ST-A 安曇族の足跡を探るの13回目は仏像について

古代の福岡を歩くステージA海の道から空 の道へあ族の即席を [音楽] [拍手] 探るこの番組はあみ市観光 協会大王 場塩尻市観光 協会FDA富士ドリームエアラインズの 企画 さ餃子の山蜂の提供でお送りいたします [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] キャベツニジ玉ねぎニネギ野菜だけで作っ た優しい餃子ができましたお肉が食べられ ない方も安心してお召し上がりいただけ ます餃子の山の優しい餃子 ですこんばんは坂田大 ですあみの席を追って新潟県糸井川からの へ入り の大町からいよいよあみのへやってきまし た松川村には鑑賞員というお寺がありここ には道蔵菩薩繁華像という国の重要文化財 に指定されている素晴らしい仏像があり ます実はこれとよく似た仏像が長崎県津島 の常林寺というお寺にもありこちらは上 半身が焼けて下半身だけ残った仏像です この2つの仏像は朝鮮半島の同じ工房で 作られたものとも見られているの ですこの仏像がどうやらあみ族と関係が ありそうなんです一体どういう仏像なん でしょう実は2021年11月の九州国立 博物館で開かれた海幸山幸という展覧会で 2つの仏像が揃って展示されたのです この仏像について取材この番組で紹介し ましたので改めてもう一度お聞きいただき ますお話を九州国立博物館研究員の大沢審 さに伺ってい ます普通繁華し像と言いますがこの仏像に はしいという言葉がついていないのです なぜなのかといった疑問から聞いてい ますであの像っていうシはいあのこう 例えば指先を頬に添えてこう考えている姿 のことを私像っていうんですねはいで実は あの今回並んでる津島の仏さは上半身が ちょっとかけているのでそれが意をしてる のかがわからないあていうのが1点はいで えっともう1体のその松川村のあの繁華周 像もあの実は右手がですねええの手首から 先があのま江戸の終りから明治あたりの あの修理したものなんですねえあなので 元々これが今こうハイというこうポーズを してますけどそれがあの元々はこうだった かてのが分からないああなるほどからあの 繁華 っていうのは学術用語的には使わないん ですああそうですかはいそれでえ銅像菩薩 半ということになってですねま片足をあの 左の膝の上にこうかけているっていうのは 繁華というポースなのではいはいえこの 道蔵半角像ですけども 松川村のどういった場所に置いてあるん でしょうかえっともうあのあみの方にあの あるあのこう南アルプスというかですね そこのも本当に麓にあるあのも松川村と いうところにあの祀られていますええで 松川村の中ではどういった場所に置いて あるんですかうんえっと今はですねその 鑑賞員というあのお寺に置いてあるんです けれどもえっと実はその小像の由来自体も 古い時代にはあのどこにあったかてのが よくわかってなくてそうですかはいでま 江戸の終わり頃だったかなその頃にはもう そこにあったっていうのがあの分かって いるええのは確かなんですけどそれ以前 どこにあったかっていうのはよく分かって ない分かってないはいそれでま像の大きさ なんですけどもはいえ 230cmですね30cmぐらいですねえ まあえっと足さからそうですねま台座の下 からはいあの頭の方向の上までま30cm ちょっとぐらいですねはいうんえ非常に なんか整った顔という感じがしますけども あの特徴としてはどういう特徴を持った動 になるんですかえっと表情の特徴ってこと ですか表情やっぱですねあのまあの仏様が 作られたのがくだま韓国朝鮮半島の中の 高里白木くだという分かれていた三国時代 の中のくだの仏像になるんですけれども あのくだの仏像の特徴っていうのはこう ニコっと笑ってるんですねああでそれは もうあの日本のアスカ時代の仏像ま アルカイックスマイルとも言われます けれどもそれの原はやっぱりくだにあって