まもなく新幹線が開業する「敦賀」の立地がヤバすぎる・・・
2024年3月に北陸新幹線は敦賀まで 開業します東京から福井まで乗り換えなし で行けるようになりますご予約は是非 jr東日本ビューダイナミックレール パックをお使い ください新幹線開業も目前に迫りました 今日は202年2月の26日です北陸の 玄関北陸本線の鶴賀駅にやってきました 敦賀は港と鉄道の町ですまず地図をご覧 くださいこの厳しいリチ北側には日本海が ありこれが深く切り込んだ入り江になって いて外洋の波が入ってきづらい良い港とし て古くから国際以後の地位を持っていまし た一方でそれ以外のところをぐるりと 取り囲む山波は大変険しくここに大穴を 開けてトンネルで貫いてなんとか列車を 走らせるということで険しい地形に鉄道を 無理やり通し素晴らしい港を利用した まさにこの会社の名前の通りカ陸を連携さ せたそのコンビネーションがスルガの昔 からの持ち味でした [音楽] 鶴賀がどういう場所かを理解するためには 新幹線や今ある鉄道に乗るだけではなくま 時には自動車も使ってですね街全体の地形 を知ると面白いでしょう左手には新幹線 右手にはまだ新幹線が開業していないので ハッピラインではないですがjr西日本の 北陸本線が通るところへやってきました この先見ていただくと険しい山並がそびえ ていますがこの山を貫いてさらに東の方へ トンネルで抜けていかなければいけません 敦賀より東側今城までの間には大変険しい 山波がありまして現在ここには北陸 トンネルという昭和40年代から使われて いる大変長いトンネルがありますできた時 日本1位だったはずですねあれがその北陸 トンネルですごめんなさい開通は昭和40 年代とお伝えしましたが昭和37年でした かなり古いですねえまだ右から左に書いて あります北陸水道お名前上から信と書かれ ていますがこのプレートを書いた人は新 幹線の海の親として知られる東京駅にも 記念のレリーフが飾られている国鉄その 総裁ですトンネルに近寄ることは通常は できないのですがここだけは特別に jr西日本の敷地の中ですが入れて いただけることになっています慰霊費に来 られた方はこの扉からを入りください失礼 し ます思いきりJRの線路の真横まで来て いるんですがここは入って大丈夫ですそう かまだ新幹線もできていないような時代 からこのトンネルはあったんですね昭和 37年新幹線の完成する前において日本 鉄道のシンボルであったと思いますこの トンネルの長さは1万3 1870mm14kmもあるとてつもない 長さのトンネル ですこのトンネルは昭和37年の完成です がそれまではどうしていたのかというと この北側のところにある険しい峠を超えて 進んでいましたしかしこの峠を超える必要 はもうなくなり昭和37年以降は一気に この山を貫いてしまう長大トンネルで山の 反対側へ行くことになったのですさて ちょうどトンネル脇の踏切りがなり始め ましたそしてトンネル横にある列車の接近 を知らせるランプが点滅しています合音が 聞こえてきましたこのトンネルは一直線に 掘られていて中を超高速で抜けることが できるようになっていますまもなく新幹線 が開業すると廃止されることが決まってい ます敦賀から東の区間を行く金沢からの 特急白号の通過を見られ [音楽] ます全長13kmのトンネルを抜けて間も なく潮駅の敦賀に着き [音楽] ます時速120km130kmで走っても 通過するまでには数分を要すとてつもなく 長いトンネルで今は電波も通じるように なったのかな前はね北陸トンネルの中電波 通じなくなりますよて車内放送がかかった もんですよ ねじゃあこの横にある北陸トンネルの慰霊 費は何なのかと言いますとこれはトンネル を作る時に亡くなった方に対しての慰霊費 ではなく北陸トンネル列車火災事故に 対する慰霊費ですそこちらの事故が起こっ たのが昭和40年代の話です当時国鉄は このトンネルは本当に素晴らしいよくでき たトンネルでえそしてこのトンネルが できる前は蒸気機関車が煙を吐きながら火 を燃やして走っていたのですがこの トンネルはオール電荷高速の今ご覧になっ たような特急電車が当時から走っていまし たこんな素晴らしいトンネルができてえ 電気で運転しているのだから火災など 起こる心配もないということで国鉄の火災 対策は当時不足していたらしいですそして トンネルの中で食堂車から出荷してしまっ たという話らしいんですけれども夜行の 急行列車が当時えこのトンネルの中央付近 で火を出してしまいましてその煙に巻かれ て大勢の方が亡くなって国鉄の安全対策に 関わる基準や様々な規定が見直されたと いう話ですがその重大事件に対しての反省 として慰霊費がここに設けられています今 の慰霊費は随分綺麗だなと思ったら慰霊費 が古くなったのでjr西日本が新しく 立て直したものなんですねjr西日本とし て発生させた事故ではありませんが国鉄を 引き継いだ組織のうちの1つだということ でそのことを将来にわたって保存する意図 があったようですまいよいよこの jr西日本も今度の3月を持ってこの北陸 トンネルを管理する企業ではなくなりこれ から先は北陸トンネルは地元ローカル鉄道 であります第3セクターのハピライン福井 によって運営されますがおそらくハピ ライン福井にとってもこれは最も大切に するべきものの1つとしてえ管理されて いくことになると思いますこれがなんか 