礼拝「人を生かすもの」亀田克彦 師 2024年5月26日 米沢興譲教会

聖書をお読みいたし ますヨハネによる福音書第6章63節 です交互訳新役聖書の147ページ [音楽] です今日はこの聖書の箇所から人を生かす ものと題して亀田彦先生に説教をして いただき ますでは聖書をお読みいたし ます聖書科書ヨハネによる福音書第6章 63 節人を生かすものは霊であって肉は何の役 にも立た ない私があなたに話した言葉は霊であり また命で あるおはようござい ます初めにお祈りをさせていただき ます愛する天の父なる神様イエス様精霊様 新しいこの朝また誠実えこの時にまた 私たちをこのとこに集めてくださりあなた を見上げあなたを賛美し祈りを捧げ御言葉 を通してあなたの御言葉あなたの言葉に心 を傾けることができることを心から感謝 いたしますどうぞ私たちの全てを通して あなたを前 に拝を あなたを恵みを一ぱいに受けることが できるように主をどうぞ導いてください 全てを主においにしてイエス様のお名前に よってお祈りいたします アーメンえイエス様が言われたですね聖書 の言葉でありますあ私があなた方に話した 言葉は霊でありまた命で ある私たちも日々の生活の中でえ多くの命 あるま言葉によって励まされたりそして力 を受けたりえそうやって え1週間また日々の生活を過ごしたりし てるのじゃないかなという風にえ思います 今週1週間皆様はどのような言葉を いただきそして力を得てえ歩んでこられた でありましょうかえ私も職場でで え仕事をしておりましてやはりですね えもう自分がいやこれはできないな行き たくないなこの状況はもうダメだなでも やらないといけないなどうしようかまあ そういうことがですねあったりいたします えそういうことがありましたいや私では ちょっとこれはだめだその風に思ってそれ でも行かなければならないそういう風に 思ってですね一歩足を踏み出したところえ そばにいたま1人だけ同じ教会員のですね 方があ白場では先輩の方でいらっしゃい ますけどもおその方が行かなくていいよ私 が行くからと言ってくれましたそれだけで も大変ほっとしたわけですけれもその後に えその方が一言えおっしゃってくれました 別にチャレンジしなくていいよと一言言っ てくれたんですいやこのことは私にとって 非常に衝撃的でありまして今までなんか こう発想になかった言葉そんな風にですね え衝撃を持っておきましたあチャレンジ別 にしなくていいのかと思ってですねとても も心が あ解放されて許された思いになりあ チャレンジしない人生いやなんとなくだ そんな風にですね思いが変えられまし たまその時はチャレンジはしませんでした けれどもでもその言葉を携えてえしばらく ですね数日歩んでいるとどうなっていくか と言います と おのずとこう許された恵みの力によって まあでもできるところからちょっとでも チャレンジしようかそんな思いが内側から こう湧き上がってくるものが分かりました ああこれが本当に神様の愛によって許され た恵みによって生かされるそんなあ歩みな んだなということを実感いたしまし た私たちが本当に 聖書の言葉イエス様の言葉イエス様の なされたことによって許された経験をする ならば私たちは本当にえそこからあるまま の等身台の自分のところからあ喜んでえ チャレンジをしていくそしてしていきたい そんな思いがこう溢れてくるんだなま そんなことをですね思わされたえ私が先週 体験した貴重な忘れられない命の言葉の1 つであり ます私たちも日々の生活の中でえ言葉と いうのは本当に重要ですその言葉によって 私たちは生かされてえ歩んでいるえそんな ことをですね思うことができ ます今日読んでいただいた聖書の言葉これ もですねイエス様が命を持って語られたえ 言葉であり ますこの言葉の背景をですねもう一度確認 していきますとえこの6章ではあ最初どう いうことが起きたかと言いますとえ有名な 奇跡が起こされたその出来事が書いてあり ますえたくさんの群衆に えパンと魚がですね 正しくえ満ち溢れたそのようなえ5つの パンとに日の魚から あ5000人の人々にえ食料を分け与える ことができるようになったそういうですね えパンがこうものすごい神の奇跡を持って え溢れていったまそういう奇跡が行われた えそのことが書かれてありますえそのよう なこともあってですねそれを通してイエス 様がお絶さんたちにえさらに深いことを 