世界で闘うプロBMXレーサー中井飛馬[1/2] | WEiRDOS #53

[音楽] 父親のお店に来ていたお客さんが地元で BMXレースをやってる人でで僕すごい やんちゃな子供だったんで連れてかれたの が1番最初ですね子供の頃も本当に やんちゃでビッグマンスていうか保育園の なんか将来の夢とか小学校の将来の夢とか も全部オリンピック夢みたいな感じだった んでなんか本当それの延長戦というかやめ るって選択肢がいい意味でなかった年を 重ねてってなんか気づいたらアメリカとか リザーブでオリンピックはず一緒に動して いつでも出れる準備はしてはいたんです けどまんそれも結構いい経験で選手村に 入ったりとか観客席絡みながらすげえな みたいな感じで見てました [音楽] ねアズは変わり者世にはかるをテーマとし たポキャスインタビュを通してそれぞれの 違いを認め自分自身の個性を見つめる カルチャー音声メディアです今回の進行は ブナが担当しますそしてゲストはこの方 プロBMXレーサーの中井アですよろしく お願いしますお願いしますお願いします ありがとうございます今日はくちょっと急 に対応していただいていや助かりますま ちょっとその経緯を言うとねはい今どこに 住んでるんでしたっけ今は一応フランスの アビニオンていう街まマユから1時間 ぐらいのはいはいはいとに住んでて一応 そこを拠点にうん色々世界アメリカ行っ たりだとかオーストリア行ったりだとかま そういう大会とか練習ごとに転戦しててま 日本にもちょこちょこ帰ってくるみたいな 感じの生活をしてますで1ヶ月前ぐらいに 多分お会いしてそうですねそん時は帰っ ちゃうっていう話を数日前とかでしたよね 飛行機乗るもう明後日明後日と明日とかも そういう感じでしたよね そっ から今に至るっていうそのそうだいだいぶ 言っちゃって怪我しちゃったことは全然 言っても大怪我をしちゃって日本に急遽 帰国したタイミングでですはいじゃあ取ら せてくださいっていうそうですね僕も めちゃくちゃ興味あったんで絡さいいいや ありがとうございますなのでまちょっと 多分そのBMXのうことを知ってる人とか はいもいると思うんですけど知らない人が 結構聞いてると思うんでどういどういった 競技をあま君がやってるのかをちょっと 簡潔に教えてほしいんですけどはいそうす ねまBMXた結構見て見たことある人は 多分たくさんいると思うんですけどま BMXにも結構色々あって実はまなんか

大きく分けるとフリースタイルって技系の うんやつとえっとレースって僕がやってる はいはいまスピードとかあの着順を競うま もモロレースの2種類があってまフリー スタイルとかはま例えばパークとか スケートパークでやるパークストリート街 でやるストリートとかくるくる回るような フラットランドとかうん色々あるんです けどま僕のやってるレースは本当にもう シンプルに用いどんでうん誰が1番早く うんゴールできるかっていうのを競そ競技 でうんま実はBMXの始まり自体がレース からなんですけどうんあそうなんだはい1 番のルーツというかへえま元々 カリフォルニアで70年代ぐらいに子供 たちがモトクロスの真似をしてうんレース をなんか空地とか公園とかでしてたって いうのが始まりでそっからま技をやりやり 出す子が出たりとかええっていうま流れが あってじゃ由来はバイクなんだモトクロス ですねバイクはいロスバイクをはい真似し て始まったもそうですね子供たちがその 自転車使ってジャンプしたりとかレースし たりとかはいはいはいそういうのをなんか 真似したのが始まりみたいうんでま結構 そっからアメリカとかではめっちゃ流行り 出してうんすっっごい勢いで大きくなって うんでま色々ことは進んで2008年の 北京オリンピックからうんオリンピック 種目にも選ばれててお一応東京 オリンピックまパリオリンピックも選ばれ ててこないだLAもあの確定してまずっと まオリンピック競技にもなってるっていう そうですねレースも一応うん意外と知ら ない人が多いんですけどうん結構 盛り上がってるというかほおそうなんだま 動画でちょろっと拝見させていただいたん ですけどはいそのま確かに自分が知ってた ようなBMXってそのパークではいなんか トリック決めてみたいなのしか見たこと なくてレースってあのなんかこうね ボコボコのはいはいなんていうの道を しかもなんか角度ほぼ90°みたいな ところ走ったりとかを見てあそれは怪我 する なそうなんすよマジであれはちょっと しかもなんて言うんだろうめっちゃ早いす よ何kmぐらい出るんすかえっと一応 ちっちゃいコースとかもあってもち子供と かが走るでもオリンピックとかで使われる ようなコースはスタートが8mの高うんさ でまこういう形のスタートスタート台を 使ってねっていうのがルールで一応決まっ てるんですけどスタートがあのスタート ゲートって言ってなんかうん決まったあの

