【戦争遺跡】Bakaと呼ばれた究極の特攻兵器「桜花」行川基地跡

あれもう絶対6ああったあったあっ た桜という感じの音読み分かりますと聞か れてとっさに答えられない方意外と多いん じゃないでしょうか正解は王です例えば桜 に桃と書いて応答と読みますこれ桜んぼの ことなんですけどねまた桜に花と書いて 王家と呼びます王家ラマというと桜の花が 満会になって見事に先乱れている様を表す 4熟語だったりするわけですこの王家の名 を関した兵器しかも特攻兵器が今回の テーマですこのチャンネルでは暴走中心に 鼓動廃道トンネルそれから戦争遺跡などを 紹介しています週に数回不定期で更新して いますのでこれらに興味のある方は チャンネル登録と通知設定していただけれ ば最新動画が簡単にご覧いただきますさて 王は対戦末期に日本海軍が開発した自爆 攻撃機一応飛行機です全長6.1M全幅 5mと機体は小型で全重量2270kmの うち半分以上は機種に搭載された鉄鉱爆弾 でした推進には固体ロケットエンジンを 利用し敵の飛行機が追いつけない高速で 飛行し上院もとも敵艦に体当たりすると いう戦術を構想していました人間爆弾など と言われますがむしろ人間ミサイルでは ないでしょうか形もトマホークのような 現代の巡行ミサイルに似てるように思い ますちなみに連合国では自殺攻撃を行う 愚か者の期待との意味合いで日本語のバカ にちんだバカボムもしくは単にバカなどと いうコードネームで呼ばれていたそうです さすがにそういうこと言うもんじゃないよ とイラっとする話ではありますが裏を返せ ばそれだけ米軍は王家のことを恐るべき 兵器だと認識していたということかもしれ ませんただこの王家実践ではあまり戦果を 上げることはできませんでした実践投入さ れた1945年3月以降終戦までに70数 期の王家が出撃しましたが戦火は駆逐間 一石を撃沈数席を大破や損傷させるに とまりました 思い通りには王下の出撃方法にありました 自力で飛び立てずまた高速距離の短かった 王下は簿記となる一式陸上攻撃器に ぶら下げられた状態で出撃し敵に近づいて から射出されるという形で運用されました ところが2t以上の重量は一式陸上攻撃機 のペイロード超ものでまた護衛の戦闘機も 十分な数が揃っていなかったため敵に 近づく前に迎撃の米軍戦闘機に簿記ごと 撃墜されるケースがほとんどでしたでここ からが今回のテーマと関係してくるのです が今述べたような事情で 思い通りにつかの改良案が出されますその 最終形態が王家43乙型でした修正のため 模型のみで実機は生産されませんでしたが 当時開発されたばかりだったネ20型と いうジェットエンジンを搭載し後続距離は 約300km陸上からカタパルトで発進 することが可能な設計になっていました そしてこの大花43型を発射するための 基地も国内各地に建設が進められました 千葉県内でも現在の南暴走市や泉市大竹町 などに基地が建設されました今向かって いるのは泉市滑川に残る大花43乙型滑川 基跡ですさて現地に近づいてきました右に 見える建物は旧泉市立中川小学校で現在は ジャパンネクストさんという液晶モニター を製造販売する会社の本社になっています ちなみに泉市のふさ納税の例品も提供し てるそうですさて基地はこの左奥になり ますしかしここまでやってきたものの バイクを止める場所がありません映像は ないのですがこの後頑張ってユタして別の 場所に止めるはめになりましたということ で映像切り替えますがこのまま続きも よろしくお願いします はいこんにちは道にあるちょっと古いもの のパパゲーノですいつもご視聴コメント高 評価ありがとうございますえ今日は泉に来 ております今回は戦績の紹介をいたします いつも戦績の時は1人じゃないんですが 今回は1人ですえっとねまじゃ早速行って みましょうじゃあここから行きますえここ はねもう今ね泉市の私的に指定されてるん ですよえ特攻機王家43乙型滑川き跡って ことでねえこの奥です さ行ってみ ましょういやなんか虫が出そうだなだけど まあいい やここは きっと昼は出ないと思いたい多分出 ない よしここもうねいつだけかな10年ぐらい 前だったかな来たことがあったんですけど まあ久しぶりですねえその頃はねまだ あんな看板とかなかったんですけどえどこ だっけかな えっと実はよく覚えてないもうあの ハッタンさんたちに連れてきてもらってね 戦績初めて来たところなんですよでどこ だっけかな あれなんか小屋がある けどこ違うんじゃねえかなってこと はあの看板から60mって書いてあった からそんなに行くはずないんだねやっぱ ここかなさっき違うかなって思ってスルー したんだ けどこれ違うな このおかしい な違うなやっぱりこの奥だなも なああここか ないや違うな いきなり 郡道らしきものが出てきちゃったんだけど えこんなところ行った記憶ねえんだけどな と言ってももう10年以上前ですから ね違うな あれもう絶対6ああったあったあっ たありました 