【95歳長期収監中】タヒ刑判決確定から46年間執行されず、東京拘置所に長期収監中の犯人【大濱松三】

小鳥のお部屋事件 [音楽] ファイル神奈川ピアノ騒音殺人 事件1974年8月28日ピアノの騒音 トラブルによる殺人事件が発生犯人の大浜 松は当時神奈川県平塚市にある営団地に 住んでおり花の子供がの音に悩まされその 後その家の親子3人を殺害し た事件の 経緯1974年8月28日午前7時15分 大浜松当時46歳は絵花の奥村家の子供が 引くピアノの音に悩まされていた普段は ピアノの音は午前9時以降だったがこの日 はなぜか時間も早くなり始めいつもより 早いことに余計に腹を立てた大浜は聴覚 花瓶症の疑いがあったが大浜自身はこの 症状に当時気づいてなくピアノの音が異常 に大きいと思い込んでいた大浜は過去に よく吠える犬を殺し警察に通報されたこと があった前日奥村家の隣に越してきた女性 が挨拶に来た際奥村家の悪口を話したこと を思い出し自分への嫌がらせで朝早くから 子供にピアノを引かせていると思い込み 奥村県の行りを抑えることができなくなっ た大浜は奥村八子さん当時33歳と長女の まゆみちゃん当時8歳次女のよこちゃん 当時4歳を殺害しようと決意それから狂気 の刺身包丁とさらし現地など買い物袋に 準備した大浜は夫の不在を待ち出勤した後 ゴミ登板でやこさんが室外に出るところを 確認この時やこさんは次女も一緒に連れて 出ていており家には長女1人になった午前 9時10分大浜は奥村三択の玄関口の電話 線を現地で切断しドア部屋に侵入すると 長女のまゆみちゃんが3条まで立ったまま キノを引いていた大浜はまゆみちゃんを 刺身包丁で複数回突き刺し 殺害それから大浜は室内の襖の影に身を 潜めやこさんと次女が戻るのを待ち伏せた すると次女だけが先に戻ってきたため部屋 に入ってきたところ数回突き刺しさらしで 首をめ 姉妹を殺害した直後大浜は部屋の襖に迷惑 かけるんだからすみませんの一言くらい いえ気分の問題だ引っ越してきた時挨拶に も来ないしバカずらしてガとばすとは何事 だ人間殺人鬼にはなれないものだと マジックで恨み言を書き残した大は行き たえた姉妹の遺にそばにあったトルをかけ たその後やこさんが戻ってきて子供の名を 呼びながら参上馬に 入室大浜は八子さんの首などを数回 突き刺し 殺害3人の死因はいずれも失血士だった 反抗後奥村三択の出口を施錠している時

印出の女性が大浜を 目撃大浜は急いで4回の地質に戻り反抗に 使った狂気やセビなどを手下袋に入れ手性 の槍釣り道具ゆサックを持ちバイクで逃走 隣室の女性は午前9時15分奥村卓で男が 暴れていると神奈川県警に通報した平塚 警察署の捜査員が駆けつけたところ6畳 まで親子3人が死亡しているのを 確認また大浜が帰りを浴び奥村さんの部屋 から出てバイクで逃亡したという証言から 平塚警察署は殺人事件と断定し捜査を開始 大浜を全国に指名手配した神奈川県警捜査 本部は事件前に大浜が海に行って死にたい と縮に話したと聞き海で自殺する可能性を 考え平塚や大磯町など相模湾沿いの海岸に 捜査員200人を派遣したまた警視庁や 近隣券の警察署にも協力を要請一方バイク で逃走した大浜は神奈川県高座軍寒川町 まで移動バイクは相模線宮山駅付近の農道 に乗り捨てたその後タクシーで国鉄茅ヶ崎 駅へ向かいバスを乗り継いで藤沢市内へ 正常工事参道の小屋の裏側に刺身包丁や セビロなどを捨てたその後バスや電車を 乗り継ぎ上野駅から新越本線に乗り群馬県 薄井郡松田町横側の横川駅で下車しその後 の塾をした8月29日東京都内で過ごして から国鉄横浜線で神奈川県相模原市の橋本 駅に移動し路上駐車されていた車の中で 就寝8月30日は再び東京へ行き夜になり 平塚市へ戻ったそして8月31日午前0時 15分大浜は捜査本部のある平塚所にシっ と殺人容疑で逮捕された大浜は警察の 取り調べに対し反抗事教その後今日通りの 場所から狂のみ長や逃走に使用した外区が 発見された大浜はカッとなってやった 奥村家の夫に襲われるかもしれないと思い その予防のつもりだったと今日した他被害 者には申し訳ないと思うと反省や謝罪の弁 も述べたまた狂気の刺身防長について以前 住んでいたパートの隣人一家4人を殺す つもりで8月20日に茅ヶ崎市内で購入し たと 今日大浜は1959年から1963年まで 八王子市並木町のアパートに住んでいたが ここでも隣人とトラブルになっており今回 ピアノの音で奥村家と揉めたことが きっかけとなりその一家に対しても再び 憎しみが込み上げたという8月初めには その一家の転居先を調べ2度も下身を行っ ており殺害しようと考えたが一家に気づか れたと勘違いし断念していた1974年9 月20日警察は大浜を殺人と窃盗罪により 横浜地裁に起訴し た大浜松のい たち1928年6月4日当時の東京府区の

