【廃墟駅】廃線の末端にある廃墟化した駅を見に行きました

田園地帯に残るその距離20kmを超える 大規模配線機動車が走っていた飛電化路線 にはなぜか電車の姿運営会社も電鉄を 名乗っていました一体なぜなのかそして 途中素晴らしい保存施設があったと思えば 中部には廃墟化した駅が残っていました皆 さんこんにちは哲夫です今回は大規模配線 に残された廃墟化した駅を見に行き ましょうそれでは今回もよろしくお願いし ますということでまずやってきたのは宮城 県豊市にある東北本線の石越駅です今回の 探索はこの駅から始めましょうホームに いると高速で通過する貨物列車がやってき ましたさすがは首都県と東北を結ぶ大幹線 路線貨物列車の通過が頻繁に見られ ますしかし列車が去ってしまえばとても 静かなこの駅周囲から聞こえてくる音と いえば鳥のさ釣りくらいでしょうか この駅はのどかな無人駅ですがホームは 一面1線の短式ホームと1面2線の島式 ホームから成り立つとても立派なものです 左側の短式ホームが1番線島式ホームが2 番3番線 です島式ホームの盛岡方先端から1番線側 のホームの先を見ると気になるものがあり ました枯草の向こう側に何やら怪しげな 建造物のようなものが見えます よく見ると枯草の向こう側に石積のホーム のようなものがありますあれはホームの後 なんでしょうか近くに行って見てみ ましょうホーム場には駅長さんがお勧め する観光マップがありましたこの駅が すでに無人駅なのはさておきマップの右側 にある石越駅に注目ですそこにはマップ上 から意図的に消された栗原田鉄道の文字 その左下にも文字がれた後があり ます左下の消された文字には栗原電鉄石越 駅の文字がうっすらと浮かんでいます電鉄 という言葉は皆さんご存知の通り電気鉄道 を省略したものですしかしマップから消さ れた鉄道路線は電荷路線ではありません でした電荷路線ではないのになぜ電鉄を 名乗っていたのでしょう かそして今回探索するのがこの栗原電鉄や 栗原電鉄道とている路線ですこの路線は ここ石越駅と細倉マインパーク前駅を結ぶ およそ26kmの路線でしたが2007年 に惜しくも配線となっていますこの特徴的 な駅舎やそこから続く線路は今も残って いるんでしょう かJRの駅舎の目の前には小さな ロータリーがありますマップにあった特徴 的な駅舎はかつてこの辺りにあったよう ですが現在は綺麗に撤去されそのは全くと 言っていいほどありませんかつて駅舎が あった場所には栗原田園鉄道石越駅跡と 書かれた石碑が立てられています石碑の 上部には栗が3つ並んだ当時のロゴも刻ま れていますこの路線はクデの相性で地元の 方々に親しまれてきまし た鉄道路線廃止後はバス路線に転換され かつての鉄路をぶようにしてバスが運行さ れていますは平日を中心に運行され土日 祝日の運行本数は平日の半分ほどですゆえ にこの路線の乗客はほとんどが沿線の学生 といったところでしょうか駅舎の近くには 駐車場がありますがかつてはここに栗原 田園鉄道石越駅の線路とホームがありまし た左側の駐車場部分にホームが右側の道路 の部分が線路になっていて横断歩道の辺り に車止めがありましたホームは東端式の ような構造になっていて右側にもホームの ようなものがありました先ほどJRの ホームから見えた石積の建造物は栗原田園 鉄道のホームの移行と言っていいかと思い ます駅車や線路が綺麗に撤去されそのおか がほとんど残っていないように見えるこの 路線ですがこの先線路や設備は残っている んでしょうかかつてのホームセタ付近まで 行ってみるとなんとそこにはまだ線路が 残っました駐車場として綺麗に整備された 場所より先は当時のまま線路が残ってい ます線路は石越駅の先ですぐにカーブし 東北本線とは離れていきます線路がカーブ し始めている辺りの右側には空地があり ますがここにはかつて栗原電鉄とJRとの 間で貨車の受け渡しを行う樹樹線があり ましたつまりその昔は栗原電鉄とJRは 線路が繋がっていたわけ です線路はカーブした先一体どうなって いるんでしょうか今日はこの26kmほど 続く配線を探索し ましょう石越駅から500mほど歩き カーブの先にやってきました奥には高速で 駆け抜ける東北本線の貨物列車が見えます 栗原田園鉄道の線路はカーブの先にも しっかりと残っています栗原田園鉄道と いう名の通り線路は田園風景の中を一直線 に伸びています飛電か路線のため河川も なく空がとても開けていますこうしてみる と現役路線のようにも見えしばらく待って いればレトロな機動車がことこととやって きてもおかしくない雰囲気 ですしかし線路を近くで見てみるとかつて 踏切りだった場所は線路ごと踏切り設備が 撤去されておりこの先も線路は踏切りごと に途切れているようです石越駅から続く 線路はレールわさび枕木は腐り始めながら も今も107mmの線路幅を綺麗に維持し ながらかつての鉄路の姿をしっかりと残し ています右側には勾配表も残っています この路線は貨物輸送と旅客輸送を行う日本 の柱で経営が成り立っていました貨物輸送 は主に細倉鉱山から算出される亜鉛などの 輸送を行っていましたが細倉鉱山は 1987年に閉山の柱となっていた貨物 輸送も終了となりましたその後旅客輸送も 年々減少し2007年に路線廃止となり ました利用者数は1965年に記録した 最高値の1/10ほど厳しい経営状況で あったことが伺え ます現在は線路後のみが残りますが 2007年に路線が廃止されるまでは全 区間で河川や河川中が設置されていました しかしこの路線は非電荷路線で廃止を迎え ています非電荷路線で電荷設備とは一体 どういうことなんでしょうかその答えは 後ほど向かう施設で探ることにし ましょう線路際にはキロポストも残ってい ます石越駅から500mの距離を示すキロ ポストですさらに歩いて踏切り跡にやって