嫉妬と民主主義 倉持麟太郎の「このクソ素晴らしき世界」#124 presented by #8bitNews

[音楽] [拍手] [音楽] え皆さん こんにちはにきました見えますねのに人が い [音楽] [音楽] ます皆さんこんばんはくり太郎のこのクソ 素晴らしき世界今日はパリッと124回目 でございますごお帰り なさいただいまねただいま大谷こそうなん すよ大谷スーツ表参道であのボスの大谷 スーツのポップアップやっててはいはい見 てたあれマンマと購入しましたいねいい いい感じですねそれねそういいでしょうん いいスツだ堀さんも是非よかったらねええ 一平さんは いや 怖いちょっと反射神経が足りなかったわ まさか 俺は一平さん早くちゃんと治療して 差し上げられるようなそういう治療 プログラムに早く投入されればいいなって いうのはいつもよくメディアで言ってるん ですよねそうですねま僕もあのやっぱり あの一平さんいなかったら今の題てないと 思うんでおおいろんなその コミュニケーションであるとかうんその 運転してる時まああやって進展地にね行っ てずっとそのルシの共依存関係にあったと 思うんですよねその事実を知ってたかどう かそういう問題じゃなくてうんうんうん うんうんなんからその全部をその否定 するっていうのはもちろん犯罪犯罪として ばっせらればいいけどはいその2人の関係 ただ裏切られたその大谷のショックとかま 寝れなかったってコメントしてましたよね しばらく寝なかったそれでもあれだけの あの続けるとま彼のそのま本当に技術と 才能は裏切らないっていうこととま選ばれ た人間なんだなというちょっといぺの話と かしてくるからさめちゃくちゃずれてる じゃん今日のお題はこちらそうなんですよ 今日は嫉妬と民主主義ということでなんか 一見ねあの結びつかなそうだしえ立立見 立見じゃねえよもう毒れてんじゃん土地戦 でもねえしパーティーをなんかギリギリ までやる話でもない よはい一見ね一ねどう関係あるんですかと ね嫉妬となんかこう政治とか民主主義って 言とそれこそその長田町のねドロドロした 男おっさん同士の嫉妬の話みたいなそう いうのじゃないうんはいじゃないですどう いうことで実は今回 あの私が勝手にあの尊敬を申し上げてる ですね山本K先生というはい立命官のあの 政治学の先生がいらっしゃるんですが実は この先生ですねこの配信でも何回か 取り上げていてはいこのあの現代民主主義 っていうえ中高新書であるとか僕があの 2020年にリベラルの敵はリベラルに ありを書いた時に非常に参考にしたこの アンタゴニズムスっていうとかん ま要はあの私がずっとこのあの配信でも 主題にしているこう近代化した後の社会 リベラリズムとかがま想定してる社会って いうのはま強い個人ですねはいで合理的で うんうんえ政人のことに関しても関心が あり他者ともコミュニケーションが取れて 自分の人生は自分で設計できるそういう 個人を想定したけどまそれって結構理想 主義的でそんなに生身の個人は強い個人で はなくて弱い個人なんじゃないんですかと まそのあまりにリベラルがした強い個人像 というのの疑性が実はそんなんじゃない じゃないか俺らの世がはどうなってるん だっていう人々の本当にリアルな不満って いうものがこう溜まっていってじゃあ ポピュリズムが出てきましたとか逆に言う と権威主義自分では自分の人生を設計でき ないからむしろ権威国家がそれを設計して くださいとかっていう方に実はどんどん どんどんリベラリズムがえその概念を掲げ てる間にま混沌としたそういうものができ てしまってるんじゃないかいううんことを あの結構歴史的にもあの描写をしている 先生でで今回ま私もずっとそれをテーマに というかですねこの強い個人っていうこの モデルがやっぱりなかなか限界があるん じゃないのとでただじゃあその弱い生身の 個人っていうものとどうこう調定していき ますかっていうところの間にある非常に 重要な概念が今回この嫉妬であるという ことをあの非常に鮮やかにですねこの本は あの歴史的にあの古代の質からえ遡ってえ 紐解いているのでまこれをあの是非なんて 言うのかなあのテキストみたいな感じで 追いながら私の最近の関心領域とちょっと こう接続しつつやっていこうかななんて 思ってますそれはさやっぱり僕を呼んで もらわない と人の話はううさんかな誰だろう僕だよ もう忘れちゃったの誰すか若しだよ嫉妬と いえば確か にもうそろそろ 帰ってくるかな帰ってこないかどうなん ですか ね嫉妬に結局ね嫉妬の中でうんはいまだ 生きていそうなそうだ よそっか今の若しだったんだすいません宇 さんごめんなさいうんどっちにも怒られる やつあの2人仲良しじゃないですかあそう すかあの2人仲良しですようん全然確かに だから宇野さんと若しに俺はいつもなんか 渋谷区とか港区に生息してうん慶王で弁護 士でなんかパリッと仕上がってみたいな お前みたいなやつが一番嫌いだって2人に なるとよく言われ ます警報じゃんね若しさんねさて資料を 今日用意していただいてますそうなんです まあのこの嫉論山本先生の嫉妬論をあの こう沿ってねちょっと整理していきたいん ですけどもまそもそもこう嫉妬っていうの は我々あのご案内の通りというかですね ネガティブな感情であることは間違いない ってこと誰しもがうん分かってるわけです でもま色々他にも感情がありますよね怒り とか傲慢であるとか欲とかねまここにあの グレゴリウス1世の7つの大まこれ有名な 話ですけどもこれ7つの滞在ってのも色々 バリエーションがあるんですがまよく言わ れるのはこのグレゴ一のもので懐しいなま この傲慢強欲嫉妬糞土ま色欲え暴食平打 ってやつですねでなんだけどまこれ言わ れるのはですね例えばフドとかっていうの はは通りが社会を動かしたりとかうんうん うんうんとかま平打っていうのはちょっと それでやっぱり怠けることによって リラックスはい休まったりとかま強欲 っっていうものはそはい強欲っていうのは その次の自分の次のステップに行かせたり とかなるんだけど欲その嫉妬っていうのは 全くいいところがないっていうこと をん色欲についてはもうさあの寝る前寝る 前ニューで それだってあれだもんその人類繁栄のさ源 でもありますそうですねそうあの愛とかに ね繋がっていくしねはいそうですはいでだ けどその嫉妬っていうのはとにかく全く いいところがないっていうことをもう古代 の思想家からずっと言ってるわけですヘラ すんじゃないこれじゃ面白い今日の放送 面白やっぱ1人語りいい よ1人語りもいいよクソいやそうなんです よあのやっぱね自由うんそうだよね俺たち リベラリストだからさ そう進行とかにやっぱり囚われてはいけ ないそう時間とかも常に見ちゃってうん そうあとそうね11あと51分ですよ はいきましいやいや縛ってこないで時間 でで例えばですけど皆さんがよく知って いる あのいろんなね偉人たちの定義で言うとま ジョンシュアと見る自由論で有名ですけど も全ての劇場の中で最も反社会的なまた 最も忌まわしい感情とかですね関とも他人 の幸福が自分の幸福を少しも損なうわけで はないのにん他人の幸福を見るに苦を伴う て自分の幸福全然減ってないのにその誰か の幸福を見ることによって苦痛だねって いう話まよく共通するのはま自分をなんか 高めに引き上げていくっていうのなく相手 を貶めて自分の院を下げるいやねでしかも 自分が損をしても他人の服を願うとまこの 後やっていきますけども自分が損をしても 他人の服を願うまそうだね確かにもう自爆 みたいなねそうですだから結局あのそれっ てこの例えば社会全体とかグループとかで もいいですよねを全体をあの下げちゃい ますけどみたいなこともその嫉妬はさせて しまうと爆縮みたいな感じそうなんですで そのこのま下に出しましたけどこれもあの 本の中で言及されてますが僕らこう嫉妬が ねあの物語の中で語られるあのいろんな ストーリーをいろんなとこ知ってますよね 映画もそうだしまここには白雪姫ねあの鏡 は鏡を鏡さん世界で1番美しいのは誰と 言って白姫って言われてしまってそのの 嫉妬からですね独りんごっていう話である とか隣人のね老夫婦の嫉妬がえ最後まで