#7 生徒と一緒に、フィールドに飛びこむ(前編)【ゲスト:山手浩輝】

こんにちはメシワークラジオです今回は 富山県新前高等学校教員の山手弘樹さんを ゲストにお迎えしました山手さんは前高校 で観光ビジネスコースの立ち上げに携わり 従来の探求学習の枠にとまらない人類学的 なフィールドワークを取り入れた授業を 指導されていますまた山さんご自身も学部 時代に人類学を 特別支援学校で教員として働き始めてから は特別支援の現場を人類学的視点から捉え た重視論文を提出現在も博士家庭にて人類 学の研究を継続されてい ますそれではお聞き [音楽] ください山弘樹っていうんですけどえっと 富山県立入高等学校っていうところでえ 教員をやっています えあのこういう場に慣れてないんですごい 今硬い感じのしり急になりなってしまって あのどう話せばいいかなってちょっと困っ てるんですけどあの一応この学校にはです ね観光ビジネスコースっていうのがあり ましてそのコースの立ち上げから関わっ てるとへえいう感じ関わってるというかま 私が勝手にやってるって感じですああ えっとこの人前高校っていうのはえっと ですね皆さんがえっとご存知のところで 言うといわゆるあの黒部川の右眼にあり ます左眼はあの黒部市っていうみんなが 知っているククベ皆さんが知ってる名前が あるんですけどその新潟側の方は東側の方 はですねあのま下ニカ軍っていう新前町 っていうのと旭日町という町が2つあり ましてまいわゆるあの過疎に向かいつつ あるエリアという感じですでえっと子供の 数が減っているということでえっとこの 新前町と隣の旭日町の高校2つ新前高校と 泊高校っていうんですがが合併することに なりましてでま元々泊まり高校っていう ところにあった観光ビジネスコースって いうものがまうちの普通貨の中にこう入っ てくるとうんいうことになって あの新入前高校の中に観光ビジネスコース があるっていう状態がとりあえず決まり ましたで えっとま旭町のにやった時の観光ビジネス コースっていうのは元々そこには商業家が あった学校だったのでちょっとそういう 雰囲気があったんですけどふあの職業教育 みたいなところ雰囲気があったりしたん ですがまうちにやってくるところでま元々 そういう伝統もないしなんかざっくり 作り替えようっていう風なま受け継ぎつつ こうこっち側ができるような形に作り替え ていこうっていう話が出てきてえっと とりあえずあの山手ってやつが会いとり そうだからっていうことで私がま主任に なってそのコースをこう作っていったって いう流れがありますはい何年ぐらい前にな んですかえっとですねちょっと正確に言う とえっと今年 がコース自体が設定されたのは3年前あ ですねだから今の3年生が1年生に入学 する時に合併して新入前高校になってって いうでこうでコースの内容ってのはその時 にほとんど決まっていなくてはい私がその 1年かけて準備して2年生から活動が始ま るっていう感じ で今の3年生が年生になったところから私 がずっとこう授業を毎週やりながらなんか コースってこんな感じかなって作ってっ たっていうふでこの前なんかちょっとヒガ 先生にあの来てもらったのはその最後の 発表会で公表して日さんの素晴らしい好評 で対談へを迎える いやそういう雰囲気のえコースでしたあの まだちょっとこれが苦気分続くんですけど 一応なんかそのピークはそんな感じていう 感じですねはいで えっとま自分が任された理由の1つもある とは思うんですが で あの自分はその大学学部の時にえっと人類 学を学んでいてまその時はそのレイブとか ベンガみたいな学習論とかっていうのを 学んでいたんですがあのまあの大学進学と かってのを考えた時に考えたんじゃない ですよあの入手を受けて落ちてちょっと そうだったんですプ太郎みたいになって しまっ てこれカットしなくていいですよ1年間 大学5年生あのちょっとあの過ごしたん ですけどまオシもあのリーマンショックっ ていう素敵なちょっとイベントもありまし てあの気づいた教員になってたという なんかそういうあの教員の風下にも置け ないよう まなんかそんなでちょっとあの2011年 の3.11とかありながら入社してでま 教員をやってたんですけど最初に行った 学校が特別支援学校で私特別支援のことは 全然あの全然知らないほとんどもう本当に 知らないっていう状態で行ってまなんか1 年ぐらいわーって嵐の中に巻き込まれ ながらやってる時になんかある人とあこれ 人類学だなって思うええあのなんか分から ないところに行ってでなんかその収支に 落ちた時もなんか自分の中でやっぱりどこ をフィードにするってなかなか定まらない なっていうのはあった学習っぽいことを やりたいなってのはあったんだけどやっぱ なんかちょっとフィールドが定まらないっ ていうことがあったんですけどなんかこう 巻き込まれながらあこうやって自分はここ をフィールドにすればいいのかなとかって いうの思ってまそれでその 2年間特別資やった後にま普通の高校に 入った時にもう1回大学に行こうかなと 考えてま仕事して4年目ぐらいにえっと 金沢大学の大学員にま収支で直すっていう 感じででま働きながらそのま障害とケアと かまあの えっとま福祉施設みたい ところにちょっとボランティアしながら えっとなんかちょっとこうま人と特別支援 とか社会あの障害者支援ってものすごい そのきっともそうなんだけど物に溢れてて えっと支援ツールとかって言ったりするん ですけどなんかそういう中でアクター ネットワークみたいなことを使って障害 ってもの描いたら面白いかもしれないな なんか新しい発見があるかもしれないなっ て思ってまアクターネットワークっぽい 感じであの修論を書くっていうことをやり ましたはいでその後ま博士に進学してまた その続きでえっと障害の人類学とかって いうものをやりたいやろうかなって思って 色々と計画を立てたりしてたんですけどま あのコロナ感になってしまってそういう ところにフィールドワーク 全然いけないっていうか本業もなんか嵐の 中に巻き込まれてしまって何もできない みたいな状態になってちょっと悩んでた ところで観光ビジネスコースの就任やら ないかっていう話が来てでま私の中では なるべくその仕事と学問ってのをこう分け てやってたんですけどなんかももしかし たら一緒にできるかもしれないしやったら 面白いかもしれないちょっと一緒にやる ことに抵抗感はあったんだけどなんて言う か ないわゆるその学問的なポジションでは なくなってしまうっていうかこう当時者に なってしまうような感じがあってま今思え ばそんなことは考えなくて良かったのかも しれないんだけどやっぱなんとなくその 大学っていうもののポジション大学の中で 研究してるっていうポジションじゃ なくなってしまうってことにちょっと抵抗 感があってま迷ったんですけどあのまさ 最終的にはでもこれはなんかもしかしたら すごく面白いことになるかもしれないしま 金沢大学で元々その自分の周りにはえっと 文化資源学カルチャルリソース マネージメントみたいなことをやってる 先生たちはいっぱいいてま今までちょっと 教えてもらったことを役立てることも できるなっていうのでまその観光ビジネス コースっていうものを作ってどういうこと をしていくかでそれをこう今度はえっと 大学ぽいポジションからもう1回見て学問 てポジションから見てみるってことがをし てみようっていうので今白紙にいてま考え てるっていう感じですねうんなんかそう すると割と色々自分のやってきたこと がバラバラのことをいっぱいやってたんだ けどなんかこうすーって1つにまとまって き て自分としてはなんか心穏やかに心穏やか にっってがおかしいですけどなんとなく なんかこうやってること1つ1つに意味を 意味がこうついてきたっていうなんか最初 が意味を持ってやろうとしてたわけじゃ ないんだけどなんかやってく中でこう スーってなってったっていうのがあり ますでえっと元に戻ってで韓国ビジネス コースっていうのを立ち上げるところから 始めて えっとまその時に言われたのはまあ何でも やっていい とまま何でもやっていいってのは何も 決まってないってのの裏返しですけど何で もやっていいんだけど何でもやっていい ぞって言われたから何やろうかなって考え てちょっと色々考えたんですねでその時に そのなんかちょっとこのアクター ネットワークとか学んだことを勉強できる かなとかって思ったんですけどなんて言う んだろう ななんとなくそのそこに違和感があったん ですよねうんアクターネットうんなんかま うんとかて思ってうんと思ってそのなんか もっとちょやっぱその自分の経験として すごいそのなんて言うんだろう な生徒っていうものをなんか人間として見 るっていうかアクタバクだと人どのとこう 同じ地平で見るんだけどそうじゃなくて やっぱなんか人間を見ていく時にどういう 風に見るのがいいかなとか育てるいうのは こうなんて言うんですかね何か与えるま 情報を与えるっていうこと以上の何かだよ なそこにはなんか身体的な交わりとか もっとあるよなっていう中でえっとま名前 だけは知ってたまインゴルドにま出ま 出会ったってなんかちょっと運命的で かっこいいですね一応 読んだわけですねま最初に読んだのは ワイトマザーズあの人類学とは何かうん うんうんうんでま人類学と何かは別に教育 について書かれてる本ではないんだけど うんまこれ読んでく中でそのフィールド ワークっていう ものがえっと一体どういうものでま フィールドワークするっていうことは えっとこれ人類学の人にしかわかんないん だけどエスノグラフィーとは違うんだって いうそのアンソロポロジーは エスノグラフィーと違ううんうんことを 書いてあってあの僕はフィールドワークし たさせたいなんか思ったんですそれ予感と してあったんです自分の中でだけどそれを なんかこううまく正当化できなかったん ですけど人に話す時にでもなんかその インゴルドがアンソロポロジーと エスノグラフィーが違ってだから学問とし ての人類学とその実践としての人類学って のは違ってで実践としての人類学っていう のはもっと普遍的でいろんなことにこう 入っていくことなんだみたいなことが書い てあってあ僕はなんかそれですごく救われ てでフィールドワークをするぞって自分の 中でその正当がしてもらったっていうのが うんありますであのフィールドワークする ぞっていうでそれを人にな伝えるんだけど ここにはあの涙なくして語れないの挫折の 日がありましてなかなかそのフドワークっ ていうものが伝わらなくてえっと最初の うちはすごく苦労しましたうん あのまやっぱ水神さんとかちゃんと人類学 してる方だしフィールドワークて言とこう いうイメージ出てくると思うんですけど あのひどひどいっていうかまなんかフーク 遠足行くのみたいななんかそういう話とか もうあったりしてえ遠足行くのみたいなえ 毎週遠足行くのとか大変だねみたいな なんか本当になんかそういうレベルなん ですよそれ周りの高校の先生にってこと ですねそうそうそうそう ああなんか皆さん言葉だけは聞いたこと あるみたいな感覚ですかねそうそうそう ですねうん違うんですよってうん山陽観察 なんですよって言うともはやその4文字熟 はわかんないね4になっちゃうしどうし