【事件•事故の怖い話まとめ8】致死量の放射線を浴びた人間はこうなるらしい…ヤバすぎる…【2ch怖いスレ】【ゆっくり解説】

[音楽] 東海村jco臨海事故が怖かったひょんな ことでこの事故を知ったけど料の放射線を 浴びた作業員さんの顔がひしにうわあ トラウマになったわ写真なんて見るんじゃ なかったは全部閉鎖しろ東海村jco臨海 事故は1999年9月30日茨城県中軍 東海村にある株式会社jco住友金属鉱山 の子会社以jcoの核燃料加工施設で発生 した原子力事故かこ臨海事故である日本 国内で初めて自己被爆による死亡者を出し た1999 9月30日jco東海事業所の核燃料加工 施設内で核燃料を加工していた最中ウラ 溶液が臨海に達して核分裂連鎖反応が発生 しこの状態が約20時間持続したこれに より資金距離で多量の中性視線を浴びた 作業員3名中2名が死亡1名が重賞となっ た他667名の被爆者を出した事故原因は 核燃の加工工程においてjco側が自己 防止を重視した正規のマニュアルではなく 裏マニュアルを作成して作業を行うなどの ずな管理を行った上自己前日より作業の 効率化を図るためその裏マニュアルからも 逸脱した手順で作業を行っていたためで あった事故後法人としてのjcoとjco 東海事業所所長をはめとした6人が起訴さ れて裁判で刑事責任を問われた他COは 内閣不から加工事業許可取り消し処分を 受けウラン最転換事業の廃止をよぎなくさ れた国際原子力事象評価尺度INESで レベル4に相当する事故で ある臨海に出る天使の光を肉眼で見た世界 で最初の人かもねこれはきついわこれって もう命の助かる見込みはないの分かってて 色々延明治療がなされたんだよね人権問題 的にどうなんだみたいな話があったと思う でもこういう貴重な省令があってこそ今 まで医学も発展してきたわけで難しい ところだわね同僚浴びた原爆の被爆者たち は大体この日の時点までに死んだんだっけ 延命に関わった医療関係者の式を読んで 色々考えさせられたな初対面で元気想で 死ぬように見えないのに死ぬことは確実に 決まってるというのが印象に残ってる臨海 事故のその後のドキュメンタリー番組を見 たことあったけど皮膚が剥がれてどんどん ひどくなっていく作業員さんの様子を誰 だろうというよりなんだろうこれはという 感じだったと看護師さんがインタビューで 語っていた延命治療をしながら石も看護師 もどう見ても助からないと思っていたけど それは誰も絶対に口に出すことはでき なかったと泣きながら言っていたその番組 では腕の皮膚しか写真が出てなかったけど それだけでも見てて辛かった臨海事故の方 意識はあったのかな ずっとどうやっても奪還できないわ自分の 川がずるずる向けていくんだもん途中まで は意識があったはず俺はモルモットじゃ ないと叫んでおられたときっと苦しくて たまらなかっただろ 東海村jco臨海自己資料を呼んだけど とてつもないね死ぬ時は何を思ってたのか なやっと死ねると思ったかな画像は 少なかったけど細胞分裂しなくなった皮膚 が全て赤になり肉が剥き出しにとか1日3 lの下痢が出るけどそれは溶けた内臓が出 てきただけとか表現が精神的に来る医者も 気が来るそうだったろうないやいや毎日3 lも内臓だけ出してたらすぐに空っぽに なっちゃうよ体中の細胞が崩壊しても心臓 と脳だけは細胞分裂しないから無事で大量 輸血で生命維持を続けられたんだよね あまりに身体の状態が悪くて意識が途中で なくなったのがせめて辛くなくて良かった と思う俺の聞いてる噂だと中で体がにされ て再生能力がなくなってもうすごいって やつ報告書では体の一部が壊し心臓麻痺で なくなってるまあ死ぬほどシャレになら ないのは確かな話だけどなむしろ死んだ方 がマ被爆直後はちょっとひれ起こした普通 の状態だっただが被爆するとDNAが ズタズタになって正しく細胞が作られない ノト心臓というのは細胞の新陳代謝が ゆっくりで他の期間より被爆ダメージが ゆっくりになる体はぐちゃぐちゃなのに 意識もあり心臓も動くから生きられると いうこと限界値以上のモヒを売っても効か ない1日に何リットルもの輸血23kgの 下痢かこ内臓や体液が溶け出してる心臓は 被爆してからずっと100mダシをして いる状態だたこんな状態でも生きられて しまうほどに現代医学が発達したのもある