取り壊されるとかそういうことはないと 思いますよでまたこのトンネルの脇なん ですけれどもこの水がざわざわ流れてる ところがありますけどおそらくこれは トンネルの脇見なんだと思うんですよ違う かなもしかしたら違うかもしれないです けどおそらくですねこれほど長いトンネル を掘りますとどっかで近水脈に当たったり しましてその地下水脈がこざーっと水を外 へ流し出しているのだと思いますもう1つ 列車が来たのでそれを見ていくことにし たいと思います今はここは使っていないの かなあの昔はおそらく線路の管理とかねえ 電力の管理とかそういったものを行って いる場所だったと思いますうおいいのが来 ましたね先に取っとく かこのトンネルは電気で高速の電車を走ら せるために作られたトンネルだということ ですね今やっってきている特急 サンダーバード号も基本的にはこの トンネルが作られた60年近く前とやり方 は変わっていませ んこのね電気で走るってのが結構重大な ことで蒸気機関車だとこのトンネルの中に 入っていったらば中で煙を吐いてあの窒息 とかそういう心配が発生してしまうので 蒸気機関車時代にはこんなに長いトンネル を作ることはできなかったらしいのですが 電気であれば窒息の心配もありませんから 長いトンネが掘れるということなんですね そして実際には事故が発生して窒息して なくなった方が大勢いたということです ちなみにこの北陸トンネルができたことに よってですねこの上のところだと思うん ですがトンネル温泉っていうのが敦賀に あるんですよねでそこであの北陸トンネル に関係して生まれたという温泉に入ること もできますまたそういうのも行ってみたい ですじゃあ北陸トンネルができる前の線路 はどうなっているのかと言いますとこう なっていますここは駐車禁止ではないので 横で車で止まってちょっと待っていただい ているんですが明治時代からこの厳しい 山道にも鉄道をどうしても作る必要がある ということでこんな立派なレンガの トンネルはこれから先いくつもえ全部で 13個ぐらいあるんだったかなえ旧北陸 本線水道群として現在では文化遺産にも 指定されています単なるトンネルではなく これから先山を超えていかなければなら ない登り坂のトンネルでありますので昔鶴 駅を出発した思い貨物列車とかですね蒸気 機関車が黙々煙を吐いて天井に当時のスス がたくさんこびりついているということで はないかと思います北陸トンネルができる 前はこの1本の線路を通りながら進んでい たんですね1本の線路というのはつまり 北陸トンネルは先ほどご覧いただいたよう に上下の列車が行き違うことも可能な伏線 になっていますけれどもこちらのトンネル は単線に過ぎません線路は1本しかない わけです反対の列車とね順番の待ち合いを しながら走っていたということで当時大変 非行率だったと思いますこのトンネルが 北陸トンネルに代替わりしもう間もなく 北陸新幹線に代替わりしようとしている わけですね今進んでいるこの道の右手には 木川という川がありましてこれから先木目 峠峠道を超えるんですけれどもま昔の北陸 線も大体この辺を走っていましたから線路 こそ今は存在しませんが私たちが見ている 景色は明治時代以来北陸トンネルができる まで使われていた鉄道からの景色と ほとんど変わりません 左手にこれ高速道路の脇のとこになんか 出っ張ってるものがありますけどあれもし かしたら昔のトンネルの後だったかもしれ ないですね北陸トンネルができる前はこの 辺りにいくつかの駅があったそうですが 現在はトンネルが一挙に山を貫くように なりまして鉄道はこの辺りから消えました のでそれらの駅も全部廃止されたそうです まその代わり昔鉄道が通っていったところ のすぐ近くには今高速道路が通っています でもね高速道路でこの峠を超えると高速 経由でも30分ぐらいかかるはずです けれどもトンネルの電車で抜けると15分 で行ってしまいますんでやはり今でも近道 のトンネル経由のルートは偉大なようです よ近代化遺産収Yルート北陸トンネル軍 書いてありますがあれが北陸トンネルが できるまでに使っていた昔の鉄道の後です ねその上がもう今そのまま道路になって いるので完璧に当時使っていたこの道 まさにそうですよね北陸トンネルができる 前単線の蒸気機関車の列車が煙を出し ながら走っていたまさにその場所の上を 走ることになりました緩やかな左カーブを 取っていますがまさに鉄道らしいカーブだ と思います周りの田んぼと比べて1段目線 が高いところにあって平らな土地を鳴らし て作ったこれも鉄道ならではの地形だと 思いますまた道沿いにいくつも電柱が立っ ていますが当時鉄道電話とかねそういうの を引っ張ってましたんでそれの関連で立て た電柱の道を電用にあれかなてのかな横に は今の最新への高速道路が通っていまして つまりこの高速道路に乗っているとね左手 を見れば昔の峠道を苦労して超えていた 蒸気機関車時代の北陸本線の三筋をたどる こともできそうです先ほど北陸トンネルで 超えたのとはまた別の道ですがこちらも いよいよ目の前に険しい山波が迫るように なってきましてま敦賀周辺は本当に深い山 ばかりですが昔の鉄道時代のトンネルが 信号機平の状態でそのま残 昔の北陸本線と同様にここから先は単線 運行で要はこの今から進んでいくトンネル は元々鉄道用に作られた明治時代の大変 古いもの感染の状態でまだ使い続けてい