歴史総合を東大生が全解説【世界史・日本史】

世界と日本の歴史をこれ1本で定期手対策 や受験対策として勉強したい学び直しや 共用として勉強したいそんな皆さんに ぴったりの動画となっております皆さん 歴史総合の授業や教科書が分かりにくい なって思った経験ありませんかそう思うの もそのはずなんです歴史総合の授業や教科 書は多くの場合はただただ世界史と日本酒 の内容を組み合わせただけで作られてる ことが多いからなんですねしかし本来は 歴史は日本史や世界史で習うような具体的 な知識というものは必要なく歴史の本質 さえ掴んでいればそれで十分なんですそれ なのに歴史の本質を掴んでいる良質な授業 や参考書がほとんどと言っていいほど存在 しないがゆに皆さんはほぼ無意味とも 言える単語暗記を強られているんですそこ で今回の授業動画ではその歴史の本質が つめるように産業革命市民革命国民国家 主権国家帝国主義大衆化グローバル化この 7つの歴史概念を元にして歴史の流れを 徹底解説していきますそして自己紹介が 遅れましたが僕はパスラボの聖の高家と 言います公立高校から塾や予備校に通わず に独学で東大元気語格を実現し現在は東京 大学の法学部で勉学に励んでおります学生 時代は東大日本市東大世界史で共にトップ 1%の成績を獲得するなど独学で世界史と 日本酒を極めたそんな僕が今回はそのその 歴史の見方や思考過程を完全再現するため に動画を作成しました総準備時間1000 時間以上そして参考にした文献数は100 冊以上撮影期間は1週間以上にも及ぶ非常 に大変な企画でしたが僕自身が高校時代塾 や予備に買うことができずただ YouTubeで勉強していたそんな経験 があったので1人でも多くの YouTubeで学ぶ人を救いたいとその 思い一筋で今回の企画を実現することが できました是非最後までこの動画を楽しん でご覧くださいまたこの動画を最後まで見 てくれた人の特典として無料のPDFを 作成しましたこの授業の内容と連動する形 でより学びを深めることができるような そんなPDFとなっておりますので是非 最後まで動画をご視聴の上この動画の概要 欄にあるPDFリンクをご取得ください それではこの動画をきっかけに1人でも 多くの人が歴史を好きになってくれること を祈っていますそれでは歴史の旅へいっ てらっしゃいはいそれでは早速一緒に産業 革命を学んでいきましょう皆さん産業革命 言われるとどのようなものを想像しますか なんとなく機械化が進んだっってこと でしょっていう風に理解されてる方多いん じゃないかなと思います実は僕自身もその ように理解してたんですねただこの歴史 総合という科目を通じて産業革命によって どのように社会が変化していたのかそうし た変化の部分を学習していくことでより よくですね産業革命というのを理解する ことができますでここにも書いてあります が農業中心の社会から工業中心の社会へと 変わっていったこれがまず大前提ですねえ ここ特に重要なんですが産業革命のの前と いうのはほぼ全てのものを人力つまり人の 力で動かしていましたしかし産業革命に よって蒸気期間というですねこの新しい 期間が生まれたことによって蒸気の力で あらゆるものが作られるようになっていき ましたで蒸気機関って言うと皆さん蒸気 機関車トーマスなんて有名なものあります からまなんとなくメジはあると思うんです が蒸気の力って言とあまり想像つかないと 思うんですねで例えば夜間に水を入れて それを火にかけて少し待つといずれですね こう夜間の蓋がポンと飛ぶ現象分かります かねこれは実は加熱されたことによって 蒸気が上に行こうとしてつまり温かい空気 は上に行こうとしてその力によって夜間の 蓋が飛ぶわけですでこの力というのをです ね中薬的に使うことによって大きな力を 生み出すことができますえそれをですね うまく機械に取り込んでいったのがワッと いう人です昔はこの蒸気機関この蒸気の力 をただピストンをですね定規に動かすだけ で使っていたんですがこのワという人は これを回転させることに成功させたんです ねで回転というとあるものつきませんか そうこれ歯車ですねこの蒸気の力というの をですね回転運動にしたことで歯車を たくさん回すことができるになっていく わけですそうするとただの上下運動だけ じゃなくて様々な動きに転用することが できるようになりましたでその1つ転用さ れた例が防石機械なんですが下に例書いて ありますね皆さん面折りもって分かります かこれは綿を使って作られる布のことなん ですがそれの製造家っていうには主に3つ のプロセスがあります最初に綿を取り出し てあげてでその綿を細い糸にしてあげると でその後にその糸を縦と横に苦させていっ てで最終的には布を作っていくわけですね で昔産業革命前ではあるんですがジョンK という人が飛び火を開発しました飛び火と いうのは何かと言うと縦の糸と横の糸を黒 させてく時にさすがに手であるのは大変 じゃないですかなのでこの飛び引と機械を 使うとこうやってですね横にどんどん スライドさせていって縦の糸と横の糸を ですね簡単にクロスできるようなまそんな ツールが生まれたわけですねでそうすると 早く縦の糸と横の糸はクロスできるように なったんだけどでも元々の糸自体の生産量 は変わらなかったのですでにですね糸が 不足するというような状態になっていまし たそこでこの産業革命によって蒸気間が これに取り入れられるとどうなるのかと いうと飛躍的にですねこの防石器というの が糸を作ることに成功しますえこれがです ね世界心を学んでると出てくるような クロンプトンによるミュール防石器とか ですねこういったものになりますでこう いったえ蒸器間を取り入れたような防石 機会ができたことによってどうなったかと いうと確かに縦の糸と横の糸は簡単に クロスできるようになったそして簡単に糸 も作るようになったそうするとその糸を 作る元の綿が足んなくなりますねそうする とその後の時代になって綿栗というですね 綿を簡単に取り出せるようになるような そんな機会がまホイットにという人なん ですがそういった人がですねどんどん開発 してくようになりますこういう風に多分 世界史の教科書とかあるいはもしかし歴史 総合の事業とかでもですねただこう人物の 名称とそして機械の名前を覚えさせられ てることってあるかもしれないんですが もっと大事なのは産業革命によって何が 変わったのかそしてその結果としてどの ように他ののプロセスに影響を及ぼしてい たのか今回で言うと飛び火というのが原因 となって今度は防石が生まれていて防石が 原因となって今度はバタクができてとこう いう風なですね循環が起こってくわけです ねでこういう循環が募りに募って最終的に 社会を変化させてくわけですこういう風に 流れで産業革命を理解していくというのは 非常に大切になりますそして続いては産業 革命と環境問題についての話なんですが 意外とですね歴史の教科書とか参考書に 乗ってないような内容なんですねなので 是非注意して聞いてみてください先ほど人 の力を超えて蒸気感によってあらゆるもの が作れるようになったよって話しましたね その上で蒸気というものは水を熱すること でやっとできるものですから今度は水を 熱するためのエネルギーが必要になるわけ ですでそれがここにも書いてあるような 石炭や石油やそして原子力といったものな んですねでこうしたものを人間はどんどん どんどん探し求めるようになりますなぜか と言うと蒸気さえ作ることができれば人の 力を超えて自然さえもコントロールできる というのを知ったからですねでその結果 どうなっていたのかというとあらゆる地球 上でですねエネルギーを求めたエネルギー 革命というのが起こっていきますそして時 にはエネルギーを求めて戦争が起こって いきますで実はこの産業革命というもの それ自体は別に環境問題引き起こしたわけ じゃないんですがこれをきっかけに今後の 環境問題というものが生まれていったので そういった意味ではこれが視点だという風 に言われることがあるんですねそういった 意味では例えば現代の地球温暖方とか海面 上昇とかあらゆる問題あると思うんですが あいたものの起源は産業革命にあると考え てもいいでしょうそして続いては交通革命 についてですね蒸気機関車とか蒸気戦って 皆さん聞いたことありますよねこうした ものは船や鉄道に先ほど説明した蒸気感と いう新しい期間を導入して生まれたもの ですでこれによってですねあらゆるものが 変わっていたんですでここに3つ書いて ありますよね一物時間ですでこれん何が 変わったんだろうって多分疑問に思ったと 思うのでえ詳しく説明していきますまず1 つ目人についてです蒸気関者や蒸気戦と いうのは今までの交通手段例えば馬とかと 比べてはるかに早いスピードで長い距離を 移動することができるになったんですそう するとどうなるのかというと今までは日本 に生まれたら日本の中でしか移動でき なかったあるいは中国に生まれたら中国の 中でしか暮らせなかったのがはるかに遠い 距離までえこの蒸気線の蒸気関子を使って 移動できるようになったので皆さんが知っ てる移民という概念が生まれていくんです ねそういった意味でまず交通革命によって 人が変化していきますそして2つ目は物に ついてです皆さん物について非常に想像が つきやすいと思うんですが蒸気線や蒸気 機関車に物を入れてはか遠くまで届ける ことができるようになりましたちょうど ですね産業革命が起こっていた時期に冷凍 技術という新しい技術が生まれていったん ですねこの冷凍技術が生まれたことによっ て何が変わったかというと例えば アルゼンチンで牛肉を作りましたそれは もちろん昔は蒸気鮮度が蒸気感謝なければ アルゼンチンなで食べるしかないですよね じゃないと遠くまで運んでたら何十日 かかるか分かりませんから腐っちゃうわけ ですよしかしこの時期以降蒸気戦や あるいは冷凍技術というものが生まれた ことによってアルゼンチンで作った牛肉と いうのを冷凍させてそれを船を使って遠く まで届けるということができるようになっ たんですそれによって何が変わっていくか と言と今までは自分たちのところで作っ たらそれを自分たちで食べるしかない つまり資産知障しかなかったものがどこか に食べ物を輸出したりあるいは輸入したり ということができるようになったんです それによってアルゼンチンの牛肉は ヨーロッパなどで特に大量に消費されよう になりましたし例えばブラジルのコーヒー なんていうのも世界中に届けらるように なったんですこうした意味で物の変化が 起こりましたよとそして3つ目は時間に ついてです時間って届けるものじゃない から人や物と違って何が変わったんだろ うって疑問に思いませんかまずこの時間に ついての変化を理解するためには電車を 考えてみると分かりやすいです皆さん電車 に乗る時って何調べますか例えば最寄り駅 に何時にその電車が到着するんだろうとか あるいは自分の目的地に何時にその電車が 到着するんだそういった時間を確認します よね昔も蒸気機関車とか蒸気線が生まれた ことによって時間というのが気にされる ようになっていくんです例えばその蒸気 機関車が初めて導入されたのはイギリスの マンチェスターという年とリバプールと いう街でしたその街の間をじゃあ電車が 通りますよとなったら当たり前ですけど それぞれの街何時に着くんだろうっていう の皆は気にしますよねでもこの時 マンチェスターで使われている時計と リバプールで使われて時計が異なったら 困りませんか例えばマンチェスターは24 時間製なのにリバプールの方では10時間 制ですなんてこんなことはもちろん本当は ないんですがこういう風にちょっとでも 時間がずれてると電車が使いづらくて困り ますよねなのでこういう風に長距離交通 手段が発達すればするほどそれに伴って 時刻も標準化されるようになっていきます そして皆さん世界の本書5000ってどこ にあるか知ってますかそうグリーンニチ 展望台ですからこれはイギリスですね つまり交通革命が発生したイギリスでも ありそして時間の中心でもあるイギリス こういう風にですね交通期間と時間という のは非常に密接に結びついてるわけですね このように交通革命は人物時間とあらゆる ものを標準化していったりあるいは あらゆるものの状態を変化させていった わけですねでこれは産業革命だけの勉強し てるとなかなか理解しづらいんですがそれ がどのような効果を持っていたのかという 周辺部分にまで記憶ることでより深くです ね産業革命の意義を考えることができます はいそれでは続いては産業革命と資本主義 の関係について確認をしていきましょう皆 さん資本主義というのは何回も聞いたこと があると思うのでなんとなくのイメージは あると思うんですが具体的に説明してって 言われるとなかなか難しいんじゃないです かねなので今回はその定義について簡単に 確認していきましょう教科書や市販の参考 書ではこのように書かれていることが多い です生産手段を持つ資本家がお金を 生み出し続けるシステムということですね ここで言う生産手段というのは何かと言う と工場や機械など商品を作り出すために 必要なもののことですそれではその資本 主義のプロセスを5つ確認してみましょう まず最初に工場や機械というのを所有し たらそういった生産手段を使って商品を 生産していきますそしたらその商品という のを市場で売りさばいてそれで利益を得て いくわけですねでじゃあお金を得たらそれ でハッピーだねとそれで満足っというわけ じゃなくてその利益というのをまた工場や 機械などの生産手段を増やすことに使い ますそうするとこの12345のプロセス はずっと循環していくの分かりますかね 資本主義というのは基本的に経済成長を 続けていくプロセスなのでまたですね利益 を得たらそれをまた新しく利益を生み出す ために使っていくという風なこういった サイクルが成り立ちますでこれ気をつけて 欲しいのができるだけ利益を増やしていく ためにはこの商品を作るために必要な コストというのを下げていく必要があり ますよねじゃあそのコストって言ってどこ でかかってるんだっけって言うともちろん この工場や機械というのはそうなんですが それが勝手に商品を乱すわけじゃないじゃ ないですか何が必要かと言うと総労働者 ですねなのでこの資本主義社会においては この向上や機械っというのを所有する人と それによって使われる労働者という新しい 立場の人たちが生まれてくるんですすると ですよ資本家はできるだけコストを下げて 利益を増やしてねそしてそれで新しく工場 や機械を生み出すためにできるだけ低賃金 で安いお金で労働者を雇って長時間働か せようとするわけですそうすると必然的に 資本家と労働者の間で対立が生じることに なりますね労働者というのは当たり前です けどできるだけ給料はもらいたいし あるいは劣悪な環境でずっと働かされたく ないわけじゃないですかだけれども資本家 としてはできるだけそうさせた方が商品を 安く作れるしたくさん利益が得られるわけ ですよねなのでそうしたですねシステム上 の問題として対立構造が埋まりやすいとえ 平民というのは主に脳作業に従事していた 人たちのことなのでま大半はこちらに所属 していて一部の貴族というものがそこで得 られた農作物というのをま徴収していたと まそんな構造だったですですねただ産業 革命によって工業化が進んだことで何が 変わっていたのかというとこの貴族と平民 という身分の対立じゃなくて今度は資本家 と労働者という対立になっていくわけです えこうした対立構造を強調した人はですね カールマルクスというですね社会主義のま 父とも呼ばれるような人ですでこのカール マルクスの社会主義というのは唯物主観論 という考え方を有していますでこの唯物子 観論って何と思うと思うんですがこれは ですね歴史というのを二項対立のな身分体 率で考えていくものなんですね1番昔で 言うと奴隷と言われていた人たちとその 奴隷を有する人という身分体率がありまし たよとその次は貴族と平民という身分対立 があったよとそして現在は産業革命という のが起こって資本家と労働者の対立が 起こったとそしてこのカールマルクスは ですねいずれこの資本主義というのも 終わりを告げて社会主義の未来が来るよと いう風に考えていたわけですこのような 社会主義の考え方が受け入れられてた1個 の理由としてはこの当時はやはり労働者は は劣悪な労働環境に置かれていたそんな 事情があるんですねやはり資本主義の社会 においては資本家はできるだけ安いような 給料で労働者を雇ってそしてたくさんの 商品を生み出してそれで利益を得た方が よりですねたくさんの向上や機械を 生み出すことができるんでその方が効率的 でしたしその当時は労働者の労働環境を 何か規制するような法律であったりだとか ルールていうものが存在してなかったん ですねなので本当に使い放題になって しまっていたので労働者たちの立場から 社会主義というものがえ復活していきまし ましでこれは社会主義だけじゃなくて実は 環境保護運動というものも生み出していく んですねなんでかて言うと例えばその資本 家っていうのは工場をどんどんどんどん 回していけばいいんですがそこで例えば 有害なガスとかあるいは有害な物質でいう のを適当に排出してあって別にそれで商品 が作れてそしてその商品が売れるなら何で も良かったんですよねなので急激に産業 革命が進んだせいでたくさんの環境破壊と いうものが起きていきました例えば ロンドンの町はもうその工場の煙でもう 真っ暗闇となったそんな事件が起きるなど え世界中でですねそんな環境問題が起きて いましたでこれもちろん日本も例外では なくてここにも書いてありますが足動山 光毒事件あるいはえ熊本のみ病こういった ものも日本酒の中だとまただのですね社会 問題という風に捉えられることが多いん ですが産業革命の弊害として捉えることも もちろんできますよね熊本の股病について は日本の教科者だと4大公害病として学び ますよね熊本股病新潟股病そして四日市 前作と遺体病まこのような病気もただ発で 捉えるのではなくてこうした産業革命に よった産業構造の変化によって引き起こさ れた映画でよと捉えるとまた物の見方と いうのも変わっていくんじゃないかなと 思いますそして先ほどこの産業革命という のはイギリスで起こったよという話をし ましたねであそうかそうかとえそこで一 段落ついてもいいんですがじゃあ皆さん 考えてみましょうなぜイギリスで産業革命 が起きたんですかなぜ日本やフランス アメリカなど他の国で最初に起こったので はなくてなぜイギリスが最初だったん でしょうかそうした理由や背景いうのを 考えていくことでこの産業革命に対する 理解っていうのはもちろん深まっていき ますでこれは別に歴史相合に限って話では ないんですが何かの背景や理由というのを 考える時にはその物事の歴史を考えること が非常に有用です例えば皆さん友達が怒っ てたとしましょうその友達が起こってる 理由や背景を考える時に現在の状況を 考える人ってなかなかいないと思うんです 例えば現在のその友達の表情とか服装を見 てあこれはおそらく時間遅れたことを 起こってるんじゃないかなとかこの表って ことは多分何かものなくしたんじゃないか なみたいなそんな現在の状況を分析して その理由や背景を考える人ってまずいない と思っていてむしろその過去の歴史ですね その友達が昨日何してたんだっけ1週間前 何してたっけそうやって昔を遡ることに よって例えばこの友達は連絡が自分遅かっ たことが起こってるんだろうなとか何か そういった理由や背景っていうのが分かっ ていくものなんですねえ今回のイギリスの 話もそうでただ産業革命がなぜイギリスで 起こったのかという考える時に現在の イギリスを見ても意味がないんですその イギリスの理由を考えたければそれよりも さらに昔産業革命よりも前を見てみること でその理由や背景っていうのが分かってき たりしますでここにですねその理由3つ 上げておきました科学革命と大公開時代2 つ目が商業革命と三角貿易そして3個目が 農業革命と労働力の供給という話ですこれ それぞれ1つずつ見ていきましょうまず この1つ目の科学革命というものは何かと 言うとこの産業革命よりも前にですね ヨーロッパの地域を中心としてラシ版で あったりだとか保線などのですね公海に 関する公開っていうのは海を渡る方ですよ その公開に関する技術というものが高まっ ていましたま今時ねラシ版使う人いない じゃないですかまなかなか方位を確認する ので最近だったら両方巻き食べる時ぐらい ですかねまそうしたラシ版というのが発達 したのはこの産業各よるも前の時代でして この保線技術であったりだとかラシ版と いうのが発達したことで長い距離海で渡る ようになってたんですねでその結果として どうなっていたのかというと大公開時代 っていうのがやってきました多分聞いた ことあるよって人多いと思うんですがこの 大公開時代というのはですね色々な理由で えヨーロッパの人たちが海に出ていって そして遠の地域に移っていったんですね 例えば宗教上の理由とかあるいは政治上の 理由あるいは商業上の理由など様々あり ます是非その具体的な内容に関しては 世界中で学んでみて欲しいんですがそうし た背景を踏まえてヨーロッパの人たちと いうのは新しいアメリカ大陸であったりだ とかアフリカ大陸などに移っていくわけ ですねそしてこの大公開時代の結果として この後説明する商業革命というのが起こっ ていくようになりますでこの商業革命と いうのは何かというと昔ヨーロッパでは 地中海を中心として例えばイタリアとか ギリシャとかですねそれが面してるのあの 地中海中心とした貿易が行われていたわけ ですしかし先ほど大公開時代と言いました がそれはですねスペインであったりだとか フランスポルトガルであったりイギリスで あったり大西洋に面してる国がアメリカ 大陸であったりあるいはアフリカ大陸で あったりあるいはアジアまで行くような ことが増えていったので商業の中心地が 西側にずれていったまこれを示してですね 商業革命と言われることが多いんですが この商業革命でイギリスはあるトリッキー なことをしたんですね何をしたかというと ここにも書いてありますが体性洋三角貿易 というものですこれ何かと言うとえここに 図がありますこの図を見ながら考えるのが 非常に分かりやすいですね昔イギリスでは 砂糖の需要が高かったんですでその里を 得るためですね開発されたのがこの三角 貿易というものですねまずイギリスという のはアフリカに雑貨を送りますこの雑貨と いうのは何かっというと例えばあまり イギリスでは売れない面折りものであっ たりだとかあるいは武器であったりそう いったものをとりあえずアフリカに輸出 するわけですねでそれに対してアフリカは 奴隷をアメリカ大陸に輸出するわけです 輸出ってするとなんか奴隷が物みたいに 感じるかもしれませんが今の人間の感覚 からすると奴隷っていうのはねもちろん 人間じゃないですか奴隷なんていうのは ありえないって考えると思うんですが昔の 人たちからすると奴隷っていうのは人じゃ なくて物でしかなかったんですねなので 奴隷というのを輸出するという考え方が あったわけですでこのアフリカから中南米 に対して奴隷というのが輸出された後 中南米から佐藤がイギリスに輸出されると いう仕組みですでこれだけ見てるとそうな んだ物が入れ替わってるだけじゃんと思う かもしれませんがこれイギリス何がすごい かと言うとまず砂糖が欲しいわけじゃない ですかでも砂糖を買うためにはお金を払う 必要がありますよねでもこのお金が回収 できるシステムなんですどういうことかと 言うとまずイギリスから中南米にお金が 行きますねそしたらそのお金というのは 中南米とアフリカ間で奴隷と引き換えに アフリカに移りますでそのお金というのは 今度はアフリカと雑貨と引き換えに イギリスにお金戻ってくるんですねそう するとイギリスからしたらですよいらない 雑貨というものを売て砂糖が返ってくる しかもお金は減らないというですねこんな ミラクルのような三角貿易っていうのを 開発したわけですであイギリスって頭いい ねって話をしたいんじゃなくてこの結果 どうなってたのかと言うとイギリスに たくさんの資本が蓄積してきます資本って いうのはお金ってことですねそうすると 産業革命が起こりましたよとつまり機械を 使ってあらゆるもの作れるようになりまし たよって時にそのお金をたくさん投資して いろんな機械が作るようになったんです そういう意味でもお金があったというのは 産業革命を助けた1つの要因になったわけ ですですそして3つ目これ忘れちゃいけ ないのが農業革命についてです産業革命 よりも前にですね実はイギリスで農業の 仕方というのがえ飛躍的に改善されたん ですねその結果として今までは同じ作物 作るのにたくさん農民が必要だったのが その農民の数というのが少なくて済むよう になったんですするとどうなるかって言う と多くの人たちは余っちゃうわけじゃない ですかつまり失業しちゃうわけですねなの でそんな人たちはじゃあ働かなくていい ですかというとそうじゃなくて何かしら 仕事を探すのである意味何でもやになるん ですもうにか給料少なくてもいいから働か せてくださいとでこういう人たちが イギリスにたくさんいたのでいざ産業革命 が始まりましたよ機会を使うようになり ましたってなった時にその機械の使い手と しての供給がたくさんあったんですねその 仕事のない人たちがみんな機械を使うよう になったのでそういう意味では産業革命を 行われましたよって後にその機会を使って 商品を作れる人たちがたくさんいたので そういった意味でもイギリスでは産業革命 っていうのが成功したよという話ですえ このね農業の技術が発達したら失業者が 増えたて話例えば今の社会でもたくさん ありますよねAIが職場で導入されたこと によって中間所がなくなりましたとかま あるいは機械化が進んだことで手作業って いうのが減ったのでま従業員減らしました とかねまこれって現代にも通じる話でそう いう労働者が生まれると新しい産業の 担い手になりやすいんですねまこれは是非 覚えといてくださいそしてですねこのよう な失業者が生まれたことで産業革命が助け られたっていう事例はもちろんイギリス だけじゃなくてあらゆる国に当てはまるん ですねで具体的日本見てみましょうかここ に3つ事例書いておきました自由民間運動 松方財政そして秩父事件ですこれ日本市 勉強したことない人からするとん何言っ てんのって思われると思うので少し詳しめ 説明しますまず日本では明治時代え農民と いうのはですね非常に活発な時代があった んですそれが自由民間運動の時代ですこの 時代は農民というのはですね意外と税負担 が少なくて活発に動く時間と余裕があった んですねなので農民たちが政治参加を求め て積極的に運動するそれがま自由民間運動 だったんですしかしその後大倉教の松方 正義という人が認してですねデフレ政策 っていうのを行ったんですでこの デフレーションていうのは経済に詳しく ないといまいち想像がつかないと思う ちょっとだけ説明しますとデフレインフ レっていうのはお金の価値の上下のこと 言ってますインフレーションというのはお 金の価値が小さくなってしまうことですね 同じ100円払ってもその100円の価値 が下がってる状態です逆にデフレーション ていうのは同じ100円を払ってもその 100円の価値が高くなってることですね でデフレーションが起きると何が大変かと 言うと農民からするとですねその当時固定 の金額で税金を収めてたんですよ例えば 月額1000円みたいなねそんな感じで 毎月固定の金額を払いましょうと決まって たと仮定しましょうその時に デフレーションつまりお金の価値が高く なってしまうとどうなるのかと言うと毎月 払わなきゃいけないその1000円の価値 が高いのでその分自分たちがたくさん働か なきゃいけなくなっちゃうんですねなので 農民たちからすると税金自体はあんま 変わってないように見えてもその大変さが 変わるんですよそのせいで自由民間運動の 時代は非常に活発だと農民が非常にですね 税負担が重く感じて松方財政以降ですね土 を手放しちゃうようなそんな失業者が増え てくんですその結果どうなっていくのかと いうと秩父事件ではですねその税負担の 