鈴木 雷太 様【株式会社ライコン】

[音楽] [音楽] 株式会社ラコン代表取締り役鈴木来田です え出身地は愛知県岡崎市 です1つはメインはですねあのスポーツ 自転車のえ販売修理 ですねでもう1つはあのストレッチ部門っ ということでえパーソナルストレッチを やってるポジティブストレッチ松本店って いうのをやって ますえっと設立した時はもうあのそうです ね氷点を始めようていう風に思ってました ねうん元はね学生時代の時にも自転車競技 やってたんですけどそれやめてからまプロ を目すって形のところにあの食えなくて ですねあの名古屋にある日本1番大きな 自転車屋さんに就職をしてでそこで氷の 経験は3年間しっかり積んでるんですよね でま人間関係だとかも構築できましたしま あの自転車競技っっていうところでいまし たけど自転車業界の中にはいたのであの ずっとこう活動してく中でいろんな 知り合いもいて助けてくれる方もあの たくさんいたのででまで店っていうのを やってみようかなとまあの長野県の持っ てるこう自転車に対しての環境の良さ観光 資源の素晴らしさっていうのをやっぱ 生かしてこうまた発信してこうと思って やっぱイベントが1番あの効果が大きいの でまイベントをしっかりやらしてもらって ますねまそれはいろんな人のご縁がそれも あって助けていただいてま形に順番になっ てったって形なんですけどね うんあの当時戦士辞める時は実はねあのは もっと走りたいっていう気持ちはすごく 強かったんですよただあの競技として向上 していかなきゃいけないプとして向上して いかなきゃいけないところでもうできな いっていう答えになっちゃったんですよね だけど走り続けたいっていうのでライド コンティニューライコンあと鈴木ライタの 雷の魂でライコンっていうのから会社目 取って ますま自転車競技はあの中学生ぐらいの時 にテレビで見て憧れてまやってみたいって いうところが1番の原点ですねでま オリンピック選手になるまでにまいろんな あの天気っていうかありながらも1番 大きかったのは途中であの競技を種目を 転校してであのマウンテンバイクっていう 競技にあの入ってったことがま良かった ところかなうんオランダにあの合宿という かあの行ったんですよねあのホームステー ででその時に向こうのコチからですねあの マウンテンバイクのが向いてるからってい ことで進められてでそのまま転校したと いう1996年のアトランタオリンピック で正式種目になって僕が出たの2000年 のシドオリンピックなのでまだみんな全然 知らない時だと思いますねオリンピックは もう1回次のオリンピックアテネを目すっ ていうところであのやったんですけどま 代表にはなれなくてでまその後ま北京を目 すってことでまたあのやりやり直して結局 慣れそうもなくてでその1年前ですねに あの引退をしたっていう形ですねうん 松本来たのはま自転車乗りやすいからです ねうん元々はあの中学生の時に初めて愛知 県の岡崎市から自転車でこう走ってきて兄 が寝台の経済学部だったんでまそこを 目指して走ってきたんですけどすごいいい とこだなっていうのがものすごくこう頭の 中に残っててで競技をこうどんどん進め てくうちにまあの環境のいいところという ことで引っ越してきました30年ぐらい前 ですかねうんでまあのプロとして走る中で 次何しようかっていうのを考えてて選手 やめますっていうのを決めた時にま会社を 設立した形ですね うんコロナ前にですね出張でま東京とか 行くとすごいあのパーソナルストレッチ点 があのものすごい増えてるのに気がついて でまフラッと入ってみたらめちゃめちゃ体 の動きが良くなってですねで元はあの やっぱ選手でアスリートだったんであの トレーナーがついて毎週こうマッサージし てもらったりとかして体のコンディション を保ってたので体のこうな変化ですかねは すごくあの普通の人でおそらく敏感だと 思うんですよでそういった中で競技から 遠ざかってからほぼ体のメンテナンスして ない状況であのストレッチ点に入ったら すごい体が動くようになってあこれ めちゃめちゃいいなと思ってでちょうど そのタイミングでゴルフも始めてたので