初見経営者の次男として生まれた幼少時代 は明るい性格で学業の成績も良かった しかし 1938年近所の吉音症の子供の真似をし ているうちに自らも吉音症を発症し以来 無口で内行的になったその後千代田神田の 旧世近所中学校に 進学中学1年の時国語の授業で教科書を 読まされた際途中でひらがなが読めず放棄 するという屈辱的な体験をしたその後大浜 は強い劣等感を持ち始め勉学への意欲も 失い成績も落ちたそして次第に無口で暗い 性格へと変更した1945年3月世城中 学校を卒 終戦まで両親の疎先だった山梨県北鶴群 上野原町の軍事工場に勤務親元を離れそれ 以降音信不通となった 1947年5月には国鉄中央本線国立駅 職員となったが競輪にはまり切符の売上金 を使い込み1950年9月には納金 3万6000円を持ち逃げし向島の勝負の もで1ヶ月で使い果たしたそして10月頃 お金に困って定期券売り場で現金 2000円をひったくろうとしたところ 警察に逮捕された大浜は対等簡易裁判所で 懲役1年執行猶予3年の有罪判決を受けた この事件で国鉄を首になったはそれ以降 東京や神奈川県内で職場を点々とした山梨 の実家で農作業や山仕事を手伝ったり戦盤 工場で勤務したが次第に就労意欲を失った 1953年自宅でブラブラしているのを兄 にとめられたことから家を出て新馬界隈で 1年間のホームレス生活を送った大浜は 東京都内で勤務していた1953年頃から 神経性の頭痛持ちになる1959年5月 結婚して無子用紙となったが1560年4 月には妻からの申し立てにより大浜が 3万円を受け取ることで11月に離婚調定 が 成立1959年頃から東京都八王子町の アパートに住むようになり 1963年頃には木の自動車に二校体制で 勤務早朝に就寝することが多くなり隣人 一家からステレオの音がうるさい特上を 受けたそれ以降物音に対して量的に敏感に なり1965年頃には神経花瓶となり早朝 のスメの鳴き声すらうさ感じるようになっ た1965年4月神奈川県内の親戚が経営 する鉄工所に勤務中だった頃知人の紹介を 受け 再婚しかし夫婦中は悪く結婚当初から些細 なことで殴るなどのDVを加えたため妻は 何度も離婚を考えた 1967年頃からは夫婦で八王子市内の 社員に住み込み大浜は会社のボイラーマン

