて尊敬されるという ことを彼らは気にかけているようで住居や 家中のことなど実に見られたものではない にもかわらず遺憾を飾り外観を作ろうこと にはなかなか発達していてその労力費用も また少なくないしかし立派によっているの はいいがこれがどこの客室へ行ってもまた 道端でもあを描いたりまたは立膝で長い キセルをスパスパふかしているのは何とも 釣り合わないように 見える注意して遺憾を作ろうまでは良いが 礼儀正しい態度をしたり知識を磨いたり また財産を作り実力を蓄えて真の尊敬を 受けようという考えはないらしい食事に ついて米は日本のように生前して研いで かまで炊くのであるがそのやり方が雑で中 には敷物をしかないで地上で石などに稲を 打ち付けてもみを取るものであるから米の 中に土や砂を含むことが多いしかし米を 研いで釜に移す時ざのようなもので上手に 救って入れるから砂は後に残って飯には砂 があまり入らないしかし日本人はその真似 がなかなかできないため巨竜地などでは店 で子供などに砂を取らせて石のき米と 名付けて商標をつけて売って いる日本人は大抵これを買って食べている から砂は食べずに 住むまたこの国の食事で馴染めないのは釜 の万である飯を炊いたり汁を似たりする そのカで汚れた衣服も 似る時としては色々なものがついている ことがあっても平気でこれを似るので ある現地の人には平気でも日本人には実に たまらぬことで ある名神と 病気この国の人々は病気やその他吉興幸福 のことなど多くは皆面心に支配されている 医薬よりも気筒勤勉よりも祈願 会心よりも間ないよというあり様なので そのことによって身を損ない財産を失い 困難に陥るものがどれだけいるかわから ない現地の人々の病気は家の構造や衛生 状態退職から来るのが主で1番多いのは 胃病である退職退院する上唐辛子を たくさん食べるから大抵胃病に悩まされて いると言っても良い また伝線病はセリや天然刀やこれらがある 皮膚病も少なくないしかし彼らは大抵の 病気は平気で放っておくそしていよいよ どうしようもなくなると医者にかかるかと 思えば先に述べた通り人に頼んでお交いを してもらうものが 多いだから半島には怪しい巫女や間者が たくさん いるこの国ではが深いため田舎では気や真 ないに依頼して薬を用いるものは 少ない特に医者にかかり治療を受けるなど ということはほとんど稀で ある中には薬の高能を知っていても値段が 高いために気筒などで済まそうとする傾向 が あるそのため日本の薬で値段の安いものは よく売れて いる外との考え 方彼らが遺憾をたすことは先に述べたが 官房の紐やセスの紐でも長い太いのをつけ これに琥珀や玉などの飾り物をしまた労働 者ですら腰の巾着に鏡や串などの化粧道具 を入れて時々買う形を作ろって いるこのようにしてまで外見を飾りそう して人から尊敬されようとすのは心するが しかし彼らは仕事を避けそのことで強く とめられることがあっても別に残念がりも しないで案外平気な様子で ある一般的に彼らは真面目に働くことを下 に見る傾向が ある働かずに遊び暮らすものをたび働く ものは下であるように 思うそのため商売など実業を低く見るのは 言までもない これは日本でも同じ傾向はあるけれども 一般に仕事を嫌がる有様は比べるまでも ない交通 事情この国の道路はほとんど道路と呼ぶ べきほどのものはないと言ってよい形状 からあちこちに通じる道を王道と呼びこの 国では1番の大通りであるがそれでも わずかに牛馬の通行ができるくらいで修繕 はほとんど行われてい ない田舎から形状に生きする役人などは 記者のないところは大抵籠で移動しまた馬 に乗るものも いる籠は4人担ぎでその費用は馬より倍 以上 かかるこのようにこの地の役人などは大抵 は籠に乗って生きするものであるから道路 の足にはほとんど関心がないそのために 半島のは昔から修繕を一向にしないので道 の状態が良くないのも当然である巨竜地の 様子経常には外国人のための専用巨竜地と いうものはなくて場内至るところにどこの 国の人でも自由に住むことができるように なっているいわゆる雑居地であるしかし 実際は深国の人々を除いて日本人は もちろん欧米人の多数もて場内の一部に それぞれ固まって自然と竜地のようになっ ている京常内も他の地域と同じくあまり 衛生状態は良くないが日本人居留地では 明治34年に1万円の巨竜民数を発行し 道路の大回収を行うと同時に安居地下に 埋設した水路を設けさらに道路の左右に 下水の溝を作ったから流水や雨水などの 排水がほぼ完全に行われるようになってき たこうして居留地内は道路も時々公費で 修繕を加えるから現地の道路のように散り や誇りも立たないまた経常尋常高等小学校 は日本の小学校例に基づいて設立し尋常小 学校4年生からは希望者に現地の言葉を 教えている宿屋についてこの国の宿屋はは 地と言ってどんな田舎でも地のないところ はない地とは宿屋というよりは飲食店に 近く宿量というのは飲食料のことで飲食し なければ他に宿量は必要 ないこれがこの国の宿屋でこの他に宿屋と いうものはない地はどこにでもあるがもし 山奥などで毎日幕がないか旅客でいっぱい だったりその他の由で止まることができ ない場合はその村の民家に止まらせて もらうこともできるここでは普通の農家で も大抵は心よく宿を貸してくれる宿量は とこにより高い安いがあるけれども一食で 大抵50問から100問までの間で日本の 78線から1314線にあたる地は先に 述べた通り飲食が主でゆえにわずか1間の のある部屋に10何人も一緒にさせても 構いはしない最も日本人には大抵一室を 丸々貸してくれるしヤグはないが温度の 温かみで寒くはないしかし世が吹けるに 従って色々な虫がやってくるから慣れない うちは安眠することができないそのため これを予防することが大事である宿屋の 食べ物は日本と同じく米の飯が普通である 最も場所によっては泡飯や冷え飯または 豆飯などを食べさせるところもあるそうな また服色にはニンニクがふだに使われては