【ぷらり途中下車の旅】中央本線を全線走破 東京〜名古屋 後編

スーツチャンネル100万円引き キャンペーンのお知らせです動画の冒頭で こんな感じの広告出ると思うんですがこの 広告1位お申し込み単位あたり200万円 からでお願いしてるんですがなんと ただいま期間限定のいつまでか分かんない ですがキャンペーンでえ100万円 マイナスしてえ税抜き100万円でご提供 させていただきますそんな安くしちゃって 大丈夫なのかと思うんですけどそれに 大丈夫だそうです是非この機会に1企業様 あたり何回でもお申し込みいただけるそう ですまあ一応ちょっとねあのじゃあ99が 99回申し込みたいですがちょっと難しい かもしれないですけれどもえ是非お気軽に ご相談 ください東京名古屋間ほぼ山道を貫いて いく中央本線には魅力的な駅がたくさん ありますそこで全編では東京甲府間で色々 途中下車しながら旅をしてきました後編で は甲府から長野県を経て名古屋までの途中 区間で寄り道をしながらの旅ですお楽しみ くださいおはようございます今日は県庁も お休み日曜日の朝です 温泉も入ってきました良かったですよどう 良かったかと言いますとなんかこんな感じ で展望スペースがありましてカコがけとか ねあの露天ブロからも幸福ボチを一望でき 景色は素晴らしかったですタオル忘れ ちゃいましたね部屋のタオル持ってか なきゃいけなかったらしいんですよあ行け ねえと思って取りに戻ってくるのめど くさいんでもその使い終わった人の人が 使ったやつ取ってねえ拭いてきましたま あの目とかねえ口とかそういう粘膜部分と かに一応触れないでを注意したつもりです けどチェックアウトして朝のの明るくなっ た甲府場を見ていく必要がありますね甲府 市街を一望することができますしさらに南 アルプスを一望することもできます標高 3000m級の日本で最も高い山々のつり ですま独立法としてね富士山が1位です けれども山脈の1位だったら南アルプス でしょう富士さんもねこっちの報告に 見えると思うんですけれどもま今日は こんな感じの雲が一応晴れということで来 たんですけどねまいいです別に中央線の 1番の見所は景色じゃないですから正直 景色もいいんですけども日本の国を強く するために昔の人が力を合わせて頑張った 偉大な鉱石の名残りをたどることが中央線 の1番やっていて面白い旅行の仕方だと 思いますあの向こうに東京があるわけです ねそれを越えてきたの信じられん夜に来る とね東京方面の明りが向こうから来るん ですよねびっくりしましたよ前見た本当に あの山に向こう東京があるんだて夜にしか 見えない景色もあるんですねここがテシの あったところですね廃条例でお城が なくなってしまったのかな確か元々は徳川 審判のとても大切なお城だったんですね 甲府は江戸バク直轄地ちょうどミ線が出て いきました静岡方面へ行く鉄道です昔は 東京方面にはま一応山を超えて公衆街道が つがっていましたが苦労する山越しなけれ ばいけなかったんですけども静岡方面の方 が比較的行きやすく昔から甲府のメイン ルートとして使われてきた三筋をミノ線は 辿ってい [音楽] ます今回利用している甲府駅 は夜によってお城のど真ん中にあるんです よねま土地の覚悟がしやすかったという ことなのかな朝のラッシュとは逆向きで しかも今日は日曜日ということで比較的 空いた電車が走っています6両編成 3両ってのもありますよ ねこの山を越えてこれから東京武蔵野の 生誕高尾まで行くんです ねさてここから僕が乗る列車ですねえ8時 1分発新崎行きですこれそんなに遠くまで 行かないです要は甲府ボチの中にお客さん がいっぱいいるのでボンチの中だけで短く 走る列車が存在するんですねあそれが3両 だでその後えちょうど15分続行できまし で15分後の松本行きは6両ですだからま こっからちょっと崎までの間でどっか1 か所ミニ途中下車できます [音楽] ね昨日の中央線は東京から割と近いという こともあって日帰り登山で混んでいたん ですが甲府から向こうになると日帰り登山 はなかなかきつくなるでしょうということ もあってついてい ます昨日八王子駅の手前トヨで大きな車両 機を見ましたがここはそれ来の甲府駅電流 線と言いましてま簡単な車両機があります 今特急電車とか止めてるみたいです朝は 普通電車は出払ってるのか な中央線は沿線にあんまり車両騎士がない んですよねもう東京の武蔵の近辺を過ぎて しまう と遠方の長野とか松本から化け物みたいに 長い距離の普通電車が乗り入れてくるのも まそうした事情があるんでしょうねまそう いう風にやっておけば別にわざわざ途中に 車両地を用意する必要もないということな のかなうん 1駅お隣の竜王駅で降りてみました15分 の口寄り道だったらこれぐらいがいい でしょうここはまだ甲府ボチの中で昨日 塩山辺りからね平坦なところをずっと走っ てきていますがいよいよこの竜王から先は また険しい山間に戻ります塚の速という 感じでしたねり です か6.7あ違う1616パーミルぐら 16.7もっとはこの先はあると思います 上り20とかね凄まじい勾配だと思います がま電車はパワフルですからこれぐらいの 急坂であれば大丈夫ですということでま まだここはその急坂に至る前の比較的平坦 なところでありまた甲府駅周辺の市街地と もちょっと離れているということからここ に貨物の取り扱い所がありますね石油です ね山梨県は寒いですね冬に石油あったまる でしょうまであんまり寒くないな昨日の サゴ峠あたりが一番寒かったかもしれない なあと竜王駅すごいですよ ねいつも通りかかるたびに思ったんです けどうん甲府駅よりなんか都会的な感じ するんですけれどもこれねあの有名な建築 家のあのなんだっけなんかあのこすごい 高いあの壁の上にあの本を置いてこれこの 本誰が撮るのみたいななったあの方安藤 田尾さんいらっしゃいますそのその方が 作ったそれはすごいわ今の全然褒め言葉に ならなかったと思うんですけどすごいね やっぱりでなんといや見えると思って なかったんです期待しなかったんですけど 北側は大変天気が良く八ヶ岳が見え始め ましたこれから先の皇帝の主役となって くれる でしょう横浜川崎ありから運ばれてきたと 思います石油の拠点も眺めておき ましょう朝晩は竜王行きの特急列車っての もあるんですよね東京駅から竜王行きの 開示号っての走ってんじゃないか な山波ビューポイントですかいい感じです よねその山波のどこかに行くであろう人が 今なんか準備してるのもいいよ なあれ八ヶ岳じゃないんだったかな中央線 に乗っててあ八ヶ岳が見えてきたて言うと 大体そう八ヶ岳じゃないんすよねあ偽や って山があるそうですねやがったけど似 てるから駅前広場もまたすごいですね あこれはなんか15分ぐらいかけて降りて 何の問題もないむしろいい15分ですよ 地元特産のお茶を売ってますね海子特産貝 のクチ竜王減水やっクワ畑の昔からあった のそのあれなのかなクアのお茶を買ってみ ましょうちょっともうお茶買いすぎだな いやすいません僕知らなかったんですけど ここ甲府士じゃなくて何海市なんですね わけわからんわ山梨県のわけわからん失礼 な話なんですけどだって山梨もあって公衆 士もあって開始もあるんでしょ全部同じ じゃないですか結構面白いねデザインが 全般でここに出発の電車の案内をこれも 安藤多さんここにこういうのやったらいい んじゃないですかねみたいな言ったのかな 実際ここにああいうのあったら便利ですよ ねこんな横断幕もありました名所の小鮮橋 ってのは竜王公州士だったんですね全く 知らなかった公衆士というところを少し 勉強することができましたその玄関とし 申し分ない出来栄えだ竜王駅は駅の名前が かっこいいということでよく話題になり ますよね駅の中にねドラゴンの置き物も あると聞いたんですけれどもちょっと滞在 時間中に見つけることはできなかった です竜王を出ますとさっきホームからも見 た通りですまた急坂の区間に入りました そしてこの山越連続はもう諏訪の辺りまで 続くでしょう ね壁はレンガのトンネルです昔は蒸気機関 車で煙を履いてお客さんは大変だった でしょうお客さんも煙が大変でささ子持を 食べるくらいですからもう乗務員さん なんか命が危険ですよね んあれはあれは来ただけですよね違います か日本で2番目に高い山頂ではないかと 思います3192Mだったかなそれ ちょっとね自信がないんですけれども山に 近づいてきますと意外と北ルプスの両線も 見えてきましたまあっちはカマじゃない ですね違いますねでこの険しい山並が 向こうのあの辺がねちょっと落ち着いてい てあの辺だけ山がないじゃないですかあれ が貝のゲート ウェー上沢というの向こうにあるんです次 に着いたところでお伝えし ますお客さんが大勢を降りました塩駅の 二崎で途中下車ですちょうど反対から列車 が来てますが分かりますか急勾配ですよ急 な下坂に霊によって息が設けられていて なかなか止まりません僕乗ってきたりして も加速していますが少しいつもより速に 時間がかかっているよう です中央線あるあるもうお気づきの方も 多いと思いますが元々この新崎は例によっ てここには駅がなかったのですが元 スイッチバックだったところをもう スイッチバックはいらないからと廃止して ぬこの話何回もやりますか必要あります もういいですよねあのちなみに元々の三駅 はこのこのところにあったんですね本線 から分岐したこの横のところに列車が停車 してその後またこの向こう1回引き返して ですね発車していくみたいなことをやって 行ったり来たりしていましたこのニは目の 前に平和大観能がありましてこの奥に やっぱ来ただけですねこれね日本で2番目 に高い山をいただくところですで皆さんは ニはご存知ですか僕もあんまりよく知ら なかったんですけども山梨県この辺りは 存在感のある街で結構の次の大きなマは ここなんですがまあんまりよくわからない ですよねここはねなんか鉄道ができたこと でちょっと衰退した場所らしいですよま 全体でば発展してると思うんです けど鉄道ができる前の方が拠点的な地位が 高かったそうですあこれだけの高低差が あるんだね昔はそこの駅前広場みたいな ところに列車が止まってたんでしょうでも 今旧カーブのところに列車が急勾配の ところに止められるようになったからこの 上のホームに止まるんですねこれだけの 皇帝差 がいい看板だ上の急勾配本線上の駅の横の この広大な広場がこれが元々はニ駅だった んです ねそのスイッチバックの駅の裏にぎっちり と建物が並んだメインストリートがあり ましておちょうど新宿から朝1番の特急も やってきましたね発車の光景を見てみたい なもう電車が斜めになってますよお客さん なんかこの随分斜めになってんな思って いること でしょうはい頑張れ頑張れ頑張れもはいい 353あゆっくり上がってます よ別に手抜いてるわけじゃないと思うん ですよ ね最新のJR型特急車両でもこれだけ時間 がかかり [音楽] ますこちからも出ていくわ頑張り [音楽] ましょうあそれでここが旧甲州街道の宿場 町だそうですね二崎宿かなまメイン ストリートってここなのかまともかくあの 駅から離れれば離れるほどなんかホテルと かも増えてきてえどんどん栄えている感じ になってきますでついに歩き続けますとま 駅から歩いて10分ぐらいですねこの 川沿いに出るんですがこの川がももと結構 重要だったらしいんですねこの二崎の横に ある川どうなるかと言いますとこのは流れ 下っていくとえ藤川に繋がってですねミノ を経てま最終的にはこの富士の方からこ 鶴川に出られるんですね少なくとも中央線 が開通するまではここから本当船で静岡 まで行っていたらしいんですよでもう ちょっと向こうまで行くともう長野県 シナノなわけですけどもシナノのお米念と かを江戸へ運ぶのにえここまで持ってきて ニからあの船に積み替えてえここからあと はえ静岡まで流れ下らせようていうことを やってたらしいですえさっきね見えたあの 山が途切れてるところありましたねあそこ は上沢ですよみたい話しましたけどもえ そこのところだけあの土地が平坦なので 静岡方面へ出入りすることができたという ことなんですねでこの川沿いのところにニ 市役所があるんですよねこれ江戸時代の その水運時代からの経緯があるんじゃない かなと思こういう公共の土地って結構 受け継がれますからねお城の跡地に今でも 長が立ってたりするわけじゃないですか 元々はこれ市役所ではなく中学校の土地 だったらしいですっってことはそのじゃあ 中学校の前は何だったなちょ興味は湧くん ですけれども僕はそういうなんかその物流 とかねなんか当時のこう役所みたいなの あったんじゃないかと想像してますあと 二崎には街のどま中に大岩があるんです けれどもこの大岩をね避けて歩く必要が あるんですがあ岩屋を作ってお祭りしてる んだねちょ行きたかったですけどちょ ちょっとねそそ次の列車の時間が つまりかつての二崎はここに到着した荷物 を船に積み替えて静岡方面に送る拠点だっ たので物が集まって商業の街になったよう なんですが鉄道の時代になりますとも鉄道 はそのまま直通運転できますから二崎に よる必要もないということで鉄道時代より も前と比べると拠点的な地はむしろ鉄道 開業によって多少落ちたということらしい ですねとはえ鉄道ができて体操便利になっ たことでしょうすごく急な登り坂のところ に電車を停車させるのは難しいんじゃない かと思い ます3両で結構混んでるな視聴者の人が何 人も乗ってそうな感じ だ後方車両は空いてました ね三崎で折り返すする列車用にあの 折り返しの線路が真ん中に1本あります これは割とね停車前提なんで平坦に作って あるわけですね 本線との高低差を感じることができました さてニの駅を出てこのトンネルを抜けます と右手側の景色がちょっと良くなってくる と思い ます川に挟まれたニは右左の川の中に 取り残されたま小さなななんて言うんです かま山のね両線の上を走ってるみたいな 感じなんですよね崖の上から見下ろす景色 がいいですねあ右手にあるあれが圧って やつかて でシプに来ましたシプ何分あるかなえっと 次 は次は9時50分42分ありませんじゃ シプで降りて みよう1つお隣の新婦で途中下車出発する 時車掌さんとぴったり目が会いまして ありがとうございます声をかけていただき ましたどうもありがとうございます 去り行く列車の速度は緩々やはり加速が あまり早くありませ んここ神父は比較的新しい駅で元々は信号 場であったようですそしてまた例によって 急行配の本線上に駅が作られておりまして も何回この話しますって感じ正直まだまだ 続きますよこの進歩もまた元々はスイッチ バックの駅だったんですねスイッチバック の信号場だったらしいですこの横のところ にちょっとこう土地がありますけれども この土地えあそこにね入出場の装置とか あってあのスが生えていたりしますがえ このところに昔列車がこう入っていた らしいですねこの横のねこっちは平らしい んですよこっちは停車することは蒸気機関 車の時代とかにはできなかったところ らしいです駅におじさんがいるんでねおじ さんに1人の時間を過ごしていただきまし た僕は先に駅を出ることにしましたこの 新婦という名前は何でしょうかふというの は大体都という名前ね意味があります けれどもえ新しい神父新しい 都子戦国時代の海の国で父神源の後を継い た殿様武田克よは長の戦いで小田軍に大敗 してしまいましたそしてその後地元の守り を固めるしかないその地域の守ることに 専念してここに新しい都を神父を築いた そうです交付の他に神父を作ったってこと なんでしょうねというのはやっぱりねニが 水運交通の要所であるからここをしっかり 固めることが重要だという考えだった らしいですね東急朝子が急坂を駆け降りて いきますま急坂と言ってもニとかほどじゃ ないかなちょっと緩めな坂かな府からこの 地にに拠点を落しなんとか織田信長の攻撃 に耐えてまた武田市の最高をと考えていた ようですじゃあ実際どうであったかえ解説 が書いてあります正式には新府中二崎城と いいま新しい宮の中えニのお城やっぱそう ですね二崎を航空に変わって拠点としを 考えていたんですが一族の危ですからえ昨 夜も吐してずっと作り続け8ヶ月ぐらいで ほぼ完成ということですしかしそれでも 選曲は日に日に悪書いてありますえ最後 この解説によれば武田勝よりは織田軍の 攻撃を受け自らここに火を放ち大月へ逃れ 落ちようとここを去っていったとのこと です命短かった神父場武田勝はその後佐峠 を超えることはできず昨日見たカ大和の駅 の辺りでいよいよ武は終に至ったという こと ですやっぱりもう一族の危機的状況で作っ た軍需王の城ということもあるんでしょう かね結構きついな上 まかお城の跡地は神社になってるんです ね山の上をこんな風に広く鳴らしただけで も大変だったでしょうからねその昔の城の 作りは感じられるところです学校のお勉強 でも習いましたね伝説の木場隊も信長の 鉄砲には叶わなかったというやつですね 長野の戦いで命を失った人たちのと戸村う 塚がありますそしてこれから先中央線で さらに進んでいく三筋も見えましたこれを 見て神父駅に戻ることにしましょう長野で 負けはしたがまだ武田は生きているここ からもう一度盛り返すんだ頑張るぞいい 景色を見て武田勝よりも思ったでしょうね ほどなくしてその願いはつえてしまったと いうことですじゃあ新風駅へ戻りましょう うわ こわ信長からのプレッシャーと戦った武田 勝よりはもっと怖かったかもしれないです ね42分でお城まで行けたんなら上出です ね新兵駅に戻ってきましたが電車が来るの 放送してんなえ大丈夫でしたね列車はまだ 来てません今来たところですちなみにこの 本線の横に平らな土地を作って無理やり急 勾配のところでも泊まれるようにした タイプの信号場をよく戦事型信号場と言い ますよね戦争中に作られたそうです いよいよ日本が戦争に負けそうだという ことでこの先長野県の松代というところに 政府の首都機能を移転することになりまし てそして本土決戦をやることになってその 準備のために中央線の需要が高まるだろう とかなり戦争末期にこの辺りの路設備が 充実したそうですま当時単線だったから 反対の列車との行き違いができる設備が たくさん必要とされたんですねでさっきも ね歩いてるところに見えたんですけど新婦 周辺の景色は結構良くてえ列車が急な カーブを描きながら今の時期は梅4月 ぐらいになりますとこの一面の桃木が 終わっており驚き桃の木の原鏡になり ますこの辺りが大体標高500mぐらい ですがまだまだ登ります [音楽] この穴山もまた例によって元スイッチ バックの駅でよく見ると駅が結構下ってい ます列車の加速のスピードが相当早いです 元々の駅はこの横のあの辺にあったみたい です ねだから今でもJRの関係施設が色々置か れています元々あ線路まだあるのか昔は こう向こうから一旦こうこっちにこうや こう入ってきてそれで平らなところに蒸気 機関車の列車を入れていたようです 1970年代かなこの辺はスイッチバック の時代は終わったそうです ね晴れていればここで後方を振り返ります と富士山とかがね結構旧カーブの合間 時折り見えるんですねま今日は見えない でしょうま前に撮ったやつでえご確認 くださいこれで十分なご案内ではない でしょうか特急アゴの車内から映したもの ですこの辺の地形険しいところではお米も 作ってますしそれかやっぱえ値段もつき やすいのかな桃がよく作られてますけど昔 はクワ畑が多かったと思いますよちょっと なフルーツみたいな味のするクワのお茶を 飲みましょうおかこ様が口に含んで日本を よくしてくれたその味ですねかこと同じ味 ですじゃ次日野春で降りますか日野春は 中線に入りましたね は通常右側のホーム1番線に入りますが今 2番に入っていますこれは後から特急ア号 に抜かれるためでしょうどうも東駅で7分 停車するらしいですこれはちょうどいい じゃあ7分停車の間に駅の様子を見て同じ 列車に乗っちゃおうこの辺りスイッチ バック駅だらけであった過酷な中央本線の 中で日野春は昔からこのような形で営業し ていたそうですスイッチバックではなく 列車が普通に止まることができました貴重 な駅です普通に止まることができました すごいですねっていう時点でね中央線の すごさが分かると思いますがえ横に緑色で なんかこう幼女みたいなされたところが ありますが昔はここにも線路が敷いてあっ たんですねで結構この場所が広いですどう も昔はここに蒸気機関車が出入りしていた