つきまとう花坂じいさんとかこの子供の頃 から知ってるストーリーも結構嫉妬がうん うんえつきまとっているというわけですで この1番最後のやっぱ自分が損をしても 他人の不幸を願ったり他人を貶し るっていうこの感覚っていうの実は最初に 話したいわゆる強い 個人それが予定している合理性と相反する ものなわけですねこれ次行きましょう かこの近代まリベラルな社会が想定した 個人というのは基本的には合理的な尊徳 計算に従っているっていう前提になってる わけです例えばですけどまあの法律なんか 特にそういう設定でできていて自分に不利 なこと言ってるってことはそれってきっと お正しいよね嘘ついてないよね自分にその え有利なことばっかり言ってるってのは嘘 なんじゃないかって推定が働くとか訴訟も そうですねその当事者に任せた方が当事者 が1番有利なように訴訟追行するんじゃ ないかっていうので当事者主義があったり とかっていうのもそうですしま基本的には 合理的な選択をするんだと例えばその非常 にあのねあのなん何でしょうね権利抑圧的 な政治勢力とそうではないリベラルな政治 勢力がいればそのリベラルな政治勢力を 選ぶはずだということですねでその人人が いるんだったら人は人のこと助けるはずだ とかっていうそういう合理的なモデルを 想定しているんですが実はこの近代の個人 モデルの1番遠くにある感情っていうのが 嫉妬なわけですねで本当は自らを利して 自分の利益を最大化する引いては自分の 利益を最大化することによってま他社も 尊重しないと自分も尊重されませんからえ 自分が尊重されるために他社も同じぐらい 尊重することによって社会がこう回ってい くっていうモデルだったんだけど嫉妬って いうのはここに入ってくるとですね全く 真逆の話になるわけですでまあともう1つ はここはあの非常に山本先生が指摘されて て面白いなと思ったのはぱ嫉妬感情に 乗っ取られると認知が歪んじゃうっていう 話そうね冷静な判断もできないしねですね でここであの例であげられていたのはあの マララさんっているじゃないですかえっと はいアフガニスタンタリバンね戦ったはい 暗殺もされかけえ手もですねその女性の 教育っていうものにあの身をとしてたわけ ですが このマラさんが約5年半ぶりにえ僕 パキスタンに帰国した時にうんま非常に 冷やかな待遇をま対応されたとこれはま あの一に嫉妬なんじゃないかっていうこと なんですねでこの次女年私はマララにかけ てそのこの3月29日に帰国したわけです けどもこの次の日の30日を私はマララ じゃない日にするっていう風に呼びかけ パキスタンの市学連盟がですね呼びかけて ででそのえこのロイター2018年 ロイターの記事からですけども首都 イスラマバードの利用師をされていたアリ アシハさんはなぜ彼女だけが注目を集める のかと政府はマララ基金よりも我々のよう な貧しいものを支援すべきだという風に 言ってうんでま彼女は欧米の考え方に独さ れているとで彼女の受賞はそうした価値観 に忠実に従った結果に過ぎないのだから耳 を貸さなくていいだから女子を行くなんて 必要ないのだというまこれはまある種の そのマさんに対する嫉妬が認知も歪めて しまうとまあのトランプ現象なんかもに今 タを発したQアノンとかもまそうですよね 要は自分たちがなぜ同じような境遇の中流 階級だった人たちがここまで落ちているん だとそれには何か大きな物語があるはずだ ということで陰謀論に行ってしまうとで これも合理的な個人モデルとはもう本当に 対局のところにどんどんどんどん自分たち を追いやってしまうとでこれがまあ自分に とって不合理な結果になったとしても選択 するって最後書いてんですけどこれもあの 本の中で山本先生が例で出されていてえま スラボジジェクですねあの思想家ですけど も彼がえまジョンロールズというま正義論 のタイトに対してせあのあのロールズが 設計したその社会モデルっていうのはあの 嫉妬全然え買いならせてないという批判の 文脈の中でえこの物語を出すんですが スルベニアの農婦の物語というのはです ねあの農婦が全量な魔女にあの語りかけ られるわけですでお前の望みを何でも1つ 叶えてやろうとただお前の隣人にはお前に 叶えた望みの2倍を叶えるからなって言わ れるんですよふーそこで彼はなんて答えた かって言うとにやっと笑って私の目玉を1 つくり抜いてくれって言うんですようーん そうすると隣人が自分より幸せになる ぐらいだったら自分より2倍不幸になる 選択を自分が損をしようが選ぶそういうの が人間の本質なんだというのをま象徴的に 言ってる痛いよ物語だからこの物語だから あそ痛さのとこに着目されると進まねんだ 注目し痛さ1個も2個も痛いよとかそう いう話じゃないですよあのはいなんと たまたま今の話シトロ最近購入してまさに 読んでますとえキャンパー2さん最近気に なるワードで本で見つけて山本さんは知ら ない方でしたが購入していましたうん ちょっと嬉しいですとあ僕も嬉しいです そんないつもすごく私は山本先生のあの 論考には影響を受けているのでうんはい そうかもうこれ今のコメント見ていや ちょっと私だって読んでるのにとか嫉妬が なんで俺の時にはコメント読んでくれ なかったんだ堀はくそそのね今堀さんは 救済したわけですかそう引き起こして今 煽ってる感じ ですどんどん煽っていきましょういやだ から嫉とってなんかほら自分だけじゃなく てほらなんか仕掛けられるじゃんうんそれ が殺人事件を生んだりとかするじゃない いやそうなんですねだからあの今回なんで 嫉妬を取り上げたかって言うとま例えば 恋人同士とか家族とか同僚とかっていう だけで終わらないとはいつまり政治権力と かまこの後出てきますけども資本主義とか そういうものはうんこの実は嫉妬を利用し てるわけなんですよだからそうやってその ガンガンその嫉妬に対するあのガソリンを 注入されてる中で僕らはまずそういうその 現在地を理解しないとうんまんまとその 自分たちの嫉妬心をあのくすぐられてませ んかっていうことをあの理解しましょうと いうのが今日のあの根源的なテーマで ございますいやこれくそ僕が出るべきだっ た な若しねちっとしてんだ今そううわあこれ 俺配したいなっ て専門領域だもんやりゃいいじゃんねね 結局ればいいじゃ嫉妬されてねそうそう 引きずりうーまちょっとそれはやたらわし に戻るね今日そういやそろそろ帰ってきて ほしいなっていうことですよわしさんにも うんはいそしてそしてねはいあのこれ今日 新しいですねこのうんうんあの割りあ今 作りましたすごはい嬉しいなんか触発され てね最近あの下村さんにはい名前出し ちゃって 大名前だけだと大丈夫そうか確かにそんな 人いるかもわかんないしねそうそううんで ですよなんですか誰が誰に嫉妬するのか じゃあねその嫉妬の構造っていうのみんな 考えましょうっていう話ですはいで例えば だけどその例えば私は大谷翔平に嫉妬し ないうんわけですよとかピアニストの じゃあ何でもいいですさっきあそこに出て ましたけどグレングールドにね野球もやる しピアノも私は引くけど嫉妬はしないわけ ですでそのあまりにかけ離れてる人たちに 対しては嫉妬は全然しないわけですこれ実 はアリストテレスもすでにあの分析をして いてこの1番上に書いてあるとこですけど もま自分と同じか同じだと思えるものが いる人々だからまほぼ全員ですねうん誰が 嫉妬するのか嫉妬の主体僕らのことです これは自分と同じか同じだと思えるものが いる人々それいるよねね僕だったらまあ 4140歳ぐらい 男性あのまそういうねどこに住んでる みたいな日本人とかってかなりいっぱい いるわけですねで誰に対してって言うと時 や場所やま年配年齢のことですね世の評判 などで自分に近い人でこれまつまりま非常 にあの自分になんとなく境遇とか立場が 近いと思える人に対して え人々は必須とするとそそこに書いたよう になんかこれ山本先生のそのデータとして 出してたんですけどあとどれぐらいあの 給料とか年収があの上がると嬉しいすか みたいな質問に対してあの5倍とか言わ ないんです15%っっていう答えが多い らしくてですねそうするとやっぱりこれ ぐらいの範囲ですよねそのいろんな持っ てるものっていうものがま大体15% ぐらいの間にいるっていうことですねこの 話あの前回前回ぐらいのあの中室先生の話 でもそういう分脈のもの出てきてましたね ありましたねね同じぐらいのこう学力のち で集まったところよりももうバラバラの ところの方が色々こうみんな才能発揮でき てみたいなうんうんうん確かにだから逆に なんかねお金持ちのリッチな子の横に本当 にスラムから来た子がいるとむしろ慈しみ の感情が湧いたりとかっていう友情が みたいなねそう同質コミュニティのね同 レベル内での見にくい争いみたいなのが そう自尊心を失わさせていったりとかね そうなんですねはいでえっと要は何かって 言うと比較可能な人々というか被告可能な 対象同士で生じるのが嫉妬であるとでこれ 比較する時に生じるんだとこの前のとこ ですねすいませんそれがまあの嫉妬の非常 にあの特徴的なことなんですよねでえっと ま比較するってこ自体は別に悪くないわけ ですよ下に書きましたけどこの社会心理客 の中で社会的比較理論っていうのがある らしいんですがこれはま名前をつけただけ で僕らますでにやってますよしま教育とか でもその他者をねいろんな人と接し ましょうと他者と接することによって やっぱ自分があの分かりますよねていう ことは言われてるわけで僕らやっぱその 比較は常にしてるわけですでそのよく リベラリズムが想定してる個人っていうの はなんかアトム的個人って言うんですよ あの真空状態に分子みたいに存在する個人 なんじゃないそれはもうフィクションだと あまりにもじゃなくてあの個人ロケテなん だつまり位置づけられていていろんな人と の関係性の中で個人っていうのは位置づけ られてるんだっていうま批判がよくされる んですけどもま要は望ましいものとして ちゃんと他者と自分を比較して鏡を自分の 前に立てようよってことは言われてるわけ ですよねだからま比較する修正もあるし 比較すること自体はま悪くはないないでま それもあのこの比較の仕方ってのも情報 比較と過比較っていうのをま分けていて ですねまもちろん立場が上の人とかじゃあ 僕だったらわかんないですけど年収が もっとある弁護士とかキャリアがもっと ある弁護士とかもっとかっこいいあの男性 とかわかんないですけどそうそういうのと 比べる今ルッキズム配えルッキズム いやいや怖え怖え人だピー怖え人だ言論風 だピピーはいはいとかねで過比較のは年収 が低いとかでこれが実はそのだから上とか 下とかを見ながら結局自分のその位置って いうのは真空状態にあるわけじゃなくて なんとなく周りと自分を比較しながらです ね特に上と下と比較しながらああいつより 自分はちょっとマシだなとかねそういう ことを思いながら常に自分を位置づけてる と僕あのNHK在職時にこの嫉妬の メカニズムから放たれようっていうのが 新人の時に決めたおその後のま成功ま NHK極力で言うと成功への怪談だった なって振り返りますとにかく相評価で周り を見始めたらあの人がメインキャスターを やっているとかあの人は何年目なのにル やってるとかなるからこれ全部やめてても 絶対評価俺が掲げる目標に到達してるか どうかだけで自分を判断しようと思ってそ したらすごいオリジナルなことをやり 始めるから周りと比較するものがなくなっ て唯一無になるのでそうなってからすごい 楽だったあ俺しかやってないしみたいな この取材も行ってなんか自分でで記事書い てっていうアナウンスいないしみたいに なったらもうそのうん可法圧力みたいなの がなくなったんですごくうん楽にいやめ っちゃ分かります実は僕も全く一緒なん ですよあら弁護士いっぱいいるしはい やっぱりその自分がこう今やってることっ て何の意味があるんだろうとかこの長らく その弁護士がやってきたことに対して何か を置けてるのかなとかもっとその単純にね 同期の中でその有名な事務所に行ったとか まメディアに出てるとかうん研究をしてる とかていう中でそ全部捨てたんですよもう そどうでもいいわ自分にしかできない ことって何でもしかも僕らの職業って すごくいいのが自分にしかできないことっ て自分の目の前の依頼者のために働くこと なんですよその自分の目の前にいる依頼者 と働くこと抽象化して離婚事件とかって いう風にしちゃうとこれまた企画になっ ちゃうじゃなくてもう自分の目の前に現れ た依頼者との事件ってこれもうこのように 1つなんでこれをとにかくやることが自分 の今の絶対評いうあなんか 共感そういう人だったんだねいやいやいや いやもう目めっちゃトロンとしてるしちょ 寝てないね寝てないね大丈夫ですか大丈夫 進めましょう大丈夫ですか私の話はいい です夫です本当に裁判感進めて くださいそんな王兵な弁護式 れるでねはいでしかもま人は1人では生き ていけないのでうんまその他人と一緒に 共同生活するわけじゃないですか コミュニティを作ってはいうんうんでこの コミュニティができた瞬に人は比較をめま 法比較と情報比較が生まれそしてそれがト になるわけですねま上の嫉妬もそうなんだ けど過嫉妬っていうのもあるわけですよ この嫉妬論の中にもたくさん出てくるけど あの例えば生活総合受給者に対して生活 総合受給してないにもかわらずですねなん で働かずに生活総合受給しているんだとか あとこの中であのいろんなエピソード出て きて面白かったのは自分よりすごく貧乏 だったり移民としてきた隣の隣人がですね 自転車しか乗ってなかったものがバイクに 変わったりバイクにながあの車になったり することに対して妬みを持つわけですね 自分はベンツに乗ってるのにうんそれって ま非常にあの複雑な人間のま可法嫉妬とも 言えるようなまそういうこう嫉妬感がこれ れってねだからこの後やりますけど自分と 差が埋まってくることに対してやっぱ近い んですよ近くなればなるほど嫉妬が強く なるですねうんでじゃあなんでこのえ比較 がネガティブな感情を生んでくのかって いうのが次ですでこれあの相対的剥奪と いう概念でこれも私も今回読んでいてあ そうなんだと思ったんですけどもこれも 社会心理学の言葉だということですがま 他人と比較することで生じる不満や欠乏感 のことですねこれま要は他人と比較する ことであ自分ってなんて足りないんだ もっと行動力しようとかですねあの他人と 比較することによって自分が前向きに なれるとかだったらいいんですけど不満と か結望が生じますよねというまこのえ概念 のこと相対的剥奪と言いますとでこの相対 的剥奪が生じる条件というのがあるんだと いうのが研究であのこれ出されてましたへ まAはあるものを所有してAがじゃあ僕 だったとしましょう倉持はあるものを所有 していないと倉持はそのXを所有している 他のある人物まホジを見るとで倉持はその ホジが持っていたXを所有したいと思って いるとで倉持はxを持つ可能性が自分にも あったと考えているこれなんか猿の実験で その石を渡して石を返してくれたらキを 上げてたらしいんですよ2あの2匹の猿に ねで1匹に対して途中からブドを渡した らしいんですようんより好きなへそしたら もうもう1等の方があの石を投げ返したり 引いてはその美味しかっ今まで喜んでた キリも投げたりえつまこれは条件を満たし てるとでこれ例えばやっぱ同じチームとか じゃあ選挙候補者同士とかってこそうです よねAはあるものを所有していない所有し てる他のある人物ビもただ合格者でもいい しレギュラーになった人でもいいけどで そのその候補者とかレギュラーになって ない人はそのレギュラーになりたいと思っ ているとそれを所有したいと思っていると でしかも自分にもその可能性があったと 考えているわけですねあの神1で自分は あっちに行けてたんだとこれを所有できた んだとまこういう条件が揃うとあの ネガティブな欠乏感や不満に転じるんだと いうのがまこれ社会心理学の分析ある人物 にさえ出会わなかったらこんな事件起きて なかったのにっていうことはいくらでも あるもんねうんなんかNHK記者っぽいす ねあすいませんどの 辺適当でもいいから瞬発力みたいな俺いつ も適当に合槌打ってない から理解してから打ってるからそうかそう