トヨタピンチの歴史

どうもこんにちは物作り太郎チャンネルの
物作り太郎でございます本日はですねま
自己紹介の時にこういったプレゼン形式で
はなくてですねあるトピックに対して僕が
つらつら語っていくということがですね
結構反響がいいなということで第2段目
ですね第2段目何やるかって言うとそうな
んですトヨタの歴史を深掘ていこうかなと
トヨタ非常に安定的な企業のように見
られるんですけども設立から85年ぐらい
経ってるんですけども危機的な状況ですね
何回も乗り越えててるんですね要直接では
ないんですけども危機に陥った時含めて
トヨタの歴史をお伝えさせていただきたい
と思ってます本日はトヨタ会ということで
レボックスさんからスポンサードいいて
おりますレボックスはですねセルボという
図面のソフトウェアまサービスを提供し
てるんですけどもこれ傑作事業者に非常に
同胞でございまして過去見積もった図面を
ですね全てAIが検索してくれて過去の
図面との類似性を一発で認識してですね
非常に早く見積もりができると肩骨に頼ら
ない見積もり策定が可能なんですねという
ことでセルボット概要欄からチェック
いただきたいと思いますそれでは今日のお
題のトヨタの歴史にですね行きたいと思い
ます主にですね2014年発刊のトヨタの
ケフですねやトヨタ自動所のホームページ
からですね情報を持ってきておりますと
まずですね日本の貿易クジというものは
ですね貿易まユスで言うと7兆円から
8兆円ぐらいあるわけですけどもこの
大きな黒字のですね25%1番でかい
セグメンテーション占めてるのが自動車と
か輸送機械関連でございましてトヨタを
始めですね日産大発鈴木Hondaと様々
な自動車メーカー松田含めてですねあり
ますとその中で初めて国産需用者の量産に
成功したのがなんとトヨタ自動車でござい
ますとトヨタの会社情報について皆様ご
存知だと思いますが念のために説明させて
いただくとま設立はですね
1937年になってると創業者は豊田
紀一郎昨年の売上はなんとあと37兆に
つまると今年42兆でしたっけで利益が
4兆5000億円というですね半端ない
数字を叩き出してるんですが売上だけでは
なくてですね従業員数は7万人を超えて
まして連結では37万人になってるとこれ
はですね秋田市の人口よりもトヨタ関連の
お仕事に従事してる方々の方が実は多いと
いうことでこれも日本1になってます
グループ企業はですね17社そして関連
企業は150社以上ということでまさに
日本一のマンモス企業であろうという風に
いていいと思いますそれではまずトヨタの
成り立ちでございますがトヨタ自動車は
ですね創業者の紀一郎の父ですねとよった
咲一ですね咲一が発明した自動初期から
これ始まっております咲一さんですね実は
愛知県の人間ではなくて静岡の浜松の近く
にですね先知記念間僕1回行ったことある
んですけども旗木が実際そこにありまして
そこに皆さん行っていただければですね誰
が訪問したかって書ことができますので
そこに物づくり太郎の名前もですね刻まれ
てるという感じでございますとこの先口は
ですね人生を食器の改良に掲げてま母が
食器をですねこうやってカタカタ追っとる
わけですねそれをなんとか自動化したいと
いうことでこの自動食器を開発していくと
電気セサとがないですね1920年代に
なんと糸がなくなると自動的にこの食器が
止まるというですねいうものを発明しまし
てこれがまあ今のトヨタの自動化要するに
不良品を作らないというDNAにも繋がっ
てるんですが当時の工場はたったのですね
500ツ程度ということで非常に小さくて
ですね量産には適さない規模でございまし
た先地はすでにですね自動食器製造に
携わっていた長男の紀一郎に指示をいたし
まして刈屋えそうですトヨタ児童食器と
いうことでトヨタ防食から起こったものが
トヨタ児童食器なんですけどもカリアのど
真ん中にあるわけですね僕も何回も営業に
行きましたそのカリアを囲むがごとくです
ね伝送愛心そしてジェイテクトとかトヨタ
車体がここにあるわけですけども刈屋に
工場を作れということで工場を作りまして
ですね1926年の4月に26日ですね
株式会社トヨタ自動初期製作所が設立され
ましてこれがトヨタ自動車の全身になる
わけでございます武地が開発したG型自動
食器は海外でも非常にこれは素晴らしいと
不良品を作らないということで高く評価さ
れまして紀一郎はですね都営をしまして
産業革命の本場イギリスでですねこの特許
券をですね約10万ポンド確か僕の記憶で
はまあ今の価値にすると100億円ぐらい
であったかと思いますがこれを締結します
自動食器政策所の設立時からですね自動車
産業へ行きたいという風にキロは考えて
おりまして自動食器を発明した咲一さんが
死亡しましてですね後に自動車部門を
立ち上げてですね第2次世界対戦前の37
年に10万ポンドを使ってですね1部門
なった自動車部門を独立させトヨタ自動車
工業を設立します当時総業機はですね先知
の議定であるですね理三郎が社長紀一郎が
副社長に就任すると第一の喚問ということ
で設立直後ですね太平洋戦争が勃発して
しまうと1938年に完成した衣工場と
いうことで今でこそ豊田市なんですけど昔
は衣町だったそれが今トヨタ市になってる
ということでいかにトヨタがすごいかな
フランス留学した時もですね実はトヨタ市
というものはですねトヨタ自動車からつけ
られてるんだよっていう話をしたら
クレイジーだねっていうことは言われまし
たが当時は衣町でしたので衣工事を作り
ました衣工事には敷地面積が15万つ約
50万平米という広大な敷地には鍛造とか
中三のですねあがっ製造工程の機械加工と
か機械組み付けさらにプレス機車体組付け
塗装総組み立て自動車生産に必要なありと
あらゆる装置がここにありまして一環生産
工場でございました各工程はですね総互に
連続するように配置されており後の工場
建設の一ずになったという風に言われて
ますまた後から触れる予定でございますが
衣工場のですね創業開始の頃からですね
紀一郎はですねジャストインタイムを提唱
しておりますあの頃からもうすでに始まっ
ていたと1941年ですねリサ郎は紀一郎
に社長を譲り会長となり紀一郎は社長に
就任をしました同年よりですね太平洋戦争
が勃発してですねその秋夫さんの社長の
主任の当時も大変でしたが当時はですね
戦争が始まるということでもっと過酷な
状況であったかなという風に思います
もちろんトヨタ自動車も戦争の影響で非常
なですね物資不足に会えでおりまして
そんな中トヨタの取引先数十者の渾身会
ですね小島プレスのですね社長だった小島
浜吉さんですねこの人が相互で協力関係
気づこうよということでこれがですね今の
2法会である教法会の補足につがってると
実は小島プレスが教法会の作ったですね長
本人であるとなのでウイルスサバー
セキュリティやられちゃいましたがあの
小島プレスがやられるんだということで
ニュースにもなってるわけですね抽選前日
の44年にはですねトヨタは軍事工場に
指定されまして自動車製造がストップして
しまいます比較的ですねトヨタというもの
はですね内陸部に位置しておりますのでま
戦争の影響はそこまでではなかったんです
が45年まま終戦間近ですね8月14日
終戦の日が8月15日でございますので1
日前にですねアメリカのB203期が
トヨタの上空にバーということでやって
まりまして爆弾をですねトヨタの工場
目がけてぶっ放すということでトヨタの
本社工場ですね1/4が消し飛ぶという
ような参上になっておりますさらにですね
33たる被害をこれで被ったわけですけど
も米軍調査団がですねトヨタに訪問した際
に書類があったわけでその書類にはですね
8月21にはこの衣工場を本格的に空襲
するという記載がございましたのであと
少し戦争が長引いていればですねトヨタの
工場は壊滅しておりますので今のトヨタ
自体がなかった可能性もあるとこれを読ん
だエジはですね非常に青ざめたという風な
記録が残っておりますと戦争が終わりまし
てまだまだトヨタの危機というものは続き
ましてですね桐一郎はほどなく幹部を集め
て3年でアメリカに追いつくぞとそうで
ないと日本の自動車産業は成田たんざと
いうことをコブしたわけでございますが
配線で打ちのまされておりますので危機的
状況でございましたトヨタはトラックの
製造を再開しましたがGHQに生産を制限
されて例えば工作機会なんかも修繕ができ
なかったりしたわけですね要するに交差
機会というものはマザーマシンと言われる
ようにいろんな金属を生み出すことが