らしいですこの辺りは上り下りの坂道が かなり続くきついところで開示の山道に 応えた機関車がようやく一息つつける ところあそこに昔の給水筒が残ってますね 蒸気機関車はたまに水を飲ませてやら なければいけないわけなんですけどもも この水があそこの救水筒からえ蒸気機関車 に組まれまし た中央線が電車になるまで今みたいにね 電気で走るようになるまであれは使われて いたとこと結構新しいあのコンクリートの 設備もありますねであの水がねただの水 じゃないらしいんですよなんここにあの 武田が作ったなんか陽水路みたいがある らしいんですけどその歴史的な陽水路を あれは使っているらしいです武田のおかげ でここに駅もできたゆかりの地なんですね そして日野春駅は古いですどうも聞いた話 によるとここは明治時代の駅舎だとか聞き ましたよで今もね駅員さんがいらっしゃる んですよね乗車券の発売などはしていない んですがどっかに書いてないかなあ国鉄の 資産表があるじゃないですか えっと読めないな 1900あ 1000905年ですかうわ本当に明治 時代のやつだ なしかし 中は非常に綺麗に今風にリニューアルされ ていて東京までのロセも山手線各駅まで 運賃は全部山手線内ですからね全部均一 全部3080なんですけれどもわざわざ 丁寧に全部ロセンが書いてあり ますいいねじゃ行くかまだ大の特急あさ来 てないですねゆっくり行っても大丈夫 [音楽] だ驚いたことに特急列車来なかったですね ただじゃあ7分止まってたの か多分臨時の特急列車に合わせていつでも 退避できるようにしてるんでしょうね日の 春で30分ぐらい過ごそうと思っていたん ですけど予想外にこの列車が7分停車して くれたんでえ救水筒などあとかなり古い 駅舎を見ることができました次にじゃあ どこでその代わりを降りようか長坂に着き ました長坂で降りるかこの次の小淵沢から どっちかですね 長坂 は色々あるんですよね降りてみる かお客さんが大勢降りていきました長坂 到着です長坂駅はですねまた例によってこ この話またしますこれ線路がえ左の方に こう勾配になってますよねえ急勾配の途中 に駅が設けられておりえ元々はここでは なくスイッチバックの方式であそこに駅が あったのでしただ昔の中央線の普通列車 とんでもなく遅かったと思うんね風を出発 した普通列車はミでスイッチパクして新婦 でスイッチパクして穴山でえスイッチパク して日の丸で給水して長坂でスチ爆して やっと小淵沢でしょうとても乗れたもので はなかったんじゃないかと聞がします昔の 急行列車っていうのがいかに重要だった かて分かりますねえ片谷現代の利便製は もうこれすごいですね都心まで全部全部 こう案内してるんだえ通勤回送がどうこう とかここからあの東京の通勤特会とか通勤 海賊に乗る人多分ほぼいないと思うんです けどいるのかなそんな人ねえ公園寺まで 168分とかですねお茶の水まで8184 分本当なのかなこれままあの目安ですから ねこの長坂のお隣が潮駅特急全列車全列車 じゃないけど結構止まりますね小淵沢駅 です小淵沢で降りようかなと思ったんです けど実は元々は長崎のが主要駅だった らしいですねここが町の中心部に近い駅と いうことでこっちへ降りてみました せっかくのね普通列車の旅なんですからま 別に普通列車にしか乗らないってつもりは ないんですけど長坂も特急が止まらなく なりましたね昔ちょっと特急止まってたと 思いますけどねうお遺跡がこんなところに ありますね列車編成のご案内スーパー あずさ12両編成あずさ号E25711両 編成あずさ号9両編成E25なもう何の役 にも立たない自由席なんか存在しないです から すごいあいうのしておいていただきたい ですね注意書きをね横に書いてこれはもう あの昔の情報ですよって書いた状態で残し とけばいつまでも残せそうだおついにこの 辺まで来ると名古屋方面と書くようになっ たんですねそっちの方に行く人もうん多分 いるはいるでしょう からこっから名古屋に出るんだったら多分 ね甲府まで出て甲府から藤川号に乗って新 幹線で名古屋に行くのが一番早いのかなあ 長坂も今無人なんです ね駅を出ると非常に都会な感じですうん 確かに山梨県北都市の中心駅はここですね 次の列車までそんなに時間があるわけでは ないです えあとそうですねもう18分で次の電車が 来ちゃうということは駅周辺を歩くことは できないのでここいいのがあるじゃない ですかお隣小淵沢駅で営業している駅弁屋 さんですねここでおそばを食べましょうと 思ったんですがあらら援用時間が短かった ですねえまだ10時20分です拳座行きゃ よかったかでもいい時間にくれば駅前には いくつも魅力的な地域の食堂がありますね え甲州包頭1100円だそうです本当に いっぱいありますねこういういい感じのと 給業だそうですがあやっぱそうなんだ左 カツ丼右側2勝あくまであのいわゆる 煮込み系のカツ丼は別のものだと区別され ているのが山梨県ですねあと山梨県はもう いちいち背景がですね綺麗な南アルプスが よくちょっと北アルプスって言い間違え ちゃうんですけど南アルプス です崖の上には新しい公共施設とかが立っ ていますが元々はここに長坂駅がありまし た今はスイッチバックは必要なくなったの でこの下の急行バイク間に列車が止まる わけです ね僕の電車なぜか来ないんですけど反対の 電車がまた下り坂でロケットスタート 一気にいなくなりましたこのこの電車 かっこいいすよねなかなか悪くないなと思 この昔の115系って電車も良かったです けど僕の電車も来ました旧な登り坂 から3両か T [音楽] 小淵沢に着きました驚いたことに1駅しか 離れてないですが降り立った時ひやりと 感じましたえ1でも結構標高が上がって ますもんねこんな小淵沢リゾート市の玄関 に観光客のお客さんが多くJR前線のうち 最高地点の信山駅とかを通ります公務線 人気ですねえこれの乗り換え地点ともなっ てい ます小淵沢は結局に降りることにしました が駅弁を買いましょうかね小沢は駅の駅弁 の名所ですよ小淵沢駅って自動改札ないん すね自動改札ないんだと思いますすいませ ん途中電車お願いします駅の人に切符を 見せて間違えてすいません自動改札お願い しますて言いそうになりましたあ蕎麦屋 ここだったらやってるなやってるけども 駅弁のがいいな小淵沢駅が新しくなりまし て展望台が着きました今日は晴れていない から見えませんが富士山も見えますしえカ 駒ヶ岳とかですね南アルプスとか八ヶ岳も 見えます八ヶ岳はまあ悪くないんじゃない ですか で1番の名物はこの地に営業する駅弁屋 さんお弁当のままですね駅弁がすごいのが 色々あります元気会弁当テレビで有名に なりましてファンが多い弁当ですねうちの 母も好きみたいですえそれから八方県名物 高原野菜かつこれですよね50年以上売っ てるそうですよえ野菜を駅弁に生の状態で 入れるとかなり斬新でえかつ地元名物 かなり美味しく食べられる評判のお弁当 です今日売り切れちゃってましたねこんな んもあんだな風林火山 色々ある中で今回はこの1番新しい駅弁を 購入しましたワインのめしワインのめよて いう意味らしいんですけれどもこれねえ 2021年jr東日本がやってる駅弁の 大会でこれが全国ってかあのjr東日本 全土の中でこれが1位を獲得した 素晴らしい駅弁だそうですこれあれなんだ よな布でも売ってるんですよねだ高原野菜 の弁当はね交付で多分売ってないんで そっち買いたかったけどなあそうそうここ はねカサドは結構有りですごおいしいん ですよ僕駅弁のバイトしてたんですけど ここのカサンドはうまいですえそれからね えこんこう色々ワインをこうけて料理し たりワインをこう食べさせた牛がそう色々 いるらしいんですけもこれ前食べたこと あったの前食べてうまかったなこれこれ あれかおつまみ弁当だご飯がないわそう いうことかワインの飯し飲みなよというあ 飲めよじゃないですね飲みな よ昨日飲んだんでちょっと健康のために 遠慮しますこの確かこの会社がお土産で 出しやつじゃなかったこれこれ結構 美味しいんですよねあの北海道のマセ バターサンドとまた違いますけどなんそれ に近いような感じですかじりかけですい ませんうん包頭グラス結構 うまいあったかくないじゃないですか駅メ てでもこんなにうまいわこのカツサンドは ね肉が口の中で適度にバラバラにこれ なんかミロフィユみたいな行動なんですよ ねそれはなんかここのカサの売りだったと 思いますでソースがなんかこうそうこ芳人 いろんな香りがするんですけどこれは 炭焼きみたい炭の香りだこの弁当の会社 元々確か中央船ができた時炭を売ってた はずなんですよね列車に乗らないで駅弁 食べたなんかもったいないような気もし ますけどねあのご飯がなかったのでえご飯 食べたくなりましてこういうものも購入し ましたまたこれ紹介するといたしまして はいこっから先はですね特急列車ですこの 列車は新宿駅を朝9時2分に出発した特急 朝臨時の81号で照明を5個つけてやって きてくれましたもちろん最新型の車両を 使っていますが今ねもう11時35分なん ですよね新宿は朝の9時2分に出て11時 35分にまだこんなところ走ってんの ちょっと遅くないかと思ってね調べたら やっぱり遅かったですあ僕の指定号車は 11号車なんですようわ5号車じゃない です か8分しか乗らないの に考えて座席指定すりゃよかったわ までもね11号車は座席消したのにも理由 がありまして誰も予約しなくて多分この号 車誰も乗ってないはずなんですよ ねこれね時81号遅いんじゃないか問題な んですけど調べてみたください確かに遅い ですえ新宿駅はこの列9時2分に出て松本 行きなんですが松本まで3時間24分 かかります対して毎日運転のあ9号という のありまして9号は新宿9時に出て松本 まで2時間39分です同じず号で新宿では 2分しか違わないのに松本の時点ではえ 45分も差あるのみたいな何したらそう なるんだよということで見てみますとえ これ新宿から松本まで行く先発のあずさ9 号は途中停車駅めちゃめちゃ少ないも1番 早い途中停車を絞りまくってるのに対しえ 僕の乗っている朝81のは逆に途中停車駅 ましましでもとにかく止まりまくるみたい な感じになっていますま足ですよね停車駅 が多いということはそれだけ利用機が 少ないわですで11時36分に小淵沢から 乗り44分に藤見でおります品野酒を通過 しましたここから先は長野県ですね三鷹の 辺りから続いたjr東日本八王子車も 終わりまして長野車の管轄に入りましたえ これ先ほどね購入しました丸の360のえ 中にこれ鳥のおにぎりが入った天ですね手 をしっかりきれにして食べたいと思い ますの ごもれ関各駅でってますけどあれの売っ てるのと 停いし ますうん鳥の天いい感じだそしてこちらを ご覧いただきたいですね右手に安がったけ その手前にこれ昔の中央線の線路ですよ 中央線がまだ単線だった時は向こう走って たんですねそれが配線になりましたが立派 な鉄がまだ残っていますの 具材が にえ梅干も入ってブレンドになってんの ブレンドおにぎりだ初めてされたこ な おおひやりだ東京から179kmと 500mここが中央本線の最高地点藤見駅 ですなんだあれはえなんかいるじゃない ですか何どうしたの これ長野車が出してる臨時列車ですね リゾートビューフル里号というま豪華車両 なんですけれどもお金払えば500円 ぐらい払えば乗れるかもしれないな今日 日曜日でこの辺の観光遊客のために走らせ てるんでしょう特急朝が通過しましたこの ように藤駅では多くの特急が通過するん ですけど僕はさっき乗った遅めの81号は 停車してくれましたねまだからこそ最高 地点の空気を踏む空気を踏むじゃないや 空気を吸うことができたわけです内から 距離はちょっとま結構標が上がったんでね 空気も違うようですよ長野県に入って最初 の町という感じのくみは実富士山がよく 見えることが多いみたいですね駅の周りに は死の店が多くさっき僕が駅弁を購入し ましたえままさん元々はここ創業ですここ の駅校内でなんかす炭焼きみたいなのを 売ってたっていう会社が元々らしいですね 駅も古いようなこれどうなんだろうな古 そうに見せてるだけかなそんな名がすら ですと言ってももうずっと買うことは 難しい状態だったんですけどさっきのあの 駅弁のお店小淵沢の丸さんは元々藤見で 営業していましたというのは多分ね小淵沢 があんまりあの周りにこう家とかそういう のもなかったんだと思うんですね小淵沢 よりも多分藤見の方が元々はだいぶ要な街 だったんだと思いますだからここで商売し てたんと思うんですけどここ生する中央線 のお客さんに駅で持を売っていたそうです ねの人も あんまし観光に行くっていうよりは高内沢 のその先にある公務線の清里高原に行きた いって人が多いんですけどもその清里高原 に行く公務線が小座から分岐することに なったのでじゃあここに観光客がいっぱい 乗り換えてくるからここで商売した方が いいということで丸正小沢の業者になった らしいです元々は藤見なんですよねのその 昔の名物を復刻販売しています味はね笹子 餅と全く一緒ですでもサゴ餅と全く同じ ものが別に乗ってるわけではありません そういうのが多かったんでしょうね当時 中央戦で次の青柳でまた8分停車後の特急 に抜かれると案内されましたさっき僕が 乗った特急が行ったばっかりなんですけど ね前の特急が非常に遅かったのでこれ新宿 をその58分後に出発してきたやつなん ですけど58分後の特急がもう追いついて きてるん だご覧くださいこの急な [音楽] 下坂一気にぎと降りてきましたというのは それだけ藤見中央線の最高線として今標高 を少しずつ折りつつあるということですね 特急電車の姿ではっきり感じることができ まし たま前のさっきのたあずさ81号が遅い 遅いと言ってますけどそんな別にあの停車 駅が多いおかげで私も藤宮え小淵沢で 乗り降りできたわけですから全然構わない んですけどね特急列車はまた僕がブツブツ と言っている間に下り坂に差し掛かりまし たこの先も長い下りの連続です昔蒸気機関 車の時とかね本当大変だったと思いますよ ブレーキをかけるのも大変だそうです から青柳の駅舎は非常に変わったデザイン ですこれ中に賞を受賞したやつらしいん ですけどもうってなりますよね昔の歴史的 な建物古い立派なお家にこういうのがつい てることそれを申したものらしいですこの ようにして山を降りてきますとこの辺りの 台拠点であります諏方に入りますけここ から最後にもちょ見えるんですねま晴れ てるとより良かったけどまあまあまあいい わあ行けない見逃した血名所の木坂を車窓 から紹介しようと思ったんですけども 遅かったです ね僕はその先の上諏訪で降りることにし ました茅野にお住まいの皆さんはねえ こんな都会である我が茅野が飛ばされて しまった多分ショックを感じてらっしゃる 方もいると思うんですがしのはちょっとね 1時間ぐらいで今回各駅をこう降りて見て いくって目標にしてるんですけど 血は1時間では手に負えないなと思っタの 方まで行った方がいいなと思ったらで 飛ばしたということでしたカスは211系 この中央線使ってこの車211系つんです けどねその車両タッチがこうずらり並び いい雰囲気のところです ね地の上諏訪の2つが中央線で全部の列車 が止まる中央駅ですねお客さんもまだまだ ホームから開札歩き続けていますこの神沢 の名物はあそこにがかかおります上諏訪 温泉と書いてあります今日は日曜日で登り 方面が混むこともあってうわいっぱいいい ますね多分ね特急が出ればすくと思います 駅にこう書いてある足までもせっかくの 途中列車の旅ですから駅を出て外の温泉に 入っていきましょうあ霧島サトのやつまだ 貼ってありますねあその霧島サトの隣に いる人で有名になって捕まった人まだ張っ てあります ねここにのキュンパス平日に旅行し ましょうとことでねえ割引のえやつが色々 出てるんですけれどもこのJR東島乗り 放題結めちゃめちゃ安いですよ1万円で何 もかも乗り放題みたいな安すぎる逆に特急 とか新幹線とか安すぎて激混みになるん じゃないですかねということでねあの平日 にこういう風なこう片道乗車券青春上ハ 切符でなか片道乗車券を買って普通列車 途中下車の旅をするのは毎朝上がりですよ これ4日間使えばねえ1日あたりえ 2000円切るのかな18切符より安い じゃないですか温泉街は徒歩10分水する と水中のランプで教えてくれます親切です ねまつまりスがもし水が上がってしまうと ここが水に浸る恐れがあるということ でしょうあそれ以外も普通にこう雨が降る とすぐ溜まってしまうということですね 水深30cm50cmと分かるようにして くれてい ます駅の真裏が温泉街です屋さんがある 安静が5年すごいねここに行かなきゃね 温泉はこれ温泉ですよ結婚式場とかじゃ ないです よ街の共同浴場片倉館です超豪華え 50000円ぐらいで入浴できると思い ます片倉ってのはあれですよねあのキート 輸出の片倉だと思いあの今倉庫会社として やってますけど明治以降の日本の発展を 支えるためのキート産業があの眉をこの辺 でみんな作ってですねカコの糸を沿ってい たのでそうですね諏訪のほりで明治のはめ に精神源を起こしシルクエンペラーとして 世界に知られる一代コンテ気付けあげた今 でもね大会社上場会社ですけどもえ片倉家 が創業50周年ですからあの明治の初めの 時から担いて創業50周年ですから相当昔 昭和3年に地域の人々のための温泉保施設 会館を併設した片倉感を建設しましたあの どう事業に協力した地域の人たちへのお礼 みたいな意味合いもあったようですこんな でもなく豪華な昭和3年のお風呂に我々 観光客も入れ ますま今で言スーパー戦闘みたいな感じか とこんなのをボーンと作ってしまうぐらい に昔のキート産業はすごかったんですね この辺りの超重要必見ポイントですから中 がごった返しているかなと思ったんですが 音声も入ったんですけどね意外に空いてい ましたま観光の方いらっしゃいますけれど も僕だけしか湯舟に使ってないという時も ありましたねまUにはさすがにね当然 ながら撮影できませんけどこの様子を見て いただければま大体そのすさは分かると 思います温泉はダメでしたけどトイレは 特に撮影するなとは書いてなかったので これトイレ見させてそれですよ ねこの2階が休憩室です休憩室は休憩だけ に使うこともできるし食事もしたしていい らしいですあのさしてくれるらしいです まご飯はさっき駅弁食べちゃったんでこう いうやつにしときましょう140円でした あとねスには名物がたくさん味噌もその中 の1つですよねこういうのいいなと思って ねこの中で食べるのはいけないそうです なんだろうなんかその保健所の関係か もしくは このせがボロボロね文化剤にこぼれたら みたいなやつかな外で出てきて早速べ食べ てんですけど悪魔的にうまい なま中目車の旅だったからねえこっちは まだもう1個あるんですよ建物が昔の会館 ってやつがねそれも見学していきたかった けどま今日はいいや駅に戻ってきたら ちょうど次の乗る電車が到着したところ でしたねこの上諏訪から先は電車の本数が 増えますすは松本の都市県に入るわけです ね長野行き ださっき特急が行ったのかなホーム場にお 客さんがいません 元々は全国2万kmのJR前線の中で唯一 合法的にホーム場で全裸になれる場所だっ たん でしょうここから次の下沢までの間がスワ が一番よく見えるところですあ大味そです ね見えております湖はこれまで通ってきた 中でほとんど唯一の大きな湖相模湖という のもありましたけども相模湖は人口のダム ですから昔はありませんでした険しい山に 周りを取り囲まれたこの辺りでこれだけ 多くの水が一気に手に入るところというの は結構貴重だったはずです実際現在でも 諏訪地方は精密機械工業の拠点として多く の企業が立地していますそれには元々 先ほど片倉が活躍していたような時代の キト製造時代からの歴史があるのです [音楽] さっき見えた諏訪市の中心部上諏訪が あそこですねこれぐらいだったかなよく 見えるのもう一瞬なんですよね見えるのは なお上諏訪下沢間中央線は単線ですずっと 伏線でやってきていたんですけれどもここ だけは伏線化されていません下沢岡谷間も 単線でした通常だったらね線路が上1本 ずつしかれて伏線になってるんですがどう しても土地がないみたいそれで複線ができ ないみたいなんですよねできるんだったら やりたい需要はあるんじゃないかと思うん です ではお隣の下諏訪も見るべきところです ここは地の上諏訪下諏訪岡谷と4駅連続で 重要駅が並びますお単線だから反対の列車 