【カルーセル麻紀】性別適合手術によって女性の体となった意外な理由 先駆者として走り続けたからこそ語れる「LGBTQ」ロングインタビュー

私の名前はカルーセルマです職業は タレントです女優です小学校の時も好きな もう同級生いましたから男の子うん ラブレター送ったぐらいです美マリア牧が 出てきてめけめけって出てきた時に びっくりしましたよあ私と同じ人いるんだ 私は自分だけだと思ったんですよ髪の毛 伸ばしたら京都にバリカンかけらいてああ もうこれはもう家でしょねコラブやったる マから今勝し太郎が来てるからあた迎えに 来てバーっと迎えに行ってガーって入って くガダンタタタタて私が入口からだんだん だんだん戻りながらガーって入っていって もう勝っちゃうは喜んでるしだから芸能人 の人が来ると大阪行ったら南の8番筋に カルーセルマキてのがいるからでも モロッコで40日間結局30日したんだ また倒れてまた遠間もうもうここにはい られないもうパリ帰ればなんとかなる だろう日本は日本の法法律があるんだから でもこうやってねみんなが認めてくれて こうっでみんな活躍してそれ以上何をね何 を望むのかって私は分からない [音楽] おはようございますおはようございます よろしくお願いしますよろしくお願いし ますです はいって いいやよろしくお願いいたしますよろしく お願いし ます北海道の釧 ですもう何もないところでもねが子供の頃 ってすっごい逃だったんですよあの栄養 漁業やと炭鉱がありましたからだからお 祭りお祭りもすごかったしもうスシ町って ね繁華があって今もさびれてますけど昔は もうそこキャバレーが乱立しててクラブと かねうから歩いてすぐにその 無てありましてそこの下にあの船がつくん ですよでそこはに行くと音楽がバンバン 聞こえるんですねうんああいい音と思って 聞いてると両子さんが坊や何やってんの こっちおいでおいででお菓子くれたりそれ でダス教えてあげる よで小学校23年の頃かなで漁師さんに あの船に乗せられて美味しいものご飯ごち そうになってそれでダス教えてもらってだ からその時もう小学校の時にマンボとか ジルバを踊れたたんですよダンス楽しいな とその時からうん楽しいなと思ってであの 向こうは男の人からじゃあんた女僕僕って ね女の役やっててかはいって言いながら こい調子だからはいって言いながらあんた 女の子みたいだねってよくやれてました よ当時というかご家族っていうのはあのご 両親とか何をされてたんですえっと父親は ねあのサラリーマンやってました日2に 勤めててだから周りはね全部旅子さんなん ですよだからうちだけはサラリーマンで えっと上にえっと 長上次条 三条 長男5条そので私がいてその下に弟がいて それこは2歳ぐらいでなくなったんです けどそれ で弟2人中人兄弟です人です二間の部屋で ねどうやって子供作ったのかと思いますよ 二間二間しかないですよ長屋ですからだ から小学校3年 生ぐらいの時 に もう兄貴って年離れてんですね 123456個ぐらい離れてんですよその お下がりが来るから今日おかしも全部嫌で 嫌で嫌でその男物の匂いするのが来るのが とっても嫌 でお小遣いもらえない しで親に言われたわけでも何でもないん ですけども自分で新聞配達始めたんですよ 小学生でええでも北海道寒いんですよ寒い 夏はもう蚊食われるでもその頃自転車も ない しお小遣いもらえないしその頃の集金も やったんですね集金も拡張もやって未だに 覚えてますよ1か月 330円でラーメンが30円でしたし小学 生としては結構なそうですだから親にあの あまりあれを買ってこれ買ってってない ですね自分で買いまし た学校はね多かったです ねだから金持ちのこと貧乏なことすごく 別れてましたよでもうちなんかもう長屋 ですからみんな漁のこと友達みんなすごい 友達になってもう大通りで何十人も集まっ てかごめかごめなってやってましたからね でもねみんな男の子たち野球とかやるじゃ ないですかあとってもそれボールが来るの が怖く てもう女の子とまごしたりそれでもうあの 映画すごく好きでも映画見て映画帰って くると母親の着物引っ張り出し てそれで着物着てそれ近所の集て劇やるん ですシバやるんですけど私会見持って各々 がったお出会いされとかねやってたんです よおこ好きにかぶってじゃもう小学生の日 からあの女性的な服装であったりってい いや服装はもうはいま姉がね2年上の姉が いたからそれちょっとねあの借りたりをし てましたけどだけどあの僕とか俺とか言え かったんですよ女の兄弟が多いから兄貴と は年離れてるしあまり喋んないから怖いん ですよ父親も怖いどうしてもその姉と姉の 方がおはじきしても私のがパッて乗ったり お手玉も私がうまかったりそたらパっと 叩かないんですよあんた男のくにって言わ れてそんなだってあちしさって僕とか俺 って言ったことないんですよで小学校行っ てもあちしだったんですよそしたらその 時代その残酷ですよねその田舎であちして いうからついた名前あだ名がね女の なりかけ小学校時代ずっとなりかけでした よちょっとしたいじめのような感じだった んですかまいじめっていうよりかもう変な 男の子いるんだなって思ったんですよ ねでも別に何でもなかったですよでも やっぱり女の子たちの方がきついんですよ いや男のくにそば美人とかねもうわって 言ってくるのほと必ず学校にバジがいます からで番長と他のクラスなんですけど友達 になってるとおい平原どうしたって言って あの子たちいじめるのって言っとほら平原 に噛もうなて言ってねもういつもこうし ながらねあの子いじめるのって言うとね クラってやっつけてくれんですよもう なんかそういうあの所生術みたいなました その頃から持ってましたそれで隣に沖屋 さんがあったんですよあそれで芸者さんが いたんでで あのお祭りの日だけはお化粧してよかった んですよで芸者さんに白塗りしてもらって ここにあのタオルを乗せてお好きにして ボドにこって行ってそた女だと思ってる からみんなこて化粧してねると私がカっと 消まくったりするとあれ男か女かとか言い ながらねみんないつもだからなんかボドに 行っては商品もらって帰ってきましたその 白けで切ったんですよお化粧してで同級生 お平原平原おいて来るんですけど街の ちんぴらがあれなんだあれなんだあれ男か 男かそうその祭りの時は楽しみでみたいな 感じです楽しみましたよ堂々とできるん ですもんだから小学校の時はねだからうん 友達も結構言たいことやっぱり大体女の子 と遊んでましたよ男の子より こう後の話に続くんですけどその小学生の 時に まなんとなく自分は周りの男の子と ちょっと違うなみたいな感じは自分の中で あったんですかねありましたよもう小学校 の時も好きなもう同級生いました から男の子うんやれた送ったぐらいですも なんで手来たんだろうって向こは思ってる でしょうね多分 ねで中学入ってねぱ中学生になってからは すごい友達ができて女の友達男いや男の子 たち男の子たちがねでもちょうどその頃 あの浜道子さんのねバナナボートが流行っ てでお掃除してるんですけどそれもったま でおっって私がみんな掃除してんのにあの 教団の上で踊り出すのみんな わだからうんなんて言うのかなあの本名 鉄夫ですからね昔の名前がだから同級生 みなてこてこって言ってたんですよ鉄とっ たも言わなったかですね みんなあとはもうちょうどあの三マアひが 出てきてめけめけって出てきた時にうわあ すごい人がいるな であのびっくりしましたよあ私同じ人いる んだ私だと思ってたんで私は自分だけだと 