登場いやあちらに見えますのがね王を収納 していた地下号ですねでこれ手前にねこれ ちょっとねくしちゃって分かりづらいかも しれないんですけどこう円形のものがある でしょこれが何かと言いますとあのタン テーブルなんですねガラガラガラガラって 出てきてくるくるくるって向き変ったん でしょうねうんまちょっとなるべく近寄っ てこれね確かねここら辺もうここら辺はね コンクリートなんですよえ当時のねままま です ねでえっとじゃあ5の方行きましょう か一応ね入口の看板にね内部には立ち入ら ない 書いてあるのでそこら辺はちょっと尊重し てねえあの入りませんあのギリギリの ところ までここまでかなここまでだったらいい でしょうえこんな感じ でえま内部もねそんな奥行ないんですよ これだけ ですそこにね何なんだろうねこれ四方なの かそれともま 扉格納庫ですからね扉でもあったのかそう いう風なうんまよくわからないけどその ようなまこれも明らかに当時からあっ た後でしょう ねそれからあのくぼみは何だろうな明り 置きなのかそれともあそこにもあります けどねうんなんだろう ねこちら側にはないですねにも同様のもの はなさそうだけどそれから床の部分なん ですけどねえっと大体ここ手前から23 ぐらいかなま真ん中よりも少し多くうんま 2/3ぐらいまででしょうかね若干こう 中央部分だけ掘り込んでありますねあの 細長い小字型のような形になってるけど これがどういう意味があるのかちょっと よく分かりませんあのご存知の方 いらっしゃったらコメントいただければ ありがたいですまそういう事情でね奥まで 行きませんがまでもこれだけ見れれば十分 でしょえっとうんでまこのギリギリの位置 からねこう掘り割りと言いますかねうん 掘り割り掘り割りでいいんだよねこういう 時もねうんのこの様子でも見ていただけれ ばということでじゃ戻りましょうかねえ あのまここの穴自体映像的な見所若干 少なく感じるかもしれませんがここはね あのそういうものよりもねなんて言うのか なこう持っている背景ねそういうものが 重要な意向ですからねえということであの 解説色々入れときますんでねそちらの方で ええまお楽しみくださいって言いますかね なんて言うのかなはいえよろしくお願いし ますそうだからねさっきも言いましたけど ねここから王家がキュルキュル キュルキュルキュルってま出されてきて ここのターンテーブルでま向きを変えたん でしょうねうん でこの先がま滑走路と言いますか確か カタパルト車室だったんじゃないかなえ あのカタパルトってねあの飛行機をねま 当時蒸気かなあのとにかく物理的に飛行機 を押し出すんですよねそして加速をつけて 飛ばせるというねそういう風なシステムに なってたはずなんですがただここはね確か カタパルトの移行は残っていなかったと 思うんですよねどこにあったのかも ちょっとよくわからないんですがまでもま ここゴロゴロゴロゴロと出されていってま 実際はねえあの実践投入されたことは なかったんですけどね えうん まこの先にカタパルトがあったのかもしれ ません ねうんさっきあっちから来たんですけどね おそらく ここ別の方の所有地だからということでね あそこに入り口あえてね作ったのかもしれ ないうんだ からどうしようかなさっきそこから降りて きたんですよねうん順路としてはねまあ なんか微妙な感じなんですがここから戻り ましょう普段戦績扱う時は基本場所公開し てないんですよねあのまあ地元の方々の 迷惑とかねそういうものがありますんで あのまここに関しては問題ないだろうと いう判断でねさせていきましたあの貴重な 行なんでねま皆様もま見に行ってください でねあのただマナーは守られるようにお 願いし ますさてと出てきまし たあのねご覧の通りね道が狭いですここで ね えっとこの道これでもね現役の道なんです よあのこの奥にね今でも工作されてる農地 がありますんでだからねここはまずいです うんまもちろんねつれは極めて少ないん ですが万が一ってことありますからねそう いうことね気にしない人たちがねわさわさ 出てきちゃうとねあの大体もうこれと公開 禁しあのもう公開しなくなっちゃうとかっ てそういうことになっちゃうんですよねあ そうそうそれからね前にねこれ本当かどう かわかんないんですけどあの地方の中でね 焚火やってたバカタレがいたらしいんです よあ焚き火の跡が残ってたことがあった らしくてねあそういういうこともやめて くださいさすがにそれはね戦績云々じゃ なくってねただ単にダメなやつっていう ことなんでねえまあうんまここで言っても しょうがないかもしれないですけどねまで もね一応そういうことはねあの慎んで くださるようにというねえそんな感じで ございますなんかね積極臭くなっちゃい ましたけどねこういうことはねなるべく気 を使えるところは気使ってかないとね困る んあのよろしくないんでねえということで 今回の動画は以上になります今回もご視聴 ありがとうございます またお会いしましょうバイバイ

