共に学び、生きる共生社会コンファレンス東北ブロック「生きる、語る、学ぶ~障害のある人とない人がともに」第2部【期間限定公開】

それではせんだいメディアテーク オープンスクエアで共に学びきる 共生社会コンファレンス東北ブ ロック第2部を開催いたします まず始めにちょっと音量のテストを します 第1部は隣のプログラム に少し音が干渉するため音量を低めにして おりました 今、第2部は音量少し上げ ております。後方にいらっしゃる方 音聞こえてますでしょうか 大丈夫そうですね。ありがとうございます そうしましたら第2部を 再開させていただきます。まず、取り組みは 主催、特定非理活動法人エブルアート ジャパン、そして文部科学省となります 共催は仙台市教育委員会、せんだい メディアテークになります。 また後援として宮城県教育委員会 協力として、一般社団法人NOOKとなります 本事業は文部科学省 令和5年度学校 卒業後における障害者の学びの支援推進業 の1つとして位置付けられていおり ますとそれではまず第2部ですけれども 話題提供としてなぜ障害なる人たちの障害 学習というテーマが今施策として進んで いるのか文部科学省の障害者学習支援推進室 の石橋さんより改めて経緯をお 話ししていただきます それでは石橋さん前 の方でお話をお願いいたしますえ今ご紹介 いただきましたえ文部科学省障害者学習 支援推進室の石橋と申します 本日この素敵な会場でご準備いただいた 皆さん、それから会場でご参加いただい てる皆さんありがとうございます 私からの説明の方はちょっと 文字がたくさんあってですね あまり面白い情報提供には ならないかもしれないんですけども 文部科学省の政策の推進についてお話をさせ ていただこうと思います まず私ども障害者学習支援推進室は 漢字だらけで長いんですけれど こちらが設置されたのが平成29年 こういう行政関係の期間としては 割と最近に設置されました なぜ設置されたかと言うと 当時の 文部科学大臣の方が特別支援学校 を支援した時に保護者の学校を卒業 したあと、ご自身のお子さんたち が社会で学ぶ場所ってあるんでしょうか どうしたらいいでしょうかと いうお声を伺いまして ずっと勉強し続けられる環境が誰にもある っていうのはとっても大事な ことだよねというメッセージを発信され まして、そして我々の政策を推進する この室が設置されました 当たり前のことなんですけれども あまり注目されてこなかった経緯と いうのは文部科学省にはあるのかな という風に思います このさらに少し前ですけれども 日本でも障害者権利条約の批准というのがありました ちょっと硬い話ですね 国連ではもっと前に採択されていたんです 日本では関連する法律だったり 整備がようやく進み始めて この平成26年に国際的なお約束で ノーマライゼーションを当たり前の権利を 障害があってもなくても当たり前の権利を 当たり前の状態にしていきましょうねというような ことが約束されて日本もそれに向けて 色々整えていきましょうという風になった ところですけれどもこの中え第24条で 障害者の え障害学習の機械の推進というのが明記さ れましたでえ文部科学省でもえ障害者の 障害学習推進というところが進んでいく わけです えそれまではもしかしたらえ全員がそう 思ってたわけではないですけども特別支援 学校で勉強すればいいよねっていうところ で終わってしまっている考え方がえ ちょっと多かったのかもしれないなという ところは感じてい ますはいでえ法整備ということのお話をし ましたけれども障害者え差別解消法最近で は合理的配慮っていうような言葉を皆さん も耳にすることが増えているかもしれませ んまず国や行政機関で合理的配慮も提供し ていきましょう合理的配慮って何かって 言うとえちょっとえみんなと同じには参加 しづらいかもしれないけれどもこうしたら 参加できるよこういう風にしてもらえませ んかこんな配慮してもらえませんかって いうことにえみんなでより良い方向を考え てえいくということですねいきなりえそれ はできませんやったことがありませんって 言って断ってはいけませんという法律です えこちらの方がですね え実は年度のえっと4月1日からは事業者 企業にもえこの合理的配慮の提供というの が義務化されるようになりますので ちょっと困ったなちょっと手伝って欲しい な手伝ってくれたらできるのになという ようなことですねそういうことはえ どんどんえ相談してそれに対してですね 社会が対応していけるような社会が少し ずつ進んでいってるということを覚えて おいていただければなという風に思います そしてえこちらのえ先ほど申し上げた特別 支援教育の障害学習化に向けてうん障害が あってもなくてもえ共に今回のテーマです けれどもえ学び続けていきましょうその 環境を整えていきましょうというところで え我々え学校教育だけじゃなく色色な場に 手でのえ教育というのを推進していると いうことで今回の主催となっているえ エブルアートとジャパンさんがえスープの アカデミアをしていただくとかそういう ようなえいろんな担い手のえ学びの場の 場作りというのをえ支援応援しています国 としても応援しているというところがここ のえ肝心大事なところ ですはいえその他に関連えの法律として ですねえ読書バリアフリー法であるとかえ ちょっと長いんですけも情報アクセス コミュニケーション法ですとかですねいく つかえシアだったり展示だったり色々な 情報の取得それからえ読書こういったもの が障害があってもきちんと届くように 楽しめるようにこういった法整備が今なお 続いているところですここ時間あったらえ もう少し詳しく話せればなと思うんですけ も私あまり時間通りに話すのが得意じゃ なくてですねね長かったら誰か長いですっ てえきちんと教えて くださいはいでえこのような色々な社会 背景ですとかがあってえ我々は誰もが障害 の生むに関わらず共に学び生きる強制社会 の実現というのを目指してえここに書いて あるようなえ取り組みを進めていますえ スープのアカデミアさんさんが言っていた この上の方の丸1のところですね本人の 主体的な学びだったりが大事ですよという ようなことをま改めて言わせてもらって いるというところ ですでさらに文字が小さくなりましたこれ ですね昨年度末にえ予算案というのがです ね国会というか国会のまだ手前ですねえ 予算案がえ通りましたのでこれを元にえ 政策の内容ををご紹介したいと思うんです が小さくて見づらいですよね えっと水色の枠の中 の1番調査研究これはですねえ障害者の 障害学習を取り巻く環境だったりえ実態が どうなのかなというところえ調査研究して 課題の把握え実態の把握に努めてこの2番 え実践研究で性を整備したりえそれから プログラムの開発をしていただいたりこの まさに実践研究のところでエブルアート さんにこういった取り組みを実践して いただいているんですけれども今日午前中 のお話を聞いてですね えよりえこの仙台では仙台市と一緒にそれ からNPOさんとが一緒になってこの実践 研究をえ日本でもですねますごく先進的に 一生懸命面で広げていただく取り組みをし ていただいているんだなという風に感じた ところです えこちらで紹介しているのがえこのえ事業 の3つの柱ですね体制整備と実践 プログラムの開発 ですはいでこの辺りはですねま細かい資料 になりますのでえご興味のある方ご連絡 くださればまた別に説明いたしますのでえ この中でもですねえ本人に本人やえ関係者 の人に障害の障害者の障害学習の場がある んだよもしくはそれがとっても大事なこと なんだよっていうことが伝わってないと いうような え研究結果が出ておりましてこういった コンファレンスの場であるとか情報発信を 一生懸命していただいているというえ こちらの取り組みというのはもっともっと 日本中に普及してえいかなきゃいけないな というところを課題にしておりますはいえ 37団体全国でこういうような取り組みを していただいてい ますもうあまり時間がないのでえっともし 本当にこれ以上ですね詳しいお話をすると いうこことになると個別にお声かけ いただくようになるんですけれどもえ文部 科学大臣表彰ということでこういう 取り組みをもっと地道にずっとやっている シワのサークルをやっているだとかえ一緒 に学ぶ場を作っているというような人たち は年に1度ですねえ県のえ推薦を元に表彰 しておりまして東北地区でも今年度だけで これだけたくさんの団体をえ推薦して いただいて大臣からの表彰をいいており ますので是非皆さんもえこんなことやっ てるよということを大いにですねアピール していただいて県の担当者まで声が届く ようにですねしていただくと大臣から表彰 されるかもしれませんのでえ是非こういう 取り組みがあることも知っていてください えで本日はですねえ別会場でバリアフリー 図書の展示というのもやっています目が 見えないからジがめくれないからえ物語を 楽しめないなんていうことはありませんえ 色々なえ読書がありますしえそれからえシ でお話しする会というのも先ほどやってい ましたけども主でお話しするというような こともあるということをもっと社会の皆 さんに知っていただいてえ知ることだっ たり学ぶことだったり読むことだったりを 諦めないでですねえあそこにああいう本 あったよっていうようなことを誰でもが あの話せるようになるような社会えそう いったものを目指して我々取り組んでおり ますのでご関心ある方は文部科学省 ハードル高いと思わず是非ですねご連絡 いただいて皆さんに参加いただいてえより 良い社会を作っていただくえ共に作って いただくえ関係ができたらいいなと思って おります拙なく駆け足でしたけれども本日 のえ話題提供のお話えこちらとさせて いただきますありがとうございまし た はいああ石橋さんありがとうございました 短い時間ながらですがどうもありがとう ございましたえっとそれでは部のえっと 登壇者の皆さんをえっと最初にご紹介し たいと思いますえっとまず今日の第1部の 流れを引き受けてえっと第2部につげて いただく聞き手としましてえっと東北大学 教員石山龍平さんですあ皆さん拍手でお 迎えくださいはいえっと私たちアカデミア とはえっと読書会を通じてまたこの コンファレンスの場を通じてえっと3年間 日々えっと色々な議論それそれから計画 またこうした活動のあの重要な視点につい てえっとディスカッションする機会を頂い ていますえっとそれから今日はえっと ゲストにえっと3名それからサポートで1 名えっと合わせて4名の方をお招きしまし た初めに高橋9清さんあじゃ高橋さんです 皆さん拍手でお迎えくださいじゃ高橋さん はここでちょっと準備お願いしますえっと お祭りプローという肩書きがありますが皆 さんがよく知っているとっておきの音楽祭 えっとそれが生まれた背景またえっと障害 のある人とない人が共に活動するという 視点についてえっと高橋さんなりのあの すごくユニークなえっとお話が聞けるので はないかと思っておりますえとそれから 登壇者お2人目で続きまして追川友さん です追川さんですはい皆さん拍手でお迎え ください 川さんは地元東北福祉大学卒業後現在宮城 アピール代行動ということで様々なえっと 政策それから障害なる人たちを取り巻く 人権に関わるえっと行動あそれからえっと アピールですねあのというものを我々 NPOとか当事者団体と行っています えっとそれから今日リスピークということ で川さんのえっと発言をえっともう1度 読み直していただく役割で中田さん いらっしゃっています拍手でお迎え くださいよろしくお願いいたし ますさらにえっと今日は実は関西大阪から えっとは美希さんをお招きしましたえっと あ林さんじゃまずは皆さん拍手でお迎え くださいえっと現在は立国大学の教員です えっと実はアカデミアのメンバーで現在 読んでいる読書会の本の執筆者です第2部 はえっとこここちら仙台のま少しこう長い 歴史軸の中でまたこれからのこうした活動 を進めるにあたって必要となる視点につい てえっと学びを深める時間にえっとして いきたいと思いますそれではえっと初めに えっと話題提供ということで始めていき ますがここから聞き手である石山さんに バトンタッチしますよろしくお願いします えよろしくお願いします聞こえます でしょうかはい僕の声はこり気味なもん ですからえっとまでも一生懸命喋ります えっと今のままあのもう柴崎さんに司会 やっていただいた方がいいんじゃない かっていうぐらいあの非常に明瞭にご説明 いただいたんですがちょっと役割柄えっと 午前中と繋げるお話をしたいというように 思いますあの午前中の大きなテーマが共に 学ぶ場を作るっていうことだったんですよ ね混ざって学ぶっていうことだったんです どうでしょう今日ここにおられる方々のも おそらく多くはあのすでにあの日常的に 障害を持たれてる方々がおられたりとか えっとご自身がそうであるっていう方々が 多いかなというように思うんですけどもで も中には今日初めて障害がある方々と えっときちんと学び合うっていう経験を 持ったっていう方も中におられるんじゃ ないですかねどうでしょうあありがとう ございますはいえっとあのそして多分です ねあの感じられたと思うんですけども えっと何らかの配慮をたくさんしないこと にはそういう場は実現できない大変な営な んじゃないのかっていうようにもしかする と人前に思われてた部分もあるかもしれ ませんけれどもあの通常の学習の場例えば 僕は今大学の教員ですけども学生たちだけ でのディスカッションではできないような 豊かな時間を経験されたっていう方多いん じゃないでしょうかね例えば今日2つに 別れましたでこちらでは哲学カフェという ことで幸せとは何だろうっていうことに ついてみんなで言葉を出し合うっていう ことをしたわけですよねで実際僕振り返っ て思うのはもしうちの学生のゼミだけで 同じことをやってもこれだけの言葉の豊か さは出てこなかっただろうなっていうよう に思いますあの多彩な人たちがいるという ことでこれほどたくさんの気づきが得 られるつまりあの混ざる場を作 るっていうことはそれ自体が尊いだけでは なくて通常にはないような学習区間を作る 可能性があるっていうことまそれがあの 今日午前中には確認できたことだったん じゃないでしょうかどうでしょうかね共有 いただけますでしょうかそしてその午前中 でですね非常に重要なキーワードがあり ましたそれはあの何かって言いますと学ぶ 内容を学びたいと思ってる人が作るって いうことですよね実はこういうその学ぶ 内容を学ぶ人間が作るっていうことて実は あんまり当たり前じゃないですよね我々が 受けてきた学校教育を思い出していただき たいんですが自分たちがが学びたいことを 学んできた場ではありませんよねすでに どなたかこういったことを学ばないといけ ないっていうことを決めていてその プログラムをこなしてくるっていうのが 学校教育なんじゃないでしょうかあの つまりえっと学ぶ人間が学ぶ中身を作 るっていうのはとても重要でありながら 学校にいる間はなかなかそれができないて いうことなんですでその中で今日実は午前 中にご登壇いただいた方々はそういう公 教育の制約をとっぱらったところに学習を 組織するっていうことを仕事にしたり ライフワークにしたりまそういったことを してらっしゃる方々ばっかりだったわけ ですよね真ん中におられた林さんていう 男性は社会教育施設の職員としてまさに そういう学びを作るっていう立場でしたで そしてえっと佐藤さんたち社会学級の方々 は仙台の場合には小学校ごとに90地域の 中でそういうサークルがありまして自分 たちが学びたいことをみんなで話し合って それを実現して多くの方々に来ていただ くっていうことをやってらっしゃるっって いうことなんですでそういう営のことを 