【そうだ京都、行こう】新幹線で2泊3日の貴族ツアー

jr東海ツアーズの優秀なパック商品EX ずらし旅の宣伝に挑んでいる当チャンネル では最近大河ドラマのおかげで紫式部を はめとした貴族や現地物語が話題になって いますのでそれにあかりまして京都方面の 宣伝動画を制作することになりましたその 紫式部は1000年ほど昔の京都で朝定に おいて働いていた貴族です1868年まで 朝定の中枢で働くことができていたのは 藤原市を筆頭とした貴族の人たちだけで市 ももちろん藤原市の一族の生まれでした つまり当時の調定は親戚繋がりで運営され ていたような割と狭い社会であったそう ですがその狭い貴族社会で楽しむ連載形式 の恋愛小説として学問に引出た紫式部が 現時物語りを書いたのだそうです今で言う と貴族しか読むことのできない週刊少年 ジャンプのような感じではないかと思い ますこのような歴史を知った上で今回訪れ ます主な行き先は5所の東方滋賀県と西方 にあります佐賀嵐山さらに京都から ひたすら南下し大きな山にあたるギリギリ のところ明鳥の参加者としましたこれは昔 京都に詰まった貴族たちの旅行気分を 味わってみることを主旨としていますまず 滋賀県の西部は飛鳥時代に都があったこと もあり石山寺右寺遠略寺など京都に劣ら ない大臣院が置かれました平安時代には ここへ多数の貴族が後楽へ出かけていた そうで現地物語も石山寺で書かれたとされ ていますま滋賀県は当時の平安貴族たちに とってのハワイみたいなリゾート地として 扱われていたのではないかと思います同様 に宮の西にある佐賀嵐山も蔵都地や別荘地 などとして皇族貴族の方たちから愛されて いたそうです光る源子の家が置かれた場所 の1つも魚野であったとされています実際 琵琶の美しさとこをつけがい広い川の景色 や山の渓流の景色など今でも京都の中で 後楽的な不を楽しめるところとなってい ますちなみにヒの家は今の小川下の下線 場所付近にあった設定とのことらしく私も 実際に船に乗りその場所を眺めたりしてみ ましたまた3日目に訪れた飛鳥は京都より もはるか昔に都であった場所でありまして 西暦645年大下の開心が行われ中富の蒲 を外する藤原市が生まれた発生の地である わけですこのように今回訪問する場所は 必ずしも定番の観光地ではありませんが今 タイのドラマでやっている平安貴族を知っ てみるには良い旅行先だと言えそうですし どこも大すいていてゆったり楽しむことが できましたjr東海ツではこのように超 定番をあえて外すような旅行をずらし旅と 目打って宣伝しておりそのずらしたに 役立つ完全自由工程のツアーを新幹線と 宿泊施設さらに旅先で使える引かクーポン 付きで大変安い価格にいてセット販売して います例えば今回と同じ旅行を6月23日 日曜日から行く場合往復の新幹線と宿泊 施設をEXずらしたで予約すると低下より も1人当たり1万240円安く購入する ことができますこれを無理にでも使って 欲しいとまでは言いませんが大抵の場合は 大変安く旅行できますので動画を参考に 使っていただきたいと思いますお申し込み は画面のQRコードスーツチャンネルの コメント欄を経由していただくと僕の営業 実績になりますのでよろしければご協力お 願いしますそれでは是非どうぞ本編をお 楽しみ くださいEXずらしを使って京都へお得に 行ってみましょうというコーナーですま こんな感じでねもう予約するじゃないです かで予約終わりますともはや切符受け取り の手間もなくこんな感じのQRコードが 届きましてこのQRコードを携帯して改札 のところに持っていってこれピッとかざせ ばもそれで新幹線に乗れるそうですね面倒 な手続きなししかし実はQRコードを かざす必要もありませんこれでもいける はずだ裏向きQRコードこれはですね僕の 使っているスマートフォンがICカードに もなっていますまつまりモバイルスイカ でしてえこんな感じでねICカードで乗る ことができるようになってます今新幹線は そうやって乗る人が多いようですけど つまり面倒な手続きはなくピッとタッチ するだけでどんどん行けてしまうように こういう格安のパックでもなったんですね さすが公式ツアーですね乗車列車は6時 51分発博多行のぞみ7号です今回僕は 選んでこの列車にしましたもう予約の時に こういう感じでかなり豊富な選択肢があり ましてでちょっと豊富すぎるんですけどね その3分感覚で出てるよでこれでこ好きに 選ぶことができますもっと後の時間団体も 選ぶことができますえまたまに満席のやつ とかもありますがえ面白いところとしては グリーン車が追加料金2810とかでねえ 利用することができると思います普通京都 までグリーン車に乗る場合追加料金が 5000円弱かかるんですけれどもEX ずらしたで申し込んだ場合は多分それより グリーン車に安く乗れると思います一応 価格変動なんですけどねあの安く乗れ ちゃいますんで今回も雪はグリーンにし ました朝のみ号は混んでますからね まとはいえ朝の6時台の新幹線に乗るのっ て不安もありますよね寝坊したらどう しようとかね電車が遅れたら新幹線が行っ ちゃうみたいな心配もあると思うんですが もこれすごいことに心配ご無用でこれは すごいですよもし都合が悪かったらまこう いう風な色々条件を確認した上 でじゃあ間に合わないから10時の新幹線 にしようとかねそういうのも変更すること ができ特に差額などもないみたいです ねここここういう風に行けるんですよ 便利ですよ ねこういう格安漁港ツアーって大体ねはい もう乗り遅れたらあなたの切符はみくで 救済措置もありませんよみたいなは普通な んですけどJR東海ターズの方から聞いた 時になんでそんな安いんですか見びっくり しましたよま公式だからでしょう ねだから絶対利用した方がいいと思うんだ よねま旅行自体が中止になってしまったら キャンセル量を払ってクリケしかないって のあるかもしれないですけど 変更は非常にに対応することができると 思い ますこっち側消してもいいな東京駅出る あんまねこっち側見ないんです出た出た出 たバスの 乗り場まこれjr東海ツアーズの宣伝です からねあんまりバスとかを映すのはやめ とくか新幹線にしましょう [音楽] いつも宣伝してるようにEXずらしたは 大変得で普通に新幹線の菊かて京都まで 往復するよりも京都までの往復とホテルと 選べる体験がセットになってる方が安いし しかも時間の変更もできてえさらには グリーン車も安い追加料金で乗れる場合が 多いみたいなですねまちょっと飛んでない になってると思いますがそもそもねこれ ずらしたっていうのこれさっきから言って これ何なのかこれJカズのとこにね ちゃんと入ってますずらしとは何ですか 回答わずか2行の完結な回答です時間や 場所旅先での移動手段行動など定番から ずらした新たな旅のスタイルを提供する プランです2020年にゴース キャンペーンとかえ懐かしいですよね三密 を避けましょうとかそういうことが言われ ていた時代にえjr東海がえ系列で作った 言葉で要は定番の観光地に行くと混雑して いての状態になってしまうしえ定番から ずらした旅行も十分面白いのだからえ ちょっとずらしたにしてそれでコロナとか の心配もね防ぎつつやっていきましょうと いうのJR東海では今でも受け継いでいる ということですもう京都に着きますまあ僕 に言わせればずらし旅なんてのは得意中の 得意なんだっていつもずらし旅ばっかりし てますから前に静岡に行った時も全然観光 客に合わなかったですしこの豊島もね別に 観光客とかに会うことはほとんどなかった ですしえ例えばこの中央防波堤に観光に 行った人とかいますか超定番ハワイ旅行 っていうのもねなるべく定番観光地を回る ようにしてたんですけど視聴者から頂いた コメントはスーツさんて本当に定番の ところに興味ないんですね定番のところに 行くと人が多すぎて動画撮影がままなら ないので僕の動画撮影はほとんどいつも ずらしたなんですね金とか僕の動画に出て きたことないでしょう正直ね楽しみ方さえ 知っていれば旅行なんてどこへ行っても 面白いんですよね ことはどこ行っても面白いんだったら空い てるところとかね定番からずらしたところ 行った方がまちょっとおに楽しめるとい ことになるじゃないですかまだから今回も 普段通りに走してずらし旅しようと思い ますじゃどこへ行くか不動改札タチ位も ずらし旅ちょっとだったらずらしても 大丈夫ですずらしすぎないようにし ましょう後ろが詰まるから ね京都駅から在来線に乗り換えてこの山に 囲まれた町である京都の 東方にそびえる東山を越えていきたいと 思いますこれを超えるとどうなるかと言い ますとまこんな感じのりになっておりまし て滋賀県大津市の方面に抜けますおいおい 京都旅行なのに滋賀県にいきなり行くとは タイトル詐欺というやつじゃないかいや そうでもないですよ穴がちそうでもない ですそれ後でお伝えするとして間違えて あの電車に乗ったら東山はか全部の山を 超えて本までノンストップで行ってしまい ますの駅福井駅ですからねも今週末には そういう福井まで行ってしまう危険な列車 は廃止されて新幹線に変わります特急に 乗りさえしなければ大丈夫です ねちょうど快速電車と同時に出発しました ね向こうは結構お客さんが乗ってるんです がこっちは全然いませんあちょうど向こう のスピードを出していなくなりました今の うちに見ておきましょういなくなったら 見え [音楽] ますこれでトンネルを抜けましたが山は まだ終わりません東山トンネルに続いて この向うに大阪山がありますこれを抜け ますと滋賀県 です一息お隣の山駅で降りましたこの山の 向こうへ抜けていくのには電車に乗り 続ければ大丈夫でもうどちらの電車によっ ても次は滋賀の県所地津駅ですがここはね 一この電車を降りてこれ電車は山を トンネルで抜けていくんですよでトンネル で抜けるんじゃなくて山を直接登っていく 別の電車もありますのでそっちを使ってみ ましょう今ね藤原の道長とか平安時代の 貴族みたいな方々がもうすごい流行って ますよねタイガドラマやってます紫式部が ま特に流行っているかと思うんですがそう した人たちが平安時代にお出かけ先として すごく愛していたのが今から行く滋賀県 方面だそうですねえこの後の目的地として 石山でをまずは目指したいと思いますが ここも紫式部が滞在してここで現地物語を 書きましたみたいな有名な場所ですその後 に訪れる予定のミーラもありますがミデも 藤原の道ながらとかそうした人たちがみな 一生懸命お金をそこに費やして合成なお寺 の経題となったと言われていますまつまり これから京阪電車に乗り換えて山科より 方言を超えて琵琶浜大津とかねえ石山寺と かえそれから反対側の右寺とかを見に 行こうと思うんですけれどもまこうした 場所は京都の人たちも昔から観光地として リゾート市として使っていたような場所で ま今で言えば芸能人がなんかみんなハワイ に行くとかいう話ですけどまハワイみたい なもんでしょ平安時代のハワイに行くと いう感覚で見に行ってみると京都旅行と 感じられると思いますそしてこの動画の 冒頭でもお伝えしたと思いますがずらし旅 利用者は選べる体験までついてきますでえ 関西に行く人はですねえ京都滋賀奈良大阪 神戸エリアからおまけをもらうことが 選択肢は豊にありますが今回 は色々あるんですよ 石山寺右寺ま他にもね琵琶方面のおしゃれ カクテルビュー日本最長平山坂本ケーブル 往復乗車と庭園のリフレクションミシガン に戦体験あるんですが今回はその中で紫式 今流行っておりますしこれにしたいと思い ます石山での紫のやつチケット付 はまそれぞれの引き換え場所がありますが 今回の場合は京阪電車の山駅でこの改札口 のところで駅員さんにお申ししますすい ませんずらし旅の引き換えお願いします駅 さんと確認をしていただくとこういう風な もの出していただけますのでこれをですね スマートフォンで読み取りをしまして予約 番号は予約した確認のページのとこに書い てありますのでこれをコピーしてじゃこれ であの紹介をさせていただきますねはいお 願いしますあこれ じゃ大人2枚分はいお願いしますはい じゃあ利用スロさせていただきますはいて おりますすいませこちら大人様2います はい確かにいただきましたはいどうも ありがとうございますありがとうござい ます失礼します豪華ですよ色々ついてい ますまずねこの琵琶湖周の京阪電車の乗り 放題チケットがついていてまこれ自動改札 こビュンビュン行けますしさらに行った先 の石山寺には無料で入ることができ無料で 入れるだけではなくこの500円分の クーポンももらえてさらにソフトクリーム もプレゼントしてくれるそうですねで色々 あるんですその京阪電車が来ましたここ から山を越えて滋賀県へ行くやつですが この京阪電車京神線はとんでもない性能を 持っていますよもう性能はブレーキも加速 も強いしえ値段も新幹線並みになんか すごい高級な高級車なんですよねこれ ねでカーブもバンバン対応できるとま座席 でもねなかなか豪華な感じで座り心地も いいんですがやっぱり凄まじいのはその 走り振りじゃないですかね今どんどん標高 が上がってるの分かると思います上り坂 ですこれはかなり急な上り坂で全国のJR 線でもあまり見られないような急な 登り下り急カーブを繰り返しながらこの 電車は滋賀県への登山を始めますせっかく 乗り放題キップがあるんでね一旦降りて どれだけこの電車がすごいやつかというの を見ていただこう思ましたこの登坂 うわいやこれ本当すごいですよ京都登山 電車っていう名前に名前変えたらいいと 思うなおお下山電車がやってき たこの勢いです よこの追駅を出ますと国道1号線が目の前 にあります東海道に面した駅で東海道の 交通のにあり ますっていうのがそもそも分岐点っていう 意味の地名らしいですねほらほらほらもう 大昔に作ったと思います石垣済のところに お家が並ぶ景色があるじゃないですかもう すぐそこが東海道です江戸時代なんなら もっと大昔から使っていた交通の幼少郵便 のバイクが通りましたもうすでにこちらは 滋賀県に入っているんですけれどもマン ホールを見ますとですね滋賀県大津市と 書かれていますえ一方でここから海岸を 向きますとゴミが捨てられているんですが このゴミに京都市とありますつまりここが 滋賀県と京都府の教会なんですね東海道の この道がそうですこ面白いですよ今まで 東京から自転車に乗ってここまで2回やっ てきましたけどこここそ駅名の由来にも なっておりますおいで右手へ行きますと 東海道左手もま実質東海道の大阪方面大阪 に行くか京都に行くかの主要分岐店がここ なんですね 右は今道って書いてあるのかなもこれね 東京から延々と東海道とか中仙道とかを 食しててねここに来るとねああいよいよ 旅行も終わりだなって気持ちになりました ねというあの多分昔の人たちもここを通る 時に気持ちを新たにしたようなところだと 思い ます紫式部とか道長みたいな人もま大体 こういうところは歩いて今から進む山を 超えて琵琶の周辺を目指したんですねでこ なんですが結構ねこの下の部分を補修し たりしているんですけれどもこれは やっぱり場所が狭いので車がバンバン 当たってしまうようで何回も壊れている ようです多分もうここの部分ももうこう 使いながボロボロになってしまってるん じゃないかなそれをこう頑張って補修して 今に受け継いでいますが運転の際は くれぐれも注意し ましょうというのをブラッと見てまた駅に 戻りますかねここ駅から5分ぐらいで来 られるすごく便利のいいところですよ古い 時代を振り返ることのできる光景が残って います建物はね新しく建て変わっても道の 狭さあんまり変わってない でしょう駅までは下りだったこともあって 2分で着きましたね坂を登ってきている 京神線の電車もっともっと今から坂は急に なります よ鉄道は一般的に急な坂や急なカーブには 弱い乗り物なのですがええみたいな目を 疑いたくなるような急カーブがこの先連続 するところになり ます江戸時代やそれよりもも昔から使われ てきた東海道の道に沿うために急な山に 頑張って登る高性能な鉄道路線となって いるんですねえあそこの坂が40%ミルと いう数値だったようですが40というのは JR東海の飯田線に一瞬だけあります 40%Mというのがあるんですがまそれと 同じ数値でそれがJRでは他にルを見ない 最勾配となっていますしかし京神線では 60というものもありますちょっとすご すぎるよね車だったらね多少坂があっても 大丈夫なんですが電車ではこんな光景を他 で見られることはまずないと言っていい でしょう昔宮に暮らした人たちが滋賀の リゾート地へ遊びに行こうという時この山 を越えていたわけですねその山の景色を そのままに電車で越えられるとは楽ですね しかし今降り立ちました途中の大谷駅は なんか駅の光景が変な気がしますこの駅は 駅自体が大きく傾いている全国で1番急な 駅なの です見ていただくと分かると思うんですが 駅のホーム自体もこのように急な下り坂に なっていますこのような関係で坂道停車 坂道発信をしなければいけないのでこの 電車も特殊な装備を必要とされて車両の 価格は上がるんだそうですねここでお 昼ご飯としましょう横には今の時代の国道 1号もありましてまた側には駅を出てすぐ のとろ に江戸もしくは琵琶湖へ続く東海道があり ます昔みんなここ歩いてたわけですねと いうことでここにはいろんな当時からやっ ているようなお店もありましてお昼ご飯は この大阪山金をこれ有名ですよね来たかっ たんですよこれだこれだ昔の雰囲気も敵 感じさせてくれますただね今お伝えした ように人気店ですからご覧いただくと予約 なしとかね色々書いてあるんですけれども 予約とかま人気のところは混むわけですよ ねまでもねこれ回転同時にちょっとお昼に は早いかなぐらいの時間にずらしてやって くればもう空いててね特にいい時間が 楽しめると思いますよちここんなにすごい ところだったの [拍手] か東海道の裏にこんな高大なお庭があると は知らなかったいや僕知らなかったんです けど何こんなに立派なところもあるんです かえここはねえ予約すると使うことが できる個室だそうなんですがえここで食事 させていただけるんですか国道1号を生き する車や電車を見ながらあいいところだね ちなみにシーズンは一応夏となるそうで今 ねま割とオフシーズンらしいですだから 予約も比較的しやすいんじゃないかな ずらし要素ですねいやそういうのは大事 ですよ人が来ない時に旅行するといいと 思うな僕はいつもそうしてますますします なんとすごいことにタブレットにも対応し ていましたしかもね結構建物自体が離れ てるんですけどこのタブレットの電波状況 もスコブルいいみたいですねアンテナが4 本立っていますあどれにしようかなここは 結構ねあのお頃な価格でも出してくれてる んですよね うーまジにしとくかなんかジと波の差額が 330円だったら上にしたいですよね さっきのグリーン車を選択するみたいな 感じで普通大盛少し多めちょっと難しい ですね少し多めはこれ無料でできるのかで じうんま普通にしようかな普通にします うんやっぱこうしようしかも肝水と湯が つくんですねあなんか色々なオプションが ありますね面白いなこんなになんか色々な 楽しみがあるとはま敷物もいいな明治対象 ぐらいですかね多分ねもうここがこう今 通ってきたところじゃないですかこんな ものも出してくれました 敷物には別バージョンもありましてえここ を見ると明治5年に創業と書いてあるん ですがじゃあ明治時代のか江戸時代を経験 していないのかと言とあの江戸時代も そもそもここでえ茶見をやっていたそう そうですねみんなここ歩いてましたからで その時にえ伊勢から京都の間うを運ぶ行商 人の若者がおりましてえその人とえここの 人が仲良くなってえその結果うを仕入れ られるようになったでこの辺に川が流れて ますますがその谷の水でウナギを生かして おくと美味しくなるということを発見した のでウナギ屋になり今日に至るとのこと です持ってきていただきましたこれがね これ名物のすごく美味しそうな卵焼きです ねえ菌糸丼でございます写真を移すには この状態の方がより取りやすいということ でタレなしで持ってきていただきました これねあの発症がありましてえ大正時代か 昭和の初め頃まだやろか早く焼いて くださいみい言いに来た人がいたので じゃあもうそのままぶつ切りで出しても いいんじゃないかしてみたとろ意外いや こっちの方が美味しいじゃないかこれで 大変好評になってそうですこの卵自体も とても良さそうですよこっちがより楽しみ だったもちろんウナギも美味しいと思い ます京都から大阪山の峠を越えて滋賀県へ 抜けていく時には是非ともこれを口にして から行きたいですねあいい卵だなんか ふわふわとしっかりさ両立してる気が する卵丼としてこのまま食べに来ても十分 問題なく問題 これを食べにきたいぐらいの美しい卵 [音楽] だ驚異的な組み合わせの良さでしたね是非 一度お試し くださいお庭もすごいですけどあこういう ことかつまりここに川がこれは多分本当 谷側なんでしょうねこ青龍が流れていて ここでウギやあと恋もメニューにあります けれどもが変われておりますがこういうの をばいてれてくのかなこれは買用の恋かも しれないですけどね昔はここにウナギ恋を 入れていたんだと思いますよ小倉100人 一にも出てくる大阪山の実かずがうわっ てるらしいんですがこれかなこれですねあ 書いてありますね何しば大阪山の実人に 知られてくるよしもがなこの三条宇大臣の 一中の女性にえ会いたいのだけれどもえ この会うというのはですねまなんか女性と 結婚する的な意味があの昔はあっただそう ですがこういう蔦をこう大阪山に履いた やつこう べべと引っ張って愛の一中の女性がこ手元 の方にこう人知れず近づいてこないかなと いう嘆の歌なんだそうですね平安時代の人 たちなんかクの人たでこんなことばっかり 考えてるっていう印象なんですけどま ずっと5所の中にいるからね他に考える こともちょっと多くはないのかなという ような気もしますが失礼なでしたらすみ ませんお食事も終わり終わったとはいえ まだなも強く漂うウナギの香りが後ろ髪を 引かれる思いですがここから先いよいよ 東海道がちょっとね峠を越えるような感じ になってきますね大阪の席です山から ずっと登り続きでありましたこの国道1号 東海道はちょうどここ大谷を過ぎますと坂 は下へ変わっていきます琵琶へ今度は 降りる峠の場所なんですね というまさにこの場所が古くは交通の干渉 するための大阪の席が置かれていたところ だそうです名前は有名ですよねああここは あの大阪の席ですかあ大阪の席ってこう いうところなんですねと思われた視聴者の 方も多いと思いますが昔の人もそういう ことを思ったそうですね有名な歌があり ますねこれやこの行も帰るも別れては知る も知らぬも大阪の席セミ丸が坊めくり最強 の人物であったとわこのセミまがですね ここでそのように歌ったそうです今でも 同じ気持ちになれるんですね素敵なずらし 旅だと思い ます100人一緒には他にも世を込めて鳥 の空には測るともよに大阪の関はゆさじ っていうのありましてこれ青書の名が作っ たやつなんですがま当時の平安時代の人 たちはなんか恋愛ごばっかりやってた みたいですねで私はそんな浮ついた女では ないですよ私の心の大阪の席はざされてい ますみたいなえ感じのことを部え青書名言 はここれなぞられて行ったと言われてい ますま他にも現地物語ではヒカル源二が ですねあの色々な女性に未練持ちまくりの 主人公のようなんですけれどもま未練を 持った女性を心に浮かべながらえ大阪の席 を通りかかるとちょうど向い側からその 未練を持った女性のこう相手が現れて あれ偶然出会いましてそこから中が深まっ ていったみたいな下りもあるそうです 駅へ戻ろうとするとセミ丸神社がありまし たこれねえ先ほどの歌を作ったセミ丸を 祀る神社ですがあれですね明治時代の旧 社格が存在した時代の名残りで村社を埋め た後がありますこういうの僕は非常に関心 がありますね大阪の席はこの辺にあったん じゃないかとも言われてるそうです正確な 場所は分からないそうですねまとはいえ 大体ここでしょう突然駅があるの面白い ですね町みたいなところにトイレあったか なさすがにないですねま金をさんで行って くればよかったおおすごい狭いホームま 電車が来るのはたまにですから来る時だけ 気をつけて立ち止まれば何の問題もない でしょうこのベンチに座ると黄色い線の外 へはみ出ることになるんですね面白い ベンチですね失礼しますおおあ なんか面白いね駅が大阪の席へ向けて急 角度で傾いておりましてベンチはね平に 作らない座りが悪くなってしまいますから ここに技術力を揮して右足と左足の高さを ぴったりと揃え水平な座り心地の良い ベンチを作っていますここ座ってますが 非常に座り心地はいいですこれ待ってる間 に京阪電車で配っている原人物語について のパンフこれ面白いですねえヒルジ優しく て強いのに涙もく顔がイケメンでも マザコン微少に全女子が泣いたなんかここ に映ってる女性のほとんどとは多分関係を 持ってるんでしょちょっとなんかねすごい 話ですけれどもまななんて言うのかな なんか土曜の夜にやってる連続ドラマ みたいな感じなんじゃないですか実際中の 女性たち男性たちから非常に人気がある 連続もの小説ということでねこに書いて ありますね藤原の道長の支援を受けながら 現地物語を書きまし [音楽] たずっと中にいてずっと貴族と藤原みたい な ねそういう人たとあとは天皇とかの族の方 とそういう人しか登場しないような物語 ですから現地物語まそういう狭い世界に 生きてたらたまには大阪山を超えて滋賀県 に行ってみようかってなると思うんすよね じゃあ電車が来たら立ち上がりましょう これが安全な乗り方だと思いますより安全 に電車で大阪山を越え ましょう本とんでもないカーブだな 町おお おカーブも坂も一流のきつさですよこの エレベーターかなみたい な普通の電車ではまず見られない電車が 横向きに走るような高景ですあの急な カーブを抜けるために列車は時速20km まで速度を落としました 東海道並び進ん で琵琶湖へ向けて共に共に降りていくん です ね今前方の電車が見えたような急カブ あそこでしたけれどもあそこにちょっと 線路が濡れてるんですよねあまりにも カーブが急すぎるということで電車が線路 を安全に通過できるようわざわざ水を巻い て滑りをよくしてい ます次は岩浜大津終点です西山坂本線はお 乗り換えですこの上坂町駅を出ると いよいよです よあれ駅を通過してると思うかもしれませ んがどうも土地がないために反対側の駅の ホームと全然違うところに上下の駅がある みたいですねまで駅を通りすぎているよう な お願いいたします車内美のため新聞そして ここから線路は旧東海道の上へ出ていき ますをゴミ箱にお入れください [音楽] こんな面白い電車乗り放題なら言うこと なしですよね終点琵琶浜大津駅に着きまし た山越の電車はここで終点ですが他にも ここには路面電車が通っていてこの駅で 乗り換えることができますそしてこの駅の 交差点から目の前を見れば一面に琵琶が 広がりますこの景色です よ景色がいいというだけではなくこの琵琶 の眺めは京都の町を形作る上で重要な水運 を提供しまして今日もヨットが進んでい ますがこの琵琶の上を船でビュンビュン 行きかって重要なものを運んだことで京都 は大都市になれたと言ってもいいんじゃ ないですかねここが京都の海の玄関湖と 書く海の玄関ですね大津市です京都市と 大市はお互いにすぐ隣り合っている県庁 所在地ですが他に全国でそういう場所って あり地がすてのあまりにも密接な関係が ある大都市のつりですよねでは京阪電車の 乗り放題切符はまだまだ使えますうお すごい電車が折れて いるこれも鉄道マニアとしては興味があり ますがこれまでにも何度か訪れてきました ね今日はこれぐらいにして京阪電車の乗り 放題切符はまだまだ使える区間がたくさん ありますからねそれでは改めてこの辺りの 地形のご案内をいしますとから山駅を経て 山を越えて大津琵琶浜大津駅にやってき ましたここからさらに京阪電車石山線が 伸びていて東方に行けば石山寺また西方に 行けば右寺などがありまもっと行けば平山 とかね色々見所のあるところです来た来た 来た来たなんかいいやが来たなまもなく2 番乗り場に参ります電車 はなんか普通と色の違うやつが来ましたね これ昔はこういう色だったのかなコアボ 書いてあります2両編成かな行っちゃい ましたねまここで大勢お客さんが降りる でしょうかちょうどいい場所でしたこの 車両いつから使ってんの相当古いんじゃ ないか石山寺行きです路面電車らしいです ね最機がついていますお足元にご注意 くださいまそういうのを使うまでもなく 高成のブレーキを装備しています けどすごい加速能力だこは 方い思ってる早いな路面電車って感じじゃ ないのえこんなに早いのほとんどの区間は 路面電車ではなく専用の軌道になっていて かなり高速で行けるようです明治時代いや 対象時代か対象時代の初期ぐらいからある 古い路線だそうですねそりそうですよ ねもう電車はびっくりするほどキビキビ走 ますねでカーブになったらグイっと曲がる し ね協力お願い [音楽] ますなんだこの 電車滋賀県の電車はみんなすごいな次が 終点の駅目的地の市山ですえ上に何かあり ますがこれ東海道新幹線の線路です現物語 発ののすぐ四実は新幹線が毎日 ビュンビュン通ってるんですねさっき僕も 通りまし た駅を紫一色に塗ってしまったとは随分力 を入れましたねタガドラマの効果はすごい スーツチャンネルも便乗しています駅から テクテクお散歩程度の距離にあります 石山寺はここで紫式部が現時物語を描いた という場所ですがいやこういうねもう門の 前に立つだけで心きよらかになるような ところでよくあの世俗的な物語を作れたな と思うんですけど ね乳残量が大人1人600円かかりますが ずらしのこれについていますこれをお見せ すれば入れるそうですねそもそも石山寺は 京都の宮よりも歴史が古く奈良時代に商務 天皇によって作られた直のとてもすごいお 寺だとということでしてその名の通りと いうことなのか石の山がありますけれども くぐりはこれくぐっていいということです かこれをくぐると願いがかるという言われ ていますいいということだったらば ありがたくくぐらせていただきましょうお 結構狭い な行っていけないことはなさそうだ うおおうさぎ跳びのような姿勢で真ん中の 方まで来ちゃったんでねここまで来ると あのリタイヤもできないからよし あでも景色が綺麗で楽しいところです ね京都の都九州とはまた違った重きが感じ られて昔の身分の高い人たちも来られたら 楽しかったでしょうあよかったちゃんと体 疲労があったもう1回くぐって戻ることに なったらなかなかきつかったですねいや とてもくぐれるようには見えないんです 意外になんとかなるもんです ね大変歴史が古いこのお寺は建物も大昔の ものが残っていまして平安時代のもが見 られますあこういう場所なんですね石山 石山だ滋賀県内京都府内をうろうろして いると石山という地名はよく聞きますけど あこんな立派な石の山があったから石山な んですね名前の由来はこの石でまたご本尊 もこの石から作られたのだと書いてあり ますじゃどっか削り取った後があるのかな と思いましけどま分からないでしょうねご 本尊とか作ったのは相当大昔でしょこの 石山も相当大きいそうでまだまだ続き 向こうに見える本道もこれもまた岩の上に 立ってるんだそうですもう全部石山の上に 作られたお寺なんですねあこんなにすごい とはあ本当だ今の建物は内人が1096年 に再建ということでまギリギリ藤原市とか 貴族とかの全盛紀がちょっと過ぎてるかな ぐらいの頃だと思うんですが外側はねえあ 桃山時代に淀君があの整備したものらしい ですそれもすごく古いですけどね建物の 基礎部分を見ると確かに基礎の部分が ゴツゴツしていて岩が並んでいることが 分かりません本当岩の上に立ってるんです ね紫祝部がここに滞在して物語を考えたと いう現地の間があります国宝に指定されて いましてこれ実際に当時紫シプが本当に ここに滞在していた本当のそっくりその ままのものではないはずですがというのは 紫シがここに来た後に焼けてしまったはず ですが ここに日本の歴史に延々に残り続けること になった現地物語が書かれた場所を記念 するために古くから色々なものがわれ置か れたようでして鎌倉時代の頃からはすでに 現地の間と呼ばれていたらしいという話 です内部の撮影につきましては遠慮させて いただきたいですがこの内側へ入っていっ た内人のところに平安時代の当時の建物が 今も残っているということです映像にて 紹介させていただける部分としてはえ 例えばこうした王道が立っていますが こんな感じです ね石山の上に柱や針を立てて今日の都でも なかなか見ることのない石のお寺となって います樹木を折りコケを抜き取ることを 禁ずるとのことですがこのさっき下から 見上げた天然記念物の石山の上に登らせて いただけるだけでも嬉しいですねあここ 歩いていいん だ山形県の山寺みたいな感じですねあそっ か山形県は山寺でここは石の山なんで石 山寺なんですねなんかアスレチックみたい なところですね次のあれは安山の腰掛け石 があるのはいいんですがここに入ってって いいんですか高式の下に僕は男性なので 座るのは遠慮申し上げようと思いますが ええ石山寺は結構入り込みに用なお寺 みたいですこれ面白いですね塔の向こうに 景色の開けたところがありまして紫式部は あの景色を見たと言われていますここ 石山寺は横を流れる瀬田川のすぐ脇に位置 しておりまして高台から見下ろす景色が 大変美しいと古くから有名ですまず向こう にいくつも高速道路や今新幹線なども通過 しているのが見えますがえここにかかって いる橋があって若干塞がれていますがよく 見てみれば目の前には広い琵琶が広がって おりましてえ向かい側の平山の方まで今の 冬の時期には平三の上に積もる雪の姿まで 美しく見ることができますそして平安時代 ぐらいにもこれちょうどねえ夜になると 向こう方面に月が出るようなんですけれど もその満月の明かりが琵琶の上に移ってま その美しい景色を見てえ大変素晴らしいと 思江戸時代にもね大江八景のうちの1つと して浮いに描かれてま大変有名な景色なん ですがこの景色を紫式分を見ておは名月 なり蹴りとしてここの現地物語をかけ始め たと言われてい ますいずれの温とにが尿こいあた云々 かんぬんみたいなのがあの現地物語の スタートだと本当は小いは明月なりけ りってのが書き出しらしいですねえそんな 月を見る場所としてここにありますのが 月見亭 です昔から身分の高い人もここへ登ってき て見てたんでしょうねちなみにあの目の前 のとろにこの背が流れてますが琵琶湖と 背側は直結していてで琵琶湖から自然に 流出する川というのはこの背側1つだけな んだそうですねだから琵琶と手前の背側と の境界というのは実は地味に曖昧なところ でもありましてで実はこの手前に見えて いるここもちょっと細くなっているだけで ここもまだ琵琶なんじゃないかとかねま 言われております水を流すかどうかとかも あの全部このそこの先にある席のところで 決められるのでここのも普段は流さないで 全部止めてしまうということもできるん じゃないかなだからま実質琵琶なんですよ 目の前のここもこの月見は原平カテの時に 有名ですねえ最初に立たのは小白川天皇の 良港の時に建てられたということですが なんかその前のところにここも足元が すごい岩場になってるんですけれどもこれ ゴリゴリ削ったような感じがしますよね これわざとここはもう全部石山なわけじゃ ないですかでこの石山を削ってここだけ ちょっと不自然にまったいらなってますよ これもしかするとその身分の高い人たちは ねここでなんかお茶会いかなんかわかん ないですけどこ敷物を広げたりとか月を見 たりとかまイベントをやったりするのに 必要な場所で昔の時代に鳴らしたりしたと かはないですかねまちょっと分からない ことが多いと思いますけどまたその横に 建てられている他方島もえどうも1194 年のものだということでえ源の友によって 立てられたそうですがこうしたものは全国 で国が1番古いそうです実は滋賀県も相当 いいお寺が揃ってるんですよねここは京都 の都そのもではありませんがしかし京都の 都の人たちがみんな揃って出かける先とし て1000年の歴史を持ってたと言って いいでしょうねコケコーナーがありますね 冬でも綺麗だ大黒様が置いてあるんですが これも石山の石で作っているんでしょう ねすごいな作る技術もすごいな目元のシも 完璧だその大黒様が祀られている道の前に はおみくじのコーナーもありましたみくじ は30円でいいんです か30円って言うと小銭をねどうしても 銀行に預ける時に手数料がかかったりとか するのでお寺さんももしかするとかなり手 マがかかってるんじゃないかと思いますん で相当な新設価格だと思いますよ石山寺は 人の多く訪れる名札ですからお寺周辺のお 店外も充実しておりましたでこれねお忘れ なきよにこれも今回のツアーについてきた 500円分のクーポンです50000円分 のクーポンというだけではなくさらに ソフトクリームもついてくるそうです2階 部分がカフェになっておりましたここの 高い建物からおおちょ新幹線が行きすぎる のも見えます ね昔の人の気持ちになって背側を見ながら お茶でもして休憩しましょうメニューは 色々あるんですがメニューにブルーベリー があったのでま紫式っぽくブルーベリーに しようと思ったらみんな同じことを考える のかブルーベリーは売り切れでしたカフェ ラテにしましたでさらにこの半転の チケットだけ返されるのでえこれを持って いくとソフトクリームがもらえるとこれ ちょっとあれですねこれだけだとソフト クリームがもらえるかどうか分からない 状態になってるの面白いなさっきの喫茶店 だけではなくお芋屋さんとかですねプリン 屋さんとかで使うこともできましてその下 のプリン屋さんこれなんですけどあ結構 こっちにしてもよかったなソフトクリーム も普通のバニラアイスクリームなのかなと 思ったらこんなのいい感じのほじちゃん またはプリン味のソフトクリーム食べた ことないいただきますすいませ んずらし旅はのどかで楽です ねま今シーズン的にもねオフシーズンなん で特にのどかだあ垂れる垂れる垂れる タイミングはずらさなくていいなあと最後 に紹介したいものはお手洗いなんですがお 手洗いのところにね横に書いてあるんです よこの付近にみに多少便することを固く 禁止しますもうトイレまで来てあと ちょっとのところに正式なトイレがあるの にみんなここでしった人昔はいたのかな今 はさすがにないと思いますけどねあと石山 寺なのに横イラストは鳥になってますこれ これもちょっとね突っ込みどころかなその 後京阪電車で1駅戻りまして空橋前駅で 降りましたここには日本の中でも名だたる 橋の1つ瀬田空橋があり ます京都の街中鴨川を越えてその後東山 大阪山と援をして最初に渡る大きな川が この背側ですつまり京都の東側にある最初 の南関ということになりますこの瀬田川 こそが京都の東側を支える1番の防御の 拠点だということで小田信長とかですねま もっと昔で言えば多分小徳大使のちょっと あとかもそういう風な時代からここは軍事 場の拠点として重視されてきたところだ そうですあのよく言う言葉ですよね背側を 制するとそれは天下を制することだ言い ますがそんな中で昔からかけられた重要な 橋がセタの空橋なんですが愛にただいま 工事中ああ本当ま仕方ないですよね大切な 世の空橋をいつのよにも残し続けるために 今維持管理の工事が行われるところです いや横から見るとかっこいいんですけどね この橋 はどんな交通も京都へ入るためにはこの 背側を渡らなければいけません今ではいく つもの橋がかけられていますしかし見る べきものはちゃんとられていますねえまず ここに自動車がたくさんつって渋滞して いるみんな白い車が多いようですけれども 渋滞しているというこの光景がまさに今で もここが天下ならい重要な通り道だという ことを理解させてくれますしあとはねこう した義母というものが橋の飾りとして付け られているんですけれどもこれが一番見る べきものです江戸時代とかねえ非常に核の 高い橋にはこうした義星という飾りが 取り付けられていたんですがこの橋には 大昔の義星がそのまま使用されています 博物館にしまわれていてもおかしくない ようなものが実際に設置されてるんですね えこれはね昭和54年多分今の橋に更新し た時のやつだと思いますがもちょ向こうに 行ってみましょう か文字がかれて読めないちょっと次に行き ましょうでこの義母にも相当色々ありまし てえ物によって実は年代が違うんですよね えこれがね大江の国瀬田橋と書かれてい ますが結構はっきりした書き方ですがえ 明治27年今から120年ぐらい前のもの ですか120年前とかでもすごいんです けどいやとんでもなくすごいやつもあるん ですねこれだったような気がするんだけど なあこれは比較的読めますねこれはなお 古いわ え文正って書いてありますね文正10何年 え虎年って書いてありますこのように飾り の部分だけとはいえ大昔からのものを今で も現役で使い続けているのです面白いです よねでえここにはねえまた大江の国瀬田橋 と書いてあっていうこれは漢字が違うん ですけれども明治8年とありますあこれは 明治8年に作ったんですかと思いきやこれ よくわからないんですがえっとねどこだ ここら辺にあこっちには名和9年って書い てある江戸時代ですよねで大江の国世橋て またこ書いてあるんですよなんかねこう 古くなったやつを作り替えてえこれ明治8 年え2月16日え作り替えて書いてあるん ですけどなんここもねゼゼ上手えホンダ なんとかとかこう書いてあったところに 無理やり上書きして背橋って書いてあっ たりとかねなんかよくわからないんです けど過去に一度作ったやつを作り替えたり とかしてもう何回も何回もねえ上書きし てるみたいなんですよねだから履歴が ちょっとよくわからないんですが古いと 戦国時代ぐらいのやつもあるんじゃない ですかねちょっと今回は時間の関係で そろそろ行かないといけないんですが1個 1個この義母を読むだけでも相当楽しめる 昔からの幼少でしたやっぱ昔の交通事情に よるものだと思いますが滋賀県も瀬田川 より西は京都間が強いですよねいつも新 幹線乗せて瀬田川渡るとさあ京都だという 気分になりますし 実際じゃあまた京阪電車に乗っていや さっきの安が来ましたよ次の目的地右寺駅 の手前ビア浜大津駅からはこう見所ですね え線路が左手に分岐しながら交差点を渡 っていく路面電車の区間となりますこう いうのを併用気道と言いますが東海道の 三筋が奥につるのを見ながらそして反対 方向右手にはもう1本線路が引かれていて いつ反対の電車が来てもおかしくなさそう な迫力特によそ様のお家やお店の玄関先を 電車が通り抜けていくこの感じはなかなか 味わえないと思いますよこの辺りのお店を 訪れる時には出た後左右確認をして電車に ぶつからないように気をつけましょうね ずらしたのクーポン持ってくればこんな 面白い電車にも乗れるんですねこの パンタグラフがでかいというのもちょっと 見所だと僕は思ってい ますミー駅に着きましたここも見所が たくさんのところです よこれがミデ駅なんですがえ目の前の ところちらりとだけ琵琶があるのが見え ましたあっちが琵琶ですねでちょうどここ に今僕の乗ってきた路線の橋がかかってい てまた旧カーブの方から電車が現れたりし ているとこですがこの橋の下にかかって いる川 は第一素水橋という名前からしてお分かり いただけると思いますが人口の河川 琵琶湖釣りから人口的に改作して明治時代 に作った京都の心大運河でありまして こんな風になっているんです ねここから大阪山東山と抜けていき京都 市内鴨川へと至る琵琶素水です琵琶の水が 実際にトンネルなどでここへ引き込まれて いますこのトンネルはただ水を運ぶという だけではなくこの水の上に船を浮かべて 通り抜けられるようになっていてえ実際に 今でも船が通りますねお客さんを乗せて 運行するということもあります昔は荷物を 運ぶためのま人力の貨物線みたいなのが この中を行きかっていたのだそうです しかしそれにしては水が少ないと思います 琵琶は東によって部締め切られている みたいですね向こう側も締め切られている んじゃないかなだここまで琵琶の水が来て いますが締め切られているので京都方面に 現在は流れていませんよく滋賀県の人がね 京都府大阪府に対してそんな調子乗った ことばっかり言ってるとお前たちが使って いる母なる水琵琶の水を止めてやるぞと いう風にま脅し文句みたいな感じで言わ れる冗談なんですがところが有名な話なん ですけどこの琵琶の水のえ明しをつってる のは実は京都市の管轄なんですねここは 滋賀県なんですけれどもところがこの施設 はま歴史的な経緯で京都のものでありまし てま実 はこれを開けるも閉めるも基本的には京都 市の自由ということになっており滋賀県に は明けする権限はえ基本的にはないという ことらしいですでもう1個琵琶湖から 流れるこの人口の河川ではなく先ほどご覧 いただいた天然の河川の背側もあるんです が背側もえ席があって明けしめされており ましてこれもねえ滋賀県でなく国が管轄し て明けしめをするんだそうですですねそう した面白い話を拾いながらやってこられる のが京都や滋賀県西武の面白いところです ねさて到着しましたここが右寺こと御上寺 ですまず立派な門がお出迎えですがこの門 は元々伏見城にあったそうですえお城から 一してきたんですかあの伏見城というと 徳川家康とか豊富秀吉が政治の拠点として 使っていたところですが元々は飛鳥時代 からの歴史があるすごいお寺右寺はまず豊 秀吉のの時代に一旦組織として解散させ られたという経緯があるそうですすいませ ん僕はね今ここで教えていただいたんです けれども力のあるお寺だったようですが 理由は不明ですでえその後もミデを許して あげてはどうですかいう風な話が出て最終 的にその後徳川家康がじゃあ伏見城のもを ここへ移築して今の立派な表玄関になって いるということなんですねつまりその頃 からの古いものは結構この先も残ってる わけですね特にお寺の金が有名でです今藤 も豊富秀吉の性質の北の満所の時代に 立て直したものだそうですこの1599年 に建てられた近藤はもちろん国宝 ですそして空いています昔から京都の人 たちがここへやってきて力のある人たちが 住まい合成にしていったこのお寺ですが 今日の参拝者はま今が1年で1番空いて いる時期だということもあるらしいんです けれども100人ほどだそうでしてずらし 旅の趣旨にもぴったりですよやっぱりね みんなまだ滋賀県方面っっていうところ まで意識が回らないのかなもう京都と ほとんど繋がりがあるというかねここが 京都だと言い切ってしまうことはできない んですけれども滋賀県ですからとはいえ 一流のものが同じように揃っていながら楽 同等もしくは京都の街中よりも土地がある のでむしろそれよりもいとにある立派な 建物を非常に落ち着いて見学することが できますで内部は撮影は基本的に今回は 遠流しますがご本尊についての解説の部分 だけ紹介させていただきますご本尊魅力 菩薩は絶対の秘密となっていて図司に入っ た外側の様子を私たちも配管できますが名 天皇の時にくだよりトした日本の仏教の 最初期の話をしています国来の物と伝えて います日本の仏教の歴史の中でも輝かしい ことばかりが書かれていまして以来 1304年にわたってご会長されたことが なくまたこのミデは何度も焼き打ちにあっ たりお寺を滅ぼされたりという危機に品し ているそうですがそうした時になってもね え緊急に避難できるような構造で格納され ているんだそうですということで焼かれ たりとかした時も何度もこの仏様は外へ 持ち出され南を逃れてきたと伝わってい ます天字天皇はますなわち中富の鎌を 取り立てて藤原市の歴史を作り上げたよう な人ですからそれはね藤原構も昔の貴族の 人 もすごいお寺だとみここに集まってくる わけですよね今注目されている紫式部に ついての展示もありまして通常はね撮影 禁止なんですがえお許しをいたいて撮って いるところです紫式部ご本人がここに来て 何をしたかとかいうことはもあまりにも昔 のことで分からないんですがえしかし紫式 部の親族のあの腹違いの親族とそれから紫 式部のお父さんがここへ来てえそれで実際 にお勤めをされていたということがですね ここに履歴が掲載されていますこのように 都に暮らした身分の高い方や藤原市のそう した方々が来て実際に深い繋がりを持って いたということが分かるわけです ねつまり僕が言いたいのはそういう風にし て昔から京都の人がもういっぱいここへ来 ていたわけですから京都のずらし旅として 滋賀を訪ねることは全然おかしなことでは ないということですねえちなみにご本尊は この中の図司に先ほどね僕も同じ光景を見 ましたけれどもえありましてそれから他に も大昔からの平安時代と室町時代からの 大昔のたくさんここに守られてきた仏が ずらっと並べられているのを見ることが できますつまりそれだけ昔の人たちが貴重 な文化剤を守ってきたということなんです よねまた織田信長による平山遠慮寺の野球 は有名ですがの焼き打ちによって略寺が 後輩してしまったのでミーラに制裁を貸す のに兼ねてこのミデの建物を一旦遠慮寺の 方に一したそうですでここが全部なくなっ てしまったのでその後豊秀吉の許しを得た 後からですねこの1599年には近藤が また再建されてということでア桃山時代 終わり頃に建てられたものが多いという ことらしいですよ昔から平山遠慮寺との 対立関係にあったミーラはあの今はね今は もう対立関係という時代ではありません けれどもそういう時代がかなり長くあり ましてえその長い争いの歴史の中で右寺の 文化財が何度も比山の方に持っていかれる ということがありましたえここにあります のは日本を代表する重要な金でありますえ 弁慶がと呼ばれてるそうです重要文化財と 書かれています奈良時代に醸造されたと 思われる非常に貴重な金ですがここには いくつもの筋上の傷がついていましてえ これは引きずった傷だと言われているそう ですでえこれはつまりその争いの中で比山 の人たちがここに攻め込みこの金を持って これ2Tあるそうなんですけれども2T ある金を力づくで持っていってえボロボロ にした状態でエリ時まで行ったものをそれ をまた円略時から後の時代に取り返したの でえここにこう置かれているとのことです そのまこれ江戸時代の時に書かれたものの ようですけれどもえ伝説を絵にしたものが ここにあります こんな風に粗雑に扱われてしまったので金 はボロボロになりもう今これをゴーンと つけるような状態にはないようですね上 からもぶら下げるということはなく大切に 置かれていますで伝説によればえこの金を 持っていったのは武蔵脂肪弁慶であったの で弁慶が冷え山にいたのでえこれですね 右寺に攻め入りこの金を奪って冷え山まで 引きずりあげてついてみるといのいのと 響いたのでそんなに右た帰りたいのか谷底 へ投げ落としたと言いますだったら金が いいのいいのとか言い始めたらさすがに ちょっとかわいそうでね連れて帰ってやり たいなと思うんですけどもそんな泣き方を してそんなに帰りたいなら返してやるよ ズドンて昔の人たちはなかなか凶暴だった みたいですねその使用はできなくなった前 の金ともう1つ新しいものがありますえ 新しいと言いましても例によって右寺が 最高されたあも桃山時代の時の大変古い ものでありましてえ一応日本で3つある 素晴らしい金のうちの1つだとかいう紹介 がされてることもあると思いますがま日本 のお寺の金といえばここが一番有名ですよ ね大江八景のミの万象というのがあります がそれでももう古くから大変有名な金です そしてこのミデにやってきたら是非とも やりたいこととしてこの非常に貴重な金を なんと普通でお寺に行ったらば金はつか ないでくださいと書いてあるもんなんです けれども一般の人でも金をつくことができ ますすみません失礼します あの金にはつくのにやはりねえ技術がいる んですけれども僕はお寺の金をつく経験も ほとんどないですしちょっと恐れ多くて ついていいのかなって感じなんですがえ皆 さん観光でつけますのでえ僕もやらして いただきたいと思います行く年来る年を イメージして素人ながら いつまでもなり続けるのを聞き続けたい ですね 今聞こえなくなったかなこのようになり 終わるまで非常に長い時間がかかって ずっと進んだ音で聞くことができるそう です1回 800円いいと思いますいい経験だと思い ますよ相当大きいですからねこの大変良い 音がなるというお寺の金はまお寺の金を 聞き慣れていない人だとねえあまりまだ 違いが分からないかもしれないんですがま 僕もいい音だなとしか感じないんですが他 のお寺の金と比べて聞いてみると他のお寺 の音はあ意外とちょっとノイズが入ってる なみたいなねえ金の義足の違いも分かって くるそう ですJA [音楽] [音楽] T [音楽] [音楽] [音楽] [笑い] ミデの形代の建物の多くが同じ時代に作ら れていましてあ桃山時代の終わりつまり 江戸時代の始まる直前ぐらいに建てられた ものが多く並んでいますが大体お寺の建物 ってね部分部分によってこれはいつの年代 でというのが違うんですけれどもミーラは 大体皆同じ時代に立った建物が並んでいる という点が統一的でいいなと思いますね この大きな鏡像は関ヶ原の戦いでおなじみ のモ照本が地元の山口県から一したものな のだそうです3の塔は徳川家康が豊徳川の 拠点であった伏見城にに立っていたものを 一したものでこちらはその復興の時代に また立て直したというものこれが一際神聖 な場所なのだそうですというのはここは 天台州密教の修行のお寺でもあり明日から もここで皇位のお坊さんたちがその資格を 得るための修行に励むことが決まっている そうですがまさに修行の場所して現在でも 使われている密教の重要施設だとのこと僕 は密教についてあまりよく知らないので 密教の主いうのは何をしているんですかの お聞きしたんですけれどもそれは密です からえどうした修行をしているのかという ことも基本的には分からないよう ですじゃあ今日は終りにしましょうま滋賀 県に止まっても良かったですがおおお客 さんいっぱい乗ってるなあ大丈夫です そんなに長く乗りませ んこっから京都へ戻ります戻り方にも色々 あります前です 大津京駅に着きましたこれ結構お客さんが 降りていきましたね乗り換えの拠点です からまそうですよね上から電車のゴトゴト という音が聞こえますまこれ今日の終電 まで使えるんですけれどもとりあえず今日 はここまでか な現在地大津橋は京都市と東山を挟んで すぐ裏手のところに位置しまして本当に 京都まではすぐで2駅で行くことができ ますちょっとだけ歩いての乗り換え大下の 開心の時代天治天皇がここに大津宮宮子を 作りましてそして駅名は大津駅とされてい ますま平安教よりも130年ほど早くここ に都が置かれていた時代があったわけです からそれ当時からの飛鳥時代の立派なお寺 が今も残るわけですねまさに大津が日本の 首都であった時代の名残りが先ほど訪れた 右寺だったわけですね大津教駅の景色は 相当いいですねこの路線は新しい路線で あり結構高いところを通るので高架の上 からぎっちりと兵長を埋め豊かな滋賀県 大江の家並を見ることができます美しい山 も並んでいて特に日本海に近い平三経には 雪が白く積もり冬の名物となっています ねこの裏手京都市街との間を隔てる東山が つっていますこれを超えていくのは極めて 大変なことのように思えますが実際には 電車はトンネルであっという間にここを 通り抜けていってしまいますその電車が来 てくれました普通電車ですね普通とは言い ますが早いですよあと2駅で京都に着いて しまうわけですから大津山科京都です あんまり乗っていないなこれはいいです ね次は山下山下です でもトンネルとは大したものですよねあの 険しい山越は一体何だったんだという ぐらいにあっという間に山絵そしてもう1 発トンネルを使って京都に抜け ますこれ山科の景色も相当いいと思うん ですよね正直昔はね山を超えるのも大変 だったからまこれ山の西側が京都で東側が 滋賀県ってのは分かるんですけどもう今や トンネルができて一瞬で生できますんでね もう実質琵琶の西側が京都みたいなもんな んですよねこんな言い方ちょっと問題発言 か な全然あの辺に行くの大変じゃないんで 京都の旅行にねこの世よりも東側のこの辺 を選択肢に含めるということを是非検討し ていただきたいですねいや別に草もいい ところだと思いますけどね現在京都駅に来 ていますが次に嵐山の方へ行ってまた ずらし旅をやってみましょうここも昔から 平安鏡の偉い人たが訪れていた目的地だ そうです嵐山方面に行く電車次は17時 58分がま今から出るようですがこれこそ 1本ずらした方がいいでしょうね18時9 分発の快速で行った方がいいですよもう今 ラシュ時間だから混んでるし快速の方が 乗車時間短いですからね観光地嵐山に 向かう電車も乗車位置をずらした方がいい ですねここにアピールされていますが前が 空いています本当ですよ列車の後ろの方が 階段やエスカレーターに近いのでみんな 