音声が流れてうんそっからランダムで信号 が4つついてて赤黄色黄色青っていう風に 変わるんですけどうんうんうんうんそれで バタンって倒れてスタートするんですけど へそのスタート台のてっぺんから下まで 大体2秒弱なんすよえあのその 1番平なとこまで行くまでがそれで大体 60km弱まで2秒でうこ加速するって いう感じでそれを大体8人6人から8人 ぐらいでうんレースしてへえもう用いどし たらまぶっちゃけそんなに失格もないと いうかぶつかってもいいし進路妨害も もちろんいいしうんうんえそうなその結構 ルールがないというかへえその当てて転ば せたからあなた失格ねとかは うわあ結構やりたい放題のやりたい 放題だかもちろんもう極端なあれはダメ ですけどま大体何でもへえありのなんか メディアの人とかなん格闘技自転車の格闘 技とか言ったりとかするんですけどうんま でも結構そういうイメージかな へえ面白いちょっとまそんなア君を幼少期 から深掘りしていこうかなと思ってるん ですけど早速はいいいですかお願いします 23歳です今23です2000年生まれ 2000年生まれのそしたらじゃあ結構 ウアドズ出てもらってる人の中でも若いあ 本ですか年齢はうん若いと思うんです けどえっと答えられる範囲ではいえ お父さんとお母さんは何されてるえっと 父親はえっとハーレーヴィンテージの ハーレーとかまそっち系のアパレルを作っ ててま自分でブランドやってるのとうん うんうんうんうんとセレクトショップ みたいな感じでうんお店をやってて僕新潟 出身なんですけどま新潟でお店をやってて うんうんうんでそのお店の隣で母親があの インテリアうんショップまインテリアとか まレディースのちょっとアパレルとかうん 雑貨インテリアショップをやっててま全部 同じ敷地にあるのでま2人で一緒にお店を やってるって感じですね へえBMX始めたのは何歳ぐらい えっと僕が5歳の頃なんでうんえ2005 年ですねへえそれってお父さんから言われ てとかじゃなくてま結果的にはそうですね その父親のお店に来ていたお客さんがうん あの地元の地元でBMXレースをやってる 人でうんでなんか僕の父親も俺にぴったり というか会うやることみたいなのを探して たみたいでで僕すごいやんちゃな子供だっ たんでアウしョみたいな感じであの連れ てかれたのが1番最初ですねへえじゃあ もうお父さんからしたらめちゃくちゃ 嬉しいその由来もバイクモトクロスバイク

