建築家レクチャーシリーズvol.13

今回のゲスト建築家は岡田翔太郎建築 デザイン事務所の岡田翔太郎さんになり ます本日よろしくお願いいたします よろしくお願いしますよろしくお願い いたします私の方から本日のタイム スケジュール説明させていただきますえ 画面の方ご覧ください今画面って映って ますかね見えてますかはい見えてそうです ねはいえっとまず始めに18時から10分 半頃使いまして建築DVの説明私の方から させていただきますでその後えっと岡田 さんにはですねえ50分から1時間ほど 時間いただいてレクチャーをしていただき ますでその後えっと20分ほど使いまして えっとパネリストの方との ディスカッションに移りますで時間があれ ばYouTubeのチャットえにですね えっと是非コメントいただいてそこから ちょっと質疑応答の時間取れればと思い ますで終了は19時半予定しておりまして えっと今回もYouTubeでえっと ライブ配信をしております19時半に YouTubeは閉めますはいではまず 始めにですが建築会DVの概要説明私から 説明あさせていただきます はいえっとですね建築がDBは弊社ムリ ラボとですね宮城台の友先生とですね有志 の学生のえっと建築学生団体のえ建築学生 建築がDBえ委員会とえっと一緒に進め てるプロジェクトになるんですがえっと このプロジェクトの背景っていうのが建築 化の情報とかっていうのがえっとネット上 とか書籍ではたくさんあるんだけれども それが1つにまとまっていなくてちょっと 調べるの大変だよねこれを1つのちょっと データベース化してウェブサイト上で公開 できたら調べるの楽になるよねみたいな ところが1つあったりとかあとは事前に あの以前調べてた情報とかってのが まとまってないからどこから引っ張って くればいいか分からないみたいな部分がま Web上に1つにえデータベースとして 保存されてれば引っ張ってこりやすいとか あとはまえっとWikipediaとか 色々なサイトがあるんですけどもま資格的 に分かりづらいってところでもう少し ビジュアルに寄せたサイトを作ることでま 簡単に調べられるサイトがあったらいいな みたいなところを背景としてこの建築 データベースっていうのはえっとサービス 作りました今から45年ほど前に作った サービあの考えたサービスにはなりますで 建築DBの概要になるんですがこちらは ですねまこの3つの循環を意識しており ましてえっと建築化DBっていうのは えっと建築化を調べてですねそれのデータ を蓄積してそれを活用してくっていう一連 の流れをWebプロジェクトにあwebの アプルにしたものになりますでえっと ユーザーと利用シにとしましてはえっと 主に建築学生の方とあとは建築え のえにで働かれてるえっと企業の方とか あとはえっと建築家を知りたい方とかその 方が作ってる建築を調べたいとかっていう 方の一般の方向けにえっとこのデータあ 建築DBってのはえっと展開しております で主な活動内容としては3つほどあります で1つ目は情報収集になりますえ断片的に なってる建築家のえっとあのデータとかっ ていうのをこのような受継図にしてえっと まとめ上げましたこれはえっと土産代の 学生と共に一緒にこのような受験図を作っ てきましたでこの受験図が出来上がった後 にですねあのサービスの上にですねこの できた受刑図っていうのを展開してまある 建築化を調べた時にこの方に紐付きてる えっと師匠とかの方があの表示されるよう なものを作っているところですで2つ目の えっと内容としては候補になりますえ今回 参加いただいてる方にもこのあの建築化 政策委員会の方がいらっしゃいましてこの 方メインでですね候補えっとやってって もらっますでサイト自体もこの学生に えっと全て1人でああのメンバーの方 みんなで作ってもらっておりますでこの 建築化データベースができるまでのま えっとその制作段階のお話とかっていうの をこのサイト上に載せて広行していると いったものになりますでえっと3つ目 サービス開発ってところでえっとこちらに 関しては今A制作中でしてえっと今この ような感じで画面構成ができておりまして もうそろそろでえっとリリース予定になっ ております先ほどのお話した受刑図って いう項目に関ししてもまここの受験図が 出来上がってればここにえっとま相関図と してデータが蓄積されていくといったもの になりますはいでえっとこのえっと講習会 レクチャーの目的になるんですが我々が 行ってる建築データベースのえっと活動の 周知であったりとかあとはまコミュニティ の活性化であったりメインである情報の 収集とかあとえっと勉強デバイの場の総出 とかっていうのをま掲げてえっと レクチャーシリーズを行ってるといった ことになりますはい私の方から簡単では ございますがえっとデータベースの説明さ せていただきましたで画面に戻りまして えっと簡単にえっと今回のアジェンダの ちょっと説明だけさせてください えっとまずですねえっと岡田さんにレチ いただいた後にえっとディスカッションに 入るんですがディスカッションに関しては えっと現在のえっとゲストの作品 プロジェクト背景にゲストと繋がりの建築 化思想についてってことでお話しいただき たりとかあとはゲストのおいた学生時代の 話から影響を受けた建築想についてって いう部分の過去についてのお話であったり とかま最後の項目の岡田さんの今後の活動 についてってこと未来の話ってことで3つ ほどメインテーマ用意させていただきまし たんでまここの話から脱線するのも もちろん構わないんですがこのメメイン テーマに沿った感じで今回はちょっと ディスカッション話しいただこうかなと 思っておりますはいそんな感じでえっと ディスカッションは進めていきますはいで は えっと岡田さんの方からですねレクチャー の方ちょっと1時間ほどさあのして いただければと思います岡田さんよろしく お願いし ますよろしくお願いし ますまず始めに18時から10分半頃使え まして建築DVの説明私の方からい後え 岡田さんにはですねえ50分から1時間 ほど時間いただいてレクチャーをして いただきますこれとえっと20分ほ使え ましてえっとパネリストの方と ディスカッションにりますで間がまれば YouTubeのチャットえにですね えっと是非コメントいただいてそこから ちょっと指摘ごのが取れればと思います 終了は10時間ごめんなさい私でした閉じ ましたすいませ んはいすいません岡田さんよろしくお願い いたしますはいよろしくお願いします 初めてもよろしいでしょうか ねはいお願いしますはい えそしたら始めさせていただきますえっと 岡田翔太郎建築デザイン事務所のだと言い ますよろしくお願いし ますえ今日はですねえっとこのえっと略歴 事務所の紹介これまでの設計についてえで えっと今年起きたの半島自身についての この4項目について順番にお話しさせて いただければなと思っており ますまず目に略歴のご紹介をさせて いただき ますえざっくりとした略歴はこのような ものでしてえっと少し細かく話していき たいと思い ますえ1990年に石川県七尾でえ生まれ えそこでま小学校中学校高校とえっと7を でえ生活しましたえそれでえっと大学受験 でちょっと1年失敗してえっと浪人しまし てで2010年にえ九州大学芸術工学部 環境設計学科にえ入学しましたこの大学を 選んだ理由は建築の中でもまこうアートや 芸術系の建築に進みたいと思っていたから です色々調べると九州大学芸術工学部では え画像設計とか芸芸術情報であったり音響 設計など面白そうな学科で構成されてい ましたでえっとまそこに入学して2年生 から設計課題が始まりましたでえっと すごく優秀な先輩たちがたくさんいました のでえっと先輩たちからすごい刺激を受け ましたで学部3年生の終わり頃ですね えっと研究室配属があってそこでえっとう 先生の研究室にえ入りましたでえっと大学 4年になって卒業設計をしながらまこう 自分が大学を卒業した後どこであの就職し てまアトリエで修行しようかなっていう風 に考えながらえっと過ごしていまし た え左上がですねえっと迂回県求室のえっと 