教えられました私こそが天から下ってきた パンなんだ私を信じるならば ああなた方は生きるのだまそういうことを ですねおっしゃいまし たするとそれを聞いていたユ大人たちが あ少しこう なんだその言葉は思ったんです ねあなたが天から下ってきたパンだとま そういう風にですねおかしいと思ったって いうんですそれさらにイエス様は言いまし た私が天から下ってきたパンである私の肉 を食べ私の血を飲むものは生かされる そんなことをでね言ったんですそうしたら ですねとうとうその言葉にえ多くの今まで ついてきたたくさんのお弟子さんたちも またユダヤ人たちもとうとうですねその 不思議なおかしな言葉にお前の体を食べ血 を飲むなんといかがわしいまそういうこと でつまづいてま去っていってしまったま そういう出来事がここに書かれているわけ ですそこでそういう状況を見たそして知っ たイエス様があ弟子たちに語られた言葉 それが今日読んでえいいた言葉であります 人を生かすものは霊であって肉は何の役に も立たない私があなた方に話した言葉は霊 でありまた命であるという言葉をイエス様 が放ちまし た人を生かすものは霊であって イエス様が人を生かすこの生かす何を 生かすのかイエス様はですね え指していたのかま私たちが生きるといえ ば普通ですねこの地上の人生え健康まそう いうことでですねえ生きていくまそういう ことをですね考えますまイエス様が言われ たイカとは何かというとえ今日の聖書の 最後のところの最後とこにえまた命である と書いてますけどここにえヒントがあり ますま聖書では命という時にえま言語は ギシ語と言われてますけどまギリシ号を見 ていますと2つの言葉がですね使われて おりますえ1つはプシケという言葉と造影 っというねイションが使われております苦 系というのはあ大体ほとんどまこの地上の 人生とか生涯とかまそういうところに使わ れている命という意味であり造影というの はあそれこそ永遠の命です天国ですえその ことを指していますさあ今日の命はどちら でしょうかということなんですけどもま ここまで言うと大体分かると思いがこれは 造という永遠の命という意味の命を使われ ているんです ねですから人を生かすものは霊であると 言ったイエス様の人を生かすというこの 生かすというのは永遠の命が生きるために はこの霊が必要なんだという風に言って いるということですイエス様はいつもいつ もどこに目を向けてええ歩んでおられた おられるかと言いますとこの永遠の命が 生きるということにいつもフォーカスをし ながら生きていらっしゃる方です私たちは いつもいつも地上のことばっかり私のこと ですけども見て生きてしまっております けどイエス様はいつも天永遠の命この命に ついてこの命が生き生きと生きていくその ための言葉をイエス様は私たちに与えて くださっているということであり ます人を生かすものは霊で ある永遠の命に私たちが生きていくその ために必要なものはこの霊で ある霊とは何かと言いますと私があなたが に話した言葉は霊でありと書いてますから イエス様が語られた言葉が霊だという風に ですねえここでえ知ることができ ますイエス様が語られた言葉が霊で あるこのイエス様の言葉を受けれる時 私たちは永遠の命によって生かされること ができるんだということをイエス様があ 言われたということ です肉は何の役にも立た ないということは一見なんか厳しいような ですね感じがしますけどもですから肉は何 の役にも立たないというの はこの永遠の命が生かされていくそのこと に対してえこの肉というものはそこにに 対しては役に立たないんだそれ自体でと いうことなんです ねま肉というのはイエス様の言葉言うなら ばこの霊によってイエス様の語いた言葉に よって私たちがAの命に生きることをま 補佐するようなまそういうものだという ことですこの肉自体には永遠のを生かす ためには何の力もないんだよということを イエス様がおっしゃられているということ です霊と はイエス様の言葉で あり肉と は何の役にも立たないこの肉とは何かと いうこと は この人を生かつはずであるイエス様の言葉 を聞いてつまづいて離れていったその人々 のことをですね調べればヒントがあると いうこと ですどのようにしてこの人々がイエス様の 命のあるはずの言葉につまづいていったの かえ少しですね聖書を見てえいきますとお ヨハネによる福音書の6章えこのの開いた