改善を求めていろんな農民がね放棄をする ようになります放棄っていうのは氾濫を 起こすということですねでその後結局は ですね農民の失業者が増えていて栃を 手放すようになるのでまある意味ですね イギリスと同じように無職の人が増えてく わけですそういった人たちは小作人と言わ れて土地を借りてですね耕すような人に なったりだとかあるいは日本でもこの後 1880年代90年代では産業革命進んで いきますのでその時の担い手になっていく わけですねそういう風にイギリスで起こっ ていた事象というのは日本の歴史にも 当てはめることができたりなど歴史総合と いうのはですねいろんな歴史に比較し ながら考えていく強化でもあるんですで この後のセクションでもですねたくさん 世界の歴史と日本の歴史のつながり あるいは強通行みたいなのを解説してき ますのでこっからのセクションもですね 是非楽しんでご覧 くださいはいそれでは続いては市民革命に ついて学んでいきましょう皆さん市民革命 というのはなかなか聞きなれない言葉なん じゃないかなと思います例えばアメリカ 独立革命とかあるいはフランス革命と聞い たらあピンとくるかもしれませんねでも 市民革命という抽象的な概念としては なかなか理解したことがないという方多い と思うので簡単に説明しますここにも書い てありますが元々の社会は貴族と平民に よる身分性社会でしたこれは産業革命の時 にもやりましたが元々は貴族と平民という 身分があってそれが産業革命によって資本 化と労働者という身分ができたよと話をし ましたねでこのようにですね市民革命って の何かと言うと最終的には平等で自由な 個人による市民社会というものを形成する とこの運動を市民革命と言いますで自由で 平等って言と少しうさ臭い感じがしますよ ねだっていくらですね自由平等とでも本当 の意味で重平等ってなかなか難しいじゃ ないですかであくまでもこの市民革命で 言う平等とか自由というのは形式上です つまり権利としては自由であり平等なんだ けれども実情はまた異なるという形でも 構いませんそもそも人間っていうのは それぞれ個体差を持ってるものですから 能力とかあるいは経験において全てが平等 で自由というのはなかなか難しいですよね 少なくともこの市民革命の意義というのは 何かと言うと形式上はそして権利の上では 自由で平等な個人というものが存在してる よとそんな個人個人で形成する社会が 生まれたよというところが1番大きな意味 を持っているとこなんですでこの市民革命 の意義というのを体現したものとしてよく 挙げられるのがこのフランスの人権宣言 ですここ第1条あげておきましたが人は 自由かつ権利において平等なものとして 生まれ生存するとこれ権利においてという ところ非常に重要でして実際にフランスの 社会でもまだまだ不平等のことたくさん ありますがただ権利の上ではみんなが平等 になるとこれをそもそも実現するだけでも かなり難しいことだったんですねだって昔 の社会では貴族と平民という風に当たり前 のように身分の差があったわけですそれを 全て取っ払うというためにはたくさんの 闘争が必要だったわけですねその闘争と いうのをアメリカとフランスという2つの 具体例を見ながら確認していきましょう まずはアメリカについてですアメリカ独立 運動というのはイギリスによる課税によっ て引き起こされました1番最初にイギリス が陰子法という法律を使ってアメリカの 13の植民地に課税を行いましたでこの 課税というのはですね実はアメリカの植民 地にいる人たちの意見を一切考慮されずに 決定されたものだったんですねなので いきなり課税をしてきたもんですから13 の植民地の人たちは起りましたそしてこれ 有名なフレーズですが代表なくして課税 なしということでイギリスに対してですね 起こったわけですでただこれによってです ねイギリスがじゃあ風を撤回したかという とそうではなくてその後も懲ずにですね チホというお茶に対して風をかけるという ものを行いましたでその結果有名な ボストン茶会事件なども起こってですね 13植民地というのはイギリスの風に対し て対抗する姿勢を明確にしましたでこの後 ですねアメリカの13植民地のリーダー たちは大陸会議というものを開いて実際に イギリスに対して対抗することを決意して ですねアメリカの独立戦争というものに 挑んでいくことになりますでここで1つ 重要になるのがこのアメリカ独立戦争の 結果アメリカは独立を果たしますでその 独立を果たした時にアメリカの独立宣言と いうものが制定されたんですね聞いたこと ありますかねこの宣言では個人っていうの は自由で平等でそして1つ有名な抵抗権を 持った存在であるという風に規定されたん ですね抵抗権っていうのは何かと言と あくまでも個人というのはみんなの同意に 基づいて社会を作ってるのであってその 社会というのがみんなの権利を制限したり あるいは不当に義務を貸すよのことがあれ ば自分たちで社会を作り替えるぞとつまり 政権を変える能力があるということで平等 で自由な個人というのを想定していたわけ ですよねそうして実はですねこのイギリス の課税をきっかけにしてアメリカでは市民 革命というのが実現されていったという 経緯がありますそして続いてのフランスも そうなんですが実はこれも課税問題を きっかけに市民革命というのが発生して いったわけですまずですねフランスは当時 この綺麗なピラミッド構造のように第1 身分第2身分第3身分のような形で不平等 な身分体制というのが気づかれていました でこの身分体制の元でですねフランスの王 様が国内に課税をしたいと考えましたで その結果ですね第2身分にいた貴族であっ たり第3身分にいた平民などの同意を得 たいと思って産部会というのを開くんです ねでこの3部会というのがフランス革命を 引き起こすきかとなりました具体的に フランス革命の流れを確認してみましょう まずはですね先ほども申し上げた通り フランスの王様がフランスの国内に課税を しようと思ったために第1身分第2身分第 3身分と言われる全ての身分の人たちを 呼び集めて産部会というものを開催しまし たでその産部会っていうのはですね王様は 貴族の同意が痛かっただけだったんですが その結果ですね最終的には第3身分と言わ れる平民の人たちが自分たちの政治参加の 権利を求めて国民議会というのを作ること になってしまうんですねでその議会では それぞれの身分の代表からその課税の同様 を得たかっただけだったんですがその会議 の結果ですねその議決方法どうやって採決 を取るかとその方法を巡って論争が起き ますでその論争の結果ですね最終的には第 3身分だった平民が自分たちの政治参加の 権利を求めてテニスコートの誓というもの を行いますまこれは何かと言うと自分たち の議会が得られるまではですね解散しない ぞということを宣言しまして最終的には 国民議会というものを作り上げることに なりましたでその結果ですねどうなって いくのかというとこの第3身分と言われて いたただの平民たちの人たちが市民革命を 推進していくことになりますでこれ2つ目 のポチのとこに書いてありますが結局です ねこの国民議会を通じてフランスの初めて の憲法が制定されますでなんで憲法を制定 することが大事かと言うとこの隣に書いて ありますが立憲君主性というものが生まれ てくからなんですねフランスの王様という のはそもそも絶対王制で言われるですね王 様縛るものはないという考え方に基づいて 王様の自由本法な政治というのが行われて いたわけですがこの憲法というのができた ことによって王様すらもこの憲法に従い ながら政治を行ってくださいという風に 規定されるわけですよそうすると何が 起こるかというとその憲法に基づきながら 国内が統治されていくことになるのでより ですね平民たちの政治参加の機会というの が増えていくことになりますでこの立憲 君主性というところまではですねある程度 穏やかに市民革命が進んでいったんですが この革命というのはですね止まるところを 知らず最終的には王制停止ということで そもそも王様いらなくないというところ まで行っちゃうんですねその結果その当時 の王様だった累16世そしてその妻であっ たマリーアントワネットはなんとギロチン で処刑されるという事態まで至るんですね でその後どうなるのかというと王様のい ない政治体制ですからそれは共和性と言い ます今のイギリスとか日本は立憲君主性 ですし今のアメリカとかフランスは共和性 ですねでその共和政治というのが始まるん ですがその当時のヨーロッパというのは 周りの国はもう全員王様のいるような国 でしたで皆さん考えてみてください自分が 隣の国の王様だったとしましょうで隣の フランスで王様が処刑されたなんて ニュースもし耳に入ったらどうしますか 怖くてしょうがないですよねだって自分の 国でも市民革命が起こって自分がギロチで 処刑されるかもしれないんですよそんなね 嫌じゃないですかだから何が起きたかと いうとその共和性に移行したフランスに 対して各国が攻めていくんですねでそんな 中でフランスは混乱に陥るわけですがま 教皇手段を使いながらですね革命を推進し ていくためにロベスピエール で国内を統治していく方法ですもう全てを ですね自分たちの実力によって コントロールしていくと民主主義の反対の ような考え方ではありますがこの恐怖政治 によって国年を統治してたわけですでこれ である程度は乗り切れたんですが当たり前 ですがもし自分の上の人例えば皆さん学生 だったら学校の先生とかあるいはえもし 社会人の方なのであれば上の自分の上司の 人とかねそういう人たちが自分に対して すごく強圧的にもうとにかく強制的自分に 何かしてきたら嫌じゃないですかそんな人 いなくなってほしいって考えたりだとか その人を誰かと入れ替えたいって考えたり するもんですよねま昔の人たちも同じで このロベスピエールの恐怖政治に対して クーデターというのが起きますこれが テルミドール9のクーデターと有名なやつ なんですがそれによってロベスピエールが 客しますそうなるとどうなったのかという と実はフランスラですねもうそんな怖い人 はゴリゴリだということでトップを1人 じゃなくて5人にする総裁性っていうのが できたまでもよく考えてみればトップが5 人もいたら決まりそうになくないですか 学級委員長が5人もいるクラスってなんか 嫌じゃないですか絶対全員仕事しないじゃ ないですかまそんな感じはもちろん総裁 政府5人トップがいる政治ってのうまく いかず結局はですね統領性と言ってま最終 的にはナポレオンみんなが知ってるこの ナポレオンが国内を統治してくことになる わけですでこのナポレオンっていうのは ただじゃあ政治上のリーダーになっただけ ではなくて自分で訂正っっていうのを開始 します訂正というのは皇帝による政治です から自分がもう王様になっちゃうわけです ね皮肉な話でしょだって元々はフランスて いうのは王様を処刑して共和せに移ったの に結局はみんなの指示を受けたナポレオン が王様になるとその当時のフランス人王様 が欲しかったのか欲しくなかったのかよく 分かりませんが結局ですねこのナポレオン ていうのはフランスだけを統するだけじゃ なくて他のヨーロッパにも侵略戦争を始め ますでなんでこれ侵略戦争を行っていたの かというとこの投手のナポレオンはこの 市民革命における自由や平等の精神を体現 するような人でしたですからヨーロッパに 侵略していく時も自分のその自由や平等と いうのを他の国に輸出していくぞとま そんな覚悟でヨーロッパ戦争というのが 行われていくわけですねでまこの後にも 説明していきますがこのナポレオン戦争の 結果ヨーロッパ中に自由や平等の概念と いうのがですね輸出されていくことになっ たわけですでここまで説明聞いてくとあ そっかアメリカの独立革命とかあるいは フランス革命とはこういう風な流れで 起こったのかこの流れについては非常に よく理解できたんじゃないかなと思うん ですがここだけで理解を止めてしまうと ただの世界史の授業になってしまうんです ね歴史総合で大切なのはじゃあなぜこの 市民革命が起きたんだろうっていうのを 考えるところですでこれ皆さん観能いい人 なら分かると思うんですが今回説明した フランス革命とアメリカの独立革命って 両方とも課税問題から起きてるってこと 分かりますかこれフランスであれば フランスの王様が自刻に風をしたとで当時 のアメリカ13植民地っていうのも結局は イギリスの植民地のようなものですから 結局はイギリスも自分の庭に風をしてる わけですじゃあここで気になりませんか なぜイギリスとフランスは両方とも課税 する必要があったんでしょうかだってこの 課税の必要がなければ市民革命が起こって なかったかもしれないんですよねという ことはこの課税の理由背景を考えてみるの が大切ですねで先ほど産業革命の時にも 話しましたが何か物事の理由とか背景を 考えたいのであればその事象の歴史を考え てみると分かりやすいです今回であれば このの市民革命の前って何が起きてたん だろうっていうのを考えてみると言よう ですでこれ市民革命の前には何が起きてい たのかと言うとここに書いた3つの戦争 ですこの3つの戦争のことを総称して第2 次英仏100年戦争イギリスとフランスの 100年戦争という言い方をすることが ありますでこれどういうことかと言います と産業革命のところで大公開時代に関する 説明をしましたね大公開時代によって西 ヨーロッパの国々がたくさんアメリカや アフリカアジアに移動するようになりまし たでこの大西洋に面していたフランスや イギリスはもちろん例外ではなかったん ですねなのでこの2つの国というのは アメリカ大陸での派遣を争ったりえ あるいはインドでの派遣を争ったりそう いった争いというのが増えていくわけです でその過程でアメリカ大陸で起きた争いが このフレンチインディアン戦争そして インドで起こったのがこのプラッシーの 戦いというものですさらにさらにこの イギリスやフランスというのはこうして アメリカやインドで戦っていただけでは なくてヨーロッパ内でも戦うことになり ますその当時プロプロイセンという現在の ドイツになった原型となるプロイセンと いう国とオーストリアの国がですね大い 継承王様を次誰にするかという問題を巡っ て争っていたのに便乗してフランスや イギリスもそこの戦争に加わりますそんな 感じで発生したのが7年戦争なんですが こうしたヨーロッパ大陸そしてアメリカ 大陸そしてインドで行われたこの3つの 戦いを総称して100年戦争というのでし たでこの戦争をすることによってイギリス やフランスはその派遣争いというのを行っ ていたんですがま結局はイギリスが勝つん ですがこの国グに両方とも100年間に 渡るぐらい長期間戦っていたので戦費と いうものがたくさんかむんですね戦争に 費やしたお金というのがあまりにも膨大 だったので両方ともの国が疲弊してしまい ますじゃあ疲弊してお金借金だらけだよ それでいいのかというとそうじゃないから イギリスはアメリカに対してそして フランスは自国に対して風をしたわけです よねそう考えてみるとただ課税をしたから 市民革命が起きたというよりもそもそも その課税だってその前の100年戦争が強 化したものなわけじゃないですかそう 考えると歴史というのはただ偶然の 積み重ねだったのではなくてその歴史の 構造自体によって引き起こされてるのだと いう流れが分かると思いますで僕が思うに 歴史を学ぶ意義ってここだと思うんですね 1つ1つの現象というのは確かに課税問題 とかあるいは具体的な事件を通じて理解 できますがその背景とか理由っていうのは 遡れば遡るほど他の歴史上の事件っていう のが絡んでくるわけですそうなると過去を 見ることで未来が見えるようになってくる んですねこれが本当に歴史の面白いところ だなというのは思いますでこの風によっ 政治体制が変わっていくという現象は別に 何もイギリスとフランスに限ったことでは ありませんえ皆さんですね歴史総合の1番 最初の方にムガル帝国やサファビー長 そしてオスマン帝国などを勉強すると思う んですねで今回はそのムガル帝国について ちょっとだけ確認してみましょうムガル 帝国ではですねそもそも2つの宗教が メインで存在してみました1つが ヒンドゥー教そして2つ目がイスラムです でこのムガル帝国というのはイスラムの 政権ですから基本的に国のメイはイスラム だと思っててくださいでこのムガル帝国の 第3代目の王様のバルという人はこの ヒンドゥ教徒アウトサイダーですね部会者 のような人たちに対しても優和政策仲良く しようよという政策を行っていきまして ヒンドゥー教徒に対する税金というものを 廃止しますこれジヤと言ってですね人統税 ですま人統税っていうと人に頭と書きます ので人に対してかかる税金なんですねそれ がですね今まではムスリムつまりイスラム 教徒に対してはかかっていなかったのに ヒンドゥー教徒にだけは課せられてたん ですねその状況を解消するために ヒンドゥー京都の解消したわけなんですが その後の6代目の王様アウラングがあまり にもですねイスラムの教えに忠実に従い すぎたがゆえにヒンドゥ教alsoに 対する事を復活させたんですねそうすると 何が起きたのかと言うと課税させられた ヒンドゥ教徒あるいは他の非ムスリムと 言われる人たちが氾濫を起こしていき インドその当時のムガ帝国は混乱を極め ますこんな風に課税というのはその政治 体制の行方というのを大きく左右する ファクターになってるわけですねで課税と いうのはもちろん現代の社会にもあるじゃ ないですかでこれは現代の日本政治も言わ れることなんですが課税というのはですね 政権を倒しかねないタブーだと言われて たりしますなんでタブーなのかと言うと 当たり前ですが増税というものを行えば 国民からの半端というのが起こるのは 分かりますよねそうすると支持率のが 下がりますから政権の基盤がそんなに強く ないとすぐに政権交代が起こってしまう わけですねなのでそう簡単に増税はでき ないとなので例えば日本の財政的には赤字 財政だから増税が必要だといくら分かって いてもなかなか増税ができなかったそんな 構造的な問題があったりするんですでこれ 非常に奥深い問題なんですが民主主義の 要請に従ったら国民の意見を聞くことが 非常に大切なので国民が増税を嫌がって いるのであれば増税はするべきではない ですよねでも長期的に将来の国民のことも 考えるんだったら増税をしなきゃいけない 時だってあるじゃないですか例えば少子化 対策のために何か税権しなきゃいけなく なるかもしれないそんな時はある意味国民 の意見とは反対の行動しなきゃいけない時 も出てくるかもしれませんねじゃあ民主 主義っていうのを常に守るべきなのかと いうとなかなかまた難しいとこもあります よねでこうした民主主義や大衆に関する話 はですね今回の授業動画のセクション6の ところ大衆化の範囲のところで扱いますの で是非最後まで楽しんで動画をご覧 ください続いては国民国家について一緒に 学んでいきましょうまず皆さん国民って いうと何を想像しますかこれ国民っていう 概念って非常に難しいものなんですよ 例えば皆さんあなたは何人ですかって言わ れたら何て答えますかおそらく多くの方は 日本人ですって答あると思うんですねでも 日本人って結局何さしてんのって言われる となかなか難しいですよね日本本の国籍を 持ってるっていう意味なのかそれとも日本 で生まれたっていう意味なのか一体何を 指してるのかと言われでなかなか難しい ところがありますよねでそれにですよ 例えば皆さんオリンピックの時とか あるいはワールドカップの時とかに皆さん 日本代表っていうのを応援したりしますよ ねその時に自分たちは日本代表のチーム だっていうそのチーム感とか一体感という ものは1つあると思うんですけどでもよく 考えてみたらそこで活躍してる選手とか あるいは実際にスタジアムとかで応援し てるような日本人の方々って皆さんとは 全く見ず知らずの無関係の人たちなわけ じゃないですかでもどこかに心の繋がりを 感じるというのはなぜでしょうかそうした ですねどろのない国民という概念について 理解をしていくのが今回の国民国家の セクションでの目標になりますでここから 国民国家がどうやってできてきたのかって いうことを学ぶことでより深くですね国民 の理解ができるようになると思いますので 是非こっから楽しみにしててくださいはい そして先ほどフランス革命の時に最終的に はナポレオンがヨーロッパに侵略戦争を 仕掛けたよという話をしましたねでその時 ナポレオンンというのは自由や平等という 市民社会の基盤となる精神を掲げて戦争を 行っていたわけですが実は最終的に ナポレオンは戦争に破れて島長に会うん ですねでその島長に会った後どうなったの かというと実はウイン会議というものが 行われてナポレオン戦争なかったことに しようよという動きが盛になるわけですで これ1点だけ注意して欲しいのが先ほど ナポレオン戦争ではナポレオンは自由や 平等の概念を掲げて戦争を行っていたと いう話をしましたがその戦の効果として ヨーロッパ中に自由や平等という市民社会 の基盤となる精神が根付いたわけじゃない んですむしろこれ真逆で各地域例えば ドイツ考えてみましょうかではフランスに 勝手に侵略されるわけですよねそうすると あそこに敵が来たという意味である意味 自分たちの味方ドイツ国内というものが1 つにまとまっていくわけなんですよつまり これはうと外敵と味方みたいな形でですね グルーピングの精神が働いてくわけですな のでナポレオンという外的が来たことに よってですね自分たちがなんとなく まとまりだと思っていた人たちが集まり 始めるわけですこうしたのをきっかけとし て各ヨーロッパでナショナリズムというの が始まっていくことにはなるんですね しかしナポレオン戦争とが終わった後は 各国の首脳が集まって結局何をしたのかと いうとこのウイン会議ということで フランス革命があったよりも前の王様を 中心とした社会に戻そうよという政党主義 の考え方が取り入れられていくわけですで これ何が大事かと言うと確かに歴史上は ナポレオン戦争が終わった後ウイン会議で 決められた内容を元にした昔の王様の時代 というのが再現されることになるんですが 1回ですねナポレオン戦争を経験して みんなが国民というもので1つにまとまっ た経験をしたことでこの後ですねその王様 を中心とした国家というものがどんどん 崩壊していくことになりますそうした意味 ではナポレオン戦争というのはこの国民 国家を形成する上での大きな景気になった ということができるでしょうそしてこの 画面で表示されている二平面はですね僕 なりに各国のナショナリズムがどのような 要素を持っていてどのような結果に立った のかというのを分かりやすく再現してみ ましたでこれ横軸と縦軸あると思いますが 横軸のTOPDownandBOTTOM upこれは何かと言うと政府あるいは政府 に関わる人たちが主導で国民国家という ものが形成されていったのがトップダウン の方です逆にBOTTOMupこれ何 かって言うと民衆やあるいは平民と言われ たような政人直接的な関わりのなかった人 たちが中心となって国民国家の形成が進ん だパターンです逆に縦軸見てくださいこれ はイグレシアseparation2つ軸 がありますがインテグレーションでこれは 統合という意味ですねつまりこの国民国家 の形成運動の結果としてどれぐらい国家が 強くまとまったのかこれが強くまとまっ てるほどインテグレーションの方です逆に セパレーションてこれは何かって言うと 分離という意味ですからえ逆にですねこの 下の方に位置されているロマの不調や イタリア王国というものは国民国家の形成 運動は起こったんだけども結果としては あまり国内がまとまらなかったよという例 になりますそれではまず最初に説明するの はフランスについてですフランスは inationandBOTTOMupの 累計になりますので是非見ていきましょう まずですねフランスは先ほどナポレオン 戦争の話をしましたがそのナポレオンと いうのが倒れた後民体制の元でですね昔の 王様というものがまた引っ張り出されてき て王様による大勢というものが惹かれてい ましたしかしですねその大勢長くは続き ませんで1月革命というのが起こります この革命というものをきっかけとして今度 は立憲君主性これフランス革命の時にも やりましたがまた同じような家庭をたる わけですねでも結局立憲君修性でもうまく いかずその後にですね2月革命というもの が起きて今度はは共和性になりますつまり 王様いらないよっていう風になるんですね でもこれまたフランス革命と同じように 共和性になったとしてもそれがうまくいか ず最終的にはナポレオン三世という訂正が 敷かれるわけですでこのナポレオン三世は ですねナポレオン一世と同じくどんどん どんどん大外戦争を仕掛けていくわけです ねでこの授業の後半の方では使いますが アロ戦争とかあるいはクリミア戦争といっ たえ多くの戦争を仕掛けていくことになり ますでこのナポレオン賛成に関しては最終 的にはプロイ線フランス戦争と言われる 不屈戦争というものに敗北ししまして結局 この訂正の時代が終わり産業革命の時に ありましたが社会主義を掲げた労働者に よるハリコミューンという世界初の団体が できるわけなんですがまこのパリコミって いうのも結局は挫折しますでフランスと いうのはですねこのようにフランス国民の 要望に従ってまたたく間に政治体制が変化 していくんですねでこうした意味では非常 にボトムアップ式で政治形態が変わってる という要素もちろんありますし最終的には インテグレーション統合の度合が最も高く なりますそしてで続いてはドイツ帝国と イタリア王国について確認をしていき ましょうこれらはですね両方ともトップ ダウンボトムアッでもない中間類系に 当たりますただイタリア王国に関しては もちろん国民形成っていうのが図られたん ですが最終的には残念ながら セパレーション分離の方に傾くわけです じゃあ具体的にどのような歴史を歩んで いったのか確認してみましょうえまずです ねドイツというのはフランスのナポレオン 戦争をきっかけとして自分たちはドイツ 国民であるというですね民族意識はかなり 高まりますそれをきっかけとして自由や 平等という精神がどんどん根付いていって 自分たちの国家を形成したいというかなり ボトムアップの精神というのが発生して いったわけですでこれ難しかったの何かと 言うとその国民式を誰が統合するんです かっていうその守護が問題になりましたで この図見ると非常に分かりやすいんですが ドイツを統合するにあたっては大ドイツ 主義と小ドイツ主義という2つの大きな 主義が対立することになりましたこれまず 大ドイツ主義というのは何かと言うと現在 のドイツというのはですねえ昔で言うと プロイであったりオーストリアといった ような違う国に分れていたんですねで大 ドイツ主義というのはそのオーストリアに いるドイツ人も含めてドイツを統合しよう とつまり大きなドイツを作ろうという考え 方です一方で小ドイツ主義というのは何か と言うとオーストリアにいるドイツ人って いうのは関係なしにプロイ線にいる人たち を中心にドイツを作っていこうよという 考え方ですでこれは本来歴史相互のカキラ に含まれてる内容ではないので少し発展的 な内容にはなるんですがこれを考えておく ことによって国民国家というのをより深く 理解することができますまずですね国国民 を作ろうとか国家を作ろうってなった時に 非常に大切になるのは誰のものですすかて その守護が大事になるんですよでドイツも イタリアもですね結局国家統合うまく行き きらなかったのなぜかと言とその主体が なかなか明確にならなかったんですで ドイツの場合はですね3月革命とか フランクフルト国民議会というものが行わ れてこの大ドイ主義に近いような形で ドイツを統合しようという運動が進んだん ですねでもその大ドイ主義を徹底するだけ のトップがいなかったんですよなので結局 ドイツというのの統合は遅れることになり ますで結局ですねドイツというの統合した のじゃあ誰なのって言うとこのプロイセン なので小ドイツ主義で最終的な決着つくん ですねこの小ドイツ主義のじゃあトップ誰 