宇井先生です僕が最も影響を受けた建築家 ですえ右上が九州大学の大先輩の佐々木翔 さんです長嶋県え島原で建築事務所をやっ ています地方で建築事務所を営む佐々木 さんは色々と共通する部分があるように 感じています先輩としてのあのお手本の ような方ですこのレクチャーシリーズでも 前回登壇されていた方ですで左下はあの 佐々木Kさん と言ってえっと佐々木翔さんの弟さんで今 大阪大阪万博やノアホテル福岡など手がけ られていて活躍中の先輩です僕が大学1年 生2年生の時に初めてお会いしてそれから ポートフォリオを見ていただいたりしてい ました仙台デザインリーグ卒業設計日本一 決定戦なんかでえっと活躍していて僕たち 後輩からはすごく憧れの存在でした そして右下がえっと笹田さんですね僕が 大学1年の時に笹田さんの卒業設を手伝っ ていました笹田さんの描くパースとか作る ものっていうのがますごくかっこよくて ですねあのすごく尊敬する先輩です現在は ウルトラスタジオとして活動され東京芸大 のえ研究助手もされてい ます僕は学部卒でいきなり独立したので えっと井先生を始め優秀な先輩方や他にも たくさんのま優秀な先輩方いらっしゃった んですけどえっと学生時代にえっとすごく 影響を受けたような気がし ますこれは学内の卒業設計好評会の様子 です赤い枠赤枠部分のこの写真の木の模型 が僕のものです全長16mぐらいえ16m 超えるような模型でした大学4年生になっ たばかりの頃え宇井先生に言われたことを 今でも覚えてい ます1mの模型が普通だったらまその2倍 の2mを作ってもま人は感動しないよねと 人の3倍とか4倍とかやって人の想像を 超えた時に人は初めて感動するっていう話 をあのされましただから3M4mぐらいの 模型は作りなさいとこの話を聞いて当時僕 は思ったん ですま先生がこう3M4m4mというなら まその3倍4倍は作らないとま先生の想像 を超えることはできないだろうなとそう いう風なことを考えているとまこれぐらい の模型になっちゃったっていうそういう風 にあのまこう自由にまのびのびとあの学生 時代はあの建築と向き合ってあのやってい ました で2014年にえ九州大学を卒業しまし たえ地元の七尾の出山というお祭り後でご 紹介するんですけどえっとそのお祭りを テーマとした卒業設計の えっと展示をま地元でやりまし た えその時の当時のえ新聞なんですけれども まこのような感じでえっと模型を展示して まし たで201え14年同じ年にですねあの 卒業後えすぐ え事務所を作ってですねえここからえ自分 の建築活動がスタートしますで最初の2 年間ぐらいはすごく厳しい時期でして なかなか仕事を手にすることはできなかっ たでそこからま3年後あ独立3年後で ようやくま実績ができます とで223年に1本過ぎ通り今の事務所の 方に移転しえ建築事務所とルーム小さな ホテルを開業し ますで2024年 え元旦ですねの半島地震がえっと起こり ますで地震が起きてからはえ被災建の相談 であったりクラファンの立ち上げであっ たり復興マルシェの運営であったりあとは みぎ地区の復興プランの策定メンバーあと 一本席通りの新行会副会長にえなり ますでえっと一本杉町の文化遺産を守る会 というのをえ作りましたそこでえ1本すぎ 通りのですね商店街の復元模型の政策を今 えあの進めて ますえそしたら事務所の紹介をさせて もらい ますえ事務所正面ですここに移転したのは ちょうど1年ぐらい前になります1回が 建築事務所でえ2回が宿泊施設となってい ます事務事務所の周辺地域の様子です 七尾駅から道の駅である食草市場まで軸と なる1本のえ太い道路がこう通ってい ます溝川にかかる先体橋を渡った西側の 通りが1本すぎ通りです1本すぎ通りは 500年以上歴史を持つ街灯 です450mから500mぐらいの長さが あってでそこがこう石畳で舗装されてい ます約50件の商店が並んでいて住宅と 店舗が半々ぐらいの割合で混ざり合ってい て七尾のこう町民文化が色濃く残るような 場所 です建物はこの写真のようにえ平入りの 町屋やえこう土蔵のような建物が多く 立ち並んでい ます明治から立つ建物が多くて文化剤登録 が5件ほどあります 右上の写真は花嫁のれというもので石川県 を中心に北陸地方各地で見られる本例に 用いられる特別なのれのことでそののれを 忍び用いる風習があり ます爆発から明治時代にかけて加賀班の 領地である加賀のと越中の地域で行われて い ます一本すぎ通りでは毎年花嫁の連を開催 し会中は店街の各商店にのれが飾られ通り 全体がのれのギャラリーのようになります 右下の写真はえ出山と呼ばれる祭り ですこれがえっと事務所の既存の建物です 10年以上空屋となっていましたかつて 栄えていた商店街もまこんな感じで今では 空屋が増えている状況なのであのすごくま 悩ましい問題だなと思ってますこの建物は 僕たちが活用を決めなければ解体予定と なっていてさらとなる予定でし た平成30年の住宅土地系統調査結果に よると7押の秋率は19.1ととても高い 水準でした全国が13.6%でえ石川県が 14.5%ですね今では20%を超えて いると想定されて今後半島自身の影響も あり急速に空率が高まるようなえっと予想 です震災後これからいかに空屋や空地を 防いでいくことができるかえ僕たち建築 事務所だけでこの問題を解決できるとは 思わないんですけれどもこの地域課題と 真剣に向き合っていかないと町の再建は 厳しいかなという風に感じて ます既存の建物の平面図ですまこの写真の ようににえっとお店の正面がまこう広い 物販スペースになっていて奥の方はえこの 下の写真のような和室の部屋がま何個も あるような建物でし た回収後の平面図です1回ロビーでは事務 所の打ち合わせスペースと宿泊施設の レセプションを兼ねたようなえスペースで で写真のようにえっとまこう勉強会で使っ たたりですとかまレクチャーを開けるよう になってたりとかえ交流会ができたり他 目的に使えるようにえなってい ますえ宿泊施設ルームの紹介 です2階フロアは全て宿泊エリアとなって おりえ2部ありますルームは地域に目指す 建築事務所僕たちが設計から運営まで行う 小さいホテルです前から7には宿泊場所が 少ないとえずっと言われ続けてきました 和倉温泉のような大型の温泉宿とか ビジネスホテル能島の民宿くらいしかなく てのたにの旅に来るほ えっとこう観光客 のこう受け入れ先みたいなところがまこう 不足していまし たそこでのの魅力発信も兼ねて自分たちで 旅の拠点に使ってもらえるような滞在場所 を作りたいと考えまし た商店街を始め周辺地域の商店と協力して 様々な宿泊プランを作りたいと考えて ますのの自慢の刺身森をお部屋でこう 楽しんでもらえるプランであったりえ徒歩 県にあるまこう美味しい フレンチのお店と夕食プランを作ったり ですとか他にもこの店外でしか体験でき ないようなプランを作って展開したいと 考えていました今は地震の影響があるため 難しいですが周囲のお店が開封してきたら え再開したいと思って ますこのように多様な商店との競業が考え られるためプランに応じてまこうまるまる ルームみたいな え名前がつけれるようにあえてこう余白 しかないようなルームっていう名前に えっとしてあります え2015室ですねこの黄色いえ共用部の 階段スペースからこの赤のハッチングの かかっているえ部屋へとアクセスします この201のお部屋は大体80平米ぐらい あって えシングルベッドが4台あってセミダブル が2台あってでご要望に応じてはえ オフトンセットえッまでえっと出すことが できるようになっていると合計ま店員が8 人の8名様のえお部屋になっていますで長 期滞在の需要もえっとあるためえまこう キッチンがあったりとかえダイニング スペースがあったりとかあとはまこう ゆったりとえお風呂を楽しんでもらえる ようなあの浴室があったりとかそういう風 になっています はい客室の中の様子ですまこういう風に ちょっと小上がりのスペースがあったり ですとかえまこうシングル4台のベッド ルームがえ個別でえ分けられてえ配置され ているのでまこう2家族で来たりとか ちょっと2グループで来たりとかそういう 