2024年6月16日 聖霊降臨節第5主日

[音楽] [拍手] [拍手] [音楽] [拍手] T [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] [音楽] [音楽] [拍手] [音楽] [拍手] [拍手] [音楽] [拍手] [音楽] [音楽] 89 [音楽] 9 [音楽] 善地を主に向かって喜びの叫びをあげよう 完成をあげ喜び歌い褒め歌えことに合わせ て褒め 歌えことに合わせ学の根に合わせてラッパ を吹き角笛を響かせて王なる主の見前に 喜びの叫びを あげよう3日下4番世にある限りのご無理 でない方ご切立ください [音楽] 世にある 神の 葉を持 て 恵の 勝利を漂えて めて の神を きよ 君 をつ たる我らを き たおれ をり罪 を 世界 よせ主エス のみの よ き のやりて主 を自のて我 ら時の の 誠の 御言葉 りし は死に たる 心いかし [音楽] たり 栄えは 見神に 今も のち も せよ教 を歌いて [音楽] いえ引き続き読支編を読し ます読市辺84編1節から13 節3日の後ろにございます 読市辺84 編万軍の主あなたの今ところはどれほど 愛されていることでしょう主の庭をしって 私の魂は頼りそうです命の神に向かって私 の身も心も叫びますあなたの最大に鳥は 住処を作りつばは巣をかけて避を置いてい 万軍の主私の王私の神よいかに幸いなこと でしょうあなたの家に住むことができる ならましてあなたあを賛美することが できるならいかに幸いなことでしょう あなたによって勇気を出し心に広い道を見 ている人嘆の谷を通る時もそこを泉とする でしょう雨もくでってくでしょう彼らは いよいよ力を増して進み万で神 に万軍の神主よ私の祈りを聞いてください ヤコブの神を耳を傾けてください神を 私たちが盾とする人をご覧になりあなたが 油れた人をてくださいあの過ごす1日は日 にる恵です主にうもの天幕で える私の神の家の角口に立っているのを 選びます主は太陽立て神は に完全な道を歩く人に主は与え良いもをは なさのあに頼む人はいかに幸いなこと でしょう省25番父子精霊 [音楽] にえれ 初めにり て今 [音楽] もり遠にます主を [音楽] えお座りください 聖書の御言葉をお読みし ます三科書4章1節から8節旧約聖書 1452ページです三科書4章1節から8 節 終わりの日の 約束終わりの日に主の神殿の山は山々の頭 として固く立ちどの峰よりも高く そびえる諸々の民は大雅のようにそこに 向かい多くの国々が来て 言う主の山に登りヤコブの神の家に行こう 主は私たちに道を示される私たちはその道 を歩もう と主の教えはシオンから御言葉は エルサレムから 出る主は多くの民の争いを さきはるか遠くまでも強い国々をいましめ られる彼らは剣を打ち直して好きとし槍を 打ち直して鍵と する国は国に向かって剣をあげずもはや 戦うことを学ば ないもう1箇所ヨハネヨハネによる福音書 4章1 節から25節新約聖書168ページです ヨハネによる福音書4章1節から26 節さてイエスがヨハネよりも多くの出しを 作りバプテスマを授けておられるという ことがファリサイ派の人々耳に入った イエスはそれを知るとバプテスマを授けて いたのはイエスご自身ではなく弟子たちで あるユダヤさり再びガリレアへ行かれ たしかしサマリアは通らでばならなかった それでヤコブがその子ヨセフに与えた土地 の近くにあるヤコブがそのあ浅いた土地の 近くにあるシカルというサマリアの町に来 られた そこにはヤコブの井戸があったイエスは旅 につかれてそのまま井戸のそばに座って おられ た正午頃のことです あるサマリアの女が水を組みに来たイエス は水を飲ませてくださいと言われた弟子 たちは食べ物を買うために町に行ってい たするとサマリアの女はユダヤ人のあなた がサマリアの女の私にどうして水を飲ませ てほしいと頼むのですかと言っ たユダヤ人は サマリア人とは交際していなかいないから で あるイエスは答えて言われ たもしあなたが神の賜物を知っておりまた 水を飲ませてくださいと言ったのが誰で あるかていたならばあなたの方からその人 に頼みその人はあなたに生きた水を与えた ことで あろう女は言っ た主よあなた は組むものをお持ちでないし井戸は深いの