【古道&廃道】江戸時代初期、本多忠朝が切り開いた旧大多喜街道の難所「小土呂坂」を歩く

よいしょは待ってしまっ た今回は街道の南緒を歩きますこの チャンネルでは暴走中心に古道廃道 トンネルそれから戦争遺跡などを紹介して います週に数回ステーキで更新しています のでこれらに興味のある方はチャンネル 登録していただけると最新動画が簡単に ご覧いただけますさてこの道は千葉県道 27号茂原大竹線です茂原から大竹方面に 南下してるところです江戸時代この辺りを 大竹街道が取っていました現在先街道と いうと国道297号の相性になりますので 今と昔ではだいぶルートが違ったという ことになりますさてこの先に大竹町の小と いうちょっと変わった名前の地区があり ますこのおに現在はほぼ廃道となってい ますが小坂と呼ばれる区間があります今回 はその小坂を歩いてみようという企画に なりますでこの小坂は江戸時代大竹街道の 3大南緒の1つと言われていましたなお 残りの2つは長町の張ヶ谷ZAと長南町の 坊です大坂はこの近くにありましてすでに 紹介済みですというかこの動画でもさっき 出口がちらっと映ってたんですけど気づい た方いましたかね大坂のショート動画 バズルというほどでもないのですがおかげ 様でなんとなくぼちぼちと再生されてます ありがとうございますところがですねあの ショート動画の内容について重大な訂正が あることが判明したんですよこのオザの話 とも深い関係があるので是非聞いて くださいえ動画の中で大坂のことをホンダ たかも通った道として紹介したのですが それがどうも間違いだっったようなんです よ本田といえば徳が四天のの1人で徳賀県 の家臣として家康の天下対いに重大な貢献 をした武将として名高いですよねで同時に 大竹班の初代阪神でもありましたそして 大竹班の産金交代ルートは大竹街道でした のでま江戸時代初期は産金交代なかったん ですがそれでも大竹から江戸に向かうには 当然この大竹街道を使っていたものだと 疑っていなかったんですよところが実は 当時江戸時代の最初期までは大竹から江戸 に向かう道っていうのはこの大竹街道で なかったようなんですよ当時つかれていた のはこの道の東側にあるム沢方面に向かう 道現在の千葉県土150号大竹一宮線と大 位置する道だったようですで小坂や大坂を 含む江戸時代のいわゆる大竹街道のルート を切り開いたのは多の後を継いだ大竹班2 代目阪本田田友だったんですねただとは 1615年大阪夏の寺院トヨミシンが滅亡 した戦いですよねこれに出しましたその際 当初は当時の通れ通り先ほど申しました

ム沢に向かう道を進んだそうなんですよ ところが言伝によりますとム沢に入る直前 馬の目の前をイが取り過ぎたんですねこれ を不吉の全長と捉えたた友は軍勢を 引き返して改めて別の道これからこの動画 で紹介する小坂を切り開いて江戸に向かっ たそうですということは当然その先の大坂 もこの時に同時に使われることになったと いうことになるはずですちなみにただ友が 軍勢を引き返したところは駒といういう 地名が残っています 駒返橋トンネルが剣道脇に残っていますと いうことで改めてまとめ直しますと大竹 から江戸に向かうには本田たかの時代は ム沢を経由していましたが息子のたとの 時代以降は小坂や大坂そして長男市街を 経由した広く知られる江戸時代の大竹街道 のルートが取られるようになったという ことになるようですえっとこの右から行き たいんですが車が止まっていたのでどう しようかなと思ってとりあえず通り過ぎて しまいました期待しますねで話は戻ります がこの本田たとの話は暴走レジェンドさん という暴走の昔話を集めたサイトで紹介さ れています他にも面白い話が色々あります ので暴走の歴史に興味のある方はご覧に なることお勧めします概要欄にリンクを 貼っておきますねえちなみにただとが小坂 を切り開いたという話は加川書店の日本 知名大時点にも記載されていますので学術 的な裏付けもあると思われますイ云々と いうのはさすがに伝説かもしれませんけど 大竹から江戸に向かう場合坂や大坂を経由 した方が距離的に短縮されますのでただ ともが合理的な判断で新たな道を切り開い たという可能性もあるかもしれませんと いうことで現地に到着 ですはいこんにちは道にあるちょっと古い ものパパゲーナですいつもご視聴コメント 高評価ありがとうございます今日は江戸 時代大竹街道の3大難所の1つと言われた 小坂を紹介したいと思いますということで よろしくお願いし ます [音楽] こちらに見えますのは三上神社と言いまし てでね小坂はどうやらこちらの方に向え らしいんですよでもせっかくですんでね 最初にま神社の方にお参りしてから行こう かなと思います えーこちら千葉県道27号現在大竹街道 って言われるのはこの先で合流してくる 国道267号なんですが当時江戸時代は こちら がこうこう来てこう来た感じであの大竹