かだからこれがあのさっきも出たこの相的 感いうのがま社会に当たるそのくない トランプ現象とかですよねまあれだよね ブランドものみたいなものを煽っていく ようなものもそれもそうですねそれもそう だから要はその自分もそれをうう欲しかっ たけどなんとなく手に入んなくなった時に 同じような境遇の人がそれを持って るっていうのを見るとおいおいと ロスジェネの根底にある感情かなて姉さん そうだよねあ面白いそりそうだよね確かに があば違ったはずなのにってたった1年 違うだけでとかねうんうんあそこで内定 さえ取っていればとかね色々なものが将来 しますいやそれもこの後の話に繋がって いきそうな問題定期を姉さんありがとう ございますでまこれあの隣接感情とどう 違うのかっていうことも山本先生は整理を されていてでま憧れこうなんかあの結構 最初の方にあの髪を咲いてですね山先生 書いてるのは嫉妬にもいい嫉妬と悪い嫉妬 があるみたいな議論があるけどそれには 会議的だとうん嫉妬はもう悪さしかないん だみたいな感じでむしろ良い嫉妬っていう のは憧れでしょとだから同形ですよねと それだったらもう憧れてそのために頑張る とか自分もそうなりたいとかっていう風に なるのでま嫉妬とま確かにちょっと被る けど憧れ違うよねとかあのジェラシーも 嫉妬とは微妙に違うっていう風にあの整理 されてましたねそれもあの思想の分野では そう整理されているそうでですねえまあの ジェラシーっていうのは喪失だったり保持 とかって言われていて自分が持ってるもの を失うかもしれないっていうのは ジェラシーだけど嫉妬ってのは欠如だって 獲得とか言われるのでまそもそも持ってな いていうことですねだからその微妙な違い があるけどまかなり総互互換的に使われ てると面白いね寝ぼけまこでこうじと見 てるとなんかあの喫茶点みたいだねなんか いやルノワールとそうそうルノワールとか ねとかね蜜の味って書いてあるから やっぱりと 思っよかった起きててくださいね一応 シャーデンフロイデもねえ確かにあの喫茶 シデフロイでうんさてそうまルサンチマ ンっていうのはあのこう他者をね否定する ことでしか自分を肯定できないっていう ことですこれはもちろんあの経済的に本当 に弱者であるとかってこともあるけどはい あのや鍵かこリベラルの人たちにま非常に 多いえパターンでま自分が前脳であって ですね自分の考えてることは100点満点 でそうじゃないものは全てえ否定すると 否定することによって自分が肯定され るってこれれもおそらくねこんなはずじゃ ない自分はこんなはずじゃないとか自分が 考えてるこんな正しいことが社会で実装さ れていないはずがないてことは有権者が バカなんだとか主権者がオなんだとかま そうそっちに行っちゃうわけですねこう いうものもま全てその否定によって自分を 肯定するっていうのもらか実は自分より バカだと思ってるやつが何かその政権で 徴用されているとか自分よりその学歴が 低いと思ってる人がじゃあその何か地位が 自分に高いとかっていうことに対してある 種まルサンチマンを感じているということ ですでまシャーデンフロイデと面白い シャーデンてのは外ドイツ語でフロイデは あの大工でねフロイデの喜びですねでこれ はま外が喜びつまり他人の不幸は密の味と これも妬みが強く嫉妬が多くなれば なるほど でかいっていやいやいやご指摘があったん でえ あ本当だ本当だすごい皆さんよく見てるな これ素晴らしいありがとうございますま 晴れっていう時は青だけで書いちゃうのと 一緒なんですよねあすごいよく見てねフ 細かいところを高安さんえ失礼しました 失礼しましたありがとうございます ありがとうございます えっと 玉さんありがとうございますありがとう ございます嬉しいこうやって助け合い ましょうポうんでえまこの シャーデンフロイデっていうのもあのざは 見ろてやつですねこういう感情っていうの があのこれもま嫉妬の裏返しとしてある これま後でこうキーワードになってきます でなんでこんなに嫉妬が渦巻く社会になっ てるんだっていうのはこれあのちょっと前 にやった宇主先生のあの思考のの実験の 民主義だっけとかまその前もうん リベラリズムの話でずっとやってきたです ねこの近代化っていうものが実はあのこの 嫉妬しやすい社会っていうのを生んでいる んだていう私も実はこのなんで嫉妬論って いうのに飛びついたかっていうとうんうん えこれリベラルな社会ってリベラルであれ ばあるほど嫉妬が渦まくよねて思ってたん ですよ確かにねそういう前提なのにそう じゃない現実っていうものとの帰りは嫉妬 が埋めるよねって思ってたら山本先生は こう書かれててうわもう来たと思ってま うんの話をしたんですけどもまどういう ことかというとまこれ要はその近代化と いうのはまさっきも言ったように今までは その身分とかあ自分の貴族している集団と かっていうものに規定されていて生まれ たらもうその農家とかですね生まれたら 貴族とか生まれたらその王家とかねそう いうの決められてたわけですそういうのは 1回そのあのギロチンと共にですね ぶった切られてまあの個人えまよく例え 使いますけど今まではそのキャンバスに 途中まで絵が書いてあるからま色を塗って くださだけだったのが真っ白なキャンバス を渡されてあなたが好きなようにあなたの そのせ良き生っていうものを書いて くださいという風にま言われたそれがあの いわゆる概念としてのインディビデュアル 個人という概念だったわけですであの宇野 先生が分析されてるその特ビルがアメリカ に行ってですねま非常にあの反動的だった フランスからアメリカに行ってトクビルは ま平等化というま数性を見たという風に 言ってるわけですねこれ価値観ではなくて もう平等化っていうのは世界にもう革命が うん じわじわとあの現象として進んでるとも これはあの不的なんだとうんこれはどう いうことかというとえままあのこれ12は 近代リベラルな社会の前提ですね個人は 自律的に人生を設計できるっていう設定と その権利は皆に平等に認められているとで この2番目がえ重要ですねでこれは要は何 かって言と今まではこれすごく逆接的で 面白いんだけど違うんだよあなた生まれて いきなり様のこと羨むのバカじゃないの あなたと王様は違うの元々平等じゃないの 不平等なのていうま平等って言葉すらあっ たかも分かりませんけども不平等が 当たり前の社会の時には最に違和感を感じ ないわけですよなんだけど逆に平等になっ た瞬間にそう近代はそうなのか同じって いう風に設定になったでしかも自分は努力 すれば何にでもなれるっていうことを教え られたとにも関わらずえ同じ人間なのに 全然違うじゃないかていうことことでこれ 逆接的で面白いけども平等な社会こそ左右 を意識せざる得なくなったわけはあ なるほど難しいな難しいでと同時にもう1 つはあのこれはその山先生そんなに強調さ れてなかったですけどもやっぱりあの自分 でね白いキャンバスに絵を描いてください と言われるとどっから何色のペン持って全 書いていいのか丸書いていいのかっていう まとにかく不安今まで何も考えずにあの ルーティンを送ってるよかったものをとか 例えば王様が言ったこと権威が言ったこと をやっていればよかったものが自分で設計 しなきゃなるいけなくなるとですねま孤独 孤立不安どうやって自分は自分の人生を 設計すればいいんだとで周りを見るとです ねえそういう風にできてる人もいたりする と取り残され不安これあのネットまSNS 社会になってから出てきたことですけど フォモてやつですねフアオブMING アウトですね自分が取り残されてしまう その恐れっていうものがこれはまずっと 孤独な群衆と呼ばれていた時代からも ずっとあるわけですでこれとま個人がこれ もま個人の中にある二面性ですけども1人 でいたい自分で決めたい自分だけで人生を 設計したいと思ってるにも関わらず やっぱり誰かに承認されたいとか他の人は どう考えてるのかっていうことを同時に 感じていないと不安になっちゃうでそれと まもう1したのはさっき言及した通りまみ 同じになったからこそこの不平等を意識し 始めてしまったというこの逆説ですねでで