2024.06.09 ヨブ記 聖書講解 ‐ 9

[音楽] おはようございますおはようございますえ ご一緒に先ほどね祝福をいたしましたえ 祝福した後ですからご挨拶でまたこの時間 を始めましょうイエス様あなたを愛して おられますご一緒にどうぞご挨拶いたし ましょうイエス様あなたを愛しておられ ます え呼ぶ気もえ今日で9回目です予定として はですねえ次回10回目で呼気を終える 予定でありますですので今日は41章にえ 行きますえ呼期全体を見ますと42章まで ある中でえ38章から神様がせられること そして41章この章ぐらいまでが呼気の 全体の流れを1番よく表しそしてここでの 解釈があとても重要なポイントとなります すなわちその前まで人間同士で語っている 部分は別にどうでもいいわけなんですよ 所詮人間同士で話してることなので神の見 とは違うことが十分にあり得るんですう 私たちが聖書を御言葉そしてえ聖書を人生 の中心とする理由はそこなんですよなぜ かて言うと全ての結論は神様が下すんです よ神の言葉が全ての正義であり結論である わけなんです人間同士で下ろす結論って いうのはこれは全くいらないことなんです というのはなぜかて言と私たちは揺れて いる人生だからですだけども神様の おっしゃることが全部結論であるから 御言葉でありその御言葉が書かれたのが 聖書なんですだから聖書を我々の人生の ベースにしましょう中心にしましょう価値 観にしましょう基準にしましょうっていう 理由が損なわけなんですだから38章から 神様が語り始められますよねだからそこが 1番大事な部分なわけなん ですで今日は特にあの中でレビアタンとか カバとかっていう話が出てきますであその カバていうのはですねこの新海ではカバて されていますけどもこれはまだ結論下ろせ ないんですていうのはなぜかって言うと カバて訳されているけども一部学者はこれ は像ともいう人もいるんですよベモスって いう言葉言語で使われているってあって これが多分カバに似ているんじゃない かって言ってるんでありあってこれがカバ だっていうことではないわけなんですよ ね以前 あの遺先生と岡山に行った時にちょこの話 が出たんですあるそちらの教会のシトさん がなぜ聖書には恐竜の話が出てこないんだ っていう風に質問があったわけなんですよ ね実際の歴史と違うじゃないかたからまイ 先生が答えた理由答えた話を覚えてるのが ですねまず聖書はその地球や全ての歴史を 書いた歴史書物ではないだからそこを中心 に書いてある書いてないそれによって合っ ている合ってないっていうことは話せない それから恐竜って言葉をお我々が今使って いる恐竜って言葉は使ってないけどもこの 予器に出てくるこのレビアタンそれから ベヒモスこれがいわゆる 恐竜我々が恐竜と呼んでいる古代の動物 生き物に関して語っているものであるだ から恐竜って言葉も私たちが使い始めたの はごく短い歴史なんですよそんなに古代の 時代から江戸時代とかそんな時代から恐竜 って言葉なかったんですもうごく近代に来 て使い始めたでも聖書にはちゃんと書かれ ているそれを私たちがあ恐竜って言葉を 探そうとするから出てこないだけであって 実際にここにあるレビアタンベヒモスって いうのが今我々が読んでいる恐竜に当たる ものでえこのようにえ学者たちは一緒に 動揺してるまこの言葉がありましただから レビアタンがワニといううことを想像し やすいから私たちが似ているからワニで あって実際にこれがワニっていうことでも なく そのこのベヒモスって書かれている言語が カバって訳されてるからといって私たちが このヒポあのカバねえであるとは固定が 固定してはならないんですわかんないん ですよある人はそれを像ともいう人もいる しえまた今は滅亡したそのようなカバと像 のこう先祖の何か大きいものではないのか でここではえレビアタンは水の中で最強 動物今現在水の中での最強動物はまあワニ だろうこのように言われているで陸上では あま私たちは猛獣ライオントラて言いたい んですけども実は動物のこうナショナル ジオグラフィック見てもそうですけども いくらトラライオンでも像には勝てない カバーには勝てないまそのような学説が あるぐらいなんですよねだから別にこの 何かの動物に取られるとよりもこのレビア タベヒモスというこの存在について皆さん が頭の中に入れておいてくださいこれが何 の動物なのかなとかっていうそこまで行く とまた違う方向に行ってしまうのでまそう いう水の中の最強動物生き物地上での最強 生き物このような概念でえ知っとればいい わけなんですで今日は神様がですね呼ぶに 質問のドリブルをするわけなんですもう ずっと質問から質問からだったらこうとう なのかそしたらじゃあこうなのかこうなの かこうなのかってずっと質問を投げ続ける んです39章にちょっと遡っていくと39 章の 6節見るとあなたの考えによってか高が 舞い上がりえ南にその翼を広げるのは27 節あなたの命令によってかわしが高く 上がりその数を高いところに作るのは高が 南の方に飛んでいくのはじゃああなたが そういう風に命令したのか高があやって翼 を広げて飛んでいるのは空中に飛んでいる のはじゃああなたがそうしたのかあの高い とこに岩の上に素を作らせたのはあなたが 命令したのか今余部に聞いてるわけなん ですよあるいはその前には馬の話もします 馬がって走って手紙があそこにあるのは お前がそうさせたのか馬があんなに早く 走れるのはあなたがそうさせたのか いろんなことをずっと聞くわけなんです 聞くという質問という形を取っているけど も実はこの話はどうですかお前がやったの かお前が作ったのかじゃないだろうって いうことなんですよえ質問の形跡だけども 形式だけども むしろ嗜めるような雰囲気があるわけなん ですよねだからこれは答えを要求してる わけじゃないんです違いますそうじゃない ですこの答えを要求してるんじゃなくて 分かるかこれはあなたじゃないってことは 誰の誰が作ったんだ誰がこさしたんだあの 空を飛ぶ鳥を誰が作ったんだ飛ばせるのは 誰なんだあのように翼を広げてパタパタ することで空を飛べることそれは誰がした んだお前がしたのかじゃないだろうって いうこの対話なわけなんですよねだ当然 この質問の主題は呼ぶは何もできない何も 知らない理解できない納得できない すなわちあなたが知らない世界あなたが 納得できないあなたが理解できない世界は はかに多いんだこれ我々も知るべきこと です私たちが知っているのは地球上のこの 爪の赤にもすぎない部分なんです知ってる 部分はほんの少しなんだけどもこれを まるで全部知ってるかのように知ったか ぶりをするのが人間なんですよだから おかしいて思っちゃうんです神様に対して 私たちはほんのちっぽけも知れません 私たちの体で言えば本当爪の赤にもなら ないぐらいしか神様を知らないのに神様 おかしいそんなはずがないこんなこと言う わけなんですよどんなにこれがバカなこと かですよ知っておいてそんなはずがないん だったら分かりますでもちっとも知らない のにそんなはずがないってことは結局何か 自分が神様のつもりなんです自分が考えが 神様に入ってないとその神様おかしいん ですよだからこれどんなにおかしいもう 宗教でも何でもないです よ今この質問がまさにそれなんですよヨブ がいろんなこと神様に抗議しますよね一体 私が何したって言うんですか何私が悪い ことしたって言うんですかだから神様 例えばこういう風にくんですよいやなんか 悪いことしないとそういうこと起きないの か悪いことしなかったら全然起きないの かおかしいのかそうだったらじゃあ他の人 人類の歴史どうなるのかこの人によって この人が影響を受けること全ての我々の 人類の歴史ってのは人間がこのように共同 体っていうのは人間が動くことによって 影響を受けるんです誰かが動くことによっ てこの人も動くしか ない前私軍隊にいる時にですね軍隊は横に もう1人1人のベ今は1人1人のベッドだ けど昔はそういうベッドじゃなくて床に ずらっと横に並ぶんですよ2列で向き合っ てでこう床の上にみんなこう寝るわけなん ですだから多い時には例えば5人ぐらいの