ますということは車が中で行き違うことも できませんからトンネルの手前のところに はかなり長い時間待たされる信号機を設置 し て反対の車が全部通り抜けるまでここで 待つ必要があるわけです ね待ち時間約5分とありますこんなに長い 間待たされる信号はたまにねこういう風な あの山奥のところで配線跡を活用した鉄道 トンネルを通っていくってことあります けれども5分も待つっていうことは そうそうないですよ全国でも珍しい体験だ と思います元々は蒸気機関車が通過する ことを前提に作ったトンネルで高さも 3.2m制限大変低いです大型市は もちろん通ることができませんトンネルに 入る前に外観をよく取っておこうと思っ たら信号がね一瞬でまた赤になってしまい ました青である時間は本当に一瞬みたい ですね衝突防止のためですよね全長がなん と1kmもあります大変長いトンネルです 歩行車の通行は禁止されていないようなの で歩いても通れると思いますがまあ大変 危険かと思いますこのトンネルの名前は ハラトンネルというそうで上についている プレートは新しく作ったものだと思います が明治20年代という日本の鉄道の中でも かなり初期に作られたものになりますで その明治20年代の時点で全長1km近い トンネルというのもまたすごく作るのは 大変だったと思いますすごいトンネルです ねえ横にはまたトンネルの中から脇道が 流れていますがこれも北陸トンネルと同様 で長大なトンネルの中で脇道の水脈に 当たってまこれが外の方へ流れ出ている ものと思います横にあります高速道路の 乗り物はよく見ればこれは北陸トンネルを ここに北陸トンネルじゃない北陸本線を ここに建設した時に作った明治時代の壁 ですねこれはなんか石垣の隙間から水が 流れ落ちてますね大丈夫なのかまあ大丈夫 ならもちろんそうだと思うんですけど さっき雨が降りましたんで上からお水が出 てここを通って出るようになってるみたい ですこれが北陸トンネルができる前の1番 最初の鉄道の配線後まっすぐ見るとかっこ いいですねいかにも鉄道という感じです さあ今からトンネルだ昔蒸気機関車の運転 手さんたちが覚悟を決めて厳しいトンネル に入る前に意を消したところだと思います というのはあのトンネルの中煙がやっぱり ものすごいのでもういされてしまうような 火事の中で仕事をするような大変な状況 だったそうです よでもトンネルをちょっと進むとこの先の ところで下り坂になるみたいですねという ことは少なくともこの向きに運転する時は 長いトンネルではありますそれほど加速 する機会もなく煙をずっと吐き続けると いうわけでもないですからま比較的蒸気 機関車の人たちも楽だったのかなと思い ます向こうから来る時はね今下っている この道がずっと登り坂になりますから蒸気 機関車の煙が差し込めて運転手さんも乗客 たちも大変だったでしょうね全長はまなん だかんだ言っても1kmぐらいしかない トンネルですからそんなにねあのさっきの 信号のところで5分も待たされるほどに 長い大変な状況というとそうも感じられ ないですけれど も内部には時折り穴が開いてるのを見られ ますこれは昔このトンネルの整備保守点検 をする人たちがま保線員さんたちですよね 列車がやってきたという時に脇に避難する ために開けられていたものでしょう ねこのハトンネルまで抜けますと左手は 日本海を望むようになるはずでして なるほどありますね昔は列車から海が見え たと思います 厳しい山越の最中に鶴賀の深く切り込んだ 天然の良行リア式海岸とは違うかもしれ ませんがうわすごく標高の高いところに来 てるんです ねさっき敦賀駅はもうほとんど海面と高さ 変わらぬところだったと思いますが山の かなり上のところから下を見下ろしている のでここまで標高を登り続ける蒸気機関車 の運転は大変なものだったろうと思います 今も高速道路で昔の蒸気機関車時代を 味わうこともできるし この道路の配線後の道路まで直接やって くればまさに昔の人が見ていた景色をその まま楽しめるんですねガはこのように深く 切り込んだ天然の良行になっていてここ から古はウジストックとかですねロシアの 方面へ連絡の船が出ていましたで東京から 敦賀までやってきて船に乗り換えて シベリア鉄道に連絡してヨーロッパまで 行くという生き方があったみたいです ね美しい海の景を時に見ながら基本は長め のトンネルを次々抜けていくことになり昔 の人たは海の景色を楽しむ余裕がどれほど あったか分かりませんトンネルの上の部分 ももうほとんど真っ黒になっていて蒸気 機関車が吐いた煙が黒くなっているらしい ことが分かり ます昔の人たちは煙が入ってきたぞって口 に布を抑えたりしながらこの辺旅行してた んじゃないでしょうか今すっかり気楽な 時代になりましたトンネルをを抜けると 右手に崖がちょっとそびえながら少し広い 土地になりましたが昔ここに駅かなんか 信号場かなんかあったんじゃないですかね ちゃんと調べてくればよかったかもしれ ないですが多分ね上下の列車が行き違う ための設備がこの単線のトンネルばっかり ですからトンネルとトンネルの合間に必要 なはずなんでこれぐらいしばらく空が 見えるような兵を抜けるところならそう いうのがあったんじゃないかと思いますよ 多分本線の脇にそれたスイッチバック形式 になったんじゃないかなはか遠くはへ つがる敦賀の海を見ながら山道を縫う体験 