ようってすごく困ってしまって その何回も行くんですよって同じところに そ1回でいいじゃんとかってもうなんか そのもなんか人類学の存在理由みたいな ものを常にこう僕はちゃんとしたあの制度 内の学者でもなんでもないのにあのうん常 にこうなんかあの揺さぶられていや1回 じゃダメなんですよみたいなうんことを何 回も言ったりしてうんうんえま言いまし たででなんか正当化できないかなって思っ た時に出会ったのがあのアンインゴルドが 最近2019年かなに書いたアンソロジ アアエデションてやつでうんえっとそこで はインゴルドはそのアンソロジーっていう ものを直接的にもう教育なんだであその エスノグラフィーじゃないうんアンソロポ ジーっていうのはまさに教育なんだって いうようなことを言っていてで僕はその本 を呼んだ時にこれやこれやなんとかならん かこれでっていうのは思って あのえっとまそれで説明するよう になったんですねで今でも結構 その説明してもなかなか伝わらないことも 多いんだけどだけどまあのなんとか関係し てる人たちにはこの本の内容をこう利用し ながら伝えたいなっていうことで伝えて たりするってい 感じですねそのやっぱフィールドワークて わかんないわかんない本当やっぱ人類学 やった人じゃないと人類学っぽい フィールドワークってなかなか伝わらない んですよねうん そのでそのなんか他の学校の フィールドワークみたいなもののそのもの に研修として参加したこともあるんです けどそのもうなんか情報を取りに行くって いう感じ感じなんですよね知ってる情報を 確認しに行くっていうことがでなんかその プリントに穴が開いててその穴に言葉を 埋めていくみたいななんかあの跡をこう白 の白跡みたいなのをこう見てこれを城の 名前はみたいなこうこの城を立てた人はと かてなん埋めていくみたいな活動があって これはフィールドワークですよっていう ようなことを言われたりあまそうですねと かって思たりもしたんだけどやっぱなんか 僕らの知ってるシールド枠が違うなって いうのがあってうんでどう説明すればいい んだろうってすごく難しくてわかんなかっ たんだけどまインゴルドはこのハンダー デディケーションの中でなんて言うかな 伝達じゃないんだっていう話をしてて そのえっと知識っていうものはそのどこか からどこかに情報として与えられるもの じゃなくてそのと自分の中で 作っていくだから知識は常に実践の中に あるんだいうようなことを言っててああで 僕はいつもせあの他の先生にもそういう風 に伝えるんですよねなんかなんか情報を 取りに行くんじゃないんですよってうん うんその自分たちで自分の中になんかこう 知識を作りに行くですよてでそれはだから あの誰かにインタビューしていい情報を 取ったとかそういうことじゃなくてえっと 何 が面白いことなのかっていうその アテンションの能力っていうのを磨いて いくことなんですよえいうことをま説明し たりはするんですよねまその本当に インゴルド自身もインテンションズでなく てアテンションの方が大事なんだっていう ようなこと言ってたりしてまあなんかそう いうこと がもっと先生の中で知れたらいいなって いうのはありますでえっとちょっと概略的 にはそんな感じでフィールドワークをして ますっていう感じなんですけどもう ちょっと内容に踏み込んで喋るとま前半は 僕がまあ何か色々フィールドワークを企画 していろんなとこに連れて行っていわゆる フィールドワークのやり方を学んだりとか なんとなくその外に出ていくってことに 抵抗感をなくしたりとかまそういうことを する活動をしていますこれが大体2年生の 4月から10月ぐらいまでかなうんですね ま応観光ビジネスコースあ あそうですね一応観光ビネスコースって 名前なんで えっと観光テーマにっては言ってるんです けどま農家さんのところに行って話を聞い たりとか全然観光じゃないなごめんなさい いきなりえっと観光寺みたいなところにも 行きますあのなんかその えっとお警官花を作ってなんかこう春に ですねチューリップチューリップ山県の花 なんですけどチューリップと名の花とこの 白だけあの白馬ですねていうのがなんか こう見えるっていう素敵な空間を作ってる 農家さんがいらしてまそういうところに 行ってえっという話もしたりしますけどし ますしま本当にただ 農業の農家何かさんのところに行って農業 の話を聞くだけの時もありますしあとは あの駅前の商店街にですね生徒に えっとぶっぱなしでてこいって言て30分 話聞に行かせ行かせるっていうようなえ こともやり ます30分ってあの我々からするとすごく 短いんだけどせとはなんかやっぱ30分 かる2本やるんですけど2件行ってこいっ て言うんですけどまなんかそれだけでも なんか疲れた感じなって帰ってくるってい のがありますねまなんかそんなことやっ たりとかもありますしあとはまスポーツ ツーリズムみたいなテーマにえっと サイクリングロードをみんなで走るとか うんいうのもやりますま半分あのうちの 共闘の趣味みたいなあるんですけど自転車 絶対やりたいとかって言ったからもあるん ですけどま私もなんかロードバイク 借り出してあの京都もロードバイク持って あのなんかロードバイクおじさんたちを 京都の友達のロードバイクおじさんたちを 集め てみんなでロードバイクなんか生徒はでも 知らずにマチで来るんですけどママチャリ で来たら太なんかあのなんパツパツの服を 着たロードバイクおじさんたちがなんか すごいサングラスつけてみんな揃って てそれに引きられてあのママチリを恋いで 行くって いうであのま事前学習としてあのツールド