本当に実在?F1史に残る変なサーキット13選【ゆっくり解説】【総集編】

最初はこちらだぜその姿がこちらだこの サーキットは 一体霊夢は2020年のサクヒール グランプリを覚えているか確か1周の タイムがやたら短かったレースよねそう このコースは開催された背景も含め現代F 1で最も変わったコースとも言えるぜF1 のコースにしてはシンプルすぎるわねほぼ オーバルコースだよなコーナー数は11個 全長は約3.5kmと短くF1でレースが 行われた中でも随一のシンプルなコースだ ぜ1周のタイムはどのくらいだったかしら 予選でバルテリボッタスが叩き出したのが 53秒377だぜこのタイムはF1市場で 最も短いポールタイムだぜ1分起きるのね 面白いコースだわしかし過去にF1が開催 されたサーキットには変わった形や意外な 場所に作られた面白いものがたくさんある んだぜ気になるわそれでは今回はF1が 開催された変なサーキットを紹介するぜう 主が知べまくった中から4つ厳選して紹介 だ今回紹介する内容以外にもF1に関する 様々な事件や興味深い事実を紹介していく ので気になる方は今のうちにチャンネル 登録して欲しいんだ ぜアブス過去にドイツグランプリが開催さ れたアブスというサーキットはF1の歴史 場最も変なサーキットとしてよく取り上げ られるぜその姿がこちらだこのサーキット は一体やばいよなアブスは全長8.3kg 本のストレートと2つのヘアピンという コーナー数がたった4つの超シンプルな サーキットだぜすぐに覚えられるわね当時 としては最速の平均時速も記録していたぜ ストレートの部分に目が行きがちだがこの サーキットのやばいところはヘアピンに ある北側のヘアピンのバク角がなんと 43°もあるんだ何これものすごい傾斜ね しかもレガ作りだからレイン コンディションは論外乾いていても滑り やすいという最悪の路面状況だぜそれに このバクにはなんとボールがないんだ本当 だわ曲がりきれなかったマシンはそのまま 飛び出してしまうからドライバーはこの 北側のヘアピンをしの壁と呼んで恐れたん だぜめちゃくちゃ危なそうね本当にF1を 開催できたのかしら当時ドイツグランプリ では基本的にはニュルブルクリンクが使用 されていた1954年にポイントがつか ない非戦試験という形でアブスでF1 マシンを使ったレースが開催されたが多く のチームが参加拒否したことからまともな レースにならなかったぜしかし1959年 西ドイツの華やかさをアピールするという 冷戦中の政治的意図でアブスでの

グランプリ開催が決まったんだこの前ミル も相当危ないって教えてもらったけど ドライバーたちの安全が心配だわタイヤの 魔法を考慮し30分のレースを2回に分け て行うという2ヒート制を取ったことも あり幸い悲劇的な事故は起きなかったぜ ただうで結構された土曜のサポートレース でF1本線にも出場する予定だった ドライバーがやはり死の壁で自己しすると いう悲劇が起きていたぜいわんこっちゃ ないわね雨の中レガでできた高速バンクは 危なすぎると中止を求める声もあったんだ がな自己ししたジャンベーラはフランスの 人気ドライバーだったこともあり日曜の レースは重い空気の中で行われたんだぜ これがアブスで行われた一度切りのF1 グランプリだったわけだがF1の黒歴史 レースの1つとして語り継がれている ちなみにこのアブスのレイアウトだが コースができた当初はさらにやばかったん だぜこれ以上にやばいのかしら想像でき ないわその9レイアウトがこれだうおお さらに長かったわけねああアブスはただで さえ細長いサーキットだが元々は全長約 19km2本のストレートはそれぞれが約 9kgというとんでもなく細長い サーキットだったんだぜ長いストレートと いえばルマン24時間耐久で知られる サルトサーキットのミュルザンヌ ストレートだがシケイがなかった9レ アウトでも約6kgだゲームでよく走る けどあのいつ終わるかわからない ストレートより長いなんてマジでぶっ飛ん だサーキットだよなじゃあ次はみんなよく 知るあのサーキットのやばすぎる旧 レイアウトを紹介する ぜモンタサーキット次に紹介するのは モンタサーキットだあれモンタは今でもF 1のレースがあるわよねそんなに変な コースだったかしら今のレイアウトは変な サーキットという感じではないよなしかし 1961年以前に使われていた9 レイアウトがかなりやばかったんだぜ どんなコースだったのかしらこうなってい たんだぜなんだこれなんかオーバルコース が一緒になってるわね見れば見るほどどう なってるかよくわからないわ実は解説当初 のモンタサーキットは5.5kmのロード コースと4.5kmのオーバルコースを 組み合わせた全長10kgのコースだった んだグランドスタンド側のストレートから ロードコースを一周しパラボリカを曲がっ たピット側のストレートからオーバル コースに入るというとても珍しい レイアウトだったんだぜホームストレート

