伝説の”雨のナカジマ”から…。4人?の日本人F1ファステストラップ【ゆっくり解説】

霊夢は歴代の日本人F1ドライバーの中で
ファステストラップを記録した人が何人
いるか知っているか最近角田選手が
ファステストラップを記録したのは記憶に
新しいけれど他にも記録を残している
ドライバーがいるのねじゃあ今回は4人の
日本人F1ファステストラップについて
紹介していく
ぜ中島悟まず1人目は中島悟だぜ中島は
愛知県岡崎市で約300年続く農家の4人
警視の結として生まれるぜ代々続く農家の
生まれなのねきっと家も広かったに違い
ないわああ霊夢の言う通り広かったみたい
で小学生の頃から家の敷地でバイクを
乗り回していたそうだぜやっぱりレーサー
は小さい時から乗り物が好きなのねそんな
中島は高校生になってレーシングカートを
始め数戦のレースに参加し優勝も経験する
んだいきなり才能が開花だわね1973年
ガソリンスタンドで働きながら鈴鹿
シルバーを切りに4輪レースに挑戦を始め
たぜ初戦で3位その後シリーズ
チャンピオンも獲得したんだぜすごいわ
順調な滑り出しだわねただこの頃中島は
慢性的な資金不足に悩まされていてなんと
借金は2000万円近くまで膨らんでいた
そうだぜ2000万円気が遠くなる金額だ
わどうしてそんなに借金が増えてしまった
のレースをする上での部品台や整備台で
増えたみたいだぜレースはお金がかかる
からなガソリンスタンドのぎだけでは賄
ないきれないわねそんな道半ばでレース
人生がえる危機的状況だったがここで中島
の元に天気が舞い込むぜ1977年7月
鈴鹿で行われる2000ccマシンの
レースに急遽大役として起用されたんだぜ
どうして急に中島に白葉の矢が立ったの
かしらシリーズチャンピオンを取るなどの
活躍によって中島という早い奴がいると
エンジニアたちの中で噂になったんだ大役
に抜擢された中島は初めての2マシン
ながらそのレースで4位という結果を残し
たこんな才能があるのに資金不足でやめ
ちゃうにはもったいなさすぎるわそうだよ
なでもこのレースでとあるチームが中島に
興味を持ったんだぜおということはそうだ
中島はこのレースでの走りを評価され翌年
最強チームとなかヒーローズレーシングに
加入するんだぜ資金不足でレースをやめる
かというところまで来ていたのにチャンス
を掴み取ったのねそうだなしかも最強
チームへの加入なんてまさに人生の天気と
言えるレースだったんだぜ1977年は
ノバエンジニアリングから後のF3に相当
するFJ3002参戦7戦前線で予選決勝
ともに1位を獲得する活躍を見せたぜ
向かうところ的なしね国内のトップ
カテゴリーで優秀な成績を収めた後中島は
ヨーロッパF2選手権に挑戦するんだ
ついに世界に羽ばたくのねでも国内でこれ
だけ強ければ世界にも通用すると思うわ
最初は前戦していた中島だったがここでも
また資金不足に悩まされるんだぜとにかく
レースはお金がかかるのねそうだなしかも
海外となると遠征費もかかるから国内
レースの日じゃないだろうなただこの
ヨーロッパ遠征で見たF1イギリス
グランプリで中島は人生が変わったと言っ
ているぜ何があったのF1のレース上の
華やかさに衝撃を受けたんだ日本ではまだ
レースは暴想族やドラ息子の集まりと思わ
れていた時代でヨーロッパでは世間で立派
に認められているということを見を持って
体感したんだぜ今は日本でもたくさんの
レーサーが活躍しているけどまだまだ世に
浸透していない時代だったのねこの日を
境いに中島は日本でのレースの地位を
上げるために走るという考えに変わったと
言っているぜ日本を背負って戦うなんて
すごい覚悟だわ本当だよなだがそんな中島
の気持ちとは裏腹に資金不足でヨーロッパ
から撤退しなくてはいけなくなったんだ
せっかく道を見つけたのにまたしてもお金
が高い壁になるのね中島は人に頼っていて
はヨーロッパには行けない自分でやるしか
ないと決意し自らの会社となる中島企画を
