スイス傭兵はなぜ強いのか?:「アルプスの少女ハイジ」のおんじの若き日の姿として知られるスイス傭兵。歴史に突如あらわれ、ヨーロッパの戦場を席巻したスイス傭兵の起源とその戦術について解説します。

過去の動画ではアルプスの少女ハジに登場 するおじいさんえそのアルモ寺が若い頃に は傭兵稼業でま個々をしいでいたというお 話をしましたでその傭兵時代のアル文字 っていうのはどういう戦いしていたのか どのようなキャリアだったのかということ を検証したわけですけれどもまその際にね ま色々と好評だったコメントの中にアルム 本司がま属していったっていうとちょっと 変わってくるんですけどね解説の中で品質 したスイス人傭兵についての解説をして 欲しいという要望が結構多かったので今回 そこを取り上げてみたいと思います でスイス傭兵という言葉なんですけれども ねまここにあげましたえスイス用兵はなぜ 強いのかというテーマで今回送りますここ にね国旗がありますけどこれ実はあの今の スイスの国旗に近いですけど実はこれが 現象の国旗でですねこれが色々と変化して いってま現在の国旗になってるわけです けどえスイス洋兵その歴史の起りとともに ほぼこの国旗この旗を使っていたんですね えそれぐらい歴史があるものなのでま ざっくりと400年の歴史がますでその 400年間のスイス傭兵の歴史をま1から 説明してくっていうのもま芸がないという かそもそもちょトピックがボケてしまうん でま今回の動画ではスス傭兵の発行つまり 怒ったところですね始まりどうして彼らが こう歴史の中に浮上してきたのかという ところとそれから彼らの戦術えそこに注目 しての解説となりますさてではそのスイス 傭兵がま歴史に浮上してきた大きな きっかけになる戦いがあるんですけれども まずそこから解説すべきでしょうねこちら ですタイトルはですねこの歩兵革命を演出 した水素歩兵隊ということになるんです けれども時代は1315年ですねえモル ガルテンの戦いというのがありましたこれ は何かと言いますと当時新世ローマ帝国と いうま国というか概念というかその中の 半中に含まれていたんですけれどもかなり 独立傾向強かったんですねその解説は ちょっと後に譲りますけれどもまその中で ウーリシーツウンターガルデンていうま3 つの州なんですねこれがですね永久名と いうのはこの3つの州がま手を組んでと いうこともあるんですけれども外向きに つまり当時の神聖ロ皇帝に対してかなり こう自治を許されてるようなこう名薬って の結ばれていたんですねでも後々ですね このオーストラリアハプスブルク系神聖 ローマ皇帝を何台も排出している家です けれどもまメカですよねまこれ元々スイス 出身だったんですね家のルーツがスイスに あるんですけれどもまそのねえこの永久 迷惑を結んでいる三州があまりにも自立 傾向を強めていくのは非常に当地にとって 都合が悪いということがま起こりましてえ 戦争起こるんですねま進行してきますこの オーストリア軍がでその時にこの永久迷惑 を結んでいたこの3つの州がま同盟軍を 起こしてですね立ち向かうんですけれども その兵力や歩兵と弓兵合わせて1500人 それに対してのオーストリア軍騎兵 2500歩兵5500もこれ諸説あります もっと多かった少なかったとありますけど まオムねこれぐらいつまり約8000の 兵力で攻め込んでいったとえもう4倍5倍 ぐらいの兵力で攻め込んでいるわけです からまほぼ勝ち目はないというものなん ですけれども結果を見たらオーストリア軍 が惨敗と戦士1500名を出して乾杯する んですねでこれを持ってスイスのま独立 傾向が確実になると明確の特質とちょっと 違いますただもうススにちょっと手が出せ んなっていう感じになるんですここでで そのモルガルテンの戦いというのどういう ものだったかと言うとここにも書いてあり ますけどこれ湖なんですねエゲリコという 湖のほりを新軍中のオーストリア軍をま伏 IMPしたんですねえ山の影とかあるいは 崖の上とか森の中とかそういうところから 長く伸び切った対立を小八方から襲うと いう形でま戦いが始まったとなで奇襲戦な んですね大軍が皇軍中を襲われてま全滅 するという例は歴史にも多あるわけです けれどもそれにしても負けっぷりが すごかったんですねこの絵はいろんなもの を示唆してるんですけれども長い隊列で オーストラリア軍が進んでくるという状況 分かりますねそしてそれを崖の上からこの