できるので飛行機を作れたりするわけです
ねなので交差機会をですね自由に使うこと
ができないということでございましたので
非常に厳しかったと金もですね技術も設備
も何もない状況でございまして特にですね
伝送部品の部門はですね不良品続きで
ございましてこれを切り離したいという
ような要望があってですね社長の喜郎は
取り締まり役になる予定の社員にですね
この切り離すですね伝送部門に対しトヨタ
の名をつけさせて欲しいと何度かお願いさ
れるわけでございますがトヨタの信用を
食いつぶしてはならないということで
トヨタに関連する名前を付けさせないと
いう決断になります当時の伝送は非常に
厳しかったかなとエンジン指導のモーター
ケーキ発電機等ですね車の伝送部品が
激しい温度変化や振動にさらされるため
家電とは比べ物にならない耐久性が必要で
ございます創業機のトヨタが最も苦労した
部分がこの伝送部品でございましてトヨタ
再建の足でマトイになるとさえ書かれてる
とそういう理由でですね日本伝送として
分社化されたやっぱりトヨタの中にあると
不具合めちゃくちゃ出すから外に追いやる
という形で実は伝送ができたわけですねな
のでやっぱり伝統の社員と話すとですね
トヨタにも一目置かれてますしトヨタには
負けないぞという企画が彼らから伝わって
くるのはこういったところも影響があるの
かなという風に思いますとでちょっと時が
過ぎまして1949年ですね地球指導で
ドッチラインと呼ばれる金融の引き締め
政策ですね当時インフレに日本は苦しんで
おりましたのでお金がジャブジャブ供給さ
れてたのでこれを引き締めるということ
だったんですね物価としては安定的だった
んですけどもビジネス領域では非常に困り
まして深刻な資金不足に陥りですね失業や
倒産がついだとそして自由販売への移行に
よって自動車市場も売り手市場から買手
市場要するにお客様主導の方式になって
おりましたので金が余ってないということ
で自動車非常にに売り抜くかったわけです
ね当時ローンというものがやっと出てき
ましたのでゲップ手型というものでこれ
購入されてたわけですけどもなんとですね
このゲップ手方がですね貸倒れということ
で途中で支払いが滞るという事態になって
ですねこれでトヨタ窮地に陥ってしまうと
いうことでございますふたりがいっぱい出
ちゃうんですけどもこれトヨタが肩代わり
するという話になりまして同年のくれには
ですねトヨタなんと2億円も足らなくなる
ということですですねもう資金がシト
仕掛けるという今のトヨタからは考えられ
ないような状況に落ちるといろんな銀行
さんを回るんですけどもなかなかこの
2億円を貸してくれる銀行が見当たらない
とで今でもやっぱりトヨタっていうのは
三井系とか三菱系とか色々ありますけども
ま大声では言いませんけども結構舟説が
あったりするいうのはここから来てるわけ
ですねということでトヨタ当時は
ベンチャー企業に属してるとも家どもです
ね取引先としては300社で登っており
ましたのでついにトヨタ昨がつき日銀に
駆け込むということになりますま日銀から
ですねトヨタのためではなくて名古屋全体
の経済のためということで東海銀行とか
帝国銀行始めですね銀行団に2億円の融資
をつけてもらってですね川1枚これ繋がる
としかし金を貸すんだから人を削減すると
いうことになりましてですねこれで苦慮し
ていくと翌年の1950年にトヨタが
販売会社と自動車製造会社を分けろと母体
を小さくしてですねリスクをおそらく低減
しろということだとは思うんですけども
こういうような対応もしましたがま自体も
悪化の一等を辿っていきますというのも鉄
とかもちろん鉛亜鉛同アルミトですね統制
価格の撤廃が起こりましたのでこれ
どんどん価格上がってくわけですね
ものすごく原価が上がるんですけども自動
車の統制価格は据え置かれたためにですね
なんと49年の11月から50年3月末
までの34期目ですねの決算ですね762
1円の損失となりまして人員整理が必須の
事態は明らかであるということになりまし
たまあ喜郎としてはですねやっぱりここ
までトヨタを一緒に作ってきたと37年に
設立されてますので10数年ですから一緒
にやってきたわけですねどうしても人員は
切りたくないということになりましたが
吉郎は反省の弁でこのように言ってます車
を作ることばかりに一生懸命で経に疎い
ところがあったということで反省をして
おりますね会社を解散するか一部の方に
トヨタ丸を降りていただくしかこの2つに
1つしかありませんと発言しました非常に
社員思いですねここで切り離した伝送が
ですねなんと500人弱473人をですね
削減するということでまリトラを行うと
いうことでここに対してトヨタの老師が
ものすごく反発して伝送も人切るんであれ
ばトヨタもおそらく人切ってくるだろうと
やばいと絶対俺たちを首にするんじゃねえ
みたいな圧力をかけてくるわけです本格的
な人削減撤回を求めてストライクに入って
いくわけですがま当時トヨタ以外もですね
きつくてですねイ自動車や日産自動車はめ
全国でこのストライキが盛り上がるその頃
分割だった給与の支払いすらも滞っており
ましたあのトヨタがですね給与も支払え
ないと税金を役所に収められない社員もい
たほどということで解雇録がございます
トヨタ本社工場にはがですね赤い旗が旗
めきですね今の日本から考えられんと労働
組合員たちはですね革メカを歌ってですね
一体感を詰め首切り反対のビラをですね
ばらまくとで慶人もですねただただこの
ストライキが収まるのを待つのはやっぱり
難しいということで残ってほしい社員に
対しては協力要請上としてまやめないで
欲しいお願いをする一方でやめてほしい
社員に対しては退職韓国上送りつけると
しかしですねこの大国韓国上をですね
キャンプファイアーみたいに積み上げて
ですねそこになんとストライク集団はです
ね火をつけてですね反発をするというです
ね今では考えられない構想に発展して
まいりますもう難しいということでローシ
組合のですね執行委員長ですね当時紀一郎
病の高血圧で参っとるところなんですけど
もその紀一郎を自宅に乗り込んでですね
なんとか解雇通告を撤廃してほしいという
ことをお願いするわけですね紀一郎は悩み
まして英二さんですとか当時トヨタ児童
食器の社長のですね石田大造をですね自宅
に呼びつけてですね石田さんもあなたが
社長や言ってくれと俺は系は腕がないとま
掃除どういったか分かりませんけども
任せるということでなんと社長を辞任する
という決断を下しましとこの老子側にも
伝わりましてあ喜郎さんやめるんやという
ことで喜郎さんには残って欲しかったと
ことだったみたいなんですけども桐郎が
やめたことによってもうそれだったら
受け入れるしかないということで6月5日
にはですね退職希望者の目標であった
1600人を突破してですね2ヶ月にわっ
た逃走ですねは集結するということでこの
ような苦難がトヨタには実はあったという
ことでございますその後いかにして復活し
たかというと朝鮮戦争が1953年ですね
勃発するということでトヨタにですね神の
おぼしめしということで朝鮮特需が
舞い込んできまして米軍のトラック受注が
ですね4700台分と約36億円に達し
ましてですねトヨタ急速に息を吹き返して
いきます相産寸前のトヨタを託された石が
ですねこの特需によって景を脱するという
ことで真っ先に考えたのがあれだけ銀行に
速歩向かれたんだからもうあれはやだと何
としてでもこの借金を返すということで
トヨタ銀行ともやゆされるわけですけども
まずは借金を返すということで安定的な
経営に乗り継いでいくわけですね大蔵さん
彼もですねトたが城を失うわけにいかない
ということでこれ本訴しまして銀行に頼ら
ない経営を目指していったとすでに紀一郎
さんは指揮してしまいましたが67年には
ですね自身は会長として紀一郎の従子です
ねとた英二の社長就任を見届けて引くと
いう感じでございますそしてですね昨日に
乗ってきまして月産3000台に向け5連
計画を発表していくと同じ頃ですね米国の
フォードに視察に行った当時乗務だった
エジさんでございますがま次期社長という
ことで業績の好転を背景に設備の合理化
禁断化に取り組みます51年には交差機会
の修繕等できなかったわけですけどもこれ
が外されましてですねフレキシブルな生産
ができるようになりまして多能効果ですよ
ね1人の作業員が複数台を持つともちろん
この自動食器旗機を動かした頃はですね
引き取りで20代ぐらい見てたわけです
けどもこれを自動車さんにも活かせる
