ピン芸人になっても「地方が好き」は不変…渚さんが玉野市を好きな理由【中塚美緒のライブトーク】 (24/05/10 18:00)
今旬な人や話題の人に直接あって話を伺う 中塚美男のライブトーク今回のゲストは玉 市の観光大使で今年3月お洗いコンビアコ インターを解散しピン芸人となったささん [音楽] です先月から公開されている玉の観PR 動画 したサイクリングマップ片手に海沿いや 田園風景などを自転車で旅し [音楽] ます今回は玉市に来ると必ず宿泊すると いう競輪ホテル10のレストランで撮影の 裏側などもたっぷり伺いました最近観光 PR動画がはい出来上がりましたけれども そうですそうです野さんとタッを組んで サイクリングマップはいを作ったんですよ うん実際にどうでしたやっぱり地元の高校 生がピックアップする場所っていうのはま 地元の方ならではのここの一角がいいです よみたいなところも細かく書いてないです よネットじゃ出てこうへんことも サイクリングマップに出てるあると思うん ですよそこぜひ見て欲しいんですよバ バンダ立石そことか行ったことないから 初めて教えてもらってあそこ行きたいなと 思いましたしうんちょうどその撮影が 寒かったけど天気がいい日でめっちゃ 気持ちよかったんですよそうですね玉さん て自然もいっぱいあるから自転車乗ってる だけで良かったですね癒されましたあの 自転車を最初選ばれたじゃないですか すごくなんかアート作品の一部のような 赤いはいなんかあの宇野駅でま自転車 借りれるんですけど自転車のね後ろに名前 があるんですよ元々ある船の名前ま私赤い 乗ってるんですけど他の自転車にも違う船 の名前が乗ってますこれ見所ですね なるほど自転車を借りた時にぜひ見て ほしい です玉市の魅力にどっぷりはまっている長 さんですが出身は兵庫県尼崎市で元々玉の とは何の円もありませんでし た天気はコナ真ただ中の4年前映画の撮影 で玉のを落とせれた時にある出会いがあり ました 船を借りたんですけど船を貸してくださっ たあご夫婦の方が船は貸したいけど ちょっと心配やなって不安があったらしい んですよ東京からあの人が来るっていうの やっぱそのねもちそのコロナん時って やっぱ嫌がる人ももたくさんやっぱいてた から心配やしねまでもえ玉野のためや からっていので船を貸してくださってで 撮影したんですよ 真夏で暑い中一緒に同行してくれてでそこ のまお母さんが自分のねあの麦帽子を かぶってたんですけど暑い暑いでしょって 危ないでしょって言ってその自分がかぶっ てた麦帽子を貸しくださったんですようん この中でそのちょっと心配あったしって いうご夫婦がそこまでしてくれるっていう なんかま私はねその最初に好きになった きっかけはその人ですねの暖かさはいそっ からです ねその後プライベートでも玉のを訪れる ようになり去年観光大使に 就任実はささんは茨城県ひ市の観光大使も 務めていてそれぞれの街の特産品を 掛け合わせたクラフトビールを企画する など双方の街を盛り上げようと奮闘してい ますまこのラベルデザインはま私が デザインし なんかさお魚人間みたいなのがなんやねん それ待ってくれやどれやこれヤンキーやん なんやねんあの陸におるやんなんなの ひたちたまんのはやんちゃな人が多いと かていうのであのヤンキーなるほどこれ ヤン天才なんかあんたお魚人間って表現 天才や愛のあるツッコみいただきました気 を取り直していただきますワインみたいな シャンパンみたいなそう色がね色味が めっちゃいい色で出てるんですよで飲んで くださいいただきますはい違うんで魚人間 って言ったりとか色々あるから飲みやすい 飲みやすいですほんまにうんうんすごく 爽やかでうん私ちょっと最初飲んだ時に ちょっと甘味を感じたんですけれど やっぱりフルーツがりんごやかと思います ね美味しいあと紫ののコがあってねうん はい本当に後から追いも味というかコが来 ました うん玉と士はもちろん地方が好きと語るさ さん全国を飛び回る活躍を見せる中今年3 月コンビを解散しまし た何かこう動き方が変わりそうだなとかは あります かまでも今の段階言とそのとにかく頑張っ ていかなあか1人なったので頑張っていか なあかんなと思いますその吉本てやっぱ 劇場が多いのが強みやから劇場にまたね 立てるようにとかああもありますまでも 楽しいことをずっとやるっていうことで 活動的にはコンビの活動的には結構ココの 活動多かったんですよだからまガラっと変 るってことは正直あんまなくて うんなんかまメディアに出れるものは 出さしていただけるものは出てでそっから それきっかけにあの あさは日立ち玉野の看護大使してんのやと かそっから興味持っていただけるようなま 繋がりを作っていけれいなと思ってます けどあんまりそこまで追い込んでないです 楽しくやろうっていう感じですねなるほど [音楽] ではここからはナさんのお人柄に迫って いきたいと思います今5枚のカードを並べ ているんですがはい好きな色のカードを1 枚お願いいたし ますお紫紫にします紫好きなのではいあ そうなんですねはいじゃあこちら行きます ねこちらではいはいどん気に入っている 岡山の弁うわあむずこれでも生徒さんに 教えていただいた岡山弁うんうんモンゲー おモゲなんかものすごいとかいう意味なん ですねもンゲーものすごいとかはま私も すごいとかめっちゃとか使うからモゲ気に 入ってます生徒さんから教えられた後に 使われました使わへんやいや岡山の人じゃ ないから使えへんずっと関西弁やそう ずっと完成 弁11年間のコンビ活動に収支付を打ち 新しいスタートを切ったナさん今後やり たいこと はま夢で言うとま日立ちとか玉のにあの コミカみたいな家買うて回送工事してでま 住みやすくレトロな感じにしてま休みの日 とかにまそこにみんなで泊まりに行ける ような いうなんかま夢様のひち頑張りますね 盛り上げるためにありがとうございます ありがとうございました
いま旬な人や話題の人に直接会って話を伺う中塚美緒のLiveトーク。今回のゲストは玉野市の観光大使で、2024年3月、お笑いコンビ・尼神インターを解散しピン芸人となった渚さん(39)です。
4月から公開されている玉野市の観光PR動画。渚さんが玉野高校の生徒と一緒に作成したサイクリングマップ片手に海沿いや田園風景などを自転車で旅します。今回は玉野市に来ると必ず宿泊するという「KEIRIN HOTEL 10」のレストランで撮影の裏側などもたっぷり伺いました。
(中塚美緒アナウンサー)
「観光PR動画できましたね」
(渚さん)
「玉野高校とタッグを組んでサイクリングマップを作ったんですよ」
Q:実際、高校生がピックアップした場所はどうだった?
