【皇室a Moment】天皇陛下の青春の地 イギリスのオックスフォード留学

1つの瞬間から知られざる皇室の実像に 迫る高室アモーメント今日の瞬間はこちら です陛下が自転車に乗られてますね 珍らしい イギリスの奥大学に留学中のワンシーン ですはいえ陛下は当時25歳広宮と呼ばれ ていましたえオクスフォードでは自転車が 必需品で陛下が初めて乗られた時は君も これで本当のオクスフードの学生になった ねと友人から言われたそうですええこの 陛下が殺そと自転車で駆け抜ける姿って いうのはなかなか見られないですねそう ですねささてそのイギリスへ天皇工合両 陛下が訪問されるんですよねはいえ訪問は 6月下旬およそ1週間の日程で準備が進め られていますえオス報道は陛下だけでなく え剛様も留学された思い出の地で日新にん とて徴的な町と言えますえこのオス報道へ の訪問も検討されているんですはいさあ 今日は天皇陛下の青春のオックスフォード への留学を振り返りますえまずはこちらの 本をご覧くださいえこちらのあの黄色い方 の本が1993年の2月に観行されたえ 天皇陛下の著書テムズと共にの初犯ですえ 絶版となって入手が難しくなり復が待たれ ていましたでこちらが去年の4月に復活さ れた本ですえ陛下がオクスフォードでどの ような留学生活を送られたのかえ詳しく 書かれたいわば青春の木です陛下は本を 出されてるんですかはいえ将来の天皇が1 人称でえ体験を書かれた珍しい本ですえ 青春の水々しい体験がえ落ち着いたタッチ でえユーモラスに書かれていますあの青春 の体験ということはいつ頃陛下は留学され ていたんですかはいえこちらは入学式の 映像ですえ陛下は1983年6月からえ2 年4ヶ月え23歳から25歳にかけてえ イギリスに留学されましたえ学習院大学を 卒業し大学院に進んで1年後のことでした え掘報道大学で学んだのは2年間ですがえ 入学前に英語研修のためのホームステイが 3ヶ月ほどありまして となてなるほどこの留学の狙いはどんな ところにあったんでしょうかえ出発前の 記者会見で陛下は次のように話されてい ます広く世界に学ぶということに大きな 意義を見い出してい ます英国修学中は英国はもよりヨーロッパ の各地を旅行して多くの方々と多くの場を 通して接触してヨーロッパの歴史それから 文化に触れで合わせてヨーロッパという 離れたところから日本を見つめてみたいと 思ってい ますえ日本を外から見ることイギリスや ヨーロッパのオフスメンバーと交流して 将来の参考にという狙いもありましたり うちからも外からも見るっていうのは大切 ですねこのオクスフォードではどのような 暮らしをされていたですかはいあの陛下が 窓から顔を出されているのが入学された マートンコレッジの量ですいらっしゃい ました部屋は3階の正面えとんがり屋根の 下です8畳ほどの書斎と寝室そして専用の 浴室がありましたえコレッジは様々な先行 の学生たちが生活を共にしますえ当時 オクスフォードには35のコレッジがあり それらの集まりがオックスフォード大学 です部屋にはえが旅行の旅に集めたお土産 のスプーンがたくさん飾られえ好きだった アメリカの名女優ジェーンフォンダなどの えポスターも貼られていましたうん女優 さんのポスターですかはいえその上に 分かりにくいんですけれどもブルック シリーズのポスターも見えますはいあこの コルクボードの右側でしょうかはいへ他に もいろんなものが陛下飾っていたんですね はいスプーンの数も すそうですねこれあの当時海外旅行のお 土産の定番でしてこうロンドンとか マドリッドとかこう名盤が貼ってある スプーンででそうやってこう飾ってその 思い出を大事にするとそういうことだと 思いますじゃもうそれだけいろんなところ に回られたっていうのもこの数からも 分かりますねはいこれあの写真が丁寧に 貼られていって画名でですねはいこれなん か陛下のご性格も滲んでるんだなという風 に思います確かにとても貴重面にスプーン もすごく丁寧に並べられてますし はいやはりこの画もコルクボードを しっかり挟んで張ってるっていうのは次 使われる方への配慮も感じますよねあそう ですねでこのポスターについては陛下ご 自身で語られていますはいあそうなんです かあれは誰ジェフォンダとブルはいそう