だろうということでその当時物作りという
ものは機械1台に対して1人が常だった
わけですけども多能校をやろうということ
で改革をしていきますとそしてもう1つの
キーマンですね王の対1がですね彼もです
ねトヨタ防食にいたわけでございますが
トヨタ自動車に来ましてですね王の退治と
いえばトヨタ生産システムということで
TPSをですね世に知らしめた人物として
有名でございますがトヨタに乗り込んでき
てですね看板だったり改善をジャストイン
タイムとですね染み込ませていくと今で
こそこのジャストインタイムというものは
製造業のですね自動車業界の当たり前なん
ですが当時は各持ってるですね機械ごとの
行員がですねどれだけ多く生産するかいう
ことを競い合ってた時代でございますので
必要な分だけ必要な時に作るということが
ですね非常にイレギュラーであったと
受け入れがい概念だったんですが在庫の山
を見たですね王の対地はふざけんじゃねえ
とピストンをですね全部池に捨ててこいと
いうことで在庫を積み上がってたもの全部
本当に池に捨てさせるということをしまし
てですねこの意識会格をしていくと
ジャストインタイム看板等ですね何を見て
思いついたかと言うとこれ
スーパーマーケットなんですね日本でも今
でこそスーパーマーケットですね平和道
だったりイオンとかですね当たり前なん
ですけども当時やおやみたいな文化だった
んですねだからスーパーマーケット日本に
なかったわけですスーパーマーケットを
米国に行って見てきてこれはいいと必要な
分だけ必要な時に補充されると後工程がお
客様で前工程がスーパーマーケットという
ことで後工程が取りに行ったら前工程は
補充する必要な分だけ必要な時に補充する
というですねジャストインタイムを
編み出しましてこれをなんと自動車に適用
していくということですね一方で高度生産
方式ですねそれまでの生産方式をですね
機械工場例に見るとですね機械加工された
全ての部品に一品ごとに1つの伝票をつけ
ウパ班が後工程の機械組み付け工程に運ぶ
いわゆる前工程から後工程に運ぶという逆
だったわけですね後工程の必要性とは無
関係に部品が送り届けられますので在庫が
どんどん溜まっていくと後工程の生産性が
低ければ在庫にどんどんなるわけですね
自動車を組み立てるっていうことであれ
3万点分の在庫調整が必要になってくると
いうことで当時月産1000台ぐらいで
あればいいんですけども3000台になれ
ばですねそこら辺中が在庫の山になって
ですね日本の国土から言うととてもじゃ
ないけどもスペースが確保できないと無駄
村がものすごく発生するということでこの
ジャストインタムを染み込ませていくその
他にも色々な対策を進めまして4つござい
ます1つが機械加工の種類別企画化標準化
とそれに基づく交差機械の配ということで
多能効果に通じるものだと思います2つ目
が品別加工ラインについての標準作業表の
作成と同票による標準作業の指導という
ことこれま看板に綴るのから3番目が機械
の日用点検と予防保全の実施自動化だっ
たり改善ですねそしてできる限り機械を
動かそうという4番目が無駄無理村を
なくすための作業改善ということでこれら
の措置によって機械加工工程で計画的な
流れ生産が実現すると同工程から機械組付
工程の部品の運搬作業を見直す必要が生じ
そこで導入が検討されたのがスーパー
マケット方式とま今でこそ看板方式と言わ
れてるものでございますが当時はスーパー
マーケット方式という風に言われてたわけ
ですね続いてもう1つ規模となるのがアド
ということで当時自分が装置を持ってると
で止めれないとトイレ行きたくても止めれ
ないわけですからこのアドによって知ら
せるとアドに知らせて2分経っても
半長靴絶対その不具合が治るまで改善し
ないと生産を開始しちゃだめですと不具合
の潰しこみができるのがこのアドという
ことで2度と不良品を作らないというよう
な改善方式だったわけですねということで
これの導入をですね早くから目をつけて
トヨタの勢を作っていくわけですね少し時
が流れまして1970年代に入っていくと
どうなっていくかというとアメリカで最初
ですね排気汚染がどんどん問題になってき
まして自動車のハガとか工場発電所など
からですね汚染物数が黙々出るということ
でこれが規制されると1963年にですね
アメリカで待機戦場法が制定され1968
年には全米廃棄規制なるものがですね制定
されその2年後にはですねマスキ法という
ことでどんどんどんどん最予選に対して
ですね厳しい本案が通ってくとどのくらい
厳しかったかと言うと5年でHCCOま
一酸化炭素ノックストですね1970年の
規制からなんと1/10以下にしろという
ですね非常にチレジングな内容でしたこれ
を見てですね日本政府も順次取り入れて
いくだろうということが容易に想像できた
わけでこの自動車業界もですねここに対し
て取り組まざる負えないと当時5年で
1/10ですから無理やろとサジを投げる
ということでサジ投げてたんですが2年後
には韓教長からですねマスキ法の内容と
ほぼ丸写しの内容をやれということを言わ
れるわけですねここに対してどのくらいの
労力を使ったかと言いますとトヨタなんか
だとですね4年でハガ対策開発人は3.6
倍の180070人という人員を強化して
おります1台の自動車作るのに義勇者
エンジニア250人必要と言われてますの
で6倍から7倍ぐらいの人員をかけたわけ
ですねお金としてもですね研究開発費は
6.7倍の188に膨らみましてですね
時間と人お金をかけ買えずに挑んでいまし
たがそれでもCOを減らすとどうしても
ノックスが増えてしまうという自前場に
陥ってしまうわけですね当時エジ社長この
ように言ってますスピード持てずガソリン
をガブ飲みするだけの車が出来上がって
しまったということであのトヨタもかなり
苦すると日産もですねトヨタに負けて
たまるかということでありたけの金と人を
投じる中ですね唯一規制をクリアできた
メーカーが現れトヨタでも日産でもござい
ませんとどこでしょうそうなんですホンダ
なんで当時ですねホンダはまだまだ進行
記号でございましてバイクでは有名になっ
ていたんですが自動車には参入した
ばっかりだったんですねCVCCという
ですねエンジンを作りましてマスキ砲敵号
第1号に第1号ですからアメリカでも初
だったかもしれませんねホンダの技術人は
大手メカが目をつけないですねソ連の文献
も読みあさるというですね素晴らしい対応
をしまして粗悪なガソリンでも動く
エンジン設計を参考にしましてですね薄い
ガソリン濃度でも確実にま燃焼させる爆発
させる燃料質を増やすことで不完全燃焼が
起こりにくくなり汚染物質の排出を低減
すると独走的なエンジン開発につがると
まさにホダらしいという感じですねホンダ
の発表受けですねトヨタ何をしたかという
と本田総一郎社長の元にですねトヨタエジ
がですね尋ねていってあの郎さん教えて
くださいつってですね教えをこうわけです
ね2ヶ月後ですね両者は技術教養の契約を
交わしましたということで本田総一郎ぎ
ありますね環境のことだからいいでしょう
ということで契約を交わすとこのホンダ
CVCC方式のエンジをですね当時の初代
シックに搭載しましてこれがバカ石に
ヒットになるということで今でもシック
走ってますが本当に名車であったという
ことですねトヨタは本田と提携するわけ
ですけどもこのCVCCを学んでた矢先
ですよ国会に呼び出されましてですねおい
トヨタということでお前らは環境規制に
対してネガティブじゃねえかということを
ですね言われるとなんとですね質で32回
も国会にですね立たされましてですね
まさにこのトヨタいじめという感じで
ございますが弱小と言われる本田や東洋
工業ま現の松田ですねマダもエンジン強い
ようなイメージですけども低公害エンジン
に成功してるのにトヨタなぜできんのだと
いうことをですね詰め寄られますと一方で
もうトヨタも必死にやってますから
CVCCを手本にですねエンジン開発を
急いでおりましてしかしこれですね第1次
石油ショックが重ねましてですねこの
CVCCに対応するとですね燃費性能とか
ですね出力が大幅にダウンしてしまいます
ので既存のCVCCに対応しないエンジン
を搭載してる車が爆発的に売れてしまうん
ですねなので余計目をつけられるという悪
順感に陥ってしまいましてですねなんと
ですね当時のトヨタ英二社長は副社長の
花井さんと一緒に通算省現経済産業業所に
チ者に行くということでトヨタにとっ非常
に苦い経験になったのかなという感じです