後ろの方から座っていくんですが前の方 まで行く人は少ないということで前が空い ていますもっと前へ前へ まこれはでももう有名かなみんな前の方へ 歩いてますよね今通勤の時間ですし今出て いった普通電車は立ち客もいっぱい いらっしゃって後ろの方は特に混んでい ます編成も4両ですからね対するこちら 快速電車は8両繋いでくれているようだ じゃガラガラだ絶対こっち行った方がいい すよあついに1番前に来たな各いう僕も 京都駅のサイホーム1番前に来たのは 初めてですこんな風になってんだこれね 面白いんです ここから先線路が完なんですよねここから 出ていく線路全部最終的にはこの場所で1 本に合流するそうですその関係でねちょ どうしても昔から列車の本数を増やすこと が難しいみたいなんですねでも10分間隔 で出してくれてんだから ありがたい待いたしましたご乗ありがと ございます快速 [音楽] 1本ずらして良かったですねもう座って いけるし途中全然止まらないから体感の 速度もかなり早くま実際の速度もね相当 早かったですけれども佐賀嵐山行きに着き ましたで佐賀嵐山というんですが元々はね 佐賀だったんですよねでま割と最近の時代 だと思いますが観光客への案内も兼ねて佐 が嵐山を付け出しましたまどういうことな のかと言いますと到着した佐賀嵐山は桂川 または小川のほに一する町でこの北岸を 佐賀南岸を嵐山と呼びましたしかし ほとんどの人たちはそれぞれを動している のでまセックで差が山と言った方が話は 分かりやすいわけですというか単純に嵐山 という地名の方がなんでだか分かりません が有名なんですよね嵐山の名物ビーフカ 山道を買いましょう京都嵐山中村屋さんの 広告が出ていますがこれ中村屋さんはここ からすぐ近くにあるんですけども住所を 見ると右京佐賀佐賀と書いてあるんですよ ね佐賀なんですよ本当嵐山でないんですよ まとはいえ佐賀という地名もあまり知られ てはいないのでえ一般の宣伝としては京都 嵐山という言い回しにしてるみたいです 一応ちゃんとね書いてありますお店として は佐が嵐山に着いたらちゃんと真ん中に点 が打たれているのが重要ですねこの佐賀の 地は東側の大津石山と並んで平安時代頃 から後続貴族の方たちが滞在するリゾート 地のような場所として栄えてきたそうです そのきっかけを作った平安時代初期の時の 天皇陛下は分泌に大変ならい方でこの場所 を選んで過ごすことが多くその後の繁栄の きっかけを作ったということで佐賀天皇の 名前でで呼ばれるようになりました高校の 日本酒の授業で習いますね中学だと習わ ないかなま平安時代には貴族たちから どちらもねこの東側の大津石山も西側の 佐賀嵐山もどちらも観光地として人気が あったと思いますがま現在はこの佐賀嵐山 の方が断然観光地間がありますこれは多分 ねここが京都府京都市だからじゃないです か ねあの昔の貴族たちはずっと京都に住んで たわけですから京都ブランドみたいなもの にはあんまり関心がなかったと思うんです けどま今の時代の人たちが京都に旅行に行 くって言って京都府外に出ていくって発想 はなかなかま自然ではないのかもしれない ですねどちらもいいところだと思いますよ 昔の貴族の人たちもそう思っていたと思い ますそんな佐賀と嵐山を結ぶ橋が長海都月 教ですね京都に来てここは観光名所に入り がちでしょうえ平安時代に人々がここは 遊びにやってくるようになって作られた橋 だそうですこの川辺に見るライトアップさ れているあの山こそが本当の嵐山だそう ですねこの景色を見ずに嵐山に行ったとは さすがに言えなそうですまたいいですね あえてライトアップをしていないの でしょう夜の闇の中に浮かび上がる都月鏡 の景色もいいですしスマートフォンでえ ちょっと写真撮ってみるか夜景モードって いうので写真を取れば存在しない景色を 作り出すことも可能 ですこんな感じかな5秒待てばいい写真が できると言っています ね綺麗ですよね他にも何枚か写真を撮って みました背景に嵐山を入れておくのが やっぱり一番ト鏡らしいですよねこの アングルが大体正解となるのかなと思い ましたま正解ってっないんですけど橋の上 からの眺めもいいですよはるか遠くに京都 市中心部の景色が京都タワーを目印として 見えますがだいぶ遠くまで来たものだと 思い これね多分遠くまで来ることもまた重要 だったんだと思うんですよね現地物語とか 読んでると平安鏡の中にここ代理という 場所がありますがこの代理の場所にみんな 貴族とか天皇陛下とかそういう方たが一緒 になって住んでいてかなり狭い社会だった ようですずっとそこにいたらやになります よね多分平安時代の人たちが佐賀やら嵐山 やら石山やら大津に出かけていくのも納得 だと思いますま実は今日の泊まり先は阪急 電車でやってきて阪急の山駅に着いた方が 良かったんですけどねすごくいい雰囲気 ですねあとなんか昔の京都らしい暗さも 兼ね備えてるのがいいと思います今日の 四角説はこの向かい側ですホテルドミイン とか 間違えるとショックですよ夕食朝食2食 付きのプランですここに2泊実はスーツ チャンネルで同じ場所に2泊するというの はかなり珍しい ですあいい ねなん正直昔の貴族の邸宅よりいいんじゃ ないいやそれは確実にそうか貴族の邸宅も こんな豪華な建物じゃなかったですからね 鉄筋コンクリートだし館内は大変清潔です ね新しいところなかないや新しくなくても いつも綺麗ですけどね今立さんはここで靴 を抜きまして畳敷きとなっており ます今立リゾートのいいところは我々の 求めるものをいいお頃な価格でたくさん 出してくれることですよね浴衣は好きなの を選べます今日はね在庫は比較的少なめの ようでえここの部分はなくなっているもの もあるんですがでもこのホテル予約はし やすかったですよあのいつも満室とかいう 感じじゃな結構こう予約入れやすいところ だったのでえむしろ安心してね予約の時も 心配が少ないと思いました宿泊されてる方 は海外の方も多いしあと日本の若い方も 多いですね大学生ぐらいの方も多いかなあ なんか昔のねあのヒカル源二とフツが なんか面会する時とかに使ってる感じの あのすれがあるじゃないです かちょっとご所風なんですねはい失礼し ます ありがが香りはま普通によく清掃された 部屋の香りかなここにねお香が立ててあり ましてこれは自分で火をつけていい香り 作ってくださいっていうやつじゃないです か違うか これあいい香りだうお心が違う状態になり ますよねおこをかむとこちらは火をつけて もいいそうですあそうですかまですがえ火 をつつける道具自体は設置していないよう に見えますま多分あじゃあるからやって みようてってこ慣れない道具を操作してね 火傷したりするってのは危ないと思います から自分で持ってて使い慣れている人が 使い慣れてる道具で火をつつける分には 自由ってことなんじゃないですかねまだ2 泊しますんでね今日からねえ手に入ったら 火つけてみたいなお食事どころは素敵な 雰囲気でついたてが大きくなっていて個室 風ですなんですがその一番奥の奥の コーナーに今日は当てがってもらいまして 今日は完全個室じゃないですか明日もそう なのかな今回は取材で一緒にjr東海 ツアーズの皆さんと一緒に夕飯ですま僕は ねそういうの大好きなんですけれどもいつ もありがとうございますそれ以上に夕飯は 大好きですよねすいませんちょっと冗談 ですけれどもえ白えイクラサーモン色々 あるですねなんか京都に行ったらなんか こういうの食べたいよねみたいなの どんどん出してくれます2食 付きここにはお豆腐が入っておりまして これも地元京都のお豆腐すいませんおおお あこれが豆腐になるっていうことあ違う この中に入ってるんですね開けていい 良かったなちょちょっとこあのいやいい ですかこれちょっと触ってみてもすいませ んあ入ってますねおおあこれは楽しみです ね本物って感じがしますねことは婦系の 食べ物が非常に多いですねこれなんでなの かなと思ってねえ調べましたらえ我らが そうだ京都1行サイトに書いてありました 京都で食べたいお豆腐室で豊富な水に 恵まれることからえ 京都のえ豆腐の鍵は水と大半が水でできて いて良質な水が欠かせません地水が たくさんあり鉄分が少なくいい水が商人 料理との関係全習が広がり豆腐は肉類を口 にしない送料の大切なタンパ原として商人 料理に明水と商人料理が豆腐の発展を支え たと言われるでしょそうす ねいくら乗せていただいてなんかいいとり をして食べる感じですねいただきます そしてこの野菜なんですがなんか食べたら ねがなんかだろうと思って食べたら全然 食べたことない味がするいやとても 美味しいですねこれこれ自分家の食卓に 取り入れたいこれは胸野菜だそうでして 京都では普通に通用している言葉だそう です畑なという野菜なんですね他のところ では滅多に見ないものらしいです初めて 食べましたね春の食べ物ですねたけのこだ たけのこがメインになると思います今日は あんまり気にしてなかったんですけどこの 三生の風味がついてジュレが結構美味しい ですね 川魚のゴリの煮付けもありますまこっちに ね海のお魚も届いてますこれ美味しそう ですけれどもゴリは結構ね色々なところで 昔ながらの雰囲気を留めてるところには こういうの出してくれるあるんですが スパイスの味が美味しいですね生姜が効い てんのかな京都はスパイスが美味しいです よねうんやっぱスパイスのなんか種類が 色々ある気がする三生に生姜にわさびと こういうのもありますねこれシソかまこれ これもシソですねうまいすよあとね次にえ 湯などが届きましたそしてこれで鍋をする んだそうですしゃぶしゃぶのような形で色 が変わるまであいいすねこういうのほ強力 リゾートってこういうの全部分かってくれ てますよねこういうのがいいんす よいいです [拍手] ねでタレも入れて豆乳で終わりながら 食べるとああこれですよあじゃあ塩でも 食べられるってことですねあと役とあそう 役薬味もありますからねあちなみにサラダ もいただきましサラダはねイカがイカが 乗っとります続いて天ぷらを持ちいただき ました天ぷらは1人あたり3つまで選んで 持ってきていただけるということになって いますですがこれはねじゃあこの中の3つ しか食べられないのかということではなく 実際にはその後も注文できるそうですだ 実質的に食べ放題なんでそうですねただ 初回の注文は1人3つまでとのこと天つゆ もありますようおあこの波なってのは なんか結構好きですねえこちらがたけのこ ですたけのこの天ぷらってあんまりない です京都で食べるたけのこめちゃくちゃ 美味しい山がいいからかな物がいいん でしょうねこれたけのこかと思ったらイカ じゃないですか立派なやつなんでね たけのこだと思ったたけのこはどれなん だろうこれね大阪の串カと一緒に分から ないんですよこれがたけのこでしたねち今 衣をねわざと取り外してみたんですけれど もサクサクプチプチちぎる楽しみがあり ますね鍋には塩というオプションもあり ますこれこれもいい塩ですよね天ぷらは 早速追加注文しましょうJR東海ツアーズ と観光有株式会社のえ注文 内容力強い注文だ全部3つつ総勢15個 届きましたその他5種類のお万歳も実質 もい放題ですまた油を注文してしまいまし たご飯と味噌汁に至るまで特別揃いにして いただきましたいいですよねこれ先ほどね 混ぜてよろしいですか桜エビを混ぜて いただいて作っていただいたんですねタ服 食べてフロントへ戻ってきましたそして ですねえマッチをいたいてまいりましてえ どうも喫煙のお部屋もあるようなんですが まここは金エスですがおこを炊きたいので マッチいっぱいあります ねおこ火つけんの難しいですねあ大丈夫だ おお見事に燃えて いるいい香りで眠りましたおはようござい ます今日雨かちょっと雨降ってますねこの 後ね良くなるのかな朝ご飯の並びを朝から 豪華ですお魚が紅白で2枚もあるんですか でそれから昔の牛肉文化が入ってくる前 ぐらいのね鶏肉とカモ肉とお魚中心の メニューだやっぱ漬け物が普通と違います よね美味しいですよね全部食べたくなっ ちゃう全部食べようかな焼きのりもあり ましたドミンの焼きのり です日本人にとってはいちいち廊下を歩く 前に靴に履き替えたりスリッパーを 引きずられなくていいというのは楽だ嵐山 はまあまあの雨が降っています雨つったら 普通は嫌なんですけどね今日に関しては 相当も嫌ないですよ雨なのでバスで佐山駅 までまた歩いてきましたが今日は小川下り よいやります川下りは雨が降ると水量が 増えます増えすぎると結構になってしまい ますが今日はこのぐらいならやれるよう です現在地佐賀嵐山は京都盆地の生誕に 位置しておりましてちょうどここまで流れ てきた桂川がここで名前を変え都から上流 方面はしばらく亀岡まで険しい山の中の 区間となりますこの小津強と呼ばれる名前 を変えた細川を亀岡から流れ下るていくの が定番的な観光のやり方です京都から平穏 な景色が続いてきたんですがこっからは 一気に荒くなるわけですねあそこを船で 抜けるなんて楽しいですよねでそこまでの アクセスにはJRの一般の電車を使うこと もできますここから先小川の渓谷をズバン ズバンと貫くような形でJR山陰本線が 通っていますしかし1980年代までこの 山陰本線はローカル線のような雰囲気で 谷側に沿うような形でゆっくりゆっくりと 走っていました昔と今とで線路が全然違う んですね昔の線路は1度配線になったの ですがディーゼルカーがごとごとと音を 立ててゆっくり走るような感じだった古い 山陰本線はもう必要なくなって配線になる かと思いきや京都市街市からも近い空行 名尾の観光路線としての活路を見出され そのまま現役続行今でも人気のトロッコ 列車として運転が継続されています今の 会社面は佐野観光鉄道ですねえ今日はね朝 の9時の便が運休となってましてえまだ3 月だからでしょうね10時2分からの運転 です1時間に1本程度ここがその佐野観光 鉄道のトロッコ佐駅です2024運転開始 とありますが冬の時期は運休しております のでえそこら辺を調べていただくといいと 思いますあとね水曜日も運転してないはず ですで今日はまだ3月で14は比較的 少ない時期だからでしょうねえ朝9時から の便もあるのですが今日はそれは運転して いません10時から1時間間隔となってい ますさらにこの駅で小川下の線券も一緒に 購入することができますでトロッコもいい んですけどねせっかく新しい電車も古い 電車も2つあるわけですからじゃ両方乗っ てみりゃいいんじゃないかなと思ってね まず新しい電車で途中まであこれどっちが いいかなこれ青いやつだね昔関西空港に来 たやつなんですよこれ一緒なんですよね 観光鉄道と現役の線路でねこれ合流して くるんですよこれこれこれ一緒なんです よ今日もjr西日本をご利用くださいまし た ありがとうござい ますでちょっとするとまたその線路は観光 用のものと別れてお互いに小倉山に 突っ込みますここから山道の始まりです 昨日はね高架線から楽中を見てボンチだな ていう感じ広い景色を見て佐賀嵐山に着き ましたが嵐山から景色が変わるんです ね電車信じられないほ早いんですけど 時折り渓谷の上を一瞬だけ渡りその一瞬 だけ警の景色がパッと開けずっとトンネル の中を走るという感じになりますそして このいかにも通勤電車みたいな感じのこの 車両は今からすごい駅に止まり ます有名な小津京駅に着きましたすごいす よ これ京都駅からちょっと電車に乗ればこの 景色いいですね雲が立ち込めている雨の 景色もあ前に来た時より水が多い わ京都駅からやってきた八両編成の電車が もうこんなですよ おお世界に来たよう だ佐賀天皇もこんな経験はしなかったです よいい時代に生きてますよね我々もこれ 普通電車かな電車もね結構いっぱい来ます 通過電車もあって通過する時は怖いです ね すげえこのホ教駅はもうJRの制度でです ね切符の制度でえ京都市内の駅として含ま れていましてここが京都市内の駅がよ京都 って色々あんですねえちょっと雨が周りが 全て雲に取り囲んまれあそこになんか山道 がこんな凄まじい環境にもう道路もまとも なのがないですからねうわあなんか音がし てきましたよこれ快速電車も来たわこんな ちょっと怖いからね みんなここを通って通勤してるんですよね 京都まであそしてこの駅の見所としまして は昔の山陰本線の線路もあそこに崖に へばりつくようにして走っているのが 見えるということ です昔はあっちをね多分60km70km とかせそのぐらいでごとごとごとと走って んですね今でもそこをトロッコで走ること ができますじゃあ行ってみましょう実は この駅はま一応乗り換え駅でもありまして ここから歩いて15分ほど行きますと トロッコ列車の駅にも行けるんですねうわ すごい景色 だ今はこの山に穴を開けて昔はこの向こう に見えていますあそこの崖にへばりついて ここからこうこうこうこう抜けてきたん ですねえっとねトロッコ駅は確かあっちに あんのかな道案内も多分してくれてるん じゃないかな15分ほど歩けば着きますあ 京駅こんな立派な駅舎がちゃんとあるん ですねえっとも対応だ自販機まであるここ に自販機を補充に来る車もたまにやって くるということですねえっとも無人駅 です駅前広場が必要以上に広いような気が するんですけどどうもこの辺の険しい渓谷 に鉄道を新しく建設する時にここが建設 拠点になってそれを流用してるみたいです ねああの橋を渡っていくの か誰もいないすよずらした所じゃないわ チャンネルは普通にやってるだけでずらし たですからね 正直でえっとここからね剣道に並行する ようなんですけれどもこれがその山陰本線 とぴったり横を行く唯一のこの谷の剣道 らしいんですよねやばいなこれこれ大丈夫 なのか落石とかちょっと雨降ってるます けど早く通り抜けよう ま最近崩れた後はないのでね大丈夫だと 思いますが うわ谷の深 さ状況はまちょっとあんまりいいところで はないと思うんですよねあのみんなが京都 の旅行に来る時にここまで来なくても 大丈夫だと思いますが晴れてる時なんか いいかもねあとは動物に気をつけ てすげえこれ差が荒らしたものはあの賑い から1駅でこれですかああっちがホ強駅ね こ見えるんだでもちょっとなんか色々崖の 崖の何崖の突起に注意はいはいはいはい 落石にも注意ですね一応大いをしてくれて ますねうわあ僕の通ってるこの道はいつ 作ったのかな多分明治時代とか昭和所ま 山陰本線と同じかするよりちょっと新しい ぐらいの歴史があると思いますうわ世の中 スリル満点という言葉があります けどそれははかに上回っているじゃない ですか も全くさっきまでねあ誰もいないと思っ たら1人歩いてる方がいますねいるんだな 誰もいない鳥の中に電車がやってきて僕と 電車がいるこの時だけこの谷に大勢の人が 集まってるんですねみたいなこと言おうと 思ったら普通にカスさして歩いてる人いる なやっぱ京都なんですね人とすれ違うとは 思わなかった贅沢なことにこの電車の線路 そして昔の列車の線路この谷の下の川全部 を楽しむことができますよあ何こんな トンネルとこあんのあ昔はなかったんです ね昔はこの外側のところこう崖そいに行っ ていたんですね雨も避けられて快適だいつ のトンネルか な何々水道ま右から左ですからね多分戦前 のやつだと思い ますこっちが大元の道なんですよね分かり やすいねまこ感じの道とはいえ15分 ぐらい歩けば目的地につつけるんだから楽 ですよねはい着まししたこれが小津駅です 信じられん昔はjr西日本の駅だったん ですねこれがねというか今もあの線路の 設備はJR3位本線なんじゃないですかね 釣り場を渡っていく駅なんですねここから でもご乗車できます1番最初のトロッコは 10時13分です ね元々駅前にお店とかが色々あったのかな あそうみたいですねとがありますいつの 時代からそのままなんでしょう [音楽] ねこれも古い釣り橋だ戦前性のやつ でしょう うわあ 素晴らしい佐賀嵐山から1電車に乗って 15分ばかし歩いただけでこれ かあめちゃくちゃいいところですねそれは そうなんだけど知ってましたよそういう 場所だっことはでこを後で船に乗って くぐるわけです ねこんな狭く荒々しい渓谷をよく船で 通れるな思うんですけども江戸時代から船 で通れるように改造工場を行っていたので 今でも通れるんです ね満席の場合はご乗車いただけませんあ そうなんですねま今はねえ換算機なんで 平日で大丈夫だと思うんですけどちょっと 事前に佐駅できっと買っといた方がいいの かも なこの駅はJR本線時代からずっと使われ ているところですがあここが元々のこの1 段低いところが元のプラットフォームです ねでここは後から増設したんだ昔はね線路 が2つあったはずですよほらあそこに当時 の保線橋もあり [音楽] ます乗り込みましてからは進行方向の右側 がしばらくいいと思います上の方を 見上げればいやあがさっき歩いてきた ところなわけですよねガードレールが上の 辺りにちらりてらりと見えていますが あそこを歩いてきたとはとても信じられ ません奥に見えていますのが先ほど最初に 降り立ったjr西日本の小強駅ですあの橋 の上に設置されていますさっきのあの佐賀 嵐山の賑いから一駅お隣でこの景色になる のですから本当に信じられないですよね 谷底の厳しいところを行く昔の山陰本線今 走っている明治時代の線路も今の時代の谷 をトンネルでズバッと抜いてしまう新しい 線路もどちらもすごい迫力だと思います 両方楽しめるのは最高ですね横に見えて いる小川は随分浅いようですけれどもいや よくこの浅いところをねこの後通るわけ ですが船で通れますよね江戸時代からそう いうことができるようにしていたようです またこの観光鉄道をたる昔の山陰本線は このようにトンネルあまり作れないため川 に沿うような形でまほとんどトンネルなし で走っていますが一方で新しい今の山陰 本線はもうトンネルを掘り放題の新しい 技術を採用し谷の間ちょっとだけ橋を作っ てねこうズバっといきなり谷の間に時折り 出てくるという感じになりますですから もう距離は昔の線路と今の距離の線路で 全然違うわけですよねもう半分以下になっ ちゃったんじゃないですか [音楽] 駅に着いたらバス乗り場にすぐ行けるん ですけどこの何このレンガのやつこれ本物 か昔山陰線作ったやつですねイギリス済み のやつだ貴重な通路じゃないですか 本はス ござい元々は木材とか解散物を流して下ら せていたんですよねでも明治時代ぐらい から観光のやり方になりましたこれ有名 ですよねえ元々はもう下へ置いていった船 をまた上に戻さなきゃいけないので人が こうやって頑張って引っ張って持ち上げて いたんですね4時間かかったそうですと いう4時間でできたんですねえ今は トラックで行けるようになりましたと説明 されていますでこの明治時代とかそれ ぐらいから始まった観光は大変人気があり ましてすい エリザベス女王も乗られましたイギリス 王室の有名人みんな乗ってるじゃないです かチャールズこは乗ってないのかな乗れば いいのにねさっきのトッコ列車の終点に なっております亀岡は山の険しいところ 小強の区間を全部過ぎましてま結構広く なっているんですがこの広々とした亀岡 からよいしょ失礼します2列目でいいか なこっからさっきの恐ろしく狭い区間を 通り抜けてまた広いまで降りてくんですね 面白いですよこれそれでは佐山までの川下 に出発ですこの船は乗組員さん3名によっ て運行されています川底をつく手を振って くださっている方と貝で船を進める方 そして千美で家事を取る方の3名が乗務し ていますこのように動力なしで運行して いるので本日のように水の増えている時 増水の状態になりますと特に船は早く流れ ていき見応えのある乗り心地になると思 思います一切の動力なく運行されるこの船 はつまり川の水位が高い時ほど早く運行 することになるのですということで確かに 船底のところにも水が通ってるのなどが 見えています ね新橋四国などでよく見られる有名な橋に 差し掛かりました増える時はこの橋の上の ところまで水が上がるということもあるの だそうです安全対策については例えば非常 に高性能な救命同意に交換がされ水に 触れると自動的に膨らむものになったそう です前は紐を引っ張って膨らませる方式 でしたがそれよりもさらにいいものに変え たとのことでし たこの辺りで右手側を見ると騎士が低く 増水すると右側は沈みそうです一方左側は 騎士が高く沈まなそうな景色です400年 ぐらい前からはここから船が出ていたそう で地名は小浜と呼ばれているそうです広々 した景色はここまでで行くよこデンジャー ゾーンジャージーゾ お前に乗った前に乗った時に波の立ち方が 違うもんねたくさん入ってきてい ますトロッコの運行会社とこの小が地の 組み合いはま基本的な繋がりとか何も関係 はないんですけどもお互いに手を振り合う ということ 下の方を鳴らしてくれることがあり ます明治時代ぐらいからこの辺はこんな 感じだったですね上は山陰本線のお客さん が下は川の観のお 客岩と岩の間が船が通せるように空気を 読んだような感じで隙間が入っていますが これもわざとですよね400年ぐらい前 から岩と岩の間を切り裂いて通れるように したそう ですそうね軽に わなんか右手側に崩壊した石垣が落ちて ますけどこれ昔のサイ線の線路が崩壊した のがそのままになってるんですね大昔の 災害の跡があちこちに残ってい [音楽] ます大嵐の時にこの辺の崖がれて直し ながらですよ ね天さんは船が岩に続しないように見張り ながら位置をコントロールしてると思結構 通れる場所は狭いです ねあなんかも壊れた道路が中に浮いたよう になってますまそれはちゃんと直したん でしょうご案内によりますと給料として 1番長く連続する区間がこれからだそう ですしばらくの間激流が続く体験をする ことができます見所の1つです ね水が多いので特に見応えがあると思い ますが先頭さんたちにとってはここは危険 箇所となるので左右よく目を凝らしながら 船がぶつかってしまわないようにかじ取り 竿をさし様々な方が全身前例で安全を確保 している姿を見ることができます江戸時代 頃からこうした滝の間を改作するような形 で激流の運河を通すというのがこの辺りの やり方だったわけですねそれを今でも昔と 同じように楽しめるというのは大変贅沢な 体験で日本で他にこういう場所というのは そうはないと思います タちゃんベスト ポジション先導さんたちはガイドをし ながら安全の確保にも売出されています 流れの緩やかなところで先頭さんが交代し ますさてここで左手奥の方を見ると石の裏 にももう1筋船が通れそうな場所があり あの奥は江戸時代明治時代頃までは使って いたようなんですが現在は使っていない ようですま石が多すぎてちょっと確かに怖 そうなところですからねそして昔はも輸送 量が多かったかもしれないですよねそう するとあの奥の方も船を通せるようにして おく必要があったんでしょうこの川も インフラですから手間をかけて維持をし なければならないわけで今でも石の撤去と かを行っていると思い ます15m折れ曲がるとこだといい ますあれが Jだから竿をさしても意味がないから竿の 方はおどうするの15mですよ ね あにはあるんだなけるところが水深の深い ところでも時折り岩があるようでそこを 場所を覚えてらっしゃるわけですよね全部 ついて船を進めていくささの方のご活役 ですちなみにこの川を下っていった船昔は 反対側に引っ張りあげて回送していたよう です船に紐をくくりつけて登っていく川を 遡る作業もぐやっていたらしく当時の人た はこの岩の上を歩いていたのだと言い ますお注意ここに丸が沈めてありますあ なるほどねこれ整備を行ってるおお おに乗り上げないように注意して ください江戸時代とか名代も別の形でああ いう式が色々あったんでょう ねりたJRのに到達し今そこをくぐってい ますこの場所の真上にさっきのJRの駅が あるというのもすごいですまたちょうど この真正面のところに先ほど歩いたあの 細い道があります上のところにちらっと 映ってるの分かりますか ねここで一気に川が曲がるので火事を切っ たり貝を漕いだりしてはキュっと向きを 変えました見所だらけですよこんなすごい ところに駅があ大体くところが決まってる そう さんは力とかの狙うべきポイントがある そうですも ねねでこの辺は岩が ねぐる余裕がある間なんですねサービス ですね 謎の階がになるトロッコ駅の近くまでやっ てきましたこの辺りから見ていただくと川 の岸のとろに石垣がしっかり詰まれている のが分かると思いますまこれがさっき言っ た昔下っていった船を逆側へ改装するため に人が3人がかりで体にツを括り付けて船 を頑張って何時間もかけて持ち上げていた という帰り道の名残りなんですね確かに川 の騎士はちゃんと人が歩けるように整備さ れていた後が伺えます 一番いいところでトロッコと交差ホがを1 回だけトロッコが通過する場所があります がこの大昔に作られた古い鉄橋のところで ぴったり交差することができました機関車 が後ろから押していくバ運転の方式になっ ていますこの鉄橋も明治時代に作られた 古いレンガの構造がそのまま残っているの を川から見上げることができ見応えもあり ますそろそろ最後の給だと教えていただき まし 左手にはあっちも昔船が通ってたんじゃ ないかなという場所の後みたいなのがあり ましたがここを今は使ってい ますやっぱり幅が狭いです ねしかしもう前方さっきまでは山が空の ほとんどを覆ってしまっていたのがだいぶ 空もすっきりとま開いてくるような感じに なってきまして佐が嵐山の町が近いという ことを感じさせ ますここで左手を通る山陰本線の線路の 基礎の構造物部分を見るとま石垣で固め られていますが昔の鉄道はねコンクリート とか使わず石垣だったわけですが結構その 石垣がまだまだよく残っていて見応えが あるところですね不がありますその後嵐山 が近くなってきますと左手にいくつかお家 がこれは随分静かなところに昔の身分の 高い人たちの藤原市の石関系ヒトこの駅の 別荘だったそうです元々総理大臣で戦争中 に名前も有名になった人だと思いますこの 首相の別荘だっったそうですねといった ところを過ぎましていよいよ街の争から 少し離れているようなところを抜け て対岸に嵐山を見て下仙場に着きました船 はこの後指定の回送場所がありましてそこ まで送られますあこれが家事だったんです ねましすごくよく聞きましたよね嵐山は 背後に来たこの場所でついに 跡が設けられていましてここから先船が 下ることが物理的にできず峠橋の手前の ところが終点となっているわけですねなお この席の向こうのところにこう小さく船が 通れる場所がありまして以前船で日本一周 のシリーズで紹介したんですけれども こんな感じでトラックで持って最後は クレーンとトラックで引き上げてまた船を 上流に戻すという作業を行っていますこれ も見所です今日ちょっと雨で濡れちゃうん だそっちまで行かなくていいかな今日は 水流が早かったので1時間30分ほどで 到着しましたがこの到着した場所からお 昼ご飯を食べるために移動したいと思い ます津屋さん駅周辺は混んでいましたが魚 には本当に素晴らしい場所がいくつもある んですよねえ今回はここまで車で連れてき ていただきましたがここが佐賀鳥とか僕も 初めて来ました今回の趣旨はずらし旅です けれども本当に素晴らしい建物が並びつつ あまり観光の人がなぜか来ていないさっき ねえロンドンからいらしたという方と すれ違ったんですけどももうそれちょっと 道案内などしたんですが本当にそれだけ です ねこの先に赤い鳥居が立っていてその鳥居 の下にある町なので佐が鳥居本というそう です昔ながらのかぶき屋根が並ぶ国の充電 券に指定されたところだったかと思います この先に赤子山って山その上に神社があり まして昔そこへ登っていく人が大変多かっ たそうですその手前にある今は食事できる ところや宿泊もまだあるのかなというよう な建物が並んでいるところこんないい ところで静かにお食事ができるなんて京都 でなんでここが人でいっぱいにならないん でしょうね本日食事をさせていただくのは あの宿つやさんですちょうど先ほど注文を させていただきまして煙があのかきの上の 隙間から出てきますよこんないい景色が あったんです ね実は前から知ってはいたんですが ようやくいい機を得て来ることができまし た傘もねこれ貸していただいてるんですね 素敵なところですよなおここから剣道50 号がこの左側ですか分れていくんです けれどもこれを進んでいきますと先ほど 小方駅の辺りで歩いたあの狭い道に至り ますもちろんあご神社にも至りますその 手前のここでお 食事お食事のメニューも非常に高級なもの から比較的お頃なメニューまであります よ今回はjr東海ツアーズさんと決して決 してjr東海ツアーズさんのご協力も いただきお昼から海石料理を食べようと いうことになりました靴は先ほどここに 脱がせていただいたんですが知らぬ間に 片付けていただいていますね失礼し ます1番古い玄関の部分は400年以上前 に立てられたのだそうでここはここでここ はその400年前の部分ではありませんが イ野口さんに発注して作ったものなんだ そうですね食前地から順々お持ちいただい ておるところですがえこれがまずねえ梅 そうです梅の実より梅の話がします 突き出しからもこんなにいいやつないや それねあの外観とあの親切な皆さんからし ていいものが出てくるってのは想像に固く ないんですけどいいウですねこれこれオス のウかしっかりしてるこう食べごたえの あるバージョンですね柚やウニやその他 解散物の香りが合いますねこんなに合うん す か下の緑色のアは名の花だそうですこれ これハグかこれこんなに立派なんですね いや色々僕もハグねいただく機会もあり ますけど今まで食べたやつで一番立派だな ま僕もね美味しい料理散々食べさせて いただいてますしあの向側にJR東海 ツアーズさんも一緒にいらっしゃってるん ですがまみんなねいろんなこう出張でこう 食べる機会あると思うんですけどみんな うまいうまい口口にうんもう全てに圧的に 手間がかかっていますよね名の花をここ まで薄くスライスしてたくさん入れてくれ 次はですねこちらですえのこと上はウとそ からカスを会えてくれてるんだそうです ねこ三勝とかのこ組合せのうわすごいな なんすかこれなんかねこういう言い方し たらちょっと比べるのは失礼な言い方な気 もするんですけどあのものすごくパラパラ でね1個1個があの分離している様はうん なんかマクドナルドのフライドポレット みたいなそういうこうパラパラ感があるん ですよ物はねそのそれよりも非常に繊細な 味ならもちろんそうなんですけど説明でき ない美味しさですね今までに感じたことの ない味覚を提供してくれていますやっぱ この混ぜ込まれている京都の色々な スパイスがあるからね柔らかい竹の子 しかし歯ごたえがあってそれに今までに 嗅いだことのない香りと味覚が加わります 本当に美味しいですよ説明の言葉の力を 超えているっていうだけでねご飯に青く 混ぜ込まれているのは木の目だそうです スーツチャンネルもこの季節感に見習わ ないといけないよ [音楽] 何が素晴らしいこの皮がねお刺身みたいの 美味しいですねこれだけで食べたくなっ ちゃいますよ続いてもまたすごいのが来 ましたねえまず薬から行きますか薬味だけ でもねのとこれは花わさびというのがある そうですね上に散らしているこれは何のお 花か僕ちょっと共用がなくてね分からない んですけどそれからこのネギも大変細か切 られたものがあり上にかけられている ソースはこれはフグの白子のソースでえ このメイン中に入っておりますのがフグの 小目を炙ったものだそうですそして1番下 にはポン酢が敷かれているということで いやどれだけ途方もない手間がかかってる のかなそれをねえ今 から開封させていただきますがフの白子を ソースにするんですねああああもう完成さ れてるじゃないですか [音楽] 圧倒的な噛み応え食べ応えですよこうした 素晴らしい料理を食べ続けてお腹いっぱい になることができるなんて幸せだと思うん ですなお皿も美しいですよね余白を多く 残したこれありた焼きですよねえ裏側を 変えさせていただくと失礼ながらはいあ かきえもん書いてありましたこのかきえも は皆さんご存知のjr九州の7つとかでも ねあの車内の内装品に全部使われてまま そんなことを言わずとももう日本の古来 からの最重要輸出品でもあった時代もあり ます人間国法の方の作品ですね不動の メインはあですよねえ本来今シーズンでは ないのですが特別に仕入れていただきまし て本当にすいませんありがとうございます ここはあの宿ツヤということですねこれは ねえ料理があゆあの料理が名物の宿泊施設 という意味ではなく昔この上流の方で小川 で取れたあを5書に献上するという時に鮎 の水を一旦ここで交換して休憩させた後に また5所へ持っていくということであが 止まるところだからあの宿なんですね すごいこういうのはねま京都に行けばこう いうことをされてるところてあるでしょう けど僕みたいなやつがここを取材させて いただけるともう中からたけのこの香りが 炭がもうすでに入れていただいてあります が湯も小などの天ぷらものももう全部いい 具合に仕上がっているのでお好みでどうぞ となことでしたあ軽い ね昔佐野に集まっていた貴族や皇族の方 たちもこういうことをしてたんです ねそういう場所ですからここ は僕は別にそのね家族とか貴族とかそう いう生まれではありませんけど平民生まれ ってのもいいことですよねこれ特別な体験 としてうわこれはすごいと感激できるのも いいことです スーツさんどっか京都のいいお店知らない ですかって言われたああそれならもうサの 一番奥に行ったつやさんがいいですよ そんなこと言えたら周りからの尊敬を集め そうですよねここを知ってるなんて すごい一々に紹介したら一目置かれるよう なところだと思いますこういうのも計算さ れてるんだと思うんですけど炭が下から ほかに温めてきてこのたけのこは常に熱い 状態ですしかし熱いと言っても熱々では なくこのまま口に入れてえけしてしまうと かそういう心配もありませんちょうど良く なっています うん完璧 [音楽] や続いては大牛です出ました大牛最高です ね日本の誇るね有名な牛肉って色々あり ますけど神戸ビーフとか松坂牛牛ここら辺 じゃないですかこれそのまま食品サンプル にして自分地に飾っててもね来るお客さん からの超得そうな美しさあんですなこれは しゃぶしゃぶということらしいですえ さらに横についてもうこれだけを見ても 京都を感じるのにはぴったりですがチリと おっしゃりましたねえ京都のスパイスです よね大根おろしやえポン酢のようなものこ 会えられた特別な味のするものだと思い ます嬉しいですねん肉が絨毯みたいに 柔らかいです本当そんな感じですね食べた ことのない味ですねいろんな肉料理を食べ てきたはずなんです けどこれも なんか最適化された味 だ僕ごきがこの素晴らしい料理を評価する のもちょっとおこがましいことなんです けどいや本当ねこの細かく入ったネギが あるのでこれを少し口に入れると遠くで ネギの音がするんですよね噛むとね うん今回の旅行の1番の思い出はこれに なりそうですがまだ分かりませんよ明日も ありますからねこれは何かなとこれ三勝 らしいんですよ三勝の要はつぼみつぼみと かなのかなこういう味がするんですねお花 なの か 大コケないなと思いましてあよく考えたら まだお梅が残すたそれもに飲み干しました もうそうしてしるべきです全部美味しい からねさて石料理といえばにご飯こおつも があいい綺麗ですねえいただけますけれど もこんなに美しいお鍋で炊いていただいて 中身はこいうですね え当然ですが葉っぱ1枚残さずに頂だいて 帰りたいですね春のたけのことウナも合い ますねいやあと参照もま全ての合うんです けれども昨日はうに合う卵焼きを食べ今日 はこんないいものを食べその合によく入っ ているこの歯ごたえのいい食べ物は何 だろうなこれはね教えていただいており ますこれはアワビアワビだそうですおけに 至るまで普通じゃないですよ何ですかこれ これこれね何なのか分からないんですよね 非常に歯ごたえのいい多様の多分僕の知っ てる食べ物だと思うんですよだけど調理が うんいわからんうどかな持月のかけたる こともなしみたいな感じのお食事でしたね こんな経験人生でそう何何度もしてこ なかったですわお代わりをお願いすれば するだけまだまだね鍋の中にこういういい ものが残ってますからお腹がはち切れるの と調整しなければいけないな嬉しいこと ですね夢心地のコースの最後はイゴの ゼリー寄せのデザートでおわりとなりまし た食べ物飲みならず美しい内外装にも目を 向けてから帰りたいです ね春の掛軸に春のイケばなんです ねアドの傘はあああいうな可愛いですね へえ長いしたですけどここに1日滞在して もいいぐらいですしなんならここを目的地 として京都にお越しになるのでねあの十分 そういう風の場所だと思いますんでま予算 が少しするかもしれませんがその予算はね 大丈夫ですよEXずらし旅で演出されば 大丈夫ですご帰る前に見ていくべきものが ありましたねえこれがアギの水槽です上流 から水をここに吸い込んでえそしてまた ここに川に戻していくそうです水槽なん ですが溜め込んでいるというわけではなく 常に上流からですね水がこう流れ出る構造 になっていて川と同じ状況なんですねそう することで鮎があの生きられるそうです 今回知れていただいた血合いがこんな感じ です上げていただくとビチビチビチと 小さいから逃げないように網の中に入れて あるんだそうですね建物の一番古い部分に はいくつもこう札が並べられていますが これあれですね昔あご神社にに集団で参拝 してねあの定期的に参拝する方たちがこと いう集団を作っていた時代の常連さんたち の札ですね大昔のものですね建物のかきは にちょうど1週間前に直したんだそうです ね絶対ここ来るべきだと思いますね空車の タクシーも来てい ます奥と言われるエリア佐野の1番奥に こんな綺麗なところがあるんです ねさんご主人もでしたうわあんなトンネル もあるんだこっから奥もさらに面白そう ちょっとね奥はまた来たいと思いますいや ほ僕はね偉そうになんかここが佐嵐山で 云々んだとかなんか言ってますけど僕も あんまりちゃんとこの辺回ったことなかっ たんですなんかこんなに色いいものがある んだったらもうあのここで1日全て ついやしていや3日ぐらい費やせると思い ますねまどこも京都はどこでてもね3日 ぐらいつい合せますけどもま本当はこの山 のものすごく上の方へ行ったえ登るべきな んですけれどもでもねちょっとそれ ものすごく大変なんですよもう車で行くと いうこともできないですしねえ今回は ちょっとその登山になりがちなコースは まあ一旦外しておくことにします予想通り 雨も止みまして静かな魚の景色になりまし たすごいお寺がたくさんありますよ僕前 から来たかったんですが二村院です小倉山 と書いてあります有名な小倉100人一種 もここで藤原のサエが選んだそうですね門 は町時代のものでさっきの小川の渓谷を 切り開いた住倉両院が一したそうです大人 のランの時に後輩してしまったそうでして でその後これもまた伏見城に立っていた ものを一したんだと言います伏見城には ものすごく昔お寺みたいなのがたくさん あったということなんですね今はね近鉄の テーマパークのお城が残ってます がここも時にいいですね目線の高さに桜が 咲くでしょうこの2院は元々は平安の前期 に昨日紹介した佐賀天皇が開いた眼のお寺 となってい ます大で静かな参道はさっきたくさん降っ た雨がまだ少し残って流れていてとても いい雰囲気で京都で私たちはこういう場所 に来たかったんじゃないかということに 気づかせてくれますが芳ばしい香りも漂っ てきますこれはね人長というそうでま僕が 今調べた限りでは室町時代ぐらいに日本に どうも入ってきていたようだということな んです が分れぐらいの頃からここで受け継がれ てる可能性はあると思うんですよね歴史 自体は平安時代から皇族貴族たちの集まる ところとしてずっと活躍してきたわけです からすごい貸切参拝みたいな感じじゃない ですかいいんですかあ出たこの壁ですね この壁に何本線が入ってるかってのは確か 見所なんですよね京都5所とかもそうなん ですが壁に5本の線が入っているものが こういう京都ににある壁では最高ランクと なっていてすなわちここが元々天皇陛下の 一族によって開かれたところですから最高 ランクの壁が設置されてるわけです ね前の両陛下の時かな建てられた行光の 記念費も立っています今でもゆかりがある わけですよねちなみに日村院と言いますが 五本尊がお二方いらっしゃるのでその名前 なのだそうですでここがその正面ですから ということは本来は多分ここから来るのか な改めて直子問をくぐり中に入れさせて いただきましょういや本当に貴重な機会 ですよ通常は直子問というのは大抵の場合 閉じられていると思いますなかなかこうし た直子問を我々平民がくぐれる機会はない ですもう一度上を見上げてみたいと思い ますが小倉山と書かれておりますこの変額 は直学5柏原天皇によるものだそうです5 柏原天皇というのは京都がみんな後輩して しまった1番大変だった時期大人のらの 時期にござにあった天皇だということで 1番大変な時のものですねさらに中に入り 5本道上にはまた変額が掲げられています がこちらはその5柏原天皇の後やはり1番 大変だったという時代に即位されていたご なら天皇により書かれた変2イとあり ますおそらく歴史上皇室が1番大変な状況 のに深くここに帰依した奈良天皇がこの 二院を復興させるために作られた建物が今 にも残っているそう です今回は特別にお寺の名前の由来にも なっております2の5本尊様も撮影させて いただきまし た最も撮影ではなく見ることであれば誰で もここへ来ればできるわけでしてそれも また貴重な機械だと思います並びてい ますなお手を少し片側に寄せたような姿の お釈迦様Okのようなマークを作っている のがあ様となっています横にはすごいこと がたくさん書かれた解説な気がありました まずこの建物は京都の都のま今で言う高居 のような建物と同じ作りになっているそう ですつまりここに天皇陛下がいらっしゃる という前提で作られているということだ そうである週利のようなところにお邪魔し てるということになりそうですね また解説を読んでみますと現在でも旧石関 系2条系3条系など藤原市の皆様がここを 膨大児としてお使いになっているそう ですご本尊は大人のランの中にあっても 守られていたそうで鎌倉時代のもっと前の ものとなっていますさらに大人のラの前後 の時期1番大変な時に書かれた5柏原天皇 による明法連結を貴重な文化剤も公開され ておりすぐ近くに見ることができまし た佐賀天皇もそうですが昔の皇族の方たち はいや今でもそうかもう本当に分泌に優れ た方ばかりですまそれが一番重要なこと でしたもんね文学がほれ商人の書いた文章 も残ってる7剰制裁えどれどれ鎌倉時代 念仏に極楽王城と年商人あ随分年商人のは 現代風に書いてあ違うこちらはねえ解説の お寺の方がお書きになったのこちらです ねこんなのが残ってるのすごいですねその 弟子の1人としてシラの名前もここにあり ます当時はシラという名前ではなくそう シャックシャックさんだったそうです 極めていいずらしたになっていると思い ます ねこれ で街中降りていけばあの京都のいつもの 観光の争があるんでしょうま実際には今ね 実は換算期なので街中も比較的ついている んですがお寺の中に神社がありました八車 の宮発車の宮というものかな えすごいまず厳重な屋根がこの屋根自体も もうすでに文化剤の息に足していると思い ますが板の屋根の下に8つの神社が並んで いますすごいね北の神社坂神社吉神社田 神社アタ神宮ごめんなさい熱田神宮伊勢 神宮などすごい神社が勢揃いしているこれ 自体が室町時代のものだそうですよく明治 時代の新物分離廃物役の時代にも耐えて 残りましたねわすごい味噌院にももちろん 墓所がありますがここには住倉両院の像が ありますこれ先ほども名前を出しましたが 小川藤川天竜川あとは京都の高瀬川とか ですね鉄道マニアをやって鉄道の歴史を 調べてると結構この人の名前が元は住の 領域が改作したみたいな出てくるところで もありますねそうした方の早々たる メンバーが並ぶ墓所に行ってみ ましょうおここも金をついていいですね心 を落ち着けて静かについてください合唱 [音楽] ちなみにこの金はびっくりするほど長く なります1分ぐらいなり続けるんじゃない かな昨日のミーデラのとはまた音が違う ようですけどね5所の一角にはこの場所で 100人一種が選ばれたというしぐれての 跡地がありましてここからの眺めは 素晴らしいです 佐野愚かはか遠くの京都市街中心部まで 全てを見渡すことができ昔の人もきっと この晴れやかな気持ちは変わらなかっ たろうという思いに浸ることができました 墓所は色々な方のお墓がありますが僕が見 たかったのはここかなあここですねそう ですねえこのお墓ここに眠る方が二条成行 さんという方でこの二条成行は最後の関白 そして進化として最後の接しをされた方で えすなわち石間政治の終わりに位置した方 だそうです今ねちょうどテレビでも石間 政治についてやってますけれども藤原の 道長とか寄道とかのねえ西暦1000年頃 が石間政治と言われていますが学校では そうわるんですが実際には明治維新まで ずっと石間政治というかセシ関白の制度 自体はあったんですねそしてずっと藤荒市 の一部の人たちがえ苗字は1条2条3条と か高塚小江え九条とかですねそういったお 名前の方ただと思いますがえ藤原市の一族 の方がずっと代々接しカパを務めていまし たがそれも明治維新の時にじゃあもうそう いうことはやめようという突然決まって 大勢復古とともにセシ関白の制度が なくなったそうですつまりこれを持って 藤原市が接収していく日本の貴族の政治と いうのは終わったということなんですね逆 に言うと割と最近までそういう時代はあっ たんですねま振り返れば645年の大下の 開心から始まって藤原市は ずっと政治の調定の中枢にい続けたわけ ですよねそんなに歴史の長い一族って他に ありますか次に行くところはですねまた例 によって日本酒の授業だったら太地で書か れてあのテストにはまず間違いなく出るで あろう大閣です佐賀のもねテストに出ます けどここは大角でありますんね清林寺です すごい立派立派です ね佐にも結構いいところが結構っていうか とんでもなくいいところがたくさんあり ますんででもあんまり人は歩いてないじゃ ないですか有名になる前に先取りしておく ずらし旅です よ有名な場所ってのは当然ながら有名なん で混んでますからねここが大角の表参道で すでに並び立つ関連のお寺の壁の雰囲気も すごいものがありますがあ すごいあ例によって私のような身分ではね ここを通ることはもちろんないですけれど もこれが大各自の直子問ですね元々はこの 地を選んだ佐賀天皇の利宮として開かれた 大閣はその後も陰性により歴代の法王たち が過ごした場所 です史跡大閣5章後と書いてありましてで 元々宮殿のような場所であったところへお 邪魔しますまずは取材のご挨拶からここは 観光の人たちが訪れるような建物ではない みたいですがこの比較的新しい建物でさえ うわあ相当な見応え ですではその豪華見学ルートを見させて いただきますここで靴を脱ぎまして一般に は撮影は禁止されていますが今回はお許し をいただきました私たちはこの靴箱の ところから入りますが本当の表玄関は こちら側菊の五紋章があわれたまさしく表 の入り口ですでここから向かい側を見ます とこれはすごいです ね乗り物が置かれていますがこれをおこし と読むそうでこの五問章を見るとこれはね 昔のゴルダ鳳凰の使われたものだそうです ゴダ鳳凰というのはどうした方かと言い ますとあの大変優秀な方でえここで実際に 陰性を行ったということでそんなすごい ものが置かれているとは僕は知らなかった んですが入っていきなり驚きましたそして またこの立派な表玄関は江戸時代の初め頃 5所から一されてきたものだと言います こう書いてあるんですね5書より一された ものでこれに京都5書に行くと今でも四神 殿とか星稜電とか昔の皇族方がお使いに なっていた立派な建物がそのまま残ってい ますこれ見るべき場所ですがその前のやつ を持ってきたということなのかなそんな 驚くべき豪華な乗り物があるとは僕知ら なかったのでえ来てまずいきなり驚きまし たあこういうすれをかけて三門のお顔が 直接は見えないような形になるわけですね あの時代劇で見るやつですね本物ですよ 鎌倉時代のただ一応あるいは後に復元され たものとも考えられると解説があります この驚くべき立派な玄関は江戸時代の初め 5所より一されたものでありましてま つまり元々との宮殿がここにそのまま残っ てるということなんですねまた豪華な背景 のえこれもまた可能栄徳とその名を聞いて 知らぬ人はいないえごめんなさい僕ねこの 作品の名前自体初めて聞いたんですが松に 山頂図というの綺麗ですねこのように玄関 だけ見て帰っても十分豪華だと感じられる 場所になっていますがまだ玄関に好きませ んから大確実リパで行きましょう次は殿 ですあの天の居所を神殿と言っていた時が ありましたが皇室の方 が出されて法りになる時に使う施設がこの 先です ねこれがその5所より一したという神殿 ですすなわちここに出血された元天皇陛下 あのつまり法王様がお住まいになるという ことなんですね法王さんの法王様の継承は 法陛下でいいんですかね今の時代には使わ ない言葉になりましたあちらを見ますと 先ほど裏側から見ました本当の正式な 入り口ですね法王様や直子の方はあそこ から入られるということになるようですね 壁には5本の線が入っていますまたおひな 様のお代り様とおひな様と同じようにえ 左側に左側の方が上という風な考えをする わけですねえ左側が立花でえ右側が梅と なっておりますがこれは元々中国の昔の 平安時代の初め頃に塔の文化が非常に強く 入っておりましたがその当時からの伝統で サコンは梅となっているそうです今日は ちょっと暗めなんですが雨戸が開けられて いてこれがこう上にバーンと開けて くださっているわけですがここにはねえ 飾りのセミが付いていますこれは全部職人 さんが1個1個手作りで作ったもので1つ 1つ形が違うそうですセミは生まれてから 死ぬまで1度も摂取をすることはないので そのような清らかな生き方清らかな国に なりますようと願いを込めて作ったと言わ れていますまたタガドラマとかで見るやつ ですねミスですねすだれがこの内側に可能 山落の描いた美しい金兵部本日は天候が それほど良くはありませんが晴れている日 など光が差し込んで極めて美しいそうです 今も極めて美しいですが天井はまた甲子場 の作りになっていてえこれが 天井の作りとして最上位の角に当たります と今教えていただきました特別に症状を 開けていただいたんですがこの内側の金具 のところは真ん中が青いの語問でえ周りに 菊の語問がわれていまして徳川が後続とえ 関係を深めたりですねえ筋中並びにくし ハットとかで取り締まりをしたりした時の その力加減をもしかしたら表そうとしたの かもしれないようですねこの殿から続く村 の廊下はあ確かにそうですね今これ教えて いただいたんですが天井が少し 低く頭がちょっとつっかえるんじゃないか という近さですがえこのように近い場所 ですとまつまり上部分が狭いので刀が上に 使えてしまいここへいらっしゃった身分の 高い方たちの体を守るためにも役割を 果たしたと考えられていますまた歩いてみ ますと床がもうちょっと先の方か な廊下を皆さんが気になるとキュキュキュ がなりますウス張りです ね物が現れた時にもその音が分かるように と抜き足差し足で歩いて も音は立ってしまうわけですね鳳凰様をお 守りするための大切な監視装備だったよう です前回も忍を訪問しましたが忍も悶絶寺 として有名ですがこうした皇室の方が実際 にやってきてお勤めになるお寺として1番 古いのがここだそうです 松が植えられていますが右側は高松の宮様 で左側はひの宮様のお上の松随分大きく 育ちました昔に植えられたものですねと いうことで今でも皇室との関わりが大変 深い大角樹はこのまた立派な建物三戸ここ はですね菊のご問がわれておりまして大正 天皇のご意の際にお祝い事などをしてここ に一した建物だそうです天皇が元々お使い だったものだそうですね向かい側には真 正面に直子問がありましてえ手前にあり ます石部隊はこれは何ですかときしたら 元々ここに本道があったのではないかと 言われるところだそうです撮影させて いただけるありがたいまたとない機会 です向い側にもまた菊のご問で閉ざされた 扉がありまして60年に1度あの向こうに ある分泌に優れたとならい佐賀天皇の書物 があ書かれたお社教が公開されるとのこと え佐賀天皇の書いた室が見られるなら次は いつ公開なんですがあと55年後え僕が 81歳の時に公開だそうです頑張って 長生きしたいですねその60年に一度開か れるという新行電この中にお経が収められ ておりましてでここに今ねえ石が敷いて ありますが実際に公開される時にはここに 橋が渡されるそう です次はえ20799年頑張りましょう ここの説明によれば元々佐賀天皇が当時 活躍していた空海攻防大使と共に社長を 行って祈願したところ例言新たかに悪病 