#218 川柳の原点〜呉凌軒可有〜

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なんですねすごいなはい天明8年5月29 日というのはえ大体ねあの73歳ぐらいで 死んだろうということなんですけれどう2 体5両って保に出てでしょはいその後ね もう出てこないんですよ一度もえだから 初代ご両件とうん2大五両権まであったと いうだから2大五両権って1人誰か名乗っ たんだけれどその後もうね2度と名乗る ことがなくなっちゃったんですうん うんうんうんもしかして五両権っていう風 に書いてる人がいるからこれなのかなはい それからえ語るという人がいるんだけれど これがご両なのかなという風に想像はされ てるんですけれど分からないまんまなって おりますへえで太陽歴で言うと7月の2日 ぐらいに当たるそうですねですから暑い時 に亡くなったんはいだから雲晴れてまの空 やセミの声5月には泣かないけど今で言っ て7月ならばセ泣いてるねそうか実生の ちょっとかっこいいですねねえこのって 準備してていいのかしらいやそん時にね こう浮かぶんですってええ本当ですかそれ で今年は273会期ということになります のでねさてまずこの人さっき73ぐらいで 死んだんだろうて言ったけど想像しかでき ないんですね死んだ日しか分からないです 生まれた日はもう分からない本名も分から ないですからねえそれぐらい教えてから 旅立ってくれればいいのに調べるの大変 うんそれでねその柳な20編という本の中 にうたという人がねちょっとご両のこと 書いてるんですはい赤石30年も昔より 開きごとに城名古屋を外さずおか何しを 至る大きなあり連中怒ってごを言えばご 両肩ご両と詫びて笑うというあの一分が あるんですねはいえなかなかこれ分かり にくいのでねちょっと説明すると30年も 昔って言うとこれ天明5年に書かれたもん ですからま30年正確に言うと法力5年 なるんですねこれ千柳が力する2年前って ことですね攻撃1年が正大線の力ですから ということは千柳票の前にもうマイク付け のマク合わせに活躍してた人だってことな んですね古い人ですで沖なっていうと今 こっちはもうまだこんな顔してるけど当時 は40できなんですよねああそっか初老 っていうのが40ですからねはいえだから 少なくともこの時期に40歳以上だっ たろうということなんですけれどま色々と 想像してまあ天明8年には73ぐらいだっ たのかなという風にこう類推したってかね 水論を起こしたわけですで5はま5のこと もここに書いてあるんですけれど上名古屋 を外さず実はですねこれなんですこれ マンカスの景品 1番はもめ一たはい名古屋の名物 は名古屋の名物は きしめキメもそうだけどもめん もめん麺だけしか合って ない麺が合ってたからすごい ねで結局 そのいい綿をそのとかっていうわけです けれどそれ一端をあの一等にはくれるわけ ですようんそれを外さないいつでもうん それをねこうえ当ててるでその名をおか名 してるってんですねつまりもめっていうの を自分で名乗ってるっていうわけですはい ご両県海遊のえ千柳の名前はもめんと言い ますそれでお前ないつもなんで取ってっ ちゃうんだよ俺にも少し回せよいやご両ご 両謝るってわけですようんだから五良拳 っていうのも名前だけれどもめっていうの も名前なんですよね面白いねえどういう ことなんだろう千柳の号はもめもめ本を 書く時の名前がご両というわけでござい ますへでも2つともこのマイク付けマク 合わせに関わるあのあの5だっていうこと ですよね魔女名古屋ごめ五良五良はねこの 五良アルベというそれにこ引っかけてこれ ダジャレですからねでこれごめんごめんの 代わりにご両ご両ってうんご両ってなが ごめんなさいってことなんねまあ訳をま さしてくださいなってのがあそういうこと かそれを名前にしたんそうなるほどあ 面白いでしょはいさあこれもまた達銀家 だったっていうことが分かるでしょつまり 1番一等を外さなかったってわけですよね はいだから面というかご両っていうのもう 達銀家だったっていうことを名乗ってるの と一緒なんですよねあそんなの怖くてでき ないだからよっぽど自信がなかったらでき ないよねですよそういう人だったんですよ で一体さ商売は何してたん