闇夜に蠢くもの達【123便調査File_No.38】

当日21時にM氏が見た光景
そして、フォトジャーナリスト小平尚典さんが同じ場所で見たもの
そこから浮かんでくるある組織の影…

▽M氏が見た光景について触れている記事
https://blog.goo.ne.jp/adoi/e/6c68aea721e7892bcf9d2c75deb02e5b
https://blog.goo.ne.jp/adoi/e/9eeb1d4d7dc5bd46d041bff6081ff801

▽日月土(ミロク)氏とM氏の対談記事
https://blog.goo.ne.jp/adoi/e/9218d78bddf9f12a9d7bdc8ebec1c10a

▽4/524 日航123便御巣鷹山墜落事故写真集
https://amzn.to/3vqZFPS (Amazonへのリンク)

#123便 #日航機墜落事故 #第十二特科連隊

10 Comments

  1. 初めまして。
    陸自で「特科」というと他国軍の「砲兵」を意味します。

    おせっかいかと思いますが、誤解があるといけないと思いましたので、書かせてもらいました。

    いわゆる「クロカモ」さんが、偽装のためのカバーネームに使ったのかもしれませんね。

  2. M氏が「ジェット機が旋回している音の方へバイクで進んでいった」とのことですが、林道で、しかも山の中、音が一方向からのみ聞こえるものでしょうか?オフロードバイクそのものの排気音もかなり大きいと思います。実際に夜間、そのように音を頼りに方向を特定できるバイク乗りの方がいらっしゃいますでしょうか?

  3. 初期黒霧管理人さんと今の管理人さんは別人なんじゃないですかね。

    今の管理人さんとは10年位前、大阪大正区の神社で開催されたセミナーでお会いしましたが、そこでそう確信しました。

    ケンタロウさんの発信がアレな方向を向いてしまった今、室長の発信だけが頼みの綱となりました。

    応援してます。

  4. 他の方もコメントされてますが、野戦特科は旧日本軍で言う大砲を扱う砲兵です。日本は軍隊を持ってない建前があるので、歩兵科は普通科、駆逐艦は護衛艦、将校は幹部と言ったり、階級も例えば二等兵は二士、大尉は一尉、少佐は三佐と言ってます。黒い霧やM証言を裏付けたいお気持ちがあるとは思いますが、私には今回の内容はミスリードになっていると感じました。じゃあ、なぜ砲兵隊が真っ先に集結していたのかというお話が無いと、野戦特科を野戦特化と誤解されているように受け取れるのです。

  5. 今回の動画(特に蛇足部分)に関して、誤りを指摘する声や、誤誘導を危ぶむコメントが多数寄せられています。
    それだけ関心を持ってくださっていることに、まずは感謝したいと思います。

    コメントへの個別の回答は差し控え、それらの議題を包括した上で、来る水曜日にライブ配信を開催させていただきます。
    もちろんアーカイブに残す予定はありません。

    日時:令和6年4月10日(水)21:00開始予定
    (時間は当日の都合で多少変更になる場合があります)

