【後半】「土屋圭市」の壮絶な人生を解説するぜ。【ゆっくり解説】

[音楽] 家族とは疎遠になり夢だったバンドの道も 立たれた土や一夢も希望もない中だったが 愛紗のスカイラインを撫でた時走ること だけは諦められないと気づいたしかし土や 一は自身の慢心によりそのスカイラインで 大事故を起こし3ヶ月も入院生活を泳ぎ なくされたそこで土やけ一は思う俺は運転 が下手だ見てくれだけの走り屋は卒業して 本格的にドライビングテクニックを磨か なければならないそこで向かったのは後な 走り屋であり幼馴染もある藤岡さんの ところだったそして峠で鍛え上げた ドライビングテクニックをアマチュア レーザーの東流門であるフジフレッシュ マンレースへマイマシンを持ち込んだやけ 1何度も参戦しているとエンジン整備の 少しの差がレースの順位を握ると分かって きたこともありそれからのレースの結果は 3位2位と着々と順位を上げていくしかし その次のレースからはなぜか全く成績は 振るわず気づいたらモチベーションだけで はなくお金も底をついてしまったそんな 若き口や一は自身のレース人生の最後とし て自身の戦場でもあったフジフレッシュ マンレースに訪れ おいお前うつろな土や一が見つめていた男 が駆け寄って声をかけてきただがその男が 土屋の姿を見て口に出した言葉はえお前何 やってんのあ初めましてえっと話しかけて きた男の名前は予選で最速だったマシンの 制作元の倉田自動車代表の倉田さんお前 レースは出ないのかもうお金がないんです だから出られませんエンジン台がないん です 倉田さんが少し考えていあそう はいじゃあ俺のもう1つのエンジンあげる よそれ使って入賞したら半額優勝したら ただにしてやるよ えてえ本当ですかああうちのエンジンは いいぞ土位はもちろんクタ自動車の エンジンはいいものだと知っていたなぜ ならクラタのエンジンを乗せたら入確実と 呼ばれるくらいのキマを作っている フレッシュマンレースの見だったもちろん その提案を受けた土屋一はははいもちろん ですと即答だったしかし土屋一が帰った後 に倉田自動車のスタッフがいる倉田さん あんなよくわからない若手にエンジンを 渡していいんですかなんで渡したんですか くくくあいつが早いかどうかは知らんえ俺 がコースの上にいてあいつがそばの金網に いたそれだけだよえ大丈夫ですかそれく これでいいんだそんな倉田さんは意味な 言葉を残していった一方土やけ一はこれで もしダメなら踏ん切りがつく最後の チャンスだやろうそんなクラタエンジンと いう最後の切り札を手に入れた土や一は次 のレースを最後のチャンスと思い挑むこと になるということでクタ自動車のエンジン をレースマシンのサに乗せサドレースに 参戦し たおいおいおいなんだよこれ倉田さんマジ かよサニーが別物だこのエンジンすご [音楽] [拍手] すぎる結果は4位入賞扱いだっ たやっぱりエンジン屋のエンジンは違う 素人のエンジンいじりとはノーハウも規模 が違うんだク自動車のエンジンはピストン の山から1番いいものだけを選別して 組み込むという贅沢さモータースポークは 腕の勝負でもあるが道具の勝負でもあるん だなそんな土一はクラタ自動車にエンジン を取りに行った時からカルチャーショック を受けていたでも4だクラタエンジンが 半額だ一方そんな倉田さんのチームはお土 君4位入めで でも残念ながら優勝はうちのメンバーが いいたぜま君が持っていったのは下がり エンジンなんだけどな職人でもあり商売人 だお下がりでも良かったんですエンジン やっとスキルが通じるスタートラインに 立てましたってことはまだまだ早くなれる 余地があるってことじゃねえかとはいえ エンジンは破で売ってやるからもし来年も このエンジンを使いたかったら定期的に フジスピードウェイに練習には来てくれ もっといいエンジンに仕上げてやるそんな 土焼一はこの新しいエンジンを手に入れて いこう今までの不調が何だったという くらい少しずつ調子をまた戻していくって いうすごい人がいるんですよその後も一は その仲間の藤岡さんたちと相変わらず夜に なっては峠で腕を磨いていたこの頃には 