悪霊退散し多くの尊命が救われたと言われ ていますという当時からの歴史ある社標が 奉納されてるわけですねこのように古く から高室と仏教というのは深い関わりが ありましたが明治時代の頃はねえ日本のま 国防の関係もあって日本は神の国である からえそもそも新党が本来だみたいな考え がですねえ主流とさせられた時期もあり まして廃物希釈の時には大変だったのかな と思いましたでそしたら教えていただいた んですがここに映ってるこの建物はえ元々 京都の東山の別のお寺の小道だったそう ですで廃物希釈の折りにこの建物は使わ なくなりえここに移築されたのだそうです ねということは一されてくるぐらいです からま比較的その廃物希釈の波も穏やかな ところだったとそうですよねま明治時代に より天皇を中心にしようという時代になっ てそれで廃物希釈をやったわけですけれど も元々ここは皇室とゆりの深いお寺なわけ ですから許可をいだいて中も映させて いただきましたが確かに廃物希釈の一言で これを失ってしまうには惜しい見事な内装 です特に今年は竜年だということでこの達 を見に来る方が多いとのことですよ道のの 中央には江戸時代の初期に徳川家との 難しい関係を構築していたゴミの条項の姿 が祀られてい ます日光東小宮とかもねえゴミの条項の あの書かれたものが置いてあったりします よねまた大閣といえばこの池が大沢池と いうそうですけれどもありまして有名です よね今教えていただいたんですが佐賀天皇 の時代からこの池は存在しすごいだから 西暦が800年とそれぐらいの頃からここ にあったわけですよねすごいなますけども でここにこう船でこう出ていって夜の時間 にね船遊びをするとで満月の月の時に月を こうやっぱりね昔の人は月を直接見るので はなくこの大きな池に移った満月の姿を見 て宮に楽しむということだったそうですが そんな昔からこの池あったのかと思ってね そんなに古い時代と思ったら日本最初の 庭池で最も古い庭園と言われておりえ日本 で1番古い人工池らしいですですよねダム の皆さんもここに来るべきですよね日本の ダム八の地とも言えるんじゃないでしょう かちなみに現在はえこの下流のところに ですねえまた田んぼとかね畑とかにこのお 水を使われる方がたくさんいらっしゃい ますのでえ実際にこの水を開けたりえ閉め たりという管理はえ地元の組み合いの方が されていてその農業のためにも連携して 日々運用されているそうですですよねそう いう話が興味深いなえまた発症の地として のものは色々ありあそこの奥に島があり ますがあの島のところに佐賀天皇がお船で 上陸されて咲いていた野をお積みになって それを生けられたのが日本の池家道の 始まりなのだそうですあそこに船が止まっ ているのが見えますが月の時期には私たち 平民も今ではあに乗せていただいておつみ をすることができるそうですそして肝心の 本道にまだ行っておりませんでした大閣の 本道は五大道と呼ばれておりまして ありがたく許可をいいて取らせいいている ものですが私もね今ここに来てあの教わっ たことなんであんまり偉そうに説明でき ないんですが平安時代の初め頃攻防大使 空海がここに来て五大明王像を掘りまた 同時に分泌に優れた佐賀天皇がここで社業 を行ってそして祈願をし始めたのが始まり だということですねその時からここでは五 大名像をご本尊として祭っているのだそう ですそのた 同じくらい古くから重視されているのが社 五大道は社道場ですお社されている時はお 静かにお願いしますありましてここに分ち などが敷物などが置かれていますが今ね もう皆さんえ今ちょうど閉まった時間なの で誰もいらっしゃいませんけれども たくさんの座席が並んでおり佐賀天王の昔 のお勤めに習っ て私たちも車に務めるというのもいいと 思いますちなみに車にも色々なパターンが ありましてこうした形であの海外の方 なんかねえ言葉を使わなくてもこうした ものを借用するという体験もできるそう ですもちろんこういう風なあの比較的簡単 なものなどもあってこれも人気があるそう ですね大閣自の観光も終わりました今回は ねカーシェアを利用して移動させて いただいたんですけれどもあの大角時から 今回利用してるホテルとかね佐賀嵐山界隈 まではバスの便がありますんでそれも便利 ですよ2日目の工程はこれで終わりですね 旅館の温泉に入るとましたらこんなんおる んですねこれ昔のこの辺りの写真じゃない ですかあの戦前エがきというやつですね これは明治時代か大正時代ぐらいかなこれ いつですかね今はこういう風に船を都月鏡 に繋いだりはしていませんあ昔の都月鏡 ですね昭和10年代より前だあこれなんか いいじゃないですか昔の京都観光の小川 下りですねまやってることは今と何も 変わっていないように見えますけどね先導 さんも3人体制だ人数が違うぐらいじゃ ないですかでこういう風に用にやってるの もあれば戦後しばらくの頃まではこういう い流しがあったそうなんですよね要は上流 の木材を川にそのまま繋いでくらせて しまえばいいとで多分いの方が水の抵抗が だいぶ大きいのでえこういう急流の区間で は速度が早くなりがちブレーキをかけるの もま多分多少に早かったと思うんですけど もでそうするとね田の業者さんとこの船の 業者さんとでなんか対立関係があったそう ですねで船の方があの加速力がゆっくりな んですけれどもいはどうもこの給区間で 一気にスピードが上がってしまうようでえ そうするともしもこのいくつもね船といが 行列して進んでいるという時にこの船の方 が給区間に先に出ていってしまうといは 衝突防止のために船がしばらく先の方まで 行くのを一旦止まって待たなければいけ ないということで船が先に行くといな人 たちは怒ってくそみたいな感じですねえお 互いに場所の取り合いをしていたそうです ま今はねもう船しかいないみん力の差は 生まれないので関係ないんですが道民系列 といえばお風呂ですよね天然温泉えここに ですねそのドミ系列おなじみの湯がり アイスコーナーもあります無料サービス湯 がりに一休みして遅れやす湯上がりにえお 湯上がったら1回だけ食べてくださいって いう意味なのかもしれませんねここは京都 ですからあの一休みはいいけど2休み3 休み5つ休みみたいながダメですあここの 書お風呂にお1ついかがですか2つ以上は 食べないでくださいねっって意味なんじゃ ないですかいやわかんないですけどね京都 風じゃないですかそういうのはあったら 食べましょうそのお風呂もですね普通の大 浴場もあるんですがま僕はそれでもいいん ですけれどもこういうのもあるんですね 貸し切りよやご案内貸し切りコーナーがえ なんと5種類もありまして予約不要で利用 できますで僕があの一般の風呂の方に ビデオカメラ回しながら入っていたら大変 なご迷惑になりますので今回はこの5種類 の中からうん地底の露天風呂炭酸風呂青 だけに囲まれた世界が人々を静かにじゃあ ここにしましょうこのランプの消えている ところは自由に入れそうですあお風呂もお 風呂じゃタオルも無料サービスねま持って きましたけどね部屋 からちゃう違うタオルが使い放題っって いうことじゃなくてここにお風呂の足拭き マットがあってこれを各自1枚持っていっ てで自分で敷いて使い終わったらまたそれ を次の方と交換するというスタイルなん ですねだこれ必ず取る必要があるんだ よしこういうことですね服もうちょっと 綺麗に脱げばよかったかなあいけるいける いけ鍵かけ ないこういう感じです ねあのねこ僕が一番気に入ったポイント は広さ及びモラルいいゆか分かりませんが 謎のこの清潔さもいいんですけども謎のつ の清潔さもいいんですけどあそこにね電柱 がです多分あそこに行動とかがあるん でしょうね外から全く見えないですけど これを見るとお外で風呂入ってるって 気持ちになれてねえすごくいいですでも あそこの電子柱の工事する時はちょっと気 を使いそうですよね誰かねあの電柱に登る 時もあると思うんで関西電力の方がかま そこはうまく調整している でしょうお風呂はかなり広いです4人でも 入れるんじゃないか なここは竹ささがテーマのところだそう ですが他にも色々ありますからね おなんかすいコケとか結構力入れて整備し てますね少々短いですけれども入浴の時間 はこれぐらいにして夕飯食べに行き ましょう今日は1人で私はご飯を食べるの でここを用意していただきました今日はね JR東海ズさんたちは一緒には食べません 扉閉まるの閉まるんですかあ閉まりますね あすいませんよくできてるじゃないですか あの昔のブルートレインのあけぼの号の ソロ寝台室があるを思い出しますね限られ たスペースをうまく仕切りを使ってえ効率 的にお客さんを配置してくれていますいや でもまあの1人当たりのスペースもとはい めちゃくちゃ広いですけどねそうそう jr東海ツアーズの案件で開けとか行って いいのかまま大丈夫でしょういいな今から 説明してくださると思いますおもうあり ますね僕は勝手に開けてるんですけれも 昨日と全然違うじゃないですかさっぱり フレッシュな感じですねこれアン肝だそう ですアン肝かお結構食べやすそうだね レモンをこうガチャッとつけて食べ ましょううんさっぱり だしそやネギも入れてくれるからさらに さっぱり だ風の子もありますねうんこのかの子が 使っている出汁がものすごく濃い昆布の 香りなんですけれども昔からあの日本海 から福井県の今度新幹線ができる敦を経て 琵琶からかのとかが京都まで運ばれていた あと昆布ですね昆布かのは日本海ですよま 京都の典型的な伝統的な高級な 食べ物 うん出汁の出汁を吸いまくってね昆布もか のもそれからゆり根も多分何ヶ月っていう 単位で保存が効きますよね要は保存色なん ですよねで北海道分ゆり根もね北海道が すごく多いと思うんですけれどもその 北海道からの食べ物をうん 運んできて京都の直文化が完成してるん ですね蒸し物もできたか なできてますねおおうわー気圧が変化した みたいです肉の厚みが変わりましたなんて 言えばわかんないけど袋みたいになってる な神社のお守りみたいです よあけすぎちゃったまいいごまだれの レベルが高いですねなんか中の成分が色々 入ってます ごまを食べてるって実感を与えてくれます ねこれが本当のごまだれ だ1日に2回石料理食べたのて僕人生で 初めてですねアカ2でもそう石料理って ことじゃないですもお昼 は他にですねご飯とかも先に持ってきて いただくようにお願いしてしまったんです が昨日の天ぷら食べ放題サービスもあり ますねもう食べすぎないようにしないとな 昨日は食べすぎてしまったわ 東海の皆さんもめちゃくちゃ食べるからね 僕もなんかこもうみんな食べるなら僕も 行っちゃうと思っご飯と一緒にお持ち いただいたものとしてあそうこれ僕は里芋 あんま好きじゃないですけど里芋まじはね サクサク食べられますね里芋まじとそれ から最強焼きをも色乗ってますねこの味噌 とかねこれいいなと思いますが最強焼きを 持っていただきました最強焼きこれあり ますけども最強焼きってつまり焼きのこと なんですよね明治になって戸がになりえ 今日は最強になったんですね一応ねえ今で も東京と京都がえ両方とも日本の首都とし てえ並存しているんじゃないかとあくまで え両方とも首都なんじゃないかみたいな 日本の都をどこにするかっていう決める ルールもないですしねえいうこと説もある そうです最強は別に戸田公園ではないん ですねその分かる人少ないかなこの話味そ から行く かあと他に持ってきていただいてるのは これですねえ類これは昆布と一緒になっ てるのかなこれをご飯に乗せて食べるそう ですこね物系とかやっぱ昆布とか保存性の 着物が美味しいですよね漬け物もあいます もどんどん乗せてしまうなやっぱ京都は 大昔からのね歴史のある食べ物色々持って いてで海から遠いですから海産物をどう やって保存して食べるかということで いろんな美味しい物が揃ってんです ね おいめちゃくちゃ昆布なするこれ全部昆布 ですもんねどうすんの これ全部食べたらもう今日塩分取すぎだ な悩ましいなどんどん食べ ちゃうさらに選べるおかが出るわけですよ ねいや相当食べたなデザートにいただく このピンク色のものは何ですかとナタで ココだそうですあ好きなんすよねピンクお 柔らかいなこのナタデココは アイスキャンディも食べて ますドミの味です ね朝ご飯の前にも無料サービスがあった いいよこれ目覚めの1杯じゃ グレープフルーツネガ でしょ昨日チェックインした時もね黒豆が あったんすよね豆飲むれ 全部制覇しながらいきたいですねよし 朝ご飯メニューは大体同じなんだろうと 思った全然違いますね昨日ともう1泊し たらさらに変わるのかな変わりそうですね こういうのもあるんだなこれねえ温度を 管理してくれてあの黄色い硬くなった卵に してくれてますねこれこれがいいですよ 半熟卵だとちょっと食べづらいからね今日 は晴天ですね背景の嵐山外観もいい建物 ですねあこの電信柱があれかな向こうの やつかな僕は昨日ニューヨーク町に見た やつだで画面の奥に阪急の嵐山駅があり ましてあの嵐山駅のねこの脇にあるこの謎 の広場これが阪急電鉄の土地らしいんです ねでこの駐車場も阪急系の土地らしいん ですよここ元々駅だったのかなこれね航空 写真見ていただくとこんな感じで駅の目の 前に旅館があってその向い側に川が流れ てるんですけどなんか使ってたのかなこれ 多なんかね急電鉄との関連があると思うん ですけどあれ寝癖が治ってないな何なのか 分からなかったんですよね旅館の設立の 経緯が朝時間帯は人がいないので今が チャンスですおお飛ぶとり があのおじさんが餌をくれるおじさんなの かなここねまた席がありましてこの向こう のところに今は一層も見えないですけれど も小川下の船が最後到着するところがある んですよねそこからクレーンに上げられて 回送されていきますハトの荒山が 素晴らしいね今から渡るところは中野島 でしてまこんな感じで暇になっていますだ から昔ここが水温の拠点として使われ まくっていたはずですよま今でもそうか この川を流れ下っていけばま東海道新幹線 が京都駅を出発した時にねえ通ります桂川 になるわけです ね阪急電車もいいんですけどねやっぱ晴れ てる状態の付きを渡りたいのでJRで帰り ます3嵐山は結構面白かったですねまた しっかり行きたいですね 今一度の美ゆきまたなんて感じかなあっち が小倉山ですねあ小倉も食べなかったな あのアコ発生の地ですよねバスもいっぱい 来ます ね京都はバス発生の地でもあります日本で 最初にバスが走ったのが京都らしいです ちなみに今のト鏡は昭和初期からかかって いるそうです結構古いですねもちろん木造 ではありませんがこの橋がかかってからは 橋が流出してしまうみたいなことは なくなりました2018年にも増水があっ てえ橋の柵が全部流れてしまったという ことはありましたが橋自体は大昔のもの からずっと変わっていませんあいいですね 日が刺してきましたね佐嵐山の駅に着き ましたこっからの景色はね結構馬鹿にでき ない見といた方がいいですよここまでの 落ち着いていた広い景色から一気に山岡の 小強に入っていく小倉山も見渡せる眺め でしたあ今日は雑炊で川中止ですよよかっ いや2つの意味で良かったね昨日行けた からっていのもそうですし昨日増水になる 結構ギリギリのところでね行くことができ たんでいやそのギリギリの基準がかなり 余裕を持ってるから安全性は大丈夫だと 思いますがいいタイミングに小がくれまし た雨のおかげです今日は水曜日ですから トロッコ本給なんですよねトロッコを水で 洗って掃除してあげていますあこのホーム の端っこの部分この佐賀嵐山駅はね知っ てる人は知ってる電車運転のゲームの聖地 なんですけどもここで電車運転するゲーム があるんですよあここは昔のまんまって 感じだなあまでかい声で喋るとうるさいね おおホ強から一気にかけれてきましたまた 2種類の電車がくっついてね前と後ろ だ後ろのやつは古いすよかなり もう京都駅の構造の関係上後ろの号車の方 が続いていますが乗り換えには時間かかり ます [音楽] [音楽] 京駅に降りましたらまた先日見た恐怖の 列車が福井までノンストップで止まるやつ が出てきましたこの間見たのと同じ時間の やつですねま今から向かうのはねアカです から間違えてあれに乗る人はいない でしょうなそうなんです次に行くのはアカ でございましてここから近鉄特急で南方に 奈を超えて行ったところです今回京都 ずらしたずれすぎだろギは意外とそうでも ないかもま今回一応紫式文人気にあって 貴族とか皇族とかねえそうした方たちの ゆりの地を見て回ってるわけですけどま 藤原市ですよね今から行くところなんか まさに貴族発生の地ですからお待たせし ました近鉄特急を 利用伏見駅の手前では伏見城の建物が見え ます最もこれは本物ではなく近鉄が昔 テーマパークとして作ったものが今でも 残されているのですが徳川家康や豊吉の 時代にここが政治の一大中枢として機能し 壮大な景色だったらしいですねそして当時 の建物がミデや二村院などを復興させる時 に流用されていったのだと言います伏見城 がよく見えるのは伏見駅の前後の辺り割と 一心ですからぜひ注意してGoogle マップなどながら写真にめてみて [音楽] くださいさて列車は京都盆地から奈良盆地 へやってきましたこの奈良盆地は昔からお 米がよく取れるところだったそうですて今 は水があまり多くないということでため池 がかなりたくさん設けられています川と川 の間3角のため池を掘ったりとかね色々 頑張ってやっていますがどうも大昔は大な 池がこのにあったらしく実は水の弁が 良かったんですねえそしてあまり大きな 大きな川というのがありません昔ねこうし た開けた土地は大抵水害で洪水の被害を 度々受けざるを得なかったようですがどう も奈良は昔からま今も水害が少ないと言わ れていますが技術のまだ整わぬ時代には この奈良こそが日本で一番安定した年だっ た可能性があるそうですねほらまたため池 と小さめの川の組み合わせです地図を見て いきますと現在地の奈良盆地よりも西側の 大阪平野の方が広く土地が使いやすいよう に見えますしかし実は奈良時代頃までは この辺りはだいぶ海が広がっていたよう でして土地も広くなくまた大きな川が流れ ていて水害の心配などもあったようです それに比べると奈良盆地の方が大きな川 などは比較的少なく災害の懸念が少なかっ たようでさらにその中でも奥まったところ にこれから行く柏原の宮さらにもっと奥に 行ったところにアカの宮が作られまして ここが日本の中枢として古から使われて来 たようでしたこの間日本銃弾の時に降りて またやってきたなという感じです奈良盆地 の南端柏原神宮前駅に着きまし た広い奈良の盆地はここまででここから先 は少々山口な区間となりその先に飛鳥が あります伝説によりますと京都が都となる よりもはかに昔今から2600年ほど前に ここに任務天皇が最初の宮殿を置き首都と なったそうですその柏原神宮も駅を出れば すぐのとろにありますがただ本当に ちゃんと根拠を持って科学的に存在したの が間違いないと言われる古い昔の都として 飛鳥の宮があります行ってみましょう飛鳥 村へそこまでは電車に乗っていくというの がま一番すぐ考えられそうですが駅で ゆっくり写真などを撮り過ぎて電車が行っ てしまいました次は30分後の11時の 電車だと言いますちょっとそれでは時間が かかりすぎると思いましてでも駅にもね収 バス乗り場など色々と出てましてアクセス の方法が多くあるアですバスに乗りていく ことにしまし た出発して左手を見ますと丘が見えますが これは丘ではなく古墳らしいですなんでも どなたの古墳なのかということはまだ 分からないそうですが参考地とされており もしかすると大昔の天皇金明天皇のお墓な のではなかろうかと言われているとかいう 話ままだまだ調査中ということですがこう したものが大昔のそんなに昔のものがあっ てゴロゴロと出てくるのがこれから先の アカ です簡単にきましたと言いたいところなん ですが実はバスを乗り間違えておりまして ちょっと違う方向行っちゃったんでねそっ から走って巻き返してきましたア駅前こう いう風になってんですねレンタサイクル屋 さんがあり名所が点在しているアカを回る にはぴったりですJR東海タのずらし旅の クーポンでここを利用することもできます 一旦道の駅へ行って引き換えが必要なんだ そうですけど 基本的にはこの自転車の貸出しということ になっておりしかし差額を支払うと電動 自転車になります絶対こっちがおすすめ ですよこう見ていただくと分かると思うん ですがアカは大変気腹の多い土地でして 足腰のトレーニングをしたいというので なければあの電動自転車って高いんですよ ねだからね50000円の差額でこれに 変えられるんだったらこっちの方がいいと 思いますけどねブリストン製 です僕もね昔ア来たに自転車で回って分ま 便利でしたよ見所点在してますからねただ 今回はちょっとあちこち取材させて いただくという兼ね合いでえ時間を正確に やっていく必要があるので自転車で行った という手にして実際にはあの車で行きます 本当にこんな感じで点在しておりまして 自転車で回るにはぴったりのところですね さあ楽しいサイクリングの始まりです郊外 学習の中学生たちがたくさん歩いている ところをjr東海ツアーズさんの ドライビングテクニックを発揮しおお急に 道が狭くなってきましたねジンジン進み ますもちろん安全第一で運転中左手にも何 やら畑のようなものがありますがこれもね こう木の生えているところありますよね これも古墳らしいんですよねだから古墳が 多分古墳だと分からなくなって死地になっ てそれで人々が畑を作ったりとかしたと いうことなんでしょう [音楽] かどうも天自天皇量と書かれていますが それが今は畑になったということなのか なアカは奈良ボンチよりもさらに1段 上がったところ山に塞がれた奥まった ところにあるところでしかし結構土地は 広いです大きな川とかもないので昔水害の 危険がなかったからかなり使いやすい土地 だったのではないかなと思い ます今から1500年ぐらい前の時代と いうのは想像以上に水害が激しかったのだ そうです ようわすごく狭いとバスがバスも ビュンビュン早いなあのバスさっきここ 通ってきたのかなこんなこんなところなん です ね今どこを目指しているかと言いますと無 事故に終わった大下の開心の場所を 訪れようとし大丈夫ですね 素晴らしいjr東海ターズの誇運転技術が 発揮されていますここ行けるんですよね この先も僕だったら絶対脱する おお安心と信頼のjr東海ツアーズですよ まこうしたようにちょっと難しい道も多い のでやっぱり自転車がねおすすめなんです ねずらし旅のクーポンを使ってどうぞご 利用くださいずらし旅のクーポンはあの 1人1個なのでえ今回は使ってないんです けどもう使っちゃいましたか着きました ここですねこの場所が今日本で分かって いる限り最古の天皇の住んでいた宮殿の 跡地とされておりますアカの宮跡です そして藤原市の長い歴史もここで始まり ました645年に天皇暗殺ほどの強い力を 持っていたというそのイルカを中富の かたりと天天皇がよっしゃあいつはもう 滅ぼさなければならないこの場所でみ力 合わせて首を切りましたそして天皇の知性 は守られたのですみたいな話がですねよく 言われますがいわゆる大下の開心もここで 始まったのだそうですねましかしこうやっ て見ると随分小さいなという感じがします があのここに解説がありましてこんな 小さい宮殿にねみんながこうぎっちり まとまってあの天皇もねなんかそのケの人 たもみんなこうちっちゃいところであの 座敷みたいにしてギチギチに暮らしていた わけではないですよもっと大きかったんだ そうですねえ今分かっているのがま大体 この辺のエリアが大体発揮されたという ことでえ全体としてはまこのぐらいの サイズであっただろうま確かにこの辺の兵 を見るとそういう宮殿とかが気付けそうな 広大な平らな土地となっておりましてこの 1番奥のところにですねちらっと今見え てるあの2階建ての建物ありますけれども あそこら辺までがまちょうど宮殿のサイズ であったということだそうですねだここ あくまで発掘されている部分の一部だと いうことでしょうでここに発掘されたのが 1400年前の井戸だそうでして大下の 開心の時の井戸ですねこっからこれはね 排水溝らしいです結構しっかりしてたん ですねまそうじゃないとね昨日降った雨も ここにまだ残って若干ぬかるんでます けれど人が過ごすのにはなかなか不快な 状態になるでしょうから排水溝をきちんと 掘って使いやすい都を整備したようですあ 奥に現在の排水溝もありますねこの公園を 使いやすくして中学生たちもお弁当を食べ やすくするわけですねまた向こうにここ から見下ろすといい景色が見えるじゃない ですか奈ボンチの方向北側が開けています ここが随分上へ登ってきているということ が分かります多分こっちの方がね土地的に 安定してたとか攻められとそういう事情が あったんだと思うんですけどね645年に 藤原のがえイルカの首を跳ね飛ばしてで その後ずっと今に至るまで密接にあの皇族 との関係は今の時代でもね藤原市の方って あのいらっしゃいましてでそれ中に出入り とかされてる方多いみたいなんですけれど も今の時代でもあの密接に繋がってるわけ ですからすごいですよねよっぽどその鉱石 があのレジェンドレベルだったんですね じゃなかったらもしかしたらその時に滅び かもしれないですからのイカがねなんか やったりとかていうのがあのこう今に 伝わっているあの今の時代の人たちからの 味方の歴史だということですね中学生たち からねチャンネル登録者何人って聞かれて 何人って聞かれるってことはあじゃあ僕の ことは知らないんだなと思って逃げてき ましたこれこの後の肯定も詰まってるから 中学生たちにまあまあ致命度なる YouTuberだってことがバレるとね 記念写真を永遠に取り続けなきゃいけなく てあの程にが出るんでさてあ今ちょっとね 看板が行き過ぎましたけれどももここは今 分かっている限り日本で1番古い都があの 確かに存在したという場所ですで当時日本 には仏教が入り始めてきたわけですがその 時のえま当時で言えばあの最新Aのあの 仏教がですねえここにまだ残ってますそれ もすごいよく残ってますよねまやっぱり それだけ昔の人たちがこの場所を災害の 少ない場所を都の地として選んだ先の名が あったということかそれプラスあんまり ここがその後ね兵に焼き打ちされたとか そういうことがあんまりなかったんじゃ ないです信長がアカを全部焼きましたと そういう話もないですしねあというまに 到着しましたアカデラには自転車も たくさん置かれていますこ自転車で来るの はいいところですよここはアカデラは日本 で1番最初のきちんとしたお寺でありまし てお寺の歴史はここから始まったと言って もいいと思います藤原市の先輩にあたり ます蘇市が自分たちのお寺として仏教を 取り入れて作っていったま当時最新Aのお 寺ですよね 日本最の仏来の流がここで行われたつまり 日本で1番最初の国産の仏像ですね605 年からのアカ大仏を拝むことができます このアカ大物と書かれた石碑も完成4年と ありますから江戸時代の200年前の大変 古いものですが仏像はその7倍以上古い わけですねあでもこの石もまたアカラ剣の だからこれやっぱやっぱ1400年前の やつなのこの石もア本道です今は小さめの お寺となっていますが元々は大変大きなお 寺だったそうで日本最初にして最大レベル の大きさだったようですこちらが我々が目 にすることのできる日本サコのブス像五 本尊のシニ像です奈良の大仏でも長い歴史 を持っているとどうしても部分的に壊れ たり直したりする部分がありますが少なく とも顔と手の部分についてでは剣当時作ら れた当時と全く同じ状態で特にその顔付き が他のお寺で見るような仏像と大きく 異なる印象を受けますまだ伝わってきた ばかりの日本化されていない大陸式の顔と いうのかな鼻筋がキリっと通っているの など海外から入ってきたばかりの仏教文化 最新鋭という感じがします仏様は石の上に 乗っているのですがよく見るとその石の 両脇には穴が空いておりまして反対側にも 穴がいますこの穴には 元々このような形でま本当はねえ左右にも また仏像が置かれていたそうですそしてえ 放流寺の釈迦三尊像が有名ですけれども それと同じようなこういう状態であって さらにはですねこのお道がここに再現の イラストが置いていただいてるんですけも もこのような剣Over豪華な構造であり あこれはあのガラ配置が直線的ですよねえ 門から塔からえ近藤動と並ぶあの大昔の今 でも大阪の四天王寺を安野はから見下ろし ますと一直線に建物が並んでいる初期の 