やっぱスイングがすごく良くなったりとか 飛ぶようになったりしててこれはちょっと 定期的に受けてあの続けてこうと思って たらコロナになっちゃって出張がなくなっ たんで全然受けれなくなってしあれよあれ よっていうままに体動かなくなってで ゴルフもうまくいかなかったり飛ばなく なったりとかして困ったなっていうのを 色々考えててでまたあのコロナの時に こっちのあのメインの方の自転車店の方が 色々難しくなってきてですねでまその前 からもう色々あるあの業界の問題って言う んですかね在庫を抱えなければいけないと か業界の課題があるんですけどそれじゃが ない新しいビジネスをしたいなっていう風 にずっと思っていてでま事業再構築って いうのが出てきたのでまその時に色々考え てですね体型的には真反対これと真反対の もの在庫がいらなくてそういったものない かなっていうことでまストレッチ点を始め まし たあのいっぱいあったんですけど1番さ 思い出深いのはま最初の自転車店始めて 最初の3年えっとお客さんが来すぎて しまっいきなりなので本当寝る暇がなくて 事業計画もま自分がこれくらい欲しいなっ ていう金額プラスアルファま仕入れの分と ま運転でこれくらいはいるだろうっていう 感覚で事業計画書書いてでそれでやったん ですけどもう大幅に上回るぐらい来て しまってで自転車をこうメンテナンスする 大きな箱に入って送られてくるんですけど それ一旦ばらして組み立ててでちゃんとし た状態でこだわって出し出してるんですよ ねでそれが意外と時間かかったりとかまあ 1台でも2台でもこう販売するとお客様が また遊びに来るところで悩みを持ってこ られるんですよねお尻が痛いとかなんか 肩こりすごくするとだそれを生かすために 店を始めたんです元々なのでそこをもケア しなきゃいけないしでま自転車なんで機械 なので壊れたりとか調子悪くなるんでそう いうメンテナンスもしなきゃいけないし そこの検査が全くできてなかったんですで やっぱりそういう中であの宿泊してやった 3年授業立ち上げてお客さん来なかったら どうしようっていう心配のがものすごく あったんですけど実際はそうじゃなくて どういう風にさばいていくかっていう ところがすごくあの苦労して今思い出深い ところですね はいストレッチは僕長野県においてまだ 全然ないですしすごく時代のニーズにも あってたりとか今後まだまだ伸び るっていう風に判断してるんですよねで そういった中でストレッチの方をあの 伸ばしてきたいなっていう風に思ってて今 あれこれ模索してるって言ったらいいのか なあの宿泊しながらやってますていうのは あの自転車の方は日本で1番大きな自転車 店で若い時に働いた経験があったりとかま 自転車業界でずっと育ってきてるので何か あってもこうすればいいってのが明確な 答えがすぐポンポンと出てくるんですけど 新規事業のストレッチの方はなかなかそう いうわけにいかなくて違う分野にあの足を 踏み入れたところで今ちょっと手入れをし てるっていうか苦戦してるっていうのが 正直なとこですだけどまそれも結構面白く てまあれをすればお客さんにとっていいん じゃないかとかお客さん実際求めてるのは 僕らが考えてることと全然違うことなん じゃないかとかまそういったところを今 一生懸命やってるとこですね 本音でいっちゃうとあの本当これ選手へ 辞めてから仕事って稼ぐなりなりわいって 言うんですかね稼ぐことっていうのがあっ たと思うんですけど今思うそういう 投げかけされて思うのは仕事って人の役に 立つことかなっていう風に思いますね うん会社はま第2の家ま第1の家は本当の 家庭になると思うんで第2の家かなと思い ますね あのやめたいとは思うことはま正直あ るっちゃあるけど実際に本気で思うかっ たらそんなこと全然なくてやっぱりこれが なくなっちゃうと社会との接点もなくなっ てしまうしやっぱりあの自転車で育ってき て育ててもらってきたんでやっぱりその 社会に貢献する恩返しするっていうこと 考えると自転車しかないと思うんでまこれ がなくなるってことは考えられないですね うん まさっきあの第2の家庭じゃないですけど 話出たんですけどやっぱりその社長と従業 