この非常に面白かったのがあの宇野先生は このえ平等化のこの想像力という風に言っ ていてもう自分の頭の中でみんな一緒だと 自分の人生設計できるんだっていう想像力 がもう頭の中にできちゃったらこれは不可 逆的だて言んですよねだそうじゃないよ そうじゃないよって言われてももうそこに 戻ることはできないとていうま我々現代は そういう社会の中に生きているということ ですねてことは何かっていうとさっさ出 ましたけどま比較自分たちが比較する ところに嫉妬が生まれるっていうところ からすると実はこの平等だ平等だ平等だと 言われれば言われるほど僕たちは比較して しまうわけです平等じゃないからうんで そうすると比較するのでそこに嫉妬がこう 隙間から入ってくるとでこれあの後で まとめますけど実はこの同質性のだが高い 社会ですね同じだよと言われてるより言わ れてる社会こそ実は嫉妬が生まれ やすいでまかける掛け算にしましたけどで しかもそれ閉じた社会小さな社会の中では その嫉妬の対象になるかいいなかってのは ま死活問題なわけです同質的で閉じられて て小さなコミュニティっていうのはその 妬みの対象になった瞬間にま死だとで しかもまここには書いてないですけど私 これあの考えながら思ったのはさらに言う とこのリカバリーができない社会1回失敗 しちゃうと浮上できない社会であれうん より嫉妬ののこう渦があの強く渦巻くかな と思ったんですね要はその自分は絶対に 失敗したくないから嫉妬の対象にはなり たくないけどもうんうんうんうん自分が 失敗した時にはもう終わりなんでうんあ 失敗してないあいつはんで失敗していない んだというまだからえ同質性が高く閉じて いてまリカバリーが効かない社会っていう のはま非常に嫉妬が生まれやすいと他者と 自分と他者を比べてそこに嫉妬でえま いろんなこと説明しようとするとでさらに ですねこれもあの日本社会うんうんは実は そうなんじゃないかと思ってここに 付け加えたんですけどま個個人の背景とか 受けた教育などが同質であればほど差を多 立石酔いのせいにしにくいつまりえ人種が 違うよねとか話してる言語が違うよね育っ てきた環境が違うよねありましたよね育っ てきた環境が違うから好き嫌いは否めない セロリだな何 セロリーセロリーじゃない好きなの いやいやいやいや違食べ物話じゃないそう いう歌があった山崎正義ねお さすがさすがもう乗り突っ込みの近い さすがですわそしてそしてええだけどそう じゃなくて結構みんな同じ水人の教育を 受けてますとか結構みんな肌の色が一緒 ですとか話してる言葉が一緒ですってなれ ばなるほど違うていうことに対して他の 要因にしにくいわけですようんいや人種が 違うからじゃんと受けてきた教育が違う からじゃんそのね差ができてしまうことに じゃなくて割とみんな中流と言っていて 背景も同質だとよりサを自分のせにし なきゃいけないうんだ自分のせいに着する ね来さざるを得なくなればなるほど妬みの 感情が生まれるでこれを回避するための テクニックこれはもう完全に僕は勝て考え たんですけど このクレヨンしちゃんのいやそれほどでも もそうですけどもその 謙遜はでかこれ合ってるよねそんなでかく する とこれやっぱその謙遜っていうのはやっぱ 日本の社会の中で生きていくための要は そのこの同質的で小くて閉じられてて リカバーが効かなくて背景も同じっていう あの社会 大事でしょ気は大事うんっていう中では とにかく嫉妬の対象にならない技術って いうのはテクニックめっちゃ重要なです そうだね妬みそみからいかにこうね身を 守りながらこの自分の自己実現していくの かっていう組織内においては特にそうです よねうんですよねはいとかそのじゃああの 例えばだけど地方とかに行くと駐車場に社 を止めとええうんその少なくともあのまケ だけどうんまあの普通の報道はセダで ギリギリかなみたいなそういうとにかく その私はあとね僕もあの最初今横浜弁護士 会にいたんですけどうん最近忙しいとか 儲かってるって聞かれた時にあの絶対 忙しくないとか儲かってないって言え みたいなああそういうのもでもあるじゃ ないですか言われたはいで逆に言うと アメリカなんかはそのじゃああのピアノ どれぐらい引けるのって言ってまリトルっ て言ってめちゃくちゃ引いたらなんて不 誠実なやつあそうかそうちゃんと言えよと お前できるんだったらできるって言で日本 だったらピアノなんかお上手なんでしょ いやいや全くあのかじってる程度です みたいなこういう全ての多分謙遜の日本語 文化っていうのは割とやっぱこのあの嫉妬 を生みやすい社会の中で生きていくため の何々かじってる 程度見えないからあの 説明すると右手にあの冷房の コントローラーを持ってそれをあのかじる ジェスチャーをしてましたおさんが確かに でもあの僕もそういうのを謙遜って逆に 言うとイギブレていうかかってこう何かを 毀損するなとうん思うので上にも下にも何 もしないっていうことはすごく重要なん じゃないかなと思そうですねねそうだから ありのままですよ嫌な時は嫌違う時は違う そうな時はそううんっていうのが1番楽な んじゃないかなと思うようになりましたで そね会社員の時はやっぱこういう技術が 必要だったんだねですよねフリーランスに なってからはこういう技術がいらなくなり ましてうんうん解放された気がするそうだ からま私も完全にそうですねだから弁護士 ですらってさだって弁護士なんて別に はっきり言って個人事業士なんだから自由 にやってりゃいいのにまそういうこう圧 かかるってのは確かイギブレな倉持太郎 弁護士見たことないおっしゃる通りですね 先生確かに確かにあんまないよね確かに 自分のこと手前どもとか 言うそういうの使ってる人のことをインギ ブレーだって思ってるってことですうん そういうことですねはいでまあのここは サクサクいきますがでこの要はそのね近代 化したリベラルの社会が嫉妬実は逆接的に 運んだんですでこれにカンフル剤というか ですねあの加速させたま刺激し嫉妬を刺激 した要素ってのは2つあると1つはあの 資本主義ですうんうんうんもうあの端的に 言うと消費ですねで本当はその妬みって いうのはあのはずべきものであって好まし かららざるものだという風にされていたん だけどもやっぱその他よりいいものを買っ ていいものを着てうんでそれをそのま自慢 するのはまいいかどうかは別にしてそう いうものが悪くないんだよていうある人の 行為的にねその人々にその孤児することま これ嫉妬の裏返しですけども孤児すること ていうことがまこれ本当は昔は王様がね 孤児してえ平民がそれをへへへと見てた ものがどんどんどんどん民主家さこ孤児の 民主家っていう言葉を使ってますけども誰 しもが孤児できるようになったわけです そのためには資本主義が必要だ誰しもが こう消費をすることによって孤児するわけ ですねでこれは あのその持するていうこととこの下に書き ましたけど嫉妬するっていうことはこれ セトなんですようえ持してる人は嫉妬され ないと持してる意味がないですようえうわ いい家だね新しい家建ててどういい でしょう誰すかいや家を建てた 人今の家立てた人のモノマネはい大丈夫 ですか なんか マイク何がどうしましたちょっと待って くださいねはい おいしょえ なんか音が今ちょっとマイクを今入れ替え てますので少々お待ちください大きい声で 喋ってればいいですかはいもうままなく です はいあこれ入ってるですか音は一応 ちょっと待って ね堀さんのマイクで入っはい入ってます 入ってます今堀さんが電池を変えようとし て あの番取りにくいところ にオッケーオッケーオッケー復活これもね あの電池のま消費によって実現したわけ ですね嫉妬しちゃうよね電池に電池にね さあ行きましょうかそうでまこれは要は その資本主義がその嫉妬する人々の感情を 刺激することによってまこう消費をを駆動 させたわけです他よりの人よりいいもの着 てるとかうんま本当に同じものを着たいと かね同じものを買いたいとかもそうですで この後やりますけどもあの例えば私別の とこで話しましたがえ例えば週刊誌が なんかこう今のスターの何かがねあの