で実はそのくだの仏像の原っていうのは 中国の当時北と南であの国が別れていたん ですねでその南朝って言われる場所の両と いう国がまさにそういったあのニコっとし た表情の仏様でそれが海を伝わってくだに 入りはいでその影響を受けて作られたのが あの鑑賞員の仏様になりますああ本当に あの少しこう笑んでるというそうですね 感じですよねそうですねえ口元がちょっと ねそうニコっとこうはいこうちょっと広角 が上がってこうニコっとしてるのがはい あのよくわかりますはいそれから頭の上に ですね交感みたいなのがついてですねそう ですねはいこれは交感っていうことで よろしいんですかそうですね感ですね どんなあのものが掘ってあるんですか えっとま本当に辛さといてあの仏教ゆかり の植物の紋様だったりあとはふここにふが ですね真ん中のところにこう飾りとして 垂らされてたりですねまそういった豪華な 交換がわれていますええそれからあのまえ 顔の下の方ですけども先ほど右手がはい後 でつけられたとうんうんうんいうことです かはい左手はどこにあるんですかあの右足 首のところを押さえてる感じですねああ はあはでそしてそのドは割とこう細い感じ だっそうですねそうですねええでそれがま あの朝鮮半島の仏像の特徴の1つなんです 特徴の1なんですかこう胴がこうシュっと こう伸びているっていう姿があのこの韓国 の物の特徴になりますあそうですか非常に あのなんかすっきりした感じに見えますよ ね上半身がこうすっと伸びているような形 に見えますよねはいでその下の衣ですけど もこれは衣という言い方でよろしいんです かあまそうですねあのま下半身を覆って いるまちょっと専門用語で言うとくという ものですねまいわゆるスカートになります はいスカートでそれをあの下半身にまとっ てでお腹のところでこう帯で閉めているの がこうお腹にちょこっとと見えるんですね はい えまそういう模様があ下半身の方にはある とそうですねこの模様もやっぱり特徴が あるんですかあありますで特にあのこの 有次型のこう衣のひっていうのを重ねて いる点だったりあ実はこれはいはくだの 仏像の特徴なんですけれどもあのスカート のまクンと言われるスカートの両脇にです ねあのこう飾りを装飾をつけているんです よはいでこれがまちち結びで缶あの丸い輪 に紐を通してで朝長結びで飾ってあの下に その裾を垂らすという装飾があのあ星の 両脇ええからこう出ているんですけれども それはもうくだの仏像の特徴なんですね そうなんですかはいここの装飾の形を見 ながらあの作られたその仏像が作られた国 を判断するあのま1つの手がかりにそう ですかなるんですねあその辺が手がかりに なそうですねそこを見ながらこれはくだの ものであるとか白のものであるとかそう ですねそういうものを決めていくわけです ねはいでもう1つあのこれが重要な作品が もう1つあってで原answerとなる くだのま都が置かれていたプヨはいのあの 山白からですねこの下半身とそっくりな ものが出てるんですああそうなんですか はいでそれは六石といってまちょっと石 石像なんですけれどもええええっとそこに その原型があってええでこういった津島の 仏像だったりあの松村の鑑賞員の仏様だっ たりそういったのがこう作られていくって いうのが分かるんですねはいへえだから これも間違いなくくだの都はいで作られて いたと思われますああそうすると正え 何世紀ということは言えるんですかとま ちょっと年代の幅は色々見解が分かれて いるんですけどもま6世紀の後半後半から 7世紀の頭ぐらいですねえそこの辺りで こうこの仏像が作られたんじゃないかなと いう風に考えていますええまあの村では 江戸時代から伝わってるという風に言われ てるんですそうはいはいでその前が全然 分からない分からないんですよねそうなん ですどこから村に入ってきたかそうですね ただあのそのアズミノっていう地域まあの 