ですはいやっぱりああいうま入りました時 は全くあの壁に何もものもかけてなかった わけですから自分でま絵を買ってきたりと かそれからあのま花を植物を買ってきたり とかまそういうことで自分の部屋も装飾 するというそういう楽しみもやっぱりこの 両生活の中にはありましたこちらへ来て からあの映画を見ましてとてもいいと思い まし たはご自身の好きなもに囲まれて活送って いたんですねはいあの留学の準備について はえ当時中英大使だった平原強さんがえ 著書に書いています1年ほど前から準備が 進められ留学先をオス報道大学に決めた もののどこのコレッジにするかイギリスの 外務大臣に相談したそうですで外務大臣は 将来の天皇になる方がこの留学の地に イギリスを選んでくれたことを感謝すると 喜んで引き受けマートンを推薦されてきた わけですでその理由が4つあるそうです はいえ1つがえ13世紀に解説された最も 古いコレッジの1つであることで2つ目が え寝泊まりする学生が150人ほどと 小ぶりでえ学生や教授との関係が親密で あることで3つ目が日本人学生が入した ことがないことで4つ目えこれが最も大事 だと思いますがはいと言われるイギリスの 食事にあって学生外は特にまずいだそう ですがえマートンの食堂はおいしいと言わ れていることこの以上4つが理由だった そうですなるほど本当に様々な観点から 陛下が充実した生活を遅れるように考え られたんですねそうなんでしょうねでえ こちらがそのマトンコレッジの食堂です はい歴史を感じる建物で少しハリー ポッターのようなありますねそうですね あの実際映画はオックスフォードの別の コレジオになったそうですからそうなん ですかはいえ陛下マートンの食堂を毎日の ように利用してえ本にもおいしいと思うと 書かれていますあ良かったですね地にも あったと安心しました推薦の理由まさに その通りということですねはいはいそして その重要な学生生活にとって大事な勉強は どのようにされてたんでしょうかはいえ 指導教授からのように論文がされ週に3冊 専門書の論文を読んでまとめ1対1でえ 指導教授から色々指摘を受けそして次の 宿題が出てまた論文を読んでまとめてと いう日々だったそうですで講義もあってえ 最初は英語はなかなか理解できずえ録音し てえ復習していたそうですえ研究テーマは 18世紀の手川の物流どのような物資が船 で生きしていたのかという考察で 各地の書館文書館などで資料を集められ ました映像にあのカードが映っていますが え古い資料はコピーが許されず誇りに まみれながらカードに書き写す地道な作業 だったようです本当に地道な努力を重ね られていたんですねはい陛下は学生生活で 失敗なんかもあったんでしょうかはいえ それもご自分で話されています まオクスフォードに来ましてく生まれて 初めて両生活をしてみたわけですま最初ま 慣れなかったもんですから色々あの失敗を したこともありましたけれども洗濯機の中 に物を多く入れすぎてあれがそれが溢れて しまったこと色々あのま両生活について 思い出が尽きないわけですけれども洗濯機 が溢れたというのはどういうことですか コインランドリーに洗濯物を詰め込みすぎ てえ取りに行ってみたら泡が溢れ出してい て床が泡まみれになっていう失敗ですで あのアイロンかけもご自分でされていまし たでこちらは洋服を買いに行かれる場面 ですえ日常生活に必要なノートや飲み物 ワインなどはえ自ら買い出しに行かれてい ましたえ財布を持ち支払いにはクレジット カードも使われましたえフィルムの現を よく頼屋に顔覚えられてお茶会に飛び入り でえ参加したこともあったそうですうん いろんなことご自身でされて私たちと かなり近いような生活だったんですね自分 でできることは何でもするというそういう あの気構えでいらっしゃったようですね 素敵ですねはいでさらにあのパブをはしご してビールを楽しむというイギリスならで はの文化も堪能されましたえ初めて ディスコに行ったり映画館で007を見 たり友達を部屋に招いて日本酒をコーヒー メーカーでおにしてモテなしたりされてい ますでちょっと笑ってしまうのが陛下が しまったと思った時には後の祭りだったと 綴られているエピソードですえ友人から 電荷という継承のユアハイネスの日本語を 聞かれて電荷と教える時に天井の伝統を