妻は両の管理人としてそれぞれ勤務した 大浜は夜間の妖精の話し声や麻雀の党に 対し花瓶になってランドも大声で注意した 最終的にセラと激しい行論をし 1968年に会社を 退職1969年5月から1907年7月に 渡り平塚市内の小松電子金属に勤務内高的 で口数も少なく目立たない存在だったその 後の1970年4月今回の事件の現場と なった神奈川県営予行地団地34等に 拠1973年7月勤務していた平塚市内の 車体部品製造会社を仕事にという理由で 代謝以降は無職となり失業保険などで 生活1974年8月28日今回の事件を 起こした事件発生までの3ヶ月間月 7000円の家賃を滞納するほど生活に 困窮していた大浜が1970年4月横内 団地に拠した2ヶ月後真下の部屋に被害者 の奥村一家が引っ越してきたその際挨拶が なかったことから礼儀作法をわきまえない 非常識な家族だと思い込んだその後まも なく奥村家では日曜大工を始め金槌の音が 響くようになったまたベランダの察しや 玄関ドトイレや風呂場の扉の海兵音の物音 が気になりだし金槌の音にができず開花に 向けうるさいと怒鳴ったことがあった さらに大浜は団地の住人が自分に冷たい 態度を取っていると思い込み被害者のやこ さんは社交的な人だったが外であっても 挨拶されないことがあったこれには奥村の 妻が自分の悪口を言いふらしていると被害 妄想に陥り次第にやこさんへのゾを募らせ た 1973年11月には奥村家がピアノを 購入小学2年の長女がピアノを習い始めた ため購入したという本来ピアノは30畳 以上の空間を前提に作られているが3畳マ にピアノが運び込まれその後毎日学校が 終わる午後3時頃からピアノの練習局が 響き始めようになった大浜は絵花の奥村卓 を訪れ親が日曜大工でガタガタさせるから 子供も遠慮しないんだ親の教育が悪い苦情 を言ったが大浜は変人扱いされ話がこじれ ただけだったまたある日大浜が階段ガを 持っていった時長女がおじちゃん人間生き ているんだから音は出るのよと言ったと いう これは長女の考えた言葉ではなく彼女の 両親が繰り返し行っていたことだった 奥村家も普通の感覚で気をつけていたと いうが音を花瓶に感じる大浜が納得できる レベルではなく次第にピアノを引くのは 自分への嫌がらせと思い込み出した 1973年7月頃から病の変頭痛が再発 耳鳴りがするなど就労意欲もなくなり生活

に困窮し自暴時期になったやがて奥村家の 部屋の玄関前を通るたびに奥村の夫が包丁 を持って自分を差しに来るのではないかと 被害妄想を募らせるようになりそんな勝手 な思い込みから7月10日結合にデバ包丁 を取り付けた槍を作り8月には一家が ピアノをやめないなら妻と子供2人を殺害 しようとおぞましい思考になった事件の頃 大浜の妻は離婚の相談のため八王子市内の 実家に着せこの頃大浜は八王子市でかつて トラブルになった近隣住民を殺害するため その天先を探し出していたそして外から 様子を伺ったが敵のが自転車で外出した ため自分に気づいて交番に行ったと誤解し 殺害を 断念その後奥村1回の反抗に注力するよう になった事件前日には奥村家の隣に越して きた女性が大浜にも挨拶に来たがその女性 にやこさんの悪口を言った事件当日普段 より早い時間からピアノが響いたのは悪口 を言ったから嫌がらせをしているのだと 思い込み下行していた高度経済成長で 暮らしが豊かになった昭和40年代は ピアノを購入することがステータスの1つ になったが日本の狭い住宅事情に合わない のは言までもなく各地で騒音トラブルが 問題化したそんな中今回の事件では集合 住宅の騒音問題が大きくクローズアップさ れピアノ以外にも犬の鳴き声が発端で殺人 事件に発展したケースもあったそんな騒音 問題に悩む人が多かったため事件直後大浜 に道場する意見が多数あったその一方で音 が原因で殺人を浮かすことは許されないと いう意見もあった現場の横内団地はコスト 削減のため床の厚さは12cmだったが 事件後は15cmに増やしたまた作曲家の ダさんは満足に防音ができていない日本の 家庭にはピアノは不向きだと指摘ピアノ 製造業者に対し音量の小さなピアノの開発 や防音装置とのセット販売を訴えたこれに 対しピアノ製造業者側は問題は利用者側に あるとの姿勢だったが結局はプライト ピアノに弱音装置が取り付けられるように なり 1977年頃からは音量調整やヘッドホン が使用できる電子ピアノを製造販売する ようになったまた事件の背景に コミュニケーション不足があったことも 指摘され今後同様の事件が増えることを 懸念する意見もあった1974年10月2 日横浜地裁で第一審初後半が開かれ大浜松 被告は殺すつもりまではなかったと殺意を 否認した1975年2月24日の第4回 後半では大浜被告の部屋の騒音を計測した 平市職員がとして出て9月2日と6日の2