きましたこちらにあった踏切は警報機と 遮断機が備わる第1種踏切でし た切りに関連する設備や道路上の線路も 綺麗に撤去されています廃止から20年 以上経っているためか道路上に線路が敷か れていた痕跡は全くありませ ん線路が途切れているところには先端部で 人が怪我をしないようにするためか保護剤 としてタイヤが設置されていますわざわざ これを設置しているということはこの先も しばらくは線路を撤去する予定がないと いうことでしょう かさらに線路沿いを辿ってきましたここに も踏切りがあったようですがさらにその先 には線路際に空地があり石が立っています ここは何かの跡でしょうかここも線路に 付随する踏切の設備は全て撤去されてい ますが思わぬところに踏切跡を見つけまし た踏切跡手前の道路上にはこの先に踏切が あることを知らせるための鉄道車両の イラストが書かれた看板があります踏切り 配しから20年以上経った今でもこういっ た看板が残っていることに驚きました車両 のイラストがe235系みたいでなんだか 時代を先取りしているところにも驚き ますそして線路の右側にある空地ですが かつてここには駅がありました秋に立つ 石碑には石越駅と同様に駅名が刻まれてい ますここには石越駅から見て最初の駅荒ま 駅がありまし た駅は一面一線の構造で駅員の配置はなく 小さな室のみをするとてもシンプルなもの でした路線廃止後駅は撤去されさになって いますこの先にも14の駅がありましたが 跡地はどうなっているんでしょうか探索を 続け ましょう次にやってきたのは剣道4号線を 横断する踏切り跡ですここまでは線路付近 の設備がほとんど撤去され比較的単調な 線路が続くこの路線でしたがこの先からは 少し変化が見られます 振り返って線路が続く方向を見るとこちら にはなんとしっかりとした車止めとその先 には駅舎のような小さな建物そして腕儀式 信号機と鉄道に関する設備が数多く設置さ れてい ます先ほど見えた腕儀式信号機の近くに やってきました信号機の近くには踏切り跡 もありますこれまで見てきたこの路線の 踏切り跡は全て線路が撤去されていました がこの踏切り跡には線路が残っています 一体なぜなんでしょうかこの腕儀式信号機 には分岐器の開通方向を予告する進路予告 器がついていますしかしこの先に分岐器は なく不自然な設置方法 です信号機自体は古いものかと思われます がそれを支える台座を見るとコンクリート が比較的新しくなっていますおそらくこの 信号機は路線廃止後比較的最近になって 移設されてきたものかと思われます踏切後 から石越駅方向を見ています改めて線路 周辺を見るとこちらにも最近設置されたと 思われる勾配表や速度制限標識があり ますさらにその奥には訓練の君と書かれた 停止位目標駅舎のような建物にも停止位 目標が設置されていますなんだかこの付近 の線路だけはより一層現役路線のようにも 見えますまさかここだけは今も車両が走っ ているんでしょうか調査を続け ましょうさらにもう1つ先の踏切り跡に やってきましたこの踏切り跡にも線路が 残っていますそしてこの踏み切れ跡からも まだ面白いものが見え ます踏切り後からこれから向かう細倉 マインパーク駅方向を見ていますこちらに は腕木式信号機だけではなくその奥には 多数の側線や車両までもが見えますこれは 面白くなってきました早速あの場所に行っ てみ ましょう腕儀式信号機の手前にはなんだか 手作り感のある上と書かれた信号観光一表 があります信号観光一表とはこの標識の 位置を元に運転士さがこの先にある信号の 観光を行うものです上は場内信号機の意味 腕木が上がり信号機は停止を現示している のでこの場合は場内停止と固し ますさらにもう1つ先の踏切りにやってき ましたレールは錆びていますが地されて いる車両はとても綺麗でやはり現役設備の ようにも見えます車止めの手前にはホーム のようなものもあり ます線路沿いを歩いていると正面には小 民家のような木造の建物が見えてきました ここが先ほど見えた多くの鉄道設備が残る 場所 ですここは石越駅から2つ目の若柳駅と いい1920年に完成した駅舎が保存され ています線路以外の設備があまり残ってい ないこの路線で現役当時の姿をありのまま に感じられる数少ない場所 です旧若柳駅は路線廃止後に鉄道公園や ミュージアムとして整備され駅舎やホーム はもちろんかつてこの路線で活躍していた 個性豊かな車両が保存されています公園内 には踏切りも設置されていますこの踏切り は当時からここにあったものではなく移設 されてきたもののようですがおそらく警報 機自体はこの路線のどこかで使われていた ものかと思われます計表に取り付けられた 4つの赤い警報等が警報機に個性を出して います駅舎やホームは無料解放され見学 することができます見学時間は10時から 16時まで毎週火曜日は休刊日なので要 注意 ですということで早速中に入りましょうお 邪魔します駅舎の中は補修などがされてい ますが完成当時からほとんど変わらない姿 で残されていますもちろん路線廃止までは 現役で使われていた駅舎です窓口は歴史 ある駅舎ならではの2箇所の窓口があり ます左側は荷物を預けるための少し低い 窓口右側は切符を買うための通常の窓口 です時刻表は廃止直前のものでしょうか 列車は概ね1時間に1本ほど運行されてい たようですおそらく2編成の車両が線内を ひたすら往復する運用になっていたのかと 思われ ます手書きの運賃表には各駅の駅名が並び ますかつてこの路線には全部で15の駅が あり終点の細倉マインパーク駅の近くには 細倉鉱山跡を活用した細倉マインパークと いうテーマパークがあります鉱山が閉山し 貨物列車の運行がなくなってからは学生を 中心とした地元客そしてマインパークへの 観光客の輸送ががメインになっていたのか と思われ ます中に入ることはできませんが駅事務室 