【5月19日】「語ること」使徒行伝 2章 1節~13節 後藤 聡 牧師(今津教会)【近江野田会堂】ペンテコステ礼拝

本日は語ることと対して今津協会五藤哲牧 よりお話を聞き ますえ皆さんこんにちはこんにちは今協会 の五藤と申しますえ今からここまでは結構 距離があってあの161号線っていうのは 土曜日日曜日は特に あのの人とかあのバイクとか自転車 あるいは車で もう通りその美大橋に至るぐらいまで つまり真のありまでもうめちゃくちゃコ ですねえで今協会の協会員の人たちもどの ぐらいでくかわからんなとか言いながら あのまあなるべく早く行った方がいいって いうんでまあのそれでも30分ぐらい前に がつきました ええあの今津教会とあるいは私とこの大田 教会っていうますかえ街道とどういう関係 があるのかなという風に思っていたんです けれどもあそこにあの大江大社のえ琵琶を 真ん中にした地図がありますあそこで今津 はあの今会館って書い書てあるんですえ 野田は野田会館って書いてあってつまりは 教会は教会なんですけれどもあの元々でき た経緯があの礼拝道ってか教会を最初から 立てようというのではなくてまここに いろんな人たちが集まることを目的として 文字通り会館としてできたとそれはこう今 ずもこの野田も共通しているところですま 今教会で申し上げますと労働運動農民運動 女性運動のまあ1つの場所として え使われましたえちょうど今ぐらいの時期 ですけどもノハ託児書という形で子供たち を預かってえそれでえまそれが保育園幼稚 園になっていくという今でも人数は少ない んですけども小さな園をやっているところ ですし えまそういう役割を果たしてるなという風 に思っていますでもう1つもう2つぐらい なんですけども え私たちの教会に杉本哲子さんという方が おられますけどもご存じな方おられるん でしょうか浦谷ファミリーの一員ですね 浦谷正さんが浅ギさんという大水協会の 人と結婚をして大溝というところであの JRの高島駅の近ですけどもそこでえご 結婚ここから結婚されて行かれたとでその 浅さん浅ギさんの息子が今津教会を長く僕 されたえ 浅で その妹さんになるのが杉本さんですえ杉本 ファミリーは今教会にとってもとっても 大事な人なんですけども人数の少ない今津 教会でもま大体えご夫婦と息子なも50代 60代なんですけども息子さん3人が来て えいつも礼拝に参加してくれています えで今日野行くって言ったらあのもう にもうめったにてかほとんど来ないんだ けれどもまとにかくあのルーツはここだと いうことで え後頭が行くというので楽しみにしてくれ ていましたでもう1つあの私は今津教会に ちょうど今3年目まだ2年終わった ばっかりなんですけどもそれ以前は大阪の 豊中というとこにある外科協会という協会 に不妊をしていましたでバカ協会 の文天井の友の名簿には田中角太郎さんと 虎さんのお名前があります えここのご出身だそうですけども私あの いい加減に今あのバカ協会に置いたまんま になってるんですけどもその田中格太郎殿 にまここから茨 の地に行かれたことの経緯が多分書いて あるんだろうと思いますけども私はあの その辺のところはちゃんと読んでなかった んですけども今バカ次第というのがあ茨城 の山にありますけどもその山1つを田中 35夫妻はま元々家重園だったらしいん ですけどもバカ女代移転の時に山1つご 偽造されたというんでで え大花協会の天井の共の名簿の中にも田中 さんご妻の名前がちゃんと来されているの でこれはあの大いに関係があるということ で今日はちゃんあのそのつもりでええ来た という次第でなり ますさて えあの今津協会では新教薬書を使ってるん ですけれども あの久しにえ候補薬清掃でえ読みました で首行伝首健行録というのは必ずしもこう いわゆるどこそこ教会の記録という歴史と いうわけではなくてあんまりこう厳密な 意味でのドキュメンタリーというわけでは ありません えそれなりの意図があってえ伝えたい思い