仏教のガラ配置というのを見ることができ ますがアスカデラはさらには近藤が3つも ありましてここに123とありますけれど も最初にして超豪華な構造となっています 当時日本にこんな立派な建物というのは 存在しなかったそうでおそらく日本で一番 立派な建造物群だったと思いますこういう 道の造技術だってまだ日本には当時なかっ たでしょうしねえ仏教を取り入れることに よって今の日本の住宅にも続く重要な河 屋根の技術とか高層の安定した木造建築物 を建てる技術とか色々なものが経済的な 利益も伴って伝わったようですお寺は一般 的に南向きに立てられるのですがよく見る と五本尊は少しだけ南と違う方向を向いて 作られてるようにも見えますでこれはま 理由はよくわからないらしですがもしか するとこの当時まだあの方位をね南北を 知るのは天体を観察することによってのみ を行われていましたがこの建物自体は今の この建物は江戸時代のものでして当時磁石 を使ってより正確に作れたそう です5本尊は見された1400年以上前 から全く場所は動いていないそのままなん だそうですですからそう考えると後から 作られたこの建物の方がまちょっと五本尊 に対して斜めに作られているということも ま言えるわけですよねもしかしたらこの 角度の違いは1400年前とまそれから 江戸時代とになって方位を知る技術が向上 したことによってま生まれたものなのかも しれないと教わりまし た横にですねその当時の三尊のようにして えここにはまずアニラ像が置かれています がこれは網上土進行というのは平安時代に ありましたけれども藤原の道道が活躍した 艦政治全盛紀に実際にここに藤原の道長が アポなしで訪問したこともあるそうですね 1400年前の部材も展示されています こうしたものが1400年前日本には存在 しなかったのでえ仏教が取り入れられたの と同時にこうした新技術を取り入れて建物 はグレードアップしていったわけですねえ こちらはね平常教先度1300年記念で 作られたタペストリていうのかな西陣折り で作られたそうなんですがこれが元々 オリジナルの状態元々は全部で30km もの金を金髪として貼り付けてゴールデン の姿だったそうですあとはけまりのマが ありましたけまりは飛鳥時代からあった そうで今でもね藤原市の方とか九州に行っ てけまりされてるそうですけれどもこれを 中野大江の王子と中富のかたがこうお互い にけまりをしているところで出会って蘇の イルカを倒しましょうと結びついていった んだそうです ねそのけりが飛鳥時代にここで行われてい たそうでしてこの名の花とかが咲いている 先のところかなここで中富の蒲と中野大江 の王子がけまりをした時に出会ってそがの イルカはもう殺しましょうよと話があの 膨らんでいくきっかけになったのだそう です本来はそ市のウデとして建てられた アスカデラ現在でもそがのイルカの首塚が 置かれています花が備えられています ね言われていることの1つとしてはこの 向こうの方にあります宮殿のところでソノ イルカの首がえとこのように跳ねられまし て跳ねられた首はその後向こうから飛んで きてここに落ちたのだといやまさすがに それはないと思いますけどねあのそういう 風な話もま誰かが作ったのかえ一応話とし ては言われているそうです今の建物は江戸 時代つい最近だと思えてしまいますね江戸 時代がアカ時代の時にここに立っていた 豪華絢爛な建物の書籍だけが一部残ってい ますここに昔の近藤がありましたが近藤は 1つではなく3つあったとここに1個ここ に1個さらに向こう側に1個あったわけで 普通近藤というのは1つしかないですから ままるでねあの某鉄道会社のグリーン車が 3両連結になってるような感じですよまた 五十の塔はここに立っていておよそ600 年ほどは早見からずっと存在していたそう です600年間も残ってたとはすごいです ね鎌倉時代に落雷でここにあった五十の塔 は失われてしまったとのことですがまみな ねえガランはその時に失われてしまった そうなんですが鎌倉時代さえ割と最近に 感じてしまうな最近まであったんですね 建物が落雷で燃えてしまったとこのの解説 にもありますが室町時代からしばらくは 後輩しなんとかまおそらく地域の方々とか がこう小屋を立てたりとかしてここにある 日本最古の国産の仏像を守っていたという ことですで江戸時代のある時下の柏原の方 からやってきて通りがかった方がこんな ボロボロなではなんとかいつか立派な道を 私たちが作って差し上げたいなと思って夜 眠りに着いたところその日の晩の夢枕にて え早速仏様が現れもう近頃そういう風な 立派なことを考える人はいないですから もうあなたたちはすぐに実行した方がいい ですよと言われていやもうやるのは今しか ない今でしょうとそれですね立派な小を 立ててまその後えまた現在のように安定し てえできてきた時代のようですまあまあ まあま歴史は長いですからねすごく色々 あったと思いますご住職が見送って くださいましたあのご住職はね僕の動画を ご覧になってるそうですねでなんか近鉄 特急のこの動画を皆ましこの動画も最近 出かけられないのでえスーツさんの動画見 て一体気になってますもしお出かけになる 際はぜひずらしたご利用くださいて言って お別れしましたアデラのご住職にも動画見 ていただいてるとは光栄です ねはい続きましてお昼ご飯はこちらですも 一瞬で着きました食べてみたかったんです よねアカ鍋もちろん現代風にアレンジされ ていると思いますが 年の昔から伝わる同料理牛乳スープで煮鍋 というのがこれです ねアカ時代当時もねえそというものが大陸 から入ってきたそう で出汁は何の出汁なんですかき出汁はね 秘密だそうですあそれは 面白いお鍋待ってこんな綺麗ななもん ばっかり食べてこの3日できましたこの 白いつぶつぶと浮いてのこれは牛乳の成分 ですよねアカは日の牛乳文化発症の地だ そうです興味深いことにさっきは真っ白で あったおつはですね全部牛乳の成分が 固まりまして済んだ色に変わりましたでも 匂いはクリーミーな匂いすますこれ面白い 食べ物です ねいただきます農水産のページによると 地域の方も食べてるらしいですねという ことはそれだけ美味しいってことだ地元の 人は名物なんか食べないよとか言本当に 美味しいものは ねあ本当は風味が違うブロッコリーに特に こうよく絡みついてね風味が良くなります よこれは他の場所では滅多に食べられない 味ですね自分地で鍋に牛乳作れ入れれば この味になるかって言ったらならないと 思うんですよ ね聞いたこの鍋を食べるためにもう何十回 何百回で来るお客さんもいるそうですよ これを目的として店の方がおっしゃる通り なんですけど他の何に似てるみたいな味の 説明しはないんだ よここれを味わうためにここに来るしか ないということですかとたら目の前に さらに牛乳が追加されました次第にまた これが済んだ色に変わっていくのでしょう 牛乳を混ぜていただいた後また再加熱して 全部固まるまでは早しでご覧いただくこと にしましこんな感じでどんどんどんどん中 のが発生しまして最終的にはご覧のような 状態にここなるんですね下の方を作って みるともう全部透明になっています他に 煮えるまでの間にですねこんないいものも 食べられますこれかの外しです柿の外して 元々奈良県の南部でね食べてるものらしい んですけれども和歌山で取れたサバをこう 柿の葉っぱに包んで持ってくるというもの なんですがあなんかすごいちょ僕が知っ てる駅弁の柿の外とかいなんか本来っぽい お寿司っぽい柿の 柿の葉っぱらしい香りも少しついているの がいいですね最後は牛乳成分おじやみたい にまとめさせていただきました うん牛乳を食べる体験です よお店の方も親切今回はなんか親切な方 ばっかりですねもなんか怖い人とかに合わ ないですねそそえ石部古墳が次の目的地 です鳥は全般的に空気もいいし雰囲気は いいとこなんですがやってきたこの石部隊 古墳はお墓ですよねつまりね偉そうに言っ てる僕も来るのは初めてです小学生の時に 手塚オの漫画に見ましたねこんな古墳は他 にはないですよままず周りをこういう風に お掘りを巡らせているようでその内側に土 を持ってお墓を作っているわけですがまず これが誰のお墓なのかと言うと藤原市の前 に例によって高速の近くで活躍をしており ました蘇市の蘇のうのお墓ではないかと いうことなんですがま普通古墳はねこんな 前方公園墳とか有名ですけれども土が持っ た状態になっていて石がゴロゴロしてると かはありませんしかしここには巨大な石が ボンボンボンボンこうこう置かれていてえ その中がどうも石室になっていてえお墓と して使われていた場所ではないかという ことなんですがこれ本来はこの上に土を 被せるそうなんですねでこう山盛りにする らしいんですよで他の古墳もそういう風に 山盛になっているような古墳というのは たくさんあるそうですそして見晴しも よければ周りのお掘の規模も大変立派な この石部隊古墳もやはり元々は上に土が 持ってあったようなんですけれどもそれが 人為的に取り外されてま破壊の作業をされ てこのように石が露出してしまっていると いうことなんですねこれ僕の感覚なんです けれどもちょっとね何かいるようなんです が中にまその馬このの嘆の声かもしれない わまともかくですねえ僕の感覚ではここに を盛り立ててでこの大晶にこう持ってきて てのものすごく大変な作業なわけでそれ 一度やって完成したらもうあとは掘って おきたいですよねできればねところがえ わざわざ完成した後にえ時間と大勢の労力 をかけてえこれをこう壊していったじゃ なんで壊したのかってことですよねそれは 多分あの本当の理由は昔すぎて分からない と思うんです要は天字天皇や藤原のかたり によってそが市の時代は完全に終わりまた そがは悪いことをした人ですですという風 なのがま今のね日本の歴史の一般的な イメージじゃないですか古墳というのは 個人の権力を示すために作られるものだと 言われますけれどもそんな悪いやつのお墓 を権力を示すために残しておくとは けしからんということでえ一生懸命この土 を取り払ってですね破壊する作業をしたん じゃないかという話がありますよね僕も そんな気がしますだつまりそがのうこ なんてやつのお墓をここにこ残しておく なんてもお前の古墳はこうしてやるこうだ こうだまこはこれで立派な景色なんです けれどもまあの一応古墳としてはえ ボロボロの状態で今も残っているとのこと ですすごく立派 だそが馬子はなんとのスシ天皇って大昔の 承徳大使より少し前の天皇を暗殺したと いうようなこともありましてニコの歴史上 ねあの天皇を暗殺したのはもうその蘇う しかいないらしいですそんな強大な権力を 持った人のお墓の中に入れるになったら 良い機ですよね一般的にこういう立派な 古墳は内町が管轄していてまなかなかね YouTube撮影のカメラを入れると いうことも難しいのかなと思うんですが ここはあの後続方のお墓ではないので要は ソうの墓と思われるので内町管轄ではなく ア村の地元の管理のようですま飛鳥時代の 一時期にねここに眠っていたかもしれない あの蘇市が力を持った後それが藤原に 変わって藤原は何百年もずっと皇族と一緒 にいるわけですからすごいですよねそ市の 有名な3台は馬子エミシイルカですけども 馬子とエミシなんてねもう名前にバカと 入ってますしエミシもあのそれ自体が あんまり良くない意味の名前なんですよね 元々はそういう名前じゃなかったんじゃ ないかって気がするんですけどねちょっと なやっぱその後の時代になってそがは悪い ことをしていたので私たちが取って変わっ て素晴らしい政治をするようになりました みたいなま後の勢力のあれもちょっと 感じるところでありますけどねそういうの もあったでしょうね分からないですけど もうまこれがどうやって作ったのかって方 がね気になる方も多いと思うんですけども え元々サチにあった石をもうめんどくさい ですよねわざわざこう石をこう1個ずつ こうずらしながらバランスを取ってえテコ の原で浮かせたものをうわあ大変ですよ これをこう引っ張ってこの人は何するん でしょうあお前そっちちょっと右行ってる ぞみたいなこと指示するのかなと思います でその後その石をえまっすぐにしてもう この作業するだけで何人か潰されて なくなったりしてるんじゃないかなって いう気がしますけどねえそしてえ縦にした 後一旦その縦にしたものを2つ立ててえ その真ん中のところに砂を詰め込んでいっ てえ上にもっと大きな蓋となる石を乗っけ て最後にこの部分のねえ砂をこう取り除い ていくとこの地中にえお墓のスペースが できるということらしいですで出来上がっ たその立派な古墳ですが最終的には全部砂 もう取り除いてしまって現在に至るという ことですねまなんならこっちの方がかっこ いいんじゃないかっていう気はしますけど ねで結局そがのうこと思われるあのお墓の 上にかかっていた土は最後どうなったのか というとどうもねこの辺の整備に使われ てるらしいですあだからもしかしたら今ね 我々の車が止まってるあの駐車場とかも 元々はそがうこのお墓の上にかけるための 土だったかもしれないです自転車便利です よ今回訪れた全ての場所が自転車でなん なら歩きでも回れるぐらいの範囲だと思い ますけどねえいよいよ訪れる場所は次は 最後になりました向こうに見えてるあの 屋根は立花寺で元々はあそこにね馬屋が あったらしいですよここら辺にあった馬屋 で小徳大使が生まれたそうです馬宿の王と いうのがそのあた小徳大使ご誕生所と書い てあり ますその跡地は今お寺になっておりまして 立派なお寺ですね立花寺です つまり元は小徳大使そのお父さん陽明天皇 の宮殿ま5所がここにあったということな んですよねその上にあります立花寺は さすがに作った時のアカ時代の建物が ずっと残っているというわけにはいきませ んがしかし長い歴史の中ではお寺の建物が ほとんどなくなってしまっているという 時期もやはりあったそうなんですが 1776年からはあの奥の建物を仮の本道 としてその後江戸時代の終わりから明治の 初めにかけて徳対象尊敬する人たちの 集まりによって次々と建物が復興していっ たそうですだから江戸時代の終わりとか 明治の初めにこれらの建物が復活していっ たということなんですがつまり明治時代の 初めに日本は元々神の国でお寺と神社が 一緒になってるのは良くないですよね みたいなことになってですねえ神社に 手厚いえ待遇が与えられる一方でお寺は かなり不遇の時代を過ごしていたらしいん ですがそうした時代にあっても承徳大使 尊敬のねを持つ人たちがこのお寺を復興さ せていただから明治時代の初め頃にこう 立派な道が立てられたお寺多分ほとんど ないと思うんですけど内部の撮影は遠慮し ますが中には小徳大使の姿がご本尊として 祀られていてまた新物集合の雰囲気でねえ 中には神社で見られるような鏡も設置され ていますまた小徳大使は皇族の方です けれどもえ菊のご問が廃されえ2段3段 高いところにえ五温存が置かれてですねま 神社風というか五所風というかそういう 雰囲気になっていてあの内容は豪華です しかもその段の上に上がって見学すること ができます撮影はね遠慮しましょうじゃあ 飛鳥時代の建物とかもう残っていないのか やはりね石作りのものは結構残るそうです ねよく見るとこの灯ろはまるで中に浮いて いるかのように下の部分だけはね違う感じ の石になってますけれどもこの下の部分は 飛鳥時代に建物の書籍として使われていた ものだそうです2面もアカ時代のものでえ 右は全面これはいい顔をしてるいい顔いい 顔してるみたいです ね左はこれは悪い顔してるそうです悪い顔 してるかちょっとアカ時代のですからね僕 にはなんかこっちもいい顔にもちょっと 見えてしまうんですが逆になんか右側の方 が悪い顔してるようにもなんか見えてきた なこれはなんか僕の心が汚れているからな のかなとか思ったんですがあそれ別に逆に 穴見えたりとか両方いい顔に見えたりとか してもあの問題はないそうですまた使を しってここへ参拝にやってきて立派なお寺 を作り上げていった人たちは何者なのかと いうとやはりですねそういう参拝の組織が あるんですねえ大阪に特にものすごく 多かったそうですえ太子光というのがあり まして伊勢子とかね富士校とか今でも言い ますけど伊勢神宮とかね第2次対戦の 終わりまではそういした集まりが結構盛 だったみたいですねえところが戦争によっ てその組織のまとまりも失われてしまった のだということですこれ見るとですね結構 その大阪の方からえ大勢参拝が来てまして 大阪市とかね池田とかえ色々あるんですが 横の年号を見ると昭和18年とありまして 割と戦争の後期まで大阪からここへ人々が やってきているみたいです戦争中とか あんまりねあのお出かけは良くないですよ みたいなあの星がりません勝つまでは みたいな感じだったらしいんですけども ただあの皇室とかねえ天皇陛下の5先祖に 挨拶に行くのはそれはあの戦争の一致団結 のためにも大切ですねというのがありまし てそれでねあの本当にえこの時代までえ来 てあの参拝のあれが入ってるっていうのは 結構珍しいと思います最初に作られた時は 先ほど言った四天の寺のように一直線に 建物が並んでいたということですがこの 手前にあった50の塔はすごいですね 40mこんな大きなもう書籍だけは今でも 残っていますでこれが随分変わった形をし てるので住職にお聞きしたんですがえ 真ん中にその塔を支えるま首頭のような ものがあってでその脇にこれ3箇所ですね え斜めにさらに支える支柱を設けてえそれ で高い建物を支える工夫だったそうです 仏教と共に高層建築の技術も伝わってきた ということですよね40mはもう真上です ねちなみにあの通常はこういう風になって ましてあの入ることはできません今回はね 特別におよしをいただきましたまあのここ からでも十分見られると思いますそもそも なぜここに生まれた小徳大使が評価尊敬を 受けているのかといえば簡易12重条憲法 建水士派遣など政治主案が大変優れていた からだそうでしてそんな招徳大使は何だっ たのかというとま天皇になりそうだったん ですが天皇にはならずに亡くなってしまっ たんですけれども初めて女性の天皇が日本 の歴史上登場した時水子天皇のセシとして その政治の手助けをするま実質的に政治の 中心だったんだと思うんですけどね当時 天皇が対位するという制度がなかった らしくて小徳大使がま実質的にえ男性の 天皇としして政治をつかさどるということ だったらしいんですが名目上はナンバー2 事実上はナンバー1て感じじゃないですか その承徳対子に始まった清勝の制度は今の 日本にも残っていますがそれを活用し天皇 の手助けをして政治の中心に立ったのが藤 わし一族だったわけですねでその時代に 現地物語も書かれ紫式部も出てきてタガ ドラマにもなっているということだそう です自転車観光の方が多いすね自転車便利 ですよ自転車は返却したという手で阿駅に やってきましたねもうあは電車に乗って 戻るだけなんですけどすごいねご案内名所 案内が書ききれないじゃないですかご乗車 ありがとうございまし た な乗った電車は大阪阿部野橋行きでした これ乗っていけばそのままもう天王寺の真 正面に着きますから徳大使が直で作った点 の見られますよて感じなんですがもう さすがに帰る時間です一応この刑事の通り ここから大阪にも長屋にも京都にも行ける んですが京都が断然近いですで今すぐの 京都方面の連絡列車は急行なんですけれど ももう疲れたので特急で帰ろうと思い ます2号車の12Dにしましたこれはね今 もう夕方で太陽が西向きに向こうから差し てくるので今ホームで見えないですけど 向こうから差してきて眩しいのでこっち側 にしておいた方がいいんですねあとこれが なくちゃ始まらないおしりはあれおしりが おしがおしどこだ多分ここにあるはだあっ たおしりもそうんですけどまず手を洗って からっていうのは実は昨日お伺いしたあの 宿つやさんがお土産をくださっていまして あちょっと僕がね少し形を変えてしまった なこの美しい桜餅をご覧いただきたいです ねつぶつぶですよ歯ごたえのしの良さ本当 は2個入っていました餅はお米からできて いるのだということを復習さてくれる つぶつぶ感でありながら滑らか ですをご利用いただきありがとうござい まし たもう寝てたんで一瞬で着きましたね そしてそのまま新幹線ホーム10分後の新 幹線に乗り換えの予定ですが今日の朝 行こうと思って時間の関係で飛ばして しまったところがあったのでこれですね 帰りの新幹線の時間を 変更パスワード等をログインして予約の マイページのところから新幹線の時間を 簡単に変更することができますこれはね このEXずらしたの1番大きなと言っても メリットですんでこれ見てください列車 のみ変更差額なし普通こうした格安ツアー は帰りの列車の予定時間を変更するなんて ことは到底許されないんですけれども好き な時間を選んで予定に合わせじゃもう ちょっと遅く帰りたいな新幹線の時間を 変更することができますま他にも色々格安 の航空ツアーとかありますけどにして差額 もなく好きなように変更できてまた座席 位置も空いている限りにおいてですけれど も好きなようにして選べますはい変更する 購入とありますが差額はありませんのでお 金はかかっていませんこれで19時30分 のあと1時間30分後望みで帰ることにし ましたただねこれ選択肢が18時21分発 の次が19時30分発となっていて実は 18時台と19時台の間が空いています今 のはねjr東海の越した情報処理能力に よりまして本当に混雑する時間はまたまに こんな感じでその日によるんですけどま ちょっと選べない時間帯というのが発生し てくることもありますこれはつまりあの その点でえ我々はずらし旅の大きなね 割引きの効果を受けているわけですねで その見たい場所というのは地下鉄今出川駅 に向かうんですが今出川駅から地上へ出 ますと同志者大学のレガの建物が並んでい ますが門の内側はほぼ全てが同志者大学に なっていますがごく一部ほぼ全方大学の ビルに囲まれた中に和風の建物群があり ますここから先ですねこれは本物です よ何かと言いますと本当に今も昔と同じ ように使われているという貴族の方のお家 ですま貴族というよりはクという言い方が 正しいのかもしれませんが藤原市1問の 冷静系住宅があります洞察なんかかかって ないですよ ね京都はどこに住んでいるかによってまた どれだけ長い間そこに住んでいるかによっ て人々の力関係が決まると言われています が京都に住んでいる人たの中で力関係の トップに立っているのはまずこのレゼさん のオタだと言っていい でしょうこのレゼさんのオタのすぐ反対側 には京都五所がありますすなわち明治天皇 まではここで身分の高い人たちが皆過ごし ていたわけですこの辺は京都で最も歩くの が恐れ多くなる場所だと思い ますの方に近寄ってみ ましょう門から中を覗いてみますとまご 存知の通りこのようにだいぶ暗くなってい ます昔はここに皇族や貴族身分の高い人 たちがみ集まって住んでいたわけですが 現在はもう全員明治地震で東京に引っ越し てしまいまして自転車の通り道なっている まそういう公園としての使い方が主流です しかし中一部は昔の雰囲気をまた 取り戻そうと壁などを復元している場所も ありましてちょうどこのの近くには桂の 宮宅族のお方の壁が復元されています5本 の線が入っていておそらく後続だから でしょうね最高位の壁として扱われている ようです一方でこちらのレゼさんのオタク の壁を見ると確かに壁に線は入っていませ ん皇室に使えるま進化というかあの貴族の 身分でありますしまたその貴族藤原市の中 でもセシ白をされるような家柄というわけ ではなかったのでま我々からすれば とんでもない家柄なんですけれども ともかく5本の線が入っていないていうの は多分そういうことなんだと思いますです がこのレゼさんの住宅は京都5所の外側に 位置していたということもあって明治期の 取り壊しも免れることになったようでまた 明治になってからもうほとんど貴族は みんな東京に移り住み藤原はみんな京都 からいなくなってしまったわけですがこの レゼさんのオタクはずっとここに住み続け て今京都に残る最後の本物の貴族として ここでなおも活動されているのだそうです 我々一般人がこう見るということはでき ませんがま例えば先祖には藤原の定あの 100人一種を選んだ方とかここのお家の 方ですからまそういう歴史を外から垣見 られるだけでも十分幸せなことだと思い ます何でもよく言われるのは明人心の時は あくまで天皇や久一族は京都から とりあえず東京には行ったけれどもまた ここに戻ってくる可能性もあったという ことでそのを預かるために冷機がここに 残り続けたのだそうですねまちょっとここ は本当のところなんでねあの中を撮影する とかそういうことは今後もできないと思い ますけれどもえ確か年に1回ぐらいあの中 が重要文化剤だということで公開されまし て1000円ほどお支払いするとあの門の 中に入ってですねえ建物を外から見ること ができるそうです僕も1回行ってみたいん ですよね個人的には冷機にも インターフォンがついてるというのは なんか印象深かったですねのインターホン か見るもの全部見ました帰りますが今7時 6分帰りの新幹線まであと24分ぐらい ありますねそこで新幹線のホーム下にあっ たカレーうどん屋さんで食べていくことに しました大丈夫ですもし19時30分に 間に合わなくてもその後の39分や45分 54分といった時間にワンタッチで変更 できますからもうこの時間からあは選択肢 が多いみたいですねま45分も列車として は空席があるようなんですけれどもこDX 旅パックの格安で申し込める石数には ちょっとね制限があるみたいなのでえ 462号の方が落ち着いて座って帰れます 危ない危ない9分もあるからゆっくり 買い物してから行こうと思ってよく考え たら9分しかないですからなるだら乗り 遅れるかと思った大丈夫でした乗り遅れ たらちょっとまずいと思いますよ変更は 聞きますけど多分乗り遅れたらどうなるの かなちょっと僕も確認できてないですが 多分下に字幕が出ていると思います まもなく品川 です10時に品川駅に着きまし た地下鉄直通に乗って大門駅にやってき ました動画は間もなく終わりにしますまだ 続くのか感じですよね昼間だったら人通り が多いと思うんですが夜この時間なら 怪しまれまいと思いまして日本石中自社を 見に来ました一応今回は貴族を知る旅と いうことでやってみたわけですけれども 貴族の方はじゃ今何やってんのかっていう と明治新の後東京に移り住んだ後ですねえ 戦争で負けてからはもう貴族という程度も なくなったのでま逆にそうした縛りも何を しなきゃいけないってのは昔ほどはないの でしょうがご存知の方も多いと思いますが 日石の名誉総裁は公王陛下で名誉社長は 藤原市のトップの方だとで今度の4月から はここで愛子様もねお勤めになるそうです けれどもいやそれ知ったのはねもう僕は 大学生の頃でしたけど初めて知った時は びっくりしましたあなんだ家の方っての まだねその続のすごい近いところでそ色々 活躍されてるんだなと思いますまそうです よね何百年も一緒にいたんですからま今は ほの元の平等の時代ですがとはいえ多分 藤原市の今の時代の方たちもまやっぱ我々 の分からない大変なえ色々とかがあるん じゃないかなと思うんですけどそういうの はねあそこは貴族の方のお家でま嵐の人は 今ここで生活ここで勤務しててま僕も自分 の祖が何やってたのかとかね自分の家柄が いいのか悪いのかもよくわからない人間な んですけれどもまそういう風にあの 1000何百年の伝統とかをあの背負う プレッシャーもなくえ別にセシ関白とか そういうのでね何の無縁なあの平民の 生まれお気楽にああこれは貴族の人のね みたいな見に行ける身分もねいいもんだな と思いましたあまあのお金は多分その昔の 藤原市とかの人に比べれば全然ないと思う んですけどあのそういうの見に行く予算は ねjr東海ツアーズですjr東海ツアーズ の家ずらし旅を覚えていただいて多ここに ねQRコードが出てると思うんですけれど もすいませんもしよければあのQRコード がこの動画のコメント欄のところにあの 本当いい商品だと思うんですよねえお得だ と思いまし他の会社でこういうの出してる とこもないですからあのjr東海のえ直接 のグループ会社であります東海ツアーズの 格安ツをよければあのうちのえところから ねえ申し込んでいただくとあの僕の動画の 営業実績になりますのでまそういう風に あのあのな別にセシ白とかじゃないのでえ そういうので営業してあの生活してる人間 ですのでえよろしければえ申し込んで京都 に行っていただけると幸いです