フランスとか見てあの遠藤のお客さんとか 見てま一応なんかそういう自前学者するん だけどやっぱあの生徒は出発おじさんに聞 られていくってのはすごい楽しいらしくて びっくりしたっていうような ことあとはまあの地元のシとか去年は見 ましたねうんえこれも祭りとか見ましたし あとは えっとちょっと自分としてこだわったのは 必ず芸術の先生に1人入ってもらおうって のは思って今も入ってもらっててでえと 美術館に言ってそれもそのえっとちゃんと なんかリサーチ系の美術って言ったらいい のななんてですか言えばいいんですかねえ そういうものをやってる美術店に行って あの地元の自分たちが知ってるものを美術 にするとこんなに面白くできるよっていう ようなことをワークショップ開いてもらっ て話を聞くっていうことをやったりって いう感じのフィールドワークをまこっちが 企画するとうんうんいうのをやってますで ま生徒はその度にインタビューとかする中 でちょっとずつこう人と話すっていうこと が上手になってきとうんうんいう感じです ねうんでまここまではあの長結構半年 ぐらいかけてますけど僕の中ではあの おまけにすぎなくてこの後のあのリサーチ フィードワークっていうのがやっぱテーマ 設定から全部生徒自身がやるっていういう ことでうんえ本番っっていう感じになって い ますで僕が去年やって えっとま何回かあの困惑したりしててま これがなんかっていう部分に当たるのかと 思うんですけど最初に例えばテーマを 設定した時にあの困ったのがやぱ生徒は ないことをばっかり言うんですよねなんか 人がいないとかうん人口が足りないとか 遊ぶ場所がないとか買い物するところが ないとかだこうすればいいっていうような なんかそのためのなんか問題を解決する 方法を探しましょうみたいなそういうこと にすごく敏感になりますで実際その えっと高校とかでは課題解決型学習とか えっとなんて言うんですかね課題研究と かっていう言葉でそういう何がしか解決す べき問題を設定してそれを解決するために いろんな工夫をしてみましょうみたいな 活動はたくさんあるんですあるんですけど その それをやることが本当にこの地域のために なるんかなっていうな自分の中にあって うんうん えっとこなんか教育者っていうより教育者 というよりはなんか地元の一人間として なんかそれがなんかこうじじ地元をです ねなんていうか対象化してうん資源化して えなんか操作可能なものにしてうん自分の 外側で操作可能なものにして外部化して しまっているっていうようなうんうん なんかイメージが自分の中にはあるあった んですねその時にうんで あのまインゴルドもそアンソロポジオブ なんとかじゃなくてワウズなんとかウザ フィールドなんだっていうようなことを よく言いますけどま自分もやっぱりその外 に出ていくからにはこの地域を資源化し ちゃダメなんだ対象化したらダメなんだっ ていうことをま深くそこでなんかなんと なく気づかされたっていうのはあります 自分自身が生徒が不足ばっかり言ってくる 中でうんうんうん あのでもなんかそういうストーリーって すごく素敵でよく新聞に乗るんですよこう いう問題がこの地域にはあってうんで高校 生の若い頭で考えてこういう解決策を考え ましたドンていうのはストーリーとして とっても素敵でよく あのだからまあが今も学校の先生でも なんかそういうことしてるんでしょって いうこと言われる方はいっぱいいるんだ けどうん僕自身はそれはこの地なんか [音楽] 焼きはまてこないうんこの地域は進学の ための資源推薦入手とかのネタにされて 資源に使われて終わっていくで彼らは東京 に出たまま戻ってこないっていうようなま それはまイメージていうよりもまずっと 多分この地域が繰り返してきたことうんな んだろうなっていうのは自分の中にあり ましたまそうもそうですね事実そうなん だろうなっていうのはあります うんもちろんあのこの地域に残ってこの 地域のことずっとやってくれるねこの地域 を支えてくれる生徒たちもいっぱいいるん ですけどま主にその大学とか進学した生徒 たちは戻ってこないうんうんうん うんなんかでもそのそなんて言うのかな 山手先生がおっしゃってることはすごく筋 が通っててふむふむって私たちとかは聞く んだけどうんでもあれですよねおそらく そのまフィールドワークってものの定義 だったりとかその課題解決にしないみたい なことてその高校っていう場所とか高校 教育っていうフレームからしたらかなり こう外れていくような方向な気がするん ですよねそうそうそうそうそう解決するま 新聞乗るとかおっしゃったけどやっぱり 課題地域に課題がありますそれを解決し ましょうっていう方がまみんなやりやり やすいじゃないですか言い方はあれです けれどもうんうん私分かりやすい物語りだ しなんかそのそっちに寄せていく方が生徒 もやりやすいし先生もやりある意味やり やすいうんうんけれどもそうじゃないって いうのはかなりなんていうのかなロックと いうかパンクというかわからないです けれどもなんかそういう姿勢に私は見えて いてなんかそこをなんかそれじゃないよ ねっておっしゃっていいるのがすごい なんかかっこいいなと思って私は見ていた んですけれどもなんかやっぱりそれがそう 人類学的ななのかなとは思うんですよね なんかやっぱり人類学者って別に課題を 見つけるうんじゃないじゃないですかそう そうけて解決しようていうフレムとはまた 別のアプローチによってなんかその世界を 理解していこうとするうんうんうんていう ことなのであるいはま世界をより良くした いっていう気持ちはあるにせよそれは課題 