利用にもあの対応でき ます202です202はこの共用部分の 廊下からえっと南のこの青いハッチングの お部屋になりますえこちらは大体50平米 55平米ぐらいの大きさでえセミダブルが 2台そしてえまご要望に応じてはえっと エキストラベッドを1台配置できるような 店員3名様までのご利用ができ ます客室の中はこのような感じでえ まあのシンプルな構成になって ます今までの設計してきた事例について 紹介したいと思い ますえこれは僕の地元にあるえ先ほども えっとちょっとあの画像で出てきたえっと 精白祭というま出山というお祭りですえ 学部卒で卒業したあ部卒でえっと独立した 僕にとってはまこの祭りがきっかけとなる ためえまずはこの祭りからご紹介したいと 思いますえこの出汁の大きさはえっと高さ が12mあって幅が4mありますで重量が 20tありますえ日本一巨大な出汁で えっとデカ山と呼ばれてい ますこの白祭祭りのりははえっと982年 で出子の出現はえっと出しがま出てきたの は1473年と伝えられていますえ梶町 府中町陽町のえ3つの山長があってで3台 の出山がえ存在し ますえっと小さい頃から僕はこの出山を見 てきてま本当にこう地域で愛されていて ごりとなっている祭り です写真からも分かる通りえ民家の屋根 本当にスレスレでえ街の中を運行していき ますこの出汁は綱で引っ張ってえっと みんなでこう動かすんですけれども特徴な のがまこう誰でも自由に引っ張ることが できるというところです地元の人も 引っ張れますしまこう観光できた人たちも 自由に引っ張ることができます これは地山と呼ばれる状態で木組が完成し えーむしや飾りを取り付ける前の状態 です祭りの1ヶ月前から組み立て作業が スタートしてこの状態この地山の状態はま こう作り始めてから約3週間後の姿です この状態から上からこうむを巻いてえその 上からまこう膜なんかを取り付けていき ます 出しの構造平面図です直径2mのえ車輪に え辛抱と呼ばれる車軸のようなえ部材がえ ついていてその車軸の上にですねえっと 土台が乗って 270角ぐらいの土台が乗ってその上に 10本のえ柱が えっと立っていますでその10本の柱の上 にまた針が乗ってでその針の上にまた柱が 乗ってでその柱をまこう抜きで繋いでいっ てるような本当に木造の建物と同じような え作りになってい ますで出し着という斜めの材がまこう左右 どちらにもこうえ5本ずつ入ってですねで 出山の扇木型の形状になります え進行方向がまとんがりと言ってえこの 図面の左側ですねあのこう出山の頂上が こうとんがってるこれをまとがりって言っ て進行方向を表しますで え右側の出子はまこう水平になっているの が分かると思うんですけどまこれがあの 出山の進行方向と反対側にある出汁って いうものになります でこれは僕の卒業設計だったんですけど このデカ山を7を固有の建築として町町に こう広げていってで祭りの祭りのこう非 日常性が日常へと解けてなくなってそれが やがて待ちとなるっていうようなことを 考えてまし た出山建築が様々な用途を持ってこう勇気 的に動いてせ町に接続してでこう ダイナミズムが生まれていくっていうよう なそういうものを想像してました多様な 要素がこう現れるまこう幻想都市のような ものなんですけど実際にまこう寺山って いう巨大なものが本当にリアルな町の中で 動いていることそしてそれを許容している ようなその7をの文化っていうところでは これは単なるこう幻想都市にとまらない 可能性もあるんじゃないかとそんな思いを 続けてそんな思いを持ち続けてでま活動を 続けてい ますこの卒業設計をまこうせっかくなら7 をの人たちに見てもらいたいと考えてえ 和倉温泉のま某旅館の会長にお願いした ところえ模模型のこう展示ケースまで作っ ていただいてでそれが道の駅の食草市場で 展示を行うことができまし たその展示をきっかけにえ旅館側から仕事 の依頼をえ受けることができましたえ 新しい別館を作りたいっていうことでこの ような破壊建てのボリュームに出山の出し が組み込まれたものをえ提案しまし たこのプロジェクトをあの気にえ会社を 作ることになりまし た1回から8回までワンフロアーに1つの 客室しかなくて立体的な離れのような計画 でし た特別な客室の例をえちょっと紹介したい と思います1階の客室の中央に出山がこう 入り込んでいますその出山の真下に露天 風呂があります出山の骨組に覆われたえお 風呂のある客室 です3回4階はえこのように方料理店に なってて3回はオープン席で4回は個室に なっ 出山の出しの中でえ和食を楽しめるような お店になって ます誤解の客室は出山の屋上店にこう 繋がっているこのように出山と接続される 多様な空間を楽しめるえ旅館っていうのを 考えまし た出山の旅館これ自体はちょっと実現は できなかったんですけれどもえ次に紹介 するえ重層長屋の家というのも卒業設計を 見た方からの依頼でしたえ独立後これが 初めての新築住宅の仕事となりまし たこのおせさんとの出会いは地元七尾で 卒業設計のえ模型展示をしている時でし た偶然千葉県から七尾へ仕事できていて すごく建築とかま建築家が好きな方でで僕 の卒業設計面白いって思ってくれたようで であの今度住宅建てる時は君にお願いする ねっていう風に言われてでま本当かなと 思っていたらその2年後本当に依頼して くれまし た敷地はえ千葉県松戸市のえ桜木の綺麗な 通り沿いです を住宅に取り込むような設計がえ求められ まし た え千葉県周辺の2世帯住宅の間取り図をえ 調査したもの です黄色いところは共用部で赤はえ親世帯 青は小世帯 ですえこのようにえ図を見て分かる通りえ 全てのマリの中でえ必ずこの黄色い共用部 が入っていることがわかり ますえ住宅は多くの人にとって人生最大の 買い物と言われると思います住宅を購入 するというのはえお金や土地に拘束され るっていう側面があって人生の天気には その不自由さを感じることもえあると思い ます最初に購入した住宅には石を住み 続けるという考えが当たり前としてされて きたこの住宅の司さんもまそういうまこう 当たり前を感じていてそれがすごく嫌でで それ をそういう住宅は立てたくないとそしてま こう土地や建物にまこう縛られることなく 生きていきたいっていう望みを持ってまし たそこで生まれたのが隊住宅を将来的には 賃貸としても使える計画とすることでし た親世帯は1回に個世帯は2階にと それぞれ独立した住居とし え電気も水道も完全に分離しています玄関 から別々で同線が交錯することもないよう にしてい ます中庭の様子です1階と2階で中庭を 取り囲むようなプランとして休日は中庭で 家族全員でバーベキューなどを楽しめる ように計画してい ますえ2階のえリビングですえ幅4m ぐらい長さ4mぐらいのま大きい出窓が 印象的なえ空間 ですえ住宅と賃貸がうまく機能すればは 将来同居世帯数が減った場合や子供が独立 した場合えまたはこう転職した場合などで も住宅に縛られることなく え こう対応することができるとまたさせたい えさせたい住宅やによく見られるこう えっと秋モあきちあの空部屋問題あの すごくこうえ2世帯を意識して作ったは いいけどえっとまこうそのあの親世たが 使わなくなったその開いたスペースとかっ ていうのがまかなり問題となるんだけどま そういったえっと空部屋問題っていうのも 解消することができるんじゃない かで残ったローンなんかは家賃で関西可能 というような仕組みですえスマイトの人生 設計についてまこう対話を重ねることから 生まれた新たな年型偽世帯住宅の形である と考えてい ます1年前に石川県七尾で春行した住宅の 紹介 です敷地は七尾市内で周囲には竹林や 田んぼが広がる自然豊かな場所 です2011年6月能半島に広がるのの 里山里海っていうのがえ 日本で初めて世界農業遺産の認定を受け まし た七尾市内においても中心市街地から少し 離れればこのような里山里海の風景が 広がり自然豊かな場所がたくさんあり ます えこの住宅では夫婦2人中学生1人え高校 生1人の合計え4人の家族高生です 建物の配置計画は東側に広がる棚田に向け てこう間口を大きく取るようにえ計画して