  6. 小平さんがかたつていましたね、池の水がくさかつた、池の鯉が全て死んでいた、これは火炎放射器です、山頂付近が1番炭化が激しかつた、それは50メートルまで煙が激しく出ます、50メートル先で🔥が激しく燃えます、青山さんの取材、陸上自衛隊幕僚長の方に聞いた、本に書かれている部分、35メートル先まで噴射するのではないか、それは幕僚長でも全て把握しているわけでも無いと思います、白い煙が激しく出て、50メートル先で🔥が激しく燃え、更に50メートル先まで煙が激しく出ます、いわゆる100メートル先まで噴射距離が伸びます、白い煙が降って来た、生存者の落合由美さんの証言、それは、大気中の二酸化炭素、窒素、が合成された物なんですよね、実はこの動画の中に映っている白い煙それが、そうなんです、指が一本だけ焼けて無かったり、体はあるのに頭が無い遺体、腕、足が四方に散らばり、木にぶら下がり、あるいは、砂の中、いわゆる部分遺体、青山さんが、物証をしたのは、肉🍖を焼いたら片面しか焼け無いのではないか、わたしは、なるほどとおもいました、それはわたしも自衛隊に入り訓練受けながら、は幕僚長の方々に話を聞き、名前を公表しない約束守る事で具体的に話を聞きました、007ですよね、あるいは、違った意味で、ブルース、リーの燃えよドラゴンみたいな感じ、あのですね、🔥が燃え移つた部分のみが炭化が激しく燃え、燃えて無い遺体は二酸化炭素を浴びて、つまり咳き込み、目、鼻、口、耳、などに入り、呼吸困難になり、一瞬にして、いきがしなくなつた、そうゆうわけですね、ガソリンと、タールを混ぜて、更にベンゼンを含むと火炎放射器になります、ガソリンが燃え移りますと、例えば京都アニメーション制作所に放火した男がいましたね、36名の方々が亡くなられた、痛ましい事件、1階から🔥が上がり屋上付近まで燃え移ります、ですが、ベンゼンを含むと🔥が付着した部分のみが炭化が激しく燃え、体が燃えると、🔥が付着して無い腕、足、などが、四方に散らばる、そう言う訳です、夏の熱い日でしたね、温度が32ぐらいあつたでしよう、遺体は、腐敗激しく、寄生中、が散乱して、ウジ虫、ハエなどが、たかつてたんじやないかなとおもいます、部分的に切り離された遺体から、採血して、この遺体は、男性、女性、そんな風にわりだしたんではないかとおもいます、8月13日から、12月20前後までかかつたのではないかなと思います、荷物が綺麗な状態で、ミツキーマウスも綺麗な状態なのは、🔥が付着して無いから、8月12日の夜123便を焼き、更に山頂付近に放火、航空自衛隊員の方が翌日の昼頃、ヘリコプターで撮影した映像には24箇所の部分が🔥が上がっていたとしようげんしてましたね、ふしぎでしよう、辺りに燃え移らない訳ですから、地元の大学生2名、マウンテンバイク、後ろに小学生一人乗り、それを目印にした、地元の警察が後を追い、途中で勾配きつくなり、バイクを降りて歩いてたら、6.あるいば7時間ぐらいかかって山頂付近に着いたと聞きました、驚いたと思いますよ、沢山🔥が出ていた、しかし周りに燃え移らない、後から来た警察の方も腰を抜かしたと思います、可燃物アイソトープが、乗客が持ち込んだから、墜落した直後に爆発したから、特殊部隊が、四方に、林道にバリケードしろとの指示、そして速く武器を回収しろとの指示、その後から来た特殊部隊が、腰にアーミーナイフ🔪
    懐中電灯をつけて沢を歩いて、山頂付近までいつたと、生存者の方、川上慶子さんが証言していた、沢を歩く音がした、懐中電灯がカチカチ鳴る音がした、大学生の証言、後から来た隊員たちが、アーミーナイフ🔪を持って、懐中電灯を持って沢の下から続々歩いて来た、10機のヘリコプターが、ホバーリングしていた、ヘリは、操縦者、複操縦氏が二名、後ろの後部座席💺に10名の隊員たちが乗り、そうゆうことは、地上に降りた、隊員たちは、100人体制ですね、大学生が沢を降りた後、バンパンと、音がした、自衛隊員、しやさつ、殺された隊員2名、硫黄のような匂いがした、さつきまで乗客の声がしてたのに、声がしなくなつた、12の夜1回目に現場を焼き、翌日の朝に2回目に焼きましたね、123便には、1階席、二階席と分かれていて、頂上付近から、12日の夜逆さまになって落ちた123便の二階席を火炎放射器で焼き、翌日の朝沢を歩いて、山頂付近手前で、火炎放射器を放つたと、沢の下から、二階席を火炎放射器で焼いたんじやないかなと思います、これが二度焼き、ファントム機3機の編隊飛行、ブルーインパルスの航空シヨ~を見ました、最後に距離を縮めて右旋回して跡形もなく飛んでいつたと、どれくらい近づく事できますかときいたら、2メートル先まで近づく事が出来ると、聞きました、長野付近で不時着しよう、つまりとして、畑作業している方がおられたから、高度上げたとき、ファントム機か、第三エンジン破壊、少し間を置いて大4エンジン破壊、垂直尾翼が全て破壊され、御巣鷹山に墜落したのではないかと思います、1971年の3月私の住む北海道で、悲劇が起きたと聞きました、函館市です、あの時も現場を焼き払ったようです、やはり、遺体は完全に、炭化、飛行機は、逆さまに山頂付近で落ちていたようです、機体がバラバラになり、エンジンを破壊されたあとがあり、腕が木に、地面に落ちて、いたり、監察医の分析では、ガソリンがまかれたような、こげたにおいがしたと、しようげんしています、遺族の方達が、航空会社を訴えたら、航空会社も、反論、最高裁まで争う姿勢示す中で、遺体の、検証結果ガソリンらしき物が分かり、更に調べると、軍隊が使うような武器を使ったのではないかと分かり、自衛隊関与説がふじようして、自衛隊幕僚長が頭下げて遺族に謝罪、破格の賠償金を支払い、これで許して下さい、頭下げて、事件をもみ消したようです、長くなりましたが、何とかしてでも、私は、遺族代表の、小田周二様に伝えたいんです、小田様、貴方様は2人のお子様を亡くし、更に身内の方を3名亡くされましたね、5名の尊い命が、みにくい、国家権力により奪われてしまいましたね、心からご冥福をお祈りします、123便事件から私は1
    月たつた9月に15歳になりました、貴方様の亡くなられた息子さんも、同じくらいの歳だと聞きました、ずうつと生きておられたら今年54歳位になっております、だから私は息子さんに代わり自ら自衛隊員になり、厳しい状況の中で訓練受けながら、自衛隊員時代の体験、そして350名の方々から話を聞きこみ、情報収集しました、貴方様に伝えるためです、どうかこれを見て欲しいのです、私は、一切自分の身内にも、言ってません、だけど貴方様に伝えたかつた、以上です、長くなりましたが、すみません