現場としてはトップに恥をかかせてしまっ
たということで巻き返しを近いですねここ
に神経を注ぐという感じですね何をしたか
というと触媒に目をつけまして触媒という
ものは廃棄ガスが出るとその排気ガスが
触媒を通ってクリンにして待機中に放た
れるということでまなんとかこの触媒の
開発に成功しまして3元触媒と言うんです
けども77年6月発売のクラウンに搭載さ
れその間ですねカローラのエンジンの改良
も進み燃費性能もですね1割向上すると3
代目カローラですよ世界で1番売れたと
いう風に言われてる名車でございますが
対合対策と低燃費を両立させですね走る
ほど儲かると言われたほどで成功を覚める
とまフォルクスワーゲンのビートルを
しのぐですね世界のベストカーになってる
と思いますと先ほどお伝えしたように第一
次石油ショックが日本にですね到来しまし
てですね非常に原油価格が上がるわけです
から紙や油ですね電力など削減案をトヨタ
の内部でも募集しまして7000件を
超える案が集まりますしかしですねわずか
半年で300億円以上減収になってしまい
ます利益がですねコスト上昇していきます
から自動車メーカー各社ですねトヨタを
含め一斉に値上げをしましたが一気に売れ
なくなるということで苦境に立たされます
しかしですねそんな中トヨタのですね
マーケターは非常に優秀でございまして
このお賃金も同時に当時上がっておりまし
た今でこそ給料上がってるんですけども
社会保障量が上がってですね実質賃金が
全然伸びなというクソみたいなですね状況
ではございませんと実際に賃金が上がれば
我々の手取りに反映されるということを
しっかり冷静に見ましてですね手取り収入
は増えてるんだからおそらく石ショックを
物ともせずですね売れるようになるという
ことで一気に増産をかけてですねこれが
見事に当たりですね復活するということに
なりますで一方でやっぱりこの原価低減も
しないといけないということでカローラ
当時80万円でございましたが1万円の
コスダをしようと1万円下げれば80万台
売れますから80億円の減価低減効果が
あるだろうということで何をしたかという
と3万部品の一気にですね分けてですね
これの価格減価提言をしようということで
この部品はコスト削減できる丸できない
バツどうだろう可能性あり三角みたいな
リストを作りましてこれを各部署に配った
わけですねその丸が増やせばですね評価さ
れるということで当時現場としては非常に
ネガティブだったんですがこのリストを
作ったおかげでですね合理化が進みまして
1万21800円の減価低減に成功したと
その中にはですね例えば誇りよけのゴムを
再使用して5円20線の節約とかですね
部品の混走新聞紙に変更とですねありと
あらゆるコダ施策をやったと今のその原価
提言の合理化トヨタのサプライからすると
ですね血も涙もない原価定言という風に
言われますがここに繋がってるということ
でございますま生産もトヨタ波に乗ってき
まして1980年代になってくると
グローバル企業へということで飛躍して
いくわけですね日本国内での自動車生産は
初めて1980年ですね1000万台を
突破し米国をなんと抜きます世界1になり
ます検したのは輸出でございまして同年に
はですね輸出がですね過去最高の597台
ということでなんと国内よりも海外への
販売の方が高くなるということでござい
ますさらにですね2度のオイルショックが
ありましてですね小型車に目が向けられる
当時その原油とは水より安いという風に
言われてましたから地域によってはですね
これが高くなりましてさすがに雨車みたい
なものは財布に優しくないということで
小型車に注目されてさらに日本社はですね
定年だったりリーズナブルな価格という
ことで評価がどんどんどんどん高まって
いくと同じようにトヨタの輸出もですね
1980年に初めて乗車が100万台を
超え消費者を含む輸出比率はですね54と
いうことで過去最高記録しております日本
社人気が上昇する中最大の輸出先である
米国の間ではこれですね輸出が増えて
イケイケどんどんだったんですけども通称
摩擦が急速に加熱していくわけですね
1980年のですね米国の上用者需要は不
景気でしたので896台ということで16
も全年費で低下しております内訳を見ると
ですね日本車は9%ゾの191万台と
シェアはは21.3に拡大したのに対して
米国者は21%も減少しているということ
でGM4クライスラービッ3及びですね
アメリカモーターズに至ってはですね
軒並み赤字に転落して取り分け
クライスラーシは連邦政府から15億ドル
の融資保障を受けるという苦境に立たされ
てるつまりところ荷車が目の敵にされると
当時どのようにやゆされたかというと日本
は質業を輸出してるということでアメリカ
レオしますからこのように反発が広まって
いくとさらにですね対日教行派議員も
いっぱいいましたのでこういった運動が
一気に強くなっていくと全米自動車労働組
ですね同年6月になると失業者急増の原因
は日本社であると名指しをしまして米国の
ですね貿易委員会がありましてこの通所法
201の発動というそういうトリガー条項
みたいなのがあったんでしょうね提訴して
ですね88月にフドも起こしまして老子
一体で日本社は行けねえと輸入制限をしろ
ということで産業法を求めますとトヨタは
ですね現地法人の米国トヨタと共にですね
太陽策の検討など進め全米のトヨタ
ディーラーですとか販売協会と連携して
ですねトヨタの主張を積極的にまロビング
も含めてアピールをしていくということで
何と言ったかというと米国の自動車産業の
苦境は経済状態がもたらしたと決して日本
のせではございませんということを言う
わけですね有者が原因ではないと訴えまし
てこれを踏まえですね翌11月に国際貿易
委員会はですね3対2の委員会の投票で
日本社への最低を下しましたがこれだけで
はやっぱり嵐はやみませんと同年ですね
大統領戦が控えておりましてですね大統領
戦ですから奇抜な提案をしないといけない
ということでこの日米の貿易不貧困に目を
当ててですね1981年にはドナルド
レーガン政権が発足するとですね使用閣僚
から日本政府に自主規制を求める声が
上がりますということで日本政府もこれを
しぶしぶ受け入れてですね191台あった
輸出をですね年間160万台以内に制限を
するということで日米政府が合意する内容
の下敷きとなる法案も提出され日本さへの
圧力というものはひまに高まっていたと
いうことです本もしぶしぶですね田中六助
通産大臣がブロック代表と東京で交渉して
ですねこれを受け入れるということで
160万代合意するわけですね輸出ができ
んということで続何が来るかというと現地
生産ですねトヨタもアメリカ現地で作って
いくということを進めていきますという
ことで現地生産化が避けられない局面に
入っていくことを意味すると1950年頃
にはですね先お伝したようにトヨタも経営
破綻寸前まで追いられておりますので現地
の生産家と同時ですね1つトヨタとして
やるべきことがあってですねそれは
1950年のトヨタ倒産の危機の時にです
ね製造と販売部門を分けてるんですねこれ
を一緒にしようということでトヨタ製造と
販売を1本化するということですねという
ことでトヨタ自動車のエジさんはですね小
一郎をですね販売会社に1年前に送り込ん
でま1年後にこれを合併させるということ
になりますとということでエジさんが言う
トヨタ戦争はやっと終わりを迎えてですね
組織固めをしてトヨタは本格的な飛躍の
時代に突入するということでグローバル家
に入っていくとトヨタ第2章ですねトヨタ
は米国でですね現地生産しないといけない
ということで1981年7月にですね
フードモーターとやるかと思ったらこれ
合弁が決裂しましてGMとやろうという
ことになりますGM側の動きは早くてです
ね1982年3月にはトヨタ社長とですね
ス会長のトップ会談が行われましてその場
でですねセパ出資で合弁会社設立しトヨタ