ところのまず41節というところを読んで みたいと思い ますユダヤ人らはイエスがわは天から下っ てきたファンであると言われたのでイエス についてつぶやき始め たそして言ったこれはヨシフの子イエスで はないか私たちはその父母を知っているで はないか私は天から食らってきたとどうし て今言うのかそういう風にユ大人らがあ 呟いたということ ですこれはヨシフの子イエスではないか 私たちはその父母を知っているではない かそうです ね地上だけのことを見ているならば自分で 考える考え方判断捉え方だけで見るならば 確かに今不思議なことを言っているこの イエスという人はヨセフの子供であるそう ですマリアとヨセフの間から生まれた普通 の子供であるそしてその父母を私たちは 知っている何の変わらない大工の仕事をし ているそのような両親の元から生まれて いる普通の子供ではないかそれがただが 成長してえ大人になっているえ何も他の人 と変わらないじゃないかその人がなんで天 から下ってきたパンなんてえおかしなこと を言うのかまそういう風に感じて呟いてき 始めたということ ですこのユダヤ人らの言葉はま普通に 考えれば常識的な普通の判断であるけれど そこの枠から超えるまそういうことがま なかったということであり ます自分の判断と 考えそこを超えたところをま受け入れる ことができないまそのようなえことをです ねえ1つ見ることができ ますえさらに え目1つ見ていきますと60節もいきたい と思い ます弟子たちのうちの多くのものはこれを 聞いていったこれはひい言葉だ誰がそんな ことを聞いておられよう かまそのように言ってですね えー弟たちの多くのものもまつまづいてえ 行ったわけですそして等々イエス様の元を 去っていったわけであり ますまこのつまづいた理由というの は自分が考える判断や自分の考えそれと 大幅に違っていてそしてそれとこいた ところを受け入れることができなかったの でえそれはおかしいと言ってえ相手が おかしいそうやってですねえつまづいて そして去っていったということであり ますま神様の奇跡6章の最初では行われた わけでありますけどもまそういう方が事柄 がすっかりと頭から離れてしまってそして 小さい自分の考え判断枠の中から あ超えることができないまそんな状況の中 にいたんだなということを見ることが できるわけ ですまこの姿を見ながら人のことではない 自分でも本当にえ同じようなものだなと いうことをま実感するところであり ますここにですねこれはオリーブライフと いうですねこれはブリッジスポフィースと いう調教派の働きをしてイスラエルと日本 の駆け出しをしながら今をですねま戦火の 中にありますけども本当に命をかけながら え様々な霊的また物質的助けをしているま そのようなえ働きをしてるですねえところ から え送られてきているまこれは書物であり ますけれども毎月送ってくださっています えその中にですね1番最後を見るとえもし ですねこれを見る時があったらですねえ 最初の方ちょっとこう難しか難しいという ね言葉が多いので1番最後にユダヤ ジョークって書いてるんですねまずここ だけを読むとかするとですね読安くなっ たりねするかもしれませんえここにですね こういうこと書いてましたユダヤジク日本 とやっぱりね違いますね愛のジクというの はね えーこういう内容でした弁は悪夢に悩まさ れていたためこの町唯一の精神会に訪ねる ことにしまし た先生毎晩ひどい悪夢を見るのですそう ですかどんな夢ですかと精神会が便に訪ね ます私はドアにある部屋に閉じ込められて いますドアを力いっぱい押そうとするの ですがいくらをしてもビクトもしないの ですそれは辛い夢ですねと返答しながら 精神会はさらに質問を重ねます 1つ教えて くださいそのドアには何と表示されてい ました かはい引くと書いてまし たということなんですね意味分かります かユダヤジクですこのことで笑ったら イスラエルに行くことができるねそういう あるか分かりませんけどもまこういうこと 書いてます ねまこう自分の考えの中に固守して離れる ことができないまそういうことが時として あるのではないでしょうか気がつく と目の前でですねドアをいくら押しても いくら叩いてもびきともし ないしばらく経ってよく見たらね引くこと 書いていたまそういうことだったという ことですいや車の鍵がないないあかない あかねなんでだおかしいといったですね 