だったのって言とプロイセのビスマルク 首長です有名なので聞いたことありますか ねこのビスマルク首相というものは鉄血 政策というのを進めていきまして数々の 戦争を乗り越えながらドイツというのを 統合していきます例えばその当時南にいた オーストリアハンガリー帝国を不通戦争で 破ったりだとかあるいは先ほどナポレオン 三世の話出てきましたがプロイ戦フランス 戦争不屈戦争と言われるものですがそれで ナポレオン三世に勝利したりして国家と いうものを統合していくことになりました でこれなんで戦争を行うと国家が統合 できるのかというと先ほどのナポレオン 戦争の話に非常に近いですよね必ず戦争を 行うと味方と敵に分かれますからそうする と味方意識というものが非常に強化され ますよねそうなると自分たちの味方内での 統合が結束されていって本来は別々であっ たような地域に所属してた人たちも同じ チームだという風に議することになるわけ ですこんな風にですね結局ドイツは統合さ れることになるんですがこれって結局 ボトムアッでもトップダウンでもないです よね両者が組み合わさったようなところに なりますじゃあ結果として非常に統合され たのかというとそうでもないっていうのが 実情ですなんでかって言と結局はプロ線の 地域というのとオーストラリアの地域分れ てしまっていますのでこの後ですね ヒトラーが出てきてオーストラリアにいる ようなドイツ民族までも含めて統合する ような形になるまではうまいことですね 統合ができていたとはなかなか言いづらい 現状がありますなのでドイツに関しては 全ての中間累計ということもできる でしょう続いてイタリアに関してです イタリアに関してもですねドイツと同様に えそのナポレオンの侵略戦争があった後は ですねえ国家を統一していこうという動き がボトムアッでかなり発生していきます 例えば青年イタリアっていうですね団体が 作られていったりだとかローマ共和国と いうものが建国されてどんどんイタリアを ね統一していこうという運動は見られたん ですがやっぱりですねどれも挫折して しまったんですじゃあ結果としてどうなっ たのかって言うとサルデニア王国という 当時の北部にあった王国と青年イタリア 出身のガリバルディという1人のえ人物を きっかけとしてイタリアの統合が果たさ れることになりますその過程でイタリア 統一戦争などこれはプロセと同様に戦争を 経ていってイタリアが統一されることに なるんですがこれ何が問題だったかと言う とイタリアは元々小国に分れていたんです よまだからサルデニア王国とか青年 イタリアの人たとかがま分離しながらです ね国家を統一してことになるんですが いくらですね形上イタリアを統一したとは いえども南と北ではかなりイタリアの経済 力に差がありましたこれこれれで南北問題 とか言われるようなですね経済格差が残る ことになりまして実はそれって現在の イタリアでも残ってるんですよなので イタリアというのはですね確かに形式上は くっついたんだけれどもそれよりもはるか 昔からの歴史を引きずっておりまして なかなかですね1つの国家として言い切る にはなかなか難しいところもあるんじゃ ないかなというのがイタリアの現状には なっておりますそれでは続いてはトップ ダウンボトムアップでもないドイツ イタリアの累計と同じくアメリカを見て いきましょうただアメリカの違いは唯一 最終的にはかなり国家が統合されたという ところですそれではなぜこのような差が 生まれていったのか確認していきましょう まずアメリカの歴史簡単におさえしますと アメリカの独立革命によってアメリカが イギリスから独立していったんですよねで その後ですねアメリカというのはその13 種を中心に統合されていったわけなんです がで先ほどナポレオン戦争の話したと思い ますが実はその時にイギリスがですね ナポレオンに対抗するために自由な後悔を 禁じてえ通称取引をですね制限するような そんな法案を出したんですその法案が きっかけとなってまたイギリスとアメリカ が対立することになってしまったんですね それがここで言うアメリカイギリス戦争な んですがこの戦争でアメリカはまた勝利し てですねより一層イギリスからの独立と いうものを確保していきますでその上で ですね13州としてまとまったアメリカは モロ主義これ皆さん聞いたことありますか というものを掲げますこれは何かと言うと 自分たちはヨーロッパとはもう別だよと いう風に宣言して自分たちは自分たちの国 の中に専念するというものですでこのモロ 主義を掲げながらですねアメリカというの は当時の13だけじゃなくてどんどん西へ 西へと拡大していきますでそれで1つ有名 なのがゴールドラッシュというものですね 皆さん聞いたことありますかえ例えばこれ インディジョーンズの世界観とかも非常に 近いんですが西武開拓時代と言われるやつ です当時の13州というのは全て東海岸の 方でしたから西に西にってどんどん拡大を していくんですねでこれは民衆を中心に 行われました自由に土地が広がっていて その土地を拡大していけばいくほど自分 たちが奥間定者になれるかもしれないと いうことでこぞってですねみんなが西へ 向かっていた時代なんですねでそれをです ね畳かけるように生前運動ということで アメリカの政府はですね明白なる天命で あるというような生命を出したんですここ だけ聞くと何だろうて思うと思うんですが これ何かと言と自分たちが西に進んでいく のは神に定められた運命なんだって言っ てるんですこれなかなかですよねそんな神 に定められて自分たちの行動が否定され てるなんて誰も思ってなかったと思うん ですがこういう風にですね神のお告げも あるよというぐらいみんながですねもう 猛進して西に進んでいったこれがアメリカ の西武開拓時代になりますでこの時代を経 てですねアメリカというのは無事西部まで たどり着きですね大陸横断鉄道ができたり などアメリカという国現在の形が形成され ていくわけなんですここまではボトムアッ で形成されたんですがこれだけですね急速 に国家が形成されていくと何が起きたのか というと同じ領土内での分裂が起きてくん ですでこれがですねま有名なアメリカの 北部と南部の対立によって生じた南北戦争 と言われるものなんですでこれの中身を しっかり確認してみましょうまずアメリカ 北部ですアメリカ北部というのはですね 証拠が中心の社会が生まれていましたただ この当時のアメリカの商工業というのは イギリスやフランスなどから遅れてその 文化が根付いているのでその生産能力は 決して高いものじゃなかったんですねなの でもしアメリカで作ったものというのを イギリスやフランスと自由に攻撃し ましょうという風になってしまうとどうし てもイギリスやフランスのものの方が質も 高いし価格もですね安価になってしまって いてアメリカの商工業が潰れてしまう可能 性が非常に高かったんですねなので アメリカの北部に住んでる人たちからする とそんなイギリスとフランスと声して くれるなということで保護貿易というのを 求めます保護貿易ってこれ難しい言葉です けど簡単に言うんだったら関税つまりお金 をたくさんかけてイギリスやフランスの 商品っていうのがアメリカに入ってこない ようにしようというような運動ですねそれ を掲げていましたで商工業っていうのは ですねそんな誰でも簡単にできるものでは なくてある程度の技術力とかある程度の 経験がないとできませんねまそりそうです ね皆さんもいきなり機械渡されてそれを 操作してよって言われてもまそううまく いかないものでしてこの当時のアメリカ 北部でもある程度の技能を持った労動力と いうのを求めていたのでその当時に アメリカにいた奴隷なんていうのは なかなか受けつけてなかったんですよ奴隷 でその仕事ができたわけじゃないのでだ から人道的な立場から倫理的な立場からま 奴隷っていうのはいらないんじゃないと いうことで奴隷否定派だったんですね一方 でこれアメリカの南部は全く逆だったん ですよアメリカ南部は気候にも恵まれてい ましたし大きな土地がありましたので大 農園の経営というのが行れていましたま つまり大規模な農業が行れてたと考えて くださいでこの農業でたくさんの農作物を 作ったらアメリカ国内だけでは売りさけ わけですね大量にできるからじゃあそれは どこに売っていたのかと言とヨーロッパの なんですで当たり前なんですけど物売る時 は安く売りたいじゃないですか誰も高い 野菜を買ってくれるわけじゃないので できるだけ安価に抑えたいそしたら ヨーロッパの国に関税かけられたもんなら たまったもんじゃないからできるだけ ヨーロッパとは関税なくアメリカと自由な 攻撃をして欲しいと思ってたんですそう いった意味で自由貿易関税をかけない貿易 という意味ですがを掲げていたんですねな のでこれは完全に北部と南部で意見が対立 してしまっていましたそして3つ目奴隷を 肯定してたというところなんですが農業で あれば奴隷の人たちが活躍することができ たんですよしかも奴隷の人たちに農業をさ せることによってコストを格段に下げる ことができたんですね普通の市民の人が 農業をするんではそこにコストがかかり ますけども奴隷の人たちは実的な賃金が 払われていなかったりだとか非常に極悪な 環境で働かされてたわけですでもその環境 で作られた農作物ということは非常に価格 は安いですから非常に競争力高く ヨーロッパの国々に輸出することができた んですよだからそういった意味でも北部と 南部は依存していた経済構造が全く違うの で必然的にですね意見が対立して戦争に なってしまうわけですこれ南北戦争という 非常にアメリカの歴史において重要な事件 が発生することになるんですが結果として 言ってしまいますとアメリカの北部率いて いた林間大統領中心として北部が勝利する ことになるんですねで実はその家庭で奴隷 解放宣言というものが出されます皆さんも これ有名なんで聞いたことあるんじゃない ですかねでこの奴隷解放宣言をきっかけに アメリカでは奴隷性が形式上は廃止される んですがこれ例えば小学校の教科書とか中 学校の教科書だけでこういうの習って しまうとあ良かったねって奴隷解放された んじゃんってそこだけ切り取るんですが よくよく考えるとですねこれはあくまでも 国部のチームを強くするため黒人の協力を 得るために奴隷解放宣言を出したという ところが強くて元々人道的に奴隷は良く ないと思ってたというわけではなという ところが正直なところですねまなので歴史 にはある意味立前と本音があるという ところがありましてこういう風に歴史の1 つの事象を色々な角度から見てみると かなり面白いかしれませんねそして続いて はロシアと日本を比較していきましょう この2つの国は両方ともトップダウンで 国民形成というのが図られていったんです がしかし両者の結果は全く異なるものに なりました日本は統合が進んだのに対して ロシアでは分離が進んでいったわけですね それではなぜこのような違いを生まれたの か詳しく見ていきましょうまずロシアの ナショナリズムの起源を考えるにあたって はこのクリミア戦争というものが重要ネギ を有していますロシアというのはですね皆 さん北国というイメージが強いでしょう 先ほど産業革命の時にイギリスやフランス は大西洋に進んでいったよという話をし ましたがロシアというのはですね北国で あったので確かに海には面していたんです がそこの海というのはほとんど凍っていて 海に進出することができなかったんですよ なので他のイギリスやフランスといった ヨーロッパ諸国から遅れを取ってしまって いたんですねでその遅れが露呈したのが このクリミア戦争というものでして凍って いない港を求めてどんどん南に進んでいっ たロシアを警戒したイギリスとフランスと 戦ったこのクリミア戦争ではロシアは歴史 的な大敗をを期してしまいますそこでです ねロシアの皇帝たちは考えました自分たち はやっぱり遅れてしまっていると産業革命 必要だしどんどんどんどん工業化近代化を 測っていかなきゃっていうことに気づくん ですねでそれをきっかけとしてですね上 からの近代化と言われることが多いんです がロシアの皇帝たちはですね濃度解放宣言 というものを出したりだとかあるいは ナロード日運動というものを進めていき ましたまず濃度解放例というのは何かと 言うと昔のロシアにはですね奴隷のように 働く農業従事者がたくさんいましたこれ 産業革命の時に農業で失業した人たちが 機械工業に携わってことで産業革命が促進 されたよて話しましたがロシアでは全く そんなことが起きていなくて全員がノート として携わっていたが故に国民の力は弱い ししかもその法権主義と言うんですかね常 にその領主がいてそこで働かされている人 たちがいるという構造が変わらなかったの でやっぱりロシアの近代がって遅れて しまってたんですねそういったものを少し でも打開したいという意味で濃度解放例が 出されたりだとかあるいはナドニ運動これ はこの図を見てもらうのが非常に分かり やすいんですがインテリゲンチャというわ ですね皆さんインテリ集団とか聞いたこと あると思うのでイメージはつくと思うん ですがその国の中層になっていたような 知識人たちこれをインテリゲンチャと言っ たんですがこの人たちが中心となって遅れ ている農村共同体にいてみんなを啓蒙 しようという活動なんです啓蒙というのは 何かと言うと自分たちは進んでいてあの人 たちは遅れているから自分たちの進んで いる知識をどんどんどんどん与えていく ことでみんなを感化していこうとものなん ですよねでそういう風にですね上から下に トップダウン方式でどんどんどんどん知識 とのは伝授されていでこのままだとロシア やばいよと近代化進めよよということで インテリゲンチャが農村期報道体に行って 農民たちをですね積極的に教育してくわけ なんですがこれ結局失敗しますまこれ考え てみれば分かるんですけど例えば勉強し ない子供にですね親がガミガミガミガミ 勉強しなさいって言っても勉強の必要性が 分かってない子供たちからしたらそんなん 意味わからないわけですよ無視されちゃう わけですねまそれと同じような現象が実は インテリゲンチャと農村共同体でも起きて まして全くロシアの近代化が起きてない その現状に危機感をていない農村共同隊に 賢い人たちがいくら出向いてもですね何も 効果がなかったんですよでそうした意味で はロシアのトップ層はロシアを変えなきゃ という風に思っていたのにも関わらず ロシアの国民ということで考えるとその 民主たちはですねそんな事実を知らなかっ たのでロシアの近代化というのは失敗して しまいましたそういう意味ではトップ ダウンでやったんですけど最終的には分離 してしまうセパレーションの累計に入ると いうことですねじゃあ一方で日本はどう だったのと言うと日本の明治政府から各 地域の領主やあるいは良民にトップダウン 方式でどんどんどんどん新しい改革という のが行われていったんですがこれがですね どんどんどんどん各地域で需要されていっ た受け入れられていったというのが日本の 現状でしたなぜこんなことが起きたのかと 言と皆さん多分ペリー来行とか知ってい ますよね日本に黒船がやってきて日本の 海国が迫られたという事件ですここだけ 切り取ると日本っていうのはまペリーが やってきたから急に近代化が進んだんだっ て考えがちなんですが実はこれ江戸時代 からですね徐々に徐々に近代化というのは 進んでいたという見方が最近の通説ですな のであそうなんだとえ新しく知った方も 多いかなと思うんですが実は日本って言う ほど急に変わったわけじゃないんですねで そういった背景もあったので明治政府が どんどんあれこれこういう風に新しい改革 やるよって言っても各地域のリーダーたち そして民主たちもまその必要性は理解して たというのがま実際のところなんですで じゃあ具体的に明治政府が何したのかと いうとここに挙げた5つになります文明 開花食3工業長平令教育例起訴改正など ですですまず文明開花っていうのは何かと いうと日本はこの明治医師の時国家の ナショナリズムというのが進んでいた時に あらゆる文化っていうのを需要していった んですね例えば皆さん牛肉好きですかこう いった牛肉を食べる文化が広まっていった のも明治進行ですしあるいはガストとか レガ作りの家なんてものも導入されていた のはこの明人新の頃でしたそして続いての 食管工業は富岡聖子場皆さん知ってますよ ねこの富岡精子場というのは明人政府が各 地域にこういう工事を作ってどんどん どんどん工業化進めていこうねっっていう 風にに見本を見せるための模範工場だった んですよあるいは続いての長平令というの も近代的な国家の仕組みというのを作って いくわけです江戸時代の時は武士を中心と した武下社会でしたからその当時からし たらなかなか考えられないことであったん ですが一律にですね国民をこう徴兵して いって軍隊を作るという考え方が日本に 浸透していきますそして続いての教育例と いうのは学生学校例教育例とこういった3 つの例をですね変ながら最終的には義務 教育というのが実施されていくんですが まず日本国民というその概念を教育し なきゃいけないという観点から全てのです ね国民に対して等しく義務教育を貸して いくそんな理念が共有されてことになり ましたそして最後これが起訴改正という ものでこういった近代化政策を支えるため にはお金が必要ですねそういった意味では 明治政府はですねこの起訴改正ということ で機械的にですね各地域からお金を集める ためのシステムというのを導入しましたで よく言われることなんですがこういった ナショナリズム国民国家っていうものを 形成するためには3つの要素が必要だよと よく言われますこれは何かというと軍隊 教育そして言語ですねでなぜ軍隊が大切な のかと言うと各地域からみんなを機械的に 集めるわけじゃないですかでそこに対して 軍事訓練とか行うわけなんですけどもし 全く言語が通じないとか全く違う監修を 持ってるとかだとコミュニケーションが そもそも取れないから軍隊として成立し ませんよねなので長平令っていうのがです ね整ってくるとみんなが同じような訓練を 受けますので同じような文化形成がされて いったりだとか同じような起立が守れる ようになって国民というものがどんどん どんどん成されされてくことになるんです ね逆に教育というのも同じですよみんなが 同じような教育を受けていればみんなが 同じようなコミュニケーションが取れたり 同じようなバックグラウンドを持ってる ことになるんですよで例えば日本人だっ たら少年の日の思いれって現代文でやっ たってエミール出てきたとかあるいは卒業 式の時に食べ立ちの日に行って歌ったとか 同じような教育を受けていれば同じような コミュニケーションが成立しますよねそう いった意味では国民というですね得体の 知れのようなものがですね軍隊とか教育 っていったものを通じて形成されてことに なるんですで最後に言った言語というのを もちろん説でして言語があまりにも分裂し すぎているとコミュニケーションが図り にくいし同じ文化も作りにくいですよね 例えば何か同じテレビ放送をしたいんでも 言語が違ったらその言語ごとに作らなきゃ いけないじゃないですか雑誌だって新聞 だってそうですよねそうした意味では同じ 言語を有してるというのもかなり重要な ファクターになってきたりしますもちろん 他にも色々な要素ありますがこうした軍隊 であったり教育であったりあるいは言語面 これも教育で担いますがこういったところ が明治政府によってどんどん整備されて いったので日本は近代国家への道を進でい ことになったわけ ですはいそれではこっからは主権国家を 一緒に勉強していきましょうおそらくです ね主権国家という概念は受験生の皆さんに とってはもちろんですし学び直しのために この動画を見てくださってる社会人の方 などにとっても非常に把握しにくい概念な んじゃないかなっていう風に思いますねで これなぜかと言うともちろん学校の先生と か塾呼び子の先生もそうですし一般の学術 書とか教養書とかでもですね試験効果の 説明ってあんまりうまくされてることが 少ないなって印象があるんですでそれは おそらくですね主権国家っていうのは今 まであまり分析されていなかったという 背景もあるんでしょうしやっぱり受験とか の業界だとウェストファリア条約イコール 主権国家体制みたいな形でですね結構短絡 的に把握されてしまってることも多くて 学校の先生とか受呼び子の先生であったと してもあまりですねその内容を深く知って いるあるいはその背景の事情まで分かって いるというのはなかなかないんだと思うん ですねそういった意味では少しだけですね 深掘りしながら皆さんが試験国家という ものをですですね適切に理解できるように サポートしていけたらなと思いますでこれ はですね1つだけこの動画を視聴するに あたっての注意点なんですが便宜上ですね 国旗を使いながら各国の様子を表してい ますその方が皆さんのイメージとしても 分かりやすいだろうし位置関係などを把握 する上でも有用だったりしますただし国旗 というものがですね制定されていたのは かなり金元代になってからなのでこの時代 からじゃあ国旗があったかというとそうで はないですし厳密にはですね国旗が 違かったたりします例えばアメリカ1つ とってもアメリカの13植民地の時と現在 の国旗でがまた異なりますしドイツや イタリアなどもとってもそうですなので常 にですねここに書いてある国旗がその当時 も使われてたというようには思わないで くださいこれは1つだけ注意点なのでそれ だけ気をつけてこの動画をご覧くださいで まず最初にですね試験国家体制を考える上 で重要になるのがこの宗教改革というもの です宗教改革というのはいつの時期に 起こったものかと言うと産業革命のところ でやりましたが商業革命とか科学革命 そして農業革命を起こっていたあの時期 です大公開時代の時と同じだと思って くださいこのこの宗教改革ではですね元々 ヨーロッパ社会ではキリスト教が根付いて いたわけなんですがかなりですねこの時期 はキリスト教の教会が腐敗してしまってい たそんな時期でもあったんですでその当時 のですね聖書にはもちろん書かれてい なかったんですが明才布っていうものを ですね発行してそれさえ買えば天国に 行けるよという形で教会がですねお金儲け をしていたんですねでそれに対してですね 批判をしたのがルタやカルバンというよう な宗教改革形でしたで元々のキリスト教の 系統を引き継いていたのがカトリックと言 るものででそれに対抗する形で現れてきた ものを対抗者という意味でプロテスタント と言いますでこうしたですね宗教上の対立 がこの宗教改革を通じて発生していくわけ ですねでこれがよく言われるカトリックと プロテスタントの対決ですでこうした対決 構造をとにしてですね例えば大公開時代の 時に様々な理由でヨーロッパ諸国がアジア やアフリカアメリカ大育に行ったよって話 をしましたがそれの原因はですね1個は 宗教の理由がありますカトリックの人たち は新しいプロテスタントの人たちが出てき たので自分たちの教会の範囲というのが 狭まってしまったわけですよねそれに対応 するためにヨーロッパの人たちはですね 自分たちの宗教を信じてくれる人を探す ためにいろんな大陸に出向いていったと いう背景は1個ありますしかしですね いくら大公開時代でカトリックの人たちが じゃ他の国に探し求めたとえども ヨーロッパの中ではそのカトリックと プロテスタントの対立構造というのは かなり激しいものだったんですえその対立 構造がきっかけとなって30年戦争という ものが起こるわけなんですがこの時代17 世紀なんですがヨーロッパの暗黒の時代と 言われるほど根明を極めていた時代なん ですでこの時代ではですね何回も何回も 宗教を理由に対決していたのでヨーロッパ の国々あるいはそこに住んでいたちももう 宗教戦争はコリゴリだと思ってたんですね でそうした家庭を踏まえて結ばれたのが このウェストファリア条約というものだっ たんですで従来までの教科書とかだとこの ウエストファリア条約というのが主権国家 体制の始まりだよという風に説明される ことが多かったですし学校の先生とか受 呼び子の先生ともそういう風に考えてる方 多いと思うんですねしかしそれだけは強調 するのっていうのは実は不適切でこの ウェストファリア条約自体ですね加盟し てる国自体はかなり少ないんですよそう いった意味でもそもそもそんなにじゃあ 主権国家体制と言われるほど大掛かりな ものが始まったわけじゃないんですで しかもですね主権国家って言うと例えば 各国の国が領域というのを持っていてで そこの国民に対して何か政治的な権力を 有するようなそんな主権を持つ国が増えた よみたいな説明のされ方すること多いん ですが正しくはですねそうよりも泥沼の 戦いというのを繰り返したが故にお互いが お互いにもう干渉しなくていいよねって いうような相互不干渉の考え方が広まって いたこれがウェストファリア条約の1つの 意義なんですね相互に不関渉っていうのは どういうことかと言うとお互いの国はお 互いの国の内政事情自分たちの国の政治 事情には何も口出ししませんよってこと ですでしかもお互いお互いもちろん国の 大償とか信じてる宗教に違いはあれど何も 言いませんよとお互いは独立してるし一応 お互い形式上は対等だよって考えるこう いう考え方がついたのがウェストファリア 条約なんですよでこれ非常に大きな意義を 有していてなんでかて言と今まではそんな 国の領域とか何も関係なかったんです あっちの国でやってることがけしからんと 思ったらその国を覆いかすように戦争して たし宗教上の違いであそこでは プロテスタント信じてるみたいだぞって 言ったらカトリックの人たちが責めてった わけですよそれがなくて一応形式上は相互 不干渉で独立だってしたことによって何が 生まれるのかって言うとお互いがお互いの 国を尊重するわけなので外交という概念が 生まれるんですよねよく考えてみてほしい のが外交関係が成り立つのってどんな時 だろうって交渉ができたりとか話し合いが できるのってどんな時だろうって言うとお 互いがお互いを相手として認めてる時です よね例えば友達と喧嘩してもあいつなんて 知らないって思ったらずっと喧嘩続ける でしょうし話のバスラ持たないかもしれ ないですよねでも相手の立場というのを 尊重して相手にも相手なりのことがあるん だからと思って話し合をしたりだとか あるいは交渉したりするのは相手を尊重し てるから相手を独立したものとして見てる からなんですよでこのウェストファリア 条約をきっかけとしてヨロではですね徐々 に外交秩序というのができていて現代の 国家の基盤になるようなそんな歴史という ものが進んでいくわけですでなぜですね 歴史総合で主権国家という話を扱ってるの かに関してはもちろんいろんな考え方が あると思うんですがこの主権国家という ものがこの後アジアに導入されていくと その主権国家というものと元々アジアに あった外交秩序というのが摩擦をね起こす ようになるんですねそれをきっかけにして 様々な戦争が行われるようになるので是非 ですねこの後はアジアの外交秩序との関係 性を見ていきましましょさあそれでは歴史 を300年400年と遡ってみましょう昔 の中国にはですね民や真という王朝が成立 していましたし日本には江戸時代江戸幕府 が成立していましたこの民や真という国で はですね兆候体制あるいは作法体制という ものが成立していましたこれは何かと言う と中国というその中心にある偉い国に対し て周りの国は長行しなさい貢ぎ物しなさい というものですで例えば周りにいた朝鮮や 琉球その他の国々は中国の皇帝のところに ですね貢物を持っていってでそれを承認さ れたら中国の皇帝から判例品を受け取って それで外交切除上下関係が成り立つという ものがこの作法体制兆候体制と言われる ようなものでした例えば民の時代にはです ね永楽亭という皇帝がいましてその元で ですね帝和という人があらゆるアジアの国 に豪華な船を連れてですね赴きますでその 赴いた時に中国はこんなにも力強いんだぞ とお前ら自分たちに従うよなということで 権威を見せつけて長高関係というのを どんどん結んでいくわけですねこんな民の 