街道伸びてたんですねじゃまずとりあえず ねえっと三上神社さんの方にお参りしてと 思いますえちなみにこの記念費は何だろう 納豆殺しこれは道路開通の記念費らしい ですね昭和33年になんか地元出身の方の 会社が寄付されたようです他にも国や町 からもう女性金出てるようですけどねあ 地元も負担もあるんだこの近くにね10年 ぐらい前かな配信になったオズ道ってあり ます けど踊水道がその話はちょっとパっと見 乗ってないようですがまよく分かりません けどねま道路開通の記念費らしいですねえ では最初にまず神社の方のお参り ねあなかなか車線立派な感じだなまた石碑 があった えっとよ読めない三上神社おろなんとか なんとかて書いてあるんだな参道かなんか の建設関係か な石段騎フ者って書いてあるからやっぱり そうですねこの参道の整備関連の記念費 です ねすでに疲れてしまいまし [拍手] たおさ線箱ないけど今日はちょっと南緒に 行きますんでお賽銭出して おこうよくわからのですがそこに置いとき ましたえせっかくなんでちょっと後ろは もう回っ てあ本殿があったあったそっかこれは配電 だったんです ねここもなかなか 立派 な本殿です ねなんかこうちらっと裏が気になるものが あるっていうかガードレールがあったり するんですけどこっちドになってんのかな あああここ切り取られてるえどういうこと なん だひょっとしたらこれ本当はこちら裏参道 的なものがあったのかも分かりませんねま どっちにしろもう今使われてない感じだ から使われてないというかま通るの無理 ですからね戻り ましょうお参りもしたんでねこれでなんと か今日は無事に南勝坂も攻略できるんじゃ ないかと思います思い たいさて とじゃあね坂はこちらにあるはずなので 行ってみ ましょうあいきなり 多分こっちです ねていうかここはたがあるんだえになって ますね ああこうなってん

だ よいしょでえっとこっからですよいよいよ 本番はというかしょっぱなからこれか いこれは先が思いやられん な よいしょ そもそも道なのかしらってこれは思って しまうんです がよくわからねえ なこっち正しいのかな そもそももうちょっと ちょっととりあえず行ってみ ましょう本当これ道か よ よいしょああでも道っぽいです ねああ道だ道だ これすでにくべれてます けどあ道らしくなってきましたね ようやく うん あ切り通しだ切り通しって言っていいのか な うんあれなんかあ道 あこの道ささっきの踊神社に向かう道なん じゃないちょっと行ってみ ましょう お神社じゃないえ三神神社 だうんそうです ねあそうだそうだうんさっきの ガードレールでそこであのストンになっ てるんですねなるほどこうなってたの か裏道かと思ったんですけど神社から 直接方面に抜けるまあなんて言うんだ枝道 というかそんな感じの道だったのかもしれ ませんねこれ ねさてあこっから見ると本当いい感じの 鼓動だ へえ機体を盛り上げてくれるじゃないです かおすごいねこれはなかなか 道です よ素晴らしいいいですねこれサムネイルに 使え そう よいしょやっぱり日当たりが悪いところは ねなかなかこういう風にねいい感じで道が 保管されてるんだけどなんだ またやばくなってきた ぞあでもギリギリこう踏み跡残ような感じ だ なたまに通る人いるんですか ね よいしょネット場にはねここ通り抜け たって人いないわけではないんだけど あまりいらっしゃらないんですよ23人か なぐらいしかお見かけしなかったんで