思ったんですよなんで男が好きなんだろう 男の子にこいあのときめくんだろう とそれでみさん丸山きってバッと出てきた 時にメケベケって出てきたからすごく 流行ったんですねだからもう中学2年生 ぐらいもうメケメケメケめけって言わって たんですけど全然嫌じゃなかったですよ 全然ちょっと安心しました自分以外のそう いう世界えそれで本が好き小説好きだった んですよ姉が好きだったんで本がいっぱい あったんですねそれで禁食があったんです よ三島さんのそれを読んであこういう世界 はあるんだって私だけじゃないんだそで その頃ちょうどね昭和 3030年後ぐらいかなあの映画で メケメケよめけってあの 日焼でやったあのそこにゲボイたちがバッ と出てきたんですねその頃みんなゲムボ イって言ってたんでうわあ私はこれになり たいんだわと思ってただ高校行きたく なかったんですよだからあの今日勉強して きまて高校行け高校行けって言うから行き たくなくて本当美容師やりたかったんです ねで美容師の行って面接行くと坊野違うよ あんた行くとこは利用室いやでも私は美容 師になりたいんですダメで看護師やりたい で力がないで母親も分かってるからもう鉄 はしょうがないよね もうあのそういう労働の仕事はできない だろうからなんか板前さんかね本当い母の 神をやってたんで美容師でも慣れればいい のにねって言ってたんですけどそれ ま全然勉強してなかたんですけどま高校ま 試験はま隣のあの同級生と行こうって言っ たんですけど受かっちゃったんですよあら 嫌だと思ってねやだわもうもう早くうち出 たいの にそれでま高校入っちゃいましたそれで なぜか演劇部に誘われたんですよ演劇部に 行きました それででも秋に発表会があるからちょっと 伸ばし始め たら京都に呼ばれて黙そる髪の毛はって 言われて頭来ちゃっ てまその前からもうちょっとあの免役やっ てると私男のみんな笑うわけですよ部長も 何みなためだ女の役やってくれって言われ てお前男の無理だよって言われて 女の子だから髪の毛伸ばしたら京都に割勘 かけられてああもうこれはもう家 でしょ蹴っ飛ばしててめえこやろて言っ てもう用意はしてたんですけどねで両親が 朝ご飯食べてる時に行ってきますって裏口 からに荷物置いといてでこうみんな学校 行く時だから会うんですよはいはいもう 白原どこ行くんだどこ行くんだてうん ちょっと親戚で不幸があって不幸があっ てって言いながら東京まで出るつもりだっ たんですよで週刊誌にそのこの週刊誌に 東京のどこにこういうゲバがあってとか 全部電話番号とか住所書いてあったんです よで東京であのとってもその映画に出たね ケニーさんって人がいてその人のとこに あの応募行こうと思っ てところがはい鈍行 です学生服脱いでそとまいろんな人乗っ たり降りたりしますねどこですか東京まで どれくらいかかんのか今考えたわかんない んですけどただお兄あのごが乗ってきてや どこ行くのっていうか東京ですてあんた 家出でしょうて違いますて言ったんです けど滝川っていうところでねパッと下ろさ れて社長さんにこの子家出よって言っ てお願いだからちょっとお願いしますって 駅さんが追っかけてきたんですけどどこ ですから荷物ボっと持って走って逃げてそ したらまた違お兄さんがいて坊やどこ行く のってから東京行くんです東京何しに行く のって平房になるんですつったらうん平房 になるのかでもあんたね東京まで行かなく ても札幌にあるよて本当にってそたまた 車掌が探しに来たんです家出がいるって うんうんま変な格好してたからちょうど 修学旅行があっいたんですよそこにねパッ と紛れ込んで学生府持ってますからそれ 着替え てそのがあの中学の中に混じっ てでも札幌の手前でバレてね捕まりそうに なったからまだからパーっと荷下ろして もうどこですからねもうそろそろ駅に つくってことに行ったところがあるんです そこでバンと飛び降り てそれで月野まで歩い て月野にそのベハミってお店があ るっていうそれだけは聞いたんですうんで 人に聞いてもわかんないんですよすいませ んこのゲバありませんかって言ったらぼや 競馬所遠いよでまだゲバなんていうのが 北海道初めてできたわけですからゲバなん て知らない誰も普通の人に聞いても競馬嬢 は遠いよっていや競馬嬢じゃないんです けど人に白そで聞いてもわかんないなと 思ったからそしたら長しお兄さんいたん ですよあこの人は知ってるかもしれないと 思ってお兄さんゲバないいって言ったら なんだお前ゲゲボになるのかてからそう です連れてってって言った連れてってくれ たんです札幌にあのあの余情2丁目にね 大きな看板が出てたですゲバベラミって出 てたんですよそれでまたお店が空いてない んで夕方だったんだほでま店の前であの 荷物持って座ってたらあらてなんか スカート履いたねおじさんが入ってきたん ですよあこれがゲ本物見たいの初めてなん ではっと思ってそれ でここで働きたいんですあらまだねママは 来ないからね店上がっ上がりなさいで階段 上って2階に行ってバテさんが言って あんたいくつってから15ですて言ったら 15じゃ使ってくれないから18って言い なさいでカウンターが高くて座れたですよ バテさんが乗せてくれてジュース飲むって ジュース飲ましてくれてそこのままちかさ んって言うんですけど日本語網でねパっと 入ってきて酔っ払っやって入ってきてなん だこのガはってから応募に来たんですお前 家でだろって言うからうん違いますここに 働きたくてきました年はいくつだて18 ですバテさんに聞いてたからこって顔見 ながら18に見えないねでも肌が綺麗だね てじゃちょっとおいでてあの楽屋に連れて 行かれて化粧させられてこういう付け毛 みたいのがあってそれでなんかこういう あのシャスみたいなの貸してくれてそでお 店出ましたよその日に じゃもうその日から働いて働きましたほで お客さんにお客さんみんな呼んでまだ名前 がついてないんだけどさて言ったあら グリーンピースみたいだろこの子は豆 みたいだそうだ豆子がいいやて言って嫌な 名前だなと思ったけどでもマメコってのは ね東京ではね一流なんだよって言われて そうですかてまグリーンピースでもマコで 有名になっちゃったんですけどだからも 入った日からもショータイムも出てました し踊れたからマンボとかバトこれ末 恐ろしい子だねってママに言われたんです けどでも1ヶ月ぐらいでねなんかちょっと 友達仲よかった中学の時に友達手紙を出し たら親はずっと探してますよね札幌のゲバ にいるらしいってことがバレちゃってあの 警察が来てま荷物持って逃げたんですけど ね捕まってそれであの札幌の警察に連れて 行かれたら両親と妹と妹がまだ幼稚の頃か なだか私髪の毛はもう茶色にしてる しそれでま親戚の打ち泊まってもう返され たんですけどま学校にも行けないしまする ことないからと思ってまバーバーだっ たらそれででも3日ぐらいでもうねなんか ゲボがいるゲボがいるてわっていろんな あの見に来るからもうやだってっもう逃げ てやめてすぐにやめちゃったんですけどで 母騙して傘お願いだから1年だけやらして 1年だけやらして1年経ったら帰ってくる 言ったら長男 がお前出ていくんだったら2度とうちの式 またぐなよたから分かってるわよ腹ん中で ね口で口ごできないからそ分かってる2度 と来るかいと思いながらで母親がもう しょうがないねでもねちゃんと働いて一流 なるんだよてり出してくれたんですまた その札幌に戻ってそしたらお前はね店には 出さないからね店ねんだからね3日間ここ 店や遠手作ったんだからって言われたん