我々は社会教育っていう言葉で表現をして きたわけですけどもおそらくエイブルの 方々はそんなにあの社会教育っていう言葉 を意識はされてはいらっしゃらない立場だ と思うんですねしかし社会教育のプロで あったりとか社会教育でずっと学んでおら れる方々よりもむしろ今日後半に佐竹さん たちにご報告いただいた金手さんたちにご 報告いただいた中身というのはまさにその 学びたい人間が学びたい中身を作 るっていうことに関して相当貫いたあのご 報告をいただいたんじゃないかなという ように思います究極的な表現が確かあの このワークショップは自分のっていうよう な言葉が確かあったかなていうように思う んですよねつまりこの授業は自分のもので あるとこの学びの場は自分たちが作った ものであるとそう言いきれるような実践を 作ってらっしゃった そういう意味では今日実はあのえっと午前 におられたえっとえっとは橋本さんあの 障害学習センターの職員の方はえっと午後 はちょっと仕事があるっていう形で帰って 行かれたんですけども午前中はですね非常 にこうえっと前向きな話をされたんです けども実は自分たちはそこまでの実践は できてないんだというあの新々の思いで 帰っていかれましただからプロである彼ら がですね悔しいと思うほどまそうしたあの 学びたい人間が学ぶ中身を作るっていう ことに対して非常にですねあのまえっとえ こだわられた実践を今日我々は見せて いただいたなので今日あの後案の時間の中 でも是非ともやはりどうやればそういった 学びの場が作ることができるのかっていう 治験についてはですねあのもっと共有する 時間を持ちたいなというように思ってます えともかく混ざるっていうことが1つ テーマだったんですけれどもなぜこれを テーマに我々はしてきたかというと今この 社会は実は混ざってないんではないのかと いうことなんです障害を持たれてる方々が ですね命を支えてく制度に関してはかつて の時代に比べてみるとかなり整ってい るっていうそういう側面は確かにあります そして制度によって支えられてるっていう ようなそういう側面はあるんですけども そのことによってかつて制度があまりない 時代に混ざりながらなんとかみんなの命を 支えていこうっていう形で語り合い実践さ れてきたそういう関係が相当薄まって しまってるっていうのが今の世の中なんで はないのかっていう問題意識を我々は共有 してるっていうことなんですねでこういう あの制度がえっとま成熟してきた裏側の 問題について改めて我々はこの時代にどう やったら混ざることができるのかっていう ことを考え合いたいでそのために今日3名 の方にえっと情報提供をしていただこうて 形で来ていただきましたえっと最初の2つ は仙台宮城の実践です仙台宮城でその 混ざり合えないところにどのような仕掛け を作ってらっしゃるかって形について学ぶ そしてえっと関西から来ていただいた研究 者の林さんにはそのことをもう少しですね 歴史的に俯瞰して考えるあのそういった 材料を提供していただくっていう形にし たいと思いますあの時間配分としてはです ね仙台宮城のお2人には15分遠方から来 ていただいた林さんには30分って形で えっと情報提供をいただき少し急を持って 全体のディスカッションで30分から40 分ぐらいありますのでそこで是非皆様方 からもご意見をいただきたいとそういう形 で展開させていただきたいというように 思いますえっと前振り長くて申し訳ござい ませんではあの早速行きたいと思います えっと高橋さんからあの先ほどお話があり ましたとっておきの音楽祭仙台初の 取り組みですけども実は同じような 取り組みをやられる方々がですね全国に 非常に広がってましてそのルーツは仙台で ありましてそれを実際に作ってこられ日 までつげてらっしゃった経験地に学ぼうと いうことですじゃあ高橋さんどうぞ よろしくお願いいたしますはいえ初めまし た高橋九ですえっと私がですねあの障害の ある方々とえ最初に接したのは えと西田国立西田要領樹にえ近日 トロフィーの兄弟3人がいたんですねそれ が山田え幸さん秀さん富さんて3兄弟でで そこにえ僕がその当時えマネージャーを やってた山山ガ相談というですね仙台に 住んで全国からデビューしたコロンビア レコードからデビューしたフォーク グループがあってそこで彼らと一緒に西田 が病院にあの演奏に行ったんですそしたら 彼らが自分たちがこのこの病院から 飛び出したいんだ社会に行きたの中で一緒 に暮らしたいんだっていう思いを語って それでアリノマというのが 1975年に彼らとそのそれに共感する 若者たちで出来上がったんですねでそん中 のえ山田秀さんっていうジラの彼は車椅子 に乗りながら詩人としてドムパックって いう詩人になってえ車椅の青春っていう本 を出してそん中の曲え僕は船乗りになろう とかという曲を山山ガ相談が一緒に作って 演奏したりっていうそういう付き合いから 始まりましたでえ我々人間あで今タイトル にてますが鳥の音学祭は2001年から 始まったんですが実は仙代ではその前に 我々人間コンサートというえコンサートが ありましたこれはですね1981年に第1 回我々人間コンサートが東北大学の川内 記念行動でありましたえも当時は本当に あのスロープとか何もないので各会館も 特に川内記念行動はすごいあの段差が大変 な場所だったんですけどもここで第1回が 行われましたこの我々人間コンサートの追 立ちというのはですねえ提唱者がえ松山 善三さんえ映画監督のそして仙台出身の 秋山千恵子さんでソニーの会長の井深会長 そしてA6さんが呼びかけてえ全国でまの 数箇所で我々人間作が始まったんですで 仙台は佐藤幸さんがえデビューしてすごい あの皆さんもそれにか共鳴してえ第1回が 始まりましたその時一緒にあの出ていたの がそ僕の僕がマネージャーをやってた山山 ガ相談のメンバーも参加しましたでその 当時第1回目は猛学校出身のOBでやっ てる仙台ガブリエルブラスとかも出演して 始まりまし たでえっと川内記念行動から今度は第4回 の1984年には先代市民会館に移りまし たまその頃の実行委長は大阪誠さん先生と いうえ小松島育児の延長先生が え務められておりまし たで1988年第8回の我ら人間 コンサートでは県民会館でえ行われまそう いう意味ではあのかなりバリアフリーには あの程遠いまだここの時代の会館はえ大変 だったんですけども本当に えみんなで力を合わせて車椅をみんなで あげるとかそういういろんな経験をですね ボランティアがいっぱい集まってやりまし たそして海外からも演奏として韓国の ベテスタ四重相談とかですねいろんな韓国 の障害のあるえ未樹シたちも参加してえ我 ら人間コンサートが行われましたで 1990年に第10回の我ら人間 コンサートが行われるんですがこれがあの 一応ワコンの通称割れコンというんですが これのま最後の回になるんですねなるん ですね仙台が10回続いたんですがでも他 の地域はですねほとんど23回1回限り のってことがほとんど長く続かなかったん ですでも先代は10年続いてえ本当にシを 始め本当にいろんなボランティアの人たち かなりの人たちがそういう経験を一緒にし てですねそういうものを作っていたという 時代ですでそん中の出演 者あごめんなさいえ出演者にですね え足でギを引く遠藤さんという方がいるん ですが1番右上ですかね左上かま山山が 村田の演奏と一緒にギターを引くんです けども本当に足でエギターを引くっていう 本当に障害を持っててもいろんなみんな 工夫をしてどうやって参加するかどうやっ て自分のあのそういう音楽を極めるかって いうことでえこれはねベンチャーズのあの グループサウンズベンチャーズの曲をです ね演奏したえ写真ですで本当にえそういう 人間の可能性というか障害持ってる方でも ない人でもいろんな人間の可能性がある といいう部分を我ら人間コンサートはこう 考えたと思いますそれで1番印象的だった のはA六助さんの言葉なんですけれども 私たちはみんな障害者予備軍なんだよねっ ていういずれあの恒例になればみんな障害 者になるんだよ売障害者呼び君だから みんな障害ある人もない人も一緒にあの 暮らしていく社会ってのが1番いいんだよ ねっていうことをおっしゃったのが本当に 印象的でした でえその後ですね我々人間コンサートが 終わった後宮県ではとっておきの芸術祭と いうのがえ県内の4箇所をくらいて行われ たんですがその後2001年のえ10月に ですね え宮城県で障害者スポーツ全国大会が行わ れましたそれの年が2001年でその時に え当時の朝の知事がえなんかスポーツだけ じゃなくてもっといろんなものがやれない だろうかということでえときの音楽祭が スタートしましたこれはあの1991年に 始まったその上前寺通りでと街中である 常人寺ストリートジャズフェスティバルの 僕も第1回からの立ち上げなんですけれど もその時え事務局長をやってたのが菊明典 さんっていう方でで彼がと私と一緒にその 鳥の学祭をえ屋外で屋外でやるあの音楽祭 そうすると通りでいろんな 道行く人たちもいろんな障害のある人たち にもえ触れ合えるということでこのときの 学祭の えっとコンセプトはですね え障害のある人もない人も音楽の力で心心 のバリア振りを打ち壊すというコンセプト ですそして合言葉はみんな違ってみんな いい金すさんのあの私ととすの死ですけど もみんな違ってみんないいという精神で 音楽祭をやろうということが始まりまし たで2006年の第6回の鳥の音楽祭の時 にですねえ鳥の音楽祭のテーマ局はハエと いう安倍三さんが作った曲なんですけれど もこれはおはようといえいっていう挨拶の 言葉を縮めたおはえという言葉ですでこれ の映画を作りましたちょっとそのア映画が ありますのでちょっとご覧くださいこの 映画の中に出てくるですね3人があのいる んですけれどもえダウンシの荒川智子さん それから能世麻痺のルル小関君それから ウィリアムス小軍の正裕君 えこの3人を追ったちょっと ドキュメンタリータッチになってるんです けれども えこの中 でルル君小関君は脳性麻痺だったんです けども あのお医者さんからは絶対多分車椅子で 生活してたので歩歩くことはできない だろうと立ち上がって歩くことはできない だろうって言われたんですが彼は えストリートミジ者になりたいという思い を持っててこのとの大楽祭の中にえ 飛び込んできて是非ストリートミジ者に なりたいっていう思いを語ってえ1番長で そのストリートミジシンの仲間と一緒に 演奏し始めて なんと自分で立ち上がることができたん ですねそれは本当にそのストリート ミュージシャンになりたいっていう思い夢 をやっぱ自分の体性麻痺を超えてそういう え人生にななっていくということなんです ねてないですかさごめん なさいはいわかりましたじゃあすいません えはい ちょっとえPRの映像は残念ながら出 なかったみたいなんではいでこの3人は あの本当にとっておきの学祭からえ出たこ たちで本当に自分でもうCDを出して え活躍してい ますでこのとておきの音学祭はですね 2007年に第3回イベント 対象の対象を受賞しますえこれは本当に あの全国でいろんな行われてるイベントの 中でのグランプリで当時は世界陸上とか いろんなそういうのもノミネートされたん ですが鳥の音楽祭の委仙台がイベント対象 を受賞しまし たこれのあの章の理由として誰もやった ことのないスタイルに取り組み本当の バリアフリーを実現する取り組みをして いるということでえ鳥の学祭イベント対象 をいただきまし たでえ2011年は東 東日本大震災が3月11日にあったわけ ですがえ本当に仙台市内もかなりのあの 影響で本当にお祭りどころではなかったん ですねで5月の仙台青葉祭りも中心になり ましたでとの学祭は毎年6月の第1日曜日 なんですねでどうするかということになっ たんですけれどもえ震災から86日目にト の音祭は開催しましたでその ドキュメンタリー映画もえ鳥の音楽祭では 作っておりまして本当にえああいう震災の 中で音楽っていうのが本当に人の心をす うっていうのを本当にの力を感じたえ 2011年のとおきの学でしたこれは本当 に機会があれば映画見ていただければなと 思い ますえ昨年のえ第22回とっておきの音学 祭2020年は結局コロナで中心になった のでえ昨年が22回になったんですがま 仙台市内の野外のステージ22ステージで 224グループで開催しましたえっとこれ までのねあの障害者の発表って大体会館の 中こうインドアでやっててそこの関係者 しか来れなかったんですねでも鳥の音楽祭 はそれを解放して街中でいろんな人が障害 のある人もと触れ合うことができる本当に あの笑顔の音楽祭にななっていますで フィナーレではおハエをえみんなで大合唱 するえそういう え音楽祭ですそして先ほどのですねあの小 優君なんですけれどもえ小優君は障害者の 国際芸術部隊部隊芸術コンクールの ゴールドコンサート20周年記念で グランドチャンピオン大会がありましたえ そのグランドチャンピオンの中での中の チャンピオンということでえグランド チャンピオンを受賞 しましてえ来月再来月ですか3月の11日 にその受賞のコンサートも開くというえ この小優君は小という日本の和が期ですね 本来小はですね万創学期なんですねこう オーケストラのみふわーっという和音の 楽器なんですがそれを1人であのえ メロディーも吹きながら伴奏もできると いう本当にすごい 小総者ですそしてトの音学祭ではえ シュワッチクラブえ子供たちにシワ祖を 教えるというワークショップを昨年仙台 市内の10巻でやりまして子供たちが本当 にすごいえ生き生きと曲はですねジブリの 散歩散歩の曲をしはぐで楽しく学ぶって いうのの約1000人ぐらいの小学生が 体験しましたそして鳥の大祭キャラバンと いうことでドラムサークルという打をです ねえみんなあの障害のある人もない人も 一緒に叩いてリズムでえ コミュニケーションを取るというドラム サークルというのもやっており ますでとき農学祭は先代から2001年に 始まりましたけれども全国25箇所以上の ところでえ開催されまして昨年はえ海外の 台湾でも開催されて世界に広がっている とっておきの音楽祭ですということで足早 でしたがえときの音楽祭のお話をしました ありがとうございましたあどうも ありがとうございますあの短時間なのに まとめていただきましてどうもありがとう ございますあの僕が代表して感想いうのが はかられるんですけれどもまあの音楽を 学ぶあの楽しむっていうとどうしても干渉 者として我々が楽しむっていうイメージを ぎがちなんですけどもあの今お話し いただいた中身というのはあの表現者とし てあの場を共有されているっていうそう いう関係をたくさん作ってきてるっていう ところが非常に印象に残りましたねそう ですねはいま障害ある人もない人も一緒に 観客も一緒に音楽の力でバリアを打ち壊す という思いあとみんな違ってみんな1って いうのがやっぱり1番のキーワードだと 思いですねなるほどでそしてあの新聞 なんかで我々が情報で得てきたのは 2000年代に入ってからの動きだと思っ てたんですけども実は非常に深い前子が あるんですねそうですねその鳥農学祭の 実行員とかも今鳥あこれ我々人間 コンサートの実行員とかボランティアも今 鳥農学さにいて一緒にそういうのを作って いるっていうのが脈々と繋がってる なるほどなんかあの早々たは文化人とか アーティストの人たちがかなり粘り強く 関わってきたっていうことが非常によく 分かったのだとあと個人的な話になって 申し訳ないんですけどお話伺いながら 思い出してたのがあのエロさんのことで ありまして東日本大震災の翌年の2011 年の3月11日僕はたまたまえっと渡り えっと山本の辺りに行ってたんですけども そこに出来上がったラジオ放送局にAさん が来られてたんですよねで彼はそこで一体 