回に渡り絵花のピアノがどの程度響くかを 測定したと話した測定時ピアノは平塚所の 関係者が引き時間もわずか15分不正と までは言えないが不公平と言われてもやむ を得ない公平な第3者によりあらゆる引き 方で強弱全ての音を記録すべきだったと いう意見が上がった 1975年3月17日の第5回後半では 精神鑑定を依頼されていた小田原員の矢 公平委員長が証人として出定大浜被告は 精神病室者だが反抗時に新身弱状態だった とは認められないとする鑑定結果を示した また責任能力はあるとしたが弁護側の罪は 言されるべきという趣旨を含んだ質問にも 肯定的な答えを返した1975年4月14 日の第6回後半では被害者遺族が検察側 証人として出て大浜被告の死刑を求めた5 月12日の第7回後半では離婚した大浜 被告の元妻が出て大浜は音に対し異常に 神経質だったがピアノ音は自分にもどすぎ て聞こえていたと 証言6月2日の第8回後半で被告認質問が 行われた大浜被告は捜査段階から一定して 死刑になりたくてやった被害者に対する 社員は本心ではなく事件を起こした後悔や 反省はしていないと 証言8月11日の国休憩後半で警察側はの 日曜大工の音は近隣者に不快を与えるほど のものではなかった大浜被告の行為は反 社会的自己中心的で死刑が相当と市長大浜 被告の死刑を休憩した1975年10月 20日判決後半が開かれ横浜地裁は検察側 の休憩通り大幅被告に刑判決を言い渡した 判決で裁判長は帰国が精神病室者活音に 対する過敏症だった点は認められるものの 秋冬な準備の上夫の出勤も2反抗に及んだ 娘2人の殺害直後襖に反抗を正当化する メッセージを書き残すなど名鉄に遂行して いる騒音は睡眠を妨げられ病気の人は寝て いられないというレベルただし 早朝や深夜には発されておらず被害者宅の 真下の住人は不快感を与えるほどの音とは 感じられなかったと証言帰国が音に対する 極度の神経過敏所な異常性格者だったこと が事件の要因の1つだが コミュニケーション不足もあり被害者が それを知るすべはなかった反抗は残虐 極まりないもので被告は法廷でも 罪に対する介護の情を示していないと断罪 した大幅被告は死刑を望んで控訴しようと しなかったため1975年11月1日弁護 士が一存で東京高裁に控訴した1976年 5月11日東京高裁にて控訴新初後半が 開かれた裁判長は東京医科大学の中田教授 に大幅被告の精神官邸実施を依頼これを