がこれが日本の五大主要路線のうちの1つ 北陸本線の昔の姿だったわけですね雪崩れ 注意とかですね落石注意とかそういうのが 色々と繋がっていて今日はねそんなに 激しい雨が降ったわけではないのでそう いうリスクは低いと思いますが昔の鉄道を 運行していた時代には怖かったでしょうね ま崖崩れがあればこの山の険しいアロは 立ち通行止めとなってまず復旧させながら 次の道へ行くということになるわけです けども今ねこんな山と山の間あそこへもし 崖が崩れてくれば鉄道が通れなくなって しまうみたいな心配はありませんま山の 地下深くを一発で貫く北陸トンネルになっ たわけですから地下のトンネルに崖崩れも 何もないですからねこの道が使えなくなっ てしまったら金沢にも富山にも福井にも 行けないわけですねあ実際何か崩れてるの かなこれは落石注意看板がいくつも続き ます日本にはこうして配線後のトンネルを 歩くことができるような場所はいくつも ありますが車で通り抜けられる場所という のは滅多にありません非常に貴重だと思い ますこれほど連続する規模であちょうど 対面通行になっていてうわこれはひい暴落 ですね暴落してしまったんだと思いますが えそこあと5分も待つんですか左手に すごい景色があるので5分の間に見ておき たいと思いますえこれ暴落してしまったん ですよねやっぱり土砂崩れでこれが全部 崩れたんだとしたらとんでもない大事故 ですけれどもうわあすごい景色 だこれ右行けばロンドンですよこっから 行きたかったな僕ロンドンまで船で行った ことありますけど船とね列車で行ったこと ありますけど もう本当は昔の人はこっからしてたんです よねあの松岡陽介とかねえ我が代表堂々 退場すって言ってあの国連からこ退場して きたってのありますけどあの帰りに多分 こっから船に乗って帰ってきたんじゃない かなかソ連経由だったと思いますよ確か あん時こういう敦賀の深い入り江の いよいよ先端のところまで来たわけですね でこっからが問題ですよここまではねまだ 海に沿うような形だったからまだ良かった んですこっからいよいよこの南今城今城に かけてこの激花え非常に険しいトンネル もう山中トンネルとかね言わなくても山中 なのは分かるわみたいなえすごいトンネル をこれからいよいよ抜けていくことにに なるわけですねこっから先の山越が真の 地獄ですよまだここまでは山越ではなかっ たんだよね結局のところ山を登りながら海 にへばりつくようにして走ってきていたの ですがここから先はこれの向こうへ行か なければいけないわけです からどうもやっぱり暴落したところみたい です ねはるか下に日本海の険しい南があんな ところにまどこを見てもとんでもない地形 ばっかりだ も今回ここ初めて来たんであんまり調べず にやってきてみたんですけれども今回一度 飲みならずまた何度も通りたいところだと 思いましたそしてトンネルを1つ抜け やっと対面通行の5分の待ち合いが終わっ たと思ったらまたとんでもなく長い信号 ですよ今度は待ち時間3分短く感じてき ますよねおそらくもうこのトンネルのただ 連続しているだけの山奥周りにもほとんど 何にもないというこの辺に用がある方もい ないと思いますからま多分観光客向けに 全部整備してくれてるんでしょうね使わ なきゃ損んですよ観光の 方そしてさっきまでは登り坂であったよう なんですがこの辺からどうも乗り心地を うんさっきと比べてみると下りの道に 変わりましたかね自動車は坂道に大変強い 乗り物ですなかに乗っていてもあまり正直 上り下りには気づかないんですが一方鉄道 は坂道には大変弱くおそらくこのぐらいの 登り下りだったたらばもうとんでもない ものすごく苦労しなければいけなかったと 思いますよ昔の人たちは真上を覗き見 なければいけないぐらい高い壁の中を明治 時代にいくつものトンネルを掘り抜き てこれを通して ようやく福井へ富山へ金沢へ物を運ぶこと ができたんですねこれができる前というの はもう全部北前船の時代ですよあの江戸 時代みたいなねえこのホ船とかですま いろんなのあったそうですけれどもそれで 物を運んでいたのからまいよいよ近代的な この鉄道に移り変わったというまさにその 歴史的な場所が今でも大切に保存されてい ます多分今通り抜けているこのトンネルが 全長1200mほどありますこれまで通っ てきたトンネルの中にも一際は長い山中 トンネルでしょうね昔のこの辺りの三は 上下の列車が同時に行き違うこともできず 順番待ちをしながら急行バと煙に耐えて 崖崩れの恐怖にも怯えながら進むような ところであったというわけですから新幹線 の時代がいかに恵まれているかこれら トンネル軍はまさに今このご時世にこそ 見るべき偉大な産業遺産と言えるでしょう さてついにさっきまで目の前のとこに 険しい山がそびえていましたが目の前の 空気が景色が割とすっきり晴れてきました まつまりもう峠は今のトンネルで超えて しまったということですねえ車に乗ってい ても感じられるぐらい急な下り坂になって きています鉄道にとっては相当急な下り坂 多分下り25パーミルかなえD51とか そういう蒸気機関車が2両3両と連結して 登り下りをしなければいけなかった急な 峠道だと思いますこの先え自動車は まっすぐ行きますけども左手にもなんか ありますねこの左手があこれ昔の山中信号 場の後ですねえ左のところにですねえこの 急勾配のところで反対の列車を 待ち合わせるために一旦横に退避していた 列車の待ち合いのため専用に作られた駅が ありますこの急勾配のところは停車する ことはできないので一旦停車できるように この上にあえて人口的な平らな土地を作っ てあそこに列車を一時避難させるという 必要があったんですね今でも日本3大車窓 の中の1つと言われてますえJR篠ノ井線 のバステに行きますとこういう景色を見る ことができますま我々は今そういうところ にも立ちわらず一気に下り続けていますが これはまさに昔の列車とかね特急列車とか そういうのに乗ると今の信号場には全く 寄り道せずそのままスーっ山を降りていく ことになるわけですがそれにしても深い山 ですもうあとは多分山を下り続けるだけで ようやく隣町の今城につけると思いますが この今走っている道の乗り物ももちろん 明治時代に人々が力合わせて作ったもの ですが土を固めているからですかねやっぱ ちょっとね強度の面でもあの多少不安が あるところもあるのかもしれませんお金を かけて今でもこれを固めて工事しています 脇に家が並ぶようになりましたねで家があ るってことはね多分昔はここに駅があった んじゃないかと思いますよそうですね大喜 駅というのがあったそうですこの右にある これがそのアート地となるわけですね当時 使っていた蒸気機関車の廃車隊らしい動輪 が置かれていましたまたここで4分の信号 待ち1個1個が長いですよねもう信号町の 間に急いで写真撮りに行くなんて鉄道 マニアが普段やってる行全く変わらないと 思うんですけれどもこれが昔のこの場所 ですかま想像は足やすいと思います昔の 蒸気機関車とディゼル機関車が一緒になっ て走ってる時代ですね最後配線になる時は もう最終列車に駅員さんたちが全員 乗り込んでなんか駅の設備にお酒をかけて ですねねらってそれで駅は廃止になったと いう話ですあとまだ2分あるなもう本当に 電車乗ってるみたいですよ電車じゃない ですけどねSLの記者ポップの時代に使わ れていた線路の後ですこれこれがホームの 後でしょD51蒸気機関車の動輪王子に 同線を失踪していたD51の動輪を モニメントとしてここに設置します多分 40km 50kmぐらいしか出してなかったんじゃ ないかな50km出たら相当早かったと 思いますよ貨物列車なんかね今この道は 50km規制 です多分車の方が断然早いと思いますこの 横なんか見ていただいてもやっぱり道路が ね田んぼより1段高くなっていますから 当時の鉄道の線の後を幅を広げて今道路に 転用しているということだと思いますがと いうことはつまりもう鉄道が配線になる までもう昭和30年代ぐらいまでこの辺に はもう自動車が通れる道なんていうのは 多分存在しなかったんでしょうねというの がま多分ねあの全国色々なところでは普通 だと思うんですがまだからこそ昔は鉄道が 大事にされていたわけですねさあいよいよ 右手から今の電化された 新しい昭和37年から使われている北陸 本線が合流してきましたでこれともう間も なくのところで合流し急戦と新線が分かれ ている区間は終わりとなります合流地点の ところに設けられているのが南今城の駅 ですこれでついに北陸トンネルの急戦の 部分を全部通り抜けていただいたという わけでしたもう新幹線が開業するまで残り 時間も多くなくこの辺りは走る時間も短く なりましたサンダーバード号はこの駅を 通過して北陸トンネルへ入っていきます南 今城駅は敦賀からわずか一駅お隣 です1駅お隣とは思えないぐらい険しい 山道狭い道蒸気機関車が苦労して真っ黒な 煙を吐いたトンネルなど抜けてきましたが まだ1つしか隣に来てないんですねまなん だってそこにトンネルがありますけれども このトンネルのもうちょい向向こう側もう ほんのすぐ向こうに北陸トンネルの入口が ありましてこっからま145km行った 向こうまで駅がないわけですから山を トンネル一発で貫く北陸トンネルの向こう に鶴賀駅がありますICカード対応だIC カードでえ敦賀までの運賃はわずか 330円ですよ信じられない安さですね 敦賀南今城館にあったあの険しい山道を 全てまるで内科のようにして一発で貫いて しまう北陸トンネルは例え今度の新幹線 開業によってjr西日本の元を離れようと も引き続き日本を代表するトンネルであり 続けるでしょうその北陸トンネルを一発で 通り抜ける運賃わずか330円の普通列車 に乗ってみましょう42は終点敦賀終点 敦賀ですお出口は右側 ですトンネルは非常に長いのでさんが4両 編成の巡回に行かれました今のうちに後ろ の景色を遠慮なく取っておきましょうあの 天下の剣を貫いた偉大な北陸トンネルは ひたすらまっすぐで普通電車も相当の スピードを出して突っ走っていくことに なると思いますえ今の速度は110km 早いですよね昭和37年とかからこんな 立派なトンネルを走らせていたんですね すごいことですよねすごいものができたと 思ったらトンネルの中でまさかのとんでも ない事故が起こってしまったというところ までがセットですま決して怒ってはいけ ない事故であって当時の被害を受けた方が 今でもまだたくさんいらっしゃいますから あのアバの会社の社長さんも大陸トンネル のちょうど今多分僕が走ってるこの辺りで 火災が発生した場所だと思いますがあの この辺りでえ火災に巻き込まれてその時に 私たちの子供たちを頼みますとお母さん からね子供たち託されたんですけれども 