スキャンダルを えこう暴いてそれに石を投げるっていう このゲームも結局はアテンションなわけ じゃないですかこうやってそのあのね集会 者が売れるためとかま別にあの インプレッション稼ぐためでもいいですよ とにかくそういう資本主義の原理っていう ものが人々の嫉妬っていうものを刺激する ことによってえ成り立つとだからこれ要は 嫉妬が金になるっていう話ですねでそれが まあ1つ嫉妬をあの刺激した要素だという ことですで 次もう1つはまあのご存知の通りというか SNSもうこれはもうそれこそうさん の普段の視聴じゃないねそうそうですそう です人おとしめてさ自分のファンをさ 増やそうとすするようなやつうんそういう ことでしかもそ別にSNSっていうか要は この技術ですよねテクノロジー昔から言え ばその郵便技術とかカパ印刷技術から 始まってこうSNSまで来たことによって 見なくてもいい他人の生活とか見えるよう になったけですつまり比較するっていう ことがあのよりしやすくなった近接化と 書きましたが見なくてすな他人の日しかも これ永遠に会うことがないかもしれない人 との比較をささせられ続けるわけで比較が 解き放たれわけですね万人の万人に対する 古事状態っていう風に山先生も書いてまし たけどもそういう状態になったでしかもま 比較と競争を可視化して煽るシステムな わけですねいいねが難いねフォロワーが どれぐらい何回再生インプレッションがど うっていうとにかくうん比較とか競争を 細かく可視化するシステムとしてSNSが まさらにあの嫉妬を煽る社会っていうもの を促進してでこれの1番怖いところはこの 孤児とか承認欲求とか比較することにま逆 これの裏側にある嫉妬っていうのは何をし ても満たされることがないっていうこと ですこのあのループに入っちゃうと へえいだからそこのね外側にま堀さんも あるしもちろんその足引っ張れることも あるかもしんないけど外側に入れてるわけ でしょ今自分がそういう風になったことに よってはいうんうんうんうんだからどう やってあのその外側に自分を置けるかって いうことと共にこの社会のそういうシステ ムっていうのは資本主義と共にですね 満たされることのないこの人々の孤児と 証人欲求の渦の中に僕らも投げ込まれてる んだっていうことをこれをなくそうその 浄化してそういうものをこの社会で なくそうというのは無理ですであの次です ね そのとにかくやっぱりその嫉妬するってこ は見にくいことだって誰も分かってるわけ ですよ僕だって分かってますよであとは 嫉妬されるのも怖いうんで知て嫉妬して いることを自分で認めることも怖いでこう 嫉妬辞任するとやっぱり自分はあなんで 嫉妬してるかって言ったらあのあの人と 自分を比べてしまっているからだとか いろんなその自尊信の傷つきがあるわけ 自分も蝕んでいくのこの嫉妬なわけです うんまだからこそ自分以外のコントロール 不可能な理由にしてくれる文化的装置がま 必要でこの山本先生はこの選挙なんていう のも結構最低限の不確実性を担保してて逆 にいいんじゃないのとこの民主義の中で次 投票率が何パーセン上がれば勝つかもしれ ないとそういうあの多率的あのの要因に ですね投げられるっていうのがまあるん じゃないでこのまそれちょっと置いといて 嫉妬しているっていうことをあの自分で 認めるのも怖いされるのも恐怖だからこそ 嫉妬はま偽装するとつまりわるうとするっ てこですねでこの嫉妬が1番あの偽装する その隠れミにするのが正義とか公平とかて いうことなんですよねここにつがるのか はいそれが次 ですま経済拡散まこれはあのポピュリスト たちまサハポピュリストもそうですよね 経済拡散に対するフェアネスとか平等の 主張っていうの実は人々の嫉妬ですねこう いうま構成とか平等っていう言葉でえ包み して主張してはいませんかとま中での自粛 警察もそうだったと思いますあの グローバルダニング訴訟をやっててやっぱ 1番特徴的だったのはえあと4日しかない のに命令出すんですか出さないんです かっていうことを東京都の審議会に図った 時にそこにいたまあの感染症の専門家から ですね法律家全員が口にえを揃えて言った 言葉が不公平だていう単語でしたつまり ここでこいつらに出さないと不公平だって いうこの不公平感覚っていうのはなんで他 が我慢してんのらだけやってんだって実は 嫉妬感情に近かったものがあるんじゃない んですかとでま この正義とか公平っていう概念は リベラリズムとかの話でも出てくるんだ けどもこの裏側にある嫉妬っていうものを が出てこなかったのはやっぱり合理的な 個人を前提としたモデルっていうものが あえて目を積ってきた感情なんじゃないん ですかねっていうことですでこの後がまた あの非常にですねあの逆説的パラドルなん ですけどこう民主主義っていうのは やっぱり他者を信頼して尊重してでそのま 熟議なりコミュニケーションを取っていか なきゃいけないシステムなんですよねそう しないとまガガガと一方一方の局に行って しまったり権主義化してしまったりするん だけどもなのでこの信頼を不信を煽るよう なこの嫉妬っていうのは実は民主主義は 危くするんですがだけど同時に民主主義 こそが嫉妬を生みやすいし嫉妬が生まれ やすいんだとこれまんさっきも出た特と いうのはパワまデモクラシーっていうの 自体がそもそもねあの平等な政治参加です から平等化ですからそう平等化自体って いうのはそのあのデモクラシーのねあの こう成熟していく家庭っていうのは平等化 を含んでるわけですよで平等になればなる ほど本来平等じゃありませんよねっていう ものに対してのその再が気になっていくと どんどんどんどん人々は近づけば近づく ほど嫉妬を感じやこの逆説の中にまいると でこれ面白かったのがあの辺追報ってあっ たじゃないですかあの当期の割れたのに その今回追報したい手先生君主とか選手と かを書いて投票して6000人でしたっけ ギリシえっとオストラコンじゃなくて カタカナ忘れちゃったギリシャですね ギリシャのポリスでえっとなんかそのこれ でも辺追報しましょうって言うとな2ヶ月 以内にそのみんなで6000人でやるわけ ですよでうんあのええっと何パーかが 例えば倉持とか堀順って書いたら追放さ れるわけですねや だやだなんだけどオストラコンそうですや だなんだけどそのこれはその民主主義の中 で充満する嫉妬のガス抜きシステムなん だっていう分析がうんうんあるんですよで どこかでやっぱりそのそういうこの アリステアの追報のあのエピソードを山本 先生も書かれていてある全く無学なあの 田舎 田舎風にしか見えない男みたいのにこの アリステイデが追放されるかどうかって いうの当追放の時にあって話したらあの 兄ちゃんとこのあの編にあのアリス テディスに対して田舎もが言ってます今 うんうんうんあのこのね東辺にアリス テイデスって書いてくれよって言われるん です自分の名前をま要はあの倉林太郎って 書いてくれよって僕に言われるようなねう なんでだいって聞いたらこいつはなんか 正義のやつだ正義のやつだって言われてる らしくて あの鼻鼻につくんだよとだからこいつを かけっていうことになってるから俺会った こともないけどこいつを書いてく れっていう風にま言ったとでそれで アステスは自分の名前を書いてま返したっ ていうエピソードをあの書いてるんです けども実はこれって結構そういうま週刊誌 報道とかスキャンダルもそうだけど色々 そういうところでこの現代の東辺追報 みたいな民主主義が絶対に抱えなきいけ ないうんガスみたいなをあのすごく不な形 で誰かを追放したり生贄にすることであの ガス抜きしてませんかということですね 慣れちゃってるねこういうにね慣れてるで なんかそういうことは起こる起こって 仕方ないじゃないかと思ってるしその時に 正義とか公平とかあの人権とか自由とか そういうなんか大文字が出てきてですねで 他者を引き下げることによってえま自分を 慰めるっていう行為に走ってませんかって ことを僕らは気をつけた方がいいですねと で次がちょっと簡単なまとめ日本社会 まとめですであの宇劇先生が え民主的人間とホモデモクラティックトス