時代もありましたし真の時代もですね後期 定要請定電流定と言われるですね賢い3人 の皇帝がおりましてそういった時代はです ね本当に真という中国の国がかなり国力を 持っていたのでまもちろん兆候しなさいと いう命令も対してもですね従う国が多かっ たわけですねだからある意味中国はですね アジアの中心として振る舞いながら各国と の関係性というのを保っていたわけです じゃあ一方で日本はどうなのかと言とこの 中国の兆候体制に組み込まれていたわけ じゃないんですこの当時の江戸幕府という のは昔の教科書がよく左って言われてたん ですが正確には全ての国との外交を閉じて いたわけではなくて4つの窓外交と言わ れるような外交秩序を独自で保っていまし たまずですね現在の青森県に該当しますが そこにあった松前班はその松前班を通じて アイヌの人たちと攻撃を行っていましたし でそして津島班に関してはですね独自に 朝鮮との外交辻を保っていましたそしてさ 班に関しては琉球王国との外交関係を保っ ていましたし長崎のデジでは政府公認のも オランダや中国の真との公益関係を保って いましたそういう風にですね民や真は兆候 体制作法体制をそして日本に関しては日本 独自の4つの窓外交というものを形成して いたわけですねこういう風に民也真の時代 エロ幕府の時代には真とエド幕府という ものが絶妙な関係性を保ちながら東アジア の外交というものが成り立っていたわけ ですしかしこれがですね欧米列強の参入に よって外交秩序が崩れていくわけですねで まずですねこの新の国にやってきたのは 欧米列強のうちのイギリスでしたなぜ イギリスが中国にやってきたのかと言と その当時のアジア特に真に関してはですね 世界の中でも市場規模が最大でした今の 日本人だとヨーロッパとかアメリカがえ どうしても大きな国と見えてしまうんです がそれはあくまでもですね第1次世界大戦 あるいは第2次世界大戦を経てヨーロッパ の国々が勝利したとそういった歴史を 踏まえて日本の歴史官というのが作られて しまっているのでどうしてもその欧米中心 の見方に偏ってしまってるんですねただ このエロ幕府の時代民や真の時代に関して はアジアの方が圧倒的に市場規模が大きく てヨーロッパの国々はむしろアジアの国を 見習うような状態だったんです例えばエロ バ府時代のエドナンっていうのは世界で 最大の人口を誇っていたわけですねえって ロンドンとかパリとかニューヨークとか あるじゃないですかああいう都市とかを 圧倒的に抑えて日本の江戸が最も大きな都 だったんですそれぐらいですねアジア県 っていうのは栄えていたわけで今の感覚と はまた違うような世界観があったわけです でそんな中国ですからイギリスはですね その中国特有のお茶だとかあるいは当時機 なんていうのを求めて中国にやってきた わけですでここにも書いてありますが マカト2施設団というのはどうかイギリス と攻撃してくれませんかっていう風に求め てたわけですこれはもちろん大公開時代の 後イギリスがいろんな国に巡るようになっ てたっていうのもそうですし産業革命を経 てですね様々なものを売りたいわけですね イギリスはなので中国という大きな市場を 開拓することで自分たちの国を強固したい と思ってたんですねしかし中国は元々作法 体制という外交の中にいましたから主権 国家体制あまでも対等だろとか独立だろ不 干渉だろっていう考え方を持ってイギリス とは愛入れなかったんですねその結果どう なるかと言と中国とイギリスの間で摩擦が 生じてしまいますその結果生じたのが亜 Return戦争やアロ戦争と言われる ようなものでしたこれはですね先に産業 革命や市民革命国民国家の形成という過程 を経ていたイギリスやフランスとかの方が ですね軍事の面では優れていたんですねな ので中国は確かに市場規模として大きかっ たんだけれども軍事力では近代化を先に 達成したイギリスやフランスに負けて しまいますなので亜変戦争やアロ戦争を経 て実は中国はその速方体制というのに日々 が入るんですねでこれ皆さん特に覚えてい て欲しいのはこのじゃは具体的な事件名で はなくてその背景です亜変戦争の亜という のはこれ地名ではなくて麻薬なんですね なんで麻薬かと言うとこの図をご覧 くださいそうこれはイギリスによる三角 貿易ですねでこの三角貿易どっかで見覚え あるなと思いませんかそうこれは産業革命 のところであった大西洋三角貿易に非常に 類似してるんですこれが今度はインドと真 の間で行われてるバージョンですねでこれ 1つ1つ確認していきましょうまずですね イギリスはすでに産業革命を経て面オリモ などの様々な商品をですね非常に効率的に 生産することはできるようになっていたの でそういった市場を求めていたんですねな のでまずインドにその面売りものを販売し ますそしてそのインドは今度は真に対して アヘンという麻薬を売りさばくわけです そして今度真はイギリスに対してチや当時 機などを提供するとこういった三角形 トライアングルが形成されていたわけです でこれ大西洋三角貿易の時と同じくで イギリスは確かに真に対して銀を払って チャア当時機を輸入してるように見えるん ですがこの銀っていうのはですね結局真と イギリスの間でアヘンと交換されますので インドに移りますそしてそのインドに移っ た銀というのは結局イギリスとの間で面 織り物なのと一緒に交換されますので結局 最初に真に払った銀というのがイギリスの とに帰ってくるんですねなので売りたい面 おりものを売りさばいて欲しかったチェア 当時機などを真から手に入れるなのに自分 たちのとこに銀が戻ってくるという理想的 なトライアングルを形成してたわけですで これよく気をつけて欲しいのが大西洋三角 貿易の時はアフリカから中南米に対して 奴隷が渡されていたと思うんですが今回は アヘンになっていますでアヘンというのは ですね一度広まってしまいますと麻薬です から真でなかなか回収がしきれなかったん ですねでこのアヘンをどんどんどんどん 中国に売りさばいてはイギリスが利益を 設けるという仕組みだったので真も大 コルナに陥るわけですまこれが結局背景と なって亜戦争などに発達するわけですがシ は残念ながらですね軍事力の面では イギリスに叶わなかったのでそのまま敗北 してしまったわけですじゃあ一方で日本は どうだったのかと言とこれがですね イギリスではなくてアメリカがやってきた わけですねでこれは皆さんご存知の通り 日本は長い間4つの窓外交秩序そして鎖国 体制の中にあったわけですがペリーが来行 してですね日本に海国を迫りましたでそう なった時に元々日本は独自の外交秩序が あったわけだしまいわゆる鎖国体制という ものがあったんだから中国と同様に自分 たちはお断りだよアメリカなんて元々外交 秩序ないんだからそんなんしなくていいっ て言うと思じゃないですかでも日本はこれ が違ったんですね結局ですね日本の中でも もちろん混乱はありましたが日米和神条約 や日米宗行通称条約というものを結んで 結局ですねアメリカのみならず諸外国との 外交関係というのを結びましたじゃあなぜ ここで中国の真と日本でこんなにも外交 秩序に対する考え方が違ったのでしょうか これもちろん諸説はありますが日本のです ね首脳人はこの当時中国の亜変戦争やアロ 戦争の様子を見ていたと言われていますな ので日本と同じくですね同じように独自の 外交出を保っていた中国がそんな悲惨な目 にあってるのであれば日本もですね同じ ように対抗したら同じ目に合うて分かった んでしょうねなので日本では確かに海国に 反対する立場もありましたがそういった 反対件を押し切って日米和真条約など外交 設を結ぶ条約が結ばれていったわけです小 学校の歴史だったりあるいは中学校の歴史 とかだとこの際に領事裁判権を認めて しまったり関税自主権を撤廃したなど不 平等条約を結んだという風になうことが 多いと思うんですねで確かにこれ間違いで はないんですがただこれかなりな誤解が 含まれていますこれですね当時から不平等 と思われていたのかというと実はそうでは ないという側面があるんです例えば領事 裁判権についてですこの日本とアメリカが 外交秩序を形成した頃というのはどういう 時代だったかというと日本は完全に武下 社会です一方でアメリカというのは先ほど 説明した通り市民革命などを経て市民社会 が形成されてるような国家ですので完全に ですね国内のルールが違ったわけですねで それだけ国家ルールが違うと例えば日本に 来たアメリカ人とかアメリカに行った日本 人というのは全くそれぞれのルールが 分からないので困惑しますよねなので アメリカ人からすると日本に来た人を日本 のルールへさいてくれるなということで 領事裁判権というのが認められてたわけ ですそういう意味では最初から不平等と 捉えられていたわけではなくその当時に かなりルールの差があったからそういう ルールが制定されたと考えるとましっくり 来ると思います実際にですねじゃあなぜ そんなに不平等条約と言われたのかと言う とその最初の日米和神条約とか日米就高 通称条約の時に不平土だったのではなくて その後ですね外国の侵入に対して抵抗する 勢力があったわけです例えば長州犯や殺班 ですこういったところがですね撮影戦争 などを通じてですね所外国と戦いそして 敗北したことをきっかけに結んでいた条約 が平等になっていったっていうだけであっ て最初から不平等な条約をですね障害国が 結ぼうとしてたのかというとそうではない のではないかという研究はありますでその 上でですね領事裁判権に近い事例1個だけ 日本酒で説明しますねこれは歴史総合の 範囲を超えるんですが日本の鎌倉時代のご 生馬式目についてです日本のご正馬式目と いうのは法条を安時の失政の時に行われた ものですがこれなぜ制定されたのかと言う と元々上級のランというものを通じて鎌倉 幕府が西の国まで勢力を拡大することに なったんでしたよねこれはなぜかというと 西の国にいた五葉女皇が鎌倉幕府に対して 無法を起こしたからでしたよねでその氾濫 というものが失敗したがゆえに鎌倉幕府が 西の国まで勢力を拡大することになった わけですえ鎌倉幕府というのはその時代は 武家の政権ですが西の国は完全に貴族の 社会でしたなので武家のルールと貴族の ルールというのは全く異なっていたわけな のでいきなりですね西の国まで鎌倉バクの ルールを適用しようとすると様々な トラブルが生じたわけですなので色々な ルールというのが考案されまして下地中分 とか自党受けとかねそういう様々ルールが 考案されてったわけですよでこの考え方は 非常にですね領事裁判権の考え方の近い ものがあるなというのは感じますねなので やっぱりですね世界史日本っていうのは1 つの歴史の事象というのを非常に細かく 勉強するわけですがこうした歴史統合を 通じてそれぞれの事象感の関係について 勉強していくと余り理解が深まるんじゃ ないかなっていうのは思いますでここから はですねまた日本の明治時代の話に戻り ますが日本はですね海国を宣言して以降 明治政府を中心に改革というのを行って いきましたその時の目標は富国強兵直産 工業ということで日本の近代化というのを 急激に進めていきますでなぜ近代化を 進める必要があったのかというと最初に ありましたが主権国家というのは形式上は 対等で相互不干渉なのが前提なんですよね つまり相手の国に対等な立場として認めて もらえるだけ国内をある程度整備しなきゃ いけないわけですなので日本は武下政府 から変換するために例えば憲法を制定する 必要があったり国会を解説する必要があっ たりあるいは西洋の文化を取り入れていっ て日本の国民事態を要請していく必要が あったわけですよねそうした意味では日本 は急激に西洋化西洋の文化を取り入れて 日本の社会ごと変えていくという方針を 取ったわけですでこうしたですね急速な 改革が実りを告げて日本はですね元々の4 つの窓外交秩序から変換されて主権国家 体制に組み込まれていことになりました そうすると何が起きるのかというと先ほど 中国の作法体制と日本の外交秩序の絶妙な バランスというのが崩れていくわけなん ですねで先ほど説明した通り中国は作法 体制というのを敷いていましたのでここの 図にもありますが朝鮮や琉球王国ベトナム あるいはタなど当時はシャムと言ってい ましたがそういった国々をですね作法体制 に置いていたわけですでその作法体制に 対して日本は主権国家体制の参入を果たし ましたので朝鮮や琉球王国などと個別に 外交関係を結んでいくことになりますまず 琉球に関してはですねサマハに併合されて 最終的には沖縄県になるわけですねで しかも朝鮮に関してはですね日朝宗行上記 というのを結んで日本が欧米列強と結んだ ような同じような上気というものを挑戦と 結んだりしますそしてですねある意味強制 的に朝鮮や琉球王国というのは自分たちの 主権国家な体制に組んでいくわけですねで またベトナムに関しては日本ではないん ですがフランスの影響を受けて主権国家 体制に組み込まれていくようになります するとこうした朝鮮や琉球ベトナムを巡っ てですね真の作法体制と欧米列強そして 日本の主権国家体制というのが矛盾衝突 するようになってしまいますそしてその 衝突が原因となって発生したのが総日進 戦争だったんですねあそうだったんですか て日進戦争全く違う戦争だと思ってまし たっていう方多いと思うんですが実はそう なんです主権国家体制と作法体制の矛盾突 によって生じたという風に見ることが実は できるんですねで実はですねこの日進戦争 の前これの原因となったのは交互農民戦争 と言われる朝鮮内部での反乱運動でしたで これに対してですね日本は朝鮮を主権国家 体制の中に組み込んでいますからある意味 ですね日本と朝鮮あるいは他の国というの は対等で独立しているという風に考えてる わけですねなのでその調整に対して真が ですね作法体制のように上下関係を形成し て介入してることを心よく思わないわけ です一方で真からすると朝鮮というのは 長いこと自分自分たちの作法関係の元に あって兆候してくれる国であったんだから そんな主権国家なんて体制知らないよって いうタスなんですよなのでこの交互農民 戦争が起きた時に朝鮮の問題に対してどう 介入するかという解釈で新と日本の間で 対立が起こりますこれが根本的な日進戦争 の期限になってるわけですねでこの日進 戦争日本は急激な近代化を経て軍隊も かなり近代化されていましたから真の軍隊 とかなり雲泥の差がありましたそうした 背景もあって日本は真に勝利することに なりますそして皆さんご存知の下関条約と いうものを結ぶことになるんですねでこの 下関条約というのは皆さんおそらくは領土 を活動されたとかあるいは賠償金を得 たっていうところをよく着目すると思うん ですがまず1つ目の朝鮮の独立っていうの が非常に理解しにくいと思うんですね朝鮮 の独立っていうのはこれ何を意味してるの かと言うと朝鮮が真の作法体制から脱出し ますよって意味なんですつまりこれは主権 国家体制V作法体制の結果として考えると 分かりやすいんじゃないですかねそうする とどうなるのかというと真はそもそも自分 たちに兆候してくれる国がいたからその 体制を保てたわけじゃないですかでも琉球 に関しては沖縄県になっちゃうしベトナム に関してはフランスに飲み込まれるしで しかも朝鮮は下関条約で日本に奪われる ある意味独立を認められてしまったわけ ですから真は元々自分たちが有してた外交 出場というのが全て崩れ落ちてしまうわけ ですそういう風にして今回の下関条約を 理解するとよりですね多角的に見れるよう になるんじゃないかなと思いますでしかし ですねこの下関条約じゃあそのまま実現さ れたのかというと実はそうではなくて 先ほどですねロシアのナショナリズムの話 をした時にロシアが凍らない港を求めて南 に下っていったよって話をしましたね ロシアにとっての南はイギリスやフランス が多くいるヨーロッパ地域だけではなくて この朝鮮や満州と言われる東アジアの地域 であって南下する対象だったんですそう するとロシアからするとですよ日本が朝鮮 の独力を認めたりだとかあるいは諸地域を 活動で手に入れてしまうとロシアの権益が 損れるかもしれないという危機が持ってた んですそこでロシアはどうしたかと言うと 他にもですね日本の利益を心よく思わない ようなフランスやドイツなどを誘って三国 鑑賞というものを行ったんですねでこの 三国干渉の結果日本はですねまそのまま 戦ってもこの三国に勝てないと判断して ヤオトン半島などをですね手放すことに なったわけですでその結果日本ではロシア に対する反発心というものが高まりまして その結果として日代戦争に発展するわけ ですでこの日ロ戦争はですね様々な教え られ方がされていてもう実績には日本の 勝利だっていう風にですね日進政争と同じ ように考えるような説明がされたりだとか あるいはそもそもロシアに勝つことなんて 無理だったんだなんて説明がされること だってあるんですねただどちらもじゃあ 適切かというとそうではないような感じが ありまして実際にですね日ロ戦争が開戦 する前から回線するか田舎でかなり日本の 国内でも世論が割れていましたで実際に 日ロ戦争が始まった当時ですね伊藤広文は そもそも最初からアメリカに対してですね その自分たちの戦争の資金を援助して もらうための支援の呼び掛けを行ってい たりだとかあるいは調定をお願いしてたと 言われてるんですねですから最初から日本 もロシアに圧勝するつもりではなかったん ですが国力の面で言うとやはりロシアの方 が当時は上だったのでそれを戦略によって なし崩してったという意味では日本の勝利 なんでしょうねそうした意味ではこう単純 に日本が戦争に勝ったでもないし日本は そもそもロシアに勝てるだけの国力が なかったというわけでもないとどちらかと いうと日本がその戦略によってその国力を ひっくり返すだけの戦争の成果を残したと いうのが正しいところでしょうそうして ですね日本は元々ナショナリズムで先行し ていたロシアなども倒したことによって 欧米列強の仲間入りを果たしますその結果 確かに不平等と言われていたような関税 樹脂権の撤廃であったりだとか領事裁判権 の承認こういったものを全て取っ払うこと でですね他の国国と同様の独立の立場に 参入してくことになりましたでこの日ロ 戦争というのは日本史だけで見るのは非常 にもったいないんですなぜかというとこの 日ロ戦争で日本がロシアを倒したという 事実をもに各地域のアジアの国々がですね 独立運動に向けて立ち上がることになった んですでここからはですね日本のみならず アジアの初地域今回は中国トルコインド イランこの4つの国に絞りながらどのよう にアジアの国々が近代化の要請に応えて いったのかというのを確認していきますで よくですねこの中国トルコインドイランの 歴史に関しては個別で習うことが非常に 多いんですねけれども実はこの4つの国の 近代化の歴史抽象化することで共通点が 見えてくるんですそしてその共通点を 見つけることで非常に歴史が理解しやすく なりますので是非ですねこっからの説明 注意して聞いてみてくださいまずですね1 つ目の共通点はこの中国トルコインド イランこの4つの国に関しては近代の時代 において非常にですね全盛紀を誇りました 先ほどアジアは市場規模としては非常に 大きかったよという話をしましたがまさに その通りで確かにその時代ヨーロッパの 国々は産業革命や市民革命との歴史を 踏まえていたんですがやはりですね市場 規模で言うとアジアの国々の方が強大だっ たんです中国で言えば民進王朝トルコで 言えばオスマン帝国インドで言うとムガル 帝国そしてイランで言うとサファー長です そして2つ目の共通点がそれぞれの国は ですね欧米歴用の進出圧迫を受けてですね それに対する応答が2通りに分かれるわけ です1つ目が中途半端な近代化政策を行う パターンそして2つ目がそれに徹底的に 対抗するパターンについてですそして3つ 目の共通っては何かと言うとそうした近代 化にはうまく成功しなかったわけなんです が日戦争で日本がロシアを倒したという 事実に神明を受けてそれぞれの国でまた 独立そして近代化に向けた動きが進むと いう点になりますそれではこの3つの共通 点に注意しながらそれぞれの国の歴史って いうのを確認してみましょうまずは中国の 近代化政策についてです先ほど作法体制の ところでも話をしましたが民や真の時代と いうのは東アジアの地域においてもそう ですしアジア全体に通してもかなり強大な 権力を持っていたのが中国の王朝でした しかしですね先ほど説明したように亜変 戦争やアロ戦争を経てイギリスやフランス に敗北してしまうわけですねでそうした 近代化の妖精というものが高まってくるの につれて中国では要務運動というものが盛 に行われようになりましたこの要務運動の スローガンは中対西洋中国の政治体制を 維持しながら西洋の技術というものを 用いるということで中対西洋と言うんです がこの中対西洋のスローガンを掲げながら 近代化が進められたわけですでこれ日本の 明治心と何が違うのって言うと日本は政治 体制もそうだし技術とか文化も含めて全て 西洋から輸入しました一方で中国に関して は政治体制に関しては中国の方が優れてい ただ西洋から学ばなきゃいけないのは技術 面だっていう風な考え方があったんですね でなぜこのような違いを生まれたのか もちろん諸説はありますが中国は長い歴史 の中でかなり繁栄を誇っていたわけですよ なのでどうしても民や真の時代の政治体制 が残ってる以上は別に政治まで変る必要は ないんじゃないって思っちゃうわけですね なのでそういった意味では確信的な近代化 というのが進むずに中途半端に終わって しまったわけですでその後もですね中国が 欧米列強の影響を受けていってまた日進 戦争での敗北なども含めて武術の正編と 言われるような改革運動であったりだとか 交渉申請と言われるような新しい改革って いうのを試みていくんですが全てですね やはり中国の長い歴史の政治体制というの が足を引っ張ってですねうまく改革が進め られず頓挫してしまうわけですねじゃあ それで中国はずっと近代化ができなかった のかというと実はそうではなくて最後の 共通点でした日戦争の影響というものが あったんですその日ロ戦争の影響を受けて 中国でもですねやはり自分たちの近代化を 進めなければならないという考え方が 広まり日本の東京でですね存分が中心と なって革命運動というのを拡大していき 最終的には侵害革命を通じて存分がですね 中華民国という国を作り上げますつまり ここまで来て民や真という政治体制ごとが 変わり中国の原型となるような中華民国が できていったという歴史をたどるわけです それでは続いてはトルコについてです トルコについても民と真と同同じような 歴史を踏まえていくわけですね15世紀末 に成立したオスマン帝国という現在の トルコの元となってる帝国は コンスタンティノープルというですね非常 に重要な都市というものを制圧しまして そこを中心に反映していきましたで例えば スレイマン一世などという王様の元で非常 に栄えていきますえこのオスマン帝国と いうのは一時期ですねヨーロッパ勢力も 脅かすほどユーラシア大陸で強大化して いくわけなんですがやはりですね欧米諸国 の急激な産業革命市民国家の形成そして 国民国家の形成という流れに追いつけず 少しずつ弱体化していくわけですでそうし た弱体化を踏まえてですねオスマン帝国も 改革せねばならぬということで タンジマートと言われる近代化政策が行わ れますでこのタンジマートという近代化 政策に応じてですね例えばミドハト憲法と 言われるようなアジアで初の憲法が制定さ れたりなどかなり求心的な改革というのが 行れましたでもこれ真や民と共通してるの はどうしても長かったオスマン帝国時代の 政治体制を引きずってしま完全な改革まで 進めなかったというとこなんですオスマン 帝国の場合はですね長らく政権についてい たイスラム勢力が原因となってなかなか 国家の根幹ごと変えるとてことが実はでき なかったんですねそれが原因となって結局 はミロハ憲法などが制定されたとしても そういったものが中止されてしまって なかなかですね国家の転換というのが スムーズに進めませんでしたしかしですね またこれも日ロ戦争の影響を受けて日本が ロシアを倒せるなら自分たちももっと独立 していこう近代化していこうという動きが 強まりまして青年トルコ革命というものが 起こりますトルコというものがですね実際 に1つの国としてまとまっていくためには 第一次世界大戦の後ムスタファケマルに よる建国を待つ必要があったんですが トルコもですね真や民と同じように中途 半端な近代化政策というのを経て最終的に は自分たちの国家を建国するという流れを 経験することになったんです続いては インドの近代化政策についてですインドは 元々ムガル帝国これはイスラームの国では あったんですがそうした帝国が全盛紀を 迎えていましたこれはですね市民革命の ところでもお話をしましたがアクバルと いう王様がいた時にヒンドゥ教alsoに 対する人統制というのを廃止したんでした よねしかしその後アウラングゼーブという 王様の時にヒンドゥ京都に対して事が復活 しますその結果としてヒンドゥー京都や非 ムスリムの反発というのを招きムガル帝国 の弱体化というものを招いたという話をし ましたその後にはですねえ大公開時代を経 てイギリスやフランスというものがインド に進出してくようになりましたでこれに 関してもですね市民革命のところでやり ましたがイギリスとフランスはですね第2 次エ100年戦争というものを経験してい ましてプラッシーの戦いというものがあっ たんですよねでそのプラッシーの戦いでは イギリスとフランスのどちらがインドの派 を握れるのかという争いになりまして イギリスが勝利したんでしたよねで結局 そういった戦いを経てイギリスもフランス も疲弊したことで風をして市民革命を強固 したという話を先ほどしましたが今度は ですねインドについて着目していくと イギリスがそのままインドの実行支配を 行っていくわけですでそうしたイギリスの 侵略に対してインドの人たちももちろん 黙ってはいませんこれがインドの大反乱と いうものですねこれは中国やトルコと同じ ような話でしてやはり軍事力では叶いませ んでしたその結果インド大反乱に関しても イギリスの勢力によって鎮圧されてしまい 結局イギリスはインドをインド帝国という 形で自分たちの植民帝国を作り上げて しまうわけですそういう風にインドは近代 かどころか独立も果たせないままギギの 植民地として隠れされてくことになるん ですがここのインドもまた日輪戦争の影響 で自分たちも独立していきたいそして近代 化を進めたいというような要望が増えて いきまして若者を中心にインド国民会議と いうものを結成して自分たちの ナショナリズムを高めていったわけですね そして最後はイランについてですこの イランではですねサファー町という王朝が 栄えていましたしかしそのサファー町の後 イランのところにはですねロシアや イギリスなどの欧米列強が進出してくこと になりますそした欧米列強の支配に対抗 するためにタバコブコ運動などイランの人 たちが自分たちのナショナリズムを高める ような氾濫を起こしていくわけですこれは インドで行われたインド大氾濫と共通して いますよねしかしこうした大氾濫もうまく はいかず最終的にはですねイランもロシア やイギリスの勢力家に置かれていって しまうわけですしかしこれもまた日ロ戦争 の影響を受けて自分たちも独立したい近代 化を進めたいという要望が強まり若者中心 にイラン立憲革命というものが起こるわけ ですでこうした中国トルコインドイラン このアジア諸国の歴史に関してはまとめて そして比較していくことで近代の反映近代 化の失敗そして日ロ戦争の影響と考える ことができるわけです歴史総合という科目 はですね日本史や世界史といった個別の 科目と違ってそれぞれの国の歴史を比較し ていったりあるいはその祭というのを分析 していくことで歴史の流れを掴んでいっ たりあるいはその歴史の本質っていうのを 見抜いていくそんな科目なんですよね今回 はこの中国トルコインドイランというこの 4つの国に着目しましたが他の国に 当てはめることで新しい世を得ることも