さしてえこれは電荷ではなくて電気だから え間違えないようにとえ伝えたところその 友人は面白がって陛下を電気と呼んだそう です電気さんと呼ばれてしまったんですね はいでまたあの雨の日図書館の傘立てで 愛用の傘を盗まれてえ激しい雨の中10分 近くずれになって走って帰り風呂に直行さ れたこともあったそうですま日本では陛下 の傘が盗まれるっていうことはまず起こら ないことですよねま傘立てに刺すという こと自体がないでしょうしねさそうですね はい 陛下はこう振り返られてい ますIhavegreatly enjoyedmylifeasa studentat Oxfordandshall alwaysValuethe uniqueandening oportthathasgiven me陛下は日本からビオラを持参して仲間 とカルテットを組んだりオーケストラに 参加されたりしましたえまたテニスや スカッシュを友人と楽しみえ手川でこぎ たいとボト部の首相に頼んでえこがせて もらったこともありましたでさらに イギリスの各地の明法に登り冬はスキーも 楽しまれましたえテムズと共ににはそれに しても我ながらオックスフォード留学中え 実に様々なことをに取り組んだものである とえ書かれていますが本当に2年間でよく ぞここまでいろんなことをと驚く う本当に充実された学生生活で初めに様々 な国の文化を学びたいとおっしゃってまし たがまさに有限実行ですねそうです ねであのテムと共にには英国を離れる時の 胸の内がセララに書かれていますはい こちらですはい再びオックスフォードを 訪れる時は今のように自由な一学生として この町を見て回るはでないであろう おそらく街そのものは今後も変わらないが 変わるのは自分の立場であろうなどと 考えると妙な層感に襲われ一層このまま 時間が止まってくれたらなどと考えて しまう本当に大切な時間だからこそ過ぎて いくこう切なさみたいなものも感じますね そうですよねこう時間よ止まれという なんかこう切なさ感じますねはいで帰国後 の記者会見でここのように話されてい ます特にこれはあのオクスフォード の2年間のまあのコジでの生活の結果だと 思いますけれどもま自分でそのものを考え で自分であの決定をしそして自分でそれを 行動に映すっていうそういったことをあの があのできるようになったんじゃないかな とそういう風に思い ます皇室のあり方を聞かれて1番必要な ことは国民と共にある皇室国民の中に入っ ていく皇室であることだと考えますとえ 明解に答えられたのもこの頃ですえ女皇様 は当時深みを増したと話されていますが 陛下はえ留学を通して大きく大きくこう 成長されたんだと思います陛下にとって この青春の地イギリスがいかに特別な存在 かということがわかりましたはいさあ来月 オクスフォードを訪問されるとなると留学 以来になりますかいえあの1986年91 年え2001年に行かれていますえそれで も陛下にとっては23年ぶり高々様と一緒 は初めてになりますそうなんです ねこちらはあの1991年9月日恵交流 行事の売りにオクド大学を再び訪問された 時の様子です黒の帽子に赤いガと珍しい予 ですはいえこの時陛下はオ大学から名誉 法学白死号を授与されました私もあの現地 で取材しておりましたが陛下が嬉しさ 溢れる表情だったことをよく覚えています えその時にオクスフドは日有効の象徴では ないかと思ったもの ですこの度のイギリス訪問は元々はえ留学 中に温かな心配りをしてくれたエリザベス 女王から後最初公式訪問国として招待され たものでしたその女王がなくなってえ葬に 駆けつけられた後イギリスの大変わりの 行事があってようやく実現しますでテムと 共にには遠くない将来同じ オックスフォード大学で学んだ正子と共に イギリスの地を再び訪れることができる ことを願っているという一説があります 陛下が第2の故郷と言われる オクスフォードですから思い出の恵の訪問 がえさらなる有効神前につがるといいなと 思いますそうですねその天皇工合両下お 2人でこのイギリスに訪問されるというの はどんな様子が見られるのかとても楽しみ ですさ高室日記@テレニュース24今日は 日本テレビ客員解説員の井上しさんとお 送りしましたありがとうございました ありがとうございました