一体はその馬会馬を買う人たちですねで そういったあの技能を持ったトラジえが数 定住していた場所だったのでこういった仏 様がそこに伝わるあの理由っていうのは あのそういったあの馬会の集団との関わり があるんじゃないかなという風に思います はいはいあのまアミノといえば潮の道と いうのがありますよねうんはいそうですね 潮が伝わった日本海の方からねうんうん そういうことも考えられないはないですね そうですねだからやっぱりあの交流の拠点 の1つだったっていうのはこのアミの場所 っていうのはそういった場所だったていう のがあのこういった仏様からもよくわかり ますはいえこれがあの松川村の道蔵菩薩半 像っていうですねはいええですけどももう 1つの仏像え津島の常林寺の仏像について 伺います常林寺にこれと似たような仏道が あるんですかそうですねあのまさにこの 鑑賞員の仏様とあのそっくりなあの仏様が 津島にも伝わっていますえええこれ そっくりというのはどの辺が似てるんです かとま津島の仏様の方は実はあの下半身ま お腹から下しかあの残っていないんです けれども例えばあの右足をですねまハンカ といてあの片足に左膝の上に右足をこう 乗せますね乗せるんですけどもその右足を こうキュッとあの角度を上げたりとかです ねでそれにその下にこうまとわりつく衣の 線とかあとは先ほど申し上げましたこの 有次を重ねる線とかですねはいはいはいで あとはそのこの両腰脇から垂れる飾りなの はい特徴がもう本当にそっくりなうとなっ てますへえただちょっとあの違いも実は あってあのこれは正面の捉え方なんです けれどもあのこちらの鑑賞員の像の方は顔 と足先ま左足をこうレゲの上に乗せている んですけれどもその足の向きが一緒なん ですねはいただ津島の仏像はまちょっと上 半身ないんですけども大体こうお腹の位置 から見ると正面とはいの方向が分かるん ですがその正面の方向と足の方向が一致し てないんですよああそうなんですかその 正面の捉え方が鑑賞員と津島の像で ちょっと違うっていうのはありますああ その辺がちょっと違うであと今回あのま 写真を見てあやっぱりすいだなという風に 思って今回お借りをしたんですけれども ええ実際に2つ並べてみるとですねえ やっぱりちょっと津島の王の方がちょっと ちっちゃいああちっちゃいですねあそう ですかああでま元々はそのおそらくくだの 中の同じ工房の中で作られていたとは思う んですけれどもええあのその中でもあの ほんのちょっとやっぱり公人の違いであっ たりはいあていうのがあのあるだなって いうのが今回よくわかりましたああしかし 大体同じであるだろうという点はどの辺 からですかどの辺を見てわれるんですかあ もうあのお腹がこうスラッとしている 細長いプロポーションだったりあの足の 角度だったりで足のその右足からこう沿っ て流れるこの衣のひですねああはあはあは であとこの友次の絵門とかはいあとこの 飾りとかそういったところからあのま おそらく津島の仏像もこの鑑賞員のような 上半身とまお顔を持っていたんじゃないか なっていうのが想像がつきますああそう ですかえ津島の仏像は左手が半分ぐらいと あと右手はもうないあ右手少しこれあの 火事にあって溶けてしまっていてで右手は ですねあのま背面と言いますかそちらの方 に溶けてくっついちゃってるんですねああ そうなんですかそうなんですああははあ なるほどえくっついてしまってえま正面 から見えないという感ですねそうですね そういたから見て大体同じような釜で作ら れたんじゃないかとま釜というかま工房 ですね同じその仏像を作る物資ま日本で いう物資ですねそういうあの仏像を作る 集団がいてでそこでま作られたという風に はあの考えられますでそこにもしかしたら 人の違いとかちょっとした時代の開きは あるかもしれないんですけどもその同じ グループの工房っていうのは間違いないと 思いますねあそうですかはいでそれでえま 