が並んで2つあるということかしら事実上 そういうことになるぜ日本のストレートは 簡易的に仕切られこのような状態でレース していたんだこれは面白いわね今でもやっ て欲しいわそういうわけにいかないんだな 実はオーバル部分には大きな問題があった んだどんな問題かしらモンタが元々超高速 サーキットというのも合ってめちゃくちゃ 危なかったんだぜそういうことねどんな風 に危なかったのかしら特に危険とされたの がオーバル部分のこのバンクだぜさっきの アブスみたいに嗅覚度ねバンク核は最大 30°でアスほどではないんだが路面の 舗装状態が悪く非常に運転が難しい コーナーだったんだそういえば最近角田と ガスリーがバンクで遊んでいたなこうやっ て見るとすごい角度ねモンタサーキットの 解説初年度も含めこの複合レイアウトでは 多くの死者が出てしまったぜ1928年に 行われたレースではドライバーと観客27 名がなくなるという大事故が起きその後も あついでドライバーが命を落としたあまり に危険だということで一時的に今のような ロードコースのみのレイアウトに変更され たぜとんでもない事故が起きていたのね しかし1950年以降F1世界選手権が 始まってから4度だけ再び複合レイアウト を使用してイタリアグランプリが行われた んだが1961年に再びドライバーと15 人の観客がなくなるという悲劇が起きて しまったオーバルセクションで起きた事故 ではなかったが1962年以降は現在の ようにロードコースのみが使用されること となったわけだぜ悲劇を繰り返してしまっ たわけねサーキットとしては面白そうだ けど実際にレースするのはやめた方がいい わねゲームで走るには楽しそうだから グランツリスモに収録されないかしら私も 是非ゲームで走ってみたいサーキットなん だぜじゃあ次はF1史上もも手抜きかも しれないシジサーキットを紹介する ぜセルトベク飛行場次に紹介するのが飛行 場に作られた超残念なサーキットだところ で霊夢はシルバーストンサーキットを知っ ているかもちろん知ってるわイギリス グランプリが開かれる伝統のサーキットよ ねシルバーストンはイギリス空軍が戦事中 に使っていた飛行場の跡地に作られた サーキットなんだそうだったのね飛行場 なら広くて平坦だからサーキットの建設に 向いてそうだわね1959年シルバー ストンの成功を当たりにしたオーストリア の飛行場のオーナーが同じような サーキットを作ってくれとエンジニアに 依頼したんだ当時のシルバーストンの

レイアウトがこんな感じだぜよりシンプル ねもっとテクニカルなレイアウトにすれば シルバーストンより人気が出そうだわそれ でどんなサーキットになったのかしら コース設計者がシルバーストンをイメージ して作ったサーキットがこちらだあら変な 形ちょっとシンプルすぎないかしら最初に 紹介したアブスを思い起こさせるシンプル さだよなしかしここは90°と180°の コーナーしかなく左コーナーは1つだけ 全部で4コーナーというかなり物足りない 設計だぜまた全長3.186kgとF1 市場最も短いサーキットでもあるんだ アブスみたいな難しいバンクとかはなかっ たのかしらそもそもこのサーキットは滑走 路わの束で仕切っただけの非常に簡易的な 仮説サーキットだったんだぜ左右の ストレートなんかはこんな風に仕切られて いただけだったんだこんなの接触があっ たら簡単に対向者側に飛び出しちゃうわ シルバーストンに寄せるって話は何だった のかしら予算がなかったのかしらねなんか 大きな駐車場でたまにやってる豪カートの 体験コースみたいな感じだよなF1が走る サーキットとは思えないわそれでもこの サーキットにはある意味テクニカルな側面 があったぜそれが飛行機用に作られていた 路面だどう難しかったのかしら写真を見て 分かる通りサーキットの路面は超方形の コンクリート板を敷き詰められて作られて いたんだF1マシンが走ると路面に大きな 負荷がかかり時間が経つにつれて コンクリート同士が微妙にずれたり大きな 隙間ができたり剥がれて高さが変わったり したんだだからとどころ路面はバンピだっ たためバンプの位置を知りとくした上で うまいライン取りができたドライバーが 有利だったんだ実際1550で争われた 1964年のグランプリでも路面が鍵に なったぜあまりにバンピな路面が原因で サスペンションやシャフトの損傷による リタイアが続出しマシンをいかに壊さない かのサバイバルレースとなったんだある 意味シルバーストンよりテクニカルかもね 超シンプルなサーキットにも関わらず結局 20代中11台が主にマシントラブルでし てしまう形となったんだぜそんな有り様 だったのもあり残念ながらセルトベク飛行 場ではF1の公式戦は1度だけしか行われ なかった現在はセルトベク飛行場のすぐ北 に作られたレッドブルリンクで オーストリアグランプリが開かれているな すぐ近くだったのねレッドブルリンクは伏 に飛んでて面白いサーキットよねセルト ベク飛行場の反省が生かされたのかしら

そうかもしれないなじゃあ次は知るひ知る とんでもないサーキットを紹介するぜ ペスカーラサーキットイタリアの年 ペスカーラの市街地に作られたサーキット は奇妙なレイアウトととんでもない全長で 知られているぜまずはコース図がこちらだ ぜ不思議な形だわねストレートが2本と すごく曲がりくねったセクションがあって キャップがすごいわペスカーラサーキット の特徴はなんと言ってもその長さだぜなん と全長22.835kmあった ニュルブルクリンク北たコースよりも長い んだぜえそんな風には見えないわ本当に あのニルより長いのかしらペスカーラの 全長はなんと 25.89€これはアブスの時にも触れた サルトサーキットのミュルザンヌ ストレートの長さに匹敵するぜスケールが 半端ないわとんでもないスピードが出る ことからザフライングkmと呼ばれたんだ また曲がりくねった部分は狭い街道を海岸 沿いから開発 185mmそして内陸部にかけて横断する 非常にテクニカルなセクションだこっちも 危なそうね確かに危険なサーキットだった がドライバーの腕と度胸が限界まで試さ れるトラックだったためドライバーの間で はかなり評判が高かったそうだぜバイクだ けどマトTTレースを彷彿させるわね 1957年に1度だけペスカーラ グランプリが開催されたが1961年には ドライバーと観客の安全が確保できないと いう理由でサーキットが閉鎖されてしまっ たぜコース内に住宅街があったのもあり プラクティス中にヤの群れが横断したり 子供が道で遊びエンジン音が聞こえたら 逃げるというような状態だったんだそれは ダメだわねそれでも唯一のペスカーラ グランプリで勝したスターリングモスは 40年後のインタビューで素晴らしいと 思ったよ暴走する若者の気分さ実に 楽しかったこれがレースというものだよと 語っているんだぜ40年後も思い出に残っ てるなんてパっと見は奇妙な形だけど きっと運転するとすごく楽しいサーキット なのね変な形のサーキットは調べれば 調べるほどたくさんあったが今回はウプ主 視点で特に面白い4つを厳選して紹介した ぜ続いてはこの動画だぜF1サーキットと はマシンとドライバーが躍動する華やかな ステージだぜそうねモナコなんていい例だ わだがそんなイメージとは異なる サーキットもあるんだじゃあ今回は変な サーキットについて紹介していく ぜラスベガス市街1コース最初に紹介する