天皇皇后両陛下の英国訪問が6月下旬に予定されています。イギリスは陛下だけでなく、皇后さまも留学された地です。その思い出のオックスフォード訪問も検討されています。日本テレビ客員解説員の井上茂男さんと陛下の留学を振り返ります。

この動画の記事を読む>
https://news.ntv.co.jp/category/society/39dfe84ea545462aad5a34f774a03ae0

■オックスフォードの学生になったと認められた自転車

――1つの瞬間から知られざる皇室の実像に迫る「皇室 a Moment」。きょうの瞬間はこちらです。

――天皇陛下が自転車に乗られていますね。珍しい場面ですね。
 
イギリスのオックスフォード大学に留学中の1シーンです。陛下は当時25歳。「浩宮」と呼ばれていました。オックスフォードでは自転車が必需品で、陛下が初めて乗られた時は「君もこれで本当のオックスフォードの学生になったね」と友人から言われたそうです。

――陛下が颯爽と自転車で駆け抜けられる姿というのは、なかなか見られないですね。そのイギリスへ、天皇皇后両陛下が訪問されるんですね。
 
はい。訪問は6月下旬、およそ1週間の日程で準備が進められています。

オックスフォードは、陛下だけでなく皇后さまも留学された“思い出の地”で、日英親善にとって“象徴的な街”と言えます。このオックスフォードへの訪問も検討されています。
 
――きょうは天皇陛下の青春の地、オックスフォードへの留学を振り返ります。

■陛下の青春記『テムズとともに』

右側は1993(平成5)年2月に刊行された天皇陛下の著書『テムズとともに』の初版です。絶版となって入手が難しくなり、復刊が待たれていました。左側は去年4月に復刊された本です。陛下がオックスフォードでどのような留学生活を送られたのかが詳しく書かれた “青春記”です。

――陛下は本を出されているんですか?
 
はい。将来の天皇が“1人称”で体験を書かれた珍しい本です。青春のみずみずしい体験が、落ち着いたタッチで、ユーモラスに書かれています。
 
――「青春の体験」ということは、いつごろ留学されていたんですか?

こちらは入学式の映像です。陛下は1983(昭和58)年6月から2年4か月、23歳から25歳にかけてイギリスに留学されました。学習院大学を卒業し、大学院に進んで1年後でした。オックスフォード大学で学んだのは2年間ですが、入学前に英語研修のためのホームステイが3か月ほどあり、全体で2年4か月になっています。
 
――留学の狙いはどんなところにあったのでしょうか?
 
出発前の記者会見で次のように話されています。

天皇陛下:「広く世界に学ぶということに大きな意義を見出しています。英国修学中は、英国はもとよりヨーロッパの各地を旅行して多くの方々と多くの場を通じて接触して、ヨーロッパの歴史、文化に触れ、あわせてヨーロッパという離れたところから日本を見つめてみたいと思っています」
 
日本を外から見ること、イギリスやヨーロッパの王室メンバーと交流して将来の参考にという“狙い”もありました。

■女優のポスターも張った寮の自室

――内からも外からも見るということは大切ですね。オックスフォードでは、どのような暮らしをされていたんですか?

陛下が窓から顔を出されているのが入学された「マートン・コレッジ」の寮です。陛下の部屋は3階の正面、“とんがり屋根”の下です。8畳ほどの書斎と寝室、そして専用の浴室がありました。「コレッジ」は様々な専攻の学生たちが生活を共にします。当時、オックスフォードには35のコレッジがあり、それらの集まりがオックスフォード大学です。

部屋には、陛下が留学中の旅行で求めたお土産のスプーンがたくさん飾られ、好きだったアメリカの名女優ジェーン・フォンダなどのポスターも張られていました。
 
――女優さんのポスターですか?
 
はい。分かりにくいんですがその上にブルック・シールズのポスターも見えます。
 
――このコルクボードの右側でしょうか? 他にもいろんなものを陛下は飾られていたんですね。スプーンの数もすごくたくさんありますね。
 
当時、スプーンは海外旅行のお土産の定番で、ロンドンとかマドリードとか銘板が貼られていて記念の品だったんです。それを飾って、思い出を大切にされていたと思います。
 
――いろんなところに回られたというのが、この数から分かりますね。
 
写真が画びょうで丁寧に張られていて、陛下のご性格もにじんでいると思います。
 
――確かにとても几帳面に。スプーンもとても丁寧に並べられていますし。画びょうもコルクボードをしっかりはさんで張っているというのは、次に使われる方への配慮も感じます。

そうですね。このポスターについて陛下はご自身で語られています。

記者:「あれはジェーン・フォンダとブルック・シールズ?」
陛下:「はい、そうです。入りましたときは、まったく壁に何もかけてなかったわけですから、自分で絵を買ってきたりとか、花を植物を買ってきたりとか、そういうことで自分の部屋を装飾するという、そういう楽しみもこの寮生活の中にはありました。(ジェーン・フォンダは)こちらに来てから映画を見まして、とてもいいと思いました」
 