が経営すると西海岸の社の工事を活用し
1984年の秋から新型カローラをベース
にしたGM社を20万台から40万代も
米国で作ろうということに合意するという
ことで極めて具体的な提案をGM側から
いただきますたもちろんGM側にも狙いが
なかったわけではなくて小型者が苦手だっ
たのでこのノウハウを取得したいという
ことでトヨタと手を結ぶことになりますと
この締結はですね米国の雇用や部品産業の
活性化にも貢献し両国関係に非常に公益を
を与えるものと期待されましてこの合弁が
ヌミになりますそうですあのテスラの工場
になるということで実はあのGMとトヨタ
が強面で作った工場がテスラに渡ってです
ねこのトヨタとGMの生産技術をですね
テスラが奪っていくことになるという歴史
を紐解くてですね何が起こるか分からない
なということでございますがこの合弁を
果たしていくと当時のトヨタ英二会長は
ですね競争と共闘の精神コスが世界経済の
発展を支える基本であると自らの信念を
語り合弁プロジェクト日米産業協力の
モデルとして成功に
見くびる合弁ではなくてですねこのトヨタ
の生産方式のDNAもGMの工場にですね
移植していくということで当時ですねGM
の合弁でですねヌミに続きですね
ケンタッキー州にもですねまニがこれ
カリフォルニアなんですけども
ケンタッキー州にもトヨタの単独生産拠点
を構えるということでトヨタのグローバル
化が本格化していくとそして単なるですね
工場運営ではなくてこのトヨタ生産方式を
アメリカにも埋め込んでいくということで
汗をかいていくわけですねトヨタの本当に
自社工場1号のですねえケンタッキ集の
工場にはですね後の社長になる超藤男市が
ですね代表として行くとこの人はですね
大野大一のマデになっておりまして大野対
一にですねどういう風にこのアメリカの
工場のラインを作っていけばいいかという
ことを相談しに行くわけですねアドバイス
をいだいてですね米国のためにやりなさい
ということ言われましてですねやっていき
ましてジャストインタイムですとかま
TPS改善ま今ではアメリカで改善と言え
ばですね日本の改善そのものであるという
ことは有名な話でございますがトヨタの
DNAを埋め込んでいくとで1つ困ったの
がですねやっぱりアドであるということで
ストップをなかなかしてくれないとでなぜ
かと言うとま向こうは冷簡単にされて
しまいますのでラインを止める2やり
イコール自分が首になることが直結すると
いうことでその意思をですねなかなか
受け渡すことができなかったんですねなの
で超自らですね現場に行ってですね
やっぱりここら辺がトヨタの強さだと思う
んですが毎日現場に訴え続けてアドを止め
てくれたら3キって言ってアドのですね
ストップして改善するという方式を
教え込んでいくと一方の王の対1に教えを
こうていたわけでトヨタの結物の王の対地
でございますが長が頑張ってですね立てた
このケンタッキー工場を訪れることは叶わ
なかったということでございますが
ケンタッキ種の工場はですね非常に米国で
も有名になりましてマザ中節高家大学です
ねの研究チームが来てですね後のリ方式と
いう名前をつけてですね全世界に紹介し
たりですとか有名なザゴールですねという
ことで米国人に読み取られてですねTPS
がグローバルで伝わっていくと一方の日本
はですねTPSのすさにですね気づかず
海外人に読み取られて反転構成を受けると
いうような内容になっていくということに
なりますこれはま別動画でまとめており
ますので是非そちらをご覧いただきたいと
思います1986年ということで80年代
半間になりますが1大事件ということで
プラザ合意がございますこれでやっぱり
ですねイイのグローバル化であったんです
がドル高ということでこれを緩和しよう
それまでですね1ドル240円前後でで
推移していたドル円そばはですね1985
年末にはなんと200円を切るということ
で20%も円の価値が上がってしまうと
いうことで翌年1986年5月には
160円に高騰しましてなんと40%も
上がるということでこれはやばいという
ことで米国向けの出荷を中心にですね
値上げを余儀なくされる利益が確保するの
が難しいということでその当時のですね下
半期のですね営業利益は前年同機6割強も
落ち込むという非常な落ち込みを受けると
いうことでに対しても苦慮しまトヨタの
現地化がどんどん進んでいくということの
現れとも取れると思いますとちょっと時は
流れまして2000年代ですねリーマン
ショックがやってくるとこれサブプライム
ローンが表面化しましてですねリーマン
ブラザーズが破綻し世界経済というのは
非常な深刻な事態を迎えるトヨタもこの
例外ではなくてですね2009年4月です
ね当時トヨタイイでございまして海外の
拡大路線ということで非常に拡大していた
んですがこれ裏目に出ましてですね創業期
以来の大赤をを叩き出してしまうとあの
トヨタもですね4600円の赤字という
ことでこの時に社長に就任したのがトヨタ
秋吉であると非常にですねアクティブな
社長でございますが物作りを投資社会を
豊かにすると幸せを量産するみたいな非常
に素晴らしいことを言っておりますが当時
は苦境からの出発であったという風に思い
ますそしてですねリーマンショックだけで
はなくてですね畳みかけるように09年の
夏ですねレクサスが高速道路で制御不能に
陥りですね4人が死亡した事故をきっかけ
にトヨタ社の意図しない加ですとか
ブレーキが聞きにくい問題が表面化すると
いうことで米会員監視政府改革委員会校長
会のですね約3週間前ですねJR名古屋駅
前のですね豊田名古屋オフィスでですね
会見を開かざるを得ないような状況になり
まして緊急会見が始まるとえでございます
えこのは複数の地域複数のモデルで
リコールが発生し多くのお客様に大変なご
迷惑とご心配をおかけしましたこと心から
おび申し上げます前年秋から米国を中心に
ですねレクサスだけではなくてですね
カムリカローラということで主車種ですね
カローラカムリなんてトヨタの戦略車種に
なっておりますから続々とリコールして
おりですねここに来て新型プリウスでも
ですねま死ぬほど売れたピリですね
ブレーキが効きにくいというですね苦情が
日米両国で急増してですねついにトップが
ですね公の場で語ることになると東京から
も名古屋に法人が駆けつけですね英国から
BBCですね生放送始めるというまBBC
っぽいなっていう感じありますけども
アメリカどう説明するつもりかと待ち構え
た報道人から質問がもう飛び交うとしかし
ですね一方のトヨタはですね当日の朝に
ですねその役員が対応するっていうこと
決まっておりまして準備不足だったわけ
ですねなのでブレーキの不具合なのかです
とか車両の血管ではないとかですねま押し
問答がありまして最終的にはちょっと話が
うまく伝わらずですねブレーキを強く踏め
ばそれでオッケーですということ押し切っ
てしまったんですね会計の前にもトヨタの
コールセンターにはですねね600件
ぐらい問合せがあったわけですけどもこれ
で進化せずにですねさらに翌日ね384件
苦情電話がありましてもうこれは秋夫さん
自らですね対応せざら得ないトップが話す
しかないということで腹をくりましてです
ね米国に出向くということで2010年
ですね名古屋から空路で米国に入国しまし
て当時僕も覚えてるんですけどもすごくて
まるで犯罪者がですね米国に行くかのよう
に行道が加熱しましてですね秋夫市の顔と
一緒にですね報道されてですね秋夫さんの
足取りがつめないということでま当時夫
さんは米国のディーラーの社長の家にです
ね招かれて身を潜めていたわけですけども
明夫さんも俺は犯罪者なのかというような
エピソードを残しておりますと校長会の
当日ですねま僕も記憶に新しいわけです
けども今でも蘇ってきますが何時間もです
ねえこのやり取りすると通訳を挟んでる
わけですから向こうも苛立っておりまして
回答が遅いとそして秋夫さんはですね前面
に2面を出して回答してましたの