ですけどお運びだけって言われたついねお しりですからそそう客席座っちゃうし正体 も踊っちゃうしでもそこでね1年ぐらいい たのかなで友達もできたしそしたら旭川に ねなんか新しいお店が できるやめようと思ってままやめさせて くださいで友達と朝に行ったん ですたそこがまたま全国から色々集まって んですけどちょっと怖い店 で1週間ぐらいで2階から荷物下ろして 逃げたん です新聞とか集会し今室蘭景気がいいよっ てじゃ室蘭行こうかって言ってで室蘭まで 行ってほで半街ブラブラしてたら女給さ 募集住み込み かって書いてあるからそこ行ってすいませ ん働きたいんですけど て女として ねれで3日間ぐらい住込みで働いてすい ません実は私たち男なんですええって みんなびっくりするじゃないですかそれ またスポンサーがついてお店やらないって 言われてまだ 18なってないですよほんでまあ雇ままで 炎ってお店をやってねそこで同僚と喧嘩 喧嘩して大喧嘩なってもう警察に捕まる ぐらいの血だらけの喧嘩してまた借金 だらけになってそれで今度あの外人相手の お店に働くようになったん ですその場所はどこおムランでだムランは 結構長かったんですよも景気がよっただ ムラんて外国生がバンバンついてでも店 から今日船がつくからって言ってもう昼間 から化粧してで税関通っていろんなもの 名刺持ってマッチ持ってで外人の船に行く わけですよもう網を伝ってドレス来て行く んですよで今日来てちょうだい来てちょう だいってで帰りにストッキングとか いろんなものもらっていっぱい履いて隠し てで夜なったらもう外人だらけもう ギリシャ人フランス人 イギリス人で男ってばれると落とされ ちゃうからから うんま女性としてずっとそう私は1回も 落とされなかったけど外人さんもすぐ わかるじゃないですかこんなのもいるわけ ですからほとこれここにおかがいるぞって 言ってみんな落とされちゃうんですよ私 ランプしてるからバレなか全然何もして ないこの頃です よ白崎面白いらしいよっって言われてうん それで初めて連絡生に乗っ てってとこ行ったんですよそしたらその キャバレだったんですけどもう昼間 閉じ込められて表出られないようになって んですなんか売られたみたい騙された みたいででショータイムだけ出てで私が 踊ってなんかこうあの弁天小僧やってたら だからそこの親分に呼ばれてあれおでお だって言っておめえ男かてからおだって 言ったらなんでこんこったらどこにいるん だて騙されて連れて来られたん だ言ったからそこのオーナとなんか話を つけてそれで普通のちゃんとしたキャバレ にホステけダンサーて働いてそこでお金 食べたん です一緒にいたのが青森県出身の人だから つが弁でだからつが弁も行くとこ行くとこ 変わるかね言葉でもできるんですけどうん そで私はちょどうしても東京行きたいから 17かなそであんたいいけどさ私別れよっ てで東京にその私が15時に働いたあの マヤさんって人がいるんですけどその人が も東京出身で私も辞めた後にもうま東京に 帰ってきたらしいですよじゃそれを頼って いつも手紙をくれてたんでねとっても 優しい人でだからもう洋食なんて食べた ことないのねもうレストラン連れて行って ナイフとのあれを持ち方とか食べ方とか 飲み方とか色々教えてファッションとか 教えてくれたのそのマヤちゃんて人なん ですその人を頼ってそれであの銀座にね あのボンヌールとお店があってそれが吉野 さんであの未だに元気です今私と一回り上 でそこに訪ねていったんですそしたらま ママまだ出て来てなくて若い子が2人いて お姉ちゃんどうしたのって言からこれ働き たいんですけどてみんなびしてこいるん ですよあお姉ちゃんうちは無理だと思うわ よ今度赤坂にねラテンコータでできたから そこに行ったらって言うからあそこもゲバ ですかって言ったらうんナイトクラブよっ て言からいやゲバに働きたいあんた働け ないわよその頃スカート履いて髪の毛長い ての は東京全員があの囲みしめて男の格好なん ですよ東京では違ったんですねそ全然違っ たです大阪はシスターバーって言って みんな女装してたんです東京はそのゲボ 行ってのはみんなびしめてあまりこんな 化粧してないでま化粧してるとかは化粧し てますけどあの店では女装してもあの ほとんどが加工日なんですよそれであの2 丁目に青てある有名なお店だったそこは そこ行くつもにはなかったんですけど行っ たら休みだったんですね夏の間は鎌倉だ よって言われて それでそのまやちゃんに聞いて電車の乗り 方を教えてもらって湘南電車でこんな霞み なワンプ来てこの長い髪で行きましたもう 地に会いながらね触られてなんで東京はお かねと思いながらおかねと思いながらほで 鎌倉着きましたでま歩いて財務くってあの 鎌倉行ったら歩いてま近近かったんです けどそれで吉突っ張りのお店があったん ですね夏の間だけ銀座を閉めて夏だけで 一気隣に足初戦も店やってたんですよ ジャズバやってたん ですそれであのまだママ出てきで誰か 住み込みのこがいてねあらママまだだから 夕方でやっしいって言われてしょうがなか 砂浜に座ってたらあの太陽族が太陽族太陽 族石原慎太郎さんの太陽の季節ですよその 時代ですからナハ来てお姉さんそんなも来 て何やってるこちでこあおかおか怖い怖い と 思うそれで行きましたですあママが出てき たからパッと私を見て上から下まで変わっ てみあうちだめようちあんたみたいな 髪の毛長いのは使わないかあ髪の毛長いと ダメなんですかだめよって言わも帰りまし たパッ東京に帰って髪ばっさり切ってまた 戻りましたえあんたあの長い髪切ったの 大したもんだね名前なんて言うんだいなぜ かその時にねまだ店でまた捕まるから牧田 とるですって言ったですじゃ牧田ねでその 日からあんたいう気なの長い髪の毛来て うちでその感スカートはダメだよて言われ てじゃその時に初めて巻きというそうです それはもうあの青いのママがつけてくれた 名前でそれからずっと巻は通してたま カタカナの負けだったんですけど途中で いろんな名前変わってね最後はもう悪魔の 前に鬼って書いてましたからねそれで巻 きってそういう名刺作ってました からそれでそこへやっぱりねその吉 突っ張りの店にねあの東京からみんな銀座 からお客さんバンバン来るんですよすごい お客さんたちがで夏が終わってそれで銀座 に戻ってからもうこんなすごい階段のお店 でねねでもお客さんが販売じゃないすごい すごい人たちだったんですよ有名人が いっぱい来るんですようんどっかのね建設 会社の社長さんだと かだその頃1ヶ月でもお給もらえるように なって1ヶ月 1万8000かなんか住み込みでねどれ ぐらいですか1万8000円っってあの 大学うん大学通1万3800円ですから 結構なものうんお給料もらえるようになっ てでもあのやっぱり住み込みなんですよ 大変なんですよだからもう1日3食ご飯 作んなくちゃいかないしお掃除してママの ご飯作って上々のご飯作ってでママの支度 を手伝ってほであの車のママ運転するから 後ろに乗って後ろ見ながらねはいトラック 来ますとかね運転下手だから真っすぐしか できないから後ろはい次トラック来ます はいバイクが来まって言いながらね銀座で お弟子さんみたいですねも弟だから 住み込みでその時にやっぱりいろんなこと 覚えるわけですよその帯の締め方こいうの 着物この頭の時はこの神座をつけてって いうのはそこで全部覚えたん ですまそれで青 でちょっと熱海に乗り減って そのあのミキのレさんによく似た人が熱海 のお店やてたんですよそこちょっとお正が 