スペースしかだ僕らの時の場合は120人 ぐらい列にずらーっと並んで寝るんですよ ところがもうそれが多すぎるともう130 人超えるともうぎゅぎゅで寝るわけなん ですよねそうすると面白いの何かって言う とぎゅぎゅってこう寝てると1人が右から 左にこう寝る打つでしょそうすると相手の 方は顔がくっつくわけじゃないですか嫌 じゃないですかそうする当然この人も左に 向くんですよそとこっちも嫌でしょうすと ドミノみたいにずらーっと10分ぐらい 過ぎたらもうみんな同じ 方向見ているんですよそれがまた1人が 願えるとまたずらーっと変わっていく本当 そういう風な現象があるんです人類の歴史 も社会ってのはそうなんですどっかで起き た影響がいな影響によって生きていくだ から1人の歴史を変え るってことは全部の歴史を全部変えていか なきゃいけないその未来までの影響までも 全部そうなわけなんですよ歴史ってそう じゃないですかたちっぽけなこの出来事に よってもう世界の歴史が変わっていく銃弾 一発で世界が戦争になっていくまそのよう なことが起きるぐらいですだからそれ見た 時に神様があなたにそれが理解できるか あなたがそれをできそれをさせる力がある とうのか無理だろうどう見たってこのよう なことを言ってるわけなんですよね私たち がこう考えてる見てるっていうのはほんの 一部なわけなんですその一部で全体を把握 しようとするわけなんですだからおかしい んですだよくみんなが言ってるって言葉が これ罠なんですみんなが言ってない自分が 言ってるだけなんですだみんなが言ってる よっていう時にはじゃその名前を 出せまるでそれが全部かのようにでも 私たちはほんの一部しか見てないんです よほんの一部っと言っても自分だけなん ですよだ前回先週四辺107編の言葉で 私たちがえ分かち合ったよう に時には本当波の頂点まで引き上げてそれ を一気に海の底まで落とすぐらいのことを 起こしたりあるいは鏡の上を滑るかのよう に何の音も波も立たないところを歩かせる 時もありますこれは我々のの人生なわけな んですとこはそこで言ってるのはこのしさ も嵐も全て起こすのは神であるってこと なんです私たちはその中で動いてるだけな ん です私時々ですねあのこういうスーパーと かこう人が集まるとここう行くのが結構 好きな時があるんですもうま普段は うるさいから行かないんだけどもなんかね こう例えばワッタンとかハンズマンとか もうトラルでもいいスーパー行くと文明を 感じるんですよっていう人がい るっていうこと明りがあって物がたくさん あって人がいるということ理解してるその 場面見ながらあ安定してるな安全だなって いう考えを持つわけなんですまるでその中 にいると安全化のように人がたくさんいる し明りも明るいし物もたくさんあるし あったかいしう涼しいし全てがあここでは 安全と思えるんですよでもそれって何です かそれて1回地震が来たら全部落ち て真っ暗になっちゃい ます例えば大きなクルーズ客線に乗りまし たもうホテルみたいプールが8つあって 部屋が1000何個あってそんなでっかい もう8階建てのクルーズの豪華な離角線に 乗ってまるでここはもう安心化のようにだ けどタイタニックも1つの波 で水の中に沈んでいったようにこの世界も 我々が安全化のように思えるかもしれない けども実 は神様の一言で指1つで瞬き1回で全てが 終わることができるぐらいそれぐらいえ 我々の歴史この人類この非物世界が持って いる歴史は全ての主権は神様にあるという ことなんですだこの自然界の中で私たちが できることてそんな限られているんです 私たちが生きていける空間っていうのは ほんの限られているわけなんですよ ね弱い存在すなわち何もできない存在に 近いわけな神の恵みがなければ特に私たち は滅びて何もない存在にあえるわけなん ですだから救いもそうなんですキリストの 十字架がなければ何1つ私たちが誇ること がないっていうのがまさにそのようなこと なわけなんですだから神様はその十字架が なければ私たちには何もないってことを 悟らせるためにあえて苦難の十字架の前に 私たちを引っ張り出すわけなんです隠れて いる私たち奥でメソメソしている私たちを 十字架の苦難の前に引っ張り出してその 苦難の中でも代表的な苦難を受けられた イエス様を見上げることこれをさせるわけ なんですよねまこのようなことを苦難の 最終目的は結局何かって言うと私たちは なんか訓練するとかこれに耐えさせると かっていうことではないん耐えられないん です苦難は苦難は慣れる部分でもなく苦難 は耐える部分じゃないんです何回来ても そのたびに苦しく辛いのが苦難なんです ですよだから苦難の目的は私たちが強くさ せるとかそんなんじゃないわけなんですよ ね苦難の目的は悟らせるためなんですよ その目的っていうのは結局私たちは神様 なしには生きていけなとことこれこれを 言う神様はおっしゃるために馬の話を 引っ張り出したりタの話を出してきたりし たわけなんですよだから当然その質問に 呼ぶは答えられないんです自分がなぜ鳥が 飛べるのかなぜ南の方に今行ってんのか わかんない その神様の質問の連続にヨブはどうやって 答えるのかですそれが40章に出てきます 40章の3節から見ると呼ぶは主に答えた ついに答えたんです今までずっと神様に いろんな質問バンバンバンバン投げてくる 質問に対してさあ呼ぶよ答えてみようて いうから呼ぶがじゃあ答えましょうって 言うんですそれが40章の3節から呼ぶは 主に答えた4節ああ私は取るに足りない ものですあなたになんと口答えできる でしょう私はただ手を口に当てるばかり です5節1度私は語りましたもう答えませ ん2度語りましたもう繰り返しません私は これ見ながらですねヨブがもうかわいそう に思いましたいわゆるこう試合を ボクシングとか見てるとストレートに アッパーにジャブに最後にとどめのキック をもらったみたいにもうヨブは諦めてん です質問ずっと言われるたびにできない ことばっかりなんですよ 1個でもなんか答えられればいいんだけど 1個も答えられないもう私がそばで見てる とタオルを投げてあげたぐらいあもうだめ ですこの試合は1発も抵抗でき ない神様本当にこうやって呼ぶを質問攻め にしてよくあのドラマとかもあも現実でも ありますけどもねこう子供がなんか間違え た時にこう親はもうボンボンボンボン コーナーに攻めながら質問でこれしたの どれしたのこうやったの何と思ってんの どうしたのずっと言って相手がもう答え られないコーナーに責められるぐらい そして降参するまでごめんなさいって言う まで果たして神様本当これをそうしたいの かそうしてでも彼を従わせたかったのか彼 にギブアップっていう答えを聞きたかった のかだったらばこれは平等な試合じゃあり ませんだって神様と呼ぶ神様と私たちと 言うんであれば私と保育園の子供たちと1 対1でボクシングをしたってことになり ますそれは試合にならない不平等な試合な わけなんですよ結局我々の人生の中におい てもいろんな苦難やいろんな試練が迫って きた時に結局神様私たちに要求してんのは 従順させるためなのかな逆らったらこんな ことが起きるのかな神様の言うことを聞か ないとこんなようなバチに当たるのかな もう2度と神様に生けのことを言えない ようにさせるためなのか なという解釈であるんであればヨブが何か 間違いをした人生の中で悔い改めをし なきゃいけないことがあった例えそれが 思いつかなくたとしても神様が与えて くださる苦難なんだから私たちは素直に アーメンと言って受け止めなければなら ないていう風になっていくんだあればこれ は聖書に入らなくても普通の本屋に言って いる世俗に染められた普通の書物でも十分 なんです よ今ヨブが言ってるのは神様ほど私が 罪深いんですかいやここまで仕打ちを 受けるほど私がそんなになんか大きな 間違いを起こしましたかあるいはもう1つ は神様本当にあなたは義でこの世界を納め ているんですかその義の中には正義もあり ますけども哀れみもあるんです愛もあるん です本当にそうやってやってらっしゃるん ですか多分これが呼ぶの本音じゃないん でしょうか私そんな悪いことした覚えない んだけどな確かにあるけどもいやこれを 