スイス兵が襲っているという構図でえ オーストラリアはこの兵中心ですつまり 騎士ですよね貴族ですそれに対してスイス の方は歩兵が中心でしかもですねこれ装備 を見るとちょっとユニークなんですけれど もほぼみんなパイクと言われる長槍を持っ てるんですけれども一部にちょっと変わっ た武装がありますね片に斧がついて肩に スパイクがついてでさらに先が槍になっ てるというえちょっと変わった武器を持っ ているまこれを持ってるから水素歩兵だと 分かるま武器なんですけれどもでもそうし た戦いによってオーストラリア兵がま湖に 追い落とすれたり沼町にはまったりという ことで全滅したよというまそうしたえ戦い なんですねなぜオーストラリア軍がまこの 時スイスに攻め込までもならなかったのか ハプスブルク家がスイスを支配しようとし たのかという同機も結構大事なんです けれどもそれこういうことなんですえ辺境 から幼稚ということなんですねこれはです ねスイスの地図です現在のスイスにほぼ 合致する地図なんですけれども以前お話し したそのアルプスの少女ハジの舞台はこの 辺ですねこの辺にマイエンフェルトがある のででさっきのその永久名薬を結んだ3種 っていうのはこの辺なんですねかつての スイスというのはま広告的にはかなりこの 辺にこういろんな痕跡が残るんですけれど も歴史に登場するのはローマ帝国の時代 ですね共和星ローマからローマ帝国にかけ ての時代ですけれどもこの時期ローマ続 Proでヘルベティアという名前で統一さ れていましたでもほぼこの辺りなんですね スイスの北部一体この辺は比較的標高が 低くてでフランスドイツに挟まれてる エリアなのでこの辺は往来が多くてま結構 戦いなどでもこう取り合いになる場所では あるんですねこの辺でのこう支配権の木興 というのは激しかったんですけれどももう 南半分はほぼ相手にされません現在で言う とこのアルプスですからでここにイタリア があるわけですねという地理関係なので ほぼこの南スイスは無視される形でこの イタリアを中心にフランスへの行き あるいはドイツへの生きというのがされて いてまその間をこう高速道路な形でこの エリアがあったということこれがスイスの え知性的な条件なんですけれどもなので この辺っての無視されてたんですね統治場 ところがですね13世紀の初頭え ゴッタルド峠というところの開通によって 戦略的重要性が高まりハプスブルク機が最 進出してきたということになるわけです これ何かと言とゴッタルド峠ってここなん ですえここはですねあの長いことま地元の 人間がたまに通ることはできたんだけれど も非常に難所だったんですねでもその難所 の中でも通過できるような場所が何箇所か 発見されたことでここが南北の法例が可能 になるんですということはドイツ後県 エリアとイタリアの間がが直接山を超えて 生きできるようになったんですねそれまで はものすごい遠回りをしなきゃならなかっ たのでこのゴッタルド峠の発見によって 急速にこのエリアの重要性が高まったと そこに対してこのハプスブルグ家がま元々 自分たちはスイス出身だしということで ここを自分たちの社権だと言い始めたわけ ですところが元々住んでるさっきの永久 名薬のま三種についてはその試を非常に 嫌ったわけですねなので当時ハプスブルグ 家と対立していたまバイエルン王国の ヴィッテルスバッハという王家があるわけ ですけどそこと手を結んでオーストリア的 な動きを始めるということでま オーストリア軍がまその不定のやらである ところのスイス人をま討伐するために軍を 起こしてモルガルテで大敗したとまそう いう生殺だったわけですねで以降まほぼ反 自治状態でこの辺っていうのはま大国が なかなか手を出しにくいエリアとして しばらく続くんですけれどもでもここで 水相歩兵がエリート部隊であるところの オーストリア騎兵を散々に打ち破ったと いう歴史のほぼ同時進行で実はヨーロッパ で奇妙な戦いが頻発していたんですねそれ はどういうものかなんですけれどもまず ですね1302年まここが始まりなんです ねえコルトレイクの戦いというのが起こり ますでこれは何かというとフランドル今の ベルギーですねフランス王とフランドル 初年民兵の戦いということになるんです フランスフランドル戦争の背景を説明する とまた10分20分すぐ経ってしまうんで 結果から言うんですけれどもこのベル ギーっていうのはイギリスとの経済的 