できると思います是非皆さんですね手元に 参考書とか資料種教科書などがあるので あればいろんな国をですね比較する視点を 持って勉強してみてくださいでこうして ですねアジアの書外国も含めて主権国家 体制というものが世界中に広まっていくと どうなるのか日本やイギリスフランス ドイツアメリカイタリアなどですねその 所外国たちは今後世界の実験を握る領土 アロス国取り合戦が始まっていくわけです これが次の帝国主義につながっていくん です ねはいそれではここからは一緒に帝国主義 を学んでいきましょうまずはですね産業 革命の時のスライドを思い出して欲しいん ですが資本主義というものは常にですね 工場や機械を通じて生産した商品を市場に 売り出してそこで得た利益をまた工場や 機械を作ることに当ててということで循環 させながらですね利益を生み出していく そんな装置だよって話をしましたねでこの 装置というのを常に維持するためには原料 供給値と市場が必要になってくわけです しかしですねよく考えてみて欲しいのは 機械や工場っていうのは作れば作るほど どんどんどんどん機能が向上していきます よねそうすると商品っていうのがたくさん 作れるようになるわけなんですがそれに 応じてそれだけの市場と原料供給値が必要 になってしまいますでもイギリスとか フランスですとその国だけだとかなり場所 が限られていますよねそれに国民の数も 限定されてるわけですからそれ以上に原料 は手に入らないしそれ以上に市場も なくなりますそうするとどう考えるのかと 言うとじゃあ新たな土地を手に入ればいい じゃないという風に考えるわけですねそれ が帝国主義の始まりですで最初はですよ 例えば世界が真っ白な地図でそれぞれがも 自分たちの領域を塗っていきましょうみい そんなスプラトゥーンみたいな世界が 広がってるのであれば平和なのかもしれ ませんがで世界というのはそもそも1つの 地球しかありませんからいずれですねその 限界がやってきますイギリスもフランスも 領土を拡大させていこうと思えばどこかで 衝突してしまうわけですねでこの衝突と いうのがイギリスやフランスに限らず他の ドイツやイタリア日本はアメリカなどの他 の国が参戦してくことによって帝国主義 領土をどう分割していくかという時代が やってくるわけですで実際にですねこうし た植民地合戦と言われるものはアフリカや 中国などまだ未開拓であった地域に集中 するわけですねでまずはアフリカについて 確認をしていきましょうアフリカでですね 特に派遣を握ったのはイギリスとフランス でしたイギリスはですね銃弾政策と言い まして南は南アフリカからそして北は エジプトから支配を広げていきます南 アフリカに関してはですねイギリスが そんなにすんなり支配できたわけではなく 南アフリカ戦争あるいはブール戦争などと 言われるですね様々な戦争を乗り越えて イギリスが支配を確立していきますまた エジプトに関してはですねえ先ほど説明し たオスマン帝国からムハンマドアリーと いう人がですね独立してエジプトを原告し ていくわけなんですがイギリスがですね またしてもエジプトを支配していくわけ ですねでそれに対して氾濫を起こしていっ たのはイランやインドと同じくですね ウラービーの判断なんてものがあったん ですがそれをまたイギリスが支配して しまうわけですでそういった家庭を踏まえ ながらイギリスはエジプトそして南 アフリカから縦にですねアフリカ大陸を 征服しようとしていったわけです一方の フランスはどうかと言いますとモロッコや アルジェリアなどの西部を中心にですね 最初に開拓をしていきますでそのままです ねどんどん東へ東へということで横断政策 を掲げたわけですねで皆さん勘の方であれ ば分かると思うんですがイギリスは縦に フランスは横にということはどこかで抜天 クロスしますよねじゃあそのクロスした時 何が起きたのかと言うとこれがファショダ 事件と言われるものですこのファショダ 事件ではですねエフが対決することによっ て大きな体制になるかと思われていたん ですがここはですねフランスが譲歩しまし たでなぜ譲歩したのかと言と実は英仏の 対立以上にですねこの2つの国が恐れてい たのは信興勢力のドイツでしたこのドイツ がですね徐々に徐々に世界中の国を征服 しようとしていたのでその脅威に対抗する ためにエフは同盟を組むわけですねこれが エフ教師と言われるものですでじゃあこの ドイツが具体的にどのように勢力を拡大し ていたのかというとこの図を見ると分かり やすいですイギリスはですね当初インドの 勢力口であったカルカッタそして回路と ケープタンをつなぐサシ政策と言われた ものを目指していましたこれはですね それぞれの都市のですね頭文字を取った ものです一方でドイツは何を目指していた のかと言と先ほどのですねプロイ線の体制 からえどんどんドイツ帝国という形で拡大 をしていきましてドイツの都市であった ベルリンそしてコンスタンティノープル バグダードこの3つの都をついでいく サビー政策というものをかけていました これはですねバルカン半島を通じて中東に 攻めていくものであったのでイギリスから すると大変な脅威でなぜかと言うとこの ままですね3B政策が貫かれてしまうと3 C政策がですね途絶えてしまうんですね そうした意味ではイギリスの金めでもあっ たインドに行きづらくなるのでドイツを 非常に脅威だと感じてたわけですちなみに ですねサビ政策というのもこれも都市の 頭文字を取っていましてベルリンと バグダード分かると思うんです コンスタンティノープルはと言いますと コンスタンティノープルは元々ですね ビザンティウムという名前でしたので やはりこれもBなので3B政策と言ってい たわけですでこのドイツはですね元々は ビスマルク首相の元である程度他の国と 強調体制を保ちながら絶妙なバランスで ですね外交を行っていたんですが ヴィルヘルム2世と現れてからは世界政策 という形で一気に政策転換を行いまして この帝国主義の中で他の国を倒していくぞ そんな方針になったんですその方針転換も あってかイギリスやフランスそしてロシア などはこのドイツの存在を恐れていたわけ ですねそして続いては東南アジアの植民 政策についてですで東南アジアもですね 欧米歴の圧力には耐えることができず様々 な国がですね植民地化されてことになり ました例えばミャンマーマレーシア シンガポールなどはイギリスの植民地に 現在のインドネシアはオランダの植民地に ラオスやベトナムカンボジアはフランスの 植民地にフィリピンは元々スペインの植民 地でしたがその後はアメリカの植民地にと いう形でそれぞれの国が植民地化されて いってしまうんですねでこの植民地化され たそれぞれの国では強制栽培制度例えば これはインドネシアの例ですが実際にです ねオランダに収益が上がるように過酷な 条件で栽培というのを貸したあるいは プランテシ農業というのを行っていて自分 たちの国の利益になるようなものを栽培さ せるそんな形で徐々にですね植民地下と いうのが進められましたでここに書いて あるモノカルチャー経済というのが1つの 問題と言われていますこれは何かと言うと 欧米歴ochからしたらその東南アジアは 原料の供給値として価値があるわけですよ ね別にそこの経済がめちゃくちゃ発展して いるからそこに何かものを売りたいという よりかはそこから資源が欲しいというのが 正実なところだったと思いますそうすると 自分たちの国にいらない商品というのを たくさん作られても資源の無駄なわけじゃ ないですかなのでできれば自分たちの国に 入ってきて利益になるような商品作物だけ 作って欲しいとかそういった需要があった ので単一のものだけを作るモノカルチャー 経済に非常に陥れやすかったんですねで これ何が問題かというと確かにですね総子 国例えばミャンマーであればイギリスに ベトナムであればフランスに物が売れるの で短期的には良かったのかもしれませんが 1つのものしか栽培しないしかもそれが 商品作物となってしまうと生活に必要な シナジが生産できなくなってしまったり するんですよねそうするとそれぞれの東南 アジアの国で飢餓問題が発生したりだとか 物品が少ないので物価が高くなってしまっ たりなど様々な問題を抱えていたわけです でこの植民地家に巻き込まれなかった例と してはタが上げられますこのタというのは ですねイギリスの植民地とフランスの植民 地のカンボジアラオスそしてミャンマーの 間にあったのでちょうど干渉地帯になって たわけですね言い換になればクッション罪 というわけですですからもちろんタの政府 の巧みな外交政策はあったんですがそれ 以上にですねフランスとイギリスに挟まれ ていたというそういった知性学的的な問題 があって独立が保たれたと言われています 他にもですねアジアで唯一独立を保てたの が日本です先ほどですね日本はかなり明治 政府の主導で近代化を成し遂げていったよ と話をしましたがもちろんこれ自性学的な 話あるいは他の歴史的な事情をもに説明 することでできます日本が開国した 1850年代というのはどういう時代だっ たかと言うとまずヨーロッパ諸国にとって はクリミア戦争というロシアとイギリス フランス間での戦いが行われていたわけ ですよねなので正直そっちの戦争で手一杯 ですぐに日本に何かということはなかなか できなかったと逆にですね1860年代に なってしまうとアメリカは国内で南北戦争 を行ってるわけですから日本と貿易なんて 言ってる場合じゃないわけですよねなので 日本は確かに江戸幕府の時代から近代科の 動きはあったし明治政府の主導でたくさん の近代化精査が行われたからそれが原因で 独立が保てたということも可能かもしれ ませんが実はそういった先ほど説明した ようなクリミア戦争とか南北戦争みたいな 他の歴史的な事情が絡まってたりするん ですでここが歴史を勉強するとこの面白い ところかなと思っていてタイヤ日本がなぜ 独立を保ってたのかいろんな解釈ができる んですでその解釈の数だけ歴史の見方が あるわけでそうするとですね多角的な見方 その物事の本質が見えてくるわけです是非 皆さんもですね東南アジアの植民地家 あるいは中国の植民地家と照らし合わせ ながらなぜ日本やタが独立を保ってたのか 考えてみてくださいそして続いては中国の 植民地家の話です先ほど日進戦争の結が真 が負けたという話をしましたね元々中国は 近代の頃からヨーロッパの国にとっては 大きな市場世界の帝国として見えていた わけなので眠れる獅子という形で恐れられ てたわけですでも実際蓋を開けてみると 日本に負けてるじゃないかということで ああじゃあそこに攻め込むということで 帝国主義がどんどんどんどんですね浸透し ていくわけですでそして中国はですねま 琢磨に分化されていきますその結果北部に 関してはロシアが中部に関してはイギリス が南部に関してはフランスがそして山東 半島付近はドイツがそして復建小付金や 台湾朝鮮半島に関しては日本画という形で 分割が進んでいきますちょうどこの頃 1910年には日本が韓国を併合していき ますからこの当時の日本も完全に帝国主義 の中に含まれてるわけですよねでこれと 少しだけ異質な動きをしたのがアメリカ でしたアメリカはですね南北戦争の影響 などももちろんありまして実は植民地下の 動きに出遅れるんですなのでアメリカが いざ中国に進出しようとした時にはもう すでにイギリスやフランスロシアドイツ 日本などにですね分割されてしまっていて アメリカのけ込む隙がなかったんですね そうするとアメリカは何を言いらっしゃる のかと言と文子開放宣言モロ主義という ことでできるだけですね中国の独立は 保とうよと主権を尊重しようよということ を言い始めるわけですでこれま無のいい話 だなと思うかもしれませんがそうなんです 元々アメリカも自分たちで帝国主義自分 たちの植民地を拡大させようとしてたん ですねでもいざ蓋開けてみたらもう中国が 奪われてしまってるからそれは不平等だと 言ってるわけですなかこれ具体例想像する と分かりやすくて例えば道端で繊維拾った としましょうでそれを3人で発見して しまったのでどうやって分化するか悩み ましただからじゃあじゃんけんをして勝っ た人がじゃその線もらおうってして じゃんけんをしてま実際に自分が負け ちゃったとしましょうそしたら負けた途端 にですよいややっぱり道端のお金拾うのっ てよくなくないって言い始めるこんな感じ ですよね最初はいいって言ってたのに自分 の利益がなくなるといきなり批判をし 始めるみたいな形でアメリカもですね かなり地獄の利益に基づいて中国の話だっ たりあるいは文句解放宣言というのを考え ていたわわけですでこの当時のアメリカは ですねもちろん中国だけではなくて フィリピンも植民地下してますし中南米に 関してはですね工房外交という形で強圧的 な態度でですね中南米の利権っていうのを 確保していってますこんな形でですね 世界中の国々は自分たちの利権を獲得して いくために様々な国の植民地下というのを 進めていきますでこういう風に東南アジア とか中国あるいはアフリカみたいにうまく 分割ができたりあるいはうまく協定が結べ たらいいんですがこれができなくなった 途端に対戦に巻き込まれることになるん ですでその1つの大きな例が東ヨーロッパ です東ヨーロッパは1910年代は ヨーロッパの火薬湖と言われるほどですね 危険な対立状況が存在していますた具体的 にはどういうことかというと先ほどまず ドイツは3B政策を掲げていたという話を しましたねでその3B政策によって どんどんバルカン半島の南南へと進出して いくわけですでその正当化をするための 理由付としてパンゲルマン主義というもの を掲げていましたこのパンゲルマンの理念 に基づきながらオーストリアと同盟を組み ながらですね南への南下を進めていきます でまたドイツはですねこの世界政策に 基づきながら利権を共有するイタリア オーストリアドイツの三国同盟というのを 結んでいました一方でこれに対抗する形で ロシアもですね南下を進めていきます 先ほど日ロ戦争の話をしましたね最初 ロシアはクリミア戦争を通じてヨーロッパ の方から南下をしたかったんですしかし それが無理だったので今度は日ロ戦争と いう形で東アジアの方へ降りたんですでも そこここでも日本に追い返されてしまうの で結局ロシアはまたですねヨーロッパの方 から降りることを考えますそこで正当化 するために使った理論がパンスラブですね スラブ人の統合を図っていくそんな考え方 ですがこのスラブ主義に基きながらですね セルビアなどのスラブ人国家との定型を つめていきますでそうしたサンビー政策や ロシアの南下政策というのはですねこの バルカン半島で衝突してしまうわけですね でそのロシアはですねドイツを脅威と思っ ているイギリスやフランスとも結びつきを 強めていて三国教相と言われるような関係 性を結んでいましたそんなですね利害対立 が工作するバルカン半島ある事件が起こる ことで事態が急変しますそれがサイボ事件 ですでこのサイボ事件というのはどういう ものだったのかと言うとオーストリアの 皇位継承予定だった夫妻がボスニアの タラボというところでセルビア人の男性に よって射殺されてしまうという事件でした でこのオーストリア交代使が殺殺されて しまったこの事件に対してセルビア政府は 実は曖昧な態度を取ったんですねでそれに 激怒したオーストリアはセルビアに対して 戦戦復刻をしますすると何が起きるのか ここからが歴史の面白いところなんですが オーストリアと同盟を組んでいたドイツ ですからドイツはセルビアに対しても先生 告を行いますでもセルビアとパンスラブで 結び付きを強めていたロシアは今度は オーストリアそしてドイツにも戦戦国を 仕掛けますさあこれ忘れてはいけないのは 今度はロシアはイギリスやフランスと三国 教師の関係にあったんですよねなので芋式 でですね今度はロシアに加担する形で フランスやイギリスもドイツや オーストリアに戦戦国を仕掛けることに なりますそしてイタリアに関してはドイツ やオーストリアと三国同盟を結んでいまし たのでここでですね三国同盟V三国教師と いう形で測ってもいなかったのに対立関係 が生まれてしまうわけですでこれ誰も想像 していなかったんですよ最初はただの オーストリアとセルビアの紛争だったのが 気づけば大帝国を巻き込むヨーロッパの 対戦になってたわけですでじゃあそれなら ただヨーロッパの対戦と呼べばいいのに なぜ世界の対戦と呼ぶのかと言うとこの 当時からイギリスやフランスロシアドイツ イタリアなどは世界中に植民地を持ってい たわけですよねなのでこの世界中がこの ヨーロッパの対戦に巻き込まれるという 意味で世界対戦と名付けられたわけです つまりイギリスやフランスが戦えば アフリカもそうだし東南アジアもそう中国 大陸も戦争に込まれるわけですなので世界 大戦と言われるわけです ねはいそれではここから大衆家について 学んでいきましょうこの大衆化という テーマはですね現代者社会においても非常 に重要な意義を有しておりまして歴史総合 の科目の中でも特にこの分野は現代の社会 を考える上で重要な要素となっております え是非ですね深掘りをしながらこの大衆化 という概念についての理解を深めていき ましょうまずですね第1次世界対戦につい て理解をする時に個別具体的な戦争の内容 について理解をする必要っていうのは実は あまりないんですねむしろ歴史総合におい て第1次世界大戦を考えるのであればその 1つの特徴であった暴力線というキー ワードに着目をしてみましょう総力線とは 何かと言うと戦争の勝敗を決めるのがただ の戦場での勝敗だけではなくそれを支える 国家単位でどれだけ国の力をその戦場に投 Proすることができるかそれによって 勝敗が決するような戦いこれが総力線です どういうことかと言うと例えば戦車を作る こと考えてみてください実際に戦場で戦っ てるのは戦車だけですがその戦車の同体に なるような鉄を製造するためには国内で 鉄工業が盛んじなきゃいけないですねで しかもその鉄工業を行う人たちを支える ような体制も必要ということで国のですね 体制というのが戦争の結果を大きく作用 するわけですでここにですね5つの ファクターが用意されています軍隊の動員 武器の製造鉄工生産衣類の生産食料生産 などですこれら非常によく分かりやすいと 思うんですね実際に現場で見えるのは軍隊 の動員だけかもしれませんがそこで使われ てる武器を実際にはそのバックで製造し なきゃいけないわけですしそれだけじゃ なくてその部品を作るための鉄工生産と いうものが必要ですよねでしかもじゃあ鉄 業で働く人とかあるいは軍隊として働く人 のために食料を用意してあげなきゃいけ ない衣服を用意してあげなきゃいけないと なると食料生産や衣類生産だってこの戦争 を支える1つの大きな記述になるわけです ねじゃあこうしたものを支えていたのは誰 かという話なんですが主にですねこの青色 で書いてある軍隊動員というところにその 当時の成人男性は送られていましたすると 元々成人男性が担っていたような食料生産 とか衣類生産鉄鉱生産などが不足していき ますじゃあじゃそこを誰が担ったのかと 言うとその当時の女性だったわけですね その結果第1次世界大戦中はヨーロッパを 主して女性が軽工業や重工業問わず様々な 産業に参入していくことになりましたで つまりですねそれは何を意味したのかと いうと女性の活躍次第で国の名運が変わり うるということなんですよつまり総力戦と いうのはその現場で戦ってる人以上にその 裏で働く人がどれだけ力強いかここが大事 だったわけですねすると国の政治やるは 運命を左右する女性たちですからその人 たちに政治の賛成権を与えたっていいん じゃないかそんな論評が生まれるように なりましたその結果を踏まえてですね実際 に第一次世界大戦以降は女性の社会進出と いうが進んでいき政治的な重要度も高まっ たことで女性産政権というのが認められる ようになっていきましたこの表はですね 主な主要国を載せているだけではあります が1917年にロシアで女性の賛成権が 認められて以降ですねえ続いて戦争の影響 を受けて様々な国が女性賛成権を認めるに 至りました日本に関しては1945年これ は第2次世界大戦後の話ではありますが どちらもやはり戦争の影響を受けて女性の 政治への参与が高まっていたということは 共通していますで実際にですねロシアに 関してはそうした総力戦の結果国民の不満 が爆発してしまいますつまりその バックアップサポートの体制が十分では なかったんですよねでまずはですね日ロ 戦争の時の話から少し思い出して欲しいん ですが日ロ戦争ではは結局ですねロシアは 日本に負けてしまうわけですねじゃあその 負けてしまった時の背景には何があったの かと言うと国民の不満を受けて地の日曜日 事件というものが起きていましたでこの地 の日曜日事件では実際にですね国民が税 負担であったりだとか国内の政治に対する 不満というのを表明していたわけですが それをですねかなり高圧的な態度で国家は 納めたわけですしかしですねそういった 不満はまた第一次世界体制の時にも起こり まして思い税金やあるいは食料不足労働 力不足など様々な要因が重なって国民の 不満というのが爆発しますその結果生まれ たのがレニ代表格として発生した第2次 ロシア革命ですこのロシア革命では世界で 初の社会主義共産主義の国家というものが 誕生しますそれがソ連社会主義連邦共和国 というものですでこれなぜですね革命的 だったのかと言うとそれ以前はですね全て の国が資本主義の国家だったんですつまり 先ほどの産業革命の話というのを受けて 全てですね自由な経済構造を持つような 国家が多かったあるいは皇帝がメインと なった先制的な政治が行われることが 多かったんですが共産主義というものは 各人の平等というのを担保していくような 社会です国家が徹底的に管理統制していく んですねそれが初めて実現したという意味 ではこの第一次世界大戦とロシア革命は 非常に大きな意味を有していましたでこれ ですね日本の事例と比較すると非常に興味 深いことが分かると思います実はですね 日本も日ロ戦争で勝ったらそれで良かった のかというとそうではなくてその後 アメリカの中海によってポーツマス条約と いうものを結んだんですねしかしその ポーツマス条約では日進戦争の時と同様に 賠償金が得られたわけではなかったので 国民からの不満が爆発してしまいました それが事件となって現れたのがこの日比谷 焼打事件というものですなので実況を 同じくしてですねロシアでは血の日曜日 事件日本では日比谷焼打事件が起きるなど 国民の不満という意味では同じだったん ですねしかし第1次世界大戦後実際に第2 次ロシア革命という形で共産主義の国家が できたとところとあるいはシベリア出平と いう形でむしろ共産主義を抑え込む運動が できた日本一体これは何が運命を分けたの かとこれはもちろんいろんな学説はあり ますがまず1番大きな要因として考えれる のはロシアは実際にですね第一次世界大戦 の現場としてその現地で参戦しています 一方で日本はヨーロッパでの戦争に参戦し ていたわけではなくて間接的に中国などに 進出していたそれだけでしたのでそういっ た意味では国民の負担量が全く異なるわけ ですよねつまり先ほど総力線と話をしまし たがその負担が大きくなればなるほど労働 者が抱えなきゃいけない負担が増加するの でその分社会主義が浸透しやすくなるわけ ですその浸透のしやすさがロシアと日本で は違ったのではないかと考えることができ ますまたですね国民国家のところで考えた 国家の統合度合ということでも説明がつく んじゃないでしょうか実際にですね日本は かなり統合が進んでいましたから国家とし ての一体感があったわけです一方でロシア はうまいこと国民国家の形成ができてい なかったので実際には資本家と労働者とか あるいは貴族と平民などの身分対率の差が 大きいまま矛盾を抱えたままロシアの帝国 が形成されてたと考えることもできます どの説明にせよですねやはり第一次世界 大戦によって国民がたくさんの負担を 抱えるようになったことで社会主義や共産 主義といった考え方が根強く広がる きっかけとなったことは間違いないんです そしてその社会主義や共産主義の広まりに 対抗しようとして生まれてきたのがこの 民族自決という考え方です14条の平和 原則というのは非常に有名ですので小学校 の時から知ってるよという方多いと思うん ですがこの14過剰の平和原則というのは ただ夢物語でこういうことを実現したい ですよねっていう風に掲げてるわけでは なくて例えばこの民族自決に関しては具体 的には資本主義が共産主義や社会主義を 抑え込むための概念として使われていたと いうことも指摘できますまずですねこの 民族自決というのは確かに名目上は民族が それぞれ国家を持つべきだという考え方な んですが実際にこれ適用されてるのは東 ヨーロッパだけなんですねじゃあこの東 ヨーロッパというのはどういう意義を有し ていたのかというとこの資本主義国家で ある西ヨーロッパとソレンというのの中間 地点にあったわけですつまりその東 ヨーロッパで民族自決の考え方を適用して それぞれの国家を独立させることでできる だけですね社会主義や共産主義の基盤に なるような労働者の不満というのを軽減さ せてそしてソ連から共産主義や社会主義が 西ヨーロッパに及ばないような防波堤にし たいと考えていたわけですねそのため そもそもこの民族自決の考え方はアジアや アフリカなど欧米諸国が植民地を有してる 地域に適用される予定はなかったですねで これがですね歴史の見方の面白いところで 確かに14過剰の平和原則っていうところ だけを切り取るとアメリカカって先進的だ よねしかもいろんな国が平和になるように 色々考えてるじゃんって思うかもしれませ んが実際にはですねそういった裏の打算的 な理由があったりするわけですそのため ですねこの民族自決という言葉だけが 先渡していろんな国でですねなぜじゃあ 自分たちの国では民族で国が持てないんだ という不満が高まっていきますその分かり やすい例がですねここに書いてある3つ ですね中国では御子運動朝鮮では31独立 運動そしてインドでは非暴力非復運動など が展開されていきましたこれらはどれも ですね自分たちの国民国家を作っていく ための1つの手がかりにはなっていました がこういった地域に対してですね欧米諸国 が積極的に独立を支援するなんてことは なかったんですねなぜかというと先ほど 申し上げた通り民族自決というのはその 理念自体をみんなに実現しようとという よりかはそれを使って何か裏の目的を実現 しようみたいな意図が強かったわけですね でこれですね他の例にも当てはまりまして 実はこの第1次世界大戦が終わった後日本 はですね欧米諸国に対してえ人種差別撤廃 を盛り込んだ議案というものを提出したん ですでそこだけ切り取るとですねま日本 だけ唯一夕食人種でしたのでまそういった 夕食人種の代表の国家としてアメリカや イギリスフランスなどの白人国家に対して 人種差別をなくしていこうそしてより平等 な社会を作っていこうと投げかけた発信し ていったんだというニュアンスがつめます ねしかしそれだけで全ての話を説明できる わけではなくてもちろんそれには他の理由 もあったと言われていますそれは何かと 言うと人種差別撤廃条項というものを実際 にですね提案すればもちろん人種差別と いうのを行ってる国からは反対意見が出 ますよねでその反対意見に対して自分たち が譲歩する形でその条項を撤回すればその 国々に自分たちが恩を売ることになります あるいは何かの歌を与えることになるん ですねすると今後何か新しい議案とかが出 てきた時の交渉をより有利に進められる なんてそんな裏の目的があったなんても 言われていますがどの道ですねこの時代 いろんな平和に関する議案というものは出 てきますが実はその裏には違う目的があっ たなんてことも多いので是非歴史を見る時 はですね1つの視点だけに囚われないで 多角的な見方でその物事を評価するように してみてくださいそしてここからはですね この大衆化を学ぶ上で非常に有用な日本と アメリカの具体的な例を見ながらですね この大衆家のプロセスを学んでいき ましょうえまずですね日本の大衆化の現象 を学ぶには内政と外交の2つの視点から 