受けるほどじゃない だろういや本当に神様愛ってあるんですか なんか哀れみでかわいそうに思ってくださ るって言うけど本当にそれってあるんです か神様本当にどんな方なんですかこの質問 をずっと目わけそしたら神様がその質問に は答えないんです分かるかこれはあなたが 作ったのかずっとそれを聞いてるわけ な40章の4節ああ私は取るに足りない ものですあなたになんと口応えができる でしょう私はただ手を口に当てるばかり です神様が我々人間に言うことをよく聞か せたい本当奴隷みたいにさせたいのであれ ばわざわざこのようなあ人生のこの流れを 試練苦難を与える必要ありませんもう方法 は十分ですよだって私たちは悪魔の奴隷 だったんですよ奴隷それを神の奴隷にまた 下部に移すんであれば別に主人が変わった だけであって何も変わってないわけだ神様 はそれを願ってるんじゃない神様は罪の 奴隷だったになっていた我が子を連れ戻す のが神様の目的なんですよだから言うこと を聞かせるのが目的じゃないんですよ皆さ 子供は親の言うことを聞かなきゃいけない 義務はないんですよ始まりは結局何かって 言うと結局私の分身だっていう言葉が一時 そういう言葉がありました親の分身 だだからそれ間違ってるじゃないですか 子供の人権ってそうなんです誰の分身でも ない子供は1人の人権なんですよ1つの また人生なんですでもそれを親の言うこと を聞かなきゃいけないんじゃなくて親の 言うことが子供のためになり正義であり 教育であるから聞かなきゃいけないんで あって親の言うことを聞かなきゃいけいけ ないその親だからってい部分はないわけな んです違うこともあります結局こう神様も そうなんですよ我々を従わせるため生いな ことを言わせないために聖書を書いたり 奇跡を起こしたり身業を起こしたんじゃな いって言うんですよ椅子の上に座って えへんご本私の言うことをよく聞きなさい こんなんだったら神じゃないってことなん ですよ神様はそのを捨てて我々のそばにお 越になられたその愛なんですでっかい椅子 に座って上から物行ってはいはい聞き なさいこれやったら愛じゃないですこれは 命令って言うんですよでも神様我々愛を 施してくださったじゃないですその愛は何 です降りてこられたんですよだ怖がらせて 恐怖の体験をさせて私たちが驚いて ビクビクして逆らったら偉いことになる ぞっということを私たちが学習をして言う ことを聞かせるためのものではないとこと なんです よそんなこと皆さん子供にしないでしょ それする人自体がもう親の資格がない人 ですよ親になっちゃいけないん です私も時々こう思うんですよ自分から 思う時ある車の免許ってのは自動車学校 行っていろんな試験をして勉強してパスし なきゃいけないんだ けどこう自装のね子供のこう働きを一緒に やってるといろんなこう親に会うんです けども見てると神様親の免許って本当いる んじゃないんですかていや出産のまず免許 神様が見てあこいつはいいこいつはもう 子供産んでいいって言ってその時から子供 を産ませるとかむしろそんなんが必要じゃ ないですかと思うぐらいまだったら私も 多分無理だったと思うん ですでも神様はそれをしないっていうのは 何かって言と我々に自立的に自主的に神を 愛し神と共に歩むこと従う皆さん従って いうのは命令に従うそれは従順じゃないん ですよこれよく間違えますだからある牧が 私にねあなた私に従順しなさいって言う からアホかって僕言ったんですよなんで私 が人の言うことを聞かんといけんのって いや従順するんでしょあなたて言ったら神 に従順すんだよってその従順っていうのは 皆さん軍隊の命令自衛隊の命令みたいに右 向けって言ったらみんな右向くこれが従順 じゃないんです皆 さん本来作られた道通りに生きていくのが 従順なんですよ今私たちが従順じゃないっ ていうのは何かと言うことを聞かないこう 指示に従わないことをこう不従順言うこと を聞くことを従順ってこのように考えるん ですよでも今私たちは本来今全部が不従順 の状態にあるんです何かって言うと神様が 作られた人間神様が作られた偽造物との 関係に戻りなさいって言ってるんですよ それが従順なわけなんですところこれを 言うことを聞く聞かないこのような単純 論理で考えてしまうから従順するあんまり 人の言うことを聞きたくないんだけどなだ みんなそうですよ人間っていうのは元々 自由が心の中にあるので統制されると みんな苦しくなるわけなんですだから コロナの時どうですかマスクしなさい外に 出歩かない人と話さないっていうこう束縛 があるからすごい苦しかったでしょでも今 それがなくなって自由にしてるから楽じゃ ないですかだから人間っていうのは元々 自由っていうのはこの中にあわけ神様そう いう風に作られたんです よだから神様が我々に願っているのは強制 的 に全部右向き右で願ってることは神様の 本意にあらずなんですだってそうしたいん であればいくらでもできるんですよ作る時 にこの自主というこの自由っていう心を なくせばよかったんだからロボットにすれ ばよかったんだから別に何の意味もなかっ ただから善悪の果実を食食べるないうこと も必要なかったその機能さえなくしとけば でも神様はあえてそこに自主自立っていう ことを心を我々に植えてくださっただから 神様は決して我々を奴隷にするつもりは ないんですよ自主的に事実的にだから奇跡 を表す理由っていうのもまさにそうなわけ なんですなぜ奇跡を表すのかって言うと神 様俺ってすごいだろうってことを表すわけ でもない別にそれ表さなくてもすごい方 ですあるいはそれで恐れさせる必要もない 1回現れたら恐れるはずだからだ別にその 意味がない神様が奇跡を施される我々に宮 を表す理由はたった1つですあなたのそば にいるんだよあなたを見ているんだよ あなたに今困ってることが何のか私は 分かっているんだよっていうことを我々に 悟らせるためなんですだって皆さん私たち が祈って叶ったことと祈らずにも叶った ことどっちが多いですです か祈らずに叶ったことの方が何億万倍も 多いですよだって皆さん今私の呼吸が 止まらないように行ってずっと祈ってます か1日 中空気が入って空気が出てきますように これが止まらないように心臓が止まらない ようにさっき飲んだものがちゃんと体の外 に廃止されますようにこんなこと祈る人 ってそんなたくさんいないでしょま時々暇 な時は祈るかもしれないほぼ祈らない でしょでもそれ全部今動いてるじゃない ですか祈らなくても神様がなされて くださっているそれは何なのかそれ恐怖 ですか自慢ですか違うでしょ結局は神様 我々のそばにおられて今も我々の命を守っ ておられるということそれを神様は知って ほしいわけなんですよだからこの非蔵物の 世界この神様に作られたこの世界の摂理を 納める方式は我々の感覚や我々の常識や 価値観この物理的な方法などを飛び越えた のが神様の領域なんですよそれを私たちが 理解しようとするし私のちっちゃな基準で それを考えとするからおかしいなとか理解 できないなとかそんなはずがないなって いうバカみたいな話をするわけなんですよ そもそも私たちが作られたこと自体が おかしい話なん ですイエス様皆さん見てください弟子たち とイエス様弟子たち住人でしイエス様 ずっとつい連れて回ったけども客観的に見 てイエス様助けになりましたかね弟子たち がなんかためになったかですこの12人が イエス様ついてまってなんかイエス様あ君 たちいてよかった助かったよってことが1 回でもあったかですむしろイエス様1人で 回った方が心の健康に良かったはずです 何かと空気読めない何かとじる何かといら んことを 言うもう帰れお前はて ぐらいでも神様はずっと連れて回 るっていうのは足でまといだけでも連れて 回るじゃないですかでもそれはなぜか後に 彼らを通して奇跡を表したいすなわちその 奇跡は後に彼らを通して私はみんなと一緒 にいるんだってことを知らせたいこれが神 の心だったわけなんですねだ我々の世界を 取り越し苦労と私のこのちっぽけの頭の中 で何かを理解するんではなくこれを 飛び越えたはかな世界におられる神様で あることをまず私がひれ伏せて知ることな