員の普通は非常にえ美しいもの私も見た ことあるはい松村でねはいえ拝見したこと あるんですけどそれとなんでその津島に こういうものが同じようなものがある ぞっていうのは分かったんですかえっと これはですね元々あの長野の鑑賞院の仏像 は昔から知られていたんですねえで実は その津島の文化財っていうのがあまりあの 1970年代までは知られていなくてで そこで九州大学のあの先生方がですね 初めてあの津島の文化財調査をしたんです でその時に実はたくさんのトラ物があ るっていうのがあの分かったでそれでま 日本中が大騒ぎになってですねであの実は 中国の北時代の仏像も見つかったりとか この仏像の世界では実はこの津島というの がとても大切な場所なんですあでその中で これは80年代でしたかねあの韓国の先生 があの調査に入られた時にあのこの仏像 あの見つけられてであのくだの仏像だって のが分かったんですね あおでそれでえまこれによく似たものが 津島に津島にもあったっていうのが分かっ たというはい分かっ たこの2つの仏像の1つ鑑賞員の仏像をあ 族が松川村に持ち込んだのではないかと見 ていらっしゃる方がい ます松川村にあります千広美術館常人顧問 の松本たさんです松本さんはこの仏像に 関する本失われた弥勒の手という小説を 友人で作家の菊恩恵さんと一緒におかきに なってい ます鑑賞院の仏像はこの小説のタイトル 通り右手を後で継いだもの です今年4月に松本さんと鑑賞員にこの 仏像を見に行きました仏像はお寺のそばの 図司の中に安置されていました仏像を目の 前に松本さんに話を伺いましたえ松本さん がこの像を最初にご覧になった時ですね 1番引かれた部分っていうのはどういう 部分ですかあのやっぱりね造形なんですね あのええっとま細いあのくれとそれから あの顔の表情も非常にいいんですけれども それからあのえ前のこう絵門えその流れの 形が非常に綺麗なんですねはいあそれして あの後でま調査した時にえ分かったんです けどその時はもうあの えここから出してあの全部 あの中三の銅の分厚さから何か全部調べた んですけれどもえものすごく薄いんですよ ということはあの日本の同じ時期というか それよりちょっと後の小根動物を見るとえ あのどの厚さがだいぶあの分厚いんですと いうことはえものすごい高い技術でこれが あの忠造されたってことが分かるんですで それの技術を持ってたのはおそらく間半島 だろうとえ朝鮮半島だろうということが 分かるわけですよねはいでささらに言えば その技術はどこから来たのかって言うと 中国の南朝からだろうとうん南朝からで あのその南朝のものという技術というのは え北の方に行くと朝鮮半島に行くわけです けども南の方に行くとベトナムの方にも 行くわけですでベトナムの方にも実はいい 仏像がたくさん発見されてるあそうなそう なんですよですからそうやってみるとあの 時の南朝から出てった物資たちがえ北も南 もいろんなところに広がっていってえそれ があのそれをこう日本に持ち込んできたの がえあ族を中心にしたあの天族であった だろうとはいはいいう風に考えるとここの 一体の仏像の中からものすごい世界史の こうドラマが見えてくるというそういう 意味ではとても美しいしあのいいなと思う んですよねあそうですかまそういった部分 をに惹かれて小説を書かれたとそうです はいはいはいあのそれはま論文で本当は やった方が良かったのかもしれないんです けど論文を書くには文献がなさすぎるん ですそうですねでそれはちょっと無理なの でえま研究に任せるとまでも今 あの研究者の人たちがそれをかなり細かく え調べ始めててあのえ例えばこのの醸造さ れたあのえ銅と鈴の割合だとかえ全部分析 をしていてどこのものと近いかとかていう のをやってますのでもうちょっとなって くるともっと細かなことが分かってくる だろうと思いますけどねあそうですかはい えええまこれこの像をですね え今日ご覧になったこれ何年ぶりぐらい