い ます全面道路から約 1.5mほど高い位置に立っていてすごく こう目の前の田ビューがえ魅力的な場所 です土地は200つぐらいあってえ内側に は竹林が広がってその手前の住宅との間の スペースにおせさんの畑を楽しめる スペースを計画してい ます北側のリンチ側にはえ建物裏の駐車 スペースに続くスロープのシローをえ設け てい ます平面図 です建物中央にリビングとキッチンを配置 しています左右に廊下が伸びて個室や 水回りをえ建物の裏の西側に配置しえ各 個室は東側の棚田に向けて計画してい ますこの住宅を設計する上でもノの里山の 風景に調和するような建物とすることが 大切だと考えましたえ外壁は杉の板張とし え野木は東西とに外壁より1600の出と しましたたきは和島のの剤を採用してい ますリビング室内側から外を見た様子 です室内で荒しとなっている登り針もたき と同じように和島で取れるのと被を採用し ました昔からノの民家ではのがよく採用さ れていまし たとてもまこう動きやすい性質がありえ すくことが多いんですけれどそれものの 個性として受け入れてもらえるようなおせ さんの場合はのの木目や香りをえ香りは すごくいいものなのでえっと僕たちは採用 することが多い です完成から半年でノ半島地震が起きた ため8歳後すぐにこの住宅のを確かめに 行きましたけれどもあの全く問題はなくて え設計者としてはすごくほっとしまし たえ次は三方が山に囲まれ一方が海に 面する豊かなこう地域である大集落 です大村は海の集落とと山の集落に分かれ ていて村人は農林漁業で整形を立ててい ますこの石川県と富山県の県境に位置して いて長からなる集落で人口が約800人 6065歳以上の高齢者の割合が45%を 占めていてノの加地域の典型例と言える 地域 ですお自然豊かで美しい里山のの里山里の 背景にはまこうしたすごく難しい地域方も え潜んでい ます僕は七尾に住みながらこの プロジェクトが始まるまでえこの地域には 1度もえ訪れたことがありませんでし た えすごく綺麗な風景に目を奪れたのはこの あたり一面に広がる棚田とそれを取り囲む 三輪が一体となった風景ですそしてその奥 に奥の富山湾に浮かぶようにそびえるこの 立山連邦の景色が本当に美しかった です海山川という原風景の構成要素が同時 に重こう同時にこう重なり合ったような あのそういう唯一無の生活風景っていうの はこう間違いなく大村の強みだと感じまし たえ のそうですねこう日本で失われてしまった その生活風景っていうものがまだここには 多く残っていてすごくこう特別な可能性を 感じまし た大村としては宿泊施設を作るにあたって 様々な体験プログラムを組み込んでいき たい狙いを持ってい ます美しい川でのあとりであったり茸狩り でであったりえ巻き体験やまこうピザ釜 体験サイクリングロードの整備など です山の体験は山のこの体験プログラムは 現在進めることはできているんですけど この海の体験プログラムっていうのがまだ ちょっと追いついてないのが課題 です一等菓子の宿有心案の話にえ入りたい と思い ますこの え図の上のこの上の辺りにですねポツンと 一軒やのように赤で塗られたえっとこの 場所が有心案の場所 です有心案はえとある画家のえガロ兼 アトリエとして1990年に建てられた 建物です約10年間ぐらい空屋状態となっ ていまし たえ三輪の一部を切り開いて森戸した 小高い場所に立てられており建物の散歩は 3輪に囲まれえ正面には棚が広がりえ富山 湾と館山連邦がえっと見え ます最初僕は三輪は静かな場所っていう イメージを持っていたんですけど実際には なんか違っててこうたくさんのまこう虫と か鳥の鳴き声とかでこう木と木がこうすれ すれてこう触れ合う音であったりとかま こう雨の音であったりとか普段の生活の中 では聞こえてこないような自然の音がこう あの重なり合って聞こえてきまし た騒がしいけどとてもすごく落ち着く感覚 でし たこの感覚っていうのを え何か こう空間に落とし込みたいというか大の こう豊かな自然とこし合うようなえこう 安らぎのあるようなそういう場所にえっと したいと強く思いまし た建物は木造平屋建てでえ床床面積はえ約 20平あごめんなさい約70平米とえっと 大きすぎつ小さすぎない一等がしの宿とし て使うには本当にちょうどいいサイズでし たえプランは既存の骨格をえ可能な限り 生かしながら広々としたリビンを中心にえ お風呂やキッチンの水回りは出入り口に 対し反対側に配置しまし た2007年のノ半島地震でえ建物の前方 が進化し建物全体が前方に傾いていました 傾きがひくてそのまま使うことはでき なかったので建物え内部とえ外部共にえ桁 より下の土壁を全て落としてえ揚げ屋工事 をすることにしまし たこのように建物全体を地上1.5m ぐらいまで持ち上げて既存基礎を撤去して 地盤改良し新しくベタギを作りまし た新しいベタギの上に建物を着地させて 建物の状態を確認したところ井桁の交差 部分が傾いてわずかに隙間ができていた ですけれどまこう え桁よりも上部のえしくのところは損傷が なかったのでそのまま既存利用することが できまし た完成児の建物正面の外観 です元々天井は表しで迫力のある自在の 湯げがこの建物の魅力だったのでそのまま 生かすようにえ作りました玄関と今を隔て ていたマジ切り壁を撤去して広々とした ワンルームにえしましたのでえ小屋組の 広がりが前よりもより強調されたようなえ 感じがし ますアウトドアを楽しむ人たちが滞在する ことを考慮してえ大部分のフロアーは タイル張りとしてよりカジュアルに気軽に 使えるスペースとしまし たリビングフロアにはえレベル差をつけて 1つ1つ好きの空間にしながらもま色々な 居場所を作りレベルさによって床剤の樹脂 を変えながらいくつかのむ無垢の木の表情 が混ざり合うようにしまし た小上がりスペースは香りの良いえのを 採用しえ帳簿を楽しむたべの大きな窓の 手前はえ肌触りの良い杉の1枚板を継いで え作りまし たこの窓の前で座ったり寝転んだりできる ようにえこう出窓のようなスペースにし ましたえどの段差も20cmから40cm 程度として腰かけるにはちょうどよく滞在 中にえこうその滞在者がえ自分の お気に入りの場所を見つけることができる ように考えまし たえ現在この有心案がオーブンしてから約 4年約4年ぐらい経ちます えすごく好調で事業がうまくいきましたえ 稼働率や平均客室単価見てもえ北陸地方で 本当に人気のある一等菓の宿の1つになり まし た現在の半島地震で影響を受けていて えまこう稼動はできているんですけれどま ちょっとあの今は落ち着いているような 状況 ですえこれからもこの大村のえっとま村の 活性化を図るためにえ宿泊施設をま増やす ためにですね今他のえ活用できるアア なんかを調査しているような状況 ですえここからはノ半島地震について話し ていきたいと思います え野半島自身8歳からえ今までえっと僕が ですねあのやってきた活動の流れをご紹介 したいと思い ますえ1月1日元旦にえっと地震が発売し ましたで発災当初はですねえっと僕はま 友達と一緒にあの七尾市内にいましてで海 の近くにいましたえすごいえいきなりです ね震度5かな最初震度5の揺れが来まして でまあ今までにも震度5っていうのは何回 も経験したことがあったのでそこまで驚か なかったんですけれどえその数分後にです ね震度7のますごく大きな揺れが来ました それでま周りのビルなんかはすごくもう 揺れましてこれはもうたたごじゃないなと いう風に感じてですぐにえっと自分の えっと実家にですねあの車で5分ぐらいの 場所でしたのですぐ戻ってですねでえっと まうちのえっと家族を車に乗せてえすぐま こう大津波が来るっていうような状況でし たのでえっとすぐに山にえっと避難しよう とえ車で逃げました え体感的にはもう3分ぐらいでで家を出て もうすぐに山に向かったと思ってたんです けれどもう皆さん考えることは同じなので えもうすでに え渋滞が発生してましてま少しちょっと こうパニックなような状況になってまし たでえっと山のえっと上の方にですねあの まこう公園があるんですけれど皆さんそこ にえっと避難しようとま向かっていてもう そこに行きつくことはできなかった状況 です ねで途中の道に道端にこうみんなえっと車 を止めてですねで夜8時半ぐらいにまでま そこにずっととまるような状況 ででようやくこう津波警報が解除されあの ま帰っても大丈夫だろうという状況に 落ち着いたのでそこからまあの避難所に 向いましたでえっと2番1月1日から1月 3日までの2番をえっと避難所で生活し ましたえっと夜は避難所で生活して昼間は まこう家と事務所を行ったり来たりしてま こうぐちゃぐちゃになった建物の中を整理 するようなえ状況でし たでえっとまそれと同時ですねあの先ほど の自分が設計したえ物件のあの状況把握と いうことでまおせさんに電話したりであっ たりとかえっと現地を見に行ったりとか そういう風にしてえっとまこう幸いにも 自分の手掛けた設計した建物っていうのは えっと無事な建物ばかりでし たそういう3日間でし たで1月日からはですね えっとまこう え各銃古の重古やまこう店舗の再建であっ たり回収であったりえそういった相談も 乗りながらまこう自分が一本すぎ通り商店 街のに属していますからまその商店街でえ 被災してま古い建物なんかはすごくこう 損傷が大きかったのでえ商店街でこうご 商売を続けることができなくなったその 商店の方のですねクラウドファンディング を立ち上げたりとかそういうお手伝いをし ていましたあとはその七尾周辺のえブルー シートをかけたりとかまこう瓦礫の撤去 作業とかそういったことをしていましたで その時にですねえっと僕の先ほどご紹介し たえっと大学の恩師であるう先生があの すぐにええ1月4日にですねあの七尾の方 に駆けつけてくれてであのまブルーシート 掛けとかま瓦礫の撤去っていうのもあの もちろんあの大切なことなんだけどまあの そのなんて言うんですかね その地域でやっている建築事務所として えっとまこうあなたにしかできないような 貢献の仕方で町に貢献しなさいという話を していただいてそこからえっと僕の活動が えっと一気にまこう変わり ますで2月11日からはえっと一本関の 復興マルシェが始まりますでえこの復興 マルシェのえっと運営に積極的にえ関わっ てい ますでえ4月1日からはそのちび山これも 後からちょっとご紹介させていただきます 制作プロジェクトが始まりますそして4月 4日からはえっと復元と更新1本過ぎ通り 復元模型プロジェクトがえ始まり ますえ復興マシについて です2月11日に行われた1回目の一本席 復興マルシェの様子です発災後1ヶ月で ノトの中でえ先駆けて開催されたマシと いうこともあってたくさんの人たちで賑い ましたえこのマルシは一本すぎ通り進行会 が主催し自分の店舗で商売ができなくなっ た焦点が中心となって出展していますえ僕 たちはこの第1回目から本部テトを 受け持っています本部テトではえ全国から 寄付として送られてくる特産物を販売して い ますでこういうポスターやチラシは毎回 マルシェの目玉となるイベントが変わるの で毎月毎月新しいデザインに更新してい ますポスターやチラシの制作ではえっと僕 の母校である九州大学のえグラフィックや え編集をえ専門とする池田先生と竹中さん という方が協力してくれて ますでこの1回目のマルシェを終えてです ねこのマルシェ用の重機や椅子テーブルと かっていうそういうものがですね商店街 自前のものがないことがあの大きな課題 でしたこれからのマシェでえこの椅子を どうしようかって考えてた時にですね偶然 21世紀美術館の企画点をSNSでえ 見つけましたえそれがこのえ被災地の言葉 を形にというものでし た2月23日24日に金沢21世紀美術館 で開催されるこの企画に直接行って相談 するのがいいんじゃないかと思いまし た21日についてビルドのスタッフさんに えっと代表の え21日に直接行った時ですねでえっと ビルドのスタッフさんがいたのでま代表の 秋吉さんがあのいませんかねっていう風に 尋ねるとまちょうど30分で到着すると いうことだったのであのそのまま待って ましたそしたらま秋吉さんが来てで1本 過ぎマシェのことをま僕からお伝えして 重機づりのためにそのこうショップボット を使って支援を受けることはできないかと いう風に相談しまし たそうするとですねあの僕のこのあのアポ なしの特攻がうまくいって次回のその3月 30日31日に開催される被災地の言葉を 形にで具体的に一本すぎマシのための スツールをってくれることになりました えっと本当にビルドの秋吉さんえ21Bの キュレーターである元さんにはえっと感謝 ですこのワークショップではショップ ボットで切り出した座面にスチールのえ足 をビスとめしてえ組み立てるというもの でした僕が現地でワークショップを見に 行って驚いたのはこう座面の裏側にですね ノへの応援メッセージをえ皆さん書いてい てくれことですこれを見た時には本当にえ 感動しまし たマルシェの会場にこう併設するえ芝生に ですね高さの異なるスツールを置いてえ それを椅子にしたりローテーブルのように してえっと現在も使ってい ます次に作る重機はどうしようかという風 にえっと21世紀美術館の元さんとえ ビルドのさんと話し合っていましたでそこ でまこうデカ山をモチーフにえ屋台のよう な重機ちびデカ山っていうのを作るのは どうですかと話をしてみましたせっかくだ から本来の白祭の怪奇にも重なる5月5日 の開催日に合わせようっていう風に考えて タトなスケジュールを組みましたこの時点 で残り1ヶ月でし た今年は地震の影響ででかの運行が中止と なって報道でも大きく取り上げられました 道路がえ傷んだ状況では運行が難しく中止 となるのはま仕方ないなっていう風には 予想はしていたんですけれど本当にえ地元 にとって残念なニュースでし ただからこそ地域の希望となるようなでか を感じることができるちびでかもを作り たいと強く思いまし た第4回目の一本石復興のフライヤー です え1本過ぎ通りえ復興マシにてちびで会も 一緒に聞いてみませんかという内容ですえ これはビルドの秋え沼田さんえ富山大学の 茂山君がえフライヤーを制作してくれまし たで当日のワークショップも一緒にえっと 開催したいと考えてえちびでをみんなで あげようていうワークショップですねこの 出山に飾る山保と呼ばれる飾りをですね皆 みんな子供たちで一緒に作ろうっていう 企画ですそしてえ2番でみんなでちびでか 山を引こうこれはえ3歳ぐらいから小学生 ぐらいまでを対象としてえ子供たちが中心 となってこのちびでか山を引っ張ろうて いうようなえイベント です え1月もない中で設計や設計から施工企画 全てを行うというとんでもない スケジュールでした僕の図面をえビルド ビルドチームが3次元キャドで施工可能な ものにしていきますそしてえみささん構造 家のみささんが構造面から指導していき ますこの設計グループのスレッドがあった んですけどまそこはもう本当に時間がない 中みんな一生懸命やってたのでもう目を 一瞬でも話すと内容をえなくなるほど すごいスピードでし たほぼ3週間の設計でブラシュアップされ た結果構造まで出山を投資することができ ました最初は時間がないからMDFで パネルでこう形状だけでか山を作ろうと 話していたんですけどまこうそこはさすが 設計集団というかもうやり出すとパネルで はもう満足できなくて結局こう木組屋を 作ってですねあのこのモデリングのような 形になっていきまし た材料の切り出しは金沢美大の谷口さんの 協力のも行われることになりまし た仮組みの様子ですえ3月31日にちび山 の構造高層がですね生み出されてからノト まで搬送されたのが4月の26日です3 週間ちょっとで超スピード設計と切り出し をましたこれはビルドのショップボットだ からこそ実現できたんだと思い ます最も加工が難しいと思われた部材は 車輪の車輪の車軸となる辛抱です車軸の芯 でぐるぐる回る部分はえ円柱のようになっ てて土台の乗る箇所は四角の形状としなく てはいけませ ん7をの出山関係者たちはさすがに辛抱 まで実物通りには作れないだろうと言って いたんですけれどまさすがビルドチーム でし たきちんと実物と同じ理屈で車輪が動く ように辛抱を切り出してくれまし たまた出汁が動いた時揺れを吸収するため この図のようにフツを巻いて全体を閉めて いきますこうしてしなやかな構造ができて 動く建築が成立し ます左が実物の出山です 僕が小さい時はこのロープの部分がフつ でした今ではなかなか手に入らないのと 手間がかかることからこのようにロープで 代用しています右はちびでか山です同じ ようにロープを巻いて締め上げています これがあるのとないのでは全然全体の安定 感が違いまし た仕上げには小松マレさんから提供 いただいたえ膜をですねみんなで取り付き ました 当日のワークショップの様子です運行前に 山北に絵を描くワークショップのえ様子で あったりまこの右側はちび山と記念撮影を している様子 です当日のちびでか山運行直前の様子です これだけの人が集まるとは本当に想像して はいませんでしたちび山は本来のくでは ないんですけれどもこの時の観葉こ紅葉感 は間違いなくデカ山そのものでし た運行前にはキア州とテコ市による七尾 マダラを披露してもらいましたこれもあの ちゃんと企画の中であのこの出山保存会に 声をかけてでえっとま彼ら若州にお願いし て実際のえこのお祭りの衣装で実際の実際 通りにやってもらいまし た本物のデカ山の運行時にもこのように 同じように7をマダラを披露してデカ山が スタートし ます本物のデカ山の様子です え次はちび山の様子です 子供のためのイベントとして考えたもの ですけれども本当に大人たちの表情が印象 的でしたこれは出しを方向転換させようと しているところです綱本と呼ばれる若州が 本物の出山で行う方向転換前のえ綱の 仕込みをしているところですそれを隣で見 てあ本物と同じやと言ってみんな喜んで いるような状況です出山の形だけを申しし たパネル構造ではなく山に近い構造を取る ことでいつものこの伝統的な技が発揮さ れる機会が生まれ地域の方々を巻き込む ことができました様々な方々が笑顔になっ てくれたのがますごく印象的でした中には 泣いて喜んでくれる人も何人もいました 出山という祭りが本当にこの地域において 重要な祭りであるのあるっていうことが あの分かりまし た山が方向転換する時には自車を下ろして 全輪を浮かします方向転換までの一連の 処さをつ回しと言います赤の車線が地面だ としたら地面があ地車がですねえっと地面 に接していて青の車線の車輪は地面から 浮いています全輪を浮かす時はテコの原理 で出汁を持ち上げてえ地車の芯に棒を入れ ますこのような感じですねえ全輪が浮いて いてこの自車だけが地面に接してえっと 全輪が浮いているような状況 です実際の辻回しです ちびでかの辻回しです 運行中のちびでかまです 簡単に起きた半自身この僕たちが住む七押 でもえ強い揺れが観測され多くの建物が 倒壊しました道路はぐちゃぐちゃになって 代わり果てた街の姿に最初はこの現実を 受け止めきれませんでした山は今年は残念 ながら中止となりましたが現在までの長い 歴史の中で祭り存続の危機は幾ととなく ありそれを乗り越えてきました明治28年 38年に2度大下で街を消失し て消失したこともあります強風で点灯し たり文明開花で電話線が仮設されてえ出し が出しの軌道が塞がれても7をの人たちは え500年以上この巨大なデカ山を守りい てきましたこのちびでか山を運行すること ができて地域の希望を見ることができまし た大きなサプライズだったのが運行が終わ 岡田さんを胴上げするようと町の若州に 胴上げしてもらったことですこれは本当に 嬉しかった ですえ最後ですけどもえっと復元と更新1 本すぎ通りの記憶と新たな未来をつぐ模型 プロジェクトをご紹介し ますえ一本通りはこの先体橋のところから え約450mから500ぐらいのえっと 商店街 です え模型えこの復元模型プロジェクトの流れ です被災前の街を作って地域の人々に公開 しますここはこうだったねその昔はこう だったよねなんていうえ被災前の街の記憶 を呼び呼び起こしたいと思いますそして 記録したいと思って ます地域の歴史調査町の歴史をきちんと 踏まえて地域の復興計画に生かしたいと 思って ます被災土地被災土地建物の利活用の調査 空地空屋サチの増加は商店街にとって 大きな問題となります対策のためにまずは 情報整理を行いたいと思って ます未来の町を考える復元模型を更新する より具体的な復興計画を行うために役立て たいと考えてい ます1本す通りの建物を1つ1つ写真で 記録するとともに模型のテクスチャーに 利用できるように合成加工をしていきます このように水平垂直をきちんと取って壁や 不要なものを取りあ影や不要なものを 取り除いていき ますえ全全輪地図を元にして現地の間口と 高さの計測をしてえ確認していきます 展開図に調整した写真の大きさを合わせる とこんな感じの1本1本すぎ通りの立面が でき ます模型作りのためにファザード以外の 立面も作成しえ簡単な指示図にし ます復元模型の途中経過です写真データを 綺麗に加工できればリアルな復元模型が できますできるだけリアリティのある街並 模型を作り地域の方々にてもらいたいと 考えてい ますこのプロジェクトでは全国の建築を 学ぶ学生ボランティアの協力のも成り立っ ています1本すぎ通りの模型を1/で全て 作ると10mぐらいの大きさとなります僕 たちの小さな設計事務所だけではできない ため学生ボランティアを継続して募集して います宿泊場所はこちらで支給できますが え交通費などはご負担いただく形となり ます現在は東北から九州まで全国の大学生 が土日を中心に来てくれていますこれから 夏休みシーズンに入るため是非学生の学生 の皆さんの応募をお待ちしていますこれで レクチャーを終わりますありがとうござい ました田さんありがとうございます ディスカッションる前にパネリストの紹介 させてくださいえまず始めに宮城台の友 先生ですでその研究室の学生であるえっと 村上さんと山崎さんで弊社MDからは藤井 とえっと新島があパネリストとして参加し ております皆さんよろしくお願いいたし ますではパネえっとディスカッション よろしくお願いし ますとまず始めえっと本当にあの 素晴らしいレチありがとうございましたで あのもうのと自身があってわずかえ半年も 経たない間になんか様々な動きをすでにさ れているっていうことですごくこう そのバイタリティとその実効力というかま そういうところすごくあのすごく感動して おりましたでえっとなんかこうま最初にお 話しあったようになんか九州大学時代の あの卒業設計でもなんかあの人を驚かす ためにはあのそれを想像を超えるものを 作るべしみたいな教えが何かこうその当時 はえっと大きさっていう中で表現されてた のかもしれないですけどもなんかこうのの 災害の中ではそスピード感と再現性みたい なところまなんかこうそういったところで 実際になんかこううんとま物を返してです ね人に喜びと驚きみたいなことをあの しっかり届けたいっていうなんかそういう こう強い信念みたいなことをですねあの 感じさせていただきましたありがとう ございますでなんかこういずれもなんか こうやはりえそういった意味ではあの地域 のなんかそういう人とかそういった アイデンティティ文化みたいなことをあの すごく尊重しながらそれをどういう風に 新しくこうデザイン我々建築という人間が えそれを引き受けてえさらにそれを 引き受けながらま新しい価値をま想像して いけるのかっていうことをなんかすごく 全力にこう全力でなんか取り組ん でらっしゃるなという風に思ったんです けれどもなんかこう元々まそういう建築を 始める同機みたいなところなんかもそう いうこう七押しっていう原点があってそう いうこう地域的なアイデンティティみたい なことがえ出発戦になっていらっしゃるん ですとも何か勉強していく中でさらにそう いった思いが強くなっていったのかとか その辺りえっと改めてちょっと教えて いただけますと嬉しい ですはいえっとですねまちょっと僕自身が ですねそのどうしてもえ大学卒業した後に えっと就職したわけではないのでちょっと 大学の時の影響っていうのがものすごく 大きいですなのでえっと大学時代の時の話 