結びつきが強くて商業資本がかなり発達し てたんですねま歴史用語で言うとよくあの フランドルの織り物産業がみたいなことで 出てくるんですけれども当時のハイテク 産業が集約されてたんですこのフランドル ベルギーなあたりにでイギリスとの 結びつきが強いんですねでイギリスはなん ならフランドルっていうのは当時フランス の大きな影響感にあったけれどもそこを 切り取って自国配下に入れちゃえばいいや ぐらいに考えてたわけですでフランドルの 側もそれに迎合してですね反フランス的な あ動きを始めるんですまそれに対してま5 にした当時のフランスをフェリペ4世がま 軍を起こしてということでそのフランドル を支配するのしないのというまかなり ごちゃついた動きがあるんですけどその中 で発生したのがこのコルトレイクの戦いと いうんですねでどういうものになるか フランス軍8000うち騎士2500です それに対してフランド軍て9000ですで も騎士と言われるものはま400とか 500とかそれぐらいだったということで ま兵力素は歴然なんですね当時騎士1人で 歩兵10人を相手にできるぐらいに言われ てたぐらいその騎士というのは絶対的な 存在だったのでところが蓋を開けてみると ですねえフランドル市民軍の統制が取れた 未主法人体系に突進を阻まれ格好撃破され と多くの騎士が殺害されたと普段農民やっ てるような奴らのにわ作りの法人四角 がっちりと体型を組んでその防御力を高め た歩兵の人形のことなんですけれどもえ そんなものはね一撃の元に粉砕してくれる わということで突進していったらですねえ その法人点が非常に権greで固くてそこ に向かって突進していくけれども勝てない わけですよ阻まれちゃうんですねで突進力 落ちてる間にまた1人また1人とこう騎士 が引きずられてえそこで殺害されるという ことが起こってコルトレイクの戦いでは フランス軍大敗しますえそれであまりにも 多くの騎士が打ち取られてしまったという ことでま歩兵が歩兵密集体系つまり歩兵 主体の軍隊がま騎士の軍隊を打ち破ったと いう意味では中世で初めてのの勝利だった のでまこっからちょっとね戦争の歴史が 若干変わってくんですね先ほどのモル ガルテの戦いはこっから13年後のことな のでなのでまずコルトレイクというところ で変なことが起こっていたでさらにもう ちょっと後の時点また変なことが起こり ますそれが次の戦いなんですけれどもえ 1346年クレシーの戦いというのが送り ますでこれを説明しますエフ100年戦争 の前半戦なんですねフランスをフィリップ 6世とイングランドをエドワード3世のま 正規軍同士の戦いつまりエフ100年戦争 のかなり序盤の戦いなんですけれども クレシーというところで両軍が激突する 兵力フランス軍もう煌びやかな騎士を率い て4万と言われてるほどの大軍ですねこれ は最大地なのでおそらくこんなにいない ですけれどもそれでもイングランド軍が約 1万2000でまそれに倍以上の兵力がい たことはほぼ間違いないでしょうとこの ような戦いだったんだけれどもこの数値さ があればま本来であればねこのフランス軍 の騎兵特に騎士ですよねえ重層騎兵たちが ま書面が突撃してえぶち当たればですね 大体そこで戦闘は終了という風なものに なると見ていたわけですけれども実際戦っ てみると重層騎兵の突進が超球の弾幕に より省力を一緒に格好撃破されましたよと いうことでここで出てくる有名なのは イングランドの長級隊というやつですね これはですね当時の弓矢というのは石弓が 中心ですクロスボウですねここにいます けれどもバネで引き金を引いていって弓を 張ってそれをま横にして打つという使い方 さえ覚えれば誰でも使えるものだったん ですけれども当時の弓兵の主兵器はこの石 と呼ばれるものでしたところが イングランドの方ではですねこにあります ね日本の武士でも使っていたようなこの 上級ですね長弓こうしたものを装備した 部隊をま編成してこれが弾幕を貼るんです ね長弓や石弓より威力を劣るけれども発射 速度が非常に早いんです6倍とかそれ ぐらいの速度で打てるのでとにかくそれを 斜めに向かって打ってですねずっと矢玉の 雨を振らせ続けて弾幕を貼るわけですなの でその弾幕をくぐり抜けてくる間に フランスの木はバタバタ倒れていくという ことが起こってしまうんですねじゃあ そんなに有効ならばフランス軍だったら 