いるが魚類も肉類も卵もあるまた人災と いう漬け物もあれば味噌汁も あるしかしこれらはあまり清潔には感じ られず初めは戸惑うが時間が経つと慣れて くる 日本人の中には食料品や寝具などを携帯し て旅行する人もいるがそうなるとなかなか くだもし街中の匂いとニンニクがふだに 使われた食べ物と衛生状態を辛抱すれば この国の旅行はすこぶる容易で費用も わずかで 済むその間に自然とこの地になれて一種 楽しくも感じられるしこの地の事情を知る にはも も半島を旅行するものはそのくらいの勇気 がなくてはならないただ注意しなければ いけないのは現地の家は戸締まりが不十分 であるため手荷物などは地の主人に預ける かその他の用人がいる田舎に行くと道端に 石を積んで火を炊いた跡があるのを 見かけるこれは現地の旅人が自分で飯を 炊いて食事をした後で旅をする時は自分で 釜などを携え火が暮れると宿も取らずに そこで野宿をするものが珍しくないようで あるこれらはこの国の宿屋の状況であるが 今は鉄道沿線などには日本人の宿屋のない ところはほとんどないから大抵は地に 止まらずとも日本宿で旅行ができるしかし 宿量は日本の倍も かかる政治と等この国の政府の完成は元は 党や民の制度を参考にしたもので先生政治 としてはやや発達した組織で あるしかしながら実際は王権がふわず起立 が乱れているからただ表面の組織が良い のみで内面は全く秩序が ないこういう有り様であるから根本的に 政務の組織を改める他手段はないというの で明治30年井上の忠国で日本の完成に 習い内閣などの会議組織にしたのである 以上は中央政府のことであるが地方政府も また似通ったものでしかも中央政府が腐敗 するものだから地方官はただ人民の苦労し て得たものを絞り取る道具となりワロなど が大いに行われ感触は公然と売買される あり様で従ってその弊害を受けるのは人民 である半島には高等らしい派はないが主の 類はたくさん ある日本島とかロシア党とか時により色々 名前をつつけるけれどこれも一時の弁理合 の上からのことなので永久にその名前と いうわけでは ない彼らの時代主義つまり自分より強大な 国に従うという態度も別に土台がしっかり しているものででも ないただ大国に頼っていれば自分の地位が 安全であるというところからその時々に 勢力がある自分の都合のいいような方に 頼るので一定した主義では ない日本が1番勢力があれば彼らはこれ までのエコや関係にはこだわらないで日本 についてくるただし日本に従う場合でも 講師や軍の司令官の気を引くために色々と 考えを巡らし 小さな策略を用いたり相手を立てたりする ことで自分たちの地位を確保しようとする のである王室と 国民以前からこの国は新国の続行で半島に おける真の勢力というものは実に大きい ものだったところが日進戦争で日本が勝利 し清国の死者を迎える音問を倒してこの国 の独立を祝う独立問を立てるということに なりこの国の内政も大改革が行われ大韓 帝国という名前となり国王は皇帝陛下とご 立派にならせられ皇大使様大高々様が定め られるという偉い有様となったそれから 明治32年8月には旧華城からなる憲法の ような物々しいものがご配布となった 世界中から認められた自由で独立した帝国 であり無限の主権を持ち自立した生態を 運営することが公式に定められたしかし この国は他の国と違い王室はどんなことが あっても国民とその喜びや悲しみを共に するということは ないただ貴族だけは王室と利害を共にして いるようであるがまた国王の信任を得た ものはその恩恵に預かり利益を受けるが その他はそうではないそのため誰も彼もが 国王に取ろうとして魂胆を巡らし運動やら 揉め事中などと実に見苦しい状態を極め 従ってその間に立って次女や感官歓扶助 などが甘い汁を吸うのである常民に至って は気の毒なもので税を納める義務などは あるけれども権利というものは少しも ない王室の建設工事やその他ジや長時など を割り付けられたりすることはあっても 王室の恩恵を受けるということはさらさら ないだから常民たちが王室を見る目は まるで旅人と同じで王室に大地があっても 一向に平気なもので全く気にもかけない かの明治27年の応急の地変の時もまた 明治37年に今の応急である運休が家事で 焼けた時でもの人々はガヤガヤと黄門の外 に集まってきて長キセルでタバコをふかし ながら互いに笑い合い語り合って面白そう に見物しているという有り様で あるこのように上のものも下のものも皆 自分のことばかりを考えて国家という概念 は少しもない長底ではどしどし素生を 取り立てるがそれは国家のために使うので はない国王も大臣も地方の役人も皆自分の ことだけを考え自分の家を豊かにしようと するだけである常民もまた国のためなどと いう考えは毛頭ないのでたくさん儲ければ それだけまた多く取り立てられ手元には 残らないからと怠けられるだけ怠け遊べる だけ遊び他や畑や山や林などこれに手を かけて確実な財産を作ろうなどという考え はないらしいこの点が 今日の有様をもたらした理由であろうか 今回は明治末期に日本人が見た半島の様子 をご紹介しましたがいかがでしたでしょう か当時日本の保護国となったばかりでこれ からこの国との関係をもっと深くして いこうという社会情勢の中当時衆議院議員 であった荒川は日本の人々にまだあまり 知られていない半島のことをよく知って もらおうと決意を持ってこの本を出版した ようです荒川五郎がこの本を出版した当時 は日本が開国してからおよそ50年が経っ ており日清日戦争と2度の戦いに勝利した ばかりでした現代の常識で判断してしまう とこの本の内容やその後併合へと至った 歴史事実について理解できない部分も多い かもしれません当時どのようなことが 起こっていたか歴史を知り新しい視点を 得ることで今までとは違う別の視点で歴史 を解釈することができるのではない でしょう かあなたの意見も是非コメントして いただけると嬉しいですそれではまた次の 動画でお会いしましょう [音楽]