忘れていたねいろんなねそういうような似 たような事柄を体験することがあるかも しれませ ん私たちはそのようにし てこの地上の出来事地上 のところからのみの判断すっかり神様と いう存在を忘れ永遠ということを忘れ そしてこの限りある事情のことだけの ところからの判断をしていく時にともする とこの永遠の命に生かされていくはずの 貴重な言葉を信じることができない 受け入れることができないそして自分自身 の頭と心の中だけでうさをしてぐるぐる 回ってそしてえ悩みの淵に陥ってしまうま そんなことがあるかもしれませ んまさにこのつまづいてしまったユダヤ人 たちや多くの弟子たちそれは確かに不思議 な言葉であるかもしれないけれどもあそう いう自分の判断の中に埋没しそこからこう いうことはできずえそしてつまづいて行っ てしまったんだということを見ることが でき ますそういう中にあって つまづかずにイエス様をますます信じて いったそういう人たちもおりましたそれは 一緒についていったこの12人の弟子さん たち です代表するペテロの言葉が あ 606節に書いていますので読んでいき たいと思い ますシモンペテロが答えた主よ私たちは誰 のところに行きましょう永遠の命の言葉を 持っているのはあなたです私たちはあなた が神の聖者であることを信じまた知ってい ます素晴らしい信仰の言葉をペテロは放ち ました主私たちは誰のところに行き ましょうもはや私はあなたしかいないの です永遠の命の言葉を持っているのは あなたですペトロはね分かりましたね イエス様の視点は永遠の命であるその永遠 の命の言葉を持っているのはあなたであり イエス様ご自身があ言葉そのもの命の方で あるそのようにペテロは語ったんです ねなぜこのようにして信仰の 言葉イエス様の言葉を受けてその真意を 理解しゆなく信じでついていくことができ たの かそれはいろんな答えがあるかもしれませ んけれども やはり えこの12人の弟たちはイエス様といつも 行動を共にしていてそしてまイエス様との 人格的な交わり心と心の 触れ合い愛の関係そういうものを気づいて 来たからだまそういう風にですねいうこと ができるのではないでしょう かこの10人の弟子たちもつまづいた人 たちと同じようにイエス様が言われた言葉 をこれはこういうことで言ってるんだと いう風に理解したかというといや理解し なかったでまし分からなかったと思います でもそこには深い何か意味が あるこのイエス様の言葉に永遠の命を 生かす力がある分からなくても信じて自分 の思いや考え判断を超えたところにこそ 期待をして進んでいくことができたという こと ですまそれは神様の奇跡神様は天地を作ら れた方であり無からゆを呼び出す力の方で あり蘇りの余地を持った方であるどんな ことでも人にはできない神には何でも できる方であるそのような神の奇跡を 信じるその信仰によって前進することが できたんだということを知ることができ ますそのためにもこの弟子さんたちは その土台イエス様との個人的な心の 触れ合い愛の交わり関係それがあ培われて いたからだそんな風にですねえ思うことが できるわけです私たちも日々の生活の中で えー小さなこと大きなこと様々なつぶさな 生活をただ中で個人的なイエス様との関係 を築いていくこれがあ何かの時に信仰を 持って踏み出すことができるそんな力の 土台となっていくんだということを教え られ ますどうやってえイエス様とですね関係を 結んでいくことができるんだろう かえ 最近子供たちもだんだんえ昔を違い成長し 子春期に入っております子春期では何がえ 監視を持っていくかと言いますと皆さん何 に関心がありましたかやはりですねこれは ね恋愛ですよね恋愛とかそういうものに ですね監視を持つものですえ最近ですねえ 子供たち からドラマを見るのを進められてえ最近は ですね毎週1回毎週1回楽しみにしなくて もこうね連続してえ毎日1話とはに言わず 時間のある鍵において見ることができる ような時代になっておりましてえ見させ られたというかですね え見最初は見させられましたけど気がつく とああいうドラマというのはやっぱりです ねこの1回見ると次が気になってえ見 なければならない見たくてしょうがないえ そういうものに来られるもんであります けどもそうやってえ2つえ見ました1つは え恋は続くどこまでもとか確かそういう ような名前でありまありましたでもう1つ はえ大様に 