ですどこからその生きた水を手におれに なるのですかあなたは私たちの父ヤコブ よりも偉いのですか ヤコブがこの井戸を私たちに与え彼自身も その子供や家畜もこの井戸から水を飲んだ の ですイエスは答えて言われ たこの水を飲むものは誰でもまた 乾くしかし私が与える水を飲むものは 決して乾かない私が与える水はその人の うちで泉となり 永遠の命に至る水が 湧き出る女は言っ た主を乾くことがないようにまたここに組 に来なくてもいいようにその水を くださいイエスがいってあなたの夫をここ に呼んできなさいと言われると女は答えて 私にはいませ んと言ったイエスは言われた夫はいません とはまさにその通りだあなたには5人の夫 がいたが今連れ添っているのは夫では ないあなたはありのままを言ったわけ だ女は言っ た主よあなたは予言者だと思い消します私 どもの先祖はこの山で礼拝しましたが あなた方は礼拝すべき場所はエルサレムに あると言ってい ますイエスは言われ た夫人よ私を信じ なさいあなたがこの山でもエルサレムでも ないところで父を礼拝する時が 来るあなた方は知らないものを礼拝して いるが私たちは知っているものを礼拝して いる 救いはユダヤ人から来るから だしかしマとの礼拝をする者たちが霊と 心理を持って父を礼拝する時が来る今が その時で あるなぜなら父はこのように礼拝するもの を求めておられるから だ神は霊で あるだから神を礼拝するは霊と心理を持っ て礼拝しなければなら ない女が言った私はキリストと呼ばれる メシアが来れることは知ってい ますその方が来られる時私たち は一切のことを知らせてください ますイエスは言われたそれはあなたと話を しているこの私である 共 に共に心を合わせ祈りを捧げましょう恵み とあめに道たも失なる神 様6月のこの第3の死の日の朝が与えられ あなたの未定に導かれこの礼拝が捧げられ ますことを心から感謝いたします今私たち の心せあなたに向けさせあなたの豊かな 恵みと慈しみを思わせて くださいライブの配信で結ばれておられる 方々また願いつつも共に集うことの叶わ ない方々もおられますがあなたの未に養わ れる1つの羊の群れとしての思いを今共に 持たせてくさいそして主の皆を崇め賛美を 捧げさせてください特に体に弱さを覚えて おられる方々の健康を守り日々の生活を 支えて ください週の初めの朝巫女の蘇りを記念し ますこの時どうか私たち心 を またあなたに従い行く思いをにして聖書の 御言葉に心を向けせてくださいそして あなたの招きに従って住みゆくものとなら せてください人隣人に使えていくみを あなたに捧げその豊かさを受けることが できますようにする主のには教会の創立 記念愛として守ることができましたあなた の見てによって導かれて参りました教会の 歴史を感謝いたしますどうかこれからも主 の選挙の身業に私たち力を合わせ励ませて ください教会学校幼稚園の歩みの上に あなたの豊かな恵みがこれからも変わらず ありますようにまた世界の中でまだ希望と 平和の見えない状況の日々を過ごしている 人の命を守りエの救いの喜びが今この世 生きる人のどか慰めとなり日々の支えと なりますようにこの祈り主イエスキリスト の皆を通して見舞にお捧げいたします あーんとに主の祈りを祈りましょう天にち ます我らの父願は皆を崇めさせた御国を 来らせた御心の天になるごとく地にもなさ せたまの日曜の糧を今日も与えた我らに罪 を犯すもの我らが許すごとく我らの罪をも 許した我らを試みに合わせ悪より救い出し た国と力と栄えとは限りなく何時のもの なればなりあめん スとは 動 [音楽] のき私はそれたの [音楽] きひし [音楽] 雨には 現われ 船なえ が り も すとは命のいに私はこ に かむ 見の さ れ ふをけい たい いつ のも はこの世の 光私の 心を 照らす [音楽] 喜びの [音楽] 光をび て やいていた くの日 も すとはへの 道私はその道を 歩 つの見 [音楽] 信じ いつの [音楽] 日え本年は ヨハネえ福音書ま4年のサイクルでこの 福音書も回ってきますが え高断然の時までこのヨハ福音書の箇所が 与えられておりますで他の3つの福音書と 比べまして独特の表現ま単語や言い回しが えヨネ福音書には見られますでまたヨネ福 書に取り上げられてる物語でもま比較的 