何を喋っていたかって言うとあの被災者の 方々が作られた千流をずっと喋っ てらっしゃったんですよあのとんでもない 悲劇をくぐり抜けて明るいことだなんて 思えない被災者の方々がこの現実を 笑い飛ばすような戦理をたくさん作っ てらっしゃるとえっと文化っていうのはだ からそういうタイプの表現をたったあの 小さい文字の中でやっていくっていうそう いう可能性があるだいうようなことを語っ てらっしゃっててでまたあのおそらくそれ はあの障害持たれた方々のそのアートの 表現の可能性をずっと見てらっしゃった からこそあのそういう言葉が自然に出てこ られたのかなという風に今勝手に思ったり してたんですけどもねそうですね本当人間 の可能性は無限大だなと思いますあ なるほどあありがとうございますじゃあ 一旦あの高橋さんここまでになりますどう もありがとうございます はいえっと引き続きとなりますあの今度 あの当事者という立場でおさんどうも ありがとうございますえっと先ほどお話を いだいたようにえっと中田さんにえっと 少しあの言葉あの手伝っていただくって いう形になりますえ宮城アピール大行動え を実行委員会の事務局長されて いらっしゃるそのお立場の中からという ことでえっとではよろしいですかねはい はいえとこ ね私の話 を始めたいと思い始めたいと思いますうん 本題本題に入る前 にお話があったお話があっ たとっておきの音楽祭私にもの方にも私も 私も き本当に好きで毎毎回 毎回 をですね共通を共通を共通共通を 焼酎を片手 にブラブラ とに聞きに行くです行くんですけれども数 数年前から楽楽器楽器をめ初めまして 私もです ね2度目のエントリーをエントリーを しようかなと思っています それでは本題に入り ます自己紹自己紹介ということで話を話を したいと思いますしたいと思います私は私 は1978年生まれの45 ですねで障害はですねCPとCPとえ脳性 麻痺と でいうことです え えタ園の方にの方に入してしました入手し ましたでで え学校その時は養護学校通ってに通って 格闘を対処してから格闘を対処してから 地元の地元の元小学校ゆるいわゆる 学普学級普通学級で でま学んで参りましたそれずっとそれで ずっとま大学まで学習を学習を進めませ 進めましたで の学校に地域の学校に行った時にやはり そのやはりその交渉が交渉が必要だ交渉が 必要だったり学校交渉学校との交渉育委員 教育委員会との交渉なかなかなか 厳か厳しかったですけ親が親が頑張って ですね頑張ってですねえなんとかなんとか 希望通りに希望通りに え転することえ転校することができました 親 の親のきいという俺の付き添いと親の 付き添いという条件があった条件があった んですけれどなんとかそれでなんとかそれ でできまし たでえ はい学校生活をえ学校生活を送る中 での中学2年 の忘れもしない忘れもしないです掃除の 掃除の時間時間です本そん時にです ねふぐるっとふっ ふっこういう考えが出たんですね 母そて母がなくなったらどうやってくらよ どうやって暮らすんだろうとに入施設に 入りたくないなとこれ に親の代わりに解除してくれる人がいれば いいとこの思いはこの思いはずっとずっと あってですねあってですねちのちの元のち のま後の後の路に制度に路進路につがるよ に繋がるようにななり ますが後するんですけども話が前後するん ですけどもの小さいの小さい頃の写真です 写真 ですと施設時代 と小学校の時 です遠足の様子です はいこれが中学校のこれが中学校の時の 大学あとは大学入のに入った時 の時ですねえ科学部です科学部でし た太陽系の太陽系の研究発表を研究発表を しているしているところですね このこの経験から少しお話 をよく学校時代は楽しかったと語は 多くあるんですけれど も僕 はしなかった がいです多いですコミュニケーションで コミュニケーションで苦労したこと苦労し たことによってでそれによって孤孤立して しまうでで高校代は高校時代はえ クラスメートにクラスメートに教室移動 動教室移動教室移動願お願いしてたんです けど もも何も何度 もきりに置き去りにされるというされると いう経験を経験をしたしましたでで当然 その当然 その転校しないと転校したいなとね思って ことなんかも思ったこともあるんですけど やはりその負ける気が負ける気がして なんとかなんとか続けたいと続けたいと いう経験がいう経験 が一方で一方で [音楽] で合唱会とか合唱会とか合唱会とか運動会 とか運動会とか楽しい思いでも楽しい思い でもありました学校が卒業して学校が卒業 してうわ はやりやはりその 同じを同じ場を共する共有する ことというのが非常に大事だな と一 時期その時間だけではなくて ずっとあと時間を時間 をする共有するということです で私はその後 に えルののサークルののあ先ほどの学校での 中学校で のの当時のり通りりの当時 の え疑問疑問に対するに対する 答えとして自生活センターと自立生活 センターということにいうこと に行きつきましたセンターはセンターは 自分が障害があっても自分が障害があって も分障害があっても障害があってもで 暮らしていこうと地域で暮らしていこうと こういうことをこういうことを目指して 目指してこな者が当事者自らが発動して 発動して援者になって支援者に 活動するという団体ですでそこはそこでは を受けることは会場を受けたことはだっ たり ええ いえピアカピュアカウンセリングだったり いん授業をいろんな事業 をそのにそん時に解除者を獲得する獲得 する自分が自分が得できるようになった 獲得できるようになったことでライブにて ライブに行ったりプロレスをしたり プロレスをしたりいうことがいうことがで にできるようになましたなりまし たやっぱり そのとかそういう出会いとか あってきっかけがあっ て進む進むここと私のは私の場合は 朝朝朝朝 UFさんというアカウンセリあ カウンセラーさんにのこのことを知ってが 知ったこと がきっかけでし たもうつはもう1つ は妻妻であったり妻であっ たり妻って妻と出会うことによってそその でその場でそでそれまでそれまで行か なかっ た美術館とか博物館に博物館に行くように なったたリしまし たでで これこれね 問題問題識か問題意識という かお話ねお話しますね でだからどうしても その障害者って言うとけの障害者向けの場 場を設定設定設定されているされているこ が多いことが 多いそれってやはり 分離 分離になるのかなと思って思ってい ます 活動と障害者が活動する場と活動す健常者 が活動するバ とが別れてるんです ねそう感じそういう感じですねうん うんでで やはりそれは やはりちょっとおかしいのではないか とという認識 が思い ますそのその後の こよこがこがよこの後 の林先生のも話にも繋がってくるとは思う 繋がってくるとは思うんです けどやはり そのかつて 障害運動が運動 が盛んであった盛んであったで盛であった という か非常に力的な非常に勢力的な動活動 をきた示してきため進めてき た実際と時代とある程度ある程度精度が 制度ができてきてできてきて私も私も度 障害者福祉制度を使って使ってらして 暮らしていますけれどもそういっにそう いった時に そ社会と社会と繋がっていく繋がっていく ということということ ついてについてややはりその一歩一歩え 交代こ交代意識的に意識に意識的に交代し 交代してしまったというの が印象が印象 があってあっ てそれは本当それは本当私の私自身のはい それはあるです反省でもあるんですけども 今後その考えと考えていきたいとって ます最後にね最後にやり やはり みみんな一緒にやる時 の繋がりを [音楽] 作る役割というのも私たち は追っているのかなと 思って思っているんです ねそういうきっかけをたくさんできるよ な こと少しずつしていきたいなと思ってい ますはい以上 ですあどうもありがとうございます あのあまりあのいい表現ないかれんあの 我々が当たり前にしているところそれに 近いところを獲得するのにどれほどの努力 や戦略を積み重ねてらっしゃるのかって いうそのあのそれを超えて今の暮らしを 作ってらっしゃるっっていう超えられてき たところの大きさをすごく感じたあのお話 だったように思いますね今日はギターは 持ってきておられないんですかあ う持ってきてないですねあ残念ですね なんかあの先ほどの高橋さんの言葉の延長 に是非あの大川さんのギターを聞きたい なっていうような思いもしました1つあの お話の中でせっかくですのでえっと大川 さんが今あの事務局長をしてらっしゃる えっと宮城アピール大行動ですねあのそれ があのどのような営で何をアピールし てらっしゃるのかっていうことについて ちょっと触りだけ教えていただけません か元々は200年の2006年の支援に 障害者自立支援法に 反対の立場から運動しようと運動しようと いうことでできたできた体です団体です宮 県の宮城県の え当時は当時は 生3生涯3[ __ ]の皆さんが皆さんが集まっ て集まって え交渉行行動 と毎年当時毎年毎年ケとケト仙台に仙台し に防書要望書要望書を提出して提出してえ 故して交渉してで毎年は秋には秋には毎年 秋に はまさにこの会場で集会を行って行って いると 目的としては目的としては目的としては やはり当の声を当事者の声をちゃんと届 たい届けたいというののが1番大きな 大きなとこところです ええあありがとうございますあのそうした あの声の質にですねもう少しあの触れ られるような時間は後で時間があれば持ち たいと思います引き続きあの川さんどうぞ よろしくお願いいたしますどうも ありがとうございました一旦じゃあ追川 さんの時間ここまでとなり ますえっとあのさて中田さんにもどうも ありがとうございましたえっと現在大川 さんはですねえっと制度を活用して先ほど お聞きすると中田さんのような専門性を 持ったヘルプをされる方が6人おられて 現在の行き方をあの支えてらっしゃ るっていうようなお話を聞きました今から ですねえっと国大学の林先生にお話を伺い ますがえっと川さんからも少し前振りが ありましたけども今からしていただくお話 はそうした制度の条件がなかった時代完全 なボランティアでですねえっとあの障害者 の方々がえっと支えられてきたあのそう いう時代においてある1人のえっと障害 当事者その方の命を支えてこられた仲間 たちが一体どのようにこう作られてきたの かっていうことをずっと単年に聞き取っ てらっしゃるあのそういうお立場なんです ねえっとその中からえっとあのまあ今日の 問題についてもえっと合わせてお話をいた くっていうそういう時間にしたいと思い ますえっと林さんには少しあの長めの30 分っという形でお時間を取らせていただい ており ますじゃあ大丈夫かなよろしいですかあ じゃあのは先生どうぞよろしくお願い いたし ますはいえ皆さんえこんにちはえっとはい えっと立国大学のはですえっとですねあの 30分という時間えいただきましたので えっとまあの内容はあのちょっと自己紹介 もえ中に入れながらですねえちょっと えっと自己紹介え森尾ささんという方のお 話もしてそれからえ今日のタイトルである え若者たちの学びっていうですねえそれに ついてえお話をさせていただいて最後にえ まとめとえいう形でえさせていただきたい とえ思いますはいえっと最初にですねえ 自己紹介とえこの地域え活動に関わるよう になったえ経緯についてお話しさせて いただきますえっと林と申しますえ立国 大学という京都にある大学のですねえ文学 部の教員をしていましてえいわゆる専門 分野っていうのはあのま社会教育や障害 学習ということであの市山先生とえ同じ 分野にえなるかなとえ思います今日お話え させていただくのはえっと語りを生き るっていうかナラティブを生きるっていう 本をちょっとこないえちょっと出させて いただいたのでまそこでえ登場してくる あの人たちのま障害のある方とえ出会う中 で人々が何を学んだのかといったえそう いったことことについてお話しさせて いただきますえっとそしてですねあの私 あの大阪の方ではNPO法人クレオン リンクとえ言いましてえこれは障害のある 方もない方もまあの一緒にえ地域で 当たり前の生活をしていけるように繋がっ ていこうていうそういうサークルですあの もしよけよろしければあのスマートフォン で検索していただいたらあの色々出てき ますのでまたえインスタもありますので よろしかったばフォローお願いしますはい えそれではですねえっとお話は入らして いただきますがま中心となる場所はですね 大阪府の市上縄手市とえいう場所なんです あの私こ2003年ぐらいからこの地域の 活動にえ関わるようになりましてえ当時 京都の大学でですねえちょっとあの助手を やっていてあの大阪のこの市上なの近所の え大学にですねえっと授業え担当するため にえ教えに行ってました非常金行使って言 んですけどもでえその学生さんからですね 会って欲しい人がえいるとえ言われました のでなんかひょいひょいついていったら ですねあのまこのキーさんていうちょっと 今日あの加盟で出させてもらいますけど キーさんという車椅子使っているですねえ 脳性麻痺のえ当事者のえ方をですねえ生活 をですね大学生さんたちがこう支えている 介護グループがえあってですねあのま障害 のある方のこととかあのこうま障害のない 方のこと我々健常者って言いますが彼ら 結構健全者っていう形で言ったりですね 何かちょっとこう共通の語彙がですねえ 結構こうあったりえするのかなというよう なイメージがあったんですで具体的に何を やっていたかというとま日常生活の介護と かですねあのまえっとお風呂に入るお 手伝いであるお食事するえ手伝いであると かまトイレに行く手洗いとかま僕もそう いうの楽しいので一緒にどんどん混ぜて もらってあのそれ以来ま今も20何年目に なりますけどもま今もあのまグループは 解散したんですけど介護活動は一緒にえ やらせていただいてこれはこないだ ちょっとスのねえちょっといた時にえ2人 で写真撮ったえ写真ですけどもあのそう いう形で付き合いをこうずっとえさせて もらってますで地域の活動の中でですね こうビラ配りをやったりえそれからあのま 市役所に困ったことがあるなっていうこと で団体交渉とかですねこう色々こうやって いく中でですねちょっとなんかあの気が ついたことがあったんですねなんかこう 市場な弟子からですね結構遠いところです ねあのかなり遠いところのX大学っていう 大学の多数の学生さんがわーっと うじゃうじゃここで活動されてたりですね それから卒業生さんもですねここで どんどんこう生活こうされていたりえする んですで卒業生さんも様々なあの職業にえ つかれています行政書士さんとか市役所の えまあの職員さんとかえ学校の先生とかえ それから清掃工場のえま職員さんとか えっと何言いましたっけねあえはいその他 色々ですねあの職業にえ疲れていですね 大学の頃から通っていた地域活動が介護 活動ずっとこう続けていらっしゃるんです ねでしかもですね1970年代頃に学生 さんだった方からですねあの私がここに 通い出した2003年ですけどもその後も 2010年もなってもですねずっとえ学生 さんがですねえここで活動してその後こう 生活していくようなですねえそういうよう なこう現象があったんですねでこれはま 不思議だなとこんなに結構ねあのま仙台市 の中でねあの東北大学の学生さんが うじゃうじゃこうなんかやって るっていうのは分かるんですけどまあの隣 の県とかねちょっと離れたところでこう なんかすごく集まっているっていうで えっとその中心にえいらしたのが森おさ んっていうちょっと写真のえに写ってる方 なんですけどもえ大阪青井芝の会のえ元 会長さんのですねあの介護者であったとで えっとしかもですねこの森尾ささんだけが あの地域で自立活動してるんじゃなくて