解決じゃないフレームな気がするんです きっとうんうんうんだからそれはやっぱり なんかある意味人類学的なところがあるの かなと思って伺ってもいましたうんそう ですねあのそういう自分は多分人類学者と しての自分としているんだろうなっていう のは思います えよく分からなくなるんです自分員なのか 自分やってる人なのかってのはよく分から なくなってくるんですけどそういう時には 割と人類学である自分を優先させてきまし たうんうんうんでもそれはすごく行き づらくてでしょうねの方 がうん多くてうん その えっと何の時だったかななんかある時に 教育学のどっかの大学の先生の講演会が あってまあなんかレブ演歌とか出しながら いやそう言うけどさってこっちが教えてる なんかそのオーセンティックな文化って いうものがだけがなんか大事なことじゃ ないんじゃないんですかねみたいな話をし たらうんうんそういう学校議の人の理論は 必要ないんじゃないかなみたいそういう話 をされてしまってわそっかレブ画って学校 嫌ってカテゴリーに入るんだとか思って 衝撃を受けてそっかじゃあ俺学校嫌なのか なとか 言っまでも学校嫌いな先生っていうのも クールですけどねそうだとし たらなんか常に そののたにってフレームであんまり考えた ことはないんですよねやっぱ地域がどう なっていいっていきたいかなそんな風に僕 はこの立場で何ができるかなとかま生徒が あのこれからの人生を多少なりともこう よりよくま何がいいかわかんないけどま そういうなんか自分の足で歩いていける ためにはどうすればいいのかなっていうの をま考えた時になんかいつもその的な教育 学的な正しさってものを人類学は相対化し てくれるうんていうそれはすごく自分に 対して勇気を与えてくれてうんうんなん何 がしかを発言するま力をくれるものだっ たりしましたうんうんだけどま発言すれば するほどあのあのなんですかちゃんとした ポジションでなくなるというかあの変わっ たポジションにこう入てくていうことは うんうん実際あってまそれで あのまやっぱ誤解とかあのま総合みたいな ものは 当然生まれ て来てはいいました何回も今までうんも そこそんなにこだわるみたいな なんかことは結構あったりしてうんしたん ですけどうん いやだからなんかそこを説明し続けなきゃ いけないじゃないですか常にそうではなく てっていうことを多分ずっと説明する立場 にいらっしゃるからなんかそこはでも私も なんか先々ながら多分メッシュワークも 共感するところで世の中にこうよくある フレームなんかそういう目的思考だったり とかうんうんなんかまさっきの課題解決 じゃないですけれどもなんかそういう風に それは別にうん ま学校教育がもしそういうことを多少 後押ししてるのだとしたらうんあのそう 世の中に出ていってこう企業で働く人たち もやっぱりそのフレームにうんうんうん うんどんどん囚われていくある気がするん ですね会社みたいなところの中でそれは やっぱりある種の課題を見つけてそれを 解決するようなフレームだったりもう ゴールを定めてそこに向かっていくみたい なそうそううんでそれをま飯枠はいやそう うんいうことじゃない何か分かり方とか うんあの達点への行き方が別のルートが ありますよっていうことをこう一生懸命 説明したいんですけどそれってやっぱり山 先生がこう苦労なさってるみたいないや そうじゃなくてっていうそのポピュラーな もの考え方じゃなくてフレームじゃなく てていうことをこうその都度都度説明し 続け るっていうことを私もやっていのであの はいあの非常に同士という感じがします いやありがたいです本当にえ ほ本当にそうですね昨日もあの説明して ましたなんかえなんか商品とか開発して 地域に提案するんじゃないんですかいや 違うん だそうですもっと見るんだよっていうよう な言い方を うんうんなんで見なきゃダメなんですか うんそうで最近ちょっと気に入ってること はやっぱりさっきちょっと使った 焼きはまじゃダメなんだうんそれで理解し てもらえるものですかいや昨日は30分 ぐらい1人に30分かかりました1人に 30分すごいかけ てらっしゃる昨日そうえっとね 新しい先生が来て1年生の担任でお2人 新しい方が来られたからコースの説明って するんだけど1人に30分で2人だから 60分かけうんうんうん難しいですねうん そうなんかいそう一斉に説明してもやっぱ 分かってもらえない時もあってそういう 細かいところていうのはそううんうんうん うんなるほどねまだからおっしゃってる なんて言のかま焼きあっていう日で おっしゃってるところはうん多分まあなん だろうなまサステナブルでないとかなんか もっとこう長期的な視野で見るとそれは 違うよっていう話だと思うんですけれども でもやっぱりこう短いスパンの中で成果を 出す方がなんていうかなこう外に向けては すごくいいいじゃないですか見え方として そうですねうんだからやっぱりそっちの方 に皆さん引っ張られていっていうところも ありますよねはいあそうそうで今日この話 をするためにそのコース設立当初に職員 会議でこんなことをするんですって説明し た資料を読み返してたんですけどはいはい はいあのその時からあのそのなんですか 成果は求めないとかって書いてるんです おおかっこい成果は求めないしすごい成果 が出るわけじゃないうんだから一見すると す意味かもしれないけど大切な行為なんだ みたいなことを書いててこれいって何に 伝わったのかなっ てやってるっていうのはいいありますね そのでもそのマニフェストでスタート するっていうのはなかなかかっこいいし できないことだと思いますけどねまそれが