員っていう雇用形態ではあると思うんです けどまどっちかちゅうと僕あのゆるゆるな んでその辺はまファミリーじゃないです けどそういう風には考えてますね うんやっぱまずストレッチの方は長野県 含めてですね5店舗をまずやりたいないう 風に思ってますねうんやっぱりその他店舗 展開ある意味ま自転車部門があって ストレッチ部門まこれも見方によって他 店舗なんですね初めての第一歩でさっき ちょっと話の中で出て難しくて苦戦して るっていう部分もあるんですけどこれ 乗り越えたらポンポンっていくんじゃない かなっていう風に思っててま長野市だっ たりとか松本の長野で考えればま前も ちょっと夕方見に行ったんですけど長野 駅前の人の数圧倒的に違うのでいやいや俺 やっぱ長野で出せば良かったなと思ったと がしながらなのででそれいうま失敗を やっぱ成功にしなきゃいけないんでこの まま終わっちゃうと失敗のままになっ ちゃうしあと長野県にまだないんで商品と してはパーソナルストレッチの商品として やっぱいいなっていうのを毎回自分で 受けるたびに思ってるんですよねこれを どうやってマーケットに落とし込んでく かっていうのがすごく今の課題ででも やっぱ東京大阪名古屋見てくとものすごい 店舗なんですよねこの間もちょうど名古屋 に出張で行ってたまたまお店があったので 見に行ったらやっぱりベッドだけで12 ベッドかなあって14人15人ぐらいで フルでやってるんですよねで空いてます かって聞いたら4時ぐらいまで空いてない とかって言ってたんでやっぱ需要は絶対 あるんですよだその掘り起こしをどういう 風にしてくかでやっぱりあの僕もそうなん ですけどファンになるってか受けると やっぱすごくいいなっていう風に本当に 思ってるんでそれをどうやってこうお客様 に繋いでってお客様のためにためにしてく かうんそこがすごく面白いとこかなうん なんでそれができればご店舗は パンパンパンと行くだろうと思って ますやりたいことをやるまこれがまず1番 最初にあるかなやっぱりあの就職活動で あのたくさんの方面接されさせてもらって 思うことはやっぱりあの僕も20前後で 就職する時条件ってすごく重要でやっぱ それも一生懸命見してたけどやっぱりあの 条件ももちろん大事ですけどやりたいこと が見つかってる人のがあのま会社の仕事中 でもそうですしまあのプライベートでそう だと思うんですけど困難にたあのぶつかっ た時に絶対強いですよねでやっぱあの1日 24時間しかなくて1日8時間会社にいる としたら寝る時間引いたらまほぼほぼ会社 にいるわけじゃないですかもちろん条件が いいところで我慢してやるっていう選択肢 も大事だと思うんですけどあのやりたい ことが見つかった見つかった状態でその 会社に入る状況だとあの全然その後の年を 重ねた時の生活が変わってくると思うん ですよ考え方も含めてなのであの好きな ことを見つけて好きな仕事をするっていの はすごく伝えたいことの1つかなという風 に思い ますJA

株式会社ライコン
代表取締役 鈴木 雷太 様

創業:2007年
資本金500万
従業員数:6名

◆事業内容
スポーツバイシクルショップ「BIKE RANCH」の運営
ライドイベントの企画・運営

・ポジティブストレッチ松本店の運営
愛知県を中心に店舗展開する「otias(オティアス)」(名古屋市)とフランチャイズ契約を結んで開業した長野県内1号店。ライコンは長野市や甲府市などへの出店も計画しており、今後県内外5店舗に拡大させる方針

◆鈴木 雷太 様 経歴
プロマウンテンバイク選手(1996年~2007年)
シドニー五輪日本代表(2000年)
アジア選手権優勝(1999年)
全日本選手権優勝(2002年、2005年)
2008年 BIKE RANCHオープン
2009年 AACR プロデューサー兼実行委員長就任
2012年 ロンドン五輪マウンテンバイク日本代表コーチ
2016年 リオ五輪マウンテンバイク日本代表監督
2020年 東京五輪マウンテンバイク日本代表監督

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