新幹線と宿、選べる体験がセットの旅行商品「EXずらし旅」の宣伝動画です。
▼動画内で紹介する料金計算方法
2024年6月23日(日)出発の金額の一例 ※2024年4月16日検索時点
EXずらし旅を利用する場合:
往路:東京-京都 のぞみ号グリーン車指定席[EX旅C利用]
復路:京都-東京 のぞみ号普通車指定席[EX旅C利用]
京都 嵐山温泉 花伝抄 京町屋ツイン(2名1室) 夕・朝食付き 2泊
68,770円(おとな一人あたりの金額)

新幹線とホテルを別々で予約する場合:
往路:東京-京都 のぞみ号グリーン車指定席 19,040円
復路:京都-東京 のぞみ号普通車指定席 13,970円
ホテル公式:京町屋ツイン(2名1室) 夕・朝食付き 2泊 47,000円
計80,010円(おとな一人あたりの金額)

「EXずらし旅」の詳細は下記リンクからご確認ください。
https://bit.ly/4b9VHdx
昨年10月よりサービスが大幅に刷新されました。新幹線と宿泊先、さらに選べる体験がセットになった旅行商品です。
上のリンクからご購入頂けると私の営業実績になります。
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スーツ旅行チャンネルでは旅行記、ホテル、旅館のレビューなどを掲載しています。皆さんの楽しい旅行の参考になればと思っております。
交通に特化したチャンネルはこちら
▶スーツ交通チャンネル→https://bit.ly/3dzDc5i