からはい何年ぶりだろう え10年ぶりぐらいなりですかねえもうも それ近いだろうと言いますけどね今ご覧に なって改めてどういう点に光れますか手が 邪魔だなととかあれ隠してみると本当に 美しいんですよあそうですかあのね ちょっとこうやって手を置いてこ指であの こう隠してみるとバランス体にから完璧な んですよあなるほどであの手だけどう考え ても邪魔なんですねそうで私はあの昔あの 学生時代ま仏のあの勉強させてもらった時 に大学の先生に水野先生っていうま大会 だったんですけどあの仏を見る時の練習を させられたんですねであのいろんなものを 見て候補はどこかっていうのはあの当て させられるんですでそれはそうするとあの いいものを見とくとえどっかバランスが 崩れてる場所が分かるんですよでこれ見た 時にやっぱり手おかしいなってやっぱり 思うんですよねはいはいであれがない方が もっと 美しいで改めてあれ外したいんですけど 十分になっちゃったから外せないんですよ 残念なんですが残念ですねだから写真を誰 かが作る時にあれをその繁華像にした合成 の今の技だったらできますからそういう 写真を作ってほしいなと思いますけどね そうですねとどういう風な像になるかね 楽しみですねはい ええそれにしましても同じ工房で作られた 2つの仏像が津島とあみに別々にあると いうのは不思議なものですその謎の部分の 解明はまた来週お送りいたし [拍手] [音楽] ますここでリポーターの中島さんです こんばんはこんばんは今日はあみのエリア の楽しい過ごし方の1つご提案しようと 思いますはいズバリサイクリングですああ いいですね自転車ですよ自転車でのんびり ね回るというのもそうなんですであのJR 穂高駅前に自転車を借りられる場所がいく つかあるんですけれども駅から歩いて2分 弱オレンジ色の日差しがあるお店があり ますでそのお店の前にはそれから壁には スポーツタイプの自転車が飾られてい るっていうか置かれているうんそのお店の 名前がシナノアンって言うんですよあ自転 車屋さんぽくないですねでしょうシノアの ウが弘明さんに同じ質問しました自転車屋 さんぽくないですねって言ったらこんな答 が帰ってきました元々はそば屋さんそば屋 さんやって本当にしなのはんてレンタ サイクル屋さんっぽくないでしょだって そうなんすよ蕎麦屋とレンタサイクルを やっててでもう忙しくなってお蕎麦屋さん はちょっとお休みしてレンタサイクル 頑張ってたら蕎麦屋さんはもう事実 なくなってしまった感じでああやっぱりお 蕎麦屋さんだったんですかそうなんですよ だから今でもねおそばやってるんでしょ うっていうお客さんいらっしゃるらしいん ですけどいや自転車しか今やってないん ですよねてお答えしてらっしゃるらそうな んですよねえシノアの品書きは普通の自転 車あと電動アシスト付きあスポーツタイプ もあれば子供用もりますしあのタンデム 2人で漕ぐタイプの自転車もあったりする んですでどれを選ぶかはま本人の気分体力 そして行きたい場所に合わせてということ になるんですけれどもせっかくなのでウガ さんに自転車に乗って走るのにおすめの 場所聞いてみましたやっぱりアミノです から風景をね楽しんでいただくのが1万 じゃないかなって思うんですけどうんあの 大王わび城方面あの辺行くとやっぱり山の 眺めもいいですし田んぼとかねいいですよ 春は桜がね綺麗だったりとか川の土手走っ たりとかアミのらしい風景楽しめるコース です ねこのお勧めいただいたJRの穂高駅から 大大わさび農場のエリアっていうのはほぼ 高低差がないああじゃあいいですねえ ところどころねちょっとだけ坂道があって も一生懸命焦げばまそんなに一生懸命じゃ なくても普通の自転車で十分いける感じな んですよねもし電動アシスト好きだったら めちゃくちゃ楽勝って感じなんですうんで まいろんな季節楽しみ方がありますが春は 水鏡に移ったキタアルプスが見えたり