の中も当時のものが数多く残っています 木星の机がなかなかいい味を出しています ねこちらには駅舎の図面や完成当時の駅舎 の写真が展示されています100年以上前 に完成した駅舎まだこういった資料が残っ ていることに驚きました歴史ある駅舎は どこを取っても貴重なものになり ます窓際には背もたれに広告の入った ベンチが置かれていますこれらはレトロな 演出ではなく当時から使われている本物の レトロです駅舎の中を一通り見学したので 今度はホームを見てみましょう配線とは いえ安全上線路に入ることはもちろん現金 ですしかし校内踏切を渡って向かい側の 島式ホームに行くことは可能 です校内踏切から駅全体の様子を見渡し ます向かって右側には先ほどまでいた駅舎 正面は石越駅方向左側には車両が3両保存 されていますかつては車両基地や本社も 併設されこの路線の中核となる駅でし たこの駅は1面1線の短式ホームと1面2 線の島式ホームから成り立ち上下列車の 交換が可能な駅でしたしかしよく見ると 右側の短式ホームと左側の島式ホームは ホームの高さがだいぶ違います一体なぜな んでしょうかその答えはまた後ほど 駅舎側のホームには駅事務室が少し晴れ だし駅長と書かれた案内湾がかかってい ますそして奥には腕儀式信号機を操作する 信号テコも設置されてい ます駅事務室が張り出した部分にはこの 路線のダイヤグラムとタブレット閉機 そしてタブレットを収納するカキャリアが 置かれていましたこの路線はここ若柳駅と 栗駒駅の間でタブレット閉塞方式が採用さ れそれ以外の区間ではスタフ閉塞方式が 採用されていまし た信号テコも大切に保存されています廃止 直前まで腕木式信号機が原駅だったこの 路線かつては駅長さんがこの信号手を操作 しやってくる列車に駅校内への侵入許可を 出していました2つ並ぶ信号テコのうち奥 の信号手は先ほど見た場内信号機とつがっ ていますホームの下からはテコから伸びる ワイヤーが出ておりこのワイヤーが場内 信号機まで繋がっていますワイヤーがピン と張っているのが今も信号機とテコが つがっている証拠ですちなみに手前側は 信号機が撤去されているためワイヤーが たんでい ます立派なホームや側線を持つこの駅です が末期はこの駅での列車交換はなくなって いたようですしかし車両基地を併設する この駅は最後まで運行のかめになっていた ことは間違いありませ んこうしてホームに佇んでいるといつか 列車が来て細倉マインパーク前駅まで 行けるのではないかと錯覚してしまうよう な雰囲気 です今度は反対側の島式ホームに行ってみ ましょう向こう側には3両の車両が保存さ れていますそしてこの3両の車両こそが この路線が非電荷路線にも関わらず栗原 電鉄と呼ばれていた謎を解く鍵になります 校内踏切を渡った先には車両への給油を 行うための給油機が設置されています かなり年期が入っておりこの路線が現役 時代に使われていたものと見て間違いあり ませんしかしこのすぐ近くにはこの給機に 煮つわしくない車両が止まってい ますそれがここに並ぶ3両の車両のうち 細倉方に保存されているこの1両ですこの 車両はかつてこの路線で活躍していた車両 ですが旧とは全く縁のない車両 ですこの車両は1950年代に製造された M15型です全面のデザインは当時の流行 であった正面に大型の窓が2枚配置される 湘南顔ですそして窓の下には当時のヘッド マークが取り付けられていますがヘッド マークに書かれた文字に注目 ですこのヘッドマークはこの車両が現役 当時も取り付けられていたものですヘッド マークの右下には栗原電鉄の文字が書かれ てい ます栗原電鉄の文字からも分かるように実 はこのM15型はこの路線で活躍していた 電車でしたゆえに当然ながら給油の必要は なく旧行とは無縁の車両でした肥電荷路線 で終わりを迎えたこの路線になぜ電車が そしてなぜ栗原電鉄という社名だったん でしょう か車内には当時のものと思われる広告が 貼られておりそこには平成3年の文字が ありました少なくとも1950年代から 1991年頃まではこの電車がこの路線で 活躍していたと見て間違いなさそうです そしてこのM15型の後ろに保存されて いる車両を見るとこちらにはレールバスと も呼ばれる小型の機動車が保存されてい ますとてもレトロな見た目をしているこの 車両はKD10型と形式がつけられた機動 車です当然ながらこの車両もこの路線で 活躍していたものです秘伝下路線なので 機動車が運行されていたのは当然のことと 言え ますしかし気になるのはこの機動車の製造 年です車両の名盤には昭和60年西暦 1985年に富士重行で製造されたことが 刻まれてい ます先ほどのM15型電車が少なくても 1991年までで活躍そしてこの機動車が 1985年からこの路線で活躍し始めたと 考えると1つの路線で機動車と電車が両方 運行されていた時期があったということな んでしょう かKD10型の後ろにはKD95型と形式 名がつけられた機動車が保存されてい ますKD95型は1994年に3両製造さ れこの路線が廃止になる直まで主力車両と して活躍していまし た上部にあるカンテラを持した前哨灯が 特徴的ですこの車両はかつて富士重行が 製造していたLEDDCシリーズと呼ば れるレールバスの発展型のような車両です 現在も非電荷の地方施設や第3セクターで 同じような車両を見ることができ ます車内には折り式の大型のテーブルが 設けられています貨物運行がなくなり経営 状況の厳しかったこの路線観光路線として 新たな一歩を踏み出そうとしていたの でしょう か非電荷路線として終わりを迎えたこの 路線はここに電車が保存されているように 実はかつては電荷路線でし たしかし鉱山の閉山から続く経営状況の 悪化に追い打ちをかけたのが電荷設備の 老朽化です栗原電鉄は車両を含めた変電書 などの電荷設備の更新時期に迫られてい