変なサーキットはラスベガス市街一コース だラスベガスの市街地を走るのなんだか 華やかそうじゃないこのコースは シーザーズパレスホテルの駐車場に作られ た特設サーキットなんだぜえ駐車場でF1 を開催したのそうなんだぜ長巨大駐車場を 不石とボールで区切りランオフ部分に大量 の砂を巻いたんだそれだけそれだけだぜ ワイルドだろそそうねまさしく急増コース という雰囲気で巨大な豪カート場みたいな サーキットなんだぜラスベガスの華やかな 雰囲気のかけらもないのねこのサーキット がおかしなのはそれだけじゃないぜ 何かしら左回りなんだぜえ左回 りってどういうこと通常のF1サーキット では右回りで周回するんだぜえそうだった の知らなかったんだなううまたバカにする のねまあいいぜシーザーパレス駐車場の コースは通常と反対の左回りだったんだで もそれで何か問題でもあるの大ありだぜ 通常右回りの周回では右コーナーの方が 多いだからドライバーはどうしても右 コーナーに耐える筋肉が鍛えられるんだぜ ところが左コーナーでは負担がかかる筋肉 が反対になるんだじゃあいつもとは反対側 の筋肉をよく使うことになるのねその通り だよく理解したな霊夢はネルソンピケを 知っているか知っているわネルソンピケは 1981年の第1回大会でごいでゴールし たがヒローから回復するのに15分も かかったんだぜF1ドライバーがレース後 の回復にそんなにかかったのそうだぜGを 軽く見てはいけないんだぜしかも入れなの は左回りだけではないんだえまだあるの ラスベガスの気候は当時のドライバーが 一般的に慣れているよりもはかに暑かった んだそれはきついわねさらにだもうやめて ほしいわ長巨大とはいえ駐車場に急増で 作られたサーキットはレイアウトが 曲がりくねっていて変だったんだ路面も誇 りっぽくてコーナーの先が見通せないと ドライバーたちから批判を浴びたんだ確か に行ったり来たりの変なサーキットの形だ わそうだぜだからラスベガスという花やか な雰囲気とは無縁の過酷なレースだったん だ結局1981年と翌82年に開催された 後F1は行われなかったんだしかも82年 の観客者数はわずか3万人程度だったんだ ぜ過酷でお客さんも少ないなんて最悪だわ ところが2023年のF1カレンダーには 41年ぶりにラスベガスグランプリが復活 したんだぜえまた駐車場でレースするの いや今度はラスベガスの市街地を周回する コースだぜしかもナイトレースで開催さ れるんだナイトレース一気に華やかそうな

雰囲気だわそうだぜ霊夢が期待する華やか なレースが見れるといいな本当だわ楽しみ ねあ言い忘れていたぜ今年のラスベガス グランプリも左回りだ ええニベボレル2番目のニベボレーは ベルギー21971年に作られた サーキットだ聞いたことのないサーキット だわベルギーといえば スパフランコルシャンが有名だが旧コース が危険と見なされてニベボレールで 1972年74年にF1ベルグランプリが 開催されたぜそうなのねどんなサーキット なの平坦な土地に作られた広いランオフ エリアがありとても安全なサーキットだっ たんだぜいいじゃない安全なのは大切だわ ところが安全になったがゆえに変な サーキットに名をつねるぜえどういうこと かしらドライバーたちから平凡退屈面白く ないと散々な標だったんだ特徴がなく 当たり障りのない無感想なサーキットと まで言われたぜ何それ 安全なのにめちゃくちゃ評価低いわねそう 安全すぎたんだぜ2度のグランプリを開催 した後1975年にサーキット管理会社は 破産してしまうぜ哀れだわしかし1976 年にもベルギーグランプリを開催する予定 だったんだやっぱり安全差が再評価された の残念ながらそうじゃないぜ今度は舗装の 状態が悪く安全基準に達しないと判断され たんだ安全差が売りだったのに今度は安全 基準に合格できなかったのね結局この サーキットは工業地帯に再利用するために 閉鎖されてしまったんだ待ってよいくら なんでも平凡で面白くないサーキットて いう感想しか残らないのは辛いわこの サーキット実はあのバーニーエクレストン がF1の商量的な可能性に最初に目を向け たグランプリなんだぜバーニー エクレストンエクレストンは今のF1回を 作り上げたドンだぜそのドンがここで何し たの1974年のベルギーグランプリでの ことだったぜ実は704年のグランプリは 主催者の経済的問題で開催が危ぶまれてい たんだそれは大変だわ当時ブラバムF1の オーナーだったエクレストンは参加チーム の責任者も務めていたぜそしてこの2ベル のレース開催を待ち望んでいたんだ エクレストンは参加チームの代表として グランプリ開催のために金銭問題に 取り組んだんだぜすでにドンの返 sinceを見せているわレースの スポンサーにはマルボロとテサがついてい たがそれでも資金が足らなかったんだ エクレストンはブリュッセルに行って両 スポンサーに資金の増額を交渉したんだ

それでどうなったの見事スポンサーからお 金を引き出すことに成功したぜやったわね エクレストンはサーキットにも顔を出した ぜコースではファイアストンを白チームが テストを行っていたエクレストンのチーム はグッドイヤーを履いていたからスパイと 間違えられて追い出されてしまったんだぜ グランプリ開催のために働いたのに かわいそうだわエクレストンはこれら参加 チームのためにも仕事をしたぜ入場量収入 と広告プログラム販売の収入を各チームに 分配するようにしたぜドンていうより ビジネスマンねこのシステムはグランプリ 開催の利益とリスクを各チームで分配する 仕組みだったんだでも他チームの責任者 たちは自分のチーム運営が忙しいという 理由でリスクを追うことを拒んだんだまあ 自分かってねそこでエクレストンはレース 開催と賞金収入を個人的に保証したんだ やっぱりどんねエクレストンはレースに 注目を集めることができるよう地元の英雄 的ディピレットのために3台目のブラバム のマシンを用意したぜやり手だわさらに 日立からの追加の資金も確保したぞ蓋を 開けてみればF1史上最多の31台が出走 サーキット周辺にはテサマルボロバング& オルフ戦の看板が乱立したぜ徹底的にやる わね広告と宣伝の仕掛けによりサーキット 全体が爆発したようだったぜ7万人の観客 を集めてチケットとプログラムは売れ まくったんだ大成功だったのねチームは レース開催の利益を手にしたぜそして エクレストンは個人的にも利益を手にした ぞどんだわエクレストンにとって74年の ニベボレールでレースオーガナイズの裏側 を経験したことは彼の後の仕事に引手はF 1サーカス全体に大きな影響を与えたんだ なんか平凡なサーキットとエピソードの ギャップがすごいわねF1が開催されなく なった後も隣接するカートコースも しばらくの間は存続したぜ1980年には カートの世界戦試験が開催されて アイルトン背2になったぞ何よサーキット のエピソードあるじゃないのしかも当時 11歳で観客席にいたミハエルシマッハ 少年に驚異的な印象を与えたんだ大御所が 2人も絡んでるじゃ ないアンデルストプサーキット3番目は 別名スカンジナビアンレースウェイと呼ば れるスウェーデン南部の森の中にある沼町 に作られたサーキットだ沼そんなところで F1マシン走れるのちゃんと走れるぜ 190073年から1978年までF1の スウェーデングランプリが開催されたんだ 本当にF1グランプリ幸運機グランプリ

じゃなくてなんだそれはシャレのつもりか 全く面白くないぞ結構行けると思ったのに 地味に傷つくわね元々は沼だったが ちゃんと整備されたぜだから泥の中を走っ たわけじゃないんだでしょうねそうだっ たら間違いなく歴史場最も変なサーキット だわ一部が飛行場の滑走路との兼用になっ ているんだ長い直線は飛行直線と呼ばれ 着陸用に使用されていたぞ確か他にも飛行 場だったサーキットあったわよねえっと シルバーストーンかう多分そう知識が断片 的なんだぜひどいわもっと変わっていたの はこのサーキット実はホームストレート脇 にピットがないサーキットなんだピットは 4コーナーの先に入り口があり5コーナー 後のストレート部分にピットが設置された んだ変な感じのサーキットねそんな変な サーキットは変なマシンを引きつけた サーキットだったんだぜどういうこと かしら1976年には変な車の代表格の テレル6輪がグランプリで唯一勝利を上げ たサーキットなんだしかもワツ フィニッシュだったんだ変なコースで変な 車が勝利したのねグランドエフェクトカー 前世の1978年にはブラバムBT46 BBが勝利したぜBT46Bってそんなに 変わった車だったのそうだぜ記載ゴードン マレーはグラウンドエフェクトに変わり 車体下の空気をファンで吸い出すという 奇抜なアイディアで設置力を増したんだ ファンって換気扇みたいなその通りなんだ ラジエーターに空気を強制的に取り込むと 主張したがニキラウダがあっさりと勝利を 収めたこともあり空力に影響を与える部分 は固定されていることというルールに定職 するとされたんだ変なサーキットに 引き寄せられるように変なマシンが出て くるわね結局ファン気候は以後禁止される ことになったんだぜ変なマシンと共に変な サーキットも姿を消したの さエルマノスロドリゲスサーキット4番目 はメキシコのシメキシコシティにある サーキットだなんだか人の名前みたいな よくわかったなそうでしょ褒めていいわよ 先に落ちを言うんじゃないぜこの サーキット名の由来はメキシコ人レーサー の名前なんだえごごめんなさいぶち壊しだ ぜその名前とはペドロロドリゲスト リカルドロドリゲスだこのロドリゲス兄弟 からサーキット名がつけられているぜ待ち なさいエルマノスはどこ言ったのよ エルマノスはスペイン語で兄弟という意味 だぜややこしいわね1962年のメキシコ グランプリ予選中に弟のリカルドが自己死 してリカルドロドリゲスサーキットと命名

されたぜその後アニペドロもレース中に多 してしまうんだかわいそうねサーキットの 名前がエルマノスロドリゲスロドリゲス 兄弟サーキットに変更されたんだぜ変な 名前っていうより悲しい名前だわこの サーキットの変なポイントは名前じゃない ぜそうなの霊夢が先に名前エピソードの 落ちを言おうとしたからいけないんだぜ あらそうだったかしらまあいいぜこの サーキットは標高約2300mの高知に あるんだぜ2300mってどれくらい高知 なのかしらそうだな国土チリンが発表の 日本の山岳標高線3山によれば長野県の 岩山が標高約2300mだぞへそなのね って分かりづらいわよ開発0m地点と比較 すると22も空気が薄いんだそのの結果F 1マシンは大きな影響を受けるんだぜ どんな影響を受けるのダウンフォースが 低下して最高速がアップするぜ時速 360kmを超えるんだぜすごいわしかも モナコと道レベルのダウンフォースの セッティングでも空気が薄いせいでその 速度が出るんだぜとてつもない影響ね速度 が出るのにダウンフォースは得られない からマシンはとても扱いづらくなるんだ 冷却のための空気輸入量が減少する結果 ブレーキやエンジンなどの冷却が影響を 受けんだぞそれは困るわさらにエンジンが 吸い込む空気の量も減るからエンジン出力 まで低下してしまうんだぜ標高って侮れ ないわねよく理解したようだなじゃあ変な サーキットと言われる遊園を教えてやるぜ ちょちょっと待ちなさい標高が変な ポイントじゃないの俺はそんなこと一言も 言ってないぜ早とちりするんじゃないぜ私 のことからかっているでしょよく聞くんだ ぜ変なポイントをこれから話すぞ完全に バカにしているわ早く教えて欲しいわ実は このサーキットにはスタジアムセクション があるんだぜそんなものどこのサーキット にもあるでしょ私だってそれくらい知って いるわ違うぜこのサーキットは野球の スタジアムの中を通ってるんだぜえ何それ ここのスタジアムセクションは本物の野球 場を回収して作ったセクションなんだぜ ええ1993年にオープンしたフォルス スタジアムを回収して周囲360°が観客 席に囲まれた独特の空間は圧巻だぜコース の周りに4万人の熱狂的なファンが ひしめき合うんだすごいわねスタジアム セクションに設置された表彰台を経験した ニコロズベルグは今までの人生で最高の 表彰代だったと言っているぜあっかんね その通りだぜ何しろメキシコのファンは 熱狂的なんだぜ2018年メキシコ

グランプリのドライバーズパレードで地元 出身のセルジオペレスの後報を走行してい たピエールガスリーはあれは狂気だったと その凄まじさを表現しているぞ鳥肌が立つ わ ねフェアパークサーキット5番目のフェア パークサーキットは1984年の1度限り ダラスグランプリに使用された臨時 サーキットだぜテキサス州ダラスにある テキサスステートフェアパークの敷地内に 設けられたんだぜ公園の中なのね サーキットは中立見本一会場の建物の間に レイアウトされ全長に渡ってコンクリート の壁で覆われていたんだコンクリートの壁 の上には金網フェンスが設置されていたぞ なんか記憶の方休に同じような駐車場 コースがあったような気がするわ ラスベガス市街一コースのことかそうそれ ね霊夢安心するんだぜフェアパーク サーキットにも駐車場セクションがあった ぜやっぱりそうなのねコース全体を通じて ストレートは短く曲がりくねっており タイトなコーナーが連続するコースだった んだサーキットの設計や準備は不十分だっ たんだぜそうだと思ったわグランプリはF 1史上最も熱い気温の中で開催されたんだ 変なコースでさらに熱いところも同じなの ね38°を超える猛暑の中週末が進むに つれて路面はどんどん悪化していったんだ 最悪じゃないの暑さで路面は痛みマシンが 走る度に路面が剥がれていったんだ耐え られないわその通りだ金曜日の プラクティスの後ナイジェルマンセルとデ アンジェリスはこのコースは自分たちが 走った中で最も荒れていると語ったぞこの サーキットいい要素が1つもないわね ネルソンピケは耐えがいほどの猛暑のせい でコースかドライバーか車のどれかが最初 に壊れると語ったぜネガティブ キャンペーンね決勝も荒れた路面に足を 取られてコントロールを失いコンクリート ボールに突っ込むマシンが続出するという 大荒れのレースになったんだそうなるわね 出走25台のうち乾燥したのはわずか8台 13台がマシントラブルを除く アクシデントによるリタイヤだったぜ 大荒れを通り越してレースが崩壊している わなんか明るい情報はないのかしら マンセルは初のポールポジションから後続 をリードしレースのほぼ半分まで誰も前に 出させなかったいいじゃないそのまま優勝 だわその後他のマシンが次々とリタイアし ていく中マンセルは順位を下げつつもなん とかコースにとまっていたぜ優勝はなさ そうねいいわ乾燥しなさいそして最終

ラップになった時だったマンセルは最終 コーナーでボールにヒットしてドライブ シャフトを破損して惰性で進み停止したぞ えそんなするとマンセルはなんとマシンを 押し始めたんだそんなのありなのセルは フィニッシュラインに到達する前に疲労 コパ熱中症により倒れてしまったんだぜ 結局3周遅れの6意として扱われたぞ なんか変なサーキットていうよりひどい サーキットだったわ ねモンジュイックサーキット6番目の モンジュイックサーキットはスペイン バルセロナモンジュイックの丘にある公園 にあったサーキットだぜまた公園もしかし て駐車場安心しろ霊夢モンジュイックは 駐車場のサーキットじゃないぜそうよね 駐車場のサーキット枠はもういっぱいだわ 歴史ある丘を曲がりくねって進むように レイアウトされた素晴らしい光景を 楽しめるサーキットだったんだパドックは 古いオリンピックスタジアムに設けられて いたぞ寄付あるストレートエンドで ギリシャ時代の劇場と国立美術館の横を 通りすぎるんだぜ素敵じゃないポブレー スパニョラ野外博物館の横を通過する高速 セクションを抜けメインストレートに戻っ てくるぞ標高変化もありモータースポーツ の舞台としては素晴らしい場所だったぜ ますます素敵だわなんかモナコの市街 コースみたいねそうだな確かにモナコを 彷彿とさせるサーキットだったんだでも モナコに似てるのはコースの雰囲気だけで はなかったんだぜどういうことかしら モナコと同じように危険と隣り合わせの コースだったのさうん風向きが怪しくなっ てきたわね特にコース後半の高速 セクションは市街コースとしては速度域が 早すぎたぜそれだけじゃないわよねさらに 問題だったのはランオフエリアが存在し ないことだぜそうだったのねコースの周囲 には木々が乱立していてその場しのの ガードレールでコース特区別されていたん だそんなコースでグランプリが開催された のされたぜ1969年から75年まで スペイングランプリが各年で開催されたぞ 1回だけとかじゃなくて結構続いたのね その場しのぎのガードレールでよく大丈夫 だったわねそれが大丈夫じゃなかったんだ ぜえ1975年ドライバーたちは ガードレールのいくつかが適切に取り付け られていないとレース前に抗議したぜそれ は抗議して当然だわ当時F1を統括してい たfisa国際自動者スポーツ連盟は主催 者に対してガードレールを直すように指示 したぜよかったこれで安心してレースが

できるわところがその修理も完璧なもので はなかったんだそうだったのね金曜日の 最初のフリー走行はキャンセルされ2回目 の走行も多くのドライバーが出走を拒否し たぞその結果夜間に再び修理が行われたぜ でも結局ドライバーたちが満足できる修理 ではなかったんだそんなことってある マクラーレンのエマーソンフィッテ パルディは土曜日に3週しただけでマシン を降りてサーキットを離れたぜもうダメ じゃないレースは中止だわ前年の チャンピオンがレースをボイコットしても ドライバーたちの大半が開催に否定的な 見解を述べてもレースは開催される時代 だったんだぜそんなお願いだから何も怒ら ずにレースが終わってほしいわ多くの人が そう願っていたが霊夢その不安はレースで 敵中してしまうぜそうだったのロルフ シュトメレンのマシンからリアウイングが 脱落ガードレールの上を待ってコース外に 飛び出し観客席に突っ込んでしまったぜ きゃあこの事故で5人がなくなってしまっ たぜシメレンも重賞を追ったんだこの事故 によりモンジュイックでのスペイン グランプリは終焉を迎えたぜちゃんと ガードレール直さないから よシャレードサーキット7番目の シャレードサーキットは1965から72 年に4回FF1フランスグランプリが開催 されたサーキットだぜ51ものコーナーが あり山の斜面の中にレイアウトされた コースに岩谷火山の小石が散乱する変な サーキットだったんだコースにいや小石が 落ちてるのドライバーとファンはアップ ダウンを伴うユニークなこのサーキットを 愛したぜグランプリを感染じ自然の眺めも 素晴らしかったんだでも石だらけなん でしょだから1970年代に入ると安全性 が主要な問題となったんだグランプリ全体 での死亡事故の影響で運転条件の改善を 求める声が強くなったんだそりゃそうなる わね最後のグランプリ開催となった 1972年には石が原因でトラブルが 起こったんだぜヘルムートマルコは前を 走るロータス72Dが跳ね上げた石の直撃 を受けてしまうぜ怖いわねその石は ヘルメットのバイザーを貫通して左目を 直撃したんだえ大丈夫だったのマルコは 失明寸前に追い込まれてしまったぞ石 だらけのサーキットでレースなん化する からよその後も首を走るマシンや2を走る マシンが次々に小石によりパンクしていく ぜ結局コース上に落ちた石でレース中20 代のマシンがパンクしたんだなんで魔理沙 がドヤ顔なのよこのサーキットの上州的な

危険性が浮き彫りになった ぞリジョンプレノはサーキット8番目は 1970から80年代にかけてF1 フランスグランプリが開催された サーキットだぜあらまたフランスの サーキットなのねは石は落ちてない でしょうね落ちていないぜこのサーキット は低速コーナーが1つしかない変わった レイアウトが特徴的な高速サーキットだぜ また思い切ったわね1970年代当時のF 1マシンでも1周の平均速度は時速 200km近くに達したぜすごいわそんな ディジョンで行われた1981年フランス グランプリでフランスメーカーである ルノーに乗るフランス人ドライバーアラン プロストが活躍したぜフランスグランプリ が盛り上がるわねルノーは当時少数派だっ たターボエンジンだったぜルネアルヌーと プロストで予選1位と3位をゲットしたん だルノーが母国で大活躍ねスタートでミス したアルヌーを交わしてネルソンピケが トップに立つぜプロストは母国で張り切る プロストモニーに踊り出るぞいいじゃない レース途中で雨が降り始めてくるんだぜ 雨足はだんだん強くなり視界がどんどん 悪くなるぜ58周目には赤旗が降られて レースは中断するぞせっかく2だったのに 雨は上がりレースが再開されぜ2ヒート性 の合計タイムで順位が決まることになった んだ再開してよかったわ2番グリッドから スタートするプロストはグリップ力の高い スリックタイヤを選択して勝負に出るぜ プロストの戦略は見事に成功したぜ スタートで1位のピケを抜いてトップに 立つぞやったわしかしプロストは マクラーレンのジョンワトソンに追い回さ れるぜプロストどうしちゃったの実は プロストは再開時に4速が使えなくなる トラブルを抱えていたんだまあ大変だわ プロストは冷静にトップを死守するぜする とワトソンが止まりきれずにトラックを はみ出したんだなんとか頑張ってほしいわ ついにプロストはチェッカーフラッグを 受けてF1初優勝を飾るんだえ初優勝だっ たのそうだぜ1980年にマクラーレン からデビューしたんだこの年ルノーに移籍 してきて第3戦で初表彰台そして第8戦 地元のフランスグランプリで見事初優勝を 達成したのさすごいわね3戦わずか21戦 でのスピード優勝だったんだぜマシン トラブルを抱えながらも的確な戦略で優勝 するあたりプロストラシー初優勝だぜ本当 だわそんなF1回のレジェンドの初優勝を 演出したのがこのディジョンブレノは サーキットだったの