長くえまとまっているようにそう思えてえ まりますで本日まこの4章のイエスと サマリアの女という小出しがついている 内容でありますけれどま4章の前半という かえ大半と言ってもいいかと思いますがま この物語となっておりますでイエス様の 奇跡の物語ではなくえ3章にあるニコモの 物語と同じくまイエス様とこのサマリアの 女性の会話がえ物語をま綴っていると言い ますえサマリアというま今日出てきてる 地名でありますがま聖書ではよく出て まいりますえルカの良きサマリアの例えも まよく知られておりますけれどま馴染みの あるこのの地名え1つの特定の場所を指す というよりもむしろガリラヤ地方と似て いるようなま地域を指すまそういう名称に なると言いますでユダヤのエルサレムから 見てこのサマリアはまガリラヤ地方よりも ま近くにまあるのですがえユダヤの とはま疎遠になっておりましたでそれは 今日の聖書の中でもサマリアの女性がどう してユダヤ人のあなたがこの私に水を飲ま せてほしいとえそのうに頼むのですかとま あえて聞いているようにま交際もしないま 口もおそらく聞かないまそんな関わりで あったようにとりますでそこにはあの理由 がま 背景となる理由がまあるとえ旧約時代に 遡ってまいりますがえ北イスラエル王国の 宮子がこのサマリアに変りましたで南ユダ 王国と北イスラエル王国ま北イスラエルの 方が先にまアッシリアに滅ぼされてしまい ますがえそこに住んでいたあサマリア住ん でいた人たちの一部はま保守としてま移さ れていくとそしてまその代わりにえその サマリアの地に外国の国からの人を強制的 にま移りしまわせたというま歴史的な経緯 がありますで地理的には近くあってもその ような歴史的な事情がありますので民的に まユダヤの純粋な人たちからするとむしろ 多民族ま混在したようなそういう地域と なったとでそういうサマリアの人たちとは ま このどこかあの遠くまガリレアの方がまだ 近い自分たちとは近いとそのようにま 受け取られていたと言いますでもちろんみ 南のユダ王国もえバビロンによって滅ぼさ れま 保守の民とされました北と同じ状況であり ますけれどしかしそのバビロンの保守から またエルサレムに戻りこの神殿再建もこの なしながら えさらにまそういう神殿の再建もすること によってより民族主義的なあのそういう 傾向がま強くなってきたのがこの エルサレムとサマリアの違いでありますで そういうエルサレム のは新役のまローマ時代のその支配下に あってもま変わらずえファリサイ派の人々 などからするとむしろこの他民族との つながりを立つことが自分たちのこの民族 信仰をそれが守れることだと感じまその ように教えられてきたのでしょうまそう いう歴史 のま年月を得て見えない熱い壁がまあるま それがこのサマリアの地であると言います でイエス様はそこにえよられこのシカルの 井部でえ水を組みに来た1人の女性と 出会い語り合いますえ水を飲ませてほしい とえサマリアの女性にとっては突然の その言葉に戸惑いもあったでしょうがこの 女性とイエス様との会話が始まります そしてまた水についてのま不思議な界隈と 続いていきますますイエス様が言われる私 が与える水を飲むものは決して乾くことが ないと永遠の命に至る水についてイエス様 は語り始めますで彼女はイエス様の言葉の 意味がよくわからないままえそれを聞いて いきますえ霧に包まれているというかま謎 に包まれてえいるままま分からないままま それを聞いていきますでもちろん彼女はえ 日課のように井戸に水を組みに来てる女性 でありますので井戸についてはもう熟地し ているはずですその水の組み方そして井戸 が深いということもそしてまたヤコブの 井戸の言い伝えももし知っていると聞いて え知っているとでもイエス様の言葉は 分からない とでこの前その3章のところに出てきまし たニコモというこのヨハネ福に出て くるいうえ その物語が山頂にありますが彼も教師で あり立法もおそらくよく普通の1人も知っ ているまその彼でありますがイエス様に 何かを感じえ夜イエス様の元にやってきて ま話をしたいと話を聞きたいとやってくる わけでありますがイエス様が語る新しい命 について彼は理解ができずにおりました やはりどこか霧に包まれたようなま謎に 包まれてえ分からないままであるえこのよ 