だけどちょっと種類は違うけどまそういう 乗り物に興味を持ってくれてみたいなそう ですねもうほぼま自転車もバイクもま似 てるじゃないですかはいはいはいはいなん でそれはやっぱりぴったりだったって多分 父親も思ってたんじゃないかなってじゃあ ご両親がBMXをやってたわけではなくて もう全然はいお客さんがやってて進めて くれたってのがすごいはいきっかけですね 一応うんうんじゃ小学校は入る前からやっ ててそうですね保育園のとこからですね うん結構覚えてますそれはええ はい始めた頃ってはいその 何かプロになる意識みたいなのって別に 全くなく趣味のというか遊びの一環でやっ てたみたいな感じなんですはいそうすねも 特に深く考えたことがあんまりなくてうん うんていうのもなんかもう1番最初体験 みたいなしに行ってうんもうそっからも 速攻はまってえもうそのままの足で自転車 買ってもらいに行ったんですよえでもそれ で始めてうんでそっから僕はもう子供の頃 はもうま今でもですけど超負けず嫌いだっ たんでうんそれレースになったらうん負け たら勝ちたくなるじゃないですかうんで それの繰返しっていうか子供の頃からう なんかやっぱりちっちゃい頃から地元の 大会もあればうんまちょっとあの遠征と いうかうんなんか例えば埼玉行ってみたり とかそういうのもしてしたりもしてたんで なんかそういうのはうん覚えてますね なんか大会で負けてうんこれ悔しいから次 の大会行きたいみたいな感じで連れてって もらってみたいな繰り返しがうんうん うんうんうんそれじゃあもうご両親は じゃあもちろなんて言うんですか協力して くれていうあもうそうですねもう めちゃくちゃ やっぱり日本がやっぱりそんなBMX レース自体がそんなにうんうんま最近で こそだいぶ普及というか広まってはきたん ですけどやっぱりアメリカとかそういう 海外と比べるとそこまででもないので やっぱりどこにでもコースがあるわけじゃ ないからうんうんで新潟は特に雪も降るし 冬の間はちょっと遠くまで連れてって もらったりへえなんでめちゃくちゃ助けて もらったてか協力してもらったし理解が あったから続けられたしうんですね うーんそっ からま小学生に上がる時もじゃあもう本当 それに夢中になっててていう感じでそうす ねもうもう結構多分始めて から今までノンストップぐらいの勢いであ なんで覚えてるのはもう学校行く前にうん

なんか公園があって家の近くにそこに コースがちっちゃいコースがあってそこは もうずっとオープンしてたんでうん朝5時 とか6時5時ぐらいに起きて6時ぐらいに 連れてってもらってうん学校前に乗って うんで家帰ってうん学校行って学校わっ たら速攻乗り行ってみたいなのを多分一生 してましたねへえはい小学生ととか中学生 とかの時に他に夢中になったものってある んです かないんですよね本当もう全くなくて ええ夢中になる余白がなかったという かえもう本当に朝から晩までうん自転車だ BMXだったしうんうんま冬は冬でま スノーボードとか結構行ったりはしてたん ですけどうん新潟だと結構盛そうですね そうはいまでもやっぱ基本はBMでうんま 月1回ぐらいそれこそ大阪とかわあのま 関東の方の雪降ってない乗れるコースに 連れてきてもらったりとかもしてたんで うん本当にずっとBMXって感じでしたへ どのタイミングで夢に変わったんです かで も記憶がなんか定かではないですけど なんか本当にま本当に言ったら物心ついた 時からうんなんかま僕自身のの子供の頃は もう本当にやんちゃでうん負けず嫌いで 生生でうんうんうんあのビッグマウスと いうか俺オリンピックトルシュみたい なだったからまなんか保育園のなんか将来 の夢とか小学の将来の夢とかも全部 オリンピックメルみたいな感じだったんで なんか本当それの延長戦というかなんか 大人になってから改めてこういつそう決心 したんですかていう風に聞かれること やっぱ多いんですけどうん決心したという かもうなんか本当にそのまま グラデーションでそこはへえ決心した タイミングがないっていうかはいはい はいそうかそうかはいなんか 今そう いうなんて言うんだろう幼少期から同じ ことずっとやってて夢中になってるもので まプロだったりま代表だったりっていう人 と喋るの俺初めてかも といやでもそそうすね本当になんで今年 18年目で来年19年目うんうんほとんど の人生ももうほだもうほとんどをBMX やって過ごしてきてるんでうんそうすねま いいんだか悪いんなかって感じ ですいやいやめちゃくちゃいいことですよ そう です音楽とかは聞いてなかったです音楽は うん聞いてたんですけどまやっぱBMXと かはやっぱ音楽とか結びついてる彼うん