設立したぜ他人に頼っていたら急に撤退と
言われたら従うしかないものね大変だけど
いい決断だと思うわそうだな心ざし半ばで
日本に帰ることになったのが相当悔しかっ
たんだろうな1986年F1で勝利を上げ
始めたホンダのサポートを受けロンドンを
ベースに国際F3000選手権を転戦して
ていたぜここでも資金を稼ぐために国内の
f2にも一時帰国して参戦し稼いだ賞金を
F3000の遠征費用に当てていたんだ
中島はヨーロッパに拠点を置くことを
何よりも重要視していたのねレースの本場
はヨーロッパだからな全てを捨てて海外に
出る覚悟じゃないと到底届かないんだろう
な侍らしいねかっこいいわそんな中島に
待たしても天気がやってくるんだぜ待って
たわホンダF1の総監督だった桜井吉と死
に呼び出され翌シーズン本田がロータスに
エンジン供給することが決まりそれに伴っ
てロータスが中島と契約したいと言って
いることを聞かされるんだ念願のF1ねで
もロータスというチームは競合チームなの
ロータスは何度もコンストラクターズ
チャンピオンを取っている明門チームだぜ
そうなのねそんなチームからF1に参戦
できることになって中島のクロが報われて
良かったわそこでついに34歳にして
アジア人として2人目日本人初のフル
タイムF1ドライバーになるぜF1初年度
のチームメイトはチャンピオンを取る前の
あのアイルトンセナだったぜセナと
チームメイトだった日本人ドライバーがい
たなんて知らなかったわ実はそうなんだぜ
その後も安定してロータスでのキャリアを
継続していくがメーカー系ワークス
エンジンを持つトップチームとマシン
パワーで差をつけられていくんだあれ
ホンダはどこへ行ったのホンダは1989
年からマクラーレンに移りロータスは
ジャッ製V8エンジンを搭載することに
なったんだカスタマー仕様だからワークス
チームにはなかなか追いつけなかったのね
1989年はチームメイトのネルソンピケ
と共に予選決勝ともに注意以降に沈むこと
が多かったぜ世界最高峰のF1の世界は
やはり厳しいわねただこの年の最終戦
オーストラリアグランプリで中島は見せる
んだぜ予選ではやはりライバルから少しで
遅れて中島は後方23位スタートだったぜ
今のF1よりも台数が多いのねなんとこの
年は39代が参戦していたぜえそんな台数
で走るなんて想像もつかないわあまりにも
参戦台数が多いので新規参戦チームやい
チームが本予選に参加するための予備予選
が専用セッションとして設けられていたん
だぜ今のF1と全然違うのね本当だよな
この年のオーストラリアグランプリ決勝は
大雨でスタート直後からクラッシュする車
が耐えなかったんだぜせを始めとする
トップ勢もマシンコントロールができず
リタイアするような状況だったぜそんなに
ひどい大雨だったのねそんな中中島は序盤
から次々と順位を上げ脅威の19台抜きを
見せ中盤で4位につつけるぜ比力な
エンジンなのにすごいわそしてその後日本
人初アジア人初のファステストラップを
記録したんだ諦めずにレースを続けていた
成果がここで実ったのねでもこんな最悪の
コンディションでどうして中島はファステ
ストラップを記録できたのかしら中島は
日本国内のレースで活躍していた時から雨
の中島という異名を持つほど雨が得意だっ
たんだぜそうだだったのねそれは他の
ドライバーも認めるところで雨の中は何に
乗っても早かったそうだぜ雨だとマシンの
性能差が出づらくなるからよりドライバー
の腕が顕著になるっていうものね中島は
本当にうまいドライバーだったんだわね
間違いないぜ中島自身はなぜ雨のレースが
得意なのか聞かれた際に雨だと車は滑るが
その分ハンドルが軽くなり操縦しやすく
なる腕力がない自分にとって雨はチャンス
だったと言っているぜ昔の車は今とは違っ
てステアリングが重かったんだものね体格
差のある外国人ドライバーと戦うために
中島にとっては雨はむしろ工場件だったの