ましたそこで取られた施策が電荷設備の 廃止つまり電荷路線から化路線への転換 です栗原電鉄は1950年から行われてき た電車による運転をなくし1995年に 45年間続いた電荷設備を廃止機動車に よる列車運行に切り替わり同時に社名も 栗原電鉄から栗原田園鉄道に変わりました これならクデの相性もそのまま使え ます電荷設備が廃止されたこの路線でした がその後も河川中へ一部の河川は撤去され ずに使われないまま残っていました経営難 が続いていた鉄道会社ゆえに撤去費用を 演出できなかったのかと思われますその ため非電荷路線にも関わらずまるで電荷 路線のような見た目で路線廃止を迎えまし たそして河川中が撤去されたのはなんと 2007年の路線廃止後のこと空が開けて いる飛電荷路線ならではの光景は実はこの 路線が廃止になってから見られるように なったものです現在は前線で地上の電荷 設備はほぼ撤去されていますがここ若柳駅 と実はあともう1箇所地上の電荷設備が 一部残っています一体どこにあるん でしょうか後で探し ましょうここにある3両の保存車両はこの 路線の1つの大きな節目を象徴する車両と も言えますM15型はこの路線で最後まで 運行されていた旅客用電車KD95型は 電荷設備の廃止に伴って新車で導入された 機動車 ですでは中間に保存されている1985年 製造のKD10型は一体どんな経歴を持つ 車両なんでしょうか実はこの車両この路線 に新車で導入されたわけではなく他の 鉄道会社から譲渡されてきた車両 ですKD10型はかつて名鉄の換算路線で 波10型として活躍していた車両ですこの 車両がこの路線にやってきたのは電荷廃止 と同時の1995年です製造から10年間 は名鉄で活躍しその後この路線にやってき ましたゆに電荷廃止前にこの車両がこの 路線で営業運行していた実績はなく1つの 路線で機動車と電車が両方運行されていた ということもありませ んKD10型は主に通学時間帯の混雑に 対応するために導入されましたがその通学 客も徐々に減少し末期は定期運行を持た ない車両になっていまし た車両が展示されている場所には車両を 保護するため新たに屋根が設けられてい ますがそれとは別にホーム上にはこの路線 が現役当時からある小さな屋根が残ってい ます 小さな屋根を支える支柱は黄色と黒の警戒 食に塗られており当時の雰囲気をあれの ままに残しています今度は駅舎側のホーム に保存されている小さな機関車や貨車を見 に行きましょう右奥には赤い機関車が見え てきました機関車の上部にはこちらも保存 のために大きな屋根が設けられてい ますこの場所には機関車が2両貨車が3両 モーターカーが1両保存されています 先頭の赤い機関車はED20型と形式名が つけられており小さい機関車ながら本線上 でも貨物列車の牽引を行っていまし たED20型の後ろに保存されている貨車 は本来の役目を終えた後は路線廃止の少し 前まで保線用車両として活躍していまし た2宿の無害社はと10型と形式名がけ られていますこの車両は1907年に製造 され鉄道省西武鉄道と渡りこの地で活躍し てきました事業用車両のためかこの車両に 記された栗原電鉄の文字が栗原田園鉄道に 書き換えられることは最後までなかった ようですさらに後ろに保存されているのは ワフ7型というブレーキをかけるための 装置がついた緩急車ですこちらも末期は 保線用として使われていたようですが かつてはお米の輸送に使われていたよう です小さな車両ですが真っ黒な車体は とても迫力があり ます改めて校内踏切のところにやってき ました踏切場から石越駅の方向を見ると なんとここには河川中が残っていますこれ こそがこの駅に残された電荷設備の はっきりとした痕跡です車両の保存のため に新たに設けられた屋根にわざわざ穴を 開けてまで河川中を残しているところを 見るとこの河川中は保存を目的に残されて いるのかと思われ ます線路以外の設備がほとんど撤去され この路線がかつて電荷路線だったという おかは現在はほとんど残っていません たった1つの河川中ですがこの路線の歴史 を語る上では欠かせないとても重要な存在 です残していただいていること維持して いただいてることに感謝いたし ますまるで現役のように様々な設備が残さ れたこの駅ですが残念ながらホームの先に は車止めがあり線路は途切れてい ます残った疑問としてこの駅のホームは なぜ左右でこんなに高さが違うのかについ てです実はこの駅駅舎側の低いホームは 少なくとも末期は旅客の上行用としては 使われていませんでしたではお客さんは どこで乗り降りしていたのでしょうか車両 が停車しお客さんの情報が行われていたの は細倉方にあったホームでしたよく見ると 車止めの手前ありでホームが揚げされてい ます現役時はフェンスの向こう側にある 道路もなく重されたホームがもう少し長く 続いていましたそして今見学した旧若柳駅 では駅の見学だけではなくレールバイクや 機動車への乗車運転体験も行われています 先ほど見た停止位目標や信号観1表は運転 体験で使われているものです運転体験では 実際に自分の手で車両を動かしこの停止位 目標に車両を止めますこの日は車両は動い ていませんが運転体験ではこのKD95型 を片道900m往復1.8km運転できる よう です実はこのKD95型は3両が新車で 導入されていましたがそのうちの2両は ここで同体保存されもう1両はこれから 向かう場所で生体保存されていますなんと 全部の車両が解体されずに残ってい ます同体保存はKD95型だけではなく こちらのKD10型も1両が同体保存に なっていますこちらは乗車会という形で 実際に動く車両に乗ることができるよう です路線が廃止になり一時は静まり返った この駅ですがその後このように再整備され 車両の多くが今も動く状態で保存されて いるのは本当に素晴らしい