とかっていうあの造語を使われ作られてる のかなこれあの新しい想像力を持っちゃっ たつまり僕らみんな平等なんだと平等な 社会なんだからあの差があるのあ差がある はずがないと僕ら努力すればどういう風な あの人間にもなれるという想像力を持って しまった民主的にうん人間って言い方をし てるんですけどもこれはつまりもう イコール嫉妬的人間なんだということなん ですねでこれを日本社会にこの民主的人間 民主社会を当てはめるとするとですねま やっぱ日本ってその最を必死で見えなくし ている社会だなと思うんですこれは あのえっと僕らがやってる精神改良の問題 もそうかもしれませんけども何か違ってい るっていうことを非で深し化してこれも この配信で取り上げましたがその1973 年ですか高度経済成長が終わった年から 2019年コロナ前までのアンケートで 一貫して90%以上が自分たちのこと中流 っって答えてるうん再がないと答えてる わけですうんうんででしかも古人の背景と か教育とかの同質性が高いし日本語しか 喋んなくて未だに村みたいな閉じ者社会な わけですねこういう社会ってのは嫉妬が 非常に実は蓄積されやすい隣人と同じはず なのに違うっていうことをふつふつと感じ ているで一方で嫉妬された時にその被害も でかいですね妬まれてそのもしその対象に なってしまった場合はあのもう死だと生き ていけない可能性がうんあるとでこの要は サの不じ込めっていうのをし続けると 反比例的に嫉妬が社会に蔓延して増大され てでま特に今SNSと資本主義によって これは刺激されてますからうんうん本当は 僕らの嫉妬要因っていうのは日々の中で ものすごいあの渦巻いてるはずなのにえ それがないもの違いはないんですよと同質 ですよと学校教育もそうですよねでこれで 溜まったこの僕らがなんかもう溜まった 嫉妬ガスがですね正義とか公平っていう風 に偽装してま東辺追報的に爆発すると誰か を追放するんだと平等爆弾はいでじゃあ ねってとこですこれはまた難しい結論に 行くんですけどこれもあのさすがだね さすがですね富子富これも山本先生が引用 されて私もこの話を読んでる時に平等爆弾 が思い浮かんだわけなんですけどもえええ えと近代化してみんな平等になったら平等 になったのになったからこそ比較をして しまうと比較をしたところに嫉妬あり じゃあこの嫉妬っていうのは一体どこに 対しても心力とか水信力が向いてるの かっていうと結局平均化平等化なんうん うんうんですよね例えば能力のある人とか を嫉妬してみんなで引き下げるとか能力の ある集団をみんなで引き下げるとかって いうまそういうことを望まがつまりサが ない状態を嫉妬っていうのは究極的に望む わけですねこれを国慶に描いたのが ドラえもんの平等爆弾なわけですのび太君 がドラえもんと今日もテストが0点だった よとなんで僕だけこんなにできないの僕 だけ自転車にも乗れないしんうんうん遅刻 もするし全員平等にしてよっていうわけ ですねそうすると平等爆弾と出してきて ポンとやると全員が伸びになるわけですよ そ社会が機能しなくなるわけですね全員 寝坊してる足し算ができない自転車にも 乗れないでそれはま非常に皮肉ですねその 不幸閉館っていうものを是正するために 平等爆弾を打つとあの社会が機能しなく なるというじゃ本当にそれでいいんですか ということですつまり平等をなくすことも できないし平等を完全になくした社会も ディストピアだてことが分かったわけです ねうんうんうんじゃあもうどうしていくか というともう次ですよもうこれはもう平等 じゃねえや嫉妬と共存して嫉妬を買い ならすしかまないとはあなるほどいうわけ ですねであそうだ幸地そう幸地を挟みまし た でこれを日本でま分析したのがこの配信で も何回も出てきているまあ日本キテの リベラリスト副基地ですこれ遠望という 言葉を使っていて山先生も指摘されてます がエビああ棒にもう恩が近いま非常にまた 絶妙な役ですねで不全の不全なるものと 言っていてま我はエクルにあして他人を損 ずるにありと自分をこの高めるんじゃなく て他人を存ずると他人を不幸に落とし入れ 他人のあり様を下して持って被がの平均を なさんと発するがごまさに平均をなさんと 発するがごとでこれは結局世上一般の幸福 をわんずるという風にま公益まで返し ちゃうんだよという風に言ってますてなん でこんなこと人間がするかと言とこれあの これですねこの学問の進め堀さんどれです かこれここここですはい学問の進めの13 遍にこのエボについてというの一遍割い てるんですようんでこれはもう他の結構口 の悪い沢もこの遠望つまり嫉妬に関して だけはもう本当に口汚くあの本当にダメな ことだともういいところは1つもないって いう風にえ批判をしていますでこの原因と なるのがこのスライドにある通りですね この9これあのえ困窮の級ですが貧乏って ことじゃないですこれあの人間が自然に する自由を妨げたりとか全て運まかせの 世の中自由を全部奪っちゃって運任せ みたいな世の中になるとなることなんだっ ていうんですねこれあのえ最近サンデルは ねあの実力も運のうちえどっちだっけ運も 実力のうちうんをもじって実力も運のうち とつまり自分が実力で東大に行ったと思っ たけども実はそれはどの家に生まれるかと かどの地域に生まれるかとかっていうその 運に結局運に左右されてる社会っていうの は何やってもダメだ結局自由がないのと 一緒じゃんというこういう社会っていうの はあのこの遠望が生まれやすいっていうん ですねでこう風にしてるとお互いが どんどん遠ざかって言ってでこの物事に 接する勇気がなく土量が狭くて人を 受け入れられないそうするとお互いが 遠ざかるこれもSNS時代の今をまるで 言っているようなで遠くから人の言った ことを伝え聞いてちょっとでも自分と違う と受け入れられないこれも今まさにあ まさにこの状態ですねでなんとなく自分の 自由で自由に自分の人生設計もできない もう運しかない運でしかないみたいな ところでこのどんどんどんどん人との距離 が離れていきはいはい勇気を持って接すれ ないけどもなんとなく伝え聞いたことが 自分と違うと否定しちゃうみたいなこう いうところから棒っていうのがむくむくと あの生まれるんだっていうですねでだから すごく単純に言うと自由を認めて人と勇気 もて接しろって言ってんですけどこの最後 の13編のところ であのもし高機会ありてその殺すものと 殺されるものとをして数時間の間同書に 起きと暗殺とかってことがたまにあるけど あの暗殺されするやつとされそうなやつを 同じとこに置いてみるとで互いに隠す ところなくしてその実の心情をはしること あればいかなる的まその復讐の敵ですねい ても必ず相はするのみならずあるいは無理 の法たることもあるべしとそんなことある んかいと思いますがでも面白いのはその 暗殺する人される人みたいな関係でも同じ ところにずっといて腹わって話せば親友に なっちゃうこともあるかもねみたいなこと をまうん言ってるです諦めないそう対話を 諦めない結局ま単純のことなんだけどま こういうことなのかなという風に思います でま最後のスライドですけども結局嫉妬 買いならし共存するしかないというところ であのさっきも言ったように嫉妬は消え ませんどうやったってこの民主主義社会 平等が一応前提ともうなってしまっている 民主社会では嫉妬はもう僕ら人と引かする ので嫉妬は生まれますとこれを浄化しよう とすることは無理ですでもえ嫉妬にあの 自分がああ蝕まれてうんうんそしてこの 社会自体をあのみんなで引きずりおろそう とするのも違いますよねとでまこの嫉妬や 差異の不可し化でこれをないものとする フィクションの強調こそが問題という風に え書いたんですねでだからその近代の リベラリズムていうのはこれはないんだと みんな人間合理的なんだというこの設定 時代にやっぱり無理があるんじゃないです かとね失すること自体は問題だけどじゃあ なんでそうなってるんだってことをま考え てみましょうそうするとま嫉妬は自分を 最低してくれ何嫉妬してるの誰と自分を 比較してるのとどんなその自分が集団の中 にいるってことになってるのでここでふと 