ねそうだなまたといチャンスをしっかり
掴み取ったと言える
な小林かい2人目は小林かいだカイは
アイルトンセナに憧れ9歳でカートを始め
1996年にカートレースにデビューした
ぜ憧れてレースの世界に入ってくる人が出
てくるなんて日本でのレースの血が上がっ
ているのを感じるわね中島が目指していた
日本でのレースの地位工場がしっかり実現
されているよなかいはカートレース
デビューゴも着々と実績を重ね2000年
に全日本ジュニアカート選手権
チャンピオンとなるぜやっぱりF1
レーサーになるような人は幼少期から経歴
がすごいわね2002年度には4輪レース
デビューを飾り2004年2005年は
イタリアをはめとするヨーロッパのレース
でチャンピオンを取りまくるんだぜ世界へ
羽ばたくスピードがとんでもなさすぎるわ
かいはトヨタヤングドラライバーズ
プログラムtdpに2002年から所属し
ているんだそこでは有望な選手は
ヨーロッパに派遣されて経験を積ませてい
てその1人がカイだったんだぜトヨタの
期待を背負ってしっかりヨーロッパで結果
を出すカイはすごいわね2006年は
ASMフォーミュラ3からF3ユーロ
シリーズに参戦するんだこの時のチーム
メイトは今も日本にたくさんファンがいる
セバスチャンベッテルだったぜセブと
チームメイトだったのねいつか鈴鹿でカイ
と走ってほしいわそんなが来たら最高だな
2007年も引き続きF3ユーロシリーズ
に参戦するがこの時のチームメイトは
ロマングロージャンとニコヒュルケン
ベルクだぜ前年に続いて豪華な
チームメイトだわねF1にステップアップ
した強者揃いね本当だよな2008年は
GP2今で言え普通にアジアシリーズも
含め参戦したぜアジアシリーズそうだ
2008年から2011年の4年間だけ
行われたGP2のアジア版だぜそんなのが
あったのねカイはその年のマレーシア
グランプリにて日本人として初のGP2
優勝を飾るぜその後ヨーロッパに戻って
行われたGP2本線のスペイングランプリ
でも日本人として初優勝したぜ日本人
ドライバーとして道を切り開いていく感じ
がかっこよすぎるわまだカイの活躍は
止まらないぜ2008年2009年
シーズンのGP2アジアシリーズでアジア
シリーズチャンピオンを獲得するんだF1
直下のカテゴリーで日本人が王座を獲得
するのはこ林かいが史乗発だったんだぜ
かい日本人史乗発を達成しすぎだわ本当だ
なそんなかいのF1デビューのきっかけは
急に前降りてきたんだ2009年の日本
グランプリでトヨタF1チームの
ドライバーであるディモグロックが体調
不良になってしまいリザーブドライバーで
あったカイが急遽金曜フリー走行を代走
することとなるんだ翌日グロックは復帰し
たものの予選で暮らししてしまい怪我をし
たため次戦以降を欠場することになったぜ
そうなのねグロックにとっては散々な
レースウィークになっちゃったわね本当だ
なただこれによりかいは次戦ブラジル
グランプリでF1デビューを果たすぜ
ついにF1のシートを手に入れられたのね
でもカイはトヨタと長い関係だしf1
シートも安泰そうねそう思うよなえ何か
あったのなんと2009年シーズン終了
直後にトヨタがF1から撤退することを
発表したんだぜえこんなタイミングで
あんまりだわ実はトヨタはF参戦以来一生
もできていなかったんだそうだったのね
そんな中リーマンショックもありトヨタ
本体の経営も大きな赤字を出すような状況
だったぜF1はお金がかかるからコスト
カットのために真っ先に削られてしまうの
は仕方のないことだわねああホンダも
2008年にリーマンショックの影響でF
1を撤退しているからな日本を代表する
自動車メーカーでもこんなことが起こり
うるのねそれじゃあかいはどうなっちゃう
の安心してくれかいはザウバーと
ドライバー契約を結び2010年からは
ザウバーからF1に参戦できることになっ
たぜよかったわ今もF1でザウバーが走っ
ているけどそのザウバーかしらそうだぜ昔
から将来有望な新人の器用で成功している
チームであの鬼未来古年もザウバーから
デビューしているんだかいも期待の新人だ
わね序盤はマシントラブルなどもあり成果
はなかなか出なかったものの中盤からは
入賞圏内を争うような走りを見せたぜ
決して戦闘力の高い車まではないものの
ルーキードライバーでは最も高いポイント
を取ったぜ1年目からいい滑りだしね2年
目となる2011年も引き続きザウバーで
走るんだこの年のチームメイトは今のF1
ではおなじみだが当時新人のセルジオ
ペレスだぜペレスにも新人の時代があった
のね今やベテランドライバーの1人だから
そう思うのも無理ないぜペレスもザウバー
からのデビューなんて本当にザウバー初の
出世ドライバーは多いわね本当だよな
そんな新しいチームメイトも加わりエース
ドライバーとしてカイは引き続き活躍する
んだこの年のモナコグランプリでは自己
最高位となご入賞を果たしモナコ
グランプリにおける日本人歴代最高位を
更新したぜまた日本人歴代1位を叩き出し
ているカイがどんどん歴史を塗り変えて
いくなその記録と同時に日本人獲得
ポイント記録と日本人連続入賞記録も更新
しているぜもう歴代記録を更新しすぎで
ついていけないわ本当にすごいドライバー
だよなそんな絶好調な神衣が翌年2012
年の中国グランプリで見せるんだぜフリー
走行から安定した走りを見せ最終的に自己
最高となる予選4位を記録するんだノリに
乗ってるわね決勝レースではトラブルで
順位は落とすものの23年ぶりの日本人
2人目のファステストラップを記録するぜ
あの雨の中島のファステスト以来ようやく
2人目が出てきたのねこのファステストは
ザウバーチームとしても初だったから
チームとしてもとても嬉しい記録だった
だろうなトヨタF1撤退で場を探していた
カイを見い出してくれたザウバーに恩返し
ができてよかったと思うわ間違いないぜ
ところで今はカイは何をしているのかしら
まだまだバリバリの現役ドライバーだぜ
2015年からは日本のスーパー
フォーミュラ2参戦2016年からWCへ
もトヨタから出場しているぜやっぱり
トヨタとカイの円は永遠ね2020年は
WECでチャンピオンに輝くなどF1以外
のレースでも輝かしい成績を残しているん
だ何に乗っても早いのね今はWCのチーム
代表も検認しながら今年もWとスーパー
フォーミュラに参戦しているぜまだかいの
走りを見ることができるのねこれからの
活躍にも大注目だわ
ね長見正次は幻のファステストラップを
記録した日本人ドライバーを紹介するぜ幻
とても気になるわ詳しく教えてちょうだい
その日本人ドライバーはハ正だ15歳の時
に全日本モトクロスレースへ参戦しレース
デビューするんだモトクロスモトクロスは
オートバイ競技の1つでオフロードの集
回路で順位を競走スポーツだぜ今までの
2人とは経歴の経路が異なるわね2輪の
レースがデビューだからな確かに少し
異なる経歴と言えるかもな1964年に4
輪レーシングドライバーとなり日産大森
ワークスというチームに所属するんだこの
大森ワークスは今もレースで数多くの
タイトルを取っているニスモの全身だぜ
nisoはスーパGTとかで強いのを知っ
ているわそんなチームの前身が大森はスな
のね2輪出身の選手なのに転校してもなお
日産のチーム所属なんてよっぽど早い
ドライバーだったのね実力があったのは
間違いないと思うが大森ワークスには同じ
経歴のドライバーが多かったみたいだぜ
そうなのねどうしてかしらどうやら大森
ワークスの初期にモトクロスチームの作業
場を使っていたみたいなんだなるほどその
つながりでモトクロスからレーシングカー
に移行した人が多かったのねその時代なら
ではの珍しい状況だったかもなそんなハミ
は1976年F1世界選手権イン
JAPANに小島からスポット参戦するん
だ日本グランプリではないの日本国外では
単純に日本グランプリという表記なんだが