んですよだから先週皆さん多分家帰って アラジン見ましたダウンして見た伝え言っ たらありますよそうもう1回見るとねそこ にあるそのジャスミン姫が理解できないん ですよアラジンがベランダからポトって 落ちたら死ぬはずなんだけども絨毯にて 飛び上がったまずありえない理解できない 何ですかこれはってなるしたらアラジンが 手を取る来なさいジャスミンは大丈夫なの それアラジンはそれに答えない手を取って だジャスミンはそこで決心をして彼と一緒 に絨毯に乗ったらいろんな世界夜空を見 たりこの浄化町を見てあるこう上から 眺めるという自然界も見るというその脅威 的な体験をするもちろんこれは漫画です けども私たちが神の手を取る時に神の摂理 神の心に私たちが任せる時に私たちの知識 を超えた常識を超えたはかな世界にまで 届くということなんですだ呼ぶ呼ぶ気って のは皆さんこう流れをよく知らなきゃいけ ないのがどうしても人間は目に見える立体 的なものにこう目を行ってしまうのでで 呼ぶきってなると苦労した呼ぶ苦難をした 呼ぶ頑張った呼ぶそれでも最後まで神様に えしがみついていたヨブもちろんそれも ありますヨブは最後まで神様から離れませ んでしたブツブツブツブツ不満を明かし ながらも神様言ったこれ何ですかこんな ことって逆切れしながらも彼は常に神の前 にいたんですそれは呼ぶが偉大なことでし ただけどもこの呼ぶ気はそれが主題じゃ ないんですよそれはむしろ当たり前のこと なんですよたりなことをしなければブには 祝福はなかったわけなんですむしろこの ヨブは苦難が出てるからと言って苦難を 受ける呼ぶよく我慢した呼ぶ食い改めない で困る呼ぶこれを見てしまうと神様と呼ぶ との間ですごく幼稚な関係が生まれるん です子供みたいな呼ぶに対して大人の神様 がずっと叱ってるこれでもかこれでも かっていうぐらいわけの分からないこと やってるこれは余の忍耐力を書いてないで もんでもないんですヨブがよく耐えたから 私たちもそのように耐えましょう耐え られるわけないやんてなんで苦難を耐え ますか皆さん苦難を耐えるもんじゃないん ですよ苦難は痛かったら痛いって言えば いいし泣きたかったら泣きゃいいんですよ なんで泣くのを我慢してなんで痛みを我慢 しますか去年のハブの人牧先生が言った でしょメッセージで大丈夫で大丈夫じゃ ないです大丈夫じゃないはずなのに大丈夫 っって言うんですよ特に日本人は痛いって 言ってください嫌ですって言ってください いいんですよ神様様にそれを訴えていいん ですよでもそれを解決してくれるよも神様 は目を変えてくださる時が多いんですよ ヨブは余期っていうのは苦難を受けた余分 に関して書いた話じゃありませんていうか 聖書自体に私たちが人間に目を当てた瞬間 聖書の概念が変わってしまうわけなんです これ童画になってしまいます電気になって しまいます昔昔あるところにこんな話に なっちゃうんですよ聖書は一貫した メッセージを持ってるのは何かって言うと どうしようもないクズみたいな使い物に ならないこんなバカみたいな人間たちだ けども神様がそれを使って神の身業を表し たということなんですだ前も申したでしょ 生殖者なんてこのようにいないんです生殖 者なんていない清い仕事をする人仕事をし て清い人こんな人人間にいるわけないじゃ ない人間は全部罪人なんだからじゃなくて 清いお方のお仕事を任せられてしている人 はいますそういう人はだけどもだからと 言って清い人じゃない人間は所詮はどう やっても罪人から離れられないんですよと ことは聖書は何なのかなんか偉大な人物神 様にその中でも選ばれて信仰が強い人を 選ばれた人を集めて書いた書物こんな くだらな話じゃないですこんな話じゃない どう見てもどこにでも転がってるような 石こに過ぎないちっちゃな石こ泥だらけの 石こ 尖ってる石ここれらを通して神様が合わせ て駅としたようにそれを使った偉大な神様 を主題にしてるのが聖書なんですよだから 呼ぶ気も呼ぶにフォーカスを当ててしまう と結局やっぱり頑張らんといけんのかな こん時にね苦難耐えなきゃいけないのかな 心にもないけども感謝だよねとこんなこと を言わなきゃいけないのか な言った瞬間また罪になります皆さん言わ ん方がいい黙っとった方がまだいいです口 に出した瞬間全部罪になるから言わない方 がいいだってそういうそういう内容で書か れてるわけじゃないんですよ聖書の目的は 人を使われる神様そしてその神様があなた を愛しそして今もあなたのそばにいるんだ よてどんなことをした祝ってあなたであっ ても神様はやはり変わらずあなたを愛し 続けているんだよこのメッセージなわけな んですですよ皆さん子供たちがえ学校から 帰ってくると宿題をしますよね宿題が本当 に嫌です学校で終わりゃいいのになんで また家に帰ってまでさせるのってもうそう じゃなくても疲れてんのに家帰ったらご飯 食べてお風呂入って寝て漫画見てるだけで も時間が足りないのになんでまた宿題をさ せるん か授業時間に終えられないんかいろんな 不満がありましたけど も学校の先生たちが宿題を出すっていうの は何かって言うとこの部分は分かって ほしい宿題をすることで学習をすることに よって頭の中に知識がいってこれは取得し て欲しいという思いがあるから疲れている 分かっているけども時間が足りないのも 分かってるけども宿題を出すわけなんです そしてそれを宿題をすることによってこの 学生 がこれを学習を取得することによって知識 として頭に入るこれを願っているから宿題 を出すんですこれが普通のあの正当な先生 たちのあり方ですということはこの子供は 疲れているけど も宿題をすることが目的ではなく宿題を することによってその中で得る学習能力が 知識が入っていくことでこの学生はより 知識が深まるわけなん ですこれが正しい宿題ですよね信仰生活も 同じです今までの信仰生活私たち振り見る となんか信じたら苦労もせず毎日が平安で 穏やかだったのかなと思うとそうじゃない んですよなんでこんなことが起きるんかな どうして常になんか頭を抱えなきゃいけ ない悩み事どうしていけいか分からない このため息このようなものがずっと 繰り返されましたそうすると私の人生って 見るとなんか信仰の宿題みたいなんです常 になんかを考えないといけないどうしなか いけないいろんなことを迫ってきますあ 少ししんどいなてだけどもどうですか皆 さんしんどいなと思ったその時を乗り越え て過ぎとってくると今考え振り返ってみる とあのことよりあのとよりもちょっとは レベルが私が上がったな考え方が変わった なだから宿題ってのはどっちかって言うと 簡単で誰でもパッパできる例えば中学校1 年生 に掛け算書いてきなさい2段を書いてき なさいこんな宿題出しませ んむしろちょっと考えなきゃいけないわ なんて言ったっけ授業の時とか覚えてない なあるいはあれを応用して解かなきゃいけ ないぐらいの問題を出すんですよで頭が 痛いでもそれを解くとその子はレベル アップしていくんですだから進行生活やっ ていけばっていうことなんか楽になって いくよりもなんか変わらずどいやもしかし たらレベルがアップしてんのかな苦難が なんかだんだん強くなってるぞって思う時 あるんですああついていけんと思うぐらい の問題も出てきます でも今振り返ってみるとついていけないと 思いながらもついてちゃんと来てるんです ちゃんと乗り越えて来てるんですもう ボロボロになってでも乗り越えてきてる だったらそれ勝利なんですよということは 私がその分乗り越えて上がってきてるん ですよ階段がきついけどもしんどいけども 一歩一歩上がって今まで来てるくんですで 今我々の生きてる姿はまさにそうですだ から今日のこの聖書の内容もそうなんです 今ヨブの手を歯をいじめにし て後ろに手を縛って何もできないようにさ せるのが苦難の目的じゃないって言うん です予期の40章の15節 にさあカバを見ようまここでカバっていう のがそのベヘモスていう言葉なんですねカ を見ようこれはあなたと比べて私が作った もの牛のように草を はむだこれは今地上で1番強いと言われて いるベフモスっていう動物なんですよ レビアタンは水の中で1番強いさあ これどう説明するあなた がだこの時代にいたってわけじゃないん です昔こういうのがあったんだけど呼ぶよ あなたこれどうやって説明できる呼の立場 ではどうですかいや見たこともないし一緒 に暮らしたこともないから分かりませんよ てかそもそもなんで作られたかも分かり ません当然これが1番でしょだから41章 の今日の御言葉で神様がおっしゃるんです あなたはれでレビアタを釣り上げることが できるかあるいは名でその下を 押さえつけることができるか皆さん別府 行ったらワニ地獄ってあるでしょそこ行っ て皆さんダイソで買った竿で釣ってみて ください釣り上げられるかまずその前に 捕まると思うけどもできるとやってみて ください釣り上げるどころか私が死ん じゃいますよあるいはそのロープでそいつ の口を負けなんでそんなことをしなきゃ いけないの私があってていうか殺されるよ 絶対にしたらできるかできるわけないじゃ ないですかっていうのが答えでしょていう かなんでしますかそんな ことそれはできないのに彼らを復習させる ことができるか口に罠をかけるってことは 言うことを聞かせるってことなんですそれ はできるかお前にできるわけないじゃない です かこれは神様が何の意味をおっしゃってる のか天地想像のことをおっしゃってるん ですよこの呼ぶの時代にレビアタがいたと いうわけじゃなくてそのような伝わって くる過去にいたレビアタだからこれが恐竜 じゃないかってあの聖書学者は言ってる わけなんですね創世紀の1章ちょっと見て みましょう創世紀の1章の27節28節 に神様のこう天地創造のする時の1つの 大きな原則が出てきます天地創造1章の 2728皆さんと私で読しまし私が27節 言ますね神は人をご自身の形として想像さ れた神の形として人を想像し男と女に彼ら を想像され た人間がこのレビアタン水の中で最強って 言われるレビアタン地上ではまた最強って 言われるベヘモスと比較してどうですか 我々の姿いやもうそんな遠くまで行かなく ても我々身近にいる犬 猫もう私の基準から言うと今我が家にいつ も来ているワンちゃん猫 ちゃんアグたぬきいち今ほぼ確認されてる この5種 ですもう友達になってい ますだ別に僕テレビでナショナル ジオグラフィック見なくてもいい目の前に いるんだ もんた時に彼らと戦えるか です昨日もうちの娘は猫パンチ食らいまし た勝て ない我々は人間がなんか武器を持っている し文明を持っているから強そうに見える けどじゃあ一体でやってやろうよ怠慢で やろうよ野良猫ちゃんとね負けますよ爪で 何回かやれたらもうダメです犬に噛まれ たらもうおしまいですよアグ餌を上げる から大人しいけども何するかわかんない私 も怖いからいつも窓は閉めて ますどう見たって人間が弱い でしょだって少しでも1度上がっただけで 熱中症になって救急所呼ぶ呼ばなきゃいけ ないちょっと寒くなったらインフルエンザ でゲーゲー言わなきゃいけないこれが人間 なんですよこのの地上で何の力も能力も ないくに1番偉そうにしてるのが人間なん ですよ1番弱い服を着ないと寒いクーラー ないと夏は生きていけ ない乗り物ないと走れない動物の中でも 人間が勝てる動物は生き物ぐらいしかい ない でしょ何もないじゃないです かにもかわらず動物たちは人間を怖がり ます叩いたこともないのに怖がります人間 をそれはなぜ かこの言葉があるんですよ全てを支配せよ なんですよその命のDNAの中には全て神 様の天地創造のこの信号が全部入ってるん です人間を怖がる日本人はそんなに動物を 虐待する民族じゃないんで猫ちゃんたちも そんな恐れないんですよ人間を見て怖がる のはこの住民たちが猫を虐待したから猫が それで人間って怖い動物なんだって言って 学習したわけじゃないと思うんですよ みんな親切ですていうか相手にしない昨日 来た黒い猫初めて見た黒いネか見て僕 びっくりしましたピューマかと思いました でっかいのよまた目はもう真っ黄 で日本にピューマ住んでんのかなっていう が俺びっくりしたんですよ怖い でも彼が逃げました僕を見た瞬間僕1回も 彼に何もしたことないむしろ餌あげてんの にそれはなぜかてそのDNAの中にもう すでに入ってるんですよすなわち全部支配 せよこれを作ったのは誰なんだって神様 おっしゃるんですよこのようにしたのは誰 なんだお前が偉いから動物がみんなお前に 従うの か何を食べることも全部全てのこの食物 連鎖の1番上は人間じゃないですか全部 食べるどっかの民族は机の足以外は全部 食べるって言うじゃ ない何でも食べるのが人間でしょう全部 食べられるあんなに魚たくさん取ってもよ 毎日食卓に上がるなというぐらい数が多い わけでもないんですよはるかに動物の数の 多いはずなのに人間がいつもその頂点に 立っているのはなぜか人間が偉いから すごいから文明があるから違いますよその 文明にいくらでも挑もうとするじゃない ですかだけどもこの創世紀に書かれている より 全部海の魚空の鳥血の上をはう全ての 生き物を支配せよ支配せよということは 反対の言葉は何かって言と全て従えてこと なんです全ての動物に人間に従えるそれは 神様が作られた時あったわけなんですどう 見てもレビアタンベヘモスには勝てない ヨブなんだけども力では勝てないけども その権威を与えられたんですよさ考えてみ てくださいダンプトラックが高速道路で すごい走っていますスピード違反してない 走っています1000m走ってる時に お巡りさん1人が立って警防で止まれて いったらトラック止まるでしょあの でっかいトラックがちっちゃな警官1人の あの棒1つで止まるじゃないですか白場 追いかけてもあれ弾き飛ばせば終わりじゃ ないだけども白ので全ての車が脅かさ れる怖いもう見るだけでも怖いこのDNA が入ってるお巡りさんが鉄砲売ってくる からけでもないどう見てもちっちゃな お巡りさんちっちゃな自転車ないしバイク ですよでもその前の一言で大型ダンプが 止まんなきゃいけないんです止まれって 言ったらなでその権威が与えられている から国家権力与えられてるから止まるしか ないじゃない同じように 神様が人間に与えた権威があるのでそれを 蔵物世界では神様が作られた秩序なので それに従うしかないんですよでもそれ呼ぶ は知らないの悟ってないの何もできない ただ神様が定めた父の中で生きるだけなん ですよ皆さんここに秩序という言葉が出る んです秩序この秩序が大第1なです皆さん 新薬聖書第コリントちょっと開いてみて いただけますか第1コリント開きやすい ように第1コリント1章です 新説 でしょ1番開きやすいとこ第1コリント1 章26節から30節まで26節から1の 26から1の30これちょっと読し ましょうかこれ も1の26兄弟たち自分たちの飯のことを 考えてみなさい人間的に見れば記者は多く なく力あるものも多くはなく身分の高い ものも多くはありません あるものをないものとするためにこの世の 取るに足りないものや見下されているもの すなわち無に等しいものを神は選ばれたの です一緒見ましょうしかしあなた方は神に よってキリストイエスのうにありますは 私たちにとって神からの知恵すなわち義と 聖とあなになれました あめ皆さんこれが神様の大原則です神様の 働かれる原則なんですよ決してこれはそれ ない破っちゃいけない秩序ですこの原則の 1番暗いマクス絶頂点がカルバリの十字架 なんですよすなわちこの世で1番低い身分 1番屈辱1番苦しい1番あわられるところ がこのキリストの十字だったんですよ唾を かけられ殴られ裸にされバーカ降りて降り てきてみろできないだろうこのバーカが こんなことでもまだいいぐらいそれ以上の 屈辱を受けられたのがイエス様なんですよ でもその命そのキリストが十字にかけられ た理由はその屈辱を投げている唾を吐いて いるその者たちの愛する心なんですその者 たちは分かってないんですよだから弟子 たちもみんなどうですか逃げちゃったああ 終わった今まで信じてきた私がバカだった 損した失敗だあのイエスは失敗だから全部 逃げていってしまいましたでもどうですか その失敗に見えた十字架によって救いの花 が開いたんですイエス様は言いました1つ の の種1粒が落ちてこそ落ちてっていうのは 