  7. すごいですなぁ、そのM氏は?自衛官を見ただけで「所属駐屯地」や「所属部隊わかって」しまったのですか~?作業服のどこにも、所属部隊など作業服の名札以外には書いてな

    1985年8月12日の自衛隊の動き

    駐屯地発 13日AM0時頃
    初発は第12特科連隊1大隊、本部管理中隊第1中隊第2中隊で、そのまま第13普通科連隊情報中隊の後続で現地入り、よって、21時には自衛隊は学校の皇帝になど集結してもいません。21時30分に自衛隊に「災害派遣待機命令」が下命されたのに、どうやって、21時に学校の校庭に集結するのか教えてほしいものですなぁ

  8. いつもすぐ拝見出来ずおそくなってしまいました。
    私は黒霧さんのブログを10年くらいよんでいるのですが、あの方だけは信頼出来る何とも直感の様なものがありまして。
    間違ってなかったなって思っています。
    そして、室長さんや、赤フン先生など皆さんがタッグを組む事でこの信じられない様な
    次元を超えた犯罪があった事も理解できる様になりました。
    いつもありがとうございます。

  9. 昔、黒霧さんのブログを見て相木周辺を見て周った事があります。当時は珍しい超ド田舎の防犯カメラや超ド田舎にしては住宅が新しく大きい家ばかり。何か違和感があると黒霧さんは言うから見に行って見たンです。御巣鷹上空での自衛隊含む米軍や他国の空戦の話は正直??でした。そして広範囲の残骸隠蔽で揚水発電ダム建設を進め湖底に隠蔽は更に???でした。
    このダム東電の揚水発電ダムで相木と上野村にまたがる巨大プロジェクトでした。そして相木側にはトンネルがあり一般の方も通れる筈でしたが何故か閉鎖。当初はグーグルマップにもありましたが以前見たら消されてました。当初はトンネルの後の山道も映っていて揚水ダム特有なのかまるでミサイル発射口の様な巨大な穴も画像にありました。それから確か怪しい🌀模様だかの公園。消したり閉鎖したりこうした小細工をするから先の陰謀説が出て黒霧さん達も目をつけるのに。
    それと123墜落現場に明らかにジャンボでない小型のエンジンが映っているのがありましたよね。撃墜された他の機体のモノと書かれていたかな。確かにかなり小型のエンジンの写真が残っていますが色々理屈を述べて擁護の方もいて果たしての謎ですね。
    この相木ダム南北相木村は一度見ておいて損はないですよ。こうした動画好きな方はかなり興味がでる筈です。
    黒霧さんは私が行ったその頃とはかなり違い敢えてなのかスピリチュアルな方向に行ってしまい今は見なくなりましたがこの謎に迫った貢献は大きいですよね。

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