うんあのまそれこそちっちゃい頃見てた アメリカのトランジットっていうDVDが あってうんなんかそういうのを見てこう アメリカってこんな感じなんだみたいな やっぱまスケートとかサラフィとかそう いうのと一緒であってうんうんうんそれで 使われてたのがなんかメロコアなんかオ スプリングとかそういう結構激しめの ロックそうなでやっぱBMXレスとマッチ してるなと思う しなんで洋楽とかは全体的に好きでしたね うんちっちゃい頃かへえはいなんか スポーツ選手って試合前とかにイヤホンし てるして自分を高めてる印象なんですけど ス君はそれあ何聞いてるんですか聞きます そういう大会前あめっちゃ聞きますうん なんかうんそれこそ音楽は結構レース前 普段関わらず結構常にうん常に常に流し てるうんうんうんうんの人なんですけど うん だからすごいタジャンル聞くしうんま レース前は結構ヒップホップとかロックあ はいはいはいなんですけど誰だろうな ちょっと早いみたいな早いのもそうだしし こう不快系こうなんかはい分かります なんかはいはいはいあとやっぱこう歌詞と かもすごい大事だ し聞きますねええヒップホップ僕はあの あれ何のオリンピックオリンピックだった かなスラックのはい東京ってあれ東はい僕 すっごい しんどい会社にいる時に毎朝聞いて自分を 高めてたんですけどはいサラリーマン時代 というかいやうん音楽の力って多分すごい かなうんああいう感じでこうヒップホップ をでコブするみたいな感じですええ誰聞く んですかレース前に聞くのだとフォート マイナーって知ってますフォートマイナー はい ちょっと音声しか取られてないから調べ ます ね結構プレイリストとかもあるんですけど うんしかしちょっと和薬調べて欲しいす けどもうやばいっすようんあそういう テンションを上げる系の感じじゃうんそう へえそかなんか日本人だっ たらうんマジ俺結構マジで何でも聞くん ですけどうん日本人だったら最近はベス ベスといすぎのハイエストって曲うんうん うんうんうんうんうんミスターpugって いうなんか同じウェイクアップって曲とか あるんはいはいはいはいはいはいとこです かねえ日本だ結構渋い系の結構なんかあの 重たい感じがすそうねブンバップのなんか そういうはいええま本当に何でも聞きます

けどうんあのでも普段もなんか悲しい時は 悲しい曲聞きたいしあのわかるなすごい 天気とかはいはいはい自分のなんか気分で すごい聞音楽をすごいちょこちょこ変える からうんそれでなんかタジャンルなのかな とすごいわかる思うんすけど全然アイドル とかも聞く もんだからマジで何でも聞くんですけどだ から音楽はすごい短ででうん助けられてる しうんうんうんうん乗る時とかに聞いたり しますねなんかスピーカーとか流してうん ええでもジムは逆にもうヒップホップじゃ ないとできなかったなんかそういう細かい こだわり強くなった気分になんないとみ 重音がもう超なんか頭に響くぐらいうん うんうんないとなんか重たいの持っても なんかこうこしっかりがちりしない感じ するからあいいすねなんかそうすねあの レース前のプレイリストとかは普段ちゃう となんか勝手に気持ち高ぶっちゃう絶対 書けないようにして てだからすごいなんかたまにこう流れて くるなんかなんかレストランとかでたまに 流れてくるとうわやっぱ聞きたくねみたい なうんああはいはいはいはいはいあれすね なんかあそうか高まっちゃう曲が流れてき たそうへえそうフリースタイルの方 にとそのレースの方決めてというかはいは あったんですかいや本当にそれも多分環境 で家から自転車でま5分10分ぐらいの とこにレースコースがあったんですようん でパーク逆にスケートパークが家の近くに なかったのでまBMXイコールレースうん だったんですよね僕の中でうんうんうんで もうレースをはレースから入っちゃってる からうんなんかパークにそこまで興味が なかったというかうんフタイのにそこまで 興味がなかったうんうんですねうんなんか 本当にそれこそうん大人になってからです ね逆にあもうちょっとやっとけばよかった みたいなええあそうなんだもう今も続け られてる理由ってもう本当に好きだからっ ていのそうですが1番ですかそうですね なんか好きだからていうのとまそれと 負けず嫌いっていうのとうん好きだからっ てのがやっぱ1番でかいですかまでももう 人生の半分以上やってたらあんまそういう ことも考えずにできてるというかやる 当たり前みたいな感じになってるんですか ねそうですねなんかやめるっていう選択肢 がなんかいい意味でなかったうんなんかま それこそ両親のサポートとかめちゃくちゃ あったしなんかはいうんやめたいと思った こともないしうんだからやめるっていう 選択肢がないからうんそのまんま次の目標

次の目標次の目標って感じでへえ年を重ね てってでなんか気づいたらアメリカとか 結構早段階ですけどねあの何歳ぐらいで 初めてその海外の大会とか海外に遠征とか わかんないですけどえっと僕多分 めちゃくちゃ特殊でうんえま父親がその アメリカの アメリカのま文化というかまハレとかはい あのアメカジとかはいはいはいまアメリカ の文化だからま仕事で結構アメリカに行っ たりも多かったんですよねえで父親も アメリカのに行ったりはすごいしてたし うん行くことも好きだったしでじゃ アメリカで大会あるんだったら行くかって なってへえ結構早段階線もほと7歳とか7 歳7歳とか8歳7歳とかで初めて連れてっ ても8歳かな8歳で初めて連れてって もらってうんうんうんでBMX面白いのが 結構細かくカテゴリー分けされてるんで うん5歳ボーイズ6歳ボーイズ7歳 ボーイズえうんうんうんうんとかあるので アメリカの8歳ボーイズでうん初めて戦っ てでま僕結構早段階で日本では勝てるよう になったりもしててうんうん8歳の時とか は結構日本では勝ったりしてたんですけど アメリカで古テパにやられてえみたいな なんで海外経験が早かったというかそれ何 が原因でとか分かったんですかこテパに やられるいやもうレベルの差ですかね やっぱ多分他のスポーツもそうですけど 日本で1番だからと言って海外でも勝てる わけじゃないじゃないですかああ日本では やっぱりその普及してないからはいその コースがなくて練習できるところが少なく てそういうことではなくてはいまそれも もちろんあると思うんですけどやっぱ大会 の数も違うしそうそうか選手のまライダー の数も違うしはいその歴史も違うしああ レベルはだいぶうんうん最近本当にやっと だいぶ縮まってきたぐらいのうんなので僕 が子供の頃 は全然違いましたよね雰囲気も違えばうん レベルも違えばはいまでもそのぐらいの 年齢から海外をもう意識せざるを得ないっ ていう状態だっったってことですあそう ですねだからそれもだいぶその自分が BMXを続けてきたうん原因原因というか 理由うんにもあるなってるですねあそうだ 今思い出したあの新潟で2007年だから 7歳の時にうんなんか海外の選手をすごい 招待したでっかい大会があったんですよ僕 の地元でうんうんうんでその時になんか アメリカ人の子供もどうせだったら予防 みたいになったらしくて子供も何人か来た んですよねうんそのうちの1人があの僕の