(渚さん)
「地元の人ならではの、ここの一角がいいですよみたいな所も細かく書いている。インターネットでは出てこない所もサイクリングマップにはある。そこをぜひ見て欲しい。(玉野市北東部の)「番田(ばんだ)の立石」には行ったことないから初めて教えてもらって行きたいなと思った。撮影日は寒かったけど天気が良い日でメチャ気持ちよかった。玉野市は自然もいっぱいあるから、自転車乗っているだけで良かった。癒やされた」
Q:渚さんが乗った赤い自転車はアート作品のよう…
(渚さん)
「宇野駅で自転車を借りられるが、自転車の後ろに名前がついている。元々ある船の名前。私は赤い自転車に乗っているが、他の自転車には別の船の名前が付いている。これは見どころ。自転車を借りた時にぜひ見てほしい」
玉野市の魅力にどっぷりハマっている渚さんですが、出身は兵庫県尼崎市で、もともと玉野市とは何の縁もありませんでした。
■人生の転機
転機はコロナ禍真っ只中の4年前。映画「渚のバイセコー」の撮影で玉野市を訪れた時にある出会いがありました。
(渚さん)
「(撮影で)船を借りた。船を貸して下さったご夫婦が、船は貸したいがちょっと心配、不安があると。東京から人が来る事を、コロナ禍の時には嫌がる人もたくさんいた。心配だし。でも「玉野のためだから」と船を貸してくださって、撮影をした。真夏の暑い中同行してくれて。そのお母さんが麦わら帽子をかぶっていたが、その帽子を「暑いでしょ」と貸してくださった。コロナ禍で心配もあったという夫婦が、そこまでしてくれるという…私が最初に(玉野市を)好きになったきっかけは“人”です」
(中塚美緒アナウンサー)
「人の温かさ」
(渚さん)
「はい、そこからですね」
その後プライベートでも玉野市を訪れるようになり、2023年、観光大使に就任。実は渚さんは茨城県日立市の観光大使も務めていて、それぞれ街の特産品を掛け合わせたクラフトビールを企画するなど双方の街を盛り上げようと奮闘しています。
(渚さん)
「ラベルは私がデザインしたもの」
(中塚美緒アナウンサー)
「お魚人間みたいなのが…」
(渚さん)
「なんやねんそれ!待ってくれ。どれや?これはヤンキーや!陸におるやん。何なん?日立市と玉野市はやんちゃな人が多いと聞いてヤンキー書いた」
(中塚美緒アナウンサー)
「なるほど!すみません!」
(渚さん)
「天才なん?お魚人間っていう表現」
愛のあるツッコミ、いただきました…!気を取り直して、いただきます!
(中塚美緒アナウンサー)
「ワインみたいな色」
(渚さん)
「シャンパンみたいな、色味がね。メッチャ良い色出ているんですよ」
(中塚美緒アナウンサー)
「飲みやすい。すごく爽やかで、最初ちょっと甘みを感じた。フルーツ?」
(渚さん)
「リンゴやからだと思います。あと紫芋のコクがあって」
(中塚美緒アナウンサー)
「後からイモのコクがきました」
玉野市と日立市はもちろん「地方が好き」と語る渚さん。全国を飛び回る活躍を見せる中、2024年3月、「尼神インター」のコンビを解消しました。
Q:何か動き方など変わりそうなことは?
(渚さん)
「とにかく頑張っていかなあかん。1人になったので。吉本は劇場が多いのが強みだから、劇場にまた立てるようにとか。でも楽しいことをずっとやるという事で、コンビの活動より個々の活動が多かった。だからガラっと変わることは正直なくて。メディアに出させていただけるものは出て、それきっかけで『渚は日立・玉野の観光大使してるんだ』と興味を持っていただけるような、つながりを作っていければいいなと。そこまで追い込んでいないです。楽しくやろうという感じですね」
■人柄に迫る
(中塚美緒アナウンサー)
「ここからは渚さんの人柄に迫ってまいります。好きなカードを1枚お願いします」
(渚さん)
「紫にする。紫好きなので。『気に入っている岡山弁』!生徒さんに教えてもらった岡山弁、もんげー。ものすごいとか、すごい、メッチャって私もよく使うから、もんげー気に入ってます」
Q:教わった後に使いましたか?」
(渚さん)
「使わへんよ!岡山の人じゃないから。ずっと関西弁や!」
17年間のコンビ活動に終止符をうち、新しいスタートを切った渚さん。今後やりたい事は…
(渚さん)
「夢で言うと、日立市・玉野市に古民家を買って改装工事をして住みやすくレトロな感じにして、休みの日にみんなで泊まりに行けるような環境を作りたい。玉野、日立、盛り上げるために頑張ります!」