to
CEtoto
MOTtoSTthatIloveCAR
asmuchasanyoneandI
loveasmuchasanyone
向こうの議員からはですね質問に
ストレートに答えろとこちらも真摯的に
振る舞ってるのなんでストレートに
しっかり質問に対して答えねんだという
ことで苛立ちを見せられてしまうとそして
さんがつい3ヶ月前まで問題の深刻さを
知らなかったということで米国のと日本の
トヨタだいぶその温度的に差がってですね
この問題を大きくしてしまったという風に
言っておりますがそんな社長が知らされ
ない会社があるのかということで校長会で
言われておりますと校長会は3時間20分
で終了し決定的な証拠は出ないとこれだけ
では進化せずですねなんとですねNASA
にまで声をかけてですねこのリコール問題
は電子結果なのかどうかというNASAの
調査が入りまして一応このトヨタ社に旧
加速を起こす電子的結果見つかりません
でしたということになってますとこれで
やれやれ終わったかなと思った矢先にです
ね米政府の追が続きまして既に認めていた
ブレーキアクセルの不具合への対応が
鈍かったことが追求の要因となっていき
ますと運省はですね不具合に対して報告が
遅かったとしてそれをトヨタを認める形で
6600万ドルですね60億円以上制裁金
を貸しこれ運省が1企業に対して貸した
最高額のバト金でございましたがトヨタは
支払いに応じますとバス券を払ったんで
終わるかと思ったらそうではなくてですね
血管学士のの疑いでですね米司法当局も
FBIも調査乗り出すこれどういったこと
かって言うと左は欧州にありまして欧州側
でアクルの不具合が報告されてそれに対し
てトヨタが設計変更をすると問題があると
いうことがバレるので設計変更しないと
いうことを判断したとそのやり取りに対し
て一切メモや文字で残さないようにという
ことを高頭で伝えられたということを
FBIが掴んでですね欧州合せになると
最終的には米司法省はですね設定変更を
見送ったトヨタの意図を高結論づけると
いうことで設計変更を実施すれば床マット
以外に旧加速の要因があることが米当局に
分かってしまうため発覚を防ぐため設計
変更を中止し欧州金のですね血管を隠した
ということに結論づけてますこれ欺いた
だろうということで2014年の3月です
ね米司法長官がですね結果を発表しまして
罪名通信詐欺これは紛らわしい広告等に
ですね違法取引があった場合適されるん
ですけども自動車メーカーを対象にしたと
いうことで初めてでございましたがこれで
決着を見るということでトヨタ側もですね
早期解決を優先して容疑を受け入れて自動
車メカへの制裁金として最高額の12億
ドルですね約1200億を支払いですね
平日突を3年間猶予してもらうことで合意
するということですねトヨタリコール対応
も終わっておりましてま制裁金を払うと
いうことで決着をするとトヨタがハンマー
ダスを伸ばしたが故にですねトヨタいじめ
というような反面もある一方で本当のこと
を報告したかどうかということで争われた
というような内容になっておりますトヨタ
もですねやはり米国と日本でかなり温度感
があって権限以上を米国側にしていなかっ
たので米国でのやばいぞやばいぞっていう
雰囲気が日本に伝わらなかったということ
を認めてですね以後は米国に対して権限を
異常して会社の統治ですねコンプラをです
ね最適化しまして進化してるとそれだけで
はなくてですねトヨタ本社に品数学習館と
いうものを設置しまして副害のあった車両
とか部品のもの実物を置いてですね
ドライバー苦情も張り出して真摯に
向き合うという姿勢をしっかりやってる
ところがまトヨタらしいかなと思いますと
まあ昭夫さんはですねこういった修羅場を
くぐってきておりますので会社が潰れそう
になった期間を忘れていけないということ
を今でも気にかけてるとということで今で
こそ非常に高決算なトヨタもですねこの
ように非常なですね修羅場を何回もくぐっ
てきてるということでただその修羅場を
くぐってもですね勝ち続けるということで
やはりこのトヨタのDNAは強いなと
やっぱり過去にですね危機に陥ればですね
その危機を読み解いてですね2度とその
機器を繰り返してたまるかという改善をし
ていくとそしてドライスティックに会社を
変えていくところがやっぱりトヨタの強さ
だろうという風に僕はこれを読んでですね
まとめながら思った次第でございますとと
いうことで皆様はどう感じられたでしょう
かと最後になりますがですね今回はこちら
のトヨタのケフそしてホームページ等参照
させていただいて抜粋をさせていただいて
おりますのでこれがトヨタの歴史全てでは
ないことはご了承いただきたいと思います
と感想コメントあればですね是非コメント
欄にいただきたいとと思っておりますと
今回は改めてのトヨタ会でございましたが
自動車以外にもですね作交差機会反動体
自動車制御FAとですね物づくりに関連し
た動画をいつも作っておりますということ
で製造後に関連した方は是非チャンネル
登録いただいて応援をしていただきたいの
と刺激になった方はイネマークを押して
いただきたいですそして次回の予定の前に
スポンサー動画でございますどうぞ
パナソニックエナジーさんのスポンサー
動画になっておりますパナソニック
エナジーといえば今注目の2時電池で
ございます2電池はもう作っても作っても
足りないとこの2電池っていうのはネット
探してもらえればいいんですけど非常に
発火事故が多いんですが今まで
パナソニックナジはリコール品が全くゼロ
なんですねな品質に引出てるわけでござい
まして品子管理の関連業務に従事された方
があるエンジニアがですね大々大募集し
てるとCと言えば車載関連の品質管理され
てる方は歓迎するということでございます
ので興味があれば是非概要欄からチェック
いただいて応募くださいいっ
てらっしゃい次回はですねセミコンの総集
編になってるのかもしくはロボットの話に
なってると思いますとお楽しみに次の動画
で会いましょうお疲れ様でしたじゃあねち
バイバイありがとうございました吉川
ちゃんの一言本日も最後まで動画をご覧
いただきありがとうございますトヨタの
歴史については知らないことが多くて
とても勉強になりましたためになった方は
いいねマークコメントもお待ちしており
ますそれではまた次の動画でお会いし
ましょうまたね