です駅の中でも十分に楽しめるこの場所 ですが実はもう1か所とても楽しい場所が 待っていますそれがこのクリデン ミュージアムという車両基地を活用した 屋内型の展示施設です旧若柳駅のすぐ近く にあるこの場所はかつて駅に併設されてい た栗原田園鉄道の車両基地です旧若柳駅に あった複数の側線はかつてはこの車両基地 につがっていました施設の一部は大正時代 から存在するとても古いものですが ミュージアムの解説に伴い綺麗に整備され ていますしかしここを見るとなんだか当時 の姿がぼんやりと浮かび上がってくるよう な気がします外から見ているだけでは もったいないです早速中に入ってみ ましょうミュージアムの中に入るとまずは 当時の各駅の駅名版が出迎えてくれます 当時の駅名版はもう2度と見ることができ ないと思っていましたがこうして今も全て 残っていることして展示されていることに 驚きました駅名版が展示されている通路を 抜けるとこの先は各研修庫の中を巡る順路 になっていますまずはこのKD10型が 保存されている研修庫にやってきまし た研修庫は耐震補強も施され綺麗に整備さ れていますが極力当時のものをそのままの 姿で残しているそう です整備されているとはいえやはりそこは 大正時代から使われてきた研修 中は工場独特の機械油の匂いが漂いかつて 現役設備であったことを改めて感じさせて くれますこちらには勝者同士が複数の ベルトでつがれているアナログな機械がと せまと並べられてい [音楽] ます研修庫の中に保存されているKD10 型はさすがは屋内保存というだけあり まるで新車のような姿で保存されますKD 10型はこの路線に2両在籍し1両は若柳 駅で同体保存もう1両がここで生体保存さ れてい ますこちらのKD10型は常時車内も解放 されておりミュージアムの営業時間内で あればいつでも見学できます名鉄ファンの 方にも見逃せない展示ですこの車両の細倉 方の運転台はシミュレーターとして活用さ れています映像はCGですが本物の運転台 を使用してかつての車窓を楽しみながら 運転ができますシミュレーターをプレイし てみたら結果はまさかのレジェンド級なん と途中駅で [音楽] [音楽] 0.0mhzこちらの建物には生体保存さ れているKD95型が展示されています3 両全て保存されているKD95型のうち2 両は旧若柳駅で同体保存され残りの1両は こちらに保存されてい ますこの車両も車内が公開されています こちらは座席がセミクロスシートになって おり観光需要も意識された車内になってい ますテーブルは先ほども見た通り折式の 大型のものが採用されていますこのくらい の大きさがあれば4人分の飲み物を置い たり軽い食事をすることもできそう です車内にある照明は鉄道車両にしては 珍しいものが採用されています特色を出し て少しでも多くの利用客を呼びたかったの でしょうかこの車両の導入に大きな機体が かかっていたことが随所に感じられ ますこちらは先ほど外からも見えたあの レトロな雰囲気が残る建物です中は当時の 運転車両家の方々が使用していた爪書に なってい ます詰所の中はあえて作られた展示という よりも当時のものがそのまま残されている という感じですあちこちにある刑事物は 鉄道ファンにとってはどこを取っても興味 深いことばかり書かれてい ますこちらには運転士の交番表があります 日付はこの路線の最終運行日の3月31日 その横には各運転士さんの名前が並びます ここでは最終運行日の様子をまるで昨日の ことかのように味わえ ます記念切符の発売を知らせる刑事物には 昭和58年の文字画名の錆具合から当時 からずっと掲示されているものかと思われ ますそれ以外にもまだゆっくりと見学し たい展示物がたくさんありますがなんと 言ってもこれから終点の細倉マインパーク 前駅まで行きたいので今回はが先を急ぎ ますクデミュージアムは本当に楽しめるの で皆さんも是非訪れてみてはいかが でしょうか線路はクリデンミュージアムの 先もまだまだ続いています線路はこの場所 で東北新幹線の高架下をくぐります画面 向かって左側が東京方面右側が新青森方面 ですさらに先を行くと線路が3本に分れた 場所にやってきましたこの場所もこの配線 後にしては珍しく踏切上に線路が残ってい ますどうやらこの踏切はかつて校内踏切 だったようです現在も地元の方々が横断さ れているようでし たこの場所は石越駅から6つ目の沢辺駅の 跡地ですこの駅は先ほど見た若柳駅と同じ ような線路配置になっていますかつて ホームは2つあり右側の本線上に短式 ホームが左側の2本の側線の真ん中に島 ホームがありました上下列車の交換も可能 な他おそらくかつては貨物列車と旅客列車 の同時交換も行われていたのではない でしょうか駅舎も若柳駅と同様の立派な ものがありましたが現在は撤去されてい ます島式ホームも撤去されていますが唯一 短式ホームだけは残ってい ますよく見るとホームは揚げされています 実はこの路線当初は軽便鉄道の線路幅を 採用して設されその後狂気に解された経緯 があります怪奇後は車両も大型化したため 傘された部分のホームは車両幅に合わせ 少し線路から離れて上積みされています ちなみに怪奇が行われる前は貨車の積にを 石越駅で国鉄の貨車に積み替え作業が必要 でしたしかし国鉄と同じ狂気に怪奇された ことにより両者の線路がつながり貨車ごと 両者の線路を生きできるようになり積作業 が必要なくなりまし た駅舎が撤去され駅としての姿はすっかり と失われてしまったようにも見えますが かつての駅前には今もタクシー会社や 小さな商店がありその雰囲気は今も しっかりと残ってい ますさらに進むと線路は田園地帯を抜け 市街地へと入ります奥の方では再び線路が 複数に分れています次はあの場所に向かい ましょう先ほど見えた線路が複数分岐して いる場所にやってきましたこちらは石越駅 から10個目の栗駒駅があった場所です この駅も1面1線の短式ホームと1面2線 の島式ホームから成り立ち上下列車の交換 が可能でしたここには過労して短式ホーム の跡が残っていますがかつてここには2階 建ての駅舎もありました竜地線も設けられ ていたこの駅は線路がより一層複雑に分岐 しています この場所も線路が分岐しているだけで駅が あった陰はほとんどありません今も残る駅 らしいものは校内踏切り跡に残る戦場 ブロックぐらいでしょうかポツンと残され た戦場ブロックになんだか寂しさを感じ ます駅前にはかつての駅舎の方向に向けて 設置された観光案内図がありますきっと この駅に降り立った乗客たちはまずはこの 案内図を見て目的地を確認ていたこと でしょう駅前には商店が立ち並んでいます 現在は近くに道の駅もあり鉄道がなくなっ た後もこの場所が中心地であることは 変わりないよう です旧栗原駅から少し進んだところに橋梁 がありました3狭川という川にかかる3 狭川橋梁です橋梁場にも綺麗な状態で線路 が残っておりいつ列車が来てもおかしく ない雰囲気ですこのには同じような規模の 強がもう1か所あり ます線路はここまで市街地や田園地帯など 平坦な地に敷かれていましたが途中から 登り勾配となり山の麓を通りますここでは 線路上に木が追いしげり線路が山の中を 通っていることがよくわかり ます振り返って線路が続く先を見ると線路 が2本に分れていますかつてこの場所が 旅客営業上の終点となっており細という 旅客駅が設けられていましたが線路はその 先にある細倉鉱山まで伸びていました そして鉱山廃止後ここにあった旅客駅は 移設されることとなりまし たかつてここにあった細倉駅はマイン パークへのアクセス向上のため1990年 にかつて鉱山へと伸びていた線路の一部を 活用し200mほど先のこちら側に移設さ れまし たそして移設されてできたのが細倉マイン パーク前駅ですこの駅はこの路線が廃止に なった後も保存目的の若柳駅を除いて唯一 駅舎へホームがそのままの姿で残ってい ます駅舎の前にはこの路線が現役当時から 保存されているED20型の姿もあり ますここは保存目的で残されているわけで はないので駅舎の中に入ることはできませ んしかし窓から中を覗くと当時の刑事物が そのまま残っているのが見えますこちらは NTTドコモとクデのコラボでしょうか 当時の携帯電話でクデの映像が見られた ようです左上のNTTドコモのロゴの デザインが1つ前のもので時代を感じ ます物静かな駅舎に近寄る人は誰1人とい ません春行から30年以上が経ち20年 近く放置された駅舎は老朽化も進み完全に 廃墟化しています若柳駅とと同様に時間が 止まったような雰囲気のあるこの駅しかし ここはなんだか少し寂しい時間の止まり方 をしているような気がし ます駅舎の裏手に回りホームがどうなって いるのか見てみましょう裏手には直接 ホームがあるわけではなくこの通路を通っ た先がホームになってい ますホームには立ち入り禁止の文字はあり ませんが今も誰かの所有地である可能性が ありますまた廃去可した建物に入るのは 危険が伴いますホームは外から見ることに しましょう駅舎から少し歩いたところに 道路上からホームが見えそうな場所があり ました失礼ながらここからちょっと中を 覗かせていただきますホーム場には現役 当時のものは残っているんでしょうか ホームは大きく荒れた様子もなく綺麗な 状態で原型を留めていますしかし夕方に なっても照明が止まらないホームはやはり 廃墟そのものとても寂しい雰囲気 です近くには小さな踏切り跡があったので ここからもう少しホームの様子を見てみ ましょう踏切りアトからホームを見ると 錆びた低地位目標が来ることのない列車を いつまでも待ち続けていますホーム上には 色合わせたベンチも残されてい ますこの配線は保存されている若柳駅以外 は駅舎やホームがほぼ撤去され残ってい ませんしかし終点のこの駅だけはなぜか駅 ホームが廃墟状態で残っていますどういっ た意図があるのか分かりませんがこの路線 のリアルな歴史を語る上では欠かせない 存在になっていることは間違いありませ ん補鉱山が平山となり貨物輸送という 大きな収入を失い先行きが不透明になる中 新たに見出されたのが鉱山跡地に解説され た細倉マインパークへの観光客の輸送細倉 駅の移設はこの路線が次のステージへ向け て歩み出した最初の一歩だったのではない でしょう か最後に駅舎の前に保存されているED 20型を見てみましょうこのED20型は 若柳駅に保存されているのと同型の車体 ですが実はこちらの車両はパンタグラフが 上がってい ます長年展示され続け色合わせた車体の 上部にはまるで現役の車両であるかのよう に程よく上がっパンタガラフの姿があり ます通常パンタガラフは線がなければ 大きく伸び切ってしまいますしかしこの パンタグラフは今お伝えした通り程よく 上がっていますなんとこのED20型の上 には河川が貼られていますしかし河川は 老朽化しており大きくたんでいます パンタグラフはそんなたんでしまった河川 を今もバネの力でしっかりと押し上げてい ますパンタグラフは車両に電気をを供給 するための大事な装置運行中は常に上昇し ていなければならないという使命があり ます車両が引退し長い時が経った今でも 上昇し続けるという使命を果たし続けて いるこのパンテガラフからはなんだか強い 生命力を感じますそしてこのよれよれに なった河川は電荷設備の廃止そして路線 廃止後もこの路線に唯一残ったただ1つの 貴重な河川ですこの路線がかつて路線で あったこと今もはっきりと証明しています 若柳駅でお伝えしたもう1つの電荷設備は ここにありまし たということで今回は栗原田園鉄道の配線 後の紹介でしたご視聴ありがとうござい ましたそれではまた [音楽] H [音楽]