だろう武士だったんだろうか町人だったん だろうかわかんないんですよねえその もらった綿売ってたん じゃそっかあのマイク付けで稼いでねそれ を売ってそいいかもしれないねあ分から ないんだでね僕らの大先輩の前田じろって いう人は5両とかねま五良拳だかね五良 でしょそれからもめっていう名前からして これね太物屋つまり端物屋じゃないかって んですよねこれ弱老説ま商人だってんです ね端物でもそうですよねあのキの端物を細 物って言いますもんねだから面のたうん それからね常人ではないんだっていうん ですねそれで本を何冊か書いてるんだけど そのうちの1冊にあの江戸オラって言って ね江戸のいろんなお祭りのことを書いた本 があるんですそこに天人様のねサレだとか なんかを詳しく書いてるのねだから神主 じゃないかってんですよあこれ僕の先生の 15世千柳のあの推測証拠はないんですだ けどまそういったね本を書いてるね内容 からしてそうじゃないかうちの親父はね とっても江戸痛であるはいそれから見識が すごい文字がうまいうんこういったことを 考えるとその辺にいるあの庶民ではなくて きっちりやっぱし武士だろうと勉強もして きたっていううんま留役じゃないかって いうんですねつまり忙しい武士だったら ダメなんですよ水役だったらそんなことも できるだろこれ3流星でもどれも証拠ない ですですからこれを研究するのが千柳学の 1つの楽しみになっておますえでも普通に 生きている人だったら幼馴染みも世間に いるだろうしっにが絶対に帰りでどこに 帰ってくかも見られてるだろうしすごい 不思議ですねうん住んでるところは分かる んですけどねま名前だけ全部並べると五良 拳あべまたは五良かゆねそれから最近者 エコこれ本を書く時に書いてですねはい それからもめこれあの千竜を出す時のえ 千竜の名前ですね主に書かれてたのは流 関係のご本だっそうですだからモメとご両 件っていうのを使ってますはいで1冊だけ 最近者遠行っていう本がありますこんな風 にね書いてる本があるんですねはい柳だ その変3は門人御良憲もめの手になったて いう風に千柳の文芸性湯原大三という大学 の先生がま国分ですかという本に論文とし て書いてるんですねそっか千柳さんの弟子 だったんだ うんこれも学者さんですけれど江戸千柳 時点浜田一郎先生っていうのはまこんな風 に書いてあんだけれど初代千柳が指示した にそういないつまり柳だをねこう書いた あの作らしたのは初代戦が作れって言って 作ったらしたってんですねうんどうもそう じゃない感じなんですよね えむしろ初代千竜をバックアップしてえに するまそのマンク合わせの展者にねこう 進めたのがご両じゃないかうんだから マンクアスのことをよく知っていてそのま 知識だとか自分のあの弟子がいるでしょ それをセリさんところでみんな遠くさせる からあんたをやってみなさいよっって言っ てやらせたんじゃないかうんその方がね 理屈に合うんですよでもしかしたら千より も先輩という感じもするんですよね年も うん見越しになれにいでやだからこの門人 説っていうのはどうもねこう残されてる 資料とかなんかからこう類推すると違うん じゃねえかなっていう気がしてますこれも まだわからないそうだから学者さんの言う ことをうのみにするんじゃなくてこうなん かね新しい研究をしてくというまだまだね 千柳学にも新しいことがありますので皆 さん一緒にやりましょうやですねミや とっても面白いですなんで花屋9次郎と 関係ができたかってことですねあの配布 柳樽を花屋で作らせてますね簡単ですすぐ 近に住んでたご近所だったかなご近所さん だったアクセスで選んだんですそれから 花屋九郎にの手本も出してますのでねただ それは柳樽の方が先ですからま先に縁が できてねこう作ったんですけれどえこんな 本出してんですね繁栄往来っていうんです かはい江戸繁栄往来という本なんです けれどもでほらご両長って書いてあん でしょはいここにエコの委って書いてあん でしょはいエコってさっき出てきたでしょ 最近者エコつまりそれもペンネーム五両拳 もペン ネームこう言ったこれはあの江戸のお祭り を書いた本なんですけれどそん時にはそう いう名前で書いてますうんうんちょっと 難しいけどこれ前提で覚えといてください