が貴重な事例として格好の研究の題材にさ れ各国からも見学に来たりと死なすにしな せられない状態だったらしいずな管理と いいこういうこと聞くと生きてる人間が 一番怖いと思うよ被爆された方は普通の墓 にも入れてもらえないご明服を祈るばかり 中学生の時1週間ほど授業がなかったこと があった部活も休みになったなぜか私1人 だけ職員室で資料プリントを手伝わされ たりしていた1週間ほぼ職員室に 缶詰め他の皆は教室で 自習なんで自分だけと思わなかったわけで はないけど普段からよく教師に頼までこと をしたりしていたので気にしていなかった そんな出来事からしばらくして親がPTA の解合かこ保護者全員出席から帰ってきて 知ってた とクラス全員が万引きしてたんだそうだ 授業も部活もなかったのはそれの指導の ため学からちょっと離れたSCCで集団 万引きしてたんだって私以外で全然気づか なかったていうかクラス全員で出かけてた のも知らなかったクラスに友達がいなかっ たわけじゃないの にその後の学校生活は別にギシもしなかっ た中学を卒業して10年以上過ぎた頃集団 被害が出る経済詐欺事件があった被害者の 多くが若いインテリそう私は仕事の関係で 被害者リストを目にすること にそこにあったのは中学のクラスメイト たちの名前だっ た被害者から直接話を聞く機会もあったが 名刺を渡しても誰1人私には気づかなかっ た地元を離れたわけでも苗字が変わった わけでもない私に中学の時の友人たち みんなに進めたんですよクラスメイト全員 かなみんな昔からの付き合いで信頼してる んで友達みんなやってるなら間違いないか なってその人たちが帰った後ボールペンが 消えていたこれマジで何なん だろう 1968年昭和43年7月2日陸上自衛隊 少年高家学校原陸上自衛隊高等効果学校が その3年生の歩隊の午後の火は野外戦闘 訓練だった天候は梅まっただ中の雨最初は 訓練場にて訓練を行っていたが000人 教官の思いつきで予定変更し当時安らぎの 池と言われていた人工池でとか訓練を行う ことに安らぎの池は降り続いた雨の影響も あり水かさが増していたが仙人教官は結構 を決意隊員数を連れ池に入っていった隊員 の服装はおつ装で作業服にてっ団体をつけ M1ライフルを傾向していた当然作業服は 水を吸って重くなり泳ぐことが困難になる さらに銃は肌身はなさず持っていなければ ならないという鉄則があるので重りになる 銃も離せない仙人はともかくそんな経験の ない隊員は銃を離さなければ だが話せばきつい罰素直が待っていると 半ばパニックに池の中ほどまで進んだ時 溺れるものが 続出さすがにまずいと思った教官及び区 隊員で救出に当たったが10数名が水中に 没しさらに救出のために池に入った隊員一 も行方不明にその後陸上自衛隊拡大や海上 自衛隊の潜水員も動員子救出活動にあたっ たが結局13名が死亡した今は安らぎの池 は埋め立てられ慰霊費が立っている何度か その場所に建物を建てようとしたが毎回 必ず作業員が原因不明の怪我当をし毎回 中止になっているまた毎年7月2日に慰霊 祭が行われるが前日に高家学校の生徒が おかしくなることがよくあるらしい 本市場最大の被害を出した獣害は北海道で あったひによる事件この事件以後もひの 被害は続発し北海道開拓の妨ともなってい た時期がある北海道をバイク旅行した時に 言われたのはだから野宿なんかしないよう にしろということだったこのご時世 にく北海道がかつてひの外に悩まされれた 経緯など知らない俺は内心全く信じてい なかった第1熊なんて見たこともないし 時折り事件になるにしても自分とは無関係 な世界の出来事だったそんなわけで気を つつけると言って旅館を引き払い地図を見 ながらこの辺りに宿しようなどと考えてい たバイク専用のホテルはあるが別に夏から 秋にかけての時期なので夜の寒さはあまり 気にならなかったから野宿でも問題ない だろうと考えていたのだ熊が出る云々など この時は綺麗に忘れていた夕暮れ近くまで 走り国道沿にある小さな公園を見つけたの でここで野宿することにした地図には乗っ ていないが周りに民家もないために不審者 として通報されることもなさそうだったの が理由 公園と言っても今にも壊れそうなベンチと ブランコと小さな砂らしきもがあるだけ だった該当もないために月光以外に明りの ないこの公園は耳鳴りがするようなしけさ だった明らかに手入れされていないこの 場所は実に不気味で1人切りで熟すること を公開した記憶がある闇が怖いと感じたの はこの時が初めてだった 何しろ自分の呼吸音すら周りに響いている のではないかというくらいの無音の世界に 取り残されると早く朝になってくれと心の 底から思ったものだ1人用のテントの中に 潜り込むとMDを聞きながら早々に寝た 何か人口の音を聞いていないと怖かった から だふとテトの外から何か音が聞こえた 脇に置いた腕時計を見るとカカに光る文字 盤が夜中の一時をさしており寝入ってから 3時間ぐらい経っていたMDはとくに 終わっておりだからこそ外の音が聞こえた の だろう何か重いもを引きずるようなその音 はだんだん近くに寄ってくるその意味不明 の音をぼんやり聞いていたが次の瞬間一気 に目が 覚める熊に気を つけろ旅館の主人の言葉が予言のように ノりによったからだテントの中に むせかえるような臭さの獣の臭が入って くると俺の心臓は16ビートを記録した しかしいつまでたってもテントに対して 直会を出してこないことで少しだけ思考が 戻ったガガ震える体をしたしてそっとテト の外に聞き耳を立てるとほんのかすかに獣 の荒い息に混じって人の声のようなものが [音楽] 聞こえるなんと言っているのか全く聞こえ ないが苦しそうな声だったいやうめき声と いうものかもしれない息苦しくなるような 感覚を模した記憶があるテントの外を 見ようとして入り口に手をかけるが震えて なかなか開けなかったやっとの思いで テントの外を 覗くそしてとっさに近くにあったタオルを 口に 押し込む顎が外れんばかりにガタガタと 言い出したからだ金縛りにあったように その光景から目を離せない耳に咀嚼音が こびりつく血と排泄物の匂いが当たりに 充満していくのが分かったがどうしようも なかった真っ黒い大きな塊が人らしきもの 上に覆いかぶさり腹のあたりに頭を 突っ込んでいるそいつが顔をあげるともに 俺と目が合うような位置だ押さえつけられ た人は仰向けで頭と足を黒い塊の前足 らしきもので押さえ付けられているその腕 が時折り痙攣しつけている時計が突き あかりで小金色に反射して俺の目を奪う顔 は見えないが苦痛のうめき声が止まら ない時間にしてどれくらいだろうかいつの 間にか気を失っていたようで目を覚ますと 頭上に太陽が見えた時計は15時を差して い俺はすぐさま逃げ出そうとしたがふと 襲われていた人間のことが気になった 助かるわけない早く逃げるべきだその時は 他人のことよりも自分の身が大事だった あの光景を見た後では露天もりも今となっ ては何も感じないあれはテントの目の前で 起きていたはず だなのに何もなかったそれどころか公園内 には血もその匂いも熊のい痕跡すらなかっ たリアルな夢でも見ていたのだろうかと 思ったが思い出すだけで吐き気と震えが 来るとても夢とは思えなかっ たしばらく呆然としていたが熊がいる可能 性が俺を正気に戻した慌てて金目のものと 最低限の物資をゆっに 詰め込むテントもランタンも効果であった が放置して逃げ出した夢中で道を引き返し 昨日の旅館に戻った時は日も傾きかけてい たふとミラーを見るとしゃぶ中のような 顔色の俺街中を走っていたら警察に止め られそうだった時間を見ようとしたがどう やら逃げる時に腕時計をけ忘れたようだ だった旅館の主人も俺の顔を見て驚いた 様子だっ た俺の話を聞いた主人はしばらく黙った後 で言うその公園は随分前に亡くなっている はずだという主人が子供の頃に公園のそば に小さな集落があったが市町村の東配合の 結果あまりに不便な場所なのでそれお気に み引っ越した らしい翌日主人と一緒にその場所に行って みたが俺の残してあったテントなど以外に は何もなかった腕時計はあったが踏んづけ たようでガラスが割れていたそういうわけ で俺はあれを夢だと信じることにした実際 誰も死んだ痕跡はないし新聞でもそんな 事件は報じていないからだしかし俺は旅行 をする気分ではなくそうそうに帰ることに したせめても記念にと北海道の金時計を 買ったまあこれぐらいしか思い出になら ないというのも不粋な話だがなぜかその 時計に目を奪われた頑丈なので今でもその 時計を大事にしている今年の夏はもう一度 あのルートで北海道旅行に挑戦するつもり だそれは幽霊なんていないという確証がが 欲しかったためでもある