さ鈴鹿サーキット最後は三重県鈴鹿市に あるサーキットで言わずと知れた日本の モータースポーツの正置だぜそうだわね 日本発の全面舗装と観客席の両方を備えた サーキットとして19622年にホンダ 技研工業によって建設されたぞ意外と古い サーキットなのねしかもホンダが作ったの ホンダ総一郎はレースの勝利とモーター スポーツの普及のために本格的な サーキットが必要であると確信したんだ 自社で建設するよう命令を下したんだ かっこいいわ巨額の投資を歩む声もあった が藤沢武夫専務が自宅を抵当に入れるなど したんだ自宅まで抵当に入れるなんてすご すぎだわそして推進に向けての意見を まとめにレース上建設委員会が発足したん だぞなかなか大変そうね最初は水田地帯に 建設を計画していたが総一郎のお米を粗末 にするなの一言で現在の給料地帯に増成 することが決まったんだぜつるの一声ね コースレイアウト設計グループの責任者に なった塩崎佐尾は全くの素人だったんだぜ 最初のコースレイアウト原案を作成したが この初期案は立体交差が3箇所あるという 得意なレイアウトだったぜ変なサーキット だわその後サーキット連合隊aicpを 組織運営していたジョンフゲホルツを勝平 して詳細設計を依頼し施工全体に渡る助言 を受けたぜよかったわ風原ホルツは実際に 鈴鹿の山の中を歩いてコースレイアウトの アドバイスをしたんだぜすごいわね塩崎 アデはパドックの裏手にあったヘアピン カーブの修正を促したんだヘアピンカーブ の騒音によりグランドスタンドで アナウンスが聞こえにくくなるという理由 だったんだぜさすがプロだはヨーロッパの のサーキットを視察した調査団は靴べらで 舗装路を削り取ってサンプルとして 持ち帰ったぞ涙ぐましいわ風原ホルツも aicp加盟のサーキット舗装路を茶上に くり抜いた教師体を調査団に提供したぞ さすがだわねこうした苦労があって19 1962年にサーキットは完成したんだぜ やったわね当時はまだ日本には高速道路が 整備されていなかったから道路公団が サーキットの舗路を視察に来たんだぜえ じゃあ日本の高速道路は鈴サーキットの 路面を参考に作られたみたいなものじゃ ない完成後もサーキットはF1を承知する ために多くの課題を克服したぜコース ピットの回収コースサイドの広告券宿泊 施設マシンの運搬など課題は多かったんだ な大変だったのね実際にF1を承知して からも改善を重ねF1ベスト オーガナイザー賞を2度も受賞したのさ

世界に認められたのね世界の鈴鹿の地位を 気づくのは簡単じゃなかったんだぜ日本の 自動車技術の工場モータースポーツの発展 に起用し世界に通用する若手ドライバーの 育成の場としても鈴鹿サーキットの果たし てきた役割は大きいんだぜほん田総一郎 さんも喜んでいるわ変なF1サーキットに はそれぞれのキャラクターがあったぜ確か に個性的だったわねそれは時に危険と 隣り合わせであり安全でありすぎるがゆえ に退屈なサーキットもあったぞほとんど 危険だったわ時代の変化やマシンの進化に より過去のものとなったサーキットもある ぜ今でもサーキットとして残っているもの もあればもはやおかげもないサーキットも あったな元々駐車場だったコースもあった わでもその時代に変なサーキットを 駆け抜けたドライバーたちの融資は今も 色合わせないぜ他にも印象に残る変な サーキットがあればコメント欄で私たちに 教えて欲しいんだぜよろしくお願いするわ それでは本日も最後までご視聴ありがとう ございましたござた

#F1 #F1総集編

【チャプター】
00:00 ①【ゆっくり解説】F1史に残る変なサーキット4選
12:27 ②【ゆっくり解説】F1史に残る変なサーキット9選

【動画で引用している画像について】
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▼背景素材
Ahmad Gulabi様

50 Comments

  1. コースアウトをすると人工芝がタイヤに張り付くサーキットは含まれて無かったか。内容が下品に成るからかな。

  2. 18:40ティレル嫌がっててワロタw
    ってか、マンセルとエリオ・デ・アンジェリスって、同じレースで走ってたのね
    アヴス知るまでは、ポール・リカールが異様なレイアウトしてるサーキットという印象でしたw

  3. スズカは立体交差で有名だけど。
    あの高速テクニカルと言うトチ狂った感じが好きだったりする。
    それが原因で抜きにくいサーキットになってるけど。

  4. 鈴鹿の変なところは8の字。
    右回りの前半と左回りの後半。何よりも、連続S字コーナー・ヘアピン・複合コーナー・高速ストレートからの高速コーナー・シケインと、これでもかとコーナー要素を詰め込みまくってるのも、変な要素かと思います。