があってま物語を固めていくという もちろん後半はパウロさんの選挙活動に なっていくわけですけども初期の教会が どんな風にしてできたんだろうかという ところをま描いているわけであります えペンテコステのことをご純殺というのは 皆さんよくご存知のことでありますけども ご順というのは順ですから 中旬下旬ですのでま順っていうのは10 っていう意味です ねごですから50何から50かっていうと 杉越しの祭りから50日50番目つまり週 イエスが捕獲されて十字架につけられて 復活してまちょうど お50日まこれも厳密に言うとえ旧約の 表現では7周7周ですねだから7く7で 779で翌日っていうことで言うと ちょうど5050番目のという意味になる わけですまもちろんこれはギリシャ語で ありますけども元々旧約の お行事と言いますかお祭りとしてなされて いたものでありますちょうどこの辺でも あの今日来る時に麦が色づいてまもう ちょっとすると麦の借り入れということに なりますけれどもま麦は全世界大体こんな 時期にこうま南半球では違うでしょう けれども大体この時期に収穫しますのでま 収穫したらもう良かったよかったの収穫 感染ということになるわけであり ますさておさんたちのことを少し考え なければなりませんイエス様十字架につけ られてもう悲しみでいっぱいのおデさん たちとはいえあのペテロさんでさえ鶏が 泣く前3度あな人知らていう風に言ったん ですから大体まあの心が動揺していたん だろうという風に思いますで えで3日の後に復活しましたからこれは もう万万罪ようやくこれで自分たちが 信じるものが確かなものであることがま 確信できたわけでありますけれども お40日経った時 に復活されて40日経った時にイエス様は 天に登られてしまったと 行の一生にはそういう風に書いてあります 40日目に天に登ってっちゃっ上がって でそうすると せっかく自分たちのためにいつまでも一緒 にいてくれると思ったイエス様が天に登っ てこの目で見ることができなくなって しまういつも語ってくれたりま時に怒られ たりするそういう関係がなくなってしまう ということでまおデスさんたちちょっと また心に動揺をきたしますえ今日読んで いただいた聖書箇所の前1章2章行年の1 章2章読んでいただきますとそのおじさん たちの心情が伺い知れるところがあります どういうことかと申しますと彼らまあの首 首行伝ではえ大体120人ぐらいいたって いう風に言われています12でしたてじゃ なくて他にも大勢の人たちがいだそうで あり ますところがその120人の人たちが何を どどこで何をしていたかって言いますとえ 聖書の言葉によりますと家の上の部屋家の 上の部屋っていうわけですから屋根裏部屋 か屋上か分かりませんけどもそんなところ にいて自分たちだけでお祈していたでここ が1つのみそですねえつまりせっかく イエス様が神様のことや神の国について 語ったあるいは不思議な技をなさっただ けれどもそしてあの十字架につけられ蘇 られたで40日間一緒に職場したりまた 教えられたりし た心ウキウキワクワクしながらずっといて くれると思ったらいなくなっちゃった天に 登ったこれは もう先ほど来から申し上げてるようにお弟 さんたちにとっては本当に心を揺さぶら れるような困惑不安これはまあ私たち人間 もそっちそういうことがあるわけですけど も不安いっぱい感じていただからそういう 時には自分のことしかあんまり考えること ができません 本当は隣人を愛せよって言われてるのに隣 の人なんかちょっとま置いといてまもっと きつい言葉で言えば関係なしに自分がこれ からどうやって生きたらいいんだろうか 思って しまう中にはガリレアに帰って漁師戻った 方がいいんじゃないかていう人もいたし いやませっかくイエス様の教えを 自分のものにしていこうとしてるんだから 自分の生き方でこうイエス様のことをこう 証ししたいと思った人もいたかもしれませ んま漁師さんたちあるいはガリレアのま