ねはいでエコさんともめさんていうのが 同じ人かどうかってことなんですよつまり ごとが同じ人かどうかっていうのを調べる ために筆石鑑定ですはいああそっか時室だ からかこうやって並べてみるんですねこれ 室を向に掘ってますからねうんで同じ字を こう探すんですねああ川あらあら10月あ ああていう風にもうみんな一緒まず間違い ないはいこれみんなおいりって言います おえ流つまり当時の武士たちが日常の 書き物をする時に 使う字の書き方なんですあそうなんですか これソエ流とか追流とかって言うんだけど それの達しな人なんですよじゃあ武士じゃ ないですかだから武士じゃないかっていう のがうちの親父の1つのね推測になって ますはいで住んでたところはどこかって 言うとこれ柳だに書いてあるんですけどえ 戦火の麓ねせ戦火の麓って書いてあでしょ 浅草と下屋の境に住んでますよって言って んです はあ面白ねはいで他のを探していくと今の が戦火の麓でしょはいこれは戦火の境って 書いてあんねはいあということはともかく 下屋と浅草のちょうど中間にいるんだって わけですうんうんうんうんで地図出します よこれえ浅草の方こっち上野の方上野の山 にほらシバの池があるでしょうはいで硬 千林がここに住んでますはいでごあ花や キジがここに住んでますそうね上野と浅草 に住んでるんですねで真ん中にに線を引き ますけどこの辺が大体上野と浅草の境なん です へえさて説を色々と見てき ます下屋と浅草のさえで前田泰郎先生は 西町じゃないかって言んですね うーんなぜかって言うとこれし川って言い ますはいこの大川にこの篠の池からずっと 流れているねこれし川って言うんだけれど エコ川に円があるまたはそばにいるエコ っていう名前を名乗ってるでしょだから川 に川だからこの西町ありにいたんじゃない かってのがジャクロ先生の説えでもこの方 だってどこに住んでたかご存知だったろう からちょっとメモしいてくれたいいのに そうなんですよもう記録しない困ったねね それから三流のですね僕の親父は下谷 小島町かその隣の県庁じゃないかっていう んですねはいなぜかて言うとこの辺にシミ 線ぼりというのがあってここに大きなねお 屋敷があるんですよはいはいそのお屋敷の ルス役じゃないかってのがうちの親父の説 あはで脇屋先生はそんなことねえよ江 どっこなんだから絶対にその稲荷町あたり だよってわですあこれもねまたね面白い説 で稲荷町あたりの稲さんの神主さんだって ああそっかそっかうんうんふんふんふま それぞれ説があるんですけど でもう1つ反抗をこう探していくと下屋 もめっていうのがありますはいだから戦火 の境だけど下屋側に住んでたってことが これで分かるわけですそっかすごいでしょ こうやってね突き詰めていくとだの変化 ってのが大体分かってくるわけですよねえ でま円光さんっていうからこの川に沿った とほら円光って書いてるでしょこので水車 っていうのは水取りのま飼ってるあの家の ことですよねだからやっぱし水もこの中に 関係があるだろううん見せ惚あたりが1番 水取りがいたぞっていうのがうちの親父の うんよね本当かどうかわかんないけれどで もそういう風に流水していくとまあ大体 この辺にこう集中してくるなっていうのが 明かるいよねえ本当に後方もなく分から なくなることってあるんですね生きてても だけど千柳さんと本屋さんを結びつけた人 なんですよちょうど真ん中ありに住んでる と面白いですよねはい今割と近いところで 歴史は動いていくんです で今の地図に当てはめるとこんな感じです 千竜さんえ次郎さん五両さんはいそして 千柳に縁のある京一さんがこの夜中に住ん でるということでねもう全部大東区がその 千流文化の中心になってる すごい大東って一体何者なんだって感じが みたでこの人はその文芸性を確立させた人 なんだけれど古雪の白木を見せぬ日本橋と いうのは本来は賑やかなこと賑やかなこと というねそのマイクと響き合わせて楽しん でたでしょそのくだけを御両海遊は独立さ せてそれで柳だっていう本に乗せたわけ ですよねだから今僕たちは千柳っていうの は575の独立文芸という風に思ってる わけですでもそれ以前はこれえちゃんと 響かせて死んでたってわけですよね うんうんこれを考えたのが五良権海遊で 重質音独立文芸のうん出発点を作った人だ から初代千柳がやらせたんじゃないんです よこっちの人の方が見識がもう全然違うん ですよねへということをねこれ考えなきゃ いけないと思うんですま文芸の素という ことですね初代千柳は文の素です千柳と いう文化の素はいそか文芸の素としては この五良海洋だというになるわです高校の 死自分に親はなしこれも江戸時代のね有名 なで言技になってますよね初代千柳先生が 線をしたそうですねそういう時代のはいで もこれはこれだけで十分でしょはいマイク いるいらないですもう意味これだけで ピタっと分かりますよね分かりますでも実 は浮きをなり蹴り浮きをなり蹴りま押さ なくてもいいよねうんだからこれはいら ないご旅はそうやってその一独立性をこう 隠さしたっていうことですねまいろんな ことをこうやってます独立タンクって 575だけでねこう干渉するということな ですけど柳なの中にねその方法論がみんな 書かれてるんですほほ論そういうのは ちゃんと残してくれたんですねそういう ことでね1区にて悔いの分かりやすきを 上げて575だけで意味がこうパッとこう 分かりやすいはいマクは第2食ったせず1 章の金作をもっぱらうんつまりマイクとか なんか第2ね関わらずに11章の面白さで 行こうというわけですよねで配布という 言葉に関してはま今のね徘徊のその余剰を 結ぶというかねやっぱし当時はやっぱし 配下というものが江戸にこうねあってえ それのね余情を結ぶものなんだとだから 全然別個のもんじゃていうわけじゃないん だよとそれから配下に一式具体ま575と いうようなことですよねいはいえからえ この道の中立ちともなりこれが一番俺ピン とくるんだけれど初代千柳とマイク付けを 結びつけたはいまたは初代千柳とその周り の作家たちを結びつけただった中薬という ことはプロデューサーじゃないそうですよ ね千柳さんの門人じゃないよねむしろ千柳 さんを盛り立ててこうやってるという感じ がしますでしょうはいそしてあの2代目の の花屋次郎という人が実は御両家が死んだ 後に昔ね五両家の自由はこんなこと言って たっていうわけですよ何て言ったかて言う と今のマイクは一章に問答をありてうん ともかく今はそのマイクとツクの問答じゃ なくて1区の中に問答があるから独立して 干渉できるんだっていうことを言って るってんですよねはいあよく記しておいて くれましたねよく例えばさ母親はも大ない が騙しよい気をつけにけり気をつけにけり だけど気をつけに行けりって言わなくても 母親はどういうものもったいないけど騙し よい存在だうん一生の中に何はどうだって いう問答があるでしょそうすると一区が 独立するっていうことを言ってるんですよ はいはいすごいこれ文芸の理念なんですよ ねうんそれ理念をこの人は確立してるん ですだから初代千竜は文芸の祖ま文化の そうと言った方がいいのかな五良権海遊は 文芸の理念を作った人という風にね僕らは 分けてどっちも大事にしてるということな んですねでうちの親父はそれがねいつも 大事あってましたけどねはいでこれあの マカでしょはいこんなもんだとどっかで なくしちゃうよねあそうですね1枚のペラ ですからねはいはいそれをご両件はこう いう柳だるという本にしたということな わけですよねなるほどふでま最初のねこの えところへ出てくるけど1くにてクの 分かりやすきをあげてって もう初編からそれを言ってるっていうのが すごいなと思いますはいはいで最後にね ちょっと理念をて言った時にたださ1区 独立させればいいって言っただけじゃなく て1区独立させるためにはどうしたらいい かっていうことを実践してるんですうん うんうんこれ区会で抜けた入線区はい 猿田彦角を生やしてタバコにしてはい 猿田彦の飲みって知ってでしょあの神話の 中のこすごい天軍のようなごわっとした人 ですよねま天軍さんみたいな人ですよね はい猿田彦の命をさあの行列でさお面 かぶって役を演じて演じていた人がさあ 少し休もうかお面をパッと上に上げて かぶったままだよああそういうことか角を 生やしてタバコにで火をつけたってわけ ですよなるほど ねだけどタバコにしというとこれなんて 言いますかね連用止めっていうかそういう 形で次に繋がっちゃう感じがするんじゃ ないですかはい御料件は本にする時には サルタ角を生やして吸い付けるという 