・スポンサー:REVOX・INDUSTRIAL-X・ヤマザキマザック・パナソニックエナジー

日本屈指の自動車メーカートヨタの歴史を振り返ります。
何度も訪れる経営危機から復活してきたトヨタの強さを紐解きます。

【参考書籍】
・時流の先へ トヨタの系譜
https://amzn.to/3NybCZS
・ザ・ゴール ― 企業の究極の目的とは何か
https://amzn.to/3RqziAo
・トヨタ生産方式――脱規模の経営をめざして
https://amzn.to/3Rx3lX6

【ものづくり太郎公式スポンサー】
・REVOX(sellbot)
https://www.sellbot.jp/
・パナソニック エナジー
https://energy-sp.panasonic.com/jp/recruit/career
・industrial-X

HOME


・ヤマザキマザック(HCN-5000NEO)
https://www.mazak.jp/machines/hcn-5000-neo/

【海外チャンネルを開設しました!】
15か国語に翻訳されています。
We have opened an overseas channel!
Translated into 15 languages.
↓↓↓
https://www.youtube.com/@manufacturingtaro2284

■ものづくり太郎Twitter■
https://twitter.com/monozukuritarou 

《目次》
00:00 イントロ、創業~
09:26 金融引き締め政策が始まる
19:49 排気ガス規制に立ち向かう
31:02 GMと合弁・トヨタ生産方式始動
42:43 まとめ

【参考・出典資料】
・佐吉記念館
https://hamamatsu-daisuki.net/industry/spot/toyoda-sakichi-memorial-house.html
・トヨタ75年史
https://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/index.html
・機織りイメージ
https://news.livedoor.com/article/detail/15536730/
・豊田自動織機刈谷工場
https://www.bigcompany.jp/dtl/00002686368/
・G型自動織機
https://www.tcmit.org/vgt/textile/scene-03-iframe/target-01/
・豊田利三郎写真
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B1%8A%E7%94%B0%E5%88%A9%E4%B8%89%E9%83%8E
・小島プレス

所在地


・DENSO
https://www.denso.com/jp/ja/about-us/corporate-info/profile/heritage/
・豊田英二

豊田 英二


・石田退三
https://meigen.pt-hamamoto.biz/index.php?2016
・平和堂
https://www.heiwado.jp/company
・イオン
https://www.aeon.info/
・日本の技術向上をさらに激化させたもの~エンジンの話
https://www.hai-sya.com/column/engine_history5.html
・本田宗一郎
https://bike-lineage.org/etc/hondasouichirou/hondaism5.html
・CIVIC
https://www.honda.co.jp/CIVIC/civicworld/insidestory/insidestory01/
・触媒用セラミック担体「ハニセラム」
https://www.ngk.co.jp/product/honeyceram.html
・ドナルドレーガン
https://media.rakuten-sec.net/articles/-/40237
・トヨタとテスラ、共同開発のEVをNUMMIで生産へ
https://response.jp/article/2010/05/21/140707.html
・〈語録〉トヨタ自動車 張富士夫名誉会長
https://www.netdenjd.com/articles/-/148232
・A Lexus barreling out of control, a frantic 911 call, a family dead

A Lexus barreling out of control, a frantic 911 call, a family dead


・トヨタ リコール緊急会見ノーカット 1/6

・トヨタ、1200億円で米司法省と和解―過去最高額
https://jp.wsj.com/articles/SB10001424052702303572004579449733844874824
・Toyota Gas Pedals: Is the Public At Risk? Panel 2 Part 1

・トヨタ急加速問題、NASAも調査協力 米運輸省
https://www.nikkei.com/article/DGXNASDD300EJ_Q0A330C1TJ0000/
・ドッジライン発表
https://media.rakuten-sec.net/articles/-/40693

■ものづくり太郎チャンネル ものづくり太郎のプロフィール
YouTube 活動のためミスミを退社。日本では製造業に関わる人口が非常に多いが、
YouTube の投稿に製造業関連の動画が少ないことに着目し、「これでは日本が誇る製
造業が浮かばれないと」自身で製造業(ものづくり)に関わる様々な情報を提供しよ
うと決心し、活動を展開。ものづくり系 YouTuber として様々な企業とコラボレーシ
ョンを行っている。業界に関する講演や、PR 動画制作等多数。

#トヨタ#経営危機#自動車#ジャストインタイム#歴史#製造業#ものづくり太郎

38 Comments

  1. 日本の自動車関連会社が、米国の様々な公的機関やマスメディアに、いかにひどい耕作と印象操作をされたのか。
    現在も残る、その悪い印象の原因を、いつか実名で全て暴いて知らしめ記憶させることが、真の理解と信頼に繋がると信じています。
    早くそんな時代が来ないものですかね。
    彼等が自信を喪っている間は難しいのでしょう。

  2. 米国に都合の良い事実らしいもので、真実を覆い隠した米国の可哀想な現実。
    他の業界や国も、米国の愛国心で覆い隠した欲に潰されていたのかも知れません。
    陽気で自身に満ち、正義感あふれる米国社会は、まぼろしだったのでしょうか?

  3. 傘下のダイハツがすごい事になっている。その前は日野。
    トヨタだけでなく、デンソーのリコールも含め、全体的なコンプライアンス向上が求められている。

  4. 内部要因の危機って少ないんですねぇ。
    とは言っても80点主義のころはパクリ上等みたいな雰囲気もあって、章男の改革がなかったら結構ヤバかったのかも?

  5. 面白い!!こういうの好きです。
    次はダイハツでお願いしたい。もの作りで一番信用を落とすことをしてしまったからね。
    吉川ちゃんの後ろで千葉ちゃん!?が編集してましたね。お疲れさまです。

  6. 現状のトヨタを見ると、元FAプロマネの立場から見て特許や生産技術で明らかに中国に負けていて、衰退は確定的だと思いますよ。日本人として残念ですが、創業家の特権でラリーやレースをやっている豊田会長の神格化が衰退の原因だと思います。

  7. トヨタは補助金や優遇措置で復活しそうな安心感はある。
    プロボックスの納期が数ヶ月前から未定になっていた時点で疑うべきでしたね。

  8. 神回ですね。一度は読んだことのある内容ですが改めて整理されて説明されると新たな気づきもある。日本人なら知っておくべき教養。

  9. トヨタの苦難の時代を描いたドラマ?も昔ありましたね、トラックのドライブシャフトが折れるとすぐに駆けつけて台車を供給する場面が印象的でした、吉川さんの場面も印象的!ありがとうございました。

  10. もともとトヨタオーナーですが、こんな動画見てしまうとますますトヨタ以外の車を買えなくなります。これからもガンバレ日本のトヨタ、世界のトヨタ。。

  11. EVを全力推進していたDSとしては、現状のトヨタ独り勝ち状態が、許せないんでしょうねぇ。もっとハンディが必要と、考えている。まあまだまだ主導権はDSの手にあるので、出る杭は打たれるという覚悟は、しておかないとね。

  12. 未だに思い返すのは、当時の生中継「米高速道路での爆走車 一家全員死亡事件」です。

    運転手  携帯電話:ブレーキを踏んでも止まらな~い  トヨタは欠陥だ~
    同乗家族 助けて!
    TVヘリ トヨタ車が高速道路を減速できずに暴走していまぁ~す

    この修羅場を見せられても、NASAはトヨタ車に欠陥無しと結論せざるを得なかった。(制御ICに記録が残っていた。記録が無ければ・・・)

  13. 愛知県豊田市出身です。
    小学生から工場見学、中学生ではトヨタの歴史の学びと義務教育下でトヨタの事を学びましたが、知らない事も多々ございました。
    ありがとうございました。

  14. トヨタ(+ダイハツ)の過去の問題点は人的物的無駄を作らないトヨタ生産方式で徹底的なコストカットをして解決できたが、今回問題の一因になったのはその生産方式そのものでしょう。
    働かないアリも必要ってことです。単にトヨタのシステムは、労働人口減少とインフレが同時に起きた今の日本社会に対応できないシステムで、下請け絞って解決はもう不可能ってことですね。

  15. まー、今の失敗は「そんかバカな事はやらないだろう」という、外交なんかでも良くある「常識人のワナ」にひっかかった気がしますね。

    乗り越えて欲しいですね。

  16. 安く電気が製造出来ないためEVの目が無くなり車の将来はトヨタ一択か?と思う。国内はさっさと水素化して治安とインフラは自己責任の国にだけ輸出。その他はハイブリッド車。トラックはディーゼルエンジンと停車中の発電機?蓄電池のハイブリッドが現実的?かと。アメリカ、ヨーロッパメーカーはEVに時間と資金をかけ過ぎた。しかも部品あのちゅ〜か製。再販まではかなりのハードルがある。日野、ダイハツの件でトヨタ株が下がるなら「買い」かもと…

  17. 今回のDAIHATSU、日野自動車、そして直接関係はないけれど本社のある豊田市の隣の市の岡崎市に工場のある(NISSAN系列の)三菱自動車。TOYOTAが中心となってこの難局を乗り越えてさらに強く、誇り高い日本のものづくりの底力を世界中に見せつけてほしい。負けるなTOYOTA他日本の自動車メーカー!!