遊びてそこのバーテンとできちゃって逃げ たんですよ夜逃げしてそれからもうまた ルロの旅なんですけど ねまあそれでは名古屋で その柳って競馬あの柳橋に柳って競馬が あってそこで働くようになってでみんな 東京の人なんですよまそこもちょっとそう 喧嘩してま喧嘩するとやっぱ古札幌帰っ ちゃうわけですよでも多いですねもう喧嘩 多いんですもうあのなんかねあのほら おかまとかなんだこだろとすぐ手が出 ちゃうんですよそれあ全然悪気なしてあら おかまさんなのねってそういうほら全然 いい言葉だと思ってる人もいるけど別の 言葉ですからなこれおなくてなんだこなる ててすぐやっちゃう からほで結局最終的にねもう名古屋て 名古屋からまたまた名古屋戻ってで名古屋 でまたそこでちょっと男とね男とあれ 暮らしてたんですけどま女から取った男 ですからそのまた女に取られたんですよ もう頭来てもうグレグになってたんですね ただ大阪のお客さんが来ててこれから車で 来てたんですよ大阪へ帰るって言うから私 乗っけてってくれないって言ってうん荷物 を全部トランクに乗せてそれでまやちゃ んって人が大阪のカルーセルにいたんです よそれでやずっとそのまやちゃんって人を 頼ってそれでまやちゃんじゃあ堂ともの橋 までおいでって言うからま荷物山ほどある わねそれでまタクシー乗せて店まで行って そこはもう住み込みだったんですけどそれ でカルーセルで働くようになった ですかさん大阪のイメージがすごくあり ますけどそれまでにそこまであったんです ねそうですよだからその3年10もう15 たってもうあの昭和33年では9月の2日 ですから家でしたのが覚えてそ だけえそうだだからもうもう15ってもう もうあれで11月もですからね3ヶ月 ぐらいでも16なってるわけですよだから その頃のだから年がねちょっと分かんなく なるんですけど 16111919ぐらいで大阪が入ったん ですねそのカルテルにそこもやっぱりね もうもって大勢30人ぐらいいるんですよ だからもう東京と違って角屋の人もいで もうほとんどみんな女装してですよみんな もおっぱいも出てる しそれであのそこのママが ねまきちゃんあんたさ綺麗なんだからさ おっっぱい入れたらっていやおっぱいは いらないって言ったんだけどでお金くれ るっていうからで名古屋に整形するところ あるっていうから行ったんですけど断られ たんです私だけねうんあんた度痩せててあ 出てるのにねこんな痩せてるもってあ太っ てからいらっしゃいて言われてそれでその 前ちゃんて人に私太るならどうしたらいい のったホルモン打てばいいのようんでその 頃薬局でホルモン打ってたんです100円 でうん駐車機もうんほれでみんなでこう やって自分たちで売って修理2本ぐらい 打ってたのかなもう痛くて痛くて痛くて あのおっぱいがねバンバンバンバン張って きて全に出てくるんですおっっぱいがあの これね今じゃ信じられないで100円でく でも変えたんです それ で胸が出てき て店でストリップできるようになって もっと大きくしたいと思うじゃないです かそしたらまやちゃんて人はね私このまま じゃ男になっちゃうて言ったら弾取れば いいの よでもその頃もう日本の法律ではダメだっ たんですね医者が捕まってますからそれで いろんな病に行ったんだけどやってくれ なくてそしたら歌舞伎座の横にね性病感が あったんですよでそこの先生に行ったら うんこんなもんもちより鑑定やでって言っ てでその頃ね3万円ですよ手術量がね ところがところ3日目ぐらいてに内決して こんな晴れちゃってでそのまやちゃんが見 て見に来て あのお見舞に来てくれてあんた取ったん じゃなくて入れたんじゃないのってぐらい もうももう本当気節するぐらいに倒れて 水間で1日で帰ってくるんですよ1日で ところが私4日かかったんですよ弾取った だけ で相当痛いですよね痛いってよりねパッと 洗いた もうこれバーンタったけですからイも偉い も偉いことになったと思ったりしこでも まあ退してちょっとまだ傷がねちょっと 開いたりするでも小タイムがあるからもう ちょっとひいちゃの動くとだから自分で 消毒して星して止めて絆創かってやって ました よ舞台に出てえそ舞出ましたうものもう弾 取ってほれで毎日もう本当1週間に1ぺ ホルモン打ってましたからもう自然に ボンボンボンボンボンボンって胸が出てき たんです それでもこういうとこも脇毛とかすね毛と かあの筋肉とか全部なくなったんですうん は若い若かったからあっというになくなっ たんですよ今はもうねもうみな楽にさ耐え に行ったり日本でもそうできますからねま あの強制はできますけどだから あのそれでそのちょ胸が出たからもう胸の 間服来たくてで頭はねみんな黒い頭だけど その子今もう誰でもブロンドいますけど その頃ブロンドの人間になっていません から美容室行って週にっぺはブロンドにま この長い毛をブロンドに染めてこうブリジ バルになりたかったんですよもうこういう の来てるともうもうすご目立つわけですよ はいそとやっぱり芸能人の人がいっぱい 来るんですねその店 にそれであの放送作家の進路シさんって人 がまちょっと友達紹介してもらってなんか ちょっとまさんをね舞台にあげたいんだ けどて言って戸川ま正子さんの両人日が その日月ミコホールの大阪版がですOS ミコ ホールそこに出てくれって言われてでその 時が一緒の友達になったのが上岡竜太郎 さんとノックさんと一緒に出たら舞台漫画 取りの頃そうですそうですパパパーンとこ ですそれでその頃もう本当に早々たの メンバーもあの 私は南なんですけどね8番筋ですからで北 新地から電話変ってくるんですねそのママ からねクラブやってるママから今勝新太郎 が来てるからあた迎えに来てバっと迎えに 行ってでそこはもうすごいクラブでもう 外人ばかホステも全部外事バンドも全部 外事ウェイターも全部外事わって入って くると タタタタタて私が入口からだんだんだん 踊りながらガーっと入って行ってもう勝っ ちゃんは喜んでるしほれでもうお客さんて うわーってきてどっちが騒ぎやってだから 芸能人の人が来ると大阪行ったら南の8番 筋にカルーセルマきってのがいるから みんな芸能人が来てその中であの市川之 さんね若い頃豊匠さんだとか あのま若手でもういつも遊びに来ててもう 私のこと私がベラでしょあのじゃこうやっ てやまってやってですから最初もやも 初めましてマですってなんからこなろって やるからもう弁天こからみんな面白がって 面白がっだから私に惚れてるお客さんも いるわけですよお願いだから男に戻んない んでって言われんだけどだってそれがね ああってやいながラってやるからそれが すごく面白いそこ受けたんですね めちゃめちゃもうそれでエスさんてもう あのとっても遊び心ある人でそれであの俺 の同級生にが撃で東方でプロデューサー やってるからミュージックホールで来ない あのやってみようよっってで遊び行ったん ですよだたらまあまあま浜さんと結婚し てる頃ですよねま蚊がてるきお腹にいる頃 ですからでそこで来とかいっぱい呼んで プロデューサーも呼ん でちょっと見せて胸見せてとかにあいいね ちょっと世が低いけどいいねいいねて プロデューサー喜んでオッケだよ決まった よてそれでも決まってちまったんですけど プロデューサーからだあすいません私実は 男なんですけどって言ったらええって言っ て騙されたってもうそのプロデューサーは 未だに覚えたです橋本蒼介て名前出しても いいんですけどもう彼はもう江さんの同級 生だったんですねでも自分が騙されたから