だから実現する環境ま環境にあったという よりまそういう環境を作っていかれたって いうことがますごくレアなのかもしれない し なんかこないだもそういう話出ましたけど じゃあ山先生みたいな実践とかあるいは じゃね新しくコースを立ち上げればできる かって言うと多分そういうことでもなくて うんうんうんなんかそういうこう分かり やすい結果とかじゃないんだっていうこと を最初から宣言するなんか結果出ません でしたでもなくてそもそも分かりやすい 結果目指してませんって宣言するところ うんうんうんうんうんうん 始めるっていうことはなかなか他でやって ないうんような気がするんですよねそう です ねやっぱなんかこうパッと分かるような 成果うんうんまそれは大学進学率ってのが 一番多分うんうん今まであのこう中東教育 で語られてきたうん結果っていうものだと 思うんですけどうん まそ そこにある程度まある程度実はコミットし てる雰囲気もあるんですけどコミットし てる雰囲気出しながら えっとでもなんかその成果っていうのは 分かりやすい形で追い求めないっていうの はなんでやったん だろうちょっとわかんないんですけど やっぱ自分 がここの人間だっていう意識がすごくある んですようんなんかここの人間じゃなくて どっかからやってきたただの公共員だっ たらうんこんな風にはやらなかったと思う ですよね うんうんうんであとはなんかやっぱ その教師ってのはすごくなんか伝えたがる うんそ人間なんですけど知識を伝えたがる まそ はいと教員にはなかなかならないんだけど 自分の場合はそのベクトルをいつも人類学 者の自分がこう抑えててうんだめだよって 伝えちゃだめだよって抑えてて伝えるん じゃないけどこの地域のためになること うんなんか何かやらせるっていうこととか こ教え込むとかじゃなくてこの地域になる でそれは自分の足で彼らが歩いていことな んだっていうのはなんかやっぱ人類学者と 自ての自分が常にこう教師としての自分を 抑えてるからこそできるんかなっていう気 がうんしますねそこに常にやっぱ反省的に なれるっていうのは人類学やってたからか な うんからなんかあれですね今お話を伺っ てるとますごくこう教育者であることと 人類学者であることがこう常になんて言う のかなま攻めに合うというよりはなんか それがこう重なり合ってなんか実践されて るっていうのとでまさらにすごい興味深い なと思ったのはでなおかつ山先生が やっぱりその地域の人だっていうなんか 地域にししてもらっしゃうっていううん なんかそのいろんな立場みたいなものが 重なり合う中でこうこうがいいんじゃない かっていうことを探っていってらっしゃる っていうのはなんか今お話聞いてすごく なんか腑に落ちたというかあはいそうです ねなんか自分の中のいろんな アイデンティティっていうかうんうんうん なんて言うんですかね分裂してるんの なんかこうなんかわかわかる束ねて るっていう感じはあますうんだからそれも やっぱりいやそれってでも結構いろんな人 たちが反省すべきことだと思うんですよね 多分だから人類学者うんだ人類学だけを やってる人間とかうんうんあるいはま教育 学だけとかあるいは教育者だけをやってる 人とかうんうんあるいは地域ってことにま よそ完全よそ者として地域にまいろんな人 たちがプロジェクトとして入ったりもし ますけどうんうんまそういう人たちの目線 とか なんかやっぱりまね知識ってものをどう 捉えていくのかとかそこに住んでる人たち っていうのとそこに住んでる人たちとどう いう関わり方をするのかま先生おしゃった みたいなそれを対象とするんじゃなくてま インゴが言ってるオブですよね対象化する んじゃなくてその人たちと共に何かをこう やっていくんだとかですねなんかそこは こういろんな人たちがちょっとこう受ける ポイントなんじゃないかなっていう風に 思いもしました うんなんか関係するか分からないんです けどその生徒が短急活動なんて言うんです か調査に行く時に調査の相手っていうのが ま常に自分のなんか知り合いだったりする わけですようんうんうんだからなんか そのなんか半端な派なことっていうかこの 人たちをただなんかネタにはできないなっ ていうのは自分の中にはうんうんあります しこの前あのちょっと地域の夏祭りがうん あったんですけどその時にちょっと フィールドワークであのお世話になった方 がはいあの自分の子供の小学校のPTAの なんか役員やっとられてはいであ先生うち のなんか出し物やってってよみたいな なんかそういう感じで子供をを出し物に こう誘ってくれたんですけどなんかそれを 言われた時になんか自分はあのフードワー クっていうものを通して自分もこの地域の 一部にうんなっていけてるっていう気持ち がなるほどうんすごい出てきてうんうん なんか教育って言うとその対象とうん 教えるものと自分の教員の間になんか線が あるっていうかうんうんうんうんすごく溝 があるような感じがあるんですけどうん なんか自分のやってることはそうじゃない んだななんかもっとこう今日地域と一緒に なって自分っていうもの自分も含めて いろんなものがこう一緒になっていく関係 を結んでいくうんうんまインゴルドのいい ことコレスポンダンスって言えばいいだと 思うんですけどまそういううんうん過程な んだなっていう風に思ってなんか インゴルドのが自分の中でなんかこう1に なってああ嬉しいとかっ夏祭りのあのお 化け屋敷みたいな前で1人でいやいいけど 素晴らしいうん子供はあのなんかその 出し物に行って僕は1人それなんか1人で なんかフィールドノートにメモって嬉しい なとし てるさすが