さっきあのあの僕があのちょっとま参加さ せていただいたキさんとかですねまの他の 障害者もですねあのま一緒にこう自立活動 をですね学生さんを集めて他大学の学生 さんあのキさんのあのさっき写真に出てき たキさんのえ介護者はまた別の大学生だっ たんですけどそこでえみんながこう自立 活動を行っていたりするとでえっとまあの こういうあの森岡様さんとテレビにも出 られたりですねあの本もまあのごなさこれ とかまあのあといろんなえっと分担執筆と かでですもねえ書かれていたりえします はいあのこういう方なんですけどもあのま そこでですねちょっとこうまあのこうお話 聞いていただく時にちょっとこいというか ですねちょっとそういうの考えさせて もらったんですがまあの大学生っていう ですねいわゆる健常者に有利なコースで 人生を歩んでいた彼らがあの森大さんは 大学あ小学校も入れてもらえなかったん ですねえそう学校教育から排除されてきた 森さんと出会ったりして学んでそして生き 方を変え地域で障害者と関わり続ける道を ですねこう選んでったとその出会いを通じ た学びっていうのは一体どんなんだったん かなっていうのがですねあのまこれまあの 大学ではリサーチクエスチョンて言うん ですけどもまあのそういうのをもとにです ねちょっと一緒にお話をえ聞いていただけ たらなとえ思いますでえっと森ささんて いう方じゃあどんな人かっていうのですね これ話すとこれだけでもちょっとえらい 時間かかってしまうのでまあのもうサクっ とえちょっとお話させていただきますけど もあの重度のえ脳性麻痺があのあ障害が ありの方でえっとま障害師は脳性麻痺の方 でベッド型のねあのえっと車椅子をですね え使われていましたそしてえ修学猶予とか 修学免除という名のもに実際に学校本には 行きたかったんですけどもあの入れて もらえなかったっていうねえそういうえ 過去があります1949年生まれでえ いらしてですねそしてモ様さんはじゃあ どうやって文字を学んだかって言ったら お母さんからえ文字を教えてもらったり 近所のどえっと同じ世代のねあのお子さん から学校で学んだことを教えてもらったり とかですねねあとご本人がテレビを見 ながらあのまあの文字をこう覚えてったり ですねあのそういう形でこうまなんて言う んですかねえっとま色々学んでいかれて いくんですそして様々な同世代の青年青年 で障害のある方からもいろんな語りをこう 獲得してですねそしてあの20を過ぎた後 にですね大阪青井芝の会という会にえっと 入会します蒼井芝の会っていうのはえこれ はまた喋るだけでも3時間多分喋れるよう なですね話なのでちょっと本題するが ちょっと気になる人はちょっとあのなんか 検索してくださいあの農政麻痺の当事者の え方々があのまあの繰り広げたえっとま そのえっと社会運動ですえそしてですね 1981年にあのこのまあの森大さんは 元々この青井芝の会でも頑張ってらしたん ですけどもご自身が住んでいる市上な宛て ですねお母さんが障害のあるあのお子さん 2人を殺してしまう殺害してしまうって いうですね痛ましい事件1981年って いうのは国際障害者年ですよねその年にえ まさにこう殺害殺人事件が起きるとまさに こう自分がですね普段こう都市部で活動し ているんですが自分の本当に家のま近所ね 同じ市内のえ方がそんな苦しんでいていい のかっていうことでえ市民運動をえっと こう障害者えっと解放市場なて大東市民 会議っていうのをえ作ってえ行くように なってえ様々な学生たちとあのま集めて えっと地域活動をやっていきますでえっと まその象徴的なものが何かって言と ちょっと真ん中の方にえ映させていただい てる開放の家と言いますえっと正式名称は えっと障害者と健全者の解放の家といって まちょっとこの一件長屋のようにこれ今も もちろんありますしあのみないっぱい人が いますえでえっとちょっとひらがなであ ちゃうカカナであの開放の家ってねえ書い ていますけどもまあのこういうところの あのえのをですねあのまえっと作りました 最初ま行政とね交渉して行政が作るべき だっていう形でやっていたんですがままず は自分たちで作ろうっていうことでえっと 作っていきましたでその頃えこういう運動 の中でえみんなが共有した語りっていうの は何かと言うと障害者が地域で当たり前に 生きるっていうね当たり前にの生活がなん でできんのやっていうご大阪弁でございえ すいませんちょっと関西抜けたことないん でえ関西弁ばっかりで喋ってしまうすい ませんでえっとそれでですねあのまその 地域で活動していくための様々なえ運動を 行っていくんですが法人もえ色々作って いきますま2001年にはNPO法人あと からゆっくりっていうのとですねえそれ からえっとその後一般社団法人 フロンティアとえこれはまあのしえまさに このえっと障害者が地域で当たり前のえ 生活を行えるためのそういうこうま福祉 活動とか地域のあの障害のある方がえ生活 しやすくなるためのそういうえ様々な事業 をえ展開しているえそういうあのま法人 ですえそれからあのNPO法人あ今あの 最初作られた頃はえ市民サークルだったん ですけどもクレオンリンクとえ言って えっとこれはもうあのえっと元々は市民 サークルで一緒にぼっちゃをねえやったり とかですねそういう形で日頃のえ繋が りっていうのは強めていくそういうような えっとま活動をえっとはいどんどん 繰り広げられていきますそしてですねあの 森尾様さんずっとこう地域でもえまた 頑張ると同時に都市部でも頑張られたん ですがさらにもう1つですねあのま たくさんあるんですけどもえっとその他 ですね野田事件と言ってえ千葉県の野田市 でですねあの小学校1年生のえ女の子が 殺害されるというですね痛ましい事件が あったんですが犯人として逮捕されてね 知的障害のある方があのあの犯人だという 風にえっとま言われてですねそして青山正 さんという方なんですがえその方が裁判に かけられて裁判で私はやってないとえ言っ てんのにそのままこうあのまえ判決が出て しまうっていうですねそういうええことが ですね起こってしまってこれは裁判が おかしいっていうことでえ最新無罪を 求めるえ運動にもえどんどん参加されて いきますえであのこれまその関東での話 だったんですがあの関西でこれを応援して いく会の代表もえっと森ささんはえやって いかれますえ青山さんを救援え救援支援あ 救援支援する関西市民の会に向けた決意 っていうま文章があるんですけどもこの えっと知的障害のある青山さんのこの えっと判決不当な判決を裁判やり直すため の運動のためにまずこうご自身がやっぱり 知的障害のある方のですねあのなんて言う んですかねえっと解放とかえそのサポー トっていうのをどう考えてあいいのかって いうのが元々やはりえっと自分にとっては 分からなかったとえま近所にもナーさんと いうですねまちょっと加盟ですけどもあの ま知的障害の割りの方がいたんですけども えちょっと読ませていただきますけども その知恵遅れまごめんなさい当時の言葉で こうままそのまま引用しますけどもえっと 知恵遅れのナーさんのえところへ在宅訪問 に行きながら何1つえ要求を聞き出すこと ができずまた彼女自身の自律を考える時何 も見出せなかったのであるとえナさんの ことを総括する意味でこの運動を押し進め ていく決意であると好ましい言い方である が精神障害者のえ法運動のあり方を問い 続けていくのが私の使命であるっていう形 でまあのちょっと今日の文脈でここの文脈 だま知的障害っていう形でちょっと 言い換えた方がえいいかもしれませんが あの晩年の森さんはですねえこの青山さん の支援などを通じてえっと知的障害のある 方のこのまあの解放とか自立っていうのを どう考えていったらいいんだろうかって いうですねえそういった問題にもえまあの 興味というかですねえ関心をえ持たれて そしてえサポートされていくようになって いきますでえっとこっからがあのようやく 本題ですいませんだいぶ時間が経って しまったんですけどもあの若者たちのえ学 びっていうところでえっとちょっと話させ ていただきますけどもこのX大学で たくさんの学生さんがですねあのこうま あのこの地域にこうまえどんどん住まれ たり活動ま在学中だけでも活動されたりえ していくんですけどもあのその中心となっ たのはあのある量があったんですね学生量 X大学の量なんですけどもえそこのえっと 量のあの生活をするっていうのはそこで 介護者としても一緒にこうま活動していく ことだってあしセットみたいになってたん ですねま約40年前に森オさんがこの量に 現れて私の介護入りなさいって言ってこう ねあの介護者と共に現れてそれ以来 どんどんこう市場の宛てにねえ来るように なったんですけどもあのまこの量はですね あのま1万3000円でえっと1月ですね えっと朝食と夕食がついてそしてまね生活 ももできるっていうことで全国からあの なんて言うんですかねたくさんのこうま あの経済的にあのしんどい家庭の方とかに とっても優しいそういう量だったんですで そこでは差別されてきた地域の出身の方や えそれから親のえ収入があの非常にあのま 低い水準にあった方とかですねあのま複雑 な家庭とか出身の方とかえまその他ご自身 も障害のある方とか様々なえ立場の方が この量には集め集まってきますそうそう いった量をえっとましっかり運営して いこうと思ったらやっぱり健常者中心とか えっとお金持ち中心の発想では回らないん ですねやっぱりしんどいもんて関西では 言うんですけども1番辛い人を中心にその 人にとってあのまあのスムーズなえそう いったあの運営をやっていこうっていう そういうスピリットでですねあのこの量も あの運営えされていましたでえっとま3人 ほどですねまずちょっとあの紹介させて いただきたいんですけどもあの詳しくは 本人ああそこに打ってますあまりこういう のは豊かなですかあさえっとまあのはい えっとまあの色々3人ほどですねあの ちょっと紹介させていただきますとあのM さんていう方のお話をえさせていただき ますとえっと2017年取材当時では えっとま50代前半だったんですX大学で ですねえ長らくサラリーえ出た後ですね あのサラリーマンをされていましたえ サラリーマンしながらもえ無料サムさんの ですね介護活動にえずっとえ参加されてい まして後にあのまあのの先生にもなりたい なと思って学校の先生にもなれますでこの 方もあのこう両にも様々ないた方々と同じ ようにえ小学校の低学年の頃にえっと お母さんと死別されたりえそしてえ経済的 にもえしんどい家庭の方でですねあの そしてあの領生活に入っていく中で両の 生活とセットであった介護にもえどんどん 参加されていきますであのまその中でです ね森尾様さんとこう色々触れ合っていく中 で様々なことを学ばれるんですが例えば こんなことをおっしゃっていますま一緒に 外に出るとえ僕は森さんとね一体にねえ ならなければならないんですよと例えば森 さんの目線で近い形で街を見ますよねと その時に自転車がたくさん置いてあって ガタガタって不便な町の障害者の立場に 立ってえ見ることができると階段を 上がろうと思ってもなかなか手伝って くれる人もいないとで森さんに対して いわゆる赤ちゃん言葉でね話しかけてくる 大人も多いとすごい森さんの立場に立てる 自分が増えてきたんですよとねそうした時 にえあ森さんが伝えたいことってこういう ことなんかなとそれを俺と一緒に会ってく れっていうメッセージなのかなとこういう 社会をなんとかしてほしいねえなんとかし てえしていかないとね森さんは自分だけの ために活動していませんでしたからねとね えそしてそれが大阪青井芝の会であったり いろんな活動していましたしそういうこと なんだっていうのが肌で感じ始めたって いうそういうような森さんと接する中で こう学びをえしていきますまたDさんて いう方方この方はあのかなり若い方で 2017年当時でえっと20代でえっと 行政諸子事務所でえ勤務しながらえガイド ヘルプなども行われます元々は教職志望 だったんですがま勉強のためにえ介護も しようという形でえ入ってこられた方なん ですけどもあの最初介護に入った頃はです ねあんまもうあの意味が分からなかったと えこんなことを言ってます言ってるえ言っ てることがあの言ってる意味が分から なかったないと思いましたそう僕何してん にやろうと思ってとえ昼1日えようわから んおっちゃんのところに行ってタバコの煙 に巻かれてま森様さんタバコもねあの吸わ れてたタバコ介護っていうのもえあったん ですけどもまそういうのもこうされて最初 の頃はなかなかですねこの方も意味は えっとま見出すことができなかったんです がでも地域でさっきのほどの開放の家など を中心とする障害のある方々と様々なこう 触れ合いをしていく中であの 色々ですねあのま相手の立場に立ったりと かですね色様々なことを学ばれてきてです ね多くの方はあの卒業と共にここで学んだ 勉強したことをあの地元でも生かしますっ ていう形で地元に変えていくんですけども それに対してこのDさんの場合はですね ちょっとあのなんて言うんですかねえっと まあの複雑な思いをえ感じるようにえなっ てきましたえその人らはえ勉強させるため に生きてるんじゃないと思うんですとなか 勉強なりましたじゃあさよならはあまりに もひどくなんか申し訳なくてひどいかなっ ていう形でねまあのその当事者たちからと したらあの学生たちがここでのえ繋が りっていうのは一生もんだって言ってた けども実際卒業したらなかなかねあの地元 に帰った地元の事情があるのでなかなか 会えなかったりこうするとえそういった中 でこのDさんはあのまどう考えたかって言 と僕は違うと思ってほしいとこのねみんな の関係っていうのをこれからも大切にこう していきたいともしここで僕も帰っちゃっ たりこう色々してしくと何か嘘になっ ちゃう気がしてとえ今僕がこう言ってる こととか関わりとかっていうねあのそう いうこうまあのあしのこう自分づりでも あるんですこうねあの私は違う存在として こうやってこうみんなと繋がりを大切にし ていきたいっていうそういうことをえ おっしゃったりえしていますでこの森尾様 さんてのは結構あのなんて言うんですかね えっとすごいあの言葉がまあのなんて言う んですかねえっとまえはいあの伝わる響く 言葉って言うんですかねまそういうのこ たくさん発せられるんですけどもあの50 代でえっと行政諸子のCさんですねえに 関してえっとま若い頃ですねえCさんに 関してもあのま色々頑張り屋さんだったん ですけどもえこういうことを言ったりし ますすごいま覚えてんのはあのものすごい お前てねCさんに対してお前は能力主義や と何でもできなあかん頑張ら頑張らなあか んって頑張ってるとでもその能力主義って いうのが障害者と真逆のことで頑張ってる とやってやってるっててねだからま介護 入って入ってるみたいな偉そうな顔してる けどもお前多分中途障害になったらあの 自分を控して自殺するぐらいあのほんま かんでっていうのを言われたりとかねま そういう形で結構ま過激なことをですね あの森尾様さ結構まあの様々なえとことを ですねあのおっしゃったりえしていますで 今までこう自分がいいことだと思っていた 語りこう生きてた語り方をですねあこ れって女力主義だったんかってこう気づい ていくこういうのをねあの語りなしってえ 言ったりしていくんです新たにこう今まで あの障害があるのは個人だっていう形で こうまそういう物語で我々が理解していた ものをいや障害がの社会のせいやないかと かね社会の方が衝撃があるやないかって いう形でそういう語りを生きてえ実践して いくっていうの語り直しって言ったりする んですけどもあのまNさんって言って えっと2017年のえ時点で30歳だった 方はですねあの森さんはあの自分たちに こう体を張ってこう教えてくれてるんだっ ていうねえそういったことをこう言ったり ですねしますなんかえ支援って言ったらし てあげるとかねえそういう風にこう思い がちかもしれませんけどもあの森さんは ですね初めてNさんがえ大学1年生で介護 に入る時もですね初めてやねんけどもあの 先輩と2人で怪談降りるのをねえ手伝い なさいっていう形で手伝わしてあげるとか ねなかなか初めてあった学生さんに自分の 体ねもうこう委ねるってなかなかできない とは思うんですけどもそういったことに 対してもあのこれはもうさせられてるとか そんなねしてあげてるでもなくそしてやら せてもらってるんだっていうねえそういっ たことでこう様々なこう語り直しっていう のをですねこうまえしていきますでまた ですねあの地域にはたくさん森おささん 以外にもえ障害のある方がえいらしたん ですけどもよくこのえっと界隈であのお話 に出てくる方が空3という知的障害のある え重度の知的障害のある方なんですけども この方もですね一緒にお散歩行くとですね あのまあなんて言うですかねえっと物を こう家に投げたりとかですねま目を話し たらえっと近所の家の中入り込んだりです ねなかなかこういろんなねちょっとこうま まやんちゃっぽようなことをねえやって やられたりするんですけどもあるしある時 ですねBさんがですねあのまくさんとです ね若い時にあのまえ散歩に出てたらですね えっとこの空さんがですねある方の家の前 でですね座り込んじゃったんですねで 座り込んでこう立とうとせえへんとで えっとBさん困っていや困るやんこんなん やったらこのえおばちゃん困るでしょ家出 られへんでしょっていう感じのことで注意 こして一緒に出ていこうねあの家の前で たたずん天と一緒に行こう行こうって言う てねえ言うたらですねあのそこの家の えっとま方がですねいいよいいよって言っ てねあのおったらいいやんって言ってそこ のおばちゃんがねえ言ってくれてですね そん時にえBさんはですねはっと気がつく んですねあみんながこういう形でこのおば ちゃんのように接してくれるようになっ たらそしたらあのなんて言うんですかねB さえっとこの空さんにとっても速い社会や し誰にとってもアシン社会なんちゃうか なって言ってねでそうやって考えたらこの 空さていう方が我々に教えてくれてるん ちゃうかと健常者はもこうやったらもっと 楽に行けるよと実は提案してるんちゃうか ともっとそんな人の顔色伺でも生きていけ んじゃねえのっていう形でねまそういう形 でこうま空さ自身がこう教えてくれるん だっていうねだ支援する対象とかそんなん じゃなくて実は彼らは教えてくれた私たち は学ばせてくれてるんだとかねまあのそう いう風にこうまあの語りしっていうのがえ 行れてくるかなとえまあの先ほど出たあの えっとですねこのNさんもですね空さんが いつも体張って教えてくれたって言てねえ よくおっしゃってたりえしていますえ そしてですねあの先ほどあのちょっとあの 僕は違っていると思ってほしいって言った Dさんがえいたかと思うんですがある種 こういう介護活動とか地域活動っていうの は自分づりでもあるんですね僕は違う存在 だって僕はもあのえみんな裏切った裏切る ちうかあの繋がれを切らないよっていう形 でそれはあのある種こうま自分づりもでも あってそしてコミュニティのそのみんなの えっとま語り方とかを共有していくんです けどもあのそのことによってこう自分らし さっていうのをこうかまあの作り上げて いくでも同時にえっとみんながそういう 語りを共有することでコミュニティ自身も あの維持されるってね自分がこの関係を 大切だっていう形で大切にしていくことに よってえそういう自分でもあるし同時に コミュニティも存続していくっていうある 種の循環関係がえあるかと思いますまた えっと語りっていうのをこうみんなであの ま共有していく中にはやっぱりこれを支え ていく大切なこう基盤っていうのもえここ の活動の中にはえありましたま具体的に 分かりやすい例で言えばえお仕事ですね さっきの僕は違うと思ってほしいって言っ たDさんの場合は先輩で先に元介護者であ ままえっと介護者だってえっとまえっとま あの地域でねえ住んでいる先輩が行政所 事務所をねえ開いてたのでそこでお仕事を こう一緒にやったりとかえそれとか地域で えっといろんなえ活動とかをやっていると まその地域に住んでる人から今度市役所で 募集ねあるからお兄ちゃん受けてみいひん かとかねそういう形の情報が入ったりとか ですねそういうこういろんなあの生活上の あの色んなサポートとかですねえそういっ た基盤っていうのもあったとだから単に こう語りっていうのを語り直して共有する だけではあのなかなかえっとまあのうまい こといかなくもあるんですけどもまそう いう基盤というも大切かなとでえっとこう いったあの地域活動なんですけどもあの 元々は身体障害のある方をモデルにえ運動 を行っていたんですけどもやっぱりこう森 が残していたあのま森さんが残してたある 種のま課題のようなものつまり知的障害の ある方にとっての解放って何だったん だろうかというその問題にもこの コミュニティの語りの中でまあの手掛 りっていうのをこう見つけていきます元々 解放の家っていうのはあのえっと身体障害 のある方をあのまがですねあのまモデルに なったモデルというか中心としてえ行政と 交渉したりしてえっとま運動していくって いうようなえイメージであったんだと思う んですけどもえ集まってきたのは知的障害 のえあるお子さんたちが中心であったので まどっちかてそういうこう行政と迎えやっ て戦ってみたいなそういう運動っていう 展開はえなかったんですえっとでもその中 で先ほどの空さの話にあるようにこう単に こう行政ととこうやり合うとかそういう形 じゃなくて自分たちが語りなして新たな こう地域とかを作っていけばええんだって いうかねまた違うやり方でのあのまえっと 森さんが残した課題に関して解決策をこう ま提示しつつあるのかなとえそれはどう いうことかって言ったらこの下のところで 書かしていただいた点なんですがま いわゆる健常者とかえま彼ら健全者って いう場合があったりするんですけども権上 者とされる人たちが新しい獲得をえ新しい 語りを獲得しま自分たちのえ価値観を 見つめなしその語の共有をコミュニティで え実現しながらえ生きていくっていうねえ ちょっとごめんなさい難しいこと ややこしいこと言ってすいませんであのま あの解放の家っていうのがその象徴的な ところだとは思うんですけどもまその正式 名称は障害者と健全者の解放の家なんです ねだから障害者の解放っていうのはあの 決してえっと障害者だけで成し遂げるもん じゃなくて実は健全者のえ解放でもあ るっていうかねえそれは実はもうあの セットになってるんだっていうのをねま 最初からまあの横案させるようなそういう ようなえ話えっとまなんて言うんですかね えっと活動とかえま取り組み方たかなと 思いますはいでえっとすいません早口で すいませんいつもこんななんですえでいつ もやからと許されわけじゃないですねすい ませんはいままとめに入っていきますはい え3点えっとここからえ示唆されることを ですねえちょっとあとお話させていただい てえ終わりとえしたいと思いますえ最初に ですねえっとまあのこの彼らの語りから 分かることは何かなと思うのはえっと学 びっていうのを語りなしていくことかなと 今まではこう大学とかにえっとまあのま 象徴されるようなですねあのま時計を持っ た健常者に有利な学びっていうのがですね あのまあのやっぱり学びって言ったら イメージされるものやったかなと思います つまりここで言うたらできるとかわか るっていうことが学びできるできた分かっ たっていうのが学びだとえいう風に言える かなと思いますが今日のあの午前中にお 伺いしたあのえっとねえっとみんなして マザーの実践とかにもわる点だとは思うん ですけどもむしろあのできる分かることが 学びってよれ分かち合うことが学びって いうかねあのまえっとそういうこうお互い に何かをこう共有し合うあ新たな語りをね えっと共有し合うことが学びだっていう風 にもあの実は言えるんちゃうかなと ちょっと分かりやすい例で言えばま障害が な個人じゃなくて社会の問題やんててね その語りをみんなが共有していくねえそれ があの学びって言うんちゃうかとだから なんかそういうこう大学生がこうまあの ある種こう特権的な学びであったものが 違う学びっていうのがここではあの共有さ れてたのかなと思いますえそれと語りの 共有とコミュニティですねあのま障害が あるのは例えば社会に問題があるんだって いう形でそういう風に私はあの社会をあの 良くしていくっていう風にこう自分作りを していくっていうその語をじゃあ共有して いくことでその仲間とかコミュニティ自身 もあの行き続けていくっていうねえそう いったあのこともあの言えるかなとそう いうコミュニティと自己実現のこう循環 関係のようなものっていうのもえここから え読み取れるかなと思いますそしてもう1 つ大切なのはやはりそういうケアとか活動 している人たちのえ根本的なあの生活の 基盤ですねケアする人たちをケアするよう なそういうあのまなんて言うんですかね 基盤っていうのがえ大切だっていうこと なんかがえここからですねあの示唆される のかなとえ思ったりもえしましたま今日の 話からはえっとそういう形であのはい えっとまま3点ちょっとされるかなと思う てをえっとここで共有してもらえたらとえ 思いましたもう早口で申し訳ございません あのえありがとうございました以上です どう もいやあのたくさんの方々の生き様を本当 に凝縮してお話しいただくということで 無理なんだお願いしたわけですけどもどう も本当にありがとうございましたえっと 改めましてちょっとあの振り返りますと えっとあの先ほど川さんとの関わりの中で ご説明せていただきましたが川さんは今日 ですからえっと制度によって様々な プロフェッショナルに支えていただいて るっていうそういうお立場ですよね先ほど 6名って話がありましたであの先ほど僕 名前間違えてしまいましたけど森おさん ですよね森おさんの場合にはもう完全な そのボランティアの方々によって支えられ てるっていうことなんですけどえっと いかがでしょうかつまりあの自分の人生を 支えることだって精一杯なのに障害を持た れた他人の人生を支え続けるような生き方 って普通選ばないというようにもしかする と大よその方々がそういう価値観だという ように思うわけですねしかしその中で森大 さんの周りではそうではなくてあえて彼と 共に生きるっていう生き方を選んだ青年 たちそしてえっと青年を超えて年世代まで そういう生き方を重ねてらっしゃる方々が おられるっていうことなんですよでえっと それは一体なぜそういう生き方を選んだの かっていうことを救命して来られたのがま 林さんの研究っていうことになってまして おそらく今日はそのの中途経過をご報告 いただいたんですがあのなるほどと思い ましたのは決してあの全人が既得なことを やったって話じゃないわけですよね彼らは むしろそれ以前に作り出されてきたあの 獲得をしてきた価値観で生きていくことに どうも無理を感じていると森さんたちに 出会って同じ価値観を共有する人たちと 新しい物語を共有することによってむしろ その正気を保っているって言いますかね そういう営みを今日なんかお話しいいよう な気がするんですけどそう受け止めて 間違いないですかえっとそうですね特に あのえ特にですね最初の方に介護にえ入っ てらした方と本当に貧しい家庭やとか複雑 な家庭環境の方とかあの差別されてる地域 の方々であったりとかそういう苦しさって いうのに対してやっぱ社会に不満があった えおかしいなと思っていたその時に森モ さんと出会う中で自分の悩みっていうのは 実は社会的な問題なんだっていうところを ちょっとこうまあの手がかりというかそう いったものをえ教えてもらったたりしたの かなという風に思ったりしますなるほど ありがとうございますあのそしてあのそう いった形で事故を変革させていく道筋が かつてはあってしかし今日的にこれをどう 作っていくのかっていうことがあの今あの 課題として示されたんではないのかなと いうように思いますでそしてですねすい ません司会の特権で今からの時間の使い方 について最初にお話をしたのとはちょっと 違うことをえっと実はですねここから本当 は休憩時間を入れる予定でしたしかし えっと実はこのセッションはえっと3時半 には終わるっていうことが目標であと20 分しかありませんなのでまず休憩時間は ちょっとなしにさせていただきたいんです 人によっては休憩必要だという方おられ ますからあの自由にあの体積していただい て構わないというところでえっと出入りを 共用させていただくということでえっと 残りの20分間もそのままつげさせて いただきたいというように思うんですねで その上でえっと最後のこの20分間は僕の 思いとしては2巡したいなと思ってるん ですえっともう1回あの3名のおさ方に 対してええコメントをえっと1巡ずつ えっといただきたいなというように思って ましてああなるほど え1つは午前中の感想を改めておさ方に 伺いたいというように思うんですねえっと 混ざるっていうことをえっと学習の場面で 実現していこうていうチャレンジがあった でそのことについてあのま選的に様々な 取り組みをされてらっしゃるお立場からは どのような形で評価できるのかあのそのに ついて一巡したいなっっていうように思っ てますでそして2つ目は先ほどあの確認し ました問いですねこれだけ制度化された 以降むしろ繋がりにくくなっているこの 段階においてこれから一体どういう実践 展開が我々には求められているのかって いうまちょっと難しい宿題なんですけども ねそこに対するヒトをおさ方にえっとご 発話いただいた順番にお聞きをしたいと いうように思ってますしかしあのどう でしょうここでもしあのフロアーの皆さん でこれは追加で確認をしておきたいとが こういう質問はしたいんだっていうような ご意見があれば1つか2つ受けたいと思い ますけどももしよろしければちょっとあの 時間の関係はあえて読まずに手を上げて いただけるとありがたいなと思いますけど もいかがでしょうか ねよろしいです かちょっとでも少しはあると晩もしまるし いいかなというように思うんですけれども ま皆さんちょっとでも時間にご協力 いただいてるってことですかねあのでは あのすいませんあのこちらの方で設定させ ていただいた2つの問に関わってまずこの 午前中の感想なんですけどもえっと高橋 さんはどのような形で受け止め てらっしゃいます かはいはいあの様々にあのあるものもない ものも共に学ぶっていうチャレンジをどの ように受け止められたかはいあのこの ディスカッション幸せって何だろうって いうようなみんないろんな自由なあの発言 ありましたけどやっぱしこういう場あの 障害のある人もない人もいろんなところで こういうサロンとか出会いの場をいっぱい 街中ににあったらいいなって本当に思って 見てましたそういう機会っていうのをが 自然にある街が本当に目指す街なんじゃ ないかなっていうのをまず思いましたね はいあのそういう意味ではあの我々音楽祭 の本番だけが目に入ってしまうわけです けどもそれが出来上がってるプロセスの中 にそういったあの自由に集まって自由に話 をするっていう場をたくさん作ってこられ たんじゃないのかなっていうように思うん ですが高さんたちの場合はどうやってそれ を作ってこられたっていうことはいいや あのまさに我人間コンサートもえ鳥の厚も 1日なんですけれどもその準備のために1 年やっぱかかってやるわけですねだから えっと大体月に34回のミーティングを やって集まってあのいろんな話をして準備 するんですけれどもまときの音楽祭の場合 