国内ではこの変則的なタイトルとなったん
だぜ何か事情があったのああ実はこの
レースはF1世界選手権が初めて日本で
開催されたグランプリなんだただ別の国内
レースで日本グランプリと関することが
すでに決まってしまっていてF1では使用
不可になったんだそんなことがあったのね
大人の事情ってやつねハミはこの
グランプリの予選1回目で4位となりF1
の海外トップチームを驚愕させたんだ昔は
フルシーズンではなくて1試合だけの参戦
もできたのよねそんなチームが4位になっ
たらそれは驚くわ小島はこのグランプリの
舞台となるフジスピードウェイに特化して
トップスピード重視のマシンを作り込んだ
ようだぜなるほどそれはスポット3戦の
チームならではの車の作り方と言えるわね
そうだな予選1回目を受けてPPも見える
位置だったんだが2回目セッションで残念
ながらクラッシュを起してしまうぜこの
クラッシュの結果マシンはほぼ全損して
しまうんだせっかくいいタイムを出せてい
たのに悔しいわね修復はレースに間に合っ
たのかしらかなり厳しい状況だったが見物
に来ていたメカニックたちがボランティア
でマシン修復を手伝ってくれたんだその
おかげもあり驚くことに決勝レースまでに
は走れる状態に再生できたんだぜ初の日本
開催でチームのかきねを超えて日本人が
一眼となって車を直したのね感動だわ本当
だよな無事レースへの失踪は叶ったものの
さすがに事故前のコンディションにはほど
遠かったぜ仕方ないわ走れただけで奇跡よ
だがハミは25周目になんとファステスト
ラップを記録するんだえこんな95シへの
車でファステスト驚きだよな正式な
ファステスト記録として発表されたんだぜ
すごいわやっぱり速さは本物だったのね
ただ数日後なんと計測ミスであったことが
発表されるぜえぬか喜びさせられたわ計測
ミスなんてそんなこと許せないわ実はハミ
は24周目終わりにピットインしていたん
だ25周目はピットインのロスタイムを
考えるとファステストを記録できる状況で
はなかったんだぜ初めての日本での
グランプリだったからまだ色々と整備し
きれていなかったのかもしれないわねこの
計測ミスによりファステストは訂正された
ためハミの記録は幻のファステストラップ
と言われているでファステストの記録は幻
に終わったけど予選での速さは間違いなく
あったわ万全の状態で走れていれば本当に
ファステストを取れていたかもしれないわ
ね角田勇樹最後は角田勇紀だぜついに現役
のF1ドライバーが来たわね角田は
2000年に神奈川県相模原市にて
生まれるぜ父親がジムカーな競技をしてい
た影響で幼い頃から車と近い生活をしてい
たようだなジムカーナ競技ジムカーナとは
舗面に設定されたコースを競技車両が1台
ずつ走行するタイムトライアルのことだか
レースのようにスピードを出すというより
もテクニックが求められる競技だぜ角田の
父信明さんは全国クラスの腕前だったそう
だぜ身近にそんな父親がいれば小さい頃
から車に触れ合う機会が多そうだわまさに
そうで角田は2005年わずか4歳で
カートデビューをしたぜ4歳幼稚園年少の
年でもうカートに乗ったのねその後父親が
メカニックを担当しながらキッズカート
ジュニアカート競技にも出場するんだそこ
で次々とチャンピオンを獲得していくんだ
やっぱり角田も幼少期から抜きんでた才能
があったのね2010年将来有望な
レーシングスターの東流門であるJF
全日本カート選手権に参戦し2013年の
J地方カート選手権では東地域でシリーズ
チャンピオンを獲得したぜ順調すぎる
ステップアップだわ本当だよなここまで
素晴らしいカートの経歴を重ねてきた角田
は2015年万おじしてフォーミュラに
転校するぜ2016年に鈴鹿サーキット
レーシングスクールのフォーミュラ部門に
入行しスカラシップ先行開に進むんだ
レースはお金がかかるっていうのはこれ
までの3人を見ていたいほど学んだわこの
機会は絶対に物にしたいわねただ最終先行