もう私どこでも記者とかいるところ連れ てるかけと蒼介がいいような連れてるいい よ連れてるって言ってななんかもう大騒ぎ になってでも私がもうでバっと出て うわーっとマスコミがもう休憩時間も わーっとマスコミ来るからちょっとみちょ 出番だからって怒られましたよマスコミに ねお前が2度と取材するかって言いながら そんなとこられてもこっち出番があるから ね喋ってられないんですよそのうちにあの テレビ局から電話が来てあのイレブPM ってそれ始まったばっかりですよだから 週刊誌も平凡パンチとかあのプレイボイと か日本のは入った頃ですだから仕事はもう 11PMかあと平凡パンチグラビアねあと もいろんな雑誌のも裸のもグラビア ばっかりですよ毎日が忙しくてでもう あと西駅終わると青野ママんとこ手伝いに 行ったりなんかしてたんでこもうマスコミ はもうお客さんもどんどん入じゃないもう だからもうあのママはもうあマキまきまき マキマキマキてもうお客どんどんどこ どんどこどんどこ来るからだから芸能湖 入ってそのうちに映画の仕事来たりとこの 銀座のママさんたちがもう来て私が面白い もんだからうちで働いてうちで働いて いろんなクラブのママから引抜きがあって で青のママがまそこだったら行っていいよ そから終わったらうち出てきてねてたその 普通のクラブに混じって働いてでお客さん を連れてまた青に戻るあのに出られたこ頃 も夜のそのお店とかにも出出てましただ からもうずっとだから私が最初じゃない ですかその銀座にもゲバあっていっぱい あったんですけど あの女の子と一緒に働くってのがうんあ からもうみんなそのいろんなクラブのマ たちがニハフ使った中ニュハフなんてこと ない頃ですからねその頃でテレビとかも 出だしたということでどどうですそかあの 忙しくならた感じですかそうですね やっぱり1回目のその日劇21か2かの時 出てからやっぱりマスコミがバーって来る んでそれで11PM最初出たのがであの 事務所がないもんでマネージャーもいない し1人でやってたんです よそれすごかったですよもうあのクラブも 働いてるしねえと映画も入ってくるしだ からテレビもやって それで営業ってあのキャバレ周りもやった しよくね事務所なくてマネージャーもい なくて1人でやったと思う ぐらい信じられないでしょだから今日は 今日は東の仕事だと思って東行ったら今日 ないよってあ間違えた2活だって言い ながらねあこれじゃダメだと思ってそれで 事務所入って入るようになったんですよ街 でも普通の人になんかあまもうもう指刺さ れる指刺される指刺されるだからもう最初 もうもう悪口言われても馬鹿されて もしまっときゃいいだと偽物だ からねあのワイドシ出てカーテンで足だけ 出してこの人男でしょうか女でしょうか そんなのよ普通だったら怒るでしょそんな のワでやってたんですよあでもこれあの ヒールのあれがあるから女じゃないのいや 男かもしれないとかねもうそんないや そんなのよあと は町で歩いてる人たちに私を見せてこれ カルセ負け知ってるかあ知ってるこれ おかまだろとかねだけ気持ち悪いなとか そういうのをやるんですよ私本番中に生 放送でねここのテレビ局ですけどバーンて ひっくり返して書いたことありますだから それからもうねそれをやってから見て バーって伝わってカルーセル生放送使うな だって失礼なこと言われたらさ笑ってられ ないもんもうその時時はてこなるとバンっ て返て帰りましてだから生放送は使って もらえませんでし たもその時も下品だなっていう演出であっ たりって思われてそうもうすごいやだっ たでもその頃のねストリッパー私もう 肩書きはもう女優でもなんでもないし私 ストリッパーですってストリッパーで誇り を持ってたんですようんすごくでも日出て どうしても女の人たちは陣痛てねこう ちっちゃいの履くんですよそれが履けない んですよどうしてもねこっついてるから それを今みたいガブテープない頃セル テープで後ろに引っ張っとくんですよそう いうとこ履かないとだから激しい動きは できないんですよあの外れちゃうからだ もう邪魔で邪魔でねもうハミで切りたい ぐらい邪魔だっただから別に女になりたく じゃなかったんの私ダンサーとして ストリッパーとしてやりたかったんです モロッコに施設するきっかけって言った どういった感じだったんですちょうどパリ からあのブルーボイってあの本当の本店が あるカルーゼルとお店がねパリにその連中 が来てて一緒にこうステージやったり テレビ出たりしてた友達がいっぱいできた んですフランスのであのポクシネルって 有名なね世界のゆってそう綺麗人にいるん ですよ彼女がモロッコで晴天開したそれは もう聞いてたんですねだから私はももう 行くとこはモロッコよって日本じゃでき ないからモロッコ行くんだな てま私大阪部と東京も行ったり来たりも いろんな仕事してたんでである時青江に 仕事が終わって青江に行ったらなんか偉 そうな人たちと青のママが話しててじゃ すいませて言ったらちょっとマキて呼ばれ てあんたがさ今度パリでねあこちらの スポンサーがねあのお店やらないかって 言うんだけどさあんたママで言ってくれな いっていうだって私レギュラーもあるし何 もあるしてでもその時にふっと思ったのは 頭に呼行ったのは モロッコもうマスコミがうるさいいつ行く んだいつ行くんだいつ行くんだってもう 隠すのも大変だしちょうど渡り船だから じゃあもうパリ行くわって仕事も全部 キャンセルしてだからオープンまでに1 ヶ月ぐらいかかったんですけど でその学校行くんですけどあれフランス 行くんですけど安倍生でから始まるんです ようんそれであむしあイララて言った私は てあげるとあパルドまだもいらあもうむ青 えて言って おおエクスキューズもまだもうあえてもう それだけでおしまいですよ教室 でみんなほら無視になってるからミスター になってるからうんもうあこんなねあと1 ヶ月後にお店オープンするのにねこんなん じゃもう何もできないんだからこと言葉 できないんですからで遊んでるねジロ みたいないたからこと見せあるからご自装 するからさ教えてよててまアパートに呼ん で毎日毎日勉強してまず悪い言葉から全部 私はモロッコ行かなきちゃいけないから 医学用語とか全部聞いて耳で覚えて体で 覚え てそれでまあのカルゼルってそこにロー ラってそ友達がいたんですけどで彼女と店 終るとしょっちゅ遊びに行っててねそれで 私はあのモロッコ行くからって言ったら みんな反対したんですよ うんうんサパのつって言ってまきダメだよ あのダメなっちゃうよって言っかいやもう ねこれ邪魔でしょうがないから私そのため にパリー来たんだからってもそのままや るってのも半年って決めた もう契約はね半年間で私はモロコ行くから その半年間 で病院調べてモロッコの病院を調べてで 連絡も取って電話してもらってそれでお金 をそのと時150万かなまと銀行にて こんな髪切り持ってはい行きましょうて モコ行きまし た行って あのま砂漠中ですよね戦争やってるから みんな空港でこんなの持ってカサブランカ で うんでどこ行くんだっていうからドクター ブローのこと言ったらそのまますって通し てくれましたけどでずっと行けでもいけで も砂漠でさたまにラダがいたりロバがいる ぐらいではか向こうに白い家がバーっと出 てきたんですああ白い家だカサブランカだ で言ったらもうサブ人家だったんですね それでま医者と話してあのある程度の話ま あの友達のあの清みとのと2人で行ったん ですけどで も私が先清み先やってって言ってで時間 