1個上ででその子がなんか文化交流みたい な感じで僕の実家にあのホームステーした んですようんうんうんうんうんでそうだ それであのお前いつかアメリカ来いよ みたいな約束をしてで父親も仕事あるし つって連れてってもらったんですよ テキサステキサスダラスはい今でも覚えて ですねはいダラスフォトスはい うん海外に住むっていうところに意識が 向いたのは何歳ぐらいなんですか ええで もま小学校の頃はぶっちゃけそんなよく 考えてなうん中学入ってうん俺高校から アメリカ進みたいなと思ったんすよ高校 から高校からへえで高校アメリカ進学を 結構考えてたんですけどやっぱ結構難しく てうんうん で高校からアメリカ引っ越すことは結局 できなかったんですけどうんうんうんうん あの高校を日本のまスポーツとかに力入れ てる高校に行ってうんうんでま言ったらし てもらってアメリカに行くっていうあの うんそっかそっかそれを許してくれる学に そうですねまあ一応結果とかも出してたし うん結果出すならま凍結すごいさして あげるよみたいな感じの高校行ってうん アメリカめっちゃ行ってたって感じええ ですねまなんで中学の頃から結構頻繁に アメリカは実は行ってたんですけどうん うん住みたいってなったのは 中学のそのアメリカに行ったり来たりし てる中のその期間ですかねうんうんうん うんそそうかでもちっちゃい時から アメリカとか言ってたら英語はおのずと 覚えていくみたいな感じなんですかそっす ねなんか結構グイグイ行ける タイプなかなんとなくわかる よまあなんかもちろんなんか緊張とかうん なんかうまく話せなかったらどうしようと かもあるけどまあなんとかなるしょみたい なうんうんうんタイプだったからあのま 中学 2年かな初めて1人でアメリカに行ったん ですけどうんうん1人ではい中二ではい うわあちょっと1ヶ月ぐらいかな多分 しかもそんなロングではいうわあすごいっ すねだから本当にその英語は今でこそ 喋れるけど当時は別にま周りの中学2年生 と比べたらもちろん喋れてるかもしれない けど 全然富くなんてことはなかったからみたい なとはい本当に一方通行みたいな俺からも 一方通行だしあっちからも一方通行でオオ みたいな言ってあなんでそれはまま辛かっ た経験ももちろんたくさんあるけどうん

あの英語が話せるようになったきっかけで もあるんでうんうん うんそしたら今だから高校生ぐらいの段階 ですよねそうすねうんで高一の時に結構 でっかい怪がしちゃって1年間ぐらい休ん でたんですけどうん休んでたって言っても ずっとなんかトレーニングしたりとかして たんですうんうん で高校2年10それ 1678ぐらいになるとうんあのジュニア ジュニアエリートっていうカテゴリーが あってうんまサッカーとかいうアンダー的 なうんうんうんうんあのカテゴリーがある んですけどうんなんかアマチュアからま ちょっと一歩上がるうんステップアップ するはいはいはいはいあの年代なんですよ ねプロとの間みたいなプロとの間みたいな なんかユスみたいなルーキルーキークラス みたはいはいはいのがあるんですけどま その年代に入ってうんうんなんか世界選手 権とかもちょっと日程が変わったりとかま ちょっと本当にプロのうん下準備期間 みたいなのがあってうんなんでそれで海外 に行く頻度がめちゃくちゃ増えてうんで 高校に入ってるっていうのもあってあの 高校がそういう学校ってのもあって高2 高さんはほぼ海外でしたねへえ すご高校のじゃあ学校には友達がその合わ ないみたいな感じ合わないしすまいたの 帰ってきたのみたいなしなんなら友達も 全然いなかったし ああなん だろうBMX以外のことをあんまりして なかったからなんか今思えばなんかそう いう青春みたいなのもなかったからプロっ てなんか試験みたいなのがあるんですか いやいやないですねなんかプロっていう 呼び方はやっぱ曖昧ですけどうんその さっき言ったジュニアエリートクラスの次 がエリートクラスってやつなんですけど うんそれが一応なん か1番最高うんま言ってしまそこがプロ みたいなそこがプロクラスでも言ってそれ そのクラスで出てる人でもワールドカップ とか回ってる人でもあの冬の間働いてる人 とかああバイトしながらお金集めたりとか はいはいはいはいあのまそういう人が ほとんどというかほとんどはいすぎです けどそういう人がたくさんへえいるのでま だからどこからをプロと呼ぶかって話では あるんですけどまなんでう19になった タイミングでもうあのある程度結果出し てれば自然とそのクラスになるうんうん 自然的にああへえなんでまプロって自分で 言えるようになったらま自分で飯食える