大丈夫かなと思ったんですけどここまで 順調です ねあここ完全に踏み跡になってる わ ああちょっとこっち がこっから下見下ろすとさっきのため池 が見えるはずなんだけど見えないですねま いいや 行こうあっちから来ましたこう行き ますちなみにここ江戸時代からこれだけ 巨大な掘りありがあったってわけじゃなく て目の初期にね一度大規模な拡張工事され てるらしいんですよですので江戸時代は もっと狭かったんでしょうね先ほどの石碑 は確か昭和30年代だだからそれとはまた 別だと思い ますこの明治初期の回収の件なのですが ネットでどなたが書いていたので鵜呑みに してしまったのですがちょっと違ったかも しれません確かに明治10年代に旧大竹 街道の5箇所の坂で大回収が行われたと いう記録が残っています中でも小坂の工事 は最も大規模なものだったそうですですが その時回収されたのはこの道ではなかった ような気がしますここでいつものように 古い地図を見てみましょう左は明治初期に 作成た迅速図右は現在の地形図ですさて これを見ると明治初期にはすでに現在の 剣道27号の原型となる道が開通していた ことが分かります描かれてる太さの違い からも小坂は当時すでに急同地していた ことが分かりますつまり明治初期の小坂の 大海舟というのは今回歩いてる江戸時代 からの道ではなくこの剣道27号の原型と なる道の改作のことだったのではないかと 思うんですよちなみに明治39年の地図で オザ破道扱になってますさらに昭和22年 の地形図ではなんと一旦消失そして昭和 57年の地形図ではなぜか復活しています ちなみに剣道に出現したトンネルは昭和 24年春行のオドロ水道ですこのトンネル は2011年平成23年の5月頃に廃止さ れ現在で封鎖されています限度はオド水道 のすぐ横に改作された巨大な切通しを取っ ていますおそらく明治の大回収で改作され た道をさらに掘り下げたものだと思われ ますですのでこの後動画の中で明治の回収 でなんてことを言ったりしていますが おそらくそれは間違いだと思いますまそれ とは別に山仕事の都合で道に手が入ってる 可能性はあるかもしれませんけどねそれ から先日紹介した大坂のそばにある謎の道 もひょっとしたら同時にやはり元からの 大坂に変わる道として切り開かれたのかも しれませんというかその可能性が高いよう

な気がしてい ますまでも相当な南緒なんじゃないかとは 思っていたんです がこれまでのところは比較的順調かな ちゃんと道分かりますもん ねよいしょあ あここも掘割になって ますでふねここね これまさかバイクで行ってるってことは ないよねうんオクドバイクでなんか いやクロドバイクの踏み跡じゃないよね 違うよ ね意外とさっきからくねくね曲がってん ですよ ね うんこう来てこう行きますよあの現在の 国土チリの地形図にもね一応ギリギリ破線 日確か残ってると思ったんです があれを見る限りまっすぐなんですね ほとんどね実際は意外とくねくねしてたと はいう長道あるあるですけどねここ いきなりあれないかなって思ったら そっち側に掘割がありまし た堀割切り通し あ大竹町の教会区ですね国土 調査 国町多角国田聴覚どっちだろうここもいい 切り通し だここもサムネール 候補なんか道が若干スペックが下がった ような気が するいやで も気のせいか なうんここら辺はちょっと暴落しちゃっ たっぽいです ねよいしょうんまたここにも標石あるああ そして切り通し 素晴らしい何これいいねこの 道これは枝道かな違うなこういっただけ ですもん ねどうなのかなそろそろピークなのかな まだか なあこの辺りがそろそろ ピークかな 峠ですか ねすごいバカでかい切り通しです よ この木はなん だここどうやら峠っぽいですねで王子は あの峠に2件茶屋があったそうなんですよ だからこの辺りにあったんでしょうかね なんかこれ茶屋さんの柱の後とかじゃない よ ね壊してしまいそうだ やめよう

よいしょ ああ うんまでもやっぱりねこのでかい切り通し はさすがにねあの明治の回収の際の産物 っていうことだと思いますけどねだからま 本当はもうちょっと上だったのかもしれ ませんねあの江戸時代の大会では ね意外とここまで楽に攻略できましたね よかったよかったいやしょっぱどうなる ことかと思ったんですけどねでもうこの先 は北側だからねそんなに食性がひどいこと にはなってないと思うんです けどていうかさあそこに枝道があるんだ けどさどう しようちょっと覗くだけ ね覗くだけ本当にマジで うん あ完全に道ですねこれ ねどうしようかなもうちょっと だけ よいしょは回ってしまっ た えっとこのまま急坂で下ってくみたいな 感じですね今日はこれぐらいで勘弁しとい てやり ますさてと戻ってきた よしこの まま楽させてくれるよねあのなんか若干 前方に不安なものが見えるけど気のせいだ よ気のせいだよどう考えてての方が食性 弱いはずだ もん あれ よいしょてかさっきのところ峠じゃなかっ たのかな少しまだ上がってます ねうんだよね明らかに登ってきてるな さっきのとこ峠じゃありませんね間違っ た大したことないんだけどこれかむのが めんどくさい高さだよいしょよいしょあ おっさんになるとねこういうとがきついん ですよ よいしょシジ君とか羨ましい な うあここがピークか な うんここが本当の峠かもしれませ んでも特になんか同表らしきものがないん でよくわかんないです ねでもねもうほら今のところからこうもう まっすぐ下ってくっぽいんです よ良かったよかったよし今度こそ楽させて もらうぞ ああなんかまた楽しい気分になってきたぞ よいしょよっさっ とすごい綺麗だないい感じの道です

ねここもサムネイル 候補いやでも逆にこれぐらい平和な道だと なんか攻略感がないかいやいいんですよ別 にこれは別に冒険じゃないんですからあの 歴史の道を 歩くことをやってるだけですから ねでそこにまたなんかまよく鼓動にあり がちな掘割 で意外と覗いてみるとなもなかったりする んですけどねストンってなってて さやっぱりそう だあでもちょっと一応微妙に踏み当たり ますねでもちょっとあれ怖いなあそこから 落ちたらなんかすごくやなことになりそう だ行きませんよあんだところ はあそっかあれか北側になってるけど堀割 がそんなにきつくないから意外と食性が 元気なのかな よいしょもずっとささが美味しげてます ねあれ向こうからやっぱりなんかビがの 合流してき てるえっとこれ はあでもこれは作業堂だな明らか に植林地に向かってますねまちょっと だけですねこれは完全に植林地に向かう ための作業度ですね うんんなんだこの穴 はこれ何でしょうねま杉が抜けた後だと 思うんです けどワンチャン白撃砲と かの後かもわからないタコつぼって感じ じゃないですけどねなんだろうえ皆さんの 意見をご気にください までもここらはねもう完全に白い植林地 です ね結構道もがっつり広いんでひょっとし たらこれ車も走ってたかもしれないですね 場合によってはねあもちろんだから昭和ね 昭和の時代に入ってからですよ はいなんかもうここら辺はね普通に単に 荒れた林道という風です ねいやもう後半線に入ってねなんとなく 楽勝モードっぽくなってはいるんです が実はこの先1つだけ懸念事故があるん ですよあの地形図には一応破線道残って いるんですが確かねこの北側で剣道に合流 するように描かれていたはずなんですが この向こうの剣道27号ね僕数えきれない ほど通っていますし でま毎回とは言えないんですけど大体 しょっちゅう 小坂の出口どこなんだろうとかって思い ながらこう運転しながらね目を凝らして見 ているんですがそれらしいところが分かっ たことが

ないあの下降りたところてやぶしかないん ですよやぶじゃないな林だなだからね最後 の最後でとんでもないことが待っているの かもしれないっていうねそれが唯一今懸念 事項ですねまあと若干ね足場が ちょっと緩い感じ緩いっていうかあの滑り そうな感じなんでねそいつが怖いですね ここでぶったれてね頭ごっつんこしちゃっ てね伸びちゃったりしたらまあしゃれに ならないんですがまそれはないように気を つけてあと最後の最後のねあのがどうなっ てるのかそれだけがえ不安です ねもうずっとねちょっと足元ばっかり気に なってんですけどねよいしょ見たところは 基本的には平穏な道なんですけどね ちょっとねここやっぱりねぬらぬらていう かねツルツルな感じなんですよ ねもうおろ坂だけにドロドロって感じです かってねもうダ言ってしまってる場合じゃ ないんだ けど うんあれあそこにもなんかひばある ぞっていうかさ道よくこういうのあるん ですよね山の中の道ってね先ほどなん だろう けどどっから あそこ堀割もしかして掘割切り通しあ違う 違う単に崩れただけだ うんと あれなんかそっち側にもなんかあるんだ けどあのこうずっと降りてきたんです よで多分基本こっち側続いてると思うんだ けどなんかここら辺がこれなんか別の道と の合流地点になってますねちょっと見て みようあ何これ え何これ あそうかこれちょっとむちゃくちゃ深い からねここ降りるとちょっとやばそうなん だけど そうそうこれねあのさっき家出てくる前に ねちょっと調べたら気づいたんですけど この山の上にあの中世の城跡があるんです よえだからねひょっとしたらこれその 振り切りかもしれないあのお城関係で有名 なあのよこくさんよこくさんっていうのか なよこくさんってなんか変だなあのNHK で魚くさん問題とかってありましたけど そんな感じになっちゃいそうなんだけど うんあの方のねあの長官図ちょっとちらっ とだけ見てきたんですけどねさすがに 思い出せないだけどこれひょっとしたら そうあの堀切り跡かもしれないですね むちゃくちゃ 深いだけど明らかにこっちの道はもう別物 ですね僕は今んところは城にはまだ手を

広げてないんで今日は勘弁しでありって いうねそんな感じでえ先に行き ましょうよいしょこ切り通しがある ちょっと覗いてみ ましょう ああさっきのあの深い掘り取りかなって いう風なやつねそのまま多分この下に 繋がってますね うんあそこにもう今剣道走ってる車が見え ますけどねこんなにいい感じで道が残っ てるとは思わなかった美味しいところも まあなくはないだろうとは思ったんですが ねもう全体的に極めて良好に残ってますね これはさもう普通にこのまんままほんの ちょっとだけね最低限の整備してあの大坂 みたいに公開してもいいんじゃないかな 案内版立ててさという風に言いたくなる ぐらいな感じですねうんあれは穴 かなんだ変なものあるぞ変な穴があるんだ けど今日は使わねえぞと思っていたライト が活躍するとは 思いませんでしたあでもこれはうんここ辺 なんか埋まっちゃってるけどこれ炭焼きが ですかね変なものなんか変な穴があるよな そこら辺にもなんかあるかもしんないけど まあいいやていうかなんかすごくすごい 感じになってんですけどこれななんだろう なこれそのままズボッと落ちてきたように も見えなくもないしなんだろうねこれ穴 じゃないのかなこのままズルズルズるって 怒ってきたにも見えますねそれで何か穴状 のものが形成されただけなのかわかんない なんだろうねこれよくわかん ねえうわちょっと待てなんかドロドロに なってるぞおい今日普通の靴長靴じゃない んすよやだなまさか今日最大の南緒ここな んじゃねの勘弁してくれよ沈んだりしない よね大丈夫大丈夫大丈夫 それと何これ これブルかなんかの跡なのかな [拍手] えちなみに沈む様子は全くないですねあの 左眼系のま川じゃないんだけどなどっぽい 感じになってます川じゃないけどね本当は などってのは賊のこと言うんですけど ねなんかブルの跡ですよねこれねいうこと だあもう剣道随分近づいてきましたね高さ ね一応ここエスケープルートとして確保 できましたねうんよかったよかっ たなんかこれだってこれ前方見たらやな 感じなんだもんこれきついなあのここ道だ よこれ川じゃないですよ何一体これ最低限 の整備をすればなんてさっき言ってしまっ たけどダメですねこれはね最低限じゃ ちょっとダメみたい

だああああ出口見えた見えたあれ普通に 出口っぽくなってる ぞなんか変なのがまたさらに見えんだけど マジかえマジかえっとこれはこはどうし たらいいんだあ多分これ使ってけばいける けどそっちはシュって巻く かいやこっち側から行き ますすげえ怖いんだ [拍手] けど よいしょ あ大丈夫だ抜けた抜け た [拍手] よいしょ えっとそういうことだったの かでどこに出たかと言いますとなんです けど ああなるほど もう1個軽くチートがあるんだけどあ あそこから [拍手] 行こう ああそういうことだった なるほどねここだったん だこれそう かあれ道って言われても信じないですよね 普通は ねということで今回は江戸時代旧大竹街道 の3大男子の1つと言われた小坂をご紹介 いたしましたであの出発店の神社の方にね 今帰ってきてる途中なんですが配信になり ました踊です今剣道こちらね新しく 切り出し開札されたんですけどねその前に 使れたこちらお水道おまけでねちょっと だけ過去の姿とかも含めたね本格的な動画 そのうちまたいつか作りたいと思いますが 今日はこれだけえということで今回もご 視聴ありがとうございましたまたお会いし ましょうバイ [音楽] バイ [音楽] で