教科書には載ってない歴史 荒川五郎は、江戸時代末期の1865年に生まれ、日本法律学校(現在の日本大学の前身)を首席で卒業後、中国新聞社の主筆として活躍しました。1904年には衆議院議員選挙に当選し、日露戦争に勝利した翌年の1906年に「最近朝鮮事情」という本を出版しました。この本は、ガイドブックのようなもので、日本国内であまり知られていなかった情報を人々に伝える目的がありました。

00:00 | はじめに
01:52 | 明治時代の日本人が見た
04:07 | 河川の様子
05:54 | 人々の様子
07:35 | 衛生環境
08:48 | 仕事とお金の考え方
11:04 | 身分制度
11:59 | 家屋について
12:42 | 家庭の様子
14:35 | 男女の慣習
15:56 | 婚姻について
18:33 | 食事について
21:30 | 外見と労働の考え方
22:39 | 交通事情
23:37 | 居留地の様子
24:56 | 宿屋について
30:38 | 王室と国民
34:05 | 終わりに

【参考文献等】

最近朝鮮事情 国会図書館デジタルコレクション

#歴史
#歴史解説
#世界史
#なるため見聞記

38 Comments

  1. だから福沢諭吉が警告していた
    500年前でも隣国明王朝からも
    李氏朝鮮朝廷を植民地にも出来ない
    属国扱いとされ
    明から清に成っても変わらず

  2. 今の日本の政治家(与党)の考え方・やっていることに非常に重なると感じたのは私だけでしょうか

  3. 外見ばかり飾るのは今もだよな😁医療費はケッチても整形には大金かけてるしな〜働かないのは昔からなんだね😱😱良い所は一つもないのか?