長編み使えばいいじゃんってことになる けれどもこれは実はですねコストが ものすごいかかるんですね訓練に ものすごい時間かかるんで兵隊集めて弓を 持たせればそれで戦力になるってものでは ないのでこの超球体を編成するために イギリスはかなり長い時間をかけてたん ですね長い時間をかけて育成した部隊を 決戦上にドンと当ててそれが威力を発揮し たということなのでこれが有だと分かって もすぐに用意できない連中なんですまこれ 当時のイングランドでのそのライフ スタイルに密着した兵隊でもあるのでえま イングランド特有の兵士たちだったという ことなんですけどまこれも歩平の未集体権 に対して騎兵が全く歯立たなかったという 戦いの一形態になるわけですねでこのよう にこの1300年代14世紀日本で言えば 南北町から室町時代にかけての時代です けれどもえヨーロッパではこのようなこと が起こってたんですね戦術のルネサンスえ もうちょっと説明すれば歩兵法人の危は 弱いというこういうことが発見されたん ですね当時にしてれば大ショックですね ルネサンスっていうのはそもそもですね再 発見って意味なんですよつまり中世の人達 て何百年間の暗黒時代があってですね かつての栄光の古代ギリシャとかローマの 時代の文化文明を忘れてるんですねでそれ をま再発見する余裕がま出てきたと社会に 余裕が出てきたということであるんです けれどもそうした過去のすさみたいなのを 発見してまた自分たちのものに取り戻して いくのをまルネさんスというわけなんです けれどもそれが戦争では歩兵法人に危は 弱いという原則の発見だったんですねで これはもうあの強制ローマからローマ帝国 の時代にはほ確実で分かっていたことです 歩兵法人が軍の主力だったんですでも歩兵 法人の問題点っていうのはコストをやたら かることとそれを成立させる条件っていう のはなかなか難しいんですね条件2つ必要 ですま2つのどっちか絶対必要です1つは 圧倒的な財力歩兵を備集めておいてそこに 兵隊として常に養っておける財力をなきゃ いけないわけですね財政的な裏付けが そして常にそこに高いレベルの訓練を与え て戦場で使い物になるように常に磨いて おく必要があるということで非常にコスト がかかる舞台だったでそれと同時にこの 歩兵部隊っていうものには唐突力が必要 だったんですそれはさっきで言えば金とか え組織というもので作れるわけですけれど ももう1つ組織をま束ねる同機になるもの が同質性を担保にした結束力つまりですね 戦う側の同機っていうのがかなり高い ところにないとダメなんですよ例えばその コルトレイクの戦いでフランドル市民兵が 強かったのはここでもしフランス軍騎兵に 破れてしまえば自分たちが作り上げてきた 社会とかあるいはその経済の仕組みそうし たものが根本から奪われてしまう破壊され てしまう自分たちの戦いが自分たちの後の 生活に直結するわけですねだから非常に こう戦う時のモラルが高かったわけです そしてクレシの戦いに受ける長期隊は長い 時間をかけて編成して訓練してきた部隊だ ということがまあるわけですね前提として 来年戦争やるから今兵隊かき集めて適当な 武器を持たせて数だけ揃えるそういうもの ではなくて長い時間かけて用意したま プロフェッショナルの舞台であるという ことが裏付けにあったわけです プロフェッショナルが素人と戦うわけです からそれは強いわけですよねそのことが 発見されるまでつまり歩兵法人が復活する までなんで騎兵が圧倒的に強かったと言え ば騎士つまり貴族たっていうのは生活に 必要なものは全ていわゆる濃度と言われて いるま民衆からの集だによって自分の生活 が慣れ立ってるので自分の時間っていうの は全て自分の武芸を磨くために使うことが できたわけですねでさらに圧倒的な富が あるのでそれを使ってえ鎧を着込んだり 立派な馬を揃えたりってすることができた そもそも武芸に優れた人間がもう金属の鎧 で身を固めての武器を持ってるわけだから にわか作りの兵隊なんかに負けるはずが ないんですねだから騎兵1人で10人を 相手にできたと言われてるでもそれは歩平 の側に結束して戦うという動機がなかった からなんですねあるいはそういう仕組みが 用意されてなかったからだから騎士が登場 すると元々未主体系が危険に強いっていう のは体験的に分かっていても密集体系維持 できないんですよ1人逃げ2人逃げ あるいは1人倒れ2人倒れっていううちに 