――陛下はご自身の好きなものに囲まれて学生生活を送られていたんですね。

◾️学生たちが親密、食事がおいしい――マートンが選ばれた4つの理由

留学の準備については、当時、駐英大使だった平原毅さんが著書に書いています。1年ほど前から準備が進められ、留学先をオックスフォード大学に決めたものの、どこのコレッジにするかはイギリスの外務大臣に相談したそうです。外務大臣は「将来の天皇になる方の勉学の地に英国を選んでくださったことに感謝する」と喜んで引き受け、マートン・コレッジが推薦されました。その理由が4つあったそうです。

①13世紀に開設された最も古いコレッジのひとつであること
②寝泊まりする学生が150人ほどと小ぶりで、学生や教授との関係が親密であること
③日本人学生が入寮したことがないこと
④これが最も大事と思いますが、「まずい」と言われるイギリスの食事にあって、学生街は特に「まずい」そうで、マートンの食堂は「おいしい」と言われていること
 
この4つが理由だったそうです。

――さまざまな観点から、陛下が充実した生活を送られるように考えられたんですね。

こちらが、そのマートン・コレッジの食堂です。

――歴史が感じられる建物で、少し「ハリー・ポッター」のような世界観もありますね。

実際、映画はオックスフォードの別のコレッジの食堂がモデルになっています。陛下はマートンの食堂を毎日のように利用し、本に「おいしいと思う」と書かれています。

――良かったですね。お口にも合ったと知って安心しました。

推薦の理由、まさにその通りということですね。

――そして、学生生活にとって大事な勉強は、どのようにされたのでしょうか?

指導教授から、毎週のように小論文が課され、週に3冊、専門書の論文を読んでまとめ、1対1で指導教授からいろいろ指摘を受け、次の宿題が出て、また論文を読んでまとめて、という日々でした。講義もあって、最初は英語がなかなか理解できず、録音して復習されていたそうです。研究テーマは「18世紀のテムズ川の物流」。どのような物資が船で行き来していたかの考察で、各地の図書館や公文書館などで史料を集められました。

映像にカードが映っていますが、古い史料はコピーが許されず、ほこりにまみれながらカードに書き写す地道な作業だったようです。

■洗濯機をあふれさせ……寮生活での陛下の“失敗談”

――本当に地道な努力を重ねられたんですね。失敗などもあったんでしょうか?
 
それもご自分で話されています。

天皇陛下:「オックスフォードに来まして、生まれて初めて寮生活をしてみたわけです。最初慣れなかったものですから、いろいろ失敗したこともありましたけれども、洗濯機の中にものを多く入れ過ぎてそれがあふれてしまったこと、いろいろ寮生活については思い出が尽きないわけですけれども」

――洗濯機があふれたというのはどういうことですか?

コインランドリーに洗濯物を詰め込み過ぎ、取りに行ってみると泡があふれ出していて、床が泡まみれになっていたという失敗です。
アイロンかけも自分でされていました。

こちらは洋服を買いに行かれる場面です。日常生活に必要なノートや飲み物、ワインなどは自ら買い出しに行かれていました。財布を持ち、支払いにはクレジットカードも使われました。フィルムの現像をよく頼んだ写真店に顔を覚えられ、お茶会に飛び入りで参加したこともあったそうです。
 
――いろんなことをご自身でされて、私たちとかなり近い生活だったんですね。
 
自分で出来ることは何でもするという、そういう気構えでいらっしゃったようですね。

さらにパブをはしごしてビールを楽しむイギリスならではの文化も堪能されました。初めてディスコに行ったり、映画館で「007」を観たり。友だちを部屋に招いて、日本酒をコーヒーメーカーでお燗にしてもてなされたりもしています。

◾️“デンキ”と呼ばれたり、傘を盗まれたり……

ちょっと笑ってしまうのが、陛下が「しまったと思った時には後の祭り」だったと綴られているエピソードです。友人から「殿下」という敬称の「Your Highness」の日本語を聞かれて「殿下」と教えた時、天井の電灯を指して「これは“デンカ”ではなく、“デンキ”だから間違えないように」と伝えたところ、友人はおもしろがって陛下を“デンキ”と呼んだそうです。
 
――“デンキさん”と呼ばれてしまったんですね。
 
また、雨の日、図書館の傘立てで愛用の傘を盗まれ、激しい雨の中を10分近くずぶ濡れになって走って帰り、風呂に直行されたこともあったそうです。
 
――日本では陛下の傘が盗まれるということはまず起こらないことですよね。
 
傘立てにさすということが、まずないでしょう。
(2024年5月18日放送)