エルサレムから見たら田舎の人たちです からそんなに語り口がうまいというわけで は多分なかったんでしょうだから人に人々 にイエス様のことを伝えていこうっていう 中 できなかっただから自分たちだけでお祈り をしていた自分たちがなんとか安心立命 平安を得たらいいなという風に思っていた その時に精霊降臨の出来事が起こったと いうのでありますなかなか面白いですね 聖書はこんな風に先ほど読んでいただいた ところ表現されていました突然風が吹いて くるような音が天から聞こえるこの体風が 吹くとか雷が鳴るとか雲が出てきたっての 大体あのいやもちろんあの天気気象で言え ばあの別なこ説明ですけれども聖書の中で 雷とか雲とか風とかってのはこれ神様が 登場するサインです神様いよ来ますよ現れ ますよという印であります ビューという風の音あるいはもっとでしか 台風などの お風の声が聞こえ た家中に響いたっていうんですからまあ 当時窓ガラスはなかったんでしょうけども ガタガタするっていうことはまおそらくは そういうことだったんだろうと思います そこに炎のような下がと表現されています 炎っていうのはまロソの炎でも焚き火焚き の炎でも構いませんま燃えてるというわけ です下はまベロですねあの下ベロとかもう ちょっといい表現ないのかなと思います けどもまえ昔からこ炎のような下ベロと いう風に言うわけですが これがまだこの時点では分かりません けれども別れれに現れるお1人お1人の頭 の上にです ね燃えてる下が頭の上にあるももちろんま 本当にそういう出来事があったかどうか 先ほどあのドキュメントかどうかってのは 分からんていう風に申し上げました私もえ 火の玉ありうまいしほで下が燃えて頭の上 にこうチラチラしているってのはちょっと 想像しにくいんですけれどもでもこれはま 何かを意味しているだけであります炎です から熱燃えたかっている激しいそう いうものの象徴として炎というものがあり ます下この下はもちろん語るための語る ために必要なものですあの今時そんな残虐 なことはしないでしょうけどもあのエマ 触って下引っこ抜くて言いますよねでその 下引っこ抜いたら喋らなくなるでしょう 当然えどういうことかと考えるとその人私 は私今今日皆さんと初めてお会いをしてま 後頭で今ず教会の後頭ですと語っている私 の存在を示すのは私は今日言葉で皆さんに お話をして いる存在を表すのが言葉だとすれば下と いうのは言葉を表している炎のような熱情 的な 言葉が皆さんを1人お1人120人のお さんたち 1人1人の頭の上にこう今あるでしかも 1人1人の上にとまったっていうん です最初に一同が1つになって集まって いると いう全体ということと1人1人っていう ところこれがまあ大切なところであります 教会を後で考えたいと思うんですけども 教会も全体では1つ妖怪地教会あるいは 大野田教会今津教会なんとか教会そういう 1つ のま集まりを表していますしかしそこに 集まってくるお1人お1人は文字通りお 1人お1人違う人間でありますここが とっても大事なところです妖怪地協会も 私たちの今津協会でも子供たちの施設を今 作ってい ます1つの塊りであるという思いもあり ますけども1人1人を丁寧に見ていく 私たちの今津協会の今津幼稚園はあの数年 前ちょっとゴタゴタがあって今とっても 人数少ないんですけれどもそれでもあの 教会がやってる幼稚園だからといってあの 結構からまむしろ今ずの町から来る子供 よりも周辺の子供たちま3月までは大津 からも3人ぐらい来ていましたまそれだけ 評価していただいていったのかと思って あのありがたい思いですこのもあの お母さんが訪ねてきてくれましたけれども あの人数少ない幼稚園ででもそうやって来 てくれるっていうのは何よりなんですけど 今人幼稚園としては1つ の塊けれどもそこに集まってくるほんの 10数命なんですけどもそれは1人1人 みんな違う個性を持って来ているだから 毎日あの私岩津協会に久しぶりに幼稚園 