的 な母がこう産むあの出産というその枠の中 でしか理解できないえまそのニコモであり ますでこのサマリアの女性もどこかこの ニコモと似ております彼女もこの様の永遠 の命のその水についてよくわからない えーま分からないままですが自分の経験ま 限られた範囲のその枠の中でしかま理解 することができますでこれがヨハネ福音書 で言われる地に属するものの理解とも言い ます上からのまシエスの言葉がえその 理解できないとで理解できないこのニコモ とサマリアの女性のこと私たちもなんと なくよく分かる気がしますあのそのように 考えてその枠の中でえ理解しようとすれば その扉は開かれないとまそのことがなどが 実感を持ってわかりますでよくヨハ福井書 ま違いは他の教官福音書まいくつかあり ますがその1つにヨ福音書にはキリスト論 があるとまそのようにも言われたりもし ますでキリスト論と言ってもそれが聖書に 出てくる言葉ではありませんのでえどこか 学問的な難しいあの言い方のようにも感じ られるかもしれませんがイエス様が神の子 として救い主としてのま証キリストとま その言われるまその証がヨハネにま他より も強くはっきりとあるということがよく 言われますこのヨハネの福音書の中でそれ が語られてると言われますが確かにあの ヨハネ福書に出てきてます世の光なるまえ 神の子でありえ そして永遠の命やイエス様が言われる道で あり心理である ま命であるというこの御言葉もまキリスト をま証証言しててしているように思います で今日の4章のこのサマリアの女性との やり取りもこのヨハネ福音書の特徴や キリスト論がここにまたっぷりとま溢れて いるように思えてきますえ乾くこともない 永遠の命に至る水についての解き明かし そして最後にそのメシアという言葉と そしてそれはあなたと話しているこの私だ とまイエス様がそう告げられてるまこれら にそのヨハネ福音書の持ってるあの福音 キリスト論というものが感じられますで エルサレムでもサマリアでもなくま十字架 にかかり蘇られたエスを救い主として崇め 賛美するこの教会の礼拝の姿がこの箇所を 通して今もこの世界中で礼拝が守られてる ことを他にし誠の礼もって主の選挙の身業 が告げられてるその時が来ることをこの 箇所からま今も私たちはそれをま礼拝に 預かるものとしてまそう感じてえきます で今日の物語え最初にもう施のこの言葉 がま理解できないというこの姿はその前に 出てきたニコモとも似ているとま申し上げ ましたけれどニコモとの違いはまニコモは その時あのどうも分からないままでえ物語 が一応終わりまあの え終わっておりますけどま彼女について 言えばあこの最初にま分からないそういう 姿もありますけれどその後は彼女のま死別 した夫のことをシェスがそれを告げてま シスが全てをご存知だというまそのことを 手引きにしたがらそして最後にはシエが メシアということでそれはあなたと話し てるこの私だまそれがまはっきりと彼女に 告げられた時にま救いの身光の中で主が 彼女と共にあるということをま私たちも 感じているまそこがニコモとのま違いが ここにはこうあるように思いますまた ヨハネの福音書でま他との箇所と見ていき ます時にえ物語自身は全く 異なるのでありますが9章に生まれつき目 の不自由な人を癒すイエス様の物語があり ますこれももう長いあの 物語であると言いますえ癒されたその彼に 対してファリサイ派の人々がま事情をま 取り調べていくとま取り調べて彼を尋問し ていく中でえ最後はファリアの人々が怒り 彼に対してお前は罪の中に生まれたのにと いうそのような言葉を彼に投げかけ自分 たちを教えようとするのかとま追い出して おりますで彼はその後に再び主エスに会い ますけれど最初会った時は目がが見え なかったので今その主エスだと彼は分から ないとそしてイエス様との言葉のやり取り で人の子を信じるかと聞かれて彼は主その 方はどんな人ですかその方を信じたいの ですかと言い主イエスはあなたはもうその 人を見ているあなたと話しているのがその 人だと この私だとま人のことメシアこのサマリア の女性と言葉は違いますがサマリアの女性 に言われたその最後の言葉と似ているとえ 言葉はこの全く同じではないのですが いや私たちもこの取り方でありますが同じ ではないことはなくもうくこれは同じだと いう風にも感じ取れてきますイエス様が それはこの私だとキリストそして救い主で あるということを告げていますえサマリア というそのユダヤの人々から見てもう交際 もしないと言われたその地の女性に対して またそして目の不自由ファリサイの人々は 人々はからはお前は罪の中に生まれたのに とま言われるその人に対して主エスがそう この私だとその救いを告げているそれが このヨハネ福書にこだましているように 感じ取れてきますえ私たちもエスがま 差し出してくださるその救いの見てに しばしばこの地にあるもの地に属する人と してこの自分の体自分の命の中でしかま シスから告げられてる言葉を捉えきれない そういう姿があるとまそれがま人の思いで あり この地上で生きてる体を元にして歩んで いるものの思いでありますが設のこの永遠 の命の水というまその救いは私たちの罪を その身に背負いそしてその十字架のしより 蘇られたシエスの愛が尽きることも乾く こともない永遠の命の泉であることを 私たちにそれを知らせてくれているとそれ を私たちは何よりの喜びとしてま歩んで いきたいと願うものでありますが告げられ たそれはこの私だというこの救いの御言葉 が今もこの私たちの身にそれが迫っている ことに目を覚まされつつしみを賛美し主の 見に従ってえ歩んでいきたいと願いますお 祈りを捧げ ましょうしなる神 様あなたの恵みによって罪許され招かれ てる私たちでありますどうかこの世の旅で ひたすらあなたに従い歩むその喜びの中に 生きていくことができますようにこの祈り 主イエスキリストの皆を通して見舞にお 捧げいたしますあめん 賛美か404番天清水ご切立ください [音楽] A 水 流れき て あまねくよ ぞ うせる 長くきし [音楽] が 魂 も 命 に 帰り 蹴り つまし 飲むままに きを知ら ぬ みとり ぬ きぬ 恵 を 心の う に みと り て 脇 ある つ [音楽] もし 受けし て 罪に 枯れたる さ の 栄えの 花 を いかで 咲 べき [音楽] そげ の ましを あお座り ください感謝と献身の印として献金を捧げ します [音楽] [笑い] [音楽] T [音楽] [笑い] [音楽] [笑い] [音楽] あOG [音楽] ご亀裂ください [音楽] [音楽] 一言いつも私たちのうちにありたも父なる 神 様今日6月の誠実私たちに健康を 与え未に 集いあなたの葉をする時を与えられました ことを感謝いたし ます今日も広瀬牧主 よりあなたのあなたから生きた水を いただく 力強いメッセージをいただきました私ども これを家 にこれからの1週間あなたの見をしたいむ ことができますようさらに力を与えて ください私たちの世の中を帰り見ます とちょうど今日の聖書の箇所にありますと 同じところも含めて大変な状況の中にあり まさに生きるための水を求めて会いでいる 人たちがたくさんられることを見聞き いたし ますどうぞこのような方々の上 に一時でも 早くあなた の力を持っ てどうぞ少しでも平安な時が早くもたらさ れることを 祈りそしてそこであなたから生きた水を 与えられる喜び を知るようにならせて ください私たちの教会幸いにこうし て みんな平和の中に置いていただいています しかしながらここに集えない多くの兄弟 姉妹がいらっしゃることをしております どうぞ今日この礼拝もインターネットを 通じて守っていただける方がおられること を存じますけれどもその方及びそれも叶わ ない方たちのためにもどうぞあなたの恩 恵みをさらに祈るものでござい ますただいま捧げました捧げ物どうぞ あなたの御用のためにお持ちください 一言の感謝と願い尊き主イエスキリストの 皆を通して見前にお捧げします メン省28番三坂レア [音楽] され やとこと せ に 初めも今 も とに 変わら ず 神に あン あン主イエスキリストの恵神の愛精霊の 交わりがあなたが指導と共にありますよう にメン amen AEN [音楽] amenamen [音楽]

説教  「永遠の命に至る水」
聖書  ミカ書 4:1~8
    ヨハネによる福音書 4:1~26
讃美歌 4, 25, 404, 28

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