学んでみるというようですまず内政に関し てです内政というのは国内投資という意味 でしてこの第1日世界大戦後の日本では 大正出目らしと言われるような民主がです ね積極的に政治に参加していって民主主義 が実現されていくようなそんな時代がやっ てきます一方で外交政策についてはどう だったかというと国際強調体制というもの をですね引いて他の国と積極的に調和を 図っていくようなそんな国際体制というの が取られていましたそれではですねまず 早速対象デモクラシーの中身について一緒 に学んでいきましょうでこの時代はですね 日本もアメリカもそうだったんですが都市 部にですね新中間層と言われるような人 たちが多く集まっていましたこの中間層と は何かと言うと日本やアメリカで行われた 近代化の影響で義務教育などが実施されて いきますよねこした義務教育など受けた後 高等教育と言われる発展的な教育を受けて 知識や教養というのを身につけた中間層の ことですこうした人たちはですね国家の 基盤を形成していただけではなくてその 文化であったり政治というものを規定して いきましたそうした大衆というものが増え ていくと国はどう変わっていくのかそれは ですね多くの国民に向けたサービスであっ たり文化であったり産業というものが 栄えるようになってきます例えばですね ここに様々な例をあげておきました実際に ですね日本で流行ったものここにも何個か 例を上げておきましたが新聞や雑誌こう いったものは大衆に向けて開かれたもの ですよねそれ以外にも映画や アニメーションこういったものもですね 特定の人に向けてではなくて多くの人が 同時に楽しめる娯楽ですよねあるいはです ね三越のデパートなど多くの人がですね そこに出かけては物を買うようなそんな 施設が増えていくわけですで他にもですね これはアメリカの例ですがコカコーラなど のえ大衆向けのドリンクが販売されるよう になったりあるいはフォード車と言われる ようなですね多くの人たちが手にすること ができるような自家性者が発明されていっ たりジャズ音楽とかあるいはここでは ミッキーマウスディズニーの話が上がって いますがそうした風に誰でも楽しめるよう な芸術娯楽なんていうものも増えていく わけですこれがですねある意味大衆化の 文化におけるポジティブな面ですねで実際 にですねこれは復讐にはなりますが国民 国家のところで日本の明治維新の時代には 5つの改革が主に行われていったよとで その中で教育例というものがあったと思い ますこういった教育例などは実際にですね こうした新中感想を育成していくのに非常 に有用でしたし他にもですね食3工業など 日本の経済を復興させていくようなもの こういったものに関してはそもそも日本の 国力を高めることにつながっていましたの でこうした大衆文化を支える基盤になって いたわけですねそしてこうした新中感想は ただ文化の担い手となっただけではなくて やはりその知識や教養というのを生かし ながら積極的に政治に参加するようになっ ていきますでその代表例が対象 デモクラシーと言われる現象ですねでこの 対象デモクラシーでは本来ですね日本の 明治心以降の政治というのは反発政治と 言いまして明人心における日本の改革に 貢献した殺や徴集犯などの夕飯と呼ばれた ようなそうした反出身の政治家が国政用に なっていたわけですねしかしそうしたある 意味一部のエリートたちだけによる政治と いうものに不満を抱いた新中間層という ものはよりですね民衆の声を反映させた 政党による政治というのを望んでいきます その結果ですねこの対象デモクラシーでは 反発政治中心だったものが政党中心の政治 に変わっていきます例えばですね立憲声優 会牽制会確信クラブなどのですねこうした 政党たちはそうした一部のエリート あるいは貴族出身の人たちによる政治と いうのを数列に批判しまして正当政治と いうのを確立していくのに非常に貢献し ますでその中でですね一時期は県制の上等 と言われるような政党による政治が行われ てきますねでそれはただの現象としては なくて学説には支えられたものでした元々 大日本帝国憲法というのは天皇を中心とし た政治だったのである意味ですね天皇の私 的な支配というのが可能な体制でもあった んですそれをですね論理的にですね良子の 作造による民本主義であったりだとか美達 による天皇機関節などの学説の裏付けに よってですねよりそういうそういった 大日本帝国憲法の元でも立見君主性が 成り立つんだよと政党政治が成り立つんだ よというのを示していきましたこうした ですね社会的な現象が合って対象 デモクラシーのも日本では正当政治という ものは根付いていきますしかしですね日本 のこの対象デモクラシーにも少しほろびが あったんですねそれはですね日本の経済 状況というのは万全ではなかったという点 なんですこれどういうことかというと第一 次世界大戦の時日本はですね直接的に ヨーロッパの戦争に参入したわけではない のでそのヨーロッパの国々の穴を埋めて いくそんな役割よになっていたわけです 元々ですね中国の市場に対してはイギリス が面織り物を輸出したりあるいはドイツ などが科学製品などを輸出したりそういっ た現象が起こっていたわけなんですがその 第一次世界大戦の影響によってそうした 欧米諸国が中国の市場などに参入できなく なると日本はその穴を埋めるようにですね 重工業や科学工業というのを発展させて面 折りもであったり化学製品であったりそう した物々を輸出するようになってきます すると欧米諸国がいないところに1人占め で市場を支配することはできるわけです から大量の利益を得ることができますま これがですね日本で言成金なんて言葉の 成り立ちになるわけですがこの時期はです ね日本が飛躍的に経済が向上しますこれが 対戦景気と言われるものですねしかしこう いった対戦景気はすぐ終わることが目に 見えているはずですなんでかて言うと戦争 で他国がいなくなった穴に物を売るから 利益を得られたたんですよねつまり戦争が 一度終わってしまえば元の経済状況です から日本は逆に不興に陥るはずですこれが ですね戦後教皇と言われるものなんですよ 日本の生産力ゆえに経済が交渉してたので はなくて他の国がいなくなったという外部 的な要因で自分たちの経済が伸びてしまっ ていたのでそれではですねすぐまた加工し てしまうもんなんですでそうした戦後教皇 に加えて何が日本で起こっていたのかと 言うと1923年には関東大震災こうした 天才が起こってしまったりだとかあるいは その当時ははですね劣悪な労働環境に対し て疑問を唱える労働葬儀であったりだとか 思いですね税負担に対して異義を唱える 古作葬儀などが展開されていましたでこう したですね社会不安というのは社会主義や 共産主義の音象となりかねなかったため 1925年に普通選挙法というものが日本 で制定された時にはそうした社会主義や 共産主義というのを抑え込むつまりロシア やソレンで行われたとの真逆の政策を取る わけですねそういう風にして実は表部隊で は対象デモクラシーが花開いてるう方で 実際にはですね社会矛盾というのは たくさん存在していてそれをですねある 意味強行な手段で抑え込んでいたと見る こともできますそしてですね続いては日本 の外交についても確認していきましょう この第1次世界大戦後の1920年代の 日本の外交特徴の1つとしては国際強調 体制というものが挙げられますこれを推進 したのは市原紀治郎という外交だったの ですがこの具体的なですね国際協調の内容 としては2点挙げられますそのまず1つ目 がワシントン海軍軍縮条約そして2つ目が ロンド海軍軍縮条約ですでこれらはですね 何かと言うと日本がですねアメリカや フランスイギリスやイタリアなどの諸外国 と同時に軍隊の縮小というものを目指して 条約を結んだものになりますこうした ワシントンの海軍軍縮条約やロンドンの 海軍軍縮条約というのはかなりですね アメリカにとって有利な形で交渉が進め られていきましたよく考えて欲しいのは 日本だってですよえ第一次世界対戦のは ですね自分たちの国が戦場になったわけで はないので利益だって出てるわけですよね そういう意味ではアメリカと同じく自分 たちも有利な立場にあってもいいはずじゃ ないですかなぜここでアメリカが有利な 条件で交渉を進めることができそれに対し てイギリスやフランスなどの他の国もその 条件を飲んだんでしょうかそのヒントとし てはですね先ほど日本の事例で説明した 戦後教皇というものが手掛になると思い ます第一次世界大戦の後日本は一時的に 対戦経を迎えていましたがそれはすぐ 終わりを迎えイギリスやフランスイタリア など戦場となった国々と同様に戦後教皇に 陥っていましたつまり経済がうまくいって ない状況なのでお金をですねたくさん軍事 に払うことができない状況だったんです そこでですねアメリカは考えましたじゃあ 第一次世界大戦のようなもう戦争を起こさ ないためにはみんなで協力しようよとで みんなで協力して平和を維持してくこの 考え方が集団安全保障というものです個別 の安全保障というのは自国のものは全て 自国でまるというものしかし集団安全保障 というものはいろんな国とですね同盟関係 だったり有効関係を結びながら勢力の均衡 を保っていって戦争が起きないように しようというものですねでそうした集団 安全保障の考え方であったりだとか あるいは軍縮です軍隊の量を減らしていく ことによって平和を実現しませんかという 提案をしますでこれ減らし方をですね アメリカに有利にすることでアメリカは ですね有利な立場にいることができたん ですがこれなぜじゃあ他の国も受け入れた のかと言と正直もう軍隊にお金をかけてる 余裕がなかったんですねでこれはですね 度々言われることですが国内投手と軍事 拡張はトレードオフの関係になることが ありますここにも挙げてありますが国内 投資というと教育や医療警察工業都市交通 などま様々ありますねこうした国内統治を 充実させるために国家というものは資金を 払わなきゃいけないですねしかし同時に 軍隊も拡張させようとするとここにも挙げ ていますが徴兵制度だったり戦艦戦闘機 戦車潜水艦爆薬など様々なものにお金を 使わなきゃいけなくなりますお金が無限に あったらいいんですけどそうとは言わない 時それに関してはですねお金をですね軍事 に継ぎこみすぎれば国内統治がおろさに なりますで実際実際にじゃあ日本や フランスイギリスイタリアは戦後どのよう な状況にあったのかと言うとまさにこの トレードオフのような状況でしたできる だけ国内を拡充することにお金を使いたい から軍事はできるだけ抑えたいなと思って たんですねなのである意味アメリカが有利 になるのは悔しいわけですがえ自国がです ね日もさっちもいかないような状況なので あれば仕方ないということである程度 アメリカの指示に従いながらワシントン 体制と言われるものができていったわけ ですでこれ1点だけ注意が必要なのが別に このトレードオフって常に存在してるわけ じゃないんですねあえばもう既に国内統治 が充実しきっていて経済成長が停滞してる そんな国であればむしろ戦争を起こして たくさんですね軍事産業にお金をつぎ込ん だ方が経済が発展するなんてこともあるん ですなのでま戦争というのもですね人道的 な観点から見ればもちろん良くないことだ し避けなきゃいけないことなんですしかし 国の本音としては意外と戦争やってくれた 方が儲かるし産業も伸びるなんて考えられ てることもあるんですねでこれ有名な事例 ではありますが第一次世界大戦では実際に ですねその戦争の効果として戦車であっ たりだとか毒ガスあるいは戦闘機あるいは 潜水艦など新しい兵器などが様々に開発さ れてるわけですねでもちろんそれは最初は 戦争の目的で使われているわけですがその 後ですね色々な形で転用されて社会を豊か にするための使われたりするわけですまた 第2次世界大戦ではインターネットが アメリカの軍事用で使われていましたが それがその後は実用化されて皆さんの生活 を支えている必のツールになってるわけ ですよねそういう意味では戦争というもの は経済発展だとか産業構造の改革にも 役立ってるところもあるので戦争という ものもですねまただ行けないものだよねと 捉えるというよりかは戦争があると何が 起きるんだろう社会はどう変わってん だろう国は本音として何を思ってるのと いったところまで深掘て考えてみると 面白いんじゃないかなと思いますそして 先ほど説明した通りアメリカ中心の ワシントン体制というのが敷かれていた その当時の国際情勢においてアメリカは ですねさらにもう1つ大きなことをしてい ましたそれは何かと言うとここに書いて ある賠償金の変換サイクルというものを 生み出してたわけですねこれ前までね勉強 したイギリスの三角貿易の関係に非常に似 てますね第一次世界大戦の後に ヴェルサイユ条約でですねドイツは多額の 賠償金を連合国に払うことになっていまし たなんですけれどもよく考えてみて ください戦争が終わった後の国がすぐに 大量の賠償権を払うことって普通できない ですよねでしかもですねこの当時武ドイツ にかけられていたのはもう天文学的な数字 と言われていて実質的にはもう払えない でしょってぐらい聞かされていたんですね そうなると基本的にドイツからフランスや イギリスなどの戦争国に対しての賠償金の 支払いはできないのでそうすると何が 起こるのかというとアメリカからすると ですよ実は第1次世界大戦の時にイギリス やフランスにお金を貸して戦争させていた のにその投資したお金が帰ってこないって ことになっちゃうんですよそこで賢い アメリカはどうしたかと言うとまずドイツ に自分たちの資本を投下します例えば ドイツに工場を作ってあげたりだとか ドイツに技術を移転したりしましたドイツ はですねもう焼きの払になっていたので その後ですね見る見る産業が成長していく わけですするとそこで生産がはっていく わけなので理もたくさん出ますそのリジを 元にイギリスやフランスに賠償金を開始 なさいという風にするんですねするとこの 後どうなるのかイギリスやフランスは ドイツからの賠償金が入ってくるので アメリカに借金していた分をすぐ返済する ことができるなんですねこういう風に アメリカがドイツに投資するとイギリスや フランスからお金が返ってくるという意味 でお金の循環が生まれますこの構造によっ てアメリカはですねまた琢磨に世界一の 債務国と言われてる状態から世界1の再建 国つまり1番お金の貸のある状態まで 登り詰めることになったんですでこの状況 からですねアメリカは永遠の繁栄と呼ば れるような黄金期を迎えます先ほど文化の ところでフォードシャとかミッキーマウス とかあるいはコカコーラなんて話しました がそれだけにつづりですねアメリカの現在 の国民文化を形成するようなたくさんの 産業というのが生まれてきましたしかし ですねこの経済構造というのは長続きし ませんでした日本がですね第一次世界大戦 の後に対戦景気で1回は景気が向上した もののその後経済の不興に陥ったのと同様 にアメリカのですねこの経済構造というの もかなり無理を抱えていました基本的に ですね資本主義というものは利益を得たら 拡大してさらに多くのものを売っていか なきゃいけないんですねしかしアメリカの 人口というものは限られていましたし別に アメリカの領土が常に拡張していたわけで もありませんですからこんなにもですね たくさんお金の巡りが良くなってしまうと どんどんどんどんですね実態がないのに 商品を作らなきゃいけなくなっていきます そうするとどうなるか売れないと分かっ てるのに大量に商品を作ればその商品は 余りますよねそれが余りすぎてですね ついにこの経済構造に限界が来て世界教皇 と言われるような大惨次を招きますでこの 大教皇というものをですね機にして今まで は物さえ作れば売れてそこで利益が手に 入っていたのに物をいくら作っても利益が 出ない利益が出ないからお金がないお金が ないから何も買わないということで不興の サイクルというのが連鎖していくことに なるんですねすると1920年代アメリカ は永遠の繁栄なんて永遠なんて言ってるの にこの世界教皇というのを機にして アメリカの経済は破綻していきますでここ 経済が破綻していくわけですかから先ほど ドイツに資本投下をしてるよって話をし ましたがもちろん資本投下なんてしてる 余裕ないですよねなのでアメリカというの はドイツへの資本等化をしりますすると どうなるのかと言うとドイツからすると 困りますよね今までアメリカのお金で工場 ができてたし回っていたのにそれを急に 止めるむしろお金返すやなんて言われて しまったらドイツの経済がまた崩壊します でドイツの経済が崩壊するということは イギリスやフランスにお金が渡らなくなり ますイギリスやフランスが経済が立ち行か なくなったせいでアメリカにはお金がいか ないということでこの負のスパイラルが常 に続いていくんですねするとまたたくに アメリカだけの問題だったものが世界中に 影響を及ぼすようになりましたでこうした ですね大府教に対応するために各国はです ねブロック経済というものを宿業になり ますこれは何かと言うと例えば自分が他の 国と貿易する時にたくさんのものを輸入し てしまうと自分たちのお金をその国に 支払うことになるんですよねそうすると ただでさえ不興なのにお金がなくなって しまっては自分たちの経済コントロール できなくなりますからできるだけですね 自分たちの庭だけで経済が回るようにして 自分たちでですね自由にお金を発行したり して経済政策ができるようにしたかったん ですでその結果ですねどうなってくのかと いうとまずアメリカは自分たちのアメリカ 大陸にドル経済というものが成り立ってい ましたからドルブロックという形でですね 自分たちが引きこもってしまいますすると それに対応する形でイギリスやフランスに 関しても自分たちのもう植民地だけでやっ ていこうということでブロックしていき ますで逆にですねソ連に関しては社会主義 の国が成り立っていたわけですから国が ですね徹底的に計画管理をして農作業行っ ていたり講義を行っていくわけですよなの で実はこのアメリカの世界教皇の影響 ほとんど受けませんでしたでこれは1つ 例外的ではあるんですが基本的にですね アメリカやイギリスやフランスなどのこの 主要国は自分たちの植民地あるいは支配下 の国をある意味犠牲にする形でそこと貿易 をうまくしてそっからリージョンを 吸い取る形で世界教皇に対応したわけです でこれなぜ成り立つかということなんです が先ほどですね帝国主義の話をした時に 植民地を求めていたのは原料の供給地で あり市場であからという話をしましたね これブロック経済を敷いても同じ話で 例えばイギリスイギリスはインドから原 材料を受け取ることができるのであれば 最悪イギリス経済自体を回すことができ ますよねなぜならば原料があるから物を 作ることができるんですしかしそのものが ですね不況のせいでイギリス内で売れない のであれば無理やりインドで売ればいいん ですよそうするとインドのものっていうの は吸収しながらお金も自分たちの特に回っ てくるそういうことで実はですねギリギリ その不教というのを脱することはできたん ですねしかしこれができるのはなぜかと 言うと広大な土地そしてそこに溢れている 資源そしてさらにそこに物を売ることが できるという市場の可能性があることなん ですしかし全部の国がこんな風に色面地を 持っていたわけじゃないですよねそうこれ がモテる国と持たざる国と言われるような 分類でしてアメリカやイギリスフランス そしてソ連などは膨大な領地を持ってい ましたからそこから最悪がですね資源と いうのを吸収してそれで物を作ってその 自分たちの庭であるような植民地に物を 売ることで経済というのを成り立たせてい ましたなので世界行の影響というのをある 程度引きおえることができたんですが日本 やドイツイタリアに関しては膨大な植民を 持っていたわけじゃないんですねすると アメリカやイギリスやフランスが急に ブロック経済を敷いてしまうと自分たちは 資源というものが手に入らなくなるわけ ですよでしかも自分たちも不興なのに物が どこにも売れないそうなると日本やドイツ やイタリアっていうのはもう負の循環が 進んでいきますそこで何が考えられたのか というと他の国に侵略戦争仕掛けていって 領土を拡大させようじゃないかという発想 ですこれがですね日本やドイツイタリアで 広まっていたファシズムのアイデアの原型 になりますよくですね必要は発明の母 なんていうことがありますが領地を拡大し なければならないそしてこの不及を出し なければいけないという必要性がゆえに このファシズムの体制というものが育ま れることになりましたでこの侵略戦争の 目的というのはですねただ領土を拡大させ たかったというわけではなくて主にこの3 つの要因があったと言われています1つ目 が原料の供給値の獲得です日本ドイツ イタリアこの3カ国に共通していたのは 自国で大量の資源というのを供給すること ができなかったんですなので必然的に アメリカやイギリスフランスがもう資源は 供給しませんよ貿易しませんよって言われ ちゃうとその資源が手に入らないのでどこ かに資源があるところを目指して探して いかなきゃいけなかったんですよその結果 として無理やりであっても他の国を侵略 しようという発想になるわけですねで2つ 目が新市場の獲得ということで自分の国で 不興だから物が売れないのであればその物 を買ってくれる地域を探さなきゃいけ なかったわけですよでね多分これの話を 聞いてる人たちだったらまそりゃさ不興な んだったら我慢しねよそんな新しい場所を 探して侵略戦争するぐらいなら自分たちの 国でどうにかできる方考えたら良かったん じゃないのって思うかもしれませんね しかしですね経済というのはなかなか深刻 なものでここで多分ですね侵略戦争という ものを行っていなければ自国ではですね たくさんの犠牲者が出ていくことでしょう そうした中で国家が目指さなきゃいけない のはやはり自分の国民を守るということ ですからそういった意味ではある意味やを 得なくどんどんどんどん他の国を浸食して いくことになるわけですねでそして3番目 が軍事景気の喪失ということで実際にです ね侵略戦争を行うとなるとその侵略のため には軍隊を養うための様々な兵器を用意し てあげなきゃいけなくなったりだとか あるいはそれをバックアップサポートする ような体制が必要になりますそうすると 例えば世界教皇のせいで失業していた人 たちもそうした軍事産業に参入することに よって仕事を得ることができますよねこう した様々な理由というものが組み合わさっ たことでこのファシズムにおける侵略戦争 というものが肯定されていくことになり ますでこれですね第2次世界大戦を 引き起こしていたのは確かに日本で言うと 軍部そしてドイスで言ったらナチスそして イタリアで言ったらファシスト党なんです けれどもこうした勢力というものはただ そこに悪い人たちがいたよという話では なくてその国の経済状況や社会構造という ものを反映してそういったリーダーが 生まれてきたところが強いんですねでこれ よく言われることですが例えばナチス ドイツのヒトラーですこのヒトラーという のは無理やりリーダーになったのではなく て正当な選挙の過程を経てリーダーになっ てるんですねつまりこれはその当時の国民 がそういうリーダーを必要としていたと いう意味であってそれはドイツが悪いとか そういういい悪いの評価ではなくてそう いう社会構造を生み出していたその世界に 問題があるというべきでしょうで実際に ですねこうした侵略戦争による失業対策 そして世界教行対策というのですね控訴し てる例も多くてですね実際にナチスドイツ ヒトラーによる政策は当初60000万人 程度いた失業者というのがこの軍事産業の 拡大なども伴って最終的にはですねほぼゼ と言えるぐらい現象しておりますこういう 風にですね確かにファシズムというところ だけを切り取ると悪いとかですね残虐だと かですね非人道的だとかそういった要素 ばかりが着目されることが多いんですが そもそもじゃあなぜファシズムが生まれた んだっけなんでその国たちは侵略しなきゃ いけなかったんだっけってところまで 深かってみないと歴史の真相が見えてこ なかったりするんですね実際にですねこう したものは具体例を見ながら考えてくこと でなぜじゃ日本やドイツイタリアは第2次 世界大戦に突入していったのかがよく 分かると思いますそれではですねまず日本 の事例を見ていきましょう日本の歴史を 大きく左右したものの1つとしてこの島水 権カパ問題というものがありますこれは ですね日本酒を深く勉強したことがないと き慣れてない単語ばかりだと思うので少し だけ説明します統数権っというのは何かと 言うと当時明治の大日本帝国憲法家で定め られた天皇体験と言われるですね天皇が 絶対的に持っている権利の1つでした法水 権というのは軍の作戦や作用というものを ですね決定する権限のことで実際には軍隊 を指揮権利だと思ってくださいそして看板 というものは何かを違法に犯したっていう 風な意味だと捉えてくださいでじゃあ一体 何を犯したのかと言うと先ほど日本は国際 強調体制を取っていたよそしてロンドン 海軍軍縮条約を締結したよていう話をし ましたね実はこのロンドン海軍軍縮条約で は日本の海軍の要望に従った条件で実は 条約を提携することはできなかったんです ねでそのことが原因となってですね海軍 そしてその当時政権になっていなかった 立憲声優会などの他の政党はその約締結は 天皇体験である水権というものを等に犯し ているんじゃないかそんな風にですね避難 したんですでこれ少し深掘りますと元々 大日本帝国憲法家では天皇の統帥権という ものはですねえ内閣の助言の呼ばない天皇 独自の権利だと思われていました一方で 軍隊をですね構成するそういった権利に ついては確かに天皇の権利ではあるんです が内閣が保湿する必は難しい日本語ですが 内閣が補助することが期待されていたん ですねそしてその当時の浜口差内閣に関し てはそのロンドン海軍軍縮条約で軍縮を 定めることはあくまでも編成を決めてる だけであって何か軍の作戦を考えたりだと か作用させてるわけではないから憲法上も 問題ないという風に説明していたんですね しかしそのライバルであった他の政党で あったりあるいは海軍というものですね その日本の弱腰に見えた外交姿勢その国際 強調体制というものがなかなか納得がいか ずそれが天皇体験違反だということで 激しく避難したんですねでこうした避難が 原因とななってですねこの後日本の正解に 日本の海軍や陸軍などの軍隊がより積極的 に進出することになりましたなぜこれだけ 進出できたのかと言とその当時日本の内閣 を構成するためには陸軍の大臣や海軍の 大臣というものが内閣の構成に参与する 必要がありましたしかしそこで大臣になる 人たちを決めるのは実質的にはその軍の 内部の人たちですからもしその内閣の作り 方に不満があればその大臣を推薦しなきゃ いいだけの話ですよねそういう風にですね 実際に憲法やその体制のを使いながら陸軍 や海軍というのは政治での発言力という ものを高めていきますでその結果どのよう な事態を招いたのかと言うとその下以降 ですね日本は満州事変というものを起こし てこれは両条項事件というものですがそれ をきっかけにしてですね満州進行を進めて いき最終的には満州国というものを建国し ますでもちろんですねこの後リットン調査 団というものがやってきて日本の行為の 違法性というものが確かめられたわけです ねしかしその調査結果に不満だった日本は 国連を脱退していきますでそれだけに過ぎ ずですねその当時首相であった犬か強を ですね謝罪する515事件あるいはその後 高橋小用など日本の著名人を殺害するに 至った226事件など陸軍や海軍が暴走し て日本の正解を蝕んでいくようなそんな 事件が多発していきますで最終的にはです ね六高共事件という事件がきっかけとなっ て日本は中国と戦争を行うことになって いきますでこの流れはですねもちろん具体 的には日本酒の中で学んでいって欲しいん ですがなぜじゃあこういった軍事化という ものが進んでいったかと言うと実実はこれ 軍隊が暴走していたというよりかはその 