測った大体2時間ぐらいなんですよ帰って きたのにじゃ私も行ってくるわまあの彼女 はもう意識ないから麻酔が聞いてるからで 私も行ってもなんか喋ってたんですけど もうお腹空いたお腹空いたお腹空いたって つったら食べちゃいけないって言われて パンと駐車打たれて2回打たれてでま オフス連れていかれましたで分娩ラ乗り ました私見たいからどうやってするのかと 思ってでも手も足も縛られてましたで女子 みたいの何か言ったんだけどももうもう 分かりませんで目がさいたらもう3日経っ てました でも他の人も見るとね大体2時間ぐらいで オプして帰ってきて5時間ぐらいでわって 騒いでるからこっちでイタリア語聞こえる こっちフランス語聞こえるこっちドイツ語 聞こえる英語が聞こえるみなそこ3階に もう世界中から来るんですよでもままず目 がさった顔を見た青いまずあそこも見まし たああよかったなくなってるってもう うわあもう本当そん時はもうバッと見まし たようわないってあの忌まわしいものは ないあのそて嬉しかったですよそれ朝に 看護品がねあのなんだあのワゴン持ってね あボジマダムこも様て言いなからねだけど 私はねどんどんどんどんどんどんどんどん 熱が出てき てもう来てるも浴衣も何 も3時間ぐらいぐぐなんですよ寝たかっ たら38°何ぼとかあってて で友達はもう全然大丈夫なんですよじゃも あこれダメだわちょっとあんた1回もう1 週間で出るっていうか私はもう全然出 られる出られる様子がないからでその興味 にあの退院しろって言われてちゃんと一旦 パリへ帰っていろんなもの持ってきてくれ ないって言ってで彼女にお金渡してそれで あの1回パリへ帰って着るものとか食べる もの全部持ってきてもらって近所のホテル 取って彼女はね私がサイするまで結局 すごい熱が出ててま1人になって寂しいし 小さい部屋にあの映されて泣いてました イタリア人とかみんな来てわわ喋ってるん ですけど言葉分からないしイに言っても ここ腐ってるんだけどって言っても通じ ないしそしたらもう私かあんまりうるさい もんだからあまたオペ連れて行ってだら私 はこう あの可能してるよってったのがそれ通じ なくてあこれダメと思ったからあの看護師 にお金渡してであのオペのど持ってきて もらってで消毒してこに鏡を置いてそれで 全部腐ったもの自分で取って切ってご自身 で ええでもモロッコで40日間結局30日 退院したんですてまた倒れてまた間もう もうここにはいられないもうパリ帰れば なんとかなるだろうでパリまで帰ってでま あの色んな薬とかいろんなもの用意して もらってでもそこでもまだ治んないでも 正月公演決まってるもう日本に帰んないと 12月には帰らないと稽古があるからもう 大変でしたよもうもう飛行機に乗るのも クッションこういうクッションを10個 ぐらいのせちょっと交通事故にやった からって言ってもうこうこで10何時間 モスクりで帰ってきましたよ実前と施術後 ってなんか自分の意識の中で変わったこと ものすごく変わりましたよやっぱり日 ミコル出ててもう絆創があのあれがいら なくなったことでもちょっとみんなにもう ね正月たあの白み5人になってバってば さしてバって言ってんですけどおしっこが ねいつ出るかわかんないんですよで本当は 全部こう並ぶんですけどそ私はもう弁天5 聞くのすえってついこう出てくる私は堂々 と舞台のよ真ん中から堂々とこうやって傘 した袖まで行って傘掘りなけてトイレて いつトイレが来るかわかんないんですよ それが一番大変でしたんなこと今笑って 言えるけどこっちはもう汗もんですよもう 生の本番舞台です からそれでまたあのまあまバっともう仕事 増えてもうバンババンバやってたんです けども 私その年から その29歳の時からあのもう夏はも仕事し ないって決めたんですね夏の間はだから 絶対レギュラーも持たないどこの事務所 入っても8月9月は仕事しませんって条件 でなぜかと言うともう夏はパリ行きたい からうんでぱり何することないでしょ別に 本でブラブラしてあと来年の1年分の衣装 を全部作って切るもも何あとイタリア行っ たりモナコ行ったりとか色々遊びに行って それで帰ってきたら年末まで働くうんで またからここ10年行ってなんですよあの 濃梗塞なってからはい10年行ってないん です今までだからいく つ40年はね 年取るとわかんなくなってき ちゃっ今あのかさんの後にどんどん出てき てるじゃないですかねその今状況について かさん自身はどう思われてるんすごくいい ことだと思いますよみんなよく頑張った じゃない政府も世間もみんな認めてくれた じゃないでもね私たち少数派なのうんうん でしょ少ないのそれはねだから私が生きて てこんな戸籍が変わって名前も変わってっ てできると思わなかったよく政府が認めた と思うのねでもそれは苦労しましたよ精神 家行ったりもういろんなもう弁護士さん 連れて裁判やったりでも私が最初にやれば みんな楽なると思ったんですよ私はそれで おじだと思うんですよねも今lgbQ もうわけわかんないんだけどだから男とし て結婚させろ何させろうって言ったってね もう全国世界中がそうだって言ったって別 に日本は日本の法律があるんだからでも こうやってねみんなが認めてくれてこうで みんな活躍してそれ以上何をね何を望むの かって私は分からない私はもう本当に今ま 今の人たちは本当に あのとってもねあの ラッキーだと思いますよ昔は本当にね 化け物扱いね偽物扱いでねそれでも私我慢 してやってきた私を別にあれするわけじゃ ないですけど自分をあの消化するわけじゃ ないですけども髭もしてないしでも女に なりたいってま本当に海外行く時に パスポート や出すと必ず捕まる昔はもう女になってて もパスポートは男だから必ず別室で連れて 行かれるアメリカなんか行ったらハワイね 行った時に別室に連れて行かれてぽぽにさ れて20年行けなかったですからね表出る 時はここに私は男ですってあしないと あんた大保するよそれそれから20年 アメリカ行けなかったんですよでも ヨーロッパはねすごく あのそういうとこはあのオープンですよだ から私たちがトロベステってまあの私たち のことトロベステってフランス語で言うん ですけどもで分かっててもマダムですから だから化粧してこて男のトイレ行くからベ どこ行くね言ったらだってお姉さん女の トイレいっぱいあんその格好した男トイレ 入ったら怒られるわよっていうぐらいに すごく認めてくれホテルでもま男の パスポートでもちゃんとあのまだんやっと こ見て時々旅行会社の人ちょっとお宅の あのガバメントおかしいんじゃないあた男 になってるわよってパスポートが男になっ てるやあ本当だって言いながらねでそれ くらいにこも女に見えても私女だと思って ない しだからね私たち少数派ですよね1人迷惑 かけちゃいけないと思うんですよでもさ こうやってみんながねもうドラック食い だろうがね何だろうがこれだけもうテレビ にねマスコミに使っていただいてすごい ことじゃないですかうんね昔あんな格好し て歩いた本当石ぶつけられたんだ からせさん自身は今後の話です今後何か こうやりたいとか夢ともうないわよあんた あるわけないでしょ81だよ私夢とかない ですか今後の夢夢なんてないよ夢はもうね 好きなお酒飲んタバコ吸って美味しいもの 食べて来た仕事を受ける だけもう何の望みだあともう行くだけだよ 天国行くか人国行くかわかんないけれども 多分私は化けて出てくると思うけど何のね でも今こうやって取材受けてね楽しく喋っ てるもう十分これで言いたいこと言って [音楽] うんは [音楽]