が待っててくれました堀田下諏訪駅は昔 より特急の停車本数が減ったような気がし ますがえとにかく企業が色々立地している ところもあって企業の看板 がああ下沢から先も戦ですね線路1本しか ないですねちょっと苦労するところですね jr東日本さんもダイヤ調整があこれは 初めて見た天気のいい日は階段の上で富士 山をご覧いただきます左がお願いしますや がお願いします天気のいい日には窓から 富士山を見ることができます今日はダメ でしょうねあこんな風に見えるん だというのは思っとくのでいいことにし ましょうお見える わ見えたかどうかの事実が大事ですよ頭の 上部分しか映ってないと余計なという必要 はありませんあそこからつまり甲府方面 からこう山間のところを縫うようにしてき たんですね富士山めちゃめちゃ押してます ねこの窓から富士山が富士山が見える駅 下沢駅これねなんか昔分割民営化直後に この辺りのこう駅に色々名物を作りましょ うっていう地域魅力創生みたいなので多分 やったんじゃないかな隣の神沢は駅に温泉 を作りましたよね長野は全般的にそういう のが多いです駅名の看板もこれ大こんな 立派なのありますよ結構ねこう駅の名物を 写真にして紹介し がちここ下沢は観光の駅で三角屋根の なだらかな駅舎がいいですがこの辺りだと 基礎福島があんな感じです ね駅前には大きな企業があって新州の経済 を牽引する言動力の1つですねそれだけ じゃありません 新宿の魚苑の前を1と数えここが44番 目甲州街道の終点ここが下沢軸なんですね この突当たりを左へ行けば中千道右手へ 行けば甲州街道です江戸時代当時から営業 している死舗の旅館がいくつも並んでい ますここ下沢は甲州街道と中仙道の合流 地点でまた中仙道では69の宿場のうち僕 も実際に見て確かめましたが昔ボーリング の技術もない時代から自然にお湯が湧いて いた唯一の宿場だそうです真正面は元本陣 ですねここ前自転車で来た時にここに止め ていただきまして和宮が昔江戸へ行った時 にこで止まったみたい部屋も見せて いただいて旧本人の旅館とさらにここから 真っすぐ行け ば上州高崎を経て東京大学の前を通って 最後は江戸日本橋へ行く中線の69次の 三筋でこちらが逆にえ今通ってきました 新宿から最後はやはり日本橋でと至る甲州 街道というわけでしたいいところを見まし たねえ甲州道中中仙道合流のこね結構見所 がありましてもうすぐ戻らないといけない わ浸ってる場合じゃないですよでも ちょっと時間ないかなオルゴール記念館と かありましま全国にねこオルゴールのこう いうやつて正直あるんですけど諏訪のこれ は本物ですよなんだってオルゴールの街 ですよねオルゴールとか腕時計とかカメラ とかかな戦後海子を育てる要さがなくなっ た後ですね精密機械が代わりにこの諏訪の 経済を引っ張っていったわけですけどその 中の1つの製品がオルゴールですから寄っ てきたかったがちょっと今日は諦めよう なぜならあと5分でさっき目撃した臨時 列車が来るからですあれは今日しか走って ない列車みたいですだったら乗った方が いいすよね時間を合わせ てあこれが2デックかさっき見たあの企業 があのオールゴールのさっきの博物館は この企業がやってるわけですね1946年 日本のオールゴール国産が始まった時から ずっと作ってるそうですこれです ね大丈夫 です臨時の新宿行き特急と行川までは出 ないですからねこれらこれがホームに入っ たら出ると 思う富士山まだ見えるかなまだ見えません [音楽] いや本当にいい車両ですよこれあこれこれ なんだなんか立派な大屋敷と会社が横に なってるとあ創業者の人の土地だったのか なみたいなことを想像します が全車指定席で昔はプラス50000円 最近はプラス800円払うように値上げし たみたいですけどとはいえ何時間乗っても プラス800円でよく座席は特急よりも 快適ですえ結局これ16分しか乗らないん ですけど [音楽] ね16分しか乗らないんで一生懸命楽しま ないといけないですね列車は次に潮駅の 岡谷に着きます岡谷へ着くまで遠くにスの 湖面がま見えなくもないかなみたいな感じ で見えますがこの眺めも素晴らしいと思い ますコメが見えなくたっていいですよコメ が見えないほど周りに建物がたくさんあっ て都会になって活発に人々が動いていると いうことが分かりますからね この岡谷駅の向こうにはいよいよ険しい山 がまたそびえてきましてこの向こうにどう にかして行かなければいけないわけですが またそれについてはこの岡谷駅の後ご案内 することにします岡谷はかつて全国1位の キド算出の地とされておりまし た立川でも甲府でもそして長野のかなり先 の方でも群馬県でもそうですがここが1番 糸をたくさん作ってそれを横浜に積み出し て世界にニューヨークにまで売って日本を 強くしたその1番の拠点です ねそんな大谷は今回寄りたかったんですが 飛ばすことにしましたその理由はも岡谷は あまりにもすごいところなのでそれ用に 動画を別に作った方がいいと思ったから です今川を渡りましたけれども川がこれは 天竜川の起点がちょうどここなんですが ここら辺に色々工場が並んでいますでこれ は諏訪の得意とする機械工業なんですが今 そうなんですけも昔は静止だったそうです 次の塩尻までの間には大変険しい塩尻峠と いうのがあり江戸時代から交通の南緒中央 線の鉄道の時代には峠を超えることができ ないということで大きく避けていましたが 伏線電化の時代になって蒸気機関車も なくなったので煙を反映とかね気にする 必要もないということでとんでもなく長く 立派なトンネルが掘られまし た明治時代のうちにはここにこんな トンネルを掘るというはできなかったし そういうことはしていなかったんです けれど も今の時代にはこんな立派なトンネルが 空いているんですね佐トンネルは1本の 小さなトンネルでしたがこのトンネルは 極めて大型上下列車がそれぞれに行き違い 大きなトンネルとなってい ますですからさっき岡谷駅でうわ目の前の 山がすごい見えてますみたいなのを言い ましたけれどもあの山はトンネル一発で 超えてしまうから今の時代には何の問題も ないの です座席すぐにもディスプレイが設置され ていましてこの凄まじい塩尻峠を貫く長い トンネルエレトンネルの見事さは明るく 映し出されてい ますちなみにこの列車はリゾートビュー スワコ号と言いまして通常はリゾート ビューふさ号と別の行き先で走ってるん ですけれど も多分何ヶ月に1回かしか走らないんじゃ ないか なこの冬は3回12月10日1月14日 そして本日2月18日と3回だけ運転され 長野まで全区間乗ると3時間ほどの乗車 時間になるようですまこれだけ快適な車両 であれば何の問題もないでしょうね16分 で降りてしまうにはあまりにも惜しいです 車内販売もやっていますまそんな16分で 降りてしまって惜しいと言えるなんてね 凄まじいことですよ塩尻峠を超えてしまい ましたこの山を超えてきたんですね中央 本線東武jr東日本の区間もあと1駅で 終わりです中央本線はJR日本の間区間が 東京駅からこの先の塩尻までそこから先 中仙道と並行する区間はJR東海によって 運営されてい ます今の塩中峠を一発で貫いてしまう とんでもないトンネルができる前までは あそこだねあっちにもう1個線路があり ましてものすごい遠回りになるんです けれどもあっちの線路を使っ てこの先の白尻の駅までを渡していました また例によって標高3000m級の山々が そびえる北アルプスを右手奥にいよいよ 見るようになりこの景色はこの旅では最初 のものとなりました ねちなみに昔の塩駅のホームこれ ですと今とで塩尻駅の場所が違いますま この話はこれまでの動画で何回もお伝えし てきましたから今回は特にお伝しませ [音楽] んここから先はいよいよ競えまだまだ空港 メビな中央線の見所はつきません東京駅を 出発し武蔵野の大地を通り抜けさらに恐る べき険しい山々をトンネルで井もたやすく 貫いて興風座と抜けてきていよいよ塩尻に やってきましたjr東日本塩尻駅ここから 左手へ向かえば東京方面右手へ向えば 名古屋方面東京名古屋間を結ぶ中央線の 途中駅を見つつ全部の魅力を味わいたいと いう欲張りな企画をやっていますが明日に は名古屋につけるか なここ塩尻まではちょうどねたまたま目撃 した珍しい豪華列車がいたので切符勝手に 乗ってみましたねリゾートビュー諏訪号と いうので来ましたがここから先は jr東日本の区間を離れjr東海館内に 入ります今回はプラリ途中列車の旅ですが 塩駅では途中列車しないが面白いでしょう これ有名ですよね日本一狭いおそば屋さん 改札中川のおそばコーナーは諸々の経緯 から日本で一番狭い相場屋さんだと言われ ています3時の原子もしましたさあこの 塩尻から先の中央線を目指す看板特急列車 は特急シ号うわすごい数のお客さん だ列車の行き先は名古屋 ですここ塩尻と名古屋との結びつきは かなり深いようですお客さんの数が すごかったですもんねなんであんなにお客 さんがいるんですかみんな塩尻に観光に来 たのかな塩尻の人が今から名古屋に行くっ て感じじゃないもんな日曜だしうん不思議 だ他にも色々出かけていたのかもね日本で 唯一ホームの武道園というのを見に来てみ ましたま今全く枯れ果てているんです けれどもブドが良くなってます よこれも分割民営化当時の運動なんですか ね駅の雰囲気をもっと良くしようて多分 それぐらいの歴史があると思います特急シ 号は性能も素晴らしく早い列車ですがまだ 乗りませんあれ乗しまうと一気に木福島 まで飛ばしてしまいますから停車駅が 少ないのでその間をやはり1時間に1本 ずつ走る普通列車に乗って寄り道の旅を 楽しみましょうこの列車は普通列車の 中津川行きワンマン列車ですここからが 中央再戦の第1歩背です背華な転換クロス シートが並んだ313系という電車が使わ れていましてこれから先にも大き期待を 持たしてくれますがまちょっとねお客さん がいると僕ブツ喋ってるとうるさいので こういうところに今僕は来ていますさっき はあっちから来たんですねこの塩駅は全部 の列車が強制的に進行方向を変えなければ いけない中央線の折り返し地点のような ところになってい ます昔は直通列車もあったんですけどね この塩尻駅の向こうまで中央線を一する 列車というのはありません中央線東古屋 全部りす場合には絶対に塩尻で乗り換えに なり ますビニールハウスが並びまた一面のブド 畑になります田んぼみたいなのもある みたいですけど基本はこの辺りはブドです 元々は産だったようですクアを育てて海子 の糸を取っていましたがどうも大正時代 から昭和30年代ぐらいにかけて少しずつ 眉の値段が下がったり色々なことがあって えもう武道に変えた方がいいだろうと ワイン作りの歴史もまた長かったこの辺り はクアから武道に転削という動きが起こっ たようですこの塩尻から先jr東海名古屋 までを中央線と呼びますが列車は早速その 中央戦らしい駅のうちの1つすの横に 中仙道の宿場町が今も並んでおりますもう この家なんかすごい宿場町の家っぽい細愛 形をしていますがその中仙道の宿町をすぐ 横に控える背駅に着きますえ車も必見です よラッキー3分停車なんでなんですかね 後ろからの臨時特急に抜かれること前提な のかなこれがセパ駅舎ですがまこれなんか 古い駅だなこれ明治時代のやつでしょで しかもここに鉄道ができてからずっと使わ れてるものですよこの駅がここに置かれる この建物がここにできるまその前日までは はっきり言えばみんな馬さんとかねあの もこみたいなの持った人たちがそこら辺の 街道を持って歩いてというのが常識だった 時代ですよねそれからずっとここにある 貴重な建物だと思います当然ながら蒸気 機関車の時代からここにあります背駅は これ電柱がぐさっとここに突き刺さって ますね元々はここに電柱はなかったわけ ですよね電化されてなかったからでも電化 されたんで後で電柱を上から突き刺したん だ停車中他の列車は何も来ませんでした何 の4分停車だったのかなうわいい感じだと このね明治時代の建物が中央にはいくつも ゴロゴロ並んでるんですよ江戸の町ごとに 今の鉄道駅がありますまさに駅ごとに駅が あるわけです宿町のことを駅って言いまし たからねそしてお気づきでしょうか塩尻を 出てからしばらくはま割と平みたいな ところを開けたところを走っていましたが ここからは横に山が見え始めますこの山と は長い付き合いになり ますこれから先横を行く中道は昔全て山の 中と言われましたその地形は今もく変わっ ていませんからいよいよこれからかなり 長い間せい谷側の間を進むような感じに なりますこれが中央線の名物の基礎字区間 ですまもなくこの山が狭くなったところ あたりから先を基礎字とする場所になり ます日本を代表する観光資源です乗車中の 中央再戦は高速運転をするために大な トンネルを昭和40年代ぐらいにこのよう に完成させましてまその結果ちょっとこの 辺では景色が見えづらなっているのですが トンネルとトンネルの切れ目のここら辺 ちょうどこの辺りからがこれより南が木 ですスーツ旅行チャンネルの中仙道69次 の動画でこれより南木中の石碑を紹介して いるのでま見なくてもいいんですけど興味 があれば見てみてください江戸時代の人が 歩いた道の後そして中央線がかつて通って いてもう今は新しい線路にすり替わり配線 となって残した道の後などがこの辺りの 観光源のようにGoogleマップでは 紹介されています のん奥へ向う 列車ですねって時代のいを使い続けてい ますすごい観源だと思うんけどねまただの 形はどの駅もすくル重な駅だとは同じよう なものな かてそしてここら辺ですはい これ昔ここに中央線を作った時にこの上に ある旧中千道をちゃんと歩けるように維持 するためレガの道を作りましたこの画面 右手方向に江戸自体の三川宿があります つまり三川の宿駅です左手は崖右手は谷 ですだから右の方が景色がいいですこの 狭い谷にぎっちりと集まり人が活動する 基礎平沢の景色を見ることができます 式つまり塗り物の産地として栄えました いや今も栄えています中線を代表する名所 の1つ平沢でおり ましょう平沢は無人駅でしょうあここが逆 に友人だったらびっくりし ます元々の正式な宿場ではなく宿場と宿場 の間休憩所とかが並ぶ愛のとされるところ でしただから宿泊とかは江戸時代はでき なかったでしょうね今はできるのかな かっこいいカーブですよねこの谷をグイっ と切り込みます驚いたことに駅のすぐ横に 駅直結でお墓があるんですねちょっと あんまズームはねやめておきますけれども このぐらいでここは駅構内かなと思ったん ですがこの感じを見るにお墓の土地は駅で はないようですここの土地だけは取得し なかったんでしょう歴史あるお墓ですよね 全て山の中と言われる険しい谷を縫うよう に移動してくるこの木地の旅はま時折り このように平穏なところを見つけることが できましてお伝えしたように基礎の谷の 宝物基礎出金がここで盛に生産されている とのことです駅によくある展示コーナー 湿気の給食セット小中学校の子供たちは 毎日湿気で給食を食べていますそうですか いい教育でしょうねこれ子供たちがこれを ねえ自分たちの誇るものはこれらと覚える ことは大切ですよこれは多分元々この 向こうに多分窓口があったんだと思うんす よね違うかな昔は駅員さんがいらしたよう です駅員さんはいなくとも街は立派ですよ 駅から出てくればここが中千道ですねうん 間違いないわ自分でやっぱり1回行くと 覚えてますね向こうが京都方面えこっちが 日本橋方面です屋根が出っ張った素敵な 建物が並んでいますどっか湿を変える ところはないかなさっきねお店空いてたの 入ったんですけど誰もいなくて明りも消て たんですよねま町だけでも見事ですけどね はい手に入れましたえ創業はね完成年間 あの完成の改革とかねいうの江戸時代の 後期ぐらいですよね200年ほど営業され ているところだそうです中身は後で紹介し ますいいですねついに基礎湿を手に入れ まし た買った基礎湿をもういきなり開封して後 でなんか食べようかなま他にもいろんなお 店行ってねえ茶碗とか買いまくるのもいい かもしれないですけどまあ今回はちょっと ねえもう途中下車のダですからあんまり 荷物がが多くなるとということで平沢駅に 戻りましょうと思いましたがま列車1時間 に1本でまだ大して時間は経ってませんし これねえ月の宿町習いまで歩いていけるん ですよあ習いまで30分かかんないんじゃ ないですかもう歩いてっちゃおうかなこの 辺り中央再戦は基本駅間が大きく空いて いるんですけれども平沢習い間だけはま 大きな人がいっぱい住んでいるところが 近いということか駅の間は近いんですねだ 歩けますここにお墓がありますから平沢の 町は主にここまでですね大体歴史ある宿場 町とかにはお墓が設けられているものです ね電車の音が聞こえるなちょっと聞きに 行きたくなってしまう な危険につき線路横断禁止ということは 横断しなければ行ってもいいということか あいわゆる勝手踏切りというやつかま多分 大昔は渡れたんでしょうけどね普通 に渡りませんよ僕はただ電車を見に来た だけです反対方向の電車 なんだかんだ30分に1本ぐらい電車が 走ってるので使いやすいですねいや30分 じゃない1時間に1 本電車が行くと反射的に渡りそうになって しまうなもちろん隣の習いまでは中仙道を 経由していきましょう江戸時代の人たちの 道筋でjr東海の踏切には書いてあります ね第3中仙道踏切りこれ中仙道とJRの 線路の交差のここが3回目ということなん だ これが中仙道でいいのかなとねちょっと こう疑問に思いなが歩いてたんですけどあ そうらしいね江戸時代の人がこれ刻んだん ですか中仙道もうあんま読めないですけど あこれが僕の進むべき道で間違いないわ僕 もやっぱり思うんですけど徒歩30分とか 日頃めんどくさいじゃないですかええ30 分も歩くのみたいなもうね中央線の旅行し てるそういう気分にはならないですよ昔の 人は全部歩いてたんですからかか1駅 2km30分を歩けなくてどうするよと いう気持ちですねちなみに初夏のように 暖かいですね雪あるんですけど全然寒く ないです今はやろうと思えばこんなに簡単 に1歩も歩くことなくこの険しい山を越え られてしまうとは昔の人が知ったら驚き ますようわなんかすごい景色があるじゃ ないですかこれはちょっと走って品の後に 急いで追いついた方がいいおお 明治の時代に中央線をこへ通すために作っ たこ橋という言い方でいいのか な石作りですねこれはそうですよね列車に 乗らなければ乗らないで鉄道がどれだけ 素晴らしいところを走っているか感じ られるので歩くというのも悪くありません まそれようと全部歩かなきゃいけなくなる んですけど ねよしもうすぐだお隣の習い駅は書いて あるわ ここまで中央線や中線道が奈川に沿って 進んできたわけですが渓谷に沿って流れて いるこの三筋ももうそろそろ終わりでして え目の前のあそこに悔しい山がありまして ここで峠を超えなければいけません僕もね 熊とかの動物に怯えながら自転車で超えた ことがありますがこれから鳥峠越の区間 です着きましたねここが峠越前の最後の 拠点の町奈良井駅も併設されております 観光地として奈良奈良井宿の入り口 ですここは見なければ明治の貴重な駅舎が 宿場の入り口に建てられていて観光地の 入り口のアクセスとして最高の条件だと 思いますでもやっぱり平沢から歩いてくる とあ次の宿場についたという気持ちになっ てね昔の人の旅人の気持ちをちょっと 味わえるかもしれません習い戦権と呼ばれ ました峠を超えるまでの最後の準備の段階 にここで休んでいきましょうということ です ね日本で1番長い宿場がここなのかなえ街 だけで1kmの長さがありますここまで 平沢から歩いてきた関係でちょうどね列車 の1時間起きの運行にタイミングがあって いましてここで写真を取ってさっさと駅へ 戻ればまたもう1区間移動できますね 明るいうちにどうしようかなこれなんか 食事でもしていくか次行っちゃうかま今回 はあくまでの旅なので中仙道は魅力的です が引き立て役と位置づけてさっさと厳を 返して列車に乗って次へ行ってしまうこと にし ましょう習いはまだまだいっぱい今後も 来ると思うしちょうどななく峠を超えて 反対からやってきた名古屋からの特急 シナノ号の通過光景を見られまし た思ったより遅いなあそうかそうか習い から向こうがあの単線になるんで駅を通過 するところで速度制限があるんですね 吹雪防止のため開けたら閉めてください そういう過酷な環境なんですね今冬また 