【愛媛廃村05】高縄半島の廃村大河内を訪ねるツーリング

■「そこじゃない」をツーリング
愛媛の小集落と廃村(第5回)
愛媛県の小集落、廃村を巡る旅。
今回は高縄山の中腹に存在した「大河内(おおかち)」集落跡を訪ねます。

(撮影日:2024年1月29日)

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#ベンリィ
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9 Comments

  1. 今回もお疲れ様でしたGoogle先生を見て大河内って地名やっと見つけました家は長い年月で跡形も無くなるけど石垣や石碑は壊れない限り残り。ここに人が住んでた証拠ですね

  2. 道ができたことを記念する古い石碑はたまに見かけますが、今と道の価値観が違っていたのでしょうね。
    利便性が一気に向上して生活が一変するなんてこともあったのでしょうか。
    山の中の石碑を見るといろいろ妄想を掻き立てられます。

  3. めそはるさん、お疲れ様でした。
    今回は、ツーリングじゃなくて登山でしたね(笑)
    牛谷の谷違いなんですね、幸次ケ峠も大河内に含まれるんですね。

  4. お疲れ様です。侘しさを感じる凄い所ですね。高縄山は石鎚山同様裾野が広く、かつて山中や山裾に多くの集落が有ったのでしょうね。寒さが身に染む時期、やっぱり道なき道を通り、藪を掻き分け、そして身体も暖まる、冬は登山(藪漕ぎ)・・・・・なんてね😃😃😃😃😃

  5. この時代の離散はおそらく建物を解体しているので、痕跡はほぼないはずですね。瀬戸物とか小さな納屋はあるでしょうが。
    神社の瓦が残っていたのは、神社だけは移設せずに残っていたから、建物が朽ちた結果だと思われます。
    神社の残骸にあった金属機械はミシンっぽく見えますが、謎ですね。なぜ神社のミシンが……。
    しかし一時間の登りはほぼ登山なんですよねえ。よく住んでましたね。木地師系の集落だったのでしょうか。

  6. お疲れ様です。道が整備されたら離村が進んだと言うのは、他でもありましたよね。次にあの道路記念碑が人の目に触れるのはいつでしょうか…。

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