結束がすぐに緩んで散りになってしまう 散りになってしまった歩兵部隊なんていう のは騎兵の追撃の前にはもうないも同然 ですから歩兵というものに対して騎兵と いうのは圧倒的にだよということが常識に なっていたわけですけれどもこの14世紀 に状況がガラルと変わるわけですねこれは 不思議なことに日本でも同じようなことが ねえ鎌倉武士から室町時代そしてオニラン という風に移っていく中で歩兵の比重が どんどん高まっていく足軽の比重が どんどん高まっていって最後は足軽大場 みたいな形でえいわゆる一種の傭兵隊長 みたいなのが出てくるっていうことでは 非常にこう同じ経緯をたどるんですけれど もまそうしたことがヨーロッパでも起こっ ていたとこうしたこの戦術のルネサンスが もう1回スイスにフィードバックされます それが次の戦いです1386年全パッハの 戦いといういうのが起こりますでこれは もう何かと言ったら1350年代に元々3 つの州で成立していたその永久名薬なん ですけれどもそこに新たに5種が加わって 8州同盟とつまりスイスの領域が少し広く なるんですねそのスイスの半自治状態に いろんな種が加わってきてかなり水素が 大きくなりますでそうした勢力の身長を見 てま当然その一部の勢力を膨らんでいけば 既存の勢力との対立状況が起こりますたで その時にまたオーストリアハプスブルクが 出てくるんですけれども急速に勢力を増し ていくそのイスの動きを見てそれを野放し にするわけにいかないなということを考え たまオーストリアハプスブルグ家がもう 1度軍を起こしてですね攻め込んでいく わけですそれが全般ハの戦いで前回のモル ガルテンではあしスイス兵を農民の兵隊の 集まりだったなめ切っていたオーストリア 軍の油断がま敗北に結びついていったわけ ですけれどもこの全波派においてはこれは 精々堂々の野選ですえ活線の中で オーストラリ軍敗北するんですねでここに 水洋兵のですね戦い方がほぼ凝集されてる んですねま1302年のコルトレイクに 始まりモルガルテで破れそれからクレシの 戦いみたいが起こるそのモルガ店から見て も70年後の戦いなのでも約2世代後の 戦争ですよねだからその頃にはさすがに もうオーストリア軍も歩兵主体にはなって きています歩兵未主体権に歩兵をぶつける のが正しいやり方だってことは分かって くるんでこの辺見るとねオーストリア軍 騎士も多いんですけれどもやっぱり兵力の 死体がこう傭兵この槍を持たパイク兵中心 になってるのは分かるんですね対して こちらがスイス軍なんです数は劣勢ですね 何せこの戦いスイス軍が約2000に対し てオーストリア軍が4000以上以上いる んですねでこのうちの約半数がま騎兵だっ たと言われているので少なくともスイスの この歩兵たちと同数の歩兵がいてそこに プラス2000の騎兵ですからまこれは 負ける条件ないですよね歩兵同士でやらせ てる間に側面でも撃破すればそれで勝ち ですからところがなんですけれどもここに ねスイス洋兵のちょっと肝があるんですね 確かに一部はこのヤブを作って オーストラリアの歩兵と退治してます ところがですねここにやっぱりこのさっき の変な武器を持った連中がかなり目立つん ですねこれ自体で水星だと分かるわけです けどそしてその戦いによってまた オーストリア軍大敗するんですね騎士 400名を含む1500名が打ち取られた と言われていますここにスイス歩兵の特殊 な強さというのがあるんですけれどもその 戦術を確認しておきましょうこういうこと なんですねまず武器の説明します ハルバードと言いますこれはもうスイス 発症の武器なんですねえ約2mから 2.5mぐらいの槍の穂先に片に斧で片に スパイクがついてるんですねいろんな装飾 がありますけれども基本的にそうです片の 斧片のスパイイそして槍とえこのスイス兵 たちはこのハルバードの扱いに非常にたけ ていたんですねこの武器のすさっていうの はまいろんな考え方がありますけれども まず基本的に2.5mる長い武器という ことになるので長い武器は振り回した時の 遠心力で命中すれば騎士の鎧ごと負でを 与えることができる斧で出撃を加えるんで もいいですしこのスパイクの部分でぶさし てもいいわけですよねだから金属鎧に対し て非常に有効な武器ダト武器になるわけ ですねそして槍としても使えるということ で槍ブの中に混ざって槍としても使えるし 1対1の場面になって絶対的な打撃必要と