剥れてしまってその子供たちは全員 なくなってしまった悲劇に見舞われたと いう話がこの えニュース記事で紹介されていましたがま そういう過酷な運命を背負った方がいる ものですがただあまりにもこの北陸 トンネルは素晴らしい出来栄えでこの辺り に革命的な変化を巻き起こしたのでま国鉄 のその満身がちょっとまからない分から ないでもないなというのがちょっと僕の 正直な気持ちですねとは言っても絶対怒っ てはいけないことが昔起こってしまったん ですけどねこの列車には福井越前方面から 学校に通って今下行してくる高校生たちが いっぱい乗ってるようですけれども彼らも この北陸トンネルがなければ向こうへ通う なんてとてもできなかったでしょうね北陸 の入り口たる敦賀に革命的な効果を 巻き起こした偉大なトンネルが作られたの で名誉ある北陸3件を代表する名前北陸 トンネルがこのトンネルにだけ与えられた んですね本来であれば木峠の地下を貫く トンネルですから木目トンネルありがこの トンネルのふさわしい名前だと思いますが 当1つの名前ではなく北陸全てを貫くよう な象徴的な存在だったということでしょう 真っ暗な景色ただ揺れるだけで音が うるさい車窓も大変ありがたいもののよう に覚えてきます速度が落ちてきました北陸 トンネルを抜けるとすぐに鶴賀行校内に 入りますの で抜ける頃には速度も落ちるんです ね ありがとうございましたまもなく終点敦賀 終点敦賀です18時10分特急列車いつで もホム変わりまして6番乗り場ですまも なく終点敦賀です敦賀に一泊することが あったら北枕にすることはありえても北陸 トンネルに足を向けて寝ることはできない でしょうねえこの敦賀の凄まじいところは まだまだ今この峠を超えてねえ行ったり来 たりしてうわすごい峠だとトンネルが一発 で貫いてということやってきたわけです けれども鶴賀の凄まじいところはこの北陸 トンネルの反対側向こう側にもまた大変 厳しい山がそびえているんですつまり進む も戻るも地獄の道なんですね本当に冗談 じゃないですよこの敦賀から今城方面も 大変な道ならば反対の引田方面さらに滋賀 県の方面まで過山道の連続ですまず路線図 の形がやっぱりちょっと変でここから南へ 行こうとするとぐると山道を回るような ループ線を通り抜けて滋賀県方面に向かい ますで昔この線路はなくやはり別のルート から山道の険しいところを通り抜けて蒸気 機関車を頑張って抜けていましたでまた例 によってそっち側もですねこんな感じ昔 ながらのエガのトンネルを自動車で 通り抜けられるような信号付きの設備で 残されているところがありましてこれも昔 ながらの道をほぼ全部たどりながら行く ことができますどちらの地獄の道も昔と 同じように車で体験することができるわけ ですこの険しい山道を超えて滋賀県木本へ 昔は向かっていましたが今でも普通には 超えられません特に重い荷物を積んだ貨物 列車はこの山かなり苦手ですあこの古川橋 からの景色がいいですよ敦賀のやばさが 感じ取れますから向こうも 山反対 も やっぱりとてつもない山なんですよあの山 の向こうに行かないとどこへも行けないん ですよ行けるのは海を渡ったユーラシア 大陸ヨーロッパだけですまだから先ほど 紹介したループ戦とかを使っていくわけな んですけどそれと関係なくこれあれかもう 漢字ばっかりで海外の人が見たら率しそう な難しさですが英語も理解するの難しいん じゃないかと思いますがえこのツルが初 バシはこうこれは日本で1番長い距離を 走る普通列車じゃないですか駅から出発 するところで南側に見える険しい山を登る ぐるぐる巻きのループ線ですねこれ多分ね 方角的に見えるんじゃないかな列車から 無理かなループ線は夜景の方が分かり やすいので日が落ちるのを待つことにし まし たスルガを出ますとまず右手に街並みの 明りが広がります右手に街の明りが見える というのをまず記憶する必要があります そしてこれから再びの険し山越に挑みルー 進んでいくことになりますがここで右手の 方を見ますと車両基地ま小規模な車両基地 が広がっていますけれどもここが元々敦賀 機関区と言われていたところです全国でも 山越のエキスパートが集い山越用の蒸気 機関車をあの手この手総意工夫凝らして うんこうしたら煙がいいように流れていく なとか工夫を凝らしてですねつが敷終焉 装置とかそういうものを色々開発した ところと言われていますつまり進むも戻る も地獄の道なのでここは技術が高いすかっ たということですね右手に鶴が市街の明り が消えていき列車は明りの少なくなった方 へ山越の道に進みます早速山の中に入り ましてあまり景色もどうなっているかよく 見えなくなりましたま街の明かりがない ですからね今こんな感じで先ほどのぐるり 1回転するループ線の一周を始めたところ ですその大部分はトンネルになっています が下に別路線小浜線の西敦賀駅が一瞬 見えるかどうかというこのタイミングで 今度ねさっきまでこ進行方向右手に街の 明かりが見えていたんですがここで今度 左手方向に移動しますと よいしょこのトンネルを抜けたところで さっき1度過ぎ去って見えなくなったはず の敦賀の街の明かりがもう一度見える 珍しい区間ですこれすなわちループ線で ぐるっと回っているので山の上の方へ行っ てで回転した結果さっき進行方向の右手に 見えていた街明かりが今度左手に見えると いうことなのです