田中なはずなんだけどな吹雪とか何も なかったですね閉まらないじゃないかま 吹雪防止ということなら制度の趣旨を鑑み て別に閉めなくてもいいかjr東海の基礎 の名物ですね列車の速度が大変早くなり ましたホームで待ち合わせの際列車にご 注意ください品の号が今の車両に新しく なった時に速度が上がったんで気をつけて とただの場合は通す時に速度制限がある から多分早くなったと書いてあるけどなっ てないと思いますさてここから先の区間へ はおおこれは珍しいやつが来ました ねこれまでの動画に散々登場した jr東日本の中央専用の車両ですここは jr東海区間なので通常であればこの車両 使わないはずなんですがま諸々の事情に よってたまにjr東日本の車両が入って くることがあるんですよねたまにです 珍しいですボックス車だったら良かった けどボックスシート車は入らないのかな ロングシートで入ってきましたねワンマン じゃないからどっから乗ってもいいんだ なあんまり人も乗っておら ずこういう見方の景色もいいんじゃない ですかここからが宿町です ねさっきの表側が古く見えるように したりとかしているというのもあるのでま ちょっとねこちら側から見ると宿場町の不 を必ずしもパッと分かるわけではないん ですけれどもでも細切れの間口の狭い家が たくさん並んでいるのは紛れもなく宿町 時代の名残ですそしてこの街並は長いです よ先ほど言ったように日本で1番長いそう ですからね全然宿場の光景が途切れません でもここで反対の側も見ておく必要があり ますね ここでいよいよこれからトンネルに入り ますがここからトンネルに入りますと昔の 人は超えるのが大変だったという鳥峠の 区間ですやっぱりトンネルの中でも多少坂 になっていまして列車今峠を登っていると いう感じはしますとはいえ険しい山は トンネルで一発で貫いてしまいますタスク 峠を超えてきましたあの辺がそうだった わけですよね全く信じられないあっという 間な一ですよロングシトに座って200円 も払えば当を超えられてしまうんですね 信じられない時代だ隣の宿場藪原に入ろう としています藪原もでかいですよね習いと 同じように峠を控える手前の宿場だった わけですから藪原駅に着きました1個お隣 の駅で降りるっていいですよね1個お隣 たって峠の向こうですから別世界ですよ うわあすごい明治43年9月の出産票ま この辺りの駅もつくづくいいところばかり ですよびっくりですけど ね明治時代の駅舎は当然のように並びます いいですね明治43年の建物ですか大丈夫 かなハス邪魔ちょ邪魔かな大丈夫でした なんか僕ちょっとねよくわからないとこに 立ってるんですねここは道の真ん中なのか ちょっとそうじゃないのか分からないま 多分道の真ん中じゃないでしょう車の並び 的にねいや本当にいいですよ明治時代末期 の建物こういうのってよくな入場量 30000円とか取ってねなんか強度資料 館に転用されてたりとかするもんです けれどもただの移動手段として明治時代と 全く同じものが完璧な状態で残ってるん ですから入場量もかからないしお得だと 思うんだよなこういうに価値を生み出せる ばでえここ藪原は先ほどの習いから鳥峠を 超えて反対側あるところでしてあ実際鳥峠 こっちですよと書いてありますここ中線道 なのかちょっと分かんないですけど旅館が 並んでますねこれは鉄道時代になってから ここに作られたもの でしょうここら辺に止まるってのもやり たいけどすみません旅のもがあって100 年前はできたと思うんですけどちょっと なんか難しそうですねやっぱり峠の手前の 街ということで昔から拠点的な場所あった ようですねえこれJR東海の藪原保線区だ そうですがあの線路の保守をするための 施設ですけれども峠の手前だからという ことでここに置かれたんじゃないですかえ それからここにある旅館たちはねやっぱ 元々はここ中仙道じゃなかったんでその 江戸時代からここに宿場ってか宿泊施設が あったわけではないと思うんですけど多分 の鉄道の時代になってじゃあこう旅人が駅 のところに来るから駅前旅館を置いたん でしょう ね明治時代の名残りだと思いますよこう いう旅館は全国にまだまだありますけど 止まってみたかったなちょっと福島に宿を 取ってしまったんでねでもちょっとこんな のがあるとちょっと怖いなそのうち撤去 するのかもしれません駅の裏手の中千道の 宿場へ出ると最初に目に入ったのは江戸 時代関連のものではなく蒸気機関車ですね これ前来た時も見ましたねここに江戸のキ ポスト塚というのが置かれておりましてま その跡地になる代わりのものということで 昔ここに活躍した蒸気機関所を持ってきた んですね藪原と習いの間の峠道を頑張って 思い貨物列車を引っ張ったことでしょう2 2両連結だったかなでこの機関車ねなんか 白い文字で書いた後があるんですよこれ おりますよねちょっと読めないんですけど これ昔国鉄がそのストライキとかをやって た時代のじゃないのかななんか その実力闘争だとかねス圏奪かとかなんか そうそういうやつじゃないのこれいやでも 街のシンボルとして保存するのにそれを そのまんま残すはずないかさすがに綺麗に してから保存しますよね僕の勘違い でしょう昔の中央再戦は古い車両がずっと 使われててねえ全国からSLマニアの人が 集まったそうですま今も古い車両を結構 使ってますからね全国からマニアの人が 集まるんじゃないかな 運転台にもそのまま入れるとはねなんだ 利き類も動動くのかこれ動くみたいだなあ でもこのぐらいかちょっとあんま変なこと やんのやめてき ましょう丁寧に戻して ね昔ここの狭い窓から前方を見てよし じゃあ今から鳥だはいカたけえみたいな こと頑張りますこっちの機関女子さんが 一生懸命スコップでこっからこうガサッと 吸ってこうバゴとこう痩せんでしょうね 鉄道開通の時代になってもまだまだ過酷な 中央線はそれはそれできつい別の歴史を 歩んでいたのだということを思い出させて くれました時にここに葉っぱが落ちてます けれどもこれってあれですよね飛騨高山と かの名物の場ほ場ですよねこれ違う違うか そう見えるだけかなこういう葉っぱに味噌 を来るんでえ具材と一緒に焼いて食べるの が名物ですよねこの辺でもそういうのある んじゃないですかとかなんとかいっつら来 ました よ夕ねef64 ですもじ引退だからB51の時みたいに マニアの人がいっぱい来るでしょう ねでちょうどここからが藪原の宿場ですね そして何よりさっき習いで見た奥に山峠の そびえる景色を裏側から対象的に見ること ができたのがいいですあれをいもすく電車 で超えてきたんだと思いますえ原のこう いうとこにこう水がちょろちょろって出て くるコよく見られるんですけれども今日今 やったのかなでも本当に素敵なところだと 思うんですけどとにかくね車を前提とした 道じゃないんでもう江戸時代の道を 無理やり改造してるようなところですから 見通しが悪いバックミラーをこうきちんと 使って大丈夫ですね安全に横断し ましょうもっと見通しのいいところで横断 するべきだった あれまた貨物来たな多いですねさっき64 が行ったばかりですかえこのこの間までは ef64で運転していたと思いますが新型 の貨物列車機関車200に置き換えられ まし たこれは石油を持ってきてる列車ですけど もうこの辺まで来ると石油の輸送は名古屋 からやるんですね街中を一巡したらもう1 時間経ったので早いなと藪原駅に戻ってき ましたや多分あれなんでょね向こう西町が あるので線路の向こうですねということを 考えると明治になってここに駅という すごいものができてでえじゃあここで商売 しようってんですねえ旅館やらなんかそう ですね商売をする系のお店が多いよです けどもここもお食事どころなのかな いろんなお店がやってきたということじゃ ないでしょうかいや本当はねこの上の ところに素敵な道の駅があってなんかいい 地元の名産とかも出してくれるらしいん ですよねでそこに行ってねえ道の駅とは 言いますが駅というのはそもそもは宿場町 の継立とかをするところのことであって駅 というのはそもそも道にあるものなんだ からが道の駅ってのはおかしいんですよ誰 も海の港とは言わないじゃないですか みたいなツッコみをしようかなと思ったん ですけれどもそんな時間はなさそうでした もう次の列車の時間です充実してますね 明治のすに作られ一貫して使っている藪原 駅舎列車の時間に合わせて帰る子供たちえ 中学生とか高校生の皆さんとそういう方 向けの地域のバスが合わせてやってくる ようですまた切符を変えるようですがえ これjr東海直営え違いますねえ木村あの 地元の木村がやっている乗車権発売以上え 全列車指定権の発売もここでやっています ということでえ充実した駅の機能が今も ここにありますあなんか見るとマルスが ありますねスーツチャンネルでマルス本体 がそのまま映るのは多分初めてだと思うん ですけどJRの指定権などを発売するため の装置です がマルスが大切に切れをかけておいてあり ますあいいですねもうこれであとはねここ であこれ小荷物扱いってあの昔卓球便とか がなかった時代に駅で荷物をこう送ってた らしいんですけどその小荷物扱い用のこの 窓口も復活させればもう100何十年前と 同じ景色ですよいや本当に素晴らしい ところですね基礎を感じられますよあそこ 今の時代の中千道国道19号が通ってまし て車ビュンビュン走ってますが今の時代の 中仙道の活躍ぶりも見つつこれから先の道 もなお山にこう挟まれ狭いところをゆく 険しさを感じさせ反対を見れ ば鳥峠から続く急行牌をちょうど降りてき てここから平になるというところ の列車が駅に滑り込む光景もまた 素晴らしく中先度らしいと思いまし たこの列車は普通列車の長津川行き3番 列車 です次は原野原野です原野でお降りのお客 様 はさて次は走福島ですやはりこの辺りでは 圧倒的に大きな街で特急の停車駅でもあり ます特急は全部止まりますうおいやそう です大きいですよねまそういったことから 今日は福島まで進められればいいなと思っ ていたんですがえ順調に進めることができ ましたやはり止まるんだったらここが一番 の楽です ね習いもいいけどね習いはどうなのかな 海外の方でちょっと混んでるんじゃないか なと思ってね宿とか予約まできたのかも しれないですけど まもなく 島島です箱においでください町の中心部は この辺 です今日はここまでだ甲府から木福島まで 3日目も割と切りよく行くことができまし たね明日には名古屋つけるんじゃないです かうわあすごい昔の看板だレールアンド レンタ駅レタ取り扱いまこれ自体は有効な んですけどこれ国鉄の時じゃないですか ここまでね特急電車に乗ってきてここから レンタカを借りて基観光に出かけましょう ということですねま街道のことで言ったら 下諏訪以来の幼少ですよね木曾福島で 下諏訪駅と結構似たような感じの作りに なってますこっちのが大きいかな駅前に タクシーが2台もいますね歩いても宿まで は行けるんですけどタクシーに乗って 行こうかななんかこのコロナの大変な時期 を乗り越えて今もやってくださってるわけ ですからでもここでなんか食事もしていき たいな駅前に色々また店があるわけです これもあれじゃないのか藪原と同じ パターンじゃないのかつまりその多少店と か入れ替わってるかもしれないですけども ここに鉄道ができたんでじゃあ目の前にお 店やろうかてんでこうできたんじゃない ですか違うかなえソース活動のセトも山梨 の山梨あ違う長野もソース活動え880円 でこれでんのすごい ね高台にある駅からタクシでちょうど1m 700円でここが旧中仙道の道ですねえ 本町と書いてあります本町商店街大下で この辺り焼けてしまったので江戸時代当時 のおかとかここには残ってないんですが別 のところには影もありますうわなんこの すごい正肉店という感じなんですけれども えこの辺りに旅館がいくつかありまして これもその当時からのヤゴですよねえ本日 宿泊させていただくのは津屋さんですこれ 向こうに岩屋さんもあるんですよ岩屋を 今日あの予約したか津を予約したから ちょっと間違えてね取り違えてしまって 間違えて岩屋の方に行ってチェックイン しようとしたらあ予約が入って本当にすい ませんつやさんと間違えましたっと言って お詫出てきたこないですがえつやさんも 素晴らしそうなところですね岩さん前に 取材させていただいてねご挨拶したんです けどもあの僕の動画を見て泊まりに来た人 がいっぱいいたみたいなこと教えて いただけて嬉しかったですよし今日も到着 だこの途中列車の旅っていうのはあ街道 歩きみたいな感じですよね今日はここまで 行った明日はどこまで行くかなてね思った よ面白い旅だ実はなん僕もねこういう風な 徹底的にこうつさに途中下車しまくって その土地をこう見て学んでいくみたいな 旅行はねあんまりやったことなかったん ですけど今後もいろんなところでシリーズ が増やせそうです ねチェックインしたツヤさんは元々は古い 建物なんでしょうけどもなんかもう コンセントとかねそういうところからは 確かにその元は古だろうなって感じるん ですが基本的に全部リニューアルされて いるのでとても快適です当日になってから 急に予約しないお食事なしプラン明日の 朝ご飯もまなしでお願いしてるんです けれどもやなんか夕飯をラーメンを作って くださるそうそのそういうのあったんです よ下にねでえ注文したんですけど19時に ぴったりに行きますと言ったんで7時に なってこんな感じ実際もっと綺麗なんです 写真がちょっと映りが悪かったですねこの 綺麗なえ広間のところで連れて行って いただきましてえここでおこれ元々の大 広間の宴会場とかだったのかなというこう 広いところにですねえテーブルが並んです ここでえラーメン作っていただきましたで これがラーメンなんですが薄味でねこう 食べやすくしかももう本当にあちこち色々 日本的なところで名物を食べると しょっぱいものが多いんですけれどもそれ ほどすいしょっぱいという感じではなかっ たので体のことを割といりながら食べる ことができてありがたかったですねそう 廊下の様子とかご覧いただかなかったと 思いますけどこんな感じですじゃあ寝て おきますかまあね明日あんまり早起きする にがなさそうなんですよね明日朝6時 ぐらいの電車に乗ってこうかと思ったん ですけど多分ねまだ朝6時だと早すぎるん ですよま日も上がってなければここ山ん中 ですからね日の光も差し込まないですし こういうのを使ってまだ電気がなかった 中央線開通当初の雰囲気を味わってみ ましょうささごちまだありましたねもう 今日までだから食べちゃおう明日の朝ご飯 はすずらん餅を食べると餅持ち運んでる 重要ですよおはようございますます関所の 町福島から最終日のスタートですすでに朝 の8時になっていますいや7時時代にね 特急があったんでそれちょっと乗ってみれ ばよかったなと思ったんですがま大丈夫 ですえ9時の普通列車で行きますねここは 関所の町木曾福島ちょ中央線のトンネルと その手前に石勝を申した大きなえゲート みたいなありますけれども昔ここを歩い てる人たちのパスポートみたいなのを チェックするために幕府の管理でこの立派 なえ石勝というのがりましたで今でもここ が資料館になっておりまして見学できます がこの木曾福島の宿場はここです目の前に ところにありますこれが江戸時代から使わ れている中千道でこの上の高台のところに 中央本線が走きますよく見るとすごいです よねこの道の両脇に並ぶ家がですねえここ から始まって多分向こうの川のギリギリの ここまでここまでの位スパンがもう ちょっと指で収まらないですけれどもここ からここまでが多分元々1軒の家の幅だっ たと思いますで向こうも多分そうでしょう ねもう1軒の幅がもうこのぐらいすごい 広くえしかし間口は狭いというま昔ながら の街並みになっていると思います建物は 昭和3年に大下があったので昔のものは ほとんど焼けてしまいました がそれもね全部ではありません福島に来 たらここを見てかなきゃいけませんね観光 の名所上野段です福島の昔の雰囲気をよく 感じさせてくれ [音楽] ますまたこの奥に見える伏線電荷の中央 本線たまに特急電車がビューンとやってき て大きな音を足せて通過しますここから 向こうが見えるということは逆に言うと 電車に乗っていてもしっかり覗けば一瞬 だけですがこの上野段の地区を覗き見る ことができるんです ね基礎全般的にどの宿場も水がほくない ようでて昔からこういう風な様とか使って いたみたいです昭和初期ぐらいまでね普通 の浄水道が整備されるまでは本当にこう いうのが街の重要資産だったそうですね今 でも観光向けに水を流してくれています僕 の止まっている土屋はあそこですね昔から の家紋をバーンとかけて1番目立つところ に立っています止まっているツヤとか諸々 宿場の建物のすぐ裏は川になっていまして これも非常に古い昭和11年に高岳博士 どなたかのえ設計で立てたと書いてあり ます前の橋が雑炊で落ちてしまったので 世界最初の鉄筋コンクリートローゼ桁橋桁 を見れば分かんのか なこのこのこの部分ですねこれがそのちょ 多分特殊な構造なんだと思います確かに ちょっと見ると普通のやとなんか感じが 違うきますそもそもあんまコンクリートの 橋というのは見ませんしねでも昭和11年 にこんな立派な橋をかけるぐらいですから 渡った反対もねなんかあったみたい昔から これ色々案内が書いてありますなるほど橋 を渡った向い側にも色々昔からあったん ですねちょ時間の関係で今日はもう駅へ 向かいたいと思います基側の上からも見え ますがこの正書を管理していた人たちが 使ったところなんです ね福島は今でこそ結構広く見えますけれど も昔は全然土地とかはなかったそうです からもすごく道も狭いところだったんだ そうでだから石勝を置くのにぴったりだっ たんでしょうじゃそそ行っとかないとな駅 駅までのミスを示すこの青カパがいいです ねま昔のやついうのもそうだし中津川も 高山も遠いですよこっから高山にも行けん のかすご遠いと思うんですけどね岐阜県の 地名しか書いてないわこの辺本当に土地が 狭いのでお家とかもね普通道沿いに立っ てるように見えるんですが全然普通じゃ ないんですよこう全部この外のとろに 出っ張りを作って上に途中を無理やり作っ てそこに住んでるようですの代こういうの は作れないっていう話でしたねじゃあ中 千道とはしばしお別れですねこっちが木 福島駅への道ですま明治になって鉄道が できるぞということで多分街の人袖手で この道を作ったんでしょうね弁当でも売っ ていればここで朝ご飯買っていくのも 良かったですけどそういう感じじゃないか ななんかあるかもしれないですけど発車 まであと5分なんでま大人しく昨日買った 餅がまだあと5個ありますからさすがに餅 だけでは開けると思ってねパンを買ってき ましたまこれは餅みたいなもんだな味噌べ 日本はお米の国ですから ね今日は雨方でしたけど雨ってのもいい ですよその山の険しさが分かりますから あと湿度が上がってるとこういう駅の突 からケがモクモク出たりするのもいいです ねあとはお茶にあお茶がお茶お茶はあるん だけどスが使えないかまそんなもんだ なんかねJ東海区間もこういうローカルな 感じのとこだと カとか使えないですよねまお茶ぐらいどこ でも手に入るでしょこの便利な 日本この列車は普通列車の川行きワンマン 列車です最初左に座りましたけど基本は右 がいいんですよ ね右に配線跡がありますよ ねのトンネルとかもこの山の中に残って ますい意に現代風な煎餅がベースだ現代風 煎餅をベースとしてうんこの山にやって くるとよく味わえるような山のお店の味を つけてるんですねうん絶品だ交通安全は 全部人任せの電車の旅は気楽 ですさて次は特急一部停車駅の上松です 木材の街として有名ですね箸とか大椀とか ねその基礎の塗り物ももちろん有名なん ですけど やっぱり礎といえば礎木材じゃないですか この山のとにいっぱいいいのが生えてる そうです山が雲を抱えて良い景色だ時折り 振り返って側の流れがどう来ているかを チェックするのも楽しいですねうんまた 配線跡っぽいのがある わ到着した上松ではなんと10分停車10 分は長いです ねこの近くには名所めのとこがあります ただね10分で見に行けるほどではないん ですが大丈夫です中央線からよく見えます からねこんな感じの場所ですけれども関 日木の里基礎上松駅の向いには長年活躍し た基礎森林鉄道の車両が保存展示されてい ますもう運転することはありません配線に なりましたでも日本中もほとんど魚がダメ になってしまっているという中でここは今 なお魚がね結構盛んだそうですからそれ だけ基礎の引きのき木材への信頼が熱いと いうことですですね駅が広いのも昔木材を 運んでいた時代の名残りでもあるでしょう 今は保線基地として置いてあるみたいです なんかこれにこここに丸田とか詰めそう ですね今も森林鉄道できそうです揚げ松も もちろん宿場町だったところでして宿の 街並みもあるんですが向こうのお墓とかが あそこが多分宿場の割と終点なのかなで この駅の横にあるんですけど確か大下で 元々の建物燃えてしまったんじゃないかな ま大下の1つや2つではの内側松の魅力を なくすことはできないでしょうね列車ま それは今度ゆっくり見たいと思います坂を 下ってきました特急品野号基本的にずっと 坂道は下りとなると思い ます昨日鳥峠を超えてから先はずっと後は 名古屋まで木寺と共に木と共にていうか 木川と共に下っていくんですねじゃ ちょっと列車が出るわ昔この曽川の流れに 丸田を流して春が狩の方木材として送って いたということですがさそうと通過した品 号に対しこの普通電車の歩みはいかにも ぶらりたびですまでもこのゆっくりさが またいいですよ景色をじっくり1つずつ めるくまーる [音楽] とこをじっくり眺めることができました ちなみにあの岩の上の方には登っていく こともできますちょっと怖いですけど ね昔この山で木材を取ってそれをこの木川 に流し下らせて狩の方で財務として使用し たということですが他の動画でも説明した 気がしますけどそのね山の流れて 落ちる上流から水が流れ落ちることを人々 は古から利用してきましたこれ大正時代の 建物だと思います立派な建物ですよね水力 発電所です関西電力の発電所ですね中部 電力じゃないってのがポイントなんです けど多分その大阪の工業が当時 ものすごかったので大大阪と呼ばれた大阪 の電力源としてここの木の流れを落ちる 勢いを使ったのだと思います沿線には時 より美しい水力発電所が見えますやっぱり ねその町時代の名残りだと思うんですけど ねま土地があるとかない あがあるとないとの差がっきりしてると 思いますあるとにはまとまってぎとあるし まないとこにもほとんどないみたいねここ から家が増えますよ原駅に着きまし たによって明治時代にれてずっと使われて いる駅舎ここから原宿の町の横を通り ますあるとにはぎっと家が並んでいると いう感じですよ ね原宿の街並は毎度紹介していますが何回 見てもいいと思います ね当時のまんまじゃないです かうお駒ヶ岳も見えるわ今日も今日は見え ないと思ったけどな曇ってて宿場町 ばっかりだとねちょっとなんか同じような 話で飽きちゃいますから綺麗な警告を見に 行きたいと思い ますちょ今日はあんまり中車してないじゃ ないですかまだスタートして1回も降りて ないじゃないですかこの区間やっぱりお客 さんが少ないので日中は2時間か3時間に 1本ぐらいしか電車がないんですよね特急 は1時間に1本出してくれてるんです けれども特急は停車金が少ないので寄り道 には向きませ んということでちょっとね降りる駅は多少 絞らざを得ません雲の具合も最高だえこれ また明治駅舎の野尻駅反対側の景色もいい ですよ左が町もいいけどね川行きワンマ 列車ですどうしたのこれ12まさに基の 象徴である木材が並んでるというのもいい ですが僕がふざけて作ったみたいな雲が横 一戦に背景を作り上げてくれました列車は すぐ横の旧中線とぴったり並行しながら あまり人がいなそうなところを通ります次 に12かという無人駅がありましてそこで おりますまもなく 12です目的の12金駅で降りました ちなみにワンマン運転をしていますこの 区間ワンマンなが多いんですがそうすると 1番前のドア以外は開きませんから注意が 必要ですこの辺り中央線は複線になってい ますがこの左側の線路の方が新しいんです ね昭和40年代ぐらいに作ったやつだと 思いますトンネルで山を距離短く抜けて いきました一方で右側は多分明治時代から あったやつでしょうこっちの方がね山の 険しいところこう迂回しながらトンネル穴 を開けるのが難しかった時代からこっちの 線路はあるので反対方向の線路の方が ちょっと遠回りでトンネルもないルートだ と思いますさてこれね宿場町の駅ではあり ません駅にはこの建6園みたいなやつとか ですね石道路みたいなやつとかこれ何に 使うんだみたいなこの謎のイウみたいな やつとかまこれは分かりますね12金駅が 設置されてえ20周年になった時のもの です昭和23年にこの駅はできたんだそう ですねえそれからあとこ横にねまたなんか 謎のこのの塔みたいなこれ何なのJR東海 とか国鉄が自分でそれを設置するとは思え ないですけど地域の人がここに50の塔を 置いたらいいだろうってことで許可を取っ て置いたのかな勝手に持ってくるという ことはないでしょうさてこの比較的簡易的 な作りの駅 は目の前に中千道がありましてこれこれが 江戸時代から通ってる中仙道なんですね駅 を出るの目の前が江戸時代の球道という ところなかなかないのでそれも珍しいと 思うんですけど元々観光客目当てで作った 駅なんだと思うですよね貨物輸送がないん でかき渓谷というのがこの近くにあります これ本当に美しいところだそうでこれね しばらく列車来ないのでこっから2時間半 ぐらい来ないでその間に見に行ってみよう と思います反対側にもJR東海がくて 爽やかウォーキング爽やかウォーキングっ てなんかたまにやるイベントなんですけど この12金駅についてはいつもあどうぞ こっから爽やかウォーキングしてください ということでえいつでもできるそうです じゃ早速出発しましょう江戸時代の中天道 を移動手段として使えるのがいいですね なんかこの辺の駅周辺は元々はやっぱ 休憩所みたいなのがあったそうですねこう なんとなく進んでくるだけでやっぱ大昔の 200年とかそれ以上前の人たちが作った ものが置いてあるもんですねバト観音かな 違うかなこの辺りの基礎側の流れを南と いうそうでしてさっきザのとこを見ました が確かにもうその南側にあっての色は こっちの方が綺麗かもしれないな鉄道開通 前に良行でここを通った明治天皇も休憩所 で休んで馬車からこの景色を見たという ことなんですけれどもちょここでですねえ 基礎側に1つ合流してくる川があります これが柿それ川で大変美しいそう ですこの木曽川から秋に入り込んだ柿方面 は結構土地がやっぱあるわけですよねで 隠れ里とかねそういう風にあの呼んだり するようですなるほど谷を1本開け行って もなお結構人がいっぱいいるみたいだお茶 を1本買って いこうあったかいやつにしようか な はいもしや自販機は使えませんでしたま そもそもあると思ってなかったしなあ木の 香りがすごいひのき屋さんの自動販売機 だったんですねどんどんひのきが出荷され ていくみたいです後ろに見えてるこれ すごいねこの高架橋みたいな何これは中央 新幹線 ではなさそうですえかそ水路橋重要文化剤 だそうですねあ発電所の水路橋ねあ なるほどえこの上流の方に読みかけダムっ てのがあるんですけどもえここからですね そう発電のための水をこう流して最後は この狩の方でえまた基礎がに戻すと なるほどあだからこの辺基礎が水量が 少なく見えるんです ねうわすごい綺麗じゃないですか何これ という感じの綺麗なのがこの上流にあり ますまだその綺麗なところを目指して進ん でるだけなんですけどね高台に上がってき ましたこっから水路橋よく見えそうだ学校 があったのかな元々そんな感じですよね おおおこの山深いところにすごいよく作り ましたねよく作りましたねと一口には言い ますが鉄道がない時代にこういうの作るの は無理でしょうこの辺りの発電車は大正 時代につかれたのが多いようですが明治の 最期に中央本線がこの辺にやってくるよう になりますましてそれがあったからこそ ここを発電所としてこういうもの建設して ね発電所の諸々を設けることができたん でしょうそれによって大阪はより大きな町 になっていったわけですねえあと1時間 ほどこの山の方の方へですね分け入って いきますとさらに水の色は美しくなるよう ですちょトイレかなトイレがあるな寄って こうかなありがたいまでもいはそんな行き たくないから水路橋のトンネルがちょっと 見えますねよく使れこ飾りとかがね しっかりしてる昔のトンネルという感じ です上から覗き込むこともできますが なんかもっと激しく水がジャバジャバ ジャバとか流れてるそういうことはなかっ たですちょうど今向こうへ消えていった車 が関西電力のパトロールカーでしたよ よしじゃあついにかきがと共に基礎の深み を目指しましょうでもこの道この先最終的 には行き止まりになってしまうわけです けどそれにしてはよく整備されていてね いいだなとこれんだろうと思ったんです けどこういうことかここにね森林事務所 ってのあるんですけどあの魚の行政施設と かが集まってるんだと思うんですがこれ昔 からこの辺の魚がものすごく活発だった 時代からここにまとまって大きな規模の 施設があるんですねえ救急単価って書いて ありますねその魚は事故がかなり多いです からそういう方にすぐ対応できるようにと かこんな大きなまとまってる施設は僕は こういうのは初めて見たんですけどそれ だけ林業の本場ということですねあこれ 森林鉄道の配線跡じゃないですかあそう いうことか木曾には昔そういうのはすごい いっぱいあったんですよねで多分ここが 終点の駅になっていてこっからはその山道 をよくトロッコみたいなさっきねえ上松で 見ましたけれどもそういうのが昔あったん だと思います今鉄道自体は配線になりまし たがああもう急に道も狭くなりましたね昔 ここ列車が走ってたんだと思いますよああ 綺麗じゃないです かここにこう線路の跡もあっ てただ切れだけじゃないってのがいいです ね低いな これ低いってことは多分これ古い ガードレールなんだと思うんですけどそれ だけ昔からここが重要なミッシとして使わ れてたからこそ逆にこう古いものがある わけですよね昭和28年ですかこれの橋 です ね古くは木曾の山あちこちに巡らされた このような森林鉄道が中央線と連携して 特に戦後復興を支えたんでしょうねみんな 日本の家が空襲で焼かれてしまいました から名古屋なんかだいぶそれで恩恵を受け たんじゃないですか本当綺麗だねまた僕が 見る限りですがこの辺りにある家いえと その前の視線の手入れがとても行き届いて いてこれぞ里山という雰囲気で素晴らしい と思います おおいいですねガードレールこのもう レールとも言えないこのガードレール みたいなやつはこれ本当昔のガードレー ルっていう感じのものの最初期レベルなん じゃないかと思うんですけどもこれがあ るっていうことはつまり相当昔から整備さ れてるということでなんで相当昔から整備 されてるのかというとつまり木を下ろす ためのおそらく森林鉄道に変わるとても 大切な山奥の道路だったからということ ですね古いものがあるってことはそれだけ 大事なルートだってことなんですね YouTubeで皆さんに香りをお届け できないのが残念だとたまに思いますが この山一体はひのきの香りに包まれてい ますひのき風呂の中は歩いてるみたいです よなんと素晴らしい爽やかウォーキング それはあの工場のおかげですねあそこで 何か今削っているのでひのきの香りが 立ち込めるわけだ谷全体にこれ だ素敵な香りのがくですあちょうど機械が 止まったみたいね いまた動き出したな僕の歩いてるこの道は 多分森林鉄道の配線後なんだと思いますね ねどうも鉄道でも曲がりきれるような まあまあな緩やかなカーブとまあまあ 緩やかな登り坂にしてるような気がするん ですよねでなんならよく見ると道の真ん中 のこの辺がちょっと盛り上がってるじゃ ないですかいや多分ここにまだあるんじゃ ないですか当の鉄道のレールがそんな感じ しますよその歌川市森林鉄道の配線跡と式 道はここでギンてこっち回ってるみたい ですねで僕が今から行くべき警告はこっち だあと300m5kmぐらいここまで歩い てきたんですねこれ明らかにね線路の後と 言っていいと思いますというのはここに謎 の平らな土地があるんですがこんな平らな 土地が山の間に普通存在しませんので おそらく大昔の時代一生懸命ここを平らに して切り開く工事を行ったんだと思います でそれがねえ農林の土地になって今はどう かな街の共通のねそうですよ ね行政系の土地になってるま大体そういう 感じだと思いますあ全部やってきたわご 協力金入れいくらとは書いてないけど入れ ていきますか入れていきたいんだけど ちょっとまず先にお茶を買ってから自動 販売機は当期販売中止でしたじゃあここに 150円でいいのか なここに谷の宿さんというのがあるので 多分ここまで歩くのがきついという方は ここに止まればね列車駅からの送迎とか なんかやってくれるんじゃないですかやっ てくんないかな雨が強くなってきたね岩名 スープのラーメン和風の雪な味でそんなの も出してくれてんのかお食事もできるん ですねお食事だけでも入浴だけでもできる という素晴らしい施設は本日定休日は営業 中とはなってるけど多分営業してないと 思いますですごくいい施設じゃないです か今度泊まりに来ようか ななんだこれは えちょっと普通じゃなさそうなもの水けに 使ってますトロッコだと思うんすよね多分 何かこれを下にあのこうゴロゴロ転がる 車輪をくっつけてでこう走らせたんと思う んすよレールの上をでもそういうトロッコ とかがもうなくなったんでえこの枠だけを 使ってるんだなな工事とかに使ってたんす かねでいよいよ自然と共に行く夕歩道に なりました 5人までだという釣り橋ねまハイキング客 に今日みたいな天気今日みたいな時期で 出会うことはまずないですからお結構 揺れる な人数を気にすることあょおすごく揺れる 揺れる揺れるおお釣場は揺れるものです 揺らすものではありませんとの説明が書い てありました注意書き ねいい眺めじゃないです かあっちねまだあるんですね自動車用の しっかりした道もこ山奥の木を下ろして くるためのもの でしょうこれがさっき見た中央線の脇の ところからキ側に合流するんです ねこんなよく整備してくださって ありがとうござい ますこれは強力金も多少払うべきだ 150円じゃ少ないかもねいいところだ ねちょっと落石が気になりますけど左側ね 右はまそんなに 木谷から脇へ隠れたところにこんな綺麗な ところがあったとはねいや実はあるという ことは知ってたんですよえ行きたいなと 思ってたんですおこれ大丈夫 怖いなわあ 綺麗渡り終わった後で自分の通ってきた橋 を見てこういう感じだったんですね ちょっとため感じの橋でした ねこここだけに立ち入り禁止てあまここに なってないところ川に入るのも禁止はされ てないのかなまあんま入らない方がいいと 思いますけど向い側が崖崩れで非常に危険 なので立ち入らないでくださいと書いて ありましたうわ すごいこれここで何かあったら誰も来ない じゃないですか当分の間 多分絶対無事に帰らなきゃね観光の シーズンだったらね誰か通りがかると思う んですけどすごい綺麗だねお金1円も使っ てないですからね強力品以外 は途中下車の旅って安いもんですよ ああこんな先のところ までものすごく狭い渓谷だなんか聞く ところによると浮とか見ると故障入ってる かもしれないですけど中央線が開業する前 の中仙道というのはこんな感じのところが 多かったみたいですねそれこそ上松の ところに木曾の掛橋とこんな感じの植物で 作った橋があってそこをそうよにして進ん でいったのだと言い ますいい ねちょっと怖すぎだけど こんな凄まじいところとは知らなん だいい爽やかウォーキングです よちっとも寒くないしな真冬なのに落石 注意注意と言われまして も えどこまで上がるんだよ一体もう20m ぐらい崖下まで番外絶壁ですよこれ見え ます おおおこれは すごいこれより上はさすがにもう行けない ようですね行けますよと言われても行き たくありませ んかれ川の凄まじい勢いのかつ清らかな水 が綺麗な景色を見せてくれましたじゃ 帰ろうもうこっちから行きたく ないこっち持作ってくれています大変親切 だあでも45m先に展望台があるの か おちょっと今日この雨の状況でここで滑っ たりするとやばい気がするんでごめん なさいこれで引き返しておきましょう こっちやったら全然平気ですよ迂回から 帰りは逃げますあやっぱこっちの方が だいぶしっかりした感じではあるなあの下 のところも1度は経験したいスリルででし たけどねこういうところに来ても大木って いう感じの木はもうないのでまあっても 切り倒されていますんでこ切られてるのも ありますけどやっぱ魚のあれが入って るってことなこれ元々やっぱ輪形用の道な のかなもしかするとまこういうのを切って 森林鉄道で中央線へ運んだんです ね12かから往復11kmのちょ紛らしい ですねえ往復11kmの快適な道のりでし た快適だったかわかんないけどていうか 往復10kmの道乗りを2時間半で見て 回るなんてなかなか無理な工程だったな 早く帰ろう帰りみこっちなんですけどいい とこだったからちょっとお金だけ入れて いこうああでも効果でいいっていうあれな のかなおさはなかなかくそ時間が時間が ないの にだめだ入らんうわよし 駅時代はこの山のすぐ裏にあるんですよだ からもしねこの山こバっと反対側いければ まあ10分もあればつくんですけどあと 早足で歩いて40分ぐらいかなトンネルと いうものの偉大さが見に染みますねま 下り坂だから楽だあとやっぱり僕の歩いて きたこの道は森林鉄道の配線跡だった みたいですでこれがねどう行たかって さっき野尻駅で木が置いてあるとこ見たと 思うんですけどあの中央線の野尻駅の ところまで森林鉄は1たみたいですねよし 近道を発見しましたよこれ多分森林鉄道が できる前から昔の人が使ってる道じゃない ですかね上が鉄道配線後で今は車道として 使われてるんですけどねあなんで僕が通っ たことのないこの道を近道だと分かるのか というとGoogleマップには出て なかったんですけど国土チリの地図を見 ながらねえ道を探してたらあこっち行ける じゃんっていうのが分かったのでいやぶ これで大りです よあちなみにこの画を見てさっきの警告に 行ってみたい車で行ってみたいって方も いらっしゃると思うんですけど駐車場も ありますんで安心してくださいはいかりの 谷を抜けましたさっきのね険しい渓谷の ところから流れてきた川がこれ木曽川に 合流し中央線と共に下るわけですねあ中央 線の電荷された線路が見えると安心します ねもうちょいだ着きまし ためではあったんですけど5kmぐらい ずっと雨の軽いさでび塗れになっちゃい ましたね 爽やかでいいですよこれは対抗だな僕の 乗るやつああ来た来 たいやあちょうどこ山からねこの列車の 時間に合わせて歩いてきまして僕がホーム に降り立ったと同時に列車が来る2時間半 に1分の列車 が1分の油もなくて良かったですね普通 列車の長川行きワンマン列車です次は ぞです 僕が今頭分でれになりながら大急ぎ歩いて きてえ40分50分ぐらいかかったのと 同じだけの距離次の速までの距離は 5.5kmなんですがあっという間に座っ てるだけでついてしまいますこんな奇跡の ような高速移動を繰り返して名古屋まで4 日間楽しんで6930とは安すぎますねま 途中1回特急料金とかね観光列車料金とか 払いましたからその分高くなってます けどその内の駅で降りましたまず例によっ て木材がいっぱいまこれはねよくスーツ チャンネルも紹介している景色なんです けど総駅の木材ここが一番見事じゃない ですかねえご存知の方も多いと思うんです が中央線はこれから先長いトンネルを抜け て旧中千道の三筋から逸れますここまだね 中仙道沿いなんですけれども中央線の ルートはこんな感じになっておりましてえ それに対して江戸時代からの旧中先度は ここからつを目を経由して中津川に行って いましたルートが全然違うんですね鉄道の 通らなかった2つ残された宿場は廃れて しまいましたそんな廃されてしまった2つ の宿場を見に行こうということですねあ ラチは全部閉まってるこれ忙しい時は駅 さんここに入るんですね無人か今の時間は 駅前から出るバスのこれでいいのかな多 多分これだと思いますここ げそ観光地中千道つ子宿の玄関なんですね バスにはそんなに長くは乗りません多分 すぐ着くと思います歩いてもいけるもんね ありがとうございます狭い道を2台のバス が同時に進んでいくなんていいですね ちょうど駅12時40分同時出発みたい