中山道六十九次㉜ 自転車で行く 塩尻宿~洗馬宿 スーツ旅行 切り抜き

[音楽] この塩尻塾にも1つ前の下諏訪塾にも共通 点がありましてえそれぞれ峠を下ってきた ぐらいのところま峠を下り切らないぐらい のところに坂道の途中に宿場があるという ことですそうするとどうなるかというと 明人の時代になると坂が険しいところに 鉄道の駅を作れませんので鉄道が宿場の 近くにやってこないということにな まだそれでも下沢は割と近く駅から10分 ぐらい歩けば宿場に行けるんですが塩尻の 場合は塩尻宿の最寄り駅は塩尻駅でなく 緑子駅となっていますしかしこれはこの 辺りを南方に大きく迂回してきた中央本線 を段落した時にやっと作られた昭和の時代 にあって生まれた駅でして明治以降塩宿 周辺には鉄道は全くなかったわけですね この塩尻市は交通のになっりまして鉄道が 西から来る中央再戦東から来る中央当選 それぞれが出会いまた日本海側からやって くる篠ノ井線それとも出会います道路も 同じように各方面からやってきたものが1 つに集まり ますかつての街道の時代にも峠を越えてき てまたさらに様々なところへ分かれていく その重要な分岐点ということでシの1の宿 として栄えました つばめが光れて死んでましたね取りだっ たら子供たちも餌をもらえなくなっちゃい そうですかわいそうです が塩尻では大きな火災があったとか でもうほとんど当時の建物みたいなのは 残っていないみたいですね全然見当たら ないな塩尻自身もそれほど は宿を観光にPRしよということは考えて いなさそうですがここに国の重要文化剤に なってる建物があります小家重力住宅一丁 と書いてありましてこれあの今多分小野 さんという方が住まれてるんだと思うん ですが元々は二子だったんですよね塩中に は実に75個もの二子があったということ ですこれもまた明治天皇安在所と書いて あります明治10何年に明治天皇が義準行 した時にねここに止まったんですねその 跡地は今消防団にやっています東京の土は その後も公共のもんに使うんだな右手は 考察場と問屋場の後なんか高民館かあ郵便 局だな郵便局になってたんでトヤ後がね 郵便局になってる例って結構あるんですよ 多分やっぱその昔運送系の場所だったから その後じゃあ明治になってから郵便局にし ようっていうその歴史で今でも郵便局が 同じ場所にあるんだと思いますよすごい 歴史を感じますよね そしてこのアルプスワインと書いてある

広告がここにありますけどこの広告の左手 のここが本人の跡だそうです本陣は残って るって話は聞かないですねうん残ってない みたいでも大きなお屋敷がある から本陣をされていた方まだお住まいなの かもしれないななんか相当塩尻の本陣は 持ち主が何回も変わったみたいなこと書い てありましたねこっちは脇本陣です ねそんだけお金持ちの力のある人でなけれ ば本人の運営なんかできないからそのお 金持ちの家が今でもずっと続いてきている ということなんじゃないですか ねここで塩尻の強型の見つけとなり ますこれが鍵の手方になってて宿場の奥を 見渡せないようにということ でしょう次は中先第31番次は背です 引き続き今のの町の中心部までひたすら 下り 続きこれ楽でいい なそろそろ大門という地域に入ってくる はずです今の塩尻の町の中心は 大門そこに塩尻の駅があって明治区を発展 してきまし た今なんか通りすぎたみたいだなもう1つ ね重要分化剤になった古いお家があった みたいなんだけど塩尻は古い建物文化剤に 登録する動きが強いのかもしんないです ねそうすると簡単には壊されなくなると いうメリットがあるんでそれが一番いいん じゃないかなと思って ます先ほどから通っているこの道は国道 153号で名古屋からここまでずっと通っ てきた道 です稲経由で ね途中は相当国道と呼ばれているような とんでもない道もあるみたいですよ今の JR飯田線と大体同じような役割りを 果たしてる路線でしょうかこれが中央 本線ここはまだ普通ですけれどもう少し先 に進む とこれレガ作りですよねレガ作りの兄弟が ずらっと並んでいます壁が ね明治時代の歴史ある 鉄道その様子を分かりやすく伝えてくれて いますこれがJR中央本線です塩尻駅が 見えるかと思ったけど見えないですねここ にホームみたいなのがありますが今は使わ れていないホームです昔はここに使用自力 あったんですけども今は移転してもっと別 の場所になりましたもっとあっちの方に あるんですよねちょうど今電車が来ました よこれは右から来た電車だ遠US峠を 超えるのではなく地下のトンネルもくぐる ことなく明治に作られた峠を大きく大きく 迂回するルートをゆっくり辿ってきた電車