記事はこちら▶https://news.ntv.co.jp/category/culture/e1c39a54c7494743bda2cf10aacf4366

「S」Showa Star Sugao To Syogen
「S」とは“昭和スターの素顔と証言”
令和の今、懐かしさと新鮮さがクロスするエモーショナルで不思議な時代「昭和」
そんなノスタルジックな時代に生きた、レジェンド達のお話。
昭和×レジェンド
昭和に生まれ、戦争、高度成長、バブル、バブル崩壊、失われた10年…
昭和、平成、令和と激動の時代を疾走し活躍してきたレジェンド達の人生に着目。
成長、出会い、成功、失敗、復活…など人生の様々な分岐点で何を考え、どう行動したか、ここでしか聞けない本音の話を聞いていきます。
そこには、意外と知らなかったゲストの素顔や
現代に通じる「未来のきっかけが」みつかります。

今回のゲストはカルーセル麻紀さん。
ニューハーフタレントとして一世を風靡し
昭和・平成・令和とその道の先駆者として
走り続けたカルーセル麻紀さんの人生の分岐点とは?
81になった今だからこそ語る「LGBTQ」
15歳の時の家出から始まった波乱万丈の人生。
性別適合手術によって女性の体となった
カルーセル麻紀さんの心の内側。
などなど、ロングインタビューをお楽しみください。

◇メンバーシップ「日テレNEWSクラブ」 月額290円で所属歴に応じ色が変化しステータスアップしていくバッジ特典や、ライブ配信のチャットで使えるスタンプなどの 基本機能が特典となります!! https://www.youtube.com/channel/UCuTAXTexrhetbOe3zgskJBQ/join

◇日本テレビ報道局のSNS
X https://twitter.com/news24ntv
TikTok https://www.tiktok.com/@ntv.news
Facebook https://www.facebook.com/ntvnews24
Instagram https://www.instagram.com/ntv_news24/?hl=ja

◇【最新ニュース配信中】日テレNEWS NNN
https://news.ntv.co.jp/

#日テレ #ニュース #日本 #カルーセル麻紀 #性別適合手術 #LGBTQ #news #japan

49 Comments

  1. カルーセル麻紀さんこそLGBTの先駆者だし、今の活動家みたいなおかしな主張しないよね。今の活動家みたいなのには嫌悪感しかない

  2. 昔のこともよく覚えてるし言葉もポンポン出てきて楽しいですね
    色んな経験を乗り越えてきてるから根性が半端ない

  3. しっかり赤い爪でハイヒール、レースのタイツ、カッコイイ!
    自分の個性を生かしながら足るを知る、という生き方は本当に知的!