当時の日本の国民やマスメディアも支持し ていた結果だったんですなのでよく太平洋 戦争とか第二次世界大戦を避難する論調と してはその当時の日本の軍部がおかしかっ たという風にですね軍部をですね避難する 説明のされ方がよくされるんですがま現実 的にはですねそれを支持していたのはその 当時の日本国民でありそのマスメディアと かでしたのでじゃ正しく言うなら日本国民 やマスメディアも悪かったとなるのかいう 話なんですが実はそうでもないですねなん でかって言うとその当時の国民やマス メディアというのはその当時の国の利益を 考えてそれぞれの生活を考えてその意思 決定をしてるわけですよじゃあその当時 国民が軍部が対当してでもより外国に強く に出るべきだと考えてたのなぜかというと それだけやはり日本の経済というのが疲弊 していた世界教皇の煽りを受けて困惑して いたわけですよねそうすると深まれば深 かるほど誰か特定の人が悪かったとか特定 のグループが問題があったという話では なくてその社会構造であったり経済構造 そしてその前のの歴史というものがその先 の未来を形成してるというのが分かる でしょうかなのでですね第2次世界大戦と か今後の太平戦争を分析する時にただこの 人が悪かったなんていう風にですね短絡的 に物事を見てしまうとその物事の本質が 見えなくなってしまうんですしかし今回 日本の具体例を示して何を伝えたかったの かと言うと確かにこれらの事象は全て軍部 が犯したように見えるかもしれませんが これを全てバックアップサポートしてた人 たちがいるとそしてそのバックアップ サポートしてた人たちは持たざる国の社会 構造によって影響を受けていたんだという ことですよねじゃさらに言うとじゃその もたざる国というのは何に影響を受けてた のかというとその植民地帝国主義の時代 ですよねじゃあその帝国主義の時代って何 に影響を受けてたのというとその前の国民 国家の形成だったり市民革命さらに遡れば 産業革命だとその以前の歴史によって影響 されてるわけですそういう意味では歴史と いうのは非常に有機的につがっているもの ですのでやはりですね現代社会を見るため には歴史総合という形で近現代を見てみる 必要があるということなんですねそして 続いてはイタリアやドイツでどのようにし てファズムが広がっていたのか確認し ましょうまずイタリアに関しては1つこれ は重要な点ではありますがエチオピアに 進行したわけですでその当時ですね もちろん国際連盟というような国際機関が 存在してましたので本来それは避難する ことはできたんですしかしこれ何も作用し なかったそれはなぜかと言とその当時の 国際連盟は何か武力でそういった軍事行動 を止める術がなくてただ経済規制を行う そうした手段しか持ち合わせてなかったん ですなのでイタリアですね国民の指示を 受けてムリーに引けるですねファシスト党 が配当しそしてエチオピアに進行したとし ても国際社会は何もできなかったんですね 同じようにドイツでは合法的にですね ヒトラがナチスを率いて選挙で当選して いきますでその過程でですね全権委任法と いうですね実質的にはその政党政治を無効 化するような法律というのを可決して ヒトラーの独裁体制というものを確立して いきますでなんでじゃあこんな独裁体制 整備できたのという話なんですがその当時 のヒトラーは公共政策っていうのを たくさん行ってきました例えば アウトバーンと言われですね現在の高速 道路を作っていたりだとか皆さんBMW って聞いたことありますかねこした現在の ドイツの国産者の原型になるような会社を 設立していたりその当時のドイツの衛星 環境はですね世界の中でも飛び抜けで 良かったと言われておりまして公衆衛生 だったりだとかあるいは公衆の娯楽という ものを整備してくことで国民の不満という のをですねどんどん和らげていったんです ファシズムっていうとどうしても戦争を やるだけのイメージがあるかもしれません がまナスが分かりやすい例ではありますが 実際には公共政策なども積極的に行ってい ましてそういった側面が評価されて国民 から指示を得ていたというところもある わけですねでその結果ですねドイツは最終 的にどうなるのかと言うとまずは オーストリアを同じ民族だからという理由 で併合していきますでその後はですね チェコスロバキアを分解しては自分たちに 吸収しそして最終的にはポーランドに進行 することで第2次世界大戦を引き起こして いくわけですねえこういう形でですね日本 イタリアドイツは他国に進行することに よってこの世界教行を乗り越えようとして いくわけですでこの持てる国と持たざる国 の対立構造というのはそのまま次世界大戦 に進みますそれではですよさらにそれ元に 戻ってみるとモテる国と持たざる国って何 で分かれたんだっけって言うと第1次世界 大戦の賠償金を払うためのアメリカのあの 賠償金のサイクルの話でしたよねてことは 第2次世界大戦っていうのはたまたま起き たものではなくて第一次世界大戦の構造に よってまた引き起こされたものと捉える こともできるはずですしかしですねここ まで聞いて皆さんの中で確かにファシズム が広がっていった理由は分かるけど国の中 でそういったファシズムの独裁体制に対し て危機感を覚えたりだとか氾濫した人い なかったんですか思わいませんかこれです ね産業革命の時にやった資本家と労働者と いう風にですねジンロ分けをして考えると このファシズムが広がっていった理由 そして反発を起こす階層が少なかった理由 というのが見えてきますここにですね世界 教皇からファシズムの拡大までの流れを フローチャートのようにして示してみまし た1個1個順に確認してみましょうまず ですね世界教皇が起こったことによって何 が起きたのか教によって貧困層が増加して いきますで貧困層というのはお金がない わけですから治安の悪化を招いていきます そうするとそうした人たちを中心に そもそもこの不平等な社会がおかしいんだ 平等な社会を作ろうということで社会主義 運動が盛り上がっていきますで実際にです ねこの1930年代だと第2次世界大戦の 前にはヨーロッパを中心として社会主義が 広がりを見せていました日本でも治安維持 法が制定されるほど社会主義が広まってい たわけですよねしかし実際にじゃあ社会 主義政党とかが国家の状況というのはです ねよくできたかというと実際はそうじゃ ないんですむしろ多くの場合は社会主義の 生徒はですねその国家の財政状況とか あるいは経済状況というのをうまく改善 できないで失敗するケースが多かったん ですねそうするとですよ元々貧困層で社会 主義を肯定してたような労働者からすると その社会主義政党に対する不満が溜まって いきますよね一方でですねこの資本家 つまり知識を持ってるあるいは共有を持っ てるような層ともかぶりますがこういった 層はこんなにも社会に共産主義や社会主義 といった考え方が広まっているのかとこの ままでは自分たちの資産が危ないと危感を 覚えるわけですなんで危機感と思いません かそれはですね資本家というのは自分たち の私有財産をたくさん蓄えてる人たちです ねしかし社会主義や共産主義というのは 平等な社会を目指す社会構造ですからお 金持ちはですねそのお金が没収されるわけ ですそして没収されたお金は全員に平等に なるように均等に配られてしまうわけです よねですからお金持ちからすると社会主義 とか共産主義の考え方って1番怖いんです よ自分たちの私有財産が否定されてしまう からですねですから労働者だけじゃなくて 資本家も社会主義に対して経観を抱いてい たんですその感情をうまく利用したのが ファシズムですねこのファシズムは実は その全体主義とか呼ばれる通り国家の利益 を優先するために個人を犠牲にしたという 側面だけじゃなくてこの社会主義共産主義 に対抗する反共産主義という側面も持って いたんですそのためですね確かに戦争とか 侵略戦争を行ってことに疑問を持って人も いたのかもしれませんがそれ以上にですね 国家の社会主義に対する恐怖感や不満感と いうのが高まりを見せてファシズムという のが広がっていだと見ることができるん ですでこうしたですね持てる国と持たさる 国の対立は最終的には第2次世界大戦に 行きつくわけですでこの第2次世界大戦の 具体的な中身とか経緯というものが非常に 大切なわけではなくてこの後確認していく 国際連合とどのようにつがっていたのか あるいはこの後の冷戦構造とどのように 関連しているのかそうしたですねよりマな 視点で第2世界大戦を見ていくことが歴史 総合の視点を持つ上では大切になっていき ますまずはグローバル化の第1として皆 さんが考えるべきは国際連合という組織の 存在です先ほど第2次世界大戦の話をし ましたがあの第2次世界大戦では連合国と 数字国の側に分かれて対決をしていたわけ ですねで最終的にその連合国側イギリスや フランスソ連そして最終的に加わった アメリカ側が戦勝するわけですがその後 そのままその連合国というものの組織を 基準にして国際連合という期間が設立され ましたその証拠に国際連語の英語訳は ユナイテッネシこのユナイテッ ネイションズていうのは連合国画を表す 名称でしたのでそのまま引き継がれてると いうことですねでこの国際連合ではですね 安全保障理事会など国際平和を守るための 機関なども設置されていましてそこでは ですね五大国アメリカ中国イギリス フランスソレンに関しては拒否権を持つと されましたこの拒否権とは何かと言うと 五大国のうちの1つの国でもある議案に 反対をしたらその議案が却下されるという ものですでこれ1点だけ注意して欲しいの がここで言う中国というのはその当時は 中華民国現在の台湾の原型となっていた 政府ですしソ連というのはですねロシア 連邦にその権利を引き継いていますまそう した細かい違いはありますがこの5大国と いうものがこの国際連合の期間というのを 推進していたわけですねそしてこの国際 連合というのは例えば国際連盟の時代に イタリアがエチオピアに進行してもそれに 対して武力制裁ができなかったなどの権限 上の問題を克服するためにこの常人2次国 の動があれば武力制裁が行えるというよう なルールになっていますそうした意味では 国際連盟が進化したものと捉えてもいい でしょうでこの国際連合のシステムに対し てですねよく来る批判がですねこの五大国 というのはあくまでも第2次世界大戦の 勝敗結果を踏まえたものであるとこの5 大国の中に例えばGDPで言えば上位にい た日本やドイツなどが含まれていないのは おかしいという話であったりだとかロシア がウクライナを進行するなど国際秩序を 目指すような行為をしているのに安全保障 理事会における拒否権を持つ常人事にいる のはおかしいなどの批判がまあり得ますよ ねそれでは皆さんはロシアがウクライナを 進行したから常人2時国を外れるべきだと 思いますかそれとも逆に常人2時国に残り 続けるべきだと思いますか皆さん是非自分 なりの意見をまとめてみて欲しいんですが これ僕個人の意見としてはえロシアに関し ては常人2時国に残っておくべきだと考え ていますでこれですね国際政治学の話でも よく出る話題なんですがこの常人2次国の 五大国の意義って何だろうという話ですね この五大国は1つ共通点を持っています それは何かというと現代の社会において核 兵器を富有してるという点ですねでこれ 先ほど説明してましたが国際連合という 組織は安全保障理事会に武力制裁を可能と していますそのためもしですよロシアが この常任2時国から外れましたそして 例えば中国などもロシアを支援したこと から除外されましたとなって3国になった としましょうアメリカイギリスフランス もしこのような国際連合の組織ができた 場合はロシアのルクライナ振興に対して 制裁を加えるべきだということで武力制裁 が可決されるべきですねしかしそうすると どうなるのかえ自動的にですねこの国際 連合の仕組みが故にアメリカイギリス フランスという各保有国は核をまた保有し ているロシアと全面的に対決することに なりますつまり言い換えるならばなぜ ロシアや中国などこの国際秩序を脅かし かねないような国まで常人2時国に入っ てるのかと言うと少なくともその5大国間 では戦争が起きないようにするシステムな んですねこれどういうことかと言うとこの 5家国が逆に少年する国というのはこの五 家国内の利益が相反しないところですねな のでそこ同士では核戦争が起こる可能性が 非常に低いわけです一方でこの国際連盟の 常人2時国同士が争うような事態が発生し てしまってはそもそもその国同士もそう ですし世界秩序に大きなダメージを もたらす可能性があるわけですそういった 意味では実は違う意味で安全保障してる 制度とも言えるわけですねでこうした核を 保有している国同士が戦わないであろうと いう理論はでよくですね核による抑止力 なんて話がされますよねでこの核の抑止力 っていうのは冷静においてどのような意義 を有していたのかと言うとこの表にもある 通り実際にですねソ連とアメリカは直接 対決を避けていくんです代わりにどうする かというと自分たちの味方である国を戦わ せる代理戦争という形を取りますその代表 例そして最初の例がこの朝鮮戦争ですね アメリカは南の朝鮮を支援し韓国という国 の建国を手伝います一方でソレンは北朝鮮 の南への進行というのを手助けしたわけ ですねでこのようにですね韓国と北朝鮮が 戦うことになっても結局はアメリカと ソレンが直接核を交えて戦うわけじゃない んですなのである意味泥沼化するわけです よねお互い後ろからずっとエネルギーを 供給し続けてそこの前にいるピエロたちが 戦うような状況なんですよだそのためその 戦争の被害というのは拡大する傾向があり ますしまたそこに住んでいる市民が被害を 受けることだって多くありますでこのよう にですね冷戦化においてはアメリカとソ連 あるいはイギリスフランスなどの主要国 同士の戦いよりもその周辺国同士の戦いと いうことが着目されるようになってきまし たそうするとアメリカもただじゃあ主要国 を守ればいいという発想ではなくて それぞれの地域を保護していく必要が出て くるんですそうした朝鮮生戦争などの結果 を踏まえて実はアメリカは日本に対する 姿勢を変えることになったんですでそれは どういうことかと言うと当初日本が敗戦後 はGHQの支配化によって様々な改革が 行われていたわけですよねでその改革の中 では日本が軍隊を解除して軍intoを 持てないようにしたりだとかあるいは財閥 などを解体して日本の国力というのを下げ ていくそして民主化を図っていくそういっ た政策が取られていたわけですなので とにかくアメリカは日本を弱体化させて 自分たちの脅威にならないようにしたいと そういう思惑あったんですねしかしこう いった朝鮮戦争を踏まえるにあたって日本 というものが知性学的につまりその日本の 地理的な要因によってこれは共産主義や あるいは社会主義といったアメリカの敵と なるような勢力を食い止める防波堤として の役割りを与える方がいいんじゃないか そんな思想が出るようになってきましたで 実際にですね日本を弱体化させるよりも 早く経済成長をさせてアメリカの味方に なるような国に成長させた方がアメリカの 軍事力やあるいは経済力をサポートする面 でもいいだろうとそういう意味でむしろ アメリカ軍は積極的に日本に投資をする ようになっていきますで同じくですね日本 もこのアメリカの政策に共鳴するとこが ありましたそれはなぜかと言うと日本は ですね太平洋戦争の結果として多くの町が 焼けの原になっていたわけですねなので 真っ先にやらなきゃいけないのは町の復興 です軍事強化じゃなかったんですよ先ほど ですね国内投地と軍事拡長はトレードオフ だよっていう話をしましたがまさにここで も同じことが言えて日本もですねいきなり 軍事拡張を急いたらその分のお金がですね 国内統治に回すことはできないので戦後 復興が滞る可能性があったんですねなので その当時の日本政府はどう考えたかという ともうとにかくアメリカでいいから軍事は 任せたいとその分浮いたお金でどんどん 経済成長にお金を投下していって日本を 真っ先に復興させたいという風に考えてた んですそうした日本の思惑とアメリカの 思惑というものがうまく組み合わさって 日米安全保障条約というのが結ばれていき ますつまり日本とアメリカは同盟関係を 結んで日本の軍事力はアメリカに依存する その分日本は経済力の成長に特化して日本 がアメリカを支えるようなそんな国になっ ていくとそういう風な路線を取ったんです ねそうしたアメリカの傘の下でですね日本 は飛躍的な経済成長を遂げることができた んですでここに何個か記載しておきました が日本の戦後政権の元でここに書いてある ような様々な改革が実現されていきました まず日本国憲法の交付これに関しては大 日本帝国憲法を引き継ぐ形でそして天皇の 体験というものを放棄する形で3つの軸で 作成されました基本的人権の尊重国民主権 そして平和主義と言われるようなものです そして教育基本法や労働基本法などの日本 の基本的な法整備が行われていたり あるいは農地改革を行って今まで小作人と なっていた人たちに対して土地を与えて そして日本の国力を高めていこうという 政策が取られたりあるいは女性賛成権が 認められたりしましたこの女性賛成権の話 は大衆家の話でしましたねそして サンフランシスコ平和条約の締結と同時に 日米安全保障条約を締結することでえ様々 な国と国交を回復したのと同時に日本は アメリカとの同盟関係に入りましたそして 日本はですね急速な高度経済成長の元で 三種の神義と言われた電子冷蔵庫洗濯機 白黒定こういったものが各家庭に配備さ れるようになっていったりだとかあるいは 日本の戦後復興の象徴として1964年に は東京オリンピックが開催されそれに 合わせるようにして新幹線や透明高速道が 整備されたりしましたでその後にはですね 佐藤英作の政権化で沖縄変換が達成される など劇的にですね日本は復興を遂げていき ましたこのようにですね日本はは高度経済 成長を王化するわけですがその当時 アメリカとソ連の冷戦体制はどのように なっていたのでしょうかここにですね冷戦 構造のうち特に重要な4つの事件について 記載をしておきましたまず1つ目キューバ 危機についてですこれは何かと言うと キューバで新しく自立された政権化のも ソ連がですねアメリカの真南にある キューバに核兵器を配置しようとしたん ですねで実際にですねアメリカとソ連の間 で核戦争が起こるのではないかそれほど ですね緊張感が高まったそんな事件でした 実はですねこれ非常に興味回の話でもある んですが1962年以降地球では何回核 戦争の危機が訪れていたでしょうか実は ですねこれ13回という統計が出てまして 13回というえそんなにあるんですかと 思うと思いますがこれは何かというと核 兵器を探知する機械の誤作動の回数が過去 に13回あったそうです非常にぞっとし ますよねだってそのうちの1回量も間違え てその五作道に人間が気づかなければ核 戦争が始まっていたかもしれないんですえ それぐらいですね核兵器の脅威というのは その冷戦の当時から存在していましてこう した馬機器をきっかけとして軍縮活動と いうのが進んでいくことになりましたで よくですねアメリカとソ連などは核兵器を 保有しているから戦争にはならないという 核の抑止力という話が語れることあります が最近の国際政治学の視点からはこういっ た核の抑止力に対して疑問が呈されてい ます具体的にはどういうことかと言うと もしアメリカもソ連もそれぞれあまりにも 強い核兵器を持っていてその核兵器は絶対 に使うことがないというほど危険なものな のであればお互い必ず攻撃されたとしても 駆引を使わ使わないであろうという風な 信頼ができてしまいますつまり核兵器を 使う可能性が100%ないのであればお 互いミサイル攻撃とかあるいはドローンと かで攻撃したって問題ないという話になっ ちゃうんですよねつまり核の抑止力が働く のってどういう時かと言うとそれがもし 使われてしまえば甚大の被害が出ると しかしそれを使う可能性が0%とは言え ないから怖いんですよねそのようにですね ただ単純に核をじゃあみんな持てば安全か というとそうでもないところが現状でして 実際にはですね最近も核の抑止力とはいえ ども内面下で核を保有してる国同士が戦っ てしまうなんて事例もあるわけですなので ですねこの昔ながらの核の抑止力がある から冷戦構造が保たれていたなんていう ですねま平面的な考え方を持つというより かはま核を1つ取ったとしてもそれで じゃあどうやって均衡が保たれるんだろう どうやったら国際平和が保たれるんだろう このようにですね多角的に物事を見てみる 必要があるんじゃないかなとは思いますで この後もですねキューバ機器の後アメリカ とソ連はベトナム戦争そして アフガニスタン進行という形で様々な形で 代理戦争をク広げていきますそして最終的 には1989年マルタ会談でアメリカと ソ連の首脳同士が冷静の集結というものを 宣言して形式上の冷戦は終了しますそして その後ソ連はですね解体されることになり 現在のロシア連邦につがっていくわけなの でま実はですね冷戦構造に関してはこの 短い340年の中でできた物語でしたで 大体ですね多くの教科書や参考書ではこの 冷戦構造に主に着目した論説というものが 話されることが多いんですそれはなぜかと いうとやはり日本はこの冷戦下で育った国 でもあるからですねしかしこの冷戦だけに 着目しているとなかなか世界の実情が見え ないということがあります実際に戦後の 世界を牛耳っていたのは確かにアメリカと ソレンなのかもしれませんがそれ以外の ファクターの方が現在の社会には大きな 影響を及ぼしてることがありましたまず1 つ目このアメリカやソレンの冷戦構造に意 を唱えたものがカウンターカルチャーと いうものですこのカウンターカルチャーと は何かと言うと戦後に生まれたベビー ブーマーと言われる世代が学生になった頃 世界の各で既存の勢力や既存の政府に対し て反発する形で様々な学生運動が展開され ていったそのことを象徴してその文化を カウンターカルチャーと呼んだりします まず日本に関してです例えば1960年に は日米安全保障条約の継続を巡って安保 闘争というものが起きたり1968年には 東大の安田行動で立てこもりが起こる東大 闘争というものが起きたりそういう風に ですね日本各地でも大学を拠点とした学生 運動が展開されたりしていましたさらには フランスではその当時長期政権となってた ドゴール政権に対して批判をするソルボ 大学の学生を発端とした5月危機という ものが発生していましたこの5月危機と いうものはですね単なる教育の制度に 対する不満の共鳴ではなくてそれがですね また間に社会中に広まってフランスの政権 に対する抗議活動として変わりました結局 ですねドゴール政権を妥当するまで大きな 社会運動になったという意味で非常に重要 な意義を有していますそしてアメリカでも ですねちょうど公民権運動と言いまして 差別的な扱いを受けていた黒人の人権を守 ろうそして最低限の市民権公民権を守って いこうとそうした運動が盛になっていき ますでちょうどその当時アメリカでは 同じくですね女性の人権を守るということ でウーマンリブ運動であったりあるいは性 的マイノリティの人権を保証する lgbtqに関する運動が活発化したり など様々な運動というものが密接に関連し てみましたこの1960年代って何の時代 ですかそう先ほどの図にもありましたが ベトナム戦争が起きていた頃ですこうした 学生運動というものはベトナム戦争の反省 運動がきっかけとなって拡大していった ものと言われていますこの1965年以降 はですねアメリカが共産政権あるいは社会 主義政権というものが拡大することを恐れ て北ベトナムの進行に対してですね南 ベトナムに介入したこれがベトナム戦争の 期限になってるわけなんですがそうした 映像がですね世界中に拡散されるように なりました先ほど日本の事例で3種の神義 の中で白黒テレビって話をしましたねそう ちょうどこの時期はテレビがどの家庭にも 普及していたことですそうするとですね アメリカは正義のための戦争だとは言って いるもののベトナム戦争で実際にアメリカ の軍人がベトナムの市民を焼き殺してい たりベトナムの社会を崩壊させてる様子と いうものが発信されてしまうわけですよね すると確かにいくら正義のための戦争とは 言えどもいくら共産主義に対抗するとため の戦争とは言えどもあまりにもこれは ひどいのではないかとアメリカ軍がやっ てることは本当に人道に叶ってるのかと いうことで世界中でですねアメリカに 対する抗議活動反省運動というのが拡大し たわけですでこの感染運動何かに抗議する というこのアクションに臨時て日本や フランスアメリカなど様々な国で反対運動 というのが起きていたわけですでこれは ですね例えば東ヨーロッパで言うとチェコ ではプラハの春ということで既存の政権に 対する反対運動が起きたりなど本当に様々 なですね波及効果を生み出しましたそして ですねこのベトナム運動の様子がテレビを 通知て発信されその発信によって革命運動 ができていったこういった現象はですね 最近の話でもありましたで2010年以降 ですねこれはアラブの春という現象が 起こりましたアラブの春という現象は アラブの国で民主家の運動が盛になって いった現象のことを指しますがこうした 現象を支えたのはSNSソーシャル メディアの存在でした実際にソーシャル メディアによってですね政府の悪事であっ たりだとか既存の政権に対する不満という ものが表明されたことによってまた仲間に 広がりそして政権に対する不満に共感した 人たちが実際にアクションを起こすという 形でアラブの春というのは拡大してった わけですねつまり時代が変われば確かに メディアは変わるわけですがそうした メディアを通じて世界が変わるという現象 は昔も今も起こっているわけですねそして こうした既存勢力に対する講義の運動は何 も学生運動に限られたものではありません でしたこれは脱す植民地下という現象でし て1955年にアジアアフリカ会議が開催 されたことを景気にそれ以降ですね多くの 国々で独立が進んでいきます例えば アフリカで言うと1960年代はアフリカ の都と言われますこの当時からですね多く のアフリカの国が独立を果たしていきまし てそれぞれの国を持つことになるんですね でまた東南者についても同じです元々欧米 諸国によって支配されていたそんな国々が ですねそれぞれですね自国を建国するため に独立運動というものを展開していきます でここだけ切り取るとですねあいい世界だ ねと戦後それぞれ植民地とされていた地域 の人たちが頑張って自分たちの国を作った んだとそういった側面だけ着目してしまう こと多々あると思うんですが実はこれにも ですね空く裏がありますそもそも植民地と いうのは帝国主義の時代に欧米列強が自分 たちの原料の供給地そして市場として確保 するために必要だったから領土を拡大して たわけですよねですからそんな安康とです ね民族自決だからとかあるいは今までの 植民政策は悪かったからその反省として 独立を認めるなんていうですねそんな建前 上の話でえ全て歴史が動くわけじゃないん ですねじゃあなぜ欧米列強が植民地を 手放していったのかそれはですね第2次 世界大戦における欧米の疲弊があります 例えばイギリスやフランスなどはそれぞれ の国が戦場になってるわけですねすると 自分たちの経済力そして国家の力という ものが大変弱っていますから他の国を支配 するだけの実効力がなくなっています さらにですよ元々植民地というのはそこ から得られる原料の供給とかあるいはそこ で売ることのできる市場などの利益がその 植民地を管理するコストよりも高いから皆 がこぞって植民地を獲得してたわけですね しかしこの1945年以降第2次世界大戦 が集結して以降というものは非常にですね 各地域で独立運動というのが盛になって しまっていたので例えばイギリスとか フランスといった欧米列強がそうした植民 地を維持するためには大変なコストが かかっていたわけですするとですね気づい た時にはその植民地を維持してる利益より も植民地を維持するコストの方が高いそう