ようになってからかな うんちょっと話戻っちゃうんですけどはい 初めて優勝した時のこととかって覚えて ああそれこそあれですねそのBMXは カテゴリーが分けられていた話たじゃない ですかでも9歳の時にうん日本だって9歳 10歳クラスっていうカテゴリーだったん ですようんうん僕9歳で年下のクラスで その頃ってやっぱ1年の差ってめっちゃ でかくてうんうん全然勝てなかったんです よ10歳のライダーのたうんで9歳の時に たまたまめちゃくちゃうまくいってうん 優勝できたんですよねうん岡山の大会だっ たんですけど全日本選手権うんその時は 覚えてますね全日本選手権全日本選手権 すごい毎年あってええ9歳10歳の全日本 チャンピオン11歳12歳の全日本 チャンピオンていうのが全部決まるんです けどうんそれで勝ったのはめっちゃ覚えて ますねその若い頃というかま今も若いと 思うけどコンプレックスみたいなのてはい ありまし た コンプレックス例えば高校卒業の時にこう パッて振り返った時になんかあ普通の普通 のって言ったらあですけどなんかいわゆる 高校生活うんうんうんしてなかったなって のがうんちょっとコンプレックスでま コンプレックスじゃないかうんコンプ 振り返ってみるとそう思うぐらいで別に 後悔とかは全くないとねけどレックスかで なければないしでも全く問題ないまあでも 海外でこう結構アジア人っていうか日本人 として生活しててうんうんま結構は周りに こう日本人とか全くいない生活だったので うんうんそれはちょっとコンプレックスし ねやっぱ周りの見る目もあるしうんうん やっぱなめられるんですよへえあのまいい 人ももちろんたくさんいたからそれでこう 保たれてた部分もあるんですけどうん やっぱりこうすごい見下されるしうんお前 お前チリ乗れんのぐらいな感じで言われる こともあるしますごい赤にされたような こともうんすごいあるからうんうんそれは すごいなんかコンプレックスした なんか白人が良かったなとかではないです けどどうやったらこううんこんな馬鹿にさ れないうんだろうっていううんうんうん はいうんコンプレックスですね海外いつ から住んでるんですか海外に住んえっと ちゃんと自分のアパートを借りて住んだの は実は今回フランスが初めてであそうなん ですねはいうんそれまでは本当に友達に 住んだりとかへえで本当に例えばえ サンフランシスコのあサンフランシスコら