さすがいやいい話ですよなんていうのかな それもだからなんて言うんですかね山手 先生のやってらっしゃるフィールドワーク のあり方と全てがリンクしているというか もしフィールドワ生徒さんのやってる フィールドワークが情報収集みたいなうん うんことだったら地域の人たちは多分そう いう反応地域の人たちも情報提供者みたい な人たちになってその関係は終わって しまう学校とか生徒とかと地域の人たって いう間に線が引かれてしまうんだけれども うんなんかそうじゃないフィールドワーク のあり方をするから学校とあるいは山先生 と地域の人たていうものの関係性が違う形 でちゃんと結ばれていてでまた先生 おっしゃったコレスポンデンスってあの 補足するとその人類学者のインゴルドがま 結構使う概念なんですけれども応答って 日本語でされますけれどもまそのなんて 言うのかなま世界とかと一緒にま行すると いうか応答するっていうのはま私がそこで 足並みを揃えていくようななんかそういう 実践なのであってまさにこう一緒になっ てっていううんうん話だと思うんですけど なんかそれもねなかなかやろうとして できる意図してできることでもないですよ なんか面白いですよねうん別に山手先生が 地域の人とそういう関係を結ぶぞと思って やったわけではそう そうそうなんそういうインテンションズ アテンションを持っていくっていうなんか うんうんうんなんかインゴとアテンション とかレスポンスアビリティみたいな言い方 もしてるんだけどなんかうん面白いぞって こう返していくっていうか常に自分は受動 的なんだけどうん相手に返すことで相手に 対して何がしかをこう相手との間で換気を 取りまぶある種のま主体的であり自動的で あるような関係っていうのがその インゴルドのいうコレスポンデンスやっ たりうんするのかなっていう気はしていて だなんかその生徒たちもえっとあで後半は なその生徒たちがフィールドワークに行っ て自分でテーマを決めていくんですけど 決めてて行ってで今我々人力者当たり前だ と思ってるんだけど徒たちは聞けないん ですよ何もね聞きたいことが聞けないうん もしくはあの全然聞きたいことと違うこと の方がなんかフォーカスされててうんで あのフルにそのインタビューする人にとっ ては大切で自分たちはが大切だと思ってる こととか聞きたいことってのは全然どうで もいいことだったりするわけじゃないです かこれはフィールドワークでったらみんな 考えることなんだけどセットにとっては すごく衝撃でなんかうんあのおじさん自分 の喋りたいことだけ喋って30分終わっ ちゃったぞみたい なもうでもうなんかすそんな大人そんな 大人いるのみたいないやいやそういうもん でしょとかって いやなんかそこをでもそういう風にして くれる大人もすごいいいいですよねそう ですね教育者じゃないんですよそうそう そうそうあの教育者的に振る舞わなきゃと 思うとなんかこう情報提供になっちゃう あの欲しい欲しいであろう情報を生徒が 求めてるであろう情報を答えてくれるあの よかれと思って答えてくれる人も世の中に は多分いると思うんですけど なんかそうじゃない話をしてしまうていう リアリティみたいなことに生徒が直面 するっていうなんかその場面が非常にいい ですよねうんうんそうですねもちろんその なんかちゃんと教育前として情報を提供し てくれる方もいらっしゃるんですけど なんかフォーマルな感じでうんうんうんで もなんか僕としてはやっぱその インフォーマルななんていうかなその関係 性のウズの中にこう生徒が入ってわくにさ れてうんて帰ってきた時の方がやっぱ 嬉しく てすごくへこんでるんですけどそうでしょ ねなんから生徒にとってはなんか色々理 不尽でしょうねうまくいかないし違う話 聞かされてどうしようってなって帰ってき たら先生は良かったねっていうわけです よ何がいいんだよって感じ何がいいんだ よ ねもうたり そう でしょあんなり婦人の世界にもう2度と 行きたくありませ ん言われるんですけどまなんかそれを すごく面白がってあの背中をしてあげる わけですよこちらはうんうんうんうん多分 普通のなんかテーマを設定してその解決策 を探すためにフィールドでなんか情報を 集めてきましょうって流れだとなんで ちゃんと情報集めてこないんだよそれは 相手が悪いから別の人に聞いてみようとか つてなったりなんかちゃんと聞いてこいよ とかってなったりするんだけど僕なんか バチバチにされたのなんか笑本当に今 みたいな感じで笑ったりするんですよ いいやいいね てで あのじゃあな何言われたんだよとかって 言ってその言われたことを話してそれ めっちゃ面白いやんてお面白いと思わ んかったんかとかっていう話をうんうん うんするんですよねえそんじゃ面白いです けどそう私のに聞きたいことじゃないじゃ ないですかとかてま生徒は当然言うんだ けどうんいいじゃんもうそんなことと かその面白い話の方が絶対面白いからさっ てそこもうちょっと次もう1回行ったら もっと面白い話聞けるよって言って背中 押してあげるっていうことが結構うん 多かったりしましたねうんあとは その あのまままとめるなっていうことは結構 生徒には言うんですよねうん あの言ってまとめたらこんな感じですと かって言うんだけどいやいやまとめないで よみうん生徒はやっぱずっとその多分その 情報をまとめて完結にして相手に伝え るっていうのがコミュニケーションだって いう風に学んできてるからうんあのそう いう風に私のたちにも伝えようとするんだ けどうん違う全部吐き出してくれよて もっと面白い話あっただろうとかって言う と結構面白い話が飛び出してきたりします