走り屋には有名な薄峠にステージを移して おり藤岡さんは日産スカイラインRS ターボに乗り換え土1はレースに出ている のと同じサで練習をしていた土1たちの メインは り下りはパワーよりもテクニックが重要視 されるん だだからこそ腕が上がるまあ上りは群馬の プロのラリーヤがよよな来るから勝負に ならないのもあるんだけどな今や群馬の大 企業のひこさんあなたです突然のさし上げ で草まあ今や有名タイヤメーカーも峠で テストしていた時代だからなそういう時代 ってことだぜそしてこの頃の口や一はあの 最初の師匠と言っても過言ではない藤岡 さんにも勝てるようになっていたそして 走り終えた後仲間たちで断していた時顔見 の青年が知らぬ車の女子席に座っているの を見つけたおここで何してんだよちょっと 友達が走りたいというので助手席でついて 行ってきます当時は下手なのに峠に来て 事故っている連中も多く土やけ一は親切心 でいいけど気をつけろよ事故も少なくは ないからなと言い彼らは走り去っ たしかし何十分か経った 頃おい一さっきの奴ら崖から落ちたらしい ぞ全く忠告してやったのによと事故現場に 行ってみるとガードレールを突き破って下 に落ちていたえ一これはシャレにならんぞ その落下距離は数mそこにいた全員が 血の気が引いたしかしバイクとは違い車が 守ってくれるだろうと思ったいやそう思い たかったのだろう崖おり車内を 覗くああマジかよ脈がない救急車を呼べ 残念ながらもう2人とも息を引き取ってい たああ市民が出てしまったのねこれが峠の 走り屋の現実であり世間としても少しずつ 走り屋の危険性を認知し始める時代でも あった峠の走り屋というのはそんな闇の 部分もあることは忘れてはいけないわね 自滅するのは構わないが他人に迷惑を かけるのだけは藤岡さんの言う通りNGだ ぜ一方藤岡さんは土一が少しずつ成長して いるのを見て峠では俺よりも早くなりプロ レーサーの階段を着実に登っている本人は あまり自覚がないかもだけどね俺も嬉しい けどでも少し寂しいか なそんな党の本人の土は倉田自動車で次の レースの準備をしていたそこにあるタイヤ メーカーが訪問してくるコンチャースそれ はタイヤメーカーの横浜ゴの担当者だった コンペこら倉田自動車の代表の倉田さんが 迎えるふむやっと届いたかどうやら話を 聞くと横浜ゴムからアドバというブランド のタイヤが出たので今シーズンから倉田 自動車でも使うという話だったおい土屋次 はこのアドバンのタイヤを使うぞマジすか やったというのも土がガチ恋いしている 高橋国光さんもアドバンのタイヤをレース で使っていたため大興奮したそこで後時き で赤と黒のカラーで車をじ塗装しアドバン ユシンクラタサニーとして再び本格的に レースに戻っていくだがおい土や何うちの ブランドの塗装を勝手に使ってんじゃあと スポンサー契約もしていないのに勝手に アドバン風に塗装したことを横浜タイヤ からは怒られたさしかし横浜タイヤからは 塗り替えろとは言われることはなかった さすが横浜さんやでこれそしてレでの肝心 のタイヤのパフォーマンスだがなんだこの タイヤ大丈夫かこれと新しいタイヤへの 戸惑いを感じていたドキいつもうまくいか ないそしてレースの展開はまさかの雪 まじりの雨となり難しいレースとなって いく雨かだが土一はフロントガラスについ た雨粒を見ながら少し似ついていたさあ これからが本番だ次第に雪が雨の水分を 吸いとても滑る路面となっていくしかし これは嫌と走ってき野の冬の峠の コンデションと同だったそして最初は 戸惑っていた横浜の新しいタイヤの癖も 分かってき た君このタイヤは今までの日本のタイヤと は違うんだ日本のタイヤは世界のタイヤ メーカーと比べると排水性が極端に悪く 海外では雨の火で使えないと言われてるだ がこいつはその排水とグリップどちらも立 した全く新しい日本のタイヤなんだくそう いうことか そして なんレースを始めてから6年目でのやっと の初優勝となったおやったやったぜやった ぞ1位優勝だそんな勝利を噛みしめていた 時1人の男が走ってくるそして土の手を 握り興奮した顔で言う土君好きえ今日は 優勝してくれてありがとうアドバンタイヤ はまだ生まれてレースで1度も優勝した ことがなかったんだでも君が優勝してくれ てアバの性能が証明されただ実はこの男は アドバンタイヤを開発した長方人の飯野 さん当時世界では日本のラジアルタイヤは ウェット性能が低いという評価だったが その評価を払拭するために作られたのが このタイヤだったさらに今回1位になった ことで倉田自動車もその腕を認め全面 メンテナンスを無償で行ってくれる特典付 エースドライバーとした土一を気に入った アドバンのイノさんも会社に内緒でタイヤ を供給したりとアマチュアレースではある ものの少しずつ存在感を示していた会社に 内緒でサポートはドリキンのこと好き すぎるそんな有名人になりつくある口やけ 一だがまだまだ普通の生活ができるほどの お金はなかったレース前の宿泊は金が かかるので積載トラックの中で寝て朝飯し 抜きエースドライバーとしてお金に少し 余裕が出てきても止まるのは3000円の 民宿であり絶対に朝食オプションはつけ なかったそんな毎回朝食オプションを断っ た土やけ一だが見かねた民宿のおばちゃん がお兄ちゃんお金はいらないから朝飯 くらい食べていきなさいなとショップや 家族以外にも様々な人から支えてもらって いた優勝から翌年の7年目にはサニーから 日産パルサーと豊田KPスターレットに 乗り換え2つのクラスにエントリーをする ようになったそしてレース結果は校長予選 も本線も1位になることも多かった絶好調 これまでなかなかうまくいかなかった ドリキンにしてはスムーズにことが進ん でるわね今のところはなそしてオの日は 自前の1300ccのスターレットで峠に 練習しに行くだが当時東京の品川ナンバー ということもあり東京の兄ちゃん気をつけ て走りなよ節道は難しいからながははとひ なスターレットを下に見られることもあっ たがああはいはいと走りに出たら10代を あっという間に抜きななんなんだあの男は きっとすごいやつなんだろうと土一はどの 峠の走り屋もビビらせる峠の王となってい た一方倉田自動車のレース活動には新しい 動きが見られたなぜなら代表の倉田さんが 今世最大のアイディアを思いついていた ワクワクむむむ1600ccのトヨタ86 で上のスカイラインをレースでぶち抜い たら面白くねただの車馬の変態アイデア だったそこに当時部品おろし売り量をやっ ていたバド紹介のバンドさんが確かにたし と続々と変態話に乗ってきたこのバンドさ んって今やスーパーGT運営部隊の会長よ ねレジェンドそうだぜそしてそんな変態 2人は資金を出し合いアドバンカラーに まとったレース仕様のトヨタ86トレのを 1台作ったおい土屋はい今年シリーズ チャンピオンを取ったらお前をこの86に 乗せてやる86すでにこの時本格的にプロ レーサーを目指していた土や一にとっては このステップアップは逃せなかっ た倉田さんバンドさん他にも色々な人に 助けてもらったそしてレースに莫大な金も 時間も費やしてきたこれがラストチャンス だ結果としてはその年は必死にレースを 続け無事シリーズチャンピオン隣86の シートを獲得していくしかし土一の生活は キラビアとは程遠い汗臭く泥臭い生活だっ たレース前の金曜日でも昼は家の仕事を 手伝い夜の仕事をしたそして仕事が終わっ たらすぐに長野の山奥から倉田自動車の 神奈川県相模原市まで行く深夜レジに到着 したらae86をトラックに自分で積み フジスピードウェイまで運び1番乗りで 並びゲート前で仮眠会場したらレース用の 86を洗車ピットを掃除車にジャッキを かけエンジンをかけて おくこれができていないと倉田自動車の 首脳人は無言で帰宅するという条件付き だったなかなかのスパルタねまさに軍隊の ような義務だったが土や一はそれに何も 言わず答えていったそして肝心のレースは レース中に無駄にドリフトをするくらい 余裕で見事に優勝それを見ていた男がうわ あの土屋という86のりあの時の峠にいた 品川からくるハッピースターレットじゃ ねえかレーサーなのかよしかもドリフトで 遊んでナメプしてるでもあの車の動き ドライバーももちろんメカニックもすごい なこの峠の走り屋の男の名前は北沢言語 