です中央線沿線では正確にはみんなが歩い ていた江戸時代の中仙道の道から中央本線 ができるまでの間に明治天王が馬車で移動 したりした馬車道がねあったという時代が ありましたんで今走ってるこの道こそが 本当の中央のということになりそうです つま子バス店に着きましたまバスで10分 もかからなかったですね歩いてもね 楽しかったんですけどちょっと雨だし えっと今いるのはえ川沿のこにいるわけ ですねで多分明治時代の馬車道なんじゃ ないいや違うかなごめん違うかもしれない まともかくこの道はあの昔の道じゃなくて このお隣にねえ中千道の旧中線道があるん ですけれどももうここが中央線沿線で1番 の観光地と言ってもいいんじゃないですか 中央線開通で廃された町が中央線沿線1番 の観光名所とはなんだか皮肉な話ですが それだけ中央線というもののインパクトが 大きかったということですよ ねいい眺めですよ久々もう3年前かな前に 来たのは明治維新の時は日本中こんな景色 だったわけですが次々新しい文化が入って きて街もどんどん新しくなっていて古い ものはなくなりましたしかしここはま はっきり言えば街の発展は鉄道が通ら なかったこともあってえその主流から 取り残されてしまったんだと思いますがえ その状態で頑張って古い建物を使って 暮らしていたところむしろこれがいいん じゃないかと昭和43年からこう保存復元 するような事業を始めたということでえ 壊さない占いあともう1個何でしたっけ なんかあったと思う3元則というのは足し てですねえこの古い建物を残しこれは昨日 訪れた習い塾の方でもこれを参考にし古い 街並みを保存復元するようになったという ことでついに時代が一回りして我々日本人 もこういうものを見ていいなと思うように なったそれだけつの街並みは耐え続けたと いうことなんですね前僕が69次の自転車 の旅をした時にこのつ子の松代屋さんに 止めていただきましたここも本当の江戸 時代からやって10何台続いているという あの伝統の旅館でしてその時はも貸し切り だったんですけれども今日は止まりません けどねまだ午前中午後になったばかりです がお食事をさせていただけるみたいですね 食事させていただこう もう本物ですよここは前オーク買した時 確かにここで朝ご飯を出していただいたと 思った なお食事もさせていただけることになった んですがまもちろんねあの営業されてる わけですからそれできるんですけどもそれ はねここのまこの上の2階なんですよね前 この上にね止まらせていただいたんです けどもこの ここで食べていいということなんですよえ こんな個室みたいな感じで食べていいん ですかありがとうございますすごく広いと 思いますねこれまこの感情を見るに最大4 名定員ということなんですか豪華ですねで えこのお隣のところとねまた普まで仕切る ようになってます江戸時代ぐらいのえ江戸 時代とか明治昭和初期ぐらいまでこういう のあったと思うんですよねあの隣のお部屋 との間の作り付けの壁というのはなくて この生子をこう動かすことによってお隣の 部屋と仕切る のセットがお昼のメニューですこれいい ですねごまご飯と漬け物とそばを食べる これ昔の人は多分本当にこういう風なお 食事をしてね中仙道の道を行っていたんだ と思います中央線の旅でもこんな感じだっ たんじゃないでしょう か伸びるやつから食べた方がいい ねてま僕とその後にもう1組お越になった んですけれども申し訳ありませんが ただいま満席となっていますだからつまり 2つでされてるってことなんですねお部屋 2つでね早く出た方がいいわ僕1人で部屋 1個貸し切っちゃってる悪いですからねあ 排水路だこここにこういう風なところ問を 作ってですね今日みたいな雨の日はここが びちゃびちゃぬかるまないようにここにも こうありますよね江戸時代の頃からこう いう風にやってたみたいです他にも並ん でるお家とか店とかに結構な割合が本物 ですかねそつまり当時のものこのもそう ですねこのちっちゃい 入り口左は郵便局かこれはねさすがに当時 の郵便局ではないようですけど郵便制度が できた時からこの同じ場所に郵便局やっ てるそうです書上集箱あの郵便っていう 言葉がまだ普及してなかった頃なんで多分 こういう風に書いてたんでしょねこれ明治 時代初期のものを再現したもこれポストと して使えるのかな収集時間がねどっか書い てあればそうだと思うんですけどもうん 使えるみたいだなちょっとわかんないです けどねそうですねあの最初の明治の頃はね 郵便っていうことはみんな知らなくて便 って書いてあるからあこれ便所かとか言っ てなんかここにおしっこしてた人がいたば 地獄みたいな言い伝もあるそう ですそろそろ戻らなきゃいけないんだよな 駅の方にバスと電車の連絡がねこの時間は あまり良くないんで時間ギリギリだけ使っ て見られる範囲を見ていこう大体ねその 宿場町に郵便局があるとその郵便制度が 出来上がった150年ぐらい前から同じ 場所にあるんですけどその場所は何なのか 大体ね本人問いがあるところが大体そう みたいですねここにあります本人が昔歩い て移動していた時には身分の高い侍さんと か出張の人が泊まる専用の高級宿泊所とし て本陣というのがありましてこれがその 当時の本人をこれはね忠実に再現したの 作ったものだそうですでも本陣をもう1回 立て直すという時点ですごいことです なかなかそういう場所は見なかったですね 公州街道の日野日本人が残ってるってのは 見ましたけどそのうわ貴重だ残って るっていうのはまだわずかに全国にあるん ですがこのお隣が本人のお隣はトヤとして 使っていたところでえこういう風 にオフィシャルな重要貨物を運搬する時に 馬の背中に括り付けるわけですけどもその 馬はそれぞれの宿場で用意することになっ ていてま漢字の駅という時に馬が入るのも まさに馬の拠点だからそれが宿場の最も 大切な役割だったと思われますであと本人 が満員だったりとか何らかの事情で使え ない時あと大人数の人がねえ大名行列産金 交代でやってくるとか足りなくなります からそういう時に使うのが脇本人ですえ脇 本人はここ本物が残ってるみたいです すごいですねこれも見ていきたいんです けれどもま今回はあくまで主役が中央線 ですから中央線ができる前どうだったの かっていうのを見ていけばいいでしょう 明治天皇もまだ中央本線ができる前この つ子の中馬車で通りがかってこの脇本陣で 休憩していったみたいですね相当立派な 建物だと思いますよ本当はねちょっと寄っ ていきたいんですけれども1箇所に長く 滞在するのは中央線プラリ途中下車の旅と は言えないでしょうあちなみにねこの動画 最初はブラリ中下車って言うと思ったん ですけどブラリ中下車はもしかしたら商標 的にまずいかなと思ってね急遽プラリと 中下車に変更したという経緯があります くそ最最後尾だけシートピッチが狭かった 最後尾にしなきゃよかったなクラブ ツーリズムの皆さんの観光バスですスーツ チャンネルよくねクラブツーリズム鉄道部 って紹介してますクラブツーリズム海道部 みたいなもあるらしいですよちょっと床が 高いいい感じのバスだていうかもしかして つま子からタクシーで投に行きゃ良かった んじゃないですか電車とバスの接続が悪い んだったらあそうするって手もあったけど まバスの旅も楽しいからねさっき取ら なかったんですけどこんな感じでね長袖駅 からつま子までは結構厳しいところを通り ますタクシーに乗ってきても良かったです けどねあ駅もあの下沢と木福島同こんな ねえちょっと斜めがかった形のま観光 タイプの駅なんですがまタクシーに乗って くるのも良かったですけど乗らなくてもね 駅前にまた例によってこの観光外があり ますよあの観光客向けの 駅前列車待ちっていうのもいいんじゃない ですか30分ぐらい待ち時間があります ここでなんか買ったりもうちょっとなんか 食べたりできるでしょおじさんとお しゃべりして椀を売ってもらいましたこの 丁寧に包んでくれたんでね後でまた 開けようかなドアの最後に開けましょうか ねもう掃除もここまで山道もここまでです あは山を降りるだけだからもうこれお 土産物が増えても大丈夫だアイスも買い ましたアイス食べながらおじさんが1た橋 桃橋ってのが近くにあるということなん ですけどもその橋のことを調べたらどうも これは見た方がいいらしいということで よかった早く来といて桃というの人の名前 で福沢幸の向こ向こ向こじゃないやあの 福沢幸の陽子の人の名前らしいんですけも え1922年ああアス落しちゃった 1922年にかけられた非常に古い木の橋 だそうですなるほど確かにこれは立派だ 重要文化剤だそうですねで橋の真中の ところにこんな風な2本の私立があります けれども元々ここにトロッコが通っていた そうですでそのトロッコを通すためのもの を分かるようにと復元して渡っていいんだ そうです ねでも全部当ってるとちょっと列車の時間 があるからなああこれは本物だ本物の トロコのレールがなんでトロッコのレール があるのかと言いますと中央線から物を ここまで運んできた後こっからトロッコで 進んで行ってですねこの木川のカリオの ところにさっきちょっとね帰ってくるバス から見えたんですけど読みかけ発電所と いうのは作ったそうですこれ宝くじで整備 したのかあ宝くじ買ってくれた人に感謝し ないといけないです ね僕みたいに宝くじを買わない人間が宝を 買った人たちのあれのおかげでフリー ライドしてるなんか悪い気もするけどな 駅前のこの道も中央線からトロッコが大昔 は走ってたんでしょうねダムを作ってる ダム発電所を作ってるとです ねお店も昔はかなり色々あったと思います が昔よりはだいぶ数が少なくなったみたい ですまつまりそれだけ鉄道の時代も半分 終わりつつあって今自動車の時代に移って ますから普通電車利用のお客さんの大半は 運転免許を持ってない高校生ですね昨日 昨日が土日だったんですけれどもあえて 土日を選択して今回は旅行しましたその方 がむしろ空いていると思ったからです学校 お休みなん [音楽] でこのは地形がかなり急です旧中天道も 多分それで通路のね諦めたんだと思います がまそれぐらい急なので今の中央線は トンネルを掘って急を配信にしながら 通り抜けていますなかそんな険しいって 感じのけないんですけれもどうかな トンネルの中で窓が曇ったりしないかな 大きいトンネルだから大丈夫ですか ね大丈夫そうですね今から人が渡ると思い ますああでもやっぱりトンネル区間の後窓 がちょっと曇っちゃいますねまほどなくし てこれも解消すると思います雨の日だけか なこういう風になるのはなかなかこの曇り が通れないんねもうそろそろ木が見える ところは終わってしまうんですけどね今1 回川を渡った後もう1回川を渡ります さっきお土産屋さんの人が言ってました けど僕は関西電力の社員かと勘違いされて たみたいですね関西電力の人は出張で本当 にこの辺りたくさん来るそうですねスーツ 着てる人は大体感電の社員みたいな勢い みたいです曇りの問題も解消しました 険しい区間を通り抜けたここ坂下駅で15 分も停車するからです15分停車とは びっっくりだ後の特急に抜かれるためです ねまだ日本にそういう路線があったんです ね知らなかったま色々見るものはあるから いいですすぐ横には基礎ひのきを売る工場 がありますがもうすでに基礎樹は終わった と言っていいんじゃないかなえ山の険しい 区間はま大体あそこまででして列車は すでに長野県を抜け岐阜県中津川市に入り ました15分もあるんだったらちょっと駅 の構造を見とかなきゃねあこの旅なんだ かんだ初めてじゃないですかこれ明治の 古川橋ですよねあのこのね古川橋のこの下 の部分のこの台座全国的に共通してまして 明治時代後期ぐらい似てきた鉄大体古川橋 はこういう風な構造になってますでもこれ だけだと強度が足りないのか国鉄時代にね えこんな丸と4つのあの四隅にこう伸ばし ていく支柱みたいなの建てられましてそれ を補強してるという点でも全国的に共通し ていると思います古川橋のこれ自体古いん じゃないかな結構古川橋の上から見ると 全て山の中と言われていた基礎基礎ダの 険しさがよりはっきり感じられますねシ号 が来るっていうから見てみますかこれは 反対方向ですけどもいや怖 そう うわーうわ風 がまた例によって駅舎は明治時代のやつ じゃないかと思います駅前に商店があるん で商店で買い物だ商店スーパーか使ってき ましたま山ゆいということでいいかなと 思いましてね木地ではあんまりとんかつっ ていうのはま昔は当然こんなもの食べて なかったでそもそも豚も食べなければ パン粉だってなかったわけですし山の中で 肉類だってなかなかなかったでしょうね あったかくはないけど割と出来たてなのか 上手なのかサクサクで美味しいなさて そろそろきそがとは分かれですね列車の 落ち合い側駅に着きましたが落ち合い側と いう名前ですが目の前にあるのは先ほど 同じ木川で ダムになってます今はご乗車ありがとう ございました次は終点の 中津川中津川です1番線の到着出口は左側 です津川から席のお乗り換えのご案内 いたします中津川に到着しました中津川に 来ればもうこっから先は大都会という感じ ですよまそう油断もできないんですが2両 ワンマンという電車が運転していたのも ここまででいよいよここからは長いの 名古屋行きしかも快速電車です中央線快速 というの目撃したのはやっぱ高尾以来です よねここが西側の中央線快速の始発線8両 も連結した電車が速やかに名古屋へ向かい ますといってところなんですが実は中央線 快速はねあんまり名古屋方ではあの停車駅 が少なくなってないですよね結構いろんな 駅に停まりながら行くので各駅停車とそう 大きな違いはないみたいです最新型の車両 315系でしたがこれのあの連絡を通した んですけども快速電車に連絡で乗り換える ということはせずに中津川で途中列車これ ね結構駅の校内が面白く坂の上あ違う根神 かそうそうそうそうあのこういうお蕎麦屋 さんがありまして面白いことにねえ今でも こういうところで営業してる屋さんての 最近少ないんですがネギだとかあの メニューが豊でさらにえビールとか日本酒 も販売してるとい結構面白いところです おば屋さんとでも僕はも今日は食ましたお 隣のコーヒーショップこっちを見とき ましょうえコーヒー紅茶ミルクその他飲を 手とあるんですかあれ何えもしかしてここ 全国でも非常に珍しいこれ立ち食い コーヒーかそんなのあんのここで立ち食い できるってことですよね言えばオグラ トーストとかも出してくるんじゃない確か メニューにオグラトーストとかもねある はずですもう名古屋の文化県でも途中車 すれば席を利用することができます改札の 外に出ましょう改札を出ると目に入るのは 歩いてみますか海道文の町 中津川今日はいいか な中津川市もこれで歩けとは言わない でしょう厚切りの逃走サクサクでねえお茶 ともしっかり合いましてなんかセットでお 茶とアイスクリームのセット50000円 とかなのかななん逃走とかがね400円と かだったんですけどもなん安いですよね大 トーストはやっぱ甘かったなとご覧 いただきましたようにここまでくればIC カードで自動販売機もついに買えるように なったしさっきの長そではICは額たよ だったんですけれどもで喫茶店に行けばえ オグラトーストが出てくるし大名古屋都市 県に入った気がします今日もJR東海をご 利用くださいましてあイントネーションが 違うじゃんいいの快速名古屋行きです一応 ねjr東海って言わなきゃいけないですよ jr東海は間違いっていうのが通説だった んですけどお手洗はもう公式のアナウンス でjr東海って言ってるから別にいいん だろうないしますじゃ僕も今後はjr東海 行っていようかなあんまそれやる勇気は ないすね今列車は中津川を渡りました あそこに今渡った川がありましたよね 向こうに中津川の町もありますあ天気が 良ければ行っても良かったけどなこの雨の 中でも降りるべきといえば中津川の次の 坂本ですかねここは降りといた方がいい ですよ今のうち にここが 中央題沸中のいや話題沸中か知らないです けどそうだと思いますよ美野坂本駅ですね 何がすごいってねここには将来横に とんでもないものが作られる予定でして それはこの空地に今作っているところなん ですけれどもこの小さな駅の目の前に いわゆるリニア中央新幹線が作られるわけ ですよ世界最強の鉄道がここに生まれてで ここで在来線の中央本線と新幹線の 乗り換えができるようになるということ ですなんなら向こうには車両機も併設ささ れる予定だそうであれ車両地を釣ってる とこなのかなうん回送線って書いてあり ますね中央新幹線の線路回送列車が通る ための線路を雨の中でも計画通り作り続け ています今日は大変ですねだから多分色々 なことが今この周りで沸き起こってると 思うんですよね踏切り廃止絶対反対踏切り 廃止に反対する市民の会100年以上利用 されてきましたああの踏切りって100年 以上あるんですか ともかくリニアが開業しますとここに地合 線の電車がいっぱいやってきてで特急列車 も多分止まるようになるでしょうね新幹線 連絡なんかを行って基地も近くなるしあの 今ね東京から例えば松本とか行くのに中央 線の特急で新宿から松本行くってのは普通 になってんですけど将来は中央新幹線に 乗って美坂本まで来てこっから品野号で 松本行くのが最速ルートになりますよここ 駅自体はすごく古いみたいですねちょっと 今からトイレをさしいただきますけどもす すごく古いトイレですよこれは木造ですよ ね僕今トイレ行ったんですけどこれ手洗う ことはできませんでしたなんか凍結してる のが出なかったですでなんかもう ものすごく広いトイレjr東海館内に こんなトイレあったのかみたいな今誰もい ないんですけれどもあの奥のとこにね便器 があるんですがあの組みとり式でしたね あるんですねまだこういうのがというか 名古屋駅直通の快速が8両編成で割と頻繁 にやってくる駅でこのトイレってのは すごいあのねもっと綺麗なトイレもあるん ですよ向こうにあっちにおまあっちを使え ばいい話なんですけどこっちのトイレはえ 男女ちゃんと別になってまして綺麗に掃除 されてるわトイレの格差社会だここで手を 洗おううんなんか昔の駅らしい駅前の道路 と駅前広場の境い目がよくわからない構造 この駅舎は1917年に開業した時のもの をずっと使ってるみたいですあそこに今車 が1台着きましたがあそこにねえさっき までタクシーも2台常駐してましたね駅員 さんもいる友人駅ですただねここの駅周辺 に世界一の高速鉄道があと予定では3年で やってくるというような雰囲気は正直感じ られないですね非常に物価的な感じ新幹線 が来るっていうことでなんか地下とが 上がりまくったりとかねそういうのもう ものすごくこれから革命的なことが起こる んですけどあんまりそれを予感させるよう な光景がないな共産党の開発反対ポスター 1枚も貼ってないなあそんなことないあっ たたたたたやっぱこれがなくちゃねこれ から街が変るっていう時には大体こ共産島 の今共産ですよねあでもさすがにリニア 反対っていう感じの内容ではないみたい ですねこっちはえ宅地をお探しの方はぜひ 一応あこれが唯一リニアが来るってい感じ のえ今駅周辺で感じられる光景になって おります踏切り廃止絶対反対これねま廃止 されたら困ってしまうんだろうなっていう のが分かるんですけど多分将来はこの中央 線も分かんないですけど硬化化されるん じゃないですかだって向こうにリニアが できてリニアは多分効果でできるみたい ですけどでもこの辺も多分色々ビルとか こう並べよで車もこうビュンビュン 行きかうようになると思うんですけどね 将来なんないかな信じられないほ発展する と思うんでまもなくなんかねここは駅前 ロータリーになるらしいですねであの辺に えなんかこう現場第1義とが書いてある ところに中央新幹線の効果ができる みたい電車が来ると言ってから実際に来る までが早いですね中央線は品の号が早い からですね将来は全部この駅に停まるよう になるでしょう一応在来線ホームは基本 このまんまで行くみたいです予定図による とそんで今ねえ僕のこの向きからえこう 見るとま将来はねこんな感じになるらしい ということなんですけれどもえ今そこに ある踏切が駅西側の踏切りは自転車歩行車 専用の横断機能を残しますだ車は止まれ なくなるってことなんですね通れなくな るってことなんですねでもうちょっと さらにえ先にリニア駅と中央本線をえ 横切る道路を新たにこう作るということ ですだから今その車が横断してんなは通れ なくなるけど別に人は歩けますよってこと ですねじゃ別にいいんじゃないかって思う んすけどねま車ならねちょっとだけ向こう へ行ってもらえばいいわけですからそんな にか小学生中学生高校生徒や自転車で通る なくてはならない踏切りです買い物した 用達する人が大勢いますえもし踏切りが 配信になれば自動車力しか利用できずつに 分断され人の交流もできなくなってしまい ますということなんですけどあの絶対反対 運動がこうをそうしたのかまそれとも別に それ関係なかったのかわかんないですけど 別にあの踏切りはまあのなくならないと 言えばなくならないということらしいです ね人が横断できる良かったですねこれから の中央線の駅で1番大きく変わることは 確実 ですまた来てどうなのか見てみたいですね でもリニアができる頃までにはまだ基本的 には変わらないかもしれない みんなリニアがなんだかもねまだ分かって いないというタイミングでもあると思い ますからもう一度鉄道を作るようなもん ですよ明治維新を体感できるなんて嬉しい です ね坂本駅の近くにはあのエ京というのあり まして川下りとかねやるところあとエナ京 ワンダーランドってのあるそうですけども ここら辺はリニアがくるとすごいんじゃ ないか機体に湧いているところでしょうね 木川のところあそうここそうエナってダム なんですよねここら辺も見に行くが増え そうですねあとリニアができたら中央線に 蒸気機関車が走るらしいですよでその蒸気 機関車に乗って今到着したここに着くそう ですねエナ駅でこのエナから脇に分岐して いく旧国鉄線の明智鉄道という会社あり ましてこの明地鉄道に蒸気機関車は直通し ていくんだそうですで観光進行を担うん ですねだからリニア開業後うまくすれば 坂本から江までの一区間だけ中央線にセル が復活するってこですか車内には都会的な 広告が出ています爽やかウォーキングの 宣伝この冬にやるのはえ三島駅のこれ jr東海の研センターでしょそこを見学さ せてくれるこれアイドルとの コラボレーションかなこれはJR東海の 名古屋工場を見学するコースなのかな なんかこんなねあのこれウォーキングなの になんでバスが出てくるんだみたいな感じ なんですけどこれこれってこれって ウォーキングなのかなんかもはや全く ウォーキング関係ないんじゃないかこれ どんなするんだよみたいな感じでちょっと 面白いんですけど冬ですからねあんま冬に ウォーキングする人変わりだねということ でしょう中道と並行するのもこの辺りが 最後ですねちょっとねこの車両赤外線じゃ ない市街線のあの防止加工の関係で あんまり窓の外が明るく見えないんですけ も向こうに険しい山があります中線は ちょっとめちゃくちゃでねこっから先この 険しい山の中をこれ13峠て前僕が中超え た時の映像をご覧いだいてますけどすごい 大変だったんですよここ超えるのは延々と 続く13個連続する峠道を超えなければ いけないということでまちょっとね江戸 幕府も無理やりその道を作ったりとか なんかしたらしいんですけれどもともかく その山の中を通り抜けていくルとはすたれ てしまいましてまた中央線はここら辺で中 千道とお別れとなりますでこのか行の 向かい側には工場が並んでるんですけれど ももうこの辺まできますと良い土が取れる ということで次はもう こきの名産とあるわです ねこの辺やっぱりね山が近いので山の近い ところで土がいっぱいやっぱ取れたらしい んですよねこの辺に良い釜本が並んでいる みたいですそういうの見に行きたかったん ですけどね今日月曜日ですに閉まってる ところが多いということでしたその1つ隣 の水波駅でおりました駅前には看板が幸せ 実感とし水波幸せ実感と逆になんか向こう から言われるとねこれ言わないと幸せを 自然に実感することはできないのか安なっ ちゃ大丈夫でしょうね化石の町水波歴史の 町水波当の町水波ゴルフの町水波だそう ですちょっとゴルフああ多分名古屋の人が この辺の山のとこにゴルフしに来るん でしょうねえ当時の町ですよねえここに駅 にも早速ま大体駅には工場が併設されてる もんですよ昔自動車とかがなかった時代に は鉄道で運んでましたその名残りで中央 ミネセラムあのセラミックの製造工場が今 でもたくさんあるそうですねまさに焼き物 の街ですね中仙道細手塾期待11kmバス 40分バスがあるのか重でしたよ前行った 時すごく大変だったね特急は止まらないん ですけれどもここ水波からまた列車の本数 が増えます明地に行くバスがいますねえ 何これ末町口って読むのかなもう本当に そういう街なんだなもう大昔からそういう やたんですからああそこに もこれはレガを積み合わせて作った煙突 でしょうねあレンガセラミックの企業の 企業城下町という感じだ水波駅からそう 遠くないところに橋がかかっておりまして えこの橋の名前書いてあると思うんですが 書いてないなあれ大体書いてあるのこれね 水橋というそうですというのはここに土川 という川が流れてますもう木曽川とはお 別れしましてえ私たちの旅のパートナーは 時がに変わりましたがこれは愛知県にこの まま流れ下りますと商内川に変わります あの有名な川ですね非常に有名ですでえ このね時がの今私は北側にいるんですけど この向こうに行くとは南側なんですよね この水の流れの南にあるので水波らしい ですあとはあのみずほの国と日本を呼ぶ ことがねあのありますけどあの笑っちゃう わあの森友学園のことでねちょみずほの国 で笑うとそれはそれちょっと苦情が入るか もしれないですけどもあの籠池さんが 面白かっまいいやあのともかくねえ現在 この水波駅周辺にいるわけですが川の南側 のこの辺が水波の町のども中心のよです市 役所とかもこの辺にありますねというのを 知りまし て早くも水波の途中下車は終わりですいや 何がしたかったかていうとねさっきの土川 を一目見ておきたかったんですこの後また 登場しますからこの辺りは焼き物の山地が いくつも連続しますが次はいよいよその中 の本拠師ですよね多見ですたみで降ります これいやもう超守駅ですよそれだけじゃ なく超大雨が降ってるらしいまだ日没前な んですけどだいぶ暗くなってきてしまい ましたここまでくれば名古屋までの電車の 本数も多く今電車が1本行ったばかりです があと13分後にまた1本来ますという 便利ぶり大きな駅舎はいつ以ですかより 大きいもんね駅前広場も綺麗ですが ちょっと天気が悪すぎるね見たかったもの はこれなんですが前に1回来てね綺麗な ものがあるなと思ったんですよリニア作る 人だって頑張ってるんだから僕も雨の中 突撃 しようこれは固形陽水の広場だそうです 固形陽水っていうのはここ立見市の南側に さっき見た滝川が流れているんですがこの 土川は結構標の低いところに行ってしまっ てるようで多見の町の方には全然昔から水 がなかったそうです江戸時代からもう困り に困ってい相当苦労してようなんですが ついに中央線が開通するよりちょっと前か 同じぐらいですねえここにた中央線開通後 かなえこういう風な水路が作られたそう でしてまこれはねあくまでえ記念的な意味 で様子をここに流しているんだそうです けれども元々はこの地域の人たちの農業を 救う救いの水路が出来上がったということ ですで100年以上地域の役に立っている ということなんですがただもう今はですね こう頑張って作った水路も安居になってね え上が蓋されていてあまり街の中で見る ことはできないということでえここに はっきりその姿を出すようにして昔の人 たちの苦労を今の人たちも知りましょうね それを称えるための施設なんだそうですね というのが駅前にありましてとっても綺麗 な雰囲気のところですねちょっと雨がもう 少し落ち着いてればね今日別の工程も考え たんです けど うわすごいもうたみのあの大都会ぶりを見 てもうここまで来れば名古屋は近い名古屋 都市県に入っているぞいい山田ですよこの 古形の辺りを超えるまではね先ほど見た 土川はこの辺りでは険しい渓谷になりまし て名古屋からそう遠くない場所だというの に列車は崖ギリギリのところを走りなんだ か怖いような光景を停しているわけです うわすげえあピントが合わなかったですね でもいいですねいやこんな感じです よこれを超えずして名古屋へ行くことは できません中央再戦の最後にしてこれまで にも見なかったような大難所 うわあ初めて来たんですよ実は僕もねお前 来たことなかったのかって感じなんです けれどもここは凄まじいと昔からあのもう いろんなところで取り上げられていますえ 有名な中央本線常高寺駅ですま簡単に言う と中央線は東側新宿方面からまた西側 名古屋方面からそれぞれ伸びてきてどっか 基礎のどっかで出会ったんだと思うんです けども基礎で出会ったはずなんですねその 西側の中央本線を作る時最初に出会った 困難は当然ながらこの険しい道筋でした 基本的に列車が通る場所は昔と変わってい ません今はもうね名古屋近郊これが近郊 ですよ名古屋近郊だということでえ線路が もう2本伏線になっておりますが昔は戦 でした伏線化される前はもっとこのね谷の ギリギリを通すたそうですよ今はね トンネルに変わりましたけど来た来た快速 電車うわあええ運転士さも怖いと思い ます僕は大丈夫な鉄道マニア です うわあまた快速電車が快速電車停車駅がね 結構いっぱいあると言いましたがこの寺と お隣のコは仲良く通過しますわお客さんが いっぱいだからこんなところを通ってみ 多見時水波中津川へ通学をしているんです ねもう今時電車の景色なんか興味なくてね 通学してる人の中にはこんなやばいところ を通ってるって気づかないで高校3年間を 過ごす人もいるんでしょうね中にはと思い ますよまそれもねえ時代世の中が良くなっ て素晴らしいことだと思いますここの横に ね小さなトンネルがもう1つ空いているの をご覧いただけけると思います複線化が 行われるまでは中央本線の古いトンネルも ありましてこのねちっちゃなトンネルを 単線で使っておりましたもう暗くなって しまったのが少し残念だと思いますがあれ はレンガのトンネルでしょう大下レンガ つまりこの辺り地域の名物ですはみ徳市 水波で作られた性能のいいレガ値段もこの 辺りあればね運びやすく安くそしてこの 中央再戦のあちこちへ材料として使われて いったんですねだから今回ねえ立見とか時 とか水波とか通ったのに全く焼き物の紹介 をしてないなまあしなくても私たちは多見 時水波の名物の焼き物を使った鉄道の上を これまで走ってわきたわけですもう色々な ところでねえレガを積んだホームえレガで 固めたトンネルレガの橋と色々なものを 渡ってきました中央線はおそらくそのレガ の三種すごい近いで鉄道でこう結ばれて いるということでえその面ではだいぶ有利 だだろうなと思いますちょうど向こうに 見えるあれ国道なのかなえ向こうもですね 今ちょうど北クラシの時間ということか 名古屋方面からの車が信号町で列をなして いるのが目立ちますもうこれ深い山が延々 と続いてるように見えますがそうでもない ですこの川が谷がもう少し広くなって しまえばそこはもう名古屋市街だと言って もいいでしょう実際にはまだ名古屋市街で はなくしかし愛知県に入りました愛知県 春日市お隣が有名な構造寺です上皇寺と 構造寺名前はそっくりでありながらもう そのリチ条件に関しては天と地ほど違い ますどっちが点でどっちが地だとは言い ませんがここまで大張徳川県の小台とかが ありまして実は素晴らしいお寺があるん ですねちょっとこの雨の中なの行きたく ないですが名古屋が近くなったと思ったら まだ安心するのは早いこの厳しいところを 抜け切ってこそついに名古屋の町へ入れる というところなんですね まあ全てはあっという間ですよ東京都内の 高尾から延々続いた山越はついにこの 城光寺に置いて終わることになりました ここから先は大都会になりますよ急に 変わりますからねここ地味に列車の本数も 多いです日中の本数少ない時間でも30分 に1本来ますからねうわまたすぐ来てくれ ましたこの時間なんかもう頻繁ですよ あまりも頻繁すぎて空いてるわ高蔵寺です 愛知環状鉄道はお乗り換えですお出口は 左側ですドアから手を離してお待ち ください1駅行くだけで別世界そんなに 離れてないですよ高蔵寺駅に着きました うわあ駅の反対側も大都会ですうわまず 反対側が見えない 次々名古屋へ向けて電車が出ていきます これまで通り抜けてきた中央線の心髄は もう真っ暗闇がすぐそこに迫っていると いう感じなのに対し て名古屋方面は前とヨヨという感じですね 今なお明りを残していますまこれねあの あっちが南向きだからそれ明るいっていう 話だと思うんですけどもでもやっぱり 向こうには色々建物の明りがあって雲が 建物の明りに照らされてもいると思います よこっちはもう先ほどご覧いた通りでした からそして東の高尾に対応するような形で ここ構造寺はまさにノビ平野の四点入り口 でありましてここから先人霊方面にかけて はもうずっとこんな感じで続きますおよそ 300kmに渡って延々続いた山有谷あり の線路中央線の最も険しい区間はついに ここ構造寺で終わりましたま最もほとんど が最も険しい区間なんですが あ [音楽] [音楽] 次は大園 [音楽] です大 です名鉄線自ラお乗り換です [音楽] 使い続けたこの切符はここで終点にする ことにしましたつまり本質的な意味で中央 線のプラリ途中下車の旅はここまでだと いうことです驚くほどの巨大な道路を車が 中心となって夜景を作る名古屋の動く夜景 が見えるこの駅は鶴舞駅です 地下鉄との乗り換えで多くのお客さんが デイリーをする中央再戦でも5本の指に 入る使用駅でしょうギリギリ4日目名古屋 にたどり着くことができました使い終わっ た切符には穴を開けて向このハコをして いただいて持ち帰らせていただきました他 にもいくつものハコが押されていますので まず紹介します勝沼武道橋基礎福島 ちょっとかれしまいましたねあこれかれ ない方が良かったな美野坂本と色々書いて ありますがこれ何かという途中下車員です 途中降りてきた駅で駅員さんはいるけれど も自動改札がないというところでこの切符 を提出するとその駅まで切符を使用したと いうことを確認するため不正乗車防止の ための化身が押されますこの化身を途中下 社員と言いまして最近ではこれを コレクションしたいと鉄道マニアの人が 集めたりするぐらいですが僕は特にそう いうのは集めません集めない代わりにこう 自然に切符に押されるのが僕は好きなん ですけれども鉄道では色々記念になるもの がたくさん手に入るものですよねこの到着 したJR鶴舞駅のすぐ向かい側にはこの 辺りの名所として知られております鶴間 公園があり ます鶴間と読むのがあの名古屋のなんて 言うんですかこの駅は鶴舞なんだけど公園 とか地区の名前は鶴間なんだよねていうの がこの名古屋の話をする時によく言われる ところですがこの公園の歴史は古く右から 読むんですね鶴公園と書かれたこれは なんかねえ中京地区で1番古い式公園なの か な誰の文字かと思えば佐峠でもお見かけし ました元総理大臣陸軍大将桂太郎さんじゃ ないですか鶴間公園のシンボルとして今は 出ていないようですがしかし列車からも 見える大変古い噴水がライトアップされて いますこの噴水は1910年に作られた そうですそして私がさっき調べたところ 中央本線が宮越の地で東と西が出会い ついに東京と名古屋が山で結ばれたその 都市は1911年だそうですつまり中央線 が開通する1年前にこの噴水はありました そしてこの噴水がつまりできてから1年の うに中央線が開通したその時の記念式店が ここ鶴間公園で行われたそうです中央本線 の開通はすなわち八王子市の高尾から 先ほどご覧いただいた高蔵寺までの極めて 険しい山を全部突破してしまったという 偉大な事業の水式点でもあったわけですね でその中央線が完成したという記念式典の 時に私の記憶違でなければすでに中央線の 鉄道消化という歌が70番もあったそう ですけどもそれが作られておりましてどう もその式典の時にそれが演奏されたという 話ですこの場所 で最後の70番だけ皆さんにお伝えしたい と思い ます雪悩みたる参道の小児式峰もとの ごとく324マイルを夢に杉蹴り中央 線これまで見てきたあの延々と続いた 険しい山と長いトンネル狭い谷の道筋を 全部突破しきってしまいました昔の人の 偉大さを感じることができました昔の人の 偉大さというのは何かにつけていろんな ところで感じられますが中央線ほど手軽に かつ強く感じられるところも多くない でしょうこの鉄道ができる前と後とどれ だけ大変な工事であったか歴史についても 知ることで今の時代の恵まれ用と私たちの 日頃の悩みがいかに小さいものであるかと いうのを思い知らせてくれると思います 例えばここを一する自動車あの恐ろしい 山道を昔は歩いていたのに全く歩かず ちょっとのお金を払うだけで簡単に超え られてしまうとは信じられない大変化です よねもうここの車を見てねお隣の車の方が 自分の乗っている車よりも値段が高いだと かそういうのが本当にどうでも良くなる 今私たちが日頃感じていることの大半は昔 の時代の大変さを考えれば取るに足らない ことなら私たちの日頃どれだけ恵まれて いるかということをよく実感させてくれる と思いますもう今日は1日ずっとこんな 感じだったんですけれどもいやいやもう 街道のずっと歩きながら行っていた人たち に比べれば中央線に乗れているだけで十分 ですよ電車の座席に座れるかどうか車内が 混んでるか空いてるかどうかということも またどうでもいいことだと思います新明 から150年経ちましても私たちは何が 便利かということもすっかり忘れてしまっ たと思います私たちは便利になりすぎまし たとかそんなことは言いません便利である ことは素晴らしいと思いますが自分たちが 幸せになるために昔の人たちがどれほど 大変であったのかということを知り幸せと いうのは比べるところから始まるというの が正直なところですからその比べるための 手段は今の時代の他人ではなくて昔の中央 線ができる前中央線を作った人たちのその 苦労をして敬意を持った幸せを持って いければいいんじゃないかなと思います その手段として中央線をどうぞご利用 ください [音楽] [音楽] ラ [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] [音楽] お家に帰って参りまして今回購入したお 土産物の紹介ですお箸をねたくさん買い ましたこれは基礎平沢で購入したお箸です ねえっとねちょっと何種類かあるんです けども基礎式と言われてもま何が違うのか 全然分からないんでお店の方に聞きました これどう違うんですかはいこちらはこれは ねえ表面に何回もこう塗ってえしっかり こう上がうるしっぽくなるように仕上げた ものですで左側ももちろんうしをしっかり 塗っているんですがこれはね木材の上に こう何回かこう塗った後表面を拭き取って え残ったウが木に染み込んだものなんです ねこっちは木の上にウが乗っているものだ そうですだからねこの左側の方がま割と 作りやすいらしいんですよ右側はウシを しっかりと群なく残さなければいけないの で技術的に難しいらしいですねだから右側 の方がね値段がちょっと高かったです言わ れると違いは分かりますよねえそしてそれ からナギ駅で購入してきましたこれおさん が包んでくれたんですけれども中千道基地 こんな感じでこう丁寧に入れてくれたんで ですけもよし片手で開けるの難しい なこれスープをねえ飲んだりするのにも 使える持ち手付きの椀を購入しましたえ1 つ1650欅も基礎にはあるんですねある んですけど最近はねもう少なくなってき てるみたいですよとおじさんに教えて もらいました妻に頼んで芋の味噌汁を作っ てもらいまして中央線の旅の良いお土産も になりましたではこれで終わりにさせて いただきます スーツチャンネル100万円引き キャンペーンのお知らせです動画の冒頭で こんな感じの広告出ると思うんですがこの 広告1お申し込み単位あたり200万円 からでお願いしてるんですがなんと ただいま期間限定のいつまでかわかんない ですがキャンペーンでえ100万円 マイナスしてえ税抜き100万円でご提供 させていただきますそんな安くしちゃって 大丈夫なのかと思うんですけどそれに 大丈夫だそうです是非この機会に1企業様 あたり何回でもお申し込みいただけるそう ですまあ一応ちょっとねあのじゃあ999 回申し込みたいですかちょっと難しいかも しれないですけれどもえ是非お気軽にご 相談ください