  4. HAWAIINIST様
    去年の9月にJALのビジネスクラスで渡ハした時も…ビジネスクラスは満席だったのにエコノミーは空席目立ちました✈️

  5. これ、お隣の国民にも見て欲しいな…反日教育で(日本に収奪され貧しくなり、その結果苦しめられた…)と本気で信じて日本を憎んでいる国民がほとんどだから…。まぁ…信じないかぁ😅

  6. お疲れ様です。
    五十年後百年後日本が誇れる国のみであってほしい。その時韓国はどう記されて行くのでしょうね、

  7. 本当なるためさんの動画は特にこの世のKOJIKIの吹き溜まり韓国関連の動画は使うべき
    小中高の歴史の授業で今は有るのか知らんけど道徳の授業で12年間毎月必ず一回は
    そうすりゃ解るわな
    全てとは言わんけど自分の親に自分の周りの大人に自分が刷り込まれてるゆとり思想は始祖の頃からまんじりと
    先祖代々子々孫々一致団結して一丸となって知る調べる学ぶ受け止め受け入れ省みるって人として生物として最も大事な成長進化を遺伝子から心から魂から前世から親から祖父母から先祖から始祖から拒否拒絶し続けてる
    この世を創りし神様から
    この世を見守りし御仏から
    この世の全ての生物無機物から
    永遠の飼い主アメリカ除いた世界の国々人達から生物生誕前から天地創造天地創造前から見限られ見放され見捨てられ続けてる
    其を得意気に誇らしげに賢しげに恥ずかしいと思わず感じず考えず
    成長進化を拒否拒絶し続けてるからこそ恥ずかしいと思えず感じれず考えに至れず認知認識出来ずそれこそが我等がこの世で唯一選ばれた民の証と自慢してる
    我等こそがこの世で一番の日本の日本人の理解者だと
    日本を日本人を日本の和の心を日本の全てを親日国親日家って先人先祖偉人英霊始祖含めたこの世の全ての日本人が遺伝子から心から魂から前世から親から祖父母から先祖から始祖から来世でも心より敬愛する大事な友好国友人の親日思想を遺伝子から心から魂から前世から親から祖父母から先祖から始祖から心底糞舐め腐りきった中身皆無ですっかすかで薄っぺらで利己的な慈愛友愛博愛を
    愛が有れば愛こそ全てをサランヘヨを祝詞の如くの先祖代々子々孫々一致団結して一丸となって一切合切成長進化をせずほざき宣い喚きながら
    己等の国を己等の手で心で魂で守る事も発展させる事もせず
    唯々永遠の宗主国中国からの永遠の飼い主アメリカからの永遠の神国ロシアからの
    己等が敵と見做し敵と教育してる日本からのおこぼれに正にこの世のKOJIKIの名に恥じぬが如く昔も今もこれからも集り群がり啜り貪り喰らいながらもっとおこぼれ寄越せと中国にアメリカにロシアに日本にこの世の全ての日本人に馬構ってオナニー見せ付けてるだけの
    己等が背負う担う果たすべき責任責務を
    己等の親が祖父母が先祖が歴代の代表が己等が被害者気取りで意識高い気取りで英雄気取りで静観者気取りで傍観者気取りでこさえた全ての業を咎を因果を決して背負わず担わず果たさず報わずこの世の全ての日本人に押し付け背負わせ擦り付け担わせ果たさせ報わせようとしてるだけの
    その己等が放り出した糞尿にて己等が汚した己等の股を尻を穴を己等の手で拭わぬこの世の全ての日本人に永遠の飼い主アメリカに永遠の宗主国中国に永遠の神国ロシアに永遠の同盟国北朝鮮に拭わそうとする赤ちゃんPLAYを唯々唯々馬鹿丸出し剥き出しな馬鹿面下げて晒して丸出しながら先祖代々子々孫々一致団結して一丸となって昔も今もこれからも
    滅亡するまで消滅するまで滅亡しても楽しみ続けるだけの
    その己等の自業自得を本末転倒を釈根灌枝を冠履転倒を因果応報を悪因悪果の成れの果てを己以外の己等以外の誰かの日本人のせいにし続けるだけの
    この世の全てのこの世のKOJIKIの永世名誉絶対王者韓国民韓国人に両班に成る為の
    そのKOJIKI共と同様同等同属のゆとり信者ってゆとりの申し子ってZ世代って日本の面汚し恥さらしに非国民売国奴に
    先人先祖偉人英霊始祖含めたこの世の全ての日本人がこの手で一人残らず一人も討ち漏らさず一片の遺伝子も残さず決して逃さず有無を聞かず言わさず何処までも追い掛け何処までも追い詰め何処までも追い込み血祭りに上げ
    日本に寄生しながら日本を己等の国と己等も日本から恩恵享受する資格が有る日本の国民だと主張してる全てのクルド人この世のKOJIKIの永世名誉絶対王者韓国民韓国人の前にその骸を次はお前らだと知らしめる為に積み上げ積み重ねこの世から日本から根絶やしする本当の一番の永遠の唯一の真の敵と遺伝子から心から魂から前世から親から祖父母から先祖から始祖来世でも見做し見定め認識されてるゴミフェミに成る為の教育だって
    日本の未来を担う若人達は