なった時にはこの斧やスパイクを使う しかもこれがですね騎士1人に対しては なかなか勝てなくても23人で襲いかかっ ててですね2m50cmの斧を振り回して くる歩兵が現れたらさすがの騎士も ちょっと手に終えないところがありますね つまりワンマンアーミーに非常に向いてい た万能武器だったんですねでさらにこの ハルバートの組み込み方ってのが重要なん ですね当初はこのハルバート兵が主体だっ たんですスイス兵でのスイス兵イコー ハルバードというもので槍ブも作れるし 個々人の戦いになった時にはこの バトラックスみたいな使い方もできるしと いうことで戦っていたんだけれども だんだんパイクへが中心になりますえ つまり6Mぐらいある槍を持って槍ブマを 作るやぶのすごいところっていうのは容易 に崩れないんですねえ槍 particularが維持されてる限り その歩兵の体型はほぼ崩れることがないな のでその地域を守り続けることができるで それがじりじり住めば前にいるものを粉砕 しながら進むことができるでパイク兵同士 の戦いになってそれが戦列をさされてる間 にま別の兵隊が戦って勝つという大きな 流れになるわけですま戦争っていうのは なんかこう色々と複雑なんですけど基本的 に長い間ま現在もかなりそれを言えるん ですけれども騎兵的なものと歩兵的なもの そこに包平的なものが加わるこの3つの ブレンドで軍隊っての成立するんですねで 長らくは騎兵が主体だったんだけれども この14世紀のま歩兵革命によって歩兵の がっちり組んだ法人体系っていうのは簡単 には崩せないということではこの法人体系 同士の戦いでまず決着がつくようになって くるわけですだけれども歩平のこの民主 体系っていうの弱点が1つあって正面には むちゃくちゃ強いんですね槍物を立ててる わけだからけど側面や後ろに回り込まれる ともろいんですねそこで登場するのが ハルバート兵なんです側面とか背面に彼ら は3回してるんですね一定数いるけれども パイクへっていうのはもう場によったら隣 の兵隊と距離15cmぐらいで詰合て るってぐらい牛牛なんですけれどもハル バートっていうのこの2m50の武器を 振り回すわけだからある程度の広さ空間が 必要なんですねだから比較的薄い状態で3 回してるとそして何がしかのこのパイク兵 に危機が訪れる時にハルバートイが 駆けつけてその火消しを行うんですねで その火消しがプロフェッショナルだったん でまどうしようもないえただでさえスス兵 っていうのはこのパイク兵の密集度が高く て粘度も高いのにそこに側面を守る ハルバート兵がいるという組み合わせに よって水槽兵っていうのは非常に強かった んですねで特にその水槽歩兵の場合はこの ハーフェンという単位でまこれ中体で役し ますけれども約200名ぐらいの体系が がちり組まれたんです他国の軍と比較に ならない結束の硬さというそれから戦闘へ の粘り強さそして残虐性っていうのが水星 の特徴だったんだけれどもこのハオフェン 約200名これほぼ同じ故郷で集めてます 同じ町同じま村というか地域共同体エリア がほぼ同じお互い生まれた時から今までの 境遇っていうのを知ってるような連中が 集まってるんですねだから同居のよみって いう言葉にすると簡単すぎるんですけれど もここで臆病の振る舞いなどをしてその 舞台が壊滅するきっかけを作るなんてこと は各男たちにはできないんですねもう 生まれた時から戦友みたいな連中と肩を 寄せ合って組んでるんでま言うなればです ね当時のヨーロッパに突然現たスパルタ兵 みたいなもんなんですねもうちょっとここ ね解説細するの貧乏だから戦う以外に食う 方法を知らないとそして隣のやつを守る ことが自分の命を守ることにつながって いくましてや自分の失敗で舞台に対して 損害が出る戦士者が出るなんてことがあっ たら故郷に帰って何を揺れるか分からない というま非常に素朴なプリミティブな同機 なんですけれどもでも同胞意識っていう 歩兵を集団体系士とし成立させるための 条件が水星には揃ってたんですね同居出身 者で固めるでちなみにこのハフェンって いうのは中隊ですけれどもこの体調 ハウプトマンって言うんですねこれドイツ 語で軍隊の中ではタっていうくらいで使う 言葉ですけれどもそれもこのスス洋兵から 由来している言葉なんだということで しかもですねここにあります戦闘の粘り図 それはさっきの集団民集体系を維持する その彼らが同居出身しだからという同機が