保育園の子供たちの迎い合い方をしてそれ までの先ほど言ったバカ協会は幼稚園保育 ないものですから久々に子供たちと 向かい合いましたそれ以前は保育園だっ たり児童擁護施設の延長やったりえ いろんなことをやってきたんですけども そういえば予行の先生なんてのをやった 記憶がありますけどもういろんな仕事をし てきま子供たちと向かい合う仕事をしてき ました今考えるとこの腹いっぱい人からげ で考えるっていこともあったんですけれど もでもやっぱり1人1人を大事にしたいっ ていう思いの中で えで この炎のような下が別れ別れに現れ 1人1人の上にとまったでそうすると一同 は精霊に満たされ た面白いでしょつまり全体一同で集まった 120人ぐらい集まってるんだで120人 だからAさんBさんま12ぐらいは分かる まだこの時点ではえあえ精霊法人の時には もう12人ユダの代わりにマティア マッティアがあたり9時であたって12番 目の席をいただきましたけども残念ながら それ以外の人たちの名前がま来されてはい ません想像することは何人かの人たちは 前後に名前が出てくる人たちもいますとは いえ 全体に集まって1つになって集まっていた そこに精霊が現れて1人1人を 生かすで 結果その一動が生霊に満たされるなかなか 面白い考え方だと思いますで聖書はなお こういう風に言います え公約聖書ですと御玉が語らせるままにと 書かれてい ますおさんたち120人は自分たちだけで 固まってまそんなこと書いてないんです けどもガタガタ震えながらお祈りしてたん ですだっていつその屋根裏部屋にやって くるかわから んそれでおさんたちはガタガタ震えながら お祈りしたと自分の信仰を守ろうとしてい たところがその精霊を受けることによっ て通り見たが語らせる まま つまりペトロさであれ誰であれま例えば今 私が喋ってるわけですけども私は私の意図 で喋っ てる川上新牧は川官新牧として語ってる と思います がその背後には霊が語らせてるん ですという受け止め方なんです霊がだから 五藤が勝手に喋ってんじゃな川上親睦者が 勝手に喋ってるんではなくて 霊がつまり神様が五頭の体と声と口を持っ て語らせているここが精霊 の出来事であり ます他国の言葉で語りだしたこれいつも 中学時代とか高校時代にこの箇所読むと今 の時代にもそうしてくれたら私英語の テスト作戦取れたのになと思いますしま もうちょっと大きくなっていろんな国の 言葉をちょっとかじったりなんかしますと ま聖書ギリシャ語で読もうとかヘブライ語 で読もうまヘブライ語は最後までうんあの 満足には行きませんでしたけどまあ ギリシャ号で聖書を読めたら嬉しいよなと 思ってそんな語学力はないんですけどもで 喋り出すま私が語りたいことまそこが らしいところで神様が語らせてるっては 言ってるのにでも私は私の糸で喋って るっていう思いがあるこのいやらしい ところがあるわけです でどうも物音を聞い て大勢の人たちが集まってきましたで わざわざこんな言葉で書いてますパルテア メジアンエラム人メソポタミアユダヤ カッパドキアポントアジア フルギヤキカザル [音楽] 散らされたユダヤ人はお祭りのたびに巡礼 を兼ねてエルサレムにやってきますです からま今東京外国人観光客がいっぱいだた 京都もいっぱいだというわけです がまいろんな国の人たちがやってきます もう こないだ京都の私が言ってたわけじゃない んですけどもたまたますれ違っては国旗 ある国の国旗がを持って何人かの人たちが 歩いてましたけどもミャンマーの国旗です ねビルマ旧ビルマの国旗を掲げていました ミャンマーあたりでから日本に韓国にやっ てくる時代になったのかと思いまし たでもちろんミマ語なんかは分かりません 英語だってわかんないドイツ語だって わかんないんですけどもそういう言葉が たらいいなと思います公約聖書では私たち の 国語という風に記されています国語って 言うとあの日本の国は日本の日本語だって