  8. 今の日本を鑑みるに、日本の将来はこうなるのでは?
    税金や社会費の支払いが増えると国民のやる気が無くなる人々が増えるよね。
    明日は、我が身を見ているようでこの先が恐ろしい

  9. 現在の韓国人に親しい人もいるが 口には出さなくても 先祖は両班だったとうそぶく人もいるようで 職業の貴賤差別が垣間見え 昔 転職したとたん 態度が変わるという人もいて やっぱり本質は変わらないのか と感じた

  10. この人たちは ドンレイじゃない
    ドンレイがいました この国の貴族がやりました ドンレイは作業が終わると首と手を板で固定されました足は鎖です これを見た2本群がこの国のドンレイを解放し自由にしてインフラを整え学校病院をつくりました これを今でも恨みに思っているこの国の貴族が2本を陥れています 2本の中枢部に入り込んで洗脳してきました d$の力を借りてやっています

  11. 韓国の歴史ドラマを😅盛んに放送してますが、
    内容が嘘ぽいので、見たことありません。
    派手で安っぽい衣裳や髪飾りに違和感がありましたが、やはりね!😅。
    中国の歴史ドラマとの雲泥の差が分かりました。
    大陸は身分の高い人に、部下は尊敬の挨拶するが、半島では知識は皆無でしたか!😅。
    今と変わらないですね。

  12. 拝啓、荒川五郎様。

    お気持ちは良く分かりますが全ては日本人の余計なお世話でした。

    当時の日本人が彼等を対等に見ていなかった証左です。

    彼等と日本人は対等である、と。
    彼等を従えようとか、導こうとか、決して思わず。
    ありのままの彼等で居て貰えば良かったのです。
    その方が彼等は幸せであったことでしょうから。

    それよりも、直ぐに訪れる東北の大飢饉に備えて下さい。

    未来の日本人より

  13. 自国の歴史をまず直視しろ!
    日本の経済援助がなければ、とっくに中国な支配下だったのに。
    今の情報社会で、もっと自国を勉強しとけ。

  14. ほんの50年ほど前Kの貿易の一つはBy春で海外からのツアー客が訪れていたようです。その名残は昨今のKPOPのコールガールダンスの特長として現れています💃

  15. この世界から近代の世界に引き上げた日本。感謝こそすれ恨まれる筋合いは無い。彼らの価値観が変わったのは李承晩の日本憎しの反日教育と惨めな近代史を打ち消す為の捏造。未だに李承晩の呪いは半島を覆い続けている。過去を美化し日本を悪人にし歪んだプライドを満たす。
    こんな国と友好関係になれと?出来る国があるのならその手腕を見せて頂きたい。

  16. 頷けることばかり。韓国に興味を持ち韓国人と関わるようになって40年近くなります。これまで出会った人の中に仕事に就かない人、すぐ辞めて再就職しない人が少なからずおり、在日でも職を持たずにパチプロで生計を立てている人もいます。初めて会った人や久しぶりに会った人に職を尋ねると、働かずにぶらぶらしてる人は「ノルゴイッソヨ(놀고 있어요 遊んでいます)」とよく言っています。30数年前ソウルの食堂で出てきたキムチが洗剤の匂いがしたのは、食べ物も衣服も同じたらいで扱ってたからなのかもしれません。今もそんなことありそうですね。

Leave A Reply