は実行員もに障害のある方もいっぱい いらっしゃってそこの普段の コミュニケーションっていうのがやっぱ 大切でそのそういうコミュニケーションが あるから番の時にやっぱりそういう いろんな人を受け入れられるっていうのが あるのでそれがやっぱり日常にになって いくことが大切なんだなってのを思いまし た我々はなんかあの学びの場を作 るっていうことを非常に大事に扱いたい わけですけどもしかしあの学びの場に至る 手前の場をどう作るかっていうことがどう も大事そうですねあのそんなことを感じ させていただきましたありがとうござい ますえっと追川さんどうでしょうはいはい まずまずは午前中のまずは午前中の長 感想ということで いな発表いろんな発表ががさですけどお 聞きしたんですけれど もな本当に様様々な場 場所作って作っておらおられるなって いう感想を持って感想を持ってそこにそこ にそのアクセスするアクセスする 接点もお非常に多多いなと非常に多いなと いう印象を思っいう印象を持っていました でももう1つもう1つはです ね活動には活動に活動に入る 入るきっかけよがそのいわゆるその強い意 を持って強い意を持ってこれをやるんだ これをやるんだっていう [音楽] がような感じではなく てその ふふふとしたできっかけでに活動にると 繋がると で お今回は く多くの場合そうだと思ってそういうもの だと思っているんですね その接点とかねそういう接点とかです ねきっかけをく 多くやせるなようになればいいかな という風に感じていました以上です なるほどあの今お話を聞きながらふっと 思い出したのはちょうどここにもあの立派 な図書館があるんですよねでも図書館に 行くに絶の本を読んでやるんだと思って いかないですよねどんな本があるかよく わかんないけど何か出会いがそこにあるん ではないのかっていうように思って伺うで 一方であの社会教育関係の事業というと もうすでにテーマが決まっていてこういう 中身であって決まっているっていうことが 一般的だと思うんですけどもアカデミアは 行った後に決まるんですねやっぱりその あのまフランクサーっていうのがとても やっぱり良かったっていうことなんだろう なというように思いますえっとあどうも ありがとうございますえっと林さんいかが でしょうかはいえっと午前中もあの たくさんありすぎてあのちょっとここでは なかなか言えないんですけどま1つだけ ちょっと絞って言うとあの橋本さんからえ 金手さんにねえ質問があってまあのえ学ぶ 内容と一緒に学ぶ人っていうのをこう どっちの方がこうまあの強いかっていう話 ねえあったかと思うんですけどそれであの カデさんが半分半分って言ってねあの おっしゃっててえましかもあのその人の 好きなことを一緒にやってみたいっていう ねえ多分多くの我々もそう違うかなと思い ます今趣味してるものもね元々は例えば お兄ちゃんお姉ちゃんがやってたとかです ねうんあの近所の誰々がやってたとかね そういう形でこう学びっていうのはこう スタートしていくかなっていうえその原点 っていうのをえっと思い出さしてくれたか なとえ思いますえそれからあのもう1つの そうですねあのえっと2つ目の質問のあの ま混ざるっていうところに関しましては ですねあのまえっと小川さんがあのこの スライドのところであったんですけどま 何々向けの場っていう形でどうしてもねえ 作られているんですけどもやっぱりあの なんかそこらあたりをもう1回考え直さ なくてはならないっていう問題定かなと 思いますあのクレオンリンクでよくねボチ をえやっているんです障害のある方を中心 と誰もができるスポーツなんですけどもだ からあのそこに一緒に行くとですね子供も あのこう楽しくぼっちゃ一緒に参加してる し高齢者も参加してるし身体障害知的障害 精神の障害いろんな方もみんながね同じ 共通のボチで楽しめるんですよねやっぱり だからこのルールそのものがま誰もが可能 なルールであればあのもっとこんな形で こうまシェアできる分かち合えるのになと でもこの社会っていうのはやっぱり特権の ある人にとって有利なあのこうルールって いうのが作られてきてそれはえっとま 例えば健常であることとかそれとか自分は ケアワークっていうかねあの子供の世話し なくていい高齢者の世話しなくていいとか ですね兄弟の世話しなくていいとかある そういった特権からあのまそういったもの から解放されてる人たちに有利な形でこう まゲームでも楽しみでもねえ作られている んですけどもまやっぱその特権っっていう のをもう1回見直して誰もが参加ができる ようなあの生活とか地域って何だろう かっていうかねえそういったことをあの 教えてくれてるのかなとえいう風に思い ましたはいあお話を伺いながら学ぶ場って いうのはそこで設定された学習内容だけを 学んでるわけではなくてうんあの共に学ん でる人たちがどんな人たちなのかを学ぶっ ていうことが実は非常に重要だっていう ことですよね佐竹さんが確かあの先ほど あのおっしゃってらっしゃったですよね この人は一緒にやれる人なのかとかどこ までだったらあのなんかこうなんかが接触 していい人なのかっていうことを探り探り やってるっていうようなお話がありました があのまそうした方々とのその関係性の中 でこういうルールであれば共にでき るっていうことをも考え合えるようなそう いう関係性が大事だということを教えて いただいたように思いますではあの最終 ラウンドということになりますが難問に なりますねあのこういったあのかつてに 比べてみるとえその繋がりにくくなってる 中にえっと新たなその運動って言ますかね 仕掛けっていうのを一体どのように構想し ていくのかっていうことに関わって おそらくこれまで様々な蓄積があってその 大事さってのは普遍だとは思うんですけど もやっぱりそれでもそれぞれあの今日的に アップデートしないといけないところが 見えてらっしゃるんじゃないのかなと思い ますあのそういうあのチャレンジに向けて それぞれお話をいただきたいと思います まずあのとっておきの音楽会えっと高橋 さんから はいそうですね えっとはい えっとあの共に強制の社会を作るっていう 分であの学ぶっていうこと混ざって混ざる 学ぶっていうことまテーマなんですけども やっぱし学びの実践こそがぱし大切なん じゃないかなと思うんでね学んだことを どう生かしていくかどう実践していくか 例えばあのその学んだことがやっぱし震災 の時とかどう生かしていくかとかでの学は 屋外なんですね本当に天候も変わる自然の 中でどうえ生きていくかま障害持った人も まない人も本当にえそのそういうどう生き ていくかっていうかお互いどう助け合って 生きていくかっていうのを学んで実践して いくっていうその実践もみ合わせながら 学んでいくっていうところがやっぱこれ から必要なんじゃないかなという風に思い ますなるほど川さんあの川さんじゃない 申し訳ない高橋さんあの先ほどはその学び の手前の段階をどう作るのかが重要だて いうお話をされたと思うんですけども今の ご発言はその続きですよね学んだ後をどう 作るかだからそういう意味では教育実践と いうのをかなり幅広に考えてえっと計画論 を考えていくっていうところを今教えて いただいたように思いましたそう受け止め てよろしいですかそうですねはい ありがとうございありがとうございます じゃあ川さんいかがでしょうかあ川さんに は是非ですね森さんのことを語って いただいた林さんへの少しあの感想も聞か せていただけるとありがたいです ねはい はいまずは えっとから最初の最初の問い からえっと私は私は え柔道訪問 介護総合支援法のえサービスを会場 サービスを使って生活を生活 をしています1日1日15時間15時間の 会場を受けての会場を受けて生活し生活を していますただこれは私にとっては私に とっては本当に生活の本当に生活の盤 基盤を作るものなの でその上でその上で何 て何でもする何をする何をするかって いうのが大き大きなもうこてなテーマなっ てくるになってくるただただ一方で一方で ね ええ いや支援も支援ももう 目に目的にせ合わせてメニーがメニューが が え組まれている組まれているものがものが あるのであるのでうん え え今生活を支えて上での生活を支えた上で の行動っていう行動っていうことをな なかなか考えにくい考えにくい状が状況が あるのかなととも思ってい ますていう意味で見ると え先ほどの話も話したよう に こんな場があるこんな場があるいうことを いうことをいかにですねいかにです ねひく [音楽] 伝えるとか誘て誘うっていうそういうこと が非常にそういうのが非常 に大か大事かなという風に思っています でよは先生の話 にせ載せて考える考えるとです ねやはりやはりその森さんという森おさん という人人を通じて通じて通じて繋がって 繋がっていたい たネットワークにネットワーク ネットワークあこれこれだけああだけある だけあるだけあれだけきき 大きなコミュニティにコミュニティにって なっているということ はてあ それはその現状その現状はそのそういう そう いう中心に中心 にがなる存在 がなかなかなか いないい ないていうのもつ1 つ現状としてあるかなとそういう風に思い ますえてとを捉えてそこを捉えてどやて どうやっ てて見出し てって作っていくのかって いうところが非常に 大きな課題だと思いますのさっきの話を もう 一度伺っているとの現代の現在のしないで よないでよしないで知ないでお大阪のミィ コミュニティっていうの はあ線が線が森さんが泣きあですね泣きあ 泣き跡どういうそのどういうその中心的 中心的 なとかとか動とか活動とか [音楽] どういう形 で続いていくいるかいるかそそこを少しお 伺いしたいな と思い ますいやありがとうございますあのでも今 のような感想を持たれる川さんこそがもう まさにネクスト森のお1人だなというよう に思いましたねいやああのすごくあの大事 な問いも残していただいたと思います つまり森さんの後に一体どんな人たちが どのような形で運動を発展していけれの かってことを次に我々ちょっと学ばないと いけないですねこの第2章ってのやらない といかんなっていうようなことも考えまし たえっとじゃああのえっと話題はつきない んですけど時間はつきそうでございまして 最後の発言っていう形になります林先生 よろしくお願いいたし ますあはいえっとまずあの共に生き るっていう観点でま我々が何ができる かっていうのはまあのさ同じことになって しまうんですけどもやっぱりま語りなして いくことだと思いますあの健常者中心で あのま我々あのできるとかいろんなことを 考えていることをえちょっともう1回ま あの語り直して例えば学びっていうのは できるわかるっていう風になってたりえ すると思うんですけどもあのでもそのルー ルってね誰かあのなんて言うんですかね えっとかなんか絶対のルールじゃないです よね例えば音楽もこうなんかこれが音楽だ とかなんかこれが例えば社会の常識だとか これが芸術だとかいうのもなんかえっと誰 かが決めたもので我々こうついプレイし ちゃうけどもでも実はそのえプレイし ちゃってるルールっていうのはま特権の ある人に有利なのでむしろ発想を変えて あのこういう風に芸術っていうものをあの 理解したらもっと楽しいねてもっとみんな が仲間になれるよねとかねえそういう形で この建物もそうだと思うんですやっぱり こうこういう風にデザインしたらもっと 多くの人が入ってこれるじゃないかとかね そういう形でこう本来建物はこうあるべき とか本来学びはこうあるべきだっていうん じゃなくてこういう形で学びっていう コンセプトを考え直したらあのもっと多く の人たちがあのまえ共に生きていけるよう な社会になるんじゃないかてそれを語り なすということとそれをみんながこうやっ て共有していくことえそこに手がかりが あるのかなとえ思いましたえそれとですね えもう1つあのちょっと難題をねえ いただいてま森大さんがあのいらっしゃら なくなった後今後どうなっていくかって いうなもうまさにこうま我々も模索中なん ですけどもま森さんという方はやっぱり カリスマ的なええ方だったんですから やっぱりそのえっとリーダーシップって いうことであの続いてたところもあるん ですけどもま僕個人のえこまあの思いで 言わしてもらうとま派手なものじゃなくて いいと思うんですやっぱりこうケア活動と か生きていくっていうことは案外こう そんなドンパチするもんじゃなくてもこう 地味なね日々のおいであったりとか日々の えっとまお手洗いのお手伝いとかねあのま あの食事会場であったりとかですねそこ 自身に我々が実はケアしてるつ森が自分が ささせてもらってるんだとかねあの ちょっと違う語をこうまお互い生きて いける社会にはどうやってえやっていけば いいかなっていうのをちょっと考えていけ ばそこにま手がかりがあるんちゃうかなと えいう風にえ今は考えていますはいこ答え になってないかと思いますけどえ以上です えっとあの今日はあの時間の関係であの そこまで踏み込めないんですけども林先生 はだからあのこういった研究をされ てらっしゃる方だけではなくて日常的に そういう時間をだいぶ作るっていう努力を 本当継続されてこられてますよねあのそう したところにはあの今後学び合いたいなと いうように思いましたえっとあのという ことであの時間の関係でですねこの セッション自体は占めないといけないん ですけども次に同じメンバーやさらにここ を補充してこんなことをしてみたいなって いうアイアって結構出てきたような気がし ますよねでそして小川さんからはこういう 時間をやっぱりあのたくさん持つっていう ことが大事だと場所と空間をもっと たくさん持つってことが大事だっていう ことをあのお聞きしましたのであのそれを 是非あのエブルさんたちと共にですねえ えっと次なるあの1年にまたあの生かして いければなというように思いますえっと あのこれからの時間の使い方ですけども えっと会自体は4時に閉めますだから残り の時間は30分ですねでこの30分の時間 はえっとどの場面でも切り取っていただい ても結構ですあの今日1日がそれぞれの 方々にとってどういう1日であったの かっていうことをそれぞれ披露して いただくそういう言葉をたくさん回せると あのそういう時間にあのしたいと思います ので是非あのその心づもりで最後までお 望みくださいまただあの進歩自体はここで 示させていただきたいと思いますあの とっても大事な刺激をいただきました えっと高橋さん大川さん中田さんえっと それからはさんどうもありがとうござい ましたえっと大きな拍手でありがとう ござい [拍手] ますえっとそれではありがとうございまし たあの会場の皆さんもしかしたら尋ねたい ことあるいはあの自分の感想を語りながら えっとまたそこにあのコメントを寄せて いたなどちょっと前にいらっしゃるえっと 5名の方と一緒にセッションの時間を持て ていけたらと思いますえっとここからの 進行はえっとエブルアトジャパンの柴崎 担当させていただきますえっと休憩もなく ちょっと本当にお疲れの方もいると思い ますのでえっと少し席を外すとかゆるりと あのリラックスした形で残りの時間を えっと過ごしていきましょうえっとじゃあ それでは会場の皆さん今日朝からあの たっぷりと色々なプログラムを体験して いただいていますどなたかえっと感じた ことあと皆さんに伝えたいことあの思いの 共有ということでえっとお話をいただける 方いらっしゃいません かあはいじゃあマイクをはいお願いいたし ますあありがとうございますえ佐藤と申し ますえ今日今あの聞いていたお話であの こう学びの共有っていうところがあこれは 社会学級がやっていることだなって思った んですけれどもえ社会学級でそれぞれの 地域でま何をこう学ぼうかっていう 