  4. 父と同じ年齢です 💦
    昔と変わらず綺麗で話し方もしっかりされてるし81歳とは本当にびっくりです。同じ北海道の出身で親近感が湧きます。尊敬します。さすが北海道の女です 🤣

  5. 私も子供の頃からある意味ませていた所があったので、11PMとか見たりしていましたけど、カルーセル麻紀さんはお綺麗でもあったし喋りが面白かったです。青江のママさんも時々番組に登場していてましたね。
    ニューハーフという言葉も無い頃です。
    本当にカルーセルさんはマスコミに出て基盤を築いてくれた大御所、大先生ですよね。長生きして欲しいです。

  6. 有本さんが言ってるとおり、日本は昔からちゃんとこういう方を許容し、暖かく応援してた🎉
    あんな悪法は必要ないって❗マキさんは生き証人ですね~😭こういう企画を流してくださってありがとうございます~🙏
    そういえばマツコさんも同じような意味の意見をおっしゃっていましたね😅

  7. 1969年生まれの私には小学生時代から
    地上波に良く出ていたのを観て
    亡き母と共にファンでした。母は
    昔、桂文珍さんと司会をする
    イベントにも行った事があり、
    目の前で麻紀さんを観て「ホント
    綺麗だったわ〜」と歓喜してました
    最近メディアに出ないので
    久々に拝見出来て、話しぶり全く
    変わっておらず綺麗に年を
    重ねているのにさすが麻紀さん!と
    感服です。波瀾万丈の人生81年間
    生き抜いて来た、生きざまにも感服です
    upありがとうございました

  8. カルーセル麻紀さんをモデルにした自伝的小説「緋の河」を読んでからますます好きになりました。本当に稀有な存在だと思います。

  9. わたし、カルセールさんどうしてるかなーとおもってました。さばさばしてる気性がすきです。もつとテレビでほしいのにと思ってました。今日あえて感激です。お話がじょうずで、元気が伝わってきます。

  10. 高嶋ちさこがカル―セル2世に見える まだお元気なので昭和の話を聞きたいですね 大物との出会いとか

  11. 50代のゲイです。子供のころよくテレビでカルーセルさんを拝見しており、今でもお元気な姿を拝見できてうれしかったです。終盤で言われていた「これ以上何を望むのか。私たちは少数派、他人に迷惑をかけちゃいけない」という言葉、本当にそう思います。自分は少数派としてひっそりと生きていたいだけなので、昨今のLGBTQの活動家の権利ばかり主張している姿を見ると、少し違和感を感じます。先駆者として耐えて来られたからこその、貴重な言葉、ありがとうございました。

  12. 南4条2丁目に札幌最初のゲイバーがあったとは。旭川や室蘭の景気が良い様子も、今の道内からすると隔世の感がありますね

  13. カルーセルさんの体当たりのど根性と努力と決断力はすごい。さっぱり生きてしゃんと背筋が伸びて歳を重ねられている。後輩とかにも麻紀さんの粋の良さを伝えてほしい。麻紀さん、今までお疲れ様です。

  14. 確かに人間一人一人違いますし大事かと思いますが主張するのに違和感は感じます。
    別に男性が好き女性が好き同士ではなくて!もう一度、先駆者様達が居たから今がある!とか良い時代かと思いますが、主張し過ぎてる気がします。
    それは別に性別がとか関係なく好きなら好きでお互い惹かれあって一緒に居たり離れてても感じたり普通の男女すらいろんなことがあります。
    今、自分のストレス吐口に悪口なり他人を叩く気がします!発言は自由ですが
    自分自身を見直した方がいいかと思います。
    私とていい人生では無いし他人から貶されると思います!でも男女関係なく人を愛し貫くことが出来なくても幸せと感じたい!そう思います

  15. 今は亡き父と一緒にテレビを観ていた時「この人、カルーセルマキっていうんだ。綺麗だべー!」って教えてくれました。
    子供ながらに11pm大好きでした。

  16. 仕事帰りに偶然見つけて、途中でうちに着いたからいつもは
    ま、いっかで閉じちゃちんだけど、通勤時間に2日掛けて見終えました。非常に興味深い話でした。

    カルーセルさんって、
    生きてくなかで、知り合った人との繋がりを大事にしている方だなぁと感じました。
    手紙でやりとりを続けていたり、芸能界入ってもお店は続けて最後は青江のママのお店に顔を出す等、お世話になった人との関わり方や、お世話になった人の名前が良く出てくるし同じ方の名前がが何度も出てくる等、
    人の悪口や、陰口のような話が全く無い。

  17. 素晴らしい。やっぱり好きだ。子供の頃テレビで拝見してたカルーセルさん。立派だな。男も女もない、カルーセルさんなんだ。

  18. 感動、マキさん〜素晴らしい、自分は男ですが、マキさんの考えに感動しました。最後まで頑張って下さい。

  19. 私の名前も麻紀です✨先輩です🈲元気そうで、何よりです、これからも、先輩頑張って下さい😊

  20. カルーセル麻紀さん 立派で堂々 素晴らしいです! 昔、カルーセルさんに フランスの大女優ジャンヌ・モローさんの様ですと 友人に言われた時 私はジャンヌより 同じくフランスの大スター女優のブリジット・バルドー の様って言って欲しいと言う話を聞いた事があります だからB Bべべに 憧れてたって頷けました^_^

  21. 30年以上前銀座の高級クラブへ連れていっていただいた時。。。カルーセルさんのお誕生日の日。。。ご挨拶に見えた黒い背中のあいたドレスで「こんばんは」と見えた時。。。とっても美しくて忘れられません。 お元気で良かったです。

  22. 「LGBTQ?もうわけがわからない、あれさせろこれさせろ、それ以上なにを望むのか、日本は日本でいい」だそうです。

  23. 素敵です。こんな80代目指します。老年期にはいっちゃったかなあと最近自覚しつつあるおばさんかおばあさんかどっちかわからないところのノーマルです。

  24. いやー爽快ですね 小学生の頃TVでマキさん観て 父親が「この人は男なんや」って言われ衝撃でした キレイで 神様もたまに間違うんやな って子供ながらに思いましたね

Leave A Reply