さん後に土一と会社を立ち上げ現在の有名 サスペンションであるDG5のオーナーと なっていくがまたこの話は別の動画で しようさらに土1の走りの噂は広がり フレッシュマンレースの土屋け位はすごい んだ迫力のある早く走るためのドリフト 土屋の86を見ないで帰れるかよというの が当時の観客の合言葉になっていたさらに レースはスカイラインRSターボのクラス とae86のクラスのコのレースとなって いたがae86に乗り換えてからの雨の フジフレッシュマンレース最終戦で [音楽] [拍手] はかりスカイライン走りが際立っているぜ さすが日産が誇る最強の車でも周回遅れの 86がスカイラインに混ざってて邪魔で草 どけよ貝クラスの86早く譲ってどうぞ いや違うお前ら待て貝クラスの86が上位 クラスのスカイラインに食い込んで3位4 位の争いをしてるってことだぞ曲線では 圧倒的にスカイラインの方が早いのに 食いついているのはすご すぎるうわドリットでスカイラインを 抜かしたぞいと雨の日の土やけ1のae 86はとてつもなく早く総合クラス順位3 位となるつまり上位クラスのスカイライン を抑えて3位というわけだ86なのに スカイラインをほとんど抜かしちゃうの強 すぎでしょ長野育ちの峠走りすごすぎる しかもA86がいるクラスではぶっちぎり ってことよねドリキン早すぎてなんか頭 バグってきたうんうんそうなんだぜしかも レースの中ではスカイラインを抑えて1位 になったりと早すぎて観客も脇にはいた パワーのないae86でハイパワーの スカイラインを倒す峠で磨き上げた ドリフト走行を駆使し最強のスカイライン をぶっちぎった土一の走りは確実に伝説と なっただが海の86にぶっちぎれれた日産 は土や一にぶち切れていた86でこんなに 早いのはおかしいどうせずるしたインチ だろ車の中身を見せろと土焼け1に対して はもちろん車を仕上げた倉田自動車とバド 紹介にも怒りをぶちまけたしかし実際 インチと思われるのはしょうがなかった 日産が誇る最強のスカイライン2リター ターボの190馬力の日産の最終兵器に 対して86はスカイラインの半額の 150万前後エンジンは1.6L130 馬力と比力か安価な車だったからだキット ae86というナノカローラが スカイラインに勝てるなんて日産の中の人 も理解できなかったんだろうね日産も史上 最強のスカイラインのキャッチコピーで 販売していた車だからなしかしそんな日産 の理不尽なクレームに対して倉田自動車と 組んでいたバド紹介のバドさんはあアホか お前ら自分たちが恥ずかしいのが分かる だけだぞででもおかしいだろおかしいから なんだようちでそのエンジンがインチと いうのを証明してやるからエンジンを よこせはあもういいよ勝手にやりなよと 日産のガレージで土け1のae86の エンジンが全てバラバラにしてチェックさ れたがああれ全部純正パーツだと日さんは 恥ずかしくもクタ自動車バド紹介土やけ一 が精々堂々と勝負している男たちだと認め ざるを得なかったおいエンジンをバラバラ にするのはいいけどちゃんと元に戻したか 元に戻して遅くなったらてめえらの 下手くそな腕のせいだからなと土やけ一の 車を作った倉田自動車とバド紹介のタッグ はすごかったんださらにその後も当時の トヨタの高級者ソアをレースカーにした車 に土やけ一が乗ることになるこのレース カーの立案者はまたもやバド紹介のバド さんしかしトヨタにうちの高級車をそんな レースカーにして走らせるのはやめてくれ ないかという圧力をかけられまたバチバチ の喧嘩をしていくこともあったそして そんな目立つマシンを借りつつ戦績を出す アマチュアドライバーやけ1をレース界も 掘っておくことはなかった いつも通り86でレースで終えた後1人の 男が土一に話しかけてくる横浜タヤの水野 ですいつもレースで頑張ってくれて ありがとういつもは弊社のエンジニアの いいのと話をしていると思うけど今日は 違う話をしに来たよえあありがとうござい ますで土屋君君は来年何歳になるんだい 29歳ですふん随分年行ってるねえすみ ませんそこで相談なんだが来年からえ普通 のフォーミュラに乗ってみないかいえ フォーミュラですかと土一は困惑した そもそも全日本へ普通選手権は国内トップ カテゴリーのレースでありこのような スカウトは誰もが嬉しがるものであったが 土一は考えた末こう答えた水野さん俺は嫌 ですえあの絵普通だよなんで嫌なの俺は箱 なんです箱はい市販者で育ってきたから 市販者ベースのレースの職人になりたいん です箱者職人になりたいんですすみません うん絶対絶対にえ普通は嫌です水野さんは とても悩んだ29歳というレス界では 決して若くない土系1にいち早く結果を 出して欲しかった実績を積ませて横浜 タイヤのスターとして広告等にするにも 年齢がギリギリだからこそ今ここで土やけ 一に大きな経験をつませてトップ ドライバーとして飛び級的ステップアップ をして欲しかったそんな土屋一よりも悩み に悩んだ水野さんは言うう分かった全日本 ツーリングカー戦試験が今度始まる月 15万渡すからそれに乗っててくれそれ なら箱のレースだ満足だろはいそれであれ ばぜひ載せてくださいでも条件が1つある 条件ですかうむそもそもプロのレーシング ドライバーのほとんどがただ早く走れば いいと思っているだがなそんなレーシング ドライバーが降りてインタビューのマイク を向けられたらどもって何も喋ることが できないこれからの時代はきちんと喋られ てマスコミの質問にちゃんと答えられ なきゃだめだ喋りだけじゃねえ書き物も できるようになれもし5年をお前が全然 喋ることができていないのであれば即刻首 それが条件だは分かりましたでツーリング カー戦試験で乗る車は何ですかそれと同じ だAE8686だ よこうして峠の走り上がりの土一は横浜 タイヤに引き上げられ無事プロの レーシングドライバーの仲間入りをする 土一は横浜タイヤの水野さんに言われた 通り喋りの練習もしたある日雑誌ピア画に 入り有名作家のエロクさんの講演会がある ことを知ったそんなエロクさんはラジオの パーソナリティも務めていて話がうまい ことでも有名ということもあり慈悲で チケットを買い講演会へ向かったそこで 土谷一はプロの喋りに圧巻された話の 組み立ての重要性に気づき自分も喋る時は 話の組み立てをしてから喋ることを意識し まくったそのためマイクがあると分かる 仕事はなんとなく喋ることはせず入念に話 を用意してから挑んだそんな努力の成果な のかある日車雑誌かボイの池田編集長が 面白いレーシングドライバーがいると 聞きつけ長野の実家を尋ねたそこで すぐさま池田編集長は土谷一の愛車に乗せ られ狭い湯の丸峠にて日が開けるまで恐怖 の全回ドリフトを見せたそんな長野の峠 にて86に幽閉されドリフト付けにされた 池田編集長が土屋一に名付けた名前が ドリフト キング峠土屋一の原点峠を通じて アマチュアレースで伝説を作った男だが 自身も述べているが土やけ一は決して天才 ではなかった 未熟家臣ゆえのミス何度も何度も挑んでも 結果は出せない安月球でやっと稼いだお金 も1回のレースで何十マと無駄にしたこと も何度もあったサーキットには戻りたく ないほどの恥ずかしい思いもたくさんした だが土や一は何度も壁にぶつかってもこの レースの世界に戻ってき た土やけ一は言う努力の結果成功しない ことなんていくらでもあるだろうよでもな 努力は天才を超えることもあるんだ まそんなにうまくいかないのが人生なんだ けどなでもな好きなものを見つけてそれに 対して一生懸命になったことはあって ほしいそれは結果がどうあれ人生の糧に 絶対なるんだ凡人が天才を食うには努力 しかないんだよそんな土一はプロのレース 界に行きさらに大きな伝説を作るのだが その話はまた今度にしよう土一の伝説は まだまだ序盤次はより過酷で刺激的なプロ レーシングドライバー時代のドリキンを 解説したいうぜ次回は読みたいので高評価 と登録よろしくだわよではサラダ [音楽] ばふプロの世界も大変 だおいやてめえ何やってんだえ何のこと ですかてが走るとすぐタイヤがなくなっ ちまうんだよ1人で走ってるんじゃねえん だぞの変なドリフトで走るのやめろ アマチュアでスカイラインをドリフトで ぶっちぎり伝説を作った男はプロのレース 界では全く通用しなかっ た