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29 Comments

  1. 『一口100万円  スポット広告夏の大セール』について、詳しくは
    https://as-douga.com/contact/
    上記フォームより「セール広告見た」とお問い合わせお願い致します。

    6月に契約締結できれば8月公開保証、
    7月に契約締結できれば9月公開保証
    となっておりますので、ぜひお早めにお問い合わせください。

  2. 中山道自転車旅見て去年初めて木曽路旅をしました。行った所、覚えの有る街並み懐かしく拝見しました😂
    行き当たりばったりで宿も取らずでしたが昼神温泉の宿、飛び込みだったので素泊まりでしたがとても楽しかった😂良い思い出です。また行きたいな~ 😌

  3. 同じような動画がYouTubeには溢れているけれど実際に自転車で走破した経験のあるスーツ氏の語りと解説は知的好奇心を満足させてくれて、そこへ行ってみたくなる。

  4. 2:04:36 書状集箱は、”しょじょうしゅうばこ”ではなく、”しょじょうあつめばこ”と読むのでは?
    要するに、まさに、重箱読みなんじゃ…

  5. 甲府と言えば…
    かつて新宿0時01分発の115系スカ色による上諏訪行き夜行がありました
    その列車が深夜未明の甲府駅にて3時00分〜3時58分の長大時分停車がありましたね〜
    (駅前に24時間営業のミスドがありました)

  6. 名所旧跡など全部詳しく紹介してもらうと行った気分になり 行かなくてもいいかな?になりそうなので その先は 自分の目で確かめ体験するってことでいいと思います スーツさんの動画は楽しみです

  7. 9:15 残念…北岳ではなく鳳凰三山の観音ヶ岳と地蔵ヶ岳ですね
    まぁ、北岳を判別できる人は山梨県民でもおそらく少数派なので…

  8. この前、下諏訪の旅館に泊まりましたね。下諏訪や上諏訪、岡谷も酒造場があるのはいいです。
    好みがわかれそうですが、ウナギだけでなく、鯉の甘煮がこの辺では作られていて、甘ったるい味で私は好きです。

    新府を駅からお城まで紹介してくれてありがとうございます。今度、新府城に行ってみます。

  9. 毎回楽しんで見ております。
    次回はぜひ山梨市駅にもお立ち寄り下さい。
    山梨の鉄道に深く携わった根津嘉一郎氏の生誕の地でもあります。

  10. 中央西線の松本~中津川ローカルの東日本211系の運用は決まってたと思います
    822M~829M 834M~843M
    東海車利用の313系の塩尻~松本と飯田線辰野からの岡谷や上諏訪乗り入れの距離を相殺する為かと思います。飯田線にも東日本211系が昔からの快速みすずと普通で計2往復乗り入れてますし複雑ですな

  11. 長時間動画も解説付きであっという間に終わってしまい、毎回とても満足しています。
    ところで、母の日に際してグランスタ東京が作成したきっぷが物議を醸しているそうですが、スーツさんはどのようにお考えでしょうか。ぜひ動画でお考えを聞かせてください。

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