なるとですねもうわざわざ植民地を確保し てる理由がなくなってしまいますので自分 たちの国を復興させることが大一ですから 植民地というの独立が認められてくことに なるわけですつまり植民地の独立1つとっ ても1つの理由で説明できるわけじゃない んです東南アジアの人たちやアフリカの人 たちが自分たちの国を作るために頑張った もちろんそれはありますしかしそれに加え て欧米立教側のマイナスの事情もあった わけですねでこうしてですね多角的に拡大 していく世界のこと第3世界と言います なぜ第3なのかと言うとアメリカソ連が第 1第2であってそれ以外の勢力という意味 での第3ですねでそした第3勢力という ものが拡大してくにつれて世界は グローバル化が進みますでグローバル化と いうのはそれぞれの国境というのを超えて 人や物金などが流通していくような現象の ことを指しますねでこのグローバル化と 言って皆さん想像しやすいのは先ほど アフリカや東南寺が独立を果たしたと言い ましたがアフリカで言うとauアフリカ 連合であったりアセアン東南アジア諸国 連合そして皆さんが知ってるところで言う とヨーロッパのEUヨーロッパ連合だっ たりあるいは北米のナフタなどではない でしょうかこういう風にですね各地域ごと の地域統合が進んでいきそれぞれの国境を まいでですね人やもの金の移動が盛になっ ていったわけですでよくですね学校の教科 書などの論調でもこうしたグローバル家は ポジティブな内容として取られることが 多いですグローバル家が進んでいる世の中 だから何をしようとかグローバル化が進ん でるから英語を見につきよとこうした風に ですねグローバル化はある意味当たり前の 現象で自分たちはいい方向に進んでる そんな風に楽観的に取られるような見方も あるんですが本当にそうでしょうかという のを今回の授業では皆さんにお伝えしたい です実はグローバル化いいことだけじゃ ないよというのを説明するためにですね 少しコミカルにえ口コミというものを用意 してみましたこれは何かと言うと グローバル化の影響によって各国のですね 低所得者中間所得者そして高所得者がどの ような反応を示しているのかというもの ですね分かりやすく説明してみましたまず ですね各国の低所得者です低賃金で働く ようなそういった労働者からするとと グローバル化というのは基本的には嬉しい ことなんですねなんでかて言うと グローバル化というのは自分が働ける国を たくさん選べる可能性が増えていくわけ ですよねすると今まで自分の国で時給 1000円で働いていたものが同じ仕事を するんでも時給3000円で働ける国が あるかもしれないそう思うとグローバル化 で選択肢が増えた方が低賃金で働いてる人 たちからすると選択肢が増えるので ポジティブなことですよねなのでここの 口コミにもありますが外国の広告見てたら 外国の求人の方が自給が高かったこんな ケースがざなわけですそして1個飛ばして 高所得者見てみましょうか高所得者の場合 は多くの場合は会社を有していたりだとか あるいは自分でビジネスを行ってたりし ますするとですよグローバル化が進めば 自分の国だけで仕事をしていたものが他の 国にも同じ商品を売ることができたり あるいは他の国からお客さんがやってき たりしてですねビジネスチャンスが増え てくわけです例えば皆さんが飲食業どん でるのだとすれば日本でしかお寿司が売れ なかったものが外国にもチェーン店を出展 することによって外国からも利益が得 られるとそういう風にビジネスチャンスを 拡大することはできるので主に高所得者 からするとグローバル化というのは 望ましいことなんですよねで基本的に歴史 もそうですしあるいは社会の風潮あるいは 社会の常識っていったものはこうした高 所得者たちが形成してることって多いん ですねつまりマスメディアを牛耳ってるの も高所得者だったりあるいは産業構造を 担ってるのも高所得者だったりなのでどう しても学校の教科者もですねかなり グローバル化ていいものだよねてもっと 推進しようよっていう方向にやや流れがち なところあるんですがよく深掘りしてみる とですねこの中間所得者日本でも多くの 中間の所得者がいますがそうした人たち からすると実は意外とグローバル化良く ないという側面もあるんですそれは何かと 言うとこの口コミに書いてある通りで難民 のせいで今の仕事が首になったというよう な内容ですどういうことかと言うと グローバル化が進んでたくさんの人が自分 たちの国に入ってきたとしましょうそう すると大抵の場合は自分たちが今まで働い てた給料よりも安い給料でそして長時間 たくさんのモチベーションを持って働いて くれたりするんですねこんなことが起きる と何が起きるかって言うとある意味ですね 今まで落ち着いた環境で仕事ができていた 中間所得者たちが自分たちの仕事がですね どんどんどんどん削られていってリストラ されていくわけですね現代の社会で言と 例えばAIが導入されたことによってより 安くより効率的に仕事ができるようになっ たので中間所得者が解雇されてきますこう いう現象にも近いですよねでこれがですね グローバル化が進むと低所得者によって 中間所得者の仕事が奪われていくという 現象が起きるのでそういった意味では中間 所得者からするといい迷惑の話だったり するんですでこの構図低所得者と高所得者 にメリットがあってでしかし中間所得者に はメリットが少ないこういった構造をです ねエレファントカーブなんて言わんですね つまりこの像の花ということを意識してる んですがそうした現象が重って発生した 事件これがですね皆さんも聞いたことある と思うんですがイギリスのイユリダの話 ですねそしてこのイギリスのイユリダこれ はですね低所得者であった難民層や会社を 持っていたりだとか自分たちでビジネスを やっている人たちからするとEUというの は離脱して欲しくなかったものなんですね え難民からすればEUにイギリスがいて くれることでイギリスでも働ける機会がか もしれないしビジネスをやっている高所得 者層からすればEUに入ってる方が フランスやドイツなど他のEU加盟国との 貿易もしやすいわけですよねだからこそ EUの残留というものを望んでいたわけ ですが一方でイギリスの多くを占めていた 中間所得者層は難民の多の流入によって 自分たちの仕事が危機にさらされてたわけ ですすると自分たちの仕事を危機にさらす 難民ですからそういったものは受け入れを 断りたいですよねしかしEUに入ってる ことによってそうした難民の受け入れが 強制されてしまうことでえそうした界素の 問題が生まれてるのであればじゃあEUを 離脱すればいいじゃないっということで イギリスのEU離脱の騒動が活発化して いったわけですでこうしたですね グローバル化の煽りを受けた中間所得想に よって引きおかされる社会現象としては ポピュリズムというものがありますこの ポピュリズムというのはなかなかですね 学校の教科書とか一般の参考手段は載って ないことが多いので是非皆さん注意して 聞いて欲しいんですがこれはですね現代 社会において民主主義のシステムを壊し かねない危険なシステムとして考えられて いますポピュリズムとは端的に何かそれは ですね政治が大衆を煽るような言葉を使っ たりあるいは特定の敵を作ることによって 自分たちの国家あるいは民衆を束ねていき 自分たちの思い通りに政治をコントロール していくそんな政治システムです例えば 想像しやすいのはアメリカのドナルド トランプ元大統領なのでしょうかドナルド トランプ政権では例えばヒスパニしュと 言ってメキシコから国境を超えてくる人た というのを過度に批判したりだとか あるいはですねwillmake americgreatAGという風に 宣言して自国第1主義を掲げ中流階級の 所得向上を目指したりとかこういったのは 典型的な地獄第一主義そしてポピュリズム と言えるでしょうこうした現象は別に ドナルドトランプに限った話ではなくて 2000年代以降よく見られていたもの でした例えばイタリアで言うのであれば ベルルスコーニ 対するカウンターアーギュメントとして できてきた政党あるいは政権だったりし ますこうした排た主義的な政権が発生し やすいその根幹には実はグローバル化の 構造的な原因があるんだよと中間所得者が かなり損をするような仕組みになってい たりこうしたものが実は根っこにあるため 単純にですねグローバル化さえ進めば何で もいいのかというのもそうではなくて おそらくは今後もグローバル化が進めば 進むほどそれの弊害というものが出てくる んでしょうそしてですねここからは現代 社会に関わる問題について積極的に 取り扱っていきます歴史総合という科目は その過去の歴史を分析することによって 現代社会との繋がりを考えるという科目で もありありますここではですね現代社会を 考えるにあたって絶対に知っておかなけれ ばいけない重要な問題をいくつか取り上げ ますまずは中東問題パレスチナ問題と言わ れる問題ですどうしてユダヤ人とアラブ人 は対立することになったのかまたなぜ イランやイラククエイトなどは対立関係に あるのかそしてタリバン政権などは ニュースでもよく耳にすると思いますが アフガニスタンにおけるタリバン政権と いうのはどういった経緯で成立していった のかまたですねインドとパキスタンは現在 もカミル地方を巡って争いが続いています がそもそもなぜその2つの国はひがみ合う 対立する関係になったのでしょうかそして 最後には現代社会の記述ともなるような 米中の対立についても扱っていきます是非 ですね最後まで楽しんでご覧くださいまず ですね中東問題を考える時にはここにあげ た主に6つの事件が重要になりますまず1 つ目から4つ目までの中東戦争に関しては ですねこれは主にユダヤ人Vアラブ人だと 考えてくださいそして最後のイランイラク 戦争ワンガン戦争というものはイラン イラククエイトなどが関わっている問題に なりますまずパレスチナ問題がなぜ起きた のかこの中東戦争の謎に迫ってみましょう これはですね歴史を遡ること第1次世界 大戦までですイギリスはですねその当時 戦争に困窮していましたのでとにかく支援 が欲しかったんですねその結果何を働いた かと言うと自分たちの支援を取り付ける ためにですね矛盾したことを3つの団体に 言ったわけですまず1つ目がアラブ人です ねこのアラブ人とはフインママ本協定と いうものを盗んでもしですね自分たちを 助けてくれたらこの後アラブ人国家の建設 での手伝うよっていう風な説明をするん ですそれと同じくしてですね今度は フランスやロシアに対してサイクスピコ 協定というものを結ぶわけです今度は何か というとこの中東地域というものを イギリスとフランスロシアでうまく分割 しようじゃないかそんなことをですね説明 するわけですそして挙句の果てには3つ目 ユダヤ人ですユダヤ人に対しては バルフォア宣言を通じてですねこの第1次 世界大戦手伝ってくれたらその後ユダヤ人 の国家を作りなんて専業するんですねよく 考えてください同じ土地しかないのにそこ をイギリスフランスロシアで分けさらに かつアラブ人の国とユダヤ人の国を作る 無理なわけですよ元々破綻してるわけです ねしかしその矛盾したことをそれぞれに 秘密で伝えることによって約束を取り付け たこれが有名なイギリスの3枚自外交と 言われるものでしてこの矛盾した外交政策 によってこの中東地域は火種となりました で現在もですねアラブ人もユダヤ人も自分 たちの国家を作るんだと構想しています から中東戦争4回もかけてですね自分たち の国家建設に向けた争いが続いてるわけ ですそれは現在にも続いていましてこれは ですね第一次世界大戦の当時のイギリスを 考えることで実はその問題の根っこを知る ことができるんですねそして続いては 先ほどイランイラク戦争とワンガン戦争と いうものがありましたあれに関わってるの はですねアメリカの石油政策に関してです アメリカはですね産業革命以降様々な工業 家というものを達成してきましたが もちろんその産業革命の背景には エネルギーが必要だよという話をしました ねでアメリカでですねその石油を使って ですね火を起こしていたわけですがその 石油の供給源は主に中東の地域だったわけ ですなのでアメリカはですね国家戦略上を 安定して石油を確保できるような国 あるいは地域を確保することが市場名題 だったんですねで元々はですねアメリカ イランにですね神米政権アメリカに対して 行為的な印象を抱いてる政権がありまして でそのパフレヴィー していたわけですこれを白色革命なんて 言ったりしますねしかしですねイランでは イスラム京都の団結を唱えるイラン革命と いうものが発生してしまいますすると アメリカはですねそのイランから追放さ れることになりまして結局ですね元々 イランに対して検疫を持っていたものを 失うことになりますしかしそれでは もちろん困りますよねそこでアメリカは どうしたのかというとその隣になった イラクを支援することによってそうした イラン革命などアメリカと対立的な運動と いうのを抑制しようとしたわけですでその 結果発生したのがイランイラク戦争と言わ れるものですアメリカに対して敵対的な イランとアメリカの支援を受けたイラクが 戦うわけですでこれ最終的に皮肉なのが ですねこのアメリカはですねイラクを支援 してわけなんですがその結果イラクは大量 の負債を抱えることになりますつまり戦争 するためにたくさんの借金を追ったって ことですよねで今度はその借金があまりに も膨大なのでその膨大なお金っていうのを 償却するためにクエイトに進行しますこれ 持てる国と持たざる国みたいな話をしまし たが自分の国ではどうも行かなくなったら 他のところ責めるというのは歴史上何度も 起こりうる話なんですねでこの時イラクの ですね不正政権は隣のクエイトに軍事進行 を仕掛けるわけですがえこれはですね国際 世界からの強い避難をあめましたで元々は アメリカもイラクを支援していたものの そんなクエイトに進行するなんて聞いて ないよということで結局はですねその イラクを抑え込むために進行された クエイトを支援しますなのでこれアメリカ の石油政策はですね最初はイランを支援し てたのが今度はイラクに変わって今度は イラクを見せてクエイトに変わってという ことで苦しく変わることになってきました で先ほど説明したようなですねイスラムを 中心としたイラン革命というのはもちろん アメリカにとっても脅威だったので アメリカはイラクを支援しました一方で 冷戦当時だったソ連に対してもですね脅威 だっったですなんでかって言うとイラン 革命というのは別に共産主義革命ではない んですねむしろ共産主義と対立するような 考え方だったのでそれも経営感を抱いてい ましたそしてその当時ソ連の影響化にあっ たアフガニスタンでもですねこのイラン 革命の煽りを受けて反共産主義的な政権が 生まれていきましたなので逆にソレンは ですねそのアフガニスタンが共産主義で あり続けられるようにアフガニスタンに 軍事介入つまり進行することになったん ですしかしこれこの当時は冷静末田中です からアメリカからするとですねそれと対抗 したいわけですなのでアメリカは何を支援 したかと言とその反共産主義政権ですこれ は政権と言われるほどですね大掛かりの ものではなかったのである意味ですねその 共産主義政権に対してゲリラ的に攻撃を 仕掛けますでそのゲリラ攻撃というのが ですね非常に悲惨なものでして最終的には ソ連が離脱するほど共産主義政権というの は追い込まれ結局は反共産主義の政権と いうのが自立されることになりました実は ですねこれ皮肉なのがこの反共産主義政権 の中に最終的にタバーになるような基盤と ななる軍事生態が残っていましてえその人 たちの支援を受けたえ人たちがですね アメリカの9.11事件を引き起こす アルカイダなどをですね生み出すことに なるわけですでそしてですねこれ歴史が ですね複合的に繋がっているということが よく分かる例なんですがこの反共産主義 勢力じゃあなぜソ連の支援があったにも 関わらず共産主義政権を倒すまでの力を 至ったのかと言うと実はこの裏には パキスタンの支援もあったよという風に 言われてるんですねじゃなんでパキスタン はこのアフガニスタンの反共産主義を支援 する必要があったのかそれは実は パキスタンも同様に対立コスを抱えてた からなんですパキスタンというのはですね 元々インドの文化権に含まれていたわけな んですがイギリスがですねインドを支配 するにあたってヒンドゥー京都とイスラム を分離することによってですねその対立 構造を煽りその対立構造を煽ることによっ て自分たちの支配を容易にしようとした わけですねこれを分割投資と言います昔の インドはですねヒンドゥー教徒が中心で インド国民会議を中心として国家の建設と いうのを目指していたそのなグループでし た一方でパキスタンはというとイスラム 中心でして全インドムスリム連盟という ものを結成してムスリムのためのインドと いうもの建設を目指していたわけですね そのようにですねイリスの植民地下におい てヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立が あまりにも煽られていたせいでその民族 対立そして宗教対立というのが拡大して しまっていましたでその影響でですね パキスタンとインドがそれぞれ分離独立 することになって国家が成立していました でその関係でヒンドゥー京都中心のインド とイスラム中心のパキスタンははその両方 に接していたカシミール地方という国境戦 沿の領域を巡って長い間対立することに なりましたでパキスタンとしてはですね 自分たちのイスラム側についてくれるよう なそんな勢力は増えて欲しいわけなので イラン革命によって生じていた アフガニスタン内の反共産主義勢力という のは自分たちのある意味味方みたいなもん だったんですねなのでアフガニスタン内の 政権を自分たちの味方につつけることで 少しでも対インド政策を楽にしたいそんな 意図があったそうですこのようにですね 複合に結びついた中東問題アフガニスタン 問問題貸しミル問題などはこれ全て深掘り すれば分かった通り昔のアメリカや イギリスなど欧米立教の行為によって 引き起こされた問題だていうのが分かり ますかこのようにですね現代社会における 問題っというのは大抵は歴史に期限があり ますなので歴史総合を学ぶことで現代社会 を学ぶというのはまさにこのようなこと でして実際にですね皆さんが現代社会に 生きていてなぜこの社会問題が起きてるの と疑問に思ったらですね是非歴史を遡って みてくださいするとですね意外なことが きっかけでその歴史問題が残っていたり なんてこともありますので是非ですね皆 さん自発的にですね調べ学習してみて くださいそして最後にですね現代社会を 考えるにあたっては切っても切り離せない この中国について考えていきましょう中国 というのは最後に侵害革命の説明をして 終わりましたねその後中国というのは日中 戦争を戦うことになりますが実はですね 国内は2分されていましたそれがですね 現在の台湾と中国の関係性にあたる中華 民国と中華人民共和国の対立に当たります この当時はですね共産党政権と国民党政権 っていうのが対立していまして現在の台湾 に移った方が国民等政権現在の中国中華 人民教国の方に残ってるのが共産党政権 ですそのようにですね日中戦争を終えた後 の国内の分裂構想が終わった後はこの後は 国内での改革そしてアメリカとの関わりと いうものが重要なキーファクターになって いきますまずですね中国というのは盲沢党 の元でですね文化大学命これは性質的には プロレタリア文化大学命というような改革 運動を経験しますで中国ではですね元々大 悪心運動とか文化大学名運動のようにに実 はその国家の国力を下げてしまうような 様々な問題のある改革というものが実施さ れていましたでそんな国内状況ですから 中国は元々国際的に承認されてたわけでも なく国連のですね安全保障理事会における 拒否権を持っていたのがこの中華人民共和 国ではなく台湾に移っていた国民等政権の 方だったんですねしかしこれある1個の 事件をきっかけに全ての状況が変わります これがですねニクソン大統領による放虫 です放虫というのは中国を訪問したという ことです元々ですねアメリカ政権はその 台湾にいる国民党政権の方中華民国の方を 正式な中国として認めていましたしかし ですね実は先ほどベトナム戦争の話をし ましたがベトナム戦争でアメリカが不利な 状況に追い込まれると共産党政権とある 程度妥協しなきゃいけなくなっちゃうん ですねでその妥協案を引き出すためにです ね元々ベトナムと強い繋がりのあった中国 に依頼をしたいとそのなった時にじゃ中国 において力を持っていたのは当時どちらか というと中華民国の方ではなくて中華人民 共和国の方だったんですねなので元々中華 人民共和国を承認したかったというよりか はベトナム戦争の後処理という形で アメリカは中華人民共和国と携わらずには 入れないそんな状況に陥ったわけですで それをきっかけにですねアメリカは中華 民国ではなく中華人民共和国こそが本当の 中国であると認証しますそしてですねこの ニサ大統領による放置をきっかけに現在の 中華臣民共和国は比的な発展を遂げていき ますまず大きかったと言われてるのがこの 丸3番東翔兵による改革解放性政策です これは何かと言と中国というのはある意味 共産党の政権ですなので社会主義の思想に 根付いて家というのが形成されていたわけ ですねでその思想に基づいた政策というの が行われていたので大悪心運動や プロレタリア文化大革命というものは国家 の国力を上げるにつながらなかったわけ ですしかし東翔兵っていうのはですね世界 の状況を見渡した時に高い主義よりも資本 主義の方が経済構造としてうまく言って いることが多いという点に着目したんです ねでその結果東翔平は部分的ではあります が資本主義経済を社会主義国家の中に導入 するというかなりチャレンジングな改革を 行いました例えば現在中国で経済特区と いうのを皆さん知っていますかこういう ような経済特区政策などはこれ以降の開放 改革政策によって担われていたものになり ますでそしてですね中国がある意味資本 主義化していったのでこの当時の日本も そうですしアメリカなどの資本主義国家は ですねこのまま行けば中国も民主化が進み そして自由化が進んでいって共産党政権や 社会主義政権のようなそうした権威主義的 なな強圧的な政権は倒れていくだろうとえ かなりですね短絡的に考えていたところが あるんですねなのでアメリカもですね中国 に対しては牽制をするどころかむしろこ有 関係を深めていってお互いに成長する道を 選んでいこうそんな外交政策を選んでい ましたしかしですねこれ2000年代 2010年代になっていくとその政策が 間違いであったということに気づきます 中国というのはですねいくら資本主義社会 というのが根付いていて経済力が拡大して いたとしてもその社会構造や社会主義の 考え方というのは拭えきれなかったんです ねむしろ中国国内では権主義的な体制と いうのが確立されていきえ人権の迫害問題 なども顕在化していきますこうした状況化 においてアメリカはですね国策を変えまし て中国と同盟を組んでいくそんな仲のいい 政策ではなくむしろ中国は備えるべき敵と して政策が考慮されるようになっていく わけですでその結果ですね行きつく先には 現在の集金平体制と昔のですねトランプ 大統領の体制の元では米中の貿易戦争と いうものがえ私立に繰り広げられました この米中の対立という構造は現在も続いて おりまして昔のアメリカとソ連の冷戦関係 にちんで新冷戦と言われたりあるいは貿易 戦争と言われたりすることもありますこの ようにですね社会の構想というものは長い 歴史の過程で作られたという背景があり ますので現在の中国における問題あるいは アメリカにおける問題を知りたければ さらにその昔を見てみるというものが非常 に有効になるわけ ですここまで動画をご視聴くださり本当に ありがとうございました最後まで動画を見 てくださってる皆さんですから本当に歴史 のことを好きになってくれたんじゃないか なと思って本当に嬉しいですそんな皆さん に1つだけお願いがありますここまでの 授業動画を見ていて特にここ分かり やすかったよとかあるいはここを初めて 知ったよみたいなところがあれば是非この 動画のコメント欄で教えてください皆さん からの1つ1つの応援コメントが授業動画 を作成する時の励みになっています是非 これからもよろしくお願いしますそれでは また次回の動画でお会いしましょうバイ バイ

東京大学法学部生の清野孝弥(Seino Takaya)です。
ご視聴ありがとうございました!

【学生の皆さんへ】
歴史総合の良質な授業動画や参考書が少ないために、定期テスト対策や共通テスト対策に困っている人はいませんか?この授業動画では、学生の皆さんが歴史総合の科目を通して学習しなければいけない内容を厳選して解説していますので、何回もこの動画を視聴して歴史総合をマスターしてみてください!
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Q. 学校の授業の予習復習に活用できますか?
A. もちろん活用できます!特に予習として動画を視聴しておくだけで、学校の授業や教科書の内容が面白いくらい理解できるようになります。

Q. 共通テスト対策は、参考書とこの動画、どちらの方が良いですか?
A. まずはこの動画で、歴史総合の基礎を完璧に理解しましょう!共通テストの歴史総合の分野で満点を目指したい人は、他の参考書なども併用すると良いと思います。
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【先生・教育関係者の皆様へ】
この授業動画は、「膨大なカリキュラム量がゆえに歴史総合の授業が1年間で終わらない」「世界史と日本史の前提知識をどこまで教えれば良いのか分からない」という学校の先生方の声を受けて作成したものです。学校の授業の予習復習、もしくは補講などといった学校教育の補助ツールとして、この授業動画をご自由にお使いください。

もし、授業内で使用しているスライドをダウンロードしたい、授業動画を加工編集して2次利用したいなどの要望がございましたら、以下のメールアドレスにお問い合わせください。教育目的であれば、無償で教材を提供いたします。
info@passlabo.com

【豪華特典】
授業動画内で案内した「Modern and Contemporary History」のPDF(電子書籍)は以下のリンクから文系LINEを追加して、「歴史総合」とメッセージを送ると無料で入手することができます!
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【関連動画】

→3時間で高校世界史を全解説

【タイムテーブル】
0:00 オープニング
2:24 産業革命
25:19 市民革命
41:06 国民国家
1:05:27 主権国家
1:38:47 帝国主義
1:53:15 大衆化
2:36:16 グローバル化
3:14:39 クロージング

*動画内で使用している画像については、public domainに属する画像など、著作権法上使用が認められるものを使用しています。
*動画内で使用している音源については、商用利用が可能なフリー音源など、著作権法上使用が認められるものを使用しています。

27 Comments

  1. ガチでありがたすぎる
    今日別の動画見てて予告してていつ来るか楽しみにしてたらまさか今日来るとは思いもしなかった!!

  2. 宗教改革が日本にも大きな影響及ぼしたんだよね。
    ポルトガルやスペインはカトリックなので、貿易だけじゃなくて宗教も日本に持ち込もうとして、当時の江戸幕府はこれらの国と断交したんだよね。
    宗教による支配を恐れたんだよね。
    対して、オランダはプロテスタントだから、純粋に貿易だけを求めていたから交易が続いたんだよね。

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