思い出したんすようんうん 去年4月ぐらいにあのサムイジャパンと あったじゃないですか堀さんが全然興味 ないWBCうんうんWBC知ってます テレビ東京でやってるよね違うよWBSだ し侍ジャパンでそう本表が日本と日本と アメリカと野球のね国々で開催してそう 野球の国々でね開催したと言われている あれであのまあ日本は非常に劇的なあの 勝利をね収めて優勝したんですよ確大谷も 出た大谷もであの時に4月にあの白雷 コーチというあのヘッドコーチうんのお話 を聞くことができたんですねうんでま はっきり言って史上最強と言われたま スター軍団本当にキ星のごときスター軍団 ダルビッシュがいました大谷がいました 新庄た佐々木老樹がいました新庄いねえよ でそれねキラ星のスターがいましたでどう やってまとめてねどうやってスタメンを 決めてチーム構成したんですかというよう な話だったんですよねその時最初に キャンプの初日にうん白井コチはま栗山 監督と共にですねあの全員がスタメンです という風に言ったとうんうんうんだけど9 人は選ばなきゃいけませんとうんま全員も プロなのでその試合があの始まるまでにね あのま調整をしてくれるだろうとは思って いたけどもそこは競争になるわけですよ うん例えばま野球見てる方やよく見てる方 だったら分かるかもしれないけど ファーストは巨人の予番と岡本当時西武の 予番だったまパリホームラウンの山川 どっちかセカンド横浜の巻かヤクルトの 山田かまそれぞれが同じ境遇あのさっきの 話と言うとみんながあのそこに行きたいで みんながそれを持てる可能性があるって 同質性のある人たちがそこに向かって競争 してたわけですね でえいざ試合が始まってみたらま2何人 いる中で9人選ばなきゃいけないとそれは もう完全に勝つためにやってるわけだけど その目標と目的っていうのは違ったんだと 目標はまそれ優勝するっていう単純なあの 目に見えて分かる目標を持ってたけどその 先の目的っていうの全員が共有していまし たっていうですよ何かって言ったら野球 ってやっぱすごいねと野球を見てるだけで こんなに人に勇気を与えられるんだとか チームワークとかそういういうものも含め てですねいろんなものこんな野球ってもの はまだまだ伝えられるんだていうことは僕 らの目的ですねっていうのをチームメイト が全員共有していただから別に優勝しよう なんて思ってなかったうんそれその先に あるものを全員が見てたのでなので何 かって言うと本当だったらあのレギュラー 奪われてしまったっていう時にこういう 短期感の中でも嫉妬が生まれたりとかです ね相手を妬んだりとか下ろしてやろうて いう例えば怪我をしたうんに対してなんか あ自分が出れるかもしれないと思っちゃっ たりとかっていうのがあったりするんだ けどその一切なかったとうんうんうんで それこそその日本であの試合をして アメリカに行くわけですけど日本はまその 調子のいい人を選ぶ期間だったわけですね アメリカに行ったら1回も出れない人が ほとんどだっったわけですうんにも関わら ず誰1人としてその声を出さない人間がい なかったとで例えばあのメキシコ準決勝の メキシコ戦でそのえスタミを調子が下がっ ちゃってスタミ取れなかった 今ソフトバンク山川がね代打で出たんです よ重要なとこでで犠牲フライを売ってその 1点があったから最後の村上のあの2 ベースでさよならさよならがちだったん ですけどその山川が打席に立った時に全員 があそこまで調子を落として岡本に レギュラーを取られてしまった山川が1回 も腐らずに声を出し続けてで人々にもあの 帰ってきた人にも声をかけてっていうこと をしてたあの山川が打てないはずがないと うんうん絶対に結果を出してく祈るような 気持ちでうんみんながもうあの前に出て 応援をしていたそういうにこうなんて言う のかなあの嫉妬なんか生まれるような状況 じゃなかったっていうんですよねだそれは あのやっぱりそのチームが目指す目的を 全員が共有していたからだとでこれ 思い出したんですよ要はまそれは小さい 社会あの人間あの本当2人の人間関係から 家族から教室かもしれないし何か組織かも しれないけどやっぱりみんな1回目的を 共有してるかどうか市民社会とか民主主義 だったらとりあえずその自分より恵まれ ない人をさらに下げるっていうのは目的で 僕らっと同じ社会生きてないですよねとか 単純なことだけどやぱ同じ目的をちゃんと 共有するっていうことがあのまそのこの あの配信を準備してる中であのその白コチ の言葉はですねあのすごくあの蘇りました でと同時にあののむさんっているじゃない ですか堀さんめっちゃ失ってるけどね野村 監督もう終わるかはいはい野村監督あのお 話伺いましたよいうん野さんが引退を決め た時ってのがあってうんうんうんうん自分 がね最後その西武かなさあのいたのはで あん時にあの代打を送られたんですすて うんで悔しいじゃないですか代打野村さん が打つ時にそう自分が次ていうそう代打を 送られたインタ決めた時ですねそそうなん で決めたんですかていう時そのうん場面の 話をしてるんですけど代打を送られたとで その自分に送られた代打がバッター ボックスに行く時に打てなければいいのに と思ったんですうんうんうんその時点では 自分はもうダメだとああ引退しなきゃだめ だつまりチームとして勝たなきゃいけない いって目的があるにに人だねそういう風に 思っちゃうていうのはもう自分は野球選手 として何か目的をみんなで共有してやって いく人間としてはもうだめだとそうか やっぱりそのこの社会でそのみでいく時に ま自分の中に嫉妬感情とかねそういう ネガティブな感出てくることは分かるけど でもやっぱり何を目的として共有してるん だっけっていうところに帰ればそういう ことも少しは減るのかななんて思ったりし たっていう話でちょっと過ぎちゃったけど 皆さん共通の目的意識か世代型スリ大臣え 熱いね日本人の良い集団主義が発揮された のですね皆さん色々をなくしますと言っ たら色々と嫉妬が渦まくだろうなうんえ 嫉妬とどううまく付き合っていくか浄化は できなくても買いならすことはできるうん ええ え嫉妬は勇気をくじく大事な言葉だそう ですねガチャしうんえ遠望変換リストに あったとねさんえそうなんですよあった あったありがとうございます是非ね皆さん あのメンバーシップにね メンバーシップにい ニュースのWのがあのだんだん変化して いきますのであの是非メンバーシップに 入っていただければ入ってくれている人の コメントを実とあの優遇してあのはい読ん でますので僕は はい最下すんなよれ じゃ長く入っていただければ入って いただくほどあのあのatニュースのこの ねロゴが色が変わりますん で収益かはいはいまなのではいとにかく あの僕らがやってるうんうん問題とも通底 するなとまやっぱこうやって孤立しちゃ あのいけないしね最下も相対化していくっ ていう社会をどう作っていくかって結構だ からそううん根底的だけどあのこう社会 構成とかどうしていけばいいかがよく 見える話だなとうん思いましたはい ということで今日は1人語りでしたけれど も1人語りもねいいですよねゲストがいる のも楽しいですけどもはいそうですね次回 はえっとだから6月4がえっと堀さんの あれでお休みではい6月11はあの6月 10日に今度公開じゃないうんうん精神険 福省の意見訴訟の記述があるのでまその あの翌日なのでえ記報告をね公開されない わけですかするっていうこともありますし 今色々ゲストの方にもお声がけしてるんで はい技術報告はまその収録で当日やりつつ うんもしかしたらわかりましたゲストが来 たりするかもしれま次は6月11ですはい よろしくお願いしますよろしくお願いし ますおやすみなさいおやすみなさい グッナイ

毎週水曜日は、弁護士・倉持麟太郎さんの「このクソ素晴らしき世界」。#クソすば
倉持さんは、訴訟や国会での法律に関する議論を解説。あらためて私たちに専門家の視点から読み解き方を教えてくれます。お楽しみに。

今回のテーマは『嫉妬と民主主義』。

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