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  1. ここには来ることはなかったのだけど、違う地域でタンク貨車に「細倉鉱山前駅常備」って廃止以降も書き換えられずに稼働していたのを見て感激した記憶。(その撮った路線も現在は会社解散の上一部区間残して廃止になった新潟臨海鉄道の太郎代駅)

  2. 世間が地下鉄サリンで騒いでる最中、電化廃止というので乗りに行きました。
    オリジナル車と福島交通からの譲渡車のみの運行でした。
    石越駅付近に元東武のED351が留置されてました。
    オリジナル車は車内放送装置がないので車掌が客室に出て生の声で案内し、終点では改札がないので
    停車するまでに速度を落とし車掌が乗車券を回収してました。
    走行音を収録した記念切符付きCDを買ったのはいい思い出です。

  3. 元・名鉄のキハ10形、5と6だと思うけど未だ遺ってたんだ😮名鉄に居る時に乗った事が有るけど、一軸車で乗り心地が良く無かったな😢

  4. 今から53年くらい前、小学校に入る前に乗った記憶があります。
    細倉駅まで。懐かしいです😀
    細倉駅、電車から降りた所に土手が見えたのをおぼろげに思い出しましたよ。ありがとうございます🙇

  5. 進路予告機や進路表示機というと、主体の信号機が停止現示のときは点灯しないと聞いたことがありますが、10:03 の進路予告機(進路表示機?)はテコ操作でオンオフが切り替わるのでしょうか?
    それとも主体の信号機の電源が入っていれば常時点灯なのでしょうか?

