被災者としてカメラマンとして 輪島の復興に奔走

野半島自身の発生から4ヶ月以上が経ち ました私たち北陸朝放送の中にも被災地で 暮らし心に傷を追った仲間がいます取材者 として被災者として今どんな思いで故郷 和まを見つめているんでしょうかなお VTRの中で地震発生当時情報カメラが 揺れる映像が流れます 壊れた仏壇や物などを供養するお 炊き上げ地震の発生以来傷ついた故郷を 撮影してい ます進まないなんて服は進ま ないどうしてここまで進まないっていう ぐらい進ま ない自分にできることは何か考えて行動に 移しました 俺もその真島の人間1人の人間として何か できることがあんじゃないのってある日 突然思ったんですよ ね取材者としてそして被災者とし てのに生きるカメラマンの姿 [音楽] です北陸朝放送和島市局の小田原浩 カメラマン 生まれも育ちも和ま です記者の私とは10年以上の 付き合い一緒にドキュメンタリー番組を 作ったこともあり ます外外外出 てよあの日揺れを感じ自宅を飛び出した 小田原さん 危よんでるおっ ちゃんえおっ ちゃんおっちゃん大丈夫 良かったよかったよかっ た集落を走りながらカメラを回しまし た暗くなると朝一通りでは火災が発生して いました え和島町です大規模な火災が発生してい ますえ風に煽られ炎が高く舞い上がってい ますの半島地震で和島市では100人以上 が 死亡およそ1万5000胸の住宅が被害を 受けました 俺たちの美しい街を壊しがって てい地震からおよそ4 ヶ月でこぼこになった道路に思いが 込み上げます 地震の後初めて私と会った時こんなことを 話していまし た殺人現場とかでもし自分の子供がやられ たらそれでも俺たちは自分の職業所こう やって立たなきゃかんやろな話をしとった んやそれと同じことが今起きとるよ俺たち がもう証言するしか ない小田原さんは自分が取材対象になる ことで被災地の状況を伝えようとしてい ました 頑張り後ろから土砂が来ちゃってお風呂が その山際だったもんでもう危なくて使え ないのなのでこれ足場を使ってお風呂作り まし た自宅の風呂バー 手作り土砂れがあり面に近い部屋は使え ませんリフォームしてた妻と2較的安全な 別の部屋で生活してい ます何も変わらないしさんがもうどんどん どんどん我々住民の気持ちを蝕ばんで るってのを感じるよ ね頑張ろうって気力すらもむしばんでっ てるんじゃないかっていうくらいに蝕ん でってる何も変わらないこと が時間が経つにつれ被災者として同じ境遇 にある人たちを助けたいと考えるように なりました合法状態で漏水しちゃって家中 水浸しで水使えないのていう友達の相談と かねでも業者さんに言ってももういつ 行けるか分かりませんごめんなさいって 業者さんも苦しそうだと僕の友達と2人で じゃあ助けに行こうて言ったの 始まりインタビューが終わるとカメラを 工具に持ち替え友人の元へ向かい ます老子をためそうそうそう水は来とるの にえその不気味な漏れがあるのを止め たい工具でコンクリートを掘り進めること およそ30 分老朽している箇所を突き止めまし た彼はこういうことになるとアドレナリン がバーっと出てやらなきゃっていうそう いう人なん でお願いして ますお礼はカップのそばとたけのこご飯 でし たうんうめえ な復旧に向け自分ができる作業の幅を広げ たいと四角の取得も進めていますこの日は ガス溶接の実に取り組んでいました 小田原さんのえこれからの人生と仕事 うまくいきますように祈っており ます無事合格することができまし たガス溶接以外にも今ではクレーンの運転 高い場所での作業なども行うことができ ますどれも復旧に必要な資格取得にかかっ た費用はバイク仲間が支援してくれました ちゃんとあの資格は全部揃えましょうと 揃えてみんながその様々な要求してくる 場面に対応しようって決めたんです ね時間が止まったままのように見える 焼け跡倒れて手つかずの 住宅復旧の前提となる撤去解体は長期戦 です いや これ山のがガチガチに やら小田原さんの父つ さん記憶力などの認知機能が低下し白の 介護施設を利用してい ます和島市の自宅へ一時帰宅していました が施設に戻ることになりました さんが車で送り迎えをしてい ますよかった帰ってこうかと思って心配し たじゃないです か家族のこと故郷の ことそして復旧の力になりたい自分の 思いどれも大切でカメラマンとしての活動 は少しずつ制限されてい ます誰人それ攻めなかっ た僕 の仲間 の何1つ言ってこなかっ たありがたいよ ねだからこれからいっぱい取材しなきゃと 思って思ってる しこのの日は地震で壊れた仏壇や物などを 供用するお炊き上げの取材 です燃えそうなった言いますから大丈夫 です燃えそうになったら言いますちゃ ちょっと燃えてますわてちゃますから 大丈夫です袖の辺りがあっ て住職よろしくお願いしますはいはいどう もあの今日のまお炊き上げなんですがま どういった気持ちで今日はあのまどういっ たというかあの地震でえ話を聞き撮影し 現行を書くえ各家にある小さなイベントで も大きな事件でも被災地で も私たちのやることは変わりませ ん友人の自宅に倒れかかっていた隣の建物 を取り壊すことになりまし た1つ1つの積み重ねで被災者は前に進ん でいきます いやでもどんですっきりです うん嬉しいこれ絶対やできんし ね報道人として無力だから始めたわけじゃ ないんですその上積みをしたかったんです よその取ること以外にももっとお手伝い できることがあるんじゃない かそれを全て積み上げていきたいもっと もっと復を加速していきたいっていう 気持ちでいろんなことを始めてる 取材者としてそして災者とし てこれからもふまを見つめ続け ますみが笑顔になると俺も笑顔になるだ からやるん

能登半島地震の発生から4カ月以上が経ちました。私たち北陸朝日放送の中にも被災地で暮らし、心に傷を負った仲間がいます。
取材者として、被災者として…今どんな思いで古里・輪島市を見つめているのでしょうか。

3 Comments

  1. 例えば、50年後に人口が8000万人に成った、すべての日本人共通の問題として考えてみたら新しいアイデアが出てくるかも知れません。

  2. 気性が荒いお方なのでしょうか?もう少し言葉使いに気をつけてつけたほうがって思う( ちきしょう) って嫌ですねー

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