どうも。まーくんです。

超絶高熱出てしまいました。。。
皆さんも体調に気をつけて…。

目次
0:00 1話目「東海村JCO臨界事故」
6:33 2話目「私以外が」
8:49 3話目「安らぎの池」
11:00 4話目「ヒグマ事件」

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16 Comments

  1. 気温が上がって体調が不安になる中でそれは大変ですね…
    どうか早く回復します様に (;>人<)

    2話目が何だか凄く不気味…しかしもしかしたら「何か」が
    クラスメート達と「関わるな」「縁を切れ」と誘導してくれていたのかも…。
    4話目、熊に襲われていたのはやっぱり未来の書き手自身なのでしょうか…(||| ゚Д゚)

    他の話も怖いですが今回は1話目があまりに凄絶すぎて…。

  2. もう絞首なんてやめて
    ウラン溶液使った臨界の刑にしろよ

    医学にも多少は貢献出来て最高だろw

    なんか自殺する度胸のない奴が死刑判決でサクッと死ねるとか言って
    ジョーカーもどき(笑)弱者による無差別テロを起こしやがんだからさ

  3. この日のことは今でも覚えてる
    昼休みに校庭でクラスメイトと遊んでいたら、突然職員室から教師が出てきて今すぐ教室に戻れと言われ、教室の窓も閉めた状態で午後の授業を受けた
    この当時はまだ公立校にはあまりエアコンが普及してなかったため、9月の終わりとはいえ教室はかなりの高温状態になった
    授業後は家から親が迎えに来られる生徒は迎えに来てもらい、そうでない生徒は集団で一切寄り道をせずに帰るように指示されていつもよりも足早に下校した
    現場の至近距離の学区の学校は翌日は休校になったようだが、うちは休校にはならない程度に距離が離れてたので、翌日もなるべく窓は開けないように指示されて授業を受けた

  4. 東海村……。この言葉に切なさを感じた。事件後の説明に対する、地元雇用者の家族の声「所長!あんた事故はぜったいにおこらんといったじゃないか…。」なんとも、いくら立派な想定しても、肝心な現場がマニュアル省くんじゃ…。バケツで混ぜた。とか…。

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