話し合いになった時に今自分はこれが気に なるんだよねなかなかあのちょっとここう いったこういった講座をやっていいか わからないけれども新聞で聞いてとかこう いった話を聞いてっていうそこがきっかけ であじゃそれをやってみようじゃそれを みんなで共有したいよねっていうことで 講座を学習内容を決めていくんですがそう いったところで学んだことを実際あの じゃあこれをもっとせっかく学んだことを や共有したいからっていことで今度は自分 の地域だけではなくてえっと市のえ生涯 学習センターとあの一緒にあの活動あの 企画している市民プロデュース減災講座あ 防災減災講座っていうものがありまして このま防災についてもっとみんなにあの 広めたいでその来てくださった方がきっと また自分たちがそこで聞いたことをまた 自分の地域やいろんなところであの 教え合ったりとか話をしてくれ るっていうことでどんどん話が広がって いくと思うのであそういったことであの どんどんこう広がってくんではないかなっ て思いましたあとござい あはいありがとうございます1つ今の社会 仙台士があの運営してる社会学級から えっと研究会の佐藤さんえっとここ最近 あの私たちとも一緒に読書会参加して くださっていますで1点だけ石山先生に 振りますあの石山先生の中に実は社会学級 とこの障害なる人たちのあの学びの場が えっとなんてかな合流する部分とか共に 歩んでいける部分があるんじゃないかあと これはあの今日の仙台市のこれからの学び の場を作るというあの仕掛け石山先生は実 はあの優しそうな顔をしてたみとかって いう言葉よく使うんですけれどもあの そんな指定からも実は社会学級の皆さんと のあの今日のような場の共有ってのを先生 実はえっと考えておられましたうんあの 一言社会学級と今日の出会い場の共有いや たみはそんなにいっぱい喋っちゃいけない ものかなというように思うんですけどいや 実はあのこの強制社会コンファレンスって いうのは文科賞としては4回4年目って いう形に確かなるですかね あなるほどでそれで実は僕は1回目と3回 目と4回目に関わってるんですよでえっと で1回目の時はケと一緒にさせていただい てたんですけどもその時にあのとにかく 目指そうと思ってたのはこれを作るってい ことを社会教育職員の方々とやろうって いうことをやってたんですあのつまりあの 自分たちが学びたいものを自分たちで作 るっていうことをえっとその職員の立場で やれるといいなっていうことだったんです よでそしてあの3回目4回目は仙台史って いう形でパートナーが変わっていこうとし た時に実はなかなかそれがうまくいか なかったんですねで今回だから橋本さんが 来ていただいたってのは非常に貴重なん ですけどもえっと各地区公民館の場合には えっと滋賀直営ではなくて財団っという形 で組織がちょっと違うっていうこともあっ てなかなかやっぱりそこら辺のすり合わせ がえっとまだこれからっってい状況だった んですでしかしあのその中でやはりあの とても大事だと思ったのは今回の社会学級 つまりえっと職員ではなくて市民の立場の 中で自分たちが学びたいものを作 るっていう取り組みが実は全国の同規模の 自治体の中では残ってるのは仙台史だけな んですねそうしたものがあの数十年 積み重なってるのは非常に大きな財産なん ですでそうした方々とこのの障害者と共に 学ぶ場を作るっていうようなことが出会 うっていうことが佐藤さんの話ではこれ まであんまりなくてはいで今回それが 出会えれば何か面白いるんじゃないの かっていう形でお話をしたら非常に乗って いただいてで一緒にあの障害当事者の生き 方に学ぶっていうことで本も読みっていう ようなことでそれで今日迎えることができ たわけですよねはいだから何かあの次に あの0が1になったり1.1になったり するあの次がなんか生まれそうな気がして 僕はとてもあの今日のあの三角にとても 感謝してますありがとうございますはい はいありがとうございましたそれでは えっとお2人目の方いかがでしょうか ご発言思いの共有あはいあ石葉さんいい ですね はいえ登壇者の皆様ありがとうございまし たえ文部科学省の石橋です え最初に紹介した通り障害者学習支援推進 室で障害者向けっていうのが分断して しまってるんではないかというちょっと耳 の痛いようなお話があってええ全国にこう いった取り組み推進していくのに障害者 向けですかそれとも全員向けですかみたい なそういう問いかけをするようなことも ありますで我々が障害者って頭にわざわざ ついているのはえっとまだまだ同じ部隊 にない状態をみんなでその事実を認識して え同じラインで同じ景色が見えるように外 学習え社会の中で地域の中での学びの場 っていうのを充実させていくそこが 当たり前なんだよっていうことを気づいて もらうために障害者のえ学習支援という ような言い方をしていましてえっとなので 同じだけえ支援する同じだけ補助金を出す とかそういうことを言ってるわけじゃなく て当たり前の状況にまなるためにという ところをま言ってんですけれどもやって ない行政職員の方に声をかけるとですね こんなことがあったらどうしよう皆さんあ どうしてるんですかどこに学びたい障害者 がいるんですかっていういろんな クエスチョンの中でどうしても1歩目を 踏み出せずにあの縮こまってしまっている そういうことをよく聞きますそれに比べる とまあ仙台の取り組みの豊かなこと もしくは資源がいろんなところにあるって いうことに皆さんが気づかれてい るっていうことに私はとても勇気をもらい ましたので是非全国の皆さんにも知って いただきたいなという風に思いますし活動 を発展させてエブルさんのようにどんどん 社会に発信していくとあなんだ学ぶって いうのは誰でも参加できてみんながあの 参加楽しいところえ一生懸命頭が痛いよう なことを話し合う場所じゃなくて楽しい 場所なんだよっていうことを知って もらえるといいなということで今日1日私 が1番楽しい思いをさせてもらいました ありがとうございまし たはいありがとうございますそれでは3人 目の方いかがでしょう かはいあマイクじゃお願いし ますあ皆様こんにちは私はあの宮県の沿岸 部の難さの小さい1万2000人の町宮県 山本町であの活動しておりますNPO法人 ポラリスの田口と申しますあの今日本当 仙台史の素晴らしい取り組みで今日も学ば せていただきましてありがとうございます あのエイブルアートジャパンとポラリスは あの同じ時にこの文部科学省の実践研究を スタートしていまして今年で3年目ですで 宮井県ではの地域性のところから柴崎さん そして私たちあの活動を始めましたこちら はあの資源もたくさんありますねこういう メディアテークとかあとマンパワーもあり ますし大学もありますし素晴らしい追川 さんもいるしだけど山本町は本当に何も ないんです私はあのマイナスをやっとこの 3年で0にできたと思っていますなので 本当に前々からこの3年間見ていると エブラとジャパンのやり方は本当に当事者 の方が主体的にテーマを決めて学ぶって いうことをできていらっしゃいますところ が私たちの地域ではそこにも到達してい ない障害のある当事者も保護者もえ地域も 行政も全く何それ障害者の障害学習ってて いうところからスタートしてるので私とし ては私が作り込むしかなかったっていう 実情があるのでやり方も真逆ですでも何を 田口はやるんだろうっていうことでやった ことでやっとおかげ様で文科省の力を借り て3年間で本当に行政ともパイプが太く なりましたし地域のあの繋がりも福祉だけ でやってるよりもずっとあの広くなりまし たそして障が何より嬉しいのは私たち ポラリスに通ってる障害のある方遊びに来 てくれる方それから保護者の方が前を向い て地域の中で地域の人と声声かけあって 暮らせるような時代が来たことなんです ですから学びのテーマなんて私は何でも 良かったんですけど本当にあの今3年間 やってま小さい町なんですけどすごく私は ハッピーな気持ちで今おりますでま3年間 で私たちはもうあの終了しようとしてるん ですが文事業はっていうのはここからが私 はスタートだと思っててそういう事業を やらなくってもどれだけこの学び続け られるかそれにこれから私たちはあの ちっちゃい街なんですけどチャレンジし たいと思ってますっていうのは実は宮県の 方でもこのようなコンソーシアムを取って くださってて今年からこの仙台市っていう のはやはり行政の方も本当にタオ君で こんな素晴らしい勉強会してますけど本当 にあのの県の職員さんすごく県はやっぱ 広いし過疎値も半分くらいは過疎値なので これから本当行政の方にご理解をいただい てそれで本当に仙台史のののようにって いうかそういう風にはならないかもしれ ないけど本当に行政の方にまずご理解して いただかないと当事者とか保護者の方が あのそういうことやっていいんだねって 言える社会にならないんですよねなので 是非あの先はリーダーなので宮県の是非宮 県全体がこういう風になるようにみんなで 本当にあの学び合いいけたらと思います 今日はありがとうござい ますありがとうございます今えとNPO 法人ポラリスえっと謙遜されておっしゃっ てましたがえっと昨年度この活動で文部 科学あの大臣省ってことで受賞されており まして県の中でえっと障害のある人の障害 が学習をあの発展させるえっと本当に モデルのえっと活動として全国からもあの 注目されていますそれからあの今触れられ たのでもう1つお伝えしますとえっと1月 31日 水曜日リフ町のリフノスという施設におい て宮城県主催のコンファレンスがあります えっと今日は当事者の方たちによるあの 当事者からのえっとこうした活動に携わる えっと中身というか内容とかえっと大事な 理念の部分をお伝えするてこで私たちは あのコンファレンスを作ってきましたが 一方で宮城県では少しずつ動いてる市町村 の皆さんまた社会教育主事の皆さんからの えと事例報告発表を主体としていますので えっと是非そちらにもご参加いただければ と思いますはいそれでは4人目の方いかが でしょうか あの多分柴崎と目を合わせるの避けて いらっしゃる方がいるんですがえっとこの 場を実は3年間一緒に作ってきたあの私 是非発言していただきたいと思ってる方が いましてえっときっと3年一緒にい るってので私だと思った方いると思うん ですが武田さんいかがでしょうかあはい 自覚していただいているのであのマイクを お渡せいと思い ますあ えっと武田と申しますあの何も所属はして ないんですけれどもあのダウン症の娘今度 二十歳になりました娘がおりますま昨年 まではあのダウン賞の親の会の会長などし てえまそういうダウン賞のある家族と一緒 にやってきたという感じなんですけどもま ご縁がありましてこのスープのアカデミア の3年前からえっと18歳以上っっていう ことであのエブルアートの職員さんね 知り合いがいましたので声かけていただき まして娘があの参加させていただいており ましたでま実は娘はまだあの高校生だった んですね18歳そしてその後もあの支援 学校の先行家というところに行ったのでま 今もまだ学生であの学校後の学びという よりは学校と並行しながら参加 させていたいていたんですけれどもま あのま私付き添いていう形で入っていたん ですけれどあのスタッフの皆さんのご配慮 であの自分も参加者の1人として娘とは別 のテーブルで全くただの参加者として一緒 になって楽しんであの参加させてもらった 会が多くてあの本当にその中ですっかり娘 のことはもうお任せしてて自分が楽しんで あの講座を受けていましてあの本当に誰も があの楽しんで学べるような内容でやって ましたし [音楽] あのま娘自身も全然親を離れて楽しく安心 してあのやれるような環境だったので本当 に感謝しております あのただまあのやってく中でやはりあの 私なんかはまだそういう考えが昔のとか 古い考えがあったので色々こう疑問に思い ながら受けてるところもありましてまそこ の例えば講座にはいろんな種類の障害の方 がいらっしゃるで先ほどま森さんも自分 たちは 色々権利を主張したり権利を主張ではない かなちょっとこうあるべきだとか社会を 変えたいっていうことを思って活動してこ られるけどもじゃ知的障害の人たちのその そもそもの要望とかそういうのを組みとる ことがなかなかできないって言われたよう にまやっぱりあの同じ学びをしていてこれ 娘は理解できてるんだろうか本当に楽しい んだろうかっていう風に思うやっぱり内容 的にちょっと難しいかな理解が難しいかな と思うものもあったり何でも一緒で本当に いいのかかってやっぱりちょっと疑問を 持つ場面もあったり あとその社会出てからそうやって一緒に なるのはあるんだけどまだ学校ってことも あってそもそも学校がなんか別れていて 先ほど小川さんの話にもあって学校時代は 辛いことが多かったそだから親は辛い思い をさせたくないから手厚くやってもらえる 支援学校に行って選ぶ人が実際多いでま あの通常学級にとか入れた場合にそれは親 の英語じゃないかとかそういう風なことも 言われたりするわけですよね で私自身も娘小学校は通常学級だったん ですけども中学校以降はやっぱり辛い思い をするだろうっていう感じがあって支援 学級支援学校とか選んだんです けどでもやっぱり本当の理想言ったら どんな人も一緒に学んで育てたらもっと 身近にいろんな状況の人が世の中にい るっていうことをちっちゃい頃から学べて いいなっていうのを思っていてまあの すごくこい社会に出てから の機会も大事なんですけどもまだそ普通の 学校教育に対してもモヤモヤを感じながら のえ参加だったっていうところもえあり ましたでも本当にあの学校出てからも いろんな方たちとこうやって出会えたり いろんな経験ができる場を作っていただけ るっての本当にありがたいなと思ってい ますただ あのやっぱり同じダウ症のこの親同じ ぐらいの世代の親子さん聞くとなんで学ぶ のって親自体 がこの子たちそんな学習なんかそんなに 必要じゃないよねってもう自立とかそう いうことが優先だから就労ちゃんとして 神辺自立できてでやっぱり親自身もこう いうことたちに学んでも無駄じゃない かって思ってる人も実際多いのが事実で こういう機会があってもそこに関心を持た ない親とか支援者がそういうこと必要だと 思わなかったらアクセスするチャンスも この人たちは多分与えられないそういう ことも知らないで生きてしまうっていう ことでやっぱり あの親とか周りの人の意識も変えていか ないと多分アクセスできない人はまだまだ いるだろうなということを思っています なんか知り滅裂になったのでこのぐらいに しますなんか今日でも本当にあのいろんな 刺激を受けてまた勉強になりましたどうも ありがとうございまし たはいあみさんありがとうござい ますえっとしたら 5人目の方いかがでしょう かお話になりたい方いらっしゃいません かもしよければ社会教育施設あるいは学校 教育の場などで働かれてる方も いらっしゃいますあとは文化事業などを 提供するあの文化施設で働いてる方なども いらっしゃるようなんですがえっと今のに あの接続せずともあのご自身が感じたこと 考えたことでもいいと思いますえっと いかがでしょう かもしよかっ たら事業団のチーム社会教育施設を色々 運営してるはい事業団のチームそれからあ よければ小川さんのSMTシネマの ちょっと試みやあの活動の動きあとは林 さんも事業団が今様々に始めているあの しょがなる人も人もあの参加していけ るっていうことを文化を軸にま切り開い てるあのお2人なので宣伝兼ねてどうぞ 一言ずつお願いいたしますはい あのあえっとですね普段あのこのすぐ近く っていうかここで働いてる小川と申します があとあの県立の宮城大学で共有もして おりますでどうしようかなえっと今日批判 