  6. 廃線と言っても整備が去れていると言う事は、何か意図が在りますね。
    廃線跡のレールを残す理由は、復活する際にスムーズに復活出来る様に残す場合とお金が無くて撤去出来無い場合の2つですが綺麗に整備が去れていると言う事は、お金が何処かから出ている。

    復活出来る様に何時でも出来る準備が廃線後レールの上に草木が生えていない以上は、出来ているが需要が見込め無いのでと言う可能性が需要が見込めるなら何処かが買い取り復活出来るだろうが需要が見込め無いが今も持ち主が整備続けている可能性が在ります。

  7. 更地化された駅跡には、レプリカの駅名標を置いてほしいところですね。石碑だけより、何倍も雰囲気が出ます。

  8. このUP主さんはホントにマナー良いし、詩情・旅情に溢れたレポをしてくれる。
    「立入禁止」を無視して、あるいは本来入ってはいけない場所に踏み入って得意がるだけのクソチューバーとは天地の差がある。
    しかし、こういう廃線の残し方を考えた人たち、尊敬するな。

  9. 若柳駅舎跡、時が止まったような雰囲気で
    当時の物がそのまま残っているのも凄いです!
    YAWARA!の猪熊柔のイラスト懐かしい✨

    ミュージアムの展示物も当時のまま残っていて
    車両が綺麗に保存されてるのも良いですね♪

  10. 「鉄子の旅」1st(漫画・菊池直恵)で現役の頃に取材されていたが、アニメ化時点で廃止が決まり、同エピソードが最終日の模様を加えてアニメ化されたのは込み上げてくるものがあった

    ちなみにくりでんは「栗原電鉄」時代に第三セクターになっているという珍しい路線でもあった

  11. 40年位前の時に栗原電鉄がまだ頑張っていた頃、田んぼの真ん中を電車が走ってくる。多分和若柳の駅から歩いたところで写真撮影をした記憶があります。今回の動画を拝見してだいぶ変わったなぁと言う印象はあります。宮城県の場合は、宮城交通や栗原電鉄も確か名鉄の資本が入ってたと思われますが。
    若柳の駅は昔は意外と活気があった駅だったような記憶があります。

  12. 東北新幹線が早く開業していても、こちらの路線、南部縦貫、十和田観光と言ったローカル私鉄は助からなかっただろう。実際内陸部の温泉観光地の大部分の衰退が激しい現状から。

  13. 鉱山が有った所の鉄道は立派なところばかりだ、そしてその後の保存もしっかりされている。簡単に解体してしまう自治体は参考にするところが多いと思います。T都H市聞こえているかな。

  14. 石越駅には栗鉄の反対側、3番線側にも引込み線のような廃線跡があった気がしましたがなんだっのでしょう、30年も前の記憶なのでちがう駅だったかも

  15. 廃線直前まで意欲的に運営していたっぽいのに、何が有ったのだろう?
     2007年頃突然閉店、出勤して来た従業員が仰天している姿が報道に載った九十九電機を思い出してしまった。

  16. 石越から若柳まで、当時のまま残る線路の上を歩いたあの体験はここ以外でなかなか味わえるものではなかったね

  17. 1:28 地味に気になるホーム終端の信号柱らしき梯子付きの柱…
    そして、愛知で見慣れたΜ色バス‥やっぱりグループ会社か宮城交通( ̄▽ ̄;)

  18. なかなか興味深いですね。マインパークという施設も現在どうなっているのか取材していただきたいものです。

  19. マイカー族
    “俺達利用しなくても動いて当たり前”

    農家
    “鉄道は時計代わり”

    これじゃ公共交通機関は疲弊する

  20. 廃線なのに凄く良好な保存状態が素晴らしい。所有者、費用負担者は何処なのかな。たった一両の保存車両さえサビだらけにされてるケースも多いのに。この状態がこれからもず〜っと保たれる事を願います。

  21. buongiorno sono Riccardo scrivo da Milano Italia
    vorrei sapere dove si trova questa stazione ferroviaria abbandonato visto che sono un appassionato di ferrovie e treni giapponesi cosi appena riuscirò a fare un viaggio in Giappone vorrei andare a vedere questa stazione.
    grazi per la cortesia la ringrazio anticipatamente il mio giapponese e ancora a livello elementare per quello le scrivo in italiano

  22. 初めてお邪魔します。とても紳士的な行動に大変感銘いたしました。良いリポートをありがとうございます。
    Googlemapで沿線を確認したところ、全ての駅跡に統一された記念碑が建てられ、その思い入れの深さが伝わってきます。
    さらに、鶯沢工業高校や大岡小学校も既に廃校になっていて、沿線の皆さんはさぞ寂しいことでしょう。
    廃線の話を聞くにつけ、北陸新幹線「越前たけふ駅」のように車社会と共存できればと、つくづく思う次第です。

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