受け中田教授は6月30日から10月5日 までの間計10回に渡り大幅被告の新身 状態を 検査その結果大浜被告は反抗当時カノイに 罹患しており殺人行為は妄想の影響で実行 したものとされたこの鑑定は大浜被告に とって有利な鑑定結果とされ場合によって は死刑を免れる可能性もあったしかし大浜 被告は官邸結果次第では原型加罪になるか もしれないと恐れ検査の協力を拒否する ようになったまた官邸人や東京公知書職員 に対し控訴を取り下げたいともらすことも あった大被告は官邸最終日の10月5日 周囲の説得を無視し控訴を取り下げたため 死刑が確定した大浜は弁護士に自分は音に 対して病的に敏感だこれ以上音の苦しみに 耐えられない無期懲役化死刑なら死刑が いい好んで死ぬわけではないが行き続ける ことに耐えきれないと話したこれに対し 弁護は控訴取り下げは正常ではない精神 状態の元で行われており向こうだと上信書 提出東京高裁は12月16日弁護士の 申し立てを棄却したその理由として東京 高裁は大浜被告は音に対する苦しみから 今後の人生を苦痛と考え死刑になって一国 も早くこのよ去りたいと自らの意でを 取り下げた帰国には訴訟能力があり有効で あると説明弁護士がこの公決定を不服とし 意義も押し立てを行い1976年末死刑 執行停止となったその上で一新以降の全 記録の審査を行い 1977年2月9日には被告認質問を行っ たがその際に大浜被告は 自分こそ騒音公害の被害者だと反省の情を 示さず改めて死刑になりたいと意思表示し た控訴は自分の意思に反して弁護士が行っ た自分が控訴取り下げをすれば済むと思っ ている逃げ場のない刑務所で貧乏者の 発する騒音に耐えることは苦痛死刑化向き 懲役しかないなら死刑になる方がいい精神 鑑定の結果無罪になったとしても精神病院 で一生暮らさなければならない精神病院も 刑務所と同じで大変だと思うから無罪に なりたくないなどと語った1977年4月 11日東京高裁は弁護士による意義 申し立てお客大幅被告は死刑をまかれたと しても騒音便症などにより長い生活の苦痛 に耐えられない死刑になって人生から逃避 したいと考え控訴を取り下げたこれは異例 で人命に関わることだが訴訟能力を持つ 被告人が出した結論であり法的に有効と 結論つけたその後大幅被告は弁護士にもう これ以上裁判で争わず死なせてほしいと 希望したため弁護士は特別広告を 断念1977年4月16日死刑が確定した

大浜松は2024年現在95歳で死刑確定 から46年目にして東京高知所に週刊中で ある今回の事件は何とも言えない収支だっ たと思います死刑囚の大浜の反抗は決して 許されるものではありませんしかし騒音 問題は現在でも怖い事件に発展するケース が多くその上今回の場合県営住宅という 性質上そういった集合住宅においてピアノ を引く被害者側もかなり非常識な面もあっ たと思いますただそれを殺害に及ぶまでの 反抗とはやはり裂極まりない教であり絶対 にあってはならないことだと私は思います 大浜は死刑が確定してから46年もの間 高知書に習慣されており結局死刑を自ら 望んだ大浜は今だけを執行されておらず ある意味大浜にとってはこれも地獄の46 年間だと思いまし た亡くなられた被害者星3人のご明服心 よりお祈りし ます小鳥のお部屋事件ファイルよろしけれ ばチャンネル登録をお願いし ます

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※動画最後に話す文言は、私の個人的な史観と感想です。
考察系のYouTuberさん達の様に、推理力もありませんし、事件考察力もありません。
実際に事件当事者の性質や思考を代弁したものでもなく、あくまで私の歪んだ史観とエゴな感想ですので、ご了承ください。
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#事件#凶悪事件#事件解説#事件考察#ことりのお部屋#長期収監中#大濱松三

10 Comments

  1. 騒音トラブルを初め、ご近所トラブルから凄惨な事件になる例は多数ありますね…この犯人の場合は心身症が主な原因でしたが。

  2. この動画の解説に触れられた、團伊玖磨さんのおっしゃる通り、日本のアパートは、今だに生ピアノの設置に全く向いてないですよね。
    楽器好きな私は、ピアノ趣味をお持ちの人の気持ちがよく分かりますが、
    電子ピアノの無い時代はピアノ好きな人も、また音に悩まされていた隣人も可哀想だったと思います。

    楽器好きな自分からみても、団地でアコースティックピアノは、今でも置いてはダメだと思いますし、
    どうしても団地の部屋にアコースティックピアノを置きたいなら、設置組み立て費用込み80万円ほどかかりますが、防音ボックスを必ず部屋に設置すべきです。