  5. シルキュイ・ド・シャレードは面白そう
    日本で言うところの群サイ?山道を基に造ったサーキットだから楽しいと思う。

  6. 鈴鹿は世界に誇れる最高のサーキットです!
    まだ行ったことがないから、一生に一度でいいから鈴鹿でサーキット走行してみたい。

  7. デトロイト市街地コースは荒れたレースで面白かったよ。
    路面にマンホールがあったり暑さでカウルを外して走るマシンが続出したり。

  8. 一番最初のサーキット「アヴス」なんか見覚えあるなーと思ったらロブロックスのロストックレーシングというゲームに、このコースがあった。とてもよく印象に残っているな。

  9. レッドブルリンクがツェルトベク飛行場の「すぐ北」って言われて、
    流石にそこまで近くはないだろ〜って思って地図見たら、思ってた十倍ぐらい近くて笑った

  10. 84年のダラスといえばホンダのF-1復帰後の初優勝でしょう!(K-ロズベルグ)
    近所の自転車屋の入り口ガラスに10年近く記念ステッカーが貼ってあった。

  11. アヴスはスピリットオブスピード1937で見たことがあります。1:14 マン島ってあったかどうかですが。ルマン島かも。ロストックレーシングというのにもとここのコメント。

  12. アメリカで左回りは普通のこと。
    競馬場もヨーロッパは右回りだけどアメリカは左回り。
    インテルラゴスが左回りだからブラジル人ドライバーには有利かと思ったけどピケは違ったのね。

  13. 三重の知人が週末は鈴鹿に走りに行くのが当たり前だったとか 近いと羨ましいなと   ヨンナム・サーキット が設計者の意図を汲めず 逆回りでレース開催して それを知った途端悶絶したとか

  14. 1) シャレードと聞いて最初分からなかった。クレルモン=フェランのことね😅
    2) F1のコースは、伝統のモナコを除いて原則1周3.7km以上という規定だったかで、かのTIサーキット英田はギリギリ3.703kmという体裁で仕上げた。今も岡山国際の関係車両はカーナンバーが37-03で揃えてたりする。95年のレースは私も観に行きましたが、今となっては、よくあの場所で開催できたものだと…
    3) ヘンテコなレイアウト開催を1つ挙げよと言われたら、82~88年まで行われていたデトロイトの市街地コースでしょうか。今みたいなLED照明が無かった頃に高層ビル街の下の真っ暗なトンネルを通っていたのは、モナコを模したばっかりに無茶してる感アリアリでした

  15. ル・マン24hのサーキットにある直線は「ユノディエール」だったと思うけど、今は呼び方ちがうのかな?
    ストレートの出口がミュルサンヌ・コーナーだったと覚えているけど・・・

  16. ラスベガスのもそうだけど、アメリカのサーキットに左回りが多いのは、インディカーやNASCARが左回りオーバルを周回するので、それになじみがあるアメリカ人に合わせているんじゃないかと思ってる。

  17. ル・マン24時間レースグループCカー時代星野一義や亜久里がル・マンのミルサンヌストレートは恐怖でしかなかった!と言っていた!この速度で何か起きたらどうしよう、、、と考えてしまう?考える時間のある長いストレートは恐怖でしかなかったと笑いながら語っていたが。300キロ以上のスピードでアクセル全開で走るのは怖いだろうな

  18. 鈴鹿も富士SWも自分の足で走ったことあるけどサーキットの形状って
    初めて実物を見るとテレビで見るイメージと全くといっていいぐらい違う。
    鈴鹿はバンクの傾斜が凄いし、富士SWもダンロップコーナーからの坂が
    「え、テレビだとそこまでの坂に見えないのに・・・」となる。
    これを人間の足でパナソニックコーナーまで駆け上がるのが物凄いきついんですよ・・・
    走ってみたい人は「富士マラソンフェスタ」と検索してみてください、毎年やっています。
    鈴鹿は「鈴鹿シティマラソン」です。コースを走れるのはなかなか貴重な体験ですよ。

  19. 旧モンツアは映画「グランプリ」のクライマックスシーンで出てきますね。映画でもライバルがバンクから飛び出して即死してしまいます。優勝したのはホンダを模したヤムラでした。
    信じられないことに映画公開翌年のモンツアでホンダは映画と全く同じように接戦を0.2秒差で制して優勝しています。まさに予言です。

  20. モンツァサーキット、スロットカーで作れそうなレイアウトですね😁実際のF1で、『首都高C2サーキット』を開催して欲しいですね😁

  21. F1の「黒歴史」って言われていたと動画の中にあるが、そもそも「黒歴史」って言葉はターンエーガンダムの中の言葉が由来だから、F1でそんな単語は使われた事ないぞ。

    よく黒歴史黒歴史って、量産系のゆっくり解説動画で使われてるが由来も知らず、そんな単語を使われていないのにデタラメなこと言ってんじゃねーよ。

    消せよ、こんな動画

  22. グランツーリスモにはリアルサーキットもオリジナルサーキットも色々収録されてるけど、
    走って面白いのはやはりリアルサーキットの方に感じる

  23. モンツァーのフルコース(オーバルコース)は、メイクス選手権(現在のWEC)では、1969年まで使用された・・・・ロングテール仕様のポルシェ908LHが優勝した・・・・
    FISCOの30度バンクは、1973年頃まで使用されたと思う。⇒ GCシリーズでの多重事故が原因で、バンクを含むフルコースでのレース開催は無くなった。・・・・

  24. 鈴鹿は 立体交差があるので 左回り右回りとバランスが取れてる。
    そして すべてのコーナー要素がある面白いコース!
    とんでもサーキットなら 旧富士スピードウェイ も バンク角が30度の変態コース

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