いう感じがあるかもしれませんでもあのま 様々な言語言葉という風なふに受け取っ たらいいんだろうと思います どうせオデさんたちがガリア人がそんな 言葉が喋れたのか分かりませんいや神様の 出来事ですからなんかあったのかもしれ ませんけどもそれをあれやこれや合理的に 解釈しようと思ってもそれはちょっと無理 かもしれませんけれどもですねヒントの 言葉はいくつかのこの聖書の言葉の中に出 てまいります 神の大きな働きを述べているっていうん です神の働きの神の大きな働きこれは あの信教の学では神の偉大な技を語って いるという風に言い ます神の偉大の偉大な技神の大きな働きは 必ずしもそれぞれの国の言葉でなければ 通じないかって言ったらもしかするとそう じゃないんじゃないかと思い ますこの教会ま今津教会もそうですがボリ さんは日本語ペラペラでアメリカから大宮 八幡にやってきたわけではあります 前色々と英語を語りながらそれを 聞き取ろうとする人たちがいたから会話が 成立していっ たここはとっても大事なことです私たちが 何かを伝えようという時に一生懸命語るで それはその人の国の言葉でなければ通じな いっていうところももちろんあるだけれど もでも一生懸命訴え神様ってこういう方な んだ神の国とはこういうことなのだイエス 様てこういうことれたんだこういうことを 語ったんだ一生懸命 語るそれは身振り手振りかも知らないし あるいは片言の単語の切れ端かも知れませ んここがとっても大事なところ ですそんなことつても通じないだろうと 思ってしまったらもう言葉はありえません あるいは伝え 語るということもありえないのですでも 一生懸命神様のこと伝えたいんだ私は私は イエス様と出会ってこんなことが起こって もうイエス様に従うしかないんだと思った 彼らが一生懸命言は通じないんだけれども 語ろうとして いく私たちもあの幼稚園保育園の子供たち にま何かを伝えようと思いますま精霊降臨 川上先生のところは精霊降臨なんかよの ことを子供たちに話しますかしますよあ すごい教会の誕生日イエス様イエス様の ことや神様のことイエス様や神様が何を 求めているの か一生懸命語ろうとしますでも難しいこと 聖書の解釈だとか進学的分析なんかは必要 ない ですみんなで仲良くしよう よ泣こいないようにしたいな喧嘩しない ようにしようねもう伝えたいのはみんな 仲良くして ほしいと思うんですでもちろん精霊降臨の 出来事やあるいは十字架復活イエス様の 誕生語っていくことはいっぱいありますで もキリスト教よく知らないあるいは初めて 聞いたこの教会あるいはこの幼稚園に来て 初めてという 人お母さんお父さんの中にもこんなの知り ませんてうちは大体なんとかしですとかて いう人いますけれどもそういう人にもでも 聖書ってこんなこと言ってるんだよみんな で読んででそのことを伝えたいなという風 に思ってい ますその伝えるあるいはそのために語る あるいは語ら せる霊が語らせるままに見たが語らせる まま に意図的に何か計算してこういう喋り方を したらこういう反応があるだろう子供たち を相手にするとちょっといやらしいそう いう思いがないわけではありませんここを ちょっと笑わせようかとかですねここ ちょっとええと思わせたりするそんなん じゃ神様の見にまくて私たちが伝えたい ことを一生懸命子供たちに 伝える子供たち はもう時には突しもないことしたりします でもそれを受け入れ て受け入れながらでもねやっぱりみんな 仲良くしようよ誰かがそれで痛いとか泣い たりするの嫌よ嫌だよ ねまそんなことを語ったりなんかもいたし ます教会というのはそうやってできたん だろう思い ますこの大田協会は今津教会よりも古い 歴史を持っていますえ114年目になるん でしょうかえその歴史を数えています今津 協会は102年目でありますけれど も100年 前あんな今のでキリスト教の木のが通じた んだろうかいやそもそもま今今津教会も 古い建物残っているま あの8割型残してるんですけどもだいぶ 