はいこれですねもこれぐらいかなもう1回 ぐらい見えたかなもうこれこれあそうそう そうこれなんですよでさっきいた新幹線の 駅とかがね東横員の青い明りとかがある あの辺にさっきいたんですけれどもえ ループ線をぐるっと回って山の上へ登って きました要は鉄道は坂道に弱いので わざわざぐるっと大きくトンネルを作っ たりとかして迂回しながら山の上へ距離を 稼いで登ってしまえばいいということなん ですねえこの辺りの明から取ってこの ループ線は初ループと呼ばれています列車 今山を登って新引田駅へ向かっていますが このループ線を通るのは山を登る列車だけ です山から降りてくる列車はループの線路 にはなっていませんつまり行と帰りで ルートが全然違うんですねえその関係で山 から食らってくる列車はえ大体6分から7 分ほどの所要時間であるのに対しえこれを 逆区間で調べてみますと山は登る列車は 大体10分とか9分とかですねえ所要時間 がおよそ3分違いますループ線で距離を だいぶ余計に取っているからです ね今列車はその新引田の駅にようやく達し ました反対方向の列車ならば3分早くつい ていたと思われ ます見えないですねありましたね明りが ホームの一部についていましたがこれが 福井県最後の駅となりましてこれを過ぎ ますとほなくして長さが大変有名な全長 5kmぐらいだったと思います高坂 トンネルに入りこれで峠を超えていくこと になりますましかしちょっと3分ぐらい ぐるぐると山道を余計に回ってみたり長い トンネルを抜けたりするだけで滋賀県の方 へ抜けられるなんて簡単なことですよ昔の ルートは本当に大変だったと言いますよ ここが北陸本線の災難所だったんだそう ですねさっきの敦賀から今城までの間より もむしろこちらの区間の方がより厳しかっ たというするが木元間の配線後は今でも 自動車で通ることができます 前も後ろも険しい峠道の鶴が 前後当然のように1日何回も通り抜けて いくサンダーバード号に乗って最後は京都 駅で降りましたこれでねま動画も終わりに したいと思いますもうそろそろ北陸線 なくなっちゃうんでまなくなるっていう かねあのJRではなくなって直通の列車も なくなるので今日京都まで来てこの辺に泊 する予定ですが明日また京都から折り返し 京都福井間ノンストップの特急にも乗って みたいと思いますその動画が先に出てます かね楽みくださいありがとうございました 2024年3月に北陸新幹線は敦賀まで 開業します東京から福井まで乗り換えなし でいけるようになりますご予約は是非 jr東日本ビューダイナミックレール パックをお使い ください
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42 Comments
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敦賀は人口は6万人ほどだけど街中見てると明らかに10万人規模です。
平地が少ないから人口はさほど多くないけど交通の要所だから街並みはかなり立派なイメージです。
いちいちタクシーから降りるなよ
地元にいた頃はこの旧線のトンネルをクルマでよく通りました。
北陸線から特急がなくなるのは寂しいですね…
北陸トンネルで2件火災が発生していて、慰霊碑の前の事故の際は当時の国鉄の規定 火災が発生した場合は直ちに車両を停車させて消火する を無視して、運転士が自らの判断でトンネルから脱出してそこで消火活動を行いました。そして乗客は全員無事でしたが、どのような処分までかは分かりませんが、その運転士は国鉄から規定違反として処分されたらしいです。その後北陸トンネル火災事故ですから、そこで国鉄が変わっていれば事故は防げたかもしれないなんて言われています。
北陸新幹線なぜ延伸するのかと思ったら、これ「整備新幹線」だったですね。元々新幹線計画は仙台から福岡まで繋がれば良いや、と言って計画されたものだが、その他の地域から「おらが国さも」と云うことで、地元の国会議員が予算の分取り合戦さながらに決定された経緯があって、採算度外視の新幹線を作らざるを得なくなってしまった。
関東に住んでるが…悲しいかな
こちらでは北陸新幹線延伸の広告とかCMとか…マスメディアも人々の噂や感心すら全くないのが現実…
首都圏からの集客を期待してるかもだけど肝心な関東周辺には何の宣伝もなく
延伸するのもすら知らないのが真実💦
蓋を開けてみなきゃ何とも言えないが
なんとなく期待を裏切るような結果になりそうな感じもしないでもない
けど頑張ってほしい
5:49
「その水も静岡県のものだ返せ」
「敦賀止まり」と考えると不便だけど、敦賀起点だと東京・名古屋・京都・大阪の各駅に乗り継ぎ無しで行ける日本海側唯一の街。
更に、新潟・秋田・苫小牧へも直行可能で、しばらくは交通系Youtuberさん達の要衝になると思います。
敦賀市民です、陸の孤島敦賀 町全体が昭和のままで地元企業も景気が悪く 地方からの金をあてにしてるのが見え見えで笑えてます!
動画で興味を持っても来てみたらガッカリって方々スーツ氏を恨まないでくださいね 海産物市場なんて9割方輸入品 ソースかつ丼も福井市の方が良いですよ。
最悪でも通過駅ぐらいで、市民は新幹線での赤字分を税金で補填の恐れの方が既に心配されてます。
鉄オタじゃないのに廃止は悲しいと感じるってことは鉄オタだったら😅
ぜひ次回訪れる事があれば杉津PAも行ってみて下さい!