開で角田は惜しくも落選してしまうんだえ
今や世界最高峰のF1で戦う角田をしのぐ
強いライバルたちがいたのねああちなみに
この時の史跡は大い式自席は笹原教だこの
2人は今もスーパーフォーミュラなど国内
レースでバンバン活躍中だぜかいも走って
いるカテゴリーね国内レースも興味が出て
きたわところで先行に落ちた角田はどう
なったの先行には落ちてしまったがある人
が救いの手を差し伸べてくれるんだある人
誰かしら当時鈴鹿サーキットレーシング
スクールの校長を務めていた中島悟だぜ
こんなところで中島と角田の繋がりがあっ
たのねじゃあ中島がいなかったら今の角田
の活躍もなかったかもしれないのね角田も
レースをやめるつもりだったみたいだから
本当にそうだと言えるぜそんな中島からの
救いの手もあり翌年からfiaF4選手権
のシートをゲットするぜ早速第2戦の岡山
では初優勝を飾り16歳333日での最年
勝優勝を記録したんだ中島の目は確かだっ
たわねJFF4東日本シリーズにも同時
参戦し総合1位を獲得続く日本一決定戦も
セスという活躍を見せるぜ角田にシートを
上げて本当に正解だったわまだまだ角田の
活躍は続くぜ2018年はホンダ
フォーミュラドリームプロジェクトの育成
ドライバーに選ばれ引き続きfiaF4に
参戦するぜかいとトヨタと同じ関係ねここ
の年のfiaF4でシリーズチャンピオン
を獲得するぜ32年目でチャンピオンだ
なんてすごいわあの時レースをやめてい
なくて本当に良かったよな2018年
ホンダはF1のPUサプライヤーとして
レッドブルレーシングと提携するんだそれ
に伴い日本人ドライバーの育成プログラム
を開始し角田はそのメンバーに選ばれるん
だ本田はリーマンショックの撤退以降F1
チームは持っていなかったのああただ
2015年からPUサプライヤーとして
マクラーレンとタッグを組んでいたんだだ
がパフォーマンスに悩まされなかなか結果
が出せず2017年を最後にマクラーレン
との定型が解消となるぜ今は圧倒的パワー
を見せるHondaのPUにもそんな時代
があったのねそんな中Hondaが新
puu供給先としてレッドブルレーシング
と定型まず姉妹チームのトロロッソにPU
を供給したぞ本田からF3合同テストに
派遣された角田はレッドブルジュニア所属
のドライバーをしぎトップタイムを記録
するんだそんな角田を見い出したのが当時
のジュニアチーム責任者のヘルムート
マルコだマルコさん今でも角田を可愛がっ
ているわよねこの時からの関係なのねこの
テストを受けて角田はレッドブルジュニア
チームにも所属することになるぜしっかり
とを掴み取ったのねそうだな2019年は
fiaF3にエンサーモータースポーツ
から参戦したぜ前半は苦戦したものの後半
戦での3度の表彰台が評価され翌年fia
F2へステップアップすることが決まった
ぜなかなか上のカテゴリーに上がるのに
苦戦する人が多い中とても順調なキャリア
アップだわね2020年fia通に
カーリンから参戦するぜついにF1直下の
カテゴリーまで来たわねここでも参戦初
年度ながら優勝3回を記録して総合3位の
高成績を収めたぜこの年はfia管轄の全
カテゴリの新人ドライバーを対象とした
fiaルーキーオブザイヤーを日本人で初
受賞したぜこれはフェルスタッペンや
ルクレールなど今のF1のトップ
ドライバーも受賞してきた賞なんだすごい
わでも角田にも同じだけポテンシャルが
あると思うわこの順調なステップアップを
見ると間違いないよなそして翌年の
2021年アルファりからついにF1参戦
となるぜついにここまでたどりついたのね
日本人のF1ドライバーはカイぶりかしら
そうだ2014年以来7年ぶりの日本人
ドライバーになったぜデビュー年の
チームメイトはゲアルピーヌ所属の
ピエールが3だこの2人は兄弟みたいで今
でもファンから大人気よねチームを離れて
も仲がいいみたいだから本当にいい関係だ