    弱音装置は弾き心地が悪い、と経験者から聞きましたので、
    やはりアビテックスのような、人とアップライトピアノがすっぽり入る防音ボックスは必須でしょう。

    そんなものの無い時代に起きるべくして起こった悲劇ですね。
    被害者は「人が生きてる限り、音は出るもの。」と加害者に言ったそうですが、

    出さずに済むものを、わざわざ出さなくてもいいでしょ!
    団地住まいなんだから、もっと音の小さい他の楽器を選べばいいでしょ。
    ~と思います。

    昔、生ピアノをよく弾いていた私が申しますが、
    被害者含め、ピアノ所有者は隣に気を使わなさ過ぎではないか?と思います。
    部屋に生ピアノを置いていた時代、私は周囲に「音うるさくないですか?」と聞いて回っていましたし、
    もちろん中古の防音ボックス内にピアノを設置して弾いていました。

    そんな便利グッズのない時代の悲しい事件だったなぁと、この動画を視聴してつくづく思いました。
    いまは本当にいい時代になりましたね。

  3. ※お詫びと訂正※
    今回の動画の中で、1960年と言うところが、1560年と間違えている部分があります。
    あと、大濱松三の名前が、違う可能性があります。
    視聴者の皆様には、大変ご迷惑をお掛けしております。
    申し訳ありません。

  4. いわゆるピアノ殺人ですね 確かに県営住宅でピアノを購入、使用するのは非常識ですね 音もさることながらピアノを置く場合は床にピアノ補強をしますし防音もお勧めします 勿論戸建て住宅の話しですが 今は他のキーボードもありますからピアノ騒音は随分少なくなったと思いますが僕の家の真向かいのお家がピアノを習い始めたらしく暫く弾いていました まだ幼い子供だったので何度も同じ場所を間違えて正直、聞いてるとイラッっする事もありましたが1年ほどでパタリと止みました 諦めたのでしょうか?犬で一度鳴き出したら1時間はずーっと鳴いてるヤツもいました よくそんな体力あるなぁと思ってましたが多分こんな騒音は誰にでも経験あるんじゃないかなぁ この犯人は世界中の何処へ行ってもうるさいと感じるんだろうな スズメをうるさいと思うんだから 犯人にはとってこの世こそ地獄なんだなぁ 精神科とかで薬はなかったのかな って精神科に行くって発想はなかったんだろうね 長文すみません💦

  5. まだ刑が執行されて無い事に驚きました。獄◯で
    幕引きしそうな気がします。私も騒音トラブルで
    過去にとても怖い思いをしたので、身近な事件に
    感じてしまいました。すぐに引っ越したのですが
    賃貸の場合はそれで解決は出来ますけど…
    住んでみないと回りの住人がどんな人か分からない
    ホントに怖い。ことりさん、動画UPありがとう
    ございます😊

  6. 生きて騒音に悩まされるより死刑望み楽に成りたいと思うのは大濱の病状が悪化してるからだと感じました。
    それから46年も生きて居るのは主さんも言われるように
    地獄の46年である意味では
    「生きて刑に服した。」
    ようにも感じます。
    世にはいろんな人が居るので
    生活音以外の音はなるべく気つけ出さないよう心がけるに
    越したことないと思います。
    今 引っ越しの挨拶行かない若い人が増えてると聞いたことありますが対面する挨拶行くのは大切だと思います。
    人は感情の動物だから怒る心湧き上がっても挨拶来たとか
    悪い人達じゃないとか思えば
    「抑えなきゃいけない。」
    と考え直すと思います。
    最低限のコミニティは必要。
    若いお母さんと2人の娘さんのご冥福お祈りいたします。

  7. ピアノがうるさかったのは客観的事実だが「騒音トラブル事件」で受け手側が精神を病んでて隣人の生活音(落ち度はない)でブチ切れる例がやたら目立つ。
    >凶器は奥村家ではなく転居前の隣人一家を狙うために用意したもの。
    3年ぐらい前に今治であった事件と全く同じ。そいつも転居前のアパートでも隣人から嫌がらせされてると主張。もちろんそんな事実はない。

  8. ピアノの音も人を和ませる音色だったら良いんですが下手なピアノの音を長時間聞かされると精神に以上をきたすほどの雑音だからね積もりに積もって切れたんだろなでも殺さなくてもだよ!

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