でフラッと来てたのであれなんですよどう しようかなえっとですねじゃああじゃあの ちょっと1つだ1つエピソードとあの皆 さんになんか聞いてみたいことがあります あのえっとですねちょっと前にこの メディアというかたくさんこう見学学校な の児童生徒さん見学とかまえ海外から建築 の方見学とか来ますでその中で去年から ですねそういうあの見学の対応のことも あの僕のチームで引き受けていて特別支援 学校のえっと高等部の方たちが学 に来たことがありましたでえ対応してくれ たスタッフがあのま何人かで来ますとで あの自由見学って言ってこう案内がつか ない形でいいですとであのちょちょっと声 出したりするんであのごめはかかないよう にしますて電話で受けててまあ大丈夫です よてま昨の聞くスタッフだったので軽く 言ってで実際に当日あのいらっしゃった時 もあのちょっと気になってたので館内見て た時にこうなんか橋のの方に詰まってこう こそこそこそって話しながら行ってるん ですねでまその担当してる人間大変こう 昨日聞くタイプだったのであのいやいや 今日ちょうど開いてますからいいですよと なんか少しこう広々したところでのびのび 動いていいですよって声かけてもらったん ですけどもあのその時にですねえ何と言え ばいいん でしょう あのなんかこうもちろん皆さんここにいる 方たちはきっとなんかそういうことそう いう希望があれば強くおっしゃって くださるタイプだと思うんですけどあの そうじゃない方たちも結構いてでもそれに 対して我々があのなんて言うんでしょうね なんかどういう風にしてると声かけやすい のかなというかそういう話をあのして もらいやすいのかなということをちょっと それ以来考えていますでえそれでもしなん か皆さんにあのこういうことこういうこと で色々集まってる方なので聞いてみたいん ですけど例えばそのもちろん何らかのこう 特別な事業あの僕は専も映像なのでこう 上映会であの誰でも参加できてこういう形 にして欲しいとかってのあったりこういう 作品が見てみたいってのあるかと思うん ですけどそのもっと手前でなんて言う でしょうねとりあえずこうブラブラこの辺 でこう暇つぶしに来るにしてもこういう ことがあるといいなとかこういうなんか ちょっとそのなんて言うんでしょうね配慮 というほどでもない何かでいいんですけど あのそういうのあったら教えていただける といいですあのなんてでしょうこう全然 やる気のない組織とかスタッフでもでき そうなことからこうやってた方がいいと 思っているのであの軽めのやつをもしあれ ば教えてください はいこれどうですか参加者の方またこちら でもいいですが追川さんなんかニヤニヤし てるんだよねあじゃあ追川さんどうぞ まだ思いついてないんです けど気持ちは気持ちはなんと なく分かるんです [音楽] ね先ほど 声が 出る出るという話もという話 もありましたけれどもやはり 常的に一常的にそれはそれはやっていない やってはいけないいう風にという風に思っ て思ってってしまって いるでのでそのそそれをそれをやっていい やっていい場所 と場所行けない場所っていうのがわから ない合わないわからないわから ないです ねそれは少しずつここはここは 少少くも少なく とも気にしないで気にしないでいいよいい ですよっていうこと 伝伝えていく伝えていくとですねとかです ねそういうそういうこともつ1つあるある のかなと思っました思っていました以です 以上ですあまり あまりいい答いい答えじゃないかもしれ ませんけどもはい以上ですはいありがとう ございます混ざるということに向かって いくベクトルとでもやはり分離教育 あるいは分離の場でのサービスを受ける あの場面が多い障害のある児童あるいは人 たちと思った時にえっと今のまだ課題は あるけれどもあの回答だったのかなと思い ますえっと今引き受ける形で最後林さん 高橋さんもあの一言ずつえっとちょっと レスポンスする形で最後お声をいただけ たらと思いますじゃあ高橋さんからうん マイクでその後はさんに最後行きたいと 思います あ全体を含めてまあのえ今のあの話に 繋がるかどうかわかんないんですけども あのときの音楽祭のちょっと話をすると僕 らとて置きの音楽祭っていうネーミングが ベリースペシャルミュージック フェスティバルなんですけどまベリー スペシャル特別なをま取っておきのなさい という風に訳してるんですがこのとって おきがというのがなくなる日っていうのが といいんだよねって話したんですねやっぱ それが特別な音楽祭でそういう時しか障害 のある人とない人が一緒の音楽祭じゃなく てとっておきがなくなる日を目指して僕ら は今とっておきの音祭をやっているってい だからこのメディアテクに来る障害のある 人たちも本当に自由にあいいんだよねここ ねっていうものがみんなこう共有する健常 者も障害者も一緒にそういう風にみんな 違ってみんないだからいいんだよねって いうよう認識をみんな持てるといいかなっ て思いましたはいはいですねはい ありがとうございますはいえっとまあの とっておきという名前もあのでもあの えっとイベントとしてねあの一緒にこう やっていくっていうことをみんなで 作り上げていく機会っての本当あるのは 本当にあの名前は分からないんですけども やっぱりあの貴重かなと思いますこの準備 していく中で気づくこととかねえだから この事業を一緒にやってくこと自身が多分 大きなねあのま学びでああの発見でありえ まあのこれからも続けてほしいなとえま あのはいということをえ思ったりもしまし たともえっと今日はあの本当に色々学ばせ ていただきましてありがとうございました どう もはいえっとじゃあそれではあの時間が来 ましたえっとなかなかちょっと時間が そんなにない中ででも今皆さんのあの語り あの何人かのまは特にあのすごく熱く今 思ってることとかえっとご自身が持ってる 問題意識もあのお話しいただけたと思い ますえっとまずえっとこのコンファレンス えっと出会いの場としてえっと仙台士が 共催をしてくださっていましてえっと障害 学習家の皆さんもあの宮城県内にいる 5500人ま児童生徒えっと小学校から 高校まで実はあの支援教育とか支援学教に いる生徒さん5500人いるというあの リストが出てきましてえっと仙台市の教育 委員会あと民県の教育委員会を通じて えっと1人1人の家庭まであのチラシを 配布させていただきましたえっとそれでも まだまだあのコンファレンスにはあのリー チっていうかまだその情報とかあの必要性 に気づいていただけてないという風にあの 実は色々次会の思いも込めてあの活動して いますただ一方えっと確実にここ数年参加 者のあの顔ぶれが本当に広くなってきまし た最初はまず関心のある障害のある人たち により近いあの関係者だけだったものが あの毎年年を負うごとにえっと様々なあの 施設とか行政の方また企業の中でしょが なる人の雇用を進めている方などあの 幅広くなっていますしえっと今日のあの このコンファレンスはえっと動画として 編集をしましてえっと改めて皆さんに長く 拝見していただけるようにしますので えっと是非今日のコンファレンスもえっと 本当に一部の情報の共有だったり ディスカッションではあるんですけれども えっとここ景気に皆さんとこれからえっと もっともっとあの思いと場の共有をしてい くということであの活動をしてまいりたい と思います改めてよろしくお願いします えっとそしたら最後に少しだけあの情報を 伝えさせていただきますえっと林先生の あの著書ナラティブを生きるということで 今日あの先生の林さんのあの配慮により 3080低下の本をなんと2800でも あのはいえっと後ろのあのショップの部分 でえっとお預かりして販売しております えっと今日でも林先生の大阪弁がなんか ナレーションで録音になるとすごい楽しい なってあの本を読むのもすごくあのいい ですしなんか先生の語りもえっと耳から 聞くものとしてもなんかちょっと面白い 教材だなと思って今日はあの楽しませて いただきましたそれから今日ここの会場は あの大見本一ということでえっと今社会に あの発表しつつあるえっと障害なる アーティストたち特にニューカマー7と 名付けて2年に1度紹介してるえっと アーティストたちの作品を紹介しています が明日実はアーティストたちがこの場所に やってきてギャラリートークをしますで その前後でえっとワークショップまた明日 はえっと障害のある人たちとの パフォーミングアーツに関わる研究会が あるなど明日は文化芸術に少し特化して えっと活動が様々にありますので是非 えっとご参加 くださいまた週開けますとえっと実は今 会場の6階でえっと2つのサジやってい ますえっとピュアハーツアート店という ことで主に福祉施設の方たちがえっと利用 者である人たちの作品をあの紹介している ものそれからえっと私たちの作品店という 名前でえっとやはり市民がの実行委員会を 組んで54年間支援学級の児童生徒の作品 を発表している模しがあの開催されており ますのでえっとそちらをご覧いただきたい んですが週を開けると学校見学が多分 とっても多くあの予想されていますので えっと火曜日にはあの新しいテクノロジー あの技術とアートの結びついた新しい事例 としてえっとちょっとユニークなあの展示 またえっと研究会が皆さんがいるこちらの 会場で開催されますのでチラシの29日 30日えっと表現とケアとテクノロジーの これからというえっとプログラムにも注目 していただければと思っておりますえっと 事務局からはあのインフォメーションここ までとさせていただきますえっとそれでは えっと今日1日長い時間でしたがえっと共 に学び生きる強制社会コンファレンス東北 ブロックということでまずあの宮県の皆 さんより先立ってこちら仙台市の皆さんと の共済事業コンファレンスをえっとここで お開きにさせていただきたいと思います えっとああやっぱり愛さんと村上さん ちょっと前に来てくださいえっとね今 終わりにしたいと思いますと言ったらです ねアカデミアの参加者であ武田さんえっと 今年ね1本締めというの覚えたんですね ちょっとじゃああさんと村上さんサポート でであさんはなぜ1本締めをどこで選学ん だかというとお酒の楽しみ方という形に なってアカデミアで一緒にお酒とは何かと いうことであのお酒を飲みながらお酒を 楽しむ会をしたんですがなんとあの村上 さんサポートした村上さんによって1 本締めということのやり方を教えて いただいてえっと高齢のになっています じゃあちょっと明るくさをアさん1本締め で閉めていただければと思います皆さんも じゃ一緒にアさんの温度を聞いてえっと 最後の締めを楽しみ ましょう あさはいあのぬかり中の仕込みが大切な人 なので少々お待ち ください皆さんを はいオッケーですました はいオッケーですと本人が言ってたので じゃああさんはいじゃコンファレンス今日 の締めの1本締めお願いいたします改め まして皆さん今日はありがとうございまし たありがとうござい ますそれでは一本じめをします皆さんお手 を 拝借 よJA

【期間限定公開】2025年5月31日まで
私たちは、「障害のある人もない人も共に学ぶ場」を広げようと、仙台を中心に活動を続けています。
私たちの「共に学ぶ場」づくりは、まずは、学びたい本人が好きなことや知りたいこと、やってみたいことを自由に語り合える場をつくることからはじまります。その「語り」から、障害のある人を取り巻く制度の弱さ、条件の厳しさ、ときには差別や偏見などから、学びが制限されてきたことに気付かされることもありました。そうした障害のある人たちの「語り」は、どのような学びの場をつくり、周囲の人と関係を紡いできたのでしょうか。
第一部では、この、「共に学ぶ場」の一端に直に接していただけます。どのような方法であれば障害のある人たちと学びを共にできるのか、そこでは何が学べ、どのようなことに気づけるのか、体感していただけます。
ところでこの社会では、いつのまにか、障害のある人と障害のない人が分離されてしまっているのではないでしょうか。その中で私たちは、障害のある人が身近に存在しているということや、その人たちが真摯に学びを求めているという、あたりまえの事実に気づけずにいます。一方で、この仙台には、その学ぼうとする意志に応えていける社会をめざす地道な、時には大胆に仕掛けられた取り組みが少なからずあります。
第二部では、そうした行動と思考に触れるとともに、かつて「障害」者解放運動が取り組まれていた時代に、障害のある人の生と運動を支える生き方を選んできた「青年たち」の証言にも学びながら、「共に生きる」社会にむけての道の拓き方を考えあいます。

開催日:2024年01月27日(土)
時間:10:00-16:00
場所:1階 オープンスクエア
対象者:すべての人、障害のある人と家族・支援者、福祉事業所の人、特別支援学校・学級の人、市民センターなどで社会教育に関わる人 など
参加費:無料
情報保障:手話通訳・要約筆記

第1部 [進行]伊藤光栄(NPO法人エイブル・アート・ジャパン)
(公開次第、リンクをお知らせします)
開会のあいさつ:田村
①体験の共有「おためし!活動体験会〜障害のある人とつくるまなび」
グループⅠ前半「手ではなすおはなしの会」の見学
グループⅠ後半「身体と表現」
グループⅡ「てつがくカフェ」進行:野口さん(仙台スピーカーズビューロー)、古藤さん(居場所妄想会)
②考えるテーブル「仙台市での共に学ぶ場づくり」
登壇:橋本勇人さん(仙台市生涯学習支援センター社会教育主事・スウプノアカデミアボランティア)、佐竹真紀子さん(美術作家/一般社団法人NOOK・スウプノアカデミアコーディネータ)、奏さん(スウプノアカデミア参加者)
ききて:佐藤朋子さん(仙台市社会学級研究会)

第2部 [ききて]石井山竜平さん(東北大学) [進行]柴崎由美子(NPO法人エイブル・アート・ジャパン)
0:00:00 第2部オープニング
0:02:01 話題提供「障害者の生涯学習施策」石橋裕子さん(文部科学省障害者学習支援推進室)
00:14:27 ①おはなし「仙台の障害当事者による活動と運動のこれまで」
00:25:02 障害のある人との共生社会をめざす「とっておきの音楽祭」:髙橋Q清博さん(オフィスQ代表/お祭りプロデューサー)
00:41:54 障害のある人が地域であたりまえに生活していく:及川智さん(みやぎアピール大行動実行委員会事務局長)
1:00:34 ②おはなし「ある『障害』者解放運動を通じた若者たちの学び」:林美輝さん(龍谷大学)
1:35:14 ③ディスカッション「これからの仙台における語りからはじまる学び」
登壇:林美輝さん、髙橋Q清博さん、及川智さん、石井山竜平さん、
1:56:09 おわりに「感想とおもいの共有時間」

●コンファレンスの背景
障害のある人の学校卒業後の学びの場が充実していないことが課題とされ、文部科学省では、平成30(2018)年から障害のある人の生涯にわたる学びや文化芸術、スポーツに関する活動の支援を政策的に打ち出しています。

●スウプノアカデミアとは
障害のある人の『学びの場』を考えるプロジェクトです。学びたい本人が「好きなこと」「やってみたいこと」からワークショップや講座などのプログラムを企画、運営しています。

主催:特定非営利活動法人エイブル・アート・ジャパン、文部科学省
共催:仙台市教育委員会、せんだいメディアテーク(公益財団法人仙台市市民文化事業団)
後援:宮城県教育委員会
協力:一般社団法人NOOK
文部科学省委託事業 令和5年度「学校卒業後における障害者の学びの支援推進事業」

「手ではなすおはなしの会」
主催:仙台市民図書館・せんだいメディアテーク

撮影・編集:株式会社KUNK

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