今回は江戸時代、大多喜街道の三大難所のひとつと言われた「小土呂(おどろざか)坂」をご紹介します。2024年2月18日撮影。

■参考サイト
⇒本多忠朝と駒返し坂(「房総レジェンド」さま)

本多忠朝と駒返し坂

■今回の地図
地理院地図 : https://maps.gsi.go.jp/#16/35.318180/140.245564/&base=std&ls=std&disp=1&vs=c1g1j0h0k0l0u0t0z0r0s0m0f1
マピオン : https://www.mapion.co.jp/m2/35.31827676981407,140.2454995913786,15
今昔マップ : https://ktgis.net/kjmapw/kjmapw.html?lat=35.318268&lng=140.244781&zoom=16&dataset=kanto&age=0&screen=2&scr1tile=k_cj4&scr2tile=k_cj4&scr3tile=k_cj4&scr4tile=k_cj4&mapOpacity=10&overGSItile=no&altitudeOpacity=2

■チャプター
00:00 オープニング
04:14 三上神社
08:08 小土呂坂へ
10:16 枝道①
11:09 素敵な廃道風景
13:32 道の変遷について
15:25 ピークへ向かう
18:12 巨大な切り通し
19:39 枝道②
20:33 本当のピーク?
22:30 やはり素晴らしい道
24:01 枝道③
25:23 ひとつだけ懸念が…
27:17 巨大堀切跡?
29:17 県道を目指す
30:11 謎穴
31:05 ドロドロ
32:32 ラスボス的チートが出現
33:54 生還

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【チャンネル紹介】
千葉県を中心に、古道や廃道、土木構造物、戦跡(戦争遺跡)などを紹介しています。

はじめまして。「道にあるちょっと古いもの」の「パパゲーノ」と申します。このチャンネルでは、山の中に埋もれた廃道やトンネルや橋(現役・廃を問わず)、水路隧道(水路トンネル)などに突破したり潜ったり渡ったりしている模様をお伝えしていきます。

ここ数年は、いわゆる「戦跡」、特に第二次世界大戦中に上陸してくる米軍を迎え撃つために構築された陣地なども探索するようになってきました。

なお、今後の公表予定の動画についてなど、お知らせ等がある場合は、サブチャンネルで告知させていただくことがある、かもしれませんので、もしよかったら、サブチャンネルの方もご覧頂ければ幸いです。

※パパゲーノのサブチャンネル
https://www.youtube.com/channel/UCeQ_LAS_Y76EQOeXOYUCd4Q

皆様の身近にあるけど、気づきにくい「古くて変わったもの」を紹介していきます。いわゆる珍スポット、B級スポット呼ばわりされる場所が多くなるかと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。

【過去訪問場所】https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1q25aFSQdGTDt1d5Sab5gCJoxW-PLXEE&hl=ja&usp=sharing
【ブログ】https://ameblo.jp/papagenopapagena/
【Twitter】https://twitter.com/vivapapageno
【Instagram】https://www.instagram.com/vivapapageno/
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#古道 #廃道 #大多喜街道 #小土呂坂 #房総の廃道 #道にあるちょっと古いもの

9 Comments

  1. 山道を見付けて切り通しや隧道が出て来るとテンション上がりますよね👍
    昨日の話しですがぁ😅二度寝しまして😅時間が少なくなったので、本納付近の前に監視所❓の裏を探索に行ったら、多分知っていると思いますがぁ😅まぁまぁの地下壕がありました。多分全長100メールはあると思います。
    あとクランク、クランクの小さい地下壕ありました。一応インスタグラムに投稿しております。ちなみにインスタグラムの投稿は、パパさんに見てもらうのに投稿しています😅

  2. 余湖くんのお城のページ、自分もよく見てます。小土呂城ノ腰城の脇の古道歩いたですね。凄い✨実は城跡見に行く予定でしたが、今は道になって無いと聴いたので、残念しました。貴重な動画ありがとうございます。

  3. 前の写真見返していた所、小土呂坂北側には大多喜街道を示す棒が建っていたので昔道、史跡としては残そうとはしていたみたいですね。

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