ありますけれどもう1つ残虐性捕虜取ら ないんですねスイスって当時のヨーロッパ の戦いっていうのはその13世紀までは 騎士同士の戦いなんで殺さないんですよっ ていうか簡単に死なないんだよ重層機って すごい鎧きてるから怪我とか疲労とかで 動けなくなってそれが捕まって捕虜になる それが基本的な戦争の形だったんですねで 殺さないんですよ殺しても意味ないんで 騎士なんていうのは必ず領地を持ってい たりその相手の国でそんなに高いくらい だったりするんで財産持ってるわけですね だからそのお前のとこの対象を生鳥にした からいくらいくらの身代金で返してやる からみたいなそれが常識だったんです身代 金を取るための戦争だったんですねところ がま先ほどのフランドル兵たちつまり コルトレイクではそもそも市民兵にそうし た発想がないんでとにかく敵はみんな殺し てしまうということでフランス騎兵やたら と命を取られてますそれからこのスイス兵 が異常に残虐性を発揮したのこれは理由 簡単でですね捕虜を取るっていうことは 一部の兵隊が抜けるってことですねその 捕虜を捕まえるとか捕虜を見張るとかって いうためにこのこのハフェの結束を崩さ なければならないわけです全員が同じ境遇 でその歩兵の密集体系を組んでるから 戦えるんですねでも一部が捕虜を取りに 行ったり捕虜を取って身代金で設ける みたいなことを一部が考えた時にこの結束 はバラバラになるんですよ結束がバラバラ になるイコール死を意味するんで絶対に それ許さないんですね捕虜を取るなんて いう結束を乱す行為をする人間を許さない んですよそもそもそんな発想が生まれない 捕虜を取らなければならないってことは 結束が乱れることだから捕虜っていちゃ いけないんですだから捕虜を殺すんですね なので非常に負けたの視聴率が高いのが このスイス歩兵のま恐ろしいところま騎兵 同士のある種スポーツの延長みたいで戦争 をやっていた中世の名残りみたいな戦争 からすると全く異次元の戦いをやってくる 連中なわけですまスターシップ トルーパーズ言うところのアク族を相手に するようなぐらい価値観の違う連中との 戦争になってしまったのでその正教さが しばらく続くつまり14世紀から15世紀 っていうのはその水素兵が異常に恐られた 時代になっていくとえこれは現在のリナト ですえ現在のスイスで行わいるその水素兵 のま利なくと当時の格好して当時の武器 みたいなの持ってま歩いてみてそのそれを 見学者がねメイメイでこう楽しむという上 の方にいるのはこれ都市貴族ですね 水々しいて絶対に欠かせに嫌な奴らだと 思うんですけれどもま何にしてもこれが 水兵ですもうほとんどね装備なんかないん ですよ頭にヘルメット敵から奪ったような ヘルメットかぶってたりですねメイメイの 格好でいるだけなんですけれどもこの槍 ブマを立てることによって体の装備は何も なくてもですねお互いの槍で守り合うって ことができたということうんことではこの 立ち自体が水素兵の正教さをま象徴する ものであったともう体1つが財産なんで それで戦えるんだということで今回水子 歩兵の話をしてますけれども傭兵の話は まだしてないですね彼らがどうして傭兵に なっていったのかそしてそのスイス傭兵の 戦いとして光と闇を演出していく15世紀 のイタリア戦争というのがあるんです けれどもえその戦いの話まではちょっと 到底今ではできないんでですねスイス歩兵 がスス傭兵に化けてく話っていうのがこの 後発生するんですけれども今回はここまで としますえ是非スイス傭兵の話にも ちゃんとしていきたいですしそこからなぜ バチカンの警備兵になったりするのかと いうことにも繋がっていく話えそうすると アルムオジっていうのはそもそもスイス 傭兵なのかっていう文化士的な話にも 結びついていくんですけれどもま今回は そのスイス傭兵の始まりであるスイス歩兵 隊の木興とえそれから彼らの戦術という ものについての解説になりましたえいかが でしたでしょうかこれが好評だったらです ねスス傭兵への話につがっていけるかなと 思うんですけれどもまま是非したいんで ですね高評価やコメントなどでの補足 あるいは応援などですねいただけたら大変 ありがたいですそしてですねまだこの動画 チャンネル登録をされてない方はですね 是非チャンネル登録ボタンを押してですね 次回更新楽しみにお待ちいただければと 思いますどうもありがとうございました