になるんですけれどもえっとまこう大学 12年生の時にですねまその先ほどの優秀 な先輩方を見てですねあのますごく建築 面白そうだなとで僕自身もやっぱりその 先輩の作るものを見てですねあのまこう 自分も建築を心出したいと強く思ってでも その逆にですねあのま先輩方と同じじゃ だめだなとあの同じ方向に向いてら向くの は絶対ダメだなであのま彼らあのとはま あのお同じではダメですしでもあのすごく こう建築に対する姿勢っていうもの建築の ことをこう真剣にこう捉えてですねあの やるその姿勢っていうのはすごくこう影響 を受けましたで大学そうですね1年2年3 年ぐらいの時まではなんかこう 割とあまりなんて言うんでしょうあの今の 自分とはちょっと違ってたかなっていう風 には思いますあのこうまあまり地域性とか その地域でやっていくとかそういった ところの興味はそこまでありませんでした その中で自分が卒業設計最後のえ大学のえ 集体制として何をしようかと考えた時にえ このデカ山がありました そこでええそれそれをですねまテーマに するんだと強く思ってえ調査したりですと かまそこに向き合うことであの自分の考え が変わっていって今の自分があのできて いったかなっていう風には思ってますそ そうですね4年生の時がまきっかけで ちょっとガラっと変わったようなイメージ がありますなるほど なんかそのテーマをこう地元でするんだっ て最初になんとなく思ったきっかけみたい ですそうですね その1番自分が想像しやすいもの何だろう なっていうところですよねあの簡単にあの 建築って何のために作るのかっていうのは やっぱり考えましたそのただ単にこう何か こう作品として作るっていうことではなく て誰のための建築なのか何のための建築な のかっていうことを意識するようになえ なっていたその時にえ卒業設計で1番 じゃあそれが具体的に自分の中でイメージ できるものって何なんだろう敷地として 選ぶのはどこなんだろうって考えたら自然 と自分が生まれ生まれ育った況だったって いう感じですかねなるほどあのじゃまその 時にやっぱこうよりえっとまこういろんな こう刺激的な先輩方がいたっていうのも ありますあるんでしょうしまその中でこう 先輩たちを乗り越えるためにそういうこう より建築をかっていうものを考えた時に こう台のためかとかまあのそういうことを しっかり考えてまそその場所としてま最初 はえ地域この7押を選ばれたんだけどやっ ていく程でどんどんどんどんその文化とか まそういう域目指すみたいなことの魅力と かそういうことに気づかそうですね やっぱりこの出山っていう祭り自体がま すごくこうあのまクレイジーというか本当 になんでこんなのできたのかなっていう あの自分の中でのもうこれはやばいなって いうのがあったのでなんかそこがすごく こうま卒業設計の時にはそこをま掘って 掘って面白いものできるんじゃないかなっ ていうので始めたのがま活動のきっかけ みたいな感じですまデカは相当すごいです よね あのもうこの街並よりも大きいっていう こうこれすごいすよね本当にびっくりし まし たどうですあの藤井さんとか構造専門や からちょっとそわそわしたんじゃないです か確かにいやちょっとびっくりしましたね こんなのがあったんだ僕は知らなかったの でちょっと圧倒されましたねこの出山のさ にでこのデカ山はえっとなんかこう先写真 ではなんかこう膜張ってない状態の写真を お見せいただいたんですけども割ともう 全部ばらして毎年から作り直していくって いうなですかそれとも具体だけは基本残し ておいて保管したりするんですかあぜ全部 ばらしてますまえはいすごいす ね毎回ばらしてもう1回組んでみたいな 感じなんですねそうですね なんかこれ見ると年々装飾物増えてそうだ なって イメージどんどん豪華になってくるんです かうんこの装飾のものもまこう歌舞伎の1 場面をま模しているという風に言われてい てでこの乗せているこの人形とかもま人形 士っていう方がいらっしゃって毎年毎年 作り替えてるんですよねうんはいなので あのすごくなんかこう物作りがねいている ような文化があるじゃないかなていう風に 思ってますああ面白い ですそうなんかこうあの少し話をもう ちょっと展開させていただこうと思ったん ですけどなんかこういうこう7とかままた これからはこのノトをま結構フィールドに しながら活動されていくのかなっていう ことも想像するんですけどもえっとこう 先ほどよりなんかこう自分がこうアカル 手触り誰のためにするのかみたいなことの 中でえ顔の見える人と対を多分思い浮かべ ながらえーそういったローカルな アイデンティティとか文化みたいなことを ま建築をま学ぶ人間としてま色々こう思考 錯誤されてると思ったんですけどえっと 一方でなんかこう症状所作としてえっと 松戸だったじゃないですかでそれがこう 偶然こう見られてその中であのこうどう いった住宅の形を作ろうかみたいな考えた 時はおそらくこれまでのえそういうこう 考え方とはえ違った建築の作り方とか思考 の仕方をされたんじゃないかなと思ったん ですけどもなんかこうそれ前のなんか蓄積 してきたものがなんかこう例えばまそのに 行た時にこう応用できた部分とかもう1回 考え直した部分とか新しく得た知識みたい ななんかそういうところもなんかこうあれ ばなんかちょっと教えていただきたいなと いう 風そうですねその松戸のえっと住宅に関し てはあの僕がもう本当に経験がなさすぎる 状況で受けた仕事なのでなんかこうまち 蓄積っていう部分においてもあの大学生の 時の蓄しかなかったので本当に大変でした ねなのでまたもし今あの同じような状況に なった時にまたおっしゃる通りその今まで の蓄積とは違う何かがそこでこうあって あのなんかまたあの状況はまた違う状況が あったのかなとか想像しな今したんです けれど あのそうです ねそ うんまでも うんなんかその当時はどうだったかな あの確か にちょっと違いますよねこっちで仕事する のとは うん うんなんかあのお話中ではなんかこう 新しいそのそもそも住宅システムみたいな ことをああはいそういうこうちょっと確か にえっとそういうこう住宅供給システム みたいなところから作り直すみたいな結構 大きいそういうこう視野の中でなんかこう デザイン提案されていてはいいうのが結構 あの強く見えてうんうんえっとそういう こうなんか それ以外だと結構その周辺の環境とか みたいなのが結構強いイメージがあるん ですけどもそういった意味ではなんかこう 大きいシステムみたいなことに対する提案 と割とこ土着的な部分に対する周辺環境 なんかを組み込んだ提案みたいなことが なんかこ多分かなんかこう2つ並んでるの かなっていうのはちょっと想像したんです けどうんなんかこうそういう意味では なんかあっちでやった挑戦みたいなことが こっちにまたフィードバックされてくるの かとなんかそういうこう大きいいなんか こうシステムに対するやっぱ今でもなんか こう提案みたいなことを考えてらっしゃる のかなっていうちょっと思いましてああ なるほど そうですねあのまあのまそういうのも好き です ねなんかそうですねまこうなのでその なんかここっちのまこう地域地域ま地域 あの好きなんでやるんですけどまそれ ばっかりっていうよりかはあのまそういう 全違うようなものもまその方向性に合わせ てあのそこを徹底的にやるっていうのは あのこれからもなんかやりたいなっていう 風に思って ますなんかでもきっとこれから多分次の喉 の復興していくって政治の中では多分地域 性だけじゃなくて多分こう新しい多分こう 乗り越えていくシステムみたいなものも 多分出てくるんですよねきっとねああそう だと思いますねうんなんでなんかこう すごくあのこれから多分も多分いろんな 多分こう取り組みをされると思うんです けどすごくなんかあなんかこう楽しみと いうかまあのすごくこう興味あるをなんか こう興味を持ちましたね私はありがとう ござい ますま我々もあの東日本の時復元模型を 作ってずっと地域の場所の記憶みたいな ことをずっとやっていてやっぱりその街が 持っているまポテンシャルとかなんかそう いう文化みたいなこと思いとかなんかそう