改装しましたけども当時 のおそらくは近所の大工さんたちが職人 さんたちがこんな窓あるいはこう いう建物を建てようと多分亡さんから図面 を見せられてこれどうやってつくんだろう か通じない言葉を通なんとかやり取りし ながらこう語っていったんだろうと教会と いうのはそういうことなんです よペンテコステの出来事は教会の誕生日だ と言われます教会ができたのは建物では ありませんあるいは牧師がいて信徒がいて というだけでははなりませんその場に人が 集まって語り合っていく受け止めていく それによって教会が成立しているのです第 3者から見たらあるいはこの教会に来る人 ではない周りの人たちから見れば自分たち の都合によってはいいこともあるかもしら ないけれどもそれでもなんだか言葉も通じ ないしようわからんなとあの人たちは 新しい武道士に寄ってそんな風に受け止め られたのかもしれませんそれは2000年 前でも100年前でも同じかもしれません 新しい先に寄っているのがとされる笑われ てしまう他の人たちはあってそうのして いるけれど も受け止める人たちがいるし語る人たちが いるそれによて教会は成立していくので あり ますペンテコステの出来事 は本当にどんなことがあったのか分かり ませんけれどもそれまでガタガタ震えてい てイエス様なんか知らないって言ったあの ペトロさん がもう自分の命をかけて伝えていこうとし ていくこれがやっぱりすごいなと思います 私たちはもう私の私たちはもしかすると ちょっとつかれたらもうやめとこうかなと 思ってしまうけれどもやっぱり語り続けて いくこの野田の街道が月に1回礼拝されて のとっても私たちはあの尊敬しています え岩津教会の近くにも大溝教会というのが あって先ほど申し上げた あ浅さんたちがいたところですけどもそこ も月に1回だけの礼拝それもあるかないか ちょっとその財務者の都合で えないこともある というまびっくりするような集まりなん ですけれどもそれでも街道の教会の看板は まだ下ろしてはいませ ん祝賀県あるいはこない先週京都教総会が あってどの教会も大変だなというなことを みんなで言っていましたけれど も神様によって立られた教会は 必ずその吹きが私たちに届いてで地域の人 たちにもここが街道があることを知らして いくその働きができたらいいなという風に 思っています今日同じ時間を過ごせたこと 感謝しますお祈りします様聖霊降臨日の日 え大田教会に集まる方々と一緒に聖書を 読みその時やしを考えることができまし た初のお弟子さんたち も辛い思いをしながらしかし語らずには おられないその存在を自分たちで明らかに し ながら初期の活動がなされたことをを 私たちはこの首都行伝から学ぶところで あり ます小さな滋賀県にある教会であります けれどもあなたのお許しによって立てられ そして今存在が許されていることを心から 感謝し ますいっぱいの願いと感謝があり ます全てをあなたが受け止めて ください私たちの導きである イエスキリストのを通してこの祈りを捧げ ますあ

日本キリスト教団 八日市教会 近江野田会堂
2024年5月19日 ペンテコステ礼拝式 午後2時30分~ 

▶チャプターリスト(目次)
00:00 タイトル
00:10 メッセージ
36:55 祈 祷

礼拝式順序 
前  奏 
頌  栄 「539」
主の祈り
交 読 文 「9」
讃 美 歌 「90」
聖  書 「使徒行伝 2章 1節~13節」
祈  祷
信仰告白 「使徒信条 566」
讃 美 歌 「234」
説  教  「語ること」 後藤 聡 牧師(今津教会)
祈  祷
讃 美 歌 「499」
聖 餐 式
讃 美 歌 「205」
献  金
感謝祈祷
頌  栄 「541」
祝  祷
後  奏 
報  告

毎月第3日曜日午後2時30分より。お気軽にお越しください。
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