【宮永忠将のミリタリー放談】
軍事/歴史ライター宮永忠将の情報番組

番組の感想、ご意見などぜひコメント欄にお寄せください。またこの動画に限らず、皆さんの知りたいこと、興味関心があるものにフォーカスしながら、楽しい番組作りをしていきます。

★関連動画(ぜひ本動画と合わせてご覧下さい)

おんじ、傭兵時代の足跡を追う

★今回の動画作成に使用した資、書籍です。

傭兵の二千年史 (講談社現代新書 1587)
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戦闘技術の歴史3 近世編
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宮永忠将の著書/翻訳書

『フランス戦艦入門』
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『ねいばるインスティテュート』
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【プロフィール】
宮永忠将(みやながただまさ)
miyanaga73@gmail.com

1973年生まれ。上智大学文学部史学科卒業。シミュレーションゲーム雑誌『コマンドマガジン』編集者、ゲーム会社ウォーゲーミン グジャパン勤務等を経て、歴史・軍事関連の執筆や翻訳、軍事関連ゲームの品質保証、歴史関連動画の脚本などを担当。Youtube/アズールレーン「三笠大先輩と学ぶ世界の艦船」構成/脚本担当。

著書:『ねいばるインスティテュート (世界の戦艦と海軍史)(イカロス出版)』『ウォーズ・オブ・ジャパン』(偕成社)、『ファンタジー世界構築教典(宝島社)』他多数。

30 Comments

  1. ハルバードに似た武器が日本にもあったなぁと思ってたら、突けば槍 薙げば薙刀 引けば鎌 とにもかくにも外れあらましなんていわれた宝蔵院流の鎌槍に近いですね

  2. 「歩兵の戦いとは槍衾を維持する事」と言っておられるシーンがありますが、かつての長槍による槍衾が今では自動小銃による弾幕に姿を変えてるだけで、本質的にはやってる事は変わってないんだなと思いました。(中国では歩兵小銃の事を「歩槍」というらしいですが、よく本質を現した呼び方だったんだなあと思いました)

  3. ゼンパッハの戦いについては、スイス兵の武装がハルバートからパイクに変移する契機になったとする解説も幾つか見られます。ハプスブルク軍のランスチャージ兵が下馬して槍隊として戦ったらハルバートのスイス兵に対して当初は優位に立てたとかそういう内容です。
    一方、それより前のモルガルテンの戦いを中世パイクの戦いの端緒としている解説も多々あり整理に悩んでます。

  4. スイス人傭兵 個々人が強いではなく、傭兵団という組織が組織だって機能したという話ですね。 スイス人が、傭兵として、他の傭兵部隊に参加しても、強いという話ではない。というところを、誤解しないような説明が必要ですね。

  5. なるほど〜、スイス歩兵が捕虜を取らないのは「騎士同士の内輪のルールなど最初から眼中にない」のが主因と思っていましたけど、彼ら自身の結束の維持のためでもあったんですね。勉強になりました!ぜひこの続きのお話も聞きたいです!

  6. 要望を受けて直ぐに対応出来るのが凄い
    またコメント欄の歴史、ミリタリーオタクの書き込みが凄い
    学生時代には全く興味が持てなかった歴史もこのチャンネルで好きになりつつある
    継続してください

  7. アラクニドで吹いた!
    それは置いといて、スイス歩兵勃興譚おもしろかったです。
    歴史・社会背景や要素・分析の解説が非常にコンパクトかつ必要十分で素晴らしい!
    ぜひスイス傭兵伝よろしくお願いします。楽しみにしています。

  8. スイス傭兵は真面目に戦う珍しい傭兵だったから。イタリア傭兵なんかは金もらったら戦いの始まる前に脱走するのが普通だった。

  9. 昔の日本の若者は、永世中立国であるスイスを理想の国のように言っていた(若い女性が「尊敬する人はシュヴァイツァー博士です」なんて言っていた時代の話です)けど、その成立のためには厳しい戦いがあったのですね。

  10. 亡父の話では先の大戦時、兵員に余裕のない時などは、降参した敵兵をその場で射殺したそうです。また多数の捕虜を少数の兵士で護送するときは護送する兵士は、何時、捕虜に抵抗され逆に殺される事を考え大変な恐怖心をもったといいます。捕虜をとり、味方の進軍に遅れれば、次は孤立した自分たちが敵に殺される可能性が高まるので、余程、余裕がある状態でなければ捕虜はとらなかったそうです。

  11. 大西巷一のマンガ『乙女戦争』が分かりやすい例と思われます。
    ワゴンブルグで隊列を組んだ市民兵と重装騎兵としての騎士たちの戦いですから。

  12. リクエストです。どうしても後ろの本棚が気になります。いつか本棚を写したものだけでも良いので動画化して下さい!🙇

  13. ドイツ軍が精強なのは、同郷の者達で一個連隊を組織することにあったと、軍事関係の解説書でよく目にします。
    それに関連して…統一後のイタリア軍が弱いのは、均一な「イタリア人」を創出させる為に徴兵した者を出身地で纏めず、わざとバラバラに配属したことにあるとも云われています。

  14. とても興味深いお話です。
    スイス兵の持つ武器が何通りも使えるのが特徴的ですね。
    アーミーナイフ(日本風だと十徳ナイフ)のアイデアもスイス人ならではなのかも。

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