よな角田はデビュー戦となるバーレン
グランプリで数々の華麗なオーバーテイク
を見せて9位入賞を果たすぜ初戦から
いきなり入賞だなんてなかなかできる技
じゃないは本当だよなただトップチームと
比べて車の性能が劣る部分も多くここ数年
は苦戦するレースも多かったぜそんな中
昨年の2023年のアメリカグランプリで
ついに角田が見せるぜ待ってましたレース
終盤後ろと差をつけて10番手を走ってい
た角田に急にピットインの指示がチーム
から出されるんだ角田は何か問題が起きた
かと思って心臓が止まりそうになったと
言っているぜせっかく入賞圏内で走ってい
たのにトラブルが起きたら水の泡だものね
ただそのピットストップはファステストを
狙うためにソフトタイヤに履き替えるもの
だったんだただ残り周回は1周ファイナル
ラップでのファステストを得る作戦だった
んだぜやり直しの効かないスリリングな
瞬間だわそんな中角田はしっかりとタイム
を出し日本人史上3人目のファステ
ストラップを記録したぜしっかり取り切る
のが角田のすごいところだわちなみに中島
とかいの時はファステストラップ獲得は
ポイント対象とはなっていなかったので角
だが初めてファステストラップのボーナス
ポイントを手にした日本人ドライバーと
なったぜそんな勢いそのままに今年も角田
は絶好調よねああ今年はアルファタウリ
改めビザキャッシュアップRB
フォーミュラ1チームで引き続きF1に
参戦中だ予選では2戦目から安定して93
進出を決めておりオーストラリア
グランプリでは7優勝とチームを牽引して
いるぜまた先日の日本グランプリでは
チームのピット戦略も成功し2012年に
3位表彰台を獲得したカイ以来12年ぶり
日本人の母国グランプリ入賞を果たしたぜ
今年の角だからは本当に目が離せないわ
ここまで日本人ファステストの記録を聞い
てきたけどたった3人しかいないのねああ
日本人フルタイムドライバーはこれまで
10人存在するがファステストラップの
記録を持つのは3人だけということからも
この記録はいかに偉大かが分かるよな現役
バリバリで活躍する角谷はこれからも
どんどん記録を樹立していってほしいわ
さらに先日の日本グランプリでのフリー
走行で走ったイサむやマクラーレンの
リザーブドライバーの平川量など期待の
若手日本人ドライバーも出てきているので
これからの日本人ドライバーの活躍にも
注目だぜ他にも印象に残る日本人F1
ファステストラップのエピソードがあれば
コメント欄で私たちに教えて欲しいんだぜ
よろしくお願いするわそれでは本日も最後
までご視聴ありがとうございましたごた

#F1 #F1総集編

【チャプター】
00:20 中嶋悟
08:13 小林可夢偉
14:40 長谷見昌弘
18:39 角田裕毅

【動画で引用している画像について】
当チャンネルでは、動画の内容に関連する画像を補足的に使用しております。
各画像の引用元は、下記に記載の通りです。
https://sites.google.com/view/f1yukkuri/4%E4%BA%BA%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BA%BA%E3%83%95%E3%82%A1%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%97

動画制作においては、画像の引用ルールを順守し、著作権を侵害しないように努めております。万が一問題がございましたら、大変お手数ですが記載のメールアドレスまでご連絡いただけますと幸いです。

▼背景素材
Ahmad Gulabi様

5 Comments

  1. 90年の鈴鹿で亜久里さんがファステスト更新した直後にパトレーゼに塗り替えられたのは惜しかったな。 パトレーゼがタイヤ交換してなきゃファステスト取れたが、タイヤ交換してくれたから3位に入ったんだし。

Leave A Reply