捧げる薬指という名前であります皆さん 知ってますか知ってるかどうか分かりませ んけどそういうですね非常にえ有名なあ イケメン男優とおイえ人気若手女優が出て いるですねえそういうドラマで人気があ あるそうですそれを見まし たま共通しているのは今言ったように両方 ともイケメンが出てかっこいいですえああ いうのを見てるとだんだんあの私もこうあ 影響を帯びてきてあのなんかね自分がそ なった気分になってしまったりねすること があのちょっとこう惑わされたりするん ですけどでなんかこう思わずねこう隣に いるそばにいるねえ妻にこうイケメンに なった気分でイケメンっていうのはあの ドラマだからすごいですよねあのほとんど あの相手の人に命令してるんですよ飯 作れ行け来いついて来い命令系しかしない ですよねそれでもやっていけるんだから いや羨ましいな非常に思いましたで ちょっとねやってみたんだけどあ1回見て たけ全然反応ないですね2回目ちょっと 強め言ったけど全然反応ないですさあ 虚しくなりましたけれども本当にイケメン いいなまそういう風に思いましたそのよう なですねドラマの共通点は何かというとえ 最後はですね本当にですねこうもう感動の 結婚に導かれていくんだけど最初はもう 2人ともですね何の関係もない全く かけ離れているまそんな状況でありますま そういうところからえそれぞれがですねえ 様々ないろんな視線や困難くぐり抜けて そしてえ不思議な導きで心が惹かれるよう になっていってそしてえとうともう熱い 熱いこの愛の関係になりですねそしてもう 結婚しようそういう風にえ行く必ずでも そこでまた何か事件が起きて離れ離れに なるんですよね両方とも同じパターンで なるんですでもそこで劇的な2人の愛の力 によって乗り越えてそして最高の結婚へと 導かれていくまあそういう大体言うとです ね同じような流れになってるんですけども イケメンと人気女優が出てますからもう みんな釘付けになるわけですえ私もそれを 見てえ感動しながらですねえ見させて いただきまし たまあ何を言いたいかと言いますとやはり 愛の関係が結ばれていくということはま それはドラマの中であるけれどもう少し そんな綺麗事ではないかもしれないけれど もその関係が結ばれていく時に様々な鉄が あったり自然や困難があったり逆境があっ たりまたもう敵のいいがあったり様々な ことが起こされて いくこの弟子たちも様々な状況の中にあり ながら最後は深い深いイエス様との関係を 結びそしてイエス様を伝えるための中教の 障害を歩んだえそういうことをですね私は 聖書を通して知ってい ますこの弟さんたちも様々なことを通過し ながらあしかしそれを信仰によってえパし イエス様との深い関係を気づきそして永遠 の命に生かされる人生を得ることができ まし た今日の聖書の箇所もシモペテロが言った ように分からないけれど も自分の考えを超え て神 様人となってこられたイエス様あなたの 言葉を信じていきますそうやってですね 信仰を択し歩むことができていったわけで あり ます私たちが日々の生活を中 でいろんな言葉がある自分の言葉もある 他人の言葉もある様々な言葉がある いろんな情報がたくさんあるでも何よりも 聖書を通して語ってくださっているイエス 様の言葉をしっかりと大一として携えて 生きていく時に私たちはこのお弟さんたち と同じように人を生かす永遠の命に生かさ れる人生をこの地上で歩みそして本当に 約束された天において神の愛の中で永遠に 歩むことができることが約束されているん だということをですねえ覚えてえいくこと ができるかと思い ます私 がイエス様の言葉聖書の言葉を人格的な 交わりを持って受けながら生きていくため にどうしていったらいいの かやはりそれ は祈りながら聖書を読むということはない でしょうか祈りながら どうぞ私個人私の全てを知っている小さな 日常の生活 の喜びも楽しみも悲しみも今 あ出くわしている全ての状況を知っている イエス 様私に必要な言葉を聖書の言葉を通して 語って ください祈りながら聖書の言葉を読み そして人格的な交わりを日々していく その積み重ねがイエス様との深い深い関係 となりそしてそれが大きな何か起きた時に も信仰によって超えていく力となっていく んだということを教えていただくところで あり ます私たちはそのようなイエス様の言葉が 当れていますそしてこのイエスの言葉に よって永遠の命によって生かされることが