  18. 太郎ちゃんは余計なことをほとんど言わないので、とても為になります。
    ほかのくそチャンネルは、余計なことばかり言って無駄に時間だけ長く、最後まで見ても知ってることしか言ってないものばかりで、全部消えてもらいたいです。

  19. どんな逆境に於いても諦めない強靱な精神は日本の古来からの武士道通じる精神を思い知らされる〜〜

  20. ダイハツの問題の発覚経緯は内部告発であるといことですが、どうかな???
    米国のトヨタつぶし、日本つぶしの一環ではないのかな。
    アメリカは、同盟国(属国)を叩いて、自国の存在感を際立たせるのが常とう手段だが。
    ドイツは、VWはじめ、ノルドストリームを米に爆破されたりして、壊滅的打撃を受けている。結果、一時10倍の値のガスを米国から買っていた。
    これらは皆発端は盗聴でしょう。知らんけど。多分。インターネットはもともと米軍のネットワークで、全部米国が把握できるようになっていると思う。
    中露は米国を経由しないインターネットを考えている、という情報もありましたが。

  21. 大手自動車メーカーが抱える協力試作部品メーカーの部品材質偽装は当たり前のようにあります。例えば量産で使われる鋼材でSCR420があります。一般的には流通しておらず手に入れることが非常に困難な材料です。試作の時点で大手車メーカーが試作依頼を協力試作部品メーカー(仕入先メーカー)に依頼する。協力試作部品メーカーがSCM420をSCR420と偽り、耐久性の評価に使う歯車(ギヤ)等部品を提供するといった悪質行為です。どちらもクロムモリブデン鋼として知られる鋼材ですが、いくつかの違いがあります。

    まず、クロムの含有量に差があります。SCR420は通常、0.6-1.0%のクロムを含みます。一方、SCM420は0.9-1.2%のクロムを含んでいます。この差により、SCM420はSCR420よりもクロムの含有量が高くなっており、それに伴い耐摩耗性や耐腐食性が向上しています。

    つまり、量産材料よりも耐久性、耐摩耗性試験で良い評価がでてしまい試験を通過しやすくなることです。

    協力試作メーカーが材質を偽る理由として、(1)入手が困難(2)手に入ったとしてもSCM420の8倍の価格で手に入るまで数日掛かり、大手自動車メーカーの納期対応が困難になる(3)見積りは各仕入先、合い見積もりなので、SCRにすることで価格競争に負ける確率が上がる

    大手自動車メーカーも何百社と協力仕入先メーカーを持っているが、安全よりも自社の利益を優先する協力試作部品メーカーがたくさんあるのが残念でなりません。大手自動車メーカーは協力仕入先メーカーが勝手にやった事と言い訳するかもしれないが、本当にそれでいいのか?日本のものづくり❗世界に誇れる日本のものづくりにしようぜ❗

  22. マンガの話になりますが、私の好きなマンガの銀魂というマンガの一つの話で、茂吉という大工の話がまさにトヨタとかぶります。ま、茂吉って銀魂の主人公の妄想の職人なんですが、無理難題をどんどん解決していく職人さん。という昔話をさも居る人間かのように大工に語って自分の意のままに家を作らせる話なんですが、実は嘘でしたってオチなんですが、まさにその理不尽な環境で戦っていたトヨタ!気づいたらライバルが勝手に落ちていく様が痛快ですね。

  23. 何故ここまで好調を維持してるのかわからないでいるテスラ信者が本当に嫌い

    本人は全く賢くないくせして市場を理解しきった気でいるのが痛い笑
    トヨタにどれだけ優秀な奴がいると思ってるんかなー…

  24. 🛜「不正詐欺TOYOTA」の軛を脱すれば空前のEVブームが‼️
    ≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫
    ⭕️EVは[走るスマホ]と言われるが、今や“空飛ぶ車”ならぬ[空飛ぶスマホ]へと急速に進化を遂げている。EVが蓄電池とモーターだけで走ることができる《Electric Vehicle=電気自動車》であり、無人運転、即ち[完全自動運転]を目指して開発途上にある《有限資源=化石燃料》に依らない【SDGs対応移動体】なのである。
    ⭕️[内燃機関=エンジン車]は“ドライビングおたく”のための[前世紀の遺物“自動車”]の様相を呈している《油ガブ呑み[大気・振動・音など環境破壊継続]【SDGs非対応移動体】なのである。
    ≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫≫
    🔔自動車労連加盟のIT技術者諸氏へ→→→→→→→
    今すぐ電機連合に加盟せよ。否、むしろ労組に縛られることなく[独立した有資格者/専門職]として【業務請負(⇄業務委託)契約】を交わして“大谷翔平氏並み”にIT世界に雄飛せよ‼️
    🛜「エンジン駆動車はガラパゴス化した“輸送機器移動体”」であり、「電気エネルギー駆動EVは最先端AI技術利用の“電機・電子機器移動体”」なのである。自動車総連の技術者諸氏が電機連合に加盟していないのが不思議なくらいである。
    ⭕️豊田章男氏は斜陽輸送機器メーカーの親玉らしく、トヨタ社員の大量解雇を岸田政権にちらつかせているが、とんだ迷経営者ぶりだ。
    ⭕️この採用難の時代、トヨタ社員が中途採用市場に参入すれば、日産、ホンダはおろかダイムラー・ベンツ、GM、フォード、さらにはフェラーリ、ロールスロイスまでもが大歓迎だろう。天皇陛下の歓迎招待は叶わぬかもしれないが、トヨタの媚中幹部は無理だが、その他の幹部、特に《【セキュリティクリアランスのアクセス権】が付与されたトヨタ幹部》なら英国チャールズ国王陛下が国賓並みに晩餐会の招待状を送って下さるかもしれない。(現に日産と三菱自工はルノーとのアライアンス協議で仏国政府との間で“互角以上優位”に交渉を進めているではないか。岸田政権はすでに不正常習企業・トヨタに関心はなく、オリンピックパリ大会開催国フランスに《国産の公用EV》を駆って“EV以外乗り入れ禁止のパリ”に乗り入れることができるかということであろう。
    ❌日本の《国産公用EV》に習近平中国製燃料電池を積んだ“LEXUS EV”はハナからムリ。
    🎩元仏国ルノーCEOカルロス・ゴーン氏が会長を務めた日産自動車株式会社のEVが皮肉にも《国産公用EV》の最適車種ということになる。日産は《初代リーフ》を20年前に開発実車化し、膨大な走行データを集めている。安全なEVにはこうした長年のデータ蓄積が欠かせない。最近、登場した《ホンダEV》や《マツダEV》も、さらに言えば《EVのお家元TESLA EV》さえも抜き去る【ダントツの安全安心SDGs対応EV】なのである。
    🔔《習近平中国トヨタ》のサプライチェーンに囲い込まれて苦しむ「優れた中小企業=自動車関連メーカー」の経営者諸氏よ。直ちに【習近平中国・トヨタ連邦企業グループ】から離脱せよ。沈み行く「泥舟TOYOTA」の縛りを振りほどいて【ノアの方舟】に乗り移れ。“悪夢のようなTOYOTA縛り”から自由になれば、「技術のNISSAN」は言うに及ばず、「ジェット機開発のHONDA」、「世界唯一のロータリーエンジン開発のMAZDA」さらには「不正詐欺TOYOTAに代わって世界の車作りをリードするBENZ」などから、[熱烈な取引ラブコール]が舞い込んでくるであろう。そしてまた「JAXAや米国NASA」からは[Surprise Nego Love Call]が……🇯🇵🎀🇺🇸🎁⁉️

Leave A Reply