そして夏は暑いながらも爽やかな風なん ですがとにかく夏場これからは帽子や 日焼け止めは絶対忘れずに絶対ですねね あの真州お日様が近いんでめちゃくちゃ 眩しくっていい感じに焼けますそうです夏 にもおすめがあるとウガさんおっしゃい ます爽やかなね空気を感じて水の冷たさも ね分かりますしはいアミノは水が綺麗なの でそういうところを見ていただくのはいい かなとやっぱりあのわさびの方に行くとお 水脇が出てるところエリアなのであの 楽しめますよえお水が沸いてるところを 見れたりとか脇にこう触ったりすることも できるもう足ジブンってつけちゃう人もい ますしはいいや手で触れたいですねその 冷たい水そうなんですよある意味一懸命 自転車を来いでちょっと暑いかなと思った 時にひんやりするお水に手を浸して爽やか な風に吹かれてはい来ててよかったって いう感じになること間違いなしなんですよ で秋口はこの金色の犬の波が楽しめますし ま季節ごともあるんですがあと走りたい タイプにもよるじゃないですかああ走り そのものを楽しもそうそうそうガンガン 走りたいという人にはこのあみの人ともう 1つ南側の松本うん結ぶ15kmほどの 山びこ自転車道というあのいわゆる サイクリング道も整備されてますここを ガンガン走るのもいいですし私個人的には このあみの感溢れる実稼ぎっていうあの 農業陽水があるんですがあの美しい綺麗に まっすぐこう農業水がある横にこう木が 上ってあってその向こうにお山が見えてっ ていうとっても素敵な場所があるこういっ たところをのんびり走るのもいいんですよ ねうんであのご案内いただいてるシナノの ウガさんま地元アミノの人なんでまの 美味しいパン屋さんがあるエリアだとか 洋食屋さんがあったりこの辺は蕎麦屋さん がおすめが集まってるななんていうのが あるので自作の地図を作ってらっしゃるん ですへで見せてもらってたらその主な目的 地に数字が書いてあるんですよなんじゃ こらと思ったらこんな答えでしたはい地図 わかんないじゃないですかね地図ってあの 高低差ってだからまね数字をつけて高低差 あ登り坂だなとかってんだなとかあ平なん だねっていうのがま数字を見れば分かるよ さすがですねそうなんですよアズミノの サイクリング楽しむ旅の玄関口は新州松本 空港ですFDAフジドリームエアラインズ の直行便でお出かけください中島アさん でした [音楽] 番組からホームページのご案内ですこれ までの放送内容と番組を1回目から じっくり楽しむことができますRKB ラジオのホームページの古代の福岡を歩く のバナーをクリックして くださいまたラジコApple SpotifyAmazon YouTubeなど各ポッドキャストでも お楽しみいただけ ますこの番組はあみの市観光協会 あみ市大王わさび 農場塩尻市観光 協会FDA富士ドリームエアラインズの 企画 協賛餃子の山蜂の提供でお送りいたしまし たご案内は坂田大でした [音楽] ねえねえダザイて知ってるダザイあダザイ おのことそのダザイじゃなくてあわかった じゃあ打不マグのことその打でもなくてえ それ以外に打なんて聞いたことないしも 福岡吉本芸人で1番の注目株の打だよ美も 最高ネタも面白い気に なるの危ないトナイトないとごさん

安曇野の松川村のお寺、観松院には銅像菩薩半跏像という仏像があります。

この仏像は6世紀の後半から7世紀の初め頃、百済で作られ日本に持ち込まれたとみられるものです。

持ち込んだのは志賀の島を拠点に活躍していた安曇族だ、という説を展開しているのは安曇野の「ちひろ美術館」常任顧問の松本猛さん。

松本さんは、磐井の乱がきっかけで安曇族が九州から日本海沿いに北上し、新潟県糸魚川あたりから仏像をもって安曇野へ入ったのではないか、と見ていらっしゃるのです。

※左の仏像が観松院のもの。右は対馬の仏像。

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