地目に落ちるダウン落ちるこの落ちるん じゃないこの落ちるって言葉は何か1つの 種が死んだことによって身が実るって書い てあんです皆さこれはブーの話ですありえ ない話 です種が死んだら出ないんですよ私も今年 ね種また巻いた けど放棄草なんかは2年過ぎたらもう全滅 でした種が死んじゃってる1つも出なかっ た全く出なかった種が死んだら目が出ない のが当たり前なんですよ種が生きている から目を出すでしょうだってそうでしょだ からイエス様言ったんです1粒の種が死ん でこそ身が実るって言ったんですよこれ世 から見れば何言ってんのってなるんですよ 死んだら出ないじゃん終わりなんですよ 死んだ種にどうやって身が実るのでもここ にキリスト教の逆説があるんです皆さん 復活はどうですか死ななきゃ復活がない じゃない生きてものがどうやって復活し ますか死んでこそ復活じゃないですか キリストがイエスが十字架で死んでイエス が十字架で走られることによって私たちが そのイエスが受けた恥によって私が神の前 でさかれる時の罪の恥を受けないイエスが 死んだことによって私が永遠の命を得る ことができたこれがキリスト教の逆なわけ なん ですだから神様はこの地上のクリスチャン 地上に立てられた教会に通してこの秩序 原則を変えずに進めなさいっておっしゃっ てるんですだから御言葉を読みなさい 御言葉をベースにしなさいってことは まさにそれなんですよこの聖書に書いて ある通りやっていき なさいところがそれをキリスト教は歴史の 中で人間はここの慣れた生活の中でそれが 少しずつ変わっていくんです よそれを忘れてきたんですだから教会 を人数が集まったら何かできるお金が 集まったら何か できる立派な建物を建てて人々からわーっ て言われたら何かできると勘違いしちゃう んですよだからそちらに頑張る わけそれでをつつけるんです よそれが未だに消えない多分消えない でしょう人間のこの頭の概念にはだって もう外の計算とこ混雑してしてる からだから今政治もそう でしょ自民党と公明党が一にやってるの何 ですか意味が合うかじゃなくて数だけ でしょ数数でもの言いたいからでしょでも それが同じやり方をね教会でやってんのよ 人数増えないから何もできないんだよだ から人は何とかして呼ばなきゃいけないん だよでそこに集中しちゃうん ですそれに集中してしまうと人数が集まら ないいやもう何もないどう見てもこれ平均 年齢が上がりすぎてもう何もできない年金 収者ばっかりしかいないもう何もできない 教会なんだよってなっちゃうわけないん ですそうでしょう人間同士あったら何も できなかったでしょでもねそれを言う人 たって若い人たち何かしたしたと思ったら そう若くてもしてないんです よ若い時から癖ですそれがなんかの理由を 出してしないのが癖だったんですそれが年 取ってあ年取ったからできないよでもその 人が若い時何かやったかって言ったら そんな大したことやってないんですよだっ て若い時にそれをやった人は年とっても いや年だからできんことはないって言って なんかするはずなんですよそれが人生の 生き方だからなんかやりますよ頑張ります よそれ分かっているはずだからだけども そうじゃないんですよ でもキリスト教がね世のこの考え方に染め られてその神様がおっしゃったさっき コリント第1の手紙のあのあの原則神様が おっしゃった取るに足りないもの世では はじるもの何もないものを通して神様が なされたすなわち十字架であのように唾を 図れあのように侮辱を受けた屈辱を受けた そのお方によって私たちが今救われている ん1番低いところに生まれた方がそのよう になっただけど私たちは分かって言い ながらも世の方式を見てしまうからどう見 てもこの数じゃ何もできねえなこの年齢 じゃ何もできないなこのお金じゃ何もでき ないなその人はね何が与えられても何も できない人ですだって次に足りないものを 探す癖がもう目についている からだコンサートに人が集まらないから主 が負けた気持ちサタンが勝ったような 気持ちになりますいそれはお前が負けた だけなんです よ何のためにすんことです よ私はだからその人数が集まること もちろんたくさん集まってくれたら嬉しい でしょ聞いてくれる回数が増えるからだ けどその中で本当に聞く耳を持つ人がどの ぐらいいるかです皆さん大事なのはだから 神様は1人でもいいっていうのを おっしゃるのそこなんです よそれを考えてしまうとまあ10に集まっ たら集会はできないなだったらしない方が いいなだったらずっとできない です1人で集まった時にしましょうって いう考え方を持たないと何もできなくなっ ちゃうのよだからどうなるのかって言うと 結局教会の大きさね建物に関して概要浸透 数あるいは献金 額これらで私たちが目のソバを動かすん ですあこの教会これぐらいならいいなああ あの先生何人教会何人教会聞いてどうすん のよ それさん 人数で私たちこうねノアっていうのは今昔 から大体100人超えなかったこれでやっ てきたでまた別れてまたこうちっちゃく なっただからどんどんしぼんでいくなって 考えるかもしれ ないだけど皆さん私は80万の経験をした でしょね毎週80万なんですよでもね 変わんないよ社会変わんないって80万の 教会で10年間ずっと毎週毎日働いてそれ もソウルのど真ん中でした私今の教会悪口 行ってるんです よ行ってないけども言ってるようなことに 聞こえるけどしょうが ない私の家の窓から十字架が見えるのが 赤いランプのね見えるだけで25個です寝 てそれも寝そべって教会の数たくさんある でしょでもねそれで社会が変わるかってっ て私は思ってたけどもそこで働いて暮らし ている時見たら今振り返ってみたらそれで は変わん ない人間の数では絶対変わん ないだって皆さんこの船によある船に たくさんもう権力者を入れましたお金持ち を全部集めまし た大分の市議院もう知事から市長から県議 院全部権力者入れました詰め込んだこの船 別府ワに置きました南海トラフ置きました 沈没しませんか権力者が乗っているから1 発で沈む やろ所詮誰が乗っていようが誰がしようが 人間は人間なんですよどのぐらいの力を 持つ人間どれぐらいのお金を持つ人間どれ ぐらい有名な奴がいたとしても所詮は人間 なんです皆さん人間がたくさん集まれば 集まる ほど数は多くてすごく頼もしく見えるかも しれんけどもそれは祖先人間界での話です 神様がこの歴史をえしまえばそれいくら誰 がめいたって一発で終わりなわけなんです よそれが霊の世界なんですよ私たちは霊の 世界をしなきゃいけないだから私たちの このチャペルノアが今人数が多いから 少ないからこう心が変わってる私はそれ 言ってるんじゃない私たちの教会はもう それ抜けまし たただ皆さんの心に敗北感ああもうどうせ な今日も集まってないしこっちの方は列は もう全滅だしこっちはなんか来てない みたいだしなんか前では唾飛ばしながら 世界に出ていこうとか言ってるけど行ける わけないやんてって思う心があるかもしれ ないから言うんですよ皆さんその人は人数 や数や状況で考える人だからどこにも出 られません若かろうが金があろうが出ませ んその人はだって次の理由を探し始めます だだ元々出るつもりがないから出るつもり がある人ならば出れる条件を探し ます出ないやつは出なくていい条件を探す んです よだから人数じゃないのああ働き手がない な働き手がないんじゃなくてお前がいるや ん私はいるやんそう言っているじゃ私が すればいいじゃないそれでできません できる範囲だけすればいいじゃない誰も皆 さんに店長をもう1回作りなさいって誰も 言ってないじゃないこの部分だけすれば いいんですよ我々に任された我々と私に 任された部分だけすればいいのそれをなん か大きく解釈して働き手がいねえな若者が いねえなだから無理なんだ な若者いなくても前回僕ら大掃除したじゃ ない教会綺麗になったじゃないえそれは ちっちゃいことなのそれも大きいことです よ皆さんできたじゃないやろうと思えば やる方法やれることを探していけばいいん です ただそれを人数でやっちゃうから反対に そのコンプレックスを持つんですあの教会 はな仙人教会だから仙人協会ってなんなん 