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#皇室 #天皇陛下 #留学 #日テレ #ニュース

18 Comments

  1. 13:57 ここの場面の東宮御所で浩宮さまを迎えられる時の上皇さまのこの様な笑顔を、私は初めて拝見した気がする。成長して戻った息子の姿を嬉しく思う心が溢れる笑顔。上皇后も紀宮さまも礼宮さまもとても良い笑顔だけど、上皇さまがここまで清々しい笑顔の中の笑顔をされてるのが、印象的だった。

  2. テムズとともに購入しました。天皇陛下の留学に真摯取り組み努力する姿に大変感銘を受けました。陛下の失敗談もとても微笑ましかったです❗

  3. 陛下の映像、お写真を拝見するたびに、凛々しい!と感動します。同世代に生まれて来れた事、誇りに思います。

  4. 「テムズとともに」読んでいる途中です。陛下が当時、皇太子扱いされない状況をとても楽しんでおられる様子が伝わりました。
    復刊に寄せて記された中には「若いうちに外国に短期ではなく長期で生活することも貴重な経験で、ぜひ、多くの若者にこの機会を持ってほしい」というようなこともありました。はっきりとはおっしゃいませんが、敬宮様のご留学も望まれているのでしょう。いつかこちらも叶うといいですね。

  5. 陛下は「将来の天皇」というご自分の立場を、本当の意味で理解し、誠実に努力し続けていらっしゃるのだな、と改めて感じました。
    そのご意志が、敬宮様に受け継がれていることに、日本の明るい光を感じます。

    敬宮様

  6. お若い頃の陛下も仕草や言葉の一つ一つに品があって素敵。敬宮様も文才がおありだから、陛下のようにいつか留学されて本を書いてくださらないかな。

  7. ある宮家の娘さん達はお買い物も友人とのお出かけも無かったのでしょうか?
    今はやたら海外コームばかり映像がでますけど😅

  8. >デイリー新潮が報じているように、上皇后の意向と指示を受けて、額賀議長は以下を取り決めようとしています。
    ⚫︎男系男子の皇位継承
    ⚫︎悠仁まではゆるがせにしない
    ⚫︎一代限りの女性宮家創設
    ⚫︎旧宮家復帰

    皇族が政治・立法・司法に関与したり、発言することは、憲法で禁じられています。また、最近の共同通信や毎日新聞の調査によると、国民の90%が女性天皇を、84%が女系天皇を認めています。一方、74%が旧宮家復帰に反対しています。

    にもかかわらず、上皇后は日本国の国幹である日本憲法から逸脱し、国民の意見や存在を無視して己の意思を通そうと、国会議員に影響力を及ぼしています。その上皇后の指示に従う国会議員達。

    日本国は、主権在民の民主国家です!
    則天武后擬き、西太后擬きが君臨する独裁国ではありません。

  9. 天皇御一家様こそ!皇室の中心であると思います!A宮家こそ!皇室の中心???今こそ!日本の皇室は!世界からも???疑問を!投げかけられています!何故!このように!長男家と傍系の逆点のように思える!ねじれ皇室になってしまったのか?やはり!男子か女子かよりも!基本に戻りましょう!まずは!直系長子の皇女である!敬宮様か?傍系の男子か?国民の答えも!しかり!海外の答えの90%以上は!答えが!出ているようであります‼️

  10. 昨年、オックスフォードに旅行中、陛下の著書を読みました。
    あとがきに「次は雅子と訪れたい」。とありました。
    今年の6月のご訪英でかなうといいな、と思います。

  11. NHKと!日テレと!テレビ朝日と!TBSとフジテレビは!6月の天皇皇后両陛下の訪英の様子は!絶対に!テレビでは!報道しないよね!何で?何でなの?鹿のギリシャのことは!嫌というほど!テレビで報道するけど!6月の天皇皇后両陛下の訪英のことは!テレビでは!絶対に報道しないよね!何で?理由を聞かせてほしいな!何で!天皇皇后両陛下のことは!テレビでは!報道しちゃいけない事に!なってるの?何で?理由を教えろ‼️

  12. 陛下の素晴らしさが存分に伝わってきます。若かりし頃、天皇陛下に将来なられる事の重みを感じていらっしゃったこと、一般人の我々では到底理解する事のできないご覚悟を知って胸に込み上げるものがあり、涙ぐんでしまいました。
    この様な素晴らしい動画配信、心から感謝します❣️

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