できるんだということを聖書の言葉として 今日も教えていただいており ますこの言葉に私たちは人生をかけこれを 大一としてえ共に前進していきたいもので あり ますもう 一度先ほど読んだですねこのオリーブ ライフていう中にえこのようなおが書いて ありますのでえ読んでいきたいと思い ますえ皆さんも知っている通りですね10 月7日に大変なことが起きましたけどもま そういうことに関係のあるお沸 です55日間の拘束の後解放された 人質サビ編さんの言をご紹介し ます私 はテロ発生前それまで祈ったこともなかっ たのに四辺27編を30日間読むことに 導かれまし た30日目となった10月7日その理由が 分かりまし た四辺27編は神が 敵から救ってくださるという意味だったの ですテロリストが一件ずつ人々を殺して いく中私はベッドの下に隠れ27編を告白 しましたすると心の奥で平安を感じました ついにテロリストが家に入りバイクでガザ へ連れて行かれまし たザビルさんは後続中 一緒に拘束されていた少女やテロリストも 不思議に不思議があるほど心が平安でし たある日テロリストがロソの絵を 描きお前は敵だでもお前が来てからこの 場所に光が灯されていると言ったのです 開放後世界中の多くの祈りに支えれって 言ったと理解したザビルさん人たちは死ぬ ほど苦しんでいます彼らには時間があり ません生きて帰るためにあらゆる方法で 全力を尽くすべきですまそのような記事が 載っております本当に私たちには想像 絶する おね私が入籍しいてるようにはすという テロリストが来てえそしてえあるね1つの 鬼節という集落もですねも全滅状態みんな 立ちされたりもう目の前でえ自分の身内が 次々と殺されていくまそういう中で え1となって連れて行かれた1人の方の ですねこの紹介証であります四辺27編を こから読んでそれによって心が平安が もう命のないような状況の中で平が与え られそしてえ もこの場所に光が灯されていると言わせる ほどの歩みをその田中にしたという明し ですねせっかくですから四辺7027編 ちょっとですねえ少しでも読んでみたいと 思いますけども旧約聖書の768ページ え前半ですね読んでみたいと思い ます主は私の光私の救いだ 私は誰を恐れよ主は私の命の砦だ私は誰を おじ恐れよ私のあ私の敵である悪を行う ものどもが襲ってきて私をそり私を責める 時彼らはつづき倒れるであろうたえ軍勢が 陣営を張って私を責めても私の心は恐れ ないたえ戦が起こって私を責めてもなお私 は自ら頼むところがある私は1つのことを 主願った私はそれを求める私の生きる限り 主の家に住んで主のうわきを見その宮で 尋ね極めること有名な聖書のところですね これが本当に現実として生きて働いて そして守られたということ です聖主の言葉を通して神と生きた人格的 な出会いを 愛の交合をし平をいただき歩まれた1人の 男性のお 沸私たちもま人質てはならないけれど様々 なことがあるけれどそんな中で本当に聖書 の言葉を通してイエス様と共に交わり歩ん でいく時に私たちのこに平安が与えられ もうぎない何が起きても変わるできない 確かなそのものが与えられて生きることが できるのだと永遠の命に生きることが できるんだと聖書に書いてあるのでそれに 命をかけそれを携えて生きていくこれが神 様から与えられた私たちの特権であるその ことをですね覚えていきたいと思い ます共に祈りそして見を携え今週も1週間 前進してまいりましょうお祈りをさせて いただき ます天の父なる神様イエス様聖霊 様あなたは私たち を助けてくださる方です力を与えて くださる方ですあなたの言葉を通して 私たちの思いや考えを超えてあなたの奇跡 を私たちの人生に起こしてくださる方です どうぞ主 を新しい 主もどうぞ私たちを導き支え力を与えて くださいますようにお願いいたし ます全てを感謝しイエス様のお名前によっ てお祈りいたしますメン

礼拝 2024年5月26日 第1礼拝 米沢興譲教会

聖書:ヨハネによる福音書 第6章 63節 (口語訳 新約聖書 P147)
説教:「人を生かすもの」亀田克彦 師

聖書箇所:00:00
メッセージ:01:06

63
人を生かすものは霊であって、肉はなんの役にも立たない。わたしがあなたがたに話した言葉は霊であり、また命である。
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