罪人が線に集まっただけ やあの刑務所はすごいいいなたくさんの 死刑主がいてって思いますか皆 さんただそれだけです よ世の会社と政治とは違うの教会は人数で やろうとする分でもなく銭でやろうとする ものでもなく権力者であろうとコ使って やろうというとこじゃないんですよだっ たらそれ出ていって外でや れってここではそうしなくていいんですよ だったらあの方いらなくなっちゃうのコで やって金でやって人数でやるんだったら何 のために十字架上がったいらんことをし たあの方が十字架に登ったってことは我々 がいくら集まろうがローマの軍がどんなに 強かろうが世界中の道が全てローマにに至 るって言われるぐらいの権力持っていよう が人間たった1人救うことができないのが 人間なんですよそれを人間の数でなんとか やろうとする からどんなにこれが愚かなことですか神様 から見てまだ分からんのそれをその年に なっ て私たちが例えばね今政治でクリスチャン が何かいるとかこう言うじゃないですです かあの人元々あの人あああですけど本当は クリスチャンなんですよとかよく言うじゃ ないですか自民党の誰であの人 クリスチャンですよってえそれが何なんっ て言うんですよ大統領がクリスチャンなん ですよだからなんなんて言うんですよて いうことはむしろ恥ずかしいのそれがえ クリスチャンなのにそんなことしかでき ない のクリスチャンとして政治会に送ったって ことはその政治を神様の御言葉で神様の愛 で政治を変えるために送ったのにそれは 隠れキリスになっておいていや実は クリスチャンなん です国家当会いやあの人クリスチャンだっ たんだそれって恥ずかしいことなんですよ 皆さんあの人そうああ見えても クリスチャンなんですよああ見えてもって こと自体がもう間違ってる でしょうああやっぱりクリスチャンだよ なっ てだから私は金子先生がね政党とかなんか そんな関係なしに応援してる理由はそこな んですよあの人はね変わん ないだから政治を変えてほしいという祈り を今もしているんですよ皆さん クリスチャン政治かが生まれ るっていうのはそこなんですよ変えていか なきゃいけないんですよクリスチャンって いうこのレてる名札をつけていくんじゃ ないんですよだから数もそうなんです数が 先人教科あるんだったらその地域変えない とで変わってないじゃないってことは何 ですか日本人が信じないから違いますよ本 にどれぐらいのカルト宗教が集まってます か全世界から輸入してるじゃないこの大分 にもどのぐらいありますかってことは結局 日本人はよく信じる民族ですよだって保険 所で銀行講座作れる国ですよ顔もないのに どうやって分かる同じ年だったら誰か誰か わかんないはずなのにそれぐらい クレジットのあるお互い信用する国なん ですよ信用 を信じない民族じゃなくてむしろ信じやす じゃなんでキリスト教遅れたんですよ 私たちがっていうかもっと冷たく言うと 我々が神様を表すことができなかったん ですよ私たちの人生を通してこのような 日曜日には神様が見えたはずなんで見える んですよね教会に来てるからクリスチャン に見えるところが一歩4に出て次の日 月曜日になっていくといやもう日曜日の 午後になると今まで見えていた神様を表せ なくなっちゃうちゃうんですいや教会は式 が高いからね来ないんです違うのよ式が 高いんじゃなくて教会が神様を表すことが できなかったんですよなぜ人集め人数集め 大きさ規模これらでやることできること ことをなさそうとするその原理世の原理と 全く変わらない原理をそのまま使っている から見えないんです よ水で割った焼酎なのか氷で割った焼酎な のかわかんないお湯で割ったのか水で割っ たのかわかんないぐらいそんな味になって しまっただから敷が高いんじゃなくて行っ ても行かんでも変わんないから行く魅力を 感じられないんです よ皆さんが教会に来た時には確かに来た会 があったはずなんですよだから来たはずな んですよそん時には敷が低かったのか昔の 方が左方とかいろんなことで言えばもっと 厳しかったと思いますでも皆さん来られた じゃないですかということは敷が高い低い とかじゃないんですよ我々がその姿を表す ことができたできなかったのか1000人 いたならば000人がキリストを表すこと ができたならばその地域変わったはずです でも変わってないってことはなぜどうなん です か表せない壊れた鏡が1000個集まった だけなんです よCて言うならばよだから人が集まれば 集まるほど強くなればなるんだけどもなら ないってのは結局何か 日本に神様は神様が日本に求めてるのは でっかい 教会フルゴスペルおりあんな教会みたいに たくさん何万人集まる教会を願ってんじゃ ないんですよ神様はそれよりも隅々まで 1人1人まで神様雪とることを神様は願っ ておられるんですでっかいダンプではこの 下方の細い道入れないじゃないちっちゃい 車でしか入れないじゃないですかそのよう に隅々に行って福をなさい神様これを願っ てるんじゃないかと私は思ってるわけなん です よ神を愛すると口で言うけども実は自分を 愛する心でドロドロになっているんであれ ば私たちが今それを脱ぎ捨てる時です呼ぶ きはこれを言ってるんですよ私たちがこの 腐ったこの殻を向かない限りは要は神様が 見えないんですよ鏡が汚れてしまった場合 その反射教は何の意味もないん です教会がするべきことは何でしょうか人 を集めたりなんか人数で圧力をかける そんなもんじゃないおいでっかい建物立て て高く十字架を立てて十字架が見えたら人 が来るのかだったら僕アドバルン飛ばし ます よ見えるよう に見えないから人が来ないんじゃなくて 行きにくい場所とから来ないんじゃなくて コンビニじゃないんだ から表したら人は集まってき ますそれが人間に与えられたもうDNAに 植えつけられたことなんです よ教会が力を持たないとクリスチャンが世 に出て影響力を放たないとだったら神様が どこに必要ですかってことです教会が力を 持って表すことができるんであれば あるいはクリスチャンが影響力を持って それができるんであれば神様いらないじゃ ない教会の力持った教会と影響力持った クリスチャンでやればいいじゃないけども どうですかそれは違うってことは我々は よく分かりますそんなことをしながら行動 でし ながらいかにも無能な十字架ですよ見た目 には殺された裸にされた駆除を受けたその 十字架を信じなさいでも教会は人を集めろ 金を集めろ若者を 集めろどっか矛盾してません十字架は とても無能で無気力なだけどもそこには愛 があってそこには永遠の命があるんですと 言っておきながら私たちは力をなんとか 蓄えようとしているその矛盾さを見て人々 はどっちが正解なのってなったんですだ から神様が現れ ない私たちが成功して神に栄光を表すでは ないんです皆さん順番間違ってます神様の 栄光は神様元々栄光がある方なんですよだ から栄光を戻すって言葉の方がもう ちょっとあってるかもしれません横取りし ていた栄光を私が神様にお返しし ますだから今私たちは本当にいい方向に 行ってると思うんですよ特に私たち福祉の ことやってるじゃないです かま今年も夏また来ます彼らがね来るけど も今年の2月児童擁護施設が我々の教会に 来たじゃないですかありえないことがあっ たんですです完全な守り閉鎖保護隔離これ が自動擁護施設にも関わらず彼らが車に 乗ってここまで来る宗教施設にその施設 って皆さんねその1年前はどうだったかて 言うと私が訪問した時には門前払いですた こうやってあの訪問したいんですけど言っ たら いいえお話はありがたいけども結構です 間に合ってます全然受け取ってもくれませ んでしたところが何回も言ってるうちに その園長が心許してくれてまあじゃあ1回 どうぞって言って最初は体育館でこうやっ て見てました後ろからこいつら何すんのか なってなんか変な宗教で変なことを子供に 教えないか な個人情報取ったりしないかなま心配 でしょうね誰が分からんこうやってるうち に終わる時には園長がいなくなったんです あもう嫌になったのかと思ったらそうじゃ なくて隣の部屋に休憩室をつくに行かれた そして自らお茶と飲み物をお菓子を持って 