千葉県いすみ市に残る「特攻機桜花四三乙型」行川基地跡を訪ねました。2024年5月26日撮影。

■チャプター
00:00 オープニング
00:10 「桜花」とは
03:59 基地までの道
07:05 ターンテーブル
07:51 格納庫
10:21 輸送された道
11:53 気をつけて頂きたいこと

【戦跡・地下壕とは…】
第二次世界大戦末期、アメリカ軍による日本本土上陸が現実味を帯び、防衛のために国内各地に急造の陣地が構築されました。房総は特に九十九里浜が上陸予想地点の最重要候補とみなされていたために、海岸沿いや幹線道路に面した山などに無数の洞窟陣地(地下壕)が造られ、今でも多数残っています。幸いなことに、これらは、実戦に用いられることなく終戦を迎えましたが、戦争の記憶を今に伝える貴重な歴史遺産と言えるものでしょう。

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【チャンネル紹介】
千葉県を中心に、古道や廃道、土木構造物、戦跡(戦争遺跡)などを紹介しています。

はじめまして。「道にあるちょっと古いもの」の「パパゲーノ」と申します。このチャンネルでは、山の中に埋もれた廃道やトンネルや橋(現役・廃を問わず)、水路隧道(水路トンネル)などに突破したり潜ったり渡ったりしている模様をお伝えしていきます。

なお、今後の公表予定の動画についてなど、お知らせ等がある場合は、サブチャンネルで告知させていただくことがある、かもしれませんので、もしよかったら、サブチャンネルの方もご覧頂ければ幸いです。

※パパゲーノのサブチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCeQ_LAS_Y76EQOeXOYUCd4Q

皆様の身近にあるけど、気づきにくい「古くて変わったもの」を紹介していきます。いわゆる珍スポット、B級スポット呼ばわりされる場所が多くなるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

【過去訪問場所】https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1q25aFSQdGTDt1d5Sab5gCJoxW-PLXEE&hl=ja&usp=sharing
【Twitter】https://twitter.com/vivapapageno
【Instagram】https://www.instagram.com/vivapapageno/
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#房総の戦争遺跡 #千葉の戦跡 #軍事 #ミリタリー #道にあるちょっと古いもの

12 Comments

  1. うわぁ壕を見てるだけでも感慨深いです。桜花ですかぁ、戦争も終わりに近いですね。終戦間際の戦闘機の製造は支離滅裂でしたね。
    そうですかここで。
    綺麗にしてあげたいですね😢焚き火?馬鹿者罰当たりです😠
    久しぶりにリアタイで見れました😊貴重な映像ありがとうございました

  2. 戦後に米軍が撮影した、桜花四三乙型の訓練基地(比叡山)の映像があるそうです。
    「比叡山桜花発射基地」で検索すると、画像が出て来ます。
    行川の施設もこんな感じだったのではないでしょうか?

    しかし、史跡に指定したなら草刈り位はやっても良いでしょうに… 予算の都合もあるかもしれませんが…

  3. ちょっと前に行ったんですが、どうせならもうちょい周り整備すりゃ良いのにと思いました。

  4. おつかれさまでした。桜花といえば、野中少佐と神雷部隊を思い出します。松本零士の桜花を題材にした作品の主人公も野中でした。

  5. 自分も十年以上前に行きました。
    近くに神社と寺があり、当時の関係者がお参りしてたんだろうなぁ…と。考えさせてもらいました。

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