言い切りの形にしてるんですよねなるほど その方が1個独立するだからその徘徊のそ まね繋げてくということよりも1独立で 干渉するということをこうね考えたカナと かケリーとか言ったらそうですよねなんか 因が出てきちゃいますでまここにまとめ といたけれどマイクの省略それからまあね 笑いの内容的分類ってのは今日ほではやら なかったけれどはい笑いを分類してね いろんな笑いがあるっていうことをその 取り出せるんですよ柳から結構研究家 っぽいことをたんですね面白うんそうです そうそれからがね言の訂正今やってるよう なねはいそれから一生にモド母親は もったいないがのこの歯の効果っていうの をこれすごくね意識してるしうんそれから 1枚ずりからこの察しにしたというね はいあの小目釣りっていうのはさクを出し た人にしかくれないわけよああなるほどだ からもう内輪の遊びだけれど書籍として 販売できるってことですよねそたらさクー だつくない人もあ面白いこと言ったらなっ ていうわけですよね言ったことをこれやっ たのが五良うんだから親父はもう五良の こと大好きで尊敬してて一生に問一生に 問答てねもう公演のたびにこの一生に問答 を使ってましたよねはいでこの3人初代 千柳文化を始めた人ねそれからえ文芸の 理念を作った人そしてそれを流行らせる ために本を作って一生懸命この プロデュースしてくれたえ花屋次郎この3 人を とか千柳の人とかていう風にいますうん これは是非ね皆さん大事にしてやって くださいで住んでたところがまえね浅草の 千柳さん今ここに記念費が立ってますよ はいですぐ近くの竜宝寺というお寺にはえ この区がありさらにお赤があるということ ですよねこれも尋ねてみていただければと 思いますけれど上野には花次郎の運動と いうがあったそこにはこれが立ってますよ はいで今日はそんな話を最初にしました 可愛いよねいもう赤ちゃんがさ可愛いです もうお父さん触らせて喜んでるねえまこれ はね五両拳かゆと花屋を検証するという ことなんですけどもはいさあ僕一生懸命 想像して書きましたこんな顔してたのか 先生の絵です ねこれがも晴れて誠の空やセミの声という 自性の区をえ入れてみたわけなんです けれど肖像がも分からないんですよどんな 顔してたえどういうことだから先に書い ちゃったらそれがもう後の顔なるかなと 思ってね勝手に書きました はいまあ流祖とま元祖というのは初代千流 それの流れのねえ文芸の流れを作ったのが 五両海王さんであるということであります 今日はあとプロデューサーですね式感と いうかプデュはいそういうなんですねもう ともかくねそのおかげで僕ら今千流を 楽しめて本ですねYouTubeも皆さん にお届けすることができてるのもねごさん のおかげだと風に思っておりますごごご両 ごありがとうございありがとうございます はいあ今日はじゃあご両かゆさんはいの 存在をそうなんですよ明らかにする手前 ぐらいまでは明らかにできましたね ちょうどほら5月がねグル園会が亡くなっ た月ですからまそんなつもりでね今日はお 話しさせていただきましたはいはいいかが でしたでしょうかなんかこうやってこう ストーリーを紐解いてみるのもまた今こう このご七号を楽しめるのははいそうですよ ねこのおかげだったんだってしみじみと 思いましたうん他にもあの歴史上の人物と か千柳に携わる方のお話え加工動画にあり ますのでよかったら見てみてください そして面白かったなと思われた方是非高 評価ボタン押していただけると励めになり ますよろしくお願いしますではまた別の 動画でお目文字いたしましょうありがとう ござい [音楽] ますY [音楽]

今回のRyuTubeは、川柳発祥の人物と言っても過言ではない!
「呉凌軒可有(ごりょうけんかゆうorごりょうけんあるべし)」について掘り下げ!

川柳豆知識として、とても重要な人物ですよ!
是非ご覧下さいませ!

#えど #川柳 #江戸時代 #文藝 #呉凌軒可有

3 Comments

  1. 何度も何度も聞いて だんだんに理解できそうです。「ご勘弁と言いつつ木綿引っさらい」・・・そんなふうになりたいものです。

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