終わったらここで休憩してくださいね さっきの入った時の表情とは全く違うん ですなぜか感じたんですそこ でそしたらその次にその園長 がもう1回私が今年もどうですかて言っ たらいや今回はって言うからあだめかと 思ったら今回は我々が行きますって言うん ですよでなんでって聞いたんですなんで 来るんですかてあまりにも不思議だったん でたらもうごもっともの話です縁もゆかり もない韓国の若者たちが来てね子供たちを 愛してくれたでこの子たちは愛を受けるに はもう慣れている行政から愛されれている 施設から愛されている周りの人たちから 愛されているでもこの人たちは愛される ことは慣れてるけども人を愛することは まだ習ったことないその愛することを習う ためにはどうしたらいいのかあの縁も ゆかりもなしに来たあ彼が言っている神様 っていう人が愛するって言ってるからじゃ その愛を習うためには人を愛する神様が いるところに行くべきだろうって言って ここに来たわけなんですよ今年はそれが2 箇所に増え ますえあそこもやってんのじゃあ俺らも 行こうよそうなったわけなんですそれだけ じゃありません最初は牧師で宗教してる からすごくこうなんか変なことをするん じゃない特定宗教じゃないのかないろんな ことを言われたところは去年11月に県の 里里総会で私のの体験談を発表したんです そしたら6月今年の月末に市議会の方で する里親サロンってのまたするんですよ そこに牧さん来ていただけますか私はその 時に神様の愛って言ったんですよそれ言っ ていいんですかあ行ってくださいもう体験 談全部お語ってください言われたん です皆さんこれが普通の社会であれば普通 の社会で見ると特定宗教とか宗教の人たっ てのは検されるはずなんですよでもそれは 結局何なのかそれを超えた愛があ るってことを彼ら発見したんです挟にある 児童養護施設は仏教概念で作られた施設な んです入り口に入ったら大仏お自動さんが 構えていますでもそこの園長はチャペル ノアが来た時には全部受け入れろっていう 命令出してるんです よ日没以後は児童養護施設は絶対誰も 出入りしちゃいけない出てもいけない入っ てもいけないところなん ですところが 夏休みじゃなかった時だったので入ったら 学校終わってからだしょうがない早くご飯 食べて早く宿題だけを経てお風呂は今日は いいから今日は遊びなさいって言って結局 日没どころが9時半に僕ら終わりました僕 も早く帰りたいって言ったぐらいですお 疲れてるからそれぐらい心を開いてくれる んですよは心を閉じているよは人神を信じ ないこれは私たちの固定概念 です我々が進め開いてくれますどんなに心 を開い彼らも上かいているわけなんですよ 私たちが数字を確保したり世の権力者のお 尻をついて回ることによって神の栄光を 現れるんじゃありませんむしろ彼らが神の 愛を悟るべきなんです よ時間がななくなりまし最後にですね皆 さん支援発表の言葉だけ読んで終わり ましょう支援発表 支援8遍の2節 です四辺8の2から です読いたしましょうか ね四辺の8の2から9 まで幼子たちちみ子たちの口を通して あなたは道からを打ち立てられました あなたに敵対するものに答えるためする敵 を沈めるため に人とは何者なのでしょうあなたが心にめ られるとは人のことは一体何者なの でしょうあなたが帰りてくださるとは 万物を彼の足のに置かれまし た空の鳥海の魚カを問うもの も子供のように自分で何もできないそんな 人生に身業が現れるんですそこに神様を 求めるようになるからなんですその時に あなたの皆は前地に渡りなんと力に満と あるんです教会は歴史的にいつも弱者でし た教会が強くなった時ってのは歴史の中で 教会が堕落した時だけです教会は力を持つ とこじゃありません教会は通路なんです 通路神に通る通路なんですよここにとまっ てるからダメになるんですここにたくさん 集まるから変なことを思い出して自分たち の権力を表そうとするわけなんですここは 通って神の前に出なきゃいけないんです 弱く無視され誰も私たちの声に耳をかさ なくても神の愛哀れみに委ねて信頼して神 様を褒めたえるなら最後の勝利はですね 教会ではなく私でもなくイエスの前に置か れるって神様約束されたんですよこれ未来 関係官僚系です聖書だけでえ出られる文法 なんですよ歴史の主観者である神様がそう なされると約束するならそれはもう終わっ たことなんです未来にあなたは復活させ るって言ったらこれはもう未来系なんです それが我々に約束されているんですよもう 終わったんですまだその時は来てないけど ももう終わったんですよだから私たちが 弱い時に強くなれるっていうのは私が強く なるんではなく元々強いその神の力が 現れるんですよ私が前から私が後ろに行っ て神が前に出られるんですよこの御言葉を 皆さん群に刻んでください決して皆さんの 力皆さんの状況皆さんの持っている何かに よって皆さんが強くなってる現れるんじゃ ありませんそれは一瞬の時に終わります それは臨時的に終わりますだけど本当に 強いのは私が弱い時にこそ現れてくださる その神様なん です今度の1週間皆さんに様々な問題が あるかもしれませんけどもその問題の中で 私たちがイエスが現れる苦難にも関わらず 試練にも関わらずイエスが現れるそのよう な毎日を過ごしてみてください神様必ず皆 さんを愛しておられるという信号を皆さん にそれぞれに与えてくださいます神様皆 さんを愛しておられますお祈りいたし ましょうちなる神様ありがとうございます 神様弱い時こそ強くなれるこれは私が強く なるのでもなく私が何かによって鍛え られるのでもなくむしろ元々強く我々の そばにおられた神様が現れてくださると いうこと私が悟りそしてその言葉にベース において私が生きてことができますように 私に何かを能力を与えて私が飛び跳ねる ことにっ私が何かの権力を持つことによっ て神の栄光が現れるんではなくむしろ私が その前にいる魚しき元々栄光が捧げられて いるその神のみにその栄光が戻りますよう に教会が力を思て教会が集まって何かを するんではなく教会は通り道であり神に 至る道であるとことを私たちが忘れない ように我々の力ではなくの疲れで成し遂げ ていくということ神の愛によって人々は 幸せになるということをどうぞ私たちが 忘れないようにしてくださりこの始まる1 週間の中にも様々な問題があるけどもその 問題や苦難や涙や苦しみはやがては神の 栄光につながる神様が私を愛してくださっ ている神が私のそにおられるということを 悟るツールであるということ を胸に刻み毎日をごしっていうことができ ますように神様は1時とも私と離れたこと はなかった神様は1時とも私を失望した ことはなかったということを1時も愛から 離れたことはなかったということを私たち が忘れないように守り導いてます全てを 感謝して全てに感謝して愛するイエス キリストのお名前 でお祈りいたし ますあめん 青木悪は我が救い主イエスキリストの恵み と天の知なる神様の永遠なる愛と助け主 精霊様臨在し共におられ10万に導かれ 溢れる祝福と喜びと感謝が今日この礼拝に 集まった全ての人々の人生と家庭と職場と 子供たちの人生と学校の上に インターネットで礼拝を捧げる全てのの とどに今からとしえにありますように [音楽] メンハレルヤ天の神様に拍手で感謝を いたしますありがとうございます

大分市のプロテスタント教会「大分福音キリスト教会 チャペルノア」の礼拝メッセージ
慎 重煥牧師による、神様の御言葉を分かりやすく伝えるメッセージ
神様は、あなたを愛しておられます。
旧約聖書 ヨブ記の聖書講解。
人生の中で苦難が訪れるとき、私達は、その原因を探し答えを求めようとします。でも答えが中々見つからない時があります。 だけど答えが見つからない、何がなんだか良く分からないと思う時こそ、神様と出会う時なのです。ヨブは、自分を取り巻く苦難と見えない原因と答えの中でもがきます。ですが神様は、ヨブに本当の祝福を授けます。神様との交わり、これこそが本当の祝福であり、苦難に打ち勝つ力の源なのです。

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