ホテルを中心に紹介するチャンネル
▶スーツホテル→https://bit.ly/40wXEMb

うるさいナレーションを排除した車窓チャンネルも試験的に運用しておりますので、宜しければご覧ください。
▶スーツ車窓チャンネル→https://bit.ly/3k0ZKit

〈連絡先・SNS〉
□Twitter→https://twitter.com/usiuna7991
□Instagram→https://www.instagram.com/suit_ryoko_channel/
□事務方の連絡先→https://as-douga.com/contact/

取材依頼や案件なども募集しておりますので、お気軽にお問い合わせください。ただ、私宛に連絡しても見逃す可能性が高いので、事務方の連絡先までお願いします。
※贈り物や差し入れに関しましては、現在受け付けておりません。

【広告募集中です】
各チャンネルにて、広告を募集しております。
私が知らなくても全国には行くべき場所、体験すべきことや商品がたくさんあると思いますので、ぜひPR手段として検討してください。
ご予算に合わせて各種プランを用意いたしました。詳しくは下記ウェブページをご覧ください。
□会社サイト→https://as-douga.com/

【スーツ旅行アプリ】
公式アプリ「スーツ旅行」をリリースいたしました。駅にチェックインすると、その駅にまつわるスーツの豆知識が読めます。旅のお供に最適ですのでぜひインストールしてください。

■ Androidアプリ
https://play.google.com/store/apps/details?id=com.su_tuapuri.SuitTravel

■ iOSアプリ(iPhoneなど)
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このリンクを介して買い物をして頂きますと、私の懐に売上の一定割合が入ります。しかし悩ましいのは、協力頂いた皆さんには何の見返りもないということです。せめて皆さんから頂いた額を見て、視聴者への感謝の気持ちを忘れぬようにします。

※情報の正確性について
多くの動画に複数の誤った情報が盛り込まれています。そして大抵、視聴者から訂正いただいています。こちらではそのような有益な情報が判別しやすいようハートマークをつけています。

#スーツ旅行
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22 Comments

  1. 新幹線と宿、選べる体験がセットの旅行商品「EXずらし旅」の宣伝動画です。
    ▼動画内で紹介する料金計算方法
    2024年6月23日(日)出発の金額の一例 ※2024年4月16日検索時点
    EXずらし旅を利用する場合:
    往路:東京-京都 のぞみ号グリーン車指定席[EX旅C利用]
    復路:京都-東京 のぞみ号普通車指定席[EX旅C利用]
    京都 嵐山温泉 花伝抄 京町屋ツイン(2名1室) 夕・朝食付き 2泊
    68,770円(おとな一人あたりの金額)

    新幹線とホテルを別々で予約する場合:
    往路:東京-京都 のぞみ号グリーン車指定席 19,040円
    復路:京都-東京 のぞみ号普通車指定席 13,970円
    ホテル公式:京町屋ツイン(2名1室) 夕・朝食付き 2泊 47,000円
    計80,010円(おとな一人あたりの金額)

    「EXずらし旅」の詳細は下記リンクからご確認ください。
    https://bit.ly/4b9VHdx
    昨年10月よりサービスが大幅に刷新されました。新幹線と宿泊先、さらに選べる体験がセットになった旅行商品です。
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  2. ずらし旅は昨年10月に東京で甥の結婚式に参列する際に利用しました。様々な旅行サイトを見比べて最もコスパが良く大満足でした!
    今回は子供の頃に遠足や家族と訪れた場所、仕事でお世話になった施設、最後には母校まで
    …懐かしい映像満載で、久しぶりに再訪したい気持ちになりました。スーツさんの東海道自転車旅では日が暮れていた追分も今回は昼間で観られて良かったです。
    日赤で現在も天皇家と藤原氏が共に働いてらっしゃるという極上のオチ(?)で鳥肌が立ちました。
    本当にいつも楽しくてためになる動画をありがとうございます🎵

  3. 『そうだ京都行こう』とふと思った瞬間に旅行できる大人になるために頑張るよスーツ💪

  4. 我が地元へようこそおこしやす🌸

    いやはや地元なのに知らないことばかりです😂

    追分で一旦下車されるのは目の付け所がさすがでございます✨

    この辺はタモリさんも某番組でもお越しくださり魅力を存分に語っていただき京都にも滋賀にも受け入れられない
    このエリアに光が差し込みました😂

  5. 説明されているお声が心地いいです。YouTubeの他にも、ナレーターや司会進行役などで活躍を広げられるのもよろしいかと思います(^^)d 素敵です。

  6. おひとついかがですか?は、ほんのちょっと如何ですか?の意味です。ほんのちょっと、と、いうことは、品よくお気持ち頂くという意味ですが、それを理解出来るのかしら。それこそ、お家での躾ですね。

  7. スーツ君はJR東が開始する銀行使わないのかな?電車好きにはお得だし。金利以上の得点貰えるから、スーツ君に説明や使って感想聞いてみたいな

  8. 32:20 いつもスーツさんの動画楽しく拝見しております😊参考までに県庁所在地が隣り合ってるのは、他には仙台市と山形市、福岡市と佐賀市があります。

  9. 3:16:03 冷泉家住宅

    初対面の京都人同士は必ず互いの住所について確かめ合うのが常で、洛中洛外には厳然とした上下関係があるそうです。いわば現代に残った身分制度ですが「今時そんな前時代的な」と思って京都出身の友人に訪ねたら、ほぼ事実だそうであります。

  10. スーツさんの歴史シリーズ面白いし、同志社大学出た時に、冷泉家かなと思ったらやっぱりそうでしたw
    冷泉家はNHKで確か冷泉文庫の話をやっていました。ホント下調べがすごいですね。
    あと思ったんですが、スーツさんはJR貴族ですね👍

  11. 当時のままの光景が色濃く残っている箇所が沢山ありJR東海ツアーズさんとスーツさんのコラボずらし旅いい勉強になりました。

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