敦賀の成り立ちはブラタモリで見た( ´ー`)y-~~
昭和47年にトンネル内で急行きたぐにで火災が発生し、途中で停止したのが死者を増やしたと報道されていました。高校へ通学するのに汽車が来なかったので鮮明に記憶があります。北陸トンネルの開通で交流電気機関車もトンネル内の空転を防ぐ為に、ED70からEF70に切り替わっていきました。旧北陸本線跡は福井県側も滋賀県側も山間部の急勾配で豪雪地帯である為、当時の列車運転は大変だったと想像します。
旧北陸本線の災害は、敦賀福井の集中豪雨で、一部崩れました。
北陸トンネル火災事故では実際の火元は整備不良の電気暖房だったにも関わらず、
食堂車オシ17に搭載された調理用石炭レンジがさも出火原因と断じる報道が横行した結果、
厨房が電化されていない食堂車が運用から外され、
人手不足で営業休止が多く退潮気味の食堂車に追い討ちに掛ける事になった。
また犠牲者の殆どがCO中毒によるもので、
特に10系軽量客車内装にて多用されていた樹脂パーツからの有毒ガス発生も問題視され、
車輌難燃化が厳重化した。
同時に火災事故への対応が後手に回り続けた国鉄は労使問題の拗れが遠因であったとしても反面教師として後世に語り続けるべき。
この日、自分も敦賀にいました。 そしてトンネルをくぐり今庄口で読経しました。 指導機関士が殉職されてます。 事故を取り上げていただきありがとうございます。
まさに昔の鉄道の様子がしのばれる景色なんですね。是非行ってみたいです。
Eurasiaの海外縛り解除したんですかね?
東京〜ロンドン鉄道の旅の頃からのお気に入りBGMです。
狭軌陸上トンネルというカテゴリーでみれば北陸トンネルは未だ日本最長である
12:06
20:00
あれ?スーツ君、数年前にこのルート歩いた動画があったような気がするんだけど
18:13
2022年の福井豪雨の時に土砂崩れが発生しました。
トンネルの間や
大桐のあたりは台風の影響で崩落したもので す。また川の護岸も台風でつぶれて直しているところです。
すんげぇ、ドライブで行ってみたくなった!!
新潟から北海道などを往来する、新日本海フェリーで北海道のキャンプ旅をした帰りは敦賀の入港で帰って来たい☆
本当素晴らしい動画です。
道路が崩落してるのは、2022年豪雨による被災ですね。
これでもかなり修復されてると思います。
トンネル温泉とか行った覚えがある
毎度とても感心する構成の動画ですね!
知見が増えました~
今度旅してみます!
北陸トンネル13キロ。
福井へ年末年始毎年行く嫁は乗り鉄です.いつも13キロを快速は7分以内に通ります。
嫁としては嶺北、嶺南の区切りが分からず 質問すると地元民は意味がわからないようです.ワタシは京都民や!
面白いろかったです。
近江塩津も解説してください。
以前2メートルの積雪で木之本駅でとめられました。
こんな雪 京都にはないわ
毎度とても感心する構成の動画ですね!
知見が増えました~
今度旅してみます!
海がキレイなんよ 水島なんかいいよ
杉津の駅は高速道路を作るときに、この旧線の敦賀方面からダンプなど建設機材がガンガン走ってきてて、駅跡は資材置き場などになり、最後には杉津PAとなりました。
今はこの旧線を走る車は、PAに補充に行く車(敦賀方面から杉津PAまで)と、少数の鉄道遺産好き人間が踏破するだけになっています。
まぁそれでも、他に代替え道路はないので、台風の度にどこかしらが崩れて、その度に補修しています。
直近の台風では、通り抜け不能に1年以上なっていました。全てのトンネルに被害がなかったので復活できてます。
敦賀側から今庄側へは高低差は下がるだけなので、敦賀から杉津までにはスイッチバックはなかったのですが、
今庄側からは、最初のトンネルの所に待避線とスイッチバックの信号場がありました。
通り抜けできない行き止まりのトンネルが、本線の横にあって、蒸気機関車はそのトンネルに突っ込んで止まり、ポイント切り替えをして、本線を渡って待避線にバックしていきました。
かなりめずらしい設備(行き止まりのトンネル)ですので、見る価値はあるかと。
待避線も貨物列車のために、かなりの長距離x2本が用意されてます。いまでも跡が残っています。
(以下、杉津駅で乗り降りしてた母親の話)
杉津駅は、断崖の高台の上にあり見晴らしも良いのですが、そこから100段以上の階段で海岸まで直に降りる事が出来ました(当時)。
断崖はスイセンの一大生息地で、一斉に咲いた時には見事だったと聞いてます。
小学校時代は、夏休みに海水浴となると、この杉津まで汽車で来て、階段を直滑降のように降りて砂浜に行っていたようです。
貴重な動画をありがとうございます
また暖かくなって凍結の心配が無くなったら行ってみようと思います
関西からは迷惑な開通W今までサンダーバードで行けたのに余計に金かかる
サムネ見て一瞬「おっスーツ君オカルト動画も始めたの!?」と思った人間は私だけではないはず…
いいね!
慰霊碑は初めて見ました。当時 私の友人の兄がトンネル火災の犠牲者になってしまいました。確か19才だったと聞いたかな。有り難うございます。
地元民であります。
ぜひ今庄駅にも足を伸ばしてみてください。
蒸気機関車の給水塔?の跡等あります。山越えの前に給水や滑り止めの砂等を補給していたようです。
またお待ちしております。
新横浜駅から使い物にならず米原駅から先は鈍行列車で駄目ですね。ゴミですね
ブラタモリ終わったけど、この番組のおかげで敦賀の理解が深まりました!
北陸トンネル内はいまでも圏外です
電車は走らなきゃ見れなくなっちゃうけど線路があったであろうところは残してくれてたら思いを馳せられますもんね。昔の夢は何処今なお道に思いをはする
敦賀にようこそ😊
蒸気機関車が旧北陸トンネル群のところに通っていた時の記憶ががあります。
蒸気機関車が『ぽー』 と爆音を手前であげるのです。
馬力を上げる為に。そうしないとのぼりきれなかったのでしょうね。
今は車でたまに通過してます。