辺の友達の家にうん3ヶ月住んでその後 オーストラリアで大会あるから オーストラリア行ってオーストラリアの 友達うんに2ヶ月ぐらい住んでうんうん そっから日本1ヶ月戻ってでまたアメリカ 3ヶ月行ってみたいなうんうんだから アメリカ住んではいたけどもうもう住んで はいたけど自分のアパートとかは別にない しああ なんか住んでたって言うとちょっと違うん ですけどまほとんどの時間をい本当旅人 レベルですいや本当に点々としててそれ こそそうですね19の時はほとんど カリフォルニアに1819はほとんど カリフォルニアに行った うんうん卒業でもそれでも4年前っていう ことかはいまでもその頃がちょうど東京 オリンピックの時期でうん俺も東京 オリンピックずっと目標にしてたからうん なんかワールドカップ転線で結果出した人 が行けるって感じだったんですけどうんま ちょっとギリギリ届かなくてうんえっと 1人出るんですけど日本からうん日本から 代表が1人だけはいあ東京オリンピックの 代表が1人でうんでで俺が2人目2番手 だったんですけどうんうんまそれで オリンピック行けなく てって感じですかねそのその頃の思い出と いえばうんうんコロナあってみたいなじゃ そのなんか僕オリンピックもそこまで 詳しくないんであれなんですけどその なんて言うんだろうその人が例えば直前に 怪我しちゃったとかってなったらア君に なるそうええなんか1人代表1人補欠はあ 補欠っていうとちょっとさいん俺リけどあ みんなその はずまあなんで一応リザーブでえっと オリンピックはずっと一緒に行動してうん なんで大会の時もあの中にいたしうんいつ でも出れる準備はうんしてはいたんです けどまなんでそれも結構いい経験で選手村 に入ったりとかうんなんかオリンピックを 一応経験はしてはいはいしたのはすごいい いいどういう気持ちだったんですかでも そのリザーブとしている状態って悔しさと か嬉しさってなんか結構複雑でていうのも 2020年の今ぐらいえっとえ6月にマ オリンピック確定するんですけど2020 年の34月ぐらいにもう大体決まってたん ですよオリンピック俺が出れないってこと がはいその時に結構うわあってなって ちょうどコロナもあって日本帰ってきて わあ出れなかったでオリンピックもうん 延期うんわマジかみたいなもしかしたら 延期になったから最最はいはい再戦みたい

のあるかなと思ったけどなくてうんだから ま結構オリンピックの時点では自分の中で はこう気持ちの整理はついててうんでも やっぱいざオリンピックをこう生で見ると いやそこでレースしたかったなっていうの をこううん選観客席から見 ながらいやあやべえみたいな感じで出たな てすげえなみたいな感じで見てましたね うんうんうんまそそうすよねちょっと自分 とは全く違う環境すぎ て うん初めて骨折した時とかはもう痛いし なんか最悪感じだったんですけどま大人に なって怪我したことというよりも怪我に よって伴うトレーニングとか練習が止まる ことレースに出れなくなることとかそう いうことの方がしんどくて球もそうだし なんかやっぱ乗れるとこが少ないから全員 が全員レースして欲しいわけでもなくて俺 自身ただ乗れるとこが増えたらいいよなと 思います現実的にそのパリオリンピックと その次の2028年の3オリンピックま そんなチャンスはたくさんあるわけじゃ ないんでまそこで結果残してメダルとか 取れたらそれ目標にやってて普通に勝ち たいですねどんなレースでもオリンピック に限 [音楽] です

Guest : Asuma Nakai
@asuma_nakai[ig]https://www.instagram.com/asuma_nakai/

中井 飛馬
2000年6月24日生まれ。新潟県上越市出身のプロBMXレーサー。
5歳のとき新潟県上越市金谷山にてBMXレースと出会う。
11歳の夏、世界選手権で初めて決勝進出を決め念願であったワールドゼッケンを獲得した。
その後、12歳で本場アメリカの強豪チームにスカウトされ海外へ転戦を始める。
2019年にはエリートクラス1年目ながら全日本選手権で優勝。
2021年には日本人で初めてUCIワールドカップシリーズのU23シリーズチャンピオンに輝く。

Interviewer:Buna
r___bnp [ig] https://www.instagram.com/r___bnp/?hl=ja

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【We’re different. You’re one of a kind.】
Instagram : https://www.instagram.com/weirdos_jp/?hl=ja

DIRECTOR : SHU NISSEN
PRODUCER : BUNA (TOKYO HEART)
PHOTO / EDITOR : LOUIS TAKEUCHI (TOKYO HEART)
MUSIC : SHUN ENOKIMOTO (ODD FOOT WORKS)

PRESENTED BY TOKYO HEART CO.
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1 Comment

  1. 毎回楽しみにしています。 ブナさんのインタビュースキルUPにも期待しています。 好きなんです、フラットな感じが良くも悪くもなのか、もう少しゲストの方の核心を聞きたいようなで、これは非常に私の主観的な感じ方なので、と思いますが。すみません、でも本当に楽しみにしています。

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