ねうんでそのやっぱまとめる思考っていう のがでも今回やった中で1番手強くてうん 言とはなんかうんやっぱすぐまとめちゃう ですよねうんうんでまとめるっていうのは 結局自分の言葉で言い換えるってことだ から自分の知ってること以上の何何がしか 出てこないんですよねうんうんうんなんか 自分が知ってるストーリーに相手の話を 落とし込んでいくってことがほとんどで うんねそれもうフィールド出なくても 分かるじゃんっていうようなことが結構 多かったりしてそういう時はもう本当に 率直にそういうフィールド出なくても 分かるよねってうんGoogle先生に 聞いた方が早かったんじゃない とそなんかその聞きに行くことの聞きに 行った相手に対してなんかうんあの意味の ある声になってんのっていうのは常 に言ってますねうんうんうんうんだから そのそこはなレスポンシビリティなんです よねうんあの応答責任っていうかうんうん うん生徒自身なんかすごくその今の教育会 って主体性とかうん求められるんですよ 主体性を伸ばしましょうってはい主体性 あとなんて言うんか な主体性でも俺僕思うんですけどそんな 簡単に人間主体的になってるのかなって いうのは常にうんうんうんいて自分がこの コースを立ち上げてこの感じにしたいって 思ってるその根底には自分がした以上に やっぱりこの地域っていうものに対して 自分がなんか送られてきたものうんって ものがあってでそれに対してどう応答する かっていうところをやっぱ考えていっ たっていうのがあったりしますしなんか 生徒も 主体的に自分で 考えるっって すごくえそんなことが可能 ですですかね うんうんうんそのでも応答するていう応答 の責任があるでしょっていうのは生徒に やっすごくすんなり入っていくしうんうん なんか応答してじゃどうするっていうのは それは自分たちの問題だからうんそれが なんか主体性みたいないわゆる主体性 みたいなものをうんこう駆動していくって いう風に思うんですけどなんか今の教育 まず主体性があってその次になんか行為が あるんですよねなんかそれは順番が逆だ なって思うんだよねやっぱなんか応答って いう行為の次うんうん次の中で主体って いうものがこう出てくるっていような気が していてなんか主体性だけを取り上げてあ こいつはいいなとこの子はなとかっていう 言い方自身がなんか教育会が持ってるあ またそんなこと言うと居場所がなくなるん です けどっ てなんかなんて言うんですか ねうん不適切な家庭じゃないけどはいて いうものがあるかなってなんかその やっぱりその高校生なんで将来どうするっ て進路とかってのを考えるうんし僕は結構 そういう指導を結構長い間してきたんです けど その 178の人間が僕は将来こうしていくんだ 僕はこう決めたんだって言ってまやっ てける人間ってそんないないんですよさ一 にぎりいるんですけどそういう人たちは あのまなんかこう立派にま立派になって いくのかもしれないんだけど全ての人間が やっぱそうなっていんいけるわけではない しなんか全ての人間がそうなるべきなの かっていうのも自分の中にはなんかこう やっぱりちょっと微妙なところがうんあっ たりしてでも何かに対して応答して一緒に 歩んでいくうんていうことは全ての人間に そうあってほしいなっていうのは思うん ですよねだから将来を考えるとにま自分の 中から出てこないだったらやっぱ何かの 環境の音の中で考えていくっていうこと がすごく大事なことなんじゃないかなって いうのはうんうんあの1人の教員としては 思うんですけどうんうんうんまなかなか [音楽]

【ゲスト】

山手浩輝(やまてひろき)

教員として富山県立入善高等学校に勤務しながら、同校の観光ビジネスコース立ち上げの中心を担ってきた。このコースは参与観察型のフィールドワークを重視している。学部時代には人類学を専攻し、教員として働き始めてから入った金沢大学大学院では「障害が作られているとき―モノが作るつながりについて」と題した修士論文を執筆した。

【出演】

比嘉夏子・水上優(メッシュワーク)

【今回の内容】

周辺高校との合併を機につくられた観光ビジネスコースの主任になった山手さん/人類学専攻だった学部時代、レイヴ・ウェンガーの学習論に触れた/教員になって初めて勤務した特別支援学校で現場に巻き込まれながら、ぼんやりここをフィールドにすればいいのか、と考えるように/普通高校で教え始めてから、金沢大学大学院の修士課程へ/人とモノのひしめく特別支援の現場を、アクターネットワーク理論に寄せて分析した修論/博士課程でのフィールドワークがコロナ渦で難しくなり悩んでいたところで、観光ビジネスコース立ち上げの声が掛かった/仕事と学問を分離していたが、コース立ち上げを人類学の実践と繋げられるかもしれない、と思うように/新しいコースではフィールドワークをさせたい、という予感/コンビニが「ない」銀行が「ない」、「ない」ことに注目する生徒たち/「ない」を「ある」に変えるという物語の響きの良さと、そういった課題解決への疑問/地域の人たちをただの「ネタ」にはできないという意識が生徒たちにはある/教育者的な大人ではなく、全然関係がない話を延々と聞かせてくる地域の大人との出会いで、生徒がフィールドで「ぼろぼろ」になるほうが、嬉しい/まとめるな、全部吐き出せ/言語化された知識を与えるより、その話面白いじゃん、もう一度行ってきなよ、と生徒の背中を押すのが山手さんの役割/一生進む道を決めるより、何かに応答し自身を変化させる姿勢を獲得してほしい

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