いうのはすごく重要だなと思ったしでも それを一方でそれをどういう風に受け止め てあの形にしていくのかっていうのはあの すごく難しいなと思ったんですよねでそれ は多分何が正解とかは多分ないとは思うん ですけどもおそらくいろんな多分 バリエーションが多分出てきて多分こう 岡田さんが今回そのすごいこう一本すぎ っていう場所をしかもさらにより改造度の 高い模型としてなんか皆さんで共有できて なんかこういうでまえ喜びを分かっちゃう とかあとはなんかこういうミニちび屋 みたいなこととかなんかそういうこう みんなをこう気持ちをまとめつつ引き受け ながらなんかでもこう商店街商店外として なんかあ商店街なんですかね1本過ぎ通り はい商店街です商店街自体がこうどういう 風な姿を描いていくのかみたいななんか こうそういうこう大きいビジョンにどう 繋がっていくのかっていうのはすごくあの 興味が興味持ちましたしあの我々勉強させ てもらいたいな はいありがとうござい ます今日パネリストのえっと中にですね あと初初参加になるんですが東先生の えっと研究室の学生さん2人いらっしゃる んですがお2人からは何かおさんに向けて 質問とかってありますかなんか事前に聞い たとこによるとノとノのなんか研究内容 やられてるなんかノと関わりがあるみたい なされたと思うんですけどせっかくの機会 なんで是非どうでしょうかはいえっと東口 県4年の山崎官のすですえっと質問なん ですけどえっとちょっとすいませんえっと のとので関わってることとはまた関係の ないことになってしまうんですが えっと事務所を作った時に2階をホテルに したっていうのは結構印象に残ってると いうか驚いてえっと7は宿泊施設が少な いってことをおっしゃってたんです けどっていう背景があるあるってことをお 聞きしたんですけどただそれでも事務所の 上にホテルを作るっていうのはあまりない プログラムだなという風に思って驚いてで 重層長屋のところでもえっと2世帯住宅で 1回2回両方からアクセスできるようにし てえ息子世代がえ家を出たらそこを賃貸と して貸出すっていうことをちゃってて えっと建物の一部をえ貸し出したり えっと建物の一部で一部でえっとサービス を提供しながらえっと建物を維持してい くっていう考えはなんか共通しているのか なていう風になんとなく感じていてその辺 はなんか重ねながら考えていた部分とかは あったりしました かそうですねえっとまずその自分の事務所 にあのま小さいホテルを併設するっていう ところなんですけどえっとまおそらくです ねその自分があのま事務所の移転先を探し てたところでこの一本石商店街に入ったん ですよねでこの一本石商店街に入ったって いうのが結構大きい要素かなと思ってて あのやっぱりその事務所だけでやるとどう してもこうあのなんて言うんでしょうま せっかくこう周りの環境焦点がいっぱい ある状況の中でなんかこう閉じたような 状況になっちゃうのでそこをなんかこう 周りの焦点せっかくの焦点あの歴史のある お店もたくさんあるのでそういったところ と連携してえっとやっていくっていうこと がま面白いんじゃないかとそういう風に 思ってえっとまあの宿泊を入れながら飲食 はやってないんですようちうんであの飲食 はやらずに周りと一緒に協力しやるで えっとそれにプラスえ体験ですねあのま今 はちょっとできてないんですけどあの和 ロソのお店だったりとかあのこう器のお店 だったりとかそういったところがたくさん あるんであのそこでまこう沈金体験を セットにしたりとかそういう風にしてあの なんかこうあのその宿泊自体に宿泊って いうかそのなんかこう一緒にやっていく ようなそういう風にしてあのこの場所を あの運営していくっていうのが面白いん じゃないかなと思ってあの宿泊を入れまし たうんでえっと宿泊を入れたっていう ところとえまその2世帯住宅の話はあの そうですね 割となんて言うんですかねあのまこう関連 性を持って あの一貫性を持って関連性を思ってこう 自分がやろうと思ったわけではなくてただ 単純にまあのちょっとま似たような部分が あったっていうようなあのそういう感じ ですかねはいうんございますありがとう ございますあもう1個質問でえっと2階に ホテルがあって1回に事務所があ るっていうことでなんか起き たこととか起きたことというかなんかそれ で良かったなって思うこととかってあり ましたかそうですね うん宿泊をやってよかったことはあります ね えっと うーん建築とはやっぱちょっと面白さは 違いますよね建築はその例えばおせさんま お客さんとま長い長いスパンでこう一緒に 付き合っていくようなお仕事だと思うん ですねあの設計が始まってからその工事が 終わって引き渡すまでの間ってまあ1年 から2年とか住宅だったらそれぐらいは 多分かかると思うんですよ早くてもでそ なんあのなんだですけどその宿泊っていう のはもう単発的でこう明日明日来て明後日 帰るみたいなそういうのの連続でたくさん の人がこう来るわけですよね関係する人が すごくあの早いこうサイクルで回っていく ような感じなのでそこが全く違うっていう のがまず大きな違いでま面白いなとあとは まお金の流れもあの全然違いますよね建築 と宿泊ははい建築と宿泊はその人の サイクルが違うんでお金のサイクルも違う てなった時にあのおあのま僕が感じるのは 建築って大変な仕事だなっていうのは感じ ますありがとうございますます村上さんの 質問もあればちょっとしていただきたい ところなんですけどもうそろそろ時間もう 時間過ぎてきちゃったので最後に友先生の まとめのお言葉いただこうかなと思います 友先生お願いし ますはいえっと本当に今日はあ貴重なお話 ありがとうございましたえっとま大田さん ちゃがこうすごいこうえっとsdlの中で もえっとこデカ山っていうのはすごく話題 になってらっしゃると思いますしまそう いった方がはどういう風にえっと今え地元 でえ活躍されているのかっていうことと 同時にまあのちょうど今ノト自身っていう のもあったっていうのもあってまそういっ たノトの復興っていうのがこうからどう 進んでいくのかっていうことも合わせて ですねあの非常にこうあの私は非常にあの 我々ちょっとあの勉強勉強させていただい たなっていう風に思っておりますでえっと まそういた意味ではなんか こうま私もなんかこう以前からFACEと かでこのプロジェクトのチラシとかをよく 拝見させていただいていてあこういう方が あの現地色々されてるんだとかいうのは すごく思ったんですねで何かこう本当に なんか協力できることとかがあれば是非 協力させていただきたいなっていう風に 思いますし例えばなんかこのチラシをま うちの学内に貼るみたいなことなんかも できればいいなっていうことも思ったりし ましたなんかこう多分これから色々えされ ていくと思うんですけども あのこうした縁をですねあの今後もととも まあの是非あの繋いで繋がしていただいて ですねなんかこう色々これから一緒に なんかこうよりよりなんかこう未来向かっ てえっとなんだ こうあの走っていければなっていう風に 思いましたあのま本当にあの今日は ありがとうございました今後ともどうぞ よろしくお願いしますありがとうござい ますよろしくお願いしますありがとう ございますではこれにて第13回建築 レクチャーシリーズを終了とさせて いただきますえ岡田小太郎建築デザイン 事務所の岡田翔太郎さんそして皆様本日は ご参加いただきありがとうございまし たはいこれでちょっと三島さん YouTubeの方は えっと終了として くださいではえっと終了いたします ありがとうございました

建築家レクチャーシリーズは、株式会社AMDlabと宮城大学の友渕貴之助教や有志の学生たちと共同で進めている建築家DBというプロジェクトの取り組みの一つです。第13回目となる今回のレクチャーには、
岡田翔太郎建築デザイン事務所の岡田翔太郎さんをお招きし、影響を受けた建築家や作品などに触れ、思想を深掘りしていきます。

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