## 【前編はコチラ】→ https://youtu.be/9etIpcZZNTU

まだまだ土屋圭市の物語は序章の序章。
これからも土屋圭市さんの物語を作っていきます!
補足できていない部分も多々あり、補足できるよう少しずつ進めます。

続き希望の方は高評価よろしくおねがいいたします!

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# 📚参考文献
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・THE DRIFT KING ドリフトキング 土屋圭市風雲録
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## 📺クレジット(クリエイティブコモン)

#土屋圭市 #ゆっくり解説 #ドリキン
※ 分かりやすく解説するために端折っている部分や出来事をまとめている部分があります。

00:00 前回のあらすじ
01:02 本編

26 Comments

  1. 【質問】みなさんは、走り屋出身のプロレーサーは誰が好き?

    このコメント欄に書いておくので、いいねで教えてください!(複数可)

    その他はコメントで書いてだわよ

  2. R31、2Lターボで190馬力か・・・
    2LNAのF20Cが250馬力、
    1.6LターボのG16Eは304馬力
    技術の進化はすごいなぁ

  3. 努力は天才を超えることがあるんだ
    この言葉にグッとくる
    ルマンで走って
    夜のスティント最速で
    F1ドライバーよりも速いって
    本当にそれを体現している

  4. 痺れまくった…

    車に限らず、今の還暦くらいの成功者って何も無い所からの叩き上げみたいな人が多いから、エピソードや言葉の重みが桁違いだ。

    どの時代にも通じる人生の本質を教えてくれる。

  5. 自動車レース業界にはこんな歴史があったんですねえ。地元だから電車家系でありながらなんとなく並んで走ってた車に乗ったことはあるけれど、実際にレーサーが出てたんだ。渋峠周辺は名実ともに聖地てか聖道なのね。ただヤンキーばっかなのよね。

  6. 土屋さんはレースよりラリーかダートラの方が向いてたと思う。ただ、日本の場合、サーキット系でないとスポンサーも付きにくく、生活かけて走るならサーキット系しかなかったのかも知れませんがね。最近、Youtubeで新井敏弘氏と群サイで同乗走行していましたが、レース屋というよりラリー屋に近い走り方をされてましたから。

  7. 土屋圭市は好きだけと、左の発言には嫌いだなあ、今までガソリンで環境汚してきたのにECOだ〜反原発だーってね、

  8. 前後編一気に見てしまいました、中学生の卒業論文に「土屋圭市さんが憧れの人」とその当時の土屋さんの実績をまとめた論文を書いてから早20年。人間性も含めて今も変わらず憧れです!
    とても見やすい動画で約40分あっという間でした、ありがとうございます!

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