[音楽] ですそしてしばらくまた進みますと右手に 昭和電光の工場があり ますこの工場が中央線がここへ立地したの でじゃあ物の運び込みが楽だからという ことで尻の駅の横に作られたそうです今も ここへ向かう貨物列車というのはありませ ん中仙道はこの特に何にもなかった原っぱ のところですねここ適当に取ってって くださいみたいな感じでなっていたみたい でみんなそのハッパを適当に横断すると 三筋みたいなら人が通っていたからできて いたとは思うんですけども特にどこを通れ といった指示とこはそういうものはなかっ たということです ね前方に一里塚がありますねきちんと昔と 同じように土をもったいある状態で残っ てるみたい上にまた立松の木があります けどもどうなんだろう な元々松はあったみたいですが昔の松とは 違うみたいでもこれはこれで立派です ね今はこのようにきちんと整備されてい ますが昔はただ原っぱの中に石塚があった だけというこの境ヶ左手にブドの畑があり ますこの辺りのブドは全部ワイン作りに 使われているんじゃないです かそして引原の横断が大体終わるぐらいの ところで踏切りが洗れましたこれもまた 中央 本線しかし中央本線はよく言われている こととして中央東線と中央再戦に分かれて いて中央東線は東京駅から塩尻駅まで中央 再戦は塩尻駅から名古屋駅までとされてい ますJRのマークがいよいよようやく オレンジ色に変わりましたここからは jr東海館内の中央線と並行します普通に 行くんだったら東海道の方が近いので じゃあ中仙道何に使うのか全区間投手で 行くというわけではなく例えば関西県と北 関東群馬県と か東京江戸から北陸方面まで行く時の途中 のルートとして 使うそういう役割非常に豊富で脇道も多く あったそうです ね次の背からも北陸方面に向かう道が 分かれていてつまり京都から北陸方面に 行く時の1つの道であったわけです今から 国道19号に 合流今回は国道17号18号19号20号 まここら辺のですね色々通ってきています がまこれが中仙道の歴史を受け継ぐもので あるということは大体分かるでしょうこの 辺の番号がそうなんですよね19号は 名古屋まで向かう国道で多分塩尻と名古屋 の間なんじゃないですかね中央再と大体

同じような感じ名古屋までの距離は 177kmと書いてあります極めて長い 基礎街道への入り口がもうすぐ近くになっ てい ますただし名古屋は東海道の 宮この中千道では名古屋市は通りません 愛知県には入らずかの岐阜市を通っていく ことになります おおまだ礎には入っていませんがらしく なってきましたね町に着いたそんな気分に 自然と浸り [音楽] ます背はなんかほとんど もうかつての江戸型見つけの辺りまでは 建物は立っていないしその見つけをすぎる と急に待ちらしくなると昔の様子をよくめ てますね道の先をすことはできません入口 がやはり鍵の手の形をしています昔の状態 そのもの です残念ながら戦前に火災がありまし て街がもうやはりたくさんやけてしまった 日本はそういうのが非常に多いんですよね だからそもそも昔のもの長く残すみたいな のはとても大変なんだろうと思うんです がそれでも建物が新しくなっても宿町の 雰囲気があるってのそれはそれですごい ことだと思います よ ここがセバ塾の江戸方の見つけそして ちょっと一旦ユタンしますと気づくことが あり ますここで道が2手に分かれています もちろん右手から私は来たわけですがこの 左側が日本海側に抜ける北国西海道という のがあったそうですがそれとのお分けだ そう です今でも当時のお分けのとこにこう書て あります ね昭和7年以降右側の振動が開通した檻に 道が変わったんで映されたんですね なるほど昔はここじゃなかったんだ分岐店 がということで改めて背宿 へこの木の楽しいのは鉄道をぴったり横と 走ってですね今でもそれぞれの宿駅に1つ ずつ駅があっ てなんか昔の駅が今の駅に受け継がれてる という感じがして鉄道が好きな人間にとっ ては面白いですよ駅がない宿場も確かあっ たとは思いますけど全部が全部対応してる わけじゃないですけど逆に宿場じゃない ところに駅があったりもします明治の時代 になってここに中央本線が来るようになっ てこれが駅前通りですねあやっぱそう だろうなと思ったよ駅前通りはそれはそれ で昔の雰囲気をよくとめてますわちなみに

この辺の旧宿場町ではま大概ですね町から ちょっと上がったところを中央線が走ると いうパターンが多いような気がします中央 本線がここへやってくるようになってから ずっと使え続けている背の駅舎ですね多分 そうでしょう これすいません背には僕は降りたことは なか初めて来ました が明治42年中央線がやってきてから やはり使われ続けているものですこれが できたことによって背の宿場としての役割 が終わったわけですねトイレあるな ちょっとさすがに使うのはまずいかちょ 行きたいなと思ったんですけど今左手の ところに本陣があったそうですセバ塾には メープのセバ汁ってのがあるらしいんです が朝の9時ですからね まだ食べられないだろうなまあいいです それ は確かにすごい古い建物ってのはそんなに ないです が全然ぐらいなんじゃないみたいな建物は ありますわ家事でほとんどが燃えてしまっ た時に広げたりとかしたんじゃないですか ね多分ここも旧国道だったんだろうと思い ますよだいぶ昔